三.
そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」
塔の建造は紅魔館の裏手、湖から見て紅魔館よりさらに奥側でなされた。手始めに敷地として直径一キロメートルものの領域が地ならしされたが、それについて不満の声があがることはなかった。元々主要な人妖種族いずれにとっても支配域の外側で、唯一勢力圏を主張できる吸血鬼は魔女の身内だった。市場の神による一連の活動の結果として土地の所有権が霧散していたことも大きかっただろう。
更地にはまず巨大な円形に石が並べられた。円の完成を待つ暇もなく石の線は石の塀となり、その次の瞬間には石の塀は石の壁と形容すべき高さになった。もっとも壁とすら呼ばれることはなかった。翌朝天狗が知ることになった時点で既に、これは誰が見ても塔としか呼べないような高さにまで成長していたのである。
建築の基準としては異常な建造速度と資材消費でありながらもこれは幻ではなく現実の塔だった。塔は石製。酷使された土の精霊が術師に指示された座標に石を生成して生み出しているのであり、精霊の酷使とはこの術師が最も得意としている分野だった。しかし現の出来事であるにも関わらず、起こっていることは「塔が建てられ、それにより何かが起こった」ではなくただ「塔が建てられている」というだけで幻想郷世界には何の影響も現れなかったから巫女が動くこともなかった。誰にも妨害されず、誰にも還元されず、ただ一本の若竹か何かのように日を追う事に塔が高さを増すという現象だけが続いた。
そうした塔の建造を見物するために小鈴は紅魔館に来た。当然パチュリーから計画は聞かされていて、小鈴は小鈴なのでそのとき即答で同行を申し出たのだが、「安全性の保証ができない」という理由で断られて、単にパチュリーらがこの事業に集中する間の休暇だけを言い渡されていたのである。
小鈴が見物に来た時点で塔は既に小鈴の知る一番大きな木よりも倍の高さにまで伸びていた。その最上部はチェス駒のルークのようにデコボコしている。胸壁か、さもなくば窓の一部を作っているものと思われた。
「毎度お疲れ様です」
門番が小鈴に声をかけた。
「そちらこそ」
この門番が門の前に存在しているという以上に何かをしているのか、というのは小鈴には分からない。だから「お疲れ様」というのが適当とは小鈴には思えなかったが、しかし他に気の利いた返しも思いつかない。礼儀というもののままならぬところだ。
「今日は仕事ではなかったですよね?」
「はい。塔を見ようと。構いませんか?」
「パチュリーさんが勝手に建ててるものでうちのものではないので『構いません』というのも違うんでしょうが、まあ構わないということでいいでしょう。ただ立ち見というのも疲れるでしょうから」
次の瞬間、白い布がかけられたテーブルと銀のスタンド、真鍮製らしきケトルに陶製のカップといったアフタヌーンティー用のセット一式が出現した。
「まさか門番さんも時を!?」
「いや咲夜さんですね。時を止めるって厄介な能力ですよね。手柄をでっち上げるのもなすりつけるのも思いのままなんですから」
門番の帽子にナイフが。
「あいや素晴らしい能力ですねええ素晴らしい。ささどうぞ座って」
「はあ……」
小鈴はそのまま門番が退場して咲夜さんの方が応対するものと思っていたので困惑しながら座った。
「咲夜さんは多忙なのです。そしてなにぶん他には昼に外に出るには体質が弱いのと客対応するには頭が弱いのしかいない館なもので私しか手がない、というわけです。美鈴と申します。どうぞよろしく」
美鈴は異常に口が長いケトルを手に取り、ケトルの口を首の後ろに回すポーズをとってお茶を注いだ。如意棒を持った孫悟空が演舞をしているようにも見える。その手技を見て、小鈴は美鈴が単なる代打として応対しているわけではないと確信した。この館の人材は層が厚い。
「門番と思っていたんですけれど本職はそっちなんですか?」
「職として認められているのは門番だけですけれどお茶にも一家言あるというのはそうですね。でもお茶を淹れる給仕という意味ではやっぱり咲夜さんの方が本職と思いますよ。私は別の流派というか」
「……聞いちゃ駄目な話だったりしました?」
「あいや、そんなギスギスしたものではなく、やり方が違うんですよ。私はお茶を淹れることで技も見せています」
「そうですよね。咲夜さんの紅茶をはじめて頂いたときとは別の意味で驚きました」
「咲夜さんの方も最初は驚いたでしょう? ご存知の通りあの人は時を止めることができますからね。淹れると過程もなんもなくいきなり完成形が目の前に出現するんです。つまるところ、私は『見せることで見せている』わけですが、咲夜さんは『見せないことで見せている』のです。それが流派の違い。でもお茶を淹れるという行為に技術の表現という要素を織り込んでいるという根っこの部分は共通してます。紅魔館流のもてなしってやつです」
「お茶請けも美鈴さんの好みですか?」
小鈴は中段に入っている蒸しパンのような菓子が気になりそれを手に取った。
「半分は。お茶に合うものをリクエストはしましたが、もう半分は咲夜さんの趣味ですね。それも咲夜さんが準備した馬拉糕
です。点心にハマっているのかな」
馬拉糕という名前の蒸しパンは結構こってりとした甘さだった。体型への影響が危惧されるが大丈夫だと小鈴は信じることにした。咲夜と美鈴というn=2だ。
「それにしても高いですねえ」
美鈴はサンドイッチ片手にそう呟いた。何の変哲もない胡瓜と燻製肉のものに見えるが何か高級食材が、とまで考えて小鈴はここに来た本来の目的を思い出した。他のことを考えていた間にも塔は少し高くなったように見える。
「高くなりましたねえ」
「あれって最終的にどれくらいの高さになるんですか?」
「えっ」
小鈴は答えに詰まった。
「おや。パチュリーさんが『小鈴さんに翻訳を頼んだ本を元に建てる』とおっしゃっていたので小鈴さんはご存知と思っていましたが」
「あー。五千キュービットくらいらしいです」
「そのキュービットってのは」
「一キュービットは肘から手の先までの長さらしいので……。腕を広げた人数千人分の長さ……」
小鈴が答えに詰まった理由がこれだ。読解により書かれているものの大きさが人間数千人分ということは分かっても、人間数千人分がどのくらい長いのかというのは文字通り途方もない問いに思えた。小鈴は確信をもってそれに釣り合うと保証できる具体例をもっていない。彼女が知っているとてつもなく巨大なものは例えば妖怪の山だが、それが両腕を広げて横並びになった人間数千名の隊列と比較してどうかなんて分かりっこない。
「そりゃあ途方もない」
「すみません、分かりやすい説明ができず」
「いえいえ。塔が完成したらきっと分かりますよ。『五千キュービットとはこのくらいの高さなのか』って。あるいはパチュリーさんが塔を建てている目的もそういうことなのかも」
「いやあ、そんなはずはないんじゃないですか? 長さの実感を得るためだけにこんな大がかりなことをする人とは流石に思えないですよ」
「確かにそれだけとすると矮小化しすぎているでしょうね。でも当たらずしも遠からずだとは思うんです。つまるところ、途方もないことの途方を知るために途方まで歩もうとしている」
塔は二人が話している間にも伸びているのだろうか。高くなっていくにつれて、例えば森の木のような他の高いものからどんどん遠ざかっていくから相対比較がやりにくくなる。それに、例えば五メートルのものが六メートルになれば割と大きな変化だが百メートルのものが百一メートルになったところで見た目には多分区別はできない。
「なるほど。それがパチュリーさんの目標」
それでも、仮に美鈴の説が正しいとすればパチュリーは今の間にも少しだけ途方に近づいたのだろう。そして小鈴には美鈴の仮説は正しいように思えた。
「いや本当に本当かは分からないですけれどね。所詮、仮に塔の理論を授業されても分からないだろう頭でこうなんじゃないかなと言ってるだけなので」
二人はしばし黙って、これが一人の魔女が目指す途方への道筋なのだろうという視点で塔を眺めた。
小鈴は塔の威圧的な高さが既に自分の手には余るように思えた。パチュリーが塔を建てるに決心するまでの百年という年月を理解するには自分はまだ若すぎる。が、百年を経て塔を建て始めるには、今度は人間の寿命が足りぬのだ。人の身で同じ場所に立つには、百年を待たずして塔を理解せねばならない。
一方美鈴は、確かにこの塔は高いと思った。が、洗練されていないとも感じた。パチュリー自身の設計ではないせいか、設計の時代が古すぎるせいか、建物の気と建築者の気とが調和していない。だから途方への道筋と予想はしたものの、これは未だ中途なのではないかとも思う。実際、中途であることが許される、むしろそうでなければならないくらいにはパチュリーは若い。
***
「占いですか」
レミリアの部屋にティーセットを運んできた咲夜は、主人がカードの束を切っているのを見つけた。
「まあね。パチェ達がやってるじゃない」
「ええ、何かしてますね」
「本人曰く、塔を建ててるらしいわ。その趨勢でも老婆心ながら占ってやろうかと」
「少し意外ですね。お嬢様なら塔を建てる方に参加するものと思っていましたが」
「あの塔、最終的に相当な高さになる見込みな上に、嫌がらせみたいに日光を中に入れる構造なのよ。パチェは『そういう設計だから仕方ないじゃない』の一点張りで」
レミリアは苛立たしげに束をカットし、熟慮の後それを更に少し切り直してから一番上をめくった。カードの番号はⅩⅥ。
「塔。破壊、破滅、崩壊」
レミリアが表にしたカードは上から下に雷が走り、塔の王冠のような形の上部が下に向かって崩落している正位置の塔だが、逆だったとしても概ねは変わらなかった。「塔」はタロットのカードでは唯一、正位置でも逆位置でも凶と解釈されるカードなのだ。
「縁起でもありませんわね」
「どうかしら。塔の建造に対して塔を出したのだから、その意味では縁起ともとれる」
「単に『塔は完成する』という意味ならばよりふさわしいカードもあると思うのですが……。それはお嬢様の領分ではありませんか」
咲夜の言う事はもっともで、レミリアの脳裏にはカードを切っているとき既におぼろげにイメージは浮かんでいた。カードをめくる行為はいわば思考をメモとして書き留めるようなものである。めくる直前一度切り直したのも、感情の乱れからカードの状態が脳裏のイメージと乖離したように感じてそれを直すためだった。だから脳内と同様の「塔」という結果は正しいはずだ。
「何をもって塔を完成した、とするかじゃないかしら。例えば建築物は完成すると後は朽ちるだけだから柱の一カ所をわざと逆にして未完成のままにする、という建築技法があるのだけれど」
「侘び寂びですわね」
「その使い方合ってるの? ……閑話休題。結局それって柱の向きが一部間違ったまま完成しているだけじゃないのって」
「であれば、完成の定義は明確です。ピースを多少取り違えていようが、最後の一カ所を埋めた瞬間、ジグソーパズルは完成」
「ジグソーパズルなら、私はむしろ額縁に入れて壁に飾るまでしてはじめて完成だと思うわね。フランなら……遊び終わってバラバラに崩し直したものを完成と言うかもしれない。とかく『完成』の基準って考え方次第で幅はあって。多分神の考えに一番近いのはフランね」
「妹様ですか」
「塔って、崩されるためにあると思わない?」
「まあ、タロットの絵の塔って崩れてますからね。あとバベルの塔……。タロットの絵の元ネタがバベルの塔でしたか」
「いや、"La Maison Dieu"とは元々『神の家』の義であり、タロットの図案が指し示しているのはバベルの塔の逸話ではないという説もあるから、この解釈に則るなら二例と勘定していいわ」
レミリアが訂正する。
「あとは賽の河原の石積みも崩されるために積んでいるようなものですわね。三例目として見に行きます? 川の近くですけれど」
「それは耳学問でいいわ……。まあともあれ塔は崩されるためにあるもので」
「つまりパチュリー様の試みの結果は、占いもとい運命上は、『塔は完成するが崩される』という顛末を辿ると。結局縁起でもありませんわね」
咲夜はあまり感情を起伏させることなく答えた。プロジェクトがどれだけの規模でどれだけのリソースが投入されてるか彼女は知らないので、不幸の規模をせいぜい卓上調味料を倒してこぼすくらいのものだと解釈している。もっとも財政的にはあくまでパチュリーの自費で紅魔館の財布には無関係なので、仮に事情を知ってたとして同じ反応だったと思われるが。
「うむ」
「どうにかなさりますか?」
主の反応を見て、咲夜は自分の返事は主の旧友に対するものとしてはあまりにも淡白だったかと一応のフォローをする。咲夜は冷酷だが残酷ではない。
「いいえ。結局これはパチェの運命よ。パチェがどうにかするかどうにもしないかするものだし、そうであるべき。それに」
レミリアは不要になったタロットの束とティーセットとを入れ替えた。
「パチェ自身にとってはどうにも悪いものではなさそうなのよね、この運命」
***
パチュリーは塔の螺旋階段を登っていった。
この魔術師は二つ名の一つに反して動く大図書館であり、周りの人がそう思っているよりは健康である。過去には一人天界まで空を飛んで赴いたこともある。が、だからといってこれが容易なことというわけでは決してない。
塔には吹き抜けはなく、中央に太い柱とそれに蔓のようにまとわりつく階段が基本構造で、これらは時折挿入される「フロア」により中断される。パチュリーはフロアの一つで息を整えつつ、実際に塔を登ることで気がついた思考をまとめた。
塔は飛行種族が用いることを想定していないか、少なくとも飛行種族の利用を主目的とはしていない構造である。空が飛べるならば直通手段として吹き抜けを設けるべきだからだ。ではこれは逆にどういう種族のための塔なのか。空を飛べない普通の人間。これも想定しているのだろう――階段の高さは一応人間の歩幅でも踏むことができる範囲だった――が、設計主は巨人だった可能性が高い。普通の螺旋階段にくらべて段一つの高さも奥行きも明らかに大きい。この螺旋階段は一周するごとに地上からの高さが数十メートル上がっているように思える。
フロアも、天井が相当高くにある。が、これは城や豪邸がそうしているように単に威光を示すためにそうしているとも考えられるし、塔全体にも言えることだが、高さの数字や空間の大きさに何らかの数秘術的意味合いがあるという可能性も排除はされない。部屋の大きさそれ自体は利用する者の大きさを完全には規定しない。階段ならば歩幅が倍になるなら利用者の大きさも倍になるという推定が成り立つが、身長が倍あるからといって部屋の採光窓の大きさを倍にするとは限らない。
パチュリーがフロアの天井や壁の上半分に集中した窓を眺めていると、そこに蝙蝠のような影が一人分降りてきた。先に登っていた小悪魔が戻ってきたらしい。
「お疲れのようですね」
「そりゃあね。とはいえ順調よ。疲れて休むことも想定して時間は準備しているから」
「ここまで疲れることは想定外だったんじゃないですか? パチュリー様とはいえ、巨人の国の建物を歩いたことはないでしょう」
「まったくね。元が巨人の国の代物なのか人間の国で巨人向けに作られたものなのかは知らないけれど、いずれにせよバリアフリーというものを配慮してほしかったものだわ」
「スロープなり吹き抜けなりを組み込んでしまえばよかったんですよ」
「建て始めるときもお前は同じことを言っていたわね。けれども、最初はレシピ通りに作らなきゃ」
パチュリーは呆れた声を出した。
「パチュリー様は料理しないじゃないですか」
「それはそれ、これはこれ。私はね、一旦これがどうなるか見てみたいのよ」
「どうなるかって……。そりゃあ塔ですよ」
小悪魔は首をかしげた。
「本当に、本心から、百パーセントそれだけを思っている? 悪魔ともあろうお前が」
「ふむ……? ふむ……。ああ……」
小悪魔はパチュリーの言わんとすることをさとって歪んだ笑みを浮かべたが、すぐに笑みの側は消えてただ歪んだ顔になった。
「塔とは破綻であり、破綻するのは我々……。パチュリー、様……」
小悪魔は薄黄色の石壁に片手を押し当てた。まるでそうすれば自分達より五百メートル上空で続いている塔の建造術式が停止すると考えているかのように。無論小悪魔の行動前後で変わらず石は積み上げられ続けており、パチュリーもただ一言「無意味よ」と小悪魔を刺す。
「なぜなのです!? パチュリー様、貴方はここで終わる存在では決してない!! あってはならない!! それなのに、なぜ破綻を選んだのです」
「言ったでしょう? どうなるのか、をとりあえずは見てみたいの」
パチュリーは立ち上がり上向きの階段に足をかけて前進を再開した。小悪魔は横を歩く。彼我の体力差を考えたら小悪魔がその気になりさえさえすればパチュリーの歩みを止めることができるのは明確だが、小悪魔はそれをしない。パチュリーの意志の強さに押されているのだ。
「まず、今時点で正しい予想だとほぼ確信していることを話すわ。万に一つ、いや、億に一つ貴方の知識で間違っていることがあったら訂正してちょうだい。この塔のオリジナルは、旧約聖書に言及されたバベルの塔そのもの。顛末は記録された通りに、塔は神の怒りに触れて、建造を可能にした神、あるいはアダムの言語もろとも崩壊した。言語や塔の設計、『主犯』であるニムロドの業績は忘れ去られたが、忘れ去られたことが逆にトリガーになって書が幻想郷に辿り着いた。あくまで言語だから小鈴が解読できたけれど、何と呼ばれていたかも分からない完全に抹消された言語だから小鈴にもそれが『何語』であると答えることはできなかった。しかし、流石にニムロドが本当に巨人とまでは予想外だったわね。あれは神曲
のオリジナル設定と思っていたのだけれど」
「ですから、そこまで分かっていてどうして」
「私もこれを言うのは三度目になるわね。どうなるかを見たいのよ。ここからの話は今のところ正しいとは確信しきれない。意義は二つあると思っている」
南中を通過した太陽が塔の窓から二人に光を注ぐ。パチュリーはその太陽に向かって進む。蜜蝋で固めた翼で太陽を追った神話の愚者のように。
「言語とは世界を分節する手段だけれど、現存するあらゆる言語は何らかの点において不完全で、不完全な言葉で描写される世界である魔術も実のところ不完全なものに甘んずるしかない。逆に仮に完全な言語があったとして、それを理解して紡いだ魔術は完全な魔術たり得ると思わない? そしてこの塔の元となった言語が神ないしアダムの言語ならばその資格を満たす。これが一つ目の意義」
「パチュリー様は、理解なされたのですか?」
「ノーね、その質問に対する答えは。薄っぺらい羊皮紙だのパピルスだのの本数冊見て言語を完全に理解することができたら苦労ないわよ。だから私は逆を試すことにした。ニムロドは神の言語という手法の結果として塔を建てたけれど、私は塔という結果をもってその手法を類推する。視点を変えると塔とは神の逆鱗を刺激することで力を発生させる一つの巨大装置とみなすことができる」
小悪魔は自らの主を狂人だと思った。古今東西、そんな理由で、権威を誇示するでも直立した塔として何らかの実用価値を見出すでもなく、単なる実験として巨塔を建造しようなどとしそれを実行したという話は聞いたことすらなかった。誰もしなかったのには明確に理由がある。そんなのは金と労力の無駄だからだ。確かに権威を目的に塔を建てることもまた「金の無駄」と批判されることだが、それですら権威を金で買ってるのであり、塔を建てたという権威は塔を建てることでしか得ることができない。が、神の力を一度発生させる実験のために塔を……?
「だいぶ効率が悪いように思えますね」
「城壁を破壊するのに古代ローマは象のような大きさの破城槌を必要とした。紀元千年の頃には大砲でよくなった。今は個人携行の八卦炉でも城壁は破壊できる。教訓は二つ。一つ目に力学の行使に必要な機構は技術の洗練とともに小型化していく。二つ目に、将来的にもっと便利な手法が発明されるという結果があったとしても、古代ローマの時代に破城槌は必要だった」
小悪魔は再確認した。自分の主は聡明だが、知識に関しては逆にその聡明さを失ったかのように猪突猛進する狂人である。が、その狂人さに、知への盲目に自分は惹かれたのだ。
ただ、自分が盲人の手を引き歩くものならば、盲人が道を踏み外すのを防止するのは責務であるともやはり思う。
「なるほど。効率の話はよしとしましょう。酔狂は悪魔も望むところです。しかしだからといってパチュリー様が危険を冒す必要はないのではと、顛末を塔の内側で眺めることもないのではと、どうしてもそう思うのです」
「ニムロドは天に至る道として塔を建てた。だから責任者が中にいるというのも条件になるはずなのよ。まあ大丈夫よ」
「多分大丈夫じゃないです」
「お前が大丈夫にするんじゃないの。崖から飛び降りようとするものがいて、それが自殺志願者なら一分後に自分は死んでいると確信しているだろうけれど、酔狂ならば一分後にも自分は生きていると確信している。はたから見たら確かに区別はつかないだろうけれど、当人の内面で明確に区別される。そして私は酔狂よ。自殺志願者じゃない」
気がつけばまだ塞がっていない青空が上にはっきりと見えるくらいにまで二人は塔を登っていた。