Coolier - 新生・東方創想話

ファイト!

2024/09/14 14:53:56
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   がんばれ響子ちゃん 1

 寝苦しい夏の夜だった。僧房の木板がぎぃと軋む。響子は蒸した不快感から逃げるように寝返りをうつ。しかしまとわりついた湿気は離れることなく響子を苛む。連日の雨はいつも日中に降り始めて、日暮れに止んだ。そんな夜は空気ぜんぶがぬるまゆいお湯になったかのようだった。この暑さには蝉も鳴かない。みな、各々の寝床で寝苦しさに悶えるほかになかった。
 寝返りをうつにも狭い寝床だった。寝床は二段になっていて、この三畳半ほどの空間に、同じものがもう一組ある。つまり響子のほかに三名の同室者がいることになる。
 入り口側の上段から、響子は声をあげて訴える。
「窓を開けましょうよ、こんなに暑いのに」
 どうして閉め切らなければならない、とは続かなかったが、不満を伝えるのには十分だった。
 窓側の上段、ぎぃと軋む木板に続いてため息が溢れた。村紗は「はいはい」と不服そうにラダーを降りて、窓を開ける。
「自分で開けりゃいいじゃないか、私だって暑いし、面倒なんだから」
「窓は窓側にしかないんです。近い人が開けるべきですよ」
 またため息が溢れて木板が軋む。村紗は不服そうにするだけでなにも応えない。開けた窓から入り込む濡れた草の匂いと湿気とが響子には辛辣だった。
「そっちなら梯子降りるだけでしょう。私が窓を開けるには、梯子を降りてそこから一歩、二歩、それから三歩、がんばって四歩、よっこらせ、五歩……ぐわーっ! 死んじゃいますって。窓に辿り着くより先に、暑さで」
 おどける響子に対して、村紗はまるで耳に入っていないように、「暑いんだよ」と呻いて、そのまま眠ってしまったようだ。
 眠れない夜を共有する気力さえやられている隣人をよそに、響子も仰向けになって足を伸ばした。ふ、と息をついても暑さや湿気の何一つを拭えず、草の匂いが鼻につくばかりだった。そのまま、響子は目を閉じる。寺に入って日の浅い響子にとって、毎朝の早起きは対処しなければならない問題だった。眠らなければ、と集中すると、今度は余計に眠れなくなる。いたずらな末端神経のかゆみや顔に触れる髪の毛などに気を取られ、生ぬるい風が吹くと就寝への焦りが増してゆく。それでも微かな眠気になんとか身を委ね、ようやくうとうとと眠れそうになる。
 気付けば意識は微睡んでいて、すこし眠ったような気もすれば眠っていないような気もする。そんなとき、響子はふと自分の足元に何かがあることに気がついた。つま先に当たるその感触は丸くなめらかで、やわらかくもあり、しかしピンと張った布のような硬さもあった。半覚醒のまま、つま先でそれを転がしてみる。ころん、ころんと転がって、響子の朧げな意識はそれを転がすことに支配される。転がしても転がしてもおなじ感触を保つそれは、強くつつけば破裂してしまいそうな危うさもあった。なんだかおもしろい。つま先、親指で何度もそれを転がす、それはかさぶたをいじくるような感覚と似ていた。
 響子は、つま先の感触が妙に気になってきた。意識が朧げなまま、足元で転がる何かに対する興味が次第に強まっていく。つま先でそれを転がす度に、その物体の丸くてなめらかで、しかしどこか張り詰めた感触がたのしさを増していく。ふと、響子はその物体が何であるのかを確かめたくなったが、眠気に勝てず、ただ無意識にそれを転がし続けた。
 しかし、次第にその感触が変わってきた。ころんころんと転がっていた物体が、急にぐにゅりと柔らかくなり、響子のつま先に湿り気を感じさせた。その瞬間、響子は嫌な予感がした。つま先をそっと動かしてみると、その物体は急に生きているかのように反応し、竦むような速さで親指からくるぶしへ、そして足の甲を這い始めた。ぞくっとする感触に、響子の眠気は一気に吹き飛んだ。薄暗い部屋の中で、彼女は何が起こっているのかを確認しようとしたが、見る勇気が湧かない。そのうち、響子はつま先で感じるその虫の足の感触に耐えられなくなり、思わず足を強く振り払う。
パチン。
 その瞬間、響子のつま先にぬめりとした感触が広がった。温かく、しめった液体がつま先に染み出し、その異様な感触に響子は全身に震えが走った。驚きと嫌悪感から足を引っ込め、体を起こして足元を見たが、暗闇の中で何が起こったのかははっきりとは分からない。ただ、足の裏に残るぬるりとした感覚が強烈だった。恐る恐る手探りでその場所を確認すると、指先に感じる異様な感触に再び震えが走った。細かく砕けた殻のようなもの、そして粘りつく液体。やがて、指先に染み付いた異臭が鼻を突いた。それは大きな虫だった。響子はその事実に気づくと同時に、嫌悪感と恐怖に襲われた。足元に転がっていた半ば潰れていたが、それはどこからどこまでか分からなくなった体で必死に這いまわっていた。
 途端に感触のすべてが幾倍もおぞましくなって、響子は声にもならない悲鳴を上げて寝床から転げ落ちた。

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