いつの日かとおそれていた いつの日かとゆめみていた
「おいし?」
「うん、すっごく……霊夢の作る草餅大好き」
「そ、良かったわ」
春風がそよぎ緩やかに、ようやっと腰まで揃った黒髪をふうわり靡かせていった。
社務所備えの縁側に腰掛けて、お茶を啜るのはのんきな巫女さん、博麗霊夢。
その膝の上では草餅の置かれた皿と同じくらいの大きさの小人、少名針妙丸が自身の半分ほどはあろうか草餅に身体全部で頰張り挑み、もぐもぐと幸せそうに咀嚼を続けている。
針妙丸を見下ろしつつ、霊夢は行方を追っている妖怪、天邪鬼について考える。
……針妙丸は、天邪鬼……鬼人正邪を「器用なヤツ」と評価した。
そして、その言葉を認める事実として、逆様異変の後、たった一人で大妖怪達の追っ手を反則アイテムなる異物を使って逃げ続け、逃げ果せた。
……まあ大したヤツだ、とは思う。
だからこそ、油断がならぬ。
だからこそ、疑う。
このあいだ、霊夢は実に久しい装具点検をしようと唐突に思い立ち、武器の点検を行った。針の調子が悪ければ多々良小傘の元を訪ねよう、衣装のボロが目立つなら香霖堂で新しく仕立ての依頼をしよう、陰陽玉の調子をみて、霊力を篭め直そう……などなど。
面倒だからと放っておいてはいるが、流石に年に数回くらいはこうして点検をするのだ。
異変は、いつ何時起こるか解らないのだから。
……とまあ、そんな感じで装具の点検をしていたら、
足りないものがあった。
空間を渡る時に使う護符と、結界を作る結界符。
じつのところ、霊夢は符など無くても“それ”をこなせはするのだが、例えば何らかの理由で霊力が減衰しているとき、霊力を行使できないとき、予め術式を篭めておいた符を使う。
そんな保険のような目的で、そういった特殊な数枚は常に持ち歩く。
その数枚が、欠けていた。
――どうやら盗まれたか。
最初に疑ったのはあの白黒だが、利用価値のないものを盗むとは思えない。
自身が有効に使うために「借りる」というのが言い分だからだ。
まあ盗人の理屈などどうでもよろしい。
彼女の魔術は霊夢の振るう霊力のそれとはまったく質の違うものだ。巫術は使えないだろう。
では、誰が盗む?
符を使え得るもの……紫? いや、ヤツも自身で空間を渡れるし、仕事の邪魔というならアイツはもっと気付かれるようにするか完全に気付けないようにするかのどちらかだ。
同じ理由で八雲家は全部なし。
早苗? いや、多分あの子はこの類の術を使えないだろう。
そも、自分の術を使えるものなんてそうそういるものではない。
誰が、何の目的で?
そして霊夢の直感は、かつて自分が操った陰陽玉をワケの解らぬ化け妖器「血に餓えた陰陽玉」として操った天邪鬼のことを思い出させる。
風見幽香と別れた針妙丸が、霊夢を頼って姿を現したのはそんなタイミングのことだった。
「その座敷童のことだけど……私も知らないわ、本当にね」
「えー……」
「ただ……座敷童という以上、あすこの家の繁盛に関わってはいるのでしょうね。私は何度かあの家に行って妖異にまつわる相談を利いたことはあるわ。それだけよ」
返答に肩透かしを食らったようになる、針妙丸。
――ウソは付いていない。ただし大事な情報は、隠す。寧ろ少し話しすぎたくらいだ。
紅魔館のメイド長が得意とする話術。これは、存外自分にも合っている、と霊夢は気に入っている。
「じゃあ、正邪が何処にいるのか、解らないままかあ……」
「まあ……その内ひょっこりと姿を見せるでしょう。待っていると良いわよ。その間は此処にいなさいな」
「うーん、解った。またちょいと厄介になろうかねえ」
「話が決まったところで。悪いけど、あうんと留守番していてくれる? 里に用事があるのよ」
「わかったー」
針妙丸に残りの草餅はあうんと分けて好きに食べていいと言い残し、霊夢は空の人となる。
さて、そろそろ夕方、そして夜が来る。
入道雲を真下にしながら、向かうは人里、大通り。
夏の日差しが空を飛ぶにはキツい時期だ。
高空の冷えた空気が汗を抑えてはくれど、強い直射日光はどうにもならぬ。特に霊夢にしてみれば、特異な衣装のせいもあって陽焼けは絶対にしたくない。存外普通の人よりは肌が強いが、それでもそこそこ気を使って日焼け対策にお肌の手入れはしている……面倒なことだが。
霊夢の直感……いいや、もう確信だが、今夜再び正邪はあの子を訪ねるだろう。
それを、どうするか……。
答えのでないまま、霊夢は悠然と空を行く。
少しばかり、気が重い。
――この物語の終わりが見えかけているからだ。
声がしたのは、そんなとき。
「冴えない顔ね、霊夢」
「……嗅ぎつけたか」
入道雲を真上にしたまま滞空した。
途端、首にするりと白長手袋の腕が二本まとわりついてくる。
霊夢はそれをなすがままにして呟いた。
「あんたの出番はないわよ。これは私の管轄だわ」
「どうかしら?」
いちいち胡散臭い物言いは、実のところ霊夢の好みであり、同時に嫌いなものだ。
苛立っては見せるけど、いつものやりとりに安心も出来る。
兎角付き合いだけは永い相手だ。
いまも言いたいことはだいたい解っている。
声の主は、姿は見せないまま霊夢を背中からぎゅうと抱きしめ、己の柔肌を押し付ける。
暑い。
「暑い!」
「あらいけず」
まるで蠅でも追い払うかのように、空間から出した大幣を二度三度振り払う。
抱擁が解かれ、その主は空中に突然闇黒と湧いた隙間から姿を現した。
「ごきげんよう、霊夢」
「……紫、なんでもかんでも首突っ込むのは止めて。人里は私が面倒見るの。あんたの干渉は要らないわ」
「そうは言ってもいられませんわ」
「なんでよ」
「そりゃあ、ねえ? あの天邪鬼のことだもの」
……もう其処まで知っているのか。
霊夢は顔に出さないまま興味なさげに鼻息一つ。
「アイツがなにをやらかそうと、今更でしょう。あんたわたしに任せるって言ったはずよ」
「貴女に任せられる範疇で、ね」
「ならばすべてわたしの掌中だ」
……緩やかな緊張が奔る。
隙間から姿を見せた妖怪、八雲紫は微笑みの侭に薄目で霊夢を見据えてみせる。
「……あの座敷童を放っておくからいけないのよ、霊夢」
「だったらあんたが外にうっちゃれば良かったんじゃないの? 以前の一件のように」
「あんな弱い子は使えないわ……解っているくせに」
「…………」
霊夢は溜息一つ。
「愛情あってこそのものよ。人も、妖怪も」
「そうかしら。それがどれだけあれを苦しめていることか」
「あんたは人間好きっていうクセに、ほとほと人間を学習しないのね。それが妖怪であるってことなのかしら」
「――どういう意味?」
「苦しいのは身内さんも一緒ってことよ。あの人達は、それでもそばに居て欲しいと願った。だから私は手を貸した……でも、そろそろなのね……」
「…………天邪鬼の干渉を許すのは何故ですか」
「それは正直想定外……ねえ、さっさとソコ退いてくれる? 夜までに甜瓜邸に着いて、事情を説明したいのよ」
「私に任せなさい、霊夢。これは元々禁忌に近しい事よ。律は乱れている」
「断る。あんたそんなだから妖怪なんだ。いつものように、黙って静観していなさい。神隠しだなんて人里で起こすのは断じて許さん」
二人は互いに見つめ合い――同時に溜息をつく
「――三枚」
「……二枚よ。紫、あんた本当は私に構って欲しいだけでしょう?」
答えはない。
薄く笑んだ美貌の隙間妖怪は、入道雲に突っ込むほどに上空へと至り、そこで巨大な弾幕の火花を展開。紅白巫女へと襲いかかった。
***
――――夜
甜瓜邸、二階。
雨戸の隙間、その奥にて。
「巫女さま、今宵もようこそおいでくだすった」
「おう、今夜は鰻の蒲焼きだ。精付けろ、糞餓鬼」
「あはァ……おら、最近おどにほっぺがあかいねっていわれだァ」
「……わたしのことはナイショのシーだって解ってるな?」
「んだ、誰にも言ってねがら」
「ヨシヨシ……ほれ食え。今夜は私も食うぞ。腹減った」
「えへへ……いっしょに食える……うれしいなァ」
「お父、お母とは食えないのか?」
「おら、此処から出られねがら……」
「そうかい」
(沈黙、箸の音、咀嚼音、沈黙)
「巫女さま……おらをもらってくれねが?」
「マセガキめ、貰うってのがどういう意味か解ってンのかァ?」
「……わがってる」
「ホントかァ? お前ェは解ってないぜ。もらうってのは、身体を渡すってことだぜ。お前、そのヒョロいナリでわたしに抱かれるつもりか? へっ! 十年早えェよ」
「でも……」
「飯食え」
「はい」
(沈黙、箸の音、沈黙)
「……貰ってはやるよ」
「ほんとけ?」
(茶碗の墜ちる音)
「お前ェ、最初からそのつもりだったのか」
「…………」
「私が博麗とわかったのは、どうしてだ?」
「……妖怪をころすにおいがした。こえぇ、こえぇ、におい……でも……巫女さまはお優しくて……今は不思議だァ」
「……お前ェ、巫女はなんでもかんでも妖怪をブチ殺すとでも思ってンのかァ? そいつァ間違いだぜ。巫女はな、悪さした妖怪だけを殺すのさ……お前ェは天地がひっくり返りでもしなきゃ、殺されんよ。あんまりにも、弱すぎる」
「…………」
「だから食え、成長しろ」
「……あはァ……巫女さまは、お優しいなァ……でも、もうおらは、もたねぇ。妖の方じゃなく、この身体が、もう……」
「……臼返しの子かよ」
「違ェ。そいでも育てでけだんだ」
「なるほど、お前ェが取り憑いて、保たしたか」
「……あの人らはなんもわりぐね。おらが半端者だからわりいんだ」
「自分を半端者だなんていうものじゃねえっ」
(畳を叩く音)
「……ごめんしてけれ」
「やれやれ……貰ってくれってのァ、つまりそういうことかよ」
「違ェ」
「ん?」
「最初は、そいだつもりだった……巫女さまに祓って貰って楽になりたかった。でも、いまは……貰ってけれ」
(永い、沈黙)
「……いいだろう。ただし、ただしだ。わたしは生き死にを簡単に諦めるヤツァ死ぬほど嫌いだ。憎しみすら疼く! いいか? 妖怪として生まれちまったからにゃあしょうがねえじゃねえか、泥を啜ってでも生き汚くあれよ。お前を貰ってやる。だから……だから、足掻け。そしたら……そしたら、毎日メシを運んできてやるからよ」
……。
霊夢は、音も立てず、静かに甜瓜邸の一階へとふうわり降りていった。
……良かった、結界符を使うようなら介入せねばならなかった。あの子達の閉じた世界のなかでなら、監視するだけで済むだろう。
そして、家人のものたちにも、多少の誤魔化しでどうとでもなるだろう。
少なくとも、最期のその時までしあわせに。
正解のない答え合わせだ。
だが、それなのに、正邪は少しも揺らがなかった。
「あれがアイツの強さだなあ。ただの偏屈とも言うが」
まあ暫くは針妙丸の代わりをする事になりそうだ。
……そこで起こりうることはけして口外できそうにないが。