Coolier - 新生・東方創想話

あいつ

2022/03/18 19:55:10
最終更新
サイズ
260.84KB
ページ数
6
閲覧数
3176
評価数
2/3
POINT
240
Rate
13.25

分類タグ


 ぽう、と。
 マヨヒガにある家々、その全てに灯りがともる。普段の、僅かに点々と光が零れているとは程遠い、強い光が障子を突き抜けてこのマヨヒガ全体を照らしている。
 オカルトボールの怪しい光にマヨヒガ全体が喜んでいるのか、それともこの決闘の舞台を舞台自身が盛り上げてくれているのか、私には分からない。だが、そのおかげですっかり日の落ちた夜のマヨヒガでなお、あいつの顔がよく見える。
 私は箒に跨って地を蹴り、空へと昇る。あいつは何に縋るでもなく、空へふわりと浮かび上がる。
 幾度となく、私とあいつはこうして向かい合って空に浮かび上がった。そのたびに私は弾幕ごっこであいつに叩き潰された。半ばそれは見慣れた光景でもあった。
 しかし今は。まるでこれが初めてのような気分だ。初めて、あいつと相対しているような心地だ。
「こうして本気でぶつかり合うのも、久しぶりな気がするな」
「こんなお遊び、すぐに終わらせてあげるわ」
「言ってろ。勝つのは私だぜ」
 あいつは、ただ冷めた目を私に向けている。まるでお前に本気など出したことがあるものかと、そう言われているような気がした。
 ……その見飽きた目に、今日は一矢報いてやる。
 私は、懐からスペルカードを取り出す。五枚。どれも一つ一つに自分の全てが込められている。それに答えるように、あいつも同じ枚数のスペルカードを手に取り、扇のように構える。
 そして、その内の一枚を同時に抜き、お互い高らかに掲げる。
 五本勝負。同時に弾幕を放ち、先に三本先取したら勝利。オーソドックスでシンプルなルールだ。

(お前に、勝つ)

「行くぞ」
「来なさい」
 そして、弾幕ごっこが始まった。

 ――霊符「夢想封印」
 ――魔符「スターダストレヴァリエ」

 あいつが御札を四方に投げる。投げられた御札はぽうと光を発し、それぞれが一つの珠となって私を撃ち落とそうとこちらへ飛来してくる。その光は妖怪が忌み嫌う大変ありがたい光とのことで、人間相手でも触れれば非常に痛い。
 対し、私は星の欠片を撒き散らしながら迎え撃つ。お遊びの金平糖で作った弾幕ではなく、魔法で作り出した、星の形をした火の粉を。人に触れれば間違いなく傷を付けるものを。
 あいつが唱えたスペルカード、色取り取りの光の珠の中心で浮かぶあいつの姿は見慣れたもので、あいつお得意の弾幕だ。きっと幻想郷で一番、私はこのスペルカードを、あいつの弾幕を見てきた。何度見てもその景色は美しいと思えた。
 珠の一つをミニ八卦炉から発射した火球で撃ち落とし、そのまま箒の手綱を握って大きく旋回。珠は緩やかに私を追い掛けてくる。珠から逃げながらも、私は星屑をばら撒く。だが、それをあいつはひらりひらりと最小限の動きで回避しながら、また次の珠を生み出している。
「おっと」
 あいつのその動きに私が気を盗られた、その一瞬の隙に、進む先に珠が現れる。咄嗟に箒の先端を持ち上げ急上昇。足の先がその光に掠めたのか、熱が走ったのを感じる。だが、こんなものはただの掠り傷(グレイス)、なんともない。
 珠同士は衝突するが、ぶつかり合って衝突するなんてこともなく、互いに重なり色が混ざりながらも私を追い掛けてくる。珠はどんどん増え、次第に視界を覆い尽くしていく。後ろから追い掛けてきたはずの珠たちは、いつの間にか四方八方から迫って来る。
 私は箒を操り、珠の間を潜り抜けるように避けながら、返す刀で星屑の弾幕を放つ。あいつの周りを旋回しながら放たれた星屑は、連なって渦を描いている。あいつを取り囲むように放たれたそれを、しかしあいつは踊るみたいにひらりひらりと避ける。避けながら、更なる珠を生み出し私を追い掛けさせている。
 まるであいつが舞台の中心に立ち、私がスポットライトであいつを照らしているみたいだ。癪だが、しかし私の弾幕は舞台の中心まで届かない。
 ジリ貧。
 そんな言葉が頭をよぎる。
 これが、あいつの常套戦術だ。
 多くの弾幕を放ち、相手の退路を塞ぐ。自分はどれだけ弾幕を撃ち込まれても全て躱す。やがて相手は行き場をなくし、弾幕を作る余裕もなくなり、そして被弾する。
 まるで『野球で勝つには、相手チームには一打も打たせず自分のチームは全打席でホームランを打つ』みたいな話だ。それが出来れば苦労しない。そんな理想論を、あいつはその身一つで体現していた。
 そしてそれが分かっているからこそ、あいつは自分が勝つと思っている。その強さが、過去のあいつの勝ち星に、勝って当然だと思えるほどの自信に繋がっている。
 それでもなお珠から逃げて星屑を撒き散らす私を哀れんだのか、あいつが冷たい目をして言ってくる。
「今まで勝ったことないくせに、今日は勝てるつもり?」
「ああ、そうだ! いつだって、私はお前に勝つつもりで弾幕ごっこしてるぜ!」
「あっそう……だったらあんたは何も変わらない。また私に負けるだけよ」
「それは……どうかなっ!」
 私は帽子からフラスコを取り出し、あいつに向かって投げる。ガラス球の中にはおどろおどろしい紫色の液体が揺れている。あいつが眉を顰めるのが見えるのと同時、フラスコが私の放った星屑の一つに触れ、割れて中の液体に火がついた。
 それと同時。
 ぼぅん! という空気の膨らむ音とともに、白い煙が爆発的に広がる。煙は私やあいつどころか、地上の紫や菫子まで包み込む。つい先程、部屋で見せたものと似たようなものだ。引火と同時に大量の白い煙を発生させる、私特性の煙玉。
「ちょ、ちょっと⁉ 何よこれ⁉」
 あいつの困惑する声が聞こえてくる。その声が、あいつの周りで光る珠たちが、煙の中のお前の居場所を教えてくれるよ。
 そちらへ向けて、ミニ八卦炉を構え魔力を籠める。それはミニ八卦炉によって光に変換され、煙を切り裂く一条のレーザーとなって放射された。
 あいつの小さな悲鳴が煙の中から聞こえる。確かな手応えを感じた。
 私が弾幕を止めると、煙が何かの力によって吹き飛ばされる。私へと迫っていた珠が、その光を消してただの御札に戻る。ただの紙となった御札が、ひらひらと舞いながら地上へと落ちてゆく。
 私は指を立て、にやりと笑って言ってやった。
「まずは、私が一つだ」
 晴れた煙の先に、あいつが浮かんでいる。あいつの袖の裾が焼け焦げ、右肩を手で押さえているのが見える。が、それよりも苛立ちの混じるその顔が、何よりも雄弁に被弾を語っていた。
「随分と、汚い手を使うのね」
 ああ、分かってるさ。
 こんなものは弾幕ごっこじゃない。美しいはずの弾幕を煙で覆い、その死角から弾幕を放つ。それが弾幕ごっこの流儀に反することくらい、自分でも分かっている。
 弾幕ごっことは本来、精神の決闘だ。弾幕の美しさで相手を撃ち破り、その光景に相手を魅了させられれば勝ち。そのために、人妖は(プレイヤー)弾幕の構成を考え、美しい景色を描き、それを相手に見せる。
 だからこそ、作り出された弾幕はその者の心象風景そのものなのだ。その者にしか作ることの出来ない想いが込められているからこそ、スペルカードとして銘を与えられ、自身の表現として使われる。
 私だってそれを理解している。勝つため殺すためだけの弾幕なんてナンセンスだということも、数多のスペルカードを見て研究してきた私にはよく理解している。あいつと同じか、もしくはそれ以上に。
 それがあいつ……曲がりなりにも弾幕ごっこ、命名決闘(スペルカード)のルールを作った霊夢からしてみれば、私の行いは許せないと言われても納得だ。
「不満か?」
 だが、反省する気なんて私にはないぜ。
 清廉潔白で潔癖なお前には許されない行いかもしれないが、それでも私は、今だけは。
 あいつは不服そうに鼻をふんと鳴らす。それを見て、私ははんと短く鼻で笑ってやる。
「そうか。それは僥倖。お前がそんな顔をしているのを見るのは気分が良い」
「それで真面目にやってるつもり?」
「はっ、これが私の真面目さ。正々堂々なんて言葉より卑怯と呼ばれる方が私にあってるな」
 それに、私は勝たなきゃならない。負けられない。負けたくないんだ。多少ダーティーな手段を使ってでも勝たせてもらうぜ。
 下を見れば、紫と菫子が見える。私たちを見上げている。あの人形もか。空高くからでも、二人の顔は良く見えた。
 菫子の顔は、私が勝ったことに安堵するような、でも霊夢が負けたことに悲しむような、複雑そうな顔。……お前、やっぱりまだ霊夢のことが大事なんだな。私が負けるのもあいつが負けるのも、どちらも本心では望んでいないのが分かる。安心しろ。そんな友達想いなお前を悲しませたあいつを、私がぶっ飛ばしてやる。
 紫の顔は、余裕そうなその顔に苛立ちが混ざっている。霊夢が負けるとは疑っていないが、だからこそ何を遊んでいるんだと、そう思っているのだろうか。……私はそう簡単に負けてなんてやらないぞ。思惑が外れて残念だったな。
 人形の顔は……よく分からん。ぬぼっとした無表情でこちらを見ている。興味がないような、あるがままをただ受けているような、そんな感じ。
 橙は……逃げたのだろうか。あちこち見渡すが、もう姿は見えない。もうあいつに用はないし、それで構わないが。
「言っておくが、私の百八手はまだまだあるぜ。こんな煙幕一つが私の全部だとは思うなよ」
「知ってる。あんたがそういうやつだって、知っててずっと付き合ってきたんだから。けど弾幕ごっこにまでそれを持ち込むなんて思ってなかったわ、泥棒さん」
「こいつにケリを付けたら、ちゃんと本も返すさ。安心しろ」
 何を安心しろと言っているのか自分でもよく分からないが、私はそう返した。返してから、全て終わったらそれも悪くないかなと思い直す。私はパチュリーにすっかり嫌われていくが、たまには頭を下げに行くのも悪くない。
 あいつはまた、不満気にふんと鼻を鳴らす。次の弾幕ごっこが始まる。
 そしてふわりと上昇し、私を見下ろす位置で舞う。まるで能でも演じるみたいに両手に握った御札を揺らしながらくるくるとその場で回る。無駄にきびきびとした動きで何をしているのかと疑問に思ったが、あいつは舞いながら右腕の袖から次のスペルカードを抜き、それを高く掲げた……かと思うと、
 突如、目の前に光の珠が現れ、こちらへと突っ込んできた。
「ひっ」
 それに気付いて思わず喉を鳴らした時にはもう遅かった。身の丈ほどもあるそれを回避する間もなく、私はあっけなく珠に真正面からぶち当たり、大きく弾かれた。錐揉み回転しながらも、箒を操りどうにか姿勢制御を行う。こちらのスペルカードを掲げる暇もなかった。 
「……なるほど、お前もやるようになったじゃないか。礼儀のなってないやつめ」
「あんたに言われたくはないわね」

 ――宝具「陰陽鬼神玉」

 今更、既に使い終えたスペルカードの宣言をあいつは行った。
 視線を高く掲げたスペルカードに向けさせ、もう一方の手で御札を投げる。御札は手を離れてから一歩遅れて身の丈を越えるほどの巨大な珠となって私に迫るが、気付いた時にはすでに遅し。
 本来、弾幕ごっことは魅せるもの。であるが故に、まず最初に両者同時にスペルカードを掲げ、その銘を高らかに宣言してからようやく始まる。
 つまり、不意の一撃、スタートダッシュなんてものは存在しないはずなのだ。両者相対し、同時に向かい合ってスペルカードを宣言して、そこから初めて弾幕ごっこが始まるのだ。いわば、スペルカードの宣言とは挨拶であり、「お前を倒すこの銘を胸に刻め」という宣告でもあるのだ。
 だから、あいつがそれも無しに弾幕を放ったのは、魅せる弾幕ごっこの流儀とは反する不意の一撃をやったのは、私にとってある種の衝撃でもあった。……確かに、明文化されているルールの上では「相手が宣言を行うまで弾幕を放ってはならない」なんてルールは書かれていないが。
 私は、その動揺を隠してにやりと笑う。
「お互い、なんとも泥臭くなってきたじゃないか。お前も分かってきたか? 私もお前も、負けられないんだろ? だったら、お互いやれるところまでやろうじゃないか」
 ここから、泥臭い弾幕ごっこが始まる。美しさとは程遠い、勝つためなら何でもやる弾幕ごっこ。天邪鬼の大捕り物なんて目じゃないくらい、血で血を洗う決闘が始まるんだと、そう思った。思っていた。
 私は次のスペルカードを手に取る。さあ、この弾幕であいつをどう調理してやろうかと、そんな余裕にも似た笑みを浮かべながらスペルカードを高く掲げようとした、その時だった。
「もう一度聞くけど……あんた、魔女になる気、本当にないの?」
 あいつは、さっき答えたはずの問いをまた投げてきた。掲げようとした手を、私はゆっくりと下ろす。
「くどいぜ。お前に勝ったら、考えてやるよ」
「じゃあ、もし私がこの場で両手を上げて参ったと言ったら、私に勝ったあんたは魔女になる?」
「なるわけないだろ。それで私がお前に勝ったと思うとでも?」
 私は自分の胸を、拳で叩く。
 こいつは、私の矜持の問題だ。ただ試合で勝った、手加減されて勝ったところで、私はそれを勝ちだとは絶対に認めない。それで喜んでいるようなら、既にあいつに勝つことなんてとうの昔に諦めてあいつとの日常に浸っているだろう。
 だから、あいつの問いを私は突っぱねた。
 再三に亘って拒絶されたあいつは、顔色を変えないまま、一つ提案を出した。
「そう……だったら、賭けをしましょう」
「賭け?」
「そう、弾幕ごっこの勝者が負け犬に命令出来る、いつものやつ。ただし賭けるものは私が決める」
 そう言ったあいつの口調は、いつもの日常のそれだった。女の子言葉で、穏やかな口調。何が目的なのかは分からないが、ひとまず私は話を合わせる。それが主導権を握られているようで少々癪ではあったが。
「ほう、なら私が勝ったら何が貰えるんだ?」
「この前の夕飯を賭けたの、あれをチャラにしてあげる」
 夕飯を賭けた。
 何の話かと思ったが、ややあって思い出す。
 ずっと前、こんな異変が起こるよりも前、私はこいつに賭けを挑んだ。半ば日常のこいつから逃げるように、夕飯を賭けてこいつに弾幕ごっこを挑み、そして負けた。しかし私はそこから逃げ、以来今日までそのままだ。……まだ覚えてやがったか。いい加減忘れたと思っていたのに。
「……そりゃあ、随分としょぼい報酬だな」
「ずっと放置されてたんだから、むしろ利子を一回で清算してあげようという私の慈愛に感謝してくれてもいいのよ」
「そうかい寛大な慈悲、痛み入るよ。……それで、お前が勝ったら私をどうする気だ?」
「ああ、それね。じゃあ……」
 無駄に勿体ぶった後、あいつはあっけらかんと、いつもの表情で言った。

「あんたには妖怪になってもらうわ」

「……は?」
 一瞬、私は呆けた。
 あれだけならないと言ったのに。それもあの博麗の巫女が、お前がそんなことを言うなんて。お前が裏で、妖怪に成ろうとした人間を屠ってきたのを知らないとでも思っているのか?
「いや……ならないって言ってるだろ」
「だから賭けになるんじゃない。どうでもいいことを賭けても賭けにならないでしょ」
「そういう問題じゃ……」
「それに、それが嫌なら勝てばいいじゃない。自信ないの?」
「……」
 駄目だ。話にならない。
「たとえお前に殺されたって、私は妖怪になんてならないからな」
「それはそれで構わないわ。その時はあんたの頭を叩き割ってそこから蓬莱の薬を流し込んであげる。細かいこと言えば蓬莱人は妖怪じゃないけど、まあそれで我慢してあげる」
「……おお、怖い怖い」
 本気だ。
 あいつは本気で、私を妖怪にしようとしている。私を本気で殺そうと、そして生かそうとしている。
「これで賭けは成立。良いわね?」
「受けるなんて一言も言ってないだろ……」
 あいつの強引さと話の通じなさに、私はもう辟易とした声で呟くことしか出来なかった。あいつのたまに見せる強引さは、時として私以上だ。どうせ何を言ったところで今は聞きやしない。
 そして、言いたいことは全て言ったとばかりにあいつはまたスペルカードを手に、高々と掲げて宣言する。 
「私は、私のために戦う。私のやり方で、馬鹿なあんたを倒す」

 ――「夢想天生」

「おい……それは反則だろ!」
 次に唱えられたそのスペルカードに、私は怖じ気が走る。つい先ほどまでの、日常じみた空気もその一言、その銘を聞くだけで吹っ飛んだ。
 そのスペルカードは、あいつの持つ最強最悪のスペルカードにして、私が銘を与えた弾幕。あまりにも反則なその技を、辛うじて弾幕ごっことして成り立つよう私が助言こそしたが、それは反則技が反則ギリギリの技になっただけだ。
 あいつの体が、空中に溶けるように透けて見える。体の後ろにあるはずの星が見える。今のあいつは、ありとあらゆるものから浮かび、故に何者も触れることの出来ない存在となった。今のあいつに触れようとしても、あるいは弾幕を放とうとも意味を成さない。音や光が届いているのかすら怪しいところだ。
 そしてどこから出てきたのか、あいつの周りに陰陽玉が浮かび上がる。合計八つもの陰陽玉は、まるでそれ自身が意志を持つかのようにあいつの周りとくるくると規則正しく廻りだす。
「ま……ずい!」
 私は自分のスペルカードを唱えることも忘れて距離を取る。背を向け、全力で今のあいつから離れる。
 そして、あいつの弾幕が花開く。
 あいつの周囲を廻る陰陽玉から、大量の御札が列を成して飛び出し、そして私へ向けて射出される。それも一つや二つではない。その陰陽玉のどこにそれだけの御札が収納されているのか、何十枚という御札で構成された帯が、八つある陰陽玉の全てから射出される。一つの帯の長さは三間程度か。身の丈の三倍以上もの長さの帯。広い空の中では一つ一つは短く感じられるが、それが幾つも打ち出されるのだ。それを避けるのがどれだけ至難の業かは自分がよく分かっている。
 飛来するいくつもの御札の列、まるで私を何本もの指で囲んで追い詰め、握り潰そうとするかのような帯の動きに、私は身を翻して帯の指の隙間を抜ける。
「くっ!」
 急激な方向転換と加速に、骨がきしむ。
 だが、無論これは弾幕。一度二度の攻撃で終わるはずもなく。
 弾幕は乱れ咲き、大量の花吹雪が舞い踊る。瞬く間に視界が御札の帯で覆い尽くされる。

 ――恋符「ノンディレクショナルレーザー」

 遅れて私も新たなスペルカードを宣言し、最初は一矢報いんとばかりにレーザーと星屑を撒き散らすが、それもすぐに追いつかなくなる。
 あいつの陰陽玉と同じように、レーザーを放射する十体の丸い使い魔が私の周囲をぐるぐると廻る。使い魔の数こそこちらのほうが多いが、技量の差、弾幕の密度の差は歴然だった。
 私の放つ弾幕はあいつの体に当たることはなくすり抜ける。あいつの放つ弾幕は私を次第に追い詰め、私は弾幕を放つ余裕すらなくなる。私は自分で弾幕を放つことをやめて、使い魔が放つレーザーに弾幕を任せ回避に専念する。
 弾幕の発射間隔は次第に短くなる。最初は短い帯が断続的に降り注いでいたのが、今やまるで槍の雨だ。陰陽玉は休むことなく御札を吐き出し続け、その隙間をどんどん狭めてゆく。レーザーが御札を焼き、そこかしこで小さな爆発が起こるが、そんなものは意味を成さない。雨粒の一つ二つを体に触れる前に蒸発させられたところで、雨が止むわけじゃない。
 だから、私の被弾は時間の問題に過ぎなかった。
 どれだけの時間、回避出来ていたのだろうか。終わることのない弾幕の嵐、届くことのないこちらの攻撃に、ついにこちらの処理が追い付かなくなった。
 見逃した帯の一つ。そこに自分の体が横合いから突っ込む。十数枚の帯が私の右横っ腹から左の肩にかけて、まるで袈裟懸けにされたみたいに貼り付く。
 そして、まずいと思ってそれを引き剥がそうと手を伸ばすよりも早く、炸裂。
「あぐっ!」
 霊力の象徴たる白い光が御札から放出され、私の服を焦がし体を流れる。呻き声が漏れ、体がふら付く。
 私の被弾。負け一つ。これで私が一本、相手が二本先取。五本勝負だからもう後がない。
 それでこの場は終わり。お互いに弾幕を放つのを止め、そうしてまた次のスペルカードを掲げて銘を唱える……はずだった。
「なっ……おい、いつまで出してやがる!」
 私は叫ぶが、弾幕は止まらない。
 陰陽玉から放たれる御札の帯は、止まらない。私はもう被弾したってのに、この一本はお前の勝ちだってのに、御札の雨は止むどころかますます増えてゆく。そして、一度足を止め、炸裂の痛みに喘いだ私に、御札は容赦なく貼り付き、そして炸裂し身を焼く。
 一度、二度、三度。
 御札の束が何度も貼り付き、そのたびに光の奔流が私の体を揺さぶる。痛い。熱い。絶え間なく押し寄せる霊力の衝撃は、私を釘付けにし動くことも喋ることも封じてしまう。ただ私はその衝撃にされるがまま、炸裂に体を委ね耐え、時折り呻き声を上げることしか出来なかった。
 そして、どれほどの御札が私の体の上で炸裂したのか。
「やめて! もうやめてレイムッチ!」
 大量の炸裂音の中、僅かに聞こえた、菫子の声。地上から聞こえてきた声は私の耳に入るころには小さくなっていたが、それでもその叫び声は、悲痛に歪んでいたのが分かった。
 そして、永遠にも感じるほどの長い時間を経て、ようやく拷問が終わった。実際には一瞬だったのかもしれないが、少なくとも服と体に付けられた傷は、既に数えられないほど無数だった。
 体のあちこちが煤け白煙が登り、息も絶え絶えで、服だってぼろぼろ。箒で浮かんでいられるのが不思議なくらいの満身創痍ぶりなのが自分でも分かる。
 首を上げると、あいつが私を見下ろしている。
「ごめんなさいね。まさか、そんなに早く被弾するだなんて思ってなかったから、そのまま続けてたわ」
「へっ、そうかよ間抜け。次はもっと目を見開いて相手を見るんだな。ちゃんと相手を両目で見て避けるのが弾幕ごっこのコツだぜ」
「……じゃあ、今度はちゃんと見て、もっと長く避けてよね」

 ――「夢想天生」

 そして、先ほどと全く同じ弾幕を放つ。パターンも、銘も、美しさも、その全てが同じ弾幕を。同じスペルカードを使うことに驚くことも憤る間もなく、自分のスペルカードを掲げることすら出来ずに体を動かすたびに走る痛みを堪えながら再び箒を操りその帯から逃げる。
 五本勝負で一勝二敗。ここで一本取られれば、この決闘は私の負けだ。
 だが……。
「くっそ……どうしろってんだ」
 思わず悪態をつくが、どうせあいつには届いちゃいないんだろうな。
 苦し紛れに私はあるだけの瓶を投げつける。爆発するもの、煙幕を上げるもの、吸えば幻覚作用のある毒を撒き散らすもの……色とりどりの液体が入った瓶が宙を舞うが、いずれもあいつに届くどころかきっとあいつの眼中にも入っていない。
 瓶はいずれもあいつに届くことなく、陰陽玉が即座に反応して瓶に向けて帯を放ち、的確に射抜く。瓶は御札に触れて爆発する。割れて飛び出た液体はそれぞれが様々なものに変化し撒き散らすが、それに触れた御札が炸裂しその爆風によって吹き飛ばされる。帯の一つの向きを逸らせる程度には一時凌ぎになるが、そもそも今のあいつに何かすることも出来ないし、御札を投げる陰陽玉が止まることもない。全ての行動はすり抜け、何者にもあいつを捉えることは出来ないのだから。
 そう、何者にも捉えられない。

(ずっと、あいつはそんなやつだと思っていた)

 重力に囚われず、何物にも捉えられず、故に誰に対しても平等。実際にはあいつは金にがめついし商売の匂いを嗅ぎ付ければ商才もないくせに首を突っ込み、私含め仲のいいやつも少なくないが、それでもその印象が完全に私の中から消えることはなかった。
 あいつは誰にも踏み込まず踏み込ませず、珍しく突っ込んだ首も深入りする前に飽きて引っ込めてしまい、そうしてまたいつも通りに戻る。
 私だって、その誰かに含まれている。他のやつらに比べればあいつの中では頭一つ抜けて私がいるかもしれないが、それでもその程度だと、そう思っていたのに……。
 決闘が始まる前、私が魔女になんてならないと言った、あの時。
 あの時のあいつの、大きな感情。それは私に向いているものだった。私へ向けられたものだった。
 あいつが感情を持っていないやつだとは思っていない。
 だが、それが自分に向けられたなんて――。
 などと思考を巡らせていたが、目の前の光景に違和感を覚え、我に返る。
 あいつの弾幕。ついさっきまでただただ御札の帯を放出していたが、何かが違う。どこか私を追い詰めるように私の動きを先読みし、意図的にパターンを崩される。
 そもそも、このスペルカードにあいつの意思はどこまで備わっているのだろうか。あいつは目を閉じて全てを遮断し、弾幕は陰陽玉から飛び出して自分のいる位置へ向けて飛んでくる。まるでその陰陽玉が動くものに弾幕を放ち、あいつ自信はそれに任せてただ終わるのを待つかのように。
 しかし、今のあいつは。目を開いてこちらを見つめ、体は私へと向いている。あいつ自身に攻撃が届かず、陰陽玉任せなら体を向ける必要すらないはずなのに。以前にこの弾幕を見た時はどうしていたかなんて覚えていない。そもそもこれはあいつのとっておきであり、ある意味で弾幕ごっこの在り方を無視した切り札だ。最後に見たのがいつなのすら覚えていない。
 さっきは動くもの全て狙わんとばかりに私の投げた瓶にも帯を放っていた。陰陽玉に全てを任せ、陰陽玉はただただ私の動きを追い掛けるように帯を放つだけにも感じた。それでも帯の弾幕は脅威であり、それを避け続けるのは至難の業だが、それでもある種の単調さがあった。
 だが今はまるで……その弾幕に意思を感じた。上手く言えないが、弾幕に私を絡め捕ろうと、確実に追い詰めようという、そんな意思のようなものを感じた。
 それは単に私の勘違いかもしれない。そもそも弾幕とは相手を着実に追い詰めて被弾させるのが定石。だが……
 視界を埋め尽くす大量の御札。こいつをどうにかしなければ、私に勝ちはない。
 だからその違和感、直感に私は賭けた。
 御札の帯から逃げ、軌道を読まれないよう蛇行し、時にあえて帯の狭いその隙間に体を潜らせながら、私は小声で呟く。
「……やれるか?」
 返答は聞こえない。
 だが、頼みの綱はお前だけだ。
「もう、逃がさない」
 あいつの声が聞こえた。ぽつりと呟くような声にも関わらず、その声は不思議と私の耳に届いた。あいつはしっかりと目を見開いて、お高い場所から私を見下ろしていた。
 それと同時、あいつの弾幕が一瞬だけ止まり、そして……

 発狂。

 先ほどの倍……いや、それ以上の弾幕が陰陽玉から放出される。短い御札の帯、その連続だったはずが、今や一つの連なった帯となって放出される。合計八本。龍の体のように長い帯たちは、しかし私へ迫るのではなくあいつの周囲を囲むようにして円を描いている。
 私はそれを下方から見上げる。頭の上の帽子がひとりでにぽろりと離れ、地面へと落ちていく。陣を描く御札はそれに反応することもなく、ただあいつの周りで滞留している。
 月を背後に徐々に空を覆い尽くすそれは、まるで今にも花開かんとする蕾にも、あるいは私を見下ろし狙いを定めるスコープにも見えた。そしてそれは、どちらも当たっていた。
 蕾が、花開く。
 第一刃は、私の退路を塞ぐトンネル。四本の帯が、まるで竜巻のように螺旋となってこちらへ迫って来る。見えていても逃げられないほどの凄まじい速度で、そして人どころか鳥一匹抜けられないほどの密度で。しかしそれは、私に御札の一枚も当たることなく通り抜けていく。前に紫が電車とかいうのを弾幕として出していたが、それがすっぽりと収まるくらいの大きさだ。もっと狭めることも出来るだろうに、そうしないのは最低限弾幕ごっこの体を崩さないためか、それとも同じケージの中にねずみと猫をぶち込むみたいに私を追い詰めていたぶるためか。
 筒状のトンネルに、私は捉えられた。私はいくつかの火の玉をトンネルの壁に投げつけるが、穿った穴は一瞬で流れていく。ならば無理矢理に突っ込めばとも思ったが、そんなことをすれば私の全身は耳なし芳一みたく御札に包まれ、炸裂に身を焼かれることだろう。自ら火の玉となれたのなら可能性はあるかもしれないが、そんなものはあいつの霊力に燃やされるか自分の魔力の火で燃やされるかの違いにすぎない。
 なら、後方に引くか……それとも、最大火力で以て一瞬で焼き尽くすか?
 唱えるはずだった四枚目のスペルカード、その銘が頭をよぎる。ミニ八卦炉を握る手に力が籠り、ミニ八卦炉がみしりと軋んだのが伝わってくる。
 だが、それを放つ時間どころか、十分な魔力をそこに籠める余裕すらもなかった。
 あいつの放つ、第二刃。四本の帯がトンネルを通り、波打ちながら迫って来る。色とりどりに光る御札によって彩られた万華鏡の中……いや、瓶へ足を突っ込む蛸とその瓶の中にいる餌、という比喩が今の光景を見て連想してしまう。
 ……気持ち悪い。美しいなんて到底思えない、弾幕だ。
「くそっ!」
 吐き捨て、私を捕まえようとする触手を睨む。だが、狭いトンネルの中、まるで退路を塗り潰すように放つそれを回避する術は、私にはなかった。ミニ八卦炉からレーザーを放つが、トンネルの壁に向けて放った火球と同じく、御札の数枚を焼いたところで波は止まらない。
 不可能弾幕。
 私は捉えられた。抜け出すことも出来ないトンネルの中で、御札の触手に襲われる。一度被弾すれば、逃げることは難しいだろう。今度も菫子の言葉に手を止めてくれるだろうか。私が負けたら、菫子はどうなるだろうか。
 負けられない。
 だから、私は叫んだ。
 霊夢に、ではない。もう一人の、私の相棒へと。

「今だ! 飛べ!」

 ぶおわっ! と。
 風を切り羽ばたく音が、御札の嵐の中でも聞こえてきた。トンネルが風に揺られ、捻じれるように歪み、そして吹き飛ばされた。再び夜空と、そこに浮かぶ霊夢が見えた。
 霊夢と陰陽玉は手を止め、弾幕の雨がぴたりと止む。空中に御札が紙吹雪のように漂っている。それらはいまだに力を失っていないのか光を放っているが、まるで主人の困惑を示すかのようにその場に留まっていた。
 そして、目の前を黒い影が通る。私と霊夢の間を、あいつは……私の帽子の中にいた蛇龍は、その大きな翼で御札のトンネルを吹き散らしながら星空へと翔け登る。
 あの弾幕が自動照準であれば、蛇龍は帽子とともに落ちた時点で陰陽玉に撃ち落とされていただろう。だが、今の陰陽玉は持ち主と一緒に眺めているだけで動こうとしない。あいつは、怪訝そうにその影を眺めていた。
 そして、蛇龍は……消えた。空の彼方まで登り、その大きな影も空に溶けて見えなくなった。
 最後まで蛇龍の姿を眺めていた霊夢は、ぽつりと、つまらなさそうに感想を呟く。
「ああ、あの時の蛇なの。……で? 逃げちゃったけど?」
「……そうだな」
「決闘に横やりなんて、感心しないわね」
 霊夢は、あいつは陰陽玉を再び回し始める。陰陽玉はすぐに目にも留まらぬ速度であいつの周囲を回り、再び御札を吐き出し始める。また、蕾が生まれていく。
 蕾は先ほどの数倍にまで膨れ上がる。そこに蓄えられた御札は、きっと先ほどの数十倍はあるだろう。
 そして、再び蕾は花開く。今度は、小賢しいことをする気もないらしい。ただ埋め尽くすような御札の触手で空間を薙いでくる。空を埋め尽くすその姿は、まるで山火事か竜巻でも相手取っているような気分だ。風で吹き飛ばされるなら、避けられないほどの吹雪を撒き散らせばいいと、私を睨むあいつの目がそう語っていた。
 私はミニ八卦炉へと魔力を流し込む。その弾幕に、あいつに打ち勝つために。
 だが、いま私が全力を注いでも、あれは破れない。今のあいつに、私の攻撃は届かない。
 御札が迫ってくる。私を捉えようとその触手が蠢く。その全てを避けることも、撃ち落とすことも不可能なのは自明だった。

 だから、私は相棒に任せた。

「……雨?」
 空から落ちてきた水滴が頬に触れる。最初は体に点々と感じる程度だったそれも、わずか十数秒で痛いほどの豪雨へと変わる。服が濡れ、箒で支えている体が大きくなるが、変化はそれだけではなかった。
 周囲を飛ぶ御札。目で負えなくなるほどの大量の御札たち、その動きが次第に緩慢になる。目覚ましい速度での飛翔から停滞へと変わるのに、そう時間は掛からなかった。
 そして、ぼろぼろと落下する。雨のように、御札も一緒に地面へと落ち始める。
 ぺたぺたと、御札のいくつかが私の腕や足にまとわりつく。私はそれを避ける気にもならなかった。雨を吸った御札は気持ち悪く、貼り付くと同時にぺちゃりと水滴を撒き散らす。腕に巻き付いた御札を見ると、吸収した水分によってインクはにじみ、押し出され洗い流されている。それはもう、ただの滲んでふやけた白い紙切れだ。
 私はそこに宿る力も何もなくなった御札を腕から剥がし、あいつに見せびらかすようにひらひらと揺らした後、握り潰す。ぐちゅり、と。ふやけた紙の繊維が不快な感触とともに飛び散り、雨に流されて地面に落ちた。
 あいつの眉がひくりと揺れる。無感情な顔から、確かな怒りを感じる。
 龍と雨。
 村人から親切にされた恩返しに身を犠牲にしてまで雨を降らせた印旛沼の竜や、空海の雨乞いによって雨をもたらした善女龍王など、龍は水を司る水神として日本各地で祀られており、龍と雨乞いについての伝承も珍しくはない。幻想郷だって、明日の天気に合わせて目の色が光る龍神の像があるんだし、例外ではない。
 蛇龍は龍としてはまだ半人前だったが、あいつはやってくれた。残り僅かであっただろう体内の妖力を振り絞って、この土砂降りの雨を作り出してくれた。御札を封じてくれた。
「次からは御札をラミネート加工にでもするんだな」
「そんなお金、あるわけないでしょ」
 雨に打たれながら、お互い睨み合う。あいつは私に冷たい怒りをぶつけ、それに私はにやりと笑って返してやる。
 あいつは、懐から次のスペルカードを手に構える。スペルカードを封じた以上、この一本は私のものとあいつも認めたのだろう。私も、使いそびれたスペルカードを戻し、最後のスペルカードを手に取る。二勝二敗。最後の一戦だ。
 あいつは最後のスペルカードを高々と掲げ――

「もう、お遊びは終わり」

 手で、ぐしゃりと握りつぶした。
「……あ?」
 そして、くしゃくしゃになったスペルカードを放り捨てる。こんなものはもういらないと、ゴミでも捨てるかのような扱いだった。ついでとばかりに、袖から大量の御札も捨てる。
「なんだ、降参か?」
 私の挑発も届いていないのか反応もしない。はぁ、とあいつが息をついて、何かから解放されたみたいに空中でぴょんぴょんと跳ねる。次いで目を閉じ、お祓い棒を両手で握り、その先端につけられた紙の束をしゃかしゃかと鳴らす。まるで神事じみた光景だが、その意味は恐らくルーティーン、精神統一。
「私の手で、終わらせてあげるわ」 
 その言葉を残して、
 あいつは目の前から、消えた。
「……はっ?」
 私だって、人間の中なら幻想郷最速を自負している身だ。そこらの妖怪にだって引けを取らない。動体視力は人間に毛の生えた軽度でも、私の経験が、それを補ってくれている。
 そんな私ですら、見えなかった。
 神速で動いたのか、何か術を使ったのか、それすらも分からず、思考の空白が生まれる。
 その隙を、凶刃が襲う。
 視界の端に、影が見えた。いや、見えたというのもおこがましい、一瞬のちらつき。それに反応できたのは、私の本能と直感に身を委ねることが出来たからかもしれない。
 ミニ八卦炉を顔の前に構えると同時、がきぃん! という耳障りな金属音と受け止めた腕が痺れるほどの衝撃が伝わってくる。それを感じてようやく、目の前に浮かぶあいつがお祓い棒をミニ八卦炉に叩き付けているのが視界に入った。
「くっ!」
 爆発。
 私は魔力をミニ八卦炉へ籠めてお祓い棒を燃やそうとする。爆炎がミニ八卦炉から吹き荒れるが、それをあいつは軽々と踊るように身を翻して避けた。相変わらず重力だとか慣性だとか一切合切無視した出鱈目な動きだ。爆炎を背景にあいつは空中でくるりと回って私の腹をお祓い棒で突く。みしりと、指先程の太さの棒で殴ったとは思えないほどの鈍い音が、腹から胃液と一緒に首の上まで上がって来る。
「かはっ……」
 私は口から飛び出し掛けた胃液と唾を無理矢理飲み込んで箒に指令を飛ばし、あいつから引く。それと同時、逃げながら火の星屑をばら撒きながら牽制……しようとする。
 が、
「遅い」
 あいつの回し蹴りが、腹に食い込む。先ほど殴られたところと同じ場所を、傷口をこじ開けるみたいに。
「あぐっ……っそおぉお!」
 残り少ない肺の空気を振り絞り、叫びとともに魔力を籠める。
 ミニ八卦炉から放たれたのは、強い光。閃光が互いの目を焼いた。
「今の内に……」
 前後不覚どころか上下すら分からない状態で、目も碌に機能せず、どこに何があるかも分からないまま、とにかく箒を操り距離を取る。私の魔法は遠距離向け、とにかくあいつとの距離を開けなければ……。
 一歩間違えば地面に真っすぐ突っ込んで草とキスしていたかもしれないが、それでも全力で逃げた。体に触れる雨の感覚だけを頼りに、少しでも水平に、そして少しでも遠くに。数秒後、ようやく目が慣れ目を開くと、山と雲に覆われた空、そして地平線が目に入る。どうやらちゃんと地面と水平に飛べているらしい。
 あいつは弾幕ごっこを放棄した。辛うじて保たれていたルールも矜持も、今や完全に失われた。他でもない、あいつによって――
 まだちかちかする目で振り返ると、真っすぐこちらへ突っ込んでくるあいつの顔がすぐそこにあった。目を閉じ、それでもなお私の居場所が分かっているかのように一直線にこちらへ突っ込んでくる。……それもお前お得意の勘ってやつかよ⁉
 慌てて箒の上で身を伏せると同時、首の骨をへし折らんとばかりにお祓い棒が横薙ぎに振るわれる。髪の毛がいくつか巻き込まれた感触が伝わってくる。お返しとばかりにミニ八卦炉から炎を薙ぐように噴出する。あいつの袖が煤けたが、それで怯むようなやつではない。
 私は箒の上で向きを入れ替え、フルスロットルで発信。背中に風を受け、どっちに進んでいるかも分からないまま、進行方向とは逆を向きバック走行で宙を翔ける。
 そして、そんな私をあいつが追い掛ける。私が逃げ、あいつが追う。雨の中でドッグファイトが繰り広げられる。あいつはただひたすらに肉薄しお祓い棒を振るう。対し私は逃げながらもミニ八卦炉を握りしめ炎と星屑を蒔く。
 御札の失われた今のあいつに、高度な術は使えない。御札とは、何をそこに書くかによって発動する術式が決まる。なら今の状況、御札が雨に滲みインクが流れ、そして全て捨てたあいつに、高度は術は使えない……はずだ。
 だが――
「くっ」
 あいつは最小限の動きで私の攻撃を避け、お祓い棒で殴りかかってくる。術式が使えないことなんてお構いなしだ。弾幕ごっことも、神事とも程遠い、泥臭い肉弾戦。
「お前……どういうつもりだ! 決闘はもういいのか⁉」
 私は叫び、使い魔を召喚する。先ほどの弾幕でも見せた、レーザーを放つ弾幕。この技に銘はなく、ただの相手を撃ち落とすための攻撃。
「ふん」
 だが、あいつは私の問いに答えもせず、手を振るう。そこから投げられたのは、針だ。きらりと光るものが見えたかと思うと、十もの使い魔がほとんど同時に針に貫かれた。針そのものにも退魔の力は備わっているのか、針に貫かれた使い魔はあっけなくぼろぼろと崩壊し始める。
「なっ……」
 それに驚く間もあいつは与えてくれなかった。あいつは続けざまに手を振るうのが見えたと同時、腕で顔を庇う。一歩遅れて、腕に突き刺さるような痛みが走る。いや、それは比喩でもなく、使い魔に投げたものと同じものが一本、かざした腕に深々と刺さったのだ。
「……ってぇ!」
 叫びで痛みを誤魔化し、後ろへ逃げながら火の粉を撒き散らす。あいつが僅かに下がったのを確認してから、刺さった針を無理矢理引き抜いた。
 口が歪み、声にならない呻きが漏れた。遅れて、舌を噛まないように服の袖でも噛んでおけばよかったと思い知る。
 引っこ抜いた針は、私の腕程の長さもあった。あいつの針は普段からよく見ていたつもりだったが、実際に手に持ってみれば分かる。こんなもの、人間相手に投げるようなものじゃない。もし腕で顔を庇っていなければ、乙女の顔に傷がつく程度じゃすなまい。眼球から脳まで貫かれてお陀仏していたかもしれない。
『あんたの頭を叩き割ってそこから蓬莱の薬を流し込んであげる』
 体がぞくりと震える。その言葉が途端に現実味を帯びてくる。あいつは本気で私を殺そうと、私が死んだって構わないと、そう思っているんだ。
 私は壊れかけた使い魔がまだ動く内に、盾のように前方へ集める。元は丸かった使い魔も今は罅割れ砕けており、それが寄り固まると粗末な石垣のようだ。
 石垣の隙間から、あいつが再び迫ってくるのが見えた。真っすぐ一直線にこちらへと飛び込んでくる。お祓い棒による突きを繰り出さんと、体を弓のように引き絞って。継ぎ接ぎの壁など何の障害にもならない、その手の得物で壁など一撃で壊せると、そう考えているのが一目で分かる。
 だが、今はそれでいい。いや、それがいい。
 あいつの突きが壁へと触れるその瞬間、反対側からミニ八卦炉でレーザーを放つ。
 それと同時、起爆。
 使い魔に僅かに残った魔力。それがレーザーに反応して炸裂した。私は爆風に押されて空中で錐揉みになったが、あいつが爆炎と白煙に包まれたのはしっかりと見た。
 やったか⁉
 箒の手綱を取り戻しながらそう思ったのも束の間、あいつが煙の中から飛び出してきた。赤い巫女服と白い肌を煤で黒く汚しながら、それでも突きを繰り出そうと懲りずに体を引き絞りながら突っ込んでくる。こいつ、お構いなしかよ。
 私は再び後ろへと下がりながら空を飛ぶ。全力であいつから逃げる。あいつが真っすぐに追ってくる。再びドッグファイトが展開される。
 少し距離が開けば、針を投げて牽制し、私が怯んだ僅かな隙で距離を詰めてくる。
 お互い致命傷こそ受けていない。あいつだってその服のあちこちに煤や傷を付けている。
 だが、私が劣勢なのは一目瞭然だった。私の攻撃は牽制以上の意味を持たず、あいつに届かない。数多の異変を解決してきたあいつにこの程度の攻撃が通用するはずもなく、星屑の隙間を容易くすり抜け、私へと肉薄して殴ってくる。
 ここに来て、あいつとの距離を感じる。やっぱり遠いな、お前は。
 だけど、それでも私は……!

「メリー!」

 地上で、声が響いた。
「……あ?」
 あいつが、霊夢が手を止める。怪訝そうな顔を浮かべているのが見える。その視線は、私ではなく地上の一点へと向けられていた。
 私にはその隙を撃つことも出来た。だけど出来なかった。あいつの視線と、その声に引かれるように、私も地上を見る。
 地上、そこには見覚えのない女がいた。
 白いシャツに黒のスカート、それに菫子が被っているものとよく似た、リボンが巻かれた帽子。人里の連中が着ている和服とは違う、その服の質感と意匠を見れば、少なくとも人里の人間ではないことが分かる。
 決闘の場に乗り込んできたあいつは、ここからでも分かるほどぜいぜいと息を荒げている。あいつは……外来人なのか? もう、外に人はいないんじゃなかったのか……?
「れ……んこ? どうしてここに……」
 紫も、菫子も、霊夢も、そして私も。誰もが突然の来訪者に戸惑っていたが、誰よりも最初に反応したのは、あの人形だった。誰もがその来訪者に怪訝な目を向ける中、人形のその顔だけは、そいつが人形だってことを忘れそうになるくらいそいつの登場に驚いていた。どうやら、来訪者と人形は顔見知りらしい。
「どうして? ……そんなのあんたを追い掛けてきたからに決まってるでしょ」
「もう蓮子の……科学世紀にはいられないって、私は人間じゃないって、ちゃんと伝えたじゃない……なんで追い掛けてきちゃうのよ……」
「そんなの……そんな一言二言、いきなり言われて、たったそれだけで納得しろって? ……冗談言わないでよね。私の諦めの悪さ、知らないとは言わせないわよ。そもそも……」
「貴方は?」
 二人の会話に割って入り、紫がその女に素性を尋ねる。その声には、苛立ちと怒気が含まれていた。紫にとってあの女は異物だった。だが、女はそれに臆することもなく、威勢よく啖呵を切る。この幻想郷で紫の顔を知らないとなると、やはりあの女は外来人なのだろう。
「私は宇佐見蓮子。ただの大学生よ。強いて言えば私……私たちはオカルトサークル、秘封倶楽部の一員で、そこにいる子の相棒ってことくらい」
「そう、これのお友達だったのね」
 相棒。お友達。
 つまり、あいつは向こうの世界の人間なのだ。紫が繋ごうとした、新しい世界の住民。人形の作られた目的は、平行世界を調べ、幻想郷を繋ぐことが出来る世界かを見定めることだった。
 そんな人形と、あの女は相棒だという。
「勘違いさせたのなら謝罪するわ。貴方がお友達だと思っていたのはただのお人形さんなの。……ご苦労様、貴方がこの子に協力してくれたおかげで、貴方の世界の調査が捗ったわ」
 秘封倶楽部。
 菫子が自分を秘封倶楽部初代会長だと名乗っていたことを思い出す。いわく、この世界に潜む怪異を調べて探す、そんなことをやっている一人だけのクラブだとか。幻想郷もそうして見つけたもので、それ以外にもオカルトスポットを巡ったり都市伝説について調べたりと、様々なことをやっていたのだとか。
 きっと、この人形とあの女のやっていたことも同じことなのだろう。来訪者の方は知的好奇心としてオカルトを追い掛け、人形の方は世界の情報を収集するために。
 それが分かっているからこそ、紫にとってあの女は都合の良い協力者でしかなかった。人形にとっては分からないが、紫にとっては顔も知らないほどの関係でしかないほどに。
「あんたは誰か知らないけど、私はあんたに用はない」
 それでもなお、紫の言葉をきっぱりと切り捨てて、蓮子と名乗った女は人形へと歩み寄る。
「ここが、メリーの見ていた夢の世界なのかしら。随分と素敵な場所じゃない」
「蓮子……私は、その……」
「マヨヒガ……だっけ? ここに来るまでの間、この世界を見て回ったの」
 蓮子は、まるでそれが普段の日常とでも言わんばかりに、楽しそうに話し始める。
「妖怪がいて、妖精がいて、神様がいて……京都で見つけたあれやこれやなんて、ここに比べればちっぽけな怪異だったわ」
「……ええ、そうね」
「メリーはここから来たのね。こんな素敵な世界があるって知っていて、それでも私と一緒に科学世紀の小さなオカルトを追い掛けていたのね」
 蓮子は、メリーと呼ばれた人形へ、ゆっくりと歩み寄る。それを見て、人形……いや、メリーは後ずさる。それをみれば、もうそいつが人形だなんて言えなかった。メリーという、一人の人間が間違いなくそこにいた。
「私を、騙していたの?」
「騙していたつもりじゃ……」
 メリーと呼ばれた人形は蓮子の声に狼狽するが、やがて懺悔するかのようにぽつぽつと話し始める。
「そうね……結果として見れば、そうなるわね。貴方に話した夢も、境界が見える目も、私の話したオカルトへの探求心も好奇心も、全ては貴方にとって魅力的に映るため。蓮子を、協力者にするため」
「……」
「本当はね、誰でも良かったの。それなりの専門知識を持っていれば、誰でも良かった。蓮子だって、偶然出会ったのが私であって、結界暴きに私の目は都合が良かった。お互いがお互いのお眼鏡にかなったというだけ」
 蓮子は、黙って人形の話を聞く。
「けど、これだけは言わせて。貴方と過ごした時間は、私にとって本物だった。怪異を追い掛けて、いろんな場所に行って、新しいものを見て……秘封倶楽部の日常は、刺激的で、楽しかった。人形である私だって、そう思えたもの」
 人形は、ぼろぼろと涙をこぼしながら、それでも語る。許しを請うでもなく、ただ自分の感情を吐露している。
「こんなこと言うのは卑怯かもしれないけど、最後に貴方に出会えて、追い掛けてきてくれて、本当に嬉しいわ。ありがとう」
「だったら!」
 宇佐見蓮子が、叫ぶ。
「帰ってきなさいよ! こっちに!」
 そうか、こいつは……。
 こんな世界、妖怪の跋扈する危険な場所に単身乗り込んで、八雲紫に喧嘩を売って……全てはメリーを、あの人形を連れ戻すために。
 そこまで、あの人形に。
「ああ……この子を連れてくる時に一緒に迷い込んじゃったのね……」
 何か言うべきか、とも思ったが、それよりも先にと紫がはぁと溜め息をつく。
「ごめんなさい、幻想郷はその世界から秘匿されなければならないの。怪異は、秘匿されてこそ初めて語られ、生きられる。存在する者として公に明かされれば、それはイヌやネコと同じ、単なる事象であり、生き物にすぎなくなる。それはもう怪異ではない」
 淡々と、紫は事務的に述べている。
 都市伝説異変の時に同じく幻想郷の外からやって来た菫子は許されたのに、とも思うが、自分の力で見つけ結界を越えてきた菫子と、偶然迷い込んだ蓮子とでは扱いが違うのも止む無しだろうか。あるいはオカルティストとして、蓮子の実力が不足しているのか。
「もしここで見たことを全て忘れ、一人で帰るというのであれば、私が送り返してあげる。けれど……」
「そんなこと、出来るはずない!」
 紫の言葉は、蓮子の言葉によって塗り潰される。
「私は、メリーを連れて帰る! それ以外の結果なんて、認めるつもりはないわ!」
 蓮子は、きっぱりと言う。胸を張り、真っすぐに紫とメリーを見て、自分の意思をはっきりと告げた。
「そう……貴方の想い、分かったわ」
 紫はスキマから傘を取り出し、蓮子へと向ける。その先には、光が灯っていた。
「けど、私はその望みを叶えることはしない。幻想郷の未来を想えば……出来ない。……この世界を素敵だと言ってこれたのは嬉しかったわ。だから私はこの世界を守る」
 傘に灯る光は、真っすぐに打ち出され、そして……

「させない!」

 その声と同時、ドーム状の膜のようなものが蓮子を覆い、紫の放つ光は弾かれる。
「邪魔を……しないで頂戴」
 紫の声。怒りの滲むその声を聞くだけで分かる。ここからでは顔は見えないが、きっとその顔は苛立ちに歪んでいることだろう。普段は冷静で余裕綽々とでも言いたげな、あいつらしくないその顔を、この空からは拝めないのが残念だ。
 その視線が向けられてる先には、菫子。
 あいつが、蓮子を守った。守ってくれたんだ。
「紫さん……」
 ぽろりと、零れたみたいに菫子が呟く。蓮子の前に二本の足で立ち塞がる。
「私、ドレミーに助けられてからずっと、傍観者だった」
 紫はその口ごと潰さんとばかりに弾幕を放つが、菫子はその力で盾を作り、背後の蓮子を守る。菫子も、蓮子もその場から動くことは出来ないが、菫子の口だけは動いていた。
「当事者なはずなのに、みんな怖くて、勝手にどんどん話が進んでいって……。まるで、子供みたいだった。周りが勝手に私のことを決める。私はそれを見ているだけで、口出しも出来ず、そうして出来上がった道を、示されるままに歩くだけ」
 菫子は肩を震わせる。私が守ろうとした女は、もう守られるだけの女じゃない。自分の意思と力で、戦うことの出来る人間だった。
「けど、そんなのもうたくさん! 私の道は私が決める! 紫さんにも、レイムッチにも、マリサッチにだって決めさせやしない! 私は私のやりたいようにやる! それでも私の道を決めるっていうなら……力尽くでやってみなさいよ!」
 かかってこい、だが簡単にやられはしないと、そう紫に宣戦布告した。
 そして、菫子は蓮子へと話し始める。
「……貴方も、秘封倶楽部なんだってね」
「え?」
「これって……偶然なのかな。私も、秘封倶楽部なの」
「……まさか、あり得ないわ。だって、その名前は、私が名付けたんだから。私とメリーで作った、秘封倶楽部なんだから」
「私だってそう。貴方みたいに相棒はいないけど、誰が何と言おうと私だって唯一無二の秘封倶楽部初代会長なんだから」
 でも。そう前置きして菫子は話し始める。紫の弾幕を防ぎながら、それでも蓮子へと言葉を投げる。まるで日常のような、友達とでも話すかのように、落ち着いていた。
「でも……どうしてだろ、貴方とは親近感があるような気がする。それで思ったの。もしかしたら私たち、同じ可能性から生まれたんじゃないかって……」
「同じ、可能性……」
「この世界と貴方の世界は平行世界……らしいのよ。一つの可能性から幾重にも分岐した世界の、異なる幹。だったら……ほら、この世界での私が、貴方の世界での貴方。みたいな……」
「……確かに、超弦理論において多次元の配下に複数の膜宇宙が存在しているという仮説もあるけど、仮に存在していたとして、次元数も物理法則だって全く出鱈目な場所であるはず……それなのに、ここまで一致するなんてことがあるのかしら……?」
「超弦……膜宇宙……? ……ああもう、そういう小難しいのは今はいいの! 貴方、あの人を連れて帰るためにここに来たんでしょ」
「え、ええ……メリー。マエリベリー・ハーン。私と同じ秘封倶楽部の一員で、私の相棒よ」
「だったら、助けてあげて」
 いつまでも攻撃を防がれるのに焦れたのか、紫は傘をスキマに戻し、周囲に幾つものスキマを展開する。そこから鈍い光が見えたかと思うと、何本もの光線が菫子へ向けて放たれる。
「行って!」
 菫子がそう叫んで蓮子を突き飛ばすのと、レーザーが菫子の体を通過するは同時だった。ここからでは菫子の体に穴が空いたのか、それとも体を掠めただけで済んだのかは分からないが、菫子はその場へと蹲る。
「私は、私の意思で貴方たちを守りたい! 無事に送り帰したいって、そう思ったの!」
 菫子はどこから取り出したのか、斧を取り出す。道路標識とか呼ばれている、鉄柱に円形の潰れた刃の付いた、奇妙な形の斧。
「だから、貴方はメリーさんを捕まえて! 私が紫さんを抑えるから! 貴方は、貴方にしか出来ないことをやって!」
 そして跳躍。長い距離を一瞬で詰め、菫子は戦斧で紫へと切りかかる。袈裟懸けの一刀を、紫は閉じた扇で受け止め、火花を辺りに散らした。
 それを背中に、蓮子は走り出す。戦う力が蓮子にあるのかは知らないが、それでもメリーへ向けて駆け出した。
「いや……駄目なの。来ないで……蓮子にまで危険が及ぶわ……」
「いいや! 私は貴方を連れて帰る! 絶対に!」
 メリーは頭を抱えると、その周囲の空気がぼうと膨らむ。戦う力……というにはあまりにも洗練されていない、例えるなら彼女の中の力の爆発。人形であり式でもある彼女が持つ妖力が、無自覚なままに体の外へ放出されているのだ。
 蓮子はその風圧に押し負け、時折り地面の上を転ぶ。泥と土と雨で汚れながらも、それでも前へと進もうとしている。
 菫子と蓮子。二人が二人の理由で戦っている。守りたいもののために、戦っている。
「くはっ」
 その光景を見て、私の口から笑い声が漏れた。
 堪えようとして堪えられるものではなかった。
 笑わずには、いられなかった。
「こいつはまた、負けられない理由が増えちまった。私はただの人間だってのに、どこまで背負わせるつもりなんだ」
 笑いながら、私は懐から五枚目のスペルカードを取り出し、大きく掲げる。あいつが怪訝そうな顔を浮かべる。弾幕ごっこを放棄したお前から見れば意味の分からない行為だろうが、これは弾幕ごっこのために掲げているのではない。
 自身の想い、それを表現するために掲げる。これを使ってお前を倒すという、もう二度と、絶対に曲げないという意思、その表れだ。

 ――「ブレイジングスター」

 箒の穂体……地面を履くために束ねられた藁の、その中心にミニ八卦炉をセットする。
 そして、ミニ八卦炉に魔力を籠め、爆発させる。ミニ八卦炉は火を噴き、莫大な推進力を生み出す。空気の圧を全身で感じたと同時、星屑を蒔き散らしながら私の体は弾かれたように前へ突き進んだ。
 前へ、前へ!
 あいつから逃げるためではない、あいつを倒すために、私は箒を操る。後ろへ下がるのではなく、前へと進む。真っすぐ、あいつへぶち当たるために突き進む。
 驚いたあいつの顔が見えたが、あいつは速かった。身を翻し、私の突進を回避する。
「逃がすかよ!」
 吠え、私は箒の手綱を操り大きく旋回する。体に普段の何倍もの重力が圧し掛かり、全身の筋肉が悲鳴を上げる。まるで血が逆流したかのような感覚。
 ミニ八卦炉に私の中の魔力が吸い取られる。全力疾走でマラソンをしているような気分だ。私の全てが、ミニ八卦炉へ吸い込まれ、星屑として吐き出されている。雨すら、私に触れる前に蒸発しているような感覚。
 だが、私はもう止まらない。逃げない。
 そして、再びの突進。
「……かはっ」
 回避した直後の、後先考えず避けて無防備なあいつの背中へ、私は頭から突っ込んだ。みしりとした感触が、頭越しに伝わってきた。
「どう……だっ!」
「……このっ!」
 あいつが振り向きざまにお祓い棒を振るうが、既に私は通り過ぎ、虚空を切るだけに終わる。
 空中で旋回し、またあいつへと突っ込む。それ以上の策すら弄さず、星屑を撒き散らしながらただ突っ込み、旋回し、また突っ込む。それの繰り返し。あいつはそれをお祓い棒でいなすこともあれば、私がその華奢な体へ触れることもあった。触れるだけでも、あいつの体へダメージを与えているのが分かる。
 あいつを殴り飛ばすか、それよりも先に私が力尽きるか。そういう勝負へと変わっていた。
 悲鳴を上げる体に鞭打ち、私は突撃を繰り返す。もっと速く、もっと強く。
 あいつへと手を伸ばす。ずっと届きそうで届かなかったその背中、追い掛けてきたその背中に、あとちょっとで届きそうなんだ。

(絶対に、負けない)

 そう、心の中で叫んだのと、同時だった。
「なんでよ!」
 あいつが叫んだ。聞いたこともないような、あいつが出すなんて想像もしないほどの、大きな金切り声で。
 私は手を止めない。なおも突進を続けるが、あいつは私の攻撃をいなしながら叫び続けた。
「なんで、そんなやつ守ろうとしているのよ!」
「そんな……やつ?」
 菫子のことか? 蓮子のことか? ……お前は、ずっと人里の人間を守ってきたんじゃないのかよ。守るってことを、お前が侮辱するのかよ。
「人間として私に勝つ? 私に憧れてた? 馬鹿じゃないの⁉」
「……ふざけてんのか、お前!」
「ふざけてるのはあんたでしょ⁉」
 怒号が響く。私が何を言っても支離滅裂な返答をしてきそうな勢いだ。
「なんで分からないのよ! なんで私の思う通りにしてくれないのよ! あんたは黙って私に負けて妖怪になればいいのよ!」
「そんなこと言われても分かるかよ! もっと分かるように言え!」
「だから……」

「私は、あんたを守りたいのよ! あんたがいてくれれば、それでいいの!」

「……あ?」
 思考が、止まりそうになる。がくっと、速度が落ちる。
 そこにあいつがお祓い棒を振り被って突っ込んでくる。抜けかけた力を再び箒とミニ八卦炉に籠め、私の体は再び前に進みだす。だが、一度落ちた速度をすぐにフルスロットルにまで戻すことは出来ず、あいつに追い付かれてお祓い棒を振るわれる。頭をかち割ろうと振り下ろされる一撃を、私はどうにか首と体を捻って避ける。
 そして、今度はデッドヒートが始まる。私と並走してあいつが飛んでいる。あいつは私の速度に喰らい付きながら、変わらず私に好き勝手言ってくれる。
「私はあの時間が好きなの! あんたと一緒にいたいの! あの時からずっと!」
 あの時。
 抽象的な言い方だったが、私にはそれがいつのことか分かった。
 ずっと昔、父に連れられて博麗神社に来た、あの時。父に黙って家を抜け出し、博麗神社に通い詰めた、あの時だ。
 あの頃から、あいつは私に……。
「でも、あんたは忽然と来なくなった。ずっと来なくて、ようやく来たと思ったら……何? 魔法使い? ライバル? 知らないわよそんなの!」
 あいつがお祓い棒を大きく横に振るう。それを私は箒の先を上へと向け、ブレーキで回避する。傾いた箒の下をあいつとからぶったお祓い棒が通る。がら空きになったその肩へ私は踏みつけるみたいにして蹴りを入れ、煤に塗れた白い肌にブーツの跡を付ける。
「あんたは、こんな物騒な世界に首を突っ込まなくていいの!」
 あいつの肩の踏み台にして、再び空へ飛び出そうとしたが、足首が締め付けられ、その場に縫い付けられる。あいつが私の足首を掴んでいるのだと気付いたのと同時、あいつは私をぐるりと振り回すようにして地面へ放り投げる。
 頭から、落下している。
 私は手の中の箒に力を籠めてその場に浮かべようとするが、首を動かすとあいつが追撃に追ってきているのが見えた。なんて執念だよ。
 だが、その位置はいい。
「こいつでも喰らえっ!」
 箒の穂体を上……つまりあいつがいる方向へ向け、そこにセットされたミニ八卦炉に残っていた魔力を開放する。そこから放たれた星屑はまるでまきびしみたいに空中に留まり、そこへあいつが突っ込んでくる。
 爆発。
 星屑の壁は火花を散らし、一斉に起爆。私は箒を手繰り寄せ、その爆炎と衝撃波を背中に受けながら軌道修正。重力と爆風で加速する体をいなすように制御し、どうにか地面へぶつかる前に再び空へと舞い上がることが出来た。
「何が首を突っ込むなだ! 私は私のやりたいことをやってるだけだ!」
 そして、そのまま煙の中に立つあいつへと突っ込む。空中でふらふらと漂うあいつへ向けて、一直線に突っ込み、拳を握る。その面を一発殴ってやろうと思ったが、それよりも先にあいつは目を見開き、こちらを睨み付けた。
「別にあんたの魔法を否定してない! 異変に首を突っ込むのも、弾幕ごっこするのも、私と張り合うのもやめろって言ってるの!」
「初めて聞いたなそんな言葉ァ!」
 あいつはひらりと身を捻り、私の拳を避けた。……のみならず、すれ違いざまに針を投げた。
 太股に鋭い痛みが走り、飛行バランスががくんと崩れた。危うく箒から身を投げて単身で空を舞ってしまいそうになったが、箒を手放さないようしっかりと握りしめ、空中で錐揉みになりながら制御を試みる。
「だからずっと、そうならないようにしてきたのよ! ご飯とか、お喋りとか、危なっかしいものから少しでも離そうとしたのに! 頑張ったのに! あんたは異変だの面倒事にすぐ首を突っ込んでくる!」
 だが、それよりも先にあいつの蹴りが背中に入る。ブーツの固い感触が、服越しに私の体にめり込む。
「……かはっ」
 鈍い痛みが背中を走り、背骨と固い靴底が擦れるごりっとした音が体を通じて鼓膜を揺らす。
 それに耐えながら、ミニ八卦炉から火炎を放つ。荒ぶる箒を振り回し、箒の柄であいつを殴る。突き出された箒はあいつの腹に食い込む。
「……ああ。どおりでお前と過ごす日常は居心地が良かったわけだ」
 私は、太股に深々と刺さった針を掴んで引っこ抜きながら、ぽつりと呟く。あいつではなく、自分に言い聞かせる言葉。
 ずっと、あいつは日常を求めていた。異変を解決する人間、非日常と危険に身を置く博麗の巫女であるからこそ、何でもない私との日常を、誰よりも求めていた。
 だからこそ、あいつは私との過ごす時間を、何でもない日常として過ごそうとしていた。縁側で駄弁り、一緒に食事をして。だから弾幕ごっこをやろうと言っていつも渋っていたのか。
 あいつは咳込みながら、それでも言葉を続けた。
「でも、あんたはそんなの全く意に介してなかった。全然思い通りにならなくて、私の言うことも賭けの約束すら無視して、危険なことにすぐ首を突っ込んで」
「そうかよ」
 そしてデッドヒート。どちらが先ともなく二人並んで空を翔ける。あいつがお祓い棒で殴りかかり、私はそれを避けて肩からのタックルをお返しして、あいつはお祓い棒を盾にして私のタックルを防ぐ。
「それにしては、今度は妖怪になれって? そいつは矛盾してるだろ」
「私だって、そんなの言いたくなかった。あんたなら、いつか勝手に魔女になるって思ってた。なのに……今度は世界が滅ぶって、そのままじゃあんたが死ぬ、置いていくしかないって言ってるのに、魔女になる方便なんてこれ以上ないくらい用意されてるのに……あんたは魔女にならないって言ってる」
「ああ、私はならないぜ」
「どうして?」
 あいつが、私を見ている。真っすぐに、私の目を見ている。
「私は、あんたに生きてほしい。あんたと一緒にいたい。けど、この船には全員乗ることなんて出来ない。だから、もし今この幻想郷にいる人間一人だけ船に乗せられるというのなら、私は迷いなく魔理沙を選ぶ。魔女にならないっていうあんたを考えを捻じ曲げてでも、それが必要なら私はあんたを妖怪にする。私は、魔理沙が好きだから」

 ――だから生きてほしい。私と一緒に。

 それは、紛れもなく恋の告白だった。
 意外だった。
 あいつが誰かに対して、ここまで莫大な感情を持っているなんて。誰に対しても平等で、故に誰もが特別ではなく、冷たいやつ。そんなことを言われている人間が、誰か……しかも私に、そんな莫大な感情を持っていただなんて。
「……ずっと、お前は紫のやつにホの字だと思っていたよ」
 殴り殴られのデッドヒートを繰り広げながらも、驚きと気恥ずかしさから茶化すようなことを私は言う。
「紫も好き、でも……私は魔理沙も好き。それがどう違うのかなんて知らないし、あんたの言う恋なのかも分からないけど、好きなのはホント」
「そうかよ。そりゃ光栄だ」
「そうよ、光栄に思いなさい」
 私とあいつは、どちらとなく速度を落とす。すぐ隣に、あいつがいる。あいつがお祓い棒を振り被れば、簡単に私を仕留められる距離。同時にミニ八卦炉で簡単にあいつを燃やせる距離。
 それでも、怖くはなかった。ただゆっくりと、雨の降る空を二人並んで飛ぶ。お互いの顔を見ながら、ゆっくりと。
「でも、あんたは菫子を、人形を追い掛けてきたあの女を守ろうとしている。そいつらは、私より大事なの? 私と生きるより、あの子たちと死ぬのがあんたの理想なの?」
「なんだ、嫉妬か?」
「真面目に答えて」
 窘められた。まるで神社で駄弁っているみたいな気分だ。
「お前は、菫子のことが嫌いなのか?」
「嫌いなわけない。嫌いなはず、ない。好きで友達を殺そうとするはずがない。けど……言ったでしょ。全員は乗れないって。そして、物事には優先順位があって、誰しもが万物にそれを付ける。自分の、自分だけの順序を」
「……ああ、そうだな」
 平等なんて、とんだ勘違いだった。こいつの中には厳密な順番がある。その中では、私が菫子よりも上にいる。
「死に絶えた外の世界に送り返すか、そこらの妖怪に喰われるのを待つか、それとも、紫自身が手を下すか。紫からそう言われて迷ったけど、だったらせめて、自分の手でやらないとって思った。それが、殺そうとした者の責任だと思ったから。菫子には、恨む権利があるから」
「そうか。お前は頑張ったんだな」
 冷酷に徹し、無感情に菫子を襲ったのも、そのためか。
「私は他の誰よりもあんたを守りたかった。でも、魔理沙は私よりあの子たちを守ろうとしている。それって、私よりあの子たちの方が大事だって、そういうことじゃないの?」
 あいつは一拍置いて、言葉を選んで、溜めて、迷って、そうして言った。

「あんたは、私のことが嫌いなの?」

「それは違うな」
 私は断言した。それは迷いも、躊躇も、世辞もなく、私の中から拍子抜けするくらいすんなりと出た。
「私だって、お前が好きだ」
 あいつの、驚いた顔が見えた。そして、頬がどんどん赤くなっていく。
 当たり前だ。
 お前が好きだからこそ、私はずっと追い掛けてきた。何度叩き潰されても、力の差を感じても、それがお前の求める私でなかったとしても。それが好きでないというのなら、何だというのか。
 これが恋かどうかなんてしらない。
 それでも、私はお前が好きだ。私の永遠のライバルなんだから。それがお前の望んだ私の在り方でなかったとしても、私はお前が好きだ。
「だったら……」
 どうして、私の言うことを聞いてくれないの。私を好きだって、言ってくれたのに。
 あいつはそう続けようとしたのだろうが、続かなかった。口が震え、呂律も廻っていないが、それでもあいつの目がそう訴えてきた。
「お前は、ずっと戦ってきたんだな」
 人間の身でありながら魔法なんてものに手を出し、異変に首を突っ込む私を、心地良い日常に留めようとした。私との何でもない日常を求めていた。
 身の程も弁えない私、懲りずに弾幕ごっこをお前に挑む私を、お前はいつも叩き潰した。危ないことを止めさせるため。もう勝てないと、そんなのは無駄だと私に思わせるために。
 菫子を殺さなければならないと言われた時、きっとこいつは苦しんだ。過去に菫子が幻想郷に来なくなった時は本気で心配していたし、仲良さそうにしていたのは私だって見ていた。それでも、心を鬼にした。鬼になった。
 私が魔女にならなければ一緒の世界へ行けないと言われた時、きっとこいつは葛藤した。ずっと、こいつは私に魔法や妖怪とは無縁の世界、日常で生きることを願っていた。それなのに、魔女にならなきゃ一緒に生きていけないなんて、なんて皮肉だろうか。
「……そうよ。私は戦ってきた」
「自分のために、か?」
「そうよ。魔理沙の都合なんて知らない。私の、私自身のために、ずっと戦ってきた」
「……そうか」
 ちょっと加速。そしてUターン。
 私は、あいつの前に躍り出る。にやりと笑いながら、私はあいつの前に立った。あいつがその場に留まった。
「けど、言ったろ? 私はお前に勝つって。やっぱりお前は……私には勝てないよ」
 それを言い残して、私はミニ八卦炉と箒をフルスロットルにしてあいつへと突っ込む。急加速が体を包む。あいつは驚いたみたいに私の突撃を飛び退いた。
「ちょっと! もう十分でしょ!」
「いいやまだだ! 私の弾幕はまだ終わっちゃいないぜ!」
 私はフルスロットルのまま、あいつの周囲をぐるぐると廻る。箒は彗星の如く光の尾を引き、虚空に光の輪を刻み付ける。箒から大量の星屑を撒き散らし、弾幕を作り出す。輪の中に、星屑の弾幕の檻にあいつを閉じ込める。
 遠心力に体がばらばらになりそうだ。ヤシの木の周りをまわりすぎてバターになった虎の話を思い出す。なるほど、これなら溶けてバターになるというのも頷ける。既に体力は底を尽き、それでも出涸らしから絞り出したような魔力を振り絞って空を翔けていると、このまま体が粉になって雨と一緒に流されてしまうのではと思えてくる。
 それでも、残り僅かな気力を振り絞って叫ぶ。自分の想い、その全てを。
「お前はずっと戦ってきた! そしてお前は強い! 誰よりも近くで見てきたんだ! お前のことなんざ誰よりも知ってるよ!」
「私の気持ちすら知らなかったくせに!」
 まけじとあいつが叫び返す。フルスロットルで唸るミニ八卦炉と箒の叫び声、そしてあいつの叫びに負けぬよう、こちらも声を振り絞る。
「だがな! 今の私はあいつらのために戦ってんだ! この世界に迷い込んで、殺されそうになって、それでも他人のために戦ってるやつらを守りたくて、こっちは戦ってんだよ!」
 菫子。そして蓮子。
 二人が、下で戦っているのが見える。菫子は紫と弾幕の応酬を繰り広げている。蓮子は人形の放つ奔流を耐えながら言葉を重ねている。どっちも、自分の生死なんかより大事なもののために戦っている。
 そんなあいつらを、今は放っておけない。守ってやりたいんだ。
 自分の体がどんどん早くなる。星屑がどんどん増えてゆく。星屑は辺り一面を塗り潰し、光の繭となってあいつを取り囲む。その中心で、あいつは動けずにいた。あるいは動かずにいた。
 繭はその大きさを増してゆく。星屑の一部は繭に取り込まれることなく周囲に蒔かれて私の皮膚を焼くが、それでも私は止まらない。
「だから……負けられないんだよ!」
 箒の上に二本の足で立ち上がる。足で箒の手綱を操って急旋回し、そして繭へ向けて突進する。
 私の体は光の繭に突っ込み、ぶち破る。星屑は私の体を焼きながらも塵となって宙に溶け、吹き飛ばされた。
「お前は自分のために戦っている、私は誰かのために戦っている。だったら、私が勝つに決まってるだろ! 私が勝たなきゃならないんだよ! 負けられないんだよ!」
 ぶち破った繭の先に、あいつがいた。驚いた顔が見えた。
 あいつはどこに隠し持っていたのか、御札を手に私へとかざす。そこから半透明の防壁が生まれ、私の前に立ち塞がる。
「……っけええ!」
 だが、そんなものでは止まらない。そんなやわな盾で、私の想いが止められるかよ!
「お前が私を好きだって⁉ だから魔法も異変解決もやめてただお前の傍にいろだって⁉ ふざけんじゃねぇ、そんなの私じゃねぇ!」
 ミニ八卦炉が火を噴く。あいつを箒の柄の先に捕らえたまま、私とあいつは空高くへ飛び上がる。それに負けないくらい、私は叫んだ。思うままに、吐き出した。
「お前は、何も知らなかったあの時の私を、ただ親父に手を引かれ良いように使われていた昔の私が好きだっていうのか⁉ 違うだろ⁉ だったらお前は魔法なんかに手を出した私なんてとっくに見限ってるだろ!」
 結界を破ることは出来ていないが、それでも私はあいつを持ち上げ空へと昇る。あいつも、その顔を見れば結界の維持に力を振り絞っているというのがよく分かる。そしてそれは、私も同じ。
「これが私なんだよ! お前は私のライバルで、私はお前に勝ちたいんだよ! だから魔法も使うし異変にだって首を突っ込むし、何度だってお前に勝負を挑んでやる! ずっとずっとそうしてきた! だから今の私がいるんだよ!」
 私とあいつの体は雲を突き抜ける。土砂降りの雨、吹き飛ばされそうになるほどの強い風が体を襲うが、それでも私は止まらなかった。
「私が、この私がお前のことを嫌いだって⁉ そんなわけねぇだろ! ずっと私を見てきたって言うんならよく言えたな! 私はお前が大好きだよ! 大好きだから、勝ちたいんだよ!」
 そして、雲を突き抜けると同時、あいつの結界が破れた。御札が燃えて灰となり、空中に流れて雲の海へと消えた。ミニ八卦炉がぷすんと音を立て、吹いていた火も星屑も消えた。
 そうして、二人そろって雲の上で漂っていた。私は箒にしがみつき、あいつは夜空に身を投げ出して漂っている。御札が舞う音も、お祓い棒に体を殴られる鈍い音も、火を噴くミニ八卦炉の唸り声も、箒の風切り音も、雨音も、何も聞こえない場所でお互いただ身を委ね、流されていた。いっそ耳が痛くなるほどの、静寂。
 でも、何も聞こえなくても。ここには何もないわけじゃない。
 厚い雲の上、そこには星空があった。遮るもののなくなった、空。そこには文字通り満天の星空が光っていた。
 その綺麗な星空を、横切るものがあった。星が、夜空を流れた。
「あ、流れ星だ」
「え、どこ?」
「もう通り過ぎちまったよ」
 あいつは空中に身を投げ出したままきょろきょろと見渡すが、もうそこには空中で留まっている星たちしかない。
「残念、見たかったのに。今度の流星祈祷会はいつかしら」
 流星祈祷会。
 年に一度、流星の降る日に私、香霖、そして霊夢の三人で流星を眺める会。それはいつの間にか毎年恒例になり、今でも続いている。
「さあな。この前、香霖に聞いた時は、まだいつ降るか分からないってよ」
「そっか。残念。今見たいのに」
 残念、と口では言っているが、あいつはどこか心地良さそうな表情を浮かべている。

(ああ、そうだったな)

 流星祈祷会は、私とあいつの日常だった。
 あの星たち。空を流れる星に、私は魅入られた。見る者を魅了し、しかし誰にも届かない、流星。
 私は、星が好きだ。
 あの流星祈祷会が、あの時見た星こそが、今の私の魔法の原点だ。
 あいつと流星を眺めるのは、私にとって日常の中の非日常だった。異変という危険に身を置くでもない、ただ空を流れる星を眺める。毎年恒例になっても、魔法で流星群を再現することは出来ても、流星祈祷会は刺激的で、楽しかった。
 あの時から、私は星に惹かれたんだ。星を、自分の手で作りたかったんだ。
 私はあいつとの日常から逃げていたが、あいつとの日常もまた、私なんだ。そんな当たり前を、今ようやく知った。
「だったら、特等席で見せてやるぜ」
 私は、星空へと飛ぶ。星空を背中に、あいつを見下ろす。まるで、自分が星になって眺められているみたいだ。
「ええ、見せて。あんたの流れ星を」
 あいつは、雲を背に身を委ねる。大の字で空中に寝転がり、星空を背にした私を見ている
 ……ああ、見せてやるよ。私の全力を。

 ――恋符「マスタースパーク」

 掲げることの出来なかった四番目のスペルカードを、今度こそ私は高く掲げた。
 箒にセットしていたミニ八卦炉を取り外して手に握る。ありったけの魔力を籠め、あいつへ向けて全てを放つ。もう力なんて残ってないと思っていたのに、不思議とミニ八卦炉に流れ込んでいく。
 そこから飛び出したのは、まごうことなき光の奔流、流れ星だ。力を求めた私の象徴であり、私の好きな流星の再現であり、自分の持つ莫大な想いそのものだ。
 あいつは、ただじっと待っていた。雲の上に漂いながら、私を受け入れるように笑っていた。
 流星はあいつへと真っすぐ突っ込み、雲と雨を吹き飛ばしながら地面へと真っすぐに急降下する。
 光の奔流で視界が埋め尽くされる中、地面へと落ちながら、あいつはじっと私をその目に焼き付けていた。私からはそんなの見えるはずがないのにそんな気がした。
 長い時間、そうしていた気がする。文字通り自分の全てを流し込み、それすらも出なくなるまでミニ八卦炉を構え続けた。一瞬か永遠かも分からないが、少なくとも放った流星は間違いなく過去最高の出来だ。
 そして、流れ星は夜空に染みて、消えた。掠れるように光が細くなる。全てを出し切った私は、ふらふらと木の葉が舞うように下へと落ちてゆく。箒にしがみついているのだって、やっとだ。
 雲の海に穿たれた大穴を通り、ゆっくりと落ちると地面が見えた。地面は罅割れ、そこに雨水が流れ込んで大きな水溜まりを作っている。その中心に、あいつがいる。仰向けで、体半分が雨水に浸かっている。湖に浮かぶ水死体にも見えてくる。あれは生きているのだろうか。
「どうだ……私の流れ星は……」
 私は、あいつの隣に降り立つ。踏鞴を踏み、箒を杖代わりにしないと立っていられない。
 視線の先には、まだ地面の上で倒れているあいつがいた。まるで眠っているみたいに目を閉じて動こうとしないが、か細く息を吐く音は聞こえてきた。少なくとも生きてはいるらしい。
 私が立っていて、あいつは倒れている。
「これで、私の勝ち、だな……」
 そう私が呟くと同時、視界が暗転。
 私は、あっけなく気を失った。ばちゃりと、自分の体が水溜まりを打った音が、最後に聞いた音だった。

§

「……まで……」
 声が聞こえる。
 全身を包む倦怠感のおかげで、体を動かすどころか目を開けることすらままならない。自分が今、立っているのか座っているのかすら分からない。明滅する意識の中、とぎれとぎれだがその声だけは不思議と耳に入ってくる。
 ……私は今、どこにいるんだ?
 目が徐々に開いてゆく。霞む視界に光が差し込んでくるが霞んでいる。輝く白い霧の中、そこには何か、赤い……
「いつまで寝てるのよ!」
「うわぁっ!」
 すぐ傍で発された叫び声に、私の上体は弾かれるように起こされた。あれだけ霞んでいた意識もまるでコーヒーでも脳に流し込んだみたいに冴え、心臓が身の危険を訴えるかのようにばくばくと鳴っている。
「はぁ……はぁ……」
 荒ぶる息をゆっくりとしずめながら、私はぼうと前を見る。灯りのついた屋敷がならぶこの場所は、間違いなくマヨヒガだった。マヨヒガの土の上に、私は尻をついて座っていた。……おかげで私の体は雨と泥まみれじゃないか。そこらの屋敷にでも運んでくれてもいいだろうに。
「私に勝ったくせに、何で私より眠りこけてるのかしら」
 首を声へ向けると、あいつがいた。あの赤い巫女服はぼろぼろで所々から肌色が見えているし、その肌だってあちこちが煤け血の跡もある。だが、あいつは平然とお祓い棒を肩に担いでふんすと鼻を鳴らしている。……私よりも随分元気そうじゃないか。
 私は立ち上がろうとするが、力が入らず立つことが出来ない。どうにか起き上がろうともぞもぞと体を動かすが、あいつが私の肩を両手でぐっと抑えてくる。
「座ってなさい。ぼろぼろなんだから」
「お前だって同じじゃないか」
「ええ、そうね。私も疲れた」
 あいつは、私と目が合うと小さく頬を緩める。にこりと微笑み、仕方ないやつだとでも言いたげに優しく私を見る。まるで憑き物でも取れたみたいに、日常のあいつへと戻っていた。
 私がずっと逃げてきた、そして私が大好きな、いつものあいつ。
 そして、私と背中合わせで座る。背中越しに、あいつの温もりを感じた。
「……ああ、おはようさん」
「おはよう。夜だけどね」
 しばらくお互いにじっと背中を預けていたが、やがてあいつの言葉が頭の中に戻ってくる。
 私に勝ったくせに。
 霊夢に、私が勝った。
「~~っ」
 それを認識するにつれて、じわじわと自分の中から何かが沸き上がって来る。体は碌に動かないくせに、体を動かしたくてたまらない。言葉にならない言葉が口から出ようとして、代わりにぐっと噛み締め、酔いしれる。

(……勝った。勝った……勝った!)

 勝ったんだ! 私はあいつに……お前に勝ったんだ!
「なあ! なあ霊夢! わた、私はお前に、ついに……」
「言わなくても、分かってるわよ」
「いいや言わせてもらう! ……私は勝ったんだ! お前に……霊夢に!」
「はいはい、だから分かってるって、もう……それより、あんた一人で喜んでないで、一緒に喜ぶやつがいるじゃないの?」
 一緒に? という疑問が頭をよぎるが、それはすぐに氷解した。
 見上げると、すっかり雲が晴れて満天の星空があった。今の私にはこの星たちすらも私の勝利を祝ってくれているようにも感じたが、そこにはただ私を傍観していた星どもよりよっぽど大事な、共に戦ってくれた相棒がいた。
 蛇龍。そいつは巨大な翼で空を羽ばたきながら、長い体をくねらせて私の元へと飛んできた。その飛翔もどこかふら付いているように見える。そいつは私の横へと降り立ち、半ば私に身を預けるように体の周囲に巻き付いた。
「ああ、そうだな。勝てたのは、お前のおかげだな。ありがとよ」
 私はその頭を撫でてやると、蛇龍は気持ち良さそうに舌をちろちろと伸ばす。
 勝てたのは、間違いなくこいつのおかげだ。残り僅かな妖力、いくらこの場所にオカルトボールが存在するとはいえ、大雨を降らせるなんて未熟な龍がそう簡単に出来るものではない。文字通りこいつは身を削って、私と一緒に戦ってくれたのだ。こんな言葉一つで蛇龍の活躍に報いたとは思わないが、今はただ、感謝するばかりだ。
 そして、あいつらにも助けられた。
「……そっちも、終わってたみたいだな」
 痛む体からの訴えを無視して振り返ると、そこにはあの四人がこちらへ歩いてきていた。菫子、紫、蓮子、そしてメリー。どいつもこいつも傷と雨と泥でぼろぼろになっていて、こちらへ向いている歩みもふらふらだが、私が手を上げると菫子はにかっと笑いながら手を振りならこちらへ駆け出し、蓮子とメリーがその後ろで照れ臭そうに笑っている。そしてさらに二人の後ろで紫がやや不服そうに口元を穴の空いた扇で隠している。
 どうやら、あいつらも無事勝ったらしい。倒すべき相手に、あるいは守るべき相手に。
「マリサッチ! 私、勝ったよ!」
「ああ、おめでとさん。見られなかったのが残念だぜ」
 菫子は私に抱き着く。雨で冷え切った体に、菫子の温もりが伝わってきた。
「あぁ~、こほん」
 霊夢がわざとらしく咳払いする。それに気付いた菫子は、私から離れて後ずさる。
「あ……レイムッチ……その……」
「安心しろ。私も勝った。こいつはただの負け犬だ。だから霊夢はお前に手を出さないし、出させない。怒っているのはあれだ……菫子が私に引っ付いてきたから妬いてるだけだ」
「誰が妬いてるって?」
「いてて」
 霊夢が私の脇腹をつねる。おいおいじゃれるでない。
 菫子は、そんな霊夢を見てくすりと笑う。それからしばらくして、菫子は照れ臭そうにおずおずと話しだす。
「そっか。じゃあ……まだ私とレイムッチは友達ってことで、いいのかな」
「……ごめん」
「うん、許す」
 菫子は、ぎゅっと私と霊夢を抱き締めた。もし霊夢に菫子を殺す気があれば、今のこれは自殺、身を捧げるのと同義だ。だが、菫子は迷いなく抱きしめる。
「……ありがと」
 それが分かっているからこそ、霊夢もぎゅっと抱き返した。殺すためでなく、抱き締めるために手に力を入れた。
「えへへ、なんだか不思議な感じ。誰かとこうして抱き合うのなんて初めてなんだよね。あんなことがあったのに、今の方が前までよりずっと仲良くなった気分」
「奇遇ね。私も……そう思うわ。虫のいい話だって思うかもしれないけど」
 そうしてしばらく抱き合っていると、遅れて蓮子とメリーがやって来た。その後ろには紫もいる。
「随分と、ターゲットと仲良くなったのね」
「……ごめんなさい、やっぱり私、この子を殺すなんて出来なかった」
「……いいわ。私にも出来なかったんだから」
 そう愚痴るように呟いた紫の服はぼろぼろで、随分と激しい戦闘があったということがよく分かる。まさか菫子が紫に勝つだなんて、ちょっと驚きだ。いつの間にか、この幻想郷でも上から数えたほうが早いくらいには、菫子も強くなっていたらしい。
「紫」
「ええ、分かっていますとも。勝者は敗者に従う。それが弾幕ごっこですから。二人の想うままに」
 不服そうに言う紫を見ていると、まるで私と変わらない小娘のようだ。
「それで、勝者である貴方は、何を求めるのかしら?」
「そうだな……とりあえず……」
 まだ見ぬ世界からやって来た二人を見やる。
 蓮子、そしてメリー。メリーは蓮子を元居た世界に置いてきて、それが許せなかった蓮子はメリーを追い掛けてこの場所まで来た。世界を越えて、妖怪に立ち向かって、そして蓮子は勝ったのだ。
 だから、まずはその勝利に報いたいと、思った。
「二人を帰してやれよ。元の世界に」
 蓮子はもちろん、メリーもまた、あの世界で生きてきた。たとえメリーが人形だとしても、調査のための存在だとしても、彼女は紛れもなくその世界で生きてきた。なら、その世界で生きるのが彼女たちのあるべき姿だろう。
「ありがとう、えっと……」
「魔理沙。……霧雨魔理沙、普通の魔法使いだ。お前たちの救世主の名前を胸に刻み込んで感謝するんだな」
「……ありがとう、魔理沙」
 真っすぐ礼を言われると、どうにもむず痒い。とりあえず適当に手を振って「ああ」と答える。
「で、それじゃあ送ってやってくれ」
「人のスキマをタクシーでも使うみたいに……」
 タクシーが何かは知らんが、不満を言いながらも紫はスキマを作り出す。その先に見えたのは、夜でも光り輝く高い建物と、行き交う人々。それが二人の元居た世界なのだろう。菫子がいたこっちの外の世界とよく似た景色だが、夢で見た時の空虚さはない。
「どうか、この世界で会ったことは他言無用でお願い。そちらで生きているオカルトたちのためにも」
「……分かったわ。ここでのことは誰にも言わない。約束する。オカルティストとして、秘封倶楽部をやめる気はないけど」
「それと、その子のことだけど……人形魔術と式神によって動くその子は存在そのものがオカルトなの。だから、その子を手放すことは許されない。貴方が連れ帰るというのなら、ちゃんと最後まで面倒を見るのよ」
「それは任せて。メリーの世話なんていつものことよ」
「人を拾ってきたイヌみたいに……」
 メリーが不服そうな表情を一瞬浮かべるが、しばらくして溜め息一つ、笑顔に戻る。蓮子、紫、そしてメリー。今やすっかり打ち解けていた。あいつらも、いつもの日常の空気だった。
 笑って、蓮子とメリーは元居た世界へ帰ろうとする。平行世界へと繋がるスキマへと、一歩を踏み出そうとする。
「待って!」
 しかし、それを引き留めたのは菫子だった。
「私も連れて行って」
 菫子は、自分の胸に手を当てる。その顔に、迷いがないわけではない。けど、それでも前を、元の世界へ帰ろうとする二人を見ていた。
「連れて行ってって……お前……」
「分かっているの?」
 私よりも先に、紫は諭すように話す。
「あちらの世界で貴方は、天蓋孤独よ。貴方と同じ人類という存在そのものが、あちらの世界にはいないのよ」
 医者にかかることも出来ないし、子供だって作れない。親兄弟がいないどころじゃない、人類皆兄弟という次元の話で天蓋孤独なのだ。そんな世界に一人、菫子を送るなんて。
「分かっているつもり」
 しかし、菫子は肯定する。
「実を言うと、私、どうしたらいいか分からなかった。外はあんな状態で、ここでみんなと一緒に死んじゃうのかなと思ってた。いっそその方が幸せなんじゃないかって……変だよね。せっかくマリサッチが私のために戦ってくれたのに」
 変だよね、と。くしゃりと苦笑いを浮かべながら、ぽつぽつと話し始める。
「けど思ったの。私は覚えてないといけない、幻想郷という存在を語り継がないといけないんじゃないかって」
「語り継ぐ……?」
「ほら、妖怪って、その存在が語られて、初めて妖怪として存在出来るでしょ? たとえ漠然とした信仰があったとしても、天狗に、河童に、魔女に。それらを形作るのは、明確な謂れが必要じゃない? だから、私が残すの」
「……そうね。けど、あまりおおっぴらにはしないで頂戴。貴方自身も超能力者、オカルトのようなものなのだから」
 紫は、端的に肯定した。その顔には、優しい笑みが戻っていた。
「だからってお前……小娘一人でどうやって生きていくってんだ……」
「小娘って、マリサッチも同じくらいじゃない」
「私はほら、一人で生きていく訓練してきたからな。親と一緒に暮らしているやつとは年季が違うんだよ、年季が」
「それは……ほら、私だって頑張ったら独り暮らしくらい出来るし……」
 菫子が言葉を濁していると、小さな咳払いが聞こえてきた。そちらを見ると、蓮子が菫子へ向けて手を差し伸べている。
「よかったら、うちに来ない?」
「……いいの?」
「貴方さえ良ければ、だけど。ちょうど苗字も一緒だし、恩人を一人に出来るほど薄情じゃないつもりよ」
「私、そんな打算で助けたんじゃないのに……」
「いいの。私がそうしたいだけ。貴方が私を助けてくれたみたいに、今度は私が貴方を助けたいだけだから」
 菫子は、紫を見る。
「私は敗者、貴方と魔理沙は勝者。なら、私が止めることなんて出来ないわ」
 菫子は、私を見る。
「私は、お前に生きてほしい。せっかく、ぼろぼろになってまでお前を勝ち取ったんだから」
 菫子は、霊夢を見る。霊夢は答えない。しかしそれを見る菫子の目は、確かに何かを受け取っていた。
「私……生きるよ。新しい世界で。蓮子さんのお言葉に甘えさせてもらうわ」
 菫子は、差し伸べられた手を握った。そして振り返り、私と霊夢を見た。その目は、見れば見るほど潤んでいくように見える。
「ばいばい、マリサッチ、レイムッチ。私……絶対に二人のこと……幻想郷のこと、忘れないから……」
「ええ、私も、貴方のことを忘れないから」
「いや、お前も行くんだが」
 これで万事解決、という空気を破るようで恐縮だが、私は霊夢にきっぱりと告げた。こういうのは勢いが肝心だ。当然だと言わんばかりに言ってしまうのがいい。「え……」というか細い声が聞こえたが、私に真っ先に反論したのは、当の本人ではなく紫だった。
「何のつもり? 駄目に決まってるでしょ? この子は連れて行かせないわ」
「おいおい、私は霊夢に言ってるんだぜ? 親御さんが出てくるんじゃない」
「駄目よ。絶対に駄目」
 紫はつかつかと大股で歩き寄ってきたかと思うと、霊夢の手を掴んで抱き寄せた。首をそちらへ向けると、されるがままできょとんとした霊夢の顔があった。
「魔理沙も知ってるでしょ。博麗の巫女は、大結界の管理も担っている。霊夢がいなくなれば、幻想郷を維持できなくなるわ」
「おい霊夢、大結界の管理とやらはお前じゃなきゃいけないのか?」
「いや……私じゃなくても、紫でも出来るはずだけど……」
「霊夢! 余計なこと言わないで頂戴」
「あ……えと、ごめんなさい……」
 紫に怒られてしゅんとする霊夢。二人を見ているとまるで親子みたいだ。どこか微笑ましくも見えるが、当の紫はそんな余裕はないらしく、霊夢を抱き締めたまま強く睨んできた。
「……何のつもり?」
「何のつもりって何だよ」
「どうして、霊夢を外へ追い出すようなことをいうのよ。貴方だって、霊夢が好きだというのなら、一緒にいたいと思うものでしょう?」
 霊夢を抱き締めたまま私を睨み付ける紫のその姿は、我が子を庇う親にも、大切なおもちゃを盗られまいと固く握りしめる子供にも見える。
 貴方だって、か。
「……お前も、そうなんだな」
「当たり前じゃない……」
 我が子同然なのだから。
 そう、紫の口から零れるのが聞こえた。
 ああ、知っているとも。伊達に霊夢を、お前たちを見てきてないからな。菫子をやるよう霊夢に命令したのがお前なら、妖怪へと変えられたのもお前だろうな。霊夢を妖怪に変えることが出来るのも、それを納得させられるのもお前しかいないだろう。
 そして、何も霊夢から紫への想いは一方通行じゃない。紫も、霊夢を好いていた。霊夢を妖怪にしたのは、単に結界の管理者だからではない。私に魔女になれと唆したように、紫自身が生かしたいから、妖怪にした。霊夢は、それを受け入れた。
 それを分かっていてなお、私は口を止めない。
「私は、お前に勝った」
「……そうね」
 霊夢は、それを粛々と受け入れていた。
「お前は、ずっとそれを抱えて生きていくんだ。私のいない世界で、私に二度と挑めない場所で」
「つまり、あんたは勝ち逃げするってこと?」
 私は返事替わりににやりと笑ってやる。
 そうだ。この勝利を、この時だけで終わらせるなんてもったいない。私がそうしてきたように、ずっと、抱えて生きていくんだ。そうすれば、私はあいつから忘れられない。ずっと、私はあいつの中に居座り続けるんだ。敗者には、それがちょうどいいだろ?
「菫子だって、霊夢と一緒だったほうが安心するだろ?」
「え? まあ……そうかもしれないけど」
「えっ二人も? ……ちょっと財布が厳しくなりそうね……」
「なあに一人も二人も変わらんだろ」
「駄目よ! そんなの駄目!」
 どうやら、紫はいまだに認めようとしないらしい。いまだに何を考えているか分からない霊夢を抱き締めるばかり。霊夢が、なんで紫のやつがここまで言うのか分からないとでもいうような顔をしている。
「親の心子知らず……ってやつかな」
 私からも、菫子からも、紫からも好かれて、幸せなやつだよお前は。
「そんなのは聞いてないわ。今は……」
「いいの、紫」
「霊夢、貴方……」
「私は、魔理沙に負けたから。それに、私はあの子を殺そうとした。なら、あの子といることが、あの子を守ることが贖罪だと思うの」
 霊夢はそれだけ言って、紫の手の中から離れた。紫が名残惜しそうに手を伸ばすが、むなしく空を切る。紫は、しばらく茫然として、それから自分の髪を掻き乱す。普段の姿からは想像も出来ない姿だった。ややあって、紫はぽつりと呟いた。
「……まだ肝心なことを聞いていないわ。私たちに勝って、貴方たちは何を求めるのかしら? この幻想郷を、貴方はどこへ導こうというの?」
「紫……」
 紫の問い。この幻想郷をどうするか。
 それについては、少し考えてはいた。今、幻想郷は存続の危機に瀕している。今の世界、菫子のいた世界はもう消えかかっていて、助かるには平行世界のどこかに幻想郷を繋げなければならない。そしてそのためには、今の人間には消えてもらわなくてはならない。
 どうすれば、いいのか。
 空を見上げる。星空は何も教えてはくれないが、私の心は決まっていた。

「もう、いいんじゃないか?」

 紫が、驚きと怒りで表情が歪んだ。口をぱくぱくとさせている紫の代わりに、私は菫子へ問い掛けた。
「なあ、妖怪ってなんだ?」
「え? えっと……」
 菫子は最初は戸惑ったが、すぐに考え込み、数十秒ほどで答えを返してきた。
「人に想像されて生まれてくる何か……かな」
「ああ、そうだ」
 菫子の答えは短かったが、それでも百点の回答だった。
 妖怪は、人の恐怖心に想像力。そういったものから生まれる。そういうものを喰って生きている。この幻想郷に来たって、そいつは変わらない。
「妖怪は、人間から生まれているんだ。望むと望まぬとにかかわらず、な」
「ええ、そうね。それがなんだというのかしら?」
「まあ落ち着けよ。いつもの余裕が無くなってるぜ」
 私が肩を竦めると、紫は不服げに眉をひそめる。いつもと逆転しているようで、なんだか気分がいい。あいつが飄々と話したがる気持ちがよく分かる。手玉に取っているようでちょっと楽しいじゃないか。
「しかし、人は科学の発展によってそういうもの……妖怪の糧になるものを失っていった。夜の闇が照らされ、山が切り開かれ、土を塗り固めるほど、そういうのはどんどんなくなっていった。だから、この幻想郷を作った。妖怪連中が生きるために」
「……」
「それで、今度は人間が消えちまったから、僅かに残った人間すら皆殺しにして新しい世界へ旅立とうって?」
「……何が言いたいのかしら?」
「お前たちは、この世界の人間から生まれたんだ。本来なら、人とともに生きる存在なんだ。それなのに、人を皆殺しにしてでも生きたいのか?」
 それこそが、妖怪の本来あるべき姿。
 妖怪は、人に噂されてこそ意味を持ち、生まれる。幻想郷という存在そのものを否定する気まではないが、狭い世界に引きこもり、人間を家畜にして、それが駄目なら今度は皆殺しにして生きるってのは……なんか、違うと思わないか?
 そうだ。言ってしまえば、気に喰わないんだ。こんなのは正義感でもなんでもない。ただ、人間皆殺しにしてまで生きようって紫……妖怪どもの魂胆が気に喰わないんだ。もちろん、紫だって幻想郷の妖怪の命運を背負う存在だって、だから平行世界に手を広げてまで守ろうとしているのは分かってる。
「……なら、貴方はこの幻想郷を見捨てるというの? 妖怪全て、この幻想郷共々息絶えろと、そう言いたいのかしら?」
「安心しろ。見殺しにはしない。私はどこにも逃げないさ」
 一緒に、死んでやるさ。
 人間でありながら魔法を使い、人間と妖怪、その両方に足を突っ込んだこの私が、最後まで一緒にいてやる。魔理沙さんがそこまで言ってるんだ。釣り合わないとは言わせないぞ。
 紫は髪を掻き乱し、声にならない声を上げている。その変貌ぶりに驚かされ、何か声の一つでも賭けるべきかとも思ったが、そうは出来なかった。
「かはっ……」
 首が閉められている。そう私が認識するのと同時、口から残り少ない息が漏れた。私の周り、手が届く距離には誰もいない。離れた場所からそんなこと出来るやつなんて、念動力が使える菫子か、もしくは……
「どうした、紫……随分と余裕が無さそうじゃないか」
 紫は答えない。ただ、スキマから伸ばした手で私の首を掴み、その手の力を籠めるばかり。その顔は、鬼のようだった。怒りが、にじみ出ていた。
「私はこの地を、妖怪を守る。それが私の役目だから」
 紫の細い指が私の首を掴み、持ち上げる。私は両手で紫の首を掴むが、振り解くことすら出来ない。反撃の一つでもしたいところだが、手の中にあったはずのミニ八卦炉も今はない。多分、持ち上げられた時に落としたのだろう。
 周囲の誰もが驚きで動けないのがちらりと見えた。次第に意識が朦朧とする。腕に力が入らなくなり、視界が霞んでゆく。……くそっ、せっかくあいつに勝ったってのに、このまま殺されてたまるかよ――
「魔理沙!」
 霞む意識の中で、私の名を呼ぶその声がはっきりと耳に届いた。
 次いで、首の圧迫感が消え、私は空中に投げ出される。一瞬の浮遊感の後、私は盛大に尻餅をついた。
 私を捉えていたはずの紫を見ると、腕を抑えていた。そこからは袖が裂け、血が流れている。そしてその腕の傍には、小さな人形が浮かんでいた。手のひらほどの小さな人形が、その小さな身の丈ほどもあるランスを持っている。そのランスの先には、血が滴っていた。
 見覚えのある人形だ、と思うと同時、私の前に誰かが立ち塞がる。いや、正確に言うなら紫の前に、か。そいつは、周囲に人形を浮かべて、私を庇うように立っていた。
「私は、諦めないから」
 多勢に無勢。そう判断したのか、紫はそんな捨て台詞を残してスキマへと消えた。蓮子たちの平行世界に繋いだスキマがそのままな所を見るに、一応は敗者としての責任のようなものは果たしてくれるらしい。
 私は、ベッドで眠っているはずの、私を助けてくれたそいつの名を呼んだ。
「よお、アリス。もうお目覚めか?」
「よおじゃないわよ! ……聞いたわよ。勝手に幻想郷の命運を背負って戦ってくれたらしいじゃない」
「ああ、そして勝ったぜ。あいつにな」
 ピースサインであいつに勝利をアピールすると、アリスははぁとわざとらしく溜め息をついた。失礼な、それが勝者に送る称賛の言葉かよ。
「それで、妖怪の魔の手から人間を救った英雄になったつもり?」
「いや、むしろ逆だな。さしずめ、今の私は幻想郷もろとも滅ぼうとする魔王かもしれないな。いつぞやの天邪鬼なんかよりよっぽど悪党だ」
「そんなことだろうと思った」
 仕方ない、とでも言いたげな顔。ああこいつはこういうやつだったなと、それが分かったうえでそれでもなお私を受け入れるような、優しい笑み。思えば、霊夢もよくそういう顔をしていたなと今さら思い知る。
 そういえばずっと、こいつには世話になっていたな。ずっと一人で生きてきたつもりで、ずっと誰かに助けられてきた。誰かと過ごしてきたんだ。
「……悪いな、勝手に決めちまって」
 私がそう言うと、アリスは少しだけ目を見開き、そしてゆるゆると首を振る。
「構わないわ。私はもう、やりたいことはやってしまったみたいだから」
 アリスはちらりとメリーを見る。メリー自身は見られている理由が分かっていないらしく居心地が悪そうに体をよじっているが、私にはその意味が分かった。
 完全なる自律人形。
 目の前で何者に操作されることもなく表情をころころと変える彼女。彼女なりに蓮子を、愛する人間を守ろうとした彼女。それが彼女の理想でなくて何と呼ぶ。
 少なくとも、まるで子でも見るようなアリスの目を見れば、野暮なことを言う気にもならない。間違いなく彼女は自律人形であり、アリスの子だ。
「……そうか」
 それだけ言って、私はアリスの腕を掴んで引き寄せた。アリスが私の胸へと飛び込んできたから、その体を両手で抱き締める。
「……ありがとよ」
 アリスの、短く息を呑む声が聞こえた。
「随分と激しくやってたらしいけど、どうやら頭を強く打ったみたいね」
「失礼なやつだ」
「だったら、どういう風の吹き回し?」
「良いだろたまには。ずっとこうしたかったんだからさ」
「……まあ、悪くは無いわね」
 しばらくアリスと蛇龍に抱かれていたが、ふと周りを見るとみんなが私たちを見ているのに気付いた。にやにやしているやつ、顔を赤らめているやつ、いつもの顔で見ているやつ、三者三様で見られると、何だか恥ずかしくなってくる。
「おい、見世物じゃないぞ。ほら、世界が繋がっているうちに元の世界に帰りな。いつまで繋がっているか分からないんだぞ」
「そうね……ありがとね、助けてもらって。この恩は絶対に忘れないわ」
「おう、この私に感謝しろよ」
 蓮子が手を振り、メリーと一緒にスキマへと踏み出した。
「バイバイ、マリサッチ。その……元気でね。私、生きるよ」
「おう、頑張れよ」
 次いで、菫子がスキマへと踏み出す。菫子にとっては未知の世界になるだろうが、お前はこの幻想郷でもやってこられたんだ。何処の世界だってどうにかなるさ。
 これで、残ったのは一人。
「さあ、お前も早く行け」
 私は霊夢へと先を促す。だが、霊夢はそこから動こうとしない。ただじっと空を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「私、負けてない」
「は?」
「私、あんたに負けてないって言ったの」
「お前……この期に及んで負け惜しみか」
「勝負には負けた。ええ負けたわよ。……けど、弾幕ごっこじゃ負けてない!」
 あいつが顔を上げる。握った手を震わせ、目に涙を浮かべながら、それでも強く、あいつは私を睨んできた。その他者に有無を言わせない声色に、やや押されてしまう。それをあいつはいいことに、どんどんと捲し立てる。
「あんなの、弾幕ごっこじゃない。あんなやりたい放題で勝つことしか考えてないみたいな弾幕、弾幕ごっこなんて認めないから!」
「……あれだけやっておいてよくも言えたな。そもそも先に弾幕ごっこを止めてぼこすか殴っておいて、何を今更」
「うるさい! 命名決闘創始者である私の矜持に懸けて、あれが由緒正しき命名決闘だと絶対に認めない! あんなのは弾幕ごっこじゃない!」
「ああ、そうだな。だけどな……」
「だから私は弾幕ごっこで負けてない。あんな汚いの、私は弾幕ごっこだなんて認めない。だから命名決闘は無効で、賭けも無効! だから……」
 あれだけ捲し立てていた霊夢の声が、次第に尻すぼみになる。顔も俯き、声もとぎれとぎれになる。口は動いているが、なんと言っているのか分からない。
 私は眉をひそめながらも首をあいつへ近付けると、辛うじて聞こえてきた。
「…………夕飯」
「あ?」
「だから! その……」
 霊夢は……あいつは、顔を赤くしながら、それでも私の目を真っすぐ見て、言った。

「夕飯! あんたに作ってもらう約束、忘れないでよね!」

「……ああ、そうだな」
 私が肯定したのを見て、満足したみたいにあいつは笑った。屈託のない、満面の笑み。笑って、そのままスキマへと歩き出した。
「私、待ってるから」
 こちらを見ないでそう呟き、そして、消えた。
 そしてスキマも消えて、後に残ったのは、私と蛇竜、そしてアリスだけ。あれだけ誰も彼もが暴れまわって騒がしかったマヨヒガが、今や猫一匹いないほどに静かだ。
「……ははっ」
 静寂の中で、私は笑った。
 私は重い体を起こして立ち上がる。
「確かに、私らしくないな」
 たかが霊夢に、ずっと追い掛けてきたライバル一人に勝った程度で何を喜んでいるのだ。まだやりたいことだっていっぱいある。それなのに、勝手に満足して勝手に終わろうとするなんて、私らしくもない。
 空を見上げる。そこには満天の星空があった。いつもの空、いつ見ても素敵で、美しい空。
 はぁ、と溜め息が漏れる。
 どうやら、私はこの世界のことが嫌いではないらしい。人間が弱った妖怪にした仕打ちを見て、紫にあんなことを言っておいて、それでもやっぱり、この景色が見えなくなると思うと……なんというか、惜しくなってくる。
 私はやりたいことをやるだけだ。これまでもそうだったし、これからだってそうだ。だから、これは……義務感でも、ましてや使命感でもない。私がこれからやろうとすることは、私がやりたいことだ。
 私は空へ拳を突き付ける。満天の星空へ、もう一番星も二番星もないくらい、数多の星が瞬く空へ向けて、宣言した。

「まずは一つ、手始めにこの世界を救ってやって、ついでに新しい茸料理でも考えてみるかな」
『博麗の巫女でもない魔理沙が、なぜ異変に首を突っ込むのか』
『魔理沙は魔女になるつもりがあるのか。どうして魔女にならず、ずっと人間のままでいるのか』
『霊夢のことを魔理沙はどう見ているのか。魔理沙のことを霊夢はどう見ているのか』

そんなことを考えながら、自分なりの魔理沙像、魔理沙から見た霊夢像を「おらぁ! これがワイの解釈や!」で殴りつける気持ちで書きました。
Actadust
https://twitter.com/actadust
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.50簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
楽しめました
2.100名前が無い程度の能力削除
真っ向勝負とでも言うべき物語の中から情熱をしかと受け取りました。彼女がよりどころとしているもの、矜持、プライド、意地、様々な言い方ができますが、それをまっすぐと捉えて書ききったまさしく王道を歩んだ作品だと感じます。幻想郷の滅びの解釈も、秘封倶楽部の世界と絡めていて面白いと思います。やはり魔理沙も霊夢もその形や伝え方は違えど、互いをどこまでも意識しているんだなぁと。バトルシーンで募った思いが激流のごとく吐き出されるシーンにて、二人の間に並々ならぬ情念があるのだと強く伝わりました。良かったです。