Coolier - 新生・東方創想話

兎は如何様な夢を見る

2020/05/16 15:59:49
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 浄 『夢の団子』


 生きていくために必要なものは、その存在が日常の生活に溶け込んでいる。だから、よくよく気を付けないと見落としてしまうのかもしれない。
 明日の朝に食べるお団子を戸棚にしまう時、ふとそんなことを考えた。
 月の都の中心部からは少し離れたベッドタウンに位置する、キッチン付きワンルーム、風呂トイレ別の、狭い我が家。手狭で不便に感じることも多い部屋だった。
 でもそんな風に考えると、ここは溶け込んで視えなくなった、生きるために必要なものの宝庫なのかもしれない。
 そう。たとえば本やマグカップと一緒に、小さなテーブルの上を占拠しているお団子。この夜食が無ければ、私は一体何を食べて生きていけばいいのだろうか。
 月の都では様々な食べ物が出回っているが、私にとっての主食は何といってもこのお団子だ。これが食べられない生活なんて、想像もできない。
 そう考えていくと私が生きていくためには、お団子は必要なものなのだろう。
 皿の上に一本だけ残されたお団子の串を手に取り、玉のような餅を二つ同時に口に入れる。もっちもっちと、心地いい粘着音が頭の中で直に響くようだった。噛めば噛むだけ、餅の感触が口の中に広がって、幸せな気持ちになった。
 そうしてお団子を食べ終わった後、私は思わず、幸せな時間が終わってしまったと溜め息を吐く。それから体が無性に重たくなった気がして、ベッドへ身を投げ出すように横になった。
 ああ、いやだいやだ。
 私はこれから、所属している軍の上官と直接、面談をしなければいけない。
 生きていくために必要なものは、お団子以外にも、いくらでもある。たとえば、いつもの生活を続けられる平穏。その平穏が、いまは少し危ういものになっていた。
 ベッドの脚の近くに手を伸ばして、そこが定位置になっている仕事鞄の中を探る。そして鞄の中から、一通の封筒を取り出した。封筒を開き、最後にもう一度だけ、内容を確認する。
『調査部隊イーグルラヴィ所属の情報特技兵、鈴瑚へ。今晩、第四隗安通路入り口のミーティングルームへ一名で来るように。臨時の面談を実施します。尚、軍とは無関係の面談であるため、出向義務はありません。稀神サグメより』
 少なくとも軍隊の正式書面ではありえない、どこか気の抜けた文章だ。封筒も軍用のものではなく、月の都の住民が一般的に使っている市販の品だった。だからこそ、余計に私の立場の危うさを予感させている。
 封筒の差出人の稀神サグメ様というのは、賢者とも呼ばれる、月の政治の要人だ。
 本来なら立場が違い過ぎて、私たち一般の玉兎とは何の接点も持たない、天の上の遠い存在のはずだった。しかし現在、月の軍部では地上浄化作戦という軍を挙げての一大作戦の準備が進められていた。私はその任務にあたる調査部隊イーグルラヴィに配属され、サグメ様もまた、地上浄化作戦の責任者として私たちイーグルラヴィの上官の立場に就いていた。
 それでも一兵卒に過ぎない私は、そんな細い縁でしかサグメ様と繋がっていないはずだった。
 そんな他人に近い存在のサグメ様から、軍とは関係のない私用という名目で呼び出しを受けた。呼び出しはただの面談ではなく、何か事情があると想定しないではいられなかった。
 頭が鉛を巻かれたように重たくなってしまう。鉛を少しでも外へ出そうとため息を吐いてみるが、まるで効果を感じられなかった。お団子をもう一本食べて気を紛らわせたいが、あまり食べ過ぎては体形も崩れてしまうだろう。
 きっと私がこれほどサグメ様との面談に気が重たくなってしまうのは、呼び出される理由に心当たりがあるからだ。
 それも下手を打てば私が殺処分されてしまう可能性もある理由なのだから、余計に悩んでしまう。
 私が地上浄化作戦の概要を知った時、私はその作戦内容が、自分の命を脅かす可能性が高いことに気付いた。
 もちろん私も軍人だ。任務に命の危険はつきものだということは承知している。けれども地上浄化作戦では、そういう戦場での命の危険とは別の形で、私の命は脅かされようとしていた。そしてその私の生命の危機について、私以外は誰も気づいていないし、知らせることもできなかった。
 だからそれ以来私は、その命が脅かされる可能性を少しでも減らそうと、同僚に気取られないように地上浄化作戦の見直しを行い、対策を練っていた。誰だって自分の命は大切なものだろう。
 しかしいま思えば、その行為が今夜の面談に繋がったのかもしれない。
 三日前の夜、密かに作戦内容の確認をしていた私は地上浄化作戦の内容に、完璧な作戦遂行を至上主義とする月の上層部らしからぬ奇妙な不自然さを見つけてしまった。その発見は完全に藪から蛇だった。
 その時にはじめて気が付いた。この作戦には現場の玉兎兵には伝えられていない、何か裏があるのかもしれない。
 状況を理解したときにはもう後戻りをすることはできなかった。私は知ってはいけない秘密を無自覚のまま探ってしまっていた可能性が高い。
 今日の昼間には直接の上司を通じて、サグメ様からの封筒を受け取った。きっとサグメ様は、秘密を知った私の処遇を軍部の案件として表沙汰にせず、あくまでも個人間のやり取りとしてひっそりと決定しようとしているのだろう。
 考えすぎて頭が重たくなってきた。普段なら、このままベッドでぐっすり眠ってしまいたくなるほどだ。しかし今日は夢の世界でサグメ様との面談がある。このまま眠ってしまってよいものか、躊躇う気持ちの方が強かった。
 しかし、それでも私はサグメ様と会わなければいけない。会わなければ余計に立場が悪くなってしまう。
 そうだ。今更どうこう考えたところで、私が辿れる道は一つだけなのだ。サグメ様からの面談から逃げ出すことはできない。そして、夢の世界に入ったのならサグメ様のことだから、嘘を吐けないような仕掛けを整えておくことは容易に想像がつく。
 だからこそ私は、これからサグメ様に会ったのなら何一つ隠し事をしない方がいいだろう。
 そこまで思考を積み上げていくと、むしろ妙に、吹っ切れた気持ちになってきた。嘘を吐かずに事実だけを伝えていく。それだけでいいのだ。
 きっと大丈夫だろう。自分に言い聞かせる。
 仮に地上浄化作戦に裏があったとしても、私は目と口を堅く閉じるつもりだ。私がそういうパーソナリティの持ち主で、そうやって軍務に従事してきた玉兎であるということは、サグメ様の情報網なら既に把握されているだろう。
 そうなるとサグメ様の関心事は絞られてくる。それならばどうしてこの玉兎は、地上浄化作戦の見直しを密かに行っていたのだろうか? その疑問への答えを提示できれば、私は晴れて元の日常に戻ることができるはずだ。
 私はただ純粋に、私的な事情で地上浄化作戦に命の危険を見つけ、自分の命を守るために作戦の見直しをしていただけなのだ。
 その部分の説明さえ十分に行えたらサグメ様に、私という玉兎は作戦の裏の目的を脅かす存在ではないと納得してもらえるはずだ。
 だからこそ、落ち着いていこう。何よりも私が生きていけるように、平穏を守るために。
 少しだけ不安な気持ちもある。私が、地上浄化作戦の見直しを行っていた理由だ。誰にも伝えずに秘め続けたその理由を、サグメ様に伝えても良いものだろうか。
 けれども、説明して納得してもらうしかないのだ。そうしなければ私は反逆罪で極刑を受けることになる。大丈夫。私なら乗り切れる。
 一つ、大きく深呼吸をする。そして呼吸を意識してゆっくりと、深くしていく。段々と、手足があたたかくなってくる……その感覚を、味わう……いつしか、浮遊感を感じるようになる……。
 そうだ。安心して、夢の世界へ……。


 ★☆★ ☆★☆ ★☆★ ☆★☆ ★☆★ ☆★☆


 いま私は、どこにいるのだろうか?
 奇妙な浮遊感が続く中、意識は小さな星が明滅するようにおぼろげだった。果たして本当に意識は続いているのか、それともただの思い違いで、そこに私という意識はないのか。
 現と夢の境界線上で、思考は妙に哲学的になってしまっていた。
 何も、見えない。何も、聞こえない。何も感じない。どうしたらいいのだろう。対処方法が、分からない。どうしたら。どうしたら。
 そんな思考さえも、もしかしたら暗闇に溶けて消えていってしまうのかもしれない……。
「そうやってあれこれ考えなくても、感覚に従えばいいのかもしれませんよ」
 ふと、そんな声が聞こえた。声は呑気な調子で、言葉を続けていく。
「いつだって、思考以外の部分は素直なものですからねえ」
 感覚に従えばいい。そういえば先ほどから暗闇ばかりで、何も見えていない。何かを見てみたい。もしかすると、私はまぶたを閉じているのではないか。そんな予感が、する。だとしたら、まぶたを開けてみようか。
 きっとそれが、感覚に従うということなのだろう。
 まぶたを開けてみると、宇宙空間に赤いマス目を引いたような、異様な空間が目に映った。私はその空間上で、水の中で浮かぶように漂っていた。宇宙空間に果てが無いように、目の前に広がる赤いマス目にも終わりが見えなかった。
 しかし理解できたのはそれだけだった。その空間に居ることは確かだったが、私は自分の所在が分からない気持ちがした。ただ浮遊感だけが続いている。宇宙空間に、上も下も分からず、ただ一人漂っている。
 ああ、もしもあそこに見える赤いマス目が地面であったのなら、自分の立ち位置が分かりやすくて多少楽になるかもしれない。そう思った途端、私の体は重力に引っ張られるように赤いマス目の方へ緩やかに落下していった。そうして、トランポリンから飛び降りる時よりも軽やかに、赤いマス目へ着地する。
 ああ、つくづく思う。夢の世界はなんでもありだ。
 夢の世界には以前、地上浄化作戦の下見で訪れたこともあった。だからこれで訪れるのは二回目だった。それに加えて作戦資料で何度か情報は得ていたのだが、少しもこの世界の常識に慣れた気がしなかった。
 先ほど聞こえた声の主は、きっと夢の世界の管理をする妖怪、獏だろう。
 どこかに居ないかと辺りを見回しても姿は見えなかった。彼女はこれ以上、こちらに干渉する気はないということだろうか。
 これ以上、夢の管理人の手助けは望めない。そうなると、どうやら目的地への道案内は誰もしてくれないようだ。
 もっとも、夢の世界の常識で考えれば、道の案内人など不要なものらしい。夢の世界でどこかに目的地がある時、必要になるのは正確に道順を進むことではなく、たどり着きたいと思っていることなのだそうだ。そうやって、資料で読んだ覚えがある。
 そんな知識を頼りにして、サグメ様が待つミーティングルームに行きたいと思いながら、赤いマス目を歩いていく。
 そうやって珈琲を一杯飲めるくらいの時間は歩いただろうか。歩き続けた先に、宙にドアが一枚だけ忽然と浮かんでいる、奇妙な光景が見えてきた。
 ドアの前に着いてから、木製の扉を眺めてみる。扉の表面には丁寧な鷺の彫刻が彫られていた。どうやらこの先にサグメ様がいるようだ。なんとなく直感で分かった。
 扉をコンコンコン、と三回ノックすると、どうぞ、という声が返ってきた。聞いたことがあるような、無いような声だ。サグメ様は無口なので、その声の記憶も曖昧だった。
 失礼します、とかしこまった声を出して、私はドアの中へ入っていく。
 ドアの先では、サグメ様がソファに座り、正面から私を待っていた。部屋の中には低いテーブルが一つと、それを挟むように二つのソファが配置されているだけだった。部屋としてはやや狭いのかもしれないが、設置されたものの少なさから、むしろ広々とした印象さえ抱いた。
 サグメ様は、ソファに深々と身をあずけていた。まるで休日、喫茶店でゆっくりと時間を過ごしているように見えた。私は自分の気持ちの作り方が分からなくなってしまった。
「よく来てくれたわね。夢の中までご苦労様。どうぞ、好きなところに座って」
 普段の世界ではまず聞けない、嘘をついてだんまり通すはずの天邪鬼様の声。思っていたよりも少し低くて、頭に入りやすい話し方だった。
 私はサグメ様の正面に置かれたソファに座る。なんとなく私の体は硬くなってしまったような気がして、気がつけば背筋が伸びっぱなしだった。
 なにが面白かったのか、サグメ様は私をまじまじ見ていたかと思うと、くすりと笑う。
「そんなに緊張しないで。別にとって喰うわけじゃない。ただお話がしたいだけよ」
 そんな風に、サグメ様は私の心持を見透かしたように微笑んで見せた。
「リラックスしたいときは、何かを抱えていると良いと聞くわ。安心するというもの」
 ぽんぽんぽん、とサグメ様は膝の上に抱えていたクッションを叩く。おや、と私の頭に違和感が浮かんだ。あんなクッション、今までサグメ様は抱えていただろうか。この部屋には、テーブルとソファしかなかったはずなのに。
 状況に理解が追い付かず、何も言葉を口にできない。そんな私を一瞥しつつ、サグメ様はクッションを宙へ放り投げて見せた。
「あなたも欲しいのなら、欲しいと思えば良いわ。夢の世界では何だって叶うもの」
 そうして気がつけば、クッションは空間に溶けてしまったかのように、どこかへ消えてしまった。サグメ様は愉快そうに、クッションが消えた虚空を眺めている。まるで私に見せつけているような表情だった。
 夢の世界は、なんでもありだ。改めてそう思う。
 思い返してみれば、先日、地上浄化作戦の下見のために第四槐安通路を訪れた時には、このような部屋も、空中に扉だけ浮く入り口なんてものも見当たらなかった。きっと、この部屋は面談のためだけに作られたのだろう。
「緊張は多少ありますが、面談に支障はありません。このまま始めていただいて大丈夫です」
 そうやって私は答える。しかしふとテーブルの上に視線を落とすと、そこにはいつの間にか、皿が二つ、団子を一串ずつ乗せて置かれていた。ふふふ、とサグメ様の笑い声が聞こえた気がした。
「あなたは、クッションよりも団子があると落ち着く玉兎なのね」
 そうやってサグメ様は愉快そうな声で言う。私は上官の前で何とも居心地が悪くなり、言葉に詰まってしまった。
「ええ、まあ……。団子は大好物なので」
 それ以上サグメ様は団子に言及することはなかった。代わりに、今までよりも響きが少し違う声を出す。
「今日来てもらったのは、どうしてあなたは連日、既定の就業時刻を過ぎてまで、地上浄化作戦の資料を閲覧しているのか、ということについて訊きたいからよ」
 私の体が、さらに硬くなる。拳を握る手に力が入った。
「あなたは、どういう目的を以って、そんなことをしているの?」
 やはり、地上浄化作戦には、玉兎が知ってはいけない裏の意図があるらしい。悪い予想が的中してしまった。
「その件ですね。来る道中、想像していました」
 しかし、不安に思いすぎる必要もないはずだ。夢の世界に入る前、布団の上で考えた思考を呼び起こす。
「事実を教えて頂戴。あなたという玉兎の性格や軍歴は、資料で把握したわ。私が知りたいのは、あなたが秘密を探る目的で資料を閲覧していたのか。それとも、そうでは無かったのか、ということ」
 随分と単刀直入に、明け透けに尋ねるものだ。余計な駆け引きがなくて分かりやすい。
 もしもサグメ様が単純に私の口を封じようと思うのなら、きっと面談なんて方法はとらないはずだ。もっとどうしようもない、誰もサグメ様の仕業だと確信が持てないような方法で始末をつけるのだろう。月の御仁は、そういうことが平気でできてしまう。
「あなたが事実を話すことが、私の正しい判断に繋がるでしょう」
 だからきっと今のサグメ様は、口を封じるのか、念を押すだけで良いのか、私にどこまでの対処をするのか判断しあぐねている。だからこそ、その判断を下すための情報が欲しいのだろう。
「はい、承知いたしました」
 だとしたらやはり、私の対応も単純でいい。私が地上浄化作戦の見直しをしていた理由を伝えればいい。そうしたら、私を処分する必要がないと納得してもらうには、十分だろう。
「あなたは貴重な情報特技兵だもの。私たちも大切にしたいと思っているわ」
 使い捨ての紙皿か、陶磁器の皿か。きっとサグメ様が言っているのは、その程度の違いだ。
 けれどもこういうとき、使い捨ての命として扱われる一般兵ではなくてよかったとつくづく思う。一般兵であれば、もっと単純に、殺処分をして始末をつけてしまうはずだ。
 私が情報特技兵という、玉兎では替えの利きづらい職能を持っているからこそ、サグメ様がわざわざ処分に頭を悩ませているのだろう。今回は、職務に命を救われた。
 正直に、私が地上浄化作戦の見直しを行っていた理由を話せばいい。それで事態は解決するのだ。
「私が作戦の見直しを行っていたのは、その……」
 しかし、私の口は中々言葉を紡ぎだせなかった。理由をサグメ様に伝えることに、躊躇いを覚えてしまう。
 それでも、私が生き延びるためには真実を告げなければいけないのだ。やっとの思いで、口を開く。
「清蘭、という私の訓練兵時代の同期が関わっています。その……」
 清蘭。その名前を出してしまった。伝えてしまった。サグメ様に。
 けれども、私の言葉は途切れた。清蘭の名前を出した途端、決心がつかなくなってしまった。
 サグメ様は私の様子をじいっと見つめていた。しかし私が何も言えないまま数秒が立つと、上の方へ視線を移して考えるような顔をした。
「ふうん、清蘭……。でも、なにやら話しづらそうな様子ね。緊張しているのか、それ以外の事情があるのか……。いずれにせよ、事実を話す決心がついていないみたい」
 そう言うとサグメ様は腰の位置を前にずらし、より深々とソファに座る。今までにも増してリラックスしたような体勢だ。
「良いわ。まずは、この話題は置いておきましょう。まだ少し、はやいのかもしれない。代わりに、いまからいくつか話を聴かせてくれない?」
 え、と思わず口から言葉が漏れる。その私の素っ頓狂な反応に、サグメ様は、ふふふ、とまたもや笑った。
「それくらい素の反応が見られると、私も嬉しいわ。私は、あなたから話を聴きたいだけだもの。それにはまず、リラックスしてもらわなきゃ。話す練習よ」
 その言葉を聞いて思い出す。私たちの上官、稀神サグメ様は嫌らしい手を使ってくることで有名だ。
「まずは、そうね。名前と、所属部隊。それから、その団子について話を聴かせてもらえるかしら」
 そういうサグメ様の眼は、言葉の軽やかな調子とは裏腹にどこか重たく光っているようで、不気味だった。
「名前は、鈴瑚です。所属は、調査部隊イーグルラヴィ。情報部門」
 半分反射だ。いつもそうしているように、機械的に口が動く。サグメ様も聴いているのかいないのか、分からないような顔つきだった。
 きっと肝心なのは、私が何を話したかという内容ではなく、私がサグメ様の命令へ素直に従っているという手順なのだろう。
 サグメ様の命令に従って、私が正直に話す。その構図が互いにはっきりと刷り込まれた後に、おそらくサグメ様は再び本題を口にするつもりなのだ。『あなたが地上浄化作戦について知っていることは何?』と。
「この団子は……。その」
 内容はどうでもよく、手順に主たる目的があると知っている。そう知っていながらも、躊躇ってしまう。
 団子。この団子について。
 ここは夢の世界だ。夢の世界の性質は、地上浄化作戦で槐安通路を使うと指示があったときに資料で読んだ。
 夢は、その者の欲する対象が表れる場所だ。願望充足の世界とも呼ばれている。先ほどのクッションのように、念じて欲しいものを出すこともできる。一方で、意識していなくても何かが表れたということは、そのものを無意識で想うほど強く求めているということになる。
 だとしたらこの団子は、私にとってそれほどまでに強く、求めるものなのだろうか。
 誰にも話したことがない、私の心の内。私が団子を好きな理由。私が夢の世界で団子を夢見るほど、これを欲している理由。
 サグメ様は嫌らしい手を使う。はじめは、名前や所属のように、話しやすいことを。それから、明かしても羞恥心ですむ、心の秘事を。最後に、明かしては命を失うと警戒する、生命線の秘密を。
 そうやって、少しずつ露わにすることへ慣れさせていくように、秘密を暴いていく。
 ああ、いやだいやだ。サグメ様は本当に、嫌らしい手を使う。そして私には、そこから逃れる道はない。
「話しづらいのなら、ゆっくりでも構わないわ。なにせ夜は長いもの。あなたの心が決まるまで待ちましょう」
 そう言ってサグメ様はくすりと笑う。まるで私が躊躇う様子を愉しんでいるようだった。
 テーブルの上に置かれた団子を、じっと見つめてみる。
 片方の団子は玉兎が一般的に作る、白くて代わり映えのしないものだった。そしてもう片方の団子は、白色に僅かな青みがさした、月白色を思わせる団子だった。
 ああ、もしかするとこの月白色の団子は……。私の頭の中に、訓練兵時代の出来事が想起する。この団子は、清蘭が作ったものなのだろうか。
 黙っていても仕方がない。私は、白い団子を手にとった。
「私、団子が大好物なんですよ。だからきっと、ここにあります」
 そう伝えると、サグメ様はくすりと笑う。意を決したつもりだったが、そんな言葉しか出てこなかった。
「そうでしょうね。けれども、私が聴きたいのは、どうしてあなたが団子を好きかということ。夢に見るくらいね」
 そうやってサグメ様は、口元だけを笑わせたまま、私をじいっと見つめる。
 目は、言葉とは裏腹に、私の語る内容には無関心というように平静としていた。
 この部屋には、団子以外、何もない。他に語るべきものは何もない。もう観念するしかないのだろうか。
「……サグメ様も、ご存知でしょう。我々玉兎の多くは、餅つきを生業にしています。そうじゃなくても大抵の玉兎は、休みがあれば餅をついている」
 ただ、事実だけを伝えるように心がけて、言葉を発していく。
 サグメ様は「ええ」とだけ相槌をうち、少し頷くだけだった。私の次の言葉を待っているようだった。
「私も、幼い頃は家の餅つきを、よく手伝いました。あれは重労働でね。一日、何万回、何億回とつくんですよ」
「何万回。何億回」
 確認するようにサグメ様が私の言葉を繰り返す。私だって、馬鹿馬鹿しい数字を口にしているものだと思う。とても正気の沙汰とは思えない。
 そう、玉兎はみんな、正気じゃないんだ。
 あのころ、家族の声に応えようと、重い杵を持ち、何度も何度も、悲鳴を上げてもなお、腕を振り上げた。その痛みが蘇るような錯覚がする。気のせいだ。
「私には、とても耐えられませんでしたよ。そんな回数。……ところでこの団子、いただいても?」
 無性に団子が食べたいのだ。皿からとり、もう片方の手で団子を指差す。サグメ様はこくりと頷く。
「ええ。夢の中だもの、自由にすると良いわ。ところで、どうしてあなたには餅つきが耐えられなかったの? 玉兎はみな、そうしているんでしょう」
 一串には、五玉の団子。まずは一つを噛みちぎり、口に入れる。奥歯と奥歯で挟み潰し、ばらばらに……。もちゃもちと粘着質な音が、頭の中に響く。
「サグメ様もご存知のように、私たち玉兎は波長を操ることができます。生命体が持つ認識の波長を狂わせて、催眠をかけることも……」
 二つ目の団子。噛み潰す。跡形もなく。少しだって、残さない。咀嚼の音が煩わしい。それさえも、歯と歯を合わせる音で、威嚇するように、遠ざける。
「玉兎の生活は、言ってしまえば過酷な労働と戦場で成り立ってきました」
 労働。玉兎はみな、月人の生活に必要なものを生産するために、労働力の役割を担い続けている。月人にとって玉兎は、倒れるまで使い続け、駄目になったら、代わりの玉兎を用意すればいいだけの存在だ。
 そして、戦場。思い出す。私がまだ前線に出ていた時期のこと。地面が訳もわからず爆ぜる。目の前が爆ぜたのか、それとも側方か。死んでいるのか、生きているのか、分からないまま、ただ駆け抜けていく。どこへ。駆け抜けた先でも、こちらを殺そうとする敵がいて、私たちは武器を振りかざすしかないのに。
「正気じゃ、とても生きていけなかった」
 私の口からは、ぽつりと言葉が漏れる。
「だから玉兎は、その生活で精神を保つために、自分たちに催眠をかけているんです。敵も味方も、自分でも。誰の体が爆ぜても、それは花火のような娯楽と知覚します。どこに居たって楽しさだけを感じられる。だから玉兎は生きられます」
 そう。そんな玉兎たちにとって、どんな悲惨な環境も労働も、すべては楽しいエンターテイメント。
 たとえ我が子が腕の痛みに泣き喚き、許しを乞うても、玉兎たちは何も解りはしない。
 その幼子の腕の痛みも、その心の叫び声も。
 なぜなら、玉兎はみんな夢を見ているのだから。この世に苦しみなどないと夢を見ている。だから、幼子の痛みも涙も、何も理解できない。そんなものははじめから、存在していないのだから。
 ただ笑って、まだまだ餅をつけるよと、幼子に告げ続ける。
 三つ目の団子を、噛み砕く。そんなもの初めから、無かったように。唾液に混じらせ、下らないものへなり下げるように。
「私は催眠をかけるのが不得手なんです。私は、他の玉兎のように夢を見れない。だから私にはとても、何億回という餅つきは耐えられなかった。そんな回数、正気では耐えられないのでね」
 何かがおかしい。そう気づいたのは、物心ついて少し経ったころだ。もしかしたら、もっと前から私は違和感を覚えていたのかもしれないけれど。
「……思い返せば、惨めなものです。他のみんなは平気な顔をしてやれることが、私にはどれだけ涙と鼻水をこらえても到底できないことだっていうのは」
 私には、他の玉兎のように催眠を扱うことができなかった。
 幼心に考えたものだ。他のみんなに出来て私にはできないのは、私が悪いからなのだろう。私にはきっと、どこかに欠陥があるのだ。私は欠陥玉兎なんだ。その考えを長い時間をかけて、自分に納得させようとしてきた。
 四つ目の団子。潰す。潰す。もちゃ、にちゃ、もぢゃ。煩い。喧しい。唾液と混ざって、汚らしくなる。まるで価値のないものだ。価値のないものだ。こんな餅。狂気の上に成り立つ、歪なもの。
「当然私は、餅つきを嫌がりました。でもね、苦しみも嫌なことも深く考えない家の者たちは、餅つきをしない私にも、ちゃんと団子をくれたんです」
 五つ目の団子。口に入れる。
「私は団子を食べる側になった。みんなが何万回、何億回とつきつづけ、苦しみの中につく団子を。私はつかなくていい。私は食べる側。そうしたら、なんか、こう、ですね……」
 ぐちゅ。くちゃ。丁寧な真円を、ぺしゃんこに。その形は跡も残さず。ぐちゃぐちゃに、台無しに。潰して潰して、私の歯形を、刻み付け。そうして、私の喉の奥へ。
「そう。私、団子がとても好きなんです。だって、団子って、嫦娥様に捧げるものでしょう? その団子をただ食べるだけでいい私って、なんだか……」
 なんだか。なんだか、何なのだろう。私は何だったのだろう。私は何なのだろう。
 そう、私は知っている。団子を食べる側に自分を位置させている、他ならない私の本性。
「なんだか、そう……。だって、私は食べる側なんです……捧げられる側。そう思ったら、自分が……自分が、上等なモノのような気がして……」
 飲み込む。最後の一つの団子を。
 言葉がまとまらない。ただ想いだけが口から出ていた気がする。
 サグメ様は口元をくすりと笑わせ、私を見つめていた。そうしておいて、ただ一言だけ応える。
「ええ、きっとそうなのでしょうね。いまのあなた、とてもよろこんでいるんですもの」
 え、と声が漏れ、顔の感覚に気づく。頬が上がり、唇が曲がっている。目が細まっている。
 ああ、そうなのだろう。私は今、悦んでいる。この胸が高鳴る心地は。この表情の意味は。サグメ様の口にした言葉が、耳の奥で反響する。あの言葉の意味を、私はよく知っている。
 他の玉兎は餅を作る側。私は餅を食べる側。それが、私が団子を食べる理由のすべてだ。それだけが大切なことなのだ。味も香りも形も、栄養になるという結果にさえ意味はない。
 ただ、私が団子を食べるという行為だけが、私の生きる価値を保証してくれるもので、私を満たしてくれるものなのだ。


 ★☆★ ☆★☆ ★☆★ ☆★☆ ★☆★ ☆★☆


 変に胸が高鳴っている。あまりよくない兆候なのかもしれない。サグメ様へ嘘偽りを話すことは最初から頭に無かった。けれども、意味の伝わらない言葉を口にし続けてしまうことも避けたい。
 少しの間、一息をつきたかった。そう、お茶か何かを飲んで、ほっと一息がつきたい。
 そう思っていると、ふと団子の串を持っていた右手の指先に違和感がある。熱い。削り取った木片からは到底発されえない、懐炉のような熱を感じる。
 自分の右手を見やると、今の今まで団子の串だったものは、気づけばちょうど飲みやすい温度のお茶が入った湯呑に変わっていた。
「……夢の世界は、なんでもありですね。このお茶も、いただいても良いですか?」
「表れたということは、あなたが欲しているということ。夢の世界は願望充足の世界よ。好きになさい」
 小唄でも口ずさむ調子でサグメ様は答える。
 私は湯呑をすすりながら、心中では、感情を落ち着かせようと慌てていた。なんてことはないのだ。ただ、昔話をしただけ。他の玉兎に話したわけではなく、相手はあの無口で有名なサグメ様だ。それに、話の内容は主たる目的ではないのだから、きっとサグメ様もすぐに話の内容を忘れてしまうだろう。きっと、そうなのだ。そうなのだ……。
 しばらく、お茶をすする音だけが響く。
「あなたが団子を好きな理由は、聴かせてもらったわ」
 頃合いを見計らったのか、湯呑の底が見えてきて、私の気持ちも落ち着いてきたころにサグメ様が口を開く。私は湯呑みをテーブルに置いてから、サグメ様に向き直った。
「でも、そちらの団子は、いったいどういうものなの? わざわざもう一串ある。他の団子とは、どう違うの?」
 そう言ってサグメ様はテーブルに残されたもう一つの団子を指差す。
 うっすらと青色がさした月白色の、丸い四つの餅が刺さった串団子だ。
 色付きの団子自体は、珍しいものではない。玉兎の社会では団子はおやつに人気なので、その種類も豊富だ。このような色合いの団子も、探せばどこかの店先で見つけることもできるのかもしれない。
 しかし、月白色の団子。四本の餅が刺さった団子。一つだけ、これまでの私の日々の中で、思い当たるものがある。
 私は団子を手に取り、少し鼻に近づけてみる。ほのかに橘の香りがした。つられて、玉兎の訓練兵時代のことを思い出す。十一名の同期みんなで、泥に塗れつつも一心不乱に前に進み続けた、あの日々。苦しかったはずなのに、不思議と笑った思い出ばかりが蘇ってくる。
 ああ、やっぱりこの団子は。清蘭が作ったものだ。
 最初に食べた時は、この香りがなんの香りなのかとんと見当もつかなかった。でも今はわかる。何度も何度も食べてきた団子だ。
「この団子は、私が訓練兵だった時に、同期だった清蘭が作ったものです」
 私が答えると、サグメ様は視線を左に流し、思い出すような顔つきをする。
「清蘭。ここで、その名前が出てくるのね。確か、前線の部隊からイーグルラヴィに配属された兎だったかしら。あなたにとって、清蘭の団子は特別なの?」
 サグメ様は首を傾けて見せる。私の心を見透かしているつもりなのか、口元には笑みを浮かべていた。
「よしてくださいよ。ただ、清蘭の団子は、少し思い出があるというか……」
 夢の中ではその人の求めるものが表れる。理屈では分かっていたが、咄嗟に誤魔化してしまった。やはりサグメ様は私の反応を愉しむように、にこりと笑う。
「思い出。どんなことを、その団子を見ていると思い出すの?」
 私は手に持った団子を見やる。この団子。そういえば、はじまりはいつだったのだろうか。
 そう、確か清蘭は、はじめて会った時から、団子の話をしていた。
「……はじめて清蘭と会ったのは、訓練兵としての入隊合格者の、合同説明会の時でした。彼女はそこで、同期のみんなから、好みの団子を尋ねて回っていたんです。『私、餅つき好きだから、今度団子をついてくるね!』なんて言って」
 サグメ様が「そうなの?」とくすりと笑う。それにつられて、私も口元が緩んでしまった。
 そうだ。そういえば清蘭は、はじめからそういう、どこか笑ってしまうようなやつだった。
「それで、私も好みの団子を聞かれました。でも私は、少し鬱陶しく思ってしまって。『団子だったらなんでもいいよ』って答えたんです。実際、味なんて気にしたことはなかったのでね」
 思い返せば、我ながら素っ気なく答えたものだ。どーでもいいよ、と面倒くさそうに応じた覚えがある。事実、その頃は団子なんて食べられれば味などどうでもよかった。
「訓練兵の訓練所にも、餅をつくための杵と臼はありました。入所してはじめの日に、清蘭はみんなに餅をついたんです。それぞれ、好みの味の団子を、五本ずつ」
 ほとんど初めて会う者ばかりの空間で、清蘭は楽し気に餅をついていた。
 その雰囲気につられて、はじめて出会った十一名の空気は、少なからず解れていった記憶がある。それぞれの団子が出来上がると、空気はさらに和らいだ。みんなで円を作って座りながら、談笑しつつ、それぞれの団子を食べたものだ。自然と、それぞれの話は和やかに進んだ。
「私は好きな団子を答えていませんでしたからね。清蘭、私には、別々の味の団子を五本作ってきたんです。『好きな味がないんだったら、アソートパックだよー!』、なんて笑って」
 みんなで団子を食べた時、私は団子の味も、同期のことも、あまり気にしていなかった。どうせ、訓練期間中一緒に居るだけの相手だと思っていた。だから、五本の団子がなんの味なのか、全然覚えていなかったし、他の同期たちの話もそんなに聞いていなかった。
 ただ覚えているのは、清蘭が私へ団子の包み紙を渡しながら、何か企んでいるように笑っていたこと。それから、私がその団子を食べている間中、清蘭はじいっとこちらの顔を見つめていたこと。おまけに清蘭は、食べ終わったあとに団子の味の感想を聞いてきた。
 私はといえば、どのように答えたか覚えていないくらい、適当なことを清蘭に言った。
 私と、清蘭と、同期たちの長い長い訓練兵生活は、こうして始まった。
「清蘭は、それからみんなへ何度も何度も、団子を作るようになりました。みんなも過酷な訓練の中で、休日になると清蘭が団子を作ってくれるのが、少なからず楽しみになっていたみたいです。時々、清蘭と一緒に餅をついたりして」
 ただ、はじめのころ、私は同期たちと仲良くする気があまりなかった。だから餅をついている時も、自室で過ごしたりしていた。ちょうど相部屋だった同期の鈴仙と話をしていた方が、餅つきを見ているより有意義だと思っていた。
「清蘭は決まって私に、いつも味の違う五本の団子を渡していました。私は、貰えるからには食べようかな、くらいの気持ちで食べていました」
 五本の団子の味は、甘いものもあれば酸味の入ったものもあり、中には辛味のある団子という変わり種まであった。本当に、枚挙に暇がないほど、様々な味付けの団子が作られていたものだと思う。
「でも、不思議な話でね。団子は毎回色々な味のものが作られていたんです。それこそ、美味しいものも、不味いものも、珠玉混交といった有様で。けど、段々と日が経つにつれて、美味しいかもって思う団子が多くなっていったんです」
 清蘭の作った団子を食べて、私が美味しいと思っても、思わなくても、私が返す言葉は決まっていた。「作ってくれてありがとう」とだけ言って、それ以外のことは何も伝えていなかった。感想と呼べるものはおろか、好きとも嫌いとも言っていないはずだった。その時の私は、それしか伝える言葉を知らなかったのだろう。
「本当に、不思議な話でね。はじめは、五本のうち一本だけ、美味しいかもって思う団子が出てくるようになって。そのうち、二本の団子が、美味しいかもって思うようになって……。私は、感想なんて一度も伝えていなかったんです。でも、清蘭はちょっとずつ、私が美味しいと思う団子の本数を増やしていったんです」
 はじめは、気のせいかなと思った。美味しいと思うのは、ただ清蘭が作る団子を食べ慣れたからで、本当に私が美味しいと思っている訳ではないんじゃないか。そんな風に、まずは考えた。
 そもそも、美味しい料理、というものをよく知らなかったのだ。食べて、お腹が膨れれば、それだけでご飯なんてなんでも良かった。
 でも、清蘭の団子を食べれば食べるだけ、その時舌に広がっていく味と感覚が、他の団子や食べ物と違うって気づくことになった。
 これが、もしかすると美味しいっていうことなのかもしれない。おかしな話だが、それまで生きてきた長い時間の中で、初めてそんなことを考えた。
「なぜ清蘭はあなたの好きな味がわかったのかしら?」
 サグメ様は、少し微笑みながら、訊いてくる。私も口元が緩んでいるのは、きっと話していくことが、昔の気持ちを思い返すことに繋がっているからなんだろう。
「私も、それが分からなくって」
 本当に不思議で、納得がいかない出来事だった。自分一人じゃ、まるで答えが分からなかった。
「でもある日、同期だった鈴仙という玉兎に、ふとその疑問をこぼしてみたら、少し合点のいく答えが返ってきました」
 自分一人じゃ答えが出ないし、でも心のどこかに引っかかっている疑問で、答えが気になって仕方がなかった。そんな気持ちを抱えていて、ふと訓練の後の、心身ともに疲弊したとき、ぽつりと相部屋の鈴仙の前で疑問が口から零れたのだ。
 鈴仙は、時々清蘭と一緒に餅つきをしていた。その時に、私に渡す餅も、一緒に作っていたそうだ。団子を作りながら、清蘭は言っていたらしい。
「清蘭、いつも団子を食べている私のことをじーっと見ていたみたいで。それで、あの団子を食べた時は、ちょっと頬が緩んでいたとか、あの団子の時は、食べた後に足取りが軽かったとか……反対に、あの団子の時はむっとしていたとか。お茶で流し込むことが多かったとか……。私でも気にしていなかったようなことを、ちゃんと見ていたんです。それで、私の好みを探していました」
 本当は、鈴仙からこの話を聞いて、美味しい団子を作れる理由をすぐに納得したわけじゃなかった。本当にそんな方法で、美味しいと思う団子が作れるものなのだろうかって、信じられない気持ちの方が強かった。
 でもいまでは、清蘭はそういうことのできる兎なんだって、不思議と納得している。
「とても、単純な方法だったのね」
 サグメ様は、ほう、と息を吐いて言う。私は、おそらくサグメ様が敢えて言わなかった部分を、なんとなく取り上げてみたくなる。
「単純だけど、とても難しい方法でした。とても私じゃ、真似できない」
 サグメ様もこくりと頷く。
「ええ。とっても、難しいことね」
 鈴仙からその話を聴いて以来、私はなんだか感想を伝えていないのも変な話だと思うようになった。
「それから私も、ちょっと感想を伝えてあげようかなって気持ちになって。良い味だったよ、とか、少し甘すぎるかなあ、とか……その程度なんですけど。清蘭に伝えるようにしました。そこから先、美味しいかもって思う団子が増えていくのは、はやいものでした」
 はじめて感想を伝えた時の、あの清蘭の顔ときたら。ぱあっと、目も口も、大きく開けて、嬉しそうにしていた。まるで子どもがプレゼントでももらったみたいな顔だった。私の言葉でこんなに誰かの表情を明るくできるものかと、驚いてしまったくらいだ。
 でも、感想を伝えるのもなんだかくすぐったいことだった。だからわざわざ、美味しいよ、なんて感想を口にすることは、長い間やめておいた。
 訓練兵時代、清蘭と、鈴仙と、それから同期のみんなと、色々な出来事があった。その間に、本当にたくさんの団子を、食べてきたものだ。
 私は、手に持った月白色の団子を見やる。
「この団子ができたのは……。訓練兵の最終試験が終わった後の、打ち上げの時です。同期みんなで集まって、これからみんな別々の部隊にいくっていう別れの会でした。そこで清蘭、はじめみたいに、みんなに団子を作ってきたんです」
 最初、私には、好きな団子なんてなかったのに。
「私は最後まで、好きな団子の味なんて、一度も伝えないままでした。感想は言うにしても、美味しいとか、一度も言わなかったんです。でも清蘭は、この団子の味が、きっと一番好きだからって、この団子を……」
 一口、団子を口の中に入れる。
 ほのかに青い色のさした、月白色の、橘の香りがする団子だ。みかんのような酸味が、甘みに隠れてやってくる、清蘭の団子。もっちもっちと、小気味よく餅を噛む音が聞こえる。
 うん、この味だ。この香りだ。清蘭が作ってくれた団子を、いま食べている。
「でも、一口食べて分かりました。私、この団子の味が好きだって……これが、好きな団子を食べた時の気持ちなんだって」
 そうだ。清蘭は、私の好きな味を、見つけてくれたのだ。私さえ知らなかった、私の好きなものを。
「だから私は、この団子が大好きで……」
 もう一口、団子を食べる。そして、ゆっくりと噛む。何度も何度も、味を忘れないように。確かめるように。これを食べたらあと二口しかないことが、惜しくなってしまうくらいに。
「私は、清蘭の作ってくれるこの団子を、夢に見るくらい求めているんです」
 残り二口。少しの間見つめて、もう一口食べた。
「清蘭が、あなたに作った団子……。あなたにとってその団子は、なによりも大切なものなのね」
 サグメ様はそう言うと、目を閉じ、しばらく静かになった。私はその言葉を聞きながら、一つ残った団子を見つめ、口の中の団子の味を確かめた。
 なによりも、大切なもの。サグメ様の言葉を胸の中で反芻する。
 私にとって、清蘭が作った団子というのは。清蘭というのは……。


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 月白色の団子を、最後まで食べ終わった。
 不思議な気持ちだった。今まで誰にも話したことがないことを話したからか、変にすっきりとした気分だった。胸のつかえが一つ取れて、風通しが良くなった気さえする。夢とはいえ団子を二つ食べることもできて、小腹も満たされた。
「さて、ここからが本題だけど」
 サグメ様は私が一息ついたのを見届けてから、静かに告げる。私は緩みかけた気を引き締め直さなければいけないと思い出し、「はい」と重たい響きで返事をした。
「もう一度、尋ねるわ。あなた、地上浄化作戦について、作戦の見直しを行なっているわね。連日にわたって、就寝の時間帯に及ぶまで。これはどういう目的を以って行っているの?」
 相変わらず、表情を大きく変化させることはなく、平淡にサグメ様は告げる。しかし目に映す光の色が、微かに変わった気がした。
 思わず肩に力が入り、すぐに言葉が出てこない。なんと答えたものだろう。正直に答えるしかないのだが、その正直な言葉さえ思案をしてしまう。
「ここまで素直に答えてくれたあなたなら分かっていると思うけれど」
 答えあぐねた私を絞るように、サグメ様はただ事務的に言葉を続ける。
「虚偽の回答は止めておきなさい。ここはそういう事を、してはいけない場所として作っているから」
 サグメ様はじっと私に視線を注ぐ。
 やはり、そうだったのか。ここは夢の世界だ。嘘をつけば罰が与えられるような仕組みくらい、簡単に作ることができるのだろう。
「……先ほど、清蘭が関係する事情と、話しましたね」
 意を決して、私はサグメ様に伝えていく。今度はもう、躊躇えない。
「私は、清蘭が地上浄化作戦において、地上に脱走した玉兎の鈴仙と、出会わない様にしたかったのです。そのために、清蘭が作戦で担当する行動範囲を、鈴仙の行動範囲から遠ざけようと、見直しを行っていました」
 ぴくりと、サグメ様の眉が動く。
「清蘭と鈴仙が出会えば、私と、清蘭……そして鈴仙は、命を落とす可能性が生まれます」
 私はただ、事実だけを伝えていく。
「どういうこと?」
 私の言葉は、思いもよらぬ回答だったのだろう。サグメ様の質問からは、今までは感じ取れなかった驚きの感情が読み取れた。
「順を追って説明しましょう。私が、清蘭と鈴仙を会わせてはいけないと気づいたのは、二人で同期の墓参りにいったときでした」
 そう話し始めると、テーブルの上には、いつの間にか森の中の風景を再現したミニチュア模型が置かれていた。ミニチュアの中では、開けた森の中に、墓石がいくつも並び、そこに浅葱色と橘色の髪をした、二名の玉兎が立っていた。

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