「あんたたちが私のトリックを暴いたんだって? まさか一日で見破られるなんて、びっくりだよ。結構自信あったんだけどね」
僕たちが推理を披露したその翌日の昼下がり。命蓮寺に訪れた僕たちを門の上で待っていたのは、今度こそ本物のぬえ君だった。
彼女はふわふわと宙を漂いながら、つい昨日まで死んだことになっていたとは思えないくらいにけろっとして笑っていた。
「今日は雲居君たちと君をどう連れ戻すかの相談に来たのだが……その必要はなさそうだね」
「ははっ。私もすっかりここでの生活に慣れちゃったからね。一人で生きていくのがこんなに面倒だったなんて。だから直ぐに戻れるようになって良かった。でも久しぶりに鵺として人を驚かすのは楽しかったから、また自分を殺するのも悪くないかも」
「それは、勘弁してほしいな……それより、聖さんは?」
「まだ山の中。ひと月くらいは帰ってこないんじゃない?」
昨日、僕が聖さんに提案したこと。それは山伏修行と言う形で命蓮寺を一時的に離れ、山籠もりしてもらうことだ。
男衆は聖さんを目当てにして入門している。なら、その聖さんがいなくなれば。もともと聖さんがいない前では不真面目だったんだ。目当てのものがなくなった男衆はこれ以上命蓮寺に居続ける理由がなくなって、後は勝手に出ていくと踏んだわけだ。
昨日、推理を披露したその後、ぬえ君の通夜は取り止められ、通夜に集まった命蓮寺の入門者全員に聖君はこう告げた。
『ぬえは生きています。あの子は死んでいない。私はそれを信じてやることが出来ませんでした。これは私の心の弱さが招いた事です。……だから、私は一度、命蓮寺を出て己を見詰めなおします。突然で申し訳ありませんが、後の寺のことは……星、一輪。お願いします』
それだけ言い残し、妖怪の山へと飛び去った聖さん。目の前で燃えるところを見て、それでも生きていると信じろというのもそれはそれで無理のある話だとは思うが、どうあれこれで命蓮寺からは聖さんはいなくなった。
「聖がいなくなると同時に男衆の半分はそそくさと帰ってもう来なくなった。残った半分のさらに半分も、今日の修行には来ていない。はてさて、聖が戻ってくるころにはいったい何人が残っていることやら。寺が元通り静かになるのは良いことだけど、聖が戻ってきたら誰もいませんでした、というのも面白くないし。人間も根性出して一人二人くらいは残ってくれないとねぇ」
「もしかして聖さんを追いかけて山に向かった……とかじゃないわよね」
「ないない。だって妖怪の山だよ? 聖ならともかく並の人間じゃあ聖のところにたどり着く前に妖怪に喰われるのがいいところさ。だから誰も追いかけたりしないって」
ニヤニヤと笑うぬえ君。聖さんは今回の件をいたずら目的ではないと断じていたが、この様子を見ると全く無かったとは言えなさそうだ。
「……今回の一件で、みんな君に振り回されてしまったよ。……まったく、君は本当に、とんだトリックスターだよ」
「それについてはゴメンって。まあ、あれだ。あんたたちのおかげで私も気兼ねなくここに戻ることが出来るようになったし、助かったよ。だからこれは貸し一つってことで。困ったことがあればこの大妖怪、封獣ぬえが力を貸してやろうぞ」
何であれ、これで大団円。笑顔で終わって一件落着といったところか。報酬は稀代の大妖怪に貸し一つ。なんともまあ、半ば趣味の探偵稼業とは思えないほどに大きな報酬となってしまった。
「それじゃあ、その時にはまたよろしくね、ぬえちゃん!」
「ぬえ、ちゃん? ……まあいいけど。それと一輪にはこっちから伝えておくから、今日は帰って大丈夫だよ」
暫くたわいもない話をしていると、大きな声が聞こえてきた。命蓮寺の大きな門の内側からでも聞こえるほどの大きな声だった。
「ぬえー! どこいったー!? お前の通夜なんだから自分が全部片づけるって言ったのはお前だろー! サボろうったって、そうはいかないからなー!」
「からなー!」
「やっば、ムラサじゃん。じゃ、私はこれで」
船幽霊と山彦が自分を呼ぶ声に反応して、屋根から姿を消すぬえ君。
これで、門の前に残されたのは僕と菫子君。そして……
「あややや、これで無事、事件解決ですね。」
いつの間にか僕たちの背後にいた文君だけだ。
「文君……いつから聞いていたんだい?」
「そうですね……『謎は全て解けた!』からでしょうか」
「それって、……昨日からいたってことじゃない!」
なんとまあ呼んでもいないのに。ずいぶんと取材熱心なことだ。
「いやはや、見事な推理でしたよ。おかげで良い記事が書けそうです」
「それは良かった。……それで? 元はといえば君が巻き込んだんだ。僕たちにも何かあってもいいと思うのだが」
「ええ! もちろん謝礼はさせて頂きますとも! 新聞が出来た暁にはいの一番に香霖堂へお届けすることお約束します!」
その言葉に、がっくりとうなだれる僕と菫子君。別に報酬が欲しくて探偵まがいのことを続けているわけではないけれど、少しくらいはあってもいいと思ってしまうのは多分仕方のないことだ。
「それって、いつものことじゃん」
「……まあ、そんなことだとは思ったよ」
落胆する僕たちを見た文君は、慌てたように代案を提示してきた。
「あややや、お気に召しませんでしたか? それじゃあ……ええと、……そう! 個人的なお礼として、ここから香霖堂まで私が運んであげましょう。安心してください。一瞬でつきますからね」
そう言われて、一昨日体験した超高速を思い出す。あんな経験は二度としたくはないが、ここから香霖堂までは歩いて帰るには結構な距離だ。ここはお言葉に甘えさせてもらおう。
「話が出来る程度には、安全運転で頼むよ」
「お任せください! この射命丸運航、安全かつ迅速がモットーですから! それでは失礼して……」
文君の手が僕を掴もうとして……。
「……ダメっ!」
その手が止まった。空中に釘付けされたかのようにピタリと固定されている。
「……体が動きません。これはいったい……」
「……何をやっているんだい、菫子君?」
横を見れば、菫子君が文君に手を伸ばしていた。その手はほんのりと光に包まれており、超能力を使っているのが分かる。
「これは、その……」
「菫子さん? これは……どういうことでしょう」
文君の口調はそのままに、声のトーンが下がる。文君から妖力を感じる。下手なことを言えば力尽くでこの拘束を突破するぞ、と目が語っている。
だが、そんな剣呑な文君に気付いているのかいないのか、菫子君は髪を弄びながら、今この瞬間に言葉を探すように紡ぐ。
「ほら……その、アレよ! 霖之助さん、人里に用があるって言ってたじゃない! だから送迎は結構よ! 霖之助さんは私が運ぶから!」
「用事って……僕がそんなこと言ったかい?」
「言ったの! というわけでこっちは大丈夫! 大丈夫だから! ほら、原稿書かなきゃいけないんでしょ? 帰った帰った!」
「……ふうん」
菫子君の言葉を聞いた文君は、まるで見定めるように僕と菫子君を見比べる。しばら僕たちを眺めた後、「なるほどねぇ」と彼女は何かに気付いたように呟いた。さっきの剣呑さはすっかり消えてしまっていた。
「どうやら、既に移動手段を予約済みだったみたいですね。残念ながら今日の射命丸運航は搭乗客0で休航です」
何か納得した様子で呟く文君。僕には分からないテレパシーでも使っているのか彼女たちは?
「済まないが、僕にも分からないように説明してくれないか? 何が何だかサッパリだ」
「おや、霖之助さんは探偵なのでしょ? ご自慢の推理はどうしたのですか?」
「日常会話にまで推理を求めないでくれ……」
「ふふっ、困惑しているようで何より。霖之助さんはそれでいいんです。……ああ、それと菫子さん」
「……何よ」
彼女は改めるようにして菫子君に向き合い、まるで戦線布告でもするかのように告げる。
「そんな様子じゃ、貴方の気持ちは朴念仁の彼には一生かかっても伝わりませんよ? もっと素直にならないと。……まあ、私もですけどね」
「な、なぁ!? ちょ、ちょっと! どういうことよ!」
菫子君の理由不明の動揺。それを彼女は見逃さなかった。
超能力が消えて動くようになった手で葉団扇を取り出すと、ひと振り。
「それでは、今後とも文々。新聞を御贔屓に」
その場に猛烈な風が発生する。思わず手で顔を隠して目を瞑ってしまう。しばらくして目を開けると、そこにはもう誰もいなかった。
「やれやれ、まるで嵐のような人だったなあ」
「う、うん。そうね」
「ところで、さっき文君と話していたことは何だったんだい? 僕にはよく分からなくて」
「そ、それは気にしなくていいから!」
そっぽを向く菫子君。女心と秋の空というが、菫子君の心には頻繁に嵐がやってきているような気がしてならない。いったい何が彼女の心をざわつかせるのか、謎は深まるばかりだ。
「まあ、菫子君のことはゆっくり知っていけばいいさ。時間はまだまだあるんだから」
「……? 霖之助さん、何か言った?」
「いや、何も。……さて、それじゃあ乗せてもらおうじゃないか。菫子君」
「乗るって……何に?」
キョトンとした顔で返す菫子君。自分がついさっき言ったことなのにもう忘れたのだろうか。
「それはもちろん、君に乗るんだよ。これが宇佐見航空の初搭乗だ。よろしく頼むよ」
§
そんな訳で。
私は霖之助さんを抱えてゆっくりと人里の空を飛んでいる。空は好き。空を飛べない霖之助さんはどうか知らないけど、高い場所は視界も広いし風も涼しくて気持ちいい。
ただ……。
「なあ、菫子君……少し顔が近くないかい?」
「し、仕方ないじゃない! この運び方じゃないとうまく運べないんだから……」
「それに……高くないかい?」
「それは……他の人に見られたら恥ずかしいし」
私は今、霖之助さんを両手で持ち上げられ、体の正面で抱えた状態で……いわゆる、お姫様だっこをしている状態になっている。今が空の上で良かった。これが風のない地上なら、恥ずかしくて顔から本当に火が出ていたかもしれない。
こういうのは普通立場が逆なのでは? と言いたくなったが、霖之助さんにお姫様だっこで人里を歩いているところを想像するとさらに顔が熱くなった。無理無理、絶対無理。
あの時、自分でもどうしてあんなことをしたのかは分からない。けど、なんだか嫌だったから。目の前で置いていかれて、霖之助さんと天狗の二人だけで何かをしているのが嫌だって思って、気付いたら……この状況だ。
チラリと霖之助さんを見る。霖之助さんと目が合ってしまい、思わず顔をそむけてしまう。いや、体勢的に霖之助さんがこっちを向いているのはある意味仕方のないことなんだけど、今更ながら汗とかかいてなかったかとか色々と気になってくる。
私に抱きかかえられている霖之助さんは、どこか落ち着かない様子。私も落ち着かない。けど、多分その落ち着かなさは私とはきっと違う。
「ところで……飛び心地はどうかしら?」
風に揺られながら、ふと言葉が漏れた。どうしても、これだけは聞きたかったこと。
「飛び心地ね……とっても気持ちいいよ」
「それって……あの天狗よりも?」
「それは……」
一昨日。霖之助さんはあの天狗に運ばれたことを思い出す。
霖之助さんに続くように慌てて飛び上がって追いかけたが、終ぞ追いつくことが出来なかった。
それが、なんだか気に喰わなかった。
私だけ置いていかれた事が、じゃない。霖之助さんとあの天狗が二人きりになったことが、でもない。……ちょっとあるかもしれないけど。
あの天狗と自分が霖之助さんに比べられて、それで天狗に軍配が上がる事が、……一番嫌なのだ。
「……そうだなあ」
言葉を選ぶように吟味する霖之助さん。見定められているような気がして、変な汗が出そうになる。
「菫子君と飛ぶほうが……安心するかな」
だから、次の霖之助さんのその言葉が出た事が嬉しかった。安心する。自分でもよく分からないが、そう言われてとっても嬉しかった。
「そう、……うん。私と一緒だと安心する、ね…………えへへ」
「あの時は速すぎてほとんど意識なかったし、米俵みたいに抱えられて不安定だったからねえ。今のほうが安定感があって、落ち着くよ。……聞いているのかい?」
「あ……そう」
それは……別に言わなくて良かったと思う。
そういえば、まだ霖之助さんに昨日のこと、お礼を言ってなかったっけ。
「ねぇ、霖之助さん。昨日は、その……ありがとうね」
「昨日の……とは?」
「推理を披露して、動機について聞かれた時。あの時、助け舟を出してくれたでしょ? とっても助かったわ。だからありがとうってこと」
「なんだ……そんなこと。お礼を言うのはこっちさ。菫子君が推理を披露してくれたから、僕は動機にたどり着くことが出来たんだ。……まあ、披露するよりも先に僕に話してほしかったけどね」
「あはは……次からは気を付けるね」
痛いところを突かれてしまった。正直、それについてはただの意地だ。みんな霖之助さん霖之助さんって言って、霖之助さんだって私を子供扱いするから、だから自分だけで推理を披露して、見返してやりたかったっていう、それだけ。そんなつまらない意地。
これまで、霖之助さんの横に立ちたくて、幻想郷で居場所が欲しくて。そんな不純な動機で探偵なんて名乗ってきたけれど。
きた、けれど……
「……私、本当は探偵に向いてないのかなって思うの」
「……どうしてそう思うんだい?」
「推理を披露した時。私、事件の真実を暴くことに夢中で、動機とか、鵺ちゃんや聖さんの気持ちとか、全然考えてなかったし、今までも自分以外の誰かの気持ちなんてほとんど考えたことなんて無かったから……向いてないのかなって、ちょっとね」
そう、私の推理は正しくても、半端だった。謎を暴いて、見返したかった。それだけの感情で私は動いていた。そして披露を推理した時、自分に酔ってた。自分はこんなにも頭がいいんだぞって、見せびらかしたかった。もしかしたら、自分が探偵をやる動機なんて、そんなもっと汚い感情だからかもしれない。
今回は丸く収まった。でも次……同じようなことをして、誰かを傷付けない保証なんてない。だったらいっそ……。
「そんなことはないさ」
けど、霖之助さんはそんな私の考えを否定した。
「え?」
「確かに、君は幻想郷の事情や人の感情面に疎いかもしれない。けど、君の推理力や幻想郷に囚われない発想力は素晴らしいものだと、僕は思うよ」
「そんなの、私以外にも……」
「かもしれない。けど、僕にはそれはない。だから僕には君が必要だ。その代わりに……菫子君が苦手な部分は、僕が補うよ。それが……相棒ってやつだろう?」
相棒。
初めて、そう言ってもらえた。
私が霖之助さんの隣に立っている。そう、認めてもらえたってことで良いんだよね?
思わず涙が出そうになったが、なんとかこらえる。ここで涙を見せるのは、ちょっと恥ずかしいから。
「霖之助さん……それじゃ、まるでプロポーズよ」
「え……あ、すまない。そんなつもりじゃなくてだね……」
「ふふっ。分かってる。……そう! 私は超能力探偵宇佐見菫子! 謎がそこにある限り、私は暴き続けるわ! だから、これからもよろしくね、霖之助さん」
「……やっぱり、君は自信に満ちたその顔が似合うよ……そういえば、今僕たちは人里に向かっているのかい? 僕は用事なんてないけど、菫子君は?」
「何言ってるのよ。探偵が事件を解決したら、やることはあれしかないでしょ」
「あれ……とは?」
そんなの、決まっている。
幻想郷では、巫女が異変を解決したら宴会を開くのが通例。
じゃあ、探偵が事件を解決したら、どうするか。
「打ち上げに決まってるじゃない! この前美味しそうな団子屋を見つけたの! 今日はそこで打ち上げよ!」
犯人の動機付け、皆が集まる場でのトリックの種明かしなど、探偵ものの様式美が詰まっていて、何より菫子ちゃんが可愛かったです