「謎は全て解けた!」
その日の夕方。
ぬえ君の通夜を目前に控えた命蓮寺の一室で、菫子君はそう高らかに宣言した。
部屋には僕に菫子君、それと体調が回復したらしい聖さん、つい午前中に話したばかりの雲居君、通夜の手伝いに来ていた慧音君に、そして何故かいるナズーリン君。他の命蓮寺の面子は通夜の準備を進めているらしい。
「それで……謎というのは、ぬえの死に関してということでいいのかい」
そう答えたナズーリン君の顔はこちらを向いていた。そういえばこうして彼女と話すのは宝塔を買い戻しに来た時以来か。ナズーリン君のその顔はお前がどうにかしろとでも言いたげな不満で溢れていた。
この探偵ごっこを始めて以来、どうやら僕は菫子君の保護者とでも思われているらしい。別に僕は彼女の保護者でもなければ、探偵稼業をやりたいわけでもないというのに。それに今から菫子君がしようとしていることを僕は何も聞いていないし、菫子君にいきなり命蓮寺に呼びつけられたと思ったらこれだ。
「もちろん! 今ここにある謎なんて、それしかないでしょ!」
「それは……」
言い淀む雲居君。言いたいことは分かる。事件が起きたのが昨日で、雲居君から話を聞いたのが今日の午前。謎が解けたというには余りにも早すぎる。
「菫子君……そんな大見得切って大丈夫かい? せめて一旦僕だけに話してからでも……」
「任せてよ霖之助さん! こんな事件、この頭脳明晰な超能力探偵宇佐見菫子に掛かれば簡単よ! 大船に乗ったつもりでいてくれればいいわ!」
やけに自身満々なのが逆に不安になってくる。
「なら……手短に頼むよ。こっちとしては通夜があるし、早めに開放してくれるとありがたいのだけど」
「ああ、その必要はないわ」
ナズーリン君の悪態じみた言葉にも、菫子君は臆するどころか胸を張って答える。
「だって、封獣ぬえは死んでいないんだもの」
菫子君のその言葉に、誰よりも反応したのは聖さんだった。
「それは本当ですか菫子さん!」
「安心して白蓮さん。彼女は生きているわ」
胸を撫で下ろす聖さん。
「じゃあ、……私たちが人里で見たぬえさんの死体は何だったの?」
「慌てないで。順を追って説明するわ」
雲居君の当然の疑問にも、菫子君は動じることは無い。
かくして、菫子君の推理披露が始まった。
「まず、事件までの流れを整理するわね。早朝、まだ日も昇らない頃、人里から出勤中……出勤中? まあいいや。男性が背中に矢が刺さって血を流している封獣ぬえの姿を目撃する。それを見た人里の男性は自警団へと助けを求めてその場を去る。ここまではあっているわよね? 慧音先生?」
「ああ、問題ない。私もその目撃者から同じように聞いている」
「ここで慧音先生に聞きたいのだけど、目撃者の男性が封獣ぬえの元から離れてから自警団を連れて戻ってくるまでどのくらい時間の開きがあった?」
「それは……四半刻も掛かってないとは思うが」
「四半刻ね。うん、それだけの時間があれば…………ねえ霖之助さん、四半刻ってどのくらいだっけ?」
……やっぱり、無理矢理にでも止めた方が良かったのかもしれない。
「君の持っているスマホで分かるだろう。一刻が大体二時間だから、大体三十分というところだ」
「なるほどね……それだけの時間があれば十分ね!」
この子、何事も無かったように続けたぞ。
「きっと、その目撃者は自警団へ駈け込んでこう言ったはずよ。『人里で封獣ぬえが倒れていた』って」
「ああ、そう言っていたが……それがどうかしたのか?」
「まあ、それについては後程」
「そして朝方。自警団の調査の最中に私たち探偵が到着。その後死体が炎上。これについてはその時私たちもその場にいたので周知の事実かと思います。ここまでで何か異論は?」
「私はその場にいなかったのだが……そうなのかい?」
ナズーリン君の質問に、みなが一様に首を縦に振って同意する。
「それでは一つ、皆さんにお聞きしたいのですが……あそこで倒れていたのは、本当に封獣ぬえだったの?」
菫子君が提示した、この事件の根本からひっくり返すような質問。
その言葉に真っ先に反応したのは、雲居君だった。
「それ、どういう意味!? 聖様も私も、ぬえさんの姿が分からなかったと言いたいの!?」
「そうではなく……あの時、倒れていたのが封獣ぬえに見えていたのかどうか、ということよ」
「はい。見えていました」
聖さんの答えは、まっすぐなものだった。
「そう。でも私にはそうは見えなかったの。私も、あの時封獣ぬえの遺体を見たんだけど、その時は人里の一般人にしか見えなかったの。今日、幻想郷縁起に書かれたイラストをみて封獣ぬえの本来の姿を初めて知ったわ」
「菫子君。それについては説明しただろう。その時ぬえ君には正体不明の種が付いていて、ぬえ君の姿をその時知らなかったからちゃんと認識出来なかっただけで、ぬえ君の姿を知っていた僕たちはちゃんと見えていたんだ」
僕の訂正に、菫子君は首を振って否定する。
「そもそもそれが変なのよ」
「変、とは?」
「だって、その『正体不明の種』って、元の姿を知ってたら無効化されるようなものなの?」
「それは……」
確かに、あの時は気付かなかったがおかしい。そんな弱い能力であれば、大妖怪なんて云われることはない。
「封獣ぬえと付き合いの長い聖さんと一輪ちゃんなら百歩譲ってそれが見破れたとして」
「い、一輪ちゃん?」
「目撃者である人里の一般男性が、人気の少ない早朝ですれ違った正体不明の種が仕込まれた相手を一発で封獣ぬえだと分かるものなのかしら」
「それは……」
「私は封獣ぬえの遺体が一般男性に見えた。そのことから封獣ぬえに正体不明の種が付いていたことは確定。証拠はないのがつらいところだけど」
「それが……どうしてぬえが生きていることに繋がるのですか?」
「正体不明の種が仕込まれたものは、その人が持っている知識で認識出来るものに見える、そうだよね、霖之助さん?」
「そ、そうだが……」
「推測なんだけど、あの遺体が私以外には封獣ぬえに見えていたのって、あの遺体が封獣ぬえだと事前に知っていたからじゃないの? 目撃者は自警団に駆け込んでこう言ったんでしょ? 『人里で封獣ぬえが倒れていた』って」
なるほど……その遺体がぬえ君という先入観があったから、みんな遺体を見てもぬえ君にしか見えなくなった、ということか。
「だとするとここで疑問が一つ。自警団が駆け付けた後はそれでいいとして、問題は最初よ。目撃者は前から封獣ぬえが歩いてきたと言った。そもそも被害者が封獣ぬえと言い出したのは彼だったよね? ……じゃあ、なんでその目撃者は正体不明の種が付いていたのにその正体が封獣ぬえだと見破ったの?」
菫子君からのクエスチョンに、答えたのは一輪君だった。
「最初は夜の人里を正体不明の種を自分に仕込まず歩いていた。ところがいきなり襲われて、その時に逃げるため、自分を射抜いた追跡者をかく乱するために正体不明の種を仕込んだんじゃないの?」
「ええ、その可能性もあるわ。けど私が考えたのは別の可能性よ」
「別の……可能性?」
「これを見てほしいの」
そう言うと菫子君はマントの裾から何かを取り出した。どうやらそれは布で包れているらしく、布を広げるとほのかに血の匂いが部屋に漂う。布に包れていた赤く細長いそれは、一見すると矢のようで、先端には矢羽が付いている。しかし、反対側には……。
「平べったい……。これはどう見ても鏃ではないね。これは、まさか……?」
「そう、吸盤。つまりこれは子供が遊ぶためのおもちゃの矢ってこと。……まあ、見た感じ吸盤以外は本物の矢を使ってると思うけど」
「これに、ぬえ君とどのような関係が?」
「この矢は、人里の外で落ちているのを見つけたわ。ナズーリンちゃんに見つけてもらったの」
ナズーリン君に視線が集まる。突然話に登場し、彼女は部屋の視線を一手に受けながらも動じることなく話を進める。
「なるほど、それで私が呼ばれたのか。確かに、その矢を見つけたのは私だ。もちろん、ぬえの痕跡を元に私がダウジングで探ったから、決して偽装なんかじゃない」
「まさか、貴方が絡んでいたとはね、ナズーリン」
「一輪、私はあくまでも監視役だが、だからといってご主人がいるこの命蓮寺の評判が悪くなるのを良しとはしない。降りかかった火の粉を払う方法を、彼女が提示してくれた。それだけだ」
「……貴方も素直じゃないね」
「ふふっ、ぬえもナズーリンも命蓮寺の家族ですよ」
「一輪に聖まで……別にそんなのじゃないと言っているだろう」
少し顔を赤くして答えるナズーリン君。それまで持っていた冷静な彼女のイメージとは違う、どこか微笑ましい光景だった。
「コホン、……続けるけど、例えばこれを背中に刺して、付け根が見えないように服で隠して、血糊を滴るくらいたっぷり付けて歩けば……傍から見れば矢で射抜かれた人にしか見えないと思わない?」
「血糊……それは血糊なのかい? それにしては血の匂いがするのだが……」
慧音君の質問に答えたのはナズーリンだ。
「ああ、これは血だよ。本物の血。ネズミは鼻がいいから分かる。これは牛や人間の血が混ざったものだ。……つまり、妖怪たる鵺のものではない」
まあ、実質血糊みたいなものか。牛はともかく人間の血はどこから……。
「人間の血は、おそらく吸血鬼のところから仕入れたんじゃないかと思う。あそこなら食料として人間の血を持っていてもおかしくはないからね」
「もしくは輸血用のを永遠亭から、かしら。いずれにしても、裏どりすればすぐ分かることね」
まるで僕の思考を読んだかのように会話する菫子君とナズーリン君。
菫子君の手の中の矢は血塗られていて見た目にはおどろおどろしいが、それ以上のものは感じられない。妖怪の、ましてや鵺なんて大妖怪の血を吸えば、その矢にも何かしら魔術的な変化の一つでもありそうな気がするが。
「その矢に触ってもいいかい?」
「どうぞ」
念のため僕の能力でも見てみたが、『おもちゃの矢。子供が弓で遊ぶための道具』という情報しか読み取ることが出来なかった。いや、本当にそれだけの、ただのおもちゃの矢でしかないんだろう。
「そう、これは封獣ぬえの血じゃない。そこから私が考えた可能性、それはね。この一連の事件は封獣ぬえが自分の偽装するためのものだった、というものよ」
「死の偽装……ですか」
ぬえ君は死んでいないと菫子君が言った時から、候補のひとつとして僕も考えてはいたが、改めて実際に聞かされると突飛だと感じてしまう。
「事件が起きたときのことを順に説明するわ。まず、封獣ぬえは朝方、正体不明の種をつけていない状態で人里に現れたの。そこは人里の外れで、門の外には田畑が広がっている。
そこで背中にはさっき言った矢と血糊で自分の背中に偽装するの。まるで矢で射抜かれたみたいにね。その状態で人里の道を歩いて、目撃者の男の人に見つかった。……多分、ここで見つかるのも想定通りだったはずよ。聞けば、あの男の人は畑仕事の為にいつも同じ時間、誰もいない人里の通りを歩いていたんでしょ? それも一人で。きっとその男の性格まで調べてたんじゃないかしら。そういう意味では、自分を見てもらう相手としてはうってつけだったと思うわ。
そして、その男の人に見つかって、その場で倒れた。背中に矢が刺さっていて、血を流していて、しかも正体不明の種が仕込まれていない彼女を見た目撃者の男の人はこういうはずよ。『封獣ぬえが人里で倒れている』って。
後は、その男の人が自警団を呼びに走っていって、人里から誰もいなくなって、その時に入れ替わったの。正体不明の種を仕込んで、背中に矢を突き立てたダミー人形を。自警団が来るまで30分。予めダミー人形を人里に配置しておいたとるするなら、入れ替わりには十分ね。
そうして入れ替わった後、自警団が駆け付ける。こうして、死体入れ替わりトリックは成功。誰も目の前で倒れているのがダミー人形だなんて思わない。だって『封獣ぬえが人里で倒れている』って聞いてるんだから。
その後遺体を燃やしたのは、きっと霖之助さんの能力で見破られることを恐れてのことだと思うわ。そうでなくても、詳しく調べれば分かる事だから遅かれ早かれ燃やしてたと思うけど。
これがこの事件の私の推理よ。封獣ぬえは死んでいない! 彼女はどこかで今も生きている!」
語られた事件の真相を、誰もが理解するまでに時間を要した。
理解して、考えたその後、最初に手を挙げて質問したのは慧音君だった。
「となると、その遺体は……?」
「燃えちゃった今、幻想郷の技術力でどこまで調べられるか分からないけど、マネキンか別の誰かの死体、そのどっちかだと思うわ」
「分かった。それは私が調べさせてもらう。正体不明の種が今も効果を発揮していることを踏まえたうえで、念入りにな」
慧音君が立ち上がり、足早に部屋を出ていく。これであの死体がぬえ君のものでないと分かれば、菫子君の推理はおおむね合致していると言えるだろう。
次に手を挙げたのは雲居君だった。彼女の顔はどこか納得のいっていない、という思いでいっぱいだった。
「ぬえさんが死んでいないのは分かった……それで、彼女はどこ?」
「どこって……今人里で鳴いてるのがそうじゃないの?」
「だったら……ぬえさんはどうしてこんなことを?」
「それは……ほら、あれよ。これも何かのいたずらよ。彼女そういうの好きなんでしょ?」
「いえ、それはないわ」
「どうして……そう断定出来るのよ」
菫子君の質問に答えたのは、雲居君ではなく聖さんだった。
「確かに……ぬえはいたずらが好きではあります。……ですが、やっていいことといけないことの境界は分かっている子です。こんな、誰かを悲しませたりするようないたずらをする子ではありません」
「うぐっ」
黙り込んでしまう菫子君。菫子君の推理力は確かなものだが、一人で先へ先へ突っ走ってしまうのが玉に瑕だ。僕たちは自警団じゃない。重要なのは犯人を見つけることでもなければ真相を詳らかにすることでもなく、事件によって誰かが抱える悩みを紐解いてあげることなんだと僕は思っている。
それでも、菫子君は自身の推理によって、事件の真相を暴いた。持ち前の頭脳と着眼、閃きによって、僕には解くことの出来なかった謎を、彼女は暴いたのだ。
なら、ここからは僕の番。僕には、菫子君が持つ科学的な知識も柔軟な発想も持ち合わせていないが、その代わりに妖怪、人里、そして幻想郷……そういったこちらの事情にはそれなりに詳しいと思う。
つまり、ここからは僕の番だ。
「それは、僕から説明しよう」
§
「これは、決して子供のいたずら等ではない。これはぬえ君がその目的を達成するために仕組んだことだ」
動機を聞かれて答えあぐねいていたところを、霖之助さんから助け舟を出されてしまった。
「霖之助さん……」
「菫子君。君の推理、楽しませてもらったよ。おかげで僕の中で点と点がつながって、彼女の動機が見えた。ありがとう」
そう言うと霖之助さんはポンポンと私の頭を軽くたたく。その手の大きさに不思議と安心してしまう自分がいた。
「目的……ですか」
「ああ。彼女が自らの死を偽造してまでやりたかったこと、それは……」
一呼吸おいて、霖之助さんは告げる。
「聖白蓮さん。貴方を現状から救い出すことです」
その答えに誰よりも驚いたのは、他でもない聖さんだった。
「私……ですか?」
「聖さん。聞くところによると、最近命蓮寺には入門希望者が増えているそうですね。それも、お世辞にも真面目とは言えない男たちがこぞって」
「そのような言い方は……!」
「聖様。今はこの男の話を聞きましょう」
「ありがとう雲居君。それで聖さん。最近入門してきたその男たちのために、ここ最近、色々と苦労されているそうですね。今朝倒れていたのも、ぬえ君のこと以上にそちらが原因なのではないですか?」
「…………」
無言。だけどそれが何よりも雄弁に認めていた。
「確かに、聖様は最近、弟子たちにかかり切りになる時間も長くなり、食事もおろそかになりがちでした……。それは事実です」
「しかも、聞くところによるとその弟子たちは、聖さん目当てで入門したような下心にまみれた者たちばかりだとか……」
「そう……なのですか?」
意外そうな顔をする聖さん。人間、誰でも自分に向けられる感情には疎いものだし、ましてや本来それを捨てるべき寺の、その住職にそのような感情が向けられるなんて、聖さんにとっては全くの想定外なのかもしれない。
「……ええ。出来れば言いたくはなかったのですが……」
それに対し、一輪ちゃんがどこかばつが悪そうに答える。彼女も、陰口や告げ口が嫌いな性格だし、出来れば聖さん抜きに解決したかった、というところだろうか。
「聖の前ではしっぽを見せなかったが、みんな気付いていたよ。ご主人やムラサたちが男衆と『おはなし』しようとしたのを止めたのも一度や二度じゃない。……その時は、私がご主人たちを説得してやめさせていたがね」
「星にムラサまで……ごめんなさい。私、ここ最近はあの方々を見てばかりで貴方達のことを全然見てなかったんですね」
「……いや、謝るべきはこちらだ。当初の動機はどうであれ、彼らは入門を希望した。これは教えを広める絶好の機会だと私は思ってしまった。修行を経て彼らが煩悩を捨て考えを改めれば、より幻想郷で人妖平等の理想に近づけるのでは……などと彼らに期待した私の判断ミスだ」
「いえ、だったらそれを止められなかった原因は私よ。私もこの状況には気付いていたんだから同罪みたいなものよ」
いつのまにか、責任の取り合いみたいな話になってしまった。多分封獣ぬえもそんなこと望んでなんてないだろうに。
「ちょ、ちょっと……誰が悪いとか、今そんな話をしても仕方ないじゃない」
「そうだ。今は僕の推理を聞いてほしい。……で、その状況を良く思わなかったのはぬえ君も同じだ。彼女は、聖君が男衆によって疲労で摩耗していくところを見ていられなかった。だから……」
「だからって……それがどうして自分の死を偽装することになるの?」
「そうです。ぬえさんはあれでもかなりの腕っぷしです。それに妖怪としての格だって高い。ぬえさんなら、男どもを追い出すことくらいもっと簡単に……」
幻想郷縁起でも書かれていたが、封獣ぬえという妖怪はあの可愛らしいイラストの容姿とは違って危険なのだとか。それとさっき外……現実で鵺という妖怪を調べたが、平安時代を恐怖に陥れた、本当に大妖怪と呼ばれるべき存在なのだとか。捉えどころのない、正体不明の妖怪、それが鵺。
確かに、そんな妖怪なら人里の男どもを寺から追い出す方法なんて直接・間接問わずいくらでもありそうなものだが。
「それがぬえ君では出来ない。いや、ぬえ君だからこそ出来ないんだ」
「それは……どういうことですか?」
「知っての通り、命蓮寺は人妖平等を掲げてはいるがその実現はまだ叶っていない。それはなぜか」
その質問に聖さんと雲居君がどこか答えにくそうな顔をしている。ここは私が率先して喋るべきか。
「妖怪が人を食べるから?」
「当たらずとも遠からずというところか。妖怪とは人を食べるもの、人を恐怖させるもの、人を狂わせるもの。つまり、本能的に人間は妖怪を敵と看做している、偏見を持っているということだ。そんな状態で命蓮寺で暮らす妖怪、封獣ぬえが人を襲ったとなれば……」
「命蓮寺の監督責任問題……というわけか」
人妖平等を謳う命蓮寺で、妖怪が人間を攻撃した。それもその妖怪は命蓮寺の修行僧。それが事実かどうかはさておき、そんなことを男どもが人里で言いふらせばどうなるか。
考えるまでもない。命蓮寺は人に敵対的な妖怪を飼う妖怪寺として人里から排斥される。そうなれば当然人妖平等という理想からは遠のいてしまう。
男衆はそれを知ってか知らずか、そんな状況に守られているのだ。社会や立場という、大きなものに。
「だからぬえ君は自分を殺したんだ。命蓮寺住まいの『封獣ぬえ』から、新たに幻想郷へとやってきた妖怪『鵺』として、命蓮寺に入り浸る男衆を追い出すために……これが僕の推理だ」
シンと静まる部屋。とりあえず、率直に疑問に思ったことを口にする。
「どうして、封獣ぬえはわざわざ自分を殺すなんて、そんな面倒な手段を? お寺に迷惑かけたくないならお寺を出ていけばいいじゃない。それでほとぼりが冷めれば帰るとか」
「それは簡単だ」
霖之助さんの代わりにそう答えたのはナズーリンちゃん。
「もし仮に寺を出たぬえに襲われたとして、その者が訴えるならやはり命蓮寺だし、命蓮寺としても一度は所属していたぬえとの荒事について関係ありませんとは言えないだろう。赤の他人の妖怪ならいざ知らずね。……それよりも気になるのは、ぬえの目論見通り進んだこの状況で、ぬえが次に取る行動だ」
「そうだね。これまでの推理が合っているのなら、次にぬえ君が起こす行動は、やはり男衆を寺から排除することだろう。今は恐らく『鵺』として人里に現れることで、人々の恐怖を集め自身の力にしている、というところだと思うが」
「排除ね。……ぬえの奴、あまり過激なことはしないでくれると嬉しいのだが」
しばらく霖之助さんとナズーリンちゃんが話していると、聖さんがわっと泣き出した。今の話を聞いて、色々ため込んでいたものが決壊してしまったみたい。
「あの子はいつもそう! 問題を誰にも言わずに自分一人でみんな抱え込んで! そして自分は一人だからどうなっても誰も傷つかないって考えてる! それを後で知った私たちが! 何よりぬえ自身が! 傷ついてるって知りもしないで!」
聖さんの余りの変容ぶりに、霖之助さんはナズーリンちゃんとの会話を打ち切り、聖さんをなだめ始めるが、聖さんが収まる様子はない。
「聖さん、ぬえ君は貴方を助けたかったんです。そのために、自分を殺してみせた。聖さんも、命蓮寺も、誰も傷つけることなく。少なくとも彼女はそのつもりだった。それは責めないであげてください」
「ぬえ! いるんでしょう! 貴方ならこれを聞いているのでしょう! 出てきなさい! 沢山の人に迷惑を掛けて、私たちを残したまま自分が消えればいいなんて馬鹿なこと考えてるんじゃないでしょうね! 茶番も、自傷も、くだらないいたずらも! もうこれで終わりにしなさい!」
涙を流しながら、それでも怒ったように言葉を吐く聖さん。霖之助さんがなだめようとするが、聞く耳持たずといったように封獣ぬえを呼び続ける。
でも、多分……いや、きっと、
「……きっと、封獣ぬえは出てこないわよ。そんなに呼んでも」
「なぜですか!?」
鬼気迫るという表情。本当に、ぬえって子を大事に思ってるんだなと言うのが分かる。それが……なんだか少し羨ましいって、そう思えた。
でも、多分、それはぬえって子も一緒なんだ。聖さんが命蓮寺のみんなを大事に思っているように、多分ぬえって子も大事に思ってる。
だから…………。
「私には……何となく分かる。ぬえって子の気持ち。本当は今すぐみんなの出ていきたいけど、出ていったらそれこそ全てが無駄になるから。何事もなく終わって、そしたらまた聖さんにとって大変な明日が来るだけ。何かを変えるというのは、きっとそれくらい大変なことだと思うし、それをするくらい、ぬえって子は聖さんのことが大事なんだと思う」
ちらりと霖之助さんを見る。
私にも、そういう人がいる……のかは自分にもよく分からないけど、それくらい大事だと思える人に出会いたいって、出会えたらいいなって、そう思う。
「だったら……私は、どうしたらいいのですか」
私の説得……が功を奏したのかは分からないが、聖さんはひとまず落ち着いたみたい。
聖さんの疑問に答えたのは霖之助さんだ。彼はあっけらかんと、なんてことないかのように言葉を続けた。
「それは簡単だ。そもそもの原因は聖さん目当ての男衆。それがいなくなればいいわけだ」
「彼らを追い出せというのですか!? それは出来ません! ……確かに、彼らの中には不純な動機で来ているものもいるのかもしれません。ですが、本気で救いを求めている者もいます! そのような者まで見捨てては、一体誰が彼らを救えるのですか!?」
「そうよ霖之助さん、流石にそれは……」
「ああ、違う。そうじゃない。彼らを無理矢理追い出そうって言ってるんじゃない。彼らに自発的に出ていってもらえばいいんだよ」
「それは……確かにそれが理想かもしれないけど、そんなことが出来るの?」
「簡単さ。聖さんが命蓮寺を出ればいいんだよ」