人里でボヤ騒ぎがあった翌日。
「この度は、お悔やみ申し上げます」
「ます」
僕と菫子君は命蓮寺を訪れていた。
命蓮寺にある一室。僕たちの向かい、湯飲みが置かれた机越し座っているのはこの命蓮寺の住職である聖白蓮……ではなかった。
「聖様は只今体調を崩しておりますので、私が対応させて頂きます」
その顔には見覚えがある。聖さんと一緒にいた尼さんだ。確か名前は……。
「雲居一輪さん……だっけ」
「ええ。貴方とは、確か都市伝説の異変以来かしら」
そうだ。雲居君だ。種族は入道使いだったか。そういえば、彼女が身の丈以上もある見越し入道と一緒に人里で戦ったりしたのを見た覚えがある。
「菫子君。彼女と知り合いなのかい?」
「……うん。まあそれほど面識はないけど」
そう答えた菫子君の表情は、普段の良く言ってお転婆な姿とは違い、どこか元気が無いように見える。それも当然か。昨日は遺体が燃えるところを間近で見たのだ。聞けばこれまで身内の人間が亡くなられたり交通事故を目撃したなんてことも無いそうだし、外の人間は幻想郷と比べて死への経験、耐性が少ないのだろう。やはり殺人事件に菫子君を関わらせるべきではなかったか……。
「それより、体調を崩してるって……心労ってことよね。そんなにヌエさんって人は聖さんにとって重要な人だったの?」
「重要……ね。あながち間違いではないわ。あの人は命蓮寺にいる人妖はみんな大事な家族だって思ってるから。それは私たちも同じ」
重要、か。
「それにしては君はずいぶんと気丈に振る舞っているね」
「……からかわないでください、森近さん。私だって思うところはありますよ。ただ、聖様が動けない今、誰かが命蓮寺を支える必要がありますから」
「……済まない。大変な時だというのに、意地の悪いことを言ってしまった」
僕の言葉に、彼女は髪を手でくるくると弄びながらたははと笑って答える。
「いえ、大丈夫です。気にしないでください。それに、聖様もここ最近忙しかったですし。倒れたのも、溜まっていた疲労がぬえの一件をきっかけにして……なんだと思います」
「疲労がたまっていた……というのは?」
「実は……ここ最近、人里から命蓮寺に入門したいという方が急に増えまして」
そう答えた雲居君の顔は、どこか苦々しい顔だった。普通なら、入門者が増えるのは寺にとって喜ばしいことのはずだというのに。
「人里から……ということは人間の方ですよね。確か命蓮寺の門下生は妖怪が中心だと聞いておりましたが」
「命蓮寺は人妖平等を掲げておりますから。入門者が増えたのも聖様の説法を説いてきた結果だと思っております」
「にしては……納得いってないって顔じゃない」
「……そんなことは、ありませんよ」
「……嘘ね。図星って顔してる」
「貴方まで……やっぱり探偵なのね。嘘を見破るのが上手い」
誤魔化すように湯飲みに口をつける。
こんなもの、探偵でなくとも分かる。雲居君は嘘をつけるタイプじゃない。分かりやすいんだ。簡単に表情が出るくらい、今の君は平静じゃないんだろう?
「雲居君。僕は探偵なんて柄じゃないが、今更こんな事件を見過ごすことは出来ない。事件の早期解決のためにも、お互い隠し事は無しでいこう」
僕の言葉に、雲居君は困ったような顔で視線を泳がせていたが、しばらくしてポツリポツリと話し始めた。
「実は、最近入門してきた人たちは、聖様目的だったんです」
「聖さんが目的……というのは」
「平たく言うと……下心、ってことです。ここ最近、聖様は異変で人前に出ることが多かったので……それからですね。男性の入門希望者が増えたのは」
「でも、それだけで下心からの入門と決めつけるのはいささか早計では? 異変を解決する聖さんの姿を見て人妖平等を願った者だっているのではないのかい?」
「もちろん、全員が全員下心からとは言いませんが……実際に見ていれば分かりますよ。真面目なのは聖様の前だけで戒律を守る気も無いし、いつも聖様の尻ばかり追いかけて、聖様のいないところでは男同士で下品な話ばかりして……。それでも聖様は見捨てることなく修行をつけていました」
「ふむ……まあ、確かに彼女は美人だし、そういう輩がいても……痛たたたたた!!」
太ももに激痛が走る。見れば、菫子君が自分の太ももをつねっていた。
「おい! 何をするんだ!」
「……ふーん。確かに聖さんは綺麗だもんね。霖之助さんああいう人が好みなのね」
そっぽを向く菫子君。ツーンという言葉がこれ以上ないくらい似合う状態だ。
「まったく……なんなんだ君は」
「……別に、何でもない」
そんなやり取りをしていると、雲居君がくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「霖之助さんは……ウチの男たちとは違うみたいですね。それに……」
雲居君はちらりと菫子君を見る。
「尻を追うより尻に敷かれるタイプみたいだし」
「なっ!? そ、そんなんじゃないし! 別に私は霖之助さんを尻に敷いてなんかいないし!」
菫子君がやけに狼狽えているが、言いたいことがよく分からない僕は首を傾げることしか出来ない。
「それより、次はぬえ君のことを聞かせてほしい」
「それは構いませんが、……恥ずかしながらぬえさんは事件の前から夜も出かけてばかりで、知らないことも多く……どれだけ答えられるか」
「それでかまいません。今は一つでも情報が欲しい」
雲居君は言葉を選ぶようにして慎重に話し始めた。先ほどの新しい入門者の時もそうだが、身内のことを陰で悪しく言うのは好まないのだろう。
「ぬえさんは……あまり言いたくはありませんが、不真面目な奴です。いたずら好きで、修行はサボりぎみだし、普段からのらりくらりしてる人で、先ほど話した男衆ともよく衝突してました」
「ふむ……聖さんはぬえ君に対して何か言っていたりは?」
「聖様はぬえさんのことを『不器用だけど優しい子』という言い方をしています。以前も、神霊廟から妖怪の敵、聖人が復活するという話になったときは勝手に外の世界まで助っ人を呼びに行ったりと、裏で動くことも多いんです。……時々その想いが空回りしてるんですけどね」
「外の世界って、……幻想郷の外ってこと?」
「ええ。どうやって結界を超えているのかまでは知りませんが」
ふむ。話を聞く限りだと、やはりいたずらからの怨恨による殺害……というのも切り捨てることは難しそうだ。その一方で、したたかさもちゃんと持っているらしく、少々騙されようとしたところで簡単に引っかかるとも思えない。
「あの~ちょっといい?」
菫子君がおずおずと手を挙げる。なんでも首を突っ込む彼女らしくないとは思った。
「そもそもさ。その……ホウジュウ ヌエさんってなんの妖怪なの?」
「なんだ、そんなことも知らずに君は今まで会話に参加していたのかい?」
「……お恥ずかしながら」
「ぬえさんは正体不明の妖怪というか……言葉で説明するのも難しいですね。ちょっと待っててください。今、幻想郷縁起をとってきますので」
そういうと雲居君は席を立ち、部屋に残されたのは僕と菫子君だけになった。
このまま雲居君の帰りを待ち続けるのも手持ち無沙汰なので、説明出来る部分は先にしてしまおう。
「ぬえ君は鵺という妖怪なんだ。種族が鵺。分かるかい?」
「種族名と自分の名前が同じってこと? 変な名前。普通飼っている犬にイヌなんて名前つけないでしょ」
「それもそうだが、自分の種族に絶対の自信を持つものは自らその種族を自分の名として名乗ることもあるよ。珍しくはあるけどね」
旧地獄にいる、心を読む妖怪とか。
「それに、鵺という妖怪はかつて平安の世を恐怖に陥れたと云われている、とても力の強い妖怪なんだ」
「平安って、……それって千年以上も前じゃない! はぁ~、なんだか幻想郷ってすごいところなのね。だから面白いんだけど」
「それで、鵺が持つ能力なんだが……」
「お待たせしました」
ガラリと障子が開けられる。どうやら雲居君が戻ってきたらしい。
雲居君はその手に持っている本を菫子君に手渡す。
「これが幻想郷縁起よ。幻想郷縁起は知ってる?」
「……ごめんなさい。それもあんまり」
「これは人里の名家、稗田家の当主が書いた本で、幻想郷に住む妖怪について記されているの。ぬえさんは勿論、私や他の命蓮寺住まいの妖怪もね」
「ふーん……うわっホントだ。しかもフルネームで。個人情報保護の欠片もないわね」
パラパラと本をめくる菫子君。ページを行ったり来たりしているところを見ると、ぬえ君のことが書かれたお目当てのページを見付けられないらしい。
仕方ない。あまり雲居君を待たせるわけにもいかない。
「ぬえ君の書かれたページはもっと後だよ。ほら、良く見せて。近づかないと僕が見えないじゃないか」
「ち、近……ちょっと霖之助さん、近いって……」
「ほら、何をしているんだ。早くページをめくりなさい」
「だから近いって! 息が……!」
ページを見ようと菫子君に近付くが、菫子君は固まったままページをめくらない。
何故かお互い固まったままの状態を見かねたのか、雲居君が声を掛ける。
「あの~お二人とも? 一応命蓮寺は女人禁制というわけではありませんが、あまりふしだらなことは……」
「だ! だからそんなのじゃないって! 霖之助さんも離れて! ……私はこれ読んでるから、話進めといて。こっちのことは待たなくてもいいし」
そう言うと僕から少し離れて、幻想郷縁起を一人で読み始める菫子君。読み終わるまで時間が掛かりそうだし、しばらくそっとしておいた方が良さそうだ。
「それより、雲居君。例の鳴き声がまだ人里で聞こえているみたいだが、あれは……」
昨日、火事の最中に聞こえた、不吉な鳴き声。
僕もこの耳で聞いたのは昨日が初めてだが、伝承通りなら……。
「ぬえさん、のものなんじゃないかとお思いですか」
「ああ」
「……正直なところ、私にもよく分かりません。あれはぬえさんの鳴き声かもしれないし、もしかしたらそうではないのかもしれない。伝承では鵺が鳴くのは有名なんですが、実はぬえさんがああして鳴いているのを見た事がないんです。命蓮寺の皆も、見た事がないと」
まあ……正体不明が何よりの特徴なんだ。身内であっても分からないこともあるだろう。そうしてしばらく無言が続く。ぬえ君について何か思い出そうとしているようだが……。
「ごめんなさい。これ以上話せそうなことは思いつきません……。私、あの子のこと、何にも知らなかったんですね。こんなのじゃ、姐さんに合わせる顔がないや」
そう答えた雲居君の声は、口調こそ軽そうだが嗚咽混じりだった。
「……私にはもう分かりません。あの鳴き声は誰の物なのか。実はあれはぬえさんの仕業で、生きているのだとしたら、どうして命蓮寺に帰ってこないのか。ぬえさんが殺されたとして、誰が、どうして、何のために殺したのか。……何も分からないんです」
「気をお確かに。……それを解明するのが僕たちの成すべきことです。僕も、真相解明のために全力を尽くします」
「……よろしく……お願いします」
とはいえ、現状では手掛かりは見つかっていない。ひとまずは、人里で鳴き続けている新たな鵺らしき妖怪を追うしかなさそうだが……。
「ほら、菫子君。そろそろ行こうか」
僕は菫子君に呼びかけるが、それに対する菫子君の回答は素っ頓狂なものだった。
「ちょっとこれ見てよ! この封獣ぬえのイラスト! 昨日見た死体と全然違うじゃない! ほら、昨日見たのってもっとこう……なんというか、ザ、人里に住む普通の男性って感じだったじゃない!? 霖之助さんも見たでしょ!?」
そう言われて思い出す。あそこで倒れていたのは、今菫子君が持っている幻想郷縁起に描かれた姿そのままだった。慧音君をはじめ、あの現場にいる誰もあの遺体がぬえ君でないと言う人はいなかった。
はて、どういうことかと考えてから気付く。なんてことは無い、さっき説明しそびれた事だ。
「ああ、それはね。それが鵺である彼女の能力だからさ」
「能力?」
僕はぬえ君が書かれた幻想郷縁起のページを指差しながら説明する。
「彼女が持つ『正体不明の種』と呼ばれるものを対象に仕込むと、認識をかく乱することが出来るんだ。種を仕込まれた対象は、見た者が持っている知識で認識出来るものに見えるらしい」
「それって、どういうこと?」
「僕も実際に経験したことは無いから詳しくは言えないのだが……どうやら、種を仕込まれた対象は、形や匂いといった自身が持つ固有の情報が奪われてしまうらしいんだ。そして対象の行動だけが残る。それを見たものは『その行動をする何か』だと勝手に脳が保管してしまうんだと思う」
「……よく分からないわね。例えば人里を歩く誰かにその……『正体不明の種』を仕込んだら、その人のことを見たのが知り合いでも、それが分からなくなるってこと?」
「そうだろうね。容姿だったりその人固有の情報が奪われるんだから、『人里を歩く一般人』くらいにしか思わないのだろう」
そう答えると、しばらくうんうんと唸る菫子君。確かに分かりにくい能力だとは思うが、何か気がかりな点でもあるのだろうか。
「それってつまり、……あの時、茣蓙の下にいたのは、実はぬえって妖怪じゃなくて別の人なんじゃないの? 私が別人に見えたってことは、その時既に正体不明の種がついていたってことでしょ?」
「それは、確かにそうよ! やっぱりぬえさんは生きて……!」
「いや、それはどうだろうか」
雲居君の喜びに水を差すのは心苦しいが、それでも不必要に希望的なことを言うものではない。落差が大きいほど、その喜びがぬか喜びだと気付いたときの反動は大きくなるのだから。
「確かに君にはぬえ君の姿は違って見えたのかもしれない。だが、それは菫子君がぬえ君の姿を知らなかったからだ。あの場には僕のほかに慧音さんや聖さん、それに自警団の皆がいて、それでもあの死体がぬえ君だと認識していた。正体不明の種は好きな姿を見せられるわけじゃない。あくまでも誰かのイメージから作り出された虚像なんだ」
「……つまり?」
「君以外の全員が彼女を封獣ぬえと認識していたのなら、それが本来の姿だということさ」
「なるほ……ど?」
理屈は分かったが納得していない、という顔だった。
「まあ、確かにあの死体がぬえ君だと断定するのは早計かもしれない。その辺も踏まえて、調査してみることにするよ、雲居君」
「はい、……よろしくお願いします」
さて、色々調べるべきことは多そうだ。ここは菫子君と手分けして探したほうがよさそうだ。とりあえず、菫子君には人里で鳴いている新たな鵺を追ってもらおうとするか。
「ほら、行くよ、菫子君」
「正体不明の種はアイデンティティを奪う……じゃあ最初の目撃者はどうして……」
幻想郷縁起を捲りながらぶつぶつと呟く菫子君。
彼女の着眼点は、幻想郷の常識に凝り固まった僕たちにはない、独自の鋭さを持っている。彼女の気付きが事件解決に繋がったことも多い。
「菫子君。何か気付いたのかい?」
「……ちょっとね。たしかさっきこの辺に……あった! これだ!」
幻想郷縁起のページを捲る手が止まる。その声には確信が込められていた。
「菫子君、何か分かったのかい? 僕も色々と伝えたいことがあるから、香霖堂に戻って一度打ち合わせを……」
「霖之助さん! 先に戻ってて! 私は命蓮寺でまだやることがあるから!」
そう言い残して部屋を出ていく菫子君。ドタドタという寺に似つかわしくない音が響き渡る。
「したいんだが……行ってしまった」
ただ、その素晴らしい発想をもうちょっと僕にも伝えてほしいというのが、目下の悩みなのだが。
§
霖之助さんと別れた後、私は目的の人物と会うために命蓮寺の中をうろついていた。
正体不明の種。
仕込まれた者からアイデンティティを奪い、見た者が想像したものに見せる。
その理屈は分からないが、一つ、どうしても腑に落ちないところがある。
もし、これがトリックによるものだとしたら……その証拠が存在するはずだ。それを見付けるのにピッタリな人……というか妖怪がこのお寺にいる。そう幻想郷縁起に書いてあった。
広いお寺を駆け回る事数分。お目当ての人物を見付けた。あの耳やしっぽがどうなるかは私個人としては非常に興味があるところだけど、それより今は事件の証拠探しだ。
「あ、いたいた。ナズーリンちゃん、いきなりだけど、探し物をお願い出来ないかしら?」