Coolier - 新生・東方創想話

八椛鏡ノ改

2015/05/07 02:06:05
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部外者の立ち入った事情/表

彼が妖怪の山に立ち入ったのは、全くの思いつきであった。であるが故に、帰れなくなった時のことは全く考えていなかった。
降りしきる雨の中濡れていた野良犬のように彼は駆け、ようやく辿り着いたのが山中の洞穴であった。
季節が夏であることが幸いした。冬であれば、体温の低下を心配しなくてはならないところだった。
もっともそのような季節であれば、どのような精神状態であれ、山に入ろうなどとは考えなかっただろうが。
一先ず、壁に背を預けて座り込んだ。眼を閉じると、慣れない山歩きの疲れが出たのか、眠気が一気に体を包み込んでいく。
大きく息を吐き、意識を手放してしまおうかと思ったその時。

「もし」

唐突に声をかけられた。
水底から泡が吹きあがるかのように、彼の意識は目の前の現実に戻っていく。
ぼんやりした視界が捕らえた色は、洞穴の外の青灰色。そして、目の前の白であった。
雨に震えて夢現に見上げた先には、一人の少女が立っていた。

「……」

事態を把握できていないことに対する緊張か、それとも実際に妖怪に出くわしたことへの恐怖か。
ともあれ、声は出せないままではあったが、閉じていた瞳が明るさに慣れていくにつれ、少女の輪郭が明確になっていった。銀髪に赤い頭巾。
見上げる形での見立てにはなるが、背は高くなく、顔立ちも幼さを残る印象である。
しかしながら、背に抱えた不釣り合いな大剣と盾が、有無を言わさぬ威圧感を放っている。

「大丈夫ですか?」

少女の声が響く。こちらを気遣う言葉と、敵意とは程遠い音色が、絡みついた緊張の糸をゆっくりと断ち切っていった。

「……は、い」

絞り出すように、肯定の声が紡がれる。なんて頓狂な音色だろう。
自分は今どんな顔をしているのやら、などと、頭のどこかが妙に冷静に分析をしていた。

「それは結構。人里の方ですか?」

二つ目の質問が重ねられて初めて、彼は自分が妖怪の山の部外者として、尋問を受けているのだという事を把握した。
それはそうだろう。この場は「妖怪」の山であるのに、人間が一人で立ち往生していればそれは、内部の者からすれば異分子以外の何物でもない。

「……まあ、そんなところです。厳密には違いますが」

声をついて出た答えは事実であった。彼は人里にいたこともあるが、今は違う。
こんな状態で嘘をついても得など一つもないとわかっているのだが、口にしてみれば妙に信憑性に欠ける響きだな、と思った。

「承知しました。……念のために尋ねますが、これ以上山を登られるおつもりは」

その質問は純粋に問うているだけのようにも聞こえたが、否定以外の答えを許さないと言ったようにも感じられる。
それでいて、少女の声は柔らかく、染み入るように耳に入ってくるのだから質が悪い。
そんな聞かれ方をされては、期待されている答えしか返せないではないか。

「いえ」
「結構。山頂を目指すとか言われたら困っていました」

困るだけですか?本当に?

「もともと、目的もなく立ち入っただけですから」
「目的もなく?山菜を採りに、とかそういうのでも……なさそうですね」

鞄も袋も持たずに手ぶらでこんなところまで来て、山菜を持ち帰ろうなどという人間がいたらお目にかかりたいものだ。
いたとしても、目立ってしょうがないと思う。

「違いますよ」
「では、何故山に入ろうと?目的はなかったとしても、きっかけぐらいあるでしょう」

少女の声には、焦りのような色があった。きっかけがなくては説明がつかない、とでも言いたげな。
この少女は理路整然としたものを求める性格なのかもしれない。
とは言うものの、彼にしてみても本当に単なる思いつきであったがため、答えには少し困っていた。強いてあげれば……

「月が綺麗だったから、ですかね」
「ご冗談でしょう!」

怒らせてしまった。呆れさせてしまったのかもしれないが、まあとにかく、少女は語気を強めて彼の発言を否定した。
理屈にあわないと感じたのか、はたまたからかわれたと感じた怒りからか、顔を赤くしている。自分はそんなひどいことを言ったのだろうか。

「すみません」
「全く……」

冗談を言ったつもりでは毛頭ないのだが、一応謝っておいた。その上で、彼は続ける。
「ですが、あながち冗談でもないんです、月の明るい夜だったから……
 そんな、思いつきでだったんですよ。綺麗じゃなかったですか?昨日の月」
「……どうでしょうね。わかりません」

できうる限り、本当に近いところを選んで情報を提供する。少女はというと、訝しんでいるのかしばし黙考している。

「思いつきにしては……随分と登られましたね。五合目越えてますよ?ここ」
「それは……まあ」

確かに。途中滝があって、それ以上は行きにくいと思ったことはあるが。

「よく他の妖怪に見つからずここまで来れたものです。普通、もっと低い位置で河童あたりに見咎められそうなものなのに」
「河童……ですか」

そういえば、河童だけでなく妖怪の類は見かけなかった。妖怪の山というにもかかわらず、だ。
入ったときは夜だったからというのもあるが、予想外の雨で出歩いている者も少なくなったのだろう。
もっとも、その雨で自分も帰れなくなってしまったのだが。

「まあ、いいでしょう。特に他意がないのであれば問題ありません。雨も降り止んでいるうちに、麓までお送りいたします」

これ以上はつついても何も得られないと悟ったのか、少女はあっさりと彼のことを不問とした。おまけに下山の手引きまでしてくれるという。

「よろしいんですか」
「仕事のうちですから」

仕事。そういえば、彼女の仕事とは一体……いや。そもそも彼女は何者なのか。

「私ですか。ご覧の通りの白狼天狗です。主な仕事は山の哨戒です」

哨戒という言葉に、ようやくその得物と盾の存在意義を認識する。
よく見ると髪の後ろには白い耳が、そして盾の下からは白い尾がのぞいている。
ああ。この、目の前の少女がそうなのか。基本的に里には鴉天狗ぐらいしか来ることはない。
人間にとって天狗といえば鼻高天狗か鴉天狗のイメージが強く、彼自身も本物の白狼天狗を目にするのは片手で足りるほどしか経験がない。
それでも……

「名前は……」

少女の名乗りに、一瞬彼の目が見開かれる。

「え……珍しいですか?私の名前が」

少女の声に、たじろいでしまった自分を認識する。

「ああ……失礼、どこかで聞いたことのある名前だったかと思いまして」
「そうですか」

そう言いつつも、彼女の視線は所在なげに逸らされてしまっていた。
先程まで気にはならなかったが、いつからか尻尾左右に揺れている。動揺しているのだろうか。

「では自分の名も……」
「いえ。それには及びません。立ち入ったことは聞かず、速やかにお帰りいただくのが私達の仕事ですから。
 先ほど申し上げたよう、迷い込んだ方を送り届けるまで含めて仕事なので、お気になさらず」

やや強引に話を戻しながら、少女は外を見た。
雨音は既に無く、雲の向こうに朝日の光も見える。確かに今なら、足元に気をつければ帰れるだろう。

「立てますか」

ゆっくりと、少女が手を差し出す。その手をしっかりと握り、立ち上がる。
……いつか、こんな体験をしたような気がした。

「ありがとうございます」

そう言って彼は脚絆の砂を払うと、少女と共に共に洞穴から出た。雨も上がり、雲間から朝日が少し覗いている。
初夏の風が吹く。木々の匂いをさらって届ける、何か期待させる緑の風。それを吸い込み、彼らは山を降りた。
……まあ。
小柄な少女に長身の人間の男性がしがみつき、かの源氏武士もかくやという跳躍で、というなんとも不可思議な構図ではあったけれど。

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