合わせ鏡の狭間より
「次の方」
医者が患者を呼ぶかのよう、簡素な言葉が響き渡る。
しかしながら、この声の主が医者でもなければ、ここは病院でもない。呼びかけに応じ、一人の妖魔が粛々と入ってきた。
声の主は、ガリガリと手もとの文帳に筆を走らせたまま、相手が所定の位置まで進み出るのを待っていた。
ある程度近づいたのを気配で確認したところでようやく顔をあげ、手を止めて次の指示を出す。
「はい、そこで結構。では、審判をはじめます」
そう、ここは死者が十の王による裁判を受け、その行く末を委ねる場所。是非曲直庁、その第五の法廷である。
ゆらめく蝋燭の灯りだけが法廷内をぼんやりと照らし、声の主の顔を浮かび上がらせている。
深緑の髪には紺の帽子。同じく紺の装束に身を包み、悔悟棒を携えている。
その姿は一見すると、ただの少女でしかない。しかし他ならぬ彼女こそが、この場の裁判長であり、閻魔その人でもある四季映姫であった。
「ああ、次はあなたでしたか。あなたの場合、鏡を見るまでもなく、行き先は決まっているのですがね……」
何の迷いなく審判を下すのは彼女の平常運転である。が、それはそれとして、目の前の相手については、別の何かで考え事が必要な要素があるようだった。
一方、その言葉に妖魔は、(既に魂となってはいるが)毅然とした表情を崩さず見せている。
死人に口なし、裁かれる魂は許可なく言葉を発することはまかりならぬ。
映姫は時計に目を落とし、再度相手と目を合わせた。相手の赤い瞳は、ただ静かに裁きを待っている。
「……いいでしょう。では先に判決を申し渡し、その後であなたの行いを見るとしましょう」
ふう、と一息。そして、裁判長はただ簡潔に、最終決定を伝えた。
「犬走椛。あなたは地獄行きです」
その言葉が終わると同時に、彼女の手鏡が光りだした。
その鏡は浄破璃の鏡。それは魂の人生を偽りなく映し出す。
犬走椛の生前が、光る鏡の中に幕を開ける。