「…屠自古は」
久しぶりに口を開いた 声裏返ってないかな
屠自古の頭はすっかり顎の下に収まり、夜泣きをする子供にする様に頭を撫でてやっていた
こんなにも小さく健気な愛妻は、前置きも置けないくらいに急に悩みを打ち明けて来た
豊聡耳神子の耳がこの世で最も好む声を捉えたのだ 寝ている場合ではない
その素直さと不器用さが愛おしく、つい寝たふりで通そうとしてしまった
起きたらば「何でもありませんただの独り言です」と言って打ち切ってもらえればそれでいいと
屠自古の告白はそうした逃げ方を許すべき程の、常人ならば聞かれたくない筈のものだった
が、当の本人が話し相手の意識に気付き、起こされ、尚も話を続けている
ならば、夫として逃げる訳にはいくまい
(元より頼まれても逃げはしないが)
「私の耳の事は …って、さっき話してましたね」
ははは、と笑いつつ頭髪を鼻で掻き分け息をつく
「えぇ、そうです 複数人の話を同時に聞き、また欲をも捉える事が出来ます それについてなんですが…」
胸元に当てられていた手は頬に向かい、唇や目尻を親指であやしていた
「布都も一時取り違えていましたが…欲を聞き取ると言う事は、読心術とは少し違うのです」
「……」
すっかり黙ってしまった屠自古の顔が、神子の胸をグシリと擦る
「発言や状況も合わせて分析すればそれも出来なくもありませんが…文字通り“欲”を把握するだけですから、具体的な内容までは分からないのですよ」
実を言えばその欲から対象者の前後の事象を辿ったり予測したりも出来るのだが、今回の話には関係無さそうなので割愛する
屠自古はと言えば、足の指でこちらの足の甲をくすぐったらふくらはぎ同士を合わせる様に抱え込んで来た
可愛いなぁ
「仮に屠自古にこの力があったとしたら…今の私が庇護欲を抱いている事は分かっても、『屠自古があんよでしがみついて来るのが可愛いなぁ』と思っている事を文章としては分からないでしょう」
恥ずかしさから脚を放そうかと一瞬の間迷った様子だったが、それでは負けた様な気がするからか 屠自古は結局脚を放さなかった
羞恥を上回る強い愛情と、何より根っからの負けん気が滲み出ていた
可愛いなぁもう
「何が言いたいかと言いますと、私は屠自古が細かい内容を自ら話してくれなければ、そこに関しては知り得ないと言う事でして」
「……」
ようやっと屠自古が顔を上げた
「貴女からは常に強い欲を感じていました それは貴女を好いている夫として、実に嬉しい事です」
また顔を伏せた
そろそろ羞恥心が戻って来たか
「…そうした欲の中に、時折不穏なものが混じっている事も知っていました」
すっかり拗ねてしまわれた愛妻を全力で撫でくり回したい欲求に駆られたが、それをやったらいよいよ口を聞いてもらえなくなりそうだったので、手を握るに留めた
「ですがそれ以上は…何がどう不穏なのかまではハッキリ見えませんでした」
女心は複雑ですからね と言ってみたが、ウケなかった
「その正体が今さっき話してくれた事だとして…」
多少強引に背と腰を抱き上げ、やや胸を逸らさせる形で自分を見上げさせる
「何故、本音を口にしたのですか?」
言わなければ、バレなかったものを
「……仰る通り…」
急に顔を合わせられたからか 私の問が核心を突いていたから
あるいは と言うより両方だろうが
心情に怯えが見えた
「仰る通り…私のしている事は、後で苦しむと知りながら墓穴を掘っている事に他なりません」
あぁ、また俯いちゃった
こっち向いててくれないかなぁ
「私が口にしなければ、意地汚い本音の数々も知られなかったでしょう 私は軽蔑されず、貴女も傷付けず…『何か邪な欲を抱えているなぁ』と御察しになられても、貴女ならそれを問い詰める様な事はしないでしょう」
「えぇ、しません」
…ぁ でもいくらか虐めたくはなるかな
「であれば最低でも表向きは…と言うより、一般の夫婦としての仲は維持出来る事でしょう」
読心や聴欲の有無に関わらず、人間何かしら隠し事があるのは誰もが知っている
それを許容し、暗黙の内に見ない様にしていくのが人生と言うものだ
「『ですが、私は我慢なりませんでした』」
とうとう背中を向けてしまった
当然顔を背ける形となるが、背はこちらに押し付け自身に回した腕を掴まえている辺り、この話から逃げるつもりはなさそうだ
「『欲を聞き取れる貴方が、私を気遣って下さる貴方が、私の欲を把握しながら…尚も私がそれを隠そうなどと言う見苦しい真似は…私には、我慢なりません…』」
「“隠し事をする不安に苛まされる位なら、自分から打ち明けよう”…と?」
神子の鎖骨に当たる癖ッ毛が柔らかく捩れる
私と屠自古の間に子供が出来たら、髪を整えるのに苦労しそうだ
「“その結果私と別れる事となっても構わない…むしろ突き放してくれた方がありがたい”、と?」
同じく頷く
ならば今の、背中を向けながらも抱きついている自身の姿勢が矛盾していると言う事は自覚しているのだろう
抱きつく腕が戸惑った末に再び神子の腕を抱え、しかし脚はヒュンと引っ込んでしまった
それでも、離れるつもりは見受けられず
「『それでも貴方の傍にと…“神子様なら結局赦して下さるだろう”と期待する…そんな浅ましく卑しい女でございます…』」
(…はぁ まったくもう…)
まったくまったく なんと言う女だ、私の妻は