【何時かの朝:神子の部屋】
「『私は、貴女が嫌いです』」
朝一番の一声とは思えない、死に際に引き取る一息の様に掠れた一言だった
寝言ではない
昼寝をする野良猫に呼び掛ける様な何気無さだった
寝ているのは野良猫ではないが
蘇我屠自古の現状は、横向きに横たえた身体を脇まで布団に包まれながらも、“何か”が胸に顔を埋めて抱きついていると言うもの
その“何か”と言うのがまた固くなく軟らか過ぎず、熱くなく冷た過ぎない、早い話が抱き心地のよいものだからタチが悪い
呪詛の様に爛れた落ちる言葉とは裏腹に、屠自古は相手を抱き締め返し頭を撫でる
「『…大嫌いです』」
“何か”の正体は豊聡耳神子
実質的にこの国の主にしてこの閨(ねや)の主である
未だ夢の中の彼女は身動ぎをし、童の様な寝顔を見せた神子の頭髪に口付ける様に頬擦りをした
「『…神子様』」
主同様クタリと横になった癖っけ毛を撫で下ろし、抱き込み、小さく小さく語り掛ける
多くを色濃く聞き取れ過ぎる神子の耳を痛めない様に
起床時の一瞬にだけある、最愛の夫との、大切な時間
「『もう…嫌なのです…』」
緑茶婦人と饅頭亭主の朝
獣の耳の様な特徴的髪型が収まると、それだけで彼女が縮んだ様な印象で、まるっきり小柄な少女にしか見えない
頭や首に沿った髪を梳きながら聞こえて来るのは、こちらが眠くなってしまいそうな神子の寝息
普段の指導者らしい凛々しさはどこへやら、女児の様な穏やかな寝顔である
利き過ぎる耳が、音も欲も捉えていない証拠だ
屠自古が狙いをつけて軽く摘まんだ癖毛の根が固い
筋金入りの頑固なのは本人同様か
「『…神子様…』」
その、骨肉より軟らかな固さの髪に唇を埋め、名を呼ぶ
極めて小さく、それでも確かに 頭蓋を通して全身をこそばゆく震わせる声
「『本当に…憎たらしい…』」
重ねて呟いた恨み言だが、表情は静かだった
穏やかとも悲しげとも表し難い
状況を考えるのであれば、寝言と言ってもいいだろう
「『貴女の一見軽薄そうな…けれど本当は気遣って下さってばかりいる笑顔が好きです』」
神子の唇をなぞる指先が少ぉしだけ溝に分け入り、微かに触れた湿り気に首筋がぞわりと逆立つ
「『…ですが、その笑顔が時折見た目通りの軽薄さしか無いのではと…勘繰ってしまう事があります』」
布団の中で神子の脚に自分の脚を絡める
「『貴女の凛とした、民を導く御姿…本当に御素晴らしいものと感じ入ります』」
鏡を磨く様に肩をさすれば、寝巻きの下の華奢な骨格の上をサラサラと手が滑る
「『けれど…その背中を眺める度に、私の事を気に掛けて下さっているのか…不安で気が滅入ります』」
自分と然程違わぬ柔(やわ)い身体を優しく、しかし出来るだけしっかりと抱き締める
「『…貴女と…女同士で番(つが)いになると知った時は心底驚きましたが…貴女の御心遣いのお陰で、本当によかったと思っております』」
女の神子の才覚を惜しんだ彼女の支持者達は「男と偽れ」等ととんでもない事を簡単に抜かしおり
とうの神子がアッサリと美男として受け入れられてしまったのだ
確かに引き締まった表情で政に臨む神子は性別を超えたものはあったが…
「『それは事実ですが…やはり、貴女が男であったらば、と…僅かながらに考える時もあります』」
胸と共に互いの腹を合わせて暖を分け合うが、心地良い感触はすれど鼓動は二人分しか伝わって来ない
「……」
耳に唇を当て、遠慮がちに深く長く息をつく