七、 幻想郷(ノーウェア)への帰還
スキマをぬけるとそこは竹林だった。夜はすっかり更けて月明かりが茫茫とけもの道を照らしていた。
歩を進めると、怪しげなる光る青竹があった。よくよく見ると光は文章を刻んでいた。こんなふうに。
DEEP PURPLE
IS
WATCHING YOU
五体満足に再生した輝夜は「わかってるわよ」とぶっきらぼうに言いながらその竹を殴り倒した。
その後私たちはどちらから言い出すのでもなく殺しあいを始めた。私は久方ぶりにキレッキレッの動きを披露し、輝夜の首を両手でがっちりとホールドすることに成功した。もはや内容的にも形式手にも意味を喪失した殺しあいはただただ楽しかった。私はなんていう幸せ者なんだろうか、私は誰に言うでもなくありがとうと一言つぶやいて首を握り取りながら輝夜の体を燃やした。
輝夜の残骸を茂みに転がし、妹紅は一人帰路につく。しかし、なんてご都合主義的結末なのだろうか、と妹紅は思う。結局私は輝夜とピクニックに出かけて、豪族との闘いの過程で私の輝夜への恨みが割とどうでもよくなっていることを追認し、しまいには殺しあいなんかどうでもよくなる真実を明かされて、意味のない殺しあいに意味を見いだせるくらい輝夜と仲良くなって帰ってきた。
ましてお前の存在は幻だったと告げられて命からがら逃げ出してきた今の私は、昔話よろしく身近な小さな幸せに感じ入る気持ち、自分の家の庭をたがやすことの幸せをかみしめている状態だ。おそらくこの多幸感は三年間はまず間違いなく持続するだろう。ビバ・けーね先生、けーねの思惑からは全然外れた冒険になったのに、外見上はけーねの思惑通りに踊った格好になっているのがなんともやるせなかった。
そもそもけーねはなぜ急に私に「来歴をめぐる冒険」なぞをやらせたのだろう。彼女の消去された記憶=歴史が無意識のうちに私に助けを求めたのだろうか。もしそうだとしたら、『日出る処の天子』にたどり着いた私はこの点でもけーねの期待に応えたわけだ。しかし、今となっては確かめようもない、決して確かめてはいけない至極どーでもいいことだ。
自分の来歴を探りにいった私は、そんなもの言葉通りの意味で本当に存在しないこと、つまり知りたくもなかった幻想郷の来歴、不愉快な―その一言で片付けるにはあまりに重い―真実を知った。私は今けーねに会いたい、たとえ真実が含まれていなくても、たとえそれがどんなに難解な言葉で語られようとも、けーねが自信たっぷりに力強く物語る歴史絵巻にいつまでも身を委ねていたい。
草木だけが眠る丑三つ時、見ればもうあの角の向こう、けーねの家は間近に迫っている。けーねは穏やかに気遣わしげに机から顔を上げ出迎えてくれるに違いない。
「おかえり」
と。私は特にどうということもなくごくごく自然に微笑んでこう答えられるはずだ。
「ああ、ただいま。ただいま」
どうしてくれるんだ!
6~7段落は個人的には蛇足かと思いましたがこういう捉え方もありかとも思います。
2段落目の妙なノリでついていけなくなった人も多いかと思います。もったいない。