Coolier - 新生・東方創想話

来歴をめぐる冒険

2013/08/16 02:46:23
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一、 旅立ち

「老いるとは思い出が夢にまさるということである」
 ある天気雨の冬の日の昼下がり、何を考えるでもなく縁側で日光浴にふけっていると、突然後ろから声をかけられる。
「かつて外の世界で頂点に立っていた男の言葉らしい。終わりのない人生を送っているお前には縁のない感覚かと思ってい たが、どうも最近のお前を見ているとこの言葉が頭に浮かんでしまうのだよ」
冷水をかけられたような感覚にとらえられながら、ものぐさげに振り返ると、けーねはここのところかかりきりの書きものをしている。
「どういうことよ?」
「こと最近のお前には生気が感じられんということさ」
 意外だった。確かにけーねは、私の生活態度全般、脱いだもんぺを居間にうっちゃておくこと、作り置きの山菜汁を一週間にわたって食べ続けることなどなどに絶えず教師らしい注意をしてくる。それでも彼女は決して私の悩みの核心には触れてこず、遠巻きに温かく眺めていてくれる。それが私たちの静かな生活の暗黙のルールだった。はずだった。
「どうも近頃のお前は何をしていてもつまらなさそうだ。心ここにあらずが終日続いているんじゃないか?」
 確かに最近けーねが私にいぶかしげな視線を送っていたのには何とはなしに気づいてはいた。
「実際のところ、お前にはひたれる思い出が際限なくあるわけだしな」
その通りだった。千年をこえる放浪、うんざりする程訪れた出会いと別れ、それを反芻しているだけで日なが過ごすことができる。なぜだかここ最近そんな日が増えた。非生産的な回想に身をやっする毎日は、停滞していて味気なくいたずらなものだ。
 本当のところ理由ははっきりしていた。私はまた退屈しちゃっただけなんだ。こんなこと今までいくらでもあったじゃない。当然のことながら解決の糸口はいつだって変化と刺激だった。例えば人生をかけた仇敵との再会。かの女を永遠に殺し続けることができる。それがわかった時の喜びったらなく、これからは最高のアクセントがついたナイスな日々がずっと続くんだと本気で思いもしたけれど。
「輝夜との決闘だって今のお前にとっては一つの習慣にすぎなくなってしまったのだろう?」
 けーねの私に対するお前のことはなんでもわかってるんだぞという態度―実際十分すぎるほどわかっている―は不快で心地よい。輝夜との再会、紅白や白黒の面白い人間たちとの出会いを経て、私は再び深刻に退屈していた。人はあらゆることに慣れることができる。人間にとっては希望としての諦めという癒しの効能をもつらしいこの標語も、私にとっては単なる耐え難い日常法則でしかなかった。
「いっそのこと趣向を変えて二人で仲良くピクニックにでも出かけたらどうだ?」
 けーねには、私と輝夜は本当が仲がよくて「殺し愛」をやっているにすぎないなどと頑固に主張するところがある。冗談じゃない。そんなインドア派の妄想を私たちに押し付けないでよ。私たちがいかに本気で相手の命を絶ちにいっているか、いかに果し合いが身体的で生々しいものかを知らないからそんなことが言えるんだ。歴史家のくせに生っちょろいモラリスト兼教師であらせられるけーね先生は決して決闘を見物には来なかった。
 私はあいつの右目をちぎりとるのが好きだ。あいつの堅密な難題をかいくぐり、焼き尽くし、ふところに飛び込んで右の手刀を下腹部にいれてやり、肢体を掲げて左手で悠然と眼球をえぐる。視神経の切れる手応え、勢いよく顔にとびかかってくる返り血は最高だ。その瞬間に決まって聞こえる姫らしからぬ低いうめきもたまらない。もっとも私にはそんな瞬間が訪れなくなってすでに久しい。


「やっぱりアンタ弱くなったでしょ?」
 左手でしたたかに私の首をにぎりしめ持ち上げながら吐き捨てるように輝夜がいった。この必勝の体勢から両手で私の首をしめ上げしまいにはくびりとるというのがこいつの定番コースなのだ。
「アンタの泣き顔をみれるのはとってもよいんだけど、こうも簡単じゃあ有り難みがなくなってくるのよねえ」
 この憎まれ口をなんとか聞き取ったのを最後に私の意識は途絶えた。

 目が覚めると竹を背に座り込んでいた。輝夜は壊死しつつある私の首だったもので蹴鞠に興じている。
「あらお目覚め? ご気分いかが?」
「おかげさまで最悪よ」
 輝夜はやおら首=鞠を手にとって振りかぶり、私の顔面に向けて剛速球をたたきつけてきた。私はすんでのところで頭を旋回し回避に成功したが、元「首」は竹への衝突で大破し、腐ったうさぎのにおいがする前頭葉の破片がべったりと首に張り付いた。
「ホンっト、サイアクね。ここんところのアンタとヤっても何も面白くないわ。とっとと帰って慧音にでも泣きつきなさいよ。輝夜お姉様がいじめる~、ってさ」
 剣幕は激しくもないが、声のとげとげしさから本気で怒っているらしいことは知れた。
「いや、私は当分けーねとは会わないつもりだよ」
 とりたててうまい返しが見当たらなかったので、とりあえず本当のことを口に出してみたのが失敗だった。背を向けて立ち去りかけていたはずの輝夜が目を輝かせながら肩をゆさぶってくる。
「それってどういうこと? アンタたち、倦怠期? それとも突発的な痴話喧嘩からの別居? ひょっとしてアンタの元気がなかったのは奥さんとの不和が原因だったのね。さあ、詳細を教えなさい。それでここんところのアンタの体たらくも帳消しにしたげるから」
「馬鹿っ、そんなんじゃないわよ」
 輝夜の腕を振り払って立ち上がり、体にこびりついた異物の焼却処理をはじめる
「実は―」


「ねえ、けーね先生。先生の観察はあらかた正しいんだけどどうすれば救われるんでしょう? あの、ピクニック以外でね」
 どうせ見透かされている以上、恥も外聞もなく開き直って助けを乞うてみるのも面白いかもしれないと私は思った。
「いやいや、私は宗教家じゃないからな。お前みたいな根っからの俗物に信心を説いても馬に念仏だろう」
 けーねは困ったような嬉しいような顔で続けた。
「ただ歴史家として一つ提案させてもらうと、自分の来歴をめぐる冒険なんてものをしてみたらどうだ?」
「ライレキをめぐる冒険??」
 けーねはまるで家父長然とした教師のように―いや、本当に教師だったか―得意げに居丈高に解説を始める。
「人は、習慣こそを神様からの贈り物、本当のさいわいとみなせるようになれなきゃ健全な人生は送れん。もこう、お前『青い鳥』という昔話を知ってるか?」
「ええ、一応」
「では、その話の教訓は何だ?」
「本当の幸せは気づかないけどすぐそばにあるってこと?」
「違う!あの話が示しているのは、人間というものはまず冒険をしなければ、日常を幸せと思えるようにはならないということだ。」
「ああ、それで冒険、ね。まあ話としてわからなくもないわ。それでライレキというのは?」
「冒険には目的がなきゃいかん。そこでだ、お前は今過去への追憶にとらわれている。ならばそこに敢然と立ち向かうのが筋だろう。例えば、だ」
 けーねはもったいぶって言葉を切った。気がつくと外の天気雨は細雪と化していた。そういえば今日は立春だったな、すっかり忘れていた。
「お前の本質を規定した原初的体験は父親との関係にあるんじゃないか?」
「父親ぁ!?」
 予想外の話の展開に思わず私は軽く叫んでしまった。意に介さずけーねはどや顔で説明を続ける。
「そうとも。そもそもお前の彷徨の始まりは父の受けた辱めをすすぐことだったのだろう?」
「それは、そうね」
「ではお前は自分の父親が何者だったかということをよく語れるか?」
 考えたこともなかった。父についての記憶は確かに存在する。決して裕福ではなかった母と私のもとに足しげく通いつめた父、ことあるごとに四季折々の幸を持ってきてくれた。私には何枚か水干を下さったっけ。一言で性格を表せば優しいということになるだろうが、表立って私たちの前で優しさを見せることはあまりなかった。むしろ普段の印象としてはどこかよそよそしく、私たちを立ち入らせないある領域の中から威厳を持って語りかけてくる、冷たいとさえ言えるをのこと思えた。それでも父は私にとって漠然とした敬意の対象であり、英雄だった。父の足が母から遠のいた時さえ父を恨む気持ちは起こらなかった。「かの君、よろづの人倫にあはれとおぼされば(=あのお方は全ての人に対して優しいので、私一人だけのことをかまうわけにいかないのはいたしかたのないことなのです)」病床で目に涙をはらした母は自分に言い聞かせるようにこう私に語りかけて逝った。私は母の言葉を自分が信じたいという気持ちのままに信じていた。
 だからこそ輝夜姫の手によって父が世の嗤い者とされた時、私は怒りのままに出奔し凶行に手を染めるに至ったのだ。だが私は父についてそれ以上のこと―彼の仕事、彼の事績、彼の意図、彼の人生―は知らない。父の受けた辱めは私にとっては出発点にして前提であり、ただ父の悲憤の情さえ想像されればよく、そこにそれ以上の人間の顔の存在は不要、いや無用であった。
「特に語れることは見当たらわないわね」
「そうだろう」
 けーねは満足げにうなずく。
「実存的な悩みに苛まれているお前がする冒険、その出来合いの目的とするにはぴったりじゃないか」
 果たしてそうだろうか。妙に上から目線の言い草がむかつくのはもちろん、何かうまいことのせられている感もぬぐえない。
「ま、ものは試しだ、やってみろ。積み重ねてきた年月のわりにお前の世界は狭すぎる。とにかく冒険だ。そうすれば、」
「そうすれば?」
「無事に帰還した暁には向こう三年くらいは退屈せずに日々を過ごせるだろうさ」
 思わず吹き出してしまった。過酷な冒険の後に回心した主人公は全ての残りの人生を穏やかに暮らしてよしとするべきだろう。三年、何てつつましい数字なのだろうか。けーねのばか正直さを前にためらいもどこぞへ吹き飛んでしまった。
「おいおい、私は笑われるようなことを言った覚えはないぞ」
「いや、悪い悪い。わかった、確かにごもっとも。先生の言うとおり、ちょっと出かけてみることにしようかね」
「おお、私の説得に素直に応じるなんて珍しいな」
 むしろけーねがここまで積極的に何かを提案することのほうが珍しいぞ、と心の中だけで毒づく。
「ただ私の父親っていっても千年以上も前の人間よ。足跡をたどると言っても雲をつかむような話じゃない」
「その点は心配いらん。勉学の世界に身を置いたことのないお前は知らんだろうが、お前の父君は歴史上ちょっとした有名人なのだよ」
 そんなことも知らずに私は永い間生きてきたのかと少し愕然とする。内心の同様を振り払うかのように私はぴしゃりと言った。
「それは気になるわね。でもそれ以上のネタバレはごめんよ。けーねに全部説明されちゃあ冒険の理由もなくなっちゃうからね」
 すっくと立ち上がり戸口へと向かう。引き戸を開けて外を眺めると雪はやんでいた。
「土産をよろしくな」


「あははははははははは」
 事情説明を終えるや否や輝夜は腹を抱えて笑い始めた。
「おいやまろ、何がおかしいっ!」
「だってぇ、メンヘラもこたんは傷心のすえ生きる意味を見失っちゃって自分の探しの旅にでかけようってんでしょお? むふっ、まるで安っぽい感動小説の主人公じゃない。ぷぷぷ、健気ね~、若いわね~、もこたんかわいい~」
「ぐっ…」
 すぐにはうまい切り返しが思いつかない。というか、こうやって改めて類型化されてみるとあながち間違っているようにも思えず、ただ顔を赤らめて押し黙る他なかった。
「それにしてもあのさえない小肥り変態親父のことがいまだに気になるなんてねー。まあ確かにそこそこ偉そうな感じはしたかなー。当時はなんちゃら皇子とか呼ばれてた気がするけど興味ないから忘れちゃったわ。確か本名のほうは、」
 回想モードに入りかけた際の一瞬の隙に私は弾幕を輝夜に叩きつけて叫んだ。
「不比等、藤原不比等だ」
 父自体のことについて疎いとはいえ名前ぐらいはさすがに覚えている。そもそも姓を持たなかった私は出奔以来父の苗字を拝借して使わせていただいているのだ。
 輝夜は弾幕を回避するために自分から空中へ吹っ飛んでいた。
「そう、そんな名前だった」
 余裕の表情を浮かべながらくるりと一回転した輝夜は私の眼前に静かに降り立つとにんまり笑って言った。
「わーった、もこたん、私もついてったげる♪」
「はあぁ!?」
「だって期待したほど面白い話でもなかったし~。その分ちゃんと楽しませなさいよ。それに旅ってのはだいたい二人でするって昔から決まってんのよ」
 私はこいつが一旦わがままを言いだすと決して折れないのをよく知っていた。そうなのだ、けーねとは対照的にこいつはいつも人の心にづかづかと土足で入り込んでくる、そういう奴なのだ。これ以上の押し問答や殺しあいは全くの無駄だ。輝夜はたとえ死んだって文字通り復活して私につきまとうだろう。とはいえ形だけでも抵抗はせねばならない。
「余計なお世話よ。絶対についてこないで」
 きびすを返して私はそそくさと歩き始める。後ろからはもちろん上機嫌なやつの鼻歌がつかず離れずくっついてくる。神よ、なぜ私を見捨てられたのですか。どうせ救われないんだったら、神も仏もいようがいまいがどっちでもいいわね、などとただ私は頭の悪いことを考えて現実逃避を試みるしかなかった。
 そんなこんなで、私の来歴をめぐる冒険は始まったのだった。


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