Coolier - 新生・東方創想話

千万代に八千万代に(あるいは織姫と彦星のために)

2013/07/07 21:53:16
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 奈良の都で子供を産んでから後の千三百年の間、何度か妊娠をし、全て死産か流産になった。
 不老不死であっても、飢餓がもたらす精神的な動揺は如何(いかん)ともしがたかった。煩悩を絶って悟りを開くことは難しい。一番てっとり早く飢えから逃れる方法は、市へ行って身を売ることだ。ほとんどは何事もなく終わるが、何十年か一度、孕んでしまうことがある。
 まったく、処女懐胎なんて奇跡でもなんでもない。私にとっては必然である。しかしこの懐胎後の処理が長い間、恐ろしく面倒だった。もちろん、高額な医療代を払わないと切開して助けることなど出来ないので、冷水に浸かって流産させるとか、毒を飲んで胎児を殺すとか、そういった手段すら取れない場合は河原へ行って鎌とか鉈などの刃物で腹を割き、胎児を取り出して棄てるしかない。いつの時代も河原には棄てられたゴミに混じって死体が沢山転がっていたから、胎児を遺棄しても怪しまれることはなかった。ただ割腹だけは、いつも沢山のためらい傷を作らないと敢行できない恐ろしく難儀な作業なので、泣き叫びながら夏の一箇月あまりも河原でごろごろしている私を狂女だと思って見に来る野次馬が実に鬱陶しかった。この作業が簡単になったのは、発火能力という妖術を自分の意思で発動させることが出来、自分の子宮ごと焼き切ることを覚えてからである。私の膨らんだ腹が、羊水の水蒸気爆発によりボンッと大爆発して胎児の死骸ごと辺りに飛び散る様は、私自身も激痛で一瞬気絶するくらいのやけくそな行いだったが、その場に居合わせた者は人間・妖怪を問わず身の毛もよだつ恐ろしさだったらしく、私は妖怪と間違われて市を追い出されることもしばしばだった。この頃から私は妖怪退治にのめり込んで数百年を過ごした。
 そしてさらに後、迷い込んだ竹林で輝夜と再会し、そのまま殺し合いの日々に突入することになる。
 
 約千三百年ぶりに子供を産んだのは、幻想郷の住民として受け入れられ、閻魔の勧めで死産や流産に終わった子供たちの供養を命蓮寺で執り行ってから、しばらくしてのことだった。
 幻想郷の人間として本格的に生活し始めた私と輝夜、永琳の三人は、適当に結婚し、適当に子供を産み、適当な家庭生活を営んだのである。あの時は、子供を産んで育ててみようと思ったのである。それは永琳という医者の存在が大きかった。
 帝王切開は、痛みもなく終わった。私はあまりに楽ちんなので、逆に不安になって出産中何度も永琳に尋ねたものだ。痛みを感じないのだが、赤ん坊は生きているのか、もしかして既に赤ん坊の亡霊なんじゃないかと。永琳は「お腹を痛めた子というけど、そんなに痛みが欲しいのかしら」と苦笑していた。
 そうして痛みもなく生まれたばかりの子どもをふっと見た時、母性本能だとか親子の絆だとかは何も感じず、泣き声すら耳を素通りしたが、子供の肌理(きめ)の細かい美しい肌を見て、これが幽玄の美か、と思ったことを覚えている。
 こうして私は何人か子供を産んだ。特に、最後に産んだ末の息子が私の意識を大きく変えることになる。
 末の息子は、私の父親そっくりだった。
 生まれてすぐ顔を見た時から、他の子とは違う印象を持ったが、三歳になる頃にはその優秀さが誰の目にも明らかになった。極めて怜悧でしかも人望を集めるのが上手く、かの豊聡耳神子に弟子入りして帝王学を学ぶと、人里の人心をよく掌握した。
 私は鼻が高かった。輝夜や永琳の子どもらは、面白い性格だったが、人間としては優秀とは言えなかった。しかし、息子はさらに先へ行こうとしていた。息子が嫁を取り、これからの幻想郷のリーダーだと誰もが思っていた結婚式の前の夜、私は息子と一対一になってこう告げられた。
「お母さんと同じように、私も不老不死になりたいんだ」
「馬鹿だなあお前、私の腹を割いて肝を喰わないといけないんだから」
「知ってるよ。よく知っている。お母さんの肝臓を食べるよ」
 息子の顔が、父の顔と瓜二つに見えた。
「不老不死になってどうするの? 家族にも友人にも先立たれて孤独を味わうことに……」
 息子の目が極めて余裕のある落ち着いた表情になっていることに気付いた。
「必要であれば、家族に私の肝を食べさせます。必要であれば、優秀な人々にも私の肝を分け与えます」
「お前、外へ出る気か」
「いずれはそうなるでしょう。その時は、お母さんを真祖として奉ります」
「どこまでやるつもりなの」
「世界をとるまでは……」
 私は、自分でもびっくりするぐらい、冷静に息子の話を聞いていた。血は争えないものだ。自分にも政治家としての血が入っていて、息子の野望を一笑に付すことはできなかった。息子は私のその表情を、燈火を隔ててじっと見つめていた。
「幻想郷を捨てて、外へ?」
「あるいは、幻想郷を拡張させ、外の世界をすっぽり取り込むことだって不可能じゃない」
「まさか。そんなことをしたら、幻想郷は幻想郷でなくなってしまう。この桃源郷を壊す気なら……」
「ならば、ここはお母さんを新しく藤原の神として頂く藤原郷(とうげんきょう)にし、私は外へ出て行くよ」
 息子は、私を真祖にして不老不死の一族を作り上げるつもりだった。息子の類稀な政治的センスをもってすれば、不老不死の自分の肝を、意のままに動く人間たちに与えることで全世界の掌握も不可能ではなかっただろう。かつて蓬莱の玉の枝を権力掌握に用いた父と同じように、自分の肝を利用しようというのだ。
 しばらく考えさせてくれ、と言って私は話を打ち切った。その時、父が輝夜に求婚した本当の目的は、輝夜の肝にあったのではないか、と私は思って、暗い気持ちになった。最初は自分の娘として引き入れた嫦娥に断られ、輝夜に向かったのか、あるいはその嫦娥にそそのかされたのか、そんなところだったのではないか。
 息子の結婚式の宴の最中、思い切って輝夜と永琳に打ち明けた。驚くべきことに、輝夜と永琳は、妹紅自身が決めることだと言って、息子の計画を否定しなかった。月からも何も言われなかった。今思えば、もしかすると、絶滅出来ない天皇家を補佐するための不老不死の一族を望んでいたのは、月の都だったのかもしれない。
 息子夫婦に子供が生まれて、孫の顔を見ながら、あの話は断る、と私は息子に言った。息子は、諦めませんよ、と笑って言った。そのあまりにも確信に満ちた顔が逆に恐ろしく、私は夫と離婚して、竹林に戻った。
 それから七十年の間、私は自分の肝臓を狙う息子と争い続けた。
 齢九十を越えて竹林にやってくる息子に対して、幻想郷中の人間も妖怪も説得をしようとしたが無駄だった。閻魔が説教する回数を減らした時、息子は地獄へ落ちるだろうと思った。
 息子は極めて正気だったのだ。竹林を訪ねて来た、今にも息絶えそうな息子を見て、せめて狂ってくれれば、と思ったものだ。九十を越えても、不老不死になりさえすれば、やはり世界を掌握するぐらいのことはするだろう、と思わせるほどの人物だった。
「お母さん。今日もお元気そうで」
 そういって、十代のような姿の私を、じっと見つめる息子の顔は、希望に満ち溢れていた。
「お前はもう元気じゃない。家で寝ていろ」
 息子の子ども、つまり私の孫は、私に似ていて、人物としての器は小さかった。だから私の肝を狙うほどの野心を持つのが息子一代で済みそうなのが救いだった。上白沢慧音や博麗霊夢、永琳や紫ら、幻想郷のそうそうたるメンバーが私のために組み上げた、極めて堅牢な竹林の結界が破られ、私の身体から肝臓を抜かれたのは、二十回では済まない。肝臓そのものも厳重に妖術で防御していて、自動発火でなんとか食われずに済んだが、息子の策はいつも極めて巧妙だった。ただし、ほとんどすべての面で私を上回っていた息子だったが、妖術の才や弾幕の力だけは私に勝てなかった。
「お母さんは、本当に素晴らしい。また来ます」
 その日を最後に息子は竹林に来なくなった。私はこの末の息子を心の底から愛していた。殺すことなど考えたこともなく、むしろ息子を害しようとする妖怪から身を守ってやっていたのだ。それもその日で終わった。
 自分の子供たちは寿命を迎えて順に死んでいき、末の息子も危篤の報が入った。
 一族が集まる中、隣の部屋で自分の曾孫たちに混じって遊んでいるのがお似合いの私も、息子の枕元に呼び出された。あと何時間で死亡するか、永琳から予想を聞かされていた私は、引導を渡すつもりで息子と対面した。私は人払いをし、部屋には私と息子の二人だけになった。意外なことに、息子はこんなことを言った。
「ああ、お母さん。足腰が弱り、言葉を発するのも億劫な今、もう不老不死は望まないよ」
「そう。お前がいなくなってしまうと寂しい。もう少し頑張って百まで生きたら」
「力が衰えてしまえば、長生きしても面白くないんだ。だから……」
 息子の目が鋭くなり、表情が、かつて人々を説き伏せる時に見せた極めて積極的で明るい面に瞬時に切り替わった。秦こころもかくやと思わんばかりの瞬間芸だ。
「生まれ変わったら、もう一度お母さんを探し出して、必ず肝を頂くから、それまで待っていてね。きっと」
「わかった。待ってやる」
 その晩、息子は死んだ。私はその時、二度と子供は産むまいと誓った。次に産んだ時、それが息子の生まれ変わりになるだろうと思ったのだ。だが、逆のことも考えていた。もし自分が真祖になるのだとしたら、肝を最初に与えるのは、息子の生まれ変わりにしようと。
 そして八億年の間、息子の生まれ変わりだと思える人物はついに私の前に現れなかった。


……………………


 私は、途切れた記憶を繋ぎ合わせて長い時間かけながら、輝夜に語った。
「そんなところだ。実にくだらない昔語りだったなあ」
「そう。そんなことがあったの。きっと、貴方の父親は、青娥に頼んで、死ぬ前に転生の呪をかけていたのね。貴方の子どもに生まれ変わることが出来るように」
「そうかもしれない。父は恐ろしい人だったから」
「妹紅は、あの子に出会ってから、子供を産まなくなったのね」
「お前や永琳はその後も何度も子供を産んでいたな」
「そうよ。せっかく地上の穢れを受け入れて、人間として地上で生活をし始めたのに、今度は貴方が子供を産むことを止めて、竹林に引きこもってしまった。まるで永遠の魔法をかけて結界の中に閉じこもった、かつての私のようにね。私は、またも貴方に裏切られた気がしたわ。そして永久に分かり合えないのだと」
「勝手なこと言うな。お前って奴は、いつでも、常に、勝手なことを言って、私を困らせる。私の希望は何一つ叶えなかったくせに」
「そりゃあ、今夜、八億年が経った今夜、初めて妹紅が自分の気持ちを教えてくれたんですもの。私が、母親代わりに、なんて」
「いいよいいよ。いまさら。でもね、自分でいうのもなんだけど、私は身も心も、いつまでも十あまりの子どもなんだ。だから寂しく思うこともあるよ」
「老成しても、十あまりだから? 永久に甘えと反抗期を繰り返すの?」
「おい、やっぱりお前とは殺し合いをするのがお似合いのようだな!」
 その時、後ろから星弾が飛んで来た。酔って大っぴらに盗みを働こうとした魔法使い蛸少女をレイセンが止め、騒ぎになったようだ。レイセンがやってきた。
「もうお二人とも、いつまでも暢気に月を見てないで、あの客をなんとかしてください」
 私は思わずレイセンの頭を撫でた。今では永琳をも超えたのではないか、とすら思う軍事力を持つこの少女は、相変わらず頭を撫でられると顔がほころぶという弱点があった。レイセンは思わず私によりかかり、輝夜が負けじとレイセンの頭を撫でて、兎の頭は左右に揺れた。
「って、遊ばないでください」
「あはは。父の詩にあったな。靈仙(レイセン)、鶴(とぅる)に駕(の)って去り……」
「星客(セイカク)、査(いかだ)に乘りて返(かぺ)る、とね。鶴は絶滅しちゃったし、梶木に乗って帰る?」
 その時背後から、私はとぶ梶木じゃなくトリウオよ! と因幡うをの抗議の叫びが聞こえた。さきほどの私の歌はしっかり聞こえていたようだ。
「帰りません。今夜は永いんですからね。それよりあの星客をなんとかして……わかりましたよ。私がなんとかします」
 レイセンは、頼りにならない主を放って、座敷へ戻って行った。
 私と輝夜の間に、穏やかな夏の夜風が吹いた。
「ついに、あの二人の生まれ変わりがやってきたわね。本当に驚いた」
「そうだな。それもよりによって私とお前が一緒に過ごしているこの時期に」
「あの二人が生まれ変わって集まったのなら、貴方の息子だって……」
「そうかもな。ところで、さっきから気になることがあるんだが」
 私は、槭独活林の梢から永遠亭の屋根へとかかる満月を指さした。ここは南半球だから縁側は北向きになっているが、南半球の夏至から間もない頃のためか西に傾いた月はほとんど南西へと没しようとしているはずだった。
「私が長屋王の話をしていた時も、月はあそこら辺にあった気がするんだ」
 輝夜が、にこっと笑った。
「本当に妹紅は鈍いのね。今頃気付いたの?」
「なんだ、お前の仕業か」
「違うわ。まだわからないのかしら。今夜の時間の進みがいつもと違うことに。今宵の月が恐ろしく紅いということに。……そして、私が七夕に一つの願をかけていることに」
「願い? 私は生まれてから八億回ほど迎えた七夕で、真面目に願かけしたことなんてないな」
「妹紅も一回くらいは願い事をしたら? でなければ、私の願いを叶えなさい」
「なんだ、結局そういうことか。お前は本当に勝手な奴だな。言っただろう、私の願いは叶えてくれないくせにって。自分の我儘ばかり」
「まあまあ」
「で、願いって何よ」
 その時、背後の永遠亭から紙が引きちぎられる乱雑な音がした。思わず振り向くと、飛んで来た襖(ふすま)の破片が頭に当たった。
「あいにく、満月の夜は無敵なんでねぇ」
「初めて聞きましたわ。そんな事」
 いつの間にか、屋敷の中では、永琳と因幡うをに蛸少女二人と、侵入者の二人が盛大に戦っていた。レイセンは、星客、つまりあの黒い蛸少女が苦戦するのを眺めてクスクス笑いながらお酒を飲んでいる。
「おい、こいつらは私が倒して、お詫びの酒を振る舞われているところだ。帰った帰った」
「倒したのは私だけどね。どちらにせよ、吸血蛸はお呼びじゃない」
 そうは言っても、黒い蛸魔法使いと紅白の蛸巫女は酷く酔っぱらっていてうまく応戦出来ていない。
 どうやら家政婦のような服と思しき清潔な格好のメイド蛸少女と、被膜を羽ばたかせた飛行蛸の妖怪少女の二人組のようだ。
「異変を起こした犯人がこんなところに住んでいたなんて。嫌な臭いは元から断て、ってね。私は掃除が得意なのよ」
「悪いのはこいつよ。一発で判ったわ、この悪党面で」
 吸血蛸少女は蛸人に化けた永琳を指差した。
「酷い言われ様だわ」
 永琳が何か買い言葉を言おうとしたので、私がそこに飛びこんで、襖の破片が当たって痛む額を抑えながらこう言ってやった。
「ふん、ガキの癖に。貴方みたいな幼い子供が永遠の民である私たちに敵うはずが無いじゃない」
「こらこら、妹紅、私のセリフを取らないの」
 すると遅れてやって来た輝夜が、続けて言った。
「貴方の積み重ねてきた紅い歴史、私の歴史で割れば、ゼロよ。永久からみれば貴方は須臾」
「もう、姫まで……」
「ところで永琳」
「はい?」
「八億年前からずっと疑問だったの。このお子様たちの歴史がいくら短くても、割ったところでゼロにはならないんじゃない?」
「今さらそんなことを言われても……」
 その時、煌めきとともに大量のナイフが飛んで来た。メイド蛸少女はナイフ投げが得意なようだった。その向こうから吸血蛸の声が響き渡った。
「無視するなんていい度胸してるわね。なめられたお返しをするわ」
 被膜を羽ばたかせて天井近くに舞い上がった蛸少女が蛸語で魔法を詠唱すると、メイド蛸が投げたナイフの軌道が変わった。どうやら血が付着したナイフは自在に軌道を変えられるらしい。
 永琳がレーザーで天網を展開し、ナイフを落とした。輝夜はレイセンに室内の片づけを、因幡うをに庭へ吹き飛んだ襖と障子の片づけを頼むと、侵入者の方へ向き、芝居がかったセリフを吐いた。
「なんて事! そう、夜を止めていたのは……貴方達だったのね」
 メイド蛸少女が応じた。
「濡れ衣ですわ」
「いやいや」
 呆れた被膜蛸少女に向かってさらに輝夜が言った。
「満月を隠したのも……貴方達だったのね」
「それは濡れ衣」
「やっぱり濡れ衣ですわ。って戻っているじゃないですか、満月」
 すると、紅白蛸と黒蛸が口々に言った。
「だから、私がこの月の民を倒して解決したって言ったじゃん」
「お前らなにしに来たんだよ」
 だが、月の民、という言葉を聞いて被膜吸血蛸少女は、目をランッと輝かせた。
「月の民だって? 聞いた?」
「聞きました。でもお嬢様、まずは目の前の相手を……」
「目の前の相手を倒したら、今夜中に月へ行くわよ。そこの紅白と黒いのも、一緒にね!」
 無茶苦茶なことを言うと思ったが、そこで私はようやく思い出した。かつて幻想郷から月へ侵入し暴れたのは、吸血鬼と三馬鹿トリオだったことを。
 私はとっさにレイセンを見た。この不思議な「月の使者」は、室内に溢れる弾幕も人の形も空気のように無視して、もくもくと部屋の中を片付けていたが、私の視線を目ざとく感じ取ると、私の方へウィンクをひとつした。そして部屋から出て行く時に、私の耳元で、レイセンのささやき声がした。
「こういう展開も悪くないでしょ? 私も念願の地上住まいを八億年越しに叶えたのですから、賑やかな方が楽しいかなと。それに、もしこの四人が月に侵略しに来てくれたら、私一人でこてんぱんに倒してみせますよ」
 槭独活の林に張った結界を蛸少女たちにわざと破らせたのはレイセンのようだった。ひょっとすると永遠亭の住人で今夜の成り行きを知らされていなかったのは私だけだったのだろうか?
「うーん?」
 私は、今夜の出来事を腕組みして考えようとした。今夜中に月へ行くと言い出した吸血少女のわがままにメイド蛸少女が応対していたので、双方の攻撃の手が緩んだ。その時、まさにこのタイミングを待っていたかのように、輝夜が私の背後から言った。
「妹紅、永夜返しであいつらの術を破るから少し時間を稼いで。……それから、これからは、一緒に暮らしましょうね」
「ん? ああいいけど?」
 私はよくわからず返事をし、妖術をかけて幻想の鳥、鳳凰を背負うと、詠唱した。
「二人は、幻想となった霊峰、富士の煙も、何度でも甦る不死の鳥、伝説の火の鳥も知らないだろう? 今宵の弾は、お嬢ちゃんのトラウマになるよ」
 などと言っておいて、富士とも火の鳥とも関係のない、あの極悪弾幕を繰り出した。
「滅罪『正直者の死』」
 吸血蛸少女とメイド蛸少女は弾かれたように前に出てきた。やった、間違いなく当てたぞ、と思ったその時、相手が予想外の行動に出た。私の周りを回り始めたのだ。
「あら、この攻撃、なぜかパターンがわかりますわ」
「どこかで味わったことがあったっけ? なんだかあのレーザーに突っ込んでも被弾しなさそうな運命だけど、正直者は死なないってことを見せてやるわ」
 正直者の死のレーザーも大量の弾幕も全て躱されていく。その私の真下で、輝夜が私にだけ聞こえるように幺(かす)かな声で呟いた。
「二千六百二十四万年ごとの遊びは、もう止めにするわ。隣の銀河の合流は予想を超える速さなの。この星も、近くの星々と一緒に巻き込まれる。永琳は対策の術を開発する気だけど、流石の永琳でも難しいかもしれない。だから、次に別れたら、二度と会えないかもしれないわ」
「二度と会えなくなるかもしれないけど、いずれは……」
「妹紅は弥勒が下生すれば救済されると思っているかもしれない。でもそれは有り得ない。輪廻から外れた私達は、弥勒の力でも救済は不可能だわ」
「それは薄々わかっていた」
「ついでに永琳からも。ここは南半球だから本来七夕には絶対ならない気がするけど今夜を七月七日と決めて新しく暦を作ってあげるって」
「訊いたのかよ! ……なんにせよ、その話をするのは気が早いんじゃないか。まだ再会してから百二十万年ぐらいだろう。きっと輝夜も気が変わって、喧嘩別れしたくなる」
「必ず仲直りしてあげるわ」
「そう。話半分に聞いて……」
 その時、私は被弾し、正直者の死が見事に敗れ去った。その瞬間、何かを悟った気がした。
「……いや、そうだな。正直になろう。もう離ればなれになるのは止めだ」
 相手を打ち破ったと思い込んで、凱歌を上げようとしていた被膜蛸少女とメイド蛸の前に、今まで見たことのないほどにっこり笑った蓬莱山輝夜が、ぬっと現れ、部屋の中が光で満ち溢れた。まるで、空に浮かぶ満月はやっぱり偽物で、この輝夜こそが本物の満月であるかのようだった。
 ついに輝夜の永夜返しが始まる。

 私は、新しい夜明けを想いながら、正直者の生がこれから始まるのだ、と思った。




(終演)
 この作品は三年ほど前に構想したもので、最近の東方原作のネタを取り入れつつ、ようやく先々月の例大祭の新刊に載せるべく書き上げたものでした。
 ところが、例大祭では新刊を出せず宙に浮いてしまいお蔵入りか……と困っていたところ、創想話なる摩訶不思議なサイトがあると風の噂で知りました。
 そこで、七夕の夜にこちらで公開することにしました。というわけで(?)創想話初投稿です。

 わかる人はすぐおわかりの通り、ドゥーガル・ディクソンの『フューチャーイズワイルド』から大きくネタを取っています。
 ただし、元ネタのイカではなくタコになり、歩行の設定もだいぶ変えたのでもはや別物ですが……。
 紅白のキャラが放つ侘、寂、幽玄弾幕の解釈は、神主も大ファンの明石散人の著、『日本語千里眼』から。
 上代日本語はワ行やタ行の他ハ行をパ行に変えて復元していますが、甲乙の母音の違いは取り入れていません。あしからず。
(他に、実はアリス・マーガトロイドがこの作品を書いているというメタ設定があったりしますがお気になさらず)

 ところで、七夕も題材の一つですが、肝腎の今夜は外で雨が降っています。新暦で七夕は狂気の沙汰ですね。
 雨月ならぬ雨織姫と雨彦星を想像して風流に酒を飲め、ということなのかもしれませんね。では。

追記
 誤字脱字その他もろもろを改訂したついでに、後書きの後書きです。

 どうも、五蟻です。
 タイトルの「千万代に八千万代に」は「ちよろずよにやちよろずよに」と読みます。
 苔生す巌が砕けてさざれ石になるのはわかりますが、さざれ石だったものが集まって岩になり、苔が生えるのは時間の順序が逆です。あれはわざとで、呪術的な歌なのだ、と物の本で読んだことがあります。
 あの歌からはどことなく、二人の女神、根っこで岩を砕く樹木の木花咲耶姫と、岩盤の圧力で礫から巌を作り出す石長姫が、時間の向きを巡って争うイメージが浮かびます。
 八千代の時間でさざれ石だったものが苔生す巌になるなら、八千万代だとどのくらい巨大化するのでしょう。地球ぐらいにまで成長するのかもしれませんね。
五蟻
[email protected]
http://abysmalhypogeum.blog91.fc2.com/
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コメント



0.680簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
こういう、時間軸が感覚がマヒするくらい伸びに伸びてる作品、大好きです。
4.100名前が無い程度の能力削除
すごかったです。そそわの作品でこんなに衝撃を受けたのは初めてかも。
7.100名前が無い程度の能力削除
蓬莱人だからこその時間のスケール感、最高です。
8.100名前が無い程度の能力削除
正に神々の世界です
普段呑気にしていますが、彼女らは実はとんでもない存在なんですね

神や偉人やらが混ざり合い、余所の星に転生するほどSF的なのにこれ以上なく地と歴史に縛られているところが凄いです

途中ある毒に対しては賛否両論でしょうが、それでも素晴らしいと思います
このような話は始めて読みました
面白い話を本当にありがとうございました
10.100名前が無い程度の能力削除
先鋭的すぎて、どう受け止めたらいいのかわからなくなってしまいましたので
によによと薄ら笑いで読んでみました。
永琳などの月人は器が規格外に大きすぎて「どうにも書きようがないじゃん」と白旗挙げて
思考停止なのですが、こうなんじゃね? と実際に形にして出されてしまうと「成る程、納得した」
としか返せませんね。
なにを納得したのかも、よくわかりません。でも読んで面白かったことだけは確かです。
11.100名前が無い程度の能力削除
うーん、凄いねえ。後半からはニヤニヤしつつ一気に読んでしまった。
12.80名前が無い程度の能力削除
この作品の情報量、密度の前には、話を飲み込むにしても、あるいはついて行くにしても一筋縄ではいかない手強さを感じましたが、それだけの圧倒的(同時に原作をしっかりと踏まえた)スケールをもった作品でした。
14.100名前が無い程度の能力削除
あまりにも壮大、あまりにも悠久。蓬莱の民だからこそ過ごせる時間。実に素晴らしかったです。
16.100名前が無い程度の能力削除
東方の原作を理解した上で飛躍させるこの世界観には脱帽です
17.100名前が無い程度の能力削除
すごい作品だなーと思いました。
20.100名前が無い程度の能力削除
こういう世界観は大好物でした
紫の死する部分とか解釈が面白くて思わず納得してしまいあした
こういうスケールの作品は読んでいて楽しい
22.100名前が無い程度の能力削除
このスケール感、蓬莱人ならではの魅力を見事にまとめきったお手前、お見事です。自分もこんなスケールで物事を考えられるようになりたいと思える作品でした。
23.100名前が無い程度の能力削除
蓬莱人メインの壮大な話を読むと、自分の寿命がたった百年足らずだということが不思議に思えてきます。
身の丈に合わないの悟りの境地が開かれる感じ。

あと、なぜ夏コミ前にこの話を発見しなかったのか悔やまれる。
24.100名前が無い程度の能力削除
はー凄い情報量ですね。
これだけの情報をこのバイトに落としこんでいるのが、良くもあり勿体無くもあり。
読んだ後、思わず息をついてしまう壮大なお話、ご馳走様でした。
26.703削除
今更ですが×永琳は紫へ行った ○言った
遠い未来の話過去の話よくここまでこしらえたものです。
どちらも今まで見たこともないような斬新な設定で、楽しめました。
欲を言えば、未来と過去の話にもっとつながりがあれば良かったかなーと。
29.100名前が無い程度の能力削除
楽しかった。タコw