Coolier - 新生・東方創想話

千万代に八千万代に(あるいは織姫と彦星のために)

2013/07/07 21:53:16
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 庭へ出た。
 屋敷の中から、蛸少女たちの騒ぎが幺かに聞こえてくる。
 繊維質の苔から作り出した現代の紙にかつての日本語で書かれた、蛸少女には読めそうにもない書物を盗み出そうとする黒い服の蛸少女と、それをたしなめる紅白の蛸少女がどたばたしているようだ。その物音すら心地よく感じられるほど、今夜は清々しい大気に満ち溢れていた。
「汝(な)が真祖に成らざるは(ぱ)、大王(おぽきみ)の族(うがら)のごと、喰は(ぱ)るるを(うぉ)恐(おそ)るが由(ゆうぇ)にあらず。必ず異方(ことかた)に由(ゆうぇ)あり」
 輝夜が、私の横に並んで、優しい口調で、しかしきっぱりと言った。私が生まれ育った新益京(あらましのみやこ)の時代の言葉だ。その通り。私が真祖になって仲間を増やさなかったのは、テンノー一族のように餌にされるのが嫌だったからではない。理由は別のところにある。
「雲のぉ~衣ぉ~兩(ぷた)たび~~夕(ゆぷ)を(うぉ)ぉ~觀(み)ぃ~、月(とぅき)のぉ~鏡ぃ~一(ぴと)たびぃ~~ぃ~~~ぃ、秋にぃ~逢ぁふ(ぷ)~」
 私は、父の詩を吟じた。懐風藻という漢詩集に五つ収められた父の詩のうち、七夕を題材にしたものだ。父は、和歌(やまとうた)はからっきしだったが、漢詩(からうた)はなかなかだった。何億年経っても、幼少期に覚えた歌は自然に口から出てくる。
「面(おも)を(うぉ)前(まぺ)に、短(みでぃか)き樂しみを(うぉ)開(ぴら)き、別れて後(のてぃ)、長き愁ひ(ぴ)を(うぉ)悲しむ。……あな、あなに……愛(ぱ)しきやし」
 輝夜がさらりと詩の最後の聯(れん)を詠んだ。「愛しきやし」とは懐かしいという意味だ。
「なあ輝夜、私達が今も日常で交わすこの言葉が、初めて出会った頃の大和国(やまとのくに)の言葉ではなく、それから千三百年経ったあの幻想郷の言葉なのは、なぜだと思う?」
「今宵(こよぴ)逢ふ(ぷ)も七夕なれや? この星(ぽし)の年月(としとぅき)狂ひ(ぴ)知る人(ぴと)のなき」
 輝夜は私の質問を無視して、今夜は七夕なのか、と歌を詠んで茶化した。確かに、今は月と地球の引力の相互作用で一日の長さが長くなっていて一年は三百日程度、かつてヒトの社会で使われていた暦はまったく通用しない世界だ。私が生まれた頃の時間を基準にすれば、今の一日は約二十九時間、一箇月の長さは二十四日程度だから、太陰暦なら満月と七夕は一致しない。しかし、太陽暦なら一致するのかもしれない。私達の背後から、自分は考古学者だから発見物は持って帰る、と管を巻いて暴れようとする魔法使い蛸の大声が飛んで来た。しかも、酔った考古学者を取り押さえるふりをして、因幡うをがどさくさに紛れて魔法使い蛸の酒を盗ってしまったらしく、レイセンがそれを咎めようとうをの顔をつねり、いっそう騒がしいやり取りとなりそうだった。
 私は、万葉の歌の、天漢(あまのかわ)梶音聞(かじのおときこゆ)孫星与(ひこほしと)織女(たなばたつめと)今夕(こよい)相霜(あうらしも)、を思い出した。
「慾の皮(かぱ)音聞こゆ今夜(こよぴ)蛸星(たこぽし)とタナボタつ女(め)のとぶ梶木(かでぃき)逢ふ(ぷ)。きっと、今夜は七夕よ。久しぶりにあいつらに会えたのだから。……永琳に訊くと大真面目に答えそうだから、訊くなよ」
「そんな無粋なことは訊かないわ」
 私は天の川を挟んで向き合う二つの一等星を見上げた。偽の満月が明るすぎて見えなかった星々も、本物の小さい満月に戻ったことで煌めきの主張を取り戻していた。今、天上に見える織姫と彦星は、何代目かになる新しいカップルだ。
 私が生まれた頃に逢瀬を重ねていた、当時の織女と牽牛、つまり私にとっては初代になる織姫と彦星は、ついに永続的な同居は叶わなかった。二人は天の川の渡河しやすい場所を探そうと北上していたのだが、彦星が道を間違えたのか、それとも別の星に言い寄る気になったのか、川岸から東へ離れ始めたのである。私が生まれてから百七万年ぐらいした頃、彦星と織姫がぴったり東西に離れて並ぶようになったのが、カップルとして成立しているように見えた最後の時期だ。その後、初代彦星は輝きを失いながら北東の空へ消えて行った。織姫は二万五千年ごとに星々の王として北極星に君臨する仕事が回ってきて忙しく、彦星を見失ってしまったようだ。その後織姫は北極星の仕事を放り投げて、慌てて天の川を渡り始めたものの、そこで力尽きたのか、やはり輝きを失っていった。
 そして八億年が経ち、いまはかつてとはまったく違う星々が、恋をし、引き裂かれて、あらたな織姫と彦星となっていた。それだけではない。天の川の向こうに、もう一つの川の流れが見え、まるで天の川がクロスしているように見えるのだ。魔法使い蛸少女が「ミルキーウェイクロス」という名の弾幕を使ったのもこのためである。永琳の話では、近所の銀河が予想以上の速さでやって来ており、いずれ天の川と合流して凄まじい濁流と化すだろう、そしてこれからの彦星と織姫には溺れ死ぬ者も出て来るだろう、ということだった。
 そんな不穏な川の流れを見上げている私とは対照的に、輝夜は私を見つめ、さっきから何かを言い出そうとしては、ためらっているようだった。私が顔は星空へ向けながら輝夜の方を気にしていると、輝夜の決心がついたようだ。
「今夜はまだまだ長そうだから、長年の疑問を解消しましょうよ。いい、藤原妹紅(ぷでぃぱらのもこう)よ。私にとっては、飛ぶ鳥の明日香(あすか)の言葉も、幻想郷の言葉も、蛸の娘らの言葉も、みんな後で覚えたものだからね。でも貴方が言いたいことはわかるわ。貴方にとっても、私や永琳にとっても、この言葉は……ちょうど子育てをした時の言葉だったからね」
「その通りよ。だからこの言葉だけは捨てられないんだわ」
 そして、私は望月を見て、それから輝夜を見た。輝夜がこの数億年でこんな顔は見たことがないほど、真面目な顔をしていた。その顔に向けて私は、一言ずつ確かめるように言った。
「吾(あ)が真祖に成らざるは(ぱ)、吾(あ)が子に由(ゆうぇ)あり」
 輝夜が一つ頷いた。
「……って、輝夜、この話、前にもしたんじゃない?」
 私はすっとぼけると、輝夜が静かに首を振った。
「いいえ。この八億年で今夜が初めてよ。だから全部話して欲しいわ。私も、質問には全部答えてあげる」


…………………………


 私は、東に三輪山、西に葛城山を望む、新益京(あらましのみやこ)、後世藤原京と呼ばれる都で生まれ育った。母は、三輪川の傍に暮らしていた公民(おおみたから)、つまりは平民である農家の娘だった。父の回想によれば、一目で惚れてしまい、邸宅に呼び寄せたとのこと。私の兄姉の憶測では、昔話に出てくる引田部赤猪子(ひけたべのあかいこ)のことが父の念頭にあり、急いで召したのではないか、ということだった。赤猪子とは、雄略天皇が三輪川に行幸した時、その美しさを見初められ「後で宮中に召すから待っていろ」といわれ、八十歳になっても結婚せず雄略天皇に呼ばれるのを待ち続けた伝説の女性である。父は、貴族の娘たちと政略結婚し四人の息子と四人の息女をもうけていたが、壮年になって遊び心が出たのかもしれない。しかし、母はまだあどけない少女で貴族の世界など知らず、ずいぶんと苦労したようだ。そして、初産に耐えられず、私を産んで死んだ。母の死を父は非常に哀しみ、一時期、私は存在自体が忌むべきものにされたようだ。そのため私はしばらく父の邸宅から引き離されて育てられたらしい。ただ幼少期の記憶はほとんどない。姉では唯一、上から二番目の姉の長娥子(ながこ)が親しくしてくれた。
 私が父に再び可愛がられるようになったのは歯が生えそろった頃で、父は私に母の面影を見ているようだった。だが、私は父には甘えられなかった。あまりにも畏れ多い存在だったし、近づきすぎると兄姉の陰謀で殺されてしまうと乳母たちに警告されていた。今思えば、私が甘えたかったのは父ではなく、母の代わりをしてくれる存在だったのだろう。そして、輝夜が現れ、貴族たちがこぞって求婚した。その中には、もう枯れているような歳の父もいた。
 しかし、父は他の貴族たちとは違った。輝夜が出した五つの難題を、ただ一人、正解出来る立場にいた。父はすでに本物の「蓬莱の玉の枝」を持っていたのだ。父は美しい蓬莱の玉の枝を私に見せながら、このようなことを言った。お前には寂しい思いをさせて来た、しかし、これからは輝夜姫を、自分の姉、いや自分の母のように思って仲良くするがよい、輝夜姫は身分の低い娘だと思われているが、実は私たちが及ばない高貴な方なのだから、と。私はときめいた……。


…………………………


「あの男はそんなことを」
「そうよ。でも、私はそれを信じた。父の『蓬莱の玉の枝』は本物だったのだから。あの頃私は、輝夜姫がどんな人か毎日想像していた。きっと、地上の人間には絶対に手の届かない美しさと貴(たっと)さを持った、慈愛に満ちた優しい方なのだろう、謀略と戦争のことしか頭にない兄姉やその母達とは違う、本当の安らぎを求めることが出来る方に違いない、とね。希望に満ちた日々だったよ」
「……」
「お前は、難題に正解したら結婚すると約束したのに、その約束を破った」
「蓬莱の玉の枝が本物だったのは、大誤算だった。私はどうしても、結婚できない理由があったの。結婚するとしたら帝しかなかった」
「帝とも結婚しなかったじゃない」
「それには別の事情があったのよ」
「ともかく、お前は本物だった蓬莱の玉の枝を偽物扱いして父を侮辱し、私が抱いていた希望を粉々に打ち砕いた。お前を憎んだけど、あとの祭り。お前は月へ帰ったと聞かされた。そして、お前が遺したあのとんでもない薬、蓬莱の薬を舐めることになった。その出来事は、以前からお前にも話していたはずよ」
「そうね。でも妹紅は知っていることは話してくれたけど、その裏に疑問を隠しているわ。ずっと訊きたくても訊けなかったことを」
「……そう。私は、お前と永琳に長い間、この八億年の間、訊きたくても訊けなかったことがある」


…………………………


 私は、輝夜が残した大切な壺を岩笠という男が持っていると聞き、岩笠率いる兵士の群を尾行して、隙あらば奪おうと思った。なんと岩笠一行はこの国で最も高い霊峰に登り始めた。必死について行った私はとうとう八合目あたりで力尽き、情けないことに岩笠に助けられ、ともに富士山の山頂にたどり着いた。岩笠の目的は、輝夜が残した物を山頂の火口で焼く事だった。
 しかし、壺の中身を焼く目的は達することができなかった。火口に突然現れた神、木花咲耶姫から、その壺を火口で焼くと噴火が激しくなり自分の力で抑えられなくなるから止めろと言われたのだ。さらに、焼こうとしているのが飲めば不老不死になれる霊薬だとばらしてしまった。私はびっくりした。岩笠はもちろん木花咲耶姫に従うしかなかった。
 その晩、兵士たちがお互い殺し合い、一行は私と岩笠だけになってしまった。さらに、再び登場した木花咲耶姫から富士ではなく八ヶ岳に行って焼くがよいと言われ、私達は下山することになった。その帰り、私は岩笠を蹴り落として蓬莱の薬を奪うと、それを舐めて今に至る不老不死の存在になった。岩笠はまず間違いなく転落死したはずだ。
 のちのちになって振り返れば、あの富士登山はおかしなことだらけだった。途中で力尽きたとはいえ、十(とお)あまりの年齢の私が兵士の登山を尾行出来たのも異常なら、大人たちと許されて一緒に山頂まで登ったのも不思議だ。あの時私は自分を山賊だと言って誤魔化そうとしたが、嘘はばれていたに違いない。言葉遣いだけで、地元の娘ではなく西の都生まれだとわかってしまったはずだ。そして、岩笠と私以外の兵士がみな殺されていた時の状況。兵士たちの躰(からだ)は焼け爛れていた。あれは誰の仕業だったのか。
 そうした疑問は、不老不死になってからすぐに浮かんだ疑問だ。
 ……しかし、後の幻想郷の暮らしは、さらにさまざまな疑問を私の心の奥深くに積み上げた。
 山頂で出会った女神、木花咲耶姫の雰囲気が、どことなく誰かに似ていたことに気付いたのだ。そう、蓬莱山輝夜と似ていたことに。そして私は当時幻想郷に住んでいた上白沢慧音という人物に、さまざまなことを教えてもらい、一つの深い疑惑を持つに至った。


…………………………


「輝夜、お前はあの時、私が岩笠を蹴り落としたのを、見ていたのか? それに木花咲耶姫とは何者だったんだ? あれは、もしかするとお前と同一人物だったんじゃないのか?」
「どうしてそう思うの?」
「富士山におわす火山の神は、木花咲耶姫だ、といわれていた。でも良く調べると、木花咲耶姫よりも前に、富士山の神だとされ信仰されていた人物がいた。その名も、赫夜姫(かぐやひめ)という神だ。富士山の麓にも、赫夜姫という地名や、その神が住んでいたとされる竹林の伝説が残っていた。それに、おかしいと思ったんだ。お前はともかく、聡明な永琳が、蓬莱の薬なんて厄介なものを地上に放置して隠遁するはずがない。必ず回収しに出向くはずだ」
「なるほど」
「お前はさっき、質問には全部答えると言った。本当のことを教えて欲しい」
 輝夜は長い黒髪を掻きあげて、空中へ放った。髪が上方へ膨れ上がった。
「なにそれ」
「火山の噴火の髪をイメージしてみた」
「……」
「妹紅。蓬莱人を封印するにはどうすればいいと思う?」
「唐突だな。しかし不老不死である以上は、封印はいずれ解けるんじゃないのか」
「そうじゃないわ。不老不死になっても力のない者は、容易に封印することが出来る。例えば深い海溝に沈めてしまえば、蓬莱人といえども浮上させずに生死を彷徨わせ、やがてはマントルに引きずり込ませて地殻に封印することが出来る。火山の火口も同じ。蓬莱の薬を焼くだけじゃない。あの不尽の山は、万が一の場合の処刑場でもあった」
「万が一?」
「万が一、私が月を裏切ったら、富士の火口に連行して溶岩を通じてマントル深く沈めろ、と八意××((発音できない))は命令されていたのよ。しかし、万が一ではなく億が一、が起こってしまった。まさか月の都も八意××まで裏切るとは思っていなかったようね」
「なるほど、確かにあの火口に沈められたら、二度と地上に出て来られなさそうだな」
「沈めると鎮めるは本来同義だからね。ついでに行っておくと、万が一妹紅が海溝や地殻、南極の氷河の下に閉じ込められた時は助け出せるよう、貴方の座標を報せる魔法を永琳は施してあるわ。何百年か座標がほとんど動かなくなった時は助けに行けるように」
「いつの間に! まあ助かるけどさ」
「でもこの術は私達も動けなくなった時は意味がないからね。例えば地球が粉々になってお互い宇宙を漂っている時とか」
「まあその時は仕方ないな。それより、お前が月を裏切ったら、と言ったけど、それがどうして私の富士登山と関係があるんだ?」
「私が月を裏切ったのは、月へ帰らなかったからではない。月の思わく通り帝と結婚しなかったからなのよ」
「なんだって? 帝と結婚するよう命令されていたの?」
「命令ではないの。私はね、妹紅、もともと帝との間に子供を作るためだけに、創り出された存在だったのよ。それも不老不死の女性として歴代の天皇との間に子供を作り、未来永劫にわたって、万世一系の天皇家を支える存在になる予定だったの。私が永琳をそそのかして蓬莱の薬を飲んだのも、そのような性格に育ち、そのような行動をとるようあらかじめプログラムされていたからなの。この計画が上手くいっていれば、私はあのテンノーの群の中で、今でも子供をひたすら産み続けていたでしょうね」
「なぜ、そんなことを……」
「私の前に天皇家との間に子供を産む予定で創られた姉妹がいた。姉を石長姫、妹を木花咲耶姫といった」
「木花咲耶姫だって? そうか、それで……」
「石長姫はそれほど子孫は多くはないが長寿の一族を、木花咲耶姫は子孫繁栄の代わりに短命の一族をもたらす力があり、その長所を補いあって、長寿で子孫繁栄する一族が完成するはずだったの。でも、石長姫と天孫の結婚が失敗し、石長姫は逃走し行方をくらませた。まあ、貴方も知っての通り、幻想郷の妖怪の山に隠れ住んでいたのだけど。そして木花咲耶姫との間に子孫をもうけた天孫の一族には極端な短命化、エフェメラリティが発生し、月の都は慌てた。そこで、永遠の生命をもたらす石長姫と生命の瞬間の美しさもたらす木花咲耶姫の両方の能力、永遠と須臾を操る程度の能力を持つ私が生み出され、帝の妻になるべく地上に落とされた」
「そうか。だから木花咲耶姫とお前は似ていたんだな。でも、なぜ帝と結婚しなかったの?」
「もしかしたら、貴方の父の、本物の蓬莱の玉の枝を見て、目が覚めたのかもしれない。あるいは、単に後ろめたかったのかも。約束を破ったのは私だから」
「そう。それで、永琳と一緒に月を裏切り、仲間を皆殺しにして逃げた。いや、逃げつつ、蓬莱の薬を回収するべく、富士へ向かった」
「その通りよ。私達は先回りして富士山麓に住み、目撃されて伝説になった。貴方たちがいつ来るか情報は集めないといけなかったからね。そして、木花咲耶姫を呼び出して、蓬莱の薬を持った一団が来たら追い返すように頼んだ」
「じゃあ、あれは本物の木花咲耶姫だったのか。兵士たちを焼き殺したのも……」
「違うわ」
「え? じゃあ、あれは誰の仕業なんだろう」
「それは妹紅が都に帰った後の話までしてくれれば、自ずと明らかになるから後回し。あの時、蓬莱の薬を狙っていたのは、兵士たちや私と永琳の他にも居たのよ」
「あの時の富士の山頂に、まだ別の誰かがいたのか? 本当かなあ。とにかく、お前はそれを見ていたんだな」
「ええ。私と永琳は見ていたわ。そして、貴方に魔が差して岩笠という人物を蹴り落とすところも、薬を何度も舐めて不老不死になっていくところも」
「やっぱり見られていたのか」
「その時、私は、貴方に対し不思議と親近感が湧いたわ。裏切り、仲間を殺し、未来永劫罪を背負う、同じ境遇にある者として」
 輝夜は哀しい微笑みをしてそんなことを言った。意外だった。私は永夜異変が起きるまで、輝夜からずっと見下されているとばかり思っていた。
「でも、私はのちに、私と貴方は分かり合えない存在なのだと思い直すことになった。それは、貴方が子供を産んだことを知ったからよ」
「どうして? わからないな」
「話してくれれば、わかるわ」


…………………………


 子供を産んだのは奈良と幻想郷と二度あったが、ちゃんと育てたのは後者の方だけだ。
 不老不死の身になって都に帰った時、私が目撃したのは相も変らぬ宮廷内の権力闘争だった。新しく造営されるという奈良の都を掌握するための、私の四人の兄と四人の姉の闘争は激しすぎて、かえって私は疎外されてことなきを得た。もし暗殺などされかかって不老不死であることがばれたら、酷い目に遭わされただろう。庶子の子であり、また父が高齢の時に生まれた私は、富士の山に登った物の怪に憑かれた娘と思われたためか、かえって目立たずに済んだのだ。
 その頃、世は文武帝の時代であり、本来ならば帝の夫人となっていた一番上の姉、宮子(みやこ)が権力を掌握していておかしくなかったはずだが、宮子は世継ぎの首皇子(おびとのみこ)を産んでからは精神を病んでしまい表に姿を見せなかった。一度、宮中で姉の宮子を見かけたことがあるが、生気がなくまるで死人だった。
 目立っていたのは、長屋王(ながやおう)に嫁いだ次女の長娥子と、それに対する三女の光明子(こうみょうし)の激しい嫉妬で、後の長屋王の自殺から疫病による兄達の死に至るまでの八人の兄姉の確執が、この頃すでに生まれていた。
 やがて青丹よし奈良の都へ移住したが、しばらくは蟄居の身だった。十年が経ち、父が余命いくばくもない時になって、ついに大伴家の男のところへ嫁がされた。夫は良識があり、いつまでも幼い風貌に見える私を不思議だと思いながらもそれなりに遇してくれた。しかし……父の権勢が絶対だったからか、その分、私は男児を産まねばならないという強迫観念に苛まされていた。
 そんなある年、確か神亀六年の初春の頃、父の死後を継いだ権力者である長屋王の邸宅が、私の兄たちの軍勢に攻め滅ぼされる事件が起こった。長屋王が左道、つまり邪教を学んでいて、国家を傾けようとしている、との誣告(ぶこく)があったのだ。結果、平城宮のすぐ南東に隣接した邸宅が襲撃されるという、都のど真ん中での大騒ぎになったのである。私は夫が止めるのも聞かずに、東西に走る二条大路に向かい、大勢の野次馬とともに長屋王の屋敷を見物した。戦らしい争い事はすでに終わっていて、多くの死者が運び出されてきたところだった。その中に長屋王の妻で、姉の藤原長娥子の亡骸を発見した。兄の部下の兵士に訊いたところ、一族みな毒を呷ったのだという。ところが、私が思わず姉の死体に近づくと、長娥子はむくりと起き上がった。私はびっくりして尻もちをついたが、周りの人間は誰も気付かない。以前、富士の山頂で木花咲耶姫と遭った時と同じ、怪しげな力を長娥子から感じた。
「汝(な)、吾(あ)と同(おや)じ身(むくろ)になりき。汝も何(いどぅ)れ世界の実相を(うぉ)知るべし」
 驚くべきことに、長娥子は、私と同じ蓬莱人だった。
「姉(このかみ)、かの薬飲(す)きぬか」
「飲(す)きにき。吾(あ)は(ぱ)汝(な)と同胞(ぱらから)にあらず。かのカグヤと同(おや)じ、月(とぅき)の民、嫦娥(こうが)なり」
 あの薬を飲んだのか、という私の問いに、既に飲んでいた、と答えた長娥子は、私の実の姉ですらなかった。月の民だったのだ。その時、私は父が本物の蓬莱の玉の枝を誰から入手したのかを知った。また、誣告にあった、長屋王が左道を学んでいるというのが、嘘ではなかったことも知ったのだった。道理で、兄姉の中で、一人だけ生まれた年がはっきりしていないはずだ、とその時思ったことを覚えている。
 嫦娥のそばにお付きの者らしい青い服を着た女が、これはもう役立たずになりましたから、身代わりにしましょう、新しい容れ物を探さないと、というような意味のわからないことを言って、なぜか私の方をきつく睨みながら、女性の人形のような物を横たえた。それは少女の死体のようだったが、青い服の女が何か術をかけると嫦娥そっくりに、いや藤原長娥子そっくりになった。それを見て嫦娥は私に向かい、異様な親しみを込めて言った。
「妹(おとうと)、汝(な)は(ぱ)速(と)く都を(うぉ)去れ」
 そして、嫦娥は青い服の女とともに去った。その後、長娥子の死体だと思われたものは別人のものだとわかったという知らせだけは風の便りに聞いた。後世、長屋王の変と呼ばれる事件で生き残ったのはこの長娥子ぐらいだという。しかし、その後の消息は聞かない。
 長娥子から都を去れ、と警告されても、私は男児を産むまでは逃げることが出来なかった。貴族の家に生まれた娘に染み着いた固定観念である。
 そして二年後、私は一人の男子を産んだ。傍目には十五にも満たぬ体つきだったから、普通なら切開して子供だけ助かり自分は死ぬような、つまり私の母と同じ妊娠のありようだったが、そこは不老不死の身、母子ともに生き残った。ついでに藤原の名門にかけて呼び寄せた医者の面目も立ち、祈願に明け暮れた僧侶たちも沢山の金子を受け取って帰って行った。出産から一年が経ち、夫に暇乞いをした。これ以上家には居られない、私は死んだことにして、後妻をもらってくれ、と。乳母を雇うのは当然の家だったし、私は成長した子供と比較されて不老不死がばれることを恐れた。夫は、理由を話してくれ、と引き留めて離さなかったので、私は輝夜とのこと、蓬莱の薬を飲んだことを正直に話した。あの夫は学才豊かな人物だったから、後に竹取物語として有名になる話は、きっと彼が私に関する部分だけ省いて書いたのだろう。ちなみに、その時産んだ息子はというと、父親には似ず武芸に秀でたそうで、日本(やまと)初の征夷大将軍になったという。きっと私に似たに違いない。
 私が都を去ってから数年後、日本は疫病に襲われ、私の四人の兄を含む膨大な人間が病死することになり、世の中は地獄と化した。


…………………………


「あの疫病は、ウィルスという奴だったんだってね。上から三番目の姉の光明子も毒が抜けちゃったのか、父の屋敷を寺院に改造し、自分そっくりの仏像まで造って仏に祈ったようだけど、まるで効果がなかった。その法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)に、雨宿りしに立ち寄ったことがある。三門に降りしきる雨を見上げながら、奈良の都ももう終わりだ、と思ったものだ。でも私の子どもは元気に育ってくれたんだから皮肉なものだ。これが、最初の子を産んだ時の話よ」
「妹紅、貴方は、女が子供を産むことは、義務だと思う? それとも仕事? あるいは、趣味だと思う?」
「それは難しい質問ね。少なくとも、最初の子どもを産んだ時は、義務……いや女の使命だと思っていた。命と引き換えにしても跡継ぎを産まねばならない、それは貴族の娘にとって、言葉にする必要もない人生の目的そのものだった」
「私は、不老不死になった貴方が、地上の貴族たちの愚かな束縛から逃れて、子供なんて産まないだろうと思っていたの。私と同じように、貴方も女のありようから自由になったのだと。だから、がっかりしたわ。そして貴方を誘うこともなく、永琳と隠れた」
「勝手だな。だいたい、お前だって幻想郷で……」
「その話は後回し」
「なによ。後回しって、じゃあさっきの富士山頂のことを教えろよ」
「そうね。貴方は、嫦娥と一緒にいた青い服を着た女を不審だと思わなかった?」
「うーん、不審といえば、何もかも不審だからなあ。実の姉だと信じて疑わなかった人が、実はお前と同じ月の民で蓬莱人だったなんてさ。そっちの衝撃の方が大きかった」
「確かにね。嫦娥は私と同じように永琳の薬を飲んで不老不死になり、公式には月の都に幽閉されているはずだったけど、こっそり月から降りては様々な工作をしていたらしいわね。ま、その後私も貴方も何度も会ったからよく知っているでしょうけど」
 八億年も生きていると、地球や月近辺の不老不死の者には何度も会うことになる。仙人になった徐福や月の嫦娥は今ではお馴染みだ。嫦娥、いや長娥子と会ってすることは、もちろん殺し合いという名の姉妹喧嘩だ。
「むしろ、問題は青い服を着た女の方なのよ。妹紅は幻想郷に豊聡耳神子の一派がやってきたことを覚えている? そこにあの青娥娘々と宮古芳香もいた」
「あ……まさか」
「そうよ。嫦娥と行動をともにしていた青い服の女、あれが青娥娘々、邪仙の霍青娥よ」
「言われてみれば……」
「あれが、嫦娥が月から持ちだした本物の『蓬莱の玉の枝』を使い、あの事件を攪乱した張本人。そして、貴方の妖術的体質をもたらした……」
「なんだって!」
「おかしいと思わなかった? 幼い貴方が、なぜ富士の八合目まで兵士たちの後を追えたと思う? どうして、妖怪退治が出来、私と戦えるほどの強力無比な妖力を身に着けたのかしら? それは全て、霍青娥が母親のお腹の中にいた胎児の貴方に仕込んだことだわ。おそらく、藤原氏の権力闘争の邪魔者になりそうな貴方を母ごと始末し、ついでに養小鬼(ヤンシャオグイ)にでもするつもりだったのでしょう。しかし貴方の母は、自分を犠牲にして貴方を産んだ」
「あいつ、そんなことをした素振りもまったく見せなかった。くそっ、今から地獄に殴り込もうか」
「あれは、数多くの人間を犠牲にしてきたから、幻想郷で会った時は貴方のことなんて忘れていたと思うわ。それにもう地獄から転生して別の星に飛んでいるんじゃないかしら」
「それで、私はこの力を発現したのか」
「それだけじゃない。霍青娥は、生き延びた貴方を利用することを考えた。貴方に暗示をかけて、富士の山へ行って蓬莱の薬を奪うように、とね。でも誤算だったのは、木花咲耶姫が出てきてしまったこと。神と戦うことになったら分が悪いと思ったのでしょう。青娥は、部下を火口に派遣して、強引に薬を奪おうとした。宮古というキョンシーをね」
「宮古って、あの宮古芳香? あいつともそんな因縁が……」
「いや、幻想郷で会った宮古は二代目よ。富士の火口に襲来した宮古は、かつて物部布都(もののべのふと)と物部贄古(もののべのにえこ)との間に生まれ、屍解仙の実験台にされて失敗しキョンシーへ転用された、物部宮古郎女(もののべのみやこのいらつめ)よ。まあ、富士山の山頂を飛び回る癖は、二代目となった都良香、つまり宮古芳香にも引き継がれたようだけど」
「布都って、あいつか。あの悪名高き物部守屋の妹の」
 藤原の家に生まれた者は、祖父が成功させた大化の改新の話をよく聞かされるのだが、大化の改新の前史である物部と蘇我の闘争の話も、前提の知識として要求される。その遠い昔話の中でひときわ印象に残るのは、聖徳太子でも蘇我馬子や物部守屋でもなく、物部と蘇我の争いを引き起こした黒幕、公式の歴史書から名前が抹殺されるほどの悪女である、かの物部布都であった。のちに幻想郷にも現れ、数々のはた迷惑な騒動を巻き起こすことになる。一度、私と壮絶な放火合戦をして幻想郷中から怒られたこともある。
「布都は自分の子供を次々と邪な仙術の実験台にしてね。その一人が、初代宮古だった。ミヤコという名前でもう気付いていると思うけど」
「ミヤコ? え? まさか、姉の宮子?」
「ようやく気付いたわね。永琳の話だけど、もともと宮子も貴方の実の姉ではない。もとは青娥が連れて来てあなたの父の養女にしたのよ。そして宮子は世継ぎの首皇子、つまり聖武天皇を産んで意識不明の重態になり、回復するまで三十六年もかかった。あるいはそれも嫦娥と青娥の計画だったのかもしれない。藤原宮子の影武者として青娥はキョンシーの初代宮古を送り込み宮廷を操作した」
「じゃあ、三番目の光明子も?」
「あの人は正真正銘、あなたの実の姉よ。性格でわかると思うけど」
「安心していいのか知らないけど安心した」
「さて、青娥が腹心の部下である宮古を飛ばして富士の火口で薬を奪おうとした時 、思いもかけないことが起こった。貴方の身体にかけられた術が自動的に発動したのよ。見ていた私も、一瞬、山が噴火したのかと思ったほど凄まじい火炎だった。貴方の身体から噴き出した炎は、辺り一面を焼き尽くし、水で木花咲耶姫が鎮火した時には、宮古も兵士たちもみな焼き滅ぼされた後で、木花咲耶姫の加護を受けていた岩笠だけがかろうじて助かった。岩笠は貴方の父の命令を受けて、貴方を守るように言われていたから、貴方の不思議な力を見て逆に頼もしく思ったのじゃないかしら」
「……」
「その後、青娥は使い物にならなくなった宮古を、嫦娥の亡骸を偽装するために用いた。貴方を睨んだのはその恨みがあったからでしょうね。ただ、貴方が宮古を滅ぼしたおかげで、本物の藤原宮子は宮廷に復帰することが出来て、帝になっていた息子の首(おびと)にも再会出来たわけだけどね。永琳の話では、長屋王が滅ぼされたのも、長娥子が偽の宮子を利用できなくなったことが原因らしいし」
 事件の経過は、言われてみれば納得できるが、八億年後に知らされた真相はあまりにも衝撃的で、私は何も言えなかった。私の身体の中から、岩笠を蹴り落とした時の感触が蘇ってきた。岩笠を殺した罪悪感というのは八億年の歳月をもってしてもなお、波のように私を襲うのだ。
 長い沈黙の後、輝夜が口を開いた。
「あの時のことはわかったと思う。でも、その後、私も貴方も変わった。再び会って、幻想郷に受け入れられ、この、今話しているこの言葉を使って子供を育て、そして再び、私達は分かり合えなくなった」
「それは、誤解だ」
 私はまた話始めた。


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