Coolier - 新生・東方創想話

千万代に八千万代に(あるいは織姫と彦星のために)

2013/07/07 21:53:16
最終更新
サイズ
90.35KB
ページ数
4
閲覧数
6299
評価数
16/32
POINT
2230
Rate
13.67

分類タグ

♪灰出づる姫 ~ Generalized YuuGen in Æ

真に古いが真の死を迎えていない者、――真祖、奴は長生者(エルダー)なのか!

八房龍之助「宵闇眩燈草紙」より







 峻嶮なガレ場を長時間かけて登り、峠の巨石の前に座って一休みしていると、遠くの地平線が、光った。
 光は線条となって天高く舞い上がり、速度を落として天頂近くで一つの点になると、ふいに大きく輝いた。
 そして、痛みを感じる暇もなく、自分の首から上が吹き飛んだことだけがわかった。


…………………………


 意識を取り戻すと同時に何事が起こったのかを覚った。先ほどまでいた峠の光景は掻き消えており、私はクレーターの底に横たわっているのだった。遥か上空に、空飛ぶ生物が描く輪舞を見た。
「……あ、あー!」
 充実した肉体をどうにか取り戻したと感じながらぐったりしてうめくと、応じる音が二つ聞こえた。
懐かしい感覚でしょう。そろそろ寂しく思う頃合いのはず
無駄ですよ。あれの言語野はすぐに機能しないでしょう
 土埃の匂いが強烈な中、私はよろよろ立ちあがって、二人を、自分と同じ人の形を見た。二人の口から出てくる音がなんなのか理解できなかったし、相手の顔も思い出せなかったが、どういう存在なのかすぐに理解した。白く長い髪を生やした一人が私に近づいてきた。もう一人、黒い髪の人の形は遠くからにやにやしながら私を見つめている。
ごめんなさい。今回も止めようとしたのですが、どうしてもと
 何事か口から音を立てながら、その者は手に握っていた何かを私の口に押し込もうとした。反射的に噛みつき、相手の指を食いちぎった。しかし相手は安堵したかのように手を離した。食いちぎったはずの指は瞬く間に再生し、驚いて喉奥に押し込まれた何かを思わず嚥下してしまった。実際それは素晴らしく美味しい食感だったのだ。すると……記憶と言語能力が瞬時に甦った。白い髪の人物が優しく微笑み、黒い髪の人物が意地悪く笑った。
「おい、輝夜」
 私は、取り戻したあの時代の言語を吐きながら、黒い髪の方へ向いた。
「前に再会した時も、その挨拶は止めろ、と言ったはずよ。確かに言ったわ。何年前だったか知らないけど」
 黒い髪の少女、蓬莱山輝夜が、汚らしい獣を見るような眼で睨んだ。
「だって、貴方の肉体を吹き飛ばして霊力を殺(そ)いでおかないと、永琳の薬を飲ませられないじゃない。本当は体ごと全部消してから再生させて、獣臭さをなくしたかったのに、それじゃあ再生に時間がかかるからと言われて、頭だけにしてやったのよ」
「だからって、この山脈まで吹き飛ばすことはないじゃないか。それになんだその表情は。そんな眼で私を見るな。獣じゃないんだから……」
 そういって、私は自分のなりを見て、まごうことなく汚らしい獣の姿であることを認識した。輝夜は満足そうに微笑むと、私の要求を無視して言う。
「ところで、お約束の質問の時間。この前喧嘩別れしてから、何年経ったの? 永琳」
 白い髪の少女、八意永琳が、見覚えのある服を、遠い昔に私が着ていたのと同じデザインの服を私にかけた。思わず永琳を抱きしめようとしたが、多分私の体が物凄く臭かったのだろう。両肩を抑えられ、やんわりと拒否されてしまった。その押しとどめる恰好で苦笑いをしながら、永琳が輝夜の質問に答えた。
「そうね。私たちが別れてから今再会してこの質問に答えるまで、およそ二千六百二十四万三千八十二年と百五十日と十一時間二十三分が経っているわ。ただし時間は今の一日を二十四分割した長さで……」
「ついでに、お前の矢の挨拶で吹き飛ばされたのは、何回目なのよ!」
「十六回目。その質問をされるのは十四回目」
 私は、樹皮で作ったボロボロの服を……いや、矢の攻撃でさらにボロボロになった残骸を掻きむしるようにして脱ぎ、永琳が差しだした濡れた海綿で体を拭きながら、涙をぼろぼろ流しつつ輝夜に言った。
「いいか……無駄かもしれないが、言っておく。次に喧嘩別れして……そして……また会った時は、記憶と言葉を回復させる薬を混ぜた美味しいご馳走を、それも飛びっきり美味しいご馳走を、私の通り道へ用意しておけ。二度と矢で攻撃するんじゃないぞ」
 悔しそうな顔を作って泣き声を出し、真っ黒になった海綿を後ろへ放り捨てながら、私はこの二人との再会を心の底から喜んでいた。
 そして、過去に十五回味わった再会の喜び、つまり、約二千六百二十四万年の孤独から解放される嬉しさと、クレーターの向こうに用意されている飛びっきり美味しいご馳走の味わいを、私、藤原妹紅は思い出していた。


…………………………


 三年が過ぎた。私は、感激と感傷の涙に暮れながら、存分に二人に依存した。
 私は今、だいたい八億歳ぐらいらしい。再会したその日に、永琳は正確な年齢を日時まで教えようとしたが、私は細かい桁を知ってもしょうがないと遮った。ついでに永琳から「私は八永琳だけど、貴方は八妹紅を名乗ったらいいわ」とつまらない冗談を言われた。きっと彼女のとっておきの――何千万年も前から用意していた――ジョークだったのだろう。私はと言えば、意と億の漢字を思い出すのに、たっぷり一週間はかかった。
 大まかに説明すると、一千万~三千万年ぐらい一緒に暮らしたり少し離れて暮らしたりした後、周囲を徹底的に破壊し尽くすまで止まない壮絶な喧嘩をして、もう金輪際一緒にならない、と言って別れ、二千六百二十四万年ぐらいしてこの星のどこかでひょっこり出会って、また一緒に暮らし始めるという、こんなサイクルを十六回も繰り返して、八億年ぐらい経ってしまったというわけである。
 私は北半球に四つある大陸のうち温帯に位置する大陸のやや乾燥した半島にいたが、輝夜と永琳の棲家があるという南半球の温暖な島へ移住した。
 辿り着くとびっくりした。そこは竹林だった。ただし、真っ赤な竹林だった。
「なんだこれは。目が痛いな」
「凄いでしょう。でもタケの仲間じゃないわ。ウドの仲間が収斂進化したものよ。私達はカエデウドと名付けたの」
「ウドって、あの独活(うど)? 絶滅してなかったの」
「三億二千万年前に超大陸が分裂した後、亜寒帯の火山列島に残った仲間が生き残っていたらしいの。それが千二百万年前に南の大陸と繋がって、で、そこから爆発的に拡散して色々な種に進化したようね」
 真っ赤な竹林、もとい、槭独活(かえでうど)林の中に、相も変わらずの瓦葺の屋敷が見えてきた。何度建て替えても、どこへ引っ越しても、永琳はこのデザインを変えようとしない。だが私の興味は、永琳の薬草園にあった。毎度、美味しい作物を沢山見せて私を驚かしてくれるのだ。
「貴方の興味はわかっているけど、今回は趣向を変えて、まずは食事をしましょう」
 屋敷には、いつも何らかの召使の動物がいるが、玄関で帰還者を出迎えた生物を見て、びっくりした。
「お帰りー」「お帰りー」
 空中に浮かぶ者たちが口々に言った。
「はい。こちらは藤原妹紅といって、八億年のつきあいになる友人よ。しばらく、一緒に暮らすからよろしく」
 出迎えたのは、トビウオが進化したトリウオだった。
「うわっ、知能が高そうだな。ついにトリウオがここまで進化したか!」
 私は感慨深くなった。空を長時間飛ぶトビウオが、突然七億年ほど前に出現したのだ。しかし地上へ進出したのは、五億五千万年前だった。当時、鳥類や蝙蝠はほぼ絶滅していたが、巨大な昆虫類との争いになかなか勝てなかったのである。それが五億五千万年前の地上生物の大絶滅で一気に優位を築き、世界中に拡散することになった。千五百万年ぐらい過ごした北の大陸でも、トリウオ綱は大陸中に様々な種が棲息していて、かつての鳥類の地位を占めていた。永琳の矢の挨拶で攻撃された時、クレーターの上空を舞っていたのも、このトリウオの一種だ。永琳の話によればトリウオは、海→空→地の順番で進出した、地球の生物進化上極めて特異な例だという。
 この邸宅、きっと飽きもせず永遠亭と名付けられているに違いない建物に住み着いたトリウオたちは、収斂進化もかくや、と思うばかりの可愛らしい顔をしている。乾燥を防ぐために羽毛が発達し、眼にも目蓋(まぶた)そっくりの器官が備わり、表情豊かだ。その両肩といえる部分には、しなやかな翼が広がっていて、かつて尾鰭だった器官は、地上を走行する頑丈な脚になっていた。
 こうした最近流行の生き物の話は、さっそく出された豪勢な食事でますます盛んになった。
 出てくる皿出てくる皿、まったく知らない食材ばかりで、私は一口食べては矢継ぎ早に質問し、輝夜から睨まれた。
「二千六百二十四万年ごとに毎度のことだけど、落ちついて食べなさい」
「これは、胡桃の仲間? 私がいたあっちの大陸では見ないものだね。こっちでは毒を持ってから随分経ったと思ったけど」
「そう。大きくて美味しくて、でもみんな毒を持っていたから、私が、毒がないよう千年ぐらいかけて品種改良したわ。青酸を抜いて食べられるようにしたアーモンドの例を参考にね」
 輝夜が自慢をした。私と出会った頃の輝夜は、せいぜい蓬莱の玉の枝、いや、成長して蓬莱の玉の樹となった盆栽にうつつを抜かしているだけのただの馬鹿だったが、だんだんと園芸にはまって、ここ七億年ぐらいは品種改良に精を出すようになっている。
「でも、今まで食べた中で一番だったのは、確か大絶滅が起きる直前に育てていたマンゴーモドキだったかなあ。あれは作り出すのにお前が物凄く時間をかけていた記憶が」
「あれはね……奇跡の出来だったから。当時は地球全体が極めて湿潤で酸素濃度も高かったし、私達も足掛け三万年ぐらい改良し続けたわね。でも、あれもトリウオと同じように、鳥船遺跡系の生物だったからね」
 鳥船遺跡系、という言葉を聞いて懐かしさが込み上げてきた。
「そうだったね。だけどさ、あいつら、トリフネ由来の生物を絶滅させようと仕組んだら、トリウオが大繁栄したんだから皮肉なもんだ」
 きっと、この会話も過去に幾度となく繰り返されたのだろう。永琳がくすくす笑っている。
 かつて、ホモ・サピエンスという傲慢な名前を持った種が、またの名をヒトという脊椎動物が、大繁殖したことがあった。かくいう私もその種の出身なのだ。そこそこの知性を身に着けたヒトは文明を築き、その数は一時期、百億を超えた。そして文明が崩壊した後も、さまざまな種に分岐して進化し、互いに過酷な生存競争を繰り広げながら、一億年近く生態系の頂点に君臨した。そこへある日突然、地球の生態系とはまったく異なる異質な生物群が出現したのだ。
 かつてヒトの社会の一部であった日本国なる組織が宇宙へ打ち上げた、天鳥船という神の名前を冠された宇宙ステーションがあった。地球のテラフォーミングの研究を目的とし、完結した生態系を内蔵した人工衛星である。しかし、原因不明の事故を起こし、地球―月系のラグランジュポイントに留まったまま鳥船遺跡と呼ばれ、いつしか人類の記憶から消えて行った。その太古の遺跡が、長い時間を経て地球へと帰還したのである。
 言うまでもないことだが、月の都の仕業であった。
 一億年の時間と、様々な気候の変動は、月の都に住まう神々への信仰を維持させる程度の知性が生まれる余地を、何万種にも分岐したヒト綱全体から奪っていたのだ。神々への畏敬をかすかに持っていた、ヒト綱の希少種が、強大な生命力と繁殖力を持つ別のヒトの種に絶滅させられた時、月の都の上層部は、地上の生物たちの争う姿を鑑賞して大いに満足しつつ、ヒトという存在へ与える大団円のつもりで、衛星トリフネの地球帰還を命じたのであった。七億年前のことだ。
 南からやってきたオーストラリア大陸に押しつぶされて消滅した、日本列島および日本海の名残である北半球の湖畔に落着した鳥船遺跡から出てきた、それほど多くないがどれもが異形である生物群は、一万年ほどの短い期間でヒト綱を含む陸棲脊椎動物全体をほぼ絶滅させると、五百万年ほどかけて地球の気候を変えた。極めて湿潤かつ高酸素の環境に作り変えたのだ。
 特に重要な生物は、イカダグサと私達が呼んでいた、海洋性植物だ。この生物は地球系の海藻とも陸棲植物ともつかない不思議な草で、根で水面を覆ってしまう特殊な性質を持っていた。水素を溜める器官と、特殊な霊力を発生させる生命力を持ち、海面や空中に浮かび、植物性の浮島を形成することが出来たのだ。イカダグサの島の上に森が形成される程度では、海底へ沈まないのである。全世界の海洋はあっという間に、といっても五百万年だが、浮島で埋め尽くされ、海の砂漠と呼ばれた貧栄養の外洋は、極めて栄養豊富な水域になってしまった。あたかも、全世界が一つの森で覆われたかのようだった。毒々しい色をした巨大なモルフォチョウの群が飛び回り、あちこちで巨大なツノゼミが幻想的に舞い、キマイラとしか言いようがない鳥船遺跡系の獣が海とも陸ともつかない湿地帯をのし歩く光景が世界中で見られた。
 地球のテラフォーミングを目的として造られたトリフネは、紛うことなくその使命を果たしたのだった。
 私達は海上の森で巨大なキマイラたちと戦い、ただでさえ酸素濃度が高い上に水素嚢を持つイカダグサのせいで、私は「歩く海火事」と月の都から呼ばれるほどだった。何億年も続く過酷な生存競争は月の都の目論見通りかと思われた。
 だが、月の都には誤算が一つあった。ヒトの後に出現するはずだった、神々を信仰するほどの知性を持った種が、鳥船遺跡系の生物から出現しなかったのだ。
 そこで月の都は、地上に隠れ住む八意永琳と一つの密約を交わした。知的生命が誕生し、十分繁栄するまで、太陽の公転周期を操作しろ、という命令である。その代わり、永琳と輝夜は当分見逃されることになると。永琳はこの申し入れを快諾し、定期的に地球の周りを回る太陽を、わずかに地球から遠ざけることになった。月の公転周期を自在に操ったこともある永琳なら太陽の軌道を操作するのも苦にしない。もちろん、太陽を中心に地球が廻る、などという地動説的世界観では太陽の質量が重くなり難易度が上がる。当然、天動説的世界観を使って魔術を行使するのだ。世界観の切り替えにより魔術を発動させやすいメタ物理学(形而上学)的環境を生み出すことは、魔法の基本である。
 太陽はだんだんと膨らみ、輝きを増しているから、放っておけば今頃海水は全て蒸発し、地上は灼熱地獄となって酷熱を操る妖精たちの楽園になっていただろう。それを防ぐための太陽の公転軌道の操作が、私と輝夜が喧嘩別れしてから二千六百二十四万年後に出会って最初に行われることなのだ。その時は、私も霊力を永琳へ貸すことになっている。要するに、向こうには私と再び一緒になる現実的な理由があるのだ。
 太陽が地球から微かに離れ、地球の寿命が延びたことを確認すると、再び月の都は地球という監獄へ介入した。バラバラになっている大陸を久しぶりに一つに集めて超大陸にし、大陸内部に巨大な砂漠を作り上げて地球全体を乾燥化させたのである。プレートテクトニクスの神が、その神通力を作動させ、大陸プレートという名の巨大な鯰(なまず)たちを一箇所に呼び寄せた。こうして、五億五千万年前に、再び地上および海洋面の生物を一掃する大絶滅が発生した。湿潤で高酸素濃度の環境に適応しきっていた鳥船遺跡系の生物群やそれに依存した生態系は、あっという間に消滅した。ほとんど唯一の例外が、長時間飛翔するトビウオ、トリウオの仲間だった。海洋を埋め尽くしていた森が消え、飛翔能力を活かせるようになっただけでなく、高酸素環境が前提だった巨大昆虫が絶滅したことで、地球上の空を支配することが可能になったのだった。
「すると、このトリウオの知性が、これからの地球の宗教文化を担うというわけか。綿月の連中はどう思っているのかな。あの二人も元々は海神の家系だから案外喜んでいるのか」
 給仕をするトリウオたちの頭を撫でながら、私はそんなことを永琳へ聞いた。
「あの二人は、例の一族の守護でほとんど動けないから、どうかしら。それに、トリウオたちより先に知性を発達させた生き物がいるわ」
「え?」
「タコよ。タコ」
「タコって、蛸? 陸へ上がったのはよく見かけるようになったけど、ついに?」
 二度に渡る陸上生物の大絶滅は、かつては陸に上がることなど考えられもしなかった生物たちに、陸へ上がる選択肢を与えた。そのうちの一つが頭足類のタコ、それもカイダコの仲間である。地球を乾燥させた超大陸も四億八千万年前に分裂し、今では九つほどに分かれている。そして、赤道付近に再び熱帯雨林が広がったところへ、タコが上陸したのである。今では乾燥に耐える皮膚と、太古の昔備えていた貝殻を形成する遺伝子を転用して内骨格を発達させるまでになり、かつての陸上脊椎動物の地位へとのし上がっていたのだ。
「一億五千万年前に、墨を吐く器官を、発声器官に進化させた種が現れたのは知っていると思うけど、六百万年前に言葉に近い声を喋る種が現れてね。既に、簡単な服を着るぐらいの文化を持っているし、なにより、だんだん人の形になってきているわ」
「そりゃあ凄い」
「しかも結構美味しいの。知性を持っちゃったら食べるのに抵抗が生まれるから、賞味するのは今のうちよ」
「つまり……これ?」
 廊下から運ばれてきたのは、巨大な陸棲蛸の丸焼きである。良い香りがして実に美味そうだ。
「これはもっと美味しい、キノコばっかり食べて育つ疑似四足蛸よ。この大陸の蛸では一番美味しいわ」
 これも収斂進化というものか、地上に進出した蛸は、八本ある足のうち四本を骨格脚、残りの四本を筋肉脚にして、疑似的な四足歩行をする一門が繁栄していた。焼き上がった四足蛸は、自分がまだ千歳にもならない頃によく食べた脊椎動物の哺乳類、イノシシの姿をどことなく感じさせた。
 脚を割くと、ぷりぷりした柔らかい筋肉脚に包み込まれた、白い骨格脚が姿を見せた。癒合した貝殻の列が骨のように見えるのだ。その骨格脚を取り除いて取り分け、筋肉脚にソースを絡めて頬張ると、噛みごたえがあり、ややあってぷっつりとちぎれて、旨味の詰まった肉汁が口腔に溢れた。素晴らしい味わいだ。
「で、蛸が知性を持つまであとどれくらい必要な見込みなの?」
 永琳がちょっと考えてから言った。
「月の都と、姫が変なことをしなければ、そうね、百万年かからないかもしれないわ」
「そりゃあもうじきね。楽しみだわ。って姫?」
 輝夜が答えた。
「待ち切れなくて、言葉を仕込もうと色々してみたんだけど、上手くいかなくて、ついでに月から怒られたわ」
「月の連中が来たのか」
 永琳も蛸の脚を一本取って、巨樹の苔に住むというコケエビの脳から作ったという、森の香りがするソースをかけてさあ食べようというところだったが、私の方を向いて極めて真面目な口調できっぱりと言った。
「今でも私達が月から監視されているのは変わらないの。だから、知性を持つ生物への接触は常に慎重でなければならない」
「ああ、わかってるよ。私達の肝が、知性ある生物に広がったら一大事だからね。弥勒の下生まで、まだ四十九億年ぐらいかかるからな」
 私は、魔界へ帰った白蓮や有頂天に住む天人たちから、いくら不老不死の蓬莱人であっても、弥勒(マイトレーヤ)が下生した時はみんな仲良く救済されるのではないか、と聞かされたことがあった。
 しかし、永琳と輝夜はそれには答えなかった。


…………………………


「出たわね、妖怪変化!」
「この魔砲を放った後は、ベンベンゴケ一つ残らないぜ」
 百二十万年が経った。
 一人でいる時間が長かった分、出会った後の蜜月の期間も長い。私は、最初の一万年はたっぷり輝夜と永琳に甘えた。その後の十万年も上手くいった。でも五十万年を過ぎると、時々大規模な喧嘩が始まるようになる。それでも、五百万年ぐらいは、なんとかなるはずである。
 すでに知的な蛸は、人の形へと進化し、文明社会を築いてこの星の至る処へ進出し、かつての人類を彷彿とさせる様相を呈してきた。
 そして、世界は驚くべき変化を見せ始めた。知的蛸の精神が発達した結果、土着神や妖精、妖怪などが復活し始めたのである。ただし、蛸人に似た人の形で、蛸の服を着て。この時、人の形とは、蛸人の姿が基準になったのだ。私も輝夜も永琳も、蛸人の姿への変化と、蛸人の言語を身に着けていた。私の方が、蛸人へ変化して「人」、あえていうならヒトの妖怪になる時代なのである。
 蛸人の言語は、かつて墨を吐く器官が変化した発声器官によるものと、かつて保護色を作り出した変化する体表面の名残である、顔面の色彩模様の変化が補い合う、複雑なものだった。音声が大まかな内容を示すが、細かいニュアンスが色彩で現れる。
 私たちは蛸人が支配する世界をあちこち放浪した。これは主に、私自身の好奇心のためである。一つのところに結界を張って住めば、何億年でも生活の安寧は得られるのだが、私自身は結局のところ、十代の少女の精神年齢のままだ。どうしても、住んでいる場所に飽きてしまい、別の場所を見聞したくなるのである。
 こうして南半球の温帯の列島にたどり着いた私達は、その深い山奥に作られた蛸人たちの楽園の近くに住むことになった。そこには、紅い竹林、つまり槭独活の林に棲むトリウオの主がいて、私達に林の一角を貸してくれた。
 私達は、昔よく似た獣の妖怪がいたことを思い出し、その者を因幡うをと名付けた。
 月の都は、知性蛸が月への侵略を企てているという話で騒動になった。要するに何億年ぶりかで、私達は月の都から警戒されるようになっており、知性蛸と接触するな、と言われたのだ。ついでにお目付け役の玉兎が永遠亭に住むようになった。これはまったく久しぶりでないレイセンだった。
 公式に月の使者として永遠亭に逗留することになったレイセンは月の都からの封書を持っていた。月の公転周期の操作を永琳に命令してきたのである。太陽の公転周期は定期にいじっていたものの、月のそれは放ったらかしだった。そのため、一箇月の時間的長さは変わらない――つまり月の公転周期と自転周期は変わらないが、八億年の間に潮汐力により地球の自転が遅くなって一日の長さが伸び、一方で月は地球から随分と離れることになった。こうして一箇月の日数は減りに減った。そのため、かつて月への侵入を目論んだ者達を捕えてきた、完全な数である二十八を僅かに欠くことによって発動する罠が使えない状態になっていたのだ。それは知的生物がいなくなり、地球から月へ侵入しようという者がほとんどいなくなったことによる。しかし、蛸人間の文明が発達し、月の都は再び罠設置の必要に迫られたのであった。
 そしてある年の夏、永琳は、月の公転周期を直して一箇月を二十七日と三分の一へと修正する魔法と、月が地上へ近づいてくるのを見て地上の蛸人間がパニックに陥らないよう偽の月を天蓋に映してすり替える術、さらに知性蛸との接触を防ぐために槭独活林を結界で隠す術と、三重の大規模な術を仕掛けた。空には、かつて幻想郷を照らしていた頃の、巨大な偽の満月が上ったのだった。
 ところがその夜、二人の少女蛸が結界を破って永遠亭に入って来て、私達はついに蛸人とばったり出会ってしまったのである。
 蛸の少女たちは、一人は紅白の服を着て、もう一人は真っ黒な服を着ていた。服といっても、湿気を帯びてぬるぬるした樹液か花の蜜のような服だ。霊力が高く、空を飛ぶ術を身に着けた二人は、なんと弾幕を放つ魔法まで備えていた。
 蛸人の姿の妖精達や蛸人に化けた永遠亭に住むトリウオたちを弾幕で倒して来た二人は、意気揚々として私達のところへやってきた。私達は闘いの場として、四季の部屋に誘導した。ちなみに月の使者であるレイセンは戦いには参加せず、黙って見ていた。
 初めて見るであろう敵を目の前にして二人は、私達の言葉に訳せば次のようなことを言った。
「紅い林に隠れて、よくもこんな大規模な異変を起こしてくれたわね」
「隠れ住む奴は犯罪者と決まっているんだ。連れ出して罪を晴らしてやるから、お前たちの罪を数えろ」
 どういう理屈かまったく意味がわからなかったが、少女たちは、弾幕で遊びに来たように見えた。蛸人へ変化していた私たちは、思わず戦いも忘れて二人をしげしげと眺めた。私は真顔でぼそっと言った。
「罪? いまさら数えきれないわ」
 その横で永琳が蛸語で言った。
「あなた達は古代の力のコピーを使用しているみたいね。まだ人間が居た時代の無秩序な力。あの頃が懐かしいわ。能力にも特許を認めるべきかしら」
 蛸人に変化していた輝夜が蛸風に大笑いし、蛸人に化けたトリウオ少女因幡うをと、二人の蛸少女はきょとんとした。しばらくして蛸少女たちは馬鹿にされたと思って、烈火のごとく怒り、壮絶な弾幕戦が始まったのだった。
 黒い蛸少女は、蛸人の天文学的知識を存分に活かした星屑の弾幕で私達を感慨に浸らせた。八億年前とは天球に見える星座は大きく異なっていることがわかる、見ても楽しく、避けても楽しい弾幕である。
「魔符『ミルキーウェイクロス』」
 どこかで見たような、しかしより難しい天の川の弾幕が襲ってきた。現在の星空は、天の川がクロスしているので、それを模したのだろうが、誰からも嫌われそうな、前左右に加え後ろからも弾が飛んでくる弾幕だ。
「恋風『スターライトサイクロン』」
 これもどこかで見たような弾幕だが、奴隷のように動く使い魔から出たレーザーは、蛸の足のようにぐにゃぐにゃと曲がった。しかし、難易度はかつての似た弾幕と大して変わらず、こちらは易しかった。
 この黒い蛸少女はこちらの弾幕を避けるのも上手い。私の超大陸ヴォルケイノや永琳の天呪・衛星トリフネを難なく躱すと、蓬莱人である私達が密かに期待していた、極太のレーザーをお見舞いしてきた。ミニ八脚炉という炉から、超威力の光線が飛び出たのである。後に本人が語ったところによれば、自分たちの祖先は八本足で、従って八角形が魔力を増幅させるのにふさわしいのだそうだ。
 永琳は、そのいかにも蛸らしい炉から出てきた弾幕(?)に当たって見せた。
「あっ!」
 八角形の炉を構えたまま、蛸少女の蛸の顔が蒼褪めたのがわかった。
 永琳はその反応を愉しむかのようにリザレクションをした。私はしょっちゅう危険なことをしているので慣れたものだが、永琳は先の大絶滅期以来のリザレクションだったという。黒づくめの蛸少女は、「なんだと? 不老不死だと?」と目を丸くし、戦意を喪失したのか引き下がった。
 続いて紅白の蛸少女が挑んできて、蛸語でこんなことを言った。
「あんた、さっきコピーって言ったわね。それは誤った認識だわ。フェイク、コピー、レプリカ、オマージュの類と、私達の精神文化で巧みにアレンジされた表現は明確に違うの。それを見せてやるわ」
 最初に放ったのは、定期的に全方位へ大量に弾をばら撒くもので、四季の部屋を埋め尽くす弾が通り過ぎた後、何もない空間がぽっかりと空く、どこかで見たような弾幕だった。
 紅白蛸によればこの弾幕は、物事の経過の終焉を視て、過去の風景や出来事を想う、いわば空想の世界に浸る境地を表したものだという。
「つまり、サビ、寂ね」
 輝夜がふっと笑った。なるほど、確かに弾が何もなくなった空間に、さっきまであった弾幕の姿を想像すると、寂しさが募ってくる。大昔に似たような弾幕を味わった時はそんなことまで考えつかなかった。しかし、紅白蛸少女はでたらめに弾幕をばら撒いているようにしか見えない。まるで蛸の子どもの喧嘩だ。
 次に紅白蛸が放った弾幕は、奇妙な珠、――これは、白と黒の二匹の蛸の魂が絡み合っているように見える球体だが――これを八方に投げると、二段階に自分の座標を追尾する、なかなか厄介な代物だった。
 紅白蛸によれば、こちらには時間の経過を楽しむ境地を表したのだという。だが、私は別の感想を持った。
「というかイカみたい」
 そうボソッと言うと、永琳が適切なようでいて適切でないツッコミを入れた。
「タコよ、タコ」
「あー? なんだって? 烏賊のような下等生物と一緒にしないでくれる?」
 私は弾幕の形を見て烏賊のようだと言ったのだが……。そう思っているとそのイカ弾幕に被弾してしまった。
 輝夜が前に出た。
「それは、ワビね。侘。実は私、永遠を操る事が出来るの。永遠、つまりワビの世界に生きている。でも、永遠の世界に生きていない貴方には、侘・寂だけでは不十分だわ」
「よくわかっているじゃない。終焉ののち過去を空想する、経過を楽しむ、でもその前に、あり得ない美しさが生まれる誕生の瞬間、幽玄がある。その幽玄の美しさに永遠は色褪せるのよ!」
 そう言って、紅白蛸は部屋の空間内を直線移動しながら、私達を包囲するという離れ業を見せた。そして少女蛸から瞬間ごとに生まれる弾幕の美が部屋中に花を咲かせた。永遠だけでなく須臾も操る輝夜は、弾幕の隙間を縫って避け切った。
「ええ、その通りよ。なるほどね。誕生の幽玄も経過の侘も終焉の寂も、生ある者は一度きりだと思っていた。でも生まれ変わることで、貴方達にも何度でも訪れるものだったのね。さてそれは、私が持つ永遠の美しさに敵うかしら」
 輝夜は、蓬莱の玉の枝を振るった。紅白蛸は、バリアのように輝夜の前に並んだ枝々を撃破するのに苦労したが、それを破った。
「生まれ変わり? よくわからないけど、でもこういうことかしら?」
 ついに紅白蛸は、奥の手の追尾弾幕のみで構成された、極めて難しく、むしろ卑怯としかいえない弾幕を展開した。その弾幕には、無から生を拾うとかの意味がついていた。懐かしさのあまり、私たちは大人しく被弾した。


……………………

コメントは最後のページに表示されます。