Coolier - 新生・東方創想話

千万代に八千万代に(あるいは織姫と彦星のために)

2013/07/07 21:53:16
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 戦いが終わり、知的蛸との本格的な接触は、賑やかな宴会になった。
 庭に面した北向きの部屋を大きく開け放つと、夏の穏やかな風が吹いて来た。
 永琳は蛸少女たちの要望通り、天蓋に映した偽の月を消した。かつて幻想郷にいた頃の月より、遥かに小さくなった、本物の満月が槭独活の林の上空に姿を現した。その一瞬、紅い林が静かに美しく燃え上がったように見えた。
「幽玄の槭樹、か」
 私はそんなことを想った。張子のおもちゃのような月の光とは違う、神秘的な輝きに、あたり一面が包まれた。
「まさか弾幕で幽玄の美を表したことを見破る妖怪がいるとはね」
 紅白の服を着た蛸少女が感心しながら言った。宴会の雰囲気を見ながら、私の脳裏にかつての幻想郷の思い出が明瞭に浮かんで、思わず涙が杯に落ち、私は輝夜の背後に隠れた。
「どうしたの。負けたのがそんなに悔しいのかしら」
 輝夜がにこにこ笑いながら私を前に押し出そうとしたので、私は誤魔化そうとしてこんなことを言った。
「幽玄といえば、昔ユウゲンマガンという奴がいたな」
「ああ、いたいた。そういえば。巨大な五つの目玉を持っている変な妖怪だったわね」
 永琳が思い出してくれた。
「なんだ? 私の知らない妖怪がこの近くに潜んでいるのか?」
「退治しにいかなくちゃ」
 蛸少女二人が真面目な顔をしたので永琳は笑顔で否定した。
「もう何億年も会っていないわ。ユウゲンマガンと最後に会ったのは、大絶滅前に魔界へ遊びに行った時かしら」
 地球上には異界へのゲートが今もあちこちに開いているのだが、それは大陸の移動や環境の変化で生まれたり消えたりするから、見つけ出すのは至難の業だ。私も最後に行ったのがいつだったか思い出せなかった。
「魔界へは最近とんと行っていないな」
「知的生物のヒトが絶滅しちゃったから、向こうもこっちへの興味を失ったのかもね。でも蛸人間が登場したから、またゲートが沢山開いたはずよ。ゲートといえば、地獄にも行かなくなったわね。姫は覚えていますか? てゐやウドンゲが心配で一度見に行ったことがあって」
「ええ覚えているわ。心配して損したのを。でも、あのてゐの地獄の似合いっぷりといったらなかったわね」
 地獄にも輝夜と一緒に何度か行ったことがある。確かに地獄は怖いところだが、何が怖いって、罪人たちの生活への順応っぷりが怖いのだ。確かに地獄は厳しい刑罰を受ける場所なのだが、慣れというのはもっと恐ろしい。針の山も血の池地獄も、罪人たちは慣れてしまうのだ。鬼たちと罪人は地獄の酒や地獄の博打遊びにうつつを抜かし、饅頭怖いと言っては怪しげな饅頭を食っていた。私もやっぱり饅頭は怖いと思ったものだ。大紅蓮地獄から来たユキとコーキュートスから来たマイに案内されて地獄巡りをした私達は、鬼たちと博打に興じているてゐの姿を発見した。予想通り全身生皮が剥がされていて、そこにびっしりウジ虫がたかっていた。ざんばらになった黒髪からは電光が飛び出し、眼からは絶えず血の涙が流れている、もの凄い姿だった。しかし私が感心したのは、全身を腐敗させながらも鬼たちと談笑し、博打の胴元としてどっかりと座るその堂々たる姿だった。てゐは私と目が合うと、こう言った。
「あらみんな、久しぶりね。みてみて、このウジ虫、可愛いでしょ。手入れするのに時間がかかってねえ」
 よく見ると、真っ白なウジ虫が規則的に配置され、衣服になっているのだ。ある意味、白兎である。大国主のつてで素戔嗚とも知り合いになったというてゐは、過酷にしか見えない鬼の責めを愉しんでいるように見えた。地獄の居心地が良すぎて刑期を過ぎてもなかなか転生しようとしないので困っていると、博打でてゐに負けたばかりの鬼神長から言われ、私はてゐに言った。
「なあ、地上は結構面白いし、そろそろ転生したらどうだ」
「だって、今地上に騙して遊べる人間はいないんでしょ? じゃあ面白くないじゃん。他の星に飛ばされちゃうかもしれないし。鈴仙は罪が重すぎてまだ出られないらしいから、もう少しいるわ」
 私は、知的な妖怪に転生できると思っていることに呆れた。
 宇宙の全生物で、来世に知的生物へ転生できるのはごく一部である。大抵はバクテリアや精霊などの小さな生物になる。ただしそれらの生物は寿命が短いので、いずれは大型生物や妖怪に転生する目も出てくるのだが、すると罪の重さも大きくなるので知的な生命へ転生できる確率は下がる。
 なお、来世は前世で過ごしていた星の生態系へと優先的に転生することになっている。大抵はさらに同じ地域内が優先されるので、各地域の冥界で処理することになる。しかし星自体の生態系が崩壊するなどして転生先が無い場合は、上位の異界の指示に従い、別の星の生態系へ転生先が移ることになる。そして、この宇宙自体が崩壊し星がなくなってしまえば、隣の子宇宙や平行宇宙の生態系を探し、そこの生物へと生まれ変わることになる。こうして、世界の全生命は輪廻転生のシステムを維持しているのである。ただし、地上の生命に転生する時、ほぼ例外なく前世の記憶の大半を失うので、この事実を知る者は極めて少ない。
 すでに幻想郷で知り合った多くの人間や妖怪は、例えば仲良く地獄に落ちた八雲紫や比那名居天子などは、さっさと転生して別の星へ行ってしまった。
「地獄にしろ、魔界にしろ、本当は別の惑星に造られた異界で、そこへ地球からゲートをくぐって行っているんじゃないか、って噂もあったな。タコのような人間が居なかったから火星じゃないのは確かだけど。あ、お前たちのことじゃない」
「魔界? 魔界って神綺がいるあそこのことかしら? そういえば巨大な五つの目を持った奴にも会ったわ。あの魔眼は幽玄とは違うと思うけどね」
 どうやら、永遠亭のみんなが予感した通り、魔界へのゲートがこの近くに開いたようだ。
「ああ、あそこか。それなら以前、遊びに行ったことがあるぜ。面白いことに、魔界にも太陽や月のような天体があるみたいだったな。そうか別の星だったのかな」
「その月は、私たちが見ている月と同じかもしれないけどね」
 永琳が言った。
「ん? どういうことだ? 別の星の月なら、地球の月とは違うんじゃないのか?」
「月は、あるいは月の都だけは、全世界、つまりあらゆる種類の宇宙の生命がいる全ての天体のそばに設置されていて、それは時空を無視した共有空間よ」
 これは私も永琳と長い付き合いになった後に知らされた事実だが、宇宙の至るところにある、生命が存在する、もしくは誕生しそうな天体には、その近くに必ず月に良く似た天体が設置されていて、さらにそこには全宇宙共通の「月の都」が設置されているのである。逆に言えば、「月の都」から、宇宙のさまざまな場所へ移動することが出来、全宇宙の生態系を監視することが可能なのだった。何を隠そう、月の都にその設計を施したのは八意永琳その人である。月の都が全ての生物の争いをコントロールするためであった。月の都は常に世界の中心であり、地上はやはり今でも監獄でしかないのである。
「ということは、もし地上から知的な生物が絶滅したら、来世はどこか別の星の宇宙人に生まれ変わることになるのね。その、地獄にいたてゐって人と、鈴仙って人も、今頃どこかの星で宇宙人として生きているのかしら」
 因幡うをがこんなことを言ったので、私と輝夜と永琳で爆笑してしまった。こちらへ逗留して以来、いつもうをと喧嘩ばかりしているレイセンが、珍しくうをの頭を優しく撫でたので、うをがぎょっとしてレイセンを見た。
「なによ。気持ち悪いなあ」
「いや、てゐって人は、きっとお魚か何かに生まれ変わったんだろうな、って思って。そういえば、月の都でも、そろそろ次代の『レイセン』が選ばれるそうですよ。私は地上勤務になりましたからね」
 ちなみに、私と同じく齢八億に達し、いまや玉兎最強とも、綿月姉妹を超えたとも噂され、宇宙の数々の生態系に介入しては凶悪な土着神を狩ってきたレイセンは、それ故にこの地に逗留する間は一切争いごとに参加せず、こうした騒ぎでは黙って観戦を楽しみ、黙って後片付けをし、黙って晩酌する役であった。
 永琳はやがて何かを考え始めた。
「これほど集まるとなると、偶然とは考えられないわね。蛸の進化によって、地球は再び特別な星になりつつあるのかしら。となると、紫達の来々々世あたりもこの星にいるかもしれないわね」
「また、いたずらをされる時代になるわね」
 輝夜が言った。かつて幻想郷に住んでいた八雲紫という妖怪は、月から酒を盗み出して永琳を吃驚させたことを皮切りに「恐怖を与えて税金を取る」という名目で、何万年にも渡ってさまざまな嫌がらせを続けた。私やてゐも大いに協力したことがある。しかし、残念ながら八雲紫が永琳の心の奥深くに刻み込んだはずの恐怖は、何億年と生きる永琳にとって一時的なものに終わってしまい、忘れることのない懐かしい不気味さに変わってしまったようだ。その理由も永琳は詳しく分析していた。
「まあ、またあいつが妖怪として出て来ても、もう怖くはないのよ。『境界を操る程度の能力』から抜け出せないのならね。結局、素戔嗚の真似事をするのがせいぜいだわ。もっとも、紫は素戔嗚ほど下品にもなれなかったからね」
「永琳は良く言っていたわね。紫が自分に与える恐怖も、天つ罪で受けた衝撃に比べれば物の数ではないと」
「それだけじゃないんだけどね」
 永琳にいわせれば、境界を操ることで生み出せる恐怖は、限界があるのだそうだ。境界とは既に存在する物事の中心があってこそ機能する存在である。生きとし生ける者が強く感じる恐怖は、境界が動いたり消えたりすることによって生まれる恐怖ではなく、中心が消失し中心が新しく生み出されることの方にあるのだという。例えば、世界の中心が大地にあり太陽がその廻りを回るという世界観が崩壊し、新しく世界の中心が太陽になって大地が中心ではなくなってしまうような、世界の像を根柢から覆すようなことは、境界の操作では出来ないのである。
 永琳曰く、全ての生命は、先天的に境界が曖昧で信用出来ないことを知っている。だから境界がもたらす恐怖には、八雲紫本人が思っていたよりもきっと、生命はよく耐えたのだと。おまけに境界という概念が既にある物事に依存しているため、新しい何かを、境界操作は生み出すことが出来ない。全ては、森羅万象の既存の組み合わせでしかないため、時間が経つにつれて八雲紫の選択肢はどんどん狭まり、恐怖を与えられる余地が減っていくのである。有限の寿命を持つ者なら、世界のすべての存在から恐怖が生まれるような組み合わせの境界操作を全部探り当てて、恐怖を打ち消すことなど出来なかっただろう。だが、永琳にはそれが出来た。
 ヒトの仲間から知性が失われ、日本列島も大陸に押しつぶされて消滅しかかっていた時代、永琳が最後に紫に会った時の話を聞かされたことがある。紫は、日本列島の終焉を記念すると言って、天人の最高位にまで出世していた比那名居天子と死力を振り絞った遊びをし、ついに天子を叩き潰して死に至らしめ地獄へ落とした。それは幻想郷が、いや日本列島がほとんど無人になっていたからこそ出来た遊びで、大地は巨大地震で何度も割れた。そして自身も瀕死になった紫は、永遠亭に来た。治療を受けるためではなく、永琳に恐怖を与えに来たのである。永琳は紫へ言った。
「何かを『操る』能力はもう私には通用しないわ。そこには創造がもたらす恐怖が欠落している。『中心を創る程度の能力』が得られる薬を処方してあげましょうか? 創り出す能力を持っていれば、もう少し私と遊べるかもしれない。落落として晨星(しんせい)の相望むが如し。貴方のような人でも、いなくなると少しは寂しいのよ」
 八雲紫は、傲慢な顔をしてこう言ったそうだ。
「貴方は本当にお馬鹿さんねえ。中心を創る? そんな能力を持ってしまったら、私が人間になっちゃうじゃない。妖怪は決して、決して世界の中心になどならない。境界上に位置することこそが妖怪の存在理由なのよ。それに私にはまだ、境界を操ることで貴方に与えられる恐怖がある。貴方は、その恐怖を味わいながら、晨(あけがた)の星を眺めて呆けているがいいわ」
「そう」
「今日、辻占をしたのよ。黄昏時に、無人になった里の辻でね。そうしたらこんな歌が聴こえて来たわ。

百(もも)足らず八十(やそ)の衢(ちまた)に夕占(ゆうけ)にも占(うら)にもぞ問ふ。死ぬべき我がゆゑ。

とね。美しい声だったわ」
「誰の声だったの?」
「もちろん、私自身の声よ。だから、死ぬのよ」
 そう言って紫は消えるように死に、確かに永琳は恐怖を覚えた。自分自身が恐怖を覚えたにも関わらず、妖怪である八雲紫が確かに死んだからであった。

 しかし、蛸少女たちの整理された弾幕ごっこのルールを見て、私や永琳はかつてスペルカードルールの制定に関わったあの妖怪と似た存在を予感していた。私達が昔のことを思い出して黙ってしまったので、会話にまったくついて来られない蛸少女二人は、輝夜に話しかけた。
「ふーん、あんたたち長生きしているのね。月の民と古代人の生き残り、月の獣と飛び魚の妖怪? 道理で、何を話しているのかさっぱりわからないわけだわ」
 輝夜が、紅白蛸の杯に酒を注ぎながら訊いた。
「貴方たちは、どんな生活をしているの?」
 紅白蛸は、私達の言葉でいうところの神社のような建物に住み、巫女のような職業をしているそうで、占いが得意だという。特に珠を足で蹴って競う団体球技では、どちらが勝つかを事前にほとんど言い当てることが出来るそうだ。一度、その占いが当たりすぎて、贔屓のチームが敗れたファンから腹いせに襲われそうになったことがあるという。これは蛸巫女と呼ぶべきか、それとも巫女蛸か。
 一方、黒っぽい服を着ている蛸は、何でも屋を営業している魔法使いだそうだ。黒い服を着ているのは、汚れが目立たないからだという。小さい頃は、紅白蛸に空を飛べるよう修行をつけたこともあったそうで、幼馴染のようだった。
「最近、うちの神社の裏から大昔の遺跡が発掘されたのよ。それが巨大な金属の塊でね」
「あれは、希少な金属だぜ。この八脚炉に添加できないか、道具屋に相談しているんだが……」
「誰があんたにくれてやるっていったのよ! あれは新しい御神体にして参拝客を増やすんだから」
「それでな、遺跡をもっとよく探検すると、レーダーのようなものがあって、この林の中に危険な人物がいると指示しているようだったんだ。それで……」
 永琳の杯に酒を注ごうとしていたレイセンの手がぴたりと止まった。
「まさか、その遺跡って……」
「トリフネよ。間違いない」
 永琳が断言し、巫女蛸へ訊いた。
「遺跡と金属の塊の近くに、何か石造りの枠のようなものがなかった?」
「んー、確か、最初に発見したのは、二本の石の柱を立てて、上部に別の二本の柱を横に渡したよくわからない石枠だったかしら」
 戦闘中の荒々しい性格は消えて、蛸巫女はぽけーっとした少女蛸になっていた。
「なるほど。それは神社の外に、東へ向けて立てるといいわ。結界を強化できる優れものだから」
 すると、じっとしているレイセンに変わって、因幡うをが杯に酒を注ぎながらこんなことを言った。
「私の勘だけど、その出土品は、東向きじゃなく南向きに建てると幸運を呼び込むと思うわー」
 因幡うをのその言葉を聞いて、永琳は微笑して酒を美味しそうに飲んだ。うをは、笑われたと思ったのか、ほんとよ、と言って自分も酒を飲んだ。蛸たちも、トリウオたちも、地上の発酵した果実を食べるようになって、アルコール分解能力を身に着けるまでに進化していたのである。永琳はぐっ、と飲み干すと、続けた。
「パラジウムの塊に、落着したトリフネ、間違いないわね。だから、貴方達は縁があって、ここに生まれ変わった」
「??」
 巫女蛸たちとトリウオ少女が首を傾げた。
「いつのまにか、南半球に来ていたんだな」
 永琳が、持ち前の知能と記憶力を発揮して、ことの経緯を説明し始めた。
 八億年前、かつて日本列島と呼ばれた島嶼の山奥に、幻想郷と呼ばれた土地があった。ある日、その東の端に位置する神社、博麗神社の巫女をしていた博麗霊夢という少女が、金山彦(かなやまひこ)という神を降ろしてパラジウム合金を作り出したことがあった。別の神社の巫女だった東風谷早苗という少女から、常温核融合のために必要だと頼まれたのだ。人間の背丈を優に超える巨大なパラジウム合金の円柱は、常温核融合の公開実験の後は顧みられることなく神社の傍に放置され、やがて地中に没した。
 そのパラジウム合金こそが、衛星トリフネ、つまり鳥船遺跡が一億年後に地球へ帰還した時の、落下地点を示すビーコンになったのだ。全ては、金山彦が呼び出された時から月の都によって仕組まれていたのである。
 Palladiumとは、原子番号四十六の元素パラジウムを表す一方で、もう一つの隠れた意味があった。古代イリオス、またの名をトロイアの都市に安置されていた柱の形の神像パラジウムを意味していたのだ。それはかつて天空から落ちて来た一本の柱で、それがトロイアで信仰されており、この神像がある限りトロイアは陥落しない、と言われたほどの霊験あらたかな像だった。
 そして、地球のトロヤ衛星となっていた人工衛星トリフネにとって、パラジウムの柱ほど目標にふさわしいものはなかった。月の都の謀略で制御不能に陥っただけでなく、地球帰還の命令を受けた際は地球のどこかにある巨大なパラジウム柱を目掛けて着地するように霊的な機能を付与されていたのである。
 トリフネは、神話の通り、天空から落ちる一本の柱と化し、かつて博麗神社があった場所に降り立つと、トロイの木馬よろしく、特異な生物群を拡散させ、地上の生物の多くを絶滅させたのだった。
 一方、落着した衛星の内部にパラジウム柱が取り込まれたことで、かつて幻想郷と呼ばれていた地を繋ぎとめていた最後の絆が絶たれた。一億年の時間は幻想郷の大結界や様々な異世界への通路、内部の様々な社会を崩壊させていたが、八雲紫の死後もなお基盤となる土地だけは繋がったままだった。しかし、それがついに解けた。妖怪の山と呼ばれていた本来の八ヶ岳は元の位置へ戻ったし、高草郡の竹林もまた元の場所へ、同様に魔法の森も、山の湖も、幻想郷を構成していた、世界のあちこちから持ち込んだ土地が全て元の場所へと戻り、幻想郷はバラバラになった。そのかろうじて元の位置に留まったのが、まさに今この土地へと繋がる博麗神社とその境内だった。
「夏草や兵どもが夢のあと、か。ヒトをほぼ滅ぼした鳥船遺跡系の生物も今はここにいるトリウオの仲間ぐらいだ」
 私は蛸語でそう言って、因幡うをの頭を撫でた。俳句のリズムを蛸の言葉で伝えるのは難しい。
「まさに寂ね」
 輝夜と永琳も昔を懐かしむ風だったが、蛸たちはあまり興味がないようだ。
「なんだ、要は大昔の厄介事の種の、その残骸ってだけか。お宝やマジックアイテムがないならどうでもいいぜ。他にお宝がありそうな遺跡を探そうか」
 私は、あまりにかつてのホモ・サピエンスと似通った知的蛸をじっと眺めた。
「どうして、かつて古代文明を築いたヒトと似た姿になるんだろうなあ。まるでヒトの真似をして進化したみたい」
 そんな疑問を漏らすと、永琳が答えた。
「それは違うわ。そもそも地球に登場した人の形をした知的生物は、ホモ・サピエンスが最初でもない」
「え? そうなの?」
「五十四億年の地球の歴史で、知的生物は何度も発生しているの。そしてその全てが同じ人の形だった」
「なら、化石が沢山出そうなもんだけどなあ」
「それがそうじゃないの。まず知的生物は伝染病を防ぐために火葬することを憶えるし、しかも過去を知りたがるあまり、文明がある程度発達すると自分たちの先祖の骨を全部掘り返してしまうの。だから、知的生物の化石はほとんど残らない。おまけにその時点での過去の生物の化石も大量に掘り返すから、過去の生物の化石の産出量も、本来残るはずの量に比べて著しく少なくなるの」
 黒い魔法使い蛸が話に入ってきた。
「なんとなくわかるな。考古学者というのも遺跡を掘り返しちゃうんだろ?」
「ええ、その通りよ。古生物学と同じように、考古学もある程度発達すると、地球全域の遺跡を掘り返して保存状態を悪化させてしまうから、結果として後世に知的文明の遺跡が一切残らなくなるの。この星の歴史では、知的文明の勃興と、その存在の自発的抹消が何度も繰り返されてきた。人工衛星トリフネは、その後知的生物が発生しなかったために保存された、稀有な例ね」
「私達と似た神様の絵が描かれた本も近くにあったぜ。今度持ってくるから読んでもらおうかな」
「ああ、それはきっとネクロノミコンね。博麗の巫女が封印して神社の床下にでも埋めていたんでしょう。過去の生物のことを知ったって、あまり面白くはないわよ。かつて火星に住んでいた貴方たちに似た幻想の蛸型宇宙人と同じように、古代の魔法を暴走させて絶滅することになるわ」
 紅白の蛸巫女が話に入った。
「東の私んちと反対側に三途の川があるんだけど、そこで絶滅した過去の生き物を見たことはあるわ」
 それは、私もかつて幻想郷で見たことがあった。
「私が幻想郷にいた頃は、海竜とかゴンベッサがいて、岸辺では、確かチュパなんとかやらネブラなんとかを見た記憶が」
「チュパカブラにネブラサウルス・タイトね。幻想郷とどういう縁があったのか知らないけど、あの頃は幻想の動物をおバカさんたちが沢山持ち込んでいたから」
 因幡うをが言った。
「三途の川? 知ってるわ。以前、美味しそうな魚が沢山泳いでいるのを見て採ろうとしたけど駄目だった」
「あんたは、騙した鱶に襲われて鱗を剥がされるのが落ちね」
 巫女蛸の言う通り、サメやフカの仲間は、完全に絶滅することなく今でもあちこちの海洋を泳ぎ回っている。三途の川を泳いでいるのは、きっと鯵や秋刀魚、鮪や鯛などの絶滅してしまった美味な魚たちなのだろう。
「結局のところ、絶滅した動物ってのは食べられないんだから、面白くないな。お前たちは不老不死なんだろ? どうやって不老不死になったんだ? 私もなれるのか? さっき魔砲を撃った時、殺しちゃったと思ってどきどきしたぜ。あれは心臓に悪すぎる」
 黒い服の蛸少女は、あまり訊かれたくなかったそっち方面の話へと強引に話題を変え、顔面を輝かせた。ぬるぬる光った顔に迫られて、私はどうしたものかと永琳に目で合図を送った。
「肝よ。肝。この娘の腹をかっさばいて、肝を食えば、不老不死になれるわ」
 あっさりと永琳が説明したので、私は永琳の、青と赤に染め分けられた湿った蛸服の襟をつかんだ。
「おい、なんでばらすんだよ。しかも、なんで私の肝限定なんだよ!」
 蛸少女二人がこちらを好奇の目で見た。
「でも、この娘、そこは大したもので、人体発火能力を身に着けているの。だから、肝を取ろうとすると、肝は自動的に発火して消し炭になってしまうから、食べることは出来ないわ」
「な~んだ」
 本気で残念がる蛸少女の脇で、もう一人の蛸少女は少し安堵している。
「でも待てよ、肝を食えば不老不死になるなら、仲間をどんどん増やせるんじゃないか? なんで三人しかいないんだ?」
 至極、もっともな意見だ。長寿の特殊能力を持つ妖怪などの種族には、自分の体の一部分を与えて仲間を増やす者がいる。かつての吸血鬼などが良い例で、吸血鬼の系統を辿ると、最初に吸血鬼になりその後の全ての吸血鬼の祖となった、たった一人に行きつくことになる。こうしたものを真祖、と呼ぶ。そして、蓬莱の薬を直に舐めることで蓬莱人になった私は、真祖になる資格があった。
「真祖になり、仲間を増やして永久に不滅な人類社会を考えないわけではなかった。でも、それは止めた」
「なんで? 仲間がいた方が楽しいんじゃないの?」
 既に酔っぱらったのか、真っ赤になった紅白の巫女蛸がすり寄って来た。
「お前たちは、私達の正体を知らないだろう。今はそっちと同じ蛸人間に化けているが、本当は、こういう姿なんだ」
 私は、変化を解いて、ヒトの、ホモ=サピエンス・サピエンスの姿になった。
「まあ」
「おお! お前たちは、テンノーの妖怪だったのか」
「正確には、現在のテンノーたちとは姉妹系統だけどね。さらに古い時代に枝分かれしている」
「なるほどな。正体がテンノーじゃ、増えても私達に食べられるだけだな」
 テンノーとは、人工衛星トリフネの帰還による大絶滅を生き残り、(私のような蓬莱人を除けば)ヒト綱で現代まで唯一残っている生きた化石である。テンノー、テンノーと鳴くことからそう呼ばれている。
 かつて、地上をしらす特別な一族として天孫が天下ったことがあった。その一族は石長姫(いわながひめ)という神の裏切りによって、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の能力のみが付与されたため、短命化、つまりエフェメラリティが発生したが、その後月の民である綿月豊姫の「幸運」と綿月依姫の「神が依りつく能力」が付与されることで、断絶することのない絶対的な一族、天皇家として長く栄えた。
 そして、千代に八千代にと、万世一系にと、かつての日本国の人々が自分たちの全てを犠牲にしても望んだ言祝(ことほ)ぎは、最悪の呪いとなって見事に成就してしまった。
 天皇家は絶対に断絶することの出来ないおぞましい種として、八億年が経ってもホモ=サピエンスのまま、しかも絶滅の恐れがないために知的・肉体的な退化をし続け、地上で様々な生物の餌として生き続けることになったのだ。
 今では、その絶滅しない特異な性質を活かし、蛸人がテンノーを大量に飼育していた。かつてヒトが家畜に飼っていたブタやニワトリのような位置づけである。もっとも、家畜化されることで生き延びることは種の戦略としては悪くない。かつてのウマやウシのように野生種がほとんど絶滅しても家畜として長く生き延びた例もあるから、自分と同じ種だ、と思いさえしなければ、素晴らしい家畜だと思えるのだが……。
「今でも、天皇家には一応皇位があるらしいわ。即位しても十年ぐらいで屠畜されちゃうから、代替わりが激しいらしいけどね」
 そう永琳が言うとレイセンが補足した。
「今は、第八千万代あたりらしいと、ここに来る前に豊姫様から聞かされました」
 牧場で飼われている夥しい数のテンノーのうち誰が今上天皇なのか傍目からは見分けがつかないが、天皇の系譜から血筋が離れると途端に断絶が始まるため、系譜の真ん中が絶滅しない類稀なる幸運を持つ特別な血統として育てられていて、その中心の個体が今上天皇になるのだそうだ。
「あの子も苦しいでしょうね。子孫に付与した幸運がこんな形で作用するなんてね。まったくいい加減……」
 いい加減、月を見捨てて地上に来ればいいのに、と言おうとして永琳は止めた。
 テンノー一族の特異な幸運は、祖先である姉妹の幸運と神霊を依りつかせる能力のせいだ、と知って魔法使い蛸がふん、と笑った。
「苦しい? どうかな。永琳と言ったな。あんたがさっき見せた弾幕、ライフゲームだかライジングゲームだか言ったか、あれは今のテンノーを模したものだろ? きっと月に住んでいる姉妹こそが、ライフゲームとやらに興じているんじゃないのか?」
「半分当たっているかもしれないわね。補足すると、元来は高貴な『天人の系譜』だったものが『ライフゲーム』へと堕落してしまった、ということなんだけどね。今では、まるであの姉妹に与えられた永遠の罰のようなことになっているから、子孫を駒に遊ぶライフゲームだと、割り切って受け入れているかもしれないわ」
 むしろ割り切れないのは私達三人かもしれない。絶対に絶滅することの出来ない呪われた種と、絶対に死ぬことの出来ない呪われた個体、どちらも大して違いはないのかもしれない、と私達三人は気付いているのだ。
 テンノー一族の八億年に渡って累積した知的、肉体的退化は見るも悲惨だが、不死ゆえ容易に堕落してしまう蓬莱人の私だって同じことが起こるのだ。永琳の薬を服用しなければ、私も知的に退化し、言葉すら忘れてしまう。孤独な生活を一千万年も過ごせば、言葉も記憶も、人間らしい感情も、不要になってしまうのである。かつて七曜の魔法を操った魔法使いは、そういう変化こそ退化という名の進化だと言っていた気がするが、時間の経過がもたらす知性の崩壊は、群であっても個体であっても、哀しいものだ。
 そんなこちらの心を知ってか知らずか蛸少女たちがアドヴァイスをした。
「一度、逃げ出して野生化したテンノーを捕まえて食べたことがあるけど。本当に美味しいのよね……」
「お前たち、なるべく私達と同じ恰好でいた方がいいな」
「じゃないと、テンノー鍋にしちゃうかもね」
 そういって場はにこやかに終わり、私たちは蛸人の楽園の住民として迎えられた。

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