蒼い空の下でのお茶会は、最後に茶壷の中に残ったちょっとゼリー状っぽくなった甘い苺を食べるというのをトドメ、ではなく締めにして終わった。その後はお茶のお礼にと永遠亭と診療所を全修復して皆に喜ばれ……以下略。実はその時、薬師に「今ならハグしてキスしてあげてもいいくらいには好きよ」とかと真顔で言われて「ノーセンキューですわ、お姉様」という遣り取りがあったというのは内緒である。
胃袋が苺でいっぱいになっているゆかりんは、腹ごなしに歩いて、次の目的地に向かっていた。ここから近いのは命蓮寺だろうかと、行き先を設定する。
あそこならそれなりに平和だろう。
(あの尼僧が無茶な事をしていなければ、の話だけれど……)
だが、紫の淡い期待はやっぱり薙ぎ倒される。それは命蓮寺が何か巨人の手にでも払われたかのように薙ぎ倒されていたからで。
行く所行く所、一体どうしたのいうのだろうか。溜息を吐かずにはいられない。でも今息を吐き出すと、苺色の溜息なんて出そうで怖かったので、紫はぐっと堪えてみたり、
「あ゛ー!」
していると、声が近くの茂みの中から上がった。茂みの中から現れたのは、探し物が得意なネズミさんだった。
「八雲紫! ここで会ったが百年目……」
「へ?」
ネズミさん、もとい、ナズーリンは声を張り上げる。するとざざざっと何か小さな物が複数蠢く気配がして、ナズーリンと紫をそれらが取り巻いた。
何百匹もの鼠さんが。
「確保ぉ!」
「みぎゃぁあぁぁ!」
ナズーリンの刑事ドラマのような掛け声を合図に、何百匹のもの鼠が紫目掛けて飛び掛かるっ。
紫はギラギラと光る目で迫って来る無数の鼠に悲鳴を上げながらも、咄嗟にスキマを開いて逃げ込んだ。
「な、なんなの一体……」
少し蒼い顔をして、上空にスキマを開く紫。
上半身だけ出して下を見下ろすと、紫の居た場所が夥しい数の鼠で覆われていた。これが本当のネズミーランドなのかもしれないが、そこにはメルヘンの欠片も無く、ただただおぞましいばかりだった。思わず「うわぁ」とか呟いちゃうくらいにはおぞましかった。
「うらめしやぁ~!」
そんな紫に後ろから抱き付くようにタックルしてくる小柄な影一つ。紫はその影に押されてスキマから落っこちないように「おっとっとっ」とバランスを取りながら振り向くと、その妖怪はとても残念そうな顔をしていた。
「何よぉ~。寝起きなんじゃないの? ちょっとは驚いてよ~」
「ごめんなさいね。良い目覚まし時計を使っているものだから」
小傘は紫の言葉にしょんぼりと肩を落とし、紅魔館でのフランドールのように首にぶら下がって口を尖らせた。
可愛らしい(?)デザインの傘が間抜けな顔で笑っている。
「相変わらず可愛らしい雨傘ね」
「うん? まぁね~」
せめてものご機嫌取りにと傘の事を褒めると、小傘は得意げに笑った。
「とぉ!」
そう小傘とフレンドリーな触れ合いをしていると、ナズーリンが飛んできて、紫にしがみ付いてきた。
「あ、ナズちゃん」
「む? なんだ、君か。悪いが私は今忙しい。構ってやれないぞ」
そう事務的に伝えている割には、ナズの眉尻が下がっているのを、紫は見逃さなかった。
本当は小傘と遊びたいんだろうな~と思って、苦笑する。こういう素直じゃない子は可愛らしい。
「さぁ、捕まえたぞ。大人しく署まで来て貰おうか」
「署じゃなくて、寺でしょうに」
紫はくすくすと笑って、小傘とナズーリンを体に引っ付けたまま上空から倒壊した命蓮寺の側に降り立った。
「ご主人ー!」
薙ぎ倒されてメキョメキョになった命蓮寺の瓦礫を必死に漁る寅柄の毘沙門天代理に声を掛けるナズーリン。
「ナズー。槍がどっか行っちゃったんですよー」
ナズーリンの声に、情けない声が返って来る。
そんな己の主人にナズーリンは「またか」と呆れた顔で呟き、
「後で探すのを手伝う。今はこれを見て欲しい」
と、気を取り直して紫を『コレ』と言って指差した。
星は「なんですか~?」と顔を上げて、固まった。
「……ごきげんよう?」
一応紫も声を掛けてみる。
星は「ゆっ、ゆっ、ゆっ」と声を途切れ途切れに発して、
「ひじりぃいいぃぃん!!」
そうして、裏の山に向かって叫んだ。谺した声は山彦となって返って来て、そうして山中から飛んで来る一つの影が。
それは今し方伐採したばかりというような大木で、そこに人影が飛び乗り、ひゅーんと落下してくる。大木は三分の一程地面に埋めて停止し、乗っていた人影がひらりと着地する。
「星ちゃん、何がありました!?」
それは、何故か上は黒いタンクトップで、下は灰色のニッカポッカという格好で良い汗を額に浮かべた白蓮だった。ついで髪はポニテで、頭には『安全第一』と書かれた黄色いヘルメットを被っていた。
「ひ、ひじっ!」
「はい、どうしましたか?」
「っ、ゆ、ゆゆ、ゆっ!」
星の指差した方を見る白蓮。そこにはナズーリンがいて、白蓮の視線はナズーリンが指差している方向へを見る。
「なぁ!?」
そうして、白蓮の目が見開かれた。
ひじりんの金色の瞳の中に、後光でも見たかのような神々しい光が灯る。
「紫さん!?」
その瞬間、ナズーリンと小傘がばっと紫から離れた。
どうしたのかなと思っていると、まるで瞬間移動でもしたかのように目の前には白蓮の顔があり、
「起きられたんですね!」
「ぐぇっ!?」
抱き締められた。物凄い力で抱き締められた。
「ぐ、っ……っぅ……」
紫の唇から苦しげなくぐもった声が漏れる。
どうやら肉体強化系の魔法をかけたままらしく、白蓮の両腕の力は振り解こうとしてもビクともしなかった。というか、動くことすら出来なかった。
「はぁ、良かった。今年は例年よりも遅かったので、何かあったのかと心配していたんですよ」
安堵の溜息を吐く白蓮。しかし力強い抱擁は解かれない。安堵しているのに力が強まるとはどういうことだろうか。しかも持ち上げられて爪先が地面と絶妙な距離間を描いている。
「っ、びゃ、びゃくれっ……」
無理無理。こんなのらめっ。潰れちゃうっ。ゆかりん強い子だけどこれは流石に潰れちゃう!
(……リバる……)
リバースする、略してリバるである。
主に苺とか苺とか、あと苺とかが圧迫された内臓から逃れるように口からどぱっとリバースしそうだった。
紫は辛うじて動く指先で、たしたしと白蓮の脇腹辺りを叩く。叩くというよりは触れているに近いタップの仕方だった。白蓮はそれで漸く紫が青白い顔をしている事に気付き、慌てて抱擁を解いた。その場で紫は崩れ、地面に両膝を付く。
「ごご、ゴメンなさいっ! あまりにも嬉しかったものですから!!」
「っ、ぅ……ふ……はぁ、はっ、ぁ……」
(ちょ、ちょっと待って。少し待って。ちゃんと大丈夫って言うから、もうちょっと待って……)
せり上がって来る苺とかをなんとかして胃へと戻し、紫は息を整える。
白蓮が「どうしましょうどうしましょう!」と慌てて、それにつられて星までもが慌てふためき始めたので、早急に呼吸を整える必要があった。
紫は何回か深呼吸をして顔を上げる。
「随分と熱い抱擁ね」
まだ顔は蒼かったが、紫はへらりと笑ってそう言う。白蓮はその笑みにほっと胸を撫で下ろして、紫に手を差し伸べた、
「帰ったよ~」
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
ところで響く三つの声。出掛けていた村紗と一輪、ぬえが揃って帰宅したらしい。帰るべき寺は壊れているが。
「あぁ、おかえりなさい!」
その三人に「皆さん聞いて下さい!」と意気揚々と白蓮が話しかける。
紫は差し伸べられた手をもう掴んでいたので、白蓮が思わず万歳でもするように上げた手に引っ張られて強制的に立たされていた。
瞬間、三人から「あー!」という声が揃って上がった。
村紗は「もう、遅いっての!」と笑いながら言い、一輪は「良かった。これで寺がもう壊されなくて済む」と安堵し、ぬえは「なーんだ、起きちゃったのか」と若干詰まらなそうに鼻を鳴らす、というポーズを取っていた。
「何もありませんが、どうぞゆっくりして行って下さいね」
白蓮は申し訳なさそうにしながら、優しげに紫に微笑み掛けて、唐突に倒れた。
一同が「あっ!」と声を上げるが、紫は咄嗟に両腕を伸ばして傾いでいく体を支えた。
「聖ぃ!」
皆が駆け寄って来る中、紫はその場に腰を下ろして、抱き止めた体を横たえた。
「大丈夫?」
「すみません。安心したら魔法が切れてしまいました」
あははっ、と力無く笑う白蓮。命蓮寺の面々から話を聞くに、もう三日ほどぶっ通しで肉体を強化したままだったとの事だった。
「襲撃……ここんところ酷かったもんね」
「姐さん……無茶させてゴメンね……」
「ひじり……」
「もう休んで大丈夫ですよ、聖。紫様がいらっしゃいますから」
「だいじょうぶ?」
「聖、少し休んでくれ」
心配する皆に白蓮は「すみません」と小さく言った。
(……襲撃、ねぇ)
襲撃なんて呼ばれているのか。本当に、困った子だ。
紫は溜息を押し殺しながら、薙ぎ倒された命蓮寺を見て、その地面に大きなスキマを展開した。
命蓮寺だった者はスキマの中へと飲み込まれ、そうしてずっずっと元通りの寺が出現した。
「寺が……!」
皆が唖然としている中、白蓮だけが辛うじて声を出した。紫は苦笑しながら、よしよしと白蓮の頭を撫でた。
「全部元通りにしておいたから、ゆっくり休むと良いわ」
「紫さん……ありがとうございます……」
何かせめてお礼を……と白蓮は呟いて星を見る。星は困ってナズーリンを見て、ナズーリンは村紗と一輪とぬえと目配せをして頷く。それを小傘はきょとんとした顔で眺めていた。
「八雲の姐さん、良かったらコレ飲んで下さい」
一輪はそう言い、グラスを紫へと差し出した。そこに注がれている液体の色を見て、紫はまた顔を蒼くさせた。
「人里の方に搾り立ての牛乳を貰ったんで」
一輪の言葉を村紗が継ぐ。そしてぬえが「太陽の畑で貰った新鮮な苺で作ったから」と付け加えた。
(くっ……あのドSが元凶だったのね……)
紫は奥歯で苦虫でも噛み潰したかのような顔を作りたかったが、白蓮の純粋な目が「これは美味しそうですね。さぁ、遠慮せずにどうぞ」と微笑んでいたので、代わりに「いいのに」という遠慮がちな苦笑を浮かべた。
目の前に差し出されたグラスに入ってるのは、つぶつぶの果肉たっぷりの濁ったピンク色の液体だった。
「……うわぁい……いちごぎゅーにゅー……」
紫は小さく呟いてグラスを受け取る。
冷や汗が出て来て、紫は困った顔で苺牛乳と向き合った。
もう体液の半分くらいが苺になっちゃってるんじゃないかなと、そんな下らない事を考えつつ、グラスを煽ったのだった。