ほっといちご、苺タルト、ストロベリーティー、いちご茶、苺大福、いちご・オレ、ミルク苺大福、苺と桃のフレッシュジュース、いちごプリン、いちごクッキー、いちごチョコ、いちごのケーキ、いちごおでん。
もういい加減苺を嫌いになっちゃってもいいんじゃないかな。もうゴールしてもいいんじゃないかな。
と、紫の意識は諦める方向へ向かっていた。苺にこんな風に苛まれる日が来るなんて一体誰が予想できただろうかと、甘ったるい苺味の息を吐き出し、鬱屈した気持ちをなんとか持ち直す。
まだ行きたい所が二か所ほどある。では先にどっちに行こうかなと思案する。
「やっぱり、先に魔法の森かしらね?」
決めて、紫はスキマを開いた。
森の中は、相変わらず薄暗く、じっとりとした湿気に覆われていた。柔らかく薄い闇の膜に包まれ、静寂に満ち満ち、小鳥の囀りもない。あるのはひっそりと響く草木の音と、虫の声くらいだったが、それが一層森の不気味さに拍車をかけている。
不思議な植物が生い茂る森は、再生能力も生存力も強い為、辺りを見回しても既に回復した後なのか、損傷は見当たらなかった。
道なき道を進んで行くと、草を刈って踏み固められた獣道を発見する。その道に入って更に奥へと進んでいくと、ふと視界が少し開けて、倒壊した小さな家が目に入った。
瓦礫の中から使える物を選別している小さな女の子の姿も見つける。しょんぼりと肩を落として、瓦礫を成長途中の細い腕で懸命に持ち上げ、がさがさと手を忙しなく動かして埃や土を退けている。
「魔理沙?」
なるべく驚かさなように慎重に声を掛けるが、それでもやっぱり驚かしてしまったらしい。
白と黒のコントラストが目立つ服を纏った少女は、肩を大きく飛び跳ねさせて勢い良く振り向いた。
「っ!」
振り向いて、目を見開いて。魔理沙はパクパクと口を閉じたり開いたりを繰り返す。
そんなに驚かなくてもいいのにと思いながら、「ごきげんよう?」と続けると、魔理沙はじわぁ~と目を潤ませた。
「っ……ぅわぁあぁぁぁん!」
「!?」
いきなり泣き出す魔理沙に、今度は紫がビックリした。
「え、ど、どうしたの?」
「うわぁあぁぁっ、ひっぐ、ううぇ、ぁあぁぁ」
幼子みたいに泣きじゃくる魔理沙に、紫は「困った。どうしよう」と内心で呟く。これでは私が泣かせてしまったみたいだと焦った。
打算の無い笑顔にも弱いが、こうやって泣かれるのにも弱い。特に子供の涙には滅法弱い。
「ほら、泣かないで」
紫はなるたけ優しく言葉を紡いで、魔理沙を抱き上げる。小さな子供にするように、お尻の下に片手を回して、片手で背中を撫でる。
「よしよし」
感情が高ぶって、それに比例するように魔理沙の体は温かくなっていて。子供の体温だなぁ、とこんな時なのに呑気に思った。
魔理沙の頬には大きな湿布が貼ってあって、鼻の頭には絆創膏があり、腕や足にも白い包帯が見えた。
きっと一番頑張ってくれたのはこの子なんだろう。そう思うと、申し訳なさと一緒に苦笑が漏れた。
「ゴメンなさいね」
よしよしと頭を撫でる。
魔理沙は紫の肩に顔を埋めて、嗚咽を漏らし続けている。
もしかしたら聞こえていないかもしれない。けれど、紫は言う。
「ありがとう」
すんすん鼻を鳴らして、魔理沙は小さく頷いた。
よしよし、いい子ね。と、優しくあやす。
もう大丈夫。と付け加えて、優しく優しく宥める。
「大丈夫よ。もう春だから」
体を穏やかに揺らして、優しく言う。
魔理沙はぐずぐずと鼻を鳴らして、小さく頷く。
しがみつかれた手もボロボロだった。
後で藍がよく使っている傷に良く効く軟膏を分けてあげようと思いながら、よしよしとあやし続ける。
そうやって暫く続けていると、しがみ付いていた手から力が抜けて、魔理沙は涙で濡れた顔を微かに上げた。
「……忘れてくれ」
鼻声で小さく魔理沙が言う。
泣いてしまった事が恥ずかしいらしく、頬が紅くなっていた。
「ん~。それは無茶な相談ねぇ~」
のんびりと答えて「泣き顔をも可愛いわよ」と付け足すと、べちっと頬を叩かれた。
「この一級フラグ建築士め!」
「いや、貴女に言われたくないのだけれど」
軽口も叩けるようになったので大丈夫だろう。
そう紫は判断して、魔理沙を地面に下ろす。
魔理沙は自分の足でしっかり立つと、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
そんな態度が子供っぽくて可愛らしいなんて思って、天然パーマの強いふわふわの頭を撫で付けた。
むっとした魔理沙はその手を掴んで、ぎゅっと握った。逃がさないぞとばかりに、ぎゅっと。
別に逃げたりしないのに。とは思うが、スキマで自由に移動する術を持っているとなかなか信用してもらえないらしい。
魔理沙は紫の手をぎゅっと握ったまま、倒壊した家をびしっと指差した。
「とりあえず家を直してくれ」
「はいはい」
紫は苦笑しながら指を鳴らす。
乾いた音が湿気の多い森の中に響いて消える頃には、魔理沙の家は元通りになっていた。
「おぉ。さすがだぜ」
「お褒め頂き光栄です」
茶目っ気混じりに、紫は恭しく頭を下げてみたりする。
すると魔理沙は「ははっ」と軽やかに笑った。
「泣き顔も悪くないけれど、貴女は笑った顔の方が似合うわね」
「黙るんだぜ、このスケコマシ妖怪っ!」
「だから、貴女に言われたくないってば」
魔理沙は頬を紅くしたまままた顔を背けて、紫の手を引いて歩き出す。
「よし。じゃあ次はアリスん家だな」
あいつん家も酷い事になってるんだぜ。と、魔理沙は紫を見上げた。
「というか、幻想郷中が酷い有様なんだからな。紅魔館も永遠亭も妖怪の山も。白玉楼だって酷いぜ」
「知ってるわ。もう行って来たもの」
「なんだ。じゃあ家が最後か?」
「そうだったんなら良かったんだけど……もう一か所行かなきゃ行けない所があるのよねぇ」
「ふぅ~ん。だったらさっさと済ませてラストステージに行ってくれ。私はアイツの相手は暫くはしたくないからな」
肩を竦める魔理沙に、紫は苦笑しか返せなかった。
魔理沙の傷付いた手が痛まぬように、そっと握り返す。
「それにしても傷だらけね」
「おぅ。幻想郷中が満身創痍だぜ」
魔理沙の言葉に、紫は静かに頷く。
人間も妖怪も幽霊も魔法使いも神も、みぃーんなボロボロだったのを、既に見ていたから。
「まぁ、みんな好きでやっててそうなってるんだけどな。ほんと、霊夢のお守りも楽じゃないぜ」
軽口を叩いて、魔理沙はにへへと軽く笑う。
言葉の裏に含まれた「気にするな」という気遣いに、紫はまた苦笑を零していた。
「可愛いでしょう?」
「へーへー。嫁自慢は他でやってくれ」
そうやってお互いに軽口を叩きあって歩き続けていると、屋根が半分無くなっているしたマーガトロイド邸に到着した。
人形達がせっせと壊れた家具や、屋根の残骸を外に運び出してていたり、屋根の修繕を行っていた。
「アリスー!」
魔理沙は明るい声で呼び、人形達に忙しなく指示を出しながら片付けをしたいた少女に声を掛ける。
アリスは絹のような金色の髪を凪ぎかせて振り返る。サファイアを嵌めこんだような色の瞳に二人の姿を映し込んで、静止した。
「…………」
パチパチと、瞬き数回。もう一度瞬き。更にもう一度。
それから目を手の甲で擦って、幻覚ではない事を再確認して、
「……起きたの?」
漸くそう声を発した。
「長かったな」
「長かったわね」
二人で苦笑し、アリスに歩み寄る。
アリスは疲労感が滲む顔に笑みを浮かべて紫を見て、「おはよう」と呟いた。紫も「おはよう」と返した。
「あぁ、そうだ。上がって行って。紫の為に作っておいた物があるから」
「私の為に?」
紫は小首を傾げるが、隣の魔理沙は「あ、あれか!」と頷いて、悪戯っ子のような笑みを紫に向けた。
「な、なにかしら……」
おっと~。嫌な予感がもりもりするぞー。と、口の中だけでふざける。だが、魔理沙に勢い良く引っ張られて、紫は不本意ながらもアリスの家にお邪魔する事になってしまった。
部屋へと通され、ソファーに座らされる。魔理沙はアリスを追って奥へと向かったので、紫は一人で待つ形になってしまった。
奥、恐らく台所から「もっと盛っちゃえって」とか「邪魔しないで」とか、そんな楽しげな声が聞こえてくる。
何故だか悪寒を感じて、紫は半分無い天井から空を見上げた。雲が優雅に空を泳いでいるのが見えて、もういっそ雲になりたいなぁ~などと冗談交じりに思って現実逃避する。逃避するついでに、屋根を直しておいてあげた。
(でも、きっと大丈夫よ……だって『いちごおでん』っていう強敵もいたし……)
そして乗り越えて来たのだから。紫はそう心を強く持った瞬間、
「お待たせ」
と、二人が部屋に戻ってきた。アリスは紅茶を持って、魔理沙はシルバーのトレイを持って。
「!」
そして、そのトレイの上に乗った塔のようなものを見て、紫は顔を真っ青に染めた。ついでに胃も痛くなった。
そこにあったのは、巨大なグラスに盛られたピンクのグラデーションが綺麗なデザートだった。
「いちごパフェだぜ♪」
目の前にそれが置かれる。
ドンッという鈍い音を奏でて机の上に置かれたそれからは、凄まじい重量感と威圧感が漂っていた。
(迂闊だったわ……ラスボスのステージって、此処だったのね……)
紫は「まだサブイベントを全部クリアしてないのに」と冗談交じりに考えながら、目の前に置かれたデザートを凝視する。
一番底の層は濃い赤で、上に行くにつれて徐々に薄いピンクになりながら、綺麗な層を描いているパフェ。
下から順に、甘酸っぱそうなラズベリーソース、淡いピンク色をした苺の生クリーム、苺チョコでコーティングされたコーンフレーク、また苺の生クリーム、苺味のふわふわシフォンケーキ、繋ぎに苺の生クリームと来て、そして、果肉がごろっと入ったストロベリーアイスと苺のムースが天辺を飾り、苺のウエハースと苺ポッキーが突き刺されて、細かく砕かれた苺チョコが鏤められていた。もう、全体的にピンクだった。
「春の幻想郷をイメージして、作ってみたの」
と、アリスがはにかんでいる。
これではテキトーに苺系のものを突っ込んだだけでしょうとか言えない。
その隣で「可愛いだろー」と魔理沙も笑っていた。
アリスの事を言ったのかパフェの事を言っているのか判別がちょっと付かない言い回しで、こっちも突っ込みづらい。
「……っ」
紫は涙を堪えつつ、柄の長いスプーンを手に取った。
今まで生きてきた中で、こんなにもピンチに陥った事は無い。主に胃的な意味で。
「い、いただき、ま、す……」
ぎこちなく笑って言うと、二人は満面の笑みを浮かべて「召し上がれ」というのだった。
ここにきてこんなラスボス倒せるわけが無いと思いながらも、二人の笑顔を崩さない為、ゆかりんは苺パフェに挑むのだった。
* * * * *
無理だった。いや、ちゃんと食べ切ったけれど、途中何回も意識が遠のいたし、何度も休憩を挟んだし、何回か鼻血を出すかと思ったし、幾度となく嘔吐しそうになったりして。そうやって漸く倒したというか。
「もう苺は当分見たくないわね……」
紫は満身創痍(主に胃が)な様子で呟き、スキマの中を漂うように体の力を抜いて横になっていた。
もう苺も糖分も暫くはいらない。というか食べ物自体を暫く見たくない、と、そんな状態まで追いつめられていた。主に胃とか腸が。それから口と舌が。
「もぉ、どうして苺ばっかり……」
お陰で苺が嫌いになる一歩手前だ。今なら匂いを嗅いだだけで戻してしまうかもしれない。
紫は「はぁ……」と大きく溜息を吐いて、起き上がる。もう少し休みたいが、そうこうしていたら日が暮れてしまうから。
「それじゃあ、ちょっと寄り道をしながら、苺祭の元凶に会いに行きましょうか」
紫はスキマを開く。
鈴蘭畑に寄りつつ、幻想郷の中で一番太陽の光を浴びることの出来る場所へと向かった。