「かるひじょーぐじゃないでづが~」
その後、フルボッコされて顔中ボコボコになった文が、喋り難そうにぼそぼそと呟く。
霊夢は相変わらず不機嫌そうに鼻を鳴らして、文から奪い返した真っ白な封筒を片手に大事そうに抱えて、もう一方の手で大切そうに角を指先でなぞった。
真っ白な封筒は、珍しく横に開くタイプのもので。まるでチョコレートをそのまま垂らしたみたいな蝋で封をしてあった。
「……中見た?」
「見てませんよ。というか、見れるわけないんですよ」
全く乱暴なんだからと文句を言いながらも、流石は妖怪。既に回復した文はその封を指差した。
「なんたって『封』がされてますからね、宛名主(霊夢さん)しか開けられないように。全く、何処の誰だか知りませんが準備がいいんだから」
「……そう」
アイツならそれくらいのことは簡単にやってのけるか。
霊夢は中身を覗かれていないことに少しだけ安堵して、誰にも分からぬ程度に胸を撫で下ろした。
「何度か賽銭箱に手紙が入ってるのを見かけましたが、どれもこれも同じように『封』がされてるんですよね~」
「!?」
「三日に一度くらいな間隔で届いてるみたいですけれど」
さぁ~て。誰からのお便りでしょうか? そう言って文はまたニタニタと笑い始める。
今度から対天狗用の結界を神社の周りに張っておこう。是非そうしよう。絶対にそうしよう。そしてあとでもう一度このバカ天狗をぶっ飛ばしておこう。霊夢はそう固く決めて、真っ白な手紙を指先で撫でる。
いつもとは全く違う封筒の形。それは紅魔館から来る食事会だとかを知らせる招待状とかいうものが入っている封筒によく似ていた。
文から数歩距離を取って、霊夢は封を開ける。
「……なにこれ?」
中に入っていたのは、封筒に丁度収まるくらいの大きさの紙切れ一枚。
読めない文字……恐らく外の世界のどっかの国の言葉らしき文字で何か綴られていた。
「あやや。これでは読めませんね~」
いつの間にか距離を詰めてきていた文の肋骨へ、霊夢は容赦なく肘鉄を入れる。悶え苦しむ文を放って、霊夢はその紙切れと睨めっこを続けた。
咲夜とか早苗とか。そこらへんに聞けば早いだろうが、何が書いてあるか分からないからそんな事はできない。
――また逢いに行くから。
どうしようと考える前に、なんとなくその言葉が蘇る。
霊夢は紙切れをまた封筒の中に戻して、丁寧に閉じた。
「あれ、しまっちゃうんですか? なんでしたら私が紅魔館まで一っ走り」
「余計なお世話よ」
「つれないですね~」
もう母屋に戻ろうとする霊夢に、文は苦笑を浮かべた。
「あたしはいいから、さっさとあの犬っころのトコに戻りなさいよ」
「あやや。バレてましたか」
振り返った霊夢は文に素っ気無く告げる。どいつもこいつもなんなんだと、そう迷惑そうな顔で。
「クッキーが焼けるまで丁度時間がありまして。なので皆さんはバレンタインをどうお過ごしかなと思ったんですが……」
「あそ……それで皆どーしんのよ?」
「えーっとですね」
文はまた手帳を取り出して、取材してきたアレコレを喋り出した。
「紅魔館ですが、メイド長は夕べから準備していたというドデカイチョコレートケーキを門番さんにプレゼントしまして、それで門番さんはチョコまんと呼ばれる中華まんをお返ししてました」
「相変わらず甘々ね」
「でも主の方は苦いですよ。図書館のひきこもりっきりの魔女は今年もチョコをくれなかったと嘆いてました」
「アイツは自分からあげるとかしないの?」
「これがまた厨房に立ち入り禁止みたいでしてね」
「……アイツんちでしょうが」
それからもう少し文の話は続く。
山の神社では巫女が神様に今年も愛情たっぷりのチョコを送ったこと。でもそのチョコは片方が大きくなっていてハートの形になっていたこと。それで土の神が少し拗ねたこと。
河童が厄神に形は悪いが味の塩梅は良いクッキーを渡したこと。
白髪の蓬莱人が竹林のお姫様に渡す為に買ったチョコを、やっぱり恥ずかしくて自分で燃やしてしまったこと。
とある薬師にとある寺子屋の教師がチョコを渡せずに未だあくせくしていること。
白玉楼の庭師が買っておいた材料を主に食べられてしまって、今材料集めに奔走していること。
キンキンに凍ったチョコ菓子を、大妖精がこの寒空の下で頑張って食べていること。
どこぞの閻魔様が部下の元にチョコを届けに行ったのに、結局お説教をしてしまって渡すタイミングを逃していること。
結局間に合わなくて、人形師と一緒にチョコレートを作っている森の魔法使いのこと。
今天狗がクッキーを焼いていること。同じように部下の狼天狗が饅頭を作っていること。
文は「椛の作った紅葉饅頭は美味しいんですよ~」と結んで手帳を閉じ、霊夢はまた「あそ」と素っ気無く頷いた。
「今日も平和でなによりね」
「えぇ、全く。まぁ、一部平和じゃないようなので、幸せの御裾分けにきたわけですけれど……」
文がチロっと霊夢を見ると、霊夢はギロっと睨み返す。
「あやや」と言いながら苦笑する文に、
「余計なお世話だっつってるでしょ」
やっぱり霊夢は、素っ気無く返して。でもその指は手紙をそっと撫でていて。
文はそれを見て目を細めていたが、ぐっと伸びをしてトントンっと石畳を蹴って飛び上がった。
「さて。そろそろクッキーが焼きあがる頃なのでお暇させて頂きます。霊夢さんなら義理チョコをたくさん貰えると思いますが、余ったら私も持ってきますね」
「いらないっつーの」
それでは失礼しますと手を振る文に、霊夢はさっさと去れと追い払うように手を振る。
やはり幻想郷最速の名は伊達じゃないようで、文の背は瞬く間に小さくなって見えなくなっていった。
「はぁ。全く、どいつもこいつも……」
溜息を吐いて。でも、霊夢は少しだけ笑った。
幻想郷は今日も平和で何よりだ。
……アイツが知れば、きっと喜ぶ。
霊夢はくるりと踵を返して、母屋へ戻る。甘ったるい話を聞いてしまったから、それを茶請けに熱くて渋いお茶でも飲もう。
霊夢は持っていた手紙を、他の手紙がしまってある箱にそっと入れる。と、そこで、箱の中で昨夜はなかった筈の物を見つけた。
「なにこれ?」
手にとって見ると、それは木で作られた可愛らしいデザインの鍵。
小指くらいの大きさの鍵を、霊夢は手の平に乗せて眺める。見覚えはないが、触った感触に既視感を覚えた。
――今日はね、プレゼントを持ってきたのよ。
「……プレゼント?」
夢の中でそんなことを言われたような気がする。あんまりよく覚えていないから確かではないけれど。
「どういう意味があんのよ……」
霊夢は手紙と鍵を交互に見比べる。
手紙に書いてあることが読めれば直ぐにでも解るんだろうが、読めないんだから話にならない。
大体プレゼントってなんだ。そんなもんいらないのに。
「物なんか、いらないわよ……」
物はもう、この気紛れな手紙達だけでいい。
これ以上捨てられない物ばっかりになったら動けなくなる。
それに、
「ものじゃなくて……」
物じゃなくて、そうじゃなくて。
「……バカみたい」
霊夢は少し自嘲気味に呟いて、お湯を沸かそうと立ち上がったが、そこでとある『異常』に気付いた。
さっきまで此処に、この居間になかった筈の扉が唐突に出現していた。しかも日本家屋な母屋には似合わない、洋風な扉だ。
「……なにこれ」
本日三度目となる言葉を零し、霊夢は不審に思いながらもドアノブに手をかけようとして、また『異常』に気付く。
扉にはノブがなかった。じゃあ押せばいいのかと思って、扉を押してみるがビクともしない。
「?」
マジでなんだこれ。
首を傾げながら考えるがいい方法も浮かばない。
もう面倒臭いから攻撃でもしてみようかと思い始めた頃、手に持ったままだった鍵の存在に気付いた。
「これを使えっての?」
今日届いた手紙と、さっき見つけた鍵。霊夢は両手に持ったそれを見つめて、鍵を持った方の手を扉へ伸ばす。
鍵穴も無かった筈の扉。でも鍵を近づけると鍵穴がゆるりと出現した。
入れて、回す。
カチッという音がして、扉が開く。
こんなよく分からなくて面倒臭くて回りくどいコトをさせるヤツなんて、一人しか思いつかない。
霊夢はトクントクンと心臓が脈打って、落ち着かなくなっていく自分を感じながら扉をくぐった。