テラスで陽光を浴びながら、穏やかな寝顔を見せるメイドの姿があった。
黒のワンピースに、フリルのついた白いエプロンというスタンダードかつ愛らしいメイド服。
白い髪を飾っているのは白いフリルつきカチューシャではなく、大きな紅白のリボンだ。
テーブルの上では湯飲みの中身が冷たくなっていて、随分前から居眠りしているのだと解る。
本は栞を挟んだまま開いており、ページをめくる程度の力もないそよ風が白い髪をわずかに揺らす。
幻想郷でもっともシエスタが心地よいとさえ言われるこの館で、彼女はやすらかに休んでいた。
パタン。ページをめくる程度の力もないそよ風が吹いて、開いたままの本が閉じた。
表紙は分厚くて重い。とても風で動かせるものではない。
だから、本が閉じたのもテーブルから離れたのも風の力ではなく、本に触れる手の力だった。
細く小さな指で掴まれた本は、三日月のような軌跡を描いてメイドの頭頂部へと振り下ろされた。
ゴスン。表紙ではなく面積の狭い背での殴打。集中された威力はメイドの頭部を重く揺らす。
「う、うん……?」
シエスタから目覚めた彼女は眼をしばたかせながら顔を上げ、かたわらに立つ小さな人影に気づく。
「ああ……お嬢、おはよう」
紅い悪魔。
永遠に紅い幼き月。
レミリア・スカーレットが眉を釣り上げていた。
右手にはたった今彼女を殴打した本、左手では日傘をさしている。
「私のティータイムはとっくにすぎているのだけれど、あなたはここでなにをしているのかしら」
「シエスタ」
あくびを噛み殺す彼女を見て、レミリアはますます眉を釣り上げた。
「メイドとしての自覚が足りないようね。クビにしてやろうか、それともクビを刎ねてやろうか……」
「紅魔館で仕事をサボってするシエスタは、幻想郷一心地いいって逸話を知らないの?」
「知らないわ。誰がそんなホラを吹いているのよ」
「美鈴先輩」
直後、レミリアの右手が消失した。
否、眼にも映らぬ速度で本を投擲したのだ。
完璧な力加減、あるいは運命操作によるものか、本は狙い通りの位置に落下した。
すなわち紅魔館の門で門番をしている美鈴の頭である。シエスタしていたため回避できず直撃。
距離があるため悲鳴の類が聞こえなかったのが残念だ。
「本を乱暴に扱うと怒られるよ」
「あなたのせいにするから構わないわ」
「鬼、悪魔、人でなし」
「鬼だし悪魔だし人でもないわ」
「人、人類、鬼でなし」
「それって悪口になるの?」
「ノーライフキングたる吸血鬼を脆弱な人間扱いしてるんだから、悪口でしょう」
「面白い解釈ね。褒美に爪でバラバラに引き裂かれるか、グングニルで貫かれるか、選びなさい」
「謙虚な私は偉大なるご主人様からのご褒美を辞退するのであった。偉いなー、立派だなー」
「お前をメイドにしたのは失敗だったわね」
「プリン作ってやるから、許せ」
レミリアの頭をポンと叩き微笑んで見せた彼女は、椅子から立ち上がると軽く背伸びをした。
「ちょっと、たかがプリンくらいで……」
「チョコレートプリンだ」
ニタリ、と。
彼女は己の勝利を確信した笑みを浮かべ、屈辱を感じながらもレミリアは妥協しなければならなかった。
チョコレートプリンだから仕方ない、仕方ないのだ。ノーライフキングの矜持でも抗いきれるものではない。
「……早く仕事に戻れ」
「あいよッ」
威勢のいい返事をして、彼女は紅魔館の中へと入っていった。
その背中を見送ったレミリアは、晴天を見上げ眼を細める。
あの日は憎らしいほどに晴れていた。
あの日も憎らしいほどに晴れていた。
藤原妹紅が紅魔館の門を叩いてメイドになった日も憎たらしいほどに晴れていて。
今日この日も憎々しいほどに晴れていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
甘い匂いを漂わせる厨房。もちろん妹紅がチョコレートプリンを作ってるのが原因だ。
メイド長直伝のお菓子作りの技術を、紅魔館最年長の料理経験という下地の上に吸収した妹紅。
すでに一部の料理においてはメイド長を凌駕する腕前!
特にお菓子は妹紅自身が楽しむため自主的に作るケースも多く、
妹紅製プリンは吸血姉妹のハートを射止めているお菓子の代表格であった。
クッキーやケーキではまだメイド長にはかなわないけど。
「ふあっははははははッ! 完ッ成ィ! 妹紅特製チョコレートプリン! 隠し味は味噌! ていうかこれホントは味噌プリン! お嬢が驚く様が眼に浮かぶゥ!」
なにやってんだこのメイド。
つまみ食いにきていた少女は、なぜか甘い匂いを漂わす味噌プリンを見て呆れた。
多分、あれは宿敵輝夜への嫌がらせ用に考案したプリンに違いない。
紅魔館最年長である彼女は、今までの経験を存分に活かして色々ヤっちゃっうのさ。
「よしじゃあ味見はそこにいる妹ちゃんに頼もうかな」
「ゲッ、見つかった!?」
「釣れた釣れた、悪魔の妹一本釣り」
調理台の陰からうっかり顔を出してしまったフランドールを見つけて、妹紅はカラカラと笑った。
「しまった……」
「おお、妹様! フラン様! こんな時間に厨房で、果たしてなにをしていらっしゃるのか?」
「うー、つまみ食い……」
「正直者は馬鹿を見るってね。はい、チョコレートプリン」
と、味噌なのかチョコなのか判別のつかないプリンを差し出す妹紅。
困惑しながら受け取ったフランドールは、上目遣いで疑問を投げかける。
「正直者が馬鹿を見るなら、これは味噌プリン?」
「ああ間違えた。信じる者はー救われるー」
余計に解らなくなるフランドール。
これがチョコレートプリンならば、お姉様を出し抜いて独り占めしたいくらいだ。
だが味噌プリンだとしたら、その味は如何なるものか。想像するだけで身の毛がよだつ。
匂いはチョコレートだけど、だからといって信用できないほど妹紅の技術は高い。無駄に高い、さすが最年長。
「仕方ない。特別サービスだ」
と、妹紅はもうひとつチョコレートプリンを取り出した。
右手のプリンは左手のプリンよりやや茶色っぽい。
だからといってチョコと味噌を見分けるものではない。
「右手と左手、一方はチョコレートプリンだがもう一方は味噌プリン! 好きな方を選べ! フラァンドゥオォォォオォルゥ・スカァーレェットォ!!」
「くっ、こうなったら最後の手段! 両方頂いて一口ずつ味見ッ、そしてチョコレートプリンだけ完食する!」
そう言ってフランドールは両方のプリンを強奪すると、翼を広げて厨房の中を飛翔した。
「あ、ズルい。フランそれ反則ー」
「フハハハハ、お前の目の前で味噌プリンを投げ捨ててくれるわ! どれ、まずはこっちから。パクッ! ビンゴ! こっちがチョコレートプリンか! ならばこっちの味噌プリンなんて……」
「タンマ、味噌プリンはお嬢に出しちゃおうぜ」
「お姉様に? クフフ、元々その予定だったようだし……私も味噌プリンで苦しむお姉様を見せてもらおっと」
こうしてイタズラ気分ルンルンモードに突入したフランドールは、率先して味噌プリンを姉の所に運んだ。
レミリアの部屋に行くと、ノックをしても返事がなく、面倒だからと了解もなしに二人は戸を開けた。
先代が残したセンスのいい調度品で飾られたレミリアの部屋。
丸いテーブルには真っ赤なテーブルクロスがかけられ、中央には透明の花瓶に真紅の薔薇が生けてある。
窓は厚手のカーテンでおおわれ、もちろんこれも真っ赤。
昼間に間違えてカーテンを開けても陽射しが入らぬようガラスは使われておらず、すべて木造だ。
夜になればこの窓からは月が見えるよう調節してある。
タンスの中にはカリスマ吸血鬼を飾る可愛らしい洋服がたくさんつまっている。
吸血少女の下着という夢もいっぱいつまっている。
壁には幾つか額縁があった。中身は絵画と写真で、割合は半々といったところ。
そして天蓋つきベッドに寝転んでいる悪魔の姿を見つけ、妹紅は眉をひそめた。
眠っているのかどうかは解らないが、穏やかな表情のレミリアから深く静かな闘気を感じたのだ。
殺気ではない、闘気だ。
イメージトレーニングでもしているのだろうか。それとも。
結論を出さないまま、妹紅はテーブルに置かれていた本を掴むと、スタスタとベッドに向かった。
「お返しだ、ていっ」
本を振り上げ、慈悲深く表紙で軽く頭をはたく程度のつもりだったのだが、瞬間、レミリアの双眸が見開き真紅の眼光が妹紅を射抜き、手首が圧迫された。
見れば、レミリアに手首を掴まれていた。
ほんのわずか力を込めるだけで妹紅は痛みに喘いで本を落としてしまうだろうし、もしかしたら手首を握りつぶしたり捻り切ったりする程度の握力を発揮されるかもしれない。
「お嬢、プリン持ってきたよ」
だが逆にそうなっても構わないといった風に妹紅はほがらかな口調で微笑み、レミリアを呆れさせた。
「部屋に入る時はノックをしなさい」
「したよ。気づかなかったそっちが悪い。ほら、フランが配膳を手伝ってくれたんだ」
「フラン? あら、ありがとう」
妹紅の背後で味噌プリンを持って笑っている妹に気づき、レミリアは微笑み返した。
だがなぜだろう、フランの笑みはニコニコというよりニヤニヤとかニタニタといった種のものだ。
「お姉様ー、チョコレートプリンをお持ちしたわー」
「ええ、テーブルに置いておいて」
「はぁーい」
甘ったるい返事。これはなにかあるな、とレミリアは用心を深める。
妹紅をいちべつし表情を探ったが、素知らぬ風だ。さて、どうしたものか。
テーブルまで五歩の距離。
一歩。匂いは普通、チョコレートだ。
二歩。色も普通、チョコレートだ。
三歩。フランドールを見る、唇にチョコレートプリンを食べたと思われる痕跡が。
四歩。妹紅を見る。二人分作って先にフランドールに食べさせたのだろうか。
五歩。再びフランドールを見る。イタズラが成功するのを待つ子供のように瞳を輝かせている。……イタズラ?
着席。なにかイタズラを仕込んだのだろうか。チョコレートプリンの中にタバスコでも入れた?
種は解らない。
しかしわざと種に引っかかり平然を装って「可愛いイタズラね」と余裕を見せればカリスマ抜群だろう。
かかったな!
レミリアの視線がチョコレートプリンに向き、スプーンを手に取ったの見て、フランドールは会心の笑みを浮かべて笑い声を押し殺す。
味噌プリン、どんな味なのだろう。どんなリアクションをするだろう。
お姉様の可愛いところ、見てみたい。
レミリアの唇に、味噌プリンが導かれる。
「ん……」
平然を装っているのか、レミリアは表情を変えずプリンを味わっている。
それから視線だけを妹紅に向けて言った。
「相変わらず、プリンに関してはメイド長以上ね」
「お褒めに預かり恐悦至極」
拍子抜けするフランドール。あれ? 味噌プリンのリアクションは?
不思議そうに妹紅を見ると、ニタリ、イタズラが成功しましたといった風の笑みを返された。
引っかかった!
引っかかってしまった!
(味噌プリンだなんて最初から嘘だったんだッ! 私を! 私だけをからかうための!)
(ウワーッハハハハッ! つまみ食いに来た罰だ。チョコレートプリンより甘いぜ、フラン!)
なぜか険悪ムードでアイコンタクトをしているフランドールと妹紅を無視して、レミリアはチョコレートプリンの甘ったるさを堪能していた。
幸福である。妹と、友と、従者に囲まれた平穏な日々は。
しかしである。
レミリア・スカーレットは酷く空虚であった。
だから。ベッドの上で夢想していた事を思い返す。
(頃合か……)
妹紅を見る。すっかりメイド姿を見慣れてしまったけれど。
昔は。
あの頃は。
白いブラウス。
と。
紅いもんぺ。
すなわち。
いわゆる。
紅白衣装だった。
そう、紅白衣装だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そう、白黒衣装だった。
メイドと魔法使い。
どちらもスタンダードな服装で、どちらも白黒衣装だった。
「よぉ、久し振りだな」
「あぁ、久し振りだぜ」
大図書館へと続く廊下は、弾幕ごっこができるくらいに広い。
外観と辻褄が合わないこの広さはパチュリーの魔法で空間を操っているためのもので、スイッチひとつで簡単に元のサイズに戻せる優れもの。メイドのお掃除にも負担かけないため大評判。
「図書館に用があるなら、しばらく遠慮してくれ」
「なんだよ、随分長くご無沙汰してたから、景気よくドドーンと借りて行こうと思ったのに」
「借りるために使う擬音じゃねーだろ、ドドーン」
「いやいや使うよドドーン。ご飯を食べる音も本を読む音も眠りにつく音もドドーンだぜ?」
「メイド用の休憩室なら空いてるから、お茶くらい出せるよ。私の好みで日本茶も置いてあるし」
「ヒラメイドの癖に随分好き勝手できるんだな」
「メイド長と仲いいからな、色々融通してくれる」
「ズッリィの」
「長生きするとズルくなるのさ。お前は元からズルいけどな」
「酷い言い草」
なんてくだらない雑談をしながら、二人はすでに休憩室に向かって歩き出していた。
問答無用で図書館に突撃するのが魔理沙の流儀なので、珍しい行動である。
とはいえ、いつまでも短慮なままではいないのだろう。もうあの頃とは違うのだから。
妹紅が用意した日本茶と葛きりを味わいながら、メイド用休憩室にて丸いテーブルで向かい合う二人。
他にも休憩中の妖精メイドが何名かおり、あの悪名高い霧雨魔理沙がいる事に驚きながらも、それぞれ好きな席で飲食をしたりお喋りをしたりしていた。
完全にメイド用のこの部屋は、主である吸血鬼とは無縁のため日の光が入る窓が設置されていた。
おかげで妹紅や魔理沙にとっては丁度いい明るさで居心地もいい。
「なんでダメなの? 図書館」
「試験勉強中なのよ」
「試験? パチュリーが? なんの?」
「いや、小悪魔先輩。大悪魔昇級試験があってね、パチュリーがつきっきりで家庭教師してる。学科試験は問題なさそうだけど、実技がなー……弾幕だって中ボスレベルだし」
「昇級試験に弾幕が関係あるのか?」
「スペルカードルールが普及したからね。実技で幾つか選択できるんだけど、小悪魔は弾幕試験を選んだ」
「じゃあ私は本を借りに行った方が、あいつも実戦経験積めていいんじゃないか?」
「実戦と練習じゃ積める経験が違うだろ。実戦はもういいらしい、誰かさんのおかげでな」
「へえ、その誰かさんはさぞかし立派な大魔法使いに違いないぜ」
「残念、その誰かさんは魔法使いじゃなく妹属性の吸血鬼だ」
そんな言い方されたら、心当たりは一人しかいなかった。
そういえばあいつとも随分会ってない。
(私の事、覚えてるかな)
少しさみしい気持ちになりながらも、魔理沙は楽しそうに笑って見せた。
「よく死ななかったな。つーか、あいつの弾幕に耐えられるって時点でもう実力者だろ」
「そういう訳じゃない。あの娘だって、いつまでも子供じゃない。加減くらい覚えるさ。なにせここのメイドになったばかりの頃、フラン専属弾幕メイドをさせられてたからなー。おかげで輝夜との殺し合いの勝率がドンと上がったからいいんだけどさー。元々EXレベルだったところに、私と毎日EXバトルしてたから、ブランクのあるお前じゃ逆立ちしたってフランにゃ勝てないだろうよ」
「それって何気にそのフランとやり合ってる私にも勝てないぞーって自慢してる?」
「うん」
ほがらかにうなずく妹紅を見て、魔理沙はニッコリと笑いながらミニ八卦炉を取り出した。
五分後、休憩所前の廊下でしこたま弾幕をぶち込まれた魔理沙の遺体が転がっていた。
「し、死んでないって……」
半死半生の魔理沙が転がっていた。
そこに偶然やってきた悪魔の妹!
「あ、魔理沙だ! わぁい久し振り! ねえねえ、私ね、弾幕ごっこ凄く強くなったんだよ! だから……私と……アソンデクレルヨネ? アハハハハハハハハハハハハハハハハ」
三分後、休憩所前の廊下でしこたま弾幕をぶち込まれた魔理沙の遺体が転がっていた。
「だから死んでないって……クソッ、こうなったら小悪魔の試験が終わったら毎日図書館に突撃してやる」
ボロボロになった魔理沙は、魔法の森へと飛んで帰る最中、ふと空を見上げた。
雲ひとつない晴天。ずっと魔法の森にこもっていたから、陽射しを酷く眩しく感じる。
「そういや、あの時もこんな天気だったな……」
あの時からだ。
あの時から魔理沙は魔法の森にこもるようになった。
張り合いをなくした日々を送り、紅魔館の図書館へ足を運ばなくなり、弾幕ごっこからも遠のいた。
「ちょちょいと鍛え直して、リベンジ決めてやるかな」
レミリアより一足早く、魔理沙は張り合いを取り戻した。
だから魔理沙はやってくる。昔のように。あの頃のように。
それから数日後、物語は動き出す。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
紅く染まった。
なにが?
幻想郷が。
なにで?
霧で。
第二次紅霧異変勃発。
異変解決のため、博麗の巫女が立ち上がった。
でももう夕飯食べてお風呂入って寝巻きに着替えちゃってるから出発は明日!
と、のんびりムードの博麗神社。
では、紅魔館は?
「霧のせいで洗濯物が乾きにくいからやめて欲しいって、メイド達が苦情を上げてるよ」
レミリアの部屋。夜だがまだカーテンは閉められたままで、シャンデリアの薄明かりの中、椅子の背もたれに体重を預けたレミリアがワイングラス片手に足を組んでいた。
「そう。メイド長も?」
メイド服をきっちりと着こなした妹紅は、背筋を伸ばし直立して、しかし表情はぶっきらぼうだった。
「巫女を図書館ルートに通さないようにするよう言われた。ルート指定の結界を張ろうかって案もあったけど、逆に結界に気づかれて突っ込まれるかもしれないから、特になにかを仕込んだりしない方針みたい。紅い月ルートまで妖精メイドを配置するとさ」
「そう」
退屈そうに答え、ワイングラスが傾けられる。
幼い唇に真紅の熱が流れ込んでいった。
濡れた朱唇は、少女のものとは思えぬほどに艶かしく、妹紅は視線をはずせなくなってしまう。
今は吸血鬼の時間、すなわち月夜であり、レミリアの魔性も自然と引き出されている。
数ミリ程度だったと思う。ほんのそれくらいだけ、妹紅は左足を後ろにすった。無意識に。
まるで、レミリアの部屋から逃げ出そうとするかのように。
クスッ。
微笑を浮かべたレミリアは、まだ中身の残ったワイングラスを椅子の脇に落とした。
ガシャン。
紅い液体が血のように床に広がる様を妹紅は見つめた。
その間に、部屋の中央のテーブルのすぐ前にある椅子に座っていたレミリアは、部屋の戸の前に、妹紅の背後に、回っていた。
背筋に冷たいものが走るのを感じた妹紅は慌てて振り返る。
「なんの戯れだ? お嬢」
「なにを怖がってるの? 妹紅」
一歩、子供の歩幅で妹紅に歩み寄るレミリア。
一歩、レミリアの倍ほどの歩幅で後ろに下がる妹紅。
二人の歩幅分、距離は離れたはずだった。
しかしなぜだろう、妹紅は距離を詰められたと感じた。
レミリアの左足がまた一歩、前に出る。
反射的に妹紅は左側に逃げた。レミリアから見て右側、レミリアの左足の反対側に。
「どうして逃げるのかしら」
お前が得体の知れない気配を発しているからだ、と言おうと妹紅は口を開いたが、かすれた声がため息のように漏れるだけだった。
レミリアが一歩進むたび、妹紅は一歩逃げ、歩幅の分、着実に距離は離れなければならない。
だが十歩も逃げないうちに妹紅は天蓋つきベッドの前まで追い詰められ、レミリアは眼前に迫っていた。
吸血鬼の魔性。
いつの間にか開いていた窓から、紅霧を通して紅く染まった月光が部屋に射し込んでいた。
部屋を、ベッドを、吸血鬼を、メイドを照らしていた。
「なんの、つもりだ」
「退屈なのよ」
レミリアの言葉に押されるようにして後ろへとよろめいた妹紅は、ベッドの上に座る姿勢になった。
目の前の吸血鬼よりも永く生きている妹紅は、紅魔館のメイドとしてレミリアの従者となった際も、また、戦闘能力だけならレミリア以上ではないかと噂されるフランドールと戦った時も、自分は吸血鬼を恐れる人間でも、吸血鬼を畏れる人外の者でもないと確信していた。
しかし今、妹紅は幼き姿の悪魔を恐れ、そして畏れている。
シュルリという、すっかり着慣れたメイド服のタイが解かれる音がしてから、ようやくレミリアが妹紅のスカートを押さえつけるようにして膝立ちしていると気づいた。
両足をまたがれる事で密着寸前の距離となって、濡れた紅い唇から漏れる吐息が首筋にかかって、頭の奥底がジンと痺れて熱を持ち、妹紅は震えた。
「レミリア……?」
「お前は永久不変の存在。だから、半永久的に生き続けられる吸血鬼の元にやってきた。同じく永久不変の者と殺し合うだけでは満たされず、また、馴れ合う気にもなれず。やすらぎと出逢い、浸っていたために、孤独に耐えられず、当時"手頃な相手"だった私を選んで……」
「それは……」
「手頃、だったわよね。私も、お前と同じような風だったから。舐め合うには都合がよかった」
首筋を撫でられる。
炎のように紅く熱い唇と、氷のように鋭く冷たい牙で。
噛まれたい。
吸われたい。
そう思いながら妹紅は懇願した。
「や、めろ……」
拒絶の懇願を、暗い淵に落ちてしまいそうな理性にすがって。
「ベッドシーンとか、千年早いぞマセガキ。自分の外見年齢を客観的に見ろ、倫理的にNGだろバカ。だいたい、百合とか、なんだ、そーゆーのは同じ趣味の奴とヤってろ。、私を巻き込むな、引き込むな」
そして虚勢。精いっぱいの抵抗。
しばしの沈黙の中、妹紅の荒い息遣いだけが部屋を満たす。
「冗談よ」
クスクスと笑いながら唇を離したレミリアは、妹紅の膝の上に小振りなお尻をちょこんと乗せた。
まるで母に甘える子供のように。
途端にレミリアから感じていた魔性の魅力が消え失せ、妹紅は深々と息を吐いた。
「お前……あいつにもこんな事してたのか? だとしたらお前に変態幼女の称号を授けてやる」
「まさか。そんな性癖持ってないわ。だいたい必要な血液はちゃんと確保しているもの。でもこれで解ったかしら? 普段は対等ぶっていても、本気の吸血鬼の前ではこんなモンよ」
偉そうに胸を張る仕草は、外見相応の幼さと愛らしさがあって、魔性のカリスマなんて微塵も感じなかった。
なんでこんな小娘相手にときめいてしまったのかと自問する妹紅。
「でも、よく抗ったわね。割りと本気でチャームをかけたのに」
「お嬢……魔法を使ったのかよ。ズルいぞ」
「あら、長く生きているとズルくなるものなのよ」
どこかで聞いたセリフだ。むしろ聞かれてたのだろうか。
「だから、よく耐えたご褒美に……」
逃がすまい、と妹紅の両肩を掴んで、なぜか眼を閉じるレミリア。
「私の身体、好きな場所に一回だけ、キスしていいわ」
すでにチャームの切れていた妹紅は、このアホはいったいなにをのたまっているんだと呆れ返った。
チャームのふいうちさえ受けなければ、こちらも妖術で対策を打てるし、こんな幼女なんかに……。
……白い額、小さなまぶた、ふっくらとした頬、濡れた唇、細い首、くぼみを作る鎖骨……。
それらを見て、妹紅はやれやれと首を振る。
どうしてこのタイミングで理解してしまったのか、レミリアがこんな真似をした理由を。
「心配すんな。もう随分前から"誰かさんの代わり"は終わってるよ。お互いに……な……」
ふたつの影が、重なった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝。妹紅が厨房で朝食を作っていると、フランドールがやってきて言いました。
「妹紅ってロリコンなの? ペドフィリアなの?」
「ちょっとそこ座んなさい」
突然の爆弾発言にめまいを覚えながら、妹紅は野菜スープの鍋からオタマを取り出した。
フランドールはというと、イタズラっぽく瞳をキラキラ輝かせている。
昨日の仕返しのネタをゲットできておおはしゃぎ、といったところか。
「どこでそんな言葉を覚えた、っていうかなぜ私にそんな質問をする?」
「え、だってお姉様とアレしてコレしてソレしちゃったんでしょ?」
「してねーよ!」
「私達が十八歳以上でよかったわね」
「それでも外見年齢的にアウトだよ!」
「キスした癖に」
「デコチューだよ! 挨拶レベルだよ! つーかなんで知ってんだよ!」
「窓から覗き見してたから」
ゴツン。
返答次第では振り下ろそうとしていたオタマがフランドールの頭を縦に揺らした。
「イッターイ!」
「なに考えてんだ!」
ぷうっと頬をふくらましてフランドールは可愛く睨み返してくる。
「だってー、お姉様が急に紅霧なんて出すから、どうしたのかなーって……心配になって……」
「ほー、姉想いの妹だ。で、ホントのトコロは?」
「お姉様を奇襲で倒して私が六面ボスになろうかと!」
ゴツン。
オタマ再び。
「イッ……ターイ!! 酷いよ妹紅! お姉様にはいっぱい優しくした癖に、私は叩いてばかり!」
「ん、なんだフラン、もしかして羨ましかったのか?」
「おやすみのキスもおはようのキスも、もうずーっとしてもらってないんだもの!」
そのキスをしていたのはレミリアなのか、それとも、と問おうとして、妹紅はフランドールを抱き上げた。わっと声を上げて驚く少女の耳元で、イタズラっぽくささやいてやる。
「ほっぺでいいか?」
メイド長が小悪魔とパチュリーのための朝食を作りに厨房にやってくると、なぜかとても上機嫌なフランドールが厨房の中から出てきて、メイド長に気づかず飛んでいってしまった。
中に入ってみると妹紅がスープを煮ていたので、なにかあったのかと訊ねてみた。
「昨日レミリアと、今日はフランと、少しだけ仲良くなれたんだ」
つまり同性愛者でロリコンでペドフィリアなのかこのド変態メイドめ私に近寄るな、と呆れてしまう。
「なんでみんなそーゆー方向に発想が行く訳!?」
冗談よとメイド長は笑い、妹紅と一緒に食事を作り始めた。
少しして、他の妖精メイド達も朝食を作りにやってきた。厨房は大賑わい。
目下の話題は博麗の巫女がいつ異変解決にやってくるかだ。
雑魚キャラとしてでも、巫女との弾幕ごっこに参加できるのは楽しみらしい。
「メイド長はどうする? 面ボスやる?」
妹紅が訊ねると、メイド長は首を横に振った。
小悪魔の試験勉強がいよいよ最終段階に入るので、巫女の相手は妹紅達に任せるそうだ。
妖精メイドの配置表は作っておいたからそれに従うようにと釘を刺され、妹紅や妖精メイド達は元気よく返事をした。
弾幕ごっこの準備を終えたメイド達は、各々元の仕事に戻っていった。
巫女が来ても美鈴が足止めしている間に配置につけばいいので、仕事をサボっていい理由にはならない。
さて妹紅の仕事はというと。
テラスで陽光を浴びながら、穏やかな寝顔を見せるメイドの姿があった。
黒のワンピースに、フリルのついた白いエプロンというスタンダードかつ愛らしいメイド服。
白い髪を飾っているのは白いフリルつきカチューシャではなく、大きな紅白のリボンだ。
テーブルの上では湯飲みの中身が冷たくなっていて、随分前から居眠りしているのだと解る。
本は栞を挟んだまま開いており、ページをめくる程度の力もないそよ風が白い髪をわずかに揺らす。
幻想郷でもっともシエスタが心地よいとさえ言われるこの館で、彼女はやすらかに休んでいた。
ここまでコピペ。
「真面目にヤレェェェッ!!」
真紅の斬撃が五つの軌跡を描く。刹那、眠っていたはずの妹紅は素早く椅子を倒して回避した。
轟。尋常ではない風切り音が喉元から聞こえ、一瞬遅れていれば首を刎ねられていただろう。
「お嬢、起こすならもっと優しくしてよ」
「吸血鬼の館らしく、門の前にさらし首でも飾っておこうかしら」
氷よりも冷たい真紅の双眸が怒気で渦巻いていた。
久方振りにやる気を出して異変を起こしたというのに! 起こしたというのにこのメイドは!
「しかもなに、あれは!」
と、レミリアが指さした先には青い空と眩しく輝く太陽があった。
もちろん、幻想郷は紅霧によって埋め尽くされている。
なのになぜか、妹紅と太陽の直線状だけ霧散していた。
「なにって、鳳翼天翔で紅霧に風穴作ってピンポイント日光浴。第二次紅霧異変の真っ最中なんだから、それくらいしないとコピペできないじゃないか」
「なんの話よ!」
「うろたえるなお嬢。これは博麗の巫女との殺し合いに備えて体調を整えているんだ」
「殺し合うな! スペルカードルールを遵守しなさい!」
レミリアはスペルカードルールの信奉者だ。
だがここ数年、弾幕ごっこをしていない。戦闘行為もしていない。
せいぜいダメイド妹紅相手に物理的に容赦無用のツッコミを入れる程度だったが、輝夜と定期的に殺し合いフランドールの遊び相手をして戦闘能力を増した妹紅を、一度も殺せた事がない。
妹紅は思う。紅魔館は以前より力を増しているが、その中にレミリアは含まれていない。
最強の盾、妹紅。結構簡単に破られる盾だが、何度でも復活するので、何度でも戦える。
最強の矛、フランドール。彼女に壊せぬ盾は無い。純粋なパワーでは幻想郷最強レベルだ。
最強の門番、美鈴。今では弾幕も達人で、居眠りしながら侵入者を察知してやっつけてしまう特殊スキル持ち。
魔法使いの賢者、パチュリー。魔法に分類される限り彼女に使用できないものはないとさえ噂される。
メイド長はあまり強くないが指揮能力が尋常ではなく、彼女が妖精メイドを配置したステージは癖になる面白さ爽快さがあった。
そして妖精メイドの陣形も、妖精メイドの放つ弾幕も、一糸乱れぬ完璧な美しさを誇っている。
さらに小悪魔も大悪魔昇級試験に挑もうとしており、大幅パワーアップの日は近い。
レミリアだけがまるで――時を止めたように――変わらないまま。
あの憎たらしいほど晴れた日から、ずっと。
「なあ、お嬢」
急に真面目な表情になる妹紅、しかしレミリアは胡散臭そうに見つめ返した。
信用の無さが悲しい。
「お嬢の好きな天気って、なんだ?」
「……は?」
「私は晴れが好きだ。雲ひとつ無い快晴、日本晴れが最高だな」
「なんの話よ」
「お嬢もそうだったよな」
「さあ、どうだったかしら」
「晴れが好きな吸血鬼なんておかしいって、よくあいつ等が笑ってたっけ」
「あれは、向こうが勝手に」
「この紅霧が晴れた時に見える空は、お嬢の目にどう映るかなって思ってさ」
言われて、レミリアは紅霧に空いた穴に視線を向けた。
従者、メイド、藤原妹紅が放った炎によってあらわになった青空。
そして眩しく、美しく、そして神々しく光り輝く、太陽。
「ぎゃあああっ! 目が、目が焼けるぅぅぅ!!」
「お嬢! 太陽直視する時はちゃんとサングラスかけろ!」
「そういう問題じゃないわこのダメイドォー!!」
その日、レミリアはまさかの覚醒を果たし心眼開眼!
吸血鬼のパワーとスピードを最大限に活かした尋常ではない威力のツッコミが、妹紅の全身の急所へ実に百発も叩き込まれたという。
妹紅は死んでしまった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
リザレクションを終えると、紅魔館は大掃除の最中だった。
明らかに、そう、明らかに弾幕戦闘があったようだ。
掃除中の妖精メイドに恐る恐る訊ねてみると、日が沈んですぐ、博麗の巫女が異変解決にやってきたそうだ。
「オワタ。私の出番オワタ。もうダメだーもうダメだーこの物語はここで終わてしまたよー」
トホホと涙を流す妹紅の背中に、ギュッと小柄な何者かが抱きついてきた。
この感触はフランドールだろうか、という想像通り耳元で叫ばれた声は彼女のものだった。
「安心して妹紅! 巫女なら私がコテンパンにぶち壊したから、まだ異変は続いてるよ!」
無敵に素敵で無邪気な衝撃告白を受けて、妹紅は絶望のためその場に崩れ落ちた。
妹紅が四つん這いの姿勢になったので、負ぶさる形から馬乗りへと姿勢を変えるフランドール。
気分は既にお馬さんごっこだ!
「オワタ。幻想郷オワタ。もうダメだーもうダメだー博麗大結界ぶっ壊れてしーまったよー」
「や、ちゃんと手加減したから。殺してないよ平気平気」
「そうか。偉いぞフラン、ご褒美にお馬さんごっこしてやろう」
「わーい」
「さあ! 私から降りて、そこに四つん這いになるがいい!」
「馬は一頭でいいの」
こうして四足歩行に退化した妹紅は、おおはしゃぎのフランドールを背中に乗せて紅魔館の廊下を行く。
妖精メイド達はフランドールを羨ましがって「今度私も乗せてね」と愛想を振りまいていた。
妹様のお相手をしているとはいえ、仕事せず遊び呆けるダメイド妹紅。
それを見つけたメイド長は、大喜びでフランドールに肩車してもらい、三人縦に重なった。
「よーし、このままお姉様の部屋までレッツゴー!」
「ゴー!」
メイド長もノリノリだったが、さすがに長時間のお馬さんはしんどい。
「お馬さんはもうバテバテです。メイド長休暇ください」
「ダメ」
「馬主様、妹様、どうかこの哀れな白馬に休息を!」
「ヤダ」
「早く二足歩行に進化した~い!」
哀れな馬の悲痛な声は、ついに届くべき相手に届いた。
「首を刎ねられたくなかったら、今すぐ二足歩行に進化しなさい」
廊下の角から現れたのは、今日心眼に目覚めたばかりの吸血鬼にして紅魔館の主、レミリア・スカーレット!
苛々ムードを全身から発散され、きつい眼差しは馬ではなく妹に向けられていた。
「あ、お姉様! 巫女は私がぶちのめしておいたから安心して! 妹紅や美鈴といっぱい弾幕したし、妖怪の山とか地下とか天界とか彼岸とかに殴り込みかけたりもしたし、このスーパーフランドールちゃんがいればお姉様の出番なんて未来永劫こないよ! よかったね!」
吸血鬼なのに満面のエンジェルスマイルを浮かべるフランドール。
笑顔の裏で嘲笑しているだろう事は、姉もメイド長も馬も察していた。
「しかもねお姉様! 妹紅もリザレクションしたから、明日からは私と妹紅が四面五面ボスをやるわ。美鈴! 妹紅! 私! そして倫敦の指揮する妖精メイド部隊は幻想郷でもっとも強固! 博麗の巫女だろーが妖怪の賢者だろーが八百万の神々だろーが! 龍神だって突破不能よ!」
「突破させなさいよッ!」
レミリアのツッコミ。強烈なアッパーカットだ!
圧倒的パワーアップを果たしているフランドールにとってはあまりにも幼稚な攻撃。
だがしかし、心眼に目覚めたレミリアの拳は的確にフランドールの顎をとらえ、妹紅の鳳翼天翔のように相手を凄まじい勢いで真上にふっ飛ばした。
肩車されていたメイド長、巻き添え。
馬人生から解放された妹紅はやれやれと立ち上がり、かなりの滞空時間を経て落下してきたフランドールとメイド長の襟首をそれぞれ両手でキャッチした。
「なーフラン、弾幕の手加減だけじゃなく、空気読むのも覚えなよ」
「むうう……私なりに空気を読んでやってるのにー。長らく闘争から離れていたお姉様なんて牙の抜けた吸血鬼。紅魔館の主が醜態をさらさないよう、私が身体を張って巫女を追い払ったのにー」
「あのなー、異変は巫女に解決させなきゃダメだろ。わざと負ける必要はないけど、やりすぎるな。全力でやり合いたいなら私が相手するし、幽香とか天魔さんや魅魔姐さん、鬼の四天王もいるだろ。それからお前、妹なんだからもっと姉貴のカリスマ信じてやれ」
フランドールを床に立たせると、その頭をポンポンと軽く叩いてやった妹紅は、まだ目を回しているメイド長を抱くと近くにいた適当な妖精メイドをともなって休憩室へ連れて行った。
残されたフランドールは唇を尖らせて姉を見つめていたが、ため息をついて立ち去ろうとしたレミリアの背中に向けて「ごめんなさい」と謝った。
レミリアは立ち止まる。
「いいわ。悪魔の妹を突破できないような雑魚に、用は無いから」
じゃあ殴るなよ。と心の中でツッコミを入れるフランドールだったとさ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「よーし、今日こそ紅魔館メイド妹紅様が五面ボスとして大活躍大決定!」
やる気満々の妹紅の背中にフランドールが飛びついて、首に腕を回すとグイグイと絞めた。
「コラー! どーして妹紅が五面ボスなのよ! 悪魔の妹がヒラメイドより前のボスなんて恥ずかしいじゃない!」
「昨日お前四面ボスやっちゃっただろ! 今さら配置換えできるか! そんなに不満ならEXボスで本気モードでも出してろ!」
「そっか! EXボスなら全力全壊でぶちのめしても問題無しよね!」
「壊すな!」
廊下でじゃれる妹様とメイドを微笑ましく眺めながら、他の妖精メイドは今日また来るだろう博麗の巫女に備えて戦闘配備を行っていた。
昨日頭を強打したメイド長はなんとか自力で修復し、また地下でパチュリーと小悪魔の面倒を見ている。
本調子には戻ってないので、仮に地下に侵入されても弾幕には参加しないそうだ。
とはいえ前回巫女は地下ルートには目もくれなかったので問題ないだろう。多分。
準備を終えた後は、ひたすら巫女が来るのを待ちながら普段通りメイドの仕事を行う。
午後三時頃に目を覚ましたレミリアに食事を持っていくと、レミリアは何度も目をこすっていた。
「かゆいのか?」
「ううん、そうじゃなくて……心眼が開けなくなってる。突発的に覚醒習得したスキルだし、一回眠っただけで開き方を忘れちゃったみたいね」
「心眼ってそういうもんなのか。知らなかった」
「まあいいわ。元々ブランクがあろうとも麓の巫女如きこの私が遅れを取るはずがない。心眼が開いたままじゃ私が圧勝しすぎてバランスが崩壊してしまうわ」
「ふーん。でもフランドール以上の強さを見せないとカリスマ保てないぞ。まあフランも紅魔館を巻き込まないよう全力は出してなかったそうだから、お嬢も死ぬ気でがんばれ」
「……そうね、そうするわ」
強がってはいても、やはり妹にかなり実力を離されたのはこたえたらしい。
レミリアから覇気が抜けていくのを感じた。
(昔は、あいつと弾幕ごっこしてお互いどんどん強くなってたのにな……。でも、レミリアは停滞に飽きた。再び翼を広げて飛び立とうとしている。案外すぐにフランドールに追いついちゃうかもな)
今は意気消沈としていても、いざ弾幕勝負となれば活力を取り戻すだろうと妹紅は予感していた。
なぜならレミリア・スカーレットは、スペルカードルールを愛しているからだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
日が暮れ、シフトの食事休憩のため休憩室に戻った妹紅は、他の妖精達と一緒に特製紅魔カレーを食べていた。
「食事中に巫女が来たらさー、空気読めてないよねー」
「そうよね、食事中は無いわ。ゆっくり食べさせて欲しいもの」
「ま、私達は五面配置だし、美鈴様がご飯を食べる時間を稼いでくれるから安心よ」
「異変が終わったらさ、休暇使ってどこか行かない?」
「メイド長は小悪魔の試験が終わったら実家に帰るって言ってた」
「実家かー。私達の実家ってドコだろう?」
「紅魔館じゃない?」
「私は湖出身だよー。あの氷精と馬が合わなくて、美鈴様に誘われて紅魔館に来たの。もう何年前になるかなぁ? みんなはいつ頃から紅魔館にいるの?」
「覚えてなーい」
「同じく覚えてなーい」
「私は紅魔館が幻想郷に来たその日に雇われて以来、ずーっとヒラメイド! 昇進すると仕事増えちゃうから、これからもヒラのままいっちゃうもんねー」
「ねえねえ、妹紅ちゃんは昇進したいと思わないの?」
「ん、私か?」
一足早く皿を空にして、おかわりをよそって戻ってきた妹紅に妖精達は興味津々笑顔で訊ねた。
「そうだよねー、妹紅ちゃん人間だもんねー」
「妹様と遊ぶくらい強いし、いつまでもヒラじゃカッコつかないよ」
「仕事じゃメイド長にかなわないから、副メイド長とか狙ってみたら?」
「そんな役職あったっけ?」
「無ければ作っちゃえばいいんだよ!」
「おいおい勝手に盛り上がるなよー」
苦笑いを浮かべながら席に着く妹紅。ガツガツと威勢よくカレーを食べながら言う。
「だいたい、さっきお前等言ってただろ? 昇進すると仕事が増えるって。そーしたら私はいつ! シエスタすればいいの? 今だってお嬢担当になる事が多くて、なかなかシエスタできないのに!」
「美鈴様みたいに眠ったまま仕事ができるようになればいいじゃない」
「無茶言うな」
と、おかわりカレーを半分ほどたいらげた所で新たな妖精メイドが休憩室に駆け込んできた。
「来たよー! 攻めてきたー!」
「ん、そうか。じゃあ急いで食べないとな」
妹紅や妖精メイド達はスプーンを動かす手を早めようとしたが、駆け込んできた妖精メイドは信じられないセリフを吐く。
「食べてる時間なんて無いよー! 美鈴様やられちゃったんだから!」
「は……? 美鈴が!? もうッ!?」
信じられないといった様子で妹紅は立ち上がり、スプーンが床に転がった。
他の妖精メイド達も、あまりにも早すぎる美鈴の敗北に困惑する。
「ええ!? だって昨日は、美鈴様を突破するのにあんなに時間がかかってたのに!」
「あの巫女、たった一日でそんなに強くなったの!?」
「違うよ! そうじゃなくて、攻めてきたのは――」
そしてさらに、駆け込んできた妖精メイドは驚愕の事態を告げる。
紅魔館の廊下にて、妖精メイド達は一糸乱れぬ陣形で敵を待ち構えていた。
だがしかし、敵の姿を見るや陣形は崩れ、攻撃の連携もまったく取れなくなってしまった。
古株の妖精は特に反応が顕著であり、妖精メイド軍団は軽々と突破されてしまう。
そこに、大急ぎでやってきたヒラメイド妹紅が立ちふさがる。
「よぉ、久し振りだな」
「あぁ、久し振りだぜ」
侵入者はニヤリと笑った。
ああ、そうだ。本当に久し振りだ。
こんな形で紅魔館にやって来るのは。
「また返り討ちにされに来たのか? 今日は他に、客の予定があるんだけどな」
「知らなかったのか? 博麗の巫女が出たら、面白がって魔法使いも出てくるんだぜ」
箒にまたがって飛んでいる、白黒衣装の大魔法使い。
レミリアと同じ年月のブランクがあるとは思えない、百戦錬磨のオーラを全身からみなぎらせている。
彼女の名を知らない者は、幻想郷にあんまりいない!
「ええい面倒! こないだみたく瞬殺してやるぜ、大魔法使い霧雨魔理沙ッ!!」
「上等だ! 引きこもってる間に開発した新型マスタースパークを見せてやるぜ、藤原妹紅ッ!!」
二人は同時にスペルカードを展開、発動する。
凄まじき妖力と魔力がぶつかって渦巻き、廊下に倒れている妖精メイド達を戦慄させる。
「先手必勝!」
先に動いたのは魔理沙だった。
懐から取り出したミニ八卦炉から轟音をともなって魔法エネルギーが七色に輝きながら放出される。
「虹符『レインボウスパーク』!! 七つの属性を合成したこいつは、炎だけじゃ防げないぜ!」
迫りくる七色の閃光を、妹紅は氷よりもクールに見つめていた。
(七色だけにパチュリーの七曜の魔法に似てるし、同じ属性のものが多い。月と日が無いな。
赤は火、橙は土、黄は金、緑は木、青は水、藍は陽、紫は陰。
陰陽五行に、陰と陽を加えて、魔力で繋いでいる? 魔法だけじゃなく陰陽術も勉強してたらしいな。
五行相剋を封じ五行相生のみを発動させて威力を倍増させてやがる。
でもスピードや効果範囲はマスタースパークと大差無い。
スペルカードルールで見栄えをよくするのはいいとして、威力だけ高めてもなぁ)
的確に分析し終える頃にはもう、七色の閃光は眼前に迫っていた。
この距離で避けられるのは射命丸文くらいのものだろう。
だがしかし、手の届く距離まで迫った七属性の魔法に妹紅は、右の掌を斜め下から超高速で振り上げた。
「地闘『フェニックスウイング』!!」
炎をまとった掌は軽々とレインボウスパークを弾き飛ばした。
空間を広げられた廊下は、すべての床、壁、天井に魔法結界を張ってある。
これは弾幕ごっこの被害を抑えるためのものだったが、さすがにこのレインボウスパークでは貫かれてしまうだろうと妹紅は考えていた。
ニッと笑う魔女。
「弾けろ!」
叫び、手のひらをかざす。
次の瞬間レインボウスパークは七色それぞれに分裂し、七つの細い閃光となって廊下の中を縦横無尽に駆け巡った。
「七つの高速機動! 両手で弾き飛ばしたとしても、残る五つがお前を襲うぜ!」
勝ち誇るように魔理沙は言った。
この自信、もしかしたら美鈴を倒したのはこのスペルかもしれないなと妹紅は思う。
七つの色がまとまっていた時は無駄に威力が高いと呆れていたが、なるほど七つに分かれても最低限の威力を保つためかと感心させられる。
「喰らえ! レインボウスパークの第二形態を!」
魔理沙の叫びと同時に、七つの閃光が四方八方から妹紅に襲いかかる。
素早く視線を走らせた妹紅は、自動追尾能力もあるのだろうと察した。
さすがにこれは避けるも弾くも無理そうだ。ならば。
「天闘『カラミティエンド』!!」
妹紅の左腕から妖力がほとばしり、一直線に下方へ飛ぶ。
下に回り込んでいた黄色の閃光、五行相剋に従い金の属性を火によって切り裂き、そのまま紅い絨毯の敷かれた床へと手刀を叩き込む。
弾幕対策の魔法結界が弾け飛んで、上方向へ扇状に広がっていく。
それらは他の六種類の閃光と衝突し、自動追尾機能を破壊した。
「しまっ……」
コントロールを失った六つの閃光は狙いがそれてしまい、妹紅の周囲に降り注ぐのみとなる。
魔法結界を失っていた床は甚大な被害をこうむり、絨毯は無残に引き裂かれ、床の破片が周囲に散った。
そんな中、妹紅は右腕を払った。
「魔闘『カイザーフェニックス』!!」
放たれた火の鳥は神々しく、破片や爆煙を吹き飛ばして真っ直ぐ妹紅に向かって飛んでいった。
「鳳翼天翔じゃないか!」
違いが解らず、叫びながら回避行動を取る魔理沙。
跳ね上がるように高度を上げ、炎の威力が巻き起こす熱風で身体を回転させながら、逆さまの状態で手のひらを広げ、五指すべての先端が燃え上がった。
「禁呪『フィンガー・フレア・ボムズ』!!」
「魔神『天地魔闘』!!」
魔理沙の五指から放たれた五つの火球は、不死鳥すら焼き尽くすパワーで周囲の景色を歪めた。
だが妹紅は、破砕した床に立ち尽くしたまま迎え撃つ。
まず右の掌圧で五つの火球を受け止め、左の手刀の威力で火球すべてを薙ぎ払う。
直後再び右手が払われ炎の鳥が魔理沙に向かって飛翔した。
強力な魔法を使ったための硬直時間が、魔理沙に回避行動を許さなかった。
紅蓮をまとった魔法使いは落下し床に衝突しそうになるが、ギリギリでブレーキをかけ着地。
スペルカードルールのため炎に殺傷力はほとんど無く、無事だった箒を杖代わりにする。
「くっ……」
「違いを教えてやるよ。鳳翼天翔は心を燃焼させ威力を高めた一撃だ。
カイザーフェニックスは攻、防、魔の三つのスペルカードをほぼ同時に発動するために速射性を高めてある。
魔神『天地魔闘』は星熊勇儀と戦うために開発したスペルカード。
こいしちゃんの家に遊びに行くついでに、勇儀もフランと遊んでくれてるんだ。
フラン相手ならハンデ抜きで全力を出せるって大喜びさ。
で、私もフランの付き添いで巻き込まれる事が多くてな。
全力の鬼を真正面から迎え撃つために編み出したスペルカードだ、ブランクのあるお前には破れないよ」
圧倒的実力差を見せつけ、余裕の態度を崩さない妹紅。
一方的とはいえ激しい戦闘だったにも関わらず、メイド服にはススひとつついていない。
「悪いが、今日はお嬢に大切な客が来るんだ。あの日から止まってしまった時計の針を、再び刻ませる事ができるかもしれない、大切な客が。だから……大人気ないのを承知で、難易度MAXで決めさせてもらう。お嬢の時を動かせるほどの逸材か、私自身確かめたいからな。いつまでもお前の相手をしてられない」
妹紅の背中に炎の翼が生え、赤々と燃え上がった。
渦巻く熱風が魔理沙から体力を奪い、一歩一歩、熱源が近づくたびに威圧される。
杖代わりとしていた箒を握る手が弱まり、箒はカランと床に転がった。まるで魔理沙の敗北を告げるように。
「望む所だ。全力で来い、妹紅ッ」
だのに、魔理沙は喜々として笑い、落ちた箒に足をかけた。
「本気か魔理沙? 昔とは違う。私やフランとまともに戦える相手は限られてるんだ」
「なに勘違いしてんだ。ここはスペルカードルールを愛する幻想郷だぜ?」
フワリ、と。箒が浮かぶ、魔理沙が上に立ったまま。
「ひ弱な人間が、強大な妖怪とも戦える。それがスペルカードルールだ。
だから私は、必死にあいつの背中を追いかけて……追いかけ続けて……"魔法使い"になった。
いいか。スペルカードルールの勝者は、弾幕ごっこを愛し、楽しんだ奴だ。
覚えとけ妹紅ッ。弾幕を愛し、楽しんでる奴はな……いつだって最強なんだ!」
そしてミニ八卦炉を握りしめ、真っ直ぐに妹紅へ向ける。
「美鈴……あいつも桁違いに強くなってたよな。でも私は、あいつを倒してここまで来た。
見せてやるよ、美鈴をやっつけたとっておきのスペルを。
決めてやるよ、華麗な大逆転を。大魔法使い霧雨魔理沙の矜持を。
次のスペルが妹紅、お前を倒すぜ」
くつくつと妹紅は笑い、その全身から真紅の炎と闘志を発する。
「上等、見せてみろ、そのスペルとやらを。
レインボウスパークやフィンガー・フレア・ボムズ程度のモンなら、軽くいなしてやる。
それから覚えとけ、私も、フランもな……」
炎の翼を羽ばたかせ、魔理沙よりも高く飛び上がる妹紅。
翼はさらに大きくなり、彼女の足元から炎が尾のように伸び、そして頭部から炎の首が伸びる。
今まさに、妹紅は巨大な火の鳥の中心核となっていた。
「大好きだからやってるんだ! 大好きだから強くなったんだ! 大好きだから続けてるんだ!
幻想郷が愛したスペルカードルール! 弾幕勝負を愛し、楽しんでいるのは私達も同じ!
見せてやるよ……今の私が放てる、最強のスペルカード!」
そう叫ぶや、フェニックスの尾が一枚舞い落ちる。
床に触れた瞬間、尾は火の鳥に匹敵するほど巨大に燃え上がり、一対の角を持つ炎の獣へと姿を変えた。
「私の全身全霊……受け取れ!」
「受けてやるぜ……そして私の最高のスペルカードを叩き込む!」
妹紅と魔理沙、二人はまるで鏡のように、まったく同時に笑い出した。
楽しくて仕方ない、この状況が!
楽しみで仕方ない、相手の放つ最後のスペルカードが!
妹紅は高らかに叫び、自らのスペルカードを告げた。
Last Word 「白沢と舞う鳳凰」
この楽しさ、素晴らしさを、レミリアは思い出してくれるだろうか。
そんな事を頭の隅で考えながら、妹紅は美しく燃える弾幕を放った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
メイドの休憩室にて、メイド長直々に淹れた紅茶が二人分の湯気を立てていた。
ティーカップを口元に運び、薔薇の香りをたっぷりと堪能してから唇をつける妹紅。
「で、どうなったの?」
ケーキにフォークを刺しながらメイド長が訊ねると、妹紅はカラカラと笑い出した。
「いやー、負けた負けた。全力でやって負けた。やっぱ強いわ、さすが魔理沙だ」
「うーん、魔理沙完全復活かぁ……これから図書館が大変な事になりそう」
口調こそ残念そうだったが、ケーキを口に運ぶ動作はとても活き活きしており、本心では魔理沙のカムバックを心から喜んでいるようだった。
「なぁに。今頃、小悪魔は昇級試験で好成績を叩き出してるだろうさ。小悪魔が大悪魔になれば、図書館の守りはより強固なものに!」
「あれ? 試験日って今日だっけ?」
「え? 違うの?」
と、二人は壁にかけられているカレンダーを見た。
すぎた日付には黒いペンでバツ印がされており、今日が何日かはすぐ解るようになっている。
赤ペンで丸で囲まれた日付がまさしく今日であり「小悪魔さんの試験日」とも書かれていた。
「……図書館にこもりっぱなしで、ちょっと日にちの感覚が狂ってたみたい」
絶望的な声色でメイド長は呟き、紅茶とケーキを残したまま椅子から降りた。
事態をおおむね把握した妹紅は、かける言葉が見つからずメイド長の背中をじっと見つめている。
休憩室から出る際、メイド長は言った。
「もう間に合わないだろうけど、起こしてくるね」
ドアを開け、出て行くメイド長。
入れ替わりに不思議そうな顔をしたフランドールが入ってくる。
「ねえ妹紅、なにかあったの?」
「悲劇が」
「は?」
なんの事やら解らないフランドールは、とりあえず日光の射し込む窓にカーテンをカーテンで覆い、妹紅の隣の席へやって来て座ると、甘えるように妹紅へともたれかかった。
ちなみにメイド長が残していった紅茶とケーキには吸血鬼用のものではないため、フランドールの興味を少しも引かなかった。
「ねえねえ妹紅、昨日は楽しかった?」
「ん、ああ、楽しかったよ。巫女と戦えなかったのは残念だったけど。フランもお疲れ様。私が戦ってる間、巫女を誘導して別ルートでお嬢の所に連れてったんだろ?」
「空気くらい私にも読めるって証明できたわ。それより妹紅、魔理沙にはどうやって負けたの? この前遊んだ時は動きが鈍いわ弾幕に切れが無いわで散々だったけど」
「美鈴と同じやられ方をしたよ」
「魔理沙はどんなスペルを使ったの?」
「マスタースパーク」
そう。魔理沙と地力を大きく引き離し、凄まじい強さになった妹紅と美鈴を破ったのは、従来通りなんの変哲も無い、ただのマスタースパークだった。
パワー、スピード、範囲など、マスタースパーク以上のスペルを、今の魔理沙なら数多く持ってるだろう。
ブランクの残る魔理沙にとって、強力な武器となるのは引きこもってる間に開発した新スペルのはずだ。
それらは総じて優れた性能を持ち、また初見であるためパターンを読めないからだ。
当然、妹紅と美鈴はそういったスペルを警戒していた。
だがマスタースパーク。
虚を突かれたものの、大幅にレベルアップした妹紅と美鈴なら余裕で避けられるはずのスペルだった。
けれど避けられなかった。
その理由を、妹紅は美鈴と話し合ってみた。
懐かしさが逆に仇となったかとも考えたが、ついに確証は得られなかった。
「へー、面白そう! 私、今から魔理沙の家に遊びに行ってくる!」
好奇心と闘争心を刺激されたフランドールは、椅子を倒して飛び上がり、出て行こうとした。
「ちょっと待った。フラン、休憩室まで来た理由はそれだけか?」
「あ、忘れてた」
ドアノブに手をかけた状態で振り向くフランドール。
「お姉様が呼んでたよ。出かけるから、日傘を持って来いってさ」
「今からか? 私の休憩時間、まだ残ってるんだけどなー……」
ぼやきながら、妹紅は紅茶を飲み干して立ち上がり、フランドールと一緒に休憩室を出て行った。
紅霧の晴れた空は雲ひとつ無い快晴で、蒼穹がどこまでも広がっていた。
「遅い」
日傘を持ってテラスに行くや、屋根の日陰でリボンの巻かれた箱を持ったレミリアが眉を釣り上げていた。
けれど本気では怒っていない。日傘を手渡した際に触れた手からは、不思議な活力が伝わってきた。
「出かけるんだって? 珍しいなぁ、どこに行くんだ?」
「決まってるじゃない、博麗神社に遊びに行くのよ」
怒り顔から呆れ顔へシフト、しかし感情の色は喜び一色のまま変わっていない。
昨日の弾幕勝負の余韻が、まだ残っているようだった。
「へぇ、神社にねぇ」
喜びが伝染したかのように妹紅も笑みを浮かべ、レミリアの持つ箱に視線をやる。
リボンの巻かれているそれは、巫女へのプレゼントに違いない。
たった一回弾幕勝負しただけでそこまで惚れ込んでしまったのか。
「ああ、そうそう。今日からあなたは私の専属メイドよ。ヒラメイド卒業おめでとう」
と、レミリアはプレゼントの箱を妹紅に渡す。
「……は?」
なぜそのセリフで、巫女へのプレゼントを渡すのか、妹紅は奇妙に思った。
「えーと、これ持ってけって事?」
「なにを言ってるのよ。これは、私専属メイドになったあなたへのプレゼントよ」
なんの冗談だ。
それともイタズラかなにかか。
プレゼントという言葉を信用せず、ビックリ箱ではないかと警戒しながら妹紅はリボンを解いた。
恐る恐る箱を開くと、ますます判断に困った。
冗談でもイタズラでもないと言える。
だが冗談でもイタズラでもあるとも言える。
レミリアの真意がどちらなのか、まったく想像がつかない。
プレゼントの正体。
それはメイド服だった。
紅魔館から支給されるオーソドックスな、なんの面白味も無いメイド服だった。
色が、紅白でなければ。
「……なんだ、これ」
「黒い生地をぜーんぶ紅い生地にしてもらったの。妹紅に似合うと思って」
「ざけんな。こんなの着てたら色物メイドもいいトコじゃないか!」
「あら、色物メイドじゃなくて紅白メイドよ?」
「あのなー!」
「白黒だと魔理沙とかぶるし、喪に服してる訳じゃないんでしょう?」
「……喪服とメイド服の黒は、まったく意味が違うだろ」
「ともかく今すぐこれに着替えなさい。うちに来る前は紅白衣装だったのだから、元に戻るだけよ」
「ブラウスともんぺを、メイド服と一緒にされてもなぁ……」
「いいから着る!」
嫌がる妹紅に業を煮やし、レミリアは爪を振るって妹紅の今着ている普通のメイド服を切り裂こうとした。
慌てて日光の下に逃げるが、日傘を開いて追ってくる。
「あきらめなさい! あなたがこの紅白メイド服に着替えるよう、すでに運命は操ってる!」
「能力の無駄遣いにも程があるだろ! 畜生こんな職場辞めてやる!」
「払い切れないほどの違約金を請求して上げるわ!」
「退職金は!?」
「なにそれ?」
「紅魔館なのにブラックすぎるだろ!」
永久不変の生命である妹紅は思う。
この世に永久不変のものなど存在しない、と。
耐えがたい喪失感から自らの時計の針を止めてしまったとしても、いつかきっと、動き出す。
時計のネジを回してくれる誰かと出逢ってしまう。
そうして、人間も妖怪も生きていく。
この幻想郷の空の下で。
「よーし、お着替え完了! 神社に行くわよ、ついて来なさい!」
「いーやーだー! こんな格好で人前に出たくなーい!」
あの日はとてもよく晴れていた。彼女の気質のように。
あの日もとてもよく晴れていた。彼女の気質とは裏腹に。
吸血鬼は晴れを好きになった。太陽の下で見る人間の笑顔が好きだった。
彼女が新しいスペルカードを作った日も晴れていた。
彼女が紅魔館の門を叩いてメイドになった日も晴れていた。
そして。
今日この日もとてもよく晴れていた。
FIN
黒のワンピースに、フリルのついた白いエプロンというスタンダードかつ愛らしいメイド服。
白い髪を飾っているのは白いフリルつきカチューシャではなく、大きな紅白のリボンだ。
テーブルの上では湯飲みの中身が冷たくなっていて、随分前から居眠りしているのだと解る。
本は栞を挟んだまま開いており、ページをめくる程度の力もないそよ風が白い髪をわずかに揺らす。
幻想郷でもっともシエスタが心地よいとさえ言われるこの館で、彼女はやすらかに休んでいた。
パタン。ページをめくる程度の力もないそよ風が吹いて、開いたままの本が閉じた。
表紙は分厚くて重い。とても風で動かせるものではない。
だから、本が閉じたのもテーブルから離れたのも風の力ではなく、本に触れる手の力だった。
細く小さな指で掴まれた本は、三日月のような軌跡を描いてメイドの頭頂部へと振り下ろされた。
ゴスン。表紙ではなく面積の狭い背での殴打。集中された威力はメイドの頭部を重く揺らす。
「う、うん……?」
シエスタから目覚めた彼女は眼をしばたかせながら顔を上げ、かたわらに立つ小さな人影に気づく。
「ああ……お嬢、おはよう」
紅い悪魔。
永遠に紅い幼き月。
レミリア・スカーレットが眉を釣り上げていた。
右手にはたった今彼女を殴打した本、左手では日傘をさしている。
「私のティータイムはとっくにすぎているのだけれど、あなたはここでなにをしているのかしら」
「シエスタ」
あくびを噛み殺す彼女を見て、レミリアはますます眉を釣り上げた。
「メイドとしての自覚が足りないようね。クビにしてやろうか、それともクビを刎ねてやろうか……」
「紅魔館で仕事をサボってするシエスタは、幻想郷一心地いいって逸話を知らないの?」
「知らないわ。誰がそんなホラを吹いているのよ」
「美鈴先輩」
直後、レミリアの右手が消失した。
否、眼にも映らぬ速度で本を投擲したのだ。
完璧な力加減、あるいは運命操作によるものか、本は狙い通りの位置に落下した。
すなわち紅魔館の門で門番をしている美鈴の頭である。シエスタしていたため回避できず直撃。
距離があるため悲鳴の類が聞こえなかったのが残念だ。
「本を乱暴に扱うと怒られるよ」
「あなたのせいにするから構わないわ」
「鬼、悪魔、人でなし」
「鬼だし悪魔だし人でもないわ」
「人、人類、鬼でなし」
「それって悪口になるの?」
「ノーライフキングたる吸血鬼を脆弱な人間扱いしてるんだから、悪口でしょう」
「面白い解釈ね。褒美に爪でバラバラに引き裂かれるか、グングニルで貫かれるか、選びなさい」
「謙虚な私は偉大なるご主人様からのご褒美を辞退するのであった。偉いなー、立派だなー」
「お前をメイドにしたのは失敗だったわね」
「プリン作ってやるから、許せ」
レミリアの頭をポンと叩き微笑んで見せた彼女は、椅子から立ち上がると軽く背伸びをした。
「ちょっと、たかがプリンくらいで……」
「チョコレートプリンだ」
ニタリ、と。
彼女は己の勝利を確信した笑みを浮かべ、屈辱を感じながらもレミリアは妥協しなければならなかった。
チョコレートプリンだから仕方ない、仕方ないのだ。ノーライフキングの矜持でも抗いきれるものではない。
「……早く仕事に戻れ」
「あいよッ」
威勢のいい返事をして、彼女は紅魔館の中へと入っていった。
その背中を見送ったレミリアは、晴天を見上げ眼を細める。
あの日は憎らしいほどに晴れていた。
あの日も憎らしいほどに晴れていた。
藤原妹紅が紅魔館の門を叩いてメイドになった日も憎たらしいほどに晴れていて。
今日この日も憎々しいほどに晴れていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
甘い匂いを漂わせる厨房。もちろん妹紅がチョコレートプリンを作ってるのが原因だ。
メイド長直伝のお菓子作りの技術を、紅魔館最年長の料理経験という下地の上に吸収した妹紅。
すでに一部の料理においてはメイド長を凌駕する腕前!
特にお菓子は妹紅自身が楽しむため自主的に作るケースも多く、
妹紅製プリンは吸血姉妹のハートを射止めているお菓子の代表格であった。
クッキーやケーキではまだメイド長にはかなわないけど。
「ふあっははははははッ! 完ッ成ィ! 妹紅特製チョコレートプリン! 隠し味は味噌! ていうかこれホントは味噌プリン! お嬢が驚く様が眼に浮かぶゥ!」
なにやってんだこのメイド。
つまみ食いにきていた少女は、なぜか甘い匂いを漂わす味噌プリンを見て呆れた。
多分、あれは宿敵輝夜への嫌がらせ用に考案したプリンに違いない。
紅魔館最年長である彼女は、今までの経験を存分に活かして色々ヤっちゃっうのさ。
「よしじゃあ味見はそこにいる妹ちゃんに頼もうかな」
「ゲッ、見つかった!?」
「釣れた釣れた、悪魔の妹一本釣り」
調理台の陰からうっかり顔を出してしまったフランドールを見つけて、妹紅はカラカラと笑った。
「しまった……」
「おお、妹様! フラン様! こんな時間に厨房で、果たしてなにをしていらっしゃるのか?」
「うー、つまみ食い……」
「正直者は馬鹿を見るってね。はい、チョコレートプリン」
と、味噌なのかチョコなのか判別のつかないプリンを差し出す妹紅。
困惑しながら受け取ったフランドールは、上目遣いで疑問を投げかける。
「正直者が馬鹿を見るなら、これは味噌プリン?」
「ああ間違えた。信じる者はー救われるー」
余計に解らなくなるフランドール。
これがチョコレートプリンならば、お姉様を出し抜いて独り占めしたいくらいだ。
だが味噌プリンだとしたら、その味は如何なるものか。想像するだけで身の毛がよだつ。
匂いはチョコレートだけど、だからといって信用できないほど妹紅の技術は高い。無駄に高い、さすが最年長。
「仕方ない。特別サービスだ」
と、妹紅はもうひとつチョコレートプリンを取り出した。
右手のプリンは左手のプリンよりやや茶色っぽい。
だからといってチョコと味噌を見分けるものではない。
「右手と左手、一方はチョコレートプリンだがもう一方は味噌プリン! 好きな方を選べ! フラァンドゥオォォォオォルゥ・スカァーレェットォ!!」
「くっ、こうなったら最後の手段! 両方頂いて一口ずつ味見ッ、そしてチョコレートプリンだけ完食する!」
そう言ってフランドールは両方のプリンを強奪すると、翼を広げて厨房の中を飛翔した。
「あ、ズルい。フランそれ反則ー」
「フハハハハ、お前の目の前で味噌プリンを投げ捨ててくれるわ! どれ、まずはこっちから。パクッ! ビンゴ! こっちがチョコレートプリンか! ならばこっちの味噌プリンなんて……」
「タンマ、味噌プリンはお嬢に出しちゃおうぜ」
「お姉様に? クフフ、元々その予定だったようだし……私も味噌プリンで苦しむお姉様を見せてもらおっと」
こうしてイタズラ気分ルンルンモードに突入したフランドールは、率先して味噌プリンを姉の所に運んだ。
レミリアの部屋に行くと、ノックをしても返事がなく、面倒だからと了解もなしに二人は戸を開けた。
先代が残したセンスのいい調度品で飾られたレミリアの部屋。
丸いテーブルには真っ赤なテーブルクロスがかけられ、中央には透明の花瓶に真紅の薔薇が生けてある。
窓は厚手のカーテンでおおわれ、もちろんこれも真っ赤。
昼間に間違えてカーテンを開けても陽射しが入らぬようガラスは使われておらず、すべて木造だ。
夜になればこの窓からは月が見えるよう調節してある。
タンスの中にはカリスマ吸血鬼を飾る可愛らしい洋服がたくさんつまっている。
吸血少女の下着という夢もいっぱいつまっている。
壁には幾つか額縁があった。中身は絵画と写真で、割合は半々といったところ。
そして天蓋つきベッドに寝転んでいる悪魔の姿を見つけ、妹紅は眉をひそめた。
眠っているのかどうかは解らないが、穏やかな表情のレミリアから深く静かな闘気を感じたのだ。
殺気ではない、闘気だ。
イメージトレーニングでもしているのだろうか。それとも。
結論を出さないまま、妹紅はテーブルに置かれていた本を掴むと、スタスタとベッドに向かった。
「お返しだ、ていっ」
本を振り上げ、慈悲深く表紙で軽く頭をはたく程度のつもりだったのだが、瞬間、レミリアの双眸が見開き真紅の眼光が妹紅を射抜き、手首が圧迫された。
見れば、レミリアに手首を掴まれていた。
ほんのわずか力を込めるだけで妹紅は痛みに喘いで本を落としてしまうだろうし、もしかしたら手首を握りつぶしたり捻り切ったりする程度の握力を発揮されるかもしれない。
「お嬢、プリン持ってきたよ」
だが逆にそうなっても構わないといった風に妹紅はほがらかな口調で微笑み、レミリアを呆れさせた。
「部屋に入る時はノックをしなさい」
「したよ。気づかなかったそっちが悪い。ほら、フランが配膳を手伝ってくれたんだ」
「フラン? あら、ありがとう」
妹紅の背後で味噌プリンを持って笑っている妹に気づき、レミリアは微笑み返した。
だがなぜだろう、フランの笑みはニコニコというよりニヤニヤとかニタニタといった種のものだ。
「お姉様ー、チョコレートプリンをお持ちしたわー」
「ええ、テーブルに置いておいて」
「はぁーい」
甘ったるい返事。これはなにかあるな、とレミリアは用心を深める。
妹紅をいちべつし表情を探ったが、素知らぬ風だ。さて、どうしたものか。
テーブルまで五歩の距離。
一歩。匂いは普通、チョコレートだ。
二歩。色も普通、チョコレートだ。
三歩。フランドールを見る、唇にチョコレートプリンを食べたと思われる痕跡が。
四歩。妹紅を見る。二人分作って先にフランドールに食べさせたのだろうか。
五歩。再びフランドールを見る。イタズラが成功するのを待つ子供のように瞳を輝かせている。……イタズラ?
着席。なにかイタズラを仕込んだのだろうか。チョコレートプリンの中にタバスコでも入れた?
種は解らない。
しかしわざと種に引っかかり平然を装って「可愛いイタズラね」と余裕を見せればカリスマ抜群だろう。
かかったな!
レミリアの視線がチョコレートプリンに向き、スプーンを手に取ったの見て、フランドールは会心の笑みを浮かべて笑い声を押し殺す。
味噌プリン、どんな味なのだろう。どんなリアクションをするだろう。
お姉様の可愛いところ、見てみたい。
レミリアの唇に、味噌プリンが導かれる。
「ん……」
平然を装っているのか、レミリアは表情を変えずプリンを味わっている。
それから視線だけを妹紅に向けて言った。
「相変わらず、プリンに関してはメイド長以上ね」
「お褒めに預かり恐悦至極」
拍子抜けするフランドール。あれ? 味噌プリンのリアクションは?
不思議そうに妹紅を見ると、ニタリ、イタズラが成功しましたといった風の笑みを返された。
引っかかった!
引っかかってしまった!
(味噌プリンだなんて最初から嘘だったんだッ! 私を! 私だけをからかうための!)
(ウワーッハハハハッ! つまみ食いに来た罰だ。チョコレートプリンより甘いぜ、フラン!)
なぜか険悪ムードでアイコンタクトをしているフランドールと妹紅を無視して、レミリアはチョコレートプリンの甘ったるさを堪能していた。
幸福である。妹と、友と、従者に囲まれた平穏な日々は。
しかしである。
レミリア・スカーレットは酷く空虚であった。
だから。ベッドの上で夢想していた事を思い返す。
(頃合か……)
妹紅を見る。すっかりメイド姿を見慣れてしまったけれど。
昔は。
あの頃は。
白いブラウス。
と。
紅いもんぺ。
すなわち。
いわゆる。
紅白衣装だった。
そう、紅白衣装だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そう、白黒衣装だった。
メイドと魔法使い。
どちらもスタンダードな服装で、どちらも白黒衣装だった。
「よぉ、久し振りだな」
「あぁ、久し振りだぜ」
大図書館へと続く廊下は、弾幕ごっこができるくらいに広い。
外観と辻褄が合わないこの広さはパチュリーの魔法で空間を操っているためのもので、スイッチひとつで簡単に元のサイズに戻せる優れもの。メイドのお掃除にも負担かけないため大評判。
「図書館に用があるなら、しばらく遠慮してくれ」
「なんだよ、随分長くご無沙汰してたから、景気よくドドーンと借りて行こうと思ったのに」
「借りるために使う擬音じゃねーだろ、ドドーン」
「いやいや使うよドドーン。ご飯を食べる音も本を読む音も眠りにつく音もドドーンだぜ?」
「メイド用の休憩室なら空いてるから、お茶くらい出せるよ。私の好みで日本茶も置いてあるし」
「ヒラメイドの癖に随分好き勝手できるんだな」
「メイド長と仲いいからな、色々融通してくれる」
「ズッリィの」
「長生きするとズルくなるのさ。お前は元からズルいけどな」
「酷い言い草」
なんてくだらない雑談をしながら、二人はすでに休憩室に向かって歩き出していた。
問答無用で図書館に突撃するのが魔理沙の流儀なので、珍しい行動である。
とはいえ、いつまでも短慮なままではいないのだろう。もうあの頃とは違うのだから。
妹紅が用意した日本茶と葛きりを味わいながら、メイド用休憩室にて丸いテーブルで向かい合う二人。
他にも休憩中の妖精メイドが何名かおり、あの悪名高い霧雨魔理沙がいる事に驚きながらも、それぞれ好きな席で飲食をしたりお喋りをしたりしていた。
完全にメイド用のこの部屋は、主である吸血鬼とは無縁のため日の光が入る窓が設置されていた。
おかげで妹紅や魔理沙にとっては丁度いい明るさで居心地もいい。
「なんでダメなの? 図書館」
「試験勉強中なのよ」
「試験? パチュリーが? なんの?」
「いや、小悪魔先輩。大悪魔昇級試験があってね、パチュリーがつきっきりで家庭教師してる。学科試験は問題なさそうだけど、実技がなー……弾幕だって中ボスレベルだし」
「昇級試験に弾幕が関係あるのか?」
「スペルカードルールが普及したからね。実技で幾つか選択できるんだけど、小悪魔は弾幕試験を選んだ」
「じゃあ私は本を借りに行った方が、あいつも実戦経験積めていいんじゃないか?」
「実戦と練習じゃ積める経験が違うだろ。実戦はもういいらしい、誰かさんのおかげでな」
「へえ、その誰かさんはさぞかし立派な大魔法使いに違いないぜ」
「残念、その誰かさんは魔法使いじゃなく妹属性の吸血鬼だ」
そんな言い方されたら、心当たりは一人しかいなかった。
そういえばあいつとも随分会ってない。
(私の事、覚えてるかな)
少しさみしい気持ちになりながらも、魔理沙は楽しそうに笑って見せた。
「よく死ななかったな。つーか、あいつの弾幕に耐えられるって時点でもう実力者だろ」
「そういう訳じゃない。あの娘だって、いつまでも子供じゃない。加減くらい覚えるさ。なにせここのメイドになったばかりの頃、フラン専属弾幕メイドをさせられてたからなー。おかげで輝夜との殺し合いの勝率がドンと上がったからいいんだけどさー。元々EXレベルだったところに、私と毎日EXバトルしてたから、ブランクのあるお前じゃ逆立ちしたってフランにゃ勝てないだろうよ」
「それって何気にそのフランとやり合ってる私にも勝てないぞーって自慢してる?」
「うん」
ほがらかにうなずく妹紅を見て、魔理沙はニッコリと笑いながらミニ八卦炉を取り出した。
五分後、休憩所前の廊下でしこたま弾幕をぶち込まれた魔理沙の遺体が転がっていた。
「し、死んでないって……」
半死半生の魔理沙が転がっていた。
そこに偶然やってきた悪魔の妹!
「あ、魔理沙だ! わぁい久し振り! ねえねえ、私ね、弾幕ごっこ凄く強くなったんだよ! だから……私と……アソンデクレルヨネ? アハハハハハハハハハハハハハハハハ」
三分後、休憩所前の廊下でしこたま弾幕をぶち込まれた魔理沙の遺体が転がっていた。
「だから死んでないって……クソッ、こうなったら小悪魔の試験が終わったら毎日図書館に突撃してやる」
ボロボロになった魔理沙は、魔法の森へと飛んで帰る最中、ふと空を見上げた。
雲ひとつない晴天。ずっと魔法の森にこもっていたから、陽射しを酷く眩しく感じる。
「そういや、あの時もこんな天気だったな……」
あの時からだ。
あの時から魔理沙は魔法の森にこもるようになった。
張り合いをなくした日々を送り、紅魔館の図書館へ足を運ばなくなり、弾幕ごっこからも遠のいた。
「ちょちょいと鍛え直して、リベンジ決めてやるかな」
レミリアより一足早く、魔理沙は張り合いを取り戻した。
だから魔理沙はやってくる。昔のように。あの頃のように。
それから数日後、物語は動き出す。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
紅く染まった。
なにが?
幻想郷が。
なにで?
霧で。
第二次紅霧異変勃発。
異変解決のため、博麗の巫女が立ち上がった。
でももう夕飯食べてお風呂入って寝巻きに着替えちゃってるから出発は明日!
と、のんびりムードの博麗神社。
では、紅魔館は?
「霧のせいで洗濯物が乾きにくいからやめて欲しいって、メイド達が苦情を上げてるよ」
レミリアの部屋。夜だがまだカーテンは閉められたままで、シャンデリアの薄明かりの中、椅子の背もたれに体重を預けたレミリアがワイングラス片手に足を組んでいた。
「そう。メイド長も?」
メイド服をきっちりと着こなした妹紅は、背筋を伸ばし直立して、しかし表情はぶっきらぼうだった。
「巫女を図書館ルートに通さないようにするよう言われた。ルート指定の結界を張ろうかって案もあったけど、逆に結界に気づかれて突っ込まれるかもしれないから、特になにかを仕込んだりしない方針みたい。紅い月ルートまで妖精メイドを配置するとさ」
「そう」
退屈そうに答え、ワイングラスが傾けられる。
幼い唇に真紅の熱が流れ込んでいった。
濡れた朱唇は、少女のものとは思えぬほどに艶かしく、妹紅は視線をはずせなくなってしまう。
今は吸血鬼の時間、すなわち月夜であり、レミリアの魔性も自然と引き出されている。
数ミリ程度だったと思う。ほんのそれくらいだけ、妹紅は左足を後ろにすった。無意識に。
まるで、レミリアの部屋から逃げ出そうとするかのように。
クスッ。
微笑を浮かべたレミリアは、まだ中身の残ったワイングラスを椅子の脇に落とした。
ガシャン。
紅い液体が血のように床に広がる様を妹紅は見つめた。
その間に、部屋の中央のテーブルのすぐ前にある椅子に座っていたレミリアは、部屋の戸の前に、妹紅の背後に、回っていた。
背筋に冷たいものが走るのを感じた妹紅は慌てて振り返る。
「なんの戯れだ? お嬢」
「なにを怖がってるの? 妹紅」
一歩、子供の歩幅で妹紅に歩み寄るレミリア。
一歩、レミリアの倍ほどの歩幅で後ろに下がる妹紅。
二人の歩幅分、距離は離れたはずだった。
しかしなぜだろう、妹紅は距離を詰められたと感じた。
レミリアの左足がまた一歩、前に出る。
反射的に妹紅は左側に逃げた。レミリアから見て右側、レミリアの左足の反対側に。
「どうして逃げるのかしら」
お前が得体の知れない気配を発しているからだ、と言おうと妹紅は口を開いたが、かすれた声がため息のように漏れるだけだった。
レミリアが一歩進むたび、妹紅は一歩逃げ、歩幅の分、着実に距離は離れなければならない。
だが十歩も逃げないうちに妹紅は天蓋つきベッドの前まで追い詰められ、レミリアは眼前に迫っていた。
吸血鬼の魔性。
いつの間にか開いていた窓から、紅霧を通して紅く染まった月光が部屋に射し込んでいた。
部屋を、ベッドを、吸血鬼を、メイドを照らしていた。
「なんの、つもりだ」
「退屈なのよ」
レミリアの言葉に押されるようにして後ろへとよろめいた妹紅は、ベッドの上に座る姿勢になった。
目の前の吸血鬼よりも永く生きている妹紅は、紅魔館のメイドとしてレミリアの従者となった際も、また、戦闘能力だけならレミリア以上ではないかと噂されるフランドールと戦った時も、自分は吸血鬼を恐れる人間でも、吸血鬼を畏れる人外の者でもないと確信していた。
しかし今、妹紅は幼き姿の悪魔を恐れ、そして畏れている。
シュルリという、すっかり着慣れたメイド服のタイが解かれる音がしてから、ようやくレミリアが妹紅のスカートを押さえつけるようにして膝立ちしていると気づいた。
両足をまたがれる事で密着寸前の距離となって、濡れた紅い唇から漏れる吐息が首筋にかかって、頭の奥底がジンと痺れて熱を持ち、妹紅は震えた。
「レミリア……?」
「お前は永久不変の存在。だから、半永久的に生き続けられる吸血鬼の元にやってきた。同じく永久不変の者と殺し合うだけでは満たされず、また、馴れ合う気にもなれず。やすらぎと出逢い、浸っていたために、孤独に耐えられず、当時"手頃な相手"だった私を選んで……」
「それは……」
「手頃、だったわよね。私も、お前と同じような風だったから。舐め合うには都合がよかった」
首筋を撫でられる。
炎のように紅く熱い唇と、氷のように鋭く冷たい牙で。
噛まれたい。
吸われたい。
そう思いながら妹紅は懇願した。
「や、めろ……」
拒絶の懇願を、暗い淵に落ちてしまいそうな理性にすがって。
「ベッドシーンとか、千年早いぞマセガキ。自分の外見年齢を客観的に見ろ、倫理的にNGだろバカ。だいたい、百合とか、なんだ、そーゆーのは同じ趣味の奴とヤってろ。、私を巻き込むな、引き込むな」
そして虚勢。精いっぱいの抵抗。
しばしの沈黙の中、妹紅の荒い息遣いだけが部屋を満たす。
「冗談よ」
クスクスと笑いながら唇を離したレミリアは、妹紅の膝の上に小振りなお尻をちょこんと乗せた。
まるで母に甘える子供のように。
途端にレミリアから感じていた魔性の魅力が消え失せ、妹紅は深々と息を吐いた。
「お前……あいつにもこんな事してたのか? だとしたらお前に変態幼女の称号を授けてやる」
「まさか。そんな性癖持ってないわ。だいたい必要な血液はちゃんと確保しているもの。でもこれで解ったかしら? 普段は対等ぶっていても、本気の吸血鬼の前ではこんなモンよ」
偉そうに胸を張る仕草は、外見相応の幼さと愛らしさがあって、魔性のカリスマなんて微塵も感じなかった。
なんでこんな小娘相手にときめいてしまったのかと自問する妹紅。
「でも、よく抗ったわね。割りと本気でチャームをかけたのに」
「お嬢……魔法を使ったのかよ。ズルいぞ」
「あら、長く生きているとズルくなるものなのよ」
どこかで聞いたセリフだ。むしろ聞かれてたのだろうか。
「だから、よく耐えたご褒美に……」
逃がすまい、と妹紅の両肩を掴んで、なぜか眼を閉じるレミリア。
「私の身体、好きな場所に一回だけ、キスしていいわ」
すでにチャームの切れていた妹紅は、このアホはいったいなにをのたまっているんだと呆れ返った。
チャームのふいうちさえ受けなければ、こちらも妖術で対策を打てるし、こんな幼女なんかに……。
……白い額、小さなまぶた、ふっくらとした頬、濡れた唇、細い首、くぼみを作る鎖骨……。
それらを見て、妹紅はやれやれと首を振る。
どうしてこのタイミングで理解してしまったのか、レミリアがこんな真似をした理由を。
「心配すんな。もう随分前から"誰かさんの代わり"は終わってるよ。お互いに……な……」
ふたつの影が、重なった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝。妹紅が厨房で朝食を作っていると、フランドールがやってきて言いました。
「妹紅ってロリコンなの? ペドフィリアなの?」
「ちょっとそこ座んなさい」
突然の爆弾発言にめまいを覚えながら、妹紅は野菜スープの鍋からオタマを取り出した。
フランドールはというと、イタズラっぽく瞳をキラキラ輝かせている。
昨日の仕返しのネタをゲットできておおはしゃぎ、といったところか。
「どこでそんな言葉を覚えた、っていうかなぜ私にそんな質問をする?」
「え、だってお姉様とアレしてコレしてソレしちゃったんでしょ?」
「してねーよ!」
「私達が十八歳以上でよかったわね」
「それでも外見年齢的にアウトだよ!」
「キスした癖に」
「デコチューだよ! 挨拶レベルだよ! つーかなんで知ってんだよ!」
「窓から覗き見してたから」
ゴツン。
返答次第では振り下ろそうとしていたオタマがフランドールの頭を縦に揺らした。
「イッターイ!」
「なに考えてんだ!」
ぷうっと頬をふくらましてフランドールは可愛く睨み返してくる。
「だってー、お姉様が急に紅霧なんて出すから、どうしたのかなーって……心配になって……」
「ほー、姉想いの妹だ。で、ホントのトコロは?」
「お姉様を奇襲で倒して私が六面ボスになろうかと!」
ゴツン。
オタマ再び。
「イッ……ターイ!! 酷いよ妹紅! お姉様にはいっぱい優しくした癖に、私は叩いてばかり!」
「ん、なんだフラン、もしかして羨ましかったのか?」
「おやすみのキスもおはようのキスも、もうずーっとしてもらってないんだもの!」
そのキスをしていたのはレミリアなのか、それとも、と問おうとして、妹紅はフランドールを抱き上げた。わっと声を上げて驚く少女の耳元で、イタズラっぽくささやいてやる。
「ほっぺでいいか?」
メイド長が小悪魔とパチュリーのための朝食を作りに厨房にやってくると、なぜかとても上機嫌なフランドールが厨房の中から出てきて、メイド長に気づかず飛んでいってしまった。
中に入ってみると妹紅がスープを煮ていたので、なにかあったのかと訊ねてみた。
「昨日レミリアと、今日はフランと、少しだけ仲良くなれたんだ」
つまり同性愛者でロリコンでペドフィリアなのかこのド変態メイドめ私に近寄るな、と呆れてしまう。
「なんでみんなそーゆー方向に発想が行く訳!?」
冗談よとメイド長は笑い、妹紅と一緒に食事を作り始めた。
少しして、他の妖精メイド達も朝食を作りにやってきた。厨房は大賑わい。
目下の話題は博麗の巫女がいつ異変解決にやってくるかだ。
雑魚キャラとしてでも、巫女との弾幕ごっこに参加できるのは楽しみらしい。
「メイド長はどうする? 面ボスやる?」
妹紅が訊ねると、メイド長は首を横に振った。
小悪魔の試験勉強がいよいよ最終段階に入るので、巫女の相手は妹紅達に任せるそうだ。
妖精メイドの配置表は作っておいたからそれに従うようにと釘を刺され、妹紅や妖精メイド達は元気よく返事をした。
弾幕ごっこの準備を終えたメイド達は、各々元の仕事に戻っていった。
巫女が来ても美鈴が足止めしている間に配置につけばいいので、仕事をサボっていい理由にはならない。
さて妹紅の仕事はというと。
テラスで陽光を浴びながら、穏やかな寝顔を見せるメイドの姿があった。
黒のワンピースに、フリルのついた白いエプロンというスタンダードかつ愛らしいメイド服。
白い髪を飾っているのは白いフリルつきカチューシャではなく、大きな紅白のリボンだ。
テーブルの上では湯飲みの中身が冷たくなっていて、随分前から居眠りしているのだと解る。
本は栞を挟んだまま開いており、ページをめくる程度の力もないそよ風が白い髪をわずかに揺らす。
幻想郷でもっともシエスタが心地よいとさえ言われるこの館で、彼女はやすらかに休んでいた。
ここまでコピペ。
「真面目にヤレェェェッ!!」
真紅の斬撃が五つの軌跡を描く。刹那、眠っていたはずの妹紅は素早く椅子を倒して回避した。
轟。尋常ではない風切り音が喉元から聞こえ、一瞬遅れていれば首を刎ねられていただろう。
「お嬢、起こすならもっと優しくしてよ」
「吸血鬼の館らしく、門の前にさらし首でも飾っておこうかしら」
氷よりも冷たい真紅の双眸が怒気で渦巻いていた。
久方振りにやる気を出して異変を起こしたというのに! 起こしたというのにこのメイドは!
「しかもなに、あれは!」
と、レミリアが指さした先には青い空と眩しく輝く太陽があった。
もちろん、幻想郷は紅霧によって埋め尽くされている。
なのになぜか、妹紅と太陽の直線状だけ霧散していた。
「なにって、鳳翼天翔で紅霧に風穴作ってピンポイント日光浴。第二次紅霧異変の真っ最中なんだから、それくらいしないとコピペできないじゃないか」
「なんの話よ!」
「うろたえるなお嬢。これは博麗の巫女との殺し合いに備えて体調を整えているんだ」
「殺し合うな! スペルカードルールを遵守しなさい!」
レミリアはスペルカードルールの信奉者だ。
だがここ数年、弾幕ごっこをしていない。戦闘行為もしていない。
せいぜいダメイド妹紅相手に物理的に容赦無用のツッコミを入れる程度だったが、輝夜と定期的に殺し合いフランドールの遊び相手をして戦闘能力を増した妹紅を、一度も殺せた事がない。
妹紅は思う。紅魔館は以前より力を増しているが、その中にレミリアは含まれていない。
最強の盾、妹紅。結構簡単に破られる盾だが、何度でも復活するので、何度でも戦える。
最強の矛、フランドール。彼女に壊せぬ盾は無い。純粋なパワーでは幻想郷最強レベルだ。
最強の門番、美鈴。今では弾幕も達人で、居眠りしながら侵入者を察知してやっつけてしまう特殊スキル持ち。
魔法使いの賢者、パチュリー。魔法に分類される限り彼女に使用できないものはないとさえ噂される。
メイド長はあまり強くないが指揮能力が尋常ではなく、彼女が妖精メイドを配置したステージは癖になる面白さ爽快さがあった。
そして妖精メイドの陣形も、妖精メイドの放つ弾幕も、一糸乱れぬ完璧な美しさを誇っている。
さらに小悪魔も大悪魔昇級試験に挑もうとしており、大幅パワーアップの日は近い。
レミリアだけがまるで――時を止めたように――変わらないまま。
あの憎たらしいほど晴れた日から、ずっと。
「なあ、お嬢」
急に真面目な表情になる妹紅、しかしレミリアは胡散臭そうに見つめ返した。
信用の無さが悲しい。
「お嬢の好きな天気って、なんだ?」
「……は?」
「私は晴れが好きだ。雲ひとつ無い快晴、日本晴れが最高だな」
「なんの話よ」
「お嬢もそうだったよな」
「さあ、どうだったかしら」
「晴れが好きな吸血鬼なんておかしいって、よくあいつ等が笑ってたっけ」
「あれは、向こうが勝手に」
「この紅霧が晴れた時に見える空は、お嬢の目にどう映るかなって思ってさ」
言われて、レミリアは紅霧に空いた穴に視線を向けた。
従者、メイド、藤原妹紅が放った炎によってあらわになった青空。
そして眩しく、美しく、そして神々しく光り輝く、太陽。
「ぎゃあああっ! 目が、目が焼けるぅぅぅ!!」
「お嬢! 太陽直視する時はちゃんとサングラスかけろ!」
「そういう問題じゃないわこのダメイドォー!!」
その日、レミリアはまさかの覚醒を果たし心眼開眼!
吸血鬼のパワーとスピードを最大限に活かした尋常ではない威力のツッコミが、妹紅の全身の急所へ実に百発も叩き込まれたという。
妹紅は死んでしまった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
リザレクションを終えると、紅魔館は大掃除の最中だった。
明らかに、そう、明らかに弾幕戦闘があったようだ。
掃除中の妖精メイドに恐る恐る訊ねてみると、日が沈んですぐ、博麗の巫女が異変解決にやってきたそうだ。
「オワタ。私の出番オワタ。もうダメだーもうダメだーこの物語はここで終わてしまたよー」
トホホと涙を流す妹紅の背中に、ギュッと小柄な何者かが抱きついてきた。
この感触はフランドールだろうか、という想像通り耳元で叫ばれた声は彼女のものだった。
「安心して妹紅! 巫女なら私がコテンパンにぶち壊したから、まだ異変は続いてるよ!」
無敵に素敵で無邪気な衝撃告白を受けて、妹紅は絶望のためその場に崩れ落ちた。
妹紅が四つん這いの姿勢になったので、負ぶさる形から馬乗りへと姿勢を変えるフランドール。
気分は既にお馬さんごっこだ!
「オワタ。幻想郷オワタ。もうダメだーもうダメだー博麗大結界ぶっ壊れてしーまったよー」
「や、ちゃんと手加減したから。殺してないよ平気平気」
「そうか。偉いぞフラン、ご褒美にお馬さんごっこしてやろう」
「わーい」
「さあ! 私から降りて、そこに四つん這いになるがいい!」
「馬は一頭でいいの」
こうして四足歩行に退化した妹紅は、おおはしゃぎのフランドールを背中に乗せて紅魔館の廊下を行く。
妖精メイド達はフランドールを羨ましがって「今度私も乗せてね」と愛想を振りまいていた。
妹様のお相手をしているとはいえ、仕事せず遊び呆けるダメイド妹紅。
それを見つけたメイド長は、大喜びでフランドールに肩車してもらい、三人縦に重なった。
「よーし、このままお姉様の部屋までレッツゴー!」
「ゴー!」
メイド長もノリノリだったが、さすがに長時間のお馬さんはしんどい。
「お馬さんはもうバテバテです。メイド長休暇ください」
「ダメ」
「馬主様、妹様、どうかこの哀れな白馬に休息を!」
「ヤダ」
「早く二足歩行に進化した~い!」
哀れな馬の悲痛な声は、ついに届くべき相手に届いた。
「首を刎ねられたくなかったら、今すぐ二足歩行に進化しなさい」
廊下の角から現れたのは、今日心眼に目覚めたばかりの吸血鬼にして紅魔館の主、レミリア・スカーレット!
苛々ムードを全身から発散され、きつい眼差しは馬ではなく妹に向けられていた。
「あ、お姉様! 巫女は私がぶちのめしておいたから安心して! 妹紅や美鈴といっぱい弾幕したし、妖怪の山とか地下とか天界とか彼岸とかに殴り込みかけたりもしたし、このスーパーフランドールちゃんがいればお姉様の出番なんて未来永劫こないよ! よかったね!」
吸血鬼なのに満面のエンジェルスマイルを浮かべるフランドール。
笑顔の裏で嘲笑しているだろう事は、姉もメイド長も馬も察していた。
「しかもねお姉様! 妹紅もリザレクションしたから、明日からは私と妹紅が四面五面ボスをやるわ。美鈴! 妹紅! 私! そして倫敦の指揮する妖精メイド部隊は幻想郷でもっとも強固! 博麗の巫女だろーが妖怪の賢者だろーが八百万の神々だろーが! 龍神だって突破不能よ!」
「突破させなさいよッ!」
レミリアのツッコミ。強烈なアッパーカットだ!
圧倒的パワーアップを果たしているフランドールにとってはあまりにも幼稚な攻撃。
だがしかし、心眼に目覚めたレミリアの拳は的確にフランドールの顎をとらえ、妹紅の鳳翼天翔のように相手を凄まじい勢いで真上にふっ飛ばした。
肩車されていたメイド長、巻き添え。
馬人生から解放された妹紅はやれやれと立ち上がり、かなりの滞空時間を経て落下してきたフランドールとメイド長の襟首をそれぞれ両手でキャッチした。
「なーフラン、弾幕の手加減だけじゃなく、空気読むのも覚えなよ」
「むうう……私なりに空気を読んでやってるのにー。長らく闘争から離れていたお姉様なんて牙の抜けた吸血鬼。紅魔館の主が醜態をさらさないよう、私が身体を張って巫女を追い払ったのにー」
「あのなー、異変は巫女に解決させなきゃダメだろ。わざと負ける必要はないけど、やりすぎるな。全力でやり合いたいなら私が相手するし、幽香とか天魔さんや魅魔姐さん、鬼の四天王もいるだろ。それからお前、妹なんだからもっと姉貴のカリスマ信じてやれ」
フランドールを床に立たせると、その頭をポンポンと軽く叩いてやった妹紅は、まだ目を回しているメイド長を抱くと近くにいた適当な妖精メイドをともなって休憩室へ連れて行った。
残されたフランドールは唇を尖らせて姉を見つめていたが、ため息をついて立ち去ろうとしたレミリアの背中に向けて「ごめんなさい」と謝った。
レミリアは立ち止まる。
「いいわ。悪魔の妹を突破できないような雑魚に、用は無いから」
じゃあ殴るなよ。と心の中でツッコミを入れるフランドールだったとさ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「よーし、今日こそ紅魔館メイド妹紅様が五面ボスとして大活躍大決定!」
やる気満々の妹紅の背中にフランドールが飛びついて、首に腕を回すとグイグイと絞めた。
「コラー! どーして妹紅が五面ボスなのよ! 悪魔の妹がヒラメイドより前のボスなんて恥ずかしいじゃない!」
「昨日お前四面ボスやっちゃっただろ! 今さら配置換えできるか! そんなに不満ならEXボスで本気モードでも出してろ!」
「そっか! EXボスなら全力全壊でぶちのめしても問題無しよね!」
「壊すな!」
廊下でじゃれる妹様とメイドを微笑ましく眺めながら、他の妖精メイドは今日また来るだろう博麗の巫女に備えて戦闘配備を行っていた。
昨日頭を強打したメイド長はなんとか自力で修復し、また地下でパチュリーと小悪魔の面倒を見ている。
本調子には戻ってないので、仮に地下に侵入されても弾幕には参加しないそうだ。
とはいえ前回巫女は地下ルートには目もくれなかったので問題ないだろう。多分。
準備を終えた後は、ひたすら巫女が来るのを待ちながら普段通りメイドの仕事を行う。
午後三時頃に目を覚ましたレミリアに食事を持っていくと、レミリアは何度も目をこすっていた。
「かゆいのか?」
「ううん、そうじゃなくて……心眼が開けなくなってる。突発的に覚醒習得したスキルだし、一回眠っただけで開き方を忘れちゃったみたいね」
「心眼ってそういうもんなのか。知らなかった」
「まあいいわ。元々ブランクがあろうとも麓の巫女如きこの私が遅れを取るはずがない。心眼が開いたままじゃ私が圧勝しすぎてバランスが崩壊してしまうわ」
「ふーん。でもフランドール以上の強さを見せないとカリスマ保てないぞ。まあフランも紅魔館を巻き込まないよう全力は出してなかったそうだから、お嬢も死ぬ気でがんばれ」
「……そうね、そうするわ」
強がってはいても、やはり妹にかなり実力を離されたのはこたえたらしい。
レミリアから覇気が抜けていくのを感じた。
(昔は、あいつと弾幕ごっこしてお互いどんどん強くなってたのにな……。でも、レミリアは停滞に飽きた。再び翼を広げて飛び立とうとしている。案外すぐにフランドールに追いついちゃうかもな)
今は意気消沈としていても、いざ弾幕勝負となれば活力を取り戻すだろうと妹紅は予感していた。
なぜならレミリア・スカーレットは、スペルカードルールを愛しているからだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
日が暮れ、シフトの食事休憩のため休憩室に戻った妹紅は、他の妖精達と一緒に特製紅魔カレーを食べていた。
「食事中に巫女が来たらさー、空気読めてないよねー」
「そうよね、食事中は無いわ。ゆっくり食べさせて欲しいもの」
「ま、私達は五面配置だし、美鈴様がご飯を食べる時間を稼いでくれるから安心よ」
「異変が終わったらさ、休暇使ってどこか行かない?」
「メイド長は小悪魔の試験が終わったら実家に帰るって言ってた」
「実家かー。私達の実家ってドコだろう?」
「紅魔館じゃない?」
「私は湖出身だよー。あの氷精と馬が合わなくて、美鈴様に誘われて紅魔館に来たの。もう何年前になるかなぁ? みんなはいつ頃から紅魔館にいるの?」
「覚えてなーい」
「同じく覚えてなーい」
「私は紅魔館が幻想郷に来たその日に雇われて以来、ずーっとヒラメイド! 昇進すると仕事増えちゃうから、これからもヒラのままいっちゃうもんねー」
「ねえねえ、妹紅ちゃんは昇進したいと思わないの?」
「ん、私か?」
一足早く皿を空にして、おかわりをよそって戻ってきた妹紅に妖精達は興味津々笑顔で訊ねた。
「そうだよねー、妹紅ちゃん人間だもんねー」
「妹様と遊ぶくらい強いし、いつまでもヒラじゃカッコつかないよ」
「仕事じゃメイド長にかなわないから、副メイド長とか狙ってみたら?」
「そんな役職あったっけ?」
「無ければ作っちゃえばいいんだよ!」
「おいおい勝手に盛り上がるなよー」
苦笑いを浮かべながら席に着く妹紅。ガツガツと威勢よくカレーを食べながら言う。
「だいたい、さっきお前等言ってただろ? 昇進すると仕事が増えるって。そーしたら私はいつ! シエスタすればいいの? 今だってお嬢担当になる事が多くて、なかなかシエスタできないのに!」
「美鈴様みたいに眠ったまま仕事ができるようになればいいじゃない」
「無茶言うな」
と、おかわりカレーを半分ほどたいらげた所で新たな妖精メイドが休憩室に駆け込んできた。
「来たよー! 攻めてきたー!」
「ん、そうか。じゃあ急いで食べないとな」
妹紅や妖精メイド達はスプーンを動かす手を早めようとしたが、駆け込んできた妖精メイドは信じられないセリフを吐く。
「食べてる時間なんて無いよー! 美鈴様やられちゃったんだから!」
「は……? 美鈴が!? もうッ!?」
信じられないといった様子で妹紅は立ち上がり、スプーンが床に転がった。
他の妖精メイド達も、あまりにも早すぎる美鈴の敗北に困惑する。
「ええ!? だって昨日は、美鈴様を突破するのにあんなに時間がかかってたのに!」
「あの巫女、たった一日でそんなに強くなったの!?」
「違うよ! そうじゃなくて、攻めてきたのは――」
そしてさらに、駆け込んできた妖精メイドは驚愕の事態を告げる。
紅魔館の廊下にて、妖精メイド達は一糸乱れぬ陣形で敵を待ち構えていた。
だがしかし、敵の姿を見るや陣形は崩れ、攻撃の連携もまったく取れなくなってしまった。
古株の妖精は特に反応が顕著であり、妖精メイド軍団は軽々と突破されてしまう。
そこに、大急ぎでやってきたヒラメイド妹紅が立ちふさがる。
「よぉ、久し振りだな」
「あぁ、久し振りだぜ」
侵入者はニヤリと笑った。
ああ、そうだ。本当に久し振りだ。
こんな形で紅魔館にやって来るのは。
「また返り討ちにされに来たのか? 今日は他に、客の予定があるんだけどな」
「知らなかったのか? 博麗の巫女が出たら、面白がって魔法使いも出てくるんだぜ」
箒にまたがって飛んでいる、白黒衣装の大魔法使い。
レミリアと同じ年月のブランクがあるとは思えない、百戦錬磨のオーラを全身からみなぎらせている。
彼女の名を知らない者は、幻想郷にあんまりいない!
「ええい面倒! こないだみたく瞬殺してやるぜ、大魔法使い霧雨魔理沙ッ!!」
「上等だ! 引きこもってる間に開発した新型マスタースパークを見せてやるぜ、藤原妹紅ッ!!」
二人は同時にスペルカードを展開、発動する。
凄まじき妖力と魔力がぶつかって渦巻き、廊下に倒れている妖精メイド達を戦慄させる。
「先手必勝!」
先に動いたのは魔理沙だった。
懐から取り出したミニ八卦炉から轟音をともなって魔法エネルギーが七色に輝きながら放出される。
「虹符『レインボウスパーク』!! 七つの属性を合成したこいつは、炎だけじゃ防げないぜ!」
迫りくる七色の閃光を、妹紅は氷よりもクールに見つめていた。
(七色だけにパチュリーの七曜の魔法に似てるし、同じ属性のものが多い。月と日が無いな。
赤は火、橙は土、黄は金、緑は木、青は水、藍は陽、紫は陰。
陰陽五行に、陰と陽を加えて、魔力で繋いでいる? 魔法だけじゃなく陰陽術も勉強してたらしいな。
五行相剋を封じ五行相生のみを発動させて威力を倍増させてやがる。
でもスピードや効果範囲はマスタースパークと大差無い。
スペルカードルールで見栄えをよくするのはいいとして、威力だけ高めてもなぁ)
的確に分析し終える頃にはもう、七色の閃光は眼前に迫っていた。
この距離で避けられるのは射命丸文くらいのものだろう。
だがしかし、手の届く距離まで迫った七属性の魔法に妹紅は、右の掌を斜め下から超高速で振り上げた。
「地闘『フェニックスウイング』!!」
炎をまとった掌は軽々とレインボウスパークを弾き飛ばした。
空間を広げられた廊下は、すべての床、壁、天井に魔法結界を張ってある。
これは弾幕ごっこの被害を抑えるためのものだったが、さすがにこのレインボウスパークでは貫かれてしまうだろうと妹紅は考えていた。
ニッと笑う魔女。
「弾けろ!」
叫び、手のひらをかざす。
次の瞬間レインボウスパークは七色それぞれに分裂し、七つの細い閃光となって廊下の中を縦横無尽に駆け巡った。
「七つの高速機動! 両手で弾き飛ばしたとしても、残る五つがお前を襲うぜ!」
勝ち誇るように魔理沙は言った。
この自信、もしかしたら美鈴を倒したのはこのスペルかもしれないなと妹紅は思う。
七つの色がまとまっていた時は無駄に威力が高いと呆れていたが、なるほど七つに分かれても最低限の威力を保つためかと感心させられる。
「喰らえ! レインボウスパークの第二形態を!」
魔理沙の叫びと同時に、七つの閃光が四方八方から妹紅に襲いかかる。
素早く視線を走らせた妹紅は、自動追尾能力もあるのだろうと察した。
さすがにこれは避けるも弾くも無理そうだ。ならば。
「天闘『カラミティエンド』!!」
妹紅の左腕から妖力がほとばしり、一直線に下方へ飛ぶ。
下に回り込んでいた黄色の閃光、五行相剋に従い金の属性を火によって切り裂き、そのまま紅い絨毯の敷かれた床へと手刀を叩き込む。
弾幕対策の魔法結界が弾け飛んで、上方向へ扇状に広がっていく。
それらは他の六種類の閃光と衝突し、自動追尾機能を破壊した。
「しまっ……」
コントロールを失った六つの閃光は狙いがそれてしまい、妹紅の周囲に降り注ぐのみとなる。
魔法結界を失っていた床は甚大な被害をこうむり、絨毯は無残に引き裂かれ、床の破片が周囲に散った。
そんな中、妹紅は右腕を払った。
「魔闘『カイザーフェニックス』!!」
放たれた火の鳥は神々しく、破片や爆煙を吹き飛ばして真っ直ぐ妹紅に向かって飛んでいった。
「鳳翼天翔じゃないか!」
違いが解らず、叫びながら回避行動を取る魔理沙。
跳ね上がるように高度を上げ、炎の威力が巻き起こす熱風で身体を回転させながら、逆さまの状態で手のひらを広げ、五指すべての先端が燃え上がった。
「禁呪『フィンガー・フレア・ボムズ』!!」
「魔神『天地魔闘』!!」
魔理沙の五指から放たれた五つの火球は、不死鳥すら焼き尽くすパワーで周囲の景色を歪めた。
だが妹紅は、破砕した床に立ち尽くしたまま迎え撃つ。
まず右の掌圧で五つの火球を受け止め、左の手刀の威力で火球すべてを薙ぎ払う。
直後再び右手が払われ炎の鳥が魔理沙に向かって飛翔した。
強力な魔法を使ったための硬直時間が、魔理沙に回避行動を許さなかった。
紅蓮をまとった魔法使いは落下し床に衝突しそうになるが、ギリギリでブレーキをかけ着地。
スペルカードルールのため炎に殺傷力はほとんど無く、無事だった箒を杖代わりにする。
「くっ……」
「違いを教えてやるよ。鳳翼天翔は心を燃焼させ威力を高めた一撃だ。
カイザーフェニックスは攻、防、魔の三つのスペルカードをほぼ同時に発動するために速射性を高めてある。
魔神『天地魔闘』は星熊勇儀と戦うために開発したスペルカード。
こいしちゃんの家に遊びに行くついでに、勇儀もフランと遊んでくれてるんだ。
フラン相手ならハンデ抜きで全力を出せるって大喜びさ。
で、私もフランの付き添いで巻き込まれる事が多くてな。
全力の鬼を真正面から迎え撃つために編み出したスペルカードだ、ブランクのあるお前には破れないよ」
圧倒的実力差を見せつけ、余裕の態度を崩さない妹紅。
一方的とはいえ激しい戦闘だったにも関わらず、メイド服にはススひとつついていない。
「悪いが、今日はお嬢に大切な客が来るんだ。あの日から止まってしまった時計の針を、再び刻ませる事ができるかもしれない、大切な客が。だから……大人気ないのを承知で、難易度MAXで決めさせてもらう。お嬢の時を動かせるほどの逸材か、私自身確かめたいからな。いつまでもお前の相手をしてられない」
妹紅の背中に炎の翼が生え、赤々と燃え上がった。
渦巻く熱風が魔理沙から体力を奪い、一歩一歩、熱源が近づくたびに威圧される。
杖代わりとしていた箒を握る手が弱まり、箒はカランと床に転がった。まるで魔理沙の敗北を告げるように。
「望む所だ。全力で来い、妹紅ッ」
だのに、魔理沙は喜々として笑い、落ちた箒に足をかけた。
「本気か魔理沙? 昔とは違う。私やフランとまともに戦える相手は限られてるんだ」
「なに勘違いしてんだ。ここはスペルカードルールを愛する幻想郷だぜ?」
フワリ、と。箒が浮かぶ、魔理沙が上に立ったまま。
「ひ弱な人間が、強大な妖怪とも戦える。それがスペルカードルールだ。
だから私は、必死にあいつの背中を追いかけて……追いかけ続けて……"魔法使い"になった。
いいか。スペルカードルールの勝者は、弾幕ごっこを愛し、楽しんだ奴だ。
覚えとけ妹紅ッ。弾幕を愛し、楽しんでる奴はな……いつだって最強なんだ!」
そしてミニ八卦炉を握りしめ、真っ直ぐに妹紅へ向ける。
「美鈴……あいつも桁違いに強くなってたよな。でも私は、あいつを倒してここまで来た。
見せてやるよ、美鈴をやっつけたとっておきのスペルを。
決めてやるよ、華麗な大逆転を。大魔法使い霧雨魔理沙の矜持を。
次のスペルが妹紅、お前を倒すぜ」
くつくつと妹紅は笑い、その全身から真紅の炎と闘志を発する。
「上等、見せてみろ、そのスペルとやらを。
レインボウスパークやフィンガー・フレア・ボムズ程度のモンなら、軽くいなしてやる。
それから覚えとけ、私も、フランもな……」
炎の翼を羽ばたかせ、魔理沙よりも高く飛び上がる妹紅。
翼はさらに大きくなり、彼女の足元から炎が尾のように伸び、そして頭部から炎の首が伸びる。
今まさに、妹紅は巨大な火の鳥の中心核となっていた。
「大好きだからやってるんだ! 大好きだから強くなったんだ! 大好きだから続けてるんだ!
幻想郷が愛したスペルカードルール! 弾幕勝負を愛し、楽しんでいるのは私達も同じ!
見せてやるよ……今の私が放てる、最強のスペルカード!」
そう叫ぶや、フェニックスの尾が一枚舞い落ちる。
床に触れた瞬間、尾は火の鳥に匹敵するほど巨大に燃え上がり、一対の角を持つ炎の獣へと姿を変えた。
「私の全身全霊……受け取れ!」
「受けてやるぜ……そして私の最高のスペルカードを叩き込む!」
妹紅と魔理沙、二人はまるで鏡のように、まったく同時に笑い出した。
楽しくて仕方ない、この状況が!
楽しみで仕方ない、相手の放つ最後のスペルカードが!
妹紅は高らかに叫び、自らのスペルカードを告げた。
Last Word 「白沢と舞う鳳凰」
この楽しさ、素晴らしさを、レミリアは思い出してくれるだろうか。
そんな事を頭の隅で考えながら、妹紅は美しく燃える弾幕を放った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
メイドの休憩室にて、メイド長直々に淹れた紅茶が二人分の湯気を立てていた。
ティーカップを口元に運び、薔薇の香りをたっぷりと堪能してから唇をつける妹紅。
「で、どうなったの?」
ケーキにフォークを刺しながらメイド長が訊ねると、妹紅はカラカラと笑い出した。
「いやー、負けた負けた。全力でやって負けた。やっぱ強いわ、さすが魔理沙だ」
「うーん、魔理沙完全復活かぁ……これから図書館が大変な事になりそう」
口調こそ残念そうだったが、ケーキを口に運ぶ動作はとても活き活きしており、本心では魔理沙のカムバックを心から喜んでいるようだった。
「なぁに。今頃、小悪魔は昇級試験で好成績を叩き出してるだろうさ。小悪魔が大悪魔になれば、図書館の守りはより強固なものに!」
「あれ? 試験日って今日だっけ?」
「え? 違うの?」
と、二人は壁にかけられているカレンダーを見た。
すぎた日付には黒いペンでバツ印がされており、今日が何日かはすぐ解るようになっている。
赤ペンで丸で囲まれた日付がまさしく今日であり「小悪魔さんの試験日」とも書かれていた。
「……図書館にこもりっぱなしで、ちょっと日にちの感覚が狂ってたみたい」
絶望的な声色でメイド長は呟き、紅茶とケーキを残したまま椅子から降りた。
事態をおおむね把握した妹紅は、かける言葉が見つからずメイド長の背中をじっと見つめている。
休憩室から出る際、メイド長は言った。
「もう間に合わないだろうけど、起こしてくるね」
ドアを開け、出て行くメイド長。
入れ替わりに不思議そうな顔をしたフランドールが入ってくる。
「ねえ妹紅、なにかあったの?」
「悲劇が」
「は?」
なんの事やら解らないフランドールは、とりあえず日光の射し込む窓にカーテンをカーテンで覆い、妹紅の隣の席へやって来て座ると、甘えるように妹紅へともたれかかった。
ちなみにメイド長が残していった紅茶とケーキには吸血鬼用のものではないため、フランドールの興味を少しも引かなかった。
「ねえねえ妹紅、昨日は楽しかった?」
「ん、ああ、楽しかったよ。巫女と戦えなかったのは残念だったけど。フランもお疲れ様。私が戦ってる間、巫女を誘導して別ルートでお嬢の所に連れてったんだろ?」
「空気くらい私にも読めるって証明できたわ。それより妹紅、魔理沙にはどうやって負けたの? この前遊んだ時は動きが鈍いわ弾幕に切れが無いわで散々だったけど」
「美鈴と同じやられ方をしたよ」
「魔理沙はどんなスペルを使ったの?」
「マスタースパーク」
そう。魔理沙と地力を大きく引き離し、凄まじい強さになった妹紅と美鈴を破ったのは、従来通りなんの変哲も無い、ただのマスタースパークだった。
パワー、スピード、範囲など、マスタースパーク以上のスペルを、今の魔理沙なら数多く持ってるだろう。
ブランクの残る魔理沙にとって、強力な武器となるのは引きこもってる間に開発した新スペルのはずだ。
それらは総じて優れた性能を持ち、また初見であるためパターンを読めないからだ。
当然、妹紅と美鈴はそういったスペルを警戒していた。
だがマスタースパーク。
虚を突かれたものの、大幅にレベルアップした妹紅と美鈴なら余裕で避けられるはずのスペルだった。
けれど避けられなかった。
その理由を、妹紅は美鈴と話し合ってみた。
懐かしさが逆に仇となったかとも考えたが、ついに確証は得られなかった。
「へー、面白そう! 私、今から魔理沙の家に遊びに行ってくる!」
好奇心と闘争心を刺激されたフランドールは、椅子を倒して飛び上がり、出て行こうとした。
「ちょっと待った。フラン、休憩室まで来た理由はそれだけか?」
「あ、忘れてた」
ドアノブに手をかけた状態で振り向くフランドール。
「お姉様が呼んでたよ。出かけるから、日傘を持って来いってさ」
「今からか? 私の休憩時間、まだ残ってるんだけどなー……」
ぼやきながら、妹紅は紅茶を飲み干して立ち上がり、フランドールと一緒に休憩室を出て行った。
紅霧の晴れた空は雲ひとつ無い快晴で、蒼穹がどこまでも広がっていた。
「遅い」
日傘を持ってテラスに行くや、屋根の日陰でリボンの巻かれた箱を持ったレミリアが眉を釣り上げていた。
けれど本気では怒っていない。日傘を手渡した際に触れた手からは、不思議な活力が伝わってきた。
「出かけるんだって? 珍しいなぁ、どこに行くんだ?」
「決まってるじゃない、博麗神社に遊びに行くのよ」
怒り顔から呆れ顔へシフト、しかし感情の色は喜び一色のまま変わっていない。
昨日の弾幕勝負の余韻が、まだ残っているようだった。
「へぇ、神社にねぇ」
喜びが伝染したかのように妹紅も笑みを浮かべ、レミリアの持つ箱に視線をやる。
リボンの巻かれているそれは、巫女へのプレゼントに違いない。
たった一回弾幕勝負しただけでそこまで惚れ込んでしまったのか。
「ああ、そうそう。今日からあなたは私の専属メイドよ。ヒラメイド卒業おめでとう」
と、レミリアはプレゼントの箱を妹紅に渡す。
「……は?」
なぜそのセリフで、巫女へのプレゼントを渡すのか、妹紅は奇妙に思った。
「えーと、これ持ってけって事?」
「なにを言ってるのよ。これは、私専属メイドになったあなたへのプレゼントよ」
なんの冗談だ。
それともイタズラかなにかか。
プレゼントという言葉を信用せず、ビックリ箱ではないかと警戒しながら妹紅はリボンを解いた。
恐る恐る箱を開くと、ますます判断に困った。
冗談でもイタズラでもないと言える。
だが冗談でもイタズラでもあるとも言える。
レミリアの真意がどちらなのか、まったく想像がつかない。
プレゼントの正体。
それはメイド服だった。
紅魔館から支給されるオーソドックスな、なんの面白味も無いメイド服だった。
色が、紅白でなければ。
「……なんだ、これ」
「黒い生地をぜーんぶ紅い生地にしてもらったの。妹紅に似合うと思って」
「ざけんな。こんなの着てたら色物メイドもいいトコじゃないか!」
「あら、色物メイドじゃなくて紅白メイドよ?」
「あのなー!」
「白黒だと魔理沙とかぶるし、喪に服してる訳じゃないんでしょう?」
「……喪服とメイド服の黒は、まったく意味が違うだろ」
「ともかく今すぐこれに着替えなさい。うちに来る前は紅白衣装だったのだから、元に戻るだけよ」
「ブラウスともんぺを、メイド服と一緒にされてもなぁ……」
「いいから着る!」
嫌がる妹紅に業を煮やし、レミリアは爪を振るって妹紅の今着ている普通のメイド服を切り裂こうとした。
慌てて日光の下に逃げるが、日傘を開いて追ってくる。
「あきらめなさい! あなたがこの紅白メイド服に着替えるよう、すでに運命は操ってる!」
「能力の無駄遣いにも程があるだろ! 畜生こんな職場辞めてやる!」
「払い切れないほどの違約金を請求して上げるわ!」
「退職金は!?」
「なにそれ?」
「紅魔館なのにブラックすぎるだろ!」
永久不変の生命である妹紅は思う。
この世に永久不変のものなど存在しない、と。
耐えがたい喪失感から自らの時計の針を止めてしまったとしても、いつかきっと、動き出す。
時計のネジを回してくれる誰かと出逢ってしまう。
そうして、人間も妖怪も生きていく。
この幻想郷の空の下で。
「よーし、お着替え完了! 神社に行くわよ、ついて来なさい!」
「いーやーだー! こんな格好で人前に出たくなーい!」
あの日はとてもよく晴れていた。彼女の気質のように。
あの日もとてもよく晴れていた。彼女の気質とは裏腹に。
吸血鬼は晴れを好きになった。太陽の下で見る人間の笑顔が好きだった。
彼女が新しいスペルカードを作った日も晴れていた。
彼女が紅魔館の門を叩いてメイドになった日も晴れていた。
そして。
今日この日もとてもよく晴れていた。
FIN
パチュリー様はメドローア使えそうだ
鬼と戦うには天地魔闘の構えで『三歩○○』シリーズに対抗するのか…w
Exボスが2りも道中に居る紅魔館なんて聞いたことないんで抜けますね^^;;;
続き(または経緯)が読みたいです!
それがいい味だしてました。テンポよく読み進められましたし。
あっ、バーン様チャーッス!
話の流れも上手く、キャラの特徴も際立っていて良かったです
それ妹紅のちゃう。聖闘士の技やw
終始ハイテンションなノリなのになんでこんなにも切ない。
小悪魔さん方の模様、洒落になんねえっす!
がくがくぶるぶる
メイド長を読みきれなかったのが、ちと残念。最初アリスかと思いましたが、そっか、そういえばフラグたってましたな。
晴れの巫女と曇りのメイド。あの頃が過ぎても幻想郷は続いていくんですね。
こんな紅魔館もいいですなあ。
とても楽しい紅魔館ですが、色々と乗り越えながら生きている二人が胸を打ちます。
それはともかくいい妹紅でした
ん、何かの続きものだったの?
妹紅とレミリアのそれぞれに何があったのか。この幻想郷は今どういった状況なのか。ということを直接描写することなく、遠回しに表現するところがまた感慨深いです。
個人的には最高傑作です
評価低すぎるでしょう
このメイド長は・・・・倫敦であってるのかな??
わたしはドギャーンと寝ますねぇ。
彼女は、幻想郷が愛するスペルカードルールの中で鳳凰と遊んでいるのですね。
レミリアのほうにも、時やナイフやメイドといったキーワードがあるスペルカードがあるといいなあ。
世界「OVER C」
…自分には萃夢想ネタしか浮かばないな
良かったです。
とても感動できた作品でした