Coolier - 新生・東方創想話

藤原エクスチェンジ

2010/07/30 00:35:25
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 まだ十にも満たぬ少女が甲高い泣き声を上げながら薄暗い竹林を歩いていると、ふいに周囲が静かな月光に照らされた。
 ふわりと、羽毛のような軽やかさで舞い降りた白と黒の輝きは人の形をしている。
 小振りな朱唇が三日月を描くと、少女は目の前に現れたのは天女であると錯覚した。

「もう大丈夫よ」

 奏でるような美声は少女を安心させる。
 竹林で迷い、足が棒になるほど歩き続け、ついに日が暮れてきた今、どんなに心細かっただろう。どんなに恐ろしかっただろう。
 それを思えば、どうして子供一人で迷いの竹林という異名を持つ土地に踏み込んだ無謀を責めるなどできようはずがない。叱られるのは、うんと心配しているに違いない少女の両親と寺子屋の教師を安心させ、少女が活力を取り戻してからでも遅くはない。そのために、叱られるための活力を蓄えるために少女は、疲れを癒すために、安心したために、その場に崩れ落ち、さらに眠りに落ちた。
 仕方ない。天女と間違われた彼女は少女を抱き上げ、ふわりと、宙に舞った。
 竹林を抜け出る頃にはすっかり日が暮れており、おかげで竹林近くにある数個のちょうちんの灯りを見つけやすく、少女を抱いたままそこへ舞い降りる。人間が六名いた。中年の男が二人、二十前後と思われる若者が三人、若い女性が一人。
「探し物はこれかしら」
 驚いた様子の彼等より先に、彼女は少女を差し出した。すると中年の男が慌てて駆け寄ってきたので、優しい手つきで渡してやる。
「とても疲れてたみたいね、眠ってしまったわ。今日はこのまま寝かせておいて上げなさい」
「あ、ありがとうございます。娘がご迷惑をおかけしました」
 父親が深々と頭を下げている間に、彼女は彼等に背を向け、竹林へと歩き出した。もう用は無い。関わるつもりも無い。そんな風に。だから、男達に混じっている唯一の女性は、上白沢慧音は大きな声で言うのだ。

「うちの生徒を助けてくれて、ありがとう、輝夜」

 続いて、男達も感謝の声をかける。
 すると。
 彼女は肩をすくめて振り返り、この暗がりでは見えないだろうという確信をして、微笑んだ。つもりだった。
 ちょうちんの灯りはバッチリ届いちゃっていて、微笑をバッチリ目撃してしまった男達はハートを鷲掴み。
 メロメロになった。
 というか、女教師上白沢慧音その人もハートを鷲掴みにされメロメロになっていた。

 とある年。
 とある季。
 とある月。
 とある週。
 とある日。
 とある夜の。
 よくある出来事。
 つまり。
 藤原輝夜の人柄は概ねこんな感じである。
 人里に、対しては。


     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 竹林ナビゲーターとも呼ばれる輝夜は、迷いの竹林に迷い込んだ者を竹林の外へ、あるいは薬を求める者を永遠亭へと案内する。報酬を求めず、己の素性を語らぬミステリアスな内面は美しい容貌にも表れており、その色香を目当てに竹林へ迷い込む愚か者もいたが、なぜかそういった者の前に藤原輝夜は現れない。しかし下心があっても、タケノコや兎といった食料、資材としての竹、あるいは永遠亭へ薬を求めに行く者が迷った時にはどこからともなく姿を現す。
 故に、藤原輝夜は人気者であった。
 その証拠はもうひとつの敬称を聞けば明らかだろう。
 竹林散策を常としているため彼女の履物はスカートではなく実用性抜群の黒のもんぺ。白いブラウスの胸元のふくらみはどちらかというと小さい部類ではあったが、与える印象は清楚にして妖艶という相反した魅力をそなえていた。黒艶の流れる髪はどれだけ竹林を歩き回っても汚れず乱れず洗い立てのようにきらめいている。剥き立ての卵のような肌は白く、瞳は磨かれた黒曜石のように輝いている。
 見事なまでに白と黒のみで彩られた容貌は当初、霧雨魔理沙の白黒魔法使いに倣って白黒二号という蔑称を与えられそうになったが、そんな呼び方は彼女の美貌には似合わぬため自然と白黒美人という名がついてしまうほど。
 そんな設定。

「やはり高貴な生まれだとにじみ出るオーラが違うのかしら」
「自分で言うセリフじゃないでしょう」
 一応、貴族の出の輝夜は時折それを自慢する。わざとらしく。冗談半分に。つまりそれはもう、貴族であった過去にこだわっていないという事。こだわっていたら、人里の人々を下賎の民と見下すなり、露骨に偉ぶったり、豪邸を構えたり、やたら貴族の出身だと吹聴したりするだろう。
 しかし輝夜は人里の人々と相応に親しくし、偉ぶったりもせず、質素な家を人気の無い竹林に構え、貴族ネタは一部の者にしか使わない。親しい友人の上白沢慧音先生とか。遊びに行くと手料理をご馳走してくれる上白沢慧音先生とか。定期的に家の様子を見に来て掃除や洗濯をしてさらにご飯を作ってくれる上白沢慧音先生とか。
「出来の悪い娘を持った親というものは、こういった気持ちなのだろうか」
「お母さん、お茶おかわり」
 心情を汲んだ輝夜は、それに応えるように母と呼んだ。それが軽いジョークなのは重々承知している慧音は、伊達にお母さんをしておらず、面倒がりながらも輝夜のためにお茶を入れてやる。出涸らしのお茶を。
 輝夜はその麗しい外見に反して不精な面を持つため、お茶の葉を買い忘れて渋々と出涸らしのお茶で我慢していた。知っていれば、今日、慧音は新しいお茶の葉を差し入れしてくれただろう。
 今日、団子を持ってきてくれたように。
 昨日、大根を持ってきてくれたように。
 一昨日、以下略。
「まったく」
 と、すでに掃除と洗濯をすませて卓を囲んでの休憩中で雑談中の身の慧音は、自分の湯飲みも出涸らしで満たし、自分が持ってきた団子を手に取った。
「蓬莱人だからといって、不精をしていい理由にはならない。身の回りの事くらい、ちゃんと」
「してたわよ」
 と、すでに掃除と洗濯をさせて卓を囲んでの休憩中で雑談中の身の輝夜は、出涸らしのお茶を一口飲んで、慧音が持ってきた団子を手に取った。
「慧音が通うようになる前は、してた」
 団子は甘い。
 輝夜は甘え。
 慧音に甘えているのである。冗談でお母さんと呼ぶ程度に親しく思っている慧音に。
「じゃあ、私が来なくなったら、お前一人できちんとできるな?」
「そういう理由で慧音が来なくなるのなら、慧音が生きている間、ずっと不精でいいわ。そうすれば、慧音は心配して来てくれるでしょう?」
「じゃあ、私が来ても、面倒を見ない場合はどうなるんだ?」
「おねだりするわ。掃除をして、洗濯をして、料理を作って、一緒にいて、って」
 最後の。
 一緒にいて、という言葉だけで慧音はやられてしまう。
 口実なのだ。掃除をしてやるのも、洗濯をしてやるのも、料理をしてやるのも、輝夜と一緒にいたいがための。友達ならそんな口実はいらないのだと解っていても、それ以上に、輝夜にとって必要な存在でありたいと思うから。
 せめて、慧音が生きている間くらいは。
「そうなれば、やむを得まい。私が生きている間、不精で自堕落な日々を送ってもらおう」
「倦怠期になってしまったのかしら」
 ――でも、そんなものが来る前にあなたが死ぬわね。
 頭に浮かべてしまった言葉のため自嘲した輝夜は、団子を強く噛み、さらに噛み、熱いお茶で流し込んだ。永い歳月のため我が身の出来事には折り合いをつけているが、時々、老いて死ぬ人間では至らない思考に走るたびに、自分はもう老いて死ぬ人間ではないのだと責められている気がしてしまう。
 むう、と唸って輝夜は身体を揺すった。
「どうした?」
「慧音は、さ、どうして」
 そんなにも。
「私に構ってくれるのかしら」
 一呼吸分の間を置いて、慧音は微笑する。
「友達だから構いたくなるのか、構いたくなるから友達なのか、どちらにせよ、お前が友達だからなのだろうな」
 惜し気も無く、もっとも欲しい返事を言ってくれたので、口元がニヤけてしまうのを見られないよう輝夜は顔を伏せる。相手が欲しい言葉を察し、さらりと自然に言ってやる。そんな友人関係を双方とも満足していたし、永い時の中でほんの短い間とはいえ、このような友人に出会えた幸運に感謝していた。


     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「よう輝夜ちゃん! 今日は先生と一緒じゃないのかい?」
「ピーマンどうだい半額にしとくよ、今日の晩飯はピーマンの肉詰めにしようや!」
「輝夜さん、先日は永遠亭まで案内していただいてありがとうございました」
「輝夜ちゃーん、また掛け軸を書いておくれよ。いい値段で売れたし、もっと欲しいってお客さんもいるんだ」
「お頼み申すー! どうかうちのせがれの嫁ンなっとくれー!」
「あァン!? 輝夜ちゃんは俺のお嫁さんに決まってるだろう! という訳で結婚しておくれー!」
「はぁ? 輝夜様は私のお姉様になるに決まってるでしょう? そこの宿で姉妹の契りを是非ー!」
「輝夜お姉ちゃーん、暇だったら一緒に遊ぼー!」
「輝夜さん! 裸婦画のモデルが駄目ならば服を着たままでいいのでモデルになってくださいませんか!?」
「輝夜が花の臭いを嗅ぐや……なーんちゃって、プププププッ」
「かぐやん! かぐやん! 竹林ナビゲーターかぐやん!」
「白黒魔法使いと違って白黒美人は見ているだけで心が満たされる」
「おいテメェうちの娘じゃ満たされねぇってのか?」
「落ち着け霧雨の旦那ァー! 輝夜様の美貌を堪能して心を落ち着けろヒッヒッフー」
「輝夜様……今日もお美しい、ポッ」
「眼福じゃあ眼福じゃあ、寿命が延びる心地じゃあ」
「よぉ輝夜の嬢ちゃん、今度の盆栽品評会じゃ負けねぇからな!」
 超、超、超、人気者。
 それが藤原輝夜の人里評価。
 しかし当の本人は、なぜこうなってしまったのか、うまく理解できないでいた。
 罪業の身の上は、他者との交流を控え目にさせていたし、素性を語った相手は慧音くらいだし。人里との交流と言えば、竹林で迷った人を案内したり、竹林で得られない物を求めて買い物に来たり、そのための資金を得るために掛け軸などを自作して店に卸したり、寺子屋の手伝いをしたり、趣味の盆栽を品評会に出品したり、その程度であるはずだ。
 だが秘密というものは女性を魅力的に見せるものだし、そもそも秘密を持つ人間や妖怪があふれている幻想郷である。人里から見れば十分友好的な人柄で、さらに絶世の美女であれば、人気が出るのは必然。
 無自覚な輝夜は今日の用事をすませるべく、外来人が経営するファミリーレストランという飲食店に入った。
 すると愛想笑いを全力笑顔に変えた男性店員が深々とお辞儀をした。
「いらっしゃいませ輝夜様! お一人で御座いますか?」
「待ち合わせよ」
「プッツン。輝夜様と待ち合わせするような屑野郎は全裸に引ん剥いて"ポークビッツ"と書いた張り紙を股間に貼って広場に吊るしてやるるるるゥゥゥゥゥゥゥンッ!!」
「早苗のなにがポークビッツなのかしら」
「あ、女性同士でのお約束でしたか」
 急にクールに戻る店員さん。
「早苗はまだ来てないみたいね。禁煙席空いてるかしら?」
「空けてきます」
 店員が満席の禁煙席へと赴き事情を説明すると、男性客は是非ともこの席をとみずから立ち上がり、さらにテーブルを綺麗に拭き始め、見事空席が大量発生。なにがなんだかよく解らない輝夜は、とりあえず窓際の席に座ると紅茶を頼んだ。

 姓を東風谷、名を早苗。守矢神社の風祝で、巫女で、人間で、現人神。
 この中で重要なのは人間という項目である。
 輝夜は、とある肝試しを機に慧音以外の人間や妖怪とも多少の交流を持つようにしようと考えを改めた。まずは、肝試しで関わった霊夢、魔理沙、咲夜、妖夢。後はアリスとレミリアか。紫は胡散臭いので遠慮して、幽々子とも相性が悪いので遠慮させていただいている。そして新たに幻想郷へとやって来た人間、東風谷早苗との交流もそこそこしている輝夜である。一緒に無人島に拉致された事もあれば、秘境雀のお宿に案内した事もある。
 二人の関係は、友達という言葉で表せるだろう。
 その早苗が約束の時間通りにやって来て、輝夜の対面に座った。

「お待たせー。今日は空いてますね? とりあえず注文でも取りましょうか。私はもう決めてますよ、ハンバーグセットです。おいしいって評判らしくて、輝夜さんもどうですか? すいませーん、ハンバーグセット二つお願いしまーす。ふぅ。こうして食卓をともにするのも久し振りですね。最近は忙しかったものですから。いえ、決して妖怪退治に夢中で幻想郷を飛び回ってた訳ではありませんよ。ええ全然」
 あまりの白々しさに呆れながらも、輝夜は早苗の衝動を認めていた。
 妖怪退治が楽しい。だから妖怪退治する。
 自分も、似たような事をずっと昔からしていたのだ。飽きるまで続ければいいと思う。しっぺ返しを受けても自業自得なので、それはそれで人生経験。
「早苗も随分と幻想郷に馴染んだわねー」
「常識を投げ捨てましたから」
「元から非常識な社会不適合者ならともかく、意識して非常識になるには、常識を深く理解しておくべきよ。それを捨てるだなんてもったいない。拾って食べなさい。三秒以内に」
「三秒なんてとっくに」
「ハンバーグまだかしら」
「まだ頼んだばかりですよ」
「あ、来たわ」
「え」
 見れば、タキシードに着替えたウェイターが口に薔薇を加えて熱々のハンバーグを運んでいた。
「お待たせしました輝夜様。特製ハンバーグセット・ゴールデンフルムーンスペシャルで御座います」
「あら、どうも」
 その後ろから普通のエプロン姿でやって来る青年。
「お待ちどーさまー。ハンバーグセットのお客様はー」
「なにこの格差」
 渋々と普通のハンバーグセットを受け取る早苗。ほっかほかでおいしそう。一緒に焼かれている人参もやわらかそう。ポテトもやわらかそう。ライスがついてるのも日本人向けでグッド。ポタージュスープも実にいい感じ。しかしなぜだろう、なぜ、早苗のハンバーグはハンバーグのままで、輝夜のハンバーグは目玉焼きが乗っているのだろう。ゴールデンフルムーンだけに目玉焼きで満月を表現しているのかしら。普通のハンバーグセットを頼んだはずなのに。追加料金とか発生しないのか。
「本日は白黒感謝デーなので、白い肌とブラウスと、黒い髪ともんぺの輝夜様は、無料となっております」
「あらそう、知らなかったわ。ちなみに元祖白黒の魔理沙も今日は無料なのかしら」
「金髪なのでNGです」
「厳しいのね」
「ささ、輝夜様。我々の愛と情熱と真心と全霊と下心と希望を込めたハンバーグをどうかお召し上がりくださ――」
「うざい」
 さえぎったのは早苗で、ぶんと腕を振るうや神風が吹きすさび、美辞麗句を並べているつもりのタキシード店員をふっ飛ばした。さして気にも留めず輝夜はハンバーグを食べ始め、早苗も後に続いた。エプロン店員は普通に戻っていった。
「もぐもぐ。ふむ、なかなかイケますね」
「早苗のハンバーグの0.7倍くらいおいしいわ」
「そうですかありがとうございます。輝夜さんって普段なにを食べてるんですか? 自炊はできますよね?」
「慧音が作ってくれてるわ。私が男なら、慧音との関係は友人ではなくヒモになっていたわね」
「最低ですね」
「女同士でよかったわ」
「慧音さんが来ない日はタケノコ三昧ですか?」
「魚を釣ったり、干し柿を作ったり、蛇のかば焼きが好きだったけれど早苗と親しくなってからは遠慮して龍をかば焼きにしているわ」
「幻想郷で龍といえば最高神の龍神様しかおられませんよね」
「肉が硬くて微妙だったから釣り餌にしてしまったわ。そうしたら蛙が釣れたのだけれど、早苗に悪いから」
「諏訪子様は別に蛙じゃありませんけど、まあ、蛙と縁深いお方ですし、その配慮は――」
「チルノにプレゼントしたわ」
「配慮してください」
「はい了解。なんちゃって」
「私を氷付けにしてどうするつもりですか」
「珍品名品コレクションのひとつとして飾っておくわ」
「火鼠の皮衣の隣でお願いします」
「ダメよ解凍されてしまうわ」
「解凍してください」
「PASSは今日の四」
「解凍違いです」
 なんて、無価値に等しい雑談という有意義な時間をすごしながら、二人は手際よくハンバーグセットを片づけた。輝夜のみ無料で早苗だけ代金を支払うという不条理は、割り勘という申し出により回避された。実は全額おごってもいいくらいの気概があったが、それは対等な友人関係を崩すものであると了解しているため自重された。
 陽射しは高く、本格的な飯時がいよいよ始まろうという頃に、二人は本屋を訪れていた。
 これこそ二人の本命である。本を買う事がではない、本が売れているかどうかだ。
 客の振りをして、品定めする振りをして、新刊コーナーで立ち止まる二人。平積みされている数種類の本から、二種類を注視する。

『現役女子高生が幻想入り』 著 東の風の谷のサナ
『うぐいすのなく頃に』 著 富士竹テル

 小説。
 片方は、外界から来た女子高生が幻想郷で素敵な男性と出会う恋愛小説。
 片方は、平安時代に起きた連続殺人事件を題材とした推理小説。
 売れ行きは。

「…………」
「…………」
 他の平積み小説はそこそこ減っているのに、この二冊、全然減ってない。発売日なのに。全然。
 いや、発売日だからこそ、まだこの小説の面白さが伝わっておらず、これから口コミで大人気になるかもしれない。
「これはこれは輝夜さん。なにかお探しですか?」
 レストランにも輝夜信者がいたように、本屋にも輝夜信者の店員さんがいたようで、やはりタキシード姿で薔薇を咥えるいうはいからな格好であった。気色悪い。早苗は本心を出さないよう愛想笑いをした。
 しかし輝夜、こういう手合いに慣れているので普通に返事をする。
「今日は、新しい小説の発売日でしょう? なにか面白いものはないかしらと思って」
「お勧めとなりますと白零夢の最新刊『妖怪バスター・イムレ5 蛇神の刺客』なんかどうでしょう。クールなヒロインによる痛快な妖怪退治が人気のシリーズですし」
「アクションとかじゃなくて、もっとこう、落ち着いて読めるタイプのは?」
「それでしたら崑崙山紅姫の『崑崙が人の形』など、心温まるお話で……」
「えーとそうね恋愛小説とか推理小説とかでお勧めは?」
「ありません」
 輝夜の眉がひくひくと動いた。
「……無い?」
「ええ、ありません」
 店員は薔薇を咥えたまま前髪をかき上げる。
「でも、ここにそれっぽい題名の本が、丁度、あるじゃない」
「ああ、それですか。新人さんの小説ですけどね、『現役女子高生が幻想入り』は文章が軽すぎて、改行も多くて中身はスカスカですよ。しかも外来語が多くて、よく解んないし」
 ギリリと歯を食いしばる早苗。

 そう、この小説の作者である東の風の谷のサナとは、新人作家である東の風の谷のサナとは、なにを隠そう、東風谷早苗のペンネームなのだ。『東風谷』という漢字一字一字の後に『の』を入れ、さらに早苗をサナとする事で東風谷早苗という正体を見事に隠す『東の風の谷のサナ』というペンネームが完成したのだ!

 外界でケータイ小説を書いていた実績を持つ早苗は、幻想郷にて作家デビューを試みて、今作がその第一号なのであった。しかし店員の評価は辛辣。やはり文明の未発達な幻想郷に近代文明の申し子である早苗の研ぎ澄まされた文章は時代を先取りしすぎていたか。
 悔しいながらも、みずからの失態を冷静的確に分析する早苗。

「……そう。じゃあ、こっちの『うぐいすがなく頃に』は?」
「ああ、これですか。こっちも新人作家のデビュー作なのですが、文章が古臭いのなんの。何時代の文章だって言いたくなるくらいで、よっぽどの年寄り妖怪じゃないと読めないんじゃないですかね。舞台が平安時代だから、平安時代っぽい文章を狙ったのかもしれないけれど、そりゃ自己満足ってものですよ。読者が読みやすいよう、書かなくちゃ。作者はきっと、時代に取り残された年配の妖怪の方でしょうねぇ……文章は女性的らしいですから、輝夜様とは似ても似つかぬ妖怪ババァの力作だったりして!」


 弾幕が、店内を彩った。


 そう、この小説の作者である富士竹テルとは、新人作家である富士竹テルとは、なにを隠そう、藤原輝夜のペンネームなのだ。『藤原』の『藤』を『富士』に変え、『原』を住処としている竹林にちなんで『竹』とし『富士竹』となった。さらに『輝夜』の『輝』は『テル』とも読めるため、それを下の名前と師、藤原輝夜の正体を華麗に隠す『富士竹テル』というペンネームが完成したのだ! トミタケトハカンケーアリマスンセンソン。

 平安時代を深く理解している輝夜は、その頃に起きた実際の事件を題材とし、思い返しながらフィクションとなるよう創作していたため、自然と文章も当時のものになっていたのだ。さらに慧音の手伝いで受け持った寺子屋の授業が古文だったのも影響しているだろう。それにしても、この高貴で詩的な文章を古臭いとは何事か。ほんとにもうなにごとか!

 本屋で騒ぎを起こして逃げ出した人間二人。
 寺子屋の教師に見つかるや往来の真ん中で正座させられて小一時間ほど説教されました。
 そこを清く正しい射命丸文に撮影されて明日の新聞記事が確定してしまう。
 新人作家の正体だけは隠し通せたが本屋の店員の治療費を支払わされちゃう。
 本の印税は綺麗さっぱりふっ飛んで今月のお小遣いがピンチ。
 人気が出て重版されないとしばらくスイーツを楽しむ余裕も無くなる事態。

『妖怪バスター・イムレ5 蛇神の刺客』は売り上げ上々で重版もかかり作者は印税ガッポガッポやで。
 関係無いが霊夢は特に儲け話があった訳でもないのに急に羽振りがよくなる時があるらしいぞ。『妖怪バスター・イムレ』シリーズの発売と近しい時期にそうなるという噂があるが所詮は噂なのだ。


     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 概ね、語り終えたと思う。
 便所掃除という罰を受けて便器を磨いている藤原輝夜の人柄を。
 概ね、語り終えたと思う。
 便所掃除という罰を受けて糞尿の入った桶を担ぎ肥溜めに向かう藤原輝夜の生き方を。
 概ね。
 一番、重要な部分以外は。
 一番、藤原輝夜を藤原輝夜足らしめる部分以外は。

 藤原輝夜は蓬莱人である。
 蓬莱の薬を飲み、完全なる不老不死となり、千数百年を生きた、人間であって人間ではない存在。
 禁忌の薬を飲んだ罪のため、永劫の牢獄という罰を受けた、藤原輝夜は、不老で、不死な、蓬莱人。

 便所掃除を終え、慧音と早苗とで談笑をし、竹林に帰り、日が、暮れた頃。
 赤々とした夕陽が、竹林を赤々と照らした頃。
 赤々とした少女と、出会った。

「ブリリアントドラゴンバレッタァァァッ!!」
「フェニックスの尾ォォォッ!!」
 五色の弾幕と、緋色の弾幕。
 幻想郷で大人気、スペルカードルールに相応しき美しさの衝突。
 見る者が見れば、またかと呆れられ、またかと見飽きられ、またかと苦笑され、またかと微笑まれる。
 そんな光景。
 演じているのはすでに紹介された藤原輝夜と。
「今日は私の勝ちだな」
 踏みつける。
「そのようね」
 踏みつけられる。
「じゃあ死ね」
 月の姫の酷薄の笑みとともに紅蓮が渦巻いて輝夜は焼死した。呆気なく。ゴミのように。
 スペルカードルールにも事故死はありえるが、殺し合いをせずに力を維持するための決闘方法で、決着がついた後、負傷や疲労で動けない相手にトドメを刺すだなんて非人道的行為で、幻想郷という特異な世界でもれっきとした殺人事件なのは間違いなく、けれど、輝夜の死をいちいち気にするのは事情を知らない者のする事である。
 不死。不死身。不老不死。
 それが蓬莱人という生物なので、輝夜はすぐ生き返る。それは殺した側、妹紅にとっても同じ事。
 銀月のような髪をなびかせながら、焼死体を放置して帰ろうとする妹紅の背後で光が生じる。
「ちょっと待ちなさいよ」
 リザレクションによって、ススひとつついていない姿で復活した輝夜は元気よく立ち上がった。黒髪という闇夜に浮かぶ半月のような美しい顔は今、釣り上がった眼差しによって酷く冷たい印象を与えた。しかし、まったく意に介さない妹紅はへらへらと笑う。
「なんだよ、今日は私の勝ちだろ」
「ええ。だから、あなたが先日盗み食いした干し柿の件は、悔しいけど許すわ」
「そうか」
「でも、ちゃんと認めなさいよ。干し柿を全部食べたんでしょう?」
「二、三個だよ。残りは知らない。悪戯好きの妖怪にでも食べられたん――」
 途中で言葉を区切り、妹紅はそっぽを向いた。
「そう。どうやらお宅の悪戯兎の仕業みたいね」
「う……多分」
「従者の罪は、主の罪ではなくて? 私が許したのは、あなたが食べた二個か三個の干し柿よ。残りの三十近い干し柿の分、しっかりケジメをつけて欲しいんだけど?」
「じゃ、うちにおいでよ。宴会があるんだ。慎ましいものだけれど」
 そう言って笑う妹紅の衣装は、ベルトを巻いたドレスシャツの上に、和洋の混ざった桃色の羽織りの胸元を赤いリボンで飾っている。濃い赤のスカートは足首を隠す程度まであり、金糸の刺繍が不死鳥を描いていた。
 口調はきっぷのいい町娘のようではあるが、これでも一応、高貴な身分だった過去がある。
 過去だから、現在は上品に振舞う必要は無いとも言える。

 彼女こそ藤原輝夜の宿敵、怨敵、強敵、そして生き甲斐。
 不死鳥に魅入られた月の姫、蓬莱山妹紅。

「今日はとっておきのお酒があるんだ」
「それは楽しみね」

 唇を尖らせながら、しかし、期待に瞳を輝かせる輝夜。餌に釣られる犬のように見えて、愛らしく思え、妹紅は微笑を隠した。
 形骸。
 言葉の印象は悪いが、幻想郷において形骸とは、不思議とプラスに働くものだった。
 妖怪が人間を襲い、人間が妖怪を退治する。それは必要な事だけれど、すでに形骸。
 輝夜が妹紅を殺し、妹紅が輝夜を殺す。剥き出しの殺意は忘却され、すでに形骸。
 負けた方を殺すのも、死を感じるから生を実感できるという蓬莱人特有の歪んだ性癖を満たすための儀式。
 喧嘩するのが楽しいからあれこれ理由をつけては殺し合い、理由が無ければ互いに悪戯をして理由を作って殺し合う。
 形骸。
 永劫の暇を潰せるのなら、形骸でもなんでも大歓迎である。

 永遠亭は竹林の奥深くに隠れ、薬を求めてやって来る人間達はいつも苦労しているけれど、屋敷は立派だし庭は整備されて綺麗だし、竹林の外との交流を考えなければ立地条件も抜群であった。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
 戸を開けて、輝夜を連れた妹紅が入ると兎のイナバ達がワラワラと寄ってくる。
「いらっしゃーい」
「こんばんはー」
「なでなでしてー」
「だっこー」
「あそぼー」
 いっぱい、いっぱい、寄ってくる。
「おい、お姫様を差し置いて輝夜に懐くな」
 イナバは寄ってくる、輝夜の足元に。
「私は兎と相性がいいのよ。不死鳥に魅入られてないで、兎に魅入られるよう努力なさいな」
「お前が、お前が来るまではイナバは私にメロメロだったんだぞー!」
「ざまあみなさい」
 勝ち誇る輝夜。
 悔しがる妹紅。
 現れる鈴仙。
「姫様、お帰りなさい」
「優曇華院! お前だけだ、私を慕ってくれるイナバは」
 月の兎、鈴仙。地上に降りて新たにつけられた名を優曇華院。響きは悪いが、美しい名前のはずだ。
 真紅の瞳を誰とも合わせずうつむきがちの、付け耳をした月兎。イナバ達のリーダーの片割れでもあり、彼女の号令で輝夜に群がっていたイナバは廊下の奥へと帰っていく。宴会の準備をしている最中なのだ。
「こんばんは、鈴仙」
「輝夜さん、もしかして宴会に出るんですか?」
「妹紅に誘われて……」
「あー、もう、姫様はまた、勝手に。銘酒火燕流は人数分しか用意できていないんですよ?」
 深々とした溜め息を意に介せず妹紅は口角を上げた。
「みんなの分、ちょこっとずつ分ければ、輝夜一人分くらいまかなえるだろう」
「小さいコップに変えないと、見栄えが悪くなっちゃうじゃないですか……席も用意しないといけないし、ああもう、仕事に戻らせていただきます。輝夜さんはお任せしますよ?」
「私の客だ、私がもてなす」
 鈴仙も廊下の奥に消え、靴を脱いだ二人は妹紅の自室へと向かう。
 行き交うイナバは皆忙しそうだったが、そのうちの何割かは忙しそうな振りをしているだけでサボっているのだと妹紅も輝夜も知っていた。そこが可愛いところだと輝夜は思う。
 従者でありペットでもあるという奇妙な関係は、永遠に続く暇の相手が務まるだろう。
 ――私もペットを飼おうかしら。
 そう考えて、すぐ、輝夜は自嘲した。数年か十数年、その程度の、まばたきほどの時間で、ペットなんて死んでしまうだろう。長命の鯉や亀でも百年は持つまい。妖獣、妖怪と化せば、別だろうけれど。多少積極性を増したとはいえ、まだ人付き合いに恐れの残る輝夜は、人間や妖怪よりずっと短命なペットを持つ気にはなれない。
 イナバのように妖獣だったり、あるいはコミュニティを形成するほどの数があって子孫を残してくれるのならともかく。
「理にかなってるのね」
 ぽつりと輝夜。
「ん? なにが?」
「いえ、なんでもないわ」
 永遠亭が合理的に機能しているのは、間違いなく月の頭脳八意永琳のおかげだろう。しかし輝夜は、永琳という人物が少々苦手だった。宴会の席で顔を合わせるのは少し億劫である。
 と考えている間に二人は妹紅の自室に到着し、障子を開けて入った。中には妹紅が永劫の暇を潰すために集めた様々なものが散らかっている。

 将棋盤。碁盤。百人一首。独楽。蹴鞠。達磨。羽子板。水鉄砲。竹馬。釣具。弓矢。
 積み木で建てらた城砦。七百羽ほどまで折られた千羽鶴。画用紙の中で翼を広げる不死鳥。
 トランプ。UNO。ダーツ。ジェンガ。ツイスター。ボードゲーム数種。
 エアガン。モデルガン。リアルガン。解体訓練用時限爆弾。ダークマター。
 縄。鞭。蝋燭。ラバースーツ。数珠のようなモノ。張方。電動こけし。

「ほんと、色々あるわねー」
「無いから。リアルガン以降のは無いから。捏造やめろ」
「え、これリアルガンじゃないの?」
「ただのモデルガンだ」
「この解体訓練用時限爆弾は?」
「目覚まし時計」
「ダークマター」
「黒飴」
「縄」
「無い」
「鞭」
「無い」
「蝋燭」
「燭台だ」
「ラバースーツ」
「無い」
「数珠のようなモノ」
「正真正銘の数珠」
「張方」
「無い」
「電動こけし」
「電動じゃないただのこけしだ」
「つまり妹紅はただのこけしを」
「使ってない」
「じゃあ指で」
「ダーツとエアガンどっちがいい」
「黒飴がいいわ」

 永遠亭の姫、蓬莱山妹紅の部屋で爆発が起きた。
 一大事である。普通に考えたら一大事である。
 だが! しかし!
「またですか」
「まただね」
「ほっといて宴会の準備を進めなさい」
 当たり前のようにスルーされた。
 その後、庭で弾幕が飛び交ったがやはりスルーされた。
 でもサボタージュ中のイナバは見物してたりした。
 平和だね永遠亭。


     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「月の~魂よ宿れ~」
「宿れ~」
「宿れ~」
 下戸の鈴仙はコップ一杯で酔っ払い、ゲストの朱雀と一緒に夜空に向かって歌っていた。白い三日月は呆れたように酔っ払いを見ている。
 大広間には豪勢な食事が並び、イナバも相伴に与って楽しそうに飲んで食べていて、なぜか厨房を乗っ取った鳳凰が中華料理を大量生産して振舞うという逆転現象が起きていた。ちなみに鳳凰も大事なゲストである。姫の友人である。
 不死鳥は大酒を煽って泣いていた。銘酒、火燕流。炎に属する高位の者しか入手できない一品である。朱雀、鳳凰、不死鳥、そして妹紅が協力して入手してきたらしいそれを、永遠亭のみんなで楽しもうというのが今回の宴会だったのだが、不憫、不死鳥が火燕流を注がれたコップを持とうとしたらうっかり倒してしまい、伝説レベルの銘酒は畳においしく頂かれてしまったのだ。悔しくて悔しくて、不死鳥はひたすらに酒を飲んで飲んで飲んでいる。ちなみに火燕流で濡れた畳はイナバが舐めていた。「ウマウマ」と大喜びで。
 因幡てゐはしっかりと自分の分の火燕流を堪能して、さらに下戸の鈴仙にはとっとと安酒を飲ませて正気を失わせると、鈴仙の分の火燕流もおいしく頂いちゃったのだ。こぼしちゃった不死鳥さんに上げるという選択肢は無かったようで。
 永琳は、静かに、一人で、酒を飲み、料理を食べている。
 たまーにジロリと、妬ましそうに輝夜を睨みながら。
 藤原輝夜と蓬莱山妹紅。
 本日二度目の殺し合いを終えた二人は今、縁側に席を移して夜風を浴びながら身を寄せ合っている。絹糸のような黒髪と、銀月のような白髪が、ほんの少し、混ざり合っていた。紅潮させた輝夜の頬は、妹紅の肩の上で潰れている。両脇に置かれたコップの中は普通の高級酒で、火燕流は真っ先に胃袋へおさめてしまっている。純粋な味だけなら、今まで飲んだどんな酒よりも素晴らしかったと輝夜は思った。しかし少々度が強く結構な辛口で、度はともかくもう少し甘口の方が輝夜の好みだった。だからだろうか、妹紅がイナバに用意させた高級酒が甘口なのは。深く、考える気は無い。

 夏の宵
  またたく星と
   笑む月と――

 唇の形を三日月と同じにした輝夜は、黒いもんぺに包まれた足をブラブラさせるのをやめて、頬を滑らせた。
 後頭部が妹紅の胸元を撫で、最終的に頭が行き着いたのは膝の上だった。
 人目をはばからず、逢瀬のような時を刻む二人。
「……どうした?」
 膝の上の黒髪にそっと触れる妹紅。
「ううん、ただ」
「ただ?」
「生きててよかったなー……って」
 やすらいだ口調に、妹紅は眼差しを細めた。
 永劫の牢獄に囚われた者の言葉ではない。
 元から死と無縁に生きてきた月の住人の妹紅や永琳と違い、妹紅は、生きて死ぬ人間だったから。
 死という終焉を幾つも目にしてきて、生きててよかったと言えるのだろうか。
「生きててよかった、か」
 復唱してみて、妹紅もまた思う。
「ああ、本当だ。生きててよかった。こんなにも穏やかで、幸せで、夢のような日々をすごせるだなんて」
「夢……か。胡蝶の夢のように、不老でも不死でもない私が、今際のきわに見ている夢が、今ここにいる私達なのかもしれない――そう思った事も、昔は何度か、あったかな」
「今の私達が、夢?」
「そう、夢」
 くすくすと笑う輝夜。それを受けて、くつくつと笑う妹紅。
 一生死ぬ人間は蓬莱人の夢を見るか?
 見られるのなら面白いかもしれない。
 死に至るほんの一瞬に、夢の中とはいえ永劫を体験できるのだ。それはもう、不老不死になったも同然だろう。夢の中とはいえ、永遠に老いもせず死にもせず生き続けるのだ。だから永遠に死の瞬間なんて訪れない。だから、不老不死になったも同然なのだ。
 そして現実の蓬莱人と違い、不老不死に飽きたなら幕を引ける。夢から覚めればすぐ死ねる。
 ああ。
 現実の蓬莱人よりも、夢の中の蓬莱人の方がずっと素敵な存在ではないか!
 あまりにも滑稽な事柄に気づき、耐え切れなくなった妹紅は哄笑した。月まで届くような大声で。
「そんなにおかしい事を言ったかしら」
 妹紅と同じ思考に至っていない輝夜は、不思議そうに妹紅のあごを見上げた。
 同じように、てゐやイナバ、朱雀に不死鳥も不思議そうに月の姫を見つめていた。鳳凰も厨房から顔を出した。鈴仙は酔いつぶれて眠っていた。
 その数多くの視線に気づかず、ただひとつの視線、輝夜にだけ気づいて妹紅はあごを引き目を合わせた。
「ああ、いや……面白い夢を、思い出して……ね」
「面白い夢?」
「今朝、見たんだ」
 誤魔化すために口に出したが、実際、今朝の夢は面白かった。
 それをそのまま語ればいいだろう。

「夢の中の私は、輝夜の家に住んでたんだ」
「まあ、同棲?」
「夢の中の私は、藤原妹紅という名前だった」
「まあ、姉妹?」
「夢の中のお前は、蓬莱山輝夜という名前だった」
「まあ、それってつまり」
「お互いの立場が逆転している夢を見たんだ」
「まあ、面白そう」

 藤原妹紅はやはり蓬莱人であり、しかし藤原輝夜と違って珍品コレクターではなく、しかし蓬莱山妹紅と同じく不死鳥に魅入られた少女で、現実の蓬莱山妹紅と近しいスペルカードを得意としていた。
 蓬莱山輝夜はやはり月の姫であり、しかし蓬莱山妹紅と違って不死鳥に魅入られておらず、しかし藤原輝夜と同じく珍品名品を多数所持しており、現実の藤原輝夜と近しいスペルカードを得意としていた。
 藤原妹紅は慧音と親しくしていたし、竹林で迷った人を案内したりもしていた。
 決定的に違うのは。

「藤原妹紅と蓬莱山輝夜は殺し合いをしていたけれど、蓬莱山妹紅と藤原輝夜と違い、敵同士だった。それは、そうなっていたのは、藤原妹紅が蓬莱山輝夜への復讐をあきらめていなかったからだ。藤原輝夜と、違って」


     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 蓬莱の玉の枝は、父に出された難題だった。
 そんなものを見つけるなんて無理だろうと考えた父は、職人に依頼し、大金を積んで偽者を完成させた。
 その出来栄えは見事であり、偽者といえど尋常ではない価値があったが、やはり偽者は偽者、蓬莱山妹紅はすぐさま見抜くと怒りをあらわにして父を罵倒した。大恥をかいた父のため、輝夜は復讐を誓った……。
 月へ帰ろうとした妹紅が残した物を奪い……それが不死の霊薬だと知り……誘惑に負け……。
 長い、永い、旅が始まった。
 打ち捨てられた蓬莱の玉の枝は、持ち続けるうちに不思議な光を宿すようになった。それは蓬莱人となった輝夜が霊力に目覚めた影響であり、蓬莱の玉の枝は霊力を集める武器と化した。
 旅を続けるうちに、輝夜は妹紅を見返すために、妹紅が他の婚約者候補に出した難題も攻略してやろうと目論んだ。尋常ではない執念と、不老不死ゆえに許される人間以上の時間は、ついに燕の子安貝を、仏の御石の鉢を、火鼠の皮衣を、後に幻想郷最高神となる龍神から龍の頸の玉をも手に入れた。
 唯一、本物の蓬莱の玉の枝だけは探さなかった。
 輝夜にとって、父が作った偽者は、本物以上の価値と思い入れがあったから。
 そして手に入れた宝物の持つ神秘の力に助けられ、輝夜はさらに力を高めた。こういった土壌が、彼女を後に珍品コレクターとさせてしまった。難題に出された五つの宝を主力とし、蓬莱人としての不死性を抜きにしても強力な妖怪に匹敵する神通力を獲得した輝夜は、幻想郷に流れ着いて蓬莱山妹紅と再会した時、壮絶な死闘を繰り広げた。
 永琳の矢を全身に浴び、妹紅の炎で骨まで焼かれても尚、輝夜は戦い続け、死に続け、生き返り続け――。
 数ヶ月が経つ頃。
 妹紅を探して旅をした千年に比べればまばたきほどの時間で、藤原輝夜は蓬莱山妹紅の持つ人間性を認め、憎みきる事ができなくなってしまった。
 偽者で妹紅を騙そうとした父が悪いという現実からずっと目を逸らしてきたが、意を決した輝夜は父の無礼を謝罪し、そして己の無礼も詫びた。
 その後も――殺し合いは続いた。永劫の暇をつぶすための、死によって生を実感するための、蓬莱人同士特有の交流として。
 
     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「目が覚めた時、凄いな……って、思ったよ」
 まぶたを閉じる妹紅。
「私だったらきっと、意固地になって、本心から憎しみが消えていたとしても、恨んでる振りをして、復讐をあきらめない振りをして、あるいは、憎み続け恨み続け、復讐を続けようとしていたかもしれない。夢の中の私のように」
 夢の話、仮定の話で、妹紅は酷く落ち込んでしまった。
 月の姫でありながら、みずからの器の小ささを思い知らされ、穢れた地上の人間であった輝夜に嫉妬してしまったのだ。
 痛々しい笑みを浮かべて、妹紅は意見を求めるように輝夜を見つめた。
「そうね、妹紅ってそういうキャラクターしてそう」
 あっけらかんと認められてしまった。
「……酷いな。そこは『そんな事無いわ』『私の知ってる妹紅は憎しみに囚われたりなんかしない』『今の私達みたいに親友になれるはずよ』とか、そういう心地いいセリフを言うもんじゃないのか?」
「えー? だって、想像してみたらそっちの方がしっくりきたんだもん。ちなみに、その夢の中で私は蓬莱山輝夜なのよね? 月の姫なのよね? ほほほ、さぞかしカリスマにあふれるお姫様なのでしょうね。私と妹紅って、もしかして立場や設定を間違えて生まれてきてしまったんじゃないかしら」
「そこまで言うかー!?」
 楽しそうな苦笑いという器用な表情に変えた妹紅は、膝の上の輝夜の頭を鷲掴みにした。ああ、髪がしっとりサラサラ、気持ちいい。本当に、輝夜の方が月の姫に相応しいと思えるほどに。
「あははー。でも、私が永遠亭のお姫様……って事は、永琳は私の従者なの? うわーっ、ヤだなぁ。小言がうるさそう。ああ、でも、妹紅にベタ惚れしているみたいに、私にベタ惚れしてくれるなら……やっぱりヤだなぁ、気色悪いわ」
「酷すぎるぞ輝夜」
「うーん、じゃあ、こういうのはどう? あなたは蓬莱山妹紅のままだけれど、永琳が藤原永琳になっちゃうの。私は八意輝夜! どうなる? これならどうなる?」
 設定交換の想像話が面白くなってきたのか、輝夜は瞳をキラキラと輝かせた。その無邪気な眼差しに弱い妹紅は、話を合わせるべく八意輝夜をシミュレートする。自分にベタ惚れで、薬師で、天才で、いつも一緒にいる輝夜……。それはそれで楽しい毎日が送れるかもしれない。そして藤原永琳とも仲良く殺し合い……を……。
「どうしたの?」
「無理」
「え?」
「藤原永琳は無理」
 美酒で朱に染まっていたはずの顔がすっかり青ざめてしまっている妹紅。夜風のせいではない。
「凄く執念深いから、お前みたいに和解なんか絶対してこないし、夢の中の私みたいにダラダラと復讐ごっこを続けたりもしない。常に全力で、毎日毎日、未来永劫、本気で命を狙ってくる。何度でも殺せるだなんて最高の復讐だと考えて、朝も昼も夜も、私達の命を狙ってきて、心の休まる日は永遠に訪れない……」
「忠実な従者をそこまで言う妹紅の方が酷い気がするわ」

 輝夜がからからと笑うその後ろの方で、永琳は大酒をあおりながら矢のような眼光を放っていた。周囲のイナバはすっかり脅え、朱雀と不死鳥は身を寄せ合い、てゐは調理場へ退散して鳳凰の料理をつまみ食いしている。
 しかし、ああ、しかし。
 輝夜と妹紅は完全に二人の世界に入っており、永琳に宿る嫉妬ヴォルケイノに気づけずにいた。

「じゃあ霊夢の場合は?」
 パッと思いついた名前を出す輝夜。
 想像してみる妹紅。
「うーん。蓬莱山霊夢なら、毎日グータラとお茶を飲んでるんだろうなぁ。藤原霊夢なら、復讐なんかとっととやめて、毎日お茶を飲んでるんじゃないか?」
「じゃあ魔理沙」
「蓬莱山魔理沙か……お前が持ってきた五つの難題を盗もうとしそうだ。藤原魔理沙なら……死ぬまで借りるだけとか言ってやっぱり物を盗んでいくんだろうな」
「一生死なない人間なのに死ぬまで借りるって、それはもう借りるとは言わないわよね」
「じゃあ、蓬莱山神奈子と藤原諏訪子」
「毎日が諏訪大戦ね。藤原幽香の場合は?」
「蓬莱山役が誰になるにしろ毎日が虐殺だな」
「じゃあ藤原幽香の場合、蓬莱山は妹紅のままで」
「じゃあ蓬莱山輝夜と藤原フランドールでどうだ」
「プリンで釣れば平和的解決できそうね。ところで一番恐ろしい藤原を思いついたわ」
「ほう」
「藤原四季映姫による永遠亭住人永遠説教地獄」
「藤原永琳より怖い!」

 お互い蓬莱人をしているため、死による救済と無縁であるため、生きてきた時間の長さのため、犯してきた罪は膨大であり、閻魔である四季映姫に見つかったら長時間の説教をされてしまう。一時間か、十時間か、一日か、もし暇があれば一ヶ月いやいや一年ぶっ続けで説教してくるかもしれない。閻魔の仕事があるから休日以外はほとんど暇が無いのが救いである。
 その後も、二人は藤原役と蓬莱山訳を中心に様々な設定交換妄想を楽しんだ。
 しばらくすると、あまりの仲睦まじさに嫉妬した不死鳥が割り込んで設定交換妄想話に参戦。続いて朱雀と鳳凰がイナバを引き連れて参加。大勢でワイワイ楽しくお喋りしているのを妬ましそうに見ている永琳の肩を優しく叩いたのは、素敵な笑顔のてゐでありグッと親指を立ててから永琳を放置して自分も混ざりに行ってしまった。
 残されたのは永琳と、すっかり泥酔している鈴仙だけだった。


     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 宴会が終わって、ゲストの朱雀と鳳凰と不死鳥は客室に敷かれた布団へと案内され、てゐが面倒くさがりながらも鈴仙を運んでやり、後片付けを終えたイナバ達も寝所に戻り、永琳も自室に戻ったが、二人は一緒にいた。
 永遠亭に客室はたくさんある。
 しかし藤原輝夜は蓬莱山妹紅の寝室にいた。
 布団を並べて、一緒に天井を眺めている。
 あの騒がしい宴が嘘のような静かな夜で、チクタクという解体訓練用時限爆弾ならぬ目覚まし時計の時を刻む音だけが、やけに大きく聞こえた。
 こうして並んで寝るのは何度目だろうか。輝夜が永遠亭に泊まる時は、妹紅の部屋というのが習慣となっている。数百年前なら考えられない光景だ。幻想郷に、来た頃なら。
 ふいに、千三百年の光景が輝夜の脳裏を駆け巡った。走馬灯のように、夢や幻のように。
 長い、永い、苦難の末の平穏。
 蓬莱山妹紅と布団を並べて寝ている現在という現実。
 視界が、ぼやけて。

 軽く、パジャマの袖を当てただけだったので絹すれの音などはしなかったはずである。声を漏らした訳でもない。動きやゆるかやで静かで、気配は最小限。それなのに。
「泣いてるのか?」
 どうして、解ってしまったんだろう。
「うん、ちょっとね」
 否定しようかと、ほんの一瞬迷った。しかし自然と肯定を口にしていた。
 もう眠っていると思ってた妹紅に、恥ずかしいところを見られてしまった。いや、この暗がりだ。見られたというよりは察知されてしまったと表現すべきか。
 どうして泣いているのか質問されても、上手に答える自信は無かった。
 急に昔を思い出してしまい、急に切なくなってしまった。
 不幸な道程だったと思う。けれど後悔はしていない。踏破したからこそ幸福に至ったのだから。
 後悔はしていない。つらく苦しい過去も、今では笑い話にできる。
 なのに。
 また少し、涙があふれた。
 妹紅は今や親友と称してもおかしくない存在だったが、慧音と違って弱味を見せにくい相手であった。悪い意味ではなく、頼ったり頼られたりするよりも、対等でいたいという気持ちが強い。対等で――。
「別にいいじゃないか」
 月の姫は言う。
「お前は私を殺したかった。お前は私を許した。お前は私に許されたかった。お前は私と解り合いたかった。お前は私と友達になりたかった。お前は私と対等でいたかった。そうやって、私達の関係は変わり続けてきたんだ。これからも変わっていく。永遠に生き続けるため変わり続けていく……泣いている輝夜を慰められない対等な友達とやらは、さみしいよ」
「妹紅」
「それに、永琳には言いづらい頼りにくい事も、お前にならできたりもする。その逆も然りだ。輝夜。藤原輝夜。私が恥をかかせた男の娘……想定外の蓬莱人、貴女のおかげで私も永琳も、とても救われている。感謝しているんだ」
「永琳も?」
「あまり表には出さないけどね。思い出せないほど永く一緒にいるから、それくらいは解るさ」
「妹紅……」
 切なさは心が流す涙であり、冷たくなった心を炎が癒していく。鼓動は微熱を流動させ全身に気力をみなぎらせた。それは嬉しい事だったが、布団の中であっては眠りが遠ざかってしまうのは問題だが、輝夜にとってそれは些細だった。
 この友情に報いたい。その一心は、妹紅が今朝見たという夢の話を思い出させた。
「ね、妹紅」
「うん、なぁに?」
 暗がりの中、かろうじてふくらんだ布団のシルエットが見える程度だったが、妹紅が微笑んだ気がしたので、輝夜も微笑んだ。
「千三百年じゃ無理かもしれないけれど……」
「……うん?」
「夢の話よ。私達の立場が逆転していたという夢の」
 泣いてしまった理由を話してくると思っていた妹紅にとって、あの夢をネタにした想像の話題がこのタイミングで出てくるのは予想外だった。しかし、輝夜が真摯になにかを伝えようという気遣いが感じられたので黙って耳を傾けた。
「藤原輝夜ならぬ藤原妹紅は、蓬莱山妹紅ならぬ蓬莱山輝夜を許せなかったと言っていたけれど、二千年、三千年、五千年、一万年……時間はいくらでもあるのだから、私と妹紅なら、どっちがどっちの立場だろうと、いつかきっと、いえ、いつか必ず解り合える日が来るわ」
 自分達だけでなく、他の者を自分達の立場にした想像話で皆と盛り上がったものの、姫としての器が小さいとか薄情だとかいった心のしこりを輝夜は察していた。それほど気にするような問題ではないが、それでも今の輝夜にとって返せるものは、そのしこりを取ってやるくらいだった。
「そうかな」
 半信半疑の妹紅。しかしその半信に喜びの色が浮かんでいた。
「そうよ、それに」
 輝夜は。
 輝夜は己自身の歩んだ半生を振り返った。
 輝夜は蓬莱山妹紅の人生に想いを馳せた。
 輝夜はIFの世界を思い浮かべた。その世界の住人の、様々なものを思い描いた。

「私が蓬莱山輝夜あなただったとしたら、藤原妹紅あなたを嫌ったりなんか、絶対にしないから」

 その想像は間違いではないと、口に出す事で改めて確信する。
 どんな人生を送ってきたかによって、その人間の本質は変質するものだけれど。
 自分は月の姫を憎んでいたけれど。
 それでも。
 その想像は間違いではないと、確信できる最大の理由は。

「それに蓬莱山妹紅あなたは最初から藤原輝夜わたしを嫌わないでいてくれた」

 だったら絶対に。
 間違いではないと、輝夜は確信するのだ。
 千三百年の道程と、過去の憎悪、現在の友情、未来の希望、妹紅との殺し合い、妹紅との許し合い、妹紅との語り合い、そして妹紅との殺し合いが。
 燕の子安貝よりも、仏の御石の鉢よりも、火鼠の皮衣よりも、龍の頸の玉よりも、父の形見である蓬莱の玉の枝の偽者よりも大切な宝物だから。

「輝夜、ありがとう」
「ふふ。それはこっちのセリフよ。でも、あんな臭いセリフを吐いてしまって、ちょっと恥ずかしいわね。いっそこれが夢だったら――いえ、もしも胡蝶の夢のように、不老でも不死でもない私が今際のきわに見ている夢が今、ここにいる私達だったとしたら……永遠に覚めないでいたいわ」
「大丈夫、これは現実だ。夢なんかじゃないよ。不安なら、手を握って眠ろう? 明日の朝、目を覚ました時、手を繋いだままでいたら、夢じゃなかったと安心できるはずだから」
 妹紅の布団がすれる音がしたので、輝夜も布団から手を出して暗闇を探る。指先が触れ合うとすぐ、ぎゅっと握りしめられた。
 もう時計の針の音も聞こえない。
 互いの手のひらのぬくもりだけを感じながら二人は眠りについた。

 蓬莱の薬を飲んでから始まった永遠の時間。
 ああ。殺し合い、癒し合い、幻想郷で送る日々。なんて素晴らしいんだろう。
 どうかこれらの日々が、夢でありませんように――。


     ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 …………………………。

 ……………………。

 ………………。

 …………。

 ……。


     ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 澄んだ水中から浮かび上がるような、すっきりとした目覚めだった。
 すでに冷水で顔を洗った後と同じくらい頭は冴えており、夢見のよさがそうさせたのだろうと輝夜は思う。
 手を握ると、なんの抵抗もなく指が閉じられ、輝夜は首を横に向けた。
 布団から出ている自分の手。
 自室の畳。
 当たり前の光景がそこにはあった。
 だのになぜだろう、妙にさみしい気持ちになってしまうのは。
 夢見はよかったはずだ。
 手のひらですくった水が指の隙間から零れていくように、もうどんな夢だったか思い出せないけれど、雲の無い青空のように晴れ晴れとした、あるいは月と星が静かにまたたく夜空のように落ち着いた気持ちにさせてくれる、とても素晴らしい夢だった事だけは覚えている。
「輝夜」
 顔を上げる輝夜。
 障子の向こうに見えるシルエットは、輝夜にもっとも忠実な従者のものだった。しかし忠義よりも厚き情で結ばれている彼女は、人前でなければ月の姫を名前で呼ぶ。まるで家族のように。
「起きてるわ」
 目的を察していた輝夜はゆったりと布団から起き上がり、寝巻き姿のまま障子を開いた。
 朝陽に透き通って白銀に光る長髪の持ち主が、思慕のこもった微笑を浮かべる。

「おはよう。昨日は宴会だったというのに、今日は早起きね、輝夜」

 スッと。そうするのが当然というように、朝の挨拶のお返しにと輝夜は手を差し伸べた。
 一瞬、きょとんとされてしまったものの、すぐにその手は優しくあたたかく包まれる。
 もう忘れてしまった夢を――思い出せそうな気がした――。

「おはよう。あなたこそ、昨日はだいぶ飲んでたのに、相変わらず早起きね、妹紅」

 月の頭脳、天才薬師、八意妹紅。
 月の姫である蓬莱山輝夜の従者で、共に蓬莱の薬を作り、月の迎えを皆殺しにしてまで輝夜の側についてくれた蓬莱人。
 月にいた時からずっと変わらぬ笑顔で、妹紅は輝夜の側にいてくれている。

「なんだか機嫌がよさそうだな。いい夢でも見た?」
「ええ、とても楽しい夢を。カケラも内容を思い出せないけれど、今この瞬間も胸が満たされるくらい、優しい夢を見ていたわ」
「へえ。それは私がいる現実よりも居心地のいい世界だったのかしら」
「馬鹿妹紅」
 言って、輝夜は妹紅に抱きついた。
 頬を朱に染めた妹紅は視線を左右にやり、廊下にイナバがいない事を確認しようとしたが、残念、廊下の角から顔を出してニヤニヤしているてゐと視線が合ってしまい、笑顔を引きつらせた。
 そんなのお構いなしに甘える輝夜は、妹紅の肩の上に首を置いた姿勢で、永遠亭の美しい庭を囲む塀で動く人影に気づいた。
「もこ」
 知らせようとした瞬間、声が途切れる。
 突然つんのめった輝夜の眉間に矢が突き刺さっているのに気づいた妹紅は、カッと瞳を燃やしながら背後の敵を睨んだ。塀の上に、左右半分を赤と青で染めた奇怪なブラウスともんぺという奇怪な衣装の者が酷薄な笑みを浮かべながら、丁度妹紅の分の矢を弓から放ったところだった。
 輝夜とまったく同じ位置、眉間に致命の一撃を受けた妹紅は輝夜もろともその場に倒れて絶命する。

「はははははっ! 一日一殺、早朝から早々に目標達成せり!!」

 勝ち誇って笑い声を上げながら、襲撃者は塀の外側へと飛び降りた。
 数秒後、リザレクションして眉間から矢を引っこ抜いた妹紅は竹林を震わすような大声を張り上げる。

「いい加減にしろ藤原永琳ーッ!!」

 そのかたわらで同様に眉間から矢を引っこ抜いていた輝夜は、今朝見た夢の内容を真剣に思い出そうとしていた。
 とても素晴らしい夢だったはずなのに、この既視感はなんなのだろう?


   DREAM END or PARALLEL WORLD END……?
 久々に投稿させていただきます。
 賛否両論の作品が続いての今回、果たしてどんな感想と評価がいただけるか不安いっぱい期待いっぱい。
 題名に「藤原」が使われているのは最後のオチのためだったり。チェンジしてるのはあくまで……という。
 しかしなんだのー、私の書く妹紅はなぜか慧音先生以外と仲良くしてるのー、慧音先生好きなんだがのー、輝夜と仲良くしちゃってるのー、早苗とものー。輝夜と仲良しな永琳も描けなかったが【難題「~~~~」】で仲良くしてるから今回は我慢してもらうかのー。
 しかしそれにしてもなぜだろうこの胸から湧き上がる「妹紅を早苗さんやみすちーや紅魔館などと仲良くさせたい!」という衝動は。今回は輝夜とだから設定が変でも内容は変じゃないよねという心持ちこそ変なのかー?

>幻想さん
誤字修正しました。ありがとうございます。

>28さん
ぬおー、その通りじゃあ。どうやら自分でもこんがらがってた感。
修正しました。ありがとうございます。

>52さん
修正しました。ありがとうございます。
イムス
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コメント



0.3430簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
これは斬新
6.100幻想削除
いや、その心持ちこそが世界の真理です。
そしてほのぼのしてて内容も面白くて最高でした!
あっ誤字です↓
貴女のおかげげ→貴女のおかげで
7.100名前が無い程度の能力削除
斬新すぎて途中で誰が誰だか
混乱してきた、修行不足か・・・
8.100名前が無い程度の能力削除
グッジョブだぜベイベ…っ
9.100名前が無い程度の能力削除
新世界、いや真世界……というよりは神世界の始まりか。
11.100名前が無い程度の能力削除
面白かった!
12.90コチドリ削除
胡蝶の夢か、はたまた邯鄲の夢か。
面白かったです。笑ったりほのぼのした気分にさせて貰いました。
でもそれ以上に、

スッゲエ切ねェェェェェェ!!

彼女が夢から醒めた時、「現実だって捨てたものではないわよね」
そう呟いてくれることを心の底から願います。
14.100名前が無い程度の能力削除
優しくしんみりしたいいお話でした。でもオチの永琳のインパクトが凄すぎてw
21.80名前が無い程度の能力削除
興味深い展開でした。
しかし永琳w
27.100名前が無い程度の能力削除
久しぶりに、がつんと響く良いものを読ませて頂きました。
今後も楽しみにしています。
28.80名前が無い程度の能力削除
>「藤原輝夜ならぬ藤原妹紅は、蓬莱山妹紅ならぬ藤原輝夜を許せなかったと言っていたけれど

この書き方なら、一番後ろは蓬莱山輝夜が自然かとオモタ
29.70名前が無い程度の能力削除
何て斬新な設定www
個人的には面白かったですが、名前のミスが多く、誰が誰だかわからなくなる部分があったので、そこら辺をもっと確認して欲しかったです。
33.100名前が無い程度の能力削除
夢オチじゃなかった!!!
34.80名前が無い程度の能力削除
思わずうなってしまいました。
誤字が目立つのがやはり少し残念です。
50.80名前が無い程度の能力削除
永琳編も見てみたいですね
52.90名前が無い程度の能力削除
なんかいろいろ言いたいことあったけど、最後の藤原永琳の恐ろしさに全て持ってかれました。
やはり永琳は永琳か…


まだ一部、輝夜と妹紅の名前を取り違えているところがありますよ。

>幻想郷に流れ着いて蓬莱山輝夜と再会した時、壮絶な死闘を繰り広げた。

他にもあったと思いますけど忘れちゃいました。
53.100名前が無い程度の能力削除
ベリーグッド!発想もお話も面白かったです。
55.無評価名前が無い程度の能力削除
いやー面白かった 

しかし藤原永琳は二人がかりでも苦戦しそうだなw
56.100名前が無い程度の能力削除
凄い斬新ですね!おもしろかったです!
57.100名前が無い程度の能力削除
点数入れ忘れてました
58.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしかった!
発想も展開も面白かったです。
60.40名前が無い程度の能力削除
ちょっと扱いが酷くて好きになれませんでした
会話は面白かったんでこれで
68.100名前が無い程度の能力削除
斬新すぎる。この発想はなかった。
途中でどっちがどっちかわからなくなったが、「もしも」設定というこれぞそそわ的作品。
そして藤原永琳は怖すぎるw
81.100名前が無い程度の能力削除
>私が恥をかかせた男の娘…
輝夜オトコノコ!?と一瞬勘違いした俺は汚れてるな

この世界の永遠亭には鳳凰のしゃちほこ飾りがついてそうだ
84.70名前が無い程度の能力削除
これ、どっかで藤原妹紅と蓬莱山輝夜がゆっかりんかなんかによって送り込まれてきたってなったらなお面白かった
94.100名前が無い程度の能力削除
藤原永琳とか一番敵にしたくない存在だな
98.30名前が無い程度の能力削除
本屋までは良かった
99.100理工学部部員(嘘)削除
藤原永琳ww
前半はいい話だ!とか思ってたのに、
こいつのインパクトのせいで
全部持ってかれたww