*おおっと*
*一部、キャラの設定や能力の独自解釈を含みます。
*一部二次設定を用いています。
*一部キャラ崩壊。
*一部ネタが古いですが仕様です。
*ギャグ要素はあまり有りません。
*ルビを使用しているため、ブラウザによっては正常に表示されない可能性があります。IE7とか推奨。
ソレは何の変哲も無い、ただの石だった。
特に魔力や霊力を帯びるでもなく、鉄や金といった鉱物でも、ルビーやエメラルドといった宝石でもなく、ましてやオリハルコンやミスリルといった魔鉱石でもない。
人の頭ほどの大きさの、ただの白っぽい、そしてさほど硬くなく削りやすいといった程度の、変哲の無い石だった。
私がソレを拾って帰ったのは、なんとなく気になったからにすぎない。何故だかは分からないが、ソレは目を引く物であったのだ。
部屋に帰ってから色々と調べ、手にとって眺めてから思案する。
────コレをどうしようか?
私……アリス・マーガトロイドはソレを削り、人形を作ることに決めた。
人形遣いで鳴らしている私も、普段は布製の人形ばかりだ。たまには石製の人形もいいだろう。
別段、特別な物でもないので、研究の片手間に少しずつ削って、日々の休息にでもしようと考えた。
とりあえず、その辺に置いて研究に戻ろうか。
私はソレを作業机の上に置き……しかし思い直してリビングに持っていく。
この石は、何かを髣髴とさせる。
ソレは目立たないように、しかしこの部屋に来てテーブルについた時によく目に付くように配置された。
◇
最初にソレに気が付いたのは、魔理沙だった。
もっとも、ソレが目を引くとかいう以前に、普通の少女の部屋に無骨な石は大変目立つ。
この部屋に来れば誰でも気が付くだろうから、たまたま魔理沙が最初に来たというだけに過ぎない。
挨拶から始まり、用件を述べ、部屋に入り、小言軽口に討論をし、茶を飲みながらの何気ない会話がひと段落した後、少し間をおいてから魔理沙が尋ねる。
「ソレ、何だ?」
今気が付いた、という風にさりげなく問うてはいるが、大分前……部屋に入った直後から気にしていたのは分かっていた。
私は彼女が、アレを見てどういう反応をするかを観察していたのだから。
「ドレの事?」
だが私は白々しくとぼける。
なかなか尋ねてこなかった仕返し、というわけではないが、待ってましたと言わんばかりにすぐに反応しては、まるで私があざとく狙って置いたようではないか。
確かにそれは正解なのだが、それを見せてしまっては興が醒める。
だから装う。無造作にソレを置いていて、なんら特別では無いというように。
「ほら、そこの棚の」
「棚の中にも色々入ってるから……」
そう言うと、魔理沙は少し苛立ったように声を荒げる。
「ああもう! 棚の下から二段目に置いてある石の事だよ」
「ああ……これ?」
くすり、と笑ってその石を取り出す。あえてゆっくりと手に取り、慎重な風に歩いてそっとテーブルに載せる。
その間も魔理沙は、何気ない風を装いながら視線は石から外さずにいた。
「何だと思う?」
魔理沙の問いには答えず、逆に問い返す。
魔法使いに問いかけて、素直に答えが返ってくると思うのは大間違いだ。
魔理沙は一瞬ムッとした表情を見せるが、すぐに顎に手を当てる仕草で思考に移った。
むー、と考えること数秒。やがて、これは考えるものではない と気が付いて口を開く。
「そうだな、星かな」
「へぇ」
魔理沙らしい。実に魔理沙らしい答えだ。
魔理沙だからこんな答えをするのか、それとも魔理沙らしさがこんな答えを引き出すのか。
タマゴが先かニワトリが先か、なんて。まあこの問題はニワトリが先だと決まっている。
タマゴからニワトリが育つのを観察した人よりも、ニワトリがタマゴを生むのを観察した人のほうが先に居たに違いないから。
こんなつまらない問題でも、腹の足しにはなるのかしら。
魔理沙は私に背を向けてテーブルから離れる。
「流れ星は石らしいからな。コレを持って行って空に放り投げりゃ、星にもなるだろうさ」
そう言って窓に寄りかかって振り向き、陽光の中に立って片手を挙げる仕草をする。
それに応えるように、開いた窓から吹き込んだ風が、ふわりとカーテンを揺らした。
「あら。流れ星はあんたじゃなかったの? ブレイジングスターって」
「あん? 流れ星は他人の願いばっかり叶えてるんだ。たまには自分の願いだって叶えたくなるさ」
そのために流れ星を自給自足とは、面白いことを言う。
彼女の願いとはなんだろうか。まあ、そんな事に興味は無いが。
のけぞって晴れた青空を見る彼女の目は、私の位置からでは見えなかった。
◇
二番目に来たのは霊夢だった。
これも単に、私の家によく来る者が魔理沙と霊夢だったに過ぎないが。
とはいえ、霊夢は魔理沙ほど頻繁に来るわけでもない。たまたまか、魔理沙に何かを聞いたか。
霊夢も魔理沙と同じく尋ねる。
「ソレ、何?」
霊夢は魔理沙とは違い、この部屋に来てすぐに訊いてきた。
単刀直入。霊夢は回り道なんてしない。
私もそれに応えて手早く石を持ってきた。
「何だと思う?」
だがやはり私は聞き返す。
私はソレを見たときの反応を見るために置いてあるのである。こういう物だ、と自慢するために置いてあるのではない。
「石にしか見えないけれど」
「ふうん。……ただそれだけ?」
「もったいぶった言い方ね。ただの石じゃないって事?」
「いいえ、ただの石よ。何の変哲も無い、ね」
コレは、ただの石だ。何の変哲も無い。
だが、コレを石としか答えられないのは、彼女が博麗だからか。
物事の表層ばかりを捉えて、本質を追求しない。
異変を解決しても、異変の原因を考慮しない。
だがそれは決して非難されるべき事ではない。それが中庸 というものだ。
「何よ。教えてくれないの?」
もちろん、教えるつもりなどない。そもそも、教えるモノでもない。
コレはただの石には違いないのだから。
霊夢も、それは分かっている筈だ。
「そうね……。饅頭かしら」
「饅頭?」
「里の有名な和菓子屋の看板商品に似てるの。白岩饅頭。そう考えると美味しそうに見えない?」
その和菓子なら、口にしたことは無いが見たことはある。
白岩饅頭とか言ったか。なんでも冬の妖怪をイメージしたという、ふとま……ふっくらとした白い饅頭だ。三叉の細いフォークで食べるのが通らしい。
ちなみに店主は、冬の妖怪に会ったことは無いそうだ。稗田の記録からのインスピレーションだとか。
だから冬の妖怪がふっくらとしているなんてのは店主の想像にすぎない。きっと。
にしても饅頭とは、ずいぶんと平和的だ。
大きさこそ違えど、外見的特徴だけ見れば、確かに似てはいるだろうが……。
「さすがに美味しそうには見えないわ」
苦笑しながら言う。
こんなものを美味しそう、だなんて。
「……あなたは幸せね」
「は?」
その言葉に、彼女は首を傾げつつ、ふわりと飛んで帰っていった。
◇
次に来たのは文だ。
上空をトンビのように旋回していて、今日もカラスがのんきだなーと思っていたら、急角度で突入してきた。
つむじ風を残して玄関の前に降り立つ。
足から急降下してもミニスカートが翻りもしないのは、さすがの風使いなのか、もしくは鉄板で出来てたりするのか。
「アリスさんが変わった物を持っていると聞いて歩いてきました」
「飛んで来たの間違いじゃない?」
この鴉天狗が私の家に来ることなど、取材と新聞配達以外ではありえない。
というよりも、不気味と言われる私の家にわざわざ来る者など、霊夢と魔理沙ぐらいのものだ。
大方、霊夢にでも話を聞いてやってきたのだろう。
「耳が早いわね」
「お褒めに預かりありがとうございます。コンゴトモヨロシク」
「ご足労のところ悪いけれど、そう珍しいものでもないわよ?」
そうことわってから部屋に招きいれる。
実際、珍しいものではない。ただ気を引くだけだ。
「何です? コレ」
「何だと思う?」
聞き返す。
文は聞き返されるのを分かっていたように軽く答えた。
「そうですね……単純な答えですが、山、でしょうか」
「そのものね」
ここ数日で多少削られた石は、確かに霊峰のようにそそり立った山に見える。
「動かざること山の如し。風に生きる天狗の拠り所です」
それでは、天狗の家は山ということか。
風のごとく、流れるように生きている様に見えて、その実縛られている。
「風聞ばかり流しているのも、風に生きてるのかしら?」
「ええそうです」
えらくあっさりと答える文。
「風評や風刺ばっかり書いてないで、もう少し風紀って物を考えないの?」
「いえいえ、アレは風諭です。風狂な事を書いているわけじゃないでしょう。清く正しく、風流に作っていますよ」
「じゃあ今度からは地に足をつけて記事を書いて欲しいわ」
「天狗に向かって地に足をつけろとは異な事を。風は流れているからこそ風なのです」
山は天狗の拠り所ではなかったのだろうか?
だが、文がソレを見つめる目は家を想う郷愁の感というよりもむしろ……。
「地に縛られた天狗など、ただの狗です」
「え?」
「いえ。面白い見世物でした。記事にするかは……考え物ですが」
◇
翌日の来訪者は、早苗。
彼女は文とは違い、ちゃんと歩いてきた。──空を。
風祝は奇跡を操るというから、きっと奇跡で空を歩いているのだろう。
気になって玄関から出てきた私の目の前で、彼女は『ほっ』と声を出し、段差から飛び降りるようにして地に降り立つ。
「常識にとらわれない石を見に来ました」
「常識にとらわれないかどうかは知らないけど……」
苦笑しながら迎える。
出会うなり一言これとは、この人間もちょっと変わっているのだ。
「いえいえ、幻想郷では常識にとらわれない物事ばかりですから」
「それは違うわ。貴女の常識にそぐわないだけよ」
「ですから、その常識の齟齬を解消するために色々見て回ってるんですよ」
とはいえ、見て回る対象がこんな魔法使いの家で良いのだろうか?
霊夢や魔理沙のような規格外の人間や、どこかに頭のネジを落としてきた様な妖怪達と付き合っても、正しい常識が得られるとは思えないのだけれど。
だが思い直す。彼女の家は妖怪の山に有る。付き合う相手は妖怪ばかりだから、むしろ『こちら』の常識のほうが問題が無いか。
人間の里に行ってまで『挨拶』に弾幕をしたら問題だが、それ位はわきまえるだろう。
まあ、玄関で思案していても仕方が無い。来訪の目的はそんなことではない筈だし。
早苗を開いたままの扉へと招き入れる。
「何だと思う?」
目の前に置かれたソレを指して問う。
早苗はしばらく机の上のソレを見つめてから、呟いた。
「外の世界を、思い出します」
「外、ね」
果たしてどちらが外側でどちらが内側なのか、それは分からない。
どちらがどちらを内包しているかなど、結局は錯視の問題に過ぎないのだろう。ルビンの杯の様に。
ただ確実なのは、この幻想郷ではないということ。
早苗はソレから目を離さず、独り言の様に続けた。
「向こう側は石だらけで、墓標が並んでいる様でしたから」
「へえ……」
そう言われても、私は彼女の居た世界を見たことが無いのだからピンと来ない。
彼女が言うには、向こう側では周囲に石や金属の柱が立ち並び、地表はこの石のように無機質であったという。
そして、その墓標 の中で人々は暮らしている、と。
「ビル……柱はそれなりに色とりどりなので、その白い石が特別な何かを思い出させるわけではないのですが……」
そう語りながらソレを見つめる早苗の目は、懐かしそうで、また寂しそうだった。
◇
ガリ────
石を削る音が、暗い部屋に響く。
部屋を照らしているのは、机の上のランプのみで、手元に赤い光を投げかける。
だがその光は部屋全体を照らすにはとても足らず、床に長い影を落とすにとどまっている。
ガリ────
石から削りだす、というのは慎重にやらなければならない。
削りすぎたらやり直しは効かない。
とはいえ、木を削って作ったり、粘土を練って作ったりすることはしばしばあるので、立体構造の把握は慣れている。
ガリ────
彫刻の達人は、石を見た瞬間に完成形が見えるのだという。その手は、石からイメージを取り出すだけだと。
ならば、石そのものに既にイメージが刻まれているのだろうか。
彼らなら、この石からどんなモノを想うのだろう?
ガ……───
石を削る手が止まる。
「…………」
自分は……自分はコレを、つまらない モノにしようとしているのではないか?
様々なモノを想起させ、ひとところに留まらないはずのコレを、私のイメージで自分勝手な形を与えようとしている。
それは、この石の存在を辱めているのではないか?
創造物は、すべからくそうであるのかもしれない。
イメージから形にした時点で、多くのモノが失われている。
でも、コレは……この石は────
◇
次に来た客人はパチュリーである。
温室育ちならぬ暗室育ちのこのもやし姫の交友関係は、広くないどころか狭い部類に入る。
そんなパチュリーの耳に入ると言ったら、魔理沙から聞くぐらいか。
「わざわざこんな所まで……」
「珍しいかしら」
「いやそれほどでも」
喘息持ちで本の虫。そう聞くと貧弱で引き篭もりがちと思うかもしれないが、天気を調べにわざわざ天上まで登ったりする程元気である。
魔女の性か、興味の無い物には消極的だが、興味のある物には積極的。
動かない大図書館と言いつつも、結構活動的なのだ。
「それで、例の物はアレかしら」
私の事を無視して勝手に家に上がりこむパチュリー。
興味があるのはアレだけで、私はそれこそ路傍の石ほどの存在なのだろう。
それはそれで構わない。主役は私ではなくアレなのだから。
私が後を追いかけて部屋に入ると、彼女は既に棚からソレを引っ張り出し、宙に浮かべて眺めていた。
なぜ浮かべる、と疑問に思うが、普段から浮かんでいるパチュリーには自然すぎて気が付きもしないに違いない。
「ええ……どう思う?」
そう尋ねる私の声も聞こえているのかどうかわからない。
パチュリーは手元の本に目を落とす。
ページを捲るのにすら邪魔になりそうなくらい目が近いが、ページは一度も捲られることは無い。
私が手を顎に当てるのと同様な、考える仕草というだけなのだろう。
しばらく静かな時間が流れ、時計が時を刻む音だけが耳障りに聞こえる。
もしかすると考えに耽るあまり、彼女は石の事も忘れているのかしら?
が、ややあってパチュリーから声が返る。
「原初の泥、かしら」
「へえ?」
「神が人を創ったとされる泥ね。人以外も創ってるけど」
神が泥から様々なものを創ったという話はよく聞く。
いろんな神が同じ事をやっているのを考えれば、きっと神が特別だったのではなく泥が特別だったのだろう。
「で、何を創るつもりなの?」
「へ?」
「人が人足りえるのは、神を模して作られたから。同じ泥でも、形を与えればモノになる」
そんなものだろうか。ならば人形を作るのは人を求めているのか。
まあコレはただの石だが。
そう、ただの──石。
人形を作ろうと思ってはいるが、なんとなくそれは伏せておいた。
「まあ、それはおいおい考えるわ」
「猫とか作ってくれないかしら。そうしたら鼠の駆除に役立つのに……」
そんなことをぶつぶつと呟きながら、パチュリーは私の方も見ずに帰っていった。
パチュリーは前も猫がどうこう言っていた気がする。何か猫に思い入れでもあるのだろうか?
猫なんて飼ったら喘息が酷くなるに決まっているのに。
私は苦笑しながら、彼女の後ろ姿を見送った。
◇
今度は船がやってきた。乗っているのは小野塚小町である。
水も無いのに船とは、幻想郷は恐れ入る。
「ちょいと昼寝ついでに足を伸ばしてみたんだ」
「足……ねぇ」
「はは、あたいの足よりコイツの方が速いからね」
船頭多くして山に登ると言うが、船頭一人でも山に登るし、山に登っても船を漕ぐ。
船とは何のための物だったか?
こうなると船の定義に頭を抱えざるを得まい。
「三途からこんなに離れていいのかしら?」
「三途は何処にでもあり何処にも無い。どこで死んだって三途にゃ来るんだ」
「ふーん」
「それに、そんなに離れちゃいないさ。ほら」
森の木々の向こうに無縁の塚が見える。
なるほど距離を操ったか。確かに近い。
近づいたところで、サボっていることには変わりは無いが。
上がるよう促して人形に紅茶を運ばせる。
「まあ、お茶でも」
「お、悪いね。三途は日も照らないし湿気もあるから暑か無いんだが、逆に寒くてねぇ」
ぶるぶる、と身体を抱くようなジェスチャーをしてから椅子に着く。
小町の身なりにティーカップはたいそう似合わなかったが、構いやしないだろう。
「どう?」
テーブルの上には例の石。
小町は片手にカップを持って茶を啜りながら、もう一方の手で石を持ち上げて眺める。
矯めつ眇めつ見ながら茶を飲み干し、カップを置いてから声を上げる。
「こりゃあアレだな、誰もが持ってるものさ」
「誰もが?」
「そう。誰もが宝石のように大切に、いつも持ち歩いてるけれど、自分のは見たことが無い」
なるほど。
そう言われれば思い当たる節もある。
「つまり……」
「しゃれこうべ、さね」
削られてでこぼこになったその石が見せる風情は、小町の風貌と相まってなお薄ら寒い。
持ち上げられたソレは、まるですすき野に転がる骸の様にすら見える。
三途が寒いのは何も川辺で日が照らないというだけではあるまい。
「不気味ねぇ」
「そうかい? あたいにとっちゃむしろ暖かいけどね」
「それは見慣れてるから?」
「そういうわけじゃない。死を連想しないからさ」
しゃれこうべが不気味なのは、それが死を思わせるから。
動物にとってはそこらの石と変わりない。
「あたいらの所じゃ形の無い方が死だからね。しゃれこうべという形が有る分、そっちのほうが生に近い」
妖怪や幽霊も、そうかもしれない。
だが、私にはやはり不気味と思えた。
魔法使いが頭蓋程度に震えるなど馬鹿げてはいるが……こんなもの が頭に収まって、皮膚の下でその虚ろな穴を向けているのを想像すると、何かが込み上がるのを感じる。
あの柔らかい表情の下で、これほどに硬く無機質なモノが、冷たく嗤っているのだ。
「さてと、そろそろ戻らないと。お茶、ご馳走になったね」
「……ええ」
胃酸で灼けた喉からは、その言葉しか搾り出せなかった。
◇
今日忍び込んだのは、三人組の妖精だった。
まあ、侵入者はすぐに感知出来るから、窓に寄ってきたところで声をかけたのだけれど。
巻き髪の妖精が新聞を持っていたから、きっとそれを見て来たのだろう。
あんな新聞でも購読者がいた事に驚きだが。
「なにしにこちらへ?」
ここ最近の来訪者の目的など、アレ以外に無い。
何をしに来たのかはわかりきっているが、悪戯っぽく訊いてみる。
「あ~、その~」
「あんなもの盗んでも意味は無いわよ?」
「う」
戸惑う妖精達。
というか、見つかった時点からしどろもどろだ。
なにかやましいことでも考えているのがバレバレである。
「まあ見るだけ見ていったら?」
「ええ?」
こそこそと帰ろうとしている妖精達に向かって声をかけた。どうせ出直すつもりだったのだろう。
盗られるのは勘弁だが、別に秘匿しているわけではない。
一度見せれば満足するんじゃないだろうか。
「どうかしら?」
三匹の妖精はソレを見ると一様に黙り込み、一瞬の後、口々に意見を言い出した。
「猫じゃない?」
「くらげでしょ」
「チーズだってば」
随分と違う意見だ。
いつも三人組で行動している割に、息はそれほど合ってない。
猫だと主張した黒髪の妖精が最初に意見を述べ始める。
「やっぱり猫でしょう」
「どう見ても猫には見えないわよ」
「ノンノン。私が見たのはただの猫じゃないもの。あれは月が無くて星が良く見える素敵な夜だったわ。私は沼の上を飛んでたんだけど」
「月が無いのに素敵な夜なわけないじゃない。スター」
巻き髪の妖精が口を挟む。
が、意に介した様子も無くスターと呼ばれた妖精は先を続けた。
「そこに人間がやってきたの。私一人じゃ大したこと出来ないから観察してたんだけど、どうも気配が幾つもあるなぁって思ったら手に白い子猫を抱えてたのね。三匹ぐらい」
「子猫?」
「そう。こんな夜中に何をしにきたのかと思って見てたら、子猫を沼に沈め始めたのよ」
「何のために?」
「保存食にでもするんじゃない? 私達は食べないけど」
「ニャアニャア鳴いてたけどすぐに聞こえなくなったわね。口が水の下に入っちゃったから。それでしばらく口から泡を吐いてたんだけどそれもそのうち止まっちゃって。ろくに開いてない目が最後まで動いてたけど、それも止まって。あの様子なら一週間は死んでるんじゃないかな」
きっと飼い猫の仔を処分したのだろう。
普通の猫なら一週間と言わず、ずっと死んでるんじゃないだろうか。
妖精の身にはそんな感覚は分かりそうにも無いけれど。
「人間は?」
「隠しもせずにすぐに帰っちゃったわ。一匹ずつ慎重に沈めてたわりにツメが甘いのよ」
「あはは。間抜けねぇ」
「ほんとにね」
「で、次の日見てみたら水を吸って膨れてて、ほら、ちょうどソレみたいな感じになってたのよ。短い白毛がよく似てるわ」
そう言って、スターが石を指差した。
ソレが猫だって?
ブヨブヨに膨らんで白んだ肉の塊が、ニャアと鳴いて──そんなイメージに呼吸が浅くなる。
何か言おうかと思ったが、何を言えばいいのか思いつかなかった。
迷う私よりも先に巻き髪の妖精が文句を言い出す。
「でも、コレの表面は毛というよりのっぺりしてるじゃない。やっぱりクラゲよ」
「えー、クラゲ?」
「クラゲって海にいるんじゃないの? そんなのドコで見たのよ」
「湖よ。満月が綺麗な素敵な夜ね」
「太陽が出てない夜が素敵なわけ……」
「サニーはお月見の良さが分からないのね。お日見は無いけどお月見はあるのよ」
「むむむむ」
巻き髪の妖精が半眼で告げると、サニーと呼ばれたツインテールの妖精は唸りだした。
「最初は月が湖に映ってるのかと思ったのよ。ほら海月って書くじゃない」
「湖に居たんなら湖月じゃない」
「だけど近付いて見てみたら皺だらけのクラゲでね」
「のっぺりしてるんじゃなかったの?」
「私が見たクラゲは皺だらけだったのよ。白くて、へちゃげてて、ぷかぷか浮いてたわ」
「クラゲかなあ、それ」
「サニーうるさい。触手だって二本浮いてたもの。クラゲだって」
二匹の妖精が言い争っている間に、スターは我関せずといわんばかりにお茶を啜っては考えを巡らせている様子。
どうやら彼女はスルー能力に長けているみたいだ。
それにしても人の家で喚かないでもらいたい。
さっきの猫のせいか、頭痛がするというのに、騒がしい声が頭に響く。
しばらくして沈静化したところでスターが口を挟む。
「皺だらけねぇ……。それ、人のクラゲじゃない?」
「なにそれ」
「人間は頭の中にクラゲを飼ってるのよ。皺だらけの」
「へぇ、人間って変な生き物ねぇ」
「何で湖に居たのかな」
「脱走したんじゃない? 耳から逃げるって聞いたことあるし、きっと飼い主に恵まれなかったのよ」
「そういえば、満足そうに漂ってたわね。フワフワ面白かったからしばらく見てたんだけど」
湖の真ん中で、濁った虚ろな眼を空に向けるクラゲ とソレを見つめる妖精。
見ようによっては幻想的な光景だろうか?
ぞろりと耳から流れ出るクラゲ も。
「ほら、アレも白くて、へちゃげてて、フワフワ満足そうでしょう?」
三匹の視線が再び石に集まり、そこでサニーが不満げに唸る。
「クラゲは分かったけど、ルナもスターも、アレが皺だらけに見えるって言うの?」
「うーん」
「むしろチーズのあの白い肌にそっくりでしょ」
「あれカビじゃない」
「カビだろうと何だろうと酒に合うからいいの」
なぜか偉そうに胸を張って主張するサニー。
酒に合うかどうかは関係ないじゃない、とツッコミを入れたそうにしているルナを尻目に、明るい声でサニーが騒ぎ出す。
「最初に食べた人は偉いね。炭鉱少年だっけ?」
「夢も希望も無い餓えた人が食べたのよ。もったいないって」
「普通食べないもんね。カビ生えてるし」
「そしたら夢も希望も溢れる美味しさ!」
「きっとチーズには夢とか詰まってるのね」
スターが合いの手を入れる。
「どこかの夢の国には人の夢と希望を喰らうネズミが居るって話だけど」
「じゃあやっぱり夢はチーズの味なのよ」
「人間の夢ってカビが生えてて発酵してるのね」
「そうなのよ」
たぶんカビが生えてるのは一部の人間だけだ。発酵してるのも。
でなければそこらじゅうでネズミが大繁殖じゃないかしら。
だがそんな下らない事を言う気も無く、私は黙って椅子に座っていた。
もう妖精達は私の事は眼中に無い様子でわいわいと話し合っている。
「ところでクラゲにはカビは生えてたの?」
「クラゲは溶けちゃったわ」
「カビが生えたのは猫の方よ」
「猫ってチーズになるの?」
その様子を私は微笑みながら眺めていた。
ああ──頭が痛い。
◇
カリ────
また今日も石を削る。
だが、そのペースは以前とは比較にならないほど遅い。
ほんのヒトカケラを削っては手を止める。
ふと気が付けば、陽はとうに落ち、部屋の中は暗闇と言ってもいいほどの暗さであった。
ランプを点けようとして……やめる。
カリ────
闇の中で、またヒトカケラ削る。
自分が暗闇に紛れてしまうかのように、おぼろげに思える。
自己とは何か。その明確な答えは無い。
だから『自己』を決めるために、『自己以外』を定める。
周りにあるのは? 空気。
身を包むのは? 皮膚。
皮膚の下にあるのは? 肉。
そう、この石から人形を削りだすように、 文字通り身を削って 定めようとする。
カリ────
しかし、その試みは成功しない。
タマネギの様に、剥いても剥いてもたどり着かない。
血管、骨、内臓、心臓、神経、脳、細胞。
何処まで行っても身体の中に『自己』は見つけられず。
精神、幽霊、魂。
そんな曖昧なモノに帰着してもなお、結局答えは分からない。
ガッ────
「──ッ!」
指先に痛みが走る。
現実に、我が身を削ってしまった。
暗くてよくは見えないが、傷は浅い様だ。それほど力を入れて削っていたわけでもない。すぐに塞がるだろうし、魔法で治すまでもないだろう。
この身を削っても赤い血しか出てこないが、魂までも削りきったとき、いったい何が残るのだろう?
やはり灯りを点けるべきか。
月明かりも無いこの暗さでは、どこまでが我が身でどこまでが石かも曖昧だ。
ランプに火を灯してから、再び机に向かう。
道具を手にして石に添え……。
────
そこで手が止まった。
私は一体、何を削りだそうとしていたのだろう?
人形には違いない。
だが、どのような 人形を削りだそうとしていたのだったか?
灯りに照らされたソレは、ただ冷たい表面を晒すだけで──何も……イメージすらも、映しはしなかった。
◇
本日、ドアベルを鳴らしたのは再び魔理沙。
「よう」
「久しぶり……でもないわね。最近色々来るから感覚が狂っちゃうわ」
「で、何しに来たの?」
「例のアレを見にきたんだ」
「ふうん。今回は打って変わって単刀直入じゃない」
「最近ココに来る者は皆同じだからな。私も倣ってみた」
魔理沙は私が「上がって」と言う前にずかずかと上がりこんでくる。
別に魔理沙に限ったことではないが、身の回りに礼儀をまきわえない奴らばかりなのはいかがなものか。
人妖まとめて、寺子屋あたりで一度マナー講習でも受けてもらいたいものだ。
テーブルの上には、石が置かれている。
わざわざ棚に置いても出すのが面倒だから、最近は出しっぱなしだ。
私が後を追って部屋に戻れば、魔理沙はどっかと椅子に座ってくつろいでいた。
「まあ、コレが無ければココに来るのは私ぐらいなもんだが」
「魔法使いのテリトリー内でくつろげるのなんてあんたぐらいのものよ」
部屋の中には数多の人形が並んでいる。
一体だけ見れば可愛らしいが、それらが無数の視線を投げかけているのだから普通の人なら不気味に思うだろう。
その安心は自信から来るのか信頼から来るのか。後者であってもらいたいものだ。
だって、もし前者なら今一度力関係を叩き込まないといけないもの。
「良かったじゃないか。来客が増えて」
「良かったかどうかは怪しいところだけどね。忙しないったらありゃしない」
「へえ?」
そこで魔理沙の返事がにわかに疑問形になる。
「じゃあ何で見せびらかしたんだ?」
「それは……」
そこで答えに窮した。
普通、魔法使いは自分が手に入れたものを見せびらかしたりはしない。手の内を曝け出して、見栄を張るような事をしても仕方が無い。
それなのに、何故見せたのだろうか?
別に集客目的ではない。それほど人恋しくは無いと思っている。
ただ、コレを見た、他の人の反応を……答えを知りたかった。
────それこそ何のために?
「前より大分小さくなってるな。しかしこいつは何時見ても……」
だが魔理沙は私の返事を待たずして、石を見つめている。
まあ、その方がありがたい。
私とて、返事は出来そうに無いから。
キッチンに引っ込み、お茶の準備を始める。
「ん? アリスは見ないのか? さっきから目を逸らしてばかりだが」
「私は毎日見てるからいいわよ」
顔を上げずに答える。
声はいつも通り。
だがカップを置く手は震え、ソーサーがカタカタと耳障りな音を立てる。
頭蓋骨、皺だらけのクラゲ、水で膨れ上がった子猫。
そんなモノがさっきから頭の中でちらつき、魔理沙の顔と重なる。
石を見ればその恐怖に取り込まれそうで──。
「そういや訊いてなかったが……コレ、アリスにはどう見えるんだ?」
「私? 私には──人形よ」
「はっ、アリスらしいな」
私らしい、か。ああ確かに人形といえば私らしいだろう。
だがその言葉には力が無い。
私自身がそのイメージを見失っているのだから。
様々なイメージが浮かんでは消え、集中を妨げる。
果たして、その人形はいかなモノだったか? そもそも人形であったのか?
記憶を辿っても曖昧で、自分の思考すら信じられなくなる。
「ん? なんだこれ」
「どれ?」
その言葉に反射的に顔を上げ、石を見る。
しまった、と思ってももう遅い。
硬く白い表面が私の目を刺し、視線を縫いとめる。
ああ、やっぱり、なんと冷たいのだろう。
だが見つめたその白の中に別の色が見えた。
赤──指を切った時の血が付いたか。
まるで切り傷のように細く、赤い線が残っていた。
「おお、こすったら取れちまったな」
ボロボロと瘡蓋が剥げるように落ちていく赤。
白い岩肌につけられた傷。
コレはまるで────。
そこで頭のどこかがカチリとつながる。
「く、ふふ。あはは」
「なんだ急に笑い出して。気持ち悪いな」
「さっきのは間違いね。人形じゃなかった……いえやっぱり人形だわ」
「はあ?」
人形だ、なんて馬鹿らしい。ただのヒトガタ。
何のことは無い、これは、私だ。
いしのなかにいるのは、私。
◇
「じゃあ、コレ借りるぜ」
「は?」
お茶を飲み終わった魔理沙が、石を片手に立ち上がる。
突然に言うものだから、私はカップを片手に金縛りにでもあったかの様に椅子から動けなかった。
背中を向けて部屋から出て行く魔理沙を見てから、慌てて追いかける。
そのまま玄関を出て、魔理沙が箒に跨った所で呼び止めた。
「ちょっとちょっと、何ナチュラルに盗って行こうとしてんのよ」
「少しばかり借りるだけだぜ。アリスも来いよ」
「んな……せめてお茶を嗜む時間ぐらい待ちなさい」
まだテーブルには飲みかけのカップが残っている。
ゆっくりとした午後ティーの時間が急転直下の慌しさ。
だが魔理沙に待つ様子は無い。
「私は十分に嗜んだから構わないぜ」
「私が構うのよ」
「ちょっとの茶ぐらいケチケチすんなよ」
「そういう事じゃなくて……!」
「私に急かされて飲んでも美味くないだろ? じゃあ行くぜ」
そう言って私の腕を掴み、箒が宙に浮く。
引っ張られるようにして私も飛ばざるを得ない。
確かに魔理沙の言うことも一理あるのだが……魔理沙が急かさなければいいんじゃないかしら。
しかしそうこうしている内に、もう私の家はずいぶん遠くになっている。
「ああもう。分かったわよ。分かったから引っ張らないで」
人形を一体呼び寄せて、魔法で家に鍵を掛ける。
自力で魔理沙のスピードに合わせて飛ぶのも馬鹿らしいので、箒の後ろに座ることにした。
急に連れ出したのだからコレくらいの労力はまかなってもらおう。
「おおう?」
「ちょ……バランス崩さないでよ」
「いやおも……」
「え? なんだって?」
「……思い遣りをもって連れさせていただきます」
言葉の圧力は偉大だ。
まあ重いなんていわれた日にはバランスどころか色々な物が崩れて、泣き崩れるかもしれない。
「でも、できればもうちょっと寄ってもらえると助かるんだが」
「ああ、重心が悪いのね。これでいい?」
「ひゃわ!? 近……あ、いや、いいぜ」
「……?」
言われたとおり寄ってあげたのだが、何かまずかったのだろうか?
安定は良くなったが、心なしか軌道がふらついている気がしないでもない。
「そういえば何処に行くのかしら」
「それはいつも通り──あ、そうだ。あそこに寄ってくか」
箒が降下を始める。その先には一軒の家。
寄ってく、と言ったから目的地では無さそうだけど……。
降りてみれば『香霖堂』の看板が大きく掲げられていた。
魔理沙の後を追って店に入る。
「よう、香霖」
「なんだ、魔理沙か」
「なんだとはなんだ。そんなだから平日の神社より閑散としてるんだ」
「客ならちゃんと対応するさ。ああ、そちらのお嬢さんにはいらっしゃい」
「私は魔理沙に付いてきただけよ」
ふぅ、と溜息をつく店主。
今の瞬間、私は客ではなくなったのか。現金なものだ。
「で、何の用だい?」
店主は気の無さそうな様子で魔理沙に尋ねる。
その店主の目の前のカウンターに、魔理沙が懐から石を取り出して置いた。
「コレを見てもらおうと思ってな。千客万来、招き猫よりもあらたかだぜ」
「へえ。いつものツケの代わりにくれるのかね」
「それ私のなんだけど」
「安心しろ、やらんし売らん。単に興味本位だ。香霖は色々鑑定できるじゃないか」
「鑑定料は買値と同額だがね」
「……ボッタクル商店?」
やれやれ、と言いながら石を持ち上げてしげしげと眺め、ルーペで見つめる店主。
私は黙ってその様子を見ていた。
やはり回答が気になるのは何故だろう。それほどまでに自分 の評価が気になるのか?
しばらくして彼は石をカウンター置き戻し、ずい、と魔理沙に返す。
「これはもし貰っても値が付けられないね」
「あん?」
「特に貴金属や宝石も含まれてないみたいだし、モアイとか埴輪みたいに宗教的、歴史的価値も無い」
「──だから?」
「つまるところ、ガラクタだよ」
ガラクタ? 価値が無い、だって?
その言葉に少なからずショックを受ける。
落胆──。
私の心が、言葉にならない声を上げる。
(ソレはガラクタなんかじゃ────)
「ソレはガラクタじゃないぜ。むしろその辺にある物の方がガラクタじゃないか」
むっ、と不満げに反論する魔理沙。
その様子に店主は嘆息を返して語りだす。
「魔理沙は僕の事を鑑定士か骨董屋と勘違いしてるんじゃないかい」
「むしろ物置だぜ」
「せめて店ぐらいには思ってもらいたいものだが……僕は道具屋だからね。あくまで道具にしか興味が無いさ。まあもっとも──」
彼はその石を指差して続ける。
「──君達がその石を、道具、と主張するなら話は別だが」
そこで言葉を切る。
私達以外に誰も居ない店内に、俄かに静寂が訪れた。
「いや……悪かったな。確かにこいつは道具じゃない」
道具じゃない。ああなるほど道具ではない。
まだ道具ではないし、これからも道具ではないだろう。
魔理沙が石を懐に仕舞う。
「道具の名称と用途が解るといっても何のことは無い、その道具を作った者の意思が分かるだけだよ。作った者がこうあるべきと考えた用途。それだけさ」
そう言ってしゃがんで机の下に消える店主。
ごそごそとカウンターの後ろから何かを取り出す。
なかなかに重量があるのか、両手で抱えてそれを持ち上げた。
「ほら、こいつは石臼だ。用途は粉を挽く。石製だがれっきとした道具だね。でもその石にはそういった特別な志向が込められていない。だったら道具としてはガラクタだろう」
ごとりと机に臼を置いて語りだす。
だがせっかく出したのにもかかわらず、魔理沙はもう既に机のそばを離れていた。
店主は見えていないのかあえて無視しているのか、はたまた私に語りかけているのか、話を止めようとしない。
「もっとも何処から道具で何処まで道具じゃないかは判別が難しいところだけどね。例えばこの石臼の上部だけ取り去って、それが道具かと言われると甚だ怪しいが、道具の部品としての意は込められているからギリギリ道具と言えなくも無い。また例えば漬物石とかは桶の上にあるうちは漬物石と言う道具だろうが道端に置いてあればどうだか……」
滔々としゃべり続ける店主はほっといて魔理沙を探すと、店の奥で商品を物色していた。
まあ頻繁に取っていればめぼしい物は店頭からは消えるだろう。
棚を掘り出している魔理沙の背中に声をかける。
「魔理沙、どこかに行くんじゃなかったの?」
「おおそうだった。香霖、邪魔したな」
「……次は珍しい道具でも持ってきてくれると嬉しいね」
石臼をまた仕舞い直している店主を背に、魔理沙はひらひらと手を振って店を後にする。
「ふむ──ガラクタと断じるのは、早かったかな?」
そんな声が聞こえた気がしたが、無視して私も店を出た。
◇
辿り着いたのは、予想通りの博麗神社。
庭先には霊夢といつぞやの鬼が居た。
「やあ萃香じゃないか、珍しい」
「そっちこそ珍しいの連れてるじゃないか」
「何しに来たのよ」
「いや、コイツをな」
再び懐から石を取り出す魔理沙。
その石に萃香が反応する。
「なんだいソレ」
「ちょっと、壊さないでよ?」
「鬼ときたら岩をぶっ壊してるかブン投げてるかのイメージだからなあ」
「ハッ、随分と大雑把なイメージだねえ」
でも前に戦った時も岩を投げまくっていたから、間違いではないと思う。
強い者を見ると闘いたくなるのが鬼。力試しと称しては年がら年中闘っているバトルジャンキーである。
そんな鬼が投げ壊した岩は数知れず、もしかするとそれで環境破壊が深刻化して追い出されたんじゃないかしら。
「コイツ、壊すのは得意だし壊したのを集めるのも得意だけど、直しゃしないのよねぇ。欠片ばっかり集めたところでゴミにしかならないのに」
霊夢が湯呑みを傾けつつこぼす。当の萃香はまったく聞いていない様子だったが。
そもそも鬼に修繕なんて細かい事を言うのが間違いだろう。
障子とか張らせたら片っ端から破りそうな奴だ。
家とかでかい物は丸ごと建て直しだし。
「コイツは雲だね。疎にして密、密にして疎。形あれど身は無い。そこの人形遣いは相変わらず孤独なのかい」
「宴会をこっそり眺めるような孤独な鬼に言われたくは無いわね」
「同感だぜ」
「それで、コレをどうするって?」
萃香から石を取り返し、魔理沙が片手で挙げる。
「コイツを肴に宴会と思ってな」
「聞いてないわよ。随分急ね」
「さっき思いついたからな。そろそろ花見も最後だろうし」
「花見ってあんた、もうだいぶ葉桜よ?」
「だから花だけじゃ物足りんだろう」
「人集まるのかしら……」
「来たくなったら勝手に萃まるだろうさ」
そう言って魔理沙は萃香をちらりと見た。
◇
「花見に月見、合わせて六文……。杯に映る花と月とは風流ね」
杯を傾けながら幽香が言う。
そこに萃香が口を挟みに千鳥足で向かっていった。
「なんだ、花札か? でも今日は月なんて無いよ」
「大雑把な鬼にゃ見えないかしら? そこに白い月があるじゃない」
「ありゃ業雲じゃないか。花に囲まれて花粉症にでもなったかい」
出会ってしまったファイター同士。闘う場所は問題ではない。
血の滾る鬼と最終鬼畜妖怪が睨みあい、バチバチと境内の一角で──花札が始まる。
神社を壊すなと霊夢に殴られた様だ。
「はい五光に猪鹿蝶に月見酒花見酒……」
「勝手に札を取るなー!」
「あら、取りたかったら力ずくでしょ」
「おーし、上等だァ! 萃まれ札ッ!」
「暴れんなっつってんでしょうが!」
「ククク……たしか昔にあんな大きい目玉の怪物が居たな。雑魚だったが」
「ビホルダーですか? でもアレはむしろ目玉焼きですわ」
「ククク。私のカリスマの前には目玉も目玉焼きも変わらないよ」
「じゃあレミィには目玉焼きの代わりに目玉でいいのね」
パチュリーが開いた本から目玉が現れ、焼き焼き焼き焼き! と言いながら焼かれて落ちる。
それがさっと皿に載り、レミリアに差し出された。
「はい。明日の朝からコレ」
「…………」
「食べてもいいのよ」
「──く、ククク、焼き目玉はレベルが高いな。我が力をもってしても……」
「生のほうが良かった?」
「ククク咲夜ぁ」
「私は遠慮しますわ」
「こりゃいい蛙だねぇ、諏訪子」
「ああ、白蛙は雨の神ってよく像に……」
「いや、膨らんだ蛙。ほら、尻からストロー突っ込んで息を──」
だがその言葉は『メメタァ』という音にかき消された。
早苗の肩から跳んだ諏訪子の拳が、神奈子の顔に3センチほどめり込む。
さらに早苗の拳も腹に突き刺さっていた。見事なコンビネーション。
さすが現人神! 私達に出来ない事を……いや、そうでもない。
「酒がマズくなる様な事を言うんじゃない!」
「なんで早苗まで……早苗だってやっただろう?」
「誰もやりませんよ、そんなグロい事」
「そんな! まさか、ゆとり教育では教えていないのか!?」
「どこの世界に教える学校があるかバカー!」
「闇に浮かぶ淡い光、まるで蛍の輝きだね」
「そう? むしろシロアリの群れじゃない?」
「……途端にテンションが下がったよ、みすちー」
「分かってないなあリグルは。あの巫女にとっては弾幕の強い蛍や毒を持った蜂なんかより、シロアリが脅威でしょ」
「確かにそうかもしれないけど、すっごく地味じゃん……」
「セントエルモの火……月からの使者を思い出すわね」
「ええ姫様。空を埋め尽くすほどの無人機の降下……」
「月の迎えってそんなに激烈だったんですか?」
「そうよ。でも永琳は機銃とミサイルの嵐の中、ただ一機の一腕の天使を駆って……素晴らしかったわ」
「月に栄光あれ、地球に慈悲あれ……ってね。だからアレも姫様も慈悲に溢れてるでしょう」
「へぇ~……?」
輝夜を見ながら首を傾げる兎。姫様と慈悲が頭の中で結びつかないようだ。
それを見て永琳が袖から注射器を滑らせて握り、流れるような動きで鈴仙の背後を取る。
首筋に針を当てるその手腕は暗殺者にでもなれそうだ。
「どうやら頭に病魔が……慈悲で治してあげるわ」
「し、師匠~?」
「妖夢~。あんな所に半霊を忘れてるわよ~」
「アレは半霊ではありませんよ。ほら」
「あら、じゃあ二つ目の半霊? 妖夢が三人に増えたら便利ねぇ。家事用、観賞用、保存用」
「保存用って何ですか……」
がっくりと肩を落として石を見る妖夢。
「あんな雪の中駆けずり回って春を集めたのに、春になったのは幽々子様の頭だけ……」
「独りごと言ってないで、家事用の妖夢はお菓子持ってきなさい。観賞用の妖夢はこっちに……」
「みょんっ!?」
◇
「おおっと」
縁側に座って酒を嗜んでいた所に、魔理沙が上空からやって来て箒から降り、私の肩に寄りかかる。
「いしのなかにいる! ってな」
「なにそれ?」
「どこかの冒険者の最期の言葉らしいぜ」
もう春も大分過ぎたとはいえ、まだ夜は少々肌寒い。
酒で温まった魔理沙はちょうどいい暖房かしら。
「最期?」
「この言葉を残して消えちまったそうだ。死体も残さずにな」
消えた? 神隠しだろうか?
妖怪の跋扈する此処では突如消えても少し珍しいぐらいだが……。
「遺言にしては変わってるわね」
「だからこそ現在に至るまで学者達の論争の的だ」
いし、とは一体何を指しているのか? 中に居るのは彼だったのか、別の何かだったのか?
しばらく考え、口を開く。
「この世に何らかの大きな意思があって、その中に居るってのを叫んだのかも」
「へえ?」
「人々は世界を取り巻く意思に抗って、自らの意思を築く。でもそれは目を瞑って戦う様なもので、目を開けないと相手は見えない。だから抗うのを止めたとき、その大きな意思を垣間見て」
「そして取り込まれて消えた、と」
少し離れて宴会の喧騒が聞こえる。
魔理沙と並んでその光景を静かに眺める。
なんという光景だろう。
誰も彼もあの石を見ながら、誰も彼もあの石を見ていない。
皆、自分勝手なモノを見出して会話という独り言を語る。
目を瞑って彷徨う、コレが、世の中。
そしてその中心にあるのは……。
「私の解釈はちょっと違うな」
「違う?」
「自分が居るのは何か他の意思の中じゃない、自分自身の意思の中に居るって事じゃないか?」
なるほど、自律か。
タマネギの芯を決めるのは中の空洞ではない。周りの皮だ。
「自分が見るもの、聞くものは全部、自分の意思。自分の行動も自分の意思。だからこそ皆、アレに目を瞠る」
目を瞑っているのではない。括目しているからこそ石を見ない。
自分勝手なものを見出すのではなく、自分自身を見出す。
石の中に何が居るのか。それは自分の意思の中に居る物という事である。
「まあどっちにしろ、私達にその言葉の真意は分からないわね。こうして勝手に解釈をするだけ」
「そうだな。答えはあの石と同じ、いしの中だ」
そう、勝手に解釈するだけだ。
誰も彼もが、すれ違う。
ああやって多くの人に石を見せて回っても、何一つ触れ合うことも無い。
目を瞑っていても、開いていても、変わらない。
「でもあの石、細くなったせいかアリスみたいだよな」
「! そ、そうね……」
一瞬だけ視線が合う。
私みたい、か。こんな奴と同調するのは癪だが、なぜか笑みが零れる。
いつもすれ違っているからこそ一瞬の邂逅が、触れ合わないからこそ僅かな視線の交換が……身に沁みるのだろうか?
それからずっと、境内の真ん中で闇に浮かぶ、白い石を見続けていた。
◇
一晩明けた神社の縁側で。
気が付いたら日が昇っていた。
すぐ隣から声がかかる。
「よぉ、お目覚めか?」
「ん……」
座ったままの格好で寝てしまったらしい。私の身体が魔理沙に寄りかかっていた。
「あ……ごめん、肩」
「んあ? 別に構わないぜ」
重くは無い……筈だが、数時間も体重を支えるのは大変だっただろう。
魔理沙はまだ酒が抜けていないのか顔が赤い。
ンッっと伸びをするとすぐ背後から霊夢の声がした。
「おはよう。もう皆帰っちゃったわよ」
「ごめんね。片付けは手伝うわ」
「そうしてくれると助かる……はい、お茶」
霊夢から熱い緑茶を受け取る。
普段は紅茶だが、たまには良いものだ。
「おい、私には無いのか?」
「片付けてくれるんならあげるわ」
「安い手間賃だな」
「じゃあ要らないわね」
「ああ分かった、分かったよ」
三人で並んでお茶を啜る。
朝日が眩しい。
と、その光が唐突に開いた闇に遮られた。
「おはよう、紫。遅かったわね」
「酷いわ霊夢~。宴会やるんなら呼んでくれたっていいじゃない」
「何処にいるかも分からないのに呼べるわけ無いでしょ」
「右手を振り上げれば何時だって来るのに~。助けて☆ゆかりんって」
「鳥肌立つから止めて」
スキマから両手をだらりと下げて紫が呻く。
目をしばたいているから、どうせ今の今まで寝てたのだろう。
その目が魔理沙の持っているモノに気が付いて、視線を止めた。
「なにそれ?」
「いしね」
「いしよ」
「いしだぜ」
「ふーん」
数秒ほど見つめていたが、すぐに興味を失ったのか視線を外して霊夢のほうに寄って行った。
紫から逃げるように神社の奥に戻る霊夢。
それを追いかけて紫も奥に消える。
「嬉しそうな霊夢はほっといて、だ。コイツどうする?」
魔理沙が石を掲げる。
どうするも何も私のものなのだが……朝日に白い岩肌を晒す石からは、やはり特定の人形はイメージできない。
上海? 蓬莱? また別の新しい人形? 私自身?
どれでも有る様に思えてどれでも無い。
だがもう見世物にすることは無いだろう。
「人形にする気は失せちゃったし……流れ星にでもする?」
「それもいいな。だがまあ私も願い事は間に合ってるんでな……」
そう言ってただ一体だけ連れてきた人形に近付き、ごそごそと何かをする。
「こういうのはどうだ?」
私に向き直り、カードを一枚差し出す魔理沙。
人形から抜き取ったらしい。これもスリと言えるかしら?
「いいわね」
魔理沙からカードと石を受け取り、頷く。
縁側から降り立ってカードと石を掲げ────投げた。
リターンイナニメトネス
「無 意 思 に 還 れッ!」
石が砕け散り爆風に吹き上げられて破片が舞う。
同時に余波で残った桜の花が散り、二つが混じって白い吹雪を織り成した。
朝日に破片と花びらに付いた水滴が煌く。
「何よ今の大きな音は……って桜全部散っちゃってるじゃない」
「散る桜、残る桜も、散る桜ってな。もう見納めはしたんだ。いいじゃないか」
「花びらの掃除が面倒なんだから。あんたその自慢の箒でやっといてね」
「これは掃除用じゃないぜ」
「箒は掃除用具でしょうが。掃除用じゃない箒は箒じゃないわ」
ひとしきり文句を言ってからまた引っ込む霊夢。
どちらにせよ宴会跡と一緒に掃除することになるだろう。
やがて吹雪 が止む。
残る桜も散る桜だ。身を削りきった後に残る物も、また削られるもの。
そうして削った物が、舞い散って煌いた破片のように輝くのだろう。
そこに自己は残らないが……散った破片が輪郭を語る。自己とはそんなものだ。
「さて、掃除しましょうか」
「まあ待てよ、せめて緑茶を嗜む時間ぐらい……」
「私は十分嗜んだわよ。じゃ、この箒借りるわね」
「あああ、だからそれは掃除用じゃ無いって……くそっ」
帽子を引っ掴んで、箒を 追いかけてくる魔理沙。
頭上の空はよく晴れて、雲の間に残った花びらが一つ──いや、二つ舞っていた。
*一部、キャラの設定や能力の独自解釈を含みます。
*一部二次設定を用いています。
*一部キャラ崩壊。
*一部ネタが古いですが仕様です。
*ギャグ要素はあまり有りません。
*ルビを使用しているため、ブラウザによっては正常に表示されない可能性があります。IE7とか推奨。
ソレは何の変哲も無い、ただの石だった。
特に魔力や霊力を帯びるでもなく、鉄や金といった鉱物でも、ルビーやエメラルドといった宝石でもなく、ましてやオリハルコンやミスリルといった魔鉱石でもない。
人の頭ほどの大きさの、ただの白っぽい、そしてさほど硬くなく削りやすいといった程度の、変哲の無い石だった。
私がソレを拾って帰ったのは、なんとなく気になったからにすぎない。何故だかは分からないが、ソレは目を引く物であったのだ。
部屋に帰ってから色々と調べ、手にとって眺めてから思案する。
────コレをどうしようか?
私……アリス・マーガトロイドはソレを削り、人形を作ることに決めた。
人形遣いで鳴らしている私も、普段は布製の人形ばかりだ。たまには石製の人形もいいだろう。
別段、特別な物でもないので、研究の片手間に少しずつ削って、日々の休息にでもしようと考えた。
とりあえず、その辺に置いて研究に戻ろうか。
私はソレを作業机の上に置き……しかし思い直してリビングに持っていく。
この石は、何かを髣髴とさせる。
ソレは目立たないように、しかしこの部屋に来てテーブルについた時によく目に付くように配置された。
◇
最初にソレに気が付いたのは、魔理沙だった。
もっとも、ソレが目を引くとかいう以前に、普通の少女の部屋に無骨な石は大変目立つ。
この部屋に来れば誰でも気が付くだろうから、たまたま魔理沙が最初に来たというだけに過ぎない。
挨拶から始まり、用件を述べ、部屋に入り、小言軽口に討論をし、茶を飲みながらの何気ない会話がひと段落した後、少し間をおいてから魔理沙が尋ねる。
「ソレ、何だ?」
今気が付いた、という風にさりげなく問うてはいるが、大分前……部屋に入った直後から気にしていたのは分かっていた。
私は彼女が、アレを見てどういう反応をするかを観察していたのだから。
「ドレの事?」
だが私は白々しくとぼける。
なかなか尋ねてこなかった仕返し、というわけではないが、待ってましたと言わんばかりにすぐに反応しては、まるで私があざとく狙って置いたようではないか。
確かにそれは正解なのだが、それを見せてしまっては興が醒める。
だから装う。無造作にソレを置いていて、なんら特別では無いというように。
「ほら、そこの棚の」
「棚の中にも色々入ってるから……」
そう言うと、魔理沙は少し苛立ったように声を荒げる。
「ああもう! 棚の下から二段目に置いてある石の事だよ」
「ああ……これ?」
くすり、と笑ってその石を取り出す。あえてゆっくりと手に取り、慎重な風に歩いてそっとテーブルに載せる。
その間も魔理沙は、何気ない風を装いながら視線は石から外さずにいた。
「何だと思う?」
魔理沙の問いには答えず、逆に問い返す。
魔法使いに問いかけて、素直に答えが返ってくると思うのは大間違いだ。
魔理沙は一瞬ムッとした表情を見せるが、すぐに顎に手を当てる仕草で思考に移った。
むー、と考えること数秒。やがて、これは
「そうだな、星かな」
「へぇ」
魔理沙らしい。実に魔理沙らしい答えだ。
魔理沙だからこんな答えをするのか、それとも魔理沙らしさがこんな答えを引き出すのか。
タマゴが先かニワトリが先か、なんて。まあこの問題はニワトリが先だと決まっている。
タマゴからニワトリが育つのを観察した人よりも、ニワトリがタマゴを生むのを観察した人のほうが先に居たに違いないから。
こんなつまらない問題でも、腹の足しにはなるのかしら。
魔理沙は私に背を向けてテーブルから離れる。
「流れ星は石らしいからな。コレを持って行って空に放り投げりゃ、星にもなるだろうさ」
そう言って窓に寄りかかって振り向き、陽光の中に立って片手を挙げる仕草をする。
それに応えるように、開いた窓から吹き込んだ風が、ふわりとカーテンを揺らした。
「あら。流れ星はあんたじゃなかったの? ブレイジングスターって」
「あん? 流れ星は他人の願いばっかり叶えてるんだ。たまには自分の願いだって叶えたくなるさ」
そのために流れ星を自給自足とは、面白いことを言う。
彼女の願いとはなんだろうか。まあ、そんな事に興味は無いが。
のけぞって晴れた青空を見る彼女の目は、私の位置からでは見えなかった。
ガリ……
◇
二番目に来たのは霊夢だった。
これも単に、私の家によく来る者が魔理沙と霊夢だったに過ぎないが。
とはいえ、霊夢は魔理沙ほど頻繁に来るわけでもない。たまたまか、魔理沙に何かを聞いたか。
霊夢も魔理沙と同じく尋ねる。
「ソレ、何?」
霊夢は魔理沙とは違い、この部屋に来てすぐに訊いてきた。
単刀直入。霊夢は回り道なんてしない。
私もそれに応えて手早く石を持ってきた。
「何だと思う?」
だがやはり私は聞き返す。
私はソレを見たときの反応を見るために置いてあるのである。こういう物だ、と自慢するために置いてあるのではない。
「石にしか見えないけれど」
「ふうん。……ただそれだけ?」
「もったいぶった言い方ね。ただの石じゃないって事?」
「いいえ、ただの石よ。何の変哲も無い、ね」
コレは、ただの石だ。何の変哲も無い。
だが、コレを石としか答えられないのは、彼女が博麗だからか。
物事の表層ばかりを捉えて、本質を追求しない。
異変を解決しても、異変の原因を考慮しない。
だがそれは決して非難されるべき事ではない。それが
「何よ。教えてくれないの?」
もちろん、教えるつもりなどない。そもそも、教えるモノでもない。
コレはただの石には違いないのだから。
霊夢も、それは分かっている筈だ。
「そうね……。饅頭かしら」
「饅頭?」
「里の有名な和菓子屋の看板商品に似てるの。白岩饅頭。そう考えると美味しそうに見えない?」
その和菓子なら、口にしたことは無いが見たことはある。
白岩饅頭とか言ったか。なんでも冬の妖怪をイメージしたという、ふとま……ふっくらとした白い饅頭だ。三叉の細いフォークで食べるのが通らしい。
ちなみに店主は、冬の妖怪に会ったことは無いそうだ。稗田の記録からのインスピレーションだとか。
だから冬の妖怪がふっくらとしているなんてのは店主の想像にすぎない。きっと。
にしても饅頭とは、ずいぶんと平和的だ。
大きさこそ違えど、外見的特徴だけ見れば、確かに似てはいるだろうが……。
「さすがに美味しそうには見えないわ」
苦笑しながら言う。
こんなものを美味しそう、だなんて。
「……あなたは幸せね」
「は?」
その言葉に、彼女は首を傾げつつ、ふわりと飛んで帰っていった。
ガリ……
◇
次に来たのは文だ。
上空をトンビのように旋回していて、今日もカラスがのんきだなーと思っていたら、急角度で突入してきた。
つむじ風を残して玄関の前に降り立つ。
足から急降下してもミニスカートが翻りもしないのは、さすがの風使いなのか、もしくは鉄板で出来てたりするのか。
「アリスさんが変わった物を持っていると聞いて歩いてきました」
「飛んで来たの間違いじゃない?」
この鴉天狗が私の家に来ることなど、取材と新聞配達以外ではありえない。
というよりも、不気味と言われる私の家にわざわざ来る者など、霊夢と魔理沙ぐらいのものだ。
大方、霊夢にでも話を聞いてやってきたのだろう。
「耳が早いわね」
「お褒めに預かりありがとうございます。コンゴトモヨロシク」
「ご足労のところ悪いけれど、そう珍しいものでもないわよ?」
そうことわってから部屋に招きいれる。
実際、珍しいものではない。ただ気を引くだけだ。
「何です? コレ」
「何だと思う?」
聞き返す。
文は聞き返されるのを分かっていたように軽く答えた。
「そうですね……単純な答えですが、山、でしょうか」
「そのものね」
ここ数日で多少削られた石は、確かに霊峰のようにそそり立った山に見える。
「動かざること山の如し。風に生きる天狗の拠り所です」
それでは、天狗の家は山ということか。
風のごとく、流れるように生きている様に見えて、その実縛られている。
「風聞ばかり流しているのも、風に生きてるのかしら?」
「ええそうです」
えらくあっさりと答える文。
「風評や風刺ばっかり書いてないで、もう少し風紀って物を考えないの?」
「いえいえ、アレは風諭です。風狂な事を書いているわけじゃないでしょう。清く正しく、風流に作っていますよ」
「じゃあ今度からは地に足をつけて記事を書いて欲しいわ」
「天狗に向かって地に足をつけろとは異な事を。風は流れているからこそ風なのです」
山は天狗の拠り所ではなかったのだろうか?
だが、文がソレを見つめる目は家を想う郷愁の感というよりもむしろ……。
「地に縛られた天狗など、ただの狗です」
「え?」
「いえ。面白い見世物でした。記事にするかは……考え物ですが」
ガリ……
◇
翌日の来訪者は、早苗。
彼女は文とは違い、ちゃんと歩いてきた。──空を。
風祝は奇跡を操るというから、きっと奇跡で空を歩いているのだろう。
気になって玄関から出てきた私の目の前で、彼女は『ほっ』と声を出し、段差から飛び降りるようにして地に降り立つ。
「常識にとらわれない石を見に来ました」
「常識にとらわれないかどうかは知らないけど……」
苦笑しながら迎える。
出会うなり一言これとは、この人間もちょっと変わっているのだ。
「いえいえ、幻想郷では常識にとらわれない物事ばかりですから」
「それは違うわ。貴女の常識にそぐわないだけよ」
「ですから、その常識の齟齬を解消するために色々見て回ってるんですよ」
とはいえ、見て回る対象がこんな魔法使いの家で良いのだろうか?
霊夢や魔理沙のような規格外の人間や、どこかに頭のネジを落としてきた様な妖怪達と付き合っても、正しい常識が得られるとは思えないのだけれど。
だが思い直す。彼女の家は妖怪の山に有る。付き合う相手は妖怪ばかりだから、むしろ『こちら』の常識のほうが問題が無いか。
人間の里に行ってまで『挨拶』に弾幕をしたら問題だが、それ位はわきまえるだろう。
まあ、玄関で思案していても仕方が無い。来訪の目的はそんなことではない筈だし。
早苗を開いたままの扉へと招き入れる。
「何だと思う?」
目の前に置かれたソレを指して問う。
早苗はしばらく机の上のソレを見つめてから、呟いた。
「外の世界を、思い出します」
「外、ね」
果たしてどちらが外側でどちらが内側なのか、それは分からない。
どちらがどちらを内包しているかなど、結局は錯視の問題に過ぎないのだろう。ルビンの杯の様に。
ただ確実なのは、この幻想郷ではないということ。
早苗はソレから目を離さず、独り言の様に続けた。
「向こう側は石だらけで、墓標が並んでいる様でしたから」
「へえ……」
そう言われても、私は彼女の居た世界を見たことが無いのだからピンと来ない。
彼女が言うには、向こう側では周囲に石や金属の柱が立ち並び、地表はこの石のように無機質であったという。
そして、その
「ビル……柱はそれなりに色とりどりなので、その白い石が特別な何かを思い出させるわけではないのですが……」
そう語りながらソレを見つめる早苗の目は、懐かしそうで、また寂しそうだった。
────ガリ……
◇
ガリ────
石を削る音が、暗い部屋に響く。
部屋を照らしているのは、机の上のランプのみで、手元に赤い光を投げかける。
だがその光は部屋全体を照らすにはとても足らず、床に長い影を落とすにとどまっている。
ガリ────
石から削りだす、というのは慎重にやらなければならない。
削りすぎたらやり直しは効かない。
とはいえ、木を削って作ったり、粘土を練って作ったりすることはしばしばあるので、立体構造の把握は慣れている。
ガリ────
彫刻の達人は、石を見た瞬間に完成形が見えるのだという。その手は、石からイメージを取り出すだけだと。
ならば、石そのものに既にイメージが刻まれているのだろうか。
彼らなら、この石からどんなモノを想うのだろう?
ガ……───
石を削る手が止まる。
「…………」
自分は……自分はコレを、
様々なモノを想起させ、ひとところに留まらないはずのコレを、私のイメージで自分勝手な形を与えようとしている。
それは、この石の存在を辱めているのではないか?
創造物は、すべからくそうであるのかもしれない。
イメージから形にした時点で、多くのモノが失われている。
でも、コレは……この石は────
◇
次に来た客人はパチュリーである。
温室育ちならぬ暗室育ちのこのもやし姫の交友関係は、広くないどころか狭い部類に入る。
そんなパチュリーの耳に入ると言ったら、魔理沙から聞くぐらいか。
「わざわざこんな所まで……」
「珍しいかしら」
「いやそれほどでも」
喘息持ちで本の虫。そう聞くと貧弱で引き篭もりがちと思うかもしれないが、天気を調べにわざわざ天上まで登ったりする程元気である。
魔女の性か、興味の無い物には消極的だが、興味のある物には積極的。
動かない大図書館と言いつつも、結構活動的なのだ。
「それで、例の物はアレかしら」
私の事を無視して勝手に家に上がりこむパチュリー。
興味があるのはアレだけで、私はそれこそ路傍の石ほどの存在なのだろう。
それはそれで構わない。主役は私ではなくアレなのだから。
私が後を追いかけて部屋に入ると、彼女は既に棚からソレを引っ張り出し、宙に浮かべて眺めていた。
なぜ浮かべる、と疑問に思うが、普段から浮かんでいるパチュリーには自然すぎて気が付きもしないに違いない。
「ええ……どう思う?」
そう尋ねる私の声も聞こえているのかどうかわからない。
パチュリーは手元の本に目を落とす。
ページを捲るのにすら邪魔になりそうなくらい目が近いが、ページは一度も捲られることは無い。
私が手を顎に当てるのと同様な、考える仕草というだけなのだろう。
しばらく静かな時間が流れ、時計が時を刻む音だけが耳障りに聞こえる。
もしかすると考えに耽るあまり、彼女は石の事も忘れているのかしら?
が、ややあってパチュリーから声が返る。
「原初の泥、かしら」
「へえ?」
「神が人を創ったとされる泥ね。人以外も創ってるけど」
神が泥から様々なものを創ったという話はよく聞く。
いろんな神が同じ事をやっているのを考えれば、きっと神が特別だったのではなく泥が特別だったのだろう。
「で、何を創るつもりなの?」
「へ?」
「人が人足りえるのは、神を模して作られたから。同じ泥でも、形を与えればモノになる」
そんなものだろうか。ならば人形を作るのは人を求めているのか。
まあコレはただの石だが。
そう、ただの──石。
人形を作ろうと思ってはいるが、なんとなくそれは伏せておいた。
「まあ、それはおいおい考えるわ」
「猫とか作ってくれないかしら。そうしたら鼠の駆除に役立つのに……」
そんなことをぶつぶつと呟きながら、パチュリーは私の方も見ずに帰っていった。
パチュリーは前も猫がどうこう言っていた気がする。何か猫に思い入れでもあるのだろうか?
猫なんて飼ったら喘息が酷くなるに決まっているのに。
私は苦笑しながら、彼女の後ろ姿を見送った。
カリ……
◇
今度は船がやってきた。乗っているのは小野塚小町である。
水も無いのに船とは、幻想郷は恐れ入る。
「ちょいと昼寝ついでに足を伸ばしてみたんだ」
「足……ねぇ」
「はは、あたいの足よりコイツの方が速いからね」
船頭多くして山に登ると言うが、船頭一人でも山に登るし、山に登っても船を漕ぐ。
船とは何のための物だったか?
こうなると船の定義に頭を抱えざるを得まい。
「三途からこんなに離れていいのかしら?」
「三途は何処にでもあり何処にも無い。どこで死んだって三途にゃ来るんだ」
「ふーん」
「それに、そんなに離れちゃいないさ。ほら」
森の木々の向こうに無縁の塚が見える。
なるほど距離を操ったか。確かに近い。
近づいたところで、サボっていることには変わりは無いが。
上がるよう促して人形に紅茶を運ばせる。
「まあ、お茶でも」
「お、悪いね。三途は日も照らないし湿気もあるから暑か無いんだが、逆に寒くてねぇ」
ぶるぶる、と身体を抱くようなジェスチャーをしてから椅子に着く。
小町の身なりにティーカップはたいそう似合わなかったが、構いやしないだろう。
「どう?」
テーブルの上には例の石。
小町は片手にカップを持って茶を啜りながら、もう一方の手で石を持ち上げて眺める。
矯めつ眇めつ見ながら茶を飲み干し、カップを置いてから声を上げる。
「こりゃあアレだな、誰もが持ってるものさ」
「誰もが?」
「そう。誰もが宝石のように大切に、いつも持ち歩いてるけれど、自分のは見たことが無い」
なるほど。
そう言われれば思い当たる節もある。
「つまり……」
「しゃれこうべ、さね」
削られてでこぼこになったその石が見せる風情は、小町の風貌と相まってなお薄ら寒い。
持ち上げられたソレは、まるですすき野に転がる骸の様にすら見える。
三途が寒いのは何も川辺で日が照らないというだけではあるまい。
「不気味ねぇ」
「そうかい? あたいにとっちゃむしろ暖かいけどね」
「それは見慣れてるから?」
「そういうわけじゃない。死を連想しないからさ」
しゃれこうべが不気味なのは、それが死を思わせるから。
動物にとってはそこらの石と変わりない。
「あたいらの所じゃ形の無い方が死だからね。しゃれこうべという形が有る分、そっちのほうが生に近い」
妖怪や幽霊も、そうかもしれない。
だが、私にはやはり不気味と思えた。
魔法使いが頭蓋程度に震えるなど馬鹿げてはいるが……
あの柔らかい表情の下で、これほどに硬く無機質なモノが、冷たく嗤っているのだ。
「さてと、そろそろ戻らないと。お茶、ご馳走になったね」
「……ええ」
胃酸で灼けた喉からは、その言葉しか搾り出せなかった。
カリ……
◇
今日忍び込んだのは、三人組の妖精だった。
まあ、侵入者はすぐに感知出来るから、窓に寄ってきたところで声をかけたのだけれど。
巻き髪の妖精が新聞を持っていたから、きっとそれを見て来たのだろう。
あんな新聞でも購読者がいた事に驚きだが。
「なにしにこちらへ?」
ここ最近の来訪者の目的など、アレ以外に無い。
何をしに来たのかはわかりきっているが、悪戯っぽく訊いてみる。
「あ~、その~」
「あんなもの盗んでも意味は無いわよ?」
「う」
戸惑う妖精達。
というか、見つかった時点からしどろもどろだ。
なにかやましいことでも考えているのがバレバレである。
「まあ見るだけ見ていったら?」
「ええ?」
こそこそと帰ろうとしている妖精達に向かって声をかけた。どうせ出直すつもりだったのだろう。
盗られるのは勘弁だが、別に秘匿しているわけではない。
一度見せれば満足するんじゃないだろうか。
「どうかしら?」
三匹の妖精はソレを見ると一様に黙り込み、一瞬の後、口々に意見を言い出した。
「猫じゃない?」
「くらげでしょ」
「チーズだってば」
随分と違う意見だ。
いつも三人組で行動している割に、息はそれほど合ってない。
猫だと主張した黒髪の妖精が最初に意見を述べ始める。
「やっぱり猫でしょう」
「どう見ても猫には見えないわよ」
「ノンノン。私が見たのはただの猫じゃないもの。あれは月が無くて星が良く見える素敵な夜だったわ。私は沼の上を飛んでたんだけど」
「月が無いのに素敵な夜なわけないじゃない。スター」
巻き髪の妖精が口を挟む。
が、意に介した様子も無くスターと呼ばれた妖精は先を続けた。
「そこに人間がやってきたの。私一人じゃ大したこと出来ないから観察してたんだけど、どうも気配が幾つもあるなぁって思ったら手に白い子猫を抱えてたのね。三匹ぐらい」
「子猫?」
「そう。こんな夜中に何をしにきたのかと思って見てたら、子猫を沼に沈め始めたのよ」
「何のために?」
「保存食にでもするんじゃない? 私達は食べないけど」
「ニャアニャア鳴いてたけどすぐに聞こえなくなったわね。口が水の下に入っちゃったから。それでしばらく口から泡を吐いてたんだけどそれもそのうち止まっちゃって。ろくに開いてない目が最後まで動いてたけど、それも止まって。あの様子なら一週間は死んでるんじゃないかな」
きっと飼い猫の仔を処分したのだろう。
普通の猫なら一週間と言わず、ずっと死んでるんじゃないだろうか。
妖精の身にはそんな感覚は分かりそうにも無いけれど。
「人間は?」
「隠しもせずにすぐに帰っちゃったわ。一匹ずつ慎重に沈めてたわりにツメが甘いのよ」
「あはは。間抜けねぇ」
「ほんとにね」
「で、次の日見てみたら水を吸って膨れてて、ほら、ちょうどソレみたいな感じになってたのよ。短い白毛がよく似てるわ」
そう言って、スターが石を指差した。
ソレが猫だって?
ブヨブヨに膨らんで白んだ肉の塊が、ニャアと鳴いて──そんなイメージに呼吸が浅くなる。
何か言おうかと思ったが、何を言えばいいのか思いつかなかった。
迷う私よりも先に巻き髪の妖精が文句を言い出す。
「でも、コレの表面は毛というよりのっぺりしてるじゃない。やっぱりクラゲよ」
「えー、クラゲ?」
「クラゲって海にいるんじゃないの? そんなのドコで見たのよ」
「湖よ。満月が綺麗な素敵な夜ね」
「太陽が出てない夜が素敵なわけ……」
「サニーはお月見の良さが分からないのね。お日見は無いけどお月見はあるのよ」
「むむむむ」
巻き髪の妖精が半眼で告げると、サニーと呼ばれたツインテールの妖精は唸りだした。
「最初は月が湖に映ってるのかと思ったのよ。ほら海月って書くじゃない」
「湖に居たんなら湖月じゃない」
「だけど近付いて見てみたら皺だらけのクラゲでね」
「のっぺりしてるんじゃなかったの?」
「私が見たクラゲは皺だらけだったのよ。白くて、へちゃげてて、ぷかぷか浮いてたわ」
「クラゲかなあ、それ」
「サニーうるさい。触手だって二本浮いてたもの。クラゲだって」
二匹の妖精が言い争っている間に、スターは我関せずといわんばかりにお茶を啜っては考えを巡らせている様子。
どうやら彼女はスルー能力に長けているみたいだ。
それにしても人の家で喚かないでもらいたい。
さっきの猫のせいか、頭痛がするというのに、騒がしい声が頭に響く。
しばらくして沈静化したところでスターが口を挟む。
「皺だらけねぇ……。それ、人のクラゲじゃない?」
「なにそれ」
「人間は頭の中にクラゲを飼ってるのよ。皺だらけの」
「へぇ、人間って変な生き物ねぇ」
「何で湖に居たのかな」
「脱走したんじゃない? 耳から逃げるって聞いたことあるし、きっと飼い主に恵まれなかったのよ」
「そういえば、満足そうに漂ってたわね。フワフワ面白かったからしばらく見てたんだけど」
湖の真ん中で、濁った虚ろな眼を空に向ける
見ようによっては幻想的な光景だろうか?
ぞろりと耳から流れ出る
「ほら、アレも白くて、へちゃげてて、フワフワ満足そうでしょう?」
三匹の視線が再び石に集まり、そこでサニーが不満げに唸る。
「クラゲは分かったけど、ルナもスターも、アレが皺だらけに見えるって言うの?」
「うーん」
「むしろチーズのあの白い肌にそっくりでしょ」
「あれカビじゃない」
「カビだろうと何だろうと酒に合うからいいの」
なぜか偉そうに胸を張って主張するサニー。
酒に合うかどうかは関係ないじゃない、とツッコミを入れたそうにしているルナを尻目に、明るい声でサニーが騒ぎ出す。
「最初に食べた人は偉いね。炭鉱少年だっけ?」
「夢も希望も無い餓えた人が食べたのよ。もったいないって」
「普通食べないもんね。カビ生えてるし」
「そしたら夢も希望も溢れる美味しさ!」
「きっとチーズには夢とか詰まってるのね」
スターが合いの手を入れる。
「どこかの夢の国には人の夢と希望を喰らうネズミが居るって話だけど」
「じゃあやっぱり夢はチーズの味なのよ」
「人間の夢ってカビが生えてて発酵してるのね」
「そうなのよ」
たぶんカビが生えてるのは一部の人間だけだ。発酵してるのも。
でなければそこらじゅうでネズミが大繁殖じゃないかしら。
だがそんな下らない事を言う気も無く、私は黙って椅子に座っていた。
もう妖精達は私の事は眼中に無い様子でわいわいと話し合っている。
「ところでクラゲにはカビは生えてたの?」
「クラゲは溶けちゃったわ」
「カビが生えたのは猫の方よ」
「猫ってチーズになるの?」
その様子を私は微笑みながら眺めていた。
ああ──頭が痛い。
カ……
◇
カリ────
また今日も石を削る。
だが、そのペースは以前とは比較にならないほど遅い。
ほんのヒトカケラを削っては手を止める。
ふと気が付けば、陽はとうに落ち、部屋の中は暗闇と言ってもいいほどの暗さであった。
ランプを点けようとして……やめる。
カリ────
闇の中で、またヒトカケラ削る。
自分が暗闇に紛れてしまうかのように、おぼろげに思える。
自己とは何か。その明確な答えは無い。
だから『自己』を決めるために、『自己以外』を定める。
周りにあるのは? 空気。
身を包むのは? 皮膚。
皮膚の下にあるのは? 肉。
そう、この石から人形を削りだすように、 文字通り
カリ────
しかし、その試みは成功しない。
タマネギの様に、剥いても剥いてもたどり着かない。
血管、骨、内臓、心臓、神経、脳、細胞。
何処まで行っても身体の中に『自己』は見つけられず。
精神、幽霊、魂。
そんな曖昧なモノに帰着してもなお、結局答えは分からない。
ガッ────
「──ッ!」
指先に痛みが走る。
現実に、我が身を削ってしまった。
暗くてよくは見えないが、傷は浅い様だ。それほど力を入れて削っていたわけでもない。すぐに塞がるだろうし、魔法で治すまでもないだろう。
この身を削っても赤い血しか出てこないが、魂までも削りきったとき、いったい何が残るのだろう?
やはり灯りを点けるべきか。
月明かりも無いこの暗さでは、どこまでが我が身でどこまでが石かも曖昧だ。
ランプに火を灯してから、再び机に向かう。
道具を手にして石に添え……。
────
そこで手が止まった。
私は一体、何を削りだそうとしていたのだろう?
人形には違いない。
だが、
灯りに照らされたソレは、ただ冷たい表面を晒すだけで──何も……イメージすらも、映しはしなかった。
◇
本日、ドアベルを鳴らしたのは再び魔理沙。
「よう」
「久しぶり……でもないわね。最近色々来るから感覚が狂っちゃうわ」
「で、何しに来たの?」
「例のアレを見にきたんだ」
「ふうん。今回は打って変わって単刀直入じゃない」
「最近ココに来る者は皆同じだからな。私も倣ってみた」
魔理沙は私が「上がって」と言う前にずかずかと上がりこんでくる。
別に魔理沙に限ったことではないが、身の回りに礼儀をまきわえない奴らばかりなのはいかがなものか。
人妖まとめて、寺子屋あたりで一度マナー講習でも受けてもらいたいものだ。
テーブルの上には、石が置かれている。
わざわざ棚に置いても出すのが面倒だから、最近は出しっぱなしだ。
私が後を追って部屋に戻れば、魔理沙はどっかと椅子に座ってくつろいでいた。
「まあ、コレが無ければココに来るのは私ぐらいなもんだが」
「魔法使いのテリトリー内でくつろげるのなんてあんたぐらいのものよ」
部屋の中には数多の人形が並んでいる。
一体だけ見れば可愛らしいが、それらが無数の視線を投げかけているのだから普通の人なら不気味に思うだろう。
その安心は自信から来るのか信頼から来るのか。後者であってもらいたいものだ。
だって、もし前者なら今一度力関係を叩き込まないといけないもの。
「良かったじゃないか。来客が増えて」
「良かったかどうかは怪しいところだけどね。忙しないったらありゃしない」
「へえ?」
そこで魔理沙の返事がにわかに疑問形になる。
「じゃあ何で見せびらかしたんだ?」
「それは……」
そこで答えに窮した。
普通、魔法使いは自分が手に入れたものを見せびらかしたりはしない。手の内を曝け出して、見栄を張るような事をしても仕方が無い。
それなのに、何故見せたのだろうか?
別に集客目的ではない。それほど人恋しくは無いと思っている。
ただ、コレを見た、他の人の反応を……答えを知りたかった。
────それこそ何のために?
「前より大分小さくなってるな。しかしこいつは何時見ても……」
だが魔理沙は私の返事を待たずして、石を見つめている。
まあ、その方がありがたい。
私とて、返事は出来そうに無いから。
キッチンに引っ込み、お茶の準備を始める。
「ん? アリスは見ないのか? さっきから目を逸らしてばかりだが」
「私は毎日見てるからいいわよ」
顔を上げずに答える。
声はいつも通り。
だがカップを置く手は震え、ソーサーがカタカタと耳障りな音を立てる。
頭蓋骨、皺だらけのクラゲ、水で膨れ上がった子猫。
そんなモノがさっきから頭の中でちらつき、魔理沙の顔と重なる。
石を見ればその恐怖に取り込まれそうで──。
「そういや訊いてなかったが……コレ、アリスにはどう見えるんだ?」
「私? 私には──人形よ」
「はっ、アリスらしいな」
私らしい、か。ああ確かに人形といえば私らしいだろう。
だがその言葉には力が無い。
私自身がそのイメージを見失っているのだから。
様々なイメージが浮かんでは消え、集中を妨げる。
果たして、その人形はいかなモノだったか? そもそも人形であったのか?
記憶を辿っても曖昧で、自分の思考すら信じられなくなる。
「ん? なんだこれ」
「どれ?」
その言葉に反射的に顔を上げ、石を見る。
しまった、と思ってももう遅い。
硬く白い表面が私の目を刺し、視線を縫いとめる。
ああ、やっぱり、なんと冷たいのだろう。
だが見つめたその白の中に別の色が見えた。
赤──指を切った時の血が付いたか。
まるで切り傷のように細く、赤い線が残っていた。
「おお、こすったら取れちまったな」
ボロボロと瘡蓋が剥げるように落ちていく赤。
白い岩肌につけられた傷。
コレはまるで────。
そこで頭のどこかがカチリとつながる。
「く、ふふ。あはは」
「なんだ急に笑い出して。気持ち悪いな」
「さっきのは間違いね。人形じゃなかった……いえやっぱり人形だわ」
「はあ?」
人形だ、なんて馬鹿らしい。ただのヒトガタ。
何のことは無い、これは、私だ。
いしのなかにいるのは、私。
◇
「じゃあ、コレ借りるぜ」
「は?」
お茶を飲み終わった魔理沙が、石を片手に立ち上がる。
突然に言うものだから、私はカップを片手に金縛りにでもあったかの様に椅子から動けなかった。
背中を向けて部屋から出て行く魔理沙を見てから、慌てて追いかける。
そのまま玄関を出て、魔理沙が箒に跨った所で呼び止めた。
「ちょっとちょっと、何ナチュラルに盗って行こうとしてんのよ」
「少しばかり借りるだけだぜ。アリスも来いよ」
「んな……せめてお茶を嗜む時間ぐらい待ちなさい」
まだテーブルには飲みかけのカップが残っている。
ゆっくりとした午後ティーの時間が急転直下の慌しさ。
だが魔理沙に待つ様子は無い。
「私は十分に嗜んだから構わないぜ」
「私が構うのよ」
「ちょっとの茶ぐらいケチケチすんなよ」
「そういう事じゃなくて……!」
「私に急かされて飲んでも美味くないだろ? じゃあ行くぜ」
そう言って私の腕を掴み、箒が宙に浮く。
引っ張られるようにして私も飛ばざるを得ない。
確かに魔理沙の言うことも一理あるのだが……魔理沙が急かさなければいいんじゃないかしら。
しかしそうこうしている内に、もう私の家はずいぶん遠くになっている。
「ああもう。分かったわよ。分かったから引っ張らないで」
人形を一体呼び寄せて、魔法で家に鍵を掛ける。
自力で魔理沙のスピードに合わせて飛ぶのも馬鹿らしいので、箒の後ろに座ることにした。
急に連れ出したのだからコレくらいの労力はまかなってもらおう。
「おおう?」
「ちょ……バランス崩さないでよ」
「いやおも……」
「え? なんだって?」
「……思い遣りをもって連れさせていただきます」
言葉の圧力は偉大だ。
まあ重いなんていわれた日にはバランスどころか色々な物が崩れて、泣き崩れるかもしれない。
「でも、できればもうちょっと寄ってもらえると助かるんだが」
「ああ、重心が悪いのね。これでいい?」
「ひゃわ!? 近……あ、いや、いいぜ」
「……?」
言われたとおり寄ってあげたのだが、何かまずかったのだろうか?
安定は良くなったが、心なしか軌道がふらついている気がしないでもない。
「そういえば何処に行くのかしら」
「それはいつも通り──あ、そうだ。あそこに寄ってくか」
箒が降下を始める。その先には一軒の家。
寄ってく、と言ったから目的地では無さそうだけど……。
降りてみれば『香霖堂』の看板が大きく掲げられていた。
魔理沙の後を追って店に入る。
「よう、香霖」
「なんだ、魔理沙か」
「なんだとはなんだ。そんなだから平日の神社より閑散としてるんだ」
「客ならちゃんと対応するさ。ああ、そちらのお嬢さんにはいらっしゃい」
「私は魔理沙に付いてきただけよ」
ふぅ、と溜息をつく店主。
今の瞬間、私は客ではなくなったのか。現金なものだ。
「で、何の用だい?」
店主は気の無さそうな様子で魔理沙に尋ねる。
その店主の目の前のカウンターに、魔理沙が懐から石を取り出して置いた。
「コレを見てもらおうと思ってな。千客万来、招き猫よりもあらたかだぜ」
「へえ。いつものツケの代わりにくれるのかね」
「それ私のなんだけど」
「安心しろ、やらんし売らん。単に興味本位だ。香霖は色々鑑定できるじゃないか」
「鑑定料は買値と同額だがね」
「……ボッタクル商店?」
やれやれ、と言いながら石を持ち上げてしげしげと眺め、ルーペで見つめる店主。
私は黙ってその様子を見ていた。
やはり回答が気になるのは何故だろう。それほどまでに
しばらくして彼は石をカウンター置き戻し、ずい、と魔理沙に返す。
「これはもし貰っても値が付けられないね」
「あん?」
「特に貴金属や宝石も含まれてないみたいだし、モアイとか埴輪みたいに宗教的、歴史的価値も無い」
「──だから?」
「つまるところ、ガラクタだよ」
ガラクタ? 価値が無い、だって?
その言葉に少なからずショックを受ける。
落胆──。
私の心が、言葉にならない声を上げる。
(ソレはガラクタなんかじゃ────)
「ソレはガラクタじゃないぜ。むしろその辺にある物の方がガラクタじゃないか」
むっ、と不満げに反論する魔理沙。
その様子に店主は嘆息を返して語りだす。
「魔理沙は僕の事を鑑定士か骨董屋と勘違いしてるんじゃないかい」
「むしろ物置だぜ」
「せめて店ぐらいには思ってもらいたいものだが……僕は道具屋だからね。あくまで道具にしか興味が無いさ。まあもっとも──」
彼はその石を指差して続ける。
「──君達がその石を、道具、と主張するなら話は別だが」
そこで言葉を切る。
私達以外に誰も居ない店内に、俄かに静寂が訪れた。
「いや……悪かったな。確かにこいつは道具じゃない」
道具じゃない。ああなるほど道具ではない。
まだ道具ではないし、これからも道具ではないだろう。
魔理沙が石を懐に仕舞う。
「道具の名称と用途が解るといっても何のことは無い、その道具を作った者の意思が分かるだけだよ。作った者がこうあるべきと考えた用途。それだけさ」
そう言ってしゃがんで机の下に消える店主。
ごそごそとカウンターの後ろから何かを取り出す。
なかなかに重量があるのか、両手で抱えてそれを持ち上げた。
「ほら、こいつは石臼だ。用途は粉を挽く。石製だがれっきとした道具だね。でもその石にはそういった特別な志向が込められていない。だったら道具としてはガラクタだろう」
ごとりと机に臼を置いて語りだす。
だがせっかく出したのにもかかわらず、魔理沙はもう既に机のそばを離れていた。
店主は見えていないのかあえて無視しているのか、はたまた私に語りかけているのか、話を止めようとしない。
「もっとも何処から道具で何処まで道具じゃないかは判別が難しいところだけどね。例えばこの石臼の上部だけ取り去って、それが道具かと言われると甚だ怪しいが、道具の部品としての意は込められているからギリギリ道具と言えなくも無い。また例えば漬物石とかは桶の上にあるうちは漬物石と言う道具だろうが道端に置いてあればどうだか……」
滔々としゃべり続ける店主はほっといて魔理沙を探すと、店の奥で商品を物色していた。
まあ頻繁に取っていればめぼしい物は店頭からは消えるだろう。
棚を掘り出している魔理沙の背中に声をかける。
「魔理沙、どこかに行くんじゃなかったの?」
「おおそうだった。香霖、邪魔したな」
「……次は珍しい道具でも持ってきてくれると嬉しいね」
石臼をまた仕舞い直している店主を背に、魔理沙はひらひらと手を振って店を後にする。
「ふむ──ガラクタと断じるのは、早かったかな?」
そんな声が聞こえた気がしたが、無視して私も店を出た。
◇
辿り着いたのは、予想通りの博麗神社。
庭先には霊夢といつぞやの鬼が居た。
「やあ萃香じゃないか、珍しい」
「そっちこそ珍しいの連れてるじゃないか」
「何しに来たのよ」
「いや、コイツをな」
再び懐から石を取り出す魔理沙。
その石に萃香が反応する。
「なんだいソレ」
「ちょっと、壊さないでよ?」
「鬼ときたら岩をぶっ壊してるかブン投げてるかのイメージだからなあ」
「ハッ、随分と大雑把なイメージだねえ」
でも前に戦った時も岩を投げまくっていたから、間違いではないと思う。
強い者を見ると闘いたくなるのが鬼。力試しと称しては年がら年中闘っているバトルジャンキーである。
そんな鬼が投げ壊した岩は数知れず、もしかするとそれで環境破壊が深刻化して追い出されたんじゃないかしら。
「コイツ、壊すのは得意だし壊したのを集めるのも得意だけど、直しゃしないのよねぇ。欠片ばっかり集めたところでゴミにしかならないのに」
霊夢が湯呑みを傾けつつこぼす。当の萃香はまったく聞いていない様子だったが。
そもそも鬼に修繕なんて細かい事を言うのが間違いだろう。
障子とか張らせたら片っ端から破りそうな奴だ。
家とかでかい物は丸ごと建て直しだし。
「コイツは雲だね。疎にして密、密にして疎。形あれど身は無い。そこの人形遣いは相変わらず孤独なのかい」
「宴会をこっそり眺めるような孤独な鬼に言われたくは無いわね」
「同感だぜ」
「それで、コレをどうするって?」
萃香から石を取り返し、魔理沙が片手で挙げる。
「コイツを肴に宴会と思ってな」
「聞いてないわよ。随分急ね」
「さっき思いついたからな。そろそろ花見も最後だろうし」
「花見ってあんた、もうだいぶ葉桜よ?」
「だから花だけじゃ物足りんだろう」
「人集まるのかしら……」
「来たくなったら勝手に萃まるだろうさ」
そう言って魔理沙は萃香をちらりと見た。
◇
「花見に月見、合わせて六文……。杯に映る花と月とは風流ね」
杯を傾けながら幽香が言う。
そこに萃香が口を挟みに千鳥足で向かっていった。
「なんだ、花札か? でも今日は月なんて無いよ」
「大雑把な鬼にゃ見えないかしら? そこに白い月があるじゃない」
「ありゃ業雲じゃないか。花に囲まれて花粉症にでもなったかい」
出会ってしまったファイター同士。闘う場所は問題ではない。
血の滾る鬼と最終鬼畜妖怪が睨みあい、バチバチと境内の一角で──花札が始まる。
神社を壊すなと霊夢に殴られた様だ。
「はい五光に猪鹿蝶に月見酒花見酒……」
「勝手に札を取るなー!」
「あら、取りたかったら力ずくでしょ」
「おーし、上等だァ! 萃まれ札ッ!」
「暴れんなっつってんでしょうが!」
「ククク……たしか昔にあんな大きい目玉の怪物が居たな。雑魚だったが」
「ビホルダーですか? でもアレはむしろ目玉焼きですわ」
「ククク。私のカリスマの前には目玉も目玉焼きも変わらないよ」
「じゃあレミィには目玉焼きの代わりに目玉でいいのね」
パチュリーが開いた本から目玉が現れ、焼き焼き焼き焼き! と言いながら焼かれて落ちる。
それがさっと皿に載り、レミリアに差し出された。
「はい。明日の朝からコレ」
「…………」
「食べてもいいのよ」
「──く、ククク、焼き目玉はレベルが高いな。我が力をもってしても……」
「生のほうが良かった?」
「ククク咲夜ぁ」
「私は遠慮しますわ」
「こりゃいい蛙だねぇ、諏訪子」
「ああ、白蛙は雨の神ってよく像に……」
「いや、膨らんだ蛙。ほら、尻からストロー突っ込んで息を──」
だがその言葉は『メメタァ』という音にかき消された。
早苗の肩から跳んだ諏訪子の拳が、神奈子の顔に3センチほどめり込む。
さらに早苗の拳も腹に突き刺さっていた。見事なコンビネーション。
さすが現人神! 私達に出来ない事を……いや、そうでもない。
「酒がマズくなる様な事を言うんじゃない!」
「なんで早苗まで……早苗だってやっただろう?」
「誰もやりませんよ、そんなグロい事」
「そんな! まさか、ゆとり教育では教えていないのか!?」
「どこの世界に教える学校があるかバカー!」
「闇に浮かぶ淡い光、まるで蛍の輝きだね」
「そう? むしろシロアリの群れじゃない?」
「……途端にテンションが下がったよ、みすちー」
「分かってないなあリグルは。あの巫女にとっては弾幕の強い蛍や毒を持った蜂なんかより、シロアリが脅威でしょ」
「確かにそうかもしれないけど、すっごく地味じゃん……」
「セントエルモの火……月からの使者を思い出すわね」
「ええ姫様。空を埋め尽くすほどの無人機の降下……」
「月の迎えってそんなに激烈だったんですか?」
「そうよ。でも永琳は機銃とミサイルの嵐の中、ただ一機の一腕の天使を駆って……素晴らしかったわ」
「月に栄光あれ、地球に慈悲あれ……ってね。だからアレも姫様も慈悲に溢れてるでしょう」
「へぇ~……?」
輝夜を見ながら首を傾げる兎。姫様と慈悲が頭の中で結びつかないようだ。
それを見て永琳が袖から注射器を滑らせて握り、流れるような動きで鈴仙の背後を取る。
首筋に針を当てるその手腕は暗殺者にでもなれそうだ。
「どうやら頭に病魔が……慈悲で治してあげるわ」
「し、師匠~?」
「妖夢~。あんな所に半霊を忘れてるわよ~」
「アレは半霊ではありませんよ。ほら」
「あら、じゃあ二つ目の半霊? 妖夢が三人に増えたら便利ねぇ。家事用、観賞用、保存用」
「保存用って何ですか……」
がっくりと肩を落として石を見る妖夢。
「あんな雪の中駆けずり回って春を集めたのに、春になったのは幽々子様の頭だけ……」
「独りごと言ってないで、家事用の妖夢はお菓子持ってきなさい。観賞用の妖夢はこっちに……」
「みょんっ!?」
◇
「おおっと」
縁側に座って酒を嗜んでいた所に、魔理沙が上空からやって来て箒から降り、私の肩に寄りかかる。
「いしのなかにいる! ってな」
「なにそれ?」
「どこかの冒険者の最期の言葉らしいぜ」
もう春も大分過ぎたとはいえ、まだ夜は少々肌寒い。
酒で温まった魔理沙はちょうどいい暖房かしら。
「最期?」
「この言葉を残して消えちまったそうだ。死体も残さずにな」
消えた? 神隠しだろうか?
妖怪の跋扈する此処では突如消えても少し珍しいぐらいだが……。
「遺言にしては変わってるわね」
「だからこそ現在に至るまで学者達の論争の的だ」
いし、とは一体何を指しているのか? 中に居るのは彼だったのか、別の何かだったのか?
しばらく考え、口を開く。
「この世に何らかの大きな意思があって、その中に居るってのを叫んだのかも」
「へえ?」
「人々は世界を取り巻く意思に抗って、自らの意思を築く。でもそれは目を瞑って戦う様なもので、目を開けないと相手は見えない。だから抗うのを止めたとき、その大きな意思を垣間見て」
「そして取り込まれて消えた、と」
少し離れて宴会の喧騒が聞こえる。
魔理沙と並んでその光景を静かに眺める。
なんという光景だろう。
誰も彼もあの石を見ながら、誰も彼もあの石を見ていない。
皆、自分勝手なモノを見出して会話という独り言を語る。
目を瞑って彷徨う、コレが、世の中。
そしてその中心にあるのは……。
「私の解釈はちょっと違うな」
「違う?」
「自分が居るのは何か他の意思の中じゃない、自分自身の意思の中に居るって事じゃないか?」
なるほど、自律か。
タマネギの芯を決めるのは中の空洞ではない。周りの皮だ。
「自分が見るもの、聞くものは全部、自分の意思。自分の行動も自分の意思。だからこそ皆、アレに目を瞠る」
目を瞑っているのではない。括目しているからこそ石を見ない。
自分勝手なものを見出すのではなく、自分自身を見出す。
石の中に何が居るのか。それは自分の意思の中に居る物という事である。
「まあどっちにしろ、私達にその言葉の真意は分からないわね。こうして勝手に解釈をするだけ」
「そうだな。答えはあの石と同じ、いしの中だ」
そう、勝手に解釈するだけだ。
誰も彼もが、すれ違う。
ああやって多くの人に石を見せて回っても、何一つ触れ合うことも無い。
目を瞑っていても、開いていても、変わらない。
「でもあの石、細くなったせいかアリスみたいだよな」
「! そ、そうね……」
一瞬だけ視線が合う。
私みたい、か。こんな奴と同調するのは癪だが、なぜか笑みが零れる。
いつもすれ違っているからこそ一瞬の邂逅が、触れ合わないからこそ僅かな視線の交換が……身に沁みるのだろうか?
それからずっと、境内の真ん中で闇に浮かぶ、白い石を見続けていた。
◇
一晩明けた神社の縁側で。
気が付いたら日が昇っていた。
すぐ隣から声がかかる。
「よぉ、お目覚めか?」
「ん……」
座ったままの格好で寝てしまったらしい。私の身体が魔理沙に寄りかかっていた。
「あ……ごめん、肩」
「んあ? 別に構わないぜ」
重くは無い……筈だが、数時間も体重を支えるのは大変だっただろう。
魔理沙はまだ酒が抜けていないのか顔が赤い。
ンッっと伸びをするとすぐ背後から霊夢の声がした。
「おはよう。もう皆帰っちゃったわよ」
「ごめんね。片付けは手伝うわ」
「そうしてくれると助かる……はい、お茶」
霊夢から熱い緑茶を受け取る。
普段は紅茶だが、たまには良いものだ。
「おい、私には無いのか?」
「片付けてくれるんならあげるわ」
「安い手間賃だな」
「じゃあ要らないわね」
「ああ分かった、分かったよ」
三人で並んでお茶を啜る。
朝日が眩しい。
と、その光が唐突に開いた闇に遮られた。
「おはよう、紫。遅かったわね」
「酷いわ霊夢~。宴会やるんなら呼んでくれたっていいじゃない」
「何処にいるかも分からないのに呼べるわけ無いでしょ」
「右手を振り上げれば何時だって来るのに~。助けて☆ゆかりんって」
「鳥肌立つから止めて」
スキマから両手をだらりと下げて紫が呻く。
目をしばたいているから、どうせ今の今まで寝てたのだろう。
その目が魔理沙の持っているモノに気が付いて、視線を止めた。
「なにそれ?」
「いしね」
「いしよ」
「いしだぜ」
「ふーん」
数秒ほど見つめていたが、すぐに興味を失ったのか視線を外して霊夢のほうに寄って行った。
紫から逃げるように神社の奥に戻る霊夢。
それを追いかけて紫も奥に消える。
「嬉しそうな霊夢はほっといて、だ。コイツどうする?」
魔理沙が石を掲げる。
どうするも何も私のものなのだが……朝日に白い岩肌を晒す石からは、やはり特定の人形はイメージできない。
上海? 蓬莱? また別の新しい人形? 私自身?
どれでも有る様に思えてどれでも無い。
だがもう見世物にすることは無いだろう。
「人形にする気は失せちゃったし……流れ星にでもする?」
「それもいいな。だがまあ私も願い事は間に合ってるんでな……」
そう言ってただ一体だけ連れてきた人形に近付き、ごそごそと何かをする。
「こういうのはどうだ?」
私に向き直り、カードを一枚差し出す魔理沙。
人形から抜き取ったらしい。これもスリと言えるかしら?
「いいわね」
魔理沙からカードと石を受け取り、頷く。
縁側から降り立ってカードと石を掲げ────投げた。
リターンイナニメトネス
「無 意 思 に 還 れッ!」
石が砕け散り爆風に吹き上げられて破片が舞う。
同時に余波で残った桜の花が散り、二つが混じって白い吹雪を織り成した。
朝日に破片と花びらに付いた水滴が煌く。
「何よ今の大きな音は……って桜全部散っちゃってるじゃない」
「散る桜、残る桜も、散る桜ってな。もう見納めはしたんだ。いいじゃないか」
「花びらの掃除が面倒なんだから。あんたその自慢の箒でやっといてね」
「これは掃除用じゃないぜ」
「箒は掃除用具でしょうが。掃除用じゃない箒は箒じゃないわ」
ひとしきり文句を言ってからまた引っ込む霊夢。
どちらにせよ宴会跡と一緒に掃除することになるだろう。
やがて
残る桜も散る桜だ。身を削りきった後に残る物も、また削られるもの。
そうして削った物が、舞い散って煌いた破片のように輝くのだろう。
そこに自己は残らないが……散った破片が輪郭を語る。自己とはそんなものだ。
「さて、掃除しましょうか」
「まあ待てよ、せめて緑茶を嗜む時間ぐらい……」
「私は十分嗜んだわよ。じゃ、この箒借りるわね」
「あああ、だからそれは掃除用じゃ無いって……くそっ」
帽子を引っ掴んで、
頭上の空はよく晴れて、雲の間に残った花びらが一つ──いや、二つ舞っていた。
静かな雰囲気もあるけど、会話の内容に賑やかさや恐ろしさもあったり、
アリスと石を中心として進む話など面白かったですよ。
「いしのなかにいる」という言葉を彼女たちなりに解釈したり、最後には石を砕いて
桜ととも「白い吹雪」になったという光景も良かったです。
石は異史
本当の歴史も偽りも見て来てるんだと思うぜ
ただやけに心に残るというか、印象深かったというか…なのでもう一回読み直してくるのぜ
ガリッという擬音が怖かったです。
読み進めていくにつれて物語の雰囲気が変わっていくので、場面展開の度に引き込まれました。深夜の映画を観ているようななんともいえない不思議な感覚になりました。
携帯からのためルビが見れてないので、あとで読み直してみます。
でも妖精ならこういうこと言うかも・・・
この煙に巻かれた感じが不思議と心地好いです。