青い空! 白い雲! 青い海! 白い飛沫! 照りつける太陽!
ここは常夏の楽園! あるいは地獄の極地!
遭難者六名! 全員人間!?
○ ○ ○ ○ ○ ○
ある朝、目が覚めたら砂浜だった。
陽射しは高く眩しく力強く、風は湿気を強く孕み潮の香りを載せている。
ああ、海だ。
しかも日本の海ではない、はるか南国、常夏の海だ。
幻想郷に海が無いのは今や常識。
おかしいなと立ち上がった東風谷早苗、見渡せば海は青というより碧。
砂浜も真っ白。日本の砂浜は本土の砂が集まったものであり、色は薄茶色といった所だ。
だがこの白さは死んだサンゴ礁の破片などが集まったものに違いない。明らかに日本ではなかった。
まあそれはそれとして、ああ、なんと見事な絶景かな。
今すぐ全裸になって飛び込みたい衝動がふつふつと湧き上がってくる。
「お、一人発見」
聞き慣れぬ声がして、砂浜に座り込んだままの姿勢で後ろを振り返った。
そこには紅白衣装がいた。まるで博麗霊夢だ。
「誰お前、霊夢のパクリキャラ?」
だがしかし、パクリ扱いされたのは早苗の方だった。
紅白衣装の少女の視線は、早苗の腋に向けられている。腋巫女服のせいなのは明らかである。
「うう、初対面の人にまでパクリキャラ扱いされた……」
がっくりとうなだれる早苗に、彼女は呆れたように言う。
「いやー、だって巫女だべ? 巫女っつったら博麗神社だろう」
「妖怪の山にもありますよ!」
早苗は頬を紅潮させ、プンスカプンと怒った。
「なんだ、巫女じゃなくて妖怪か」
「人間です!」
トドメの一言で早苗は噴火した。
これが。
この無人島で遭難した六人の中で、もっとも縁の薄い者同士の出会いだった。
「妹紅ー、他に誰か見つかった?」
「お、早苗じゃねーか。なんか人間ばっかりだな」
浜辺から少し島の奥はもう密林で、バナナをかじりながら二人の少女が姿を現した。
楽園の素敵な巫女、博麗霊夢。
普通の魔法使い、霧雨魔理沙。
「相変わらず妙な巫女服を着てるわね」
「それをあなたが言いますか!?」
早苗の怒声が響く中、妹紅は気安く魔理沙からバナナを分けてもらい、楽しそうに皮を剥いていた。
幻想郷じゃバナナなんてフルーツは食べられないものね!
○ ○ ○ ○ ○ ○
砂浜は陽射しを存分に浴びて熱く、足は沈んで歩を進めるのに力を使い、早苗は軽く息を切らしていた。
霊夢、魔理沙、そして妹紅は現代っ子な早苗と違い、ギラつく陽射しに汗は流しても息は乱さない。
「あの、これ何事ですか?」
「気づいたらみんなここにいたのよ。なぜか霊夢以外空飛べない」
「はぁ……」
バナナの皮を密林の中に放り捨てて、早苗は太陽を見上げた。
高い。幻想郷で見るよりも高い位置で輝いている。
「えーっと、私達の他には?」
「あっちで咲夜と妖夢が魚をさばいてるわ。妖夢と妹紅は怪しいけど、基本、人間ばっかりね」
スルーされる現人神。
「海の魚かー。幻想郷じゃ食えないものなぁ」
心底楽しみそうに言う魔理沙の肩を、ぐいと掴んで引き寄せる早苗。
「ちょっと、今がどういう状況か解ってるんですか? 目覚めたら無人島でいきなり遭難してるとか! なんなんですかこれ! 幻想郷では常識に囚われてはいけないとはいえ、常識外れにも程があります!」
「落ち着け早苗、バナナやるから」
「要りません! バナナなんかいくらでも食べた事あります!」
魔理沙が差し出したバナナを叩き落とし、髪を振り乱して怒る早苗。
「なにテンパってんのよあんた」
呆れた調子の霊夢。危機感など塵ほども抱いていないようで、バナナの皮を密林に放り捨てた。
「早苗はまだまだ未熟者って事だぜ。精神鍛錬が足りないな」
「そんなだからいつまで経っても2Pカラーとか言われるのよ、あなたは」
マイペース極まりない魔理沙と霊夢。
ああもうこの人達イヤだ、と早苗はがっくりと肩を落として歩くのだった。
黒ずんだ岩は存分に直射日光を浴びて肉が焼けるほど熱く、すでに捌かれた魚肉がうまそうな匂いと煙を立てていた。
「刺身にしようかとも考えたのだけれど、得体の知れない魚だし」
「焼いておけば概ね安全と思いまして。石がチンチコチンで助かりました」
ナイフと刀で魚を捌いていた咲夜と妖夢が気安い様子で焼きたての魚を食べさせてくれた。
調味料は特に無い、捌いて焼いただけの簡素なものだが、物珍しさのためかおいしく思えた。
砂浜から少し内陸に入った密林の、鬱蒼と茂る樹木の陰で涼みながらののん気な昼食。
デザートは霊夢と魔理沙が調達したバナナである。
これに妹紅を加えた五人は、早苗よりも早く目覚めて合流して、それぞれ好き勝手に食料の調達、人の捜索、現状把握に努めていたのだ。
で、妹紅が早苗を見つけて今に至る。
「それで、ここはどこなんですか?」
早苗の問いに、魔理沙が魚の目玉をほじくりながら答える。
「んー、南国の無人島っぽい。少なくとも幻想郷じゃないな。そこまで広くない。周囲に島はなくて、崖の上から見渡したけど、一面海で絶景だった」
のん気ねぇ、なんて言いながら一番のん気な表情の霊夢が、巨大な葉っぱを布団代わりにして寝転がる。その隣に魔理沙も転がった。
「ところで早苗はなにか心当たりは無いんですか?」
根っこのくぼみに腰をおろしていた妖夢が問いかけてきた。
「それはつまり、なぜ私達がここにいるか、という事ですか?」
「ええ。普通に日常生活を送っていたと思ったら、いきなり無人島ですから」
「無人島に来る前の記憶は、みんなどうなってるんですか? 境内の掃除をしていた記憶はあるんですが、その後、プッツリ……」
「私は庭の手入れを……咲夜は紅魔館で仕事中。霊夢は縁側で昼寝。魔理沙はキノコ狩り。えーっと、そういえば妹紅はどうしてたんでしたっけ?」
「恥ずかしながら、輝夜との弾幕ごっこに負けてボロ雑巾になってた。どのタイミングでリザレクったのかも覚えてないわ。しかしアレね、作為的なものをひしひしと感じる。状況が不自然すぎるもの」
「同感です」
うんうんとうなずく妖夢を見て、早苗はようやくまともな展開になってきたと胸を撫で下ろした。
「もうお昼なのに、幽々子様のお昼ご飯、どうしよう……」
「って、真っ先に心配する事がそれ!?」
ツッコミを入れる早苗に「お前はなにを言ってるんだ」と言わんばかりの冷たい視線が、その場にいた五人からいっせいに向けられた。
幽々子のお昼ご飯だぞお昼ご飯、心配して当然だろう。
妖夢にとってそれ以上ヤバい事がなにかあるのか? いや、無い。
「で、空を飛べないのよね」
うんざりした調子で妹紅が漏らした。
「霊夢以外はね」
答えたのは咲夜だった。
手の中でクルクルとナイフを回転させて遊んでいるが、忌々しげな表情で概ね察する早苗。
「え、もしかして能力も使えないんですか?」
「ええ。霊夢以外はね」
霊夢だけは能力が使える? なぜ?
早苗が首を傾げていると、ふと思いついたように妹紅が咲夜のナイフに手を伸ばした。
「それ貸して」
ナイフを放り投げられ、指で挟んで刃先をキャッチした妹紅は、右手にナイフを持ち替えると左手首をスパッと切り裂いた。
鮮血が散る様を、魔理沙と咲夜と妖夢が冷めた目つきで見ていた。が、早苗は蒼白になる。
「な、なな、なにしてるんですか! あき、あきらめるのはまだ早いです! いいですか、一寸の虫にも五分の魂があると言うように、人間サイズならそりゃもう大きな魂があるのにそれを自ら棄て去るなどああなんと愚かな――」
「なにが私達を封じているのかは解らないけど」
早苗を無視して、妹紅はナイフを投げ返すと、血で濡れた左手首を右手の親指で拭った。
そこにはもう、傷跡は無い。
「私の体質を封じられるほど強力なものじゃないみたいだな」
「え? え、傷が……あれ?」
妹紅の不死を知らない早苗は不思議そうにしていたが、他の面子はこの事実から新たな手がかりを掴んでいた。
霊夢の宙に浮く程度の能力。
蓬莱の薬。
さすがにこの二つは、魔法や妖術、奇跡などといった能力と同列に封印する事はできないらしい。
まあ、この二つをどうにかできる奴なんて幻想郷中を探しても見つかるまい。
という事は、ここに彼女達を閉じ込めた何者かはその程度の存在。
なんてことはない、これは幻想郷レベルで住む程度の異変なのだ。
「幻想郷滅んでなきゃいいけど」
「えっ」
唐突に投下された爆弾発言に、早苗が目を丸くする。
爆弾を投下したのは霊夢。
「だって、博麗の巫女の私がここにいて、博麗大結界どうなってるのかなーって。
最悪、幻想郷は滅んで幻想に属する妖怪や神様とか消滅しちゃっててもおかしくないかも」
「えっ……ええーっ!?」
という事は、という事は! 早苗は守矢神社で仲良く暮らす大好きな家族兼神様二人を思い浮かべた。
顔面蒼白になって絶望しているかたわらで、瀟洒なメイドは頬に手を当ててため息。
「やれやれ、また館ごと引っ越しかしら」
「冥界は管轄外だから問題無いです」
ついでに妖夢も問題なさそうだった。
さて魔理沙は。
「魔法がなくなるのはイヤだよなー。仕方無いからキノコ師か配管工にジョブチェンジするか」
転職を考えていた。
※キノコ師
キノコ限定の薬師。多種多様なキノコを見分け、調合する事により、前人未到の効果を生み出す。
人体を二倍ほど巨大化させたり、生命の数を増幅させたり、椎茸を松茸にしたりと、能力は様々である。
万能に近い能力は低レベルクリアなどの縛りプレイで猛威を振るい、プレイヤーに自重させるほどだ。
※配管工
キノコを主食とする職業。主な仕事は冒険、特に大魔王にさらわれたお姫様の救出が多い。
他にもカートでレースをしたり、テニスをしたり、RPGまでこなしてしまう。
あらゆる職業を極めねば転職できないとされる勇者さえも極めた先にあるという、最強最後の上級職。
「お前等、危機感ねーな」
と、危機感皆無な声色の妹紅はのん気に枝毛を探していた。
「ま、なるようになるわ」
そして一切合財を投げ捨てて昼寝を始めてしまう霊夢。
「ちょ、ちょっと皆さん!? そんなんでいいんですか!? 幻想郷の危機がその程度で!」
「早苗、うるさい」
霊夢の投げた陰陽玉をデコにヒットさせた早苗はその場に倒れて強制的に昼寝に陥った。
気絶とも言う。
「ねえ、バナナ以外に果物無いの?」
「あー、もう食べちゃった。食べたきゃ自分で取りに行って」
和気藹々な妹紅と霊夢。
こんな調子で早苗が目を覚ますまで、彼女達はこの状況を打破しようとはせず、のんびりと常夏楽園ライフをエンジョイしていたという。
○ ○ ○ ○ ○ ○
東風谷早苗は思い出していた。
幻想郷に来る以前、小説で、漫画で、アニメで、ドラマで、映画で、無人島を舞台とした物語を。
主人公達は様々な理由で無人島に流れ着き、生き残った者達は協力し合い、あるいは反発し合った。
力を合わせてイカダを作り脱出する物語。
いさかいが苛烈し次第に暴力を振るい合う物語。
未知の生物やお宝を発見する物語。
様々なものがあった。
無人島にたった一人だけ流れ着き、孤独に正気を蝕まれながら力強く生きようとする物語もあった。
だがたいていは、複数の人間が無人島に流れ着き、無人島でどう生きるかを描いた人間ドラマが多かった。
協力し合う。
いさかい合う。
そう、無人島という限られた環境で、同じ境遇の人々は接し合う。
その先にあるものが希望であれ絶望であれ――。
「な、の、に」
早苗は頭を抱えていた。
無人島の砂浜にて、さざ波に足をひたしながら、赤い空に向かって吼えた。
「なんで全員バラバラに行動してるんですかーっ!!」
霊夢、魔理沙、咲夜、妖夢、そして妹紅は、最低限の情報交換と食事を終えた後、あろう事か解散した。
それぞれ好き勝手に行動し、帰る手段は自力で見つければいいとかなんとか。
残された早苗はしばし呆然と立ち尽くし、日が暮れ始めていたため、とりあえず夕陽に向かって叫んでみた。
「違うでしょう! 無人島ですよ? 漂流物ですよ? 普段は関わりの薄い人々が集まってるんですよ!? 普通、協力し合うでしょう!? 極限状態を支え合うでしょう!? 時に喧嘩もするけれど一緒にトラブルを乗り越えて友情を深めるでしょう!? そーゆーものでしょう漂流物って! なのに、な、ん、で、みんなバラバラなんですかァー!!」
東風谷早苗、未だ常識を捨て切れない女。
「いいや違う、こういう状況だからこそ私が! この私が皆をまとめ導かなくては! そう、今こそ私は真のヒロインとなる! 力を合わせてこの無人島脱出大作戦を決行するのよ!!」
その時! 高波が早苗を襲った!
流された早苗は慌ててもがいたが、衣服を着たまま泳ぐ事には慣れておらず、さらに上下の感覚まで失ってしまったためどちらに向かえばいいかも解らない。
水を吸った衣服が重くまとわりつき、口いっぱいに潮の味が広がって、ゴボゴボと空気を吐き出してしまう。
(う、海……割れろ! 割れ……割れない!? 奇跡が……)
奇跡は起きないから奇跡だとか、奇跡は起こるから奇跡だとか、そういうのはどうでもいい。
奇跡を起こす程度の能力が封じられてるんだから奇跡は起きないのだ。
脳裏をよぎる走馬灯。
ちゃぶ台を囲んで団欒する神奈子様と諏訪子様。
ほーら早苗、今日は早苗の大好きなハンバーグだよ。
わーい、神奈子様だーい好き!
もう、早苗はいつまで経っても子供なんだから。
あはは。
うふふ。
えへへ。
「って、死んでたまるかぁー!!」
がむしゃらに動かしていた足、その爪先が砂に刺さり、早苗の生存本能をプッシュした。
直後、もう一方の足も砂に突き刺して勢いよく立ち上がる。
飛沫を散らして水中から脱した早苗は、思い切り息を吸い込もうとして咳き込んだ。
「ゲホッ、ゲェッ……ううっ……」
息を整え、見下ろしてみれば、水深は股下程度までしかなかった。
知識では知っていたが、パニックに陥るとこんなに浅くとも溺れられるのかと早苗は戦慄する。
我が身を抱きしめて、常夏の海で寒さに震える。
背筋を毛虫が這うような悪寒は、死に直面したためのものだろうか。
日が沈んでもおかしくないほど長い間、水中でもがいていたような気がしたが、西の空は赤々と燃え、時の経過を感じさせるものはひとつもなかった。
水の重みを押し分けながら浜に上がった早苗は、肢体に貼りついたびしょ濡れの衣服の冷たさから、南国であれこのまま夜を迎えては風邪を引いてしまうだろうと、どこか服を乾かせる場所はないかと見渡した。
乙女として、例え無人島といえどなにもさえぎるものの無い場所で裸体をさらしたくはない。
どうしたものか、当てもなく浜辺を歩いていると、熱帯の木々の向こうに光が見えた。
夕陽ではない。五人のうちの誰かが火を起こしているのだろうと、早苗は木々の間をくぐった。
ヤシのような広葉樹が生え並び、日中は大きな葉が陽射しをさえぎっているのだろう、地面には意外と草が少なく土が露出していた。
樹木は四階建てくらいの高さだろうか? 下からでは葉の層が邪魔でよく解らない。
濡れた靴の足音に気づいた少女は、紅白衣装だったが髪は真っ白、藤原妹紅だった。
「はしゃぎすぎだって。泳ぐなら服くらい脱ぎなよ」
「違います」
やや開けた場所に、まるで映画のワンシーンのように炎で幻想的に照らされている妹紅。
石を積んだかまどの中に枯れ木がくべられており、地面に斜めに刺された長い枝の先端でなにかが焼かれている。
「あの、どうやって火を?」
魔法や妖術の類は使えなくなっているはずなので、早苗は暖に引き寄せながら疑問に思った。
「最近の人間は、火の起こし方も知らないのか?」
たいして年齢の差を感じない少女は馬鹿にするように言ったが、早苗は自分が現代っ子である事を重々承知していたため、素直に無知を受け入れた。
「うちの神社は河童に電気ガス水道を引いてもらってるので」
「そこ座ってもやらないぞ」
火の前にしゃがんだ早苗は、ようやく枝の先に刺さっているものがなにかを理解した。
「これ、食べるんですか?」
頭からお尻までを貫かれたトカゲが香ばしい匂いを漂わせている。
お昼に食べたのが焼き魚と果物だっただけに、ギャップに軽い目まいを起こす。
「乾かすなら燃えないように注意しなよ」
枝を地面から引っこ抜いてトカゲにかじりついた妹紅は、炎に視線を留めたまま言った。
食料は分けてはくれないが暖を取らせてはくれるようなので、安堵して服に手をかける早苗だが、脱いだ服を引っかけておけるものが見つからず戸惑ってしまう。
すると妹紅は食べかけのトカゲを押しつけ、手近な樹木に歩み寄るとヒョイヒョイ登っていった。
呆然と見ていると、蔓を握って飛び降りてきて、焚き火を脇を通るようにして蔓を反対側の樹木に結びつけた。
ここに服をかけろという事か。
「あ、どうも……」
お礼を言って、早苗はトカゲを返そうとする。
だが妹紅はいちべつすらせず、またもや木に登り始めた。
なにをしているんだろう。
このトカゲはもしかして残りを食べていいよって事なのだろうか。
歯型のついたトカゲを見、早苗は腹の底から重たいものが込み上げそうになるのを感じた。
これは、食べないと失礼だろう。
ゴクリ。食欲とは違う意味で喉を鳴らす早苗。
迷っていると頭上でガサガサと葉がこすれるような音がし、見上げて、葉っぱが降ってきた。
「ひゃっ!?」
焚き火から離れた位置に落とされた葉は抱きかかえられるほど大きい。
これも燃やすのだろうかと思っていると、次々に葉っぱが引きちぎられ、落とされてきた。
葉が積み重なる様子を見て、もしや寝床ではと察っする。
南国で葉っぱの布団、冒険心が掻き立てられ、不謹慎ながらもワクワクしてしまう。
そう、今こそ早苗は主人公状態!
困っている所を妹紅に助けられる事から始まり、友情を築き、最初の仲間を得るのだ!
そして次々に早苗は仲間を増やし、最後に残るのはきっと霊夢だろう、霊夢さえも仲間にするのだ。
その際霊夢は早苗をパクリキャラではないオリジナルキャラだと認め敬い崇め……守矢神社信仰大獲得!!
「きたきたきた! 時代の風は私に向いて吹いている!」
バサリ。巨大な葉っぱが早苗の頭に落っこちてきた。意外と重量があり、よろめいて尻餅をついてしまう。
その拍子に焼きトカゲも落としてしまい、慌てて拾って土を払う。
葉は次々に落ちてきて、どうやら二人分用意してくれているらしく、土を払ったトカゲを手に「これどうしよう……」と呟いてると、早苗の眼前に妹紅が飛び降りてきた。
「なんだ、まだ食べてないのか。冷めちゃってるだろ」
「あー、うー、猫舌なもので」
「とっとと食べちゃえよ。それと、早く脱がないと風邪引くよ」
もはや逃げられる雰囲気ではない。早苗は意を決してトカゲをかじった。
不味い。なんだこれ。肉? これが肉? 酷く筋張り臭みがあって、現代っ子にはつらすぎた。
吐き気をこらえながら食べ切ると、妹紅は葉っぱの布団を二人分用意し、さらに葉っぱを蔓でくくってなにかを作っていた。
「それ、なんです?」
「乾かしてる間、素っ裸って訳にもいかないだろ」
「はぁ……」
意図が掴めず首を傾げ、直後、意図を掴んで早苗はガッツポーズ。
(こ、これはまさか! 南の島で遭難した時のお約束! 葉っぱビキニ!)
そう、葉っぱを水着のビキニのように、あるいは下着のように着用するスタイル!
正式名称を知らないため、とりあえず葉っぱビキニと呼称しつつ、早苗は浪漫が体内で渦巻くのを感じた。
これだ、これなのだ。遭難物のお約束をひとつひとつ丹念にこなす!
いずれ皆結束し、力を合わせてイカダを作って大海原にレッツ・ゴーするのだ!
「なんか知らないけど楽しそーだな」
と、葉っぱビキニを完成させた妹紅は、面倒くさそうに自分の葉っぱ布団に寝転がった。
妹紅に深々と感謝しながら、早苗は冷たく貼りついた衣服を脱いで蔓にかけ、火で乾かす。
それから葉っぱビキニをウキウキドキドキワクワク気分で装着!
使用された葉っぱは計四枚。
右胸、左胸、股間、臀部。そこのみに使用されている。
蔓をきつく絞めないとすぐ解けてしまうため、ちょっと痛い。
葉っぱが硬くて擦れて痛い。
股間を覆い隠してはいるが微妙に隙間があり、風通しもよく下着として心許無い。
派手に動けばはらりと落ちてしまいそうだし、中身が見えてしまう角度も存在するだろう。
「浪漫なんて! 浪漫なんてー!!」
全力で悔しがりながら早苗は葉っぱの布団にダイブした。
葉っぱ越しに伝わる硬い地面の冷たさが悲しい。
しかも今までの騒動で日はすっかり暮れてしまい、焚き火から離れてはろくにものが見えない。
太陽が昇るとともに起き、沈むとともに眠る。
あまりにも原始的な境遇に、早苗は幻想郷がいかに恵まれた場所だったかを思い知った。
ああ! 河童に頼んで電機を引いている我が家! 恵まれすぎにも程がある!
その後も無人島浪漫やら幻想郷と守矢神社やら色々考えてるうちに、早苗はすっかり寝入ってしまった。
寝息と、虫達のさえずり、得体の知れない鳥の鳴き声、木々の揺れる音、波の打つ音を聴き、満天の星を見上げながら妹紅は笑った。
「風の衣に天の宿……か。久方振りすぎて、泣けてくるよ。
でもまぁ、ここはあたたかいし、冬の山よりはマシだよなぁ……」
他の連中は、どうやって眠っているのだろうか。
暖かいから早苗のような濡れ鼠にでもならぬ限り着の身着のままでも問題無いだろうし、人間とはいえあの面子なら特に心配せずとも自力で生きていけるだろう。
問題は、どうやってこの島から脱するか。どうやって能力を取り戻すか。
ほぼ間違いなくいるだろう黒幕をいかにして突き止め打倒するか。
「ま、異変解決は巫女の仕事だ……霊夢に任せて、南国リゾートを楽しませてもらおうかね」
楽観視していた訳じゃない。
けれど危機感は足りなかった。
○ ○ ○ ○ ○ ○
遠くで水の落ちる音がする。
近くで荒い息遣いがする。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
暗闇の中で蠢くおぞましきものが、早苗の肌を這った。小さな針で刺されるような痛みが走る。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
なにか、が、早苗の上にのしかかっていた。
荒い息遣いが近づき、重たいまぶたに力を込めて開けようとした。
しかし、力が入らない。虚脱して全身の感覚が希薄になる。
「はぁ、はぁ、はぁ……うっ」
誰かが苦しそうにうめいて、首筋にねっとりとしたものが触れた。
ゆっくりと撫でるようにして這うそれは、まるで巨大なタコかイカのように思え、おぞましさから悲鳴を上げようとしたが――「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」――荒い息遣いが聞こえる。
あるいは。巨大な怪物に首を舐められているかのようにも感じ、早苗は助けを求めた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」助けて、助けて、助けて、助けて。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」神奈子様、諏訪子様、助けて、助けて!
「はぁ、はぁ、はぁっ……!」息遣いが乱れ、ねっとりと濡れたおぞましき軟体が首に巻きついた。
「はぁ、はぁ……アッ……!」
目が、開いた。
あれほど重たかったのに軽々と開いて、広葉樹の葉が折り重なり陽射しをさえぎっている様子が見て取れた。
わずかに射し込む木漏れ日は早苗の首元に当たっており、触れてみればぐっしょりと汗で濡れていた。
目まいによろめきながらも早苗は起き上がり、全身が汗でまみれている事に気づく。
「痛ッ……」
太ももに痛みが走り、何事かと見てみれば大きな蟻が一匹、白いももを這っていた。
噛まれてはたまらないと乱暴に払ってから立ち上がると、ハラリと衣服が落ちた。
「あっ……」
夢の中同様、全身が虚脱する。そうだ、葉っぱビキニだった。
落ちた葉っぱを拾い、丸出しになった左の乳房にかぶせて、周囲を見渡す。
うんざりするような密林。背の高い広葉樹が立ち並び、蝶とも蛾とも解らぬ虫が飛んでいる。
地面に草は少なかったが、そのためけばけばしい色合いの花が目立った。
石のかまどはそのままだったが、焚き火はとっくに消えており、干しっぱなしの装束がすっかり乾いていた。
だがこの汗まみれの肢体で着るつもりにはなれず、どこか水浴びできる場所はないかと歩き出した。
いざとなれば海で汗を洗い流す手もあるが、潮が残ってしまうので、できれば真水で洗いたい。
「……妹紅さーん、妹紅さん、どこです?」
一緒に眠っていたはずの、昨日随分とお世話になった彼女を探してみたが、見当たらない。
このあたりをある程度探索しているだろう彼女なら、川のひとつくらい見つけているだろうと期待しており、足跡でもないかなと地面を調べたりもしてみたが、どうにも手がかりは見つからない。
しばらく歩き回っていると、下半身に嫌な感覚が溜まってきた。
人間である限り避けられぬ生理現象が、近い。
そこいらの草陰で致すしかないとは承知しているが、ウォシュレットの恩恵に守られている早苗としては、葉っぱなどで拭うだけではどうにも綺麗になった気がせず、ますます水場を求めてさまよった。
しばし歩いていると水の流れる音がし、まるで天使の声のように早苗の胸に響いた。
ダッシュで川に向かい、水を使って致す事を色々とすませた早苗は、綺麗さっぱりリフレッシュした。
なにをしたかって?
そりゃ、顔を洗ったり、口をゆすいだり、汗を流したり、だよ?
※注意!
川の中で致すのは重大なマナー違反です。基本的に洗うために利用しましょう。
他に致す手段がない場合の最終手段ならばギリギリOKですが、あくまでもギリギリです。グレーゾーンです。
「ふぅ……」
事をすませた早苗は、焚き火跡に戻って着替えようと思ったが、川の中に膝上まで足をひたして流水の心地よさに浸っていると、なにかが太ももに絡みついた気がして、白いももを指先でなぞってみた。
細い感触。
なんだろうと思って指を目先に持ってくると、白く長い髪が一本、水に濡れてきらめいていた。
妹紅の髪の毛、だろうか。上流から?
葉っぱビキニの胸元を直した早苗は、身体を乾かすついでに川上へ向かった。
川原の周囲は岩場になっており、岩の上をカエルのように跳ねて進む。
身体についた水滴が散り、岩の上に痕跡を残し、次第に陽射しのおかげもあって身体も乾いてきた。
五分ほど上流を目指すと、不自然に水音が大きくなり、ついに湖を発見した。
岩に囲まれた楕円形の湖の上流は切り立った崖になっており、細い滝が湖へと流れ落ちていた。
水音の正体はこれかと納得し、早苗はちょっと大きな岩の上に立って妹紅の姿を探した。
湖は日当たりがよく、眩しいほどの太陽が水面を輝かせており、銀の絨毯が敷かれているようであった。
清らかな水のせせらぎは生命の息吹きを感じさせ、耳から他の音を忘れさせ心身ともに静寂に包まれる。
湖の左手は岩場を挟んで密林となっており、早苗達が眠ったのはそちら側だ。
広葉樹の枝の先には色鮮やかな赤い鳥が留まっており、湖を見下ろしている。
右手側はというと、やはり密林だったが土や草の割合が多いように思えた。
大きな黄色い花が毒々しく咲いており、その周囲を黒と青の透き通るような翅の蝶が舞っている。
人の手の入っていない未踏の地は、幻想郷とは違った幻想の彩りに満ち溢れて、早苗の胸を強く打った。
葉っぱビキニを脱ぎ捨てて湖に飛び込んで力いっぱい泳ぎたい衝動が湧き上がり、いざ実行しようかと子供のような笑顔を作った時、水が、跳ねた。
魚? 一瞬、早苗はそう思った。
白い魚が水面から飛び跳ねたのだと。
だが違った。
白魚はもぎ立ての果実のように瑞々しい柔肌と、絹糸のような真っ白い髪を伸ばしていた。
弓のように背を引いて立ち上がった少女は、下腹を波打つ湖にひたしており、腰のくびれや骨盤の出っ張りがかろうじて水面から上に出ている程度で、酷く危うかった。
ややふくらんだお腹はとても健康的で、雫が小さなおへそへと伝い落ちていく。
小振りな双丘は手のひらにすっぽりおさまってしまいそうな程度だが、程よくついた筋肉が魅せるボディラインと調和して、目も眩むような曲線を描いている。
鎖骨から肩へと続く流れの美しさは人体構造の神秘を感じさせ、引き締まった腕は頼もしくありながら、ギリシア彫刻のように均整が取れて美しい。
折れてしまいそうな首、尖った顎、スラリとした鼻梁に、シャープな頬のラインはどこか中性的で、赤茶色の眼差しは揺らめく炎のように光っていた。
微笑を描く唇を、舌がペロリと舐めて水滴を体内に運ぶ。
白き美に見惚れ、胸の奥が感動によってきつく握りしめられる。
肺は呼吸を忘れ、唇は言葉を忘れ、瞳は動く事を忘れ、ただじっと、彼女を見つめ続けていた。
彼女、藤原妹紅は頭を振って水を払い、首に手を回すと長い後ろ髪を引っ張って肩の上を通し、左胸にかぶさるようにして前面に持ってくると、上から下へと強く引き絞って髪が吸った水を落とした。
「ん?」
左目が、早苗の存在に気づく。
裸身を隠そうともせず妹紅は振り向いたため、早苗からは右胸の先端から水滴が落ちる様子が見えた。
この常夏の陽光ですら干渉できぬ白い肌に似合い、尖った部分の色もまた薄い。
そこまで妹紅の肢体を観察してから、慌てて早苗は視線を足元にそらした。
すると、自分の立っている岩のすぐ左下にある平べったい岩に、妹紅の衣服が綺麗にたたまれていた。
「なにしてんだ、こんなトコで」
ジャブジャブと水を掻き分ける音が近づくのに比例して、なぜ鼓動が高鳴るのか早苗には解らなかった。
「あ、み、水……を……」
「ああ、よくここが解ったな。後で教えようと思ってたんだ……さっきまで霊夢もいたぞ。一緒に川魚を取って、さっき飛んでった。そこに生け簀あるだろ、私の分」
言われて、妹紅の衣服の側に石で作られた小さな生け簀を見つけた。
中には魚が二匹、狭そうに泳いでいる。
「あの、霊夢さんも裸に?」
「服着たまま泳ぐのはお前くらいだろ」
自分でも訳の解らない質問をしてしまい、挙句昨日の失態を掘り返してしまい、早苗は赤面した。
同時に、この美しい少女とこの湖で戯れていたのかと思うと、霊夢が羨ましく思えた。
いやいや、おかしい。早苗は自分に言い聞かせる。私は至ってノーマルな性癖のはず。
でもまあ、美しいものを美しいと感じるのは、人として当たり前だからいいよね。うん。
「お前、なんで着替えてないの?」
「あ――寝汗が酷くて」
「蒸し暑いもんなぁ。服置いたまま来たのか? しばらくここにいるから、取ってこいよ」
そう言いながら妹紅は生け簀の近くの岩に登り、水を滴らせながら白桃のようなお尻をペタンと置いた。
「き、着ないんですか? 服」
「いや、濡れてるし」
片足を岩の上に放り出し、もう片方は膝を折って身体を支えさせて、両手をお尻の後ろにやって背もたれ代わりにした妹紅は、太陽に向けて胸を張った。
小さな突起が丸見えで、さらに太ももの隙間から妹紅の秘所が覗けてしまえそうで、早苗は慌てて妹紅に背を向け「着替えてきます!」と駆け出した。
しばらくして腋巫女装束に着替えた早苗が戻ってくると、妹紅は全裸のまま大の字になってまぶたを閉じていた。
ある程度時間を置いたため早苗の精神は平静に近づいており、さっきほどの動揺はせずにすんだ。
岩の上に人型の濡れ跡を作った妹紅はまだ身体が乾いておらず、戻ってきた早苗に薪を拾い集めるよう指示して、再びまぶたを閉じた。
しばらくして。身体が乾いた妹紅は手早く服を着ると、早苗の集めた薪を使って早速火を起こした。
早苗にもやり方を教えるためか、道具を作る段から始める。幸い道具はナイフがあった。
これは早苗が気絶している間に、全員咲夜から分けてもらったそうだ。それを聞いて早苗は拳を握りしめた。
さて、木の板に三角の切り込みを入れて、その先端に棒を押し当てるため、ずれないよう軽く掘る。
ヒキリ板を完成させ、同じような手際で簡単にヒキリ棒を作って、蔓を棒に巻きつける。
ヒキリ板の溝にヒキリ棒の先端を当てて蔓を動かして回転させ、摩擦で煙が出、三角の溝に燃えカスのようなものが溜まっていき、量が増えるにつれ赤く静かに燃え始める。
その火種を壊さないよう慎重に息を吹きかけて炎を大きくした。
「火なんてなくても果物かじってれば食事には困らないだろうし、無理に覚えなくてもいいよ」
そんな風に言いながら、妹紅は二匹の川魚をナイフで捌いて枝を突き刺し、焚き火で焼き始めた。
「それにしても、みんな酷いです。私だけナイフをもらえないなんて……。サバイバルでナイフ一本あるとないとじゃ大違いじゃないですか!あのメイドには人としての情というものが無いんですか!?」
「無いんじゃない。まあ、ナイフくらいやるよ」
「え」
地べたに座っていた早苗の足元にナイフが突き刺さる、妹紅が投げたのだ。
二重の意味で驚いた早苗は、ナイフを手に取りながら小声で訊ねた。
「あ、あの……いいんですか?」
「石斧作ろうと思ってたし、別にいいよ。それにまた咲夜と会ったら、物々交換でナイフ要求すればいいし」
「い、石斧……」
「根気さえあれば作れる。よさげな石ももう拾ってあるし、削って刃の形にして、適度に研いで、生木の棍棒に穴を開けて石を取りつければ完成……イカダどころか家だって造れるようになる」
「あなた、サバイバルの達人かなにかですか」
「旅暮らしが長かっただけさ。ほら、魚焼けたよ」
焼き魚を一人先に頬張り始める妹紅。唖然としながら、空腹を思い出し少し遅れて焼き魚に手を出す早苗。
なにも味つけはしていないが、新鮮な魚肉はおいしく感じられた。
魚を食べ終え、湖の水を飲んで一服してから、妹紅は岩を使って丸い石を削り始めた。
石斧造りを始めたのかな、と思っているとどこか突き放したような声で妹紅が言った。
「で、お前、この後どうするの?」
「え? みんなで力を合わせて島を脱出するつもりですけど……」
「脱出するまで、どうするの?」
「えっ……と?」
質問の意図が掴めず、早苗は居心地の悪さを感じた。
状況が悪い方に流れている気がする。
「困ってたから手を貸したけど、私はお前のお母さんじゃないんだ。この先面倒見る気は無いぞ」
「え、え?」
「服は乾いた。魚も食べた。ナイフもある。水場も知ってる。これでもう"万全"だ。後は一人でもやっていける……私の手助けは必要無い、よな?」
念を押すように妹紅は言い、早苗は黙り込んでしまった。
確かに、昨日から妹紅に頼りっぱなし。悪く言えば迷惑をかけっぱなしだ。
みんなで力を合わせ、助け合い、島を脱出する?
合わせるための力を、自分は持っているのか?
助け合うだけの力を、自分は持っているのか?
奇跡を行使できない今、早苗は悲しいほどに現代人だった。
この島での自分は役立たず。足手まとい。凡人。
だが。だがそれでも。
「こんな状況なんですよ? 一致団結して事に当たるべきじゃないですか?」
「なにに当たるんだよ。なにをするんだよ」
「た、例えば、イカダを……」
「なんの指針もなく大海原に出ても、漂流するだけだろう。自殺志願者以外参加しないと思うけど」
「こ、この島を調べたり」
「個性の強い連中ばかりだ。無理に連携するよりも、各々が思うように行動すればいいんじゃないか? だいたい異変解決は巫女の仕事だ。霊夢がなんとかするまでバカンスを楽しんでもいいくらいさ」
「そんな身勝手な……」
「勝手な連中が勝手をする、それが幻想郷だろ? 私は私の道理で勝手にするよ。けどまあ、そうだな、咲夜と妖夢となら手を組めるかもな。お前と同じ早く帰らなきゃならない理由がある」
十六夜咲夜。紅魔館のメイド。主はレミリア・スカーレット。
魂魄妖夢。白玉楼の庭師。主は西行寺幽々子。
自由気ままに無人島生活を楽しんではいられない理由を持つ二人。
主を放ってこんな所で無為な日々など送れぬというのは早苗も同じ。
「霊夢は能力が使えるし、単独で動き回ってる。魔理沙は島を探検するらしい、どこにいるかは知らない。けど咲夜と妖夢なら、この島から脱出するために行動を起こしているはずだ。二人がどんな行動を取るか、それを考えて、追いかけてみたらどうだ? 私は山の上なんかが怪しいと思う。霊夢と違って飛べないから、地形を調べるには高い所に登らなきゃな」
よし、と早苗は立ち上がった。
手助けはしないと言った妹紅だが、もう十分助けてもらったと早苗は思う。
「私も、山登りをしてみます」
「そうか、がんばれよ」
石斧造りを続けながら妹紅は言う。丁寧に真剣に石斧を削っている。
そんな背中に深々と礼をして、早苗はナイフを片手に歩き出した。
足音が遠ざかってから、妹紅は石斧を作る手を休め、早苗の立ち去った方角を見る。
当然、早苗の姿はもうどこにも見当たらなかった。
狭い島だし、遠からず再会するだろう。
どんな再会をするのかな。少しだけ、妹紅は楽しみだった。
○ ○ ○ ○ ○ ○
「霊夢の言った通りね」
落胆気味に呟いた咲夜は、無人島でもっとも高い場所、山の頭頂部から生える樹木の枝に立っていた。
同じ枝にもう一人、半霊を身体にまとわりつかせている妖夢がいた。
「全方位、水平線がどこまでも続いてますね。海に出て別の島を探す線は無理か……」
「後は、私達をここに連れ込んだ黒幕を探し出して叩きのめすくらいしかやる事がないわ」
「霊夢に任せるしかないんでしょうか」
陽射しは高く、ほぼ真上から照りつけてくる。
咲夜は汗ばんだメイド服をわずらわしく思いながら、まさか赤道直下だったりしないかと不安になった。
だとしたら日本から遠く離れすぎている。
「この異変、紫様あたりの悪ふざけってオチだったりしませんかね」
「ありえるわね。お嬢様方を巻き込んで、誰の従者が一番早く無人島から脱出できるか、賭けでもしてるんじゃない?」
「だとすると、霊夢と魔理沙と妹紅は誰が送り込んだんでしょうね」
「三人まとめてスキマ妖怪でいいわ、面倒くさい」
くだらない想像を投げ捨て、咲夜は樹木から飛び降り、妖夢もそれに続いた。
着地した咲夜の指の間には無数のナイフが冷たく輝いており、眼差しも鋭さを増していた。
その背後を守るようにして降り立った妖夢もまた抜刀の姿勢に入っている。
山の頭頂部とはいえ密林、木々や葉が視界をさえぎっており、草木が揺れる音を頼りに敵を探す。
「一番、黒幕の刺客。二番、野生の獣。三番、原住民。どれかしら?」
「一番を希望します」
軽口を言いながらも二人の構えに隙は無い。
枝を乱暴に踏む折る音が咲夜の真正面からし、双眸は音の発生源を射抜くように見た。
だが、音の出所ではなく視界の端、わずかに、金色がよぎった気がした。
視線を動かそうとした瞬間に木々をへし折って巨大な猪が飛び出してきた。
圧倒的重量で迫るそれに向けて咲夜の手から無数のナイフが飛来する。
と同時に咲夜は飛び上がって木の上に逃れ、振り向き様にその下をくぐった妖夢が抜刀。
銀閃が走り、猪の眉間から鮮血がほとばしった。
さらにナイフは正確無比に猪の両目を潰しており、さらに両の前足にも刺さり機動力を殺していた。
「二番、だったわね」
「二人で食べるには大きすぎますね。幽々子様がいてくれたらなぁ……」
「妹紅あたりと合流して物々交換に使えないかしら。
魔理沙だとキノコ確定だし、霊夢は……必要以上に物を取ったりしてないでしょうし……」
「燻製肉とか作れます?」
「生憎、うちは素材が新鮮なうちに食べちゃうから」
雑談をしながら手早く猪の血抜きやら内臓の処理をすませ、食べられる肉を切り出す二人。
咲夜が持っていたマッチで種火を起こし、豪勢に猪を焼き始める。
肉汁が火の中に落ち、食欲をそそる香りがそこいらに漂う。
「匂いに釣られて一番が来ないかしら」
「三番でもいいです。進展があるかもしれませんし」
焼き終えた肉の上で柑橘系の果物を搾り汁をかけると、二人はナイフをフォーク代わりにして肉を食べ始めた。
肉は硬く、主の舌が肥えているため自然と自らの舌も肥えている従者二人はうんざりとした。
「台所があれば、こんな肉でもやわらかく料理できるのだけど……」
「大味すぎて、ちょっと……もったいないけど、残します?」
「食べ切れないのだから仕方無いわ。保存食にする方法も知らないし」
「で、咲夜は一番でしたね」
「妖夢は三番だったわね」
ナイフに刺さっていた肉に噛みついた咲夜は、引き抜いて地面に吐き捨てた。
肉を粗末に扱ってしまったが、使えるナイフを増やすためだ。仕方無い。
妖夢は丁度肉を食べ切った所だったので、油で汚れたままのナイフを返して刀に手をかけた。
木々を掻き分ける音を隠そうともせず、無用心に近づいてくる何者かに備える。
「はひー、はひー……だ、誰かいませんか~……?」
聞き覚えのある声に、二人は戦闘体勢を解いて顔を見合わせる。
「正解は四番」
「丁度肉が余ってますし、なにか物々交換できませんかね」
「物々交換ねぇ……あの娘って、能力抜きでなにかできたかしら?」
「さあ? 現人神らしいですし、できるんじゃないです?」
しかしやってきたのは、なにもできない現代っ子の早苗さんだった。
狭い島のため、昼前から山を登り出した早苗でも、山道が比較的容易に踏破可能だった事もあり、たいして時間をかけずここまで登ってこれたのだ。
咲夜と妖夢の場合は、いったん別れた後それぞれ島を探索し、翌日偶然再会して相談を経て手を組み、地形の確認をしながらじっくり時間をかけて山を登ったため、早苗より何倍も時間を食っていた。
どうせ余るから、という理由で猪の肉を分け与えた咲夜は、大喜びで肉にむしゃぶりつく早苗に問いかけた。
「この辺で魔理沙を見なかった?」
「魔理沙さん? いえ、見てませんけど」
猪が突っ込んでくる直前に見た金色を思い出しながら、咲夜は口をつぐんだ。
あれは髪の毛、だったような気がする。でも黄色い蝶かなにかだったかもしれない。
「あ、蝶々」
口の周りを油でべっとりとさせた早苗が、まるで思考を呼んだかのようなタイミングで咲夜の後ろに視線をやった。
振り向いてみれば、黄色い翅の蝶が確かに飛んでいた。さっき見たのはあれか。
いや。
まるで思考を呼んだかのような、タイミングのよさ、蝶、金色の、まるで真実を隠すかのような……。
逡巡の後、咲夜は妖夢に視線を送った。
彼女はあの金色に気づいた様子は無い。当然だ。咲夜の後ろを見張っていたのだから。
いや、考えすぎだろう。あれは蝶々だったのだ。今はそういう事にしておこう。
満腹になった早苗は、この島から脱出するため協力し合えないかと二人に提案したが即座に蹴られた。
咲夜も妖夢も、元々は昨日解散した時に各々のやり方で事態に当たると決めていた。
そんな二人が一緒にいたのは、探索中の偶然の再会と、一番高い所から島の地形などを確認しようという目的の一致のためであった。
故に、目的を達した二人は再び別れ、各自好き勝手に島を調べればいいと考えている。
時を操る能力抜きでも優れた身体能力を持つ咲夜と、庭師であり剣士である妖夢、ここで早苗と組んでも自らの歩を遅くしてしまうだけだろう。
「とまあ、そんな理由でお断りしますわ」
「これも修行と思って一人でがんばってください」
冷たい対応の二人を前に、早苗はがっくりとうなだれた。
この状況で協力し合わない人々への落胆もあったが、それ以上に完全足手まといの自分が情けない。
「じゃあ妖夢、私は東に向かってみるわ。上からじゃ密林の中まではよく解らなかったし」
「では私は西へ。海岸まで出て、外周を調べてみます」
現在地は、島の南西部にある山である。
妹紅がいたのは南部の密林で、六人が集まり解散したのは最南端の海岸付近。
じゃあ私はどうしよう、と早苗が悩んでいるうちに二人はとっとと立ち去ってしまった。
しばし悩んで、早苗は余った猪肉をナイフで切り取って葉っぱで包み、お弁当にして北に向かって歩き出した。
一時間後。
熱帯雨林の真っ只中で遭難している早苗さんの姿があった!!
○ ○ ○ ○ ○ △
「ぜひぃ、ぜひぃ……おかしいな。真っ直ぐ歩いてたはずなのに、道に迷わないよう木につけた目印がどうして目の前にあるのか……無人島はミステリー」
バツ印のついた広葉樹の根っこの上に座り込んで、すっかり方角が解らなくなってしまった現状を憂う。
前方には派手な黄色い花が群生しており、色とりどりの蝶や、得体の知れぬ虫が飛んでいた。
幻想郷に来る以前、南の島へ旅行に行きたいなぁなんて思ってた。
沖縄、グァム、ハワイ……。
結局一度も行けなかったけれど、こんな形でやってくる事になるとは。
全然楽しめません神奈子様諏訪子様。
前方の花畑が揺れて、茎の間から紅玉のように輝く美しい蛇が顔を出した。
信仰の関係で蛇を畏れはしても恐れはしない早苗だが、さすがにこの状況で自分の太ももほどはあろうかという太さの蛇を前にしては、背筋が凍るというものだ。
狙われている。そう感じて立ち上がり、高鳴る鼓動を抑えながら走り去ろうとした。
直後、背後から低く響く鳴き声がした。
ギョッとして振り向けば、琥珀のような色合いの美しいカエルがこちらを見つめていた。
信仰の関係でカエルを畏れはしても恐れはしない早苗だが、さすがにこの状況で自分のお尻ほどはあろうかという大きさのカエルを前にしては、背筋が凍るというものだ。
狙われている。そう感じて向かい合おうとして、蛇の存在を思い出した。
前門の蛇、後門のカエル。
なに、この状況。
いやいや、ありえないでしょう。
蛇とカエルに追い詰められるって、駄目でしょう、信仰的に考えて。
「シャー」
「ゲコー」
「すみません、外国語はちょっと……」
蛇語もカエル語も堪能なバイリンガル美少女早苗さんではあったが、この蛇とカエルの言葉は解せなかった。
逃げるしかない。
だが蛇というのは意外と素早い。あらゆる地形を這い進む蛇と、この密林で追いかけっこはしたくない。
そしてカエルというのも意外と手強い。脅威のジャンプ力を相手に、この密林で追いかけっこはしたくない。
なにか、囮とできるものはないか。例えば魔物の餌的ななにか……。
「はっ! そういえば猪肉のお弁当!」
早苗は包みである葉っぱごと猪肉を放り捨てた。
地面に転がった拍子に葉っぱが開き、冷めた肉があらわになる。
途端に蛇とカエルは猪肉に飛びかかった。今だ、早苗は無我夢中になって走り出す。
一刻も早くこの場から可能な限り離れるのだ。頬張った
疲れた。
「ぜはぁ、ぜはぁ、ぜぇ、ぜぇ……」
汗だくになって四つん這いになる早苗。
どれほど走っただろうか。気がつけばとっくに密林を抜けて岩場に出ていた。
呼吸を整えながら、早苗は巨石の陰に回って座り込む。ああ、日陰は涼しい。
視界の端でなにかが動いたが、もう体力も気力も尽きかけており、早苗は目線だけを動かす。
岩の上をトカゲが這っていた。大きさは普通、妹紅が焼いて食べていたのと同じくらい。
あれなら、逃げなくていいや。
早苗は深々と息を吐き出し、うつむいたまま目を閉じた。
しばらく、ここで休もう。
密林も抜けられたし、しばらく、ここで。
ここで……。
○ ○ ○ ○ ○ ○
岩場は密林よりも見晴らしはよく危険も少なそうなので、しばし早苗の拠点となった。
岩の隙間を小川が流れており、水浴びできるほどの広さは無いが、水に困る事はなくなった。
食べ物は密林に生える果物を摘んで確保。あまり奥まで入らなければ迷う心配も無い。
ヤシの実は硬く、岩に叩きつけてもどうにもならなかったのであきらめたが、バナナやイチゴなどは容易に取れたし、名前の解らない甘酸っぱい果実もおいしかった。
ある程度の基盤を築けた早苗は新しい事にもチャレンジする。
まず、遠出の際に必要な水筒だ。
ヤシの実に穴を開けてれば丈夫な水筒にできそうだったため、虎の子のナイフを駆使し時間をかけて穴を掘った。
朝日が昇ってから、夕陽が沈むまで、休憩を挟みながらがんばった結果、ついにヤシに穴が開いた。
中からは甘いヤシの汁が出てきて、早苗は夢中になってむしゃぶりついた。
だが、汁をすすり終えた早苗は困ってしまった。
ヤシの実の内側には果肉がある。
穴を掘った分の果肉はおいしく頂いたが、それ以外の部分には果肉がびっしりついてるはずだ。
そんな状態のヤシを、果たして水筒として使えるのか?
水を入れておいたとしても、ヤシが腐ってしまって、水も駄目になってしまわないだろうか。
水筒計画はあきらめ、穴を基点にヤシを叩き割って果肉を食べようかとも思ったが、すでに夕陽は沈みかけ島は闇夜に包まれつつあった。
明日続行したとしても、この蒸し暑さの中では果肉も一晩で腐ってしまうのではないか。
悩んだ結果、迷いを断ち切るために早苗はヤシの実を密林に向けて全力投球し、その日は眠りについた。
一週間が経って、早苗は岩場を出る決断を下した。
新たなチャレンジを色々とやったがあまり進展はなく、水筒ひとつ作れずに終わった。
酷使したナイフは刃こぼれをしてきてしまったし、何より孤独に耐え切れない。
朝から晩まで一人切りで、無駄な努力ばかりを繰り返す日々。
相談をする相手、愚痴を漏らす相手、励まし合う相手、誰もいない。なにも無い。
精神をそぎ落とされていくような時間はもうたくさんだった。
それに、もう一週間も経ったのだ。
誰かが、なにかを掴んでいるかもしれない。
あるいは、今にもイカダでこの島を脱出しようとしているかもしれない。五人全員で。早苗を置いて。
ありえる。薄情なあの人達の事だ。私一人の存在など忘れ去って……。
そこまで考えて早苗は、涙を袖で拭って、首を横に振った。
酷い事を考えるようになってしまっている。
鬱屈とした精神状態を脱するには、人だ、人に会わなければ。
なんでもいいからお話をして、一緒にご飯を食べて、一緒に眠って……。
正と負と、感情のバランスがシーソーのように傾かせながら、早苗は歩く。
岩場を去り、密林に入り、木の根を避けて歩いて、坂道を登り、崖だったので引き返し、花畑を見つけて乗り込んで、蜂らしき羽音が聞こえたので慌てて駆け出し、また密林へ。
見上げれば広葉樹により空は閉ざされ、まとわりつく湿気に苛立って石ころを蹴り飛ばす。
茂みの中に消えた石ころは、女性の悲鳴を上げさせた。
「痛いじゃないか!」
ピンクのキノコを片手に涙目で立ち上がる人影は、白黒衣装の魔法使い。
無人島生活で服は汚れたり破れたりしており、帽子も失っていたが、まだまだ服として活用できる。
顔色は大変よく、果物以外にも色々食べていたのだろう、元気いっぱいだった。
思わず、早苗は駆け出していた。
「なんだよ、早苗か……え?」
全力で魔理沙に抱きついた早苗は、彼女の胸元に顔をうずめガクガクと震え出した。
「お、おい、大丈夫か? なにかあったのか?」
すっかり困惑してしまった魔理沙は、とりあえず早苗の頭を優しく撫でてやるのだった。
魔理沙に出会った直後の事を、早苗はあまり覚えていない。
ただ、胸の中に溜まった色んな感情を吐き出して、魔理沙がなだめてくれたのは記憶に残っていた。
「すみません、お見苦しい所を……」
「いいって、気にすんな」
笑いながら、魔理沙は帽子の中から取り出したキノコと芋を焚き火で焼いていた。
最初、帽子をかぶっていなかったため無くしたのかと思ったが、単に袋代わりにして腰から下げていただけだった。
「果物やキノコ以外にも食べられる物はあるんだぜ。芋があったから掘ってみたんだ。味つけは塩と、このレモンみたいなの、どっちがいい?」
「魔理沙さんの帽子って魔法の帽子みたい。なんでも出てくるんですね」
「それほどでもないぜ。よーし卵も出しちゃおう! 殻が頑丈だから帽子に入れてても割れないんだ」
妹紅が用意してくれた、咲夜と妖夢が分けてくれた、それらとは格が違うご馳走。
この魔法使いがどれだけこの秘境を大喜びで冒険していたか、想像は容易かった。
「咲夜なら昨日会ったよ。一緒にパイナップル食べた。まだこの島の事は全然解ってないみたいだな。しかしもう一週間くらい島にいるのに、メイド服が全然汚れてないのは瀟洒とかそういう問題じゃないぜ」
「妖夢は見てないなぁ。あいつの事だから、滝でも浴びながら修行してるんじゃないか? 海辺の岩場に洞窟とかあったけど、案外そこを探索してるかもな。私も入ったけどなにも無かった」
「霊夢は時々空飛んでるのを見かける。三日前に一緒にご飯食べたよ。妹紅からもらったっていう干物を分けてもらってさ、帽子の中にしまってある」
「ん、妹紅? 全然見かけてないな。でも干物を作ってるって事は海辺にいるんじゃないか? あー、もしかしたら早苗が会ったっていう湖かもしれないな。海からそう離れてないんだろ?」
「うん。やっぱりこの島にいるのは私達六人だけみたいだ。微妙なのも混じってるけど、全員人間っていうのが仕組まれてる感するよな。そもそも仕組まれてないと、気づいたら無人島なんて異変には出くわさないか。ま、誰が仕組んだかは知らないが、面白いキノコがいっぱいあって感謝したいぜ」
食事を終える頃には魔理沙からたくさんの話を聞けていて、早苗は改めて他のメンバーの凄さを思い知った。
前々から自分は足手まといで……と愚痴ったら、笑い飛ばされた。
「最初からなんでもできる奴なんて、そんなにいないぜ。ひとつひとつできるようになっていけばいいんだ。現に早苗は無人島で一週間、こうして元気な身体を保ってるじゃないか。まだまだこれからさ。そうだ、私が色々教えてやるよ。なぁに、こんな島、魔法の森よりちょっと蒸し暑いだけだぜ!」
普段は泥舟な印象の魔理沙が、今は豪華客船に見えた。まるでタイタニック!
こうして早苗と魔理沙のコンビが完成した。
罠で捕まえた獣をナイフで捌き、肉は食べ、丈夫な皮を使って早苗の分の水筒が作られる。
まったくの未知のキノコを食べられるかどうかは、他の獣が食べるかどうかで判断すればいい。
魔理沙が木に登り、果実をもいで、下にいる早苗に放り渡す。
日歩きながら薪を集めておけば、いざ焚き火を起こそうという際、時間を無駄にしない。
二日目の晩、早苗は夢を見た。
夢の中で魔理沙はあぐらをかいて座っており、その前に立っていた霊夢が吐き捨てた。
「馬鹿馬鹿しい」
「まあまあ。これはこれで面白いじゃないか」
魔理沙は笑う。気楽そうに。
「私が一番乗りしてやるぜ」
「あんたも好きねぇ」
「大好きさ」
なにか話してる。でもよく解らない。なんの話?
気を向ければもう、二人の会話の内容は思い出せなかった。
朝になって、早苗はうろ覚えの夢を魔理沙に語った。
「うん、そりゃ夢だな」
もしかしたらあれは夢ではなく本当にあった出来事では、という想像を否定されたが、たいして重要だとも思っていなかったので早苗は容易にそれを受け入れた。
その後、朝食を終えると魔理沙は「島の中央に行ってみようぜ」と提案してきた。
特に断る理由はなく、さらに二日かけて、二人は島の中心部に到着した。
密林と崖に囲まれたそこは、広葉樹が不自然に中央に向かって伸びており、空を覆っている。
まるで意図的に隠されているかのようであった。
二人は崖にあった樹木に蔓のロープをくくりつけた。
「ここ、なんなんでしょう?」
「お宝の予感がするぜ」
下は浅い沼地だったが、大きな岩があったのでその上までロープを伝って行き、そこで予備のために取っておいた獣の皮を両足に巻いた。
「こういう沼地にはヒルがいるかもしれないからな」
沼地の中央には草の無い円形の内陸があり、外周には石柱が立てられていた。
さらに中央には明らかに人為的に作られた石の祠が。
不可思議な文様が刻まれており、表面には暗緑色の粘液がべっとりと貼りついていた。
あるいは、粘液は透明で、祠を作る巨石が暗緑色なのか。
「……気持ちの悪い場所ですね」
「ああ。どうやらここが黒幕のアジトらしいな」
「……凄く、嫌な予感……いえ、気配というか、魔力? よく解らないものを感じます」
「虎穴には突っ込めって諺があるだろ。もしかしたらお宝があるかもよ。私達が一番乗りだ!」
一番乗り。どこかで聞いた気がする言葉。だがどこで聞いたのか思い出せない。
内陸に上がった二人は、足に巻きつけた皮に案の定ヒルがくっついていたので、皮をはたいてヒルを払った。
沼で汚れていたので、皮はとりあえずその場に置いておく事にする。
魔理沙はふいに、沼地に点在する岩に目線を向けた。
「どうかしましたか?」
「ああ、いや……」
頭をかいて、魔理沙は祠に向き直る。
「よし、祠を探索だ。結構デカいな、私の家の二倍くらいはあるか?」
「そうですね、一般家屋の二倍程度……中になにが潜んでいるか……」
「なぁに私がバックドロップを決めてやる! 安心してていいぜ」
言いながら、粘液で濡れた祠に近づいていく魔理沙。
その後に三歩ほど遅れて続く早苗。防衛本能がそうさせたのか、いつの間にかナイフを握っていた。
「あの、魔理沙さん、ナイフを持っていた方が……なにが出てくるか解りませんし……」
「いや、まずはドロップキックからにするよ」
「えと、そういう問題ではなくてですね」
「どりゃー!」
気合の叫びとともに、魔理沙は祠の扉にドロップキックを決めた。
靴裏を強烈に叩きつけられた扉は、鈍い音を立てて祠の奥に向かって倒れていき、石畳にぶつかって砕けた。
祠の内側は暗く、そして静謐であった。
神前を前にしたかのような畏まった気持ちが、心の奥底から不思議と湧いてくる。
同時に、吐き気と目まいをまとめて起こすほどの醜悪ななにかを感じていた。
「ま、魔理沙さん……やめましょう。ここ、ここはイヤです」
「なんだよ、臆病だな。大丈夫だって、なにが出てきても、私がジャーマンスープレックスを――」
闇の奥底から、巨大な鉤爪を生やした腕がぬっと出てきた。身体を縛る恐怖と威圧感をともなって。
「う、わっ……」
ドロップキックのせいで、地面に座り込むような形になっていた魔理沙は、ろくな抵抗もできぬまま巨腕に鷲掴みにされ、持ち上げられた。
腕は暗緑色の鱗に覆われており、さらに粘液を滴らせていた。
「ひっ……」
ナイフを前に突き出しながら後ずさりする早苗、それを追うように怪物は祠から姿を現した。
巨大な鉤爪は手だけでなく足にも生えており、鱗と粘液もまた全身を覆っていた。
体躯は人間の三倍はあるだろうか。
そんな巨体が祠から出てこられたのは、その肉体がまるで軟体のように変形したからだった。
背中には蝙蝠のような翼が折りたたまれており、悪魔的な印象を強くさせる。
もっとも特徴的なのは顔だった。
タコのような頭部に、暗く光る瞳が一対。
そして口や顎の変わりに無数の触手が胸元まで伸びて、蠢いていた。
怪物。それも尋常ではないレベルの、幻想を凌駕するおぞましきモノ。
「ま、魔理沙さんッ!」
「逃げろ早苗! こいつは――」
魔理沙は懐からナイフを抜くと、自らを掴む巨指に突き立てた。
しかしぬめぬめとした粘液によって刃がすべってしまう。
舌打ちをして、魔理沙の判断は素早かった。
「弾幕は……パワーだぜ!」
叫んで、化物の右目に向けてナイフを投げつけた。
どんな化物だろうと目は急所に違いない、しかし、咲夜と違いナイフ投げの技量を持たぬ魔理沙の一撃は無情にも口元の触手に向かって飛んでいった。
ナイフが内側に入り込むと、触手はそれに反応して蠢いて、ナイフは出てこなかった。どこに消えたのか。
「くそっ、こんなの用意してるなんて、馬鹿だろ! 反則だろ! 誰が考え――」
「魔理沙さん!」
助けなければと思っているのに、どうすればいいか解らず、思考は混濁し、恐怖で身体が震える早苗。
名前を叫んだのはどう彼女を助ければいいか指示を請うためのものなのか、それとも今まさに襲われている彼女に対し、自分を助けてくれるよう懇願のためのものなのか。
化物は、魔理沙を握りしめたまま早苗に向かって大幅な一歩を踏み出した。
ビクンと身体が跳ね、半狂乱になってナイフを振りかざす早苗。
「うわあああぁぁぁっ!!」
絶叫! 同時に放たれた無数の銀閃は、的確に化物の両目、そして魔理沙を掴むすべての指に命中した。
怪物は全身を震わせた。発声器官を持たないのか鳴き声はしなかったが、早苗は確かに咆哮を聞いた。
物理的ではない精神的な咆哮。恐怖という感情を刺激し、爆発させる。
そのために身体がすくんで動けなくなった早苗の眼前に、メイド服をひるがえして十六夜咲夜が舞い降りた。
「これは、予想以上の難題ね」
「さ、咲夜かぁ~!? 誰かにつけられてる気はしてたんだよ!」
地面に転がった無数のナイフの金属音を聞いて、魔理沙が叫んだ。
「でも、やっぱり駄目ね。ナイフの持ち込みを許可しておいて、通じるほど容易くはないみたい」
怪物の両目は傷ひとつ無く、どうやら眼球すらも軟体のようであった。
「刃物が通じない、という訳ではないようだけど……半端なパワーじゃ無理ね」
小指の鱗がわずかに欠けているのを見逃さず、咲夜は新たにナイフを抜いた。
「魔理沙、なんとか逃げられない?」
「無理ッ! スカートの左ポケットだ、なんとかならないか!?」
「無茶な注文を」
毒づきながら咲夜は跳躍し、化物の右腕に飛び乗った。
それを左腕の爪で突き刺そうとした化物だが、スレスレで咲夜はバックステップ。右手首まで下がった。
「で、なにが入ってるの?」
「秘密兵器!」
もがく魔理沙をいちべつし、咲夜はナイフを一本だけ残して服にしまった。
「早苗! 囮になって!」
震えながら見ていた早苗は、咲夜の言葉にハッと我に返ると、地面に落ちたナイフを拾ってがむしゃらに化物の身体に投げつけた。
目障りに感じた化物は左手でナイフを叩き落す。
その隙に、魔理沙を掴む化物の右手の中指と薬指の間にナイフを投げ、さらに腕から飛び降りながらの蹴りで押し込みながら足首を器用に捻り、ナイフの柄を足首で引っかけた。
「せいっ!」
小さいながらもテコの原理で指の隙間をこじ開けられる。
丁度そこは、魔理沙の左手と、スカートのポケットがある場所だった。
視界の外でなにが起きたのか解らずとも、左の手首から先だけが自由になったのを理解した魔理沙は、すぐさまポケットに手を突っ込み、秘密兵器を握る。
「二人とも下がれー!」
咲夜は即座に早苗にしがみつくと、化物から離れるようにして飛び、地面に伏せた。
ニヤリと笑った魔理沙が叫ぶ。
「反則上等! 喰らえ、マスタースパァァァァァァクッ!!」
化物の指の隙間からほとばしる破壊の閃光。
視界が白光し、轟音が鳴り響く中、咲夜はギリと歯を食いしばった。
光と轟音が収束し、咲夜は早苗の無事を確かめてから、振り返る。
化物は、粘液を吹き飛ばされその表面を何箇所か焼かれていたものの、両の足でしっかりと立っていた。
魔理沙も、凶悪な右手に捕まったままだ。
「チッ……即興で作ったから、威力半減……一発花火だ……」
指の隙間から、魔理沙の秘密兵器、自作のミニ八卦炉がこぼれ落ちた。
この島の樹木を削って作ったのだろうか、木製のそれには無数の亀裂が走っており、地面に衝突すると同時に真っ二つに割れてしまった。
「くそ、やっぱり霊夢の勘が正しかったか……」
「魔理沙」
「咲夜、悪い、早苗を連れて逃げてくれるか? 霊夢にヨロシク」
ほがらかな笑みを浮かべて魔理沙は言い、怪物の手によって触手で埋め尽くされた顎部分に運ばれていった。
「魔理沙!」
咲夜の悲痛な叫びに、早苗もなにが起きているのかと振り返った。
「うわ、あ……」
全身を触手に絡め取られた魔理沙が、触手の内側へと呑み込まれていく。
粘液まみれになった顔が、胸が、腕が、腹が、触手の奥へと消え、最後に靴の脱げた右足までもが。
魔理沙が投げたナイフがどこに消えたのか、早苗は理解した。
口はあったのだ。人間を丸呑みにできるほどの巨大な口が、あの蠢く触手の向こう側に。
(じゃあ、つまり、魔理沙さんは――)
その先の言葉を、早苗は知っていながら、認識できなかった。
しかし残酷にも、化物はその行為を、見せつけるようにして行っていた。
「……食べ、た」
そして解答を、咲夜が呟く。
(魔理沙さんは、食べられた)
認識してしまう、その先の言葉を。
理解してしまう、魔理沙はもう自分を助けてくれないのだと。
お喋りも、食事も、なにもできない。笑顔さえ、もう見る事ができない。
「あっ、ああ、あああ……あっ……」
壊れたテープレコーダーのような早苗の手首を掴んで咲夜は走り出した。
どういう種があるのか、ここまで一切汚れていないメイド服が、沼に飛び込んだせいで台無しになってしまう。
沼を掻き分け、ヒルに食いつかれながら、咲夜は逃げた。茫然自失とした早苗を引っ張って。
どうやら正常な意識を失っているようだが、幸いにも足は動かしてくれる。
背後で沼になにかが飛び込むような音が聞こえ、その答えを知りつつも咲夜は振り向いた。
化物が沼の中まで追ってきている。鉤爪をこちらに伸ばして迫ってきている。
「チィッ」
咲夜は牽制のためのナイフを投げた。
化物は右腕を振るってナイフを弾き飛ばし、そのナイフの陰に隠れていたもう一本を見逃した。
頭部、人間で言えばおでこのあたりにナイフが突き刺さる。
咲夜の双眸は見開き、その光景を刻み込んだ。
ナイフが刺さった。
刃物が通じない訳ではない、だが明らかにパワー不足。それは間違いではない。
だがそれだけではなかったのだ。
あの粘液が邪魔で刃がすべってしまっていた。
あの粘液は魔理沙のマスタースパークで焼き払われている。
つまり! 今、この時こそあの化物を倒す事ができる、魔理沙が生み出してくれた千載一遇!
故に咲夜の精神は絶望と後悔の泥沼に沈んでしまった。
馬鹿だった。もっと冷静に動いていれば、こんな事にはならなかった。
なぜ魔理沙の言うがまま、早苗を連れて逃げようとしてしまったのか?
こんな沼地に入り込んで、長所である身軽さを自ら封じてしまって。
祠の前には、あの化物に放って落ちたナイフが何本も転がっている。
あれだけのナイフがあれば、あの陸地の上ならば、あんな化物、切り刻んでやれるものを。
今、咲夜はナイフを三本しか残していなかった。
沼の中で近接戦闘を仕掛け、斬りつけるという選択は無い。
普通に投げた所で、あの腕に阻まれてしまう。
一本を犠牲にして、二本、両目に突き刺せないだろうか。
視界を奪って、あの化物を迂回し、陸地に戻り、ナイフを回収すれば、殺れる。
だが最後の三本を失敗したら、打つ手は消える。
長考する時間は無い。
全力で逃走せねば化物に追いつかれるし、時間をかけてしまっては勝機を失う。
鱗の隙間から新たな暗緑色の粘液を分泌している様を見て、咲夜は唇を噛んだ。
触手からも粘液は垂れており、それを火傷した部分に塗りたくっている。
いずれ全身を再び粘液が覆うだろう。
だが。
あの半端な威力のマスタースパークで焼き払える程度の粘液ならば。
あそこまで引けば。
「急ぐわよ」
逃げると決め、咲夜は早苗を引っ張った。
早苗と魔理沙が最初に沼地に降りた時、岩があったように、沼地には岩が点在していた。
咲夜がメイド服を一切汚さず内陸まで行けた理由だったが、放心状態の早苗を連れた状態では岩から岩へと飛び移る訳にもいかず、沼の中を進むしかなかった。
この島に来て、空を飛べない事がこれほど悔しいのは初めてだ。
「あそこの崖に隙間があるわ! そこを通って逃げるのよ!」
咲夜は叫んだが、後ろからついてくる早苗から返事は無い。
幾つか質問したい事があるが、今はあの隙間に逃げ込むのが先決。
沼を掻く大きな音が聞こえ、咲夜と早苗の背後から泥水が降り注いだ。
振り返る暇を惜しんで咲夜は走る。恐らく、あの剛腕で沼をすくい上げたのだろう。
泥なんかに構ってなどいられない、歩の遅さに苛立ちながらも必死に崖の隙間を目指す。
人がかろうじて通れる程度の隙間だ、あの化物は追ってこれまい。
いかに軟体とはいえ、あの体躯を支えているのだ、骨や筋肉くらいあるだろう。
だから。
「ここまでよ!」
隙間の中に、早苗を連れて飛び込んだ。
背後で崖に巨体がぶつかる音がして、崖が震動する。
鼻っ柱を崖で擦りながら、咲夜は逃げ足を遅めなかった。
あの長い腕くらいなら隙間に入り込んでくるだろうし、鉤爪が届く距離だ。
それくらいの事、獣程度の知能でも可能。急げ、急げ、急げ。
ついに崖を抜け切った咲夜は、早苗もちゃんとついてきている事を確認しがてら、抜けたばかりの崖を見た。向こう側から化物が見つめている。隙間の入口を鉤爪で引っかいている。
知能はそれほど高いという訳ではなさそうだ。
「勝機ッ」
咲夜の眼差しはナイフのように鋭利に冷たく輝いていた。
○ × ○ ○ ○ △
「ねえ。魔理沙は"なに"を知っていたの?」
崖に走った亀裂、人間が通れる程度の隙間、その向こうで化物が着実に粘液を分泌している。
急がなければならない。とはいえ、最低限の情報は得ておきたい。咲夜は冷静だった。
逆に、早苗はまだショックから覚めていない。
「魔理沙、さん……」
「答えなさい」
「わ、私、なんの事だか……」
眉根を寄せて咲夜は早苗の表情を見つめた。嘘をついているとは思えない。
つまり、この現人神様は相も変わらず役立たずの足手まといのまま、らしい。
「じゃあ、霊夢に会わなかった? 霊夢からなにか聞いてない?」
「いえ、私、魔理沙さんが……どうして、あんな、私、なにもできなくて、私、私……」
さすがにまだ魔理沙の話はきついようだが、構わず続ける咲夜。
「魔理沙は、霊夢からなにかを知らされたような事を言っていたわ。そして、即席の八卦炉でマスタースパークを使った。私達は霊夢以外、能力を封印されているというのに……。つまり魔理沙は、私達に課せられたルールを理解し、抜け穴を見つけたのよ。反則上等の秘密兵器……魔理沙の能力程度で、封印はどうにかなると実証された! だとすれば、私達にできない道理は無い。問題は魔理沙がなにを知っていたか。それを掴めるほど魔理沙は聡明じゃないわ。鍵は霊夢よ。霊夢は普段通り、異変解決のノリで行動している……反則レベルに優れた直感でね。……同じ腋巫女衣装同士とはいえ、あなたと霊夢じゃ天と地ね。いい加減、なにか答えなさいよ」
フルフルと早苗は首を振った。
だって、なにも知らないから。なにも解らないから。
「そう。もういいわ。あの化物は……私が仕留める。勝利の栄光を捧げてみせる」
挑戦的な笑みを浮かべて、咲夜は崖に向かっていった。
亀裂の向こうでいきり立っている化物をいちべつすると、崖の出っ張りを足場にして、階段のようにヒョイヒョイと駆け上がっていった。
残された早苗は、崖が削られる音と震動がして、慌てて亀裂から見えない位置へ逃れた。
あの化物はあの鉤爪で崖を削ってでも追いかけてくるつもりだ。
だとしたら、一刻も早くここから逃げるべき。
でも。本当に?
(魔理沙さん……)
どことも知れぬ熱帯の島で、おぞましき化物に喰らわれた彼女。
(咲夜さん……)
能力を封じられながら、今、あの化物を倒すために動いている彼女。
本当に、本当にいいのか。逃げてしまって。
自分は役立たずだからと、逃げるのか?
助けてくれた魔理沙の仇を討たず、助けてくれた咲夜を見捨てて、逃げていいのか?
いいはずが、ない。
しかし心の臆病な部分がささやく。
足手まといがノコノコ行って、彼女の邪魔をしてしまったらどうするの?
彼女一人なら勝てたはずの状況をかき乱して、私のせいで彼女まで食べられてしまったら?
逃げてしまおう。どうせ役に立てないのだから。そうだ、南へ行こう。きっとまだ妹紅さんがいるはず。
助けを請えば、きっと助けてくれる。
「なにを……考えてるの、私……」
勇気を奮い起こそうとしても、崖が崩れ泥沼に落ちる音や大地の揺れが、なけなしの勇気をそぎ落とす。
咲夜が今、なにをしているのか、あの化物を倒そうとしているのなら、早く、早く、早く。
ああ、他者に頼るばかりの無能者! これが守矢の巫女にして神である者の姿なのか!?
惨めだ、無様だ。こんなだから、霊夢の偽者だとか2Pカラーだとかパクリキャラとか言われるのだ。
「あら、早苗じゃない」
身体を縮ませて震えていると、声が、頭上から。
ギョッと見上げれば、博麗霊夢が宙に浮かんでいた。
「丁度いいわ、ねえ、魔理沙はどうしたの?」
「えっ」
「マスタースパークの光が見えたから、来てみたんだけど。確かあなた、一緒だったわよね」
ふいに、早苗は以前見た夢を思い出した。
詳しくは思い出せないが、深夜、魔理沙と霊夢が話し合っていた。
あれは、夢じゃなかった?
「れ、霊夢さん。助けて」
「うん?」
「咲夜さんが、一人で、あの化物と……」
言われて、霊夢は視線を崖の亀裂へと向け、顔をしかめた。あの醜悪な姿を見れば当然の反応だ。
「いないみたいだけど」
「崖を登って、なにかしてるみたいで……」
「ふぅん。まあいいわ、魔理沙はどうしたのよ。せっかく裏技の協力して上げたのに」
「あ、じゃあ、あの八卦炉は……」
能力が、一人だけ使えるままの霊夢。
ならば、それを活かして他者に力を与える事も可能?
あるいは能力封印の法則を理解し、抜け穴を見つけ、魔理沙に教えた?
幾つかよぎる疑問。それら一切を思考から吹き飛ばす、霊夢の問い。
「魔理沙はどうしたのよ。いい加減答えてくれない?」
「あっ……」
フラッシュバックした光景は、あの化物の触手に全身を絡め取られ、内側へと呑み込まれていく最期。
瞳が熱を持って震え、喉はカラカラに渇いて、舌が貼りつき声が出ない。
息が詰まり、腹の底で泥のようなものが渦巻くような鈍痛がした。
「なに? まさかやられたの?」
勘のいい巫女は、あからさまに動揺する早苗を見て呆れたように呟く。
やられた、というのはあくまで倒されたという意味で、死、までは意識していない言葉だろう。
あるいは、ただの冗談半分のセリフだったのかもしれない。
だけれど、自分には彼女に真実を伝える義務があるのではないか。
「……れ、て」
「ハッキリ言いなさいよ」
「食べられ、て、死んで、しまっ、まし……た」
感情の昂ぶりで灼熱する瞳から、冷たいものが流れ落ちた。
魔法使いの友人だった巫女が、果たしてどのような反応をするのか、それを見るのが怖くて早苗はうつむいた。
だが、しかし。
「あ、そう。だからやめときなさいって言ったのに」
馬鹿にするような声色。
ふと、幻想郷で誰かが言っていた言葉を思い出した。
霊夢は誰にでも平等なんじゃなく、誰にでも等しく興味がないんだよ。
酒の席の冗談かなにかだった、と思う。
しかし、それは真実だったのではないか。
だって、だって、今、友人の死を聞かされて、今、なんて、言った?
どんな、顔を、している?
歯をギリギリと噛みしめながら、早苗は見上げた。
霊夢が、口調とは裏腹に悲しんでいる姿を期待して。
「いい加減、面倒になってきたわね」
まったく意に介した様子はない。
面倒くさそうに頭をかきながら、崖の向こうで暴れるおぞましきものを見ていた。
その眼差しには怒りも悲しみも憎しみも無い。奴は魔理沙を食い殺した化物だというのに!
「なん、なんですか、その態度は! 魔理沙さんが、死ん、殺され……あの、化物……に……食べ……」
「アレは厄介だから、あんたは適当に逃げてなさい」
「霊夢さん!」
怒声を無視して霊夢は空高く飛翔した。
魔理沙の仇も、早苗の存在も、まるで興味無しといった風に白雲目指して昇っていく。
「逃げるんですか! 卑怯者! あなたが、あなただけが能力を使えるのに!」
もう、声が届かない距離だと理解しながらも早苗は罵声を吐き続けた。
あんな人を、わずかでも幻想郷の先輩巫女として尊敬していただなんて。
「戻ってきなさい! 戻ってこい!」
まさかその言葉に応えたのか、地面が大きく揺れ、崖から石や土が転がり落ちてきた。
慌てて崖から離れ、まさかという思いで亀裂の正面に回る。
亀裂の入口を粉砕した化物が、軟体を活かして隙間に入り込んできている。
無数の触手は壁を這うように蠢いて、ギョロリとした狂気の瞳は、真っ直ぐに早苗を狙っていた。
「……来る」
勇気をそぎ落とされ、恐怖で身体が縛られ、芽生えた狂気が正気を侵食しようとする。
しかし、そんな早苗を支えるものがあった。
意地。
守矢の巫女として、現人神として、あの卑怯な博麗の巫女のような真似はしたくない。
立ち向かうのだ。例え倒せずとも一矢報いねば、犠牲になった魔理沙が報われない。
だが、早苗は己が無力なままであると理解していた。
能力が使えないばかりか、武器も無い。
ナイフはあの時、魔理沙と咲夜をフォローするために、落ちていたナイフともども投げつけてしまった。
この際、木の棒でもいい。武器になる物はないかと周囲を見回す。
そこでようやく、早苗はここがどういう場所かを認識した。
前方には崖。建物の屋根ほどの高さがあり、とても登れそうにない。
崖の上には広葉樹が密生しているが、崖下のここは樹木はまばらに生えており、草が多かった。
さらにあの泥沼と繋がりがあるのか、崖の一部から水がこぼれ落ちて小川を作っている。
つまり、特になにも無い地形。武器となる物さえも。
徒手空拳の心得も多少はあるが、あの軟体に通用するはずがない。
近くの木の枝をへし折ってみようかとも思ったが、丈夫でよくしなる枝を素手で折るのは至難である。
都合よく尖った石でも転がってはいないかと地べたに視線を向けたが、草が邪魔で探しにくい。
なにか、なにかないか。なにか――。
視界の端に、奇怪なピンク色が映った。自分のすぐかたわらに、ピンク色のキノコが生えていた。
「あ、あった……!」
素手でキノコをもぎ取り、早苗は微笑を浮かべた。
魔理沙と一緒に行動していた時、食べられるキノコ、食べられないキノコを教わった。
これは、食べられないキノコ。しかも猛毒だ。
あの頭の悪そうな化物の事だ、もしかしたら投げてやればご丁寧に触手でキャッチして自ら食べてくれるかも。
たった一本の毒キノコを武器に、早苗は崖の亀裂を這う化物に向き合う。
「魔理沙さん! 力を貸してください!」
魂からの叫びを上げ、早苗は亀裂の入口まで走り、その勢いを利用して毒キノコを全力投球。
猛毒のピンクは狙い通りに化物の顔に向かって飛んでいった。
一本の触手がカエルの舌のように伸びてキノコをキャッチすると、触手の内側へと運んでいく。
パーフェクトなまでに思惑通り!
化物は愚かにも毒キノコを食した。
(魔理沙さん、見ていてくれましたか? 私、やりましたよ!)
あれは食べる事でもっとも威力を発揮するキノコで、巨大な獣だろうと数秒で絶命するほどの威力。
ならば人間の三倍はあろうかというあの化物なら、一分もあれば死に至るだろう。
一分後。
そこには元気いっぱいに亀裂の間を這い進む化物の姿が!
どうやら毒に耐性があるらしく、全然ちっともまったく通用していない。
早苗渾身の一撃は無駄に終わり、打つ手を失った早苗は頭を抱えた。
化物は、このペースではもう一分もあれば亀裂を抜け切り、こちら側に出てきてしまうだろう。
(もう駄目かもしれません……魔理沙さん、私も今、そちらに行きます……)
そちらがあの世とか三途の河とか黄泉の国とか天国とか極楽浄土なら、まだ格好もつくが、そちらとは化物の腹の中であり、末路は恐らく排泄物。最悪だった。
だが。
「囮ご苦労様」
崖の上から声がして、見上げると同時に透明の液体が崖の隙間を這い進む化物に降りかかった。
亀裂の上で、大きな皮の水筒を両手に咲夜が笑みを浮かべている。
「なにかに使えると思って、ヤシ油を作っていたの。天然物よ、存分に味わいなさい」
と、彼女は懐からマッチを取り出し、タバコに火を点けるかのような気軽さで擦った。
小さな紅が灯る。
油まみれになった化物は、早苗同様頭上を見上げており、咲夜の存在に気づいた。
狙いを早苗から咲夜へと変えたのか、化物は軟体を蠢かせて崖をよじ登っていく。
そんな化物の顔面に向けて、指を弾いてマッチ棒を捨てる咲夜。
紅蓮が、化物の頭部を包む。
「マスタースパークほどの威力はないけれど持続性はこちらが上。焼殺、刺殺、斬殺、どれになるかしらね」
氷のような笑みで両手に一本ずつナイフを持つ咲夜。
化物はもがき苦しみながら、狭い亀裂の中で触手と腕と翼をがむしゃらに動かして暴れていた。
わずかずつ後退しているように見え、泥沼に逃げ込むつもりらしい。
あいつを倒せるかもしれない。早苗は我を忘れ、化物を焼く朱に魅入った。
逆に咲夜は冷静に火加減を観察していた。
そろそろ粘液も相当奪えてきただろうが、今飛び込んでは自らも炎に焼かれる。
かといって泥沼まで逃げ切れる距離まで見逃す訳にもいかない。
機を誤るな。確実に殺すため、最善の機を――。
化物の腕が上に伸び、崖上の端に生えていた木の根を巻き込んで、壁を鋭く削り取った。
木は倒れ、対面の木につっかえたが、土砂は化物の頭部に降りかかった。幾つか硬い石も混じっている。
わずかに火勢が弱まり、機、放たれた二本のナイフが化物の両目を的確に突き刺す。
血とも粘液とも解らぬ液体が散らせながら、化物は上方目がけて崖を這い登った。
先程壁を削った生でやや広くなっていたため、ほんの数秒で頭部を崖上に出し、そこに咲夜が飛びかかる。
「魚屋魚体解体の法則・第壱条その25!!」
三本目のナイフを両手で握りしめて振り上げ、一直線に化物の眼前へ。
「どんな奴でも最大の急所は目と目の間ってパチュリー様が言ってた!」
妹紅の持ちネタをアレンジしながら有限実行! 焔の残る眉間に刀身すべてを埋まらせる。
化物は余計に暴れ、咲夜は火傷をする前に素早くナイフを引き抜き崖上に宙返りをして戻った。
「どう!?」
咲夜の問いに激怒を持って答える化物。ダメージは負っているが、絶命するほどではない。
「浅いか……妖夢の刀が欲しいわね。でも」
そう言いながら咲夜は少し後ろに下がり、地面からなにかを拾った。
なんだろう、早苗は目を凝らす。あれは木の棒? 先は尖っている。
「枝をナイフで切断した簡易すぎる槍だけれど、ナイフを突き刺した穴にぶち込むには十分よね?」
時を操る能力無くして、手持ちの武器、その場にある物、そして知恵を駆使して、圧倒している、あいつを!
勝てる。早苗は確信した、魔理沙の仇は咲夜が取ってくれるだろう。
「咲夜さん! がんばって!」
声援を聞き、咲夜はこちらを向いて微笑んだ。それから簡易木槍を両手で腰の高さに構える。
未だヤシ油の炎に焼かれ、両目と眉間、穴をみっつ並べながらも生きている化物。
触手が闇雲に前方に伸ばされ咲夜を探している、それを冷静に見極め咲夜は跳躍した。
簡易木槍を振り上げて持ち替え、地面にシャベルを突き立てるようにして。
早苗はついにトドメの一撃を打ち込もうとする咲夜の勇姿を見上げ、光に目を奪われた。
なぜ、どうして、空が光ったのか。
直後、視界を埋め尽くすほどの雨が、バケツを引っくり返したように降り注いだ。
一瞬で濡れ鼠になりながら、早苗は南国特有のスコールという現象を思い出していたが、今まで、この島に雨が降った事は無く、なぜこのタイミングで?
轟音が響いた。閃光からほとんど時を置いておらず、ようやくこれが雷であると早苗は理解した。
突然の大雨に全身を打たれたためか、咲夜の目測は誤り簡易木槍は化物の右目と眉間の間をすべった。
さらに軟体の頭部への着地に失敗し、すぐ下の、蠢く触手の中へ落下する。
「こ、この天候の変化は!? まさか! だとしたらなぜ今……ムグッ!」
触手は咲夜の唇を割って入り、言葉と呼吸をさえぎった。
さらに首、右腕、胸部、下腹、太もも、足首、次々に触手が巻きついていく。
簡易木槍はへし折れ、咲夜ともども触手の内側へと運ばれていく。
身をよじって逃げようとする咲夜の姿は、アリ地獄にハマりどうしようもなくなったアリの最期を思わせた。
早苗の脳裏に、魔理沙の最期が蘇る。
同じ光景が今、咲夜の身に起きており、自分は、ただ見ているだけしかできない。
「咲夜さん!」
叫んでも返事は無く、咲夜は触手の内側に隠れる大きな口に呑み込まれていった。
そして、触手はさらに蠢き両目に刺さったナイフを引き抜いて、それすらも食す。
雨によってヤシ油の炎は消え、化物の右目がギョロリと早苗を睨む。
なんと化物はナイフが刺さる瞬間、軟体を活かして眼球を動かして直撃を避けていたのだ。
その事に咲夜は気づいていたが、自分がトドメを刺すまでは視力を奪えると判断し、攻撃を成功としていた。
だが咲夜が食われた今、化物は視力を回復させ、逃した獲物へと迫ろうとする。
崖上まですでに頭部を露出させていた化物は、胴体をも壁を這い上がらせ、ついに狭い亀裂から自由になった。
スコールの中、早苗は呆然と、蛇に睨まれたカエルのように固まっていた。
もし、もしも、自分が声援をかけなければ、咲夜はこちらに振り向いて微笑まず、すぐ飛びかかっていたのでは。
そして、眉間の傷に深々と簡易木槍を突き刺してトドメを刺してからようやく、雨と、雷が。
つまり早苗が声をかけたから、咲夜は食ベラレテシマッタ。
ふいに、眼前に赤い物が落ちた。
地べたに落ちたそれは、端を黒く焦がした、見覚えのある赤いリボン。
「霊、夢、さん?」
我知らず口に出した名前で、このリボンの持ち主を理解した早苗は空を見た。
いつの間にか暗雲が広がり、視界をさえぎるほどの豪雨が降り注いでおり、時折閃光が走る。
気づいてしまった。このタイミングで。
霊夢は逃げた訳じゃない。
恐らくこの異変の黒幕に挑むため、天空高く飛んだのだ。
そうして、雷に打たれた……?
「まさか、まさか、まさか」
まさか、霊夢さんまで。
ああ、なんという事だろう。そうとは知らず、罵詈雑言を叩きつけてしまっただなんて。
「あ、ああ……ああぁ……!」
絶望が、早苗の膝を折ろうとした。
崖の上で木々がへし折れる音がして、反射的に見、化物が木々を薙ぎ倒しながらこちらに迫ってくる姿。
憤怒に狂った眼差し。
恐怖が、早苗の足を動かした。
地面はすでにぬかるんでおり、泥を跳ねながら早苗は走った。
魔理沙も、咲夜も忘れて、ただただあの化物が恐ろしく、自分も食われて死ぬのだという現実が恐ろしく。
ひたすらに逃げた。
奴の目を見たくないという理由で背を向けて、地形も方角も確かめず、無鉄砲に逃げる。
そんな早苗を責めるように、雨粒が強く身体を打つ。痛いほどに。
地すべりと雷鳴が重なって轟音が早苗の腹に響いた。
化物が、化物が、崖を、崖を、降りたに違いない!
追ってきている迫ってきている後ろから背後から奴が化物が襲ってくる襲いかかってくる!
だから、だから、早く、早く、もっと早く! 早く!
すでに呼吸は荒れ、酸素を求めて開いた口には雨粒が侵入してくる。
訳も解らず喉に溜まった水を飲む、その間、呼吸が止まってますます焦り酸素を求めて、もっと大きく口を。
突如、早苗は溺れた。両の足で走りながら、喉を押さえて水を吐き出した。
「ゲボッ、ガボガボ……ゴホッ、ゲェッ……」
意味が解らず、思考が混濁し、恐怖の侵食を許してしまう。
大地の上で、溺れた理由、は、まさか、あの化物の、呪いではないかという滑稽な妄想。
混乱と恐怖にかき乱された精神は、それを真実として受け入れさらなる恐怖が早苗の心身を傷つける。
「嫌ッ……嫌ァーッ!! 神奈子様、諏訪子様、お助けください。お助けください!」
懇願を拒絶するかのように、早苗は額を強く叩かれた。
単に木の枝にぶつかっただけだが、早苗にとっては家族同然の神々の裏切りにも等しい出来事だった。
「魔理沙さん! 魔理沙さん魔理沙さん魔理沙さん! 助けて、魔理沙さん!」
左目が眩み、咄嗟に手で覆った直後に雷鳴が轟く。
「咲夜さん! 咲夜さぁん!」
ぬかるみに足を取られて転び、泥の上に倒れ込んでしまう。
口の中に広がった酷い味に涙ぐみ、爪の間を泥が埋めるのも構わず地面をかいて立ち上がる。
「霊夢さん、ごめんなさい、ごめんなさい霊夢さん! 謝ります、謝りますから、だから――」
早苗の悲鳴は轟々と降る雨音に呑み込まれ、同様に雨音と雷鳴以外の音から早苗は隔離された。
雨の牢獄に囚われた早苗は、身を切る冷たさを孤独の表れとして受け取り、この世のすべてに絶望した。
「いやだ……いやだ、だれか、だれかたすけてよぉ……」
全身を濡らしたまま走り続け、体力と体温を奪われた早苗は意識さえも朦朧とさせる。
すでに足を引きずるようにして歩いており、目線は宙を漂い、ふいに足が空を切った。
上下の感覚を失って、早苗は泥の上を転がり落ちた。頭や肩を打ち、また指先がちぎれそうに痛んだ。
地面に叩きつけられた早苗の手のひらが、偶然にもなにかを掴む。
ぐしゃり。ぬかるみを踏む、音がした。
気力だけで立ち上がった早苗は、右手が偶然掴んだなにかをがむしゃらに振るう。
「うわっ、ああっ! 来るな、来るなぁっ!」
身体と精神を叩く雨音に混じって、自分の声以外のなにかが聞こえ、恐怖を駆り立てた。
雨の牢獄に侵入してきた怪物への怯えから目の前が真っ白になる。
「いやだ! いや! 近寄るな!」
粘液に濡れた触手がぬっと伸び、早苗の両の手首に絡まりきつく絞めた。
「やだ! 私に触れるな、化物ォッ!」
わめきながら渾身の力で振り払おうとするも、化物に捕まって逃げられた者はおらず、魔理沙や咲夜のような最期を迎えようとしているのだ。
化物の口が、早苗を呑み込もうと顔に近づいてくる!
恐怖と絶望に満たされた絶叫を放つ、青く染まって震える唇に、微熱が灯る。
炎のように熱く、母のようにあたたかく、優しいぬくもりが。
悲鳴を忘れた唇は硬直し、ただ、されるがまま、やわらかな微熱にひたった。
真っ白に染まっていたはずの視界が、少しずつ色彩を取り戻していく。
降り続ける雨の中、白い肌と、斜めを向いた熱い眼差しがあった。
手首に伝わる感触は触手ではなく、五本の指を持つ人間の手で、唇をふさいでいるのは、唇。
「んっ……むぅ……」
吐息が漏れ、微熱が頬に移る。
瞳が震え、ぴったりと密着した相手の身体から生の鼓動が伝わってきた。
唇と唇、胸と胸を密着させて、両の手首を握られて、雨の牢獄の中で孤独から解放された早苗は、かつて自分を助けてくれた藤原妹紅から熱い口づけを受けているのだと理解した。
理解した瞬間、その甘美を味わう暇もなく、妹紅は唇と胸を離した。
「私が解るか」
小さくうなずくと、妹紅はホッと息を吐いて手首からも手を離す。
支えを失ってだらりと下がった腕から、重たい物がぬかるみに落ちる。
視線を向けてみれば、木の先に石の刃が取りつけられていた。石の、斧、だろうか。
「驚いたよ。突然崖からすべり落ちてきたかと思ったら、斧を振り回して暴れるんだから」
「う、あ、あ……」
「喋れないか? ほら、ちゃんと息をして」
「わた、私、なにを……妹紅さんと……」
「ああ、ごめん。落ち着けさせようと思って。パニクってる時は別のショックを与えるのが効果的なんだ。でも、随分怯えてたみたいだから、頬をはたくのは逆効果かなって思って、悪いな。初めてならカウントしなくていいよ。緊急時だったし、人工呼吸みたいなもんだ」
まだ微熱の残る唇をそっと撫で、早苗はぼうっと妹紅を見つめた。
彼女も全身びしょ濡れではあったが、早苗と違い泥で汚れているのは足元くらいだ。
優しい微笑は、まるで子供をあやす母親のようであり、自然と心は落ち着いていく。
平静に戻ると同時に、身体を支えていた気力まで抜けていって、早苗はその場に崩れ落ちかけた。
「おっと」
素早く妹紅に抱き支えられたが、なぜか視界の中の妹紅が暗闇に呑み込まれていく。
「逃げ……ないと……」
「逃げる?」
「化物……が……追って、逃げ、逃げないと……」
「お、おい」
妹紅の姿が闇に包まれ、早苗の意識も闇に沈んだ。
しかし恐怖は無く、安堵が胸中を満たしていた。
× × × ○ ○ △
全身泥まみれの早苗を抱きかかえながら、妹紅は石斧を拾った。
この湖に留まり、近くの密林や海辺から食料を得て暮らしていたが、どうやらなにかあったらしい。
なにが起きているかを確かめるよりも、まずは早苗の言う通りここを離れた方がよさそうだ。
早苗を追ってくる存在の気配は感じないが、より安全な場所に移動するに越した事はない。
幸いにもびしょ濡れの身体を乾かす準備は整えてあり、まだ残してあった石斧や皮の水筒を取りにきた所で早苗が崖からすべり落ちてきたのだ。
「やれやれ、大荷物背負っちまったなぁ」
ぼやきながらも丁寧に早苗を負ぶって、道具を拾って隠れ家に戻る妹紅。
湖に流れ落ちる滝をいちべつしてから、崖沿いに西へ進む妹紅。
岩場を挟んで密林となっているが、こちらは岩の多い地形をしていた。
五分ほど密林を進むと、土ではなく岩の崖に行き当たり、小さな洞穴があった。
それこそが妹紅が見つけた隠れ家である。
一向に雨が降らないとはいえ、念のため雨に備えて薪や干物を持ち込んでいる。
獣に干物を食べられないよう、周囲には罠も仕掛けてあり、かかった獣がそのまま食料となり骨や皮が道具へと化けた。
洞穴に入ると、適当な壁際に早苗を寝かせる。岩の上でつらいだろうが少しの我慢だ。
さっそく焚き火をつけ、蔓のロープを張ると、妹紅は早苗の服を一枚一枚丁寧に脱がした。
所々ほころんでおり、島での生活にだいぶ苦労しただろうと解る。
泥はこの土砂降りのせいだろう。全裸になった早苗を、岩の上に葉っぱと皮を敷いた椅子に座らせる。
崩れ落ちないよう壁に背中を預けさせたが、この椅子以外はすべて向き出しの岩で、長時間このままという訳にはいかない。そもそも妹紅は硬い岩ばかりのここを寝床にした事はなかった。
早苗の服を持って洞穴を出た妹紅は、うんざりと暗雲を見上げ、痛いほど叩きつける雨にうんざりした。
洞穴の近くを流れる小川に入ると、雨のおかげで多少水かさが上がっていたが、元々浅かったため膝にも届かない程度だった。まあ、洗濯するには丁度いい。
丹念に泥を洗い落とした妹紅は早足に洞穴へと戻り、あらかじめ張っておいた蔓のロープに服をかける。
それからさらに、自分の衣服もすべて脱ぎ去ると、早苗の服の隣に干して焚き火の熱に当てた。
「これでよし、と」
最後の仕上げにと、妹紅は早苗を抱き起こして位置を変え、自分が葉と皮の椅子に座った。
なんとか座れる程度にした椅子は、即興の座布団があってもやはり硬く冷たい。
お尻がつらいのを我慢しながら、早苗を膝の上に座らせて、自分とどちらが長いだろう、艶やかな後ろ髪を前面に回してやってから、後ろからしっかりと抱きしめる。
右腕は早苗の右脇に挿し込み、小振りな胸の間を通って左肩を掴む。
左腕は、椅子の隣に置いてある干物を掴んで口元に運んでかじり、続いて早苗の腹部に回してやる。
早苗の背中で自らの胸を押しつぶしながら、妹紅は干物を丹念に租借した。
いい加減飲み込んでもいいだろうというほど噛んでから、右手を肩から離し顎を掴んで、早苗の顔をこちらに向かせる。呼吸は浅く、わずかに開いた唇はまだ青い。
今度は左手を上げて自らの口元に運び、租借した干物を少し、指先で摘み取る。
唾液が糸を引くそれを、構わず早苗の青い唇へと押し込む。
歯を開かせて干物を入れてやるが、早苗は苦しそうに喘いで吐き出してしまった。
しばし考えてから、妹紅は再び早苗に口づけをした。
舌の上に租借した干物を少し載せて、相手の口へと押し込んでやる。
またも早苗は苦しそうに喘いで吐き出そうとしたが、唇はしっかりと妹紅のそれでふさがれていた。
租借された干物とともに早苗の口部へと侵入した妹紅の舌は、早苗の唾液の味を感じ取りながら、優しく干物を飲み込ませてやる。
唇を離さぬまま、それを何度か繰り返して干物の半分程度を食べさせると、妹紅は唇を離して残った分を飲み込むと、深々とため息をついた。
「普通さぁ、こういうのはさぁ、美男美女でやりあうもんじゃないの? なにが悲しゅうて、女同士で……。いや、でもまあ、男女の組み合わせだと相手を警戒して身体を休める所じゃなかったしなぁ……」
誰にともなく愚痴を漏らしていたが、妹紅の脳裏にはいつも優しく自分を受け入れてくれる女性の姿があった。
今頃、彼女はどうしているだろうか。心配していないだろうか。
早苗が起きたら、事情を聞いて、自分も本格的に異変解決に乗り出した方がいいかもしれない。
「……化物、ね」
ふいに、脳裏に蘇る言葉。錯乱していた早苗が妹紅を認識できず口走った戯言。
――私に触れるな、化物ォッ!
あれは真実妹紅に向けたものではないしかし、かつて親しみを抱いた人間から化物として追われた過去。
何度、人を信じては裏切られてきただろうか。幻想郷にたどり着くまで。
少しきつく早苗の裸身を抱きしめ、妹紅は真っ直ぐ洞穴の入口を睨んだ。
外ではまだ雨が降っており、遠雷も聞こえた。
愛しき幻想郷は、晴れているだろうか。
× × × ○ ○ ○
小鳥のさえずりで、重たいまぶたをゆっくりと開く。
やや歪な円形の光が見え、ここはどこだろうと不思議に思った。
しかし、それにしても。
(ああ、なんて寝心地がいいのかしら)
まるで母に抱かれているかのような安心感を与えてくれるソファーは彼女の体重をしっかりと支え、背もたれには肩甲骨あたりの部分にとびっきりのクッションがそえられているようだった。
(もっと寝ていたい……)
そう思って身をよじると、耳元でささやかれた。
「ん、起きたのか?」
「ん~……諏訪子様? あと五分だけ~……」
「ざけんな、起きろ」
突然ソファーが立ち上がり、同時に早苗も立ち上がらせられた。
つんのめって倒れそうになり、慌ててバランスを取ろうとするが、裸足で岩はちょっと痛い。
裸足? 岩?
「え、わっ、あえ?」
困惑しながらも、早苗は自分を立ち上がらせた喋るソファーに振り返った。
流れる白い髪、白く美しい小振りな双丘のてっぺんに咲く、これまた小振りで綺麗な桜色。
視線はさらに下へと這い、形のいいお腹、下腹、髪の毛同様に白い――。
「うわ、うわっ!? ななな、なんで裸なんですか!?」
喋るソファーの正体は一糸まとわぬ藤原妹紅だったとさ。
大慌てて両目を手で覆いながら、指の隙間からチラチラと見てしまうのはなぜだろう。女同士なのに。
だってそれは、真珠のような裸身が生命力に満ち溢れ輝かしいほどに美しいから。
「仕方ないだろ。他に服も無いし、雨が横降りになって乾かしてる最中の服にかかっちゃうし。
もう着れない事もないけど、まだ湿ってるぞ。大変だったんだからな、雨の中、泥を落とすの」
「え」
妹紅が指さし、振り向けば、そこには蔓のロープに干された早苗の腋巫女装束があった。
とすると。
早苗は思う。自分は今、いったいなにを着ているのだろう。
見下ろす。
妹紅ほど色白ではないが、スベスベで健康的なお肌、ふっくらとふくらんだそれと、さらにその下、髪の毛と同じ色の――。
「きゃああああああっ!? ななななななななななんでわわわ私まで裸なんですかぁー!?」
「焚き火以外にゃ、素肌くらいしかあたたかいものがなかったんだよ。おー、痛。ずっと座りっぱなしでお尻がカチカチだ」
ぼやきながら妹紅は早苗の横を通り抜け、洞穴から出た。
「んー、晴れ晴れ」
うんと背伸びをして、裸身を惜しげもなく太陽にさらす妹紅。
あまりにも気持ちよさそうで、早苗も真似したくなってしまう。
だが乙女として! 全裸でなにもさえぎる所のない場所へ出たくはない!
いやでも決して妹紅さんが乙女ではないという意味ではなく!
「あああっ、私はどうすれば……」
「あっちに小川があるから、とりあえず顔でも洗ってこい。道中は岩場だから、足が泥んこになる心配もないしな」
「……服、着ていきます」
またじっとりと湿っているパンツとブラジャー、そして腋巫女装束に身を通しながら、これら一枚一枚を妹紅に脱がされたのかと思い、頬が朱に染まり動悸が早まった。
恥ずかしいやら情けないやら。
ともかく顔でも洗ってさっぱりしようと、早苗は洞穴の外に出た。
眩しいが陽射しはそれほど高くない。朝方なのだろうか。
周囲を見れば、岩場が続いている脇に密林が広がっていた。
そちら側は地面がまだぬかるんでおり、雨が上がってあまり時間が経っていないだろうと解った。
まだ濡れている岩の上をすべらないよう気をつけて進むと、膝下程度の浅さの小川が流れていた。
顔を洗って、ついでに水を飲んだ早苗は、しばし小川の前で立ち尽くす。
(そうだ、私は……あの化物から逃げ出して、妹紅さんに出会って……。また、助けられちゃったんだ。私、とても酷い状態だったのに、すっかり疲れが取れてる。でも、少しお腹が空いたな……少し? 化物から逃げ出した時は、まだ日が昇ってて、今は朝だよね……かなり長い時間、眠っちゃってたんだ……)
あの洞穴の中で、ずっと自分を抱いたまま座り続けていただろう妹紅を思うと、申し訳なさで胸がいっぱいになった。
(でも、そんなに時間が経ってるのに、どうしてそんなに空腹じゃないのかしら……)
疑問を解消すべく、早苗は洞穴へと戻る。
洞穴の入口では、服を着た妹紅が焚き火を起こしていた。
しかも石の釜戸を作り、熱した石の上で肉を焼いている。
「遅いぞ。顔洗うのにどれだけかかってるんだ」
「あ、ごめんなさい……ちょっと考え事をしてて」
「ふぅん。まあいいや、もうすぐ焼けるぞ」
妹紅の足元には石斧が転がっていた。あれで肉を捌いたのだろう、刃が赤く汚れている。
「骨を削って尖らせてある。フォーク代わりに使えるよ」
近寄ると、工具のノミほどある白骨を手渡された。
(これがあれば、ナイフの代用品にして、咲夜さんはもっと安全に戦えたんじゃ……)
犠牲になってしまったメイド長を思い、早苗の目頭が熱くなる。
泣きそうになって、早苗は慌てて笑顔を作って妹紅に訊ねた。
「おいしそうな匂いですね。これ、なんのお肉ですか?」
「蛇とカエル」
「え」
笑顔が凍り、きょどきょどした瞳が焼かれている肉へ向けられる。
確かに、焼かれている肉は円筒を切ったような形をしていたり、ああ、あれは手足のような……。
「お前が出てってすぐ、洞穴の中にカエルが逃げ込んできてさ、蛇が追いかけてきて、両方捌いた」
「あ、あああ、あのー……妹紅さん?」
「島生活にも慣れただろう。そろそろ、こういうのも平気になりなよ」
ゲテモノだから嫌がっているのだろうと思われて、早苗は気づいた。
自分が妹紅の事をよく知らないように、妹紅も自分の事をよく知らないのだ。
だから、これは善意100%のもので、食べないのは大変失礼になるのだけれど、でも、でも。
トカゲとは違う。違うんです!
「す、すみません。私、信仰の関係で蛇とカエルは、ちょっと……」
「お前のトコ、蛇神崇拝?」
蛇は脱皮する様から再生の象徴とされ、永遠の命を持っているとも考えられ、神格化される事も珍しくない。
海外でも自らの尾を呑み込もうとして輪を作るウロボロスの蛇などは有名だろう。
「まぁいいや。イスラームでも日本に来たら神様の目が届いてないとか適当な理由つけて豚食べたりするぜ」
「現代日本在住の外国人様方の笑いあり涙ありの面白エピソードをなぜご存知なんですか!」
「この前トンカツ食べた時、慧音が言ってた」
「とーもーかーくっ! 大恩ある妹紅さんの申し出とはいえ、私はこのお肉をジュルリッ食べられません!」
「よだれよだれ」
服の袖でよだれを拭いながら、早苗は胸の前で腕を交差させバッテンを作った。
拒絶の意志を形で示さねば心が屈してしまいそうだったからだ。
だが、グゥキュルキュルとお腹が悲鳴を上げる。
「ほら、あまり食べてないんだから、お腹空いてるだろ?」
「うっ……でも、昨日からずっとなにも食べてないにしては、それほど空腹でもないので……」
「ああ……うん、何度か干物を食べさせてやったから……」
「え、そうなんですか? ありがとうございます」
「口移しなんで二度とやんないからな。次からは自分で食えよ」
「はあ、え、くち、口移し!?」
仰天して引っくり返りそうになる早苗。なんとか踏み止まって、妹紅の唇を凝視する。
脳裏によぎるのは、パニックに陥った自分を正気に戻すためのキッス。
(あの心地よさを、眠っている間に、何度も!? 知らない、味わってない、もったいない! はっ、私はなにを考えてるの? そんな、同性愛はいけませんよ非生産的な! 幻想郷では常識に囚われてはいけないとはいえ、守りたい常識もあるのです!)
「おーい、焼けたぞぉ」
妄想にひたる早苗をスルーして、妹紅は肉に塩をかけていた。海水を蒸発させて得たものである。
尖った骨をフォーク代わりに突き刺して、蛇のものと思われる肉を頬張る妹紅。
「んー、絶品。この蛇イケるなぁ、幻想郷のより肉がしまってるというか……」
「ううっ……」
守矢の早苗、信者でもない他者にまで蛇やカエルを食べるなと強要するほど狭量ではない。
だがしかし、目の前でこうもおいしそうに食べられては、お腹が貪欲に悲鳴を上げてしまう。
「ほら、我慢しないで食べなよ。ほーれほれ」
新たな焼肉を刺した尖り骨が、早苗の前に突き出される。
匂いが、焼肉の匂いが、早苗の空腹を刺激する!
(ああ、駄目よ早苗、私は守矢の巫女にして神。神奈子様と諏訪子様を裏切るような真似はできない!
そう、例え天地が引っくり返ろうともお二方に背くなどあってはならない事!
耐えるのよ早苗! これは神奈子様と諏訪子様のもたらした試練!
世の中には断食という修行だってあるのだから、今、断食していると思えばいい!
人間、水さえあれば一週間くらいは生きていけるのです!
ですから断食などこの神である私にできぬ道理はありません! これは今や常識!
己に打ち克つのです! 欲望を滅却し、純粋な信仰に魂を委ね、神の世界への扉が開く!)
激しい思考の奔流に翻弄されながら、早苗は心底満足そうな表情で蛇肉を頬張っていた。
う~ん、ジューシー。焼き加減、塩加減、ともに絶妙! これは癖になる味!
そしてこっちのカエル肉、鶏のモモ肉と比べてなんら遜色がない絶品! おーいーしーいー!!
「な、うまいだろ」
「はい、モグモグごっくん……って、食べちゃってるぅー!?」
蒼白になって尖り骨を握りしめる早苗さん。
いつの間にか綺麗さっぱり食べてしまっておりました。
焼き石の上にはもう肉は残っておらず、妹紅と早苗、どちらがどれだけ食べたのか謎であった。
だが早苗の空腹を満たすこの満足感、恐らくたらふく食べてしまったのだろう。
「ああぁ~……神奈子様、諏訪子様、申し訳ありません……」
頭を抱えてうずくまる早苗を見て、楽しそうに笑う妹紅。
「なっ。食べると元気になるだろう? おいしい物をお腹いっぱい食べられれば、それだけで人間は幸せになれるんだ」
「うっ……それは、そうです、けど」
顔を上げ、早苗は子供のようにそっぽを向いた。
妹紅から元気をたくさんもらいすぎて、なぜだか妙に恥ずかしい。
「私は嬉しいよ。お前が元気になってくれて」
「妹紅さん……」
「妹紅でいいよ」
「じゃあ、私の事も"お前"じゃなく、ちゃんと"早苗"って呼んでください」
妹紅、と呼び捨てにしよう。
そう決めて、早苗は飛びっきりの笑顔で言った。
「あー、早苗だっけ、名前。思い出した思い出した」
「え」
妹紅さんを呼び捨てにする決定が破棄された瞬間だった。
そりゃ、確かにお互い交流なんて無かったけれど、この無人島に来て他のメンバーが名前を呼んでくれたのだから、ちゃんと覚えていましょうよ。
その場にへたり込んで泣きたい気持ちになったが、岩肌はまだ雨の残滓が残っており、せっかく乾かした服がまた濡れるのも嫌なので我慢する。
「水飲むか?」
魔理沙が作ったのと同じような皮の水筒を差し出され、ありがたく口をつけてスッキリさせると、心身ともにリフレッシュ完了した早苗に、神妙な顔つきで妹紅が訊ねてきた。
「で、場が和んだ所で本題だ。化物……って、なんだ?」
× × × ○ ○ ○
魔理沙と咲夜の身に起きた悲劇。
そして雷雲から舞い落ちてきた、焦げたリボン。
話しながら、早苗は何度か食べたばかりのものを戻しそうになった。
妹紅は顔をしかめたまま黙って聞き続けながら、木の棒の先に尖った骨と石をくくりつけ、原始的な槍を二本作った。化物と戦うための武器だろうが、正直心許ない。
早苗が話を終えると、妹紅は一枚の木の札を取り出した。
「それは?」
「木の板に私の血で呪文を書いた妖術の札だ。炎をまとって矢のように飛んでいく。とはいえ能力を封印されてるから使えないんだけどな。魔理沙はどうやって八卦炉を作ったんだろう」
と、妹紅は使えない札を焚き火にくべた。
「もったいない……」
「未練がましいのもな。私は妖術を使えるが、使うだけだ。魔理沙みたいに研究や実験をしてた訳じゃない。外の世界の奴が"ケータイ電話"とかいうのを使えるけど、構造は解らないっていうのと同じ、かな。多分」
「あー、解りやすいです、その例え。パソコンとか、科学の恩恵だけ与ってますからねぇ」
「そんな訳で、霊夢と魔理沙がいない今、能力を使える裏技なんかアテにならない」
「あ、でも……霊夢さんと、妹紅さんの、体質? は封じられてないとか、初日に……」
「怪我の治りが早いんだ。死ぬ時は死ぬよ」(生き返るけど)
「そうですか……」
「だから、まあ、妖術も使えないし化物と戦う時は前衛担当かな」
と、石槍と骨槍の両方を握って早苗に差し出した。
「どっちがいい?」
「え、と、石槍で」
骨は薄気味悪いので遠慮した。
「じゃ、後衛担当の早苗には尖った骨セットをプレゼント。棒手裏剣にはなるだろう」
「げっ。いえ、私、そういう投擲スキルは持ってないので」
「そうか。じゃあ私が使おう。じゃ、後これも」
まだあるのか。早苗は次に出てくるのが骨でない事を祈った。
「石斧。至近距離じゃ、槍よりこっちの方が便利だろう」
「ホッ。ありがとうございます、使わせていただきますね」
もんぺに尖った骨を射し込んで妹紅は立ち上がった。
「さて、じゃあ、妖夢と合流しようか。あいつの剣術は頼りになる」
「え、ええ。でもどこにいるかも解らないのに……」
「西の海辺に大滝があってな、そこで毎日修行してるんだ」
褌一丁で滝を浴びながら合唱している妖夢の姿を想像する事は、赤子の手を捻るよりも容易かった。
って、褌一丁だとアレじゃないか。
おっぱい丸出し。
さすが無人島、露出ネタには事欠かないという訳ですね。男性がいなくて本当によかった!
× × × ○ ○ ○
南国の孤島と言えば白い砂浜が美しいが、妹紅が向かった場所は簡素な岩場だった。
とはいえ、透き通った海水の向こうに色鮮やかな熱帯魚や貝殻や、サンゴ礁まであるのだから心が躍る。
水平線まで続く水面も、翠色が波打って星のようにきらめいていた。
「綺麗……こんな形じゃなく、旅行で来たかったです」
「私は早苗と再会するまで全力で旅行気分だったけどな」
バイタリティの差って悲しい。うなだれた早苗は、岩のくぼみに満ちた海水の中に、表面のなめらかな青紫の石を見つけた。
「わっ、見てください妹紅さん。これ、すごく綺麗です。なんでしょう?」
子供のようにはしゃぎながら、早苗は海水に手を突っ込んで、石の表面を撫でた。
硬質ではあったが、不思議と生命力を感じる。石ではなくサンゴの一種かもしれない。
「それナマコ」
「え」
触れたまま硬直し、早苗はナマコをじっと見つめた。
いや、だって、触っても全然動かないし、それにナマコってウネウネしてるイメージがあって、だけれどもこれは石のように硬いし、え、ナマコ? ナマコですかこれ?
「この辺にはいっぱいいるぞ。妖夢の主食になってる。後で料理してやろうか?」
「せっかくですけど遠慮します」
ナマコから手を離し、早苗は青空を見上げた。ああ、陽射しが眩しいなぁ。あはは、うふふ。
と、視線の先に崖があった。しかも崖から海へとかなりの量の水が流れ落ちている。
「あれですか? 妖夢さんが修行してるっていう大滝」
「うん、そう。入れ違いになると面倒だし、下に回ろう」
「は?」
滝を浴びて修行しているのなら、その場から動かないのだから入れ違いなど起きないのではないか。
不思議に思いながらも、妖夢に会えば解ると考えを放棄して妹紅の後に続く。
近づくに比例して滝の水音が重たく響いて、霧のような細かい水しぶきが身体にかかる。
早苗は目を凝らしたが、滝の下に妖夢の姿は見当たらなかった。
そもそも滝はほぼ垂直に流れ落ちており、滝の裏の岩壁とは距離があって、滝を浴びるなど不可能だ。
滝壷に潜って水泳の特訓なのかなぁ、なんて思ってると、妹紅が「いたぞ」と指さした。
指は、滝の上へと向けられている。
見上げてみれば、崖の上に人影があった。しかも近くに人魂が浮いている。
間違いなく妖夢だろう。
「まさか、あの高さから滝壷に飛び降りるのですか!?」
滝は、早苗が通っていた学校の屋上ほどの高さがあった。
空を飛べない今、あの高さから落ちたら間違いなく死ぬ。早苗の場合は。
「いくら妖夢さんでもあの高さじゃ……って、あーっ!」
無理、と言おうとしている間に妖夢はみょんと、訂正、ピョンと滝壷へと飛び込んだ。人魂と一緒に。
しかもなぜか、両手は人差し指を立て、なにかを指さすような形にしている。
その理由を早苗は一部始終目撃した!
「1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14・15・16・17……!!」
「ああー! 滝を物凄いスピードで落下しながら……ほとばしる水しぶきの数を数えているー!!! す……すごい!! ……のですか!? 解りません!! もう全然解りません!!」
果たして幾つまで数えたのだろう、滝壷に呑み込まれるまでの間、妖夢は息継ぎを挟まず継続してカウントを続けていた。
人魂もろとも滝壷に沈んだ妖夢の安否が気になったが、すぐに滝から離れた場所から妖夢が顔を出した。
凄いよ妖夢さん! 早苗は意味不明ながらも尋常ではない修行に心底感心していた。
「妖夢ー! おーい!」
滝の音に負けぬよう妹紅が声を張り上げると、妖夢はこちらに気づいて岩場に上がってきた。
早苗の想像と違い褌一丁ではなく、白い肌着とドロワーズでしっかりと女性の部分を隠していた。
そして頭は真っ赤だった。
「もこたん! さなぽん! それにみんなー!」
「血まみれでしかも名前違うー!! しかも私達二人しかいないのに"みんな"って誰ー!?」
明らかに修行失敗している妖夢の惨状に早苗は的確なツッコミを入れつつ度肝を抜かれた。
× × × △ ○ ○
「面目ない。滝壷に飛び込んだ時、海底の岩に頭をぶつけてしまいました」
血を洗い落とし、ハンカチで傷口を押さえている妖夢。
恥ずかしそうに頬を赤らめていた。
三人は滝からやや離れた砂地で焚き火を起こし、妖夢は肌着とドロワーズを着たまま乾かしている。
元々ここで着替える予定だったのだろう、薪は組んであったし、かたわらに妖夢の衣服も置かれていた。
他にも岩陰に咲夜からもらったナイフや皮の水筒、干物や果物が隠してあり、ここを拠点としているのは間違いないだろう。
「なあ、これ何本に見える?」
ふいに妹紅はVサインをして問う。
「二本」
妖夢は短く答え、微笑を浮かべた。
「うん、もう平気みたいだな。もこたんとさなぽん、それから"みんな"なんて言うから何事かと……」
「うーん、後ろに魔理沙が何人かいたように見えたんですけどねぇ」
「魔理沙が?」
「ええ。魔理沙というか、金髪の人が」
「スキマ妖怪が救助に来てくれた訳じゃなさそうだな」
冗談半分に妹紅が言うと、妖夢はクスクスと笑った。
「朦朧としてましたから、まあ見間違いでしょう」
「そうそう、魔理沙だけどな、咲夜もだけど、化物に食われて死んだらしいよ」
「みょん!?」
そして冗談ではない事実を告げたら、妖夢は仰天して立ち上がり、足をすべらせ、焚き火に突っ込みかけた。
てんやわんや。
× × × ○ ○ ○
「まさか雨粒を数えている間にそんな出来事があったとは……」
ツッコミを入れるべきかどうか悩む早苗のかたわらで、妖夢は服を着ながら悔やむように言った。
妹紅は岩に立てかけられていた二本の刀を抜いて、潮で錆びていないかを確かめている。
「いい刀だな。頼りになりそうだ」
「手入れは欠かしてませんし、そう簡単に錆びたり刃こぼれしませんよ。妖怪の鍛えた業物ですから」
刀を鞘に納めて元の場所に戻し、妹紅は妖夢が集めた果物の中から梨に似た黄色いものを選んでかじる。
白い果肉から甘酸っぱい汁がたっぷりとあふれ、ミカンの甘味を増やしたらこうなるかなと想像した。
「又聞きになるけど、咲夜曰く刃物は通じるけどナイフじゃ威力不足で、妖夢の刀が欲しいとかどうとか。でさ、妖怪タコ入道だけど、こいつで斬れる自信ある?」
「妖怪が鍛えたこの楼観剣に、斬れぬものなど、あんまり無い!」
ビシッと決め台詞を言ってのけ胸を張る妖夢だが、態度とは逆に"あんまり"という単語が頼りない。
「じゃ、斬れなかった時のために粘液対策も必要だなー。妖術が使えればたこ焼きにしてやるのに」
反応のよろしくない妹紅に落胆しながら、妖夢も同じ果物を取ってナイフで切り裂いて食べた。
「妹紅の炎って妖術でしたっけ?」
「うん。輝夜だって別に燃えたりしないでしょ? まあ私の場合、無関係って訳じゃないけど」
「他の武器は、その骨と石の槍くらいですか?」
「骨を尖らせた棒手裏剣もどきと、早苗に石斧を持たせてある」
「心許ないですね」
骨槍を持って立ち上がった妹紅は、近くの水場に突き刺す。引き上げると普通のタコが頭を貫かれていた。
妖夢が持っているナイフ、咲夜から分け与えられ、この三人が持つ最後の一本を勝手に借りると、タコの頭を切り取って岩の上に放り、まだ動いている触手を岩の上に置いて適当な長さに切り刻んだ。
「早苗から聞いた感じ、真正面からやりあいたくないな。罠でも仕掛けるか?」
妖夢は荷物の中から木を削って作った串を取り出すと、切り刻まれたタコ足をひとつずつ刺していく。
二人はそれらを繰り返しながら会話を続けた。
「得物を考えると私が主力ですね……」
「直接戦闘なら能力の使えた霊夢を除けばお前が一番だろうけど、油断は禁物だね。咲夜がタコ入道を追い詰められたのは地形や作戦のおかげだしなぁ……」
「そのタコ入道を刺身にできたとして、その後、黒幕が出てくる可能性は?」
「あー、霊夢もやられたっぽいしなぁ。もし出てきたら、とりあえず私が戦って様子見かな」
うなずいて、妖夢は串を焚き火の近くに刺した。
ジュウジュウとタコ足の焼ける音が食欲を刺激する。
「あなたが一番適任でしょうね。でも能力封印系の力があるのは確実、絡め手も警戒しないと」
「絡め手かー。ガチンコならともかく、身体ごと封印とか幽閉とか、そういうのされると弱いなぁ」
「やっぱり能力が使える方法を探るべきでは? 魔理沙がマスタースパークを使ったんでしょう?」
「種が解らなきゃなぁ。タコ入道がいたっていう祠の中が気になるけど」
「そこに脱出路か、あるいは能力を封印している仕掛けがあるかもしれませんね」
「俗なお宝って線もあるな。金銀財宝! この状況じゃ逆に期待ハズレの無駄骨だ」
「妖術魔術の道具という線は? 抜いただけで人を斬り殺したくなる妖刀とか。そろそろいい焼き加減では」
「ああ、私、じっくりこんがりが好きなんだ。ちょっと焦げてるくらいのさ」
「じゃ、お先にいただきますね」
「早苗ー、そっちのもいい塩梅に焼けてるぞ」
会話から取り残され傍観していた早苗は、声をかけられてようやく口を開いた。
「あの……二人とも、真剣に話していらっしゃいます? すでに、三人も……死んでいるのに……」
と言いながらも、ちゃっかり串を取ってタコ足を食べる早苗。
うん、おいしい。
「三人とは冥界でまた会えますし。まあ、地獄行きになったら別ですけど」
薄情なのか、それとも冥界在住半人半霊であるための感覚の違いなのか、妖夢はあまり悲しんでいないようだ。
「私も死に別れは慣れてるし、まあ、仇討ちはしっかり決めてやるさ」
妹紅も人死にの受け取り方が冷めているらしく、ドライな対応だ。
とはいえ、最初に三人の死を聞かされた時は神妙な顔で押し黙っていた。
悲しんでいない訳ではないと、早苗は信じたかった。
「所でタコ入道ですけど、まだ島を徘徊してるんでしょうか」
「どうだろ。早苗を追っかけてて、見失ったなら祠に戻ったんじゃないか? 祠を守ってるのかも」
「じゃあ、罠を仕掛けるとしたら祠の周辺ですね。崖と泥沼に囲まれてるんでしたっけ」
「うーん、水系統の罠は効果薄そうだしなぁ。崖まで誘い出して、上から岩とか木材を落としたいな」
「咲夜はヤシ油で焼いたんですよね」
「作り方、知ってるのか?」
「いえ……妹紅は?」
「火には困らない生活を送ってたもんでね」
「罠に関しては任せていいんですよね?」
「ていうか、私しか罠スキル持ってないだろ。私が仕掛けて、その後、私と妖夢とで祠に突撃かな。後は岩の上を跳んで逃げて、崖まで誘い込んで、罠を作動させるのは早苗に任せるか」
「泥沼からは出したいから、その咲夜が戦ったっていう崖の亀裂あたりで戦うべき?」
「相手の知能次第だなぁ。一度やられてるから、学習して誘いに乗ってこないかも」
「祠のある内陸に罠を仕掛けるのは」
「扉、蹴破られてるんだろ? 罠を仕掛けてる最中に気づかれちゃうよ。タコ入道が祠に戻ってたらの話だけどね……」
「大変な事に気づいた」
「どうした?」
「妹紅のタコ足、黒コゲですよ? さすがにそれは焼きすぎじゃ……」
「ゲッ」
話題が化物退治の相談に戻ると、またもや早苗が口を挟む隙は無くなってしまった。
体験した出来事、目撃した惨劇は、すでに詳細に語ってしまっている。
後は二人の会話にしっかりと耳を傾け、もし助言できるようなら助言し、三人の役割分担を正しく認識し少しでも力になれるよう心がけるくらいしかやる事がない。
相談はその後も続き、今日はこの浜辺で夜を明かす事となった。
× × × ○ ○ ○
夜になって、早苗はふと目を覚ました。
妖夢の寝床は浜辺に隣接する森で、葉っぱを幾重にも積んで布団代わりとしていた。
もちろん妖夢一人分の大きさだったので、日が暮れる前に三人で協力して二人分の葉っぱ布団を並べるようにして作った。
真ん中に早苗、両端を妹紅と妖夢という形で陣取ったのだが、妹紅の場所から寝息が聞こえない。
広葉樹の下では月明かりが届かず真っ暗闇。
姿を確認できないため、早苗は手探りで妹紅の寝床に触れた。
いない。
どこに?
息を潜めると、遠くから聞こえる波の音や、木々のざわめき、夜行性の鳥獣の鳴き声に混じり、妖夢の静かな寝息が聞こえ、いなくなったのは妹紅だけだと確信した。
波の音を頼りに、早苗は浜辺へと向かった。
砂浜と岩場が入り混じった地形になっており、森を出たので月明かりでなんとか岩の輪郭程度は解ったが、距離感が掴めなかったため、岩にぶつからないよう両手を前に出して恐る恐る歩く。
すると、波の音に混じって人の声が聞こえた。
うめくような、泣いているようなこれは、嗚咽?
「妹紅……さん?」
名を呟いた途端、嗚咽らしき声は波に溶けてしまったかのように消え去ってしまった。
十秒ほどの静寂の後「早苗か?」と返事がした。
「あ、はい。そうです」
「こんな夜更けに、どうかしたか?」
声を頼りに、早苗は歩を進めた。
「それはこっちのセリフです。気づいたら、妹紅さんがいなくて」
「疲れてるだろ、気にせず眠っときなよ」
足手まといと思われた早苗だが、午後は松明や蔓のロープなどを協力して作っていたため、手馴れていない早苗と妹紅はだいぶ苦労をし、体力で劣る早苗の方が疲れは大きいはずだ。
「あの……」
泣いていたんですか?
そう訊ねようとして、早苗は口を閉ざした。
隠れるようにして泣いていたのだとしたら、わざわざそれに触れずともいいだろう。
「私達、帰れるでしょうか」
「ん……どうだろうな。タコ入道を退治して、祠を調べて、なにも見つからなかったら、八方塞だ」
「妹紅さんの帰りを待ってる人って、います? どんな方です?」
「人里で、寺子屋の教師やってる」
「あっ、知ってるかも。確か上白沢さんでしたよね?」
「うん。上白沢慧音」
どこにいるのか解らぬ妹紅と会話をしながら、早苗は満天の星空を見上げた。
空が酷く遠くに感じる。
無性に幻想郷が恋しくなり、両腕を抱いた。
「大丈夫」
さらにその上に、腕が回された。
耳元で声、背中にぬくもり。
「私は"死なない"……いや、"死ねない"んだ。奴を駆逐するまで、何度でも"蘇る"さ」
後ろから抱かれているのだと悟り、早苗は自然と背中を預けた。
(妹紅さん……私のために、そんな風に強がって……)
心配りが嬉しくて、目頭に込み上げるものを感じ、早苗はうつむいた。
「早苗も死なせたりしない。幻想郷に帰ったらさ、妖夢と三人で、なにかうまいものでも食べに行こう」
「……はい」
「なにが食べたい?」
「ハンバーグ。私が作りますから、食べに来てくれますか?」
その時、人や岩の輪郭がかろうじて解る程度の暗闇の中で早苗は、確かに見た気がした。
「楽しみにしてるよ」
とっても嬉しそうな、妹紅の笑顔を。
× × × ○ ○ ○
翌日になって、三人は化物が島を徘徊している可能性を考慮して慎重に島の中央部へ向かった。
あの異常な豪雨のせいで土砂崩れが起こっており、何度か迂回を必要とし、到着した時は夕方だった。
これでは罠を仕掛けるにしても、すぐ日が暮れて動きが取れなくなってしまう。
また、化物の住処の近くでのん気に眠れるほど無用心でもなかった。
急いで寝場所を探したが、いい場所が見つからないまま日が暮れ、仕方なしに茂みの中で身を寄せ合った。
「ここなら、他にも鳥や獣の気配で誤魔化せるかもしれないし、交代で寝ずの番をしよう」
妹紅の提案は受け入れられ、早苗も夜中に見張りをこなした。
目が利かないのでじっと耳を澄ませるだけだったが、化物の巨体ではこの茂みの中、物音を立てず侵入できまい。敵はむしろ退屈と眠気だった。
翌朝、さっそく三人は島の中央部を囲む崖に登り、咲夜の戦いの痕跡の残る亀裂を中心に、様々な罠を仕掛けた。
妖夢が木の幹を切り裂き、尖らせたものを蔓のロープで固定しておく。
それほど硬い固定ではないが、先端は地面に突き刺さっているし、早苗の力でも思い切り体当たりをすれば崖の亀裂へと落とす事ができる。
崖の底には尖った骨を埋めて針地獄を作っておいたし、亀裂以外の場所にも数箇所、罠を用意した。
武装は、長刀楼観剣と短刀白楼剣のみの妖夢。
妹紅は骨槍と尖った骨数本、それから妖夢が使っていた咲夜のナイフだ。
早苗は石槍と石斧のみ。余計な武器は持たせず、罠係に専念する。
「色々と準備した割には貧相だよな」
「仕方ないです。大半は罠についやしましたし」
槍を抱えて泥沼の内陸に建つ祠を睨む妹紅。
二本の刀を腰に下げ人魂とともに静かにたたずむ妖夢。
二人は今、崖の亀裂からやや西側、祠の正面に陣取っていた。
遠目にも祠の不気味さは異常であり、破られた扉の内側は暗く、様子が解らない。
「いると思うか? タコ入道」
「この距離では、ちょっと。でも早苗がみょんな気配がするって言ってましたし」
「グダグダ考えても仕方ないな」
「行きましょうか」
妖夢は軽やかに跳躍し、泥沼に点在する、手近な岩の上に着地した。一拍遅れて妹紅も続く。
「おい、先行するのは私だ。万が一の時、都合がいいだろ」
「そうでしたね」
今度は妹紅が先に、次の岩へと飛び移った。
傾斜になっており立ちにくく、妹紅は骨槍を落としそうになった。
妹紅が身体を安定させるのを見てから妖夢も跳んだ。着地と同時に岩を掴み、身体を支える。
「咲夜ならいちいち止まったりせず、ピョンピョン進んでくんだろうなー」
「身軽ですからねぇ」
「紅魔館の連中になんて説明したもんかな……」
「私は霊夢さんの安否が気がかりです。唯一確認が取れてませんし、結界の事もある。紫様がいらっしゃるから、たいていは大丈夫だとは思いますが……」
「私は妖夢ほどあのスキマ妖怪を信頼しちゃいないんでね。あいつに何回リザレクションさせられた事か」
「その節はすみませんでした」
妖夢は軽く頭を下げたが、妹紅はそれを気にかけず次の岩へと向かって足場を蹴った。
そんな調子で、祠まで岩をもうひとつという所まで行き、妹紅は「あっ」と声を上げた。
平らで着地しやすい岩だったため動きやすく、妖夢は腰を落として抜刀の構えに入る。
「タコ入道ですか?」
「いや、ちょっと閃いた。成功すれば、今から引き返して試す価値があるほど上等な策」
亀裂の走った崖の上で、木陰に隠れながら様子を見ていた早苗は眉をしかめた。
テンポよく進んでいた二人が、内陸までもう少しという所で立ち止まってしまったのだ。
まさか、化物が。
そう思い祠に視線をやったが、奴が出てくる気配は無い。
どうやら二人は何事かを相談しているようで、ここからでは聞き取れない。
大声ならば届くだろうが、それでは化物に襲撃者の存在を知らせるようなものだ。
いったいなにを話しているのか。トラブルでもあったのだろうか。
不安が少しずつ大きくなっていく。
嫌な気配までもが大きくなっていく気がして、早苗は胸元に手を当てた。
「あ」
二人に変化が現れた。祠に背を向け、一個前の岩を向いた。
まさかあそこまで近づいたのに、戻ってくるつもりだろうか。
やっぱりなにかあったんだ。早苗は異常を探るため、目を凝らした。
「なるほど。試す価値はありますね」
「魔理沙とは異なる手段だろうけど、成功すれば裏技発見だ」
「じゃあ今日の所は引き返しましょう。実験の成否はともかく、攻め込むのは明日になりますね」
「だな。とっとと戻ろう、早苗が心配そうにこっち見てるぞ」
相談を終えた二人は、さっそく一個前の岩に向かってジャンプしようとした。
ここまで何事もなく来れたため、帰りまで妹紅が先行する必要はないだろう。
二人は同時に跳ぼうとした。
「後ろ! 後ろです!!」
早苗が声を張り上げる。
ギョッとして二人が振り返ると、泥が山のように盛り上がっていた。現在進行形で。
「まさか!?」
「みょん!?」
当惑しながらも槍を構える妹紅と、抜刀する妖夢。
二人の目の前に現れた泥の山から、暗緑色の鉤爪が生え、事態を認識する。
うかつだった。
早苗は、魔理沙と一緒に泥沼を歩いて渡ったと言っていた。
だから、この泥沼は浅いのだろうと思い込んでしまった。
現実は、人間の三倍はあろうかという化物が全身を沈められるほどの深みもあったのだ。
たまたま早苗達の歩いた場所が浅かっただけ。そして妹紅達が浅はかだった。
爪から逃れるようにして二人は反射的に跳躍した。
妹紅は内陸側の岩へ、妖夢は崖側の岩へ。
同時に二人は悔いた。奇襲を受けたとはいえ、自ら分断してしまうとは。
お互い実力はあっても即席コンビ、連携を取るためには打ち合わせが必要だった。
「挟み撃ちだ!」
妹紅が叫ぶ。
「挟み撃ちできると考え直せ!」
「了解!」
妖夢が答えるとほぼ同時に、泥の山が弾けた。化物が大きな身震いをしたのだ。
まるで弾幕のように飛んでくる泥を逃れようと、妹紅は内陸へと飛び移る。
一方妖夢は、さらに後方の岩場へと逃れなければならなかった。
ますます距離が開き、妖夢は焦る。
足場の悪い自分が狙われたら、ろくな反撃ができないだろう。
だがその場合、なんとしても崖まで逃げて、早苗の罠と連携して倒すのだ。
妹紅抜きになるのは痛いが仕方ない。
が、妖夢の思考と裏腹に、化物が狙ったのは内陸の妹紅だった。
倒しやすい方を後回しにする理由、やはりあの化物は祠を守っているのか?
内陸に向かわれては、苦労して仕掛けた罠一切合財が使えない。
多少動きやすくとも、狭い内陸ではいずれ追い詰められてしまう。
妖夢は妹紅が別の岩に逃げる事を祈った。
罠は数箇所に仕掛けてある。
だが自分達の跳躍力で内陸まで飛べるよう点在している岩のルートは、亀裂の近くからのものしかなく、他の罠へと逃げ込むためには泥沼に入らねばならない。
打ち合わせにない展開に、妖夢はどう行動すべきか、妹紅の動向をうかがった。
幾つか思い浮かぶ選択肢。
深さの解らぬ泥沼に入る覚悟で罠まで逃げる。
この内陸部分で妖夢が来るまで持ちこたえ、連携して攻撃する。
祠の中に逃げ込み、なにが隠されているのかを確かめる。
(どうしたもんかな)
まず、罠まで逃げる選択肢を捨てた。
泥沼の中を走って、この化物から逃げ切れるかどうか不安。
それに深さが一定でないと解った今、溺れ死ぬ危険性も考慮せねばならない。
祠の中に逃げ込むか?
祠に起死回生となるものが隠されていなければ袋のネズミとなるだけだ。
「ここで迎え撃つ! 妖夢、来てくれ!」
果たして、これが最善の選択だったのか自信は無かった。
他にもっといい選択肢があったかもしれない。
しかし、悩んでいる暇は無い。
化物は内陸に足をかけ、その巨躯すべてをあらわにしたのだから。
大きい。聞いた通り、人間の三倍はあるだろうか。
魚介類のような鱗の上には暗緑色の粘液が、どす黒い泥が入り混じっている。
咲夜がつけたという眉間の傷は、跡こそ残っていたがすでにふさがっていた。
触手は獲物を求めて蠢いており、骨槍を突き出して牽制する。
化物が蝙蝠の翼を広げて突進してきた迫力に押されながら、妹紅は勢いを利用して槍を眉間に突き刺してやろうかと考えた。
だが二足歩行で迫る化物の頭部は高く、とても狙えたものではない。
サイドステップで突進を回避した妹紅は、通用しないだろうと承知しながらも化物の足に槍を突き立てた。
骨槍の切っ先は粘液によってすべり化物の肉体には届かず、物理的に貫くには大木でもぶち込まないと無理だろうと思われた。
仕掛けた罠ならば通用したかもしれず、歯がゆい。
向き直った化物は巨腕を振るって妹紅を捕まえようとした。
尋常ではない風切り音は背筋を冷たくさせ、しかしあえて妹紅は懐に飛び込む形で腕を避け、もんぺに挿しておいた尖り骨を一本引き抜いて、顎部分の触手群に真下から投擲する。
気配を感じたのか、触手はがむしゃらに動いて骨を叩き落した。
(見えたッ!)
妹紅はニッと笑って、化物の股下をくぐり抜ける。だがすぐきつく噛みしめた。
(なんだあれはッ)
蠢く触手は、顎部分にどうやら楕円形に生えているようで、その内側に黒い空間が開いていた。
それこそが、人間を丸呑みにできる巨大な口なのだろう。
一瞬見えただけだったので、正確な大きさや、牙の有無などは解らなかった。
しかし得体の知れない底知れなさは、真夜中に揺らぐ暗黒の深海のようであり、湧き上がる恐怖に精神は引き裂かれそうに痛んだ。
見る。
それ自体が罪であり罰であった。
すでに化物の背後に回り、もう口は見えていないというのに、未だ精神力がそぎ落とされていく。
タコ入道などと馬鹿にした呼称は、すでに妹紅の頭の中から消し飛んでいた。
泥沼に飛び込んででも逃げ出したい衝動に必死に抗う。
(そういえば、遭遇しただけで、見ただけで精神を発狂させる邪神とその眷属が、この世界のどこか、あるいは異世界に存在しているって慧音が言ってた。まさか、まさかこいつが、その邪神、あるいはその眷属なのか!?)
恐怖を振り払うように、振り向き様に骨槍を払い、化物のアキレス腱を断とうとした。
だが、先を尖らせただけの骨では斬る攻撃はできない。
衝撃により骨の固定部分に亀裂が走り、骨が跳ね飛ばされてしまう。
槍はただの棒切れに成り果て、妹紅は舌打ちしながら放り捨て、尖った骨手裏剣を二本引き抜いた。
剛腕を振るいながら化物が振り返り、妹紅は後ろに跳躍して回避しながら骨手裏剣を眉間の傷目がけて投げる。
策もなにも無い、恐怖心を誤魔化すための無謀な攻撃が意味を成すはずもなく、呆気なく触手に阻まれた。
化物が一歩迫れば、妹紅も一歩下がり、新たな骨手裏剣を投げる。
歩幅の差から次第に距離は縮まり、無数の触手が蠢く様から目が離せない。
あの向こうに、深い深い深い深い深い深い暗い暗い暗い暗い暗い暗い、穴ぼこのようなモノが。
「後ろは沼です!」
ハッと我に返ると、かかとに地面の感触が無かった。いつの間にか内陸の端まで追い詰められていた。
化物は両腕を広げるようにして威嚇しており、妹紅に逃げ場所はない。
一か八か、また股下をくぐるか? いや無理だ、見まいとしても、きっと見上げてしまう。
そうなればまた狂気の虜だ。
ギリと歯を噛んで、自らに打ち克とうと真っ直ぐ化物の両目を睨んだ。
その背後、化物の後頭部のあたりに、半霊をともなって長刀を抜いた妖夢。
無言の一閃は正確無比に化物の首を切り裂こうとした。
結果は意外! バチンと電気が弾けるような音を立てて、楼観剣の一撃は跳ね返された。
刃物が粘液によってすべったのとは明らかに違う。
「対魔結界ッ!?」
驚愕しながら、空中で回転して体勢を整えて着地する妖夢。
化物は苛立つようにして背後の妖夢へと振り向き、その隙に妹紅は反対側に回り込みながら化物の足を素手で引っかいた。
「妖夢!」
「無理! 退きましょう!」
化物から逃れるように後退する妖夢を、粘液まみれになった左手を振り上げた妹紅が追いかけた。
内陸は狭いが、足場がしっかりしていれば妹紅と妖夢のスピードが上回っている。
極端な話、祠の周りを回るように逃げれば、体力の続く限り追いつかれない。
「これ斬れるか!?」
「みょん!?」
おぞましい暗緑色をまとった左手を見て、妖夢は逃亡速度を落とし、妹紅を追いつかせた。
二人して祠の周囲を回るようにして走りながら、妖夢は嫌そうな顔をする。
「臭い! 近づけないで!」
「いいから斬れって!」
妖夢は指を切り飛ばす勢いで妹紅の左手に楼観剣を振るった。
先程化物の首を後ろから斬った時は角度の問題で妹紅からは見えなかったが、粘液は火花を散らして刃を弾く。
「うわっ、もしかしてあの粘液全部に妖刀魔剣対策が!?」
「みたいだな! その剣を没収せずここに放り込まれたんだから、ある意味当然の結果かも!」
グルグルと祠を回りながら、二人は顔を見合わせた。
一応背後からの重低音、化物の足音に追いつかれまいと耳をすませながら。
「でもですね! 要するに咲夜と同じですよ、粘液さえ攻略すれば楼観剣で斬れるはず!」
「てかさ、咲夜のナイフも妖夢の刀も対策済みなら、私のもダメかな? 妖術込みだから属性的に対魔結界に反応しそうなんだけど」
「蓬莱の薬までは封じれてないんでしょう? 多分大丈夫なんじゃないかと」
「だよなぁ、ぶっつけ本番でやるしかないのか……ん?」
重たい足音が遠ざかり、妹紅は走りながら振り向いた。
化物がいない。
きびすを返して立ち止まった妹紅、背中合わせになるようにして歩を止める妖夢。
腰を落として、粘液の前では無力な二本の刀をしっかりと構える。
妹紅に残された武器はナイフだけだった。咲夜から妖夢へ、妖夢から妹紅へと渡された。
「どこだ。祠の裏側?」
「沼に隠れたのかも。まさか早苗の所に向かってるとか」
「いやー、足場の悪い妖夢より私を優先してきただろ? 祠を守ってるのかも」
「前、後ろ、沼、どこから来るつもりでしょう」
「祠の上をよじ登ってきたりしないよなぁ?」
警戒をうながしながら、妹紅は左手に付着したままだった粘液を振り払おうとした。
だが何度手を振っても取れず気持ち悪い。いっそ手首を切り落としてもらおうかとさえ思う。
その一瞬、妹紅は気を散じた。
化物が来るとしたら、前方か後方か、泥中か、祠の上か、あの巨体では奇襲を受ける前に察知できる。
歴戦ゆえの判断、そして幻想郷で殺し合いを続けていたとはいえ決闘ばかりをこなしていたための、実質実戦から遠ざかっていたために生まれたブランクゆえの判断だった。
突如、破砕音とともに瓦礫が弾幕のように飛んできた。
妖夢は予想外の展開ながらも瞬時に対応し、二刀で瓦礫弾幕を弾きながら回避運動を取った。
だが妹紅はギョッとして身をすくませてしまう。
瓦礫は、祠を内側から破壊した化物によって放たれたものだった。
祠を守っていたという可能性を考慮した結果、祠自体を守っていた訳ではないと気づけなかった。
ではなぜ祠にこだわっていたのか? 祠の中にあるなにかさえ無事なら、祠はどうなっても構わない?
それらの疑問の中、妹紅は瓦礫を頭部と横腹に受けてよろめき、揺れる視界を埋め尽くさんとする鉤爪を見た。
(ぶち抜かれる!)
頭を根元から持っていかれるか、四肢が千切れるか、胴体に巨大な風穴が開くか。
もう避けられないと悟っていた妹紅は、瓦礫を回避した妖夢に目線を送った。
察してくれた妖夢は、小さくうなずいて見せる。
(やるしかない!)
しかし決意を嘲笑うかのように化物は妹紅を鷲掴みにした。
(なんだと!?)
粘液まみれになりながら胸部を圧迫され、肺の空気をすべてしぼり出されてしまう。
(確実に殺れた、はずだ!)
妖夢の斬撃は効果が無いと理解しているのか、化物は妖夢に気を払わず、妹紅に顔を近づけてきた。
(食う!? 踊り食いする性癖!? くそっ、二重の意味でマズイッ!!)
再びあの口を目にしたら、果たして戦闘を続行できるだけの精神力を保てるだろうか。
それに、食われるなら踊り食いはよくない。
鉤爪の餌食になると理解した時、実は腹部を貫かれる事を期待していた。
妹紅本人のみならず、妖夢までもが、肝を木っ端微塵にしてくれる事を。
蓬莱の薬は、生き胆に溜まる。
生き肝を喰らえば、蓬莱の薬と同じ効果が得られる。
この化物が、永久不変の不老不死と化すのだ!
妹紅は化物に負ける際、肝だけは食わせまいと誓っていた。
いざとなればナイフで割腹し、肝を引きずり出し踏み潰してやるつもりだった。
だが鷲掴みになった今、それもできない。
(頼む……妖夢! 妖夢ゥ!!)
心の中の悲鳴が届いたかどうかは解らない。しかし妖夢は、妹紅の期待通りに動いていた。
無視されているのを幸いと化物の股下をくぐり抜け、今まさに巨腕から触手へと絡め取られようとしている妹紅を目撃した。
判断は素早く、楼観剣を垂直に立てて地を蹴り、一直線に触手の隙間を通して貫いた。
藤原妹紅の、胸の中心を。
肝を切り飛ばさず、一か八かの殺害を試みた妖夢の度胸に感嘆する妹紅。
上等だ。ここから華麗なる大逆転といこうじゃないか!
死に際の微笑みは、妖夢の闘志に熱い炎を宿らせた。
化物はなにが起こったのかよく理解しておらず、楼観剣を引き抜かれた妹紅の遺体を食そうとする。
手が離れ、妹紅の全身に触手が絡みついて、内側へと運ばれていく。
もし妹紅が生きていたら、こう思っただろう。
「死んでたおかげで、口を目にせずにすんで助かった」と。
妖夢は事を見守るため、あえて化物の正面に躍り出た。
ここが一番、妹紅の死体を見やすい角度。
ちなみに早苗のいる場所からは、祠が邪魔でなにが起きているか解らないはずだ。
成功すればの話になるが、大逆転の瞬間を目撃できないだろう早苗を少し不憫に思う。
この化物に一番恨みが深いのは、間違いなく早苗なのだから。
「妹紅」
妖夢は戦友の名を呼んだ。
ともにした時間は短い、しかし生命を懸けて挑むのだ。戦友でないはずがない!
「妹紅!」
今にも彼女は食われようとしている。
不死の霊薬、蓬莱の薬の力をたっぷりと溜め込んだ肝もろとも。
「妹紅ォーッ!!」
妖夢は叫ぶ。化物の奇襲を受ける直前に閃いたあの作戦、妹紅は必ず果たしてくれる。
疑うな、信じろ、想いよ力となって戦友に届け。妹紅の魂に響け!
「う、お、お、お、お……」
うめく。骸がうめく。全身を濡らす粘液を白い煙に変えながら。
「おおおぉぉぉぉぉぉッ!!」
吼える。骸が吼える。全身を真紅の闘気で燃焼させながら。
「リザレク……ヴォルケイノォォォッ!!」
不死鳥は炎とともに転生する!
藤原妹紅は再生の炎をまとい、さらに自らの意志で、さらにさらに紅蓮をほとばしらせる。
突然の猛火に焼かれ、触手は逃げるように妹紅から離れようとした。
だがその触手を妹紅が掴み、手形の火傷をくっきりと刻んでやる。
「大、成、功」
残忍な笑みで妹紅は叫ぶ。両目を閉じたまま精神を魂へと集中させて。
「蓬莱の薬よ! 再生の炎よ! もっと、もっと、もっと、爆発しやがれぇーッ!!」
灼熱がほとばしり、火柱となって天空へと伸びる。
沼地を隠すように覆う、不自然に中央へ向かって伸びた広葉樹の枝を焼き払うほどに高く。
「てめぇ、臭いんだよ! そぉの緑のぉネッバネバがぁぁぁォォォオオオッ!」
握っていた触手を焼き切って、妹紅は地面に舞い降りる。
炎の翼を背負って立つ彼女は、炎の天使にさえ思える美しさがあった。
「やっちまえ妖オオオ夢ウウウッ!!」
暴力的な天使は、勝利の笑みを浮かべて雄叫びを上げた。
「妖怪が――」
二本の刀を握りしめ、半霊とともに跳躍する妖夢。
「鍛えた――」
妹紅を飛び越し、再生の炎に焼かれる化物に真正面から飛びかかる。
「この楼観剣に――」
その心意気や良し! 散っていった者達の、ともに戦う者達の想いを刃に込める!
「斬れぬものなど!」
紅蓮を挟んで化物と目が合う。互いの眼光が空中で火花を散らし、妖夢は両腕を幾重にも振るった。
「あんまり無いッ!!」
瞬斬! 連斬! 剣の舞!
粘液の対魔結果に阻まれ無力だった刃がまるで豆腐でも切るかのように、鮮やかに、軽々と、鋭く、化物を切り刻む。
額を横一文字に切り裂いた。
十字を描くような縦一文字が眉間まで切り裂いた。
三日月のように弧を描く銀閃が左目を切り裂いた。
右目を守ろうと伸ばされた触手を根元近くから切り裂いた。
妖夢を絡め取ろうとする触手の数々を次々に易々と切り裂いた。
頭上で行われる圧倒的優勢を目撃した妹紅は、恐怖に顔を歪めて両腕を眼前で交差させる。
ここまできて、勝利を目前にしてなぜ、こんな重大な事を!
「見るなぁー! 妖夢、見るんじゃない!」
切り飛ばされた触手とともに、妖夢が落ちてくる。
着地に失敗して地面に転がった彼女は、刀を握ったまま身をすくませ、ガチガチと歯を打ち鳴らしていた。
見た。
見てしまった。
化物のあの、恐怖そのものに等しい、暗黒の穴を。
邪魔な触手を断ち切ったせいで。
「妖夢、妖夢!」
「あ、ああ、あれは……あれは、いけない、ダメ……」
炎を消した妹紅は、妖夢を引っ張り起こし、両の頬を強くはたいて呼びかける。
「しっかりしろ妖夢! 腹に力を込めて耐えろ!」
「うぐ、ぐ。妹紅、妹紅、妹紅」
「ああ! ここにいる、しっかり!」
あの恐怖を体験しているだけに、妹紅は理解していた。
口を見たのは一瞬、ゆえに一時的なショック状態に陥ったにすぎない。
妖夢の胆力ならばそう遠からず、ショック状態を抜け出せるはずだ。妹紅が戦意を取り戻しているように。
幸いにも化物は炎と斬撃で深いダメージを受けている。
戦線復帰の時間は、稼げるはずだ。
粘液を蒸発させた今が攻撃のチャンスではあったが、リザレクションなら何度でも使える。
刀の心得を活かして妖夢の刀を借りて戦闘続行も可能ではあったが、妖夢が正気を取り戻すまで守り切るのは難しそうだった。
「逃げるぞ、祠の中だ!」
化物が自ら壁を壊してくれたおかげで、出入り口が二つになっている。
もはや祠は袋小路ではなく、中になにがあるかを確かめ、長居無用となれば本来の出入り口から脱出できる。
無理やり立たせた妖夢を引きずるようにして妹紅は祠に入った。
空を覆う木々を焼き払ったおかげで日光が射し込み、祠内部は薄暗い程度になっている。
「陰気臭いんだよ、馬鹿野郎」
毒づきながら観察してみれば、祠の中も外側同様、奇妙な文様が刻まれている。
本来の入口からは石畳が真っ直ぐに伸び、反対側の壁際にある祭壇のようなものへと続いていた。
そこに置かれている物を見て、妹紅は舌打ちする。
調べなければ確かな事は言えないが、能力を封印している呪物とか、島から脱出するための装置には見えない。
どうする。調べてみるか?
祠に空いた穴は、本来の入口である正面側から見て、右奥側。
つまり妹紅がいる場所から、すぐ右側にそれは安置されているのだ。
重低音が大地を揺らす。出所はすぐ後ろ、そこに化物の巨大な足があるのだろう。
妹紅は妖夢を左側突き飛ばした。化物があれを守っているのだとしたら、あれの近くにやるのは危険だ。
触手を失って露出しているだろう口元を見ぬよう足元と胴体部分のみを視界に入れて、ナイフを引き抜く妹紅。
「かかってこい、遊んでやるよ、悪魔ッ」
妹紅は全身が燃えるよう意識したが、反応は無かった。
もう一度リザレクションしなければ再生の炎は使えない。リザレクションするにはわずかな時間を要する。
今この瞬間自害して間に合うだろうか?
いや、鱗の隙間から粘液を分泌させてはいるが、まだ全身を覆うには程遠い。ナイフで傷つけられる。
しかし、どこを? 頭部は狙えない、口を見てしまう。
「チッ……いいよ、解ったよ、やってやるよ!」
怒鳴りながら疾駆する妹紅。化物の両腕が迫ってきたが、火傷のせいか動きが鈍い。
くぐり抜け、化物の腹部に飛びつき、左から右へ一閃。腹に横一文字の浅い傷を刻む。
直後に左の手刀を傷口に挿し込み、内側で脈動するものを掴む。
「オォオォォォッ!」
おぞましさを振り払って、今度は縦にナイフを突き刺し、力いっぱい下に向かって引き裂いた。
「このまま! 傷口から中に入って! 一寸法師やってやらぁぁぁっ!!」
爪先も傷口に突っ込み、総力をもちいて傷口を可能な限り開こうとする。
だが、わずかに傷口が開いた途端、妹紅は慌てて手を離し飛び降りた。
「うっ……腹の中、もか……」
おぞましき気配が流出するのを察知したため、見る前に逃れる事ができた。
だが不自然な体勢で離れたため、妹紅は背中から地面に転がった。
「ガハッ!」
肺の空気を叩き出され、苦悶に一瞬だけあえいで、横に転がりながら立ち上がる。
妹紅が倒れていた場所に化物の腕が伸び、床を叩いた。
「うっ、ぐぅ……」
自分のものではないうめき声に、妹紅は視線を向けた。
短刀、白楼剣を持った左手は力なく垂れ下がり、長刀、楼観剣は杖代わりとなって妖夢の身体を支えている。
「化、物め……」
表情は凍てつくような恐怖と、燃え上がる闘志の両方を内包していた。
万全とはいかないまでも、魂魄妖夢、戦線復帰だ。
「奴の腹、切り裂いたが、そっちも口と同じ感じだ! 見るな!」
「無茶を……言う。正面を向かれたら、目を閉じて逃げるしか……」
「さっきのでコツは掴んだ! 次は致命傷確実の大爆発を叩き込む!」
「……了解!」
鼓舞するように叫んで答えた妖夢だが、それに反応したのか化物の左腕が妖夢を狙って伸びた。
咄嗟に両刀を突き出し、人を一掴みにする巨大な手のひらを貫通させる。
「しまっ……」
左手を傷つけられながらも、化物は剛力で妖夢と半霊を握りしめた。
「妖夢! くそっ」
助けようにも、下手に視線を向ければ穴の恐怖に呑み込まれてしまう。
起死回生を賭けた博打は完全に裏目に出てしまった。
ナイフを握りしめたまま、どうしていいか解らず妹紅は立ち尽くす。
「そんな、馬鹿な……」
信じられないといった声色の呟きが聞こえた。
「触手が、再生している……」
「なっ……」
反射的に妹紅は見てしまった、化物の顎部分を。
そこにはもう、穴ぼこのような口を隠すように無数の触手がのたうち回っていた。
さらには顔の傷も粘液によって保護され、体液が流れ出ないようにしている。
では腹の傷は?
暗緑の粘液が傷口を覆って、傷口をぴったりと合わせていた。
触手と違い、傷口は完全にふさいだ訳ではないだろう。
この鋭利なナイフでなく、手刀でも傷口になら突き刺さりそうだ。
どうやら顎部分の触手のみ、再生能力が尋常ではないらしい。
口を見ないですむという意味では助かるが、その生命力は脅威だった。
「キャアアアッ!」
祠の入口から絹を裂いたような悲鳴。
これ以上、なにが起こるというのだ。
見れば、そこには石槍を抱きしめて恐怖に顔を歪めている早苗の姿があった。
「ば、馬鹿! 来るんじゃない! 見るな!」
妹紅の願い虚しく、早苗はまたもや、見てしまう。
「幽々子様……申し訳、ありま……」
その言葉とともに、妖夢と半霊は触手の内側へと呑み込まれていく。
最後まで手放さなかった楼観剣、白楼剣と一緒に。
× × × × ○ ○
早苗が内陸に行こうと決意したのは、妹紅が生み出した火柱が原因だった。
能力を封印されているはずなのに、なぜ火柱が上がったのか、早苗には解らなかった。
もしかしたらあの化物が魔法かなにかを使ったのかもしれない。
今まさに焼かれているのは妹紅か妖夢かもしれない。
二人が岸まで撤退してくる気配は未だ表れず、早苗は玉砕覚悟で内陸に向かうと決めた。
妹紅や妖夢のように岩から岩へとジャンプする芸当はできず、以前のように両足に皮を巻いて保護し、沼の中を突っ切った。
内陸に上がってすぐヒルの張りついた皮を脱ぎ捨て動きやすさを取り戻すと、声がする祠の中へと石槍を抱えて飛び込んだのだ。
目撃したのは、傷だらけの化物が妖夢を捕らえ、喰らおうとする姿。
脳裏に魔理沙と咲夜の最期が蘇り、早苗は絶叫した。
妹紅が何事かを叫んでいたが、意味は解せず、妖夢が喰われる様を一部始終見続けてしまう。
逃げ出したい衝動を、恐怖が足を震わせて阻害する。
「早苗ーッ!」
そんな彼女に走り寄った妹紅は乱暴に石槍を奪い取ると、妖夢を食べ終えた化物に向き直った。
丸呑みにされたのなら、消化される前に奴を倒し腹を裂けば、助けられるかもしれない。
だが、あの尋常ではない闇色の口に呑み込まれて、果たして生命や正気を保っていられるだろうか。
考えている暇は無い。化物の鱗は、再び暗緑の粘液に覆われつつある。
一刻も早く絶命させねばならない。
石槍を腰の位置に構え、妹紅は化物に向かって全力疾走した。
この勢いに任せて、奴の心臓を貫く算段だ。
まだ火傷の影響が残っているのか、化物の動きは鈍い。
両手を伸ばして迎え撃とうとするも、妹紅は易々と跳躍して回避した。
そして、見る。
化物の潰された左目と、獲物を睨む右目を。
腕の内側に着地した妹紅は、好機とばかりに石槍を突き出そうとした。
化物の胸元が、わずかにふくらんでいる。
呑み込まれた妖夢は今、あそこにいるのか?
心臓を貫こうとすれば、妖夢もろとも――。
「畜ッ生ォ!」
再び跳躍、回避ではなく攻撃のための、咲夜が残した傷跡を狙っての一撃を放つための、最後の跳躍!
うねる触手が妹紅に向かって伸び、右の足首に巻きついて引き寄せようとした。
その引き寄せによってわずかに加速した妹紅は、獣のように叫んで石槍をぶち込んだ。
化物の眉間に、深々と。
確かな手応えを感じながらも、絶命には至らぬだろうと察する妹紅。
左の太ももにも触手が巻きつき、口の中へ引き込もうとする。
構わず妹紅は石槍を捻り、眉間の奥をえぐり回した。
「死ね! 今すぐ死ね! 死ねぇぇぇッ!!」
さらに強く押し込んで、槍の半分ほどが傷口に埋まった。
それでもなお、妹紅を喰らおうと触手は伸び、腹部に巻きつき圧迫してくる。
「ぐっ、うぅぅぅぉぉぉおおお! 頼む、咲夜ァァァッ!!」
妹紅の左手がひるがえり、白銀に輝くナイフを全力で振り下ろす。
狙いは、妖夢が潰し損ねた右目。
顔を守るための触手は妹紅を捕らえるために動いており、今度は邪魔が入らなかった。
眼球を真っ二つに割る、痛烈な一撃。しかもさらに、ナイフで目の下を切り裂いてやる。
「両目は……頂いたッ。後は頼む! 早苗ッ!!」
おぞましいものが足に、いや、下腹まで這い上がってきている。
口だ。あの深く暗い、狂気をかき立てる穴に、すでに下半身が呑み込まれつつあるのだ。
故に妹紅はナイフを突き立てた。自らの、胸に。
絶命した妹紅は力を失い、重力に引かれて背中を弓のようにそらせる。
早苗は、訳が解らなかった。
果敢に立ち向かった妹紅が、化物に石槍を突き立て、さらにナイフで応戦した。
触手に捕らわれながら、あきらめず戦っていた。
だのになぜだ。
なぜ、妹紅の胸にナイフが突き刺さっているのだ。
なぜ、妹紅の瞳から生命の色が消えているのだ……。
なにもできないまま、なにも知らないまま、なにも理解できないまま、終わってしまった。
妖夢も、妹紅も、天から授かった唯一無二の命を散らしてしまった。
喉がカラカラに渇き、目頭は火花を散らしそうなほど熱い。
心臓から込み上げるものが、瞳の奥に集まっていく。
抑えていたものが決壊し、あふれ出そうとした瞬間、早苗は見た。
絶命したはずの妹紅の、すでに胸部まで喰われつつある妹紅の、逆さまの顔が強気に笑うのを。
「リザ……レク……」
力無く、だが嬉々として、妹紅の唇は動く。
その全身が赤いオーラを発し、白い髪がゆらゆらと揺れた。
まるで炎の揺らめきのように。
「ヴォオオオルケイノォオオオオオオッ!!」
視界が真っ赤に染まり、轟音が鼓膜を震わせる。
灼熱の暴風が早苗を吹き飛ばし、泥沼へと叩き込まれた。
祠は四散し、瓦礫が内陸や泥沼へと落下してく中に混じって、暗緑色の腕や足、そして見るもおぞましい臓器が散り散りになって焼かれていた。
さらに祠の周囲に円を描いて立っていた石柱が、次々にへし折れて泥沼へ倒れる。
沈む石柱もあれば、砕け散る石柱もあり、泥の上に橋のように倒れる石柱もあった。
沼の浅い部分に突っ込んだ早苗は、尻餅をついたような姿勢で上半身を起こし、呆然と内陸を見る。
あの大爆発はなんだったのか、それは解らない。
ただ、妹紅が生命を犠牲に起こしたものだろうという予感があった。
妹紅は自爆し、そして見事あの化物を倒した。
払った犠牲は大きく、しかし生き残った早苗の勝利でもある。
だがそんな勝利を、早苗は信じたくなかった。
妖夢だけでなく、妹紅まで死んでしまったなんて。
この島で生きている人間が自分一人だなんて、そんなのは絶対に嫌だ。
精神を虚ろにさせたまま、早苗は立ち上がる。
腕にはヒルが食いついて生き血をすすっていた。
構わず、早苗は歩く。
全身泥まみれ、しかもヒルつきなのも気にせず、内陸に上がった早苗はゆっくりと歩いていた。
弱々しい風が吹き、酷い悪臭が襲ってくる。あの化物のものだろうか。
匂いの方に視線をやれば、崩れた祠の壁の前に転がっている、人型の、黒。
「さ、な、え……」
病にかかった老婆のようなかすれ声に呼ばれ、早苗は駆け寄り、黒い人型の前で膝をついた。
「……妹紅、さん?」
頭部らしき部分に、白いものがひとつ、現れる。
それは、妹紅の左目だった。
「……馬鹿。ヒルに、食われ、てるぞ」
黒コゲの腕がゆっくりと上がり、早苗の肩に食いついていたヒルを摘まんでから、地面に崩れ落ちた。
× × × × △ ○
「あ、あああ……妹紅、さん。妹紅さん……!」
「へへっ……ざまあ、みろ。バラバラに……なり、やがった……」
「ええ、ええ! あいつは、バラバラになって、死にました。みんなの仇を討ったんです! だから、だから、だから……だからッ……!」
死なないで。
そう言いたいのに、舌が動かない。
全身黒コゲになって、人間が助かるはずがないのだ。
奇跡を起こせぬ現人神に救えるはずがないのだ。
「さな……箱、は?」
「え……?」
「ほこら、なか、はこが……」
妹紅の視線が動き、それを追ってみれば、あの爆発を受けて祭壇から転がり落ちた箱状の物があった。
あれが、この祠に隠されていたものの正体なのか。
「箱は、あります。壊れてないみたいです」
「そう、か……」
静かに、妹紅は目を閉ざした。
ただでさえ浅い呼吸音が、少しずつ小さくなっていく。
「妹紅さん、妹紅さん、イヤ……し、死んじゃ、イヤ……!」
「馬鹿、言うんじゃ……ない。この……藤原、妹紅……」
声から生気が抜けていくのを感じる。
別れの時が迫っているのだと理解してしまう。
「死ぬ、訳が……」
妹紅の頬に、雫が落ちる。
早苗は泣いていた。
悲しみに閉ざしたまぶたから、あふれ出る悲しみが頬を伝っていた。
「ね……え……」
それっきり、妹紅は動く事も、喋る事も、なくなってしまった。
真珠のように白く美しかった肌は、悪臭を漂わせる醜悪な黒になってしまっている。
春に咲いた白桜のような唇も焦げており、わずかに開いた形で固まっていた。
醜い。
あまりにも醜悪で無残な、妹紅の遺体。
故に、早苗はキスをした。
それは友情でなければ、同性愛的な思慕の類でもない。
醜さを否定し、美しさを肯定するためだけの、純粋な行為だった。
(妹紅さん……貴女は、決して醜くなんかない。 どんなに傷ついても、どんなに姿を変えてしまっても、貴女は私の心の中で、永遠に美しいまま……)
かつて味わった、あのやわらかさは無い。
かつて味わった、あのぬくもりは爆発の残滓である余熱で火傷してしまいそうだった。
唇を離し、ススのついた唇を拭わず、頬を濡らしたままの早苗が呟く。
「さようなら、妹紅さん」
あったのは、友情という絆。
二人は今、親友となったのだ。
心と唇を重ねる事によって。
× × × × × ○
ズルズルと引きずるような音がし、早苗は振り向いた。
転げ落ちた箱から、ほんの数メートルの所で、蠢くものがある。
一本の触手を生やし、暗緑色の鱗に覆われ、本来の四分の一ほどの大きさしか保っていない化物の頭部だった。
糸が切れる音を、早苗は聞いた。
装束の袖に隠し持っていた、妹紅お手製の石斧を取り出して、幽鬼のように立ち上がる。
一歩、一歩、踏みしめるたび、近づくたび、下腹が重くなり、胸部を渦巻くものが勢いを増す。
哀れにも見える、死に瀕した化物の頭部の前で歩を止めた早苗は、その場にしゃがみ、振り上げる。
「うわあああぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」
下腹に溜まっていた重みが、胸元で渦巻いていたものが、喉を激しく震わせ、唇を割って飛び出した。
がむしゃらに振り下ろした。石斧を叩きつける、何度も何度も。
絶叫し、ほんのわずかな息継ぎを挟んで、振り下ろし、喉を潰さんばかりの絶叫を繰り返して。
「ああっ! うああっ! うああああっ!」
振り上げる。振り下ろす。叩きつける。潰す。散らす。振り上げる。
「どうして! どうして!? みんな、みんな死んでしまったのに、どうしてお前だけがッ!!」
すでに動かなくなったそれを、何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も。
疲れ果てた右腕が石斧を手放してしまうまで、繰り返した。
気がつけば、原型を留めぬ肉塊が散らばっていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
荒い呼吸が、少しずつ整っていく。
怒りも憎しみも、悲しみも吐き出し尽くし、空虚なものだけが残っていた。
よろりと立ち上がり、早苗は箱に向かった。それほど大きいものではない。
バースデイケーキ、あるいはクリスマスケーキを入れられる程度の大きさだ。
祭壇から落ちただろう箱は、偶然にも上下正しく転がっていた。
重たい石で造られており、表面には意味不明の文様が刻まれていたが、祠と違い暗緑の粘液に覆われてはいなかった。
ふいに、早苗はテレビゲームを思い出した。
この箱の形状は、そう、ロールプレイングゲームに出てくる宝箱そのものだ。
中に、なにが。
箱を開けた。
早苗は、引きつった笑みを浮かべる。
「は、はは……あは、あはは……あははははははっ!」
なぜ自分が笑っているのか解らない。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、あまりにも虚しくて、笑うしかなかったのかもしれない。
――俗なお宝って線もあるな。金銀財宝!
祠になにがあるか推測していた時、妹紅が冗談半分に言った言葉。
――この状況じゃ逆に期待ハズレの無駄骨だ。
まさしくその通りだった。心底同意した。
目も眩むような金貨が、ルビーやエメラルドをあしらった装飾品が、ダイヤモンドを埋め込んだ王冠が。
金銀財宝が、箱の中を満たしていた。
「ははは、はは、は……」
笑い終えた早苗は、歯を剥いてギリギリと噛みしめて箱を掴んだ。
「こんな……」
疲れ果てた右腕に、力が蘇る。
「こんな……!」
身を焦がすほどの怒りが、早苗に最後の力を発揮させる。
「こんな物のために、私達はッ!」
こんな物のために命を懸けたのか!
こんな物のために戦ったのか!
こんな物のために命を散らしたのか!
こんな物のために!
散らばった金貨を踏みつけ、早苗は両腕を真っ直ぐ上に伸ばし、手のひらを広げ、火柱が空けた穴から覗く青空を睨みつけた。
「出て来い! 私達をここに連れてきた奴! すべての元凶ッ! 黒幕ッ!!
これで満足? こんなガラクタをプレゼントして、満足ですか!?
足りない、こんな物では全然足りません!
だから……奪いに行きます。
我は人にして人にあらず。人にして神、現人神なり!
今ここに誓おう! 何年、何十年、何百年、何千年かかろうとも、ここに塔を築く!
バベルの如き塔を築いてみせる! それが不快ならば、神話のように雷で打つがいい!
それでも私はあきらめない! 必ず、必ず"そこ"にたどり着いてみせる!
たどり着いて……そして……! 必ず……必ずッ!!」
怒りと憎しみを握りしめ、早苗はその場に崩れ落ちた。
すでに心身は疲労の限界に達しており、立つ事もかなわぬ状態。
膝が折れ、腰が折れ、上半身は斜め後ろへと倒れていく。
石畳に頭を打ちつけて死んでしまうかもしれない。
だが、早苗にはもう身をよじる程度の力さえ残っていなかった。
「早苗」
後ろから、両肩を掴まれる。支えられる。
いつか、どこかで聞いた、懐かしい声に呼ばれた気がした。
「こんな……こんな酷い事になっていたなんて」
声の主は、早苗の身体に貼りついているヒルを一匹一匹丁寧に剥がしていった。
早苗の頬についた泥も拭い、正面から再び呼びかける。
「早苗、迎えに来たよ」
「え……?」
虚ろな眼差しが、少しずつ視力を取り戻し、ぼやけていた輪郭が鮮明になっていく。
帽子をかぶった少女が、子供を慰める母のような面差しを向けてくれていた。
「諏訪子……様?」
名前を呼ぶと、少女は優しく微笑み、うなずいた。
「さあ、帰ろう。こんな馬鹿げたお遊びは、もうおしまいだから……」
こんなにも近くにいるのに、声が遠のいてくように聞こえた。
諏訪子は割れ物を扱うように早苗を抱きしめ、空に向かって飛んでいった。
× × × × × ◎
空高く舞い上がり、白雲の中へ飛び込んだかと思うと、ふいに足が床に触れた。
雲は薄くなって散り散りとなり、消え去ってしまう。
気づけば、早苗は諏訪子と手を繋いで、広い部屋の中に立っていた。
和室、だ。
いったい何畳あるのだろう、新品同然の青い畳が床いっぱいに広がっている。
部屋の中央には長方形のちゃぶ台があり、その周囲には座布団がたくさん敷かれていた。
その中の一枚に、八坂神奈子が座っていた。
「お帰り、早苗」
引きつった笑みで、神奈子は申し訳なさそうに言う。
「神奈子様……私は、いったい……?」
「早苗、あれを見て」
隣から声。諏訪子がちゃぶ台の中心に置かれているものを指差している。
なんだろう。虚ろな視線が、それを捉える。
直径三メートルはある、南の島のジオラマ。
最初に抱いた印象がそれだった。
だがただのジオラマでない事は一目瞭然である。
ドーム状の透明なケースに覆われたジオラマの中で、作り物であるはずの海がわずかに波打っている。
砂浜に視線を向ければ、さざ波が飛沫を上げながら行ったり来たりを繰り返していた。
ケースの上には白い靄が漂っていた。まるで雲のように。
木々も風でざわついており、島の中央部分の森には、小さな穴があった。
他にも、浜辺を観察してみれば、岩壁から滝が流れ落ちていたし、海へ流れる川を見つけて上流へと視線を持っていけば、見覚えのある湖がきらめいている。
「……なんですか、これ」
疲れ切った脳は、目の前にある物がなにであるかを考えてくれなかった。
答えを求めて問うと、神奈子は気まずそうにそっぽを向いてしまう。
隣からため息が聞こえ、手が離された。
「とりあえず座ろう、早苗」
諏訪子にうながされ、座布団の上に正座する。その隣に諏訪子も腰を下ろした。
「あのね、怒らないで聞いて……いや、怒ってもいいけど、ちゃんと聞いてね」
その声には、わずかに怒りが含まれているように感じた。
「怒らないでよ……」という神奈子の呟きは、聞こえなかった事にした。
そうするのが正しいという予感がしていた。
「あのね、これは……その……酷い話なの。本当に酷すぎて、なんて言ったらいいか……。
まあ、その、端的に言えば……暇を持て余した、賢者やら神やらの遊び?
ええと、言い出しっぺが誰かまでは知らないけれど、人間が無人島でサバイバルしたら、どうなるかっていう、そんな感じ。
でね、えー、みんな乗り気になっちゃって、本人に無断で、無人島に送り込んじゃったの。
能力が使えたら楽勝だから、封印して、さらにボスキャラとかいうのを配置して、誰が一番最初に島の秘密を解き明かして財宝を手にするかを賭けてた……の。
メンバーは八雲紫、西行寺幽々子、レミリア・スカーレット、蓬莱山輝夜、アリス・マーガトロイド。
それから……その、そこにいる馬鹿、いや阿呆、じゃなくて、神奈子。
八雲紫は博麗の巫女を拉致してきて、西行寺幽々子は庭師を連れてきて、レミリア・スカーレットは従者のメイドを連れてきて、蓬莱山輝夜は喧嘩相手を拉致してきて、アリス・マーガトロイドは日頃の恨みうんぬんとかいう理由で、パチュリー・ノーレッジっていう魔法使いと結託して、魔理沙を拉致してきたの。
しかも全員、事情を一切説明しないまま、眠ってる所や、気絶してる所を無理やり……。
その方がフェアだとかどうとか……。 それで、ええと、みんなで賭けをしてたらしいの。
さっきも言ったよね、誰が最初に財宝を手にするか。
自分が連れてきた人間に賭ける者もいれば、それ以外の者に賭ける者もいて、神奈……えー……そこの屑、じゃなくてゴミ、じゃなくて神奈子は、大穴の早苗に賭けたそうよ。
みんなタフだから無人島くらい危険でもなんでもないだろうとか抜かして獣や蛇を放ったり、ボスキャラも"相手を鷲掴みにして食べる"以外の攻撃はしないよう設定したから安全とかで、あ、ボスキャラのお腹には八雲紫が作ったスキマがあって、この広間に繋がっていたの。
食べられちゃった子は失格で、種明かしをして驚かせるっていう糞みたいな寸法よ。
で、霊夢以外は食べられちゃったのかな? 種明かしされて、みんな帰っちゃったわ。
霊夢はその……能力の封印ができなかったとかで、自主退場してきて、種明かしにぶちキレて大暴れしてくれたみたいだよ。ゲーム的には失格扱いになったのかな?
まあともかく、ボスキャラに食べられたみんなは無事だから安心して。
それから、えーと……他には、ああ、そうそう、私ね、早苗を探してたの。
人里にお遣いに行ってしばらく帰ってこないって神奈子が言ってたんだけど、全然帰ってこないし、神奈子に問いただしても要領を得ないし、心配になって人里にも行って、でも早苗を見たっていう人が一人もいなくて、これはおかしいって調べ始めたわ。
で、神奈子も不自然に外出が多かったから、後をつけてきたら、ここ……八雲紫の屋敷に着いたの。
それで、そこの塵……ううん、芥、じゃなくて、神奈子と西行寺幽々子が、この人工南国楽園? とかいうのを覗いてて、事情を聞こうとしたら庭師の子が脱落してここに来て、せっかくだから二人一緒に説明を受けて……庭師の子はご主人様と一緒に帰って行ったわ。
私も人工南国"地獄"を覗いてみたら、なんだか早苗が大変な事になってるじゃない?
とりあえずそこの耳糞、じゃなくて鼻糞にワンパンかましてから、早苗を迎えに行ったの。
早苗が優勝したから、本当はそこの糞が迎えに行く予定だったらしいんだけど、想像以上に早苗が大変な事になってるから、怒られるんじゃないかってビクついてやがったわ。
で、今もこうして種明かしを私にさせてるって訳で、早苗、道具が必要なら用意するよ?
刀でも、槍でも、斧でも……ああそうそう、石斧、使うかなと思って拾ってきたよ。使う?」
「使います」
すでに余力皆無であるはずの右腕が、不思議な力に導かれて斧を握りしめた。
蒼白になった神奈子は後ずさりながら弁解する。
「ま、待って早苗。確かに説明もなしにあんな所に放り込むのは、やりすぎだった。
でもね、現人神の能力に頼らず、人間としてあの島で生き抜く事は、早苗のためになると思ったの。
幽々子もね、妖夢ちゃんの修行のためって言ってたし、それと同じよ。
早苗に修行を積んでもらいたかったの。人間的に一回り成長して欲しかったの。
悪意皆無、善意のみで! ほら、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすって言うじゃない。
それに、アリスちゃんのお人形がこっそり見回りもしてたし、本当に危険な事はさせてないはず!
そりゃ、ボスキャラは強烈だったし、精神トラップも組み込んであったし、見かけ気持ち悪いし、実は無事とはいえ人間を食べちゃうなんて傍目には危なすぎるたけど、ほら、ちょっと暴れたりしたけど"捕まえて食べる"っていう基本行動は守ってたでしょ?」
「そうですね」
肯定の言葉に、神奈子はパッと微笑んだ。
諏訪子から凄まじい蔑みの視線を送られているにも関わらず。
「でも、それでも、食べられなかった人は、どうなったんでしょうね……」
「え、えっ?」
「私を助けるために、自爆して、死んでしまった人は……どうなるんですか?」
早苗の隣で、諏訪子が息を呑んだ。
死者が出ていたなんて聞いていない。
人工南国楽園に入った時、生き残りは早苗だけだと神奈子から聞いていたし、真っ先に早苗を見つけてかかりっきりだったため、他には気が回らなかったのだ。
責任の重さを理解していないのか、神奈子は苦笑いで弁解を続けようとする。
「あ、あの、早苗? その人間はね、あのね」
「神奈子様……あなたは、ド畜生ですッ!!」
弁解は、頭部に真っ直ぐ振り下ろされた石斧の一撃によってさえぎられた。
脳震盪を起こして倒れた神奈子の頭を、早苗はサッカーボールのように蹴り飛ばす。
「神奈子様には失望しました。しばらく神社には帰りません、探さないでください」
そう言って、早苗は形見の石斧を持ったまま部屋の外へ出た。
外は庭園になっており、青々と茂った桜の木から、八雲紫が簀巻きになって逆さ釣りにされていた。
しかも全身に札が貼られており、妖力を封印されているようだ。
すぐ側には看板が立っており、こう書かれていた。
『このババァを助けようとしたアホは同じ目に遭わす 博麗霊夢』
そしてさらに、看板の下には短めの物干し竿が置かれていた。
物干し竿にも文字が書かれていた。
『ご自由にお使いください』
ご自由に使った。
こうして、早苗の無人島ゲームは終わった。
その胸に大きな空洞を作ったまま……。
「ねえ神奈子。私はね、常に早苗と神奈子、二人の味方でいたいと思う。例え悪い事をしたって、私は味方でいるよ。それが家族だもの」
頭からダラダラと赤い液体を流して畳を汚している神奈子の前にしゃがみ込んで、諏訪子は淡々と言葉を続ける。
「でもね、二人が喧嘩した時、どっちの味方をしたらいいのかな? 喧嘩両成敗って言うけどさ、片方は完全に被害者で、片方が完全に加害者の場合、どうすべきかな。まあ、今さら神奈子を見捨てたり、絶縁とか大人気ない真似はしないよ。でもね、さすがに今回はやりすぎだよ? 私達神々にとって、人間の命なんて花火のように短いもの。けれど、だからこそ尊いもの。短いからこそ一生懸命生きているの。私の言いたい事、解るよね? ちゃんと反省してくれるよね? 早苗にも謝って、仲直りしてくれるよね? 遺族の方に土下座してひたすら謝り続けてくれるよね? ねえ、聞いてる神奈子。聞いてるなら返事をしてよ。そう、返事すらしてくれないんだ。反省の色、皆無だね。それなら私も、それなりの対応を取らせてもらうからね。祟り神らしくやっちゃうからね。覚悟しててね」
それらの言葉を、神奈子はちゃんと聞いていた。
聞いてはいたが、頭部のダメージがかなり重く、口を利ける状態では無かったのだ。
(ち、違う……あ、あの人間は……蓬莱……の……)
神奈子が心の中で届かぬ言い訳をしている最中、諏訪子がネチネチと責め続ける最中、二人が気づかぬうちに人工南国楽園から人間の魂がひとつ、抜け出していった。
× × × × × ◎
すべてのスペルカードを打ち破られた永琳は、疲労困憊して廊下にうずくまった。
永遠亭に住むイナバ達、鈴仙とてゐのコンビも、たった一人の少女に完膚なきまでに叩き潰されている。
「お聞きします。蓬莱山輝夜さんは、どちらにいらっしゃいますか?」
「……姫様に、なんの御用かしら」
霊夢にも似た腋巫女装束の少女は宙に浮かびながら、這いつくばっている永琳を蔑むように見下ろしていた。
オーラとして漂うほどの怒りと悲しみは恐ろしく不吉で、いざとなればスペルカードルールを無視してでもこの少女を止めねばと永琳は決意した。
「ちょっと、私と弾幕ごっこをしてもらいたいだけです」
冷淡に少女は言う。
「これでも、幻想郷の調和と安定を望む立場にありますから、ご安心ください、ルールは守ります。ルールの範囲内で、可能な限り、力のすべてを叩き込んでひざまずかせる……それだけです」
「それなら、その物騒な物を捨ててくれないかしら?」
少女は右手に石斧を持っていた。
明らかに凶器として使用した痕跡が残っている。あの黒い汚れは間違いなく、血だ。
永遠亭に殴り込みをかけてきてここまでの道中、一切使われてはいないのが不気味だった。
永琳もスペルカードの弾幕に使用するために弓を持っているし、同じ理由で武器を持つ者はいくらでもいる。
だが、あの石斧は違う。
「この斧は見届け人です」
「……どういう事?」
「私が蓬莱山輝夜さんを打ち負かす所を、この斧に見てもらう……それが私のケジメです」
意味が解らない。
あの斧はいったいなんなのか、月の頭脳といえど考察材料が少なすぎて解らない。
そもそもこの少女は何者なのか。
霊夢以外に巫女装束を着る者といえば、妖怪の山にあるという守矢神社の風祝だか巫女だか現人神だかくらいだ。
恐らく彼女がそうなのだろうと思いつつも、確証は持てないでいた。
永遠亭と守矢神社に交流は無い。恨みを買うような真似もしていない。
だから、巫女のコスプレをした頭のおかしい子という可能性も捨て切れないでいた。
「もういいわ永琳」
廊下の奥で襖が開き、中から漆黒の艶やかな髪の美女が現れた。
明らかに他の住人とは異なるきらびやかな衣装、名乗らずとも彼女が蓬莱山輝夜だと十二分に察せられる。
「弾幕勝負がお望みのようだけど、スペルカードルールって確か、断ろうと思えば断れたわよね?」
「自分の屋敷をここまで荒らされておいて、逃げる気ですか?」
「うーん、そんなつもりは無いんだけど……どうしてあなたが私を狙うのか、解らなくて」
「私を知って……ああ、そうでしたね。見ていたのだから、知っていて当然ですね」
二人の会話を聞き、永琳は悟った。
(要するに、輝夜が私達に内緒でとんでもない馬鹿をやらかした……って訳ね)
必死になって輝夜を守ろうと、全力で弾幕勝負に挑んだ自分が急に馬鹿らしくなってきた。
後はもう勝手にやってくださいとばかりに、永琳はその場から立ち去った。
「見ていたのなら、なぜ勝負を挑まれているか解るはずですが」
「途中までは見てたんだけど、最後までは見てないから、ちょっと解らないわ。
ほら、あなた達が三人でボスキャラの近くまで行って、キャンプした所までは見たのよ。
次の日にボスキャラと戦うんだろうなって楽しみにしてたんだけど、その日に限って永遠亭にトラブルがあって、永琳も逃がしてくれなかったし……。
えっと、確か早苗って名前だったわよね。あなたがクリアしたんでしょ?
ゲームマスター同士で出し合った優勝賞品、宝の山も手に入れたのに、どうして怒ってるのかしら」
早苗の眉間にしわが寄り、眼差しが鋭さを増して、全身から怒気が発せられた。
地雷を踏んでしまったようだけど、どれが地雷なのかさっぱり解らない。
ゲームの結果はアリスの人形が届けてくれたから知っているけど、心当たり皆無だ。
「まさかここまで……神奈子様よりも無責任な方だとは思いませんでした」
石斧を持つ手を震わせる早苗。
輝夜は気づいた。あれは確か、妹紅が作った物だ。
という事は、つまり。
「妹紅絡みでここにきたの?」
「ええ」
推測が当たった。
が、それでもなぜ恨まれているのか……輝夜はしばし考え、結論を出した。
「そうね、あなたは参加者の中で一番苦労したものね。ゲームマスターを恨んでも当然だわ。
でも、あなたを参加させたのは、あなたの神様でしょう? 私が参加させたのは妹紅よ」
「そうです、あなたのせいで妹紅さんは……」
「え、妹紅になにかあった?」
殺気を孕んだ眼光が輝夜を射抜いた。
現人神が放つプレッシャーが永遠亭全体を満たしていく。
怒りと悲しみ、そして憎しみの思念が神通力となって渦巻いている。
「……なにかあったみたいね」
うんざりした調子で輝夜が言い、それがゴングとなった。
「スペルカードルールに感謝してください。ルールの範囲内で、私のすべてをあなたにぶつける!」
壮絶な弾幕勝負が展開された。
事情はよく解らぬも、永遠亭をコケにされたも同然の輝夜は全力で迎え撃とうとした。
だが、鬼気迫る早苗の猛攻により、スペルカードは打ち破られていく。
神宝「ブリリアントドラゴンバレッタ」
神宝「ブディストダイアモンド」
同じ腋巫女装束といえど、霊夢のように鮮やかな手並みという訳ではない。
強引に力でねじ伏せる、美しさに欠ける戦い振りだった。
だが輝夜は勝利を確信していた。
早苗はここまで、無理な弾幕合戦を強引にこなしてきたらしい。
その疲労が今、表れている。
そろそろ仕留められる。多分、次の一枚で。
「神宝」
輝夜が微笑むと同時に、紅蓮の炎が舞い上がった。
「サラマンダーシールド!!」
すでに息を切らせていた早苗は、炎の熱気を浴びただけで動きを鈍らせた。
駄目だ、避け切れない……。
炎の弾幕が、早苗に迫る。
○ ○ ○ ○ ○ ◎
「本当だって! 妹紅って娘は蓬莱の薬を飲んでるから、絶対に死なないし、死ねない。
肉体の損傷が酷かったから、多分、新しい肉体を再生してるはずだよ。もう家に帰ってるかも!」
ようやく諏訪子を捕まえた神奈子は、無言の弾幕という返事にたじたじになりながらも、昨日告げられなかった真相を必死になって伝えた。
「……それ、本当?」
EXレベルの弾幕を止め、疑わしそうに諏訪子は問う。
伝説に聞いた事はあるが、蓬莱の薬も、それを飲んだ者も、長い神様人生の中で一度も見た事が無かった。
「本当だって。そうでなきゃ、あのゲームマスターの布陣でも封印できないなんて事、起こりえないでしょ?」
「うーん……確かに」
蓬莱の薬の効果は、妖怪の賢者や八百万の神々でさえも干渉できない、永久不変のものだ。
「でもだったら、どうして早苗は妹紅って娘が死んだと思ってるのさ」
「それは、妹紅が悪いのよ。私は死なないとか蘇るとか言ってたけど、思い返せば説明になってなかったわ。私達は知ってたから気づけなかったけど、早苗は死なないとか蘇るっていうのを意気込みかなにかと勘違いしてた……みたい」
頭を抱える諏訪子。
そういう事なら、もっと早く説明すればいいものを。
妖夢に種明かしをしている時でも、諏訪子が早苗に説明している時でも、言えたはずだ。
それを諏訪子から又聞きの説明を受けて、堪忍袋の緒が切れてから説明しようとするのは、遅いでしょう。
「じゃあ、その妹紅って娘は、今どこにいるの?」
「知らないよ。魂だけでどっか行っちゃったし……。
あ、迷いの竹林に住んでるらしいから、無意識に家に帰って、そこで肉体を再生させてるかも」
「……迷いの竹林か。まったく、どうしてこのタイミングで」
毒づいて、諏訪子は守矢神社の上空から、妖怪の山を下るため物凄い勢いで飛行を始めた。
「ちょ、諏訪子!? どこ行くの!」
「早苗を止めてくる!」
「止めるってなに!?」
それ以上諏訪子は答えず、大急ぎで迷いの竹林に向かった。
あの馬鹿げたゲームに諏訪子は関わっていなかったため、早苗の信頼は確固としたままであり、妹紅の無念を晴らすため永遠亭に行くという話も聞いていたし、怒りや憎しみに身を任せて暴挙を起こさず、ちゃんとスペルカードルールで戦うよう厳命もした。
とはいえ、やはり早苗の怒りは相当のものだろう。
スペルカードルールの範囲内で、かなりの無茶をしているに違いない。
妹紅の死を思えばこそ、それでも仕方ないと早苗を送り出した諏訪子だが、実は生きてましたなんてオチを聞いてしまったら、そうはいかない。
「まだ回復し切ってないのに、行っちゃうんだもんなぁ」
猛スピードで飛ばしたため、迷いの竹林には案外早く到着した。
問題は永遠亭の場所だが、神通力が強烈な怒気をともなって渦巻いていたため、その中心部に早苗がいるのだろうと解り、迷わず一直線に向かう事ができた。
そして、弾幕勝負で打ちのめされた兎達で埋め尽くされた永遠亭に到着し、諏訪子は見た。赤々と燃える弾幕を。
「サラマンダーシールド!!」
それがスペルカードの名前なのか、宣言と同時に炎の弾が次々に放たれた。
早苗は、いた、しかし動きが鈍い。あれでは避けられず、弾幕の直撃を受けてしまう。
「早苗!」
諏訪子が叫ぶとほぼ同時に、早苗は紅蓮の炎に包まれた。
(倒れるなら、前のめりです)
迫り来る紅蓮を見据えながら、早苗は覚悟を決めた。
もう、避けられない。自分は負ける。
だったら最後まで意地を見せてやろう。
親友、妹紅に恥じないように。
「早苗!」
ふいに、諏訪子に名前を呼ばれた気がした。
幻聴だろうか。まだ疲れが抜け切ってないのに、無茶をした代償か。
そんな風に思いながら、早苗は"頭上"から降ってきた炎に抱きつかれ、永遠亭の庭に向かって落ちていった。
だが、早苗の身体は地面に激突せずに止まった。
宙に浮いている訳ではない、何者の両腕に抱き支えられていた。
「諏訪子様……?」
幻聴ではなかったかと思いながら、早苗は不審に思った。
諏訪子の体格は、子供同然である。
しかし今、自分はいわゆるお姫様抱っこをされている。
諏訪子の身長、手の長さでは、ちょっと無理がある。
「バ輝夜! こんなヨロヨロの相手に本気出すなよ、大人気ない!」
聞き覚えのある、しかし聞こえるはずのない声が、怒りをあらわに放たれた。
「仕掛けてきたのはその娘だし、尋常じゃない怒り方をしてて、こっちも困ってたのよ。なんだか知らないけど、原因はあなたみたいよ? なんとかして頂戴」
「やっとこさ肉体を再生したばかりなんだぞ、誰かさんのせいで。そんな私にこれ以上なにをしろっていうんだ。ていうか、お前ぶっ飛ばすわ。あんな趣味の悪い島に放り込みやがって。妖夢から全部聞いたぞ!」
まさか。まさか。まさか!
早苗は、もし自分の想像と違っていたら、絶望で胸が張り裂けてしまうだろうと思った。
けれど確認せずにはいられない。
今、自分を抱き支えてくれている人は、誰なのか。
早苗は、見た。
妹紅が、居た。
そこで早苗の記憶は途切れている。
後で諏訪子から聞いた話では、突然妹紅にしがみついて大声で泣きまくったらしい。
おかげで妹紅も輝夜もやる気をそがれて勝負はお預け。
妹紅と諏訪子に慰められながら、早苗は妹紅の家に連れ帰られ、二人から説明を受けた。
蓬莱の薬の事、不老不死の事。
「おかしいなぁ。私は死なないし、死んでも生き返るって教えといたはずなんだけどなぁ」
早苗は妹紅が死んだと思い込んでいたと聞いて、妹紅は極自然に首を傾げた。
それから妹紅、諏訪子と色々話し合い、三人で紅魔館に向かった。
「妖夢が知らせに来てくれたんだ。あの島がなんだったのかっていうのと、紅魔館の事」
悪趣味極まりないゲームが終わった事で、咲夜が慰労会を開こうと提案したのだ。
紅魔館にはもう霊夢、魔理沙、妖夢が集まっていた。
そこで早苗達は、あの島で起きた出来事を聞かされた。
霊夢は誰よりも早くあの島が作り物であると気づき、海の端まで行ってみたり、結界やらなにやらについて調べ、魔理沙にだけ教えてやったそうだ。
その後、魔理沙が喰われたと聞かされた霊夢はあの茶番に愛想を尽かし、自力で外部に脱出。
自分を巻き込んだ八雲紫をボロ雑巾のようにして、さらに能力封印の結界を施し、簀巻きにして吊るしたのだ。
魔理沙は霊夢から偽りの世界の理を聞かされ、自分なりに研究し、能力封印の影響を受けない特殊な八卦炉を試作したそうだ。
島の中心部になにかある事も霊夢から聞かされており、危ないから近寄るなという警告を無視して、早苗と一緒に乗り込んで……食べられた。
八雲紫の屋敷に戻され種明かしを受けると、魔理沙は笑いながら「楽しかったぜ!」と言い切ったそうだ。
懲らしめるつもりで送り込んだアリスとパチュリーは、うんざりしていたとかどうとか。
咲夜は島の中で時折アリスの人形らしき物を見かけ、自力で真相に近い推測をしたそうだ。
だからこそ、自分が化物を倒し、祠の謎を解き明かす事で、主レミリア・スカーレットの従者がもっとも優れていると示そうとして、しくじった。
天候を晴れに固定していたパチュリーの魔法を、タイミング悪く霊夢が打ち破ったせいで起きたスコール。
あれさえ無ければ咲夜の勝ちだったとレミリアは憤慨したが、紫をボロ雑巾にした霊夢に「あんたも同じ目に遭いたいのね?」と言われ、おとなしくなったとか。
妖夢は、種明かしされるまでゲームの事も島の事も化物の事も、なにも知らないままだった。
幽々子から「これも修行のうちよ」と言われて納得し、不覚を取った事を詫びさえしたそうだ。
ちなみに早苗と妹紅が戻ってくるまであの場で待とうとしたが、幽々子に「久し振りに妖夢の作ったご飯が食べたいわ」と言われてホイホイ連れ帰られてしまった。
さすがに悪いと思ったのか、妹紅が死んだと聞いて迷いの竹林に様子を見に行き、真相や黒幕など一切合財を説明し、ついでに慰労会を伝えて、現在に至る。
妹紅は自宅でリザレクションし、妖夢から説明を受けた後、すぐ輝夜に仕返しに向かった。
そして、弾幕を無防備に受けようとしていた早苗を見て、慌てて助けたのだそうだ。
そんな風に話のオチを聞きながら、早苗は普段通りの笑顔を取り戻していた。
そして慰労会の食事作りに参加し、咲夜と一緒にとびっきりのハンバーグを作った。
妹紅の分は好みに合わせてちょっぴり焦がして、大好評。
「早苗はいいお嫁さんになるな」と褒めれて、赤面した早苗を、諏訪子が微笑ましく見守っていた。
ちなみに、早苗が獲得した賞品の金銀財宝はすべて換金され、なんと全額慰労会の費用につぎ込まれた。
おかげで全額使い切るためには、とびっきり豪華な慰労会を一週間ぶっ続けて行わねばならなかった。
この慰労会に参加したのは、ゲームの参加者と、紅魔館の住人。
ゲームマスターからは、参加者に恨まれていないアリスと幽々子。レミリアもここにカウントすべきだろうか。
それからゲストとして洩矢諏訪子と、上白沢慧音も呼ばれ、さらに酒に釣られて萃香とかもやって来て、宴会ならば私達の出番だとか言いながらプリズムリバー三姉妹が乱入し演奏したり、永遠亭の主要面子がやって来て、妹紅と輝夜が凄まじい弾幕合戦を繰り広げもした。
レミリアは霊夢に人工南国楽園を曇り空に設定して一緒にバカンスしようと誘って断られてたり、魔理沙はアリスとパチュリーに人工南国楽園の構造を教えてもらって、なんか盛り上がってた。
妖夢は慰労会なのになぜか幽々子専属のメイドみたいな扱いになってた。誰の慰労会だと思ってる。
咲夜は普段通りメイドをこなしながら、慰労会を満喫するという実に器用な芸当を見せてくれた。
早苗は、慰労会に参加したみんな――特に藤原妹紅と、とても仲良くなった。
他にもあれやこれやそれやどれや、とてつもなく騒々しく、とてつもなく楽しいものとなったのだった。
ちなみにその後、元女子高生らしくファンシームードな早苗さんの部屋に、原始的で野蛮極まりない粗野な凶器がピッカピカに磨かれて飾られるようになったよ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ねえ神奈子、知ってる? 紅魔館で慰労会をやってるんですって」
「知ってる。でもなー、早苗はまだ許してくれてないしなー、行けないよなー」
「ねえ神奈子、霊夢も慰労会に夢中でしょうし、今のうちに結界と簀巻きをなんとかしてもらえないかしら?」
「やだ。あの巫女の暴れっぷりは尋常じゃない、人間じゃないわ。同じ目に遭わされるのは勘弁願う」
「ああ、こんな時、藍がいてくれたら……」
「人工南国楽園の管理を任せっぱなしにして過労にさせたの、お前だろ。猫っ娘が泣いてたぞ」
「私も色々がんばったのに、慰労会に参加できないなんておかしいわ」
「私も賭けに一人勝ちしたのに、なんでこんな事になっちゃったんだろ。慰労会かぁ……早苗も気が晴れて許してくれるかなぁ。早く帰ってきて欲しいなぁ」
神奈子は知らない。
賞品全額換金による超豪勢慰労会が一週間も続き、早苗も諏訪子も帰って来ず、さみしいカップラーメン生活が始まるという悲しい未来を。
【 THE END 】
ここは常夏の楽園! あるいは地獄の極地!
遭難者六名! 全員人間!?
○ ○ ○ ○ ○ ○
ある朝、目が覚めたら砂浜だった。
陽射しは高く眩しく力強く、風は湿気を強く孕み潮の香りを載せている。
ああ、海だ。
しかも日本の海ではない、はるか南国、常夏の海だ。
幻想郷に海が無いのは今や常識。
おかしいなと立ち上がった東風谷早苗、見渡せば海は青というより碧。
砂浜も真っ白。日本の砂浜は本土の砂が集まったものであり、色は薄茶色といった所だ。
だがこの白さは死んだサンゴ礁の破片などが集まったものに違いない。明らかに日本ではなかった。
まあそれはそれとして、ああ、なんと見事な絶景かな。
今すぐ全裸になって飛び込みたい衝動がふつふつと湧き上がってくる。
「お、一人発見」
聞き慣れぬ声がして、砂浜に座り込んだままの姿勢で後ろを振り返った。
そこには紅白衣装がいた。まるで博麗霊夢だ。
「誰お前、霊夢のパクリキャラ?」
だがしかし、パクリ扱いされたのは早苗の方だった。
紅白衣装の少女の視線は、早苗の腋に向けられている。腋巫女服のせいなのは明らかである。
「うう、初対面の人にまでパクリキャラ扱いされた……」
がっくりとうなだれる早苗に、彼女は呆れたように言う。
「いやー、だって巫女だべ? 巫女っつったら博麗神社だろう」
「妖怪の山にもありますよ!」
早苗は頬を紅潮させ、プンスカプンと怒った。
「なんだ、巫女じゃなくて妖怪か」
「人間です!」
トドメの一言で早苗は噴火した。
これが。
この無人島で遭難した六人の中で、もっとも縁の薄い者同士の出会いだった。
「妹紅ー、他に誰か見つかった?」
「お、早苗じゃねーか。なんか人間ばっかりだな」
浜辺から少し島の奥はもう密林で、バナナをかじりながら二人の少女が姿を現した。
楽園の素敵な巫女、博麗霊夢。
普通の魔法使い、霧雨魔理沙。
「相変わらず妙な巫女服を着てるわね」
「それをあなたが言いますか!?」
早苗の怒声が響く中、妹紅は気安く魔理沙からバナナを分けてもらい、楽しそうに皮を剥いていた。
幻想郷じゃバナナなんてフルーツは食べられないものね!
○ ○ ○ ○ ○ ○
砂浜は陽射しを存分に浴びて熱く、足は沈んで歩を進めるのに力を使い、早苗は軽く息を切らしていた。
霊夢、魔理沙、そして妹紅は現代っ子な早苗と違い、ギラつく陽射しに汗は流しても息は乱さない。
「あの、これ何事ですか?」
「気づいたらみんなここにいたのよ。なぜか霊夢以外空飛べない」
「はぁ……」
バナナの皮を密林の中に放り捨てて、早苗は太陽を見上げた。
高い。幻想郷で見るよりも高い位置で輝いている。
「えーっと、私達の他には?」
「あっちで咲夜と妖夢が魚をさばいてるわ。妖夢と妹紅は怪しいけど、基本、人間ばっかりね」
スルーされる現人神。
「海の魚かー。幻想郷じゃ食えないものなぁ」
心底楽しみそうに言う魔理沙の肩を、ぐいと掴んで引き寄せる早苗。
「ちょっと、今がどういう状況か解ってるんですか? 目覚めたら無人島でいきなり遭難してるとか! なんなんですかこれ! 幻想郷では常識に囚われてはいけないとはいえ、常識外れにも程があります!」
「落ち着け早苗、バナナやるから」
「要りません! バナナなんかいくらでも食べた事あります!」
魔理沙が差し出したバナナを叩き落とし、髪を振り乱して怒る早苗。
「なにテンパってんのよあんた」
呆れた調子の霊夢。危機感など塵ほども抱いていないようで、バナナの皮を密林に放り捨てた。
「早苗はまだまだ未熟者って事だぜ。精神鍛錬が足りないな」
「そんなだからいつまで経っても2Pカラーとか言われるのよ、あなたは」
マイペース極まりない魔理沙と霊夢。
ああもうこの人達イヤだ、と早苗はがっくりと肩を落として歩くのだった。
黒ずんだ岩は存分に直射日光を浴びて肉が焼けるほど熱く、すでに捌かれた魚肉がうまそうな匂いと煙を立てていた。
「刺身にしようかとも考えたのだけれど、得体の知れない魚だし」
「焼いておけば概ね安全と思いまして。石がチンチコチンで助かりました」
ナイフと刀で魚を捌いていた咲夜と妖夢が気安い様子で焼きたての魚を食べさせてくれた。
調味料は特に無い、捌いて焼いただけの簡素なものだが、物珍しさのためかおいしく思えた。
砂浜から少し内陸に入った密林の、鬱蒼と茂る樹木の陰で涼みながらののん気な昼食。
デザートは霊夢と魔理沙が調達したバナナである。
これに妹紅を加えた五人は、早苗よりも早く目覚めて合流して、それぞれ好き勝手に食料の調達、人の捜索、現状把握に努めていたのだ。
で、妹紅が早苗を見つけて今に至る。
「それで、ここはどこなんですか?」
早苗の問いに、魔理沙が魚の目玉をほじくりながら答える。
「んー、南国の無人島っぽい。少なくとも幻想郷じゃないな。そこまで広くない。周囲に島はなくて、崖の上から見渡したけど、一面海で絶景だった」
のん気ねぇ、なんて言いながら一番のん気な表情の霊夢が、巨大な葉っぱを布団代わりにして寝転がる。その隣に魔理沙も転がった。
「ところで早苗はなにか心当たりは無いんですか?」
根っこのくぼみに腰をおろしていた妖夢が問いかけてきた。
「それはつまり、なぜ私達がここにいるか、という事ですか?」
「ええ。普通に日常生活を送っていたと思ったら、いきなり無人島ですから」
「無人島に来る前の記憶は、みんなどうなってるんですか? 境内の掃除をしていた記憶はあるんですが、その後、プッツリ……」
「私は庭の手入れを……咲夜は紅魔館で仕事中。霊夢は縁側で昼寝。魔理沙はキノコ狩り。えーっと、そういえば妹紅はどうしてたんでしたっけ?」
「恥ずかしながら、輝夜との弾幕ごっこに負けてボロ雑巾になってた。どのタイミングでリザレクったのかも覚えてないわ。しかしアレね、作為的なものをひしひしと感じる。状況が不自然すぎるもの」
「同感です」
うんうんとうなずく妖夢を見て、早苗はようやくまともな展開になってきたと胸を撫で下ろした。
「もうお昼なのに、幽々子様のお昼ご飯、どうしよう……」
「って、真っ先に心配する事がそれ!?」
ツッコミを入れる早苗に「お前はなにを言ってるんだ」と言わんばかりの冷たい視線が、その場にいた五人からいっせいに向けられた。
幽々子のお昼ご飯だぞお昼ご飯、心配して当然だろう。
妖夢にとってそれ以上ヤバい事がなにかあるのか? いや、無い。
「で、空を飛べないのよね」
うんざりした調子で妹紅が漏らした。
「霊夢以外はね」
答えたのは咲夜だった。
手の中でクルクルとナイフを回転させて遊んでいるが、忌々しげな表情で概ね察する早苗。
「え、もしかして能力も使えないんですか?」
「ええ。霊夢以外はね」
霊夢だけは能力が使える? なぜ?
早苗が首を傾げていると、ふと思いついたように妹紅が咲夜のナイフに手を伸ばした。
「それ貸して」
ナイフを放り投げられ、指で挟んで刃先をキャッチした妹紅は、右手にナイフを持ち替えると左手首をスパッと切り裂いた。
鮮血が散る様を、魔理沙と咲夜と妖夢が冷めた目つきで見ていた。が、早苗は蒼白になる。
「な、なな、なにしてるんですか! あき、あきらめるのはまだ早いです! いいですか、一寸の虫にも五分の魂があると言うように、人間サイズならそりゃもう大きな魂があるのにそれを自ら棄て去るなどああなんと愚かな――」
「なにが私達を封じているのかは解らないけど」
早苗を無視して、妹紅はナイフを投げ返すと、血で濡れた左手首を右手の親指で拭った。
そこにはもう、傷跡は無い。
「私の体質を封じられるほど強力なものじゃないみたいだな」
「え? え、傷が……あれ?」
妹紅の不死を知らない早苗は不思議そうにしていたが、他の面子はこの事実から新たな手がかりを掴んでいた。
霊夢の宙に浮く程度の能力。
蓬莱の薬。
さすがにこの二つは、魔法や妖術、奇跡などといった能力と同列に封印する事はできないらしい。
まあ、この二つをどうにかできる奴なんて幻想郷中を探しても見つかるまい。
という事は、ここに彼女達を閉じ込めた何者かはその程度の存在。
なんてことはない、これは幻想郷レベルで住む程度の異変なのだ。
「幻想郷滅んでなきゃいいけど」
「えっ」
唐突に投下された爆弾発言に、早苗が目を丸くする。
爆弾を投下したのは霊夢。
「だって、博麗の巫女の私がここにいて、博麗大結界どうなってるのかなーって。
最悪、幻想郷は滅んで幻想に属する妖怪や神様とか消滅しちゃっててもおかしくないかも」
「えっ……ええーっ!?」
という事は、という事は! 早苗は守矢神社で仲良く暮らす大好きな家族兼神様二人を思い浮かべた。
顔面蒼白になって絶望しているかたわらで、瀟洒なメイドは頬に手を当ててため息。
「やれやれ、また館ごと引っ越しかしら」
「冥界は管轄外だから問題無いです」
ついでに妖夢も問題なさそうだった。
さて魔理沙は。
「魔法がなくなるのはイヤだよなー。仕方無いからキノコ師か配管工にジョブチェンジするか」
転職を考えていた。
※キノコ師
キノコ限定の薬師。多種多様なキノコを見分け、調合する事により、前人未到の効果を生み出す。
人体を二倍ほど巨大化させたり、生命の数を増幅させたり、椎茸を松茸にしたりと、能力は様々である。
万能に近い能力は低レベルクリアなどの縛りプレイで猛威を振るい、プレイヤーに自重させるほどだ。
※配管工
キノコを主食とする職業。主な仕事は冒険、特に大魔王にさらわれたお姫様の救出が多い。
他にもカートでレースをしたり、テニスをしたり、RPGまでこなしてしまう。
あらゆる職業を極めねば転職できないとされる勇者さえも極めた先にあるという、最強最後の上級職。
「お前等、危機感ねーな」
と、危機感皆無な声色の妹紅はのん気に枝毛を探していた。
「ま、なるようになるわ」
そして一切合財を投げ捨てて昼寝を始めてしまう霊夢。
「ちょ、ちょっと皆さん!? そんなんでいいんですか!? 幻想郷の危機がその程度で!」
「早苗、うるさい」
霊夢の投げた陰陽玉をデコにヒットさせた早苗はその場に倒れて強制的に昼寝に陥った。
気絶とも言う。
「ねえ、バナナ以外に果物無いの?」
「あー、もう食べちゃった。食べたきゃ自分で取りに行って」
和気藹々な妹紅と霊夢。
こんな調子で早苗が目を覚ますまで、彼女達はこの状況を打破しようとはせず、のんびりと常夏楽園ライフをエンジョイしていたという。
○ ○ ○ ○ ○ ○
東風谷早苗は思い出していた。
幻想郷に来る以前、小説で、漫画で、アニメで、ドラマで、映画で、無人島を舞台とした物語を。
主人公達は様々な理由で無人島に流れ着き、生き残った者達は協力し合い、あるいは反発し合った。
力を合わせてイカダを作り脱出する物語。
いさかいが苛烈し次第に暴力を振るい合う物語。
未知の生物やお宝を発見する物語。
様々なものがあった。
無人島にたった一人だけ流れ着き、孤独に正気を蝕まれながら力強く生きようとする物語もあった。
だがたいていは、複数の人間が無人島に流れ着き、無人島でどう生きるかを描いた人間ドラマが多かった。
協力し合う。
いさかい合う。
そう、無人島という限られた環境で、同じ境遇の人々は接し合う。
その先にあるものが希望であれ絶望であれ――。
「な、の、に」
早苗は頭を抱えていた。
無人島の砂浜にて、さざ波に足をひたしながら、赤い空に向かって吼えた。
「なんで全員バラバラに行動してるんですかーっ!!」
霊夢、魔理沙、咲夜、妖夢、そして妹紅は、最低限の情報交換と食事を終えた後、あろう事か解散した。
それぞれ好き勝手に行動し、帰る手段は自力で見つければいいとかなんとか。
残された早苗はしばし呆然と立ち尽くし、日が暮れ始めていたため、とりあえず夕陽に向かって叫んでみた。
「違うでしょう! 無人島ですよ? 漂流物ですよ? 普段は関わりの薄い人々が集まってるんですよ!? 普通、協力し合うでしょう!? 極限状態を支え合うでしょう!? 時に喧嘩もするけれど一緒にトラブルを乗り越えて友情を深めるでしょう!? そーゆーものでしょう漂流物って! なのに、な、ん、で、みんなバラバラなんですかァー!!」
東風谷早苗、未だ常識を捨て切れない女。
「いいや違う、こういう状況だからこそ私が! この私が皆をまとめ導かなくては! そう、今こそ私は真のヒロインとなる! 力を合わせてこの無人島脱出大作戦を決行するのよ!!」
その時! 高波が早苗を襲った!
流された早苗は慌ててもがいたが、衣服を着たまま泳ぐ事には慣れておらず、さらに上下の感覚まで失ってしまったためどちらに向かえばいいかも解らない。
水を吸った衣服が重くまとわりつき、口いっぱいに潮の味が広がって、ゴボゴボと空気を吐き出してしまう。
(う、海……割れろ! 割れ……割れない!? 奇跡が……)
奇跡は起きないから奇跡だとか、奇跡は起こるから奇跡だとか、そういうのはどうでもいい。
奇跡を起こす程度の能力が封じられてるんだから奇跡は起きないのだ。
脳裏をよぎる走馬灯。
ちゃぶ台を囲んで団欒する神奈子様と諏訪子様。
ほーら早苗、今日は早苗の大好きなハンバーグだよ。
わーい、神奈子様だーい好き!
もう、早苗はいつまで経っても子供なんだから。
あはは。
うふふ。
えへへ。
「って、死んでたまるかぁー!!」
がむしゃらに動かしていた足、その爪先が砂に刺さり、早苗の生存本能をプッシュした。
直後、もう一方の足も砂に突き刺して勢いよく立ち上がる。
飛沫を散らして水中から脱した早苗は、思い切り息を吸い込もうとして咳き込んだ。
「ゲホッ、ゲェッ……ううっ……」
息を整え、見下ろしてみれば、水深は股下程度までしかなかった。
知識では知っていたが、パニックに陥るとこんなに浅くとも溺れられるのかと早苗は戦慄する。
我が身を抱きしめて、常夏の海で寒さに震える。
背筋を毛虫が這うような悪寒は、死に直面したためのものだろうか。
日が沈んでもおかしくないほど長い間、水中でもがいていたような気がしたが、西の空は赤々と燃え、時の経過を感じさせるものはひとつもなかった。
水の重みを押し分けながら浜に上がった早苗は、肢体に貼りついたびしょ濡れの衣服の冷たさから、南国であれこのまま夜を迎えては風邪を引いてしまうだろうと、どこか服を乾かせる場所はないかと見渡した。
乙女として、例え無人島といえどなにもさえぎるものの無い場所で裸体をさらしたくはない。
どうしたものか、当てもなく浜辺を歩いていると、熱帯の木々の向こうに光が見えた。
夕陽ではない。五人のうちの誰かが火を起こしているのだろうと、早苗は木々の間をくぐった。
ヤシのような広葉樹が生え並び、日中は大きな葉が陽射しをさえぎっているのだろう、地面には意外と草が少なく土が露出していた。
樹木は四階建てくらいの高さだろうか? 下からでは葉の層が邪魔でよく解らない。
濡れた靴の足音に気づいた少女は、紅白衣装だったが髪は真っ白、藤原妹紅だった。
「はしゃぎすぎだって。泳ぐなら服くらい脱ぎなよ」
「違います」
やや開けた場所に、まるで映画のワンシーンのように炎で幻想的に照らされている妹紅。
石を積んだかまどの中に枯れ木がくべられており、地面に斜めに刺された長い枝の先端でなにかが焼かれている。
「あの、どうやって火を?」
魔法や妖術の類は使えなくなっているはずなので、早苗は暖に引き寄せながら疑問に思った。
「最近の人間は、火の起こし方も知らないのか?」
たいして年齢の差を感じない少女は馬鹿にするように言ったが、早苗は自分が現代っ子である事を重々承知していたため、素直に無知を受け入れた。
「うちの神社は河童に電気ガス水道を引いてもらってるので」
「そこ座ってもやらないぞ」
火の前にしゃがんだ早苗は、ようやく枝の先に刺さっているものがなにかを理解した。
「これ、食べるんですか?」
頭からお尻までを貫かれたトカゲが香ばしい匂いを漂わせている。
お昼に食べたのが焼き魚と果物だっただけに、ギャップに軽い目まいを起こす。
「乾かすなら燃えないように注意しなよ」
枝を地面から引っこ抜いてトカゲにかじりついた妹紅は、炎に視線を留めたまま言った。
食料は分けてはくれないが暖を取らせてはくれるようなので、安堵して服に手をかける早苗だが、脱いだ服を引っかけておけるものが見つからず戸惑ってしまう。
すると妹紅は食べかけのトカゲを押しつけ、手近な樹木に歩み寄るとヒョイヒョイ登っていった。
呆然と見ていると、蔓を握って飛び降りてきて、焚き火を脇を通るようにして蔓を反対側の樹木に結びつけた。
ここに服をかけろという事か。
「あ、どうも……」
お礼を言って、早苗はトカゲを返そうとする。
だが妹紅はいちべつすらせず、またもや木に登り始めた。
なにをしているんだろう。
このトカゲはもしかして残りを食べていいよって事なのだろうか。
歯型のついたトカゲを見、早苗は腹の底から重たいものが込み上げそうになるのを感じた。
これは、食べないと失礼だろう。
ゴクリ。食欲とは違う意味で喉を鳴らす早苗。
迷っていると頭上でガサガサと葉がこすれるような音がし、見上げて、葉っぱが降ってきた。
「ひゃっ!?」
焚き火から離れた位置に落とされた葉は抱きかかえられるほど大きい。
これも燃やすのだろうかと思っていると、次々に葉っぱが引きちぎられ、落とされてきた。
葉が積み重なる様子を見て、もしや寝床ではと察っする。
南国で葉っぱの布団、冒険心が掻き立てられ、不謹慎ながらもワクワクしてしまう。
そう、今こそ早苗は主人公状態!
困っている所を妹紅に助けられる事から始まり、友情を築き、最初の仲間を得るのだ!
そして次々に早苗は仲間を増やし、最後に残るのはきっと霊夢だろう、霊夢さえも仲間にするのだ。
その際霊夢は早苗をパクリキャラではないオリジナルキャラだと認め敬い崇め……守矢神社信仰大獲得!!
「きたきたきた! 時代の風は私に向いて吹いている!」
バサリ。巨大な葉っぱが早苗の頭に落っこちてきた。意外と重量があり、よろめいて尻餅をついてしまう。
その拍子に焼きトカゲも落としてしまい、慌てて拾って土を払う。
葉は次々に落ちてきて、どうやら二人分用意してくれているらしく、土を払ったトカゲを手に「これどうしよう……」と呟いてると、早苗の眼前に妹紅が飛び降りてきた。
「なんだ、まだ食べてないのか。冷めちゃってるだろ」
「あー、うー、猫舌なもので」
「とっとと食べちゃえよ。それと、早く脱がないと風邪引くよ」
もはや逃げられる雰囲気ではない。早苗は意を決してトカゲをかじった。
不味い。なんだこれ。肉? これが肉? 酷く筋張り臭みがあって、現代っ子にはつらすぎた。
吐き気をこらえながら食べ切ると、妹紅は葉っぱの布団を二人分用意し、さらに葉っぱを蔓でくくってなにかを作っていた。
「それ、なんです?」
「乾かしてる間、素っ裸って訳にもいかないだろ」
「はぁ……」
意図が掴めず首を傾げ、直後、意図を掴んで早苗はガッツポーズ。
(こ、これはまさか! 南の島で遭難した時のお約束! 葉っぱビキニ!)
そう、葉っぱを水着のビキニのように、あるいは下着のように着用するスタイル!
正式名称を知らないため、とりあえず葉っぱビキニと呼称しつつ、早苗は浪漫が体内で渦巻くのを感じた。
これだ、これなのだ。遭難物のお約束をひとつひとつ丹念にこなす!
いずれ皆結束し、力を合わせてイカダを作って大海原にレッツ・ゴーするのだ!
「なんか知らないけど楽しそーだな」
と、葉っぱビキニを完成させた妹紅は、面倒くさそうに自分の葉っぱ布団に寝転がった。
妹紅に深々と感謝しながら、早苗は冷たく貼りついた衣服を脱いで蔓にかけ、火で乾かす。
それから葉っぱビキニをウキウキドキドキワクワク気分で装着!
使用された葉っぱは計四枚。
右胸、左胸、股間、臀部。そこのみに使用されている。
蔓をきつく絞めないとすぐ解けてしまうため、ちょっと痛い。
葉っぱが硬くて擦れて痛い。
股間を覆い隠してはいるが微妙に隙間があり、風通しもよく下着として心許無い。
派手に動けばはらりと落ちてしまいそうだし、中身が見えてしまう角度も存在するだろう。
「浪漫なんて! 浪漫なんてー!!」
全力で悔しがりながら早苗は葉っぱの布団にダイブした。
葉っぱ越しに伝わる硬い地面の冷たさが悲しい。
しかも今までの騒動で日はすっかり暮れてしまい、焚き火から離れてはろくにものが見えない。
太陽が昇るとともに起き、沈むとともに眠る。
あまりにも原始的な境遇に、早苗は幻想郷がいかに恵まれた場所だったかを思い知った。
ああ! 河童に頼んで電機を引いている我が家! 恵まれすぎにも程がある!
その後も無人島浪漫やら幻想郷と守矢神社やら色々考えてるうちに、早苗はすっかり寝入ってしまった。
寝息と、虫達のさえずり、得体の知れない鳥の鳴き声、木々の揺れる音、波の打つ音を聴き、満天の星を見上げながら妹紅は笑った。
「風の衣に天の宿……か。久方振りすぎて、泣けてくるよ。
でもまぁ、ここはあたたかいし、冬の山よりはマシだよなぁ……」
他の連中は、どうやって眠っているのだろうか。
暖かいから早苗のような濡れ鼠にでもならぬ限り着の身着のままでも問題無いだろうし、人間とはいえあの面子なら特に心配せずとも自力で生きていけるだろう。
問題は、どうやってこの島から脱するか。どうやって能力を取り戻すか。
ほぼ間違いなくいるだろう黒幕をいかにして突き止め打倒するか。
「ま、異変解決は巫女の仕事だ……霊夢に任せて、南国リゾートを楽しませてもらおうかね」
楽観視していた訳じゃない。
けれど危機感は足りなかった。
○ ○ ○ ○ ○ ○
遠くで水の落ちる音がする。
近くで荒い息遣いがする。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
暗闇の中で蠢くおぞましきものが、早苗の肌を這った。小さな針で刺されるような痛みが走る。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
なにか、が、早苗の上にのしかかっていた。
荒い息遣いが近づき、重たいまぶたに力を込めて開けようとした。
しかし、力が入らない。虚脱して全身の感覚が希薄になる。
「はぁ、はぁ、はぁ……うっ」
誰かが苦しそうにうめいて、首筋にねっとりとしたものが触れた。
ゆっくりと撫でるようにして這うそれは、まるで巨大なタコかイカのように思え、おぞましさから悲鳴を上げようとしたが――「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」――荒い息遣いが聞こえる。
あるいは。巨大な怪物に首を舐められているかのようにも感じ、早苗は助けを求めた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」助けて、助けて、助けて、助けて。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」神奈子様、諏訪子様、助けて、助けて!
「はぁ、はぁ、はぁっ……!」息遣いが乱れ、ねっとりと濡れたおぞましき軟体が首に巻きついた。
「はぁ、はぁ……アッ……!」
目が、開いた。
あれほど重たかったのに軽々と開いて、広葉樹の葉が折り重なり陽射しをさえぎっている様子が見て取れた。
わずかに射し込む木漏れ日は早苗の首元に当たっており、触れてみればぐっしょりと汗で濡れていた。
目まいによろめきながらも早苗は起き上がり、全身が汗でまみれている事に気づく。
「痛ッ……」
太ももに痛みが走り、何事かと見てみれば大きな蟻が一匹、白いももを這っていた。
噛まれてはたまらないと乱暴に払ってから立ち上がると、ハラリと衣服が落ちた。
「あっ……」
夢の中同様、全身が虚脱する。そうだ、葉っぱビキニだった。
落ちた葉っぱを拾い、丸出しになった左の乳房にかぶせて、周囲を見渡す。
うんざりするような密林。背の高い広葉樹が立ち並び、蝶とも蛾とも解らぬ虫が飛んでいる。
地面に草は少なかったが、そのためけばけばしい色合いの花が目立った。
石のかまどはそのままだったが、焚き火はとっくに消えており、干しっぱなしの装束がすっかり乾いていた。
だがこの汗まみれの肢体で着るつもりにはなれず、どこか水浴びできる場所はないかと歩き出した。
いざとなれば海で汗を洗い流す手もあるが、潮が残ってしまうので、できれば真水で洗いたい。
「……妹紅さーん、妹紅さん、どこです?」
一緒に眠っていたはずの、昨日随分とお世話になった彼女を探してみたが、見当たらない。
このあたりをある程度探索しているだろう彼女なら、川のひとつくらい見つけているだろうと期待しており、足跡でもないかなと地面を調べたりもしてみたが、どうにも手がかりは見つからない。
しばらく歩き回っていると、下半身に嫌な感覚が溜まってきた。
人間である限り避けられぬ生理現象が、近い。
そこいらの草陰で致すしかないとは承知しているが、ウォシュレットの恩恵に守られている早苗としては、葉っぱなどで拭うだけではどうにも綺麗になった気がせず、ますます水場を求めてさまよった。
しばし歩いていると水の流れる音がし、まるで天使の声のように早苗の胸に響いた。
ダッシュで川に向かい、水を使って致す事を色々とすませた早苗は、綺麗さっぱりリフレッシュした。
なにをしたかって?
そりゃ、顔を洗ったり、口をゆすいだり、汗を流したり、だよ?
※注意!
川の中で致すのは重大なマナー違反です。基本的に洗うために利用しましょう。
他に致す手段がない場合の最終手段ならばギリギリOKですが、あくまでもギリギリです。グレーゾーンです。
「ふぅ……」
事をすませた早苗は、焚き火跡に戻って着替えようと思ったが、川の中に膝上まで足をひたして流水の心地よさに浸っていると、なにかが太ももに絡みついた気がして、白いももを指先でなぞってみた。
細い感触。
なんだろうと思って指を目先に持ってくると、白く長い髪が一本、水に濡れてきらめいていた。
妹紅の髪の毛、だろうか。上流から?
葉っぱビキニの胸元を直した早苗は、身体を乾かすついでに川上へ向かった。
川原の周囲は岩場になっており、岩の上をカエルのように跳ねて進む。
身体についた水滴が散り、岩の上に痕跡を残し、次第に陽射しのおかげもあって身体も乾いてきた。
五分ほど上流を目指すと、不自然に水音が大きくなり、ついに湖を発見した。
岩に囲まれた楕円形の湖の上流は切り立った崖になっており、細い滝が湖へと流れ落ちていた。
水音の正体はこれかと納得し、早苗はちょっと大きな岩の上に立って妹紅の姿を探した。
湖は日当たりがよく、眩しいほどの太陽が水面を輝かせており、銀の絨毯が敷かれているようであった。
清らかな水のせせらぎは生命の息吹きを感じさせ、耳から他の音を忘れさせ心身ともに静寂に包まれる。
湖の左手は岩場を挟んで密林となっており、早苗達が眠ったのはそちら側だ。
広葉樹の枝の先には色鮮やかな赤い鳥が留まっており、湖を見下ろしている。
右手側はというと、やはり密林だったが土や草の割合が多いように思えた。
大きな黄色い花が毒々しく咲いており、その周囲を黒と青の透き通るような翅の蝶が舞っている。
人の手の入っていない未踏の地は、幻想郷とは違った幻想の彩りに満ち溢れて、早苗の胸を強く打った。
葉っぱビキニを脱ぎ捨てて湖に飛び込んで力いっぱい泳ぎたい衝動が湧き上がり、いざ実行しようかと子供のような笑顔を作った時、水が、跳ねた。
魚? 一瞬、早苗はそう思った。
白い魚が水面から飛び跳ねたのだと。
だが違った。
白魚はもぎ立ての果実のように瑞々しい柔肌と、絹糸のような真っ白い髪を伸ばしていた。
弓のように背を引いて立ち上がった少女は、下腹を波打つ湖にひたしており、腰のくびれや骨盤の出っ張りがかろうじて水面から上に出ている程度で、酷く危うかった。
ややふくらんだお腹はとても健康的で、雫が小さなおへそへと伝い落ちていく。
小振りな双丘は手のひらにすっぽりおさまってしまいそうな程度だが、程よくついた筋肉が魅せるボディラインと調和して、目も眩むような曲線を描いている。
鎖骨から肩へと続く流れの美しさは人体構造の神秘を感じさせ、引き締まった腕は頼もしくありながら、ギリシア彫刻のように均整が取れて美しい。
折れてしまいそうな首、尖った顎、スラリとした鼻梁に、シャープな頬のラインはどこか中性的で、赤茶色の眼差しは揺らめく炎のように光っていた。
微笑を描く唇を、舌がペロリと舐めて水滴を体内に運ぶ。
白き美に見惚れ、胸の奥が感動によってきつく握りしめられる。
肺は呼吸を忘れ、唇は言葉を忘れ、瞳は動く事を忘れ、ただじっと、彼女を見つめ続けていた。
彼女、藤原妹紅は頭を振って水を払い、首に手を回すと長い後ろ髪を引っ張って肩の上を通し、左胸にかぶさるようにして前面に持ってくると、上から下へと強く引き絞って髪が吸った水を落とした。
「ん?」
左目が、早苗の存在に気づく。
裸身を隠そうともせず妹紅は振り向いたため、早苗からは右胸の先端から水滴が落ちる様子が見えた。
この常夏の陽光ですら干渉できぬ白い肌に似合い、尖った部分の色もまた薄い。
そこまで妹紅の肢体を観察してから、慌てて早苗は視線を足元にそらした。
すると、自分の立っている岩のすぐ左下にある平べったい岩に、妹紅の衣服が綺麗にたたまれていた。
「なにしてんだ、こんなトコで」
ジャブジャブと水を掻き分ける音が近づくのに比例して、なぜ鼓動が高鳴るのか早苗には解らなかった。
「あ、み、水……を……」
「ああ、よくここが解ったな。後で教えようと思ってたんだ……さっきまで霊夢もいたぞ。一緒に川魚を取って、さっき飛んでった。そこに生け簀あるだろ、私の分」
言われて、妹紅の衣服の側に石で作られた小さな生け簀を見つけた。
中には魚が二匹、狭そうに泳いでいる。
「あの、霊夢さんも裸に?」
「服着たまま泳ぐのはお前くらいだろ」
自分でも訳の解らない質問をしてしまい、挙句昨日の失態を掘り返してしまい、早苗は赤面した。
同時に、この美しい少女とこの湖で戯れていたのかと思うと、霊夢が羨ましく思えた。
いやいや、おかしい。早苗は自分に言い聞かせる。私は至ってノーマルな性癖のはず。
でもまあ、美しいものを美しいと感じるのは、人として当たり前だからいいよね。うん。
「お前、なんで着替えてないの?」
「あ――寝汗が酷くて」
「蒸し暑いもんなぁ。服置いたまま来たのか? しばらくここにいるから、取ってこいよ」
そう言いながら妹紅は生け簀の近くの岩に登り、水を滴らせながら白桃のようなお尻をペタンと置いた。
「き、着ないんですか? 服」
「いや、濡れてるし」
片足を岩の上に放り出し、もう片方は膝を折って身体を支えさせて、両手をお尻の後ろにやって背もたれ代わりにした妹紅は、太陽に向けて胸を張った。
小さな突起が丸見えで、さらに太ももの隙間から妹紅の秘所が覗けてしまえそうで、早苗は慌てて妹紅に背を向け「着替えてきます!」と駆け出した。
しばらくして腋巫女装束に着替えた早苗が戻ってくると、妹紅は全裸のまま大の字になってまぶたを閉じていた。
ある程度時間を置いたため早苗の精神は平静に近づいており、さっきほどの動揺はせずにすんだ。
岩の上に人型の濡れ跡を作った妹紅はまだ身体が乾いておらず、戻ってきた早苗に薪を拾い集めるよう指示して、再びまぶたを閉じた。
しばらくして。身体が乾いた妹紅は手早く服を着ると、早苗の集めた薪を使って早速火を起こした。
早苗にもやり方を教えるためか、道具を作る段から始める。幸い道具はナイフがあった。
これは早苗が気絶している間に、全員咲夜から分けてもらったそうだ。それを聞いて早苗は拳を握りしめた。
さて、木の板に三角の切り込みを入れて、その先端に棒を押し当てるため、ずれないよう軽く掘る。
ヒキリ板を完成させ、同じような手際で簡単にヒキリ棒を作って、蔓を棒に巻きつける。
ヒキリ板の溝にヒキリ棒の先端を当てて蔓を動かして回転させ、摩擦で煙が出、三角の溝に燃えカスのようなものが溜まっていき、量が増えるにつれ赤く静かに燃え始める。
その火種を壊さないよう慎重に息を吹きかけて炎を大きくした。
「火なんてなくても果物かじってれば食事には困らないだろうし、無理に覚えなくてもいいよ」
そんな風に言いながら、妹紅は二匹の川魚をナイフで捌いて枝を突き刺し、焚き火で焼き始めた。
「それにしても、みんな酷いです。私だけナイフをもらえないなんて……。サバイバルでナイフ一本あるとないとじゃ大違いじゃないですか!あのメイドには人としての情というものが無いんですか!?」
「無いんじゃない。まあ、ナイフくらいやるよ」
「え」
地べたに座っていた早苗の足元にナイフが突き刺さる、妹紅が投げたのだ。
二重の意味で驚いた早苗は、ナイフを手に取りながら小声で訊ねた。
「あ、あの……いいんですか?」
「石斧作ろうと思ってたし、別にいいよ。それにまた咲夜と会ったら、物々交換でナイフ要求すればいいし」
「い、石斧……」
「根気さえあれば作れる。よさげな石ももう拾ってあるし、削って刃の形にして、適度に研いで、生木の棍棒に穴を開けて石を取りつければ完成……イカダどころか家だって造れるようになる」
「あなた、サバイバルの達人かなにかですか」
「旅暮らしが長かっただけさ。ほら、魚焼けたよ」
焼き魚を一人先に頬張り始める妹紅。唖然としながら、空腹を思い出し少し遅れて焼き魚に手を出す早苗。
なにも味つけはしていないが、新鮮な魚肉はおいしく感じられた。
魚を食べ終え、湖の水を飲んで一服してから、妹紅は岩を使って丸い石を削り始めた。
石斧造りを始めたのかな、と思っているとどこか突き放したような声で妹紅が言った。
「で、お前、この後どうするの?」
「え? みんなで力を合わせて島を脱出するつもりですけど……」
「脱出するまで、どうするの?」
「えっ……と?」
質問の意図が掴めず、早苗は居心地の悪さを感じた。
状況が悪い方に流れている気がする。
「困ってたから手を貸したけど、私はお前のお母さんじゃないんだ。この先面倒見る気は無いぞ」
「え、え?」
「服は乾いた。魚も食べた。ナイフもある。水場も知ってる。これでもう"万全"だ。後は一人でもやっていける……私の手助けは必要無い、よな?」
念を押すように妹紅は言い、早苗は黙り込んでしまった。
確かに、昨日から妹紅に頼りっぱなし。悪く言えば迷惑をかけっぱなしだ。
みんなで力を合わせ、助け合い、島を脱出する?
合わせるための力を、自分は持っているのか?
助け合うだけの力を、自分は持っているのか?
奇跡を行使できない今、早苗は悲しいほどに現代人だった。
この島での自分は役立たず。足手まとい。凡人。
だが。だがそれでも。
「こんな状況なんですよ? 一致団結して事に当たるべきじゃないですか?」
「なにに当たるんだよ。なにをするんだよ」
「た、例えば、イカダを……」
「なんの指針もなく大海原に出ても、漂流するだけだろう。自殺志願者以外参加しないと思うけど」
「こ、この島を調べたり」
「個性の強い連中ばかりだ。無理に連携するよりも、各々が思うように行動すればいいんじゃないか? だいたい異変解決は巫女の仕事だ。霊夢がなんとかするまでバカンスを楽しんでもいいくらいさ」
「そんな身勝手な……」
「勝手な連中が勝手をする、それが幻想郷だろ? 私は私の道理で勝手にするよ。けどまあ、そうだな、咲夜と妖夢となら手を組めるかもな。お前と同じ早く帰らなきゃならない理由がある」
十六夜咲夜。紅魔館のメイド。主はレミリア・スカーレット。
魂魄妖夢。白玉楼の庭師。主は西行寺幽々子。
自由気ままに無人島生活を楽しんではいられない理由を持つ二人。
主を放ってこんな所で無為な日々など送れぬというのは早苗も同じ。
「霊夢は能力が使えるし、単独で動き回ってる。魔理沙は島を探検するらしい、どこにいるかは知らない。けど咲夜と妖夢なら、この島から脱出するために行動を起こしているはずだ。二人がどんな行動を取るか、それを考えて、追いかけてみたらどうだ? 私は山の上なんかが怪しいと思う。霊夢と違って飛べないから、地形を調べるには高い所に登らなきゃな」
よし、と早苗は立ち上がった。
手助けはしないと言った妹紅だが、もう十分助けてもらったと早苗は思う。
「私も、山登りをしてみます」
「そうか、がんばれよ」
石斧造りを続けながら妹紅は言う。丁寧に真剣に石斧を削っている。
そんな背中に深々と礼をして、早苗はナイフを片手に歩き出した。
足音が遠ざかってから、妹紅は石斧を作る手を休め、早苗の立ち去った方角を見る。
当然、早苗の姿はもうどこにも見当たらなかった。
狭い島だし、遠からず再会するだろう。
どんな再会をするのかな。少しだけ、妹紅は楽しみだった。
○ ○ ○ ○ ○ ○
「霊夢の言った通りね」
落胆気味に呟いた咲夜は、無人島でもっとも高い場所、山の頭頂部から生える樹木の枝に立っていた。
同じ枝にもう一人、半霊を身体にまとわりつかせている妖夢がいた。
「全方位、水平線がどこまでも続いてますね。海に出て別の島を探す線は無理か……」
「後は、私達をここに連れ込んだ黒幕を探し出して叩きのめすくらいしかやる事がないわ」
「霊夢に任せるしかないんでしょうか」
陽射しは高く、ほぼ真上から照りつけてくる。
咲夜は汗ばんだメイド服をわずらわしく思いながら、まさか赤道直下だったりしないかと不安になった。
だとしたら日本から遠く離れすぎている。
「この異変、紫様あたりの悪ふざけってオチだったりしませんかね」
「ありえるわね。お嬢様方を巻き込んで、誰の従者が一番早く無人島から脱出できるか、賭けでもしてるんじゃない?」
「だとすると、霊夢と魔理沙と妹紅は誰が送り込んだんでしょうね」
「三人まとめてスキマ妖怪でいいわ、面倒くさい」
くだらない想像を投げ捨て、咲夜は樹木から飛び降り、妖夢もそれに続いた。
着地した咲夜の指の間には無数のナイフが冷たく輝いており、眼差しも鋭さを増していた。
その背後を守るようにして降り立った妖夢もまた抜刀の姿勢に入っている。
山の頭頂部とはいえ密林、木々や葉が視界をさえぎっており、草木が揺れる音を頼りに敵を探す。
「一番、黒幕の刺客。二番、野生の獣。三番、原住民。どれかしら?」
「一番を希望します」
軽口を言いながらも二人の構えに隙は無い。
枝を乱暴に踏む折る音が咲夜の真正面からし、双眸は音の発生源を射抜くように見た。
だが、音の出所ではなく視界の端、わずかに、金色がよぎった気がした。
視線を動かそうとした瞬間に木々をへし折って巨大な猪が飛び出してきた。
圧倒的重量で迫るそれに向けて咲夜の手から無数のナイフが飛来する。
と同時に咲夜は飛び上がって木の上に逃れ、振り向き様にその下をくぐった妖夢が抜刀。
銀閃が走り、猪の眉間から鮮血がほとばしった。
さらにナイフは正確無比に猪の両目を潰しており、さらに両の前足にも刺さり機動力を殺していた。
「二番、だったわね」
「二人で食べるには大きすぎますね。幽々子様がいてくれたらなぁ……」
「妹紅あたりと合流して物々交換に使えないかしら。
魔理沙だとキノコ確定だし、霊夢は……必要以上に物を取ったりしてないでしょうし……」
「燻製肉とか作れます?」
「生憎、うちは素材が新鮮なうちに食べちゃうから」
雑談をしながら手早く猪の血抜きやら内臓の処理をすませ、食べられる肉を切り出す二人。
咲夜が持っていたマッチで種火を起こし、豪勢に猪を焼き始める。
肉汁が火の中に落ち、食欲をそそる香りがそこいらに漂う。
「匂いに釣られて一番が来ないかしら」
「三番でもいいです。進展があるかもしれませんし」
焼き終えた肉の上で柑橘系の果物を搾り汁をかけると、二人はナイフをフォーク代わりにして肉を食べ始めた。
肉は硬く、主の舌が肥えているため自然と自らの舌も肥えている従者二人はうんざりとした。
「台所があれば、こんな肉でもやわらかく料理できるのだけど……」
「大味すぎて、ちょっと……もったいないけど、残します?」
「食べ切れないのだから仕方無いわ。保存食にする方法も知らないし」
「で、咲夜は一番でしたね」
「妖夢は三番だったわね」
ナイフに刺さっていた肉に噛みついた咲夜は、引き抜いて地面に吐き捨てた。
肉を粗末に扱ってしまったが、使えるナイフを増やすためだ。仕方無い。
妖夢は丁度肉を食べ切った所だったので、油で汚れたままのナイフを返して刀に手をかけた。
木々を掻き分ける音を隠そうともせず、無用心に近づいてくる何者かに備える。
「はひー、はひー……だ、誰かいませんか~……?」
聞き覚えのある声に、二人は戦闘体勢を解いて顔を見合わせる。
「正解は四番」
「丁度肉が余ってますし、なにか物々交換できませんかね」
「物々交換ねぇ……あの娘って、能力抜きでなにかできたかしら?」
「さあ? 現人神らしいですし、できるんじゃないです?」
しかしやってきたのは、なにもできない現代っ子の早苗さんだった。
狭い島のため、昼前から山を登り出した早苗でも、山道が比較的容易に踏破可能だった事もあり、たいして時間をかけずここまで登ってこれたのだ。
咲夜と妖夢の場合は、いったん別れた後それぞれ島を探索し、翌日偶然再会して相談を経て手を組み、地形の確認をしながらじっくり時間をかけて山を登ったため、早苗より何倍も時間を食っていた。
どうせ余るから、という理由で猪の肉を分け与えた咲夜は、大喜びで肉にむしゃぶりつく早苗に問いかけた。
「この辺で魔理沙を見なかった?」
「魔理沙さん? いえ、見てませんけど」
猪が突っ込んでくる直前に見た金色を思い出しながら、咲夜は口をつぐんだ。
あれは髪の毛、だったような気がする。でも黄色い蝶かなにかだったかもしれない。
「あ、蝶々」
口の周りを油でべっとりとさせた早苗が、まるで思考を呼んだかのようなタイミングで咲夜の後ろに視線をやった。
振り向いてみれば、黄色い翅の蝶が確かに飛んでいた。さっき見たのはあれか。
いや。
まるで思考を呼んだかのような、タイミングのよさ、蝶、金色の、まるで真実を隠すかのような……。
逡巡の後、咲夜は妖夢に視線を送った。
彼女はあの金色に気づいた様子は無い。当然だ。咲夜の後ろを見張っていたのだから。
いや、考えすぎだろう。あれは蝶々だったのだ。今はそういう事にしておこう。
満腹になった早苗は、この島から脱出するため協力し合えないかと二人に提案したが即座に蹴られた。
咲夜も妖夢も、元々は昨日解散した時に各々のやり方で事態に当たると決めていた。
そんな二人が一緒にいたのは、探索中の偶然の再会と、一番高い所から島の地形などを確認しようという目的の一致のためであった。
故に、目的を達した二人は再び別れ、各自好き勝手に島を調べればいいと考えている。
時を操る能力抜きでも優れた身体能力を持つ咲夜と、庭師であり剣士である妖夢、ここで早苗と組んでも自らの歩を遅くしてしまうだけだろう。
「とまあ、そんな理由でお断りしますわ」
「これも修行と思って一人でがんばってください」
冷たい対応の二人を前に、早苗はがっくりとうなだれた。
この状況で協力し合わない人々への落胆もあったが、それ以上に完全足手まといの自分が情けない。
「じゃあ妖夢、私は東に向かってみるわ。上からじゃ密林の中まではよく解らなかったし」
「では私は西へ。海岸まで出て、外周を調べてみます」
現在地は、島の南西部にある山である。
妹紅がいたのは南部の密林で、六人が集まり解散したのは最南端の海岸付近。
じゃあ私はどうしよう、と早苗が悩んでいるうちに二人はとっとと立ち去ってしまった。
しばし悩んで、早苗は余った猪肉をナイフで切り取って葉っぱで包み、お弁当にして北に向かって歩き出した。
一時間後。
熱帯雨林の真っ只中で遭難している早苗さんの姿があった!!
○ ○ ○ ○ ○ △
「ぜひぃ、ぜひぃ……おかしいな。真っ直ぐ歩いてたはずなのに、道に迷わないよう木につけた目印がどうして目の前にあるのか……無人島はミステリー」
バツ印のついた広葉樹の根っこの上に座り込んで、すっかり方角が解らなくなってしまった現状を憂う。
前方には派手な黄色い花が群生しており、色とりどりの蝶や、得体の知れぬ虫が飛んでいた。
幻想郷に来る以前、南の島へ旅行に行きたいなぁなんて思ってた。
沖縄、グァム、ハワイ……。
結局一度も行けなかったけれど、こんな形でやってくる事になるとは。
全然楽しめません神奈子様諏訪子様。
前方の花畑が揺れて、茎の間から紅玉のように輝く美しい蛇が顔を出した。
信仰の関係で蛇を畏れはしても恐れはしない早苗だが、さすがにこの状況で自分の太ももほどはあろうかという太さの蛇を前にしては、背筋が凍るというものだ。
狙われている。そう感じて立ち上がり、高鳴る鼓動を抑えながら走り去ろうとした。
直後、背後から低く響く鳴き声がした。
ギョッとして振り向けば、琥珀のような色合いの美しいカエルがこちらを見つめていた。
信仰の関係でカエルを畏れはしても恐れはしない早苗だが、さすがにこの状況で自分のお尻ほどはあろうかという大きさのカエルを前にしては、背筋が凍るというものだ。
狙われている。そう感じて向かい合おうとして、蛇の存在を思い出した。
前門の蛇、後門のカエル。
なに、この状況。
いやいや、ありえないでしょう。
蛇とカエルに追い詰められるって、駄目でしょう、信仰的に考えて。
「シャー」
「ゲコー」
「すみません、外国語はちょっと……」
蛇語もカエル語も堪能なバイリンガル美少女早苗さんではあったが、この蛇とカエルの言葉は解せなかった。
逃げるしかない。
だが蛇というのは意外と素早い。あらゆる地形を這い進む蛇と、この密林で追いかけっこはしたくない。
そしてカエルというのも意外と手強い。脅威のジャンプ力を相手に、この密林で追いかけっこはしたくない。
なにか、囮とできるものはないか。例えば魔物の餌的ななにか……。
「はっ! そういえば猪肉のお弁当!」
早苗は包みである葉っぱごと猪肉を放り捨てた。
地面に転がった拍子に葉っぱが開き、冷めた肉があらわになる。
途端に蛇とカエルは猪肉に飛びかかった。今だ、早苗は無我夢中になって走り出す。
一刻も早くこの場から可能な限り離れるのだ。頬張った
疲れた。
「ぜはぁ、ぜはぁ、ぜぇ、ぜぇ……」
汗だくになって四つん這いになる早苗。
どれほど走っただろうか。気がつけばとっくに密林を抜けて岩場に出ていた。
呼吸を整えながら、早苗は巨石の陰に回って座り込む。ああ、日陰は涼しい。
視界の端でなにかが動いたが、もう体力も気力も尽きかけており、早苗は目線だけを動かす。
岩の上をトカゲが這っていた。大きさは普通、妹紅が焼いて食べていたのと同じくらい。
あれなら、逃げなくていいや。
早苗は深々と息を吐き出し、うつむいたまま目を閉じた。
しばらく、ここで休もう。
密林も抜けられたし、しばらく、ここで。
ここで……。
○ ○ ○ ○ ○ ○
岩場は密林よりも見晴らしはよく危険も少なそうなので、しばし早苗の拠点となった。
岩の隙間を小川が流れており、水浴びできるほどの広さは無いが、水に困る事はなくなった。
食べ物は密林に生える果物を摘んで確保。あまり奥まで入らなければ迷う心配も無い。
ヤシの実は硬く、岩に叩きつけてもどうにもならなかったのであきらめたが、バナナやイチゴなどは容易に取れたし、名前の解らない甘酸っぱい果実もおいしかった。
ある程度の基盤を築けた早苗は新しい事にもチャレンジする。
まず、遠出の際に必要な水筒だ。
ヤシの実に穴を開けてれば丈夫な水筒にできそうだったため、虎の子のナイフを駆使し時間をかけて穴を掘った。
朝日が昇ってから、夕陽が沈むまで、休憩を挟みながらがんばった結果、ついにヤシに穴が開いた。
中からは甘いヤシの汁が出てきて、早苗は夢中になってむしゃぶりついた。
だが、汁をすすり終えた早苗は困ってしまった。
ヤシの実の内側には果肉がある。
穴を掘った分の果肉はおいしく頂いたが、それ以外の部分には果肉がびっしりついてるはずだ。
そんな状態のヤシを、果たして水筒として使えるのか?
水を入れておいたとしても、ヤシが腐ってしまって、水も駄目になってしまわないだろうか。
水筒計画はあきらめ、穴を基点にヤシを叩き割って果肉を食べようかとも思ったが、すでに夕陽は沈みかけ島は闇夜に包まれつつあった。
明日続行したとしても、この蒸し暑さの中では果肉も一晩で腐ってしまうのではないか。
悩んだ結果、迷いを断ち切るために早苗はヤシの実を密林に向けて全力投球し、その日は眠りについた。
一週間が経って、早苗は岩場を出る決断を下した。
新たなチャレンジを色々とやったがあまり進展はなく、水筒ひとつ作れずに終わった。
酷使したナイフは刃こぼれをしてきてしまったし、何より孤独に耐え切れない。
朝から晩まで一人切りで、無駄な努力ばかりを繰り返す日々。
相談をする相手、愚痴を漏らす相手、励まし合う相手、誰もいない。なにも無い。
精神をそぎ落とされていくような時間はもうたくさんだった。
それに、もう一週間も経ったのだ。
誰かが、なにかを掴んでいるかもしれない。
あるいは、今にもイカダでこの島を脱出しようとしているかもしれない。五人全員で。早苗を置いて。
ありえる。薄情なあの人達の事だ。私一人の存在など忘れ去って……。
そこまで考えて早苗は、涙を袖で拭って、首を横に振った。
酷い事を考えるようになってしまっている。
鬱屈とした精神状態を脱するには、人だ、人に会わなければ。
なんでもいいからお話をして、一緒にご飯を食べて、一緒に眠って……。
正と負と、感情のバランスがシーソーのように傾かせながら、早苗は歩く。
岩場を去り、密林に入り、木の根を避けて歩いて、坂道を登り、崖だったので引き返し、花畑を見つけて乗り込んで、蜂らしき羽音が聞こえたので慌てて駆け出し、また密林へ。
見上げれば広葉樹により空は閉ざされ、まとわりつく湿気に苛立って石ころを蹴り飛ばす。
茂みの中に消えた石ころは、女性の悲鳴を上げさせた。
「痛いじゃないか!」
ピンクのキノコを片手に涙目で立ち上がる人影は、白黒衣装の魔法使い。
無人島生活で服は汚れたり破れたりしており、帽子も失っていたが、まだまだ服として活用できる。
顔色は大変よく、果物以外にも色々食べていたのだろう、元気いっぱいだった。
思わず、早苗は駆け出していた。
「なんだよ、早苗か……え?」
全力で魔理沙に抱きついた早苗は、彼女の胸元に顔をうずめガクガクと震え出した。
「お、おい、大丈夫か? なにかあったのか?」
すっかり困惑してしまった魔理沙は、とりあえず早苗の頭を優しく撫でてやるのだった。
魔理沙に出会った直後の事を、早苗はあまり覚えていない。
ただ、胸の中に溜まった色んな感情を吐き出して、魔理沙がなだめてくれたのは記憶に残っていた。
「すみません、お見苦しい所を……」
「いいって、気にすんな」
笑いながら、魔理沙は帽子の中から取り出したキノコと芋を焚き火で焼いていた。
最初、帽子をかぶっていなかったため無くしたのかと思ったが、単に袋代わりにして腰から下げていただけだった。
「果物やキノコ以外にも食べられる物はあるんだぜ。芋があったから掘ってみたんだ。味つけは塩と、このレモンみたいなの、どっちがいい?」
「魔理沙さんの帽子って魔法の帽子みたい。なんでも出てくるんですね」
「それほどでもないぜ。よーし卵も出しちゃおう! 殻が頑丈だから帽子に入れてても割れないんだ」
妹紅が用意してくれた、咲夜と妖夢が分けてくれた、それらとは格が違うご馳走。
この魔法使いがどれだけこの秘境を大喜びで冒険していたか、想像は容易かった。
「咲夜なら昨日会ったよ。一緒にパイナップル食べた。まだこの島の事は全然解ってないみたいだな。しかしもう一週間くらい島にいるのに、メイド服が全然汚れてないのは瀟洒とかそういう問題じゃないぜ」
「妖夢は見てないなぁ。あいつの事だから、滝でも浴びながら修行してるんじゃないか? 海辺の岩場に洞窟とかあったけど、案外そこを探索してるかもな。私も入ったけどなにも無かった」
「霊夢は時々空飛んでるのを見かける。三日前に一緒にご飯食べたよ。妹紅からもらったっていう干物を分けてもらってさ、帽子の中にしまってある」
「ん、妹紅? 全然見かけてないな。でも干物を作ってるって事は海辺にいるんじゃないか? あー、もしかしたら早苗が会ったっていう湖かもしれないな。海からそう離れてないんだろ?」
「うん。やっぱりこの島にいるのは私達六人だけみたいだ。微妙なのも混じってるけど、全員人間っていうのが仕組まれてる感するよな。そもそも仕組まれてないと、気づいたら無人島なんて異変には出くわさないか。ま、誰が仕組んだかは知らないが、面白いキノコがいっぱいあって感謝したいぜ」
食事を終える頃には魔理沙からたくさんの話を聞けていて、早苗は改めて他のメンバーの凄さを思い知った。
前々から自分は足手まといで……と愚痴ったら、笑い飛ばされた。
「最初からなんでもできる奴なんて、そんなにいないぜ。ひとつひとつできるようになっていけばいいんだ。現に早苗は無人島で一週間、こうして元気な身体を保ってるじゃないか。まだまだこれからさ。そうだ、私が色々教えてやるよ。なぁに、こんな島、魔法の森よりちょっと蒸し暑いだけだぜ!」
普段は泥舟な印象の魔理沙が、今は豪華客船に見えた。まるでタイタニック!
こうして早苗と魔理沙のコンビが完成した。
罠で捕まえた獣をナイフで捌き、肉は食べ、丈夫な皮を使って早苗の分の水筒が作られる。
まったくの未知のキノコを食べられるかどうかは、他の獣が食べるかどうかで判断すればいい。
魔理沙が木に登り、果実をもいで、下にいる早苗に放り渡す。
日歩きながら薪を集めておけば、いざ焚き火を起こそうという際、時間を無駄にしない。
二日目の晩、早苗は夢を見た。
夢の中で魔理沙はあぐらをかいて座っており、その前に立っていた霊夢が吐き捨てた。
「馬鹿馬鹿しい」
「まあまあ。これはこれで面白いじゃないか」
魔理沙は笑う。気楽そうに。
「私が一番乗りしてやるぜ」
「あんたも好きねぇ」
「大好きさ」
なにか話してる。でもよく解らない。なんの話?
気を向ければもう、二人の会話の内容は思い出せなかった。
朝になって、早苗はうろ覚えの夢を魔理沙に語った。
「うん、そりゃ夢だな」
もしかしたらあれは夢ではなく本当にあった出来事では、という想像を否定されたが、たいして重要だとも思っていなかったので早苗は容易にそれを受け入れた。
その後、朝食を終えると魔理沙は「島の中央に行ってみようぜ」と提案してきた。
特に断る理由はなく、さらに二日かけて、二人は島の中心部に到着した。
密林と崖に囲まれたそこは、広葉樹が不自然に中央に向かって伸びており、空を覆っている。
まるで意図的に隠されているかのようであった。
二人は崖にあった樹木に蔓のロープをくくりつけた。
「ここ、なんなんでしょう?」
「お宝の予感がするぜ」
下は浅い沼地だったが、大きな岩があったのでその上までロープを伝って行き、そこで予備のために取っておいた獣の皮を両足に巻いた。
「こういう沼地にはヒルがいるかもしれないからな」
沼地の中央には草の無い円形の内陸があり、外周には石柱が立てられていた。
さらに中央には明らかに人為的に作られた石の祠が。
不可思議な文様が刻まれており、表面には暗緑色の粘液がべっとりと貼りついていた。
あるいは、粘液は透明で、祠を作る巨石が暗緑色なのか。
「……気持ちの悪い場所ですね」
「ああ。どうやらここが黒幕のアジトらしいな」
「……凄く、嫌な予感……いえ、気配というか、魔力? よく解らないものを感じます」
「虎穴には突っ込めって諺があるだろ。もしかしたらお宝があるかもよ。私達が一番乗りだ!」
一番乗り。どこかで聞いた気がする言葉。だがどこで聞いたのか思い出せない。
内陸に上がった二人は、足に巻きつけた皮に案の定ヒルがくっついていたので、皮をはたいてヒルを払った。
沼で汚れていたので、皮はとりあえずその場に置いておく事にする。
魔理沙はふいに、沼地に点在する岩に目線を向けた。
「どうかしましたか?」
「ああ、いや……」
頭をかいて、魔理沙は祠に向き直る。
「よし、祠を探索だ。結構デカいな、私の家の二倍くらいはあるか?」
「そうですね、一般家屋の二倍程度……中になにが潜んでいるか……」
「なぁに私がバックドロップを決めてやる! 安心してていいぜ」
言いながら、粘液で濡れた祠に近づいていく魔理沙。
その後に三歩ほど遅れて続く早苗。防衛本能がそうさせたのか、いつの間にかナイフを握っていた。
「あの、魔理沙さん、ナイフを持っていた方が……なにが出てくるか解りませんし……」
「いや、まずはドロップキックからにするよ」
「えと、そういう問題ではなくてですね」
「どりゃー!」
気合の叫びとともに、魔理沙は祠の扉にドロップキックを決めた。
靴裏を強烈に叩きつけられた扉は、鈍い音を立てて祠の奥に向かって倒れていき、石畳にぶつかって砕けた。
祠の内側は暗く、そして静謐であった。
神前を前にしたかのような畏まった気持ちが、心の奥底から不思議と湧いてくる。
同時に、吐き気と目まいをまとめて起こすほどの醜悪ななにかを感じていた。
「ま、魔理沙さん……やめましょう。ここ、ここはイヤです」
「なんだよ、臆病だな。大丈夫だって、なにが出てきても、私がジャーマンスープレックスを――」
闇の奥底から、巨大な鉤爪を生やした腕がぬっと出てきた。身体を縛る恐怖と威圧感をともなって。
「う、わっ……」
ドロップキックのせいで、地面に座り込むような形になっていた魔理沙は、ろくな抵抗もできぬまま巨腕に鷲掴みにされ、持ち上げられた。
腕は暗緑色の鱗に覆われており、さらに粘液を滴らせていた。
「ひっ……」
ナイフを前に突き出しながら後ずさりする早苗、それを追うように怪物は祠から姿を現した。
巨大な鉤爪は手だけでなく足にも生えており、鱗と粘液もまた全身を覆っていた。
体躯は人間の三倍はあるだろうか。
そんな巨体が祠から出てこられたのは、その肉体がまるで軟体のように変形したからだった。
背中には蝙蝠のような翼が折りたたまれており、悪魔的な印象を強くさせる。
もっとも特徴的なのは顔だった。
タコのような頭部に、暗く光る瞳が一対。
そして口や顎の変わりに無数の触手が胸元まで伸びて、蠢いていた。
怪物。それも尋常ではないレベルの、幻想を凌駕するおぞましきモノ。
「ま、魔理沙さんッ!」
「逃げろ早苗! こいつは――」
魔理沙は懐からナイフを抜くと、自らを掴む巨指に突き立てた。
しかしぬめぬめとした粘液によって刃がすべってしまう。
舌打ちをして、魔理沙の判断は素早かった。
「弾幕は……パワーだぜ!」
叫んで、化物の右目に向けてナイフを投げつけた。
どんな化物だろうと目は急所に違いない、しかし、咲夜と違いナイフ投げの技量を持たぬ魔理沙の一撃は無情にも口元の触手に向かって飛んでいった。
ナイフが内側に入り込むと、触手はそれに反応して蠢いて、ナイフは出てこなかった。どこに消えたのか。
「くそっ、こんなの用意してるなんて、馬鹿だろ! 反則だろ! 誰が考え――」
「魔理沙さん!」
助けなければと思っているのに、どうすればいいか解らず、思考は混濁し、恐怖で身体が震える早苗。
名前を叫んだのはどう彼女を助ければいいか指示を請うためのものなのか、それとも今まさに襲われている彼女に対し、自分を助けてくれるよう懇願のためのものなのか。
化物は、魔理沙を握りしめたまま早苗に向かって大幅な一歩を踏み出した。
ビクンと身体が跳ね、半狂乱になってナイフを振りかざす早苗。
「うわあああぁぁぁっ!!」
絶叫! 同時に放たれた無数の銀閃は、的確に化物の両目、そして魔理沙を掴むすべての指に命中した。
怪物は全身を震わせた。発声器官を持たないのか鳴き声はしなかったが、早苗は確かに咆哮を聞いた。
物理的ではない精神的な咆哮。恐怖という感情を刺激し、爆発させる。
そのために身体がすくんで動けなくなった早苗の眼前に、メイド服をひるがえして十六夜咲夜が舞い降りた。
「これは、予想以上の難題ね」
「さ、咲夜かぁ~!? 誰かにつけられてる気はしてたんだよ!」
地面に転がった無数のナイフの金属音を聞いて、魔理沙が叫んだ。
「でも、やっぱり駄目ね。ナイフの持ち込みを許可しておいて、通じるほど容易くはないみたい」
怪物の両目は傷ひとつ無く、どうやら眼球すらも軟体のようであった。
「刃物が通じない、という訳ではないようだけど……半端なパワーじゃ無理ね」
小指の鱗がわずかに欠けているのを見逃さず、咲夜は新たにナイフを抜いた。
「魔理沙、なんとか逃げられない?」
「無理ッ! スカートの左ポケットだ、なんとかならないか!?」
「無茶な注文を」
毒づきながら咲夜は跳躍し、化物の右腕に飛び乗った。
それを左腕の爪で突き刺そうとした化物だが、スレスレで咲夜はバックステップ。右手首まで下がった。
「で、なにが入ってるの?」
「秘密兵器!」
もがく魔理沙をいちべつし、咲夜はナイフを一本だけ残して服にしまった。
「早苗! 囮になって!」
震えながら見ていた早苗は、咲夜の言葉にハッと我に返ると、地面に落ちたナイフを拾ってがむしゃらに化物の身体に投げつけた。
目障りに感じた化物は左手でナイフを叩き落す。
その隙に、魔理沙を掴む化物の右手の中指と薬指の間にナイフを投げ、さらに腕から飛び降りながらの蹴りで押し込みながら足首を器用に捻り、ナイフの柄を足首で引っかけた。
「せいっ!」
小さいながらもテコの原理で指の隙間をこじ開けられる。
丁度そこは、魔理沙の左手と、スカートのポケットがある場所だった。
視界の外でなにが起きたのか解らずとも、左の手首から先だけが自由になったのを理解した魔理沙は、すぐさまポケットに手を突っ込み、秘密兵器を握る。
「二人とも下がれー!」
咲夜は即座に早苗にしがみつくと、化物から離れるようにして飛び、地面に伏せた。
ニヤリと笑った魔理沙が叫ぶ。
「反則上等! 喰らえ、マスタースパァァァァァァクッ!!」
化物の指の隙間からほとばしる破壊の閃光。
視界が白光し、轟音が鳴り響く中、咲夜はギリと歯を食いしばった。
光と轟音が収束し、咲夜は早苗の無事を確かめてから、振り返る。
化物は、粘液を吹き飛ばされその表面を何箇所か焼かれていたものの、両の足でしっかりと立っていた。
魔理沙も、凶悪な右手に捕まったままだ。
「チッ……即興で作ったから、威力半減……一発花火だ……」
指の隙間から、魔理沙の秘密兵器、自作のミニ八卦炉がこぼれ落ちた。
この島の樹木を削って作ったのだろうか、木製のそれには無数の亀裂が走っており、地面に衝突すると同時に真っ二つに割れてしまった。
「くそ、やっぱり霊夢の勘が正しかったか……」
「魔理沙」
「咲夜、悪い、早苗を連れて逃げてくれるか? 霊夢にヨロシク」
ほがらかな笑みを浮かべて魔理沙は言い、怪物の手によって触手で埋め尽くされた顎部分に運ばれていった。
「魔理沙!」
咲夜の悲痛な叫びに、早苗もなにが起きているのかと振り返った。
「うわ、あ……」
全身を触手に絡め取られた魔理沙が、触手の内側へと呑み込まれていく。
粘液まみれになった顔が、胸が、腕が、腹が、触手の奥へと消え、最後に靴の脱げた右足までもが。
魔理沙が投げたナイフがどこに消えたのか、早苗は理解した。
口はあったのだ。人間を丸呑みにできるほどの巨大な口が、あの蠢く触手の向こう側に。
(じゃあ、つまり、魔理沙さんは――)
その先の言葉を、早苗は知っていながら、認識できなかった。
しかし残酷にも、化物はその行為を、見せつけるようにして行っていた。
「……食べ、た」
そして解答を、咲夜が呟く。
(魔理沙さんは、食べられた)
認識してしまう、その先の言葉を。
理解してしまう、魔理沙はもう自分を助けてくれないのだと。
お喋りも、食事も、なにもできない。笑顔さえ、もう見る事ができない。
「あっ、ああ、あああ……あっ……」
壊れたテープレコーダーのような早苗の手首を掴んで咲夜は走り出した。
どういう種があるのか、ここまで一切汚れていないメイド服が、沼に飛び込んだせいで台無しになってしまう。
沼を掻き分け、ヒルに食いつかれながら、咲夜は逃げた。茫然自失とした早苗を引っ張って。
どうやら正常な意識を失っているようだが、幸いにも足は動かしてくれる。
背後で沼になにかが飛び込むような音が聞こえ、その答えを知りつつも咲夜は振り向いた。
化物が沼の中まで追ってきている。鉤爪をこちらに伸ばして迫ってきている。
「チィッ」
咲夜は牽制のためのナイフを投げた。
化物は右腕を振るってナイフを弾き飛ばし、そのナイフの陰に隠れていたもう一本を見逃した。
頭部、人間で言えばおでこのあたりにナイフが突き刺さる。
咲夜の双眸は見開き、その光景を刻み込んだ。
ナイフが刺さった。
刃物が通じない訳ではない、だが明らかにパワー不足。それは間違いではない。
だがそれだけではなかったのだ。
あの粘液が邪魔で刃がすべってしまっていた。
あの粘液は魔理沙のマスタースパークで焼き払われている。
つまり! 今、この時こそあの化物を倒す事ができる、魔理沙が生み出してくれた千載一遇!
故に咲夜の精神は絶望と後悔の泥沼に沈んでしまった。
馬鹿だった。もっと冷静に動いていれば、こんな事にはならなかった。
なぜ魔理沙の言うがまま、早苗を連れて逃げようとしてしまったのか?
こんな沼地に入り込んで、長所である身軽さを自ら封じてしまって。
祠の前には、あの化物に放って落ちたナイフが何本も転がっている。
あれだけのナイフがあれば、あの陸地の上ならば、あんな化物、切り刻んでやれるものを。
今、咲夜はナイフを三本しか残していなかった。
沼の中で近接戦闘を仕掛け、斬りつけるという選択は無い。
普通に投げた所で、あの腕に阻まれてしまう。
一本を犠牲にして、二本、両目に突き刺せないだろうか。
視界を奪って、あの化物を迂回し、陸地に戻り、ナイフを回収すれば、殺れる。
だが最後の三本を失敗したら、打つ手は消える。
長考する時間は無い。
全力で逃走せねば化物に追いつかれるし、時間をかけてしまっては勝機を失う。
鱗の隙間から新たな暗緑色の粘液を分泌している様を見て、咲夜は唇を噛んだ。
触手からも粘液は垂れており、それを火傷した部分に塗りたくっている。
いずれ全身を再び粘液が覆うだろう。
だが。
あの半端な威力のマスタースパークで焼き払える程度の粘液ならば。
あそこまで引けば。
「急ぐわよ」
逃げると決め、咲夜は早苗を引っ張った。
早苗と魔理沙が最初に沼地に降りた時、岩があったように、沼地には岩が点在していた。
咲夜がメイド服を一切汚さず内陸まで行けた理由だったが、放心状態の早苗を連れた状態では岩から岩へと飛び移る訳にもいかず、沼の中を進むしかなかった。
この島に来て、空を飛べない事がこれほど悔しいのは初めてだ。
「あそこの崖に隙間があるわ! そこを通って逃げるのよ!」
咲夜は叫んだが、後ろからついてくる早苗から返事は無い。
幾つか質問したい事があるが、今はあの隙間に逃げ込むのが先決。
沼を掻く大きな音が聞こえ、咲夜と早苗の背後から泥水が降り注いだ。
振り返る暇を惜しんで咲夜は走る。恐らく、あの剛腕で沼をすくい上げたのだろう。
泥なんかに構ってなどいられない、歩の遅さに苛立ちながらも必死に崖の隙間を目指す。
人がかろうじて通れる程度の隙間だ、あの化物は追ってこれまい。
いかに軟体とはいえ、あの体躯を支えているのだ、骨や筋肉くらいあるだろう。
だから。
「ここまでよ!」
隙間の中に、早苗を連れて飛び込んだ。
背後で崖に巨体がぶつかる音がして、崖が震動する。
鼻っ柱を崖で擦りながら、咲夜は逃げ足を遅めなかった。
あの長い腕くらいなら隙間に入り込んでくるだろうし、鉤爪が届く距離だ。
それくらいの事、獣程度の知能でも可能。急げ、急げ、急げ。
ついに崖を抜け切った咲夜は、早苗もちゃんとついてきている事を確認しがてら、抜けたばかりの崖を見た。向こう側から化物が見つめている。隙間の入口を鉤爪で引っかいている。
知能はそれほど高いという訳ではなさそうだ。
「勝機ッ」
咲夜の眼差しはナイフのように鋭利に冷たく輝いていた。
○ × ○ ○ ○ △
「ねえ。魔理沙は"なに"を知っていたの?」
崖に走った亀裂、人間が通れる程度の隙間、その向こうで化物が着実に粘液を分泌している。
急がなければならない。とはいえ、最低限の情報は得ておきたい。咲夜は冷静だった。
逆に、早苗はまだショックから覚めていない。
「魔理沙、さん……」
「答えなさい」
「わ、私、なんの事だか……」
眉根を寄せて咲夜は早苗の表情を見つめた。嘘をついているとは思えない。
つまり、この現人神様は相も変わらず役立たずの足手まといのまま、らしい。
「じゃあ、霊夢に会わなかった? 霊夢からなにか聞いてない?」
「いえ、私、魔理沙さんが……どうして、あんな、私、なにもできなくて、私、私……」
さすがにまだ魔理沙の話はきついようだが、構わず続ける咲夜。
「魔理沙は、霊夢からなにかを知らされたような事を言っていたわ。そして、即席の八卦炉でマスタースパークを使った。私達は霊夢以外、能力を封印されているというのに……。つまり魔理沙は、私達に課せられたルールを理解し、抜け穴を見つけたのよ。反則上等の秘密兵器……魔理沙の能力程度で、封印はどうにかなると実証された! だとすれば、私達にできない道理は無い。問題は魔理沙がなにを知っていたか。それを掴めるほど魔理沙は聡明じゃないわ。鍵は霊夢よ。霊夢は普段通り、異変解決のノリで行動している……反則レベルに優れた直感でね。……同じ腋巫女衣装同士とはいえ、あなたと霊夢じゃ天と地ね。いい加減、なにか答えなさいよ」
フルフルと早苗は首を振った。
だって、なにも知らないから。なにも解らないから。
「そう。もういいわ。あの化物は……私が仕留める。勝利の栄光を捧げてみせる」
挑戦的な笑みを浮かべて、咲夜は崖に向かっていった。
亀裂の向こうでいきり立っている化物をいちべつすると、崖の出っ張りを足場にして、階段のようにヒョイヒョイと駆け上がっていった。
残された早苗は、崖が削られる音と震動がして、慌てて亀裂から見えない位置へ逃れた。
あの化物はあの鉤爪で崖を削ってでも追いかけてくるつもりだ。
だとしたら、一刻も早くここから逃げるべき。
でも。本当に?
(魔理沙さん……)
どことも知れぬ熱帯の島で、おぞましき化物に喰らわれた彼女。
(咲夜さん……)
能力を封じられながら、今、あの化物を倒すために動いている彼女。
本当に、本当にいいのか。逃げてしまって。
自分は役立たずだからと、逃げるのか?
助けてくれた魔理沙の仇を討たず、助けてくれた咲夜を見捨てて、逃げていいのか?
いいはずが、ない。
しかし心の臆病な部分がささやく。
足手まといがノコノコ行って、彼女の邪魔をしてしまったらどうするの?
彼女一人なら勝てたはずの状況をかき乱して、私のせいで彼女まで食べられてしまったら?
逃げてしまおう。どうせ役に立てないのだから。そうだ、南へ行こう。きっとまだ妹紅さんがいるはず。
助けを請えば、きっと助けてくれる。
「なにを……考えてるの、私……」
勇気を奮い起こそうとしても、崖が崩れ泥沼に落ちる音や大地の揺れが、なけなしの勇気をそぎ落とす。
咲夜が今、なにをしているのか、あの化物を倒そうとしているのなら、早く、早く、早く。
ああ、他者に頼るばかりの無能者! これが守矢の巫女にして神である者の姿なのか!?
惨めだ、無様だ。こんなだから、霊夢の偽者だとか2Pカラーだとかパクリキャラとか言われるのだ。
「あら、早苗じゃない」
身体を縮ませて震えていると、声が、頭上から。
ギョッと見上げれば、博麗霊夢が宙に浮かんでいた。
「丁度いいわ、ねえ、魔理沙はどうしたの?」
「えっ」
「マスタースパークの光が見えたから、来てみたんだけど。確かあなた、一緒だったわよね」
ふいに、早苗は以前見た夢を思い出した。
詳しくは思い出せないが、深夜、魔理沙と霊夢が話し合っていた。
あれは、夢じゃなかった?
「れ、霊夢さん。助けて」
「うん?」
「咲夜さんが、一人で、あの化物と……」
言われて、霊夢は視線を崖の亀裂へと向け、顔をしかめた。あの醜悪な姿を見れば当然の反応だ。
「いないみたいだけど」
「崖を登って、なにかしてるみたいで……」
「ふぅん。まあいいわ、魔理沙はどうしたのよ。せっかく裏技の協力して上げたのに」
「あ、じゃあ、あの八卦炉は……」
能力が、一人だけ使えるままの霊夢。
ならば、それを活かして他者に力を与える事も可能?
あるいは能力封印の法則を理解し、抜け穴を見つけ、魔理沙に教えた?
幾つかよぎる疑問。それら一切を思考から吹き飛ばす、霊夢の問い。
「魔理沙はどうしたのよ。いい加減答えてくれない?」
「あっ……」
フラッシュバックした光景は、あの化物の触手に全身を絡め取られ、内側へと呑み込まれていく最期。
瞳が熱を持って震え、喉はカラカラに渇いて、舌が貼りつき声が出ない。
息が詰まり、腹の底で泥のようなものが渦巻くような鈍痛がした。
「なに? まさかやられたの?」
勘のいい巫女は、あからさまに動揺する早苗を見て呆れたように呟く。
やられた、というのはあくまで倒されたという意味で、死、までは意識していない言葉だろう。
あるいは、ただの冗談半分のセリフだったのかもしれない。
だけれど、自分には彼女に真実を伝える義務があるのではないか。
「……れ、て」
「ハッキリ言いなさいよ」
「食べられ、て、死んで、しまっ、まし……た」
感情の昂ぶりで灼熱する瞳から、冷たいものが流れ落ちた。
魔法使いの友人だった巫女が、果たしてどのような反応をするのか、それを見るのが怖くて早苗はうつむいた。
だが、しかし。
「あ、そう。だからやめときなさいって言ったのに」
馬鹿にするような声色。
ふと、幻想郷で誰かが言っていた言葉を思い出した。
霊夢は誰にでも平等なんじゃなく、誰にでも等しく興味がないんだよ。
酒の席の冗談かなにかだった、と思う。
しかし、それは真実だったのではないか。
だって、だって、今、友人の死を聞かされて、今、なんて、言った?
どんな、顔を、している?
歯をギリギリと噛みしめながら、早苗は見上げた。
霊夢が、口調とは裏腹に悲しんでいる姿を期待して。
「いい加減、面倒になってきたわね」
まったく意に介した様子はない。
面倒くさそうに頭をかきながら、崖の向こうで暴れるおぞましきものを見ていた。
その眼差しには怒りも悲しみも憎しみも無い。奴は魔理沙を食い殺した化物だというのに!
「なん、なんですか、その態度は! 魔理沙さんが、死ん、殺され……あの、化物……に……食べ……」
「アレは厄介だから、あんたは適当に逃げてなさい」
「霊夢さん!」
怒声を無視して霊夢は空高く飛翔した。
魔理沙の仇も、早苗の存在も、まるで興味無しといった風に白雲目指して昇っていく。
「逃げるんですか! 卑怯者! あなたが、あなただけが能力を使えるのに!」
もう、声が届かない距離だと理解しながらも早苗は罵声を吐き続けた。
あんな人を、わずかでも幻想郷の先輩巫女として尊敬していただなんて。
「戻ってきなさい! 戻ってこい!」
まさかその言葉に応えたのか、地面が大きく揺れ、崖から石や土が転がり落ちてきた。
慌てて崖から離れ、まさかという思いで亀裂の正面に回る。
亀裂の入口を粉砕した化物が、軟体を活かして隙間に入り込んできている。
無数の触手は壁を這うように蠢いて、ギョロリとした狂気の瞳は、真っ直ぐに早苗を狙っていた。
「……来る」
勇気をそぎ落とされ、恐怖で身体が縛られ、芽生えた狂気が正気を侵食しようとする。
しかし、そんな早苗を支えるものがあった。
意地。
守矢の巫女として、現人神として、あの卑怯な博麗の巫女のような真似はしたくない。
立ち向かうのだ。例え倒せずとも一矢報いねば、犠牲になった魔理沙が報われない。
だが、早苗は己が無力なままであると理解していた。
能力が使えないばかりか、武器も無い。
ナイフはあの時、魔理沙と咲夜をフォローするために、落ちていたナイフともども投げつけてしまった。
この際、木の棒でもいい。武器になる物はないかと周囲を見回す。
そこでようやく、早苗はここがどういう場所かを認識した。
前方には崖。建物の屋根ほどの高さがあり、とても登れそうにない。
崖の上には広葉樹が密生しているが、崖下のここは樹木はまばらに生えており、草が多かった。
さらにあの泥沼と繋がりがあるのか、崖の一部から水がこぼれ落ちて小川を作っている。
つまり、特になにも無い地形。武器となる物さえも。
徒手空拳の心得も多少はあるが、あの軟体に通用するはずがない。
近くの木の枝をへし折ってみようかとも思ったが、丈夫でよくしなる枝を素手で折るのは至難である。
都合よく尖った石でも転がってはいないかと地べたに視線を向けたが、草が邪魔で探しにくい。
なにか、なにかないか。なにか――。
視界の端に、奇怪なピンク色が映った。自分のすぐかたわらに、ピンク色のキノコが生えていた。
「あ、あった……!」
素手でキノコをもぎ取り、早苗は微笑を浮かべた。
魔理沙と一緒に行動していた時、食べられるキノコ、食べられないキノコを教わった。
これは、食べられないキノコ。しかも猛毒だ。
あの頭の悪そうな化物の事だ、もしかしたら投げてやればご丁寧に触手でキャッチして自ら食べてくれるかも。
たった一本の毒キノコを武器に、早苗は崖の亀裂を這う化物に向き合う。
「魔理沙さん! 力を貸してください!」
魂からの叫びを上げ、早苗は亀裂の入口まで走り、その勢いを利用して毒キノコを全力投球。
猛毒のピンクは狙い通りに化物の顔に向かって飛んでいった。
一本の触手がカエルの舌のように伸びてキノコをキャッチすると、触手の内側へと運んでいく。
パーフェクトなまでに思惑通り!
化物は愚かにも毒キノコを食した。
(魔理沙さん、見ていてくれましたか? 私、やりましたよ!)
あれは食べる事でもっとも威力を発揮するキノコで、巨大な獣だろうと数秒で絶命するほどの威力。
ならば人間の三倍はあろうかというあの化物なら、一分もあれば死に至るだろう。
一分後。
そこには元気いっぱいに亀裂の間を這い進む化物の姿が!
どうやら毒に耐性があるらしく、全然ちっともまったく通用していない。
早苗渾身の一撃は無駄に終わり、打つ手を失った早苗は頭を抱えた。
化物は、このペースではもう一分もあれば亀裂を抜け切り、こちら側に出てきてしまうだろう。
(もう駄目かもしれません……魔理沙さん、私も今、そちらに行きます……)
そちらがあの世とか三途の河とか黄泉の国とか天国とか極楽浄土なら、まだ格好もつくが、そちらとは化物の腹の中であり、末路は恐らく排泄物。最悪だった。
だが。
「囮ご苦労様」
崖の上から声がして、見上げると同時に透明の液体が崖の隙間を這い進む化物に降りかかった。
亀裂の上で、大きな皮の水筒を両手に咲夜が笑みを浮かべている。
「なにかに使えると思って、ヤシ油を作っていたの。天然物よ、存分に味わいなさい」
と、彼女は懐からマッチを取り出し、タバコに火を点けるかのような気軽さで擦った。
小さな紅が灯る。
油まみれになった化物は、早苗同様頭上を見上げており、咲夜の存在に気づいた。
狙いを早苗から咲夜へと変えたのか、化物は軟体を蠢かせて崖をよじ登っていく。
そんな化物の顔面に向けて、指を弾いてマッチ棒を捨てる咲夜。
紅蓮が、化物の頭部を包む。
「マスタースパークほどの威力はないけれど持続性はこちらが上。焼殺、刺殺、斬殺、どれになるかしらね」
氷のような笑みで両手に一本ずつナイフを持つ咲夜。
化物はもがき苦しみながら、狭い亀裂の中で触手と腕と翼をがむしゃらに動かして暴れていた。
わずかずつ後退しているように見え、泥沼に逃げ込むつもりらしい。
あいつを倒せるかもしれない。早苗は我を忘れ、化物を焼く朱に魅入った。
逆に咲夜は冷静に火加減を観察していた。
そろそろ粘液も相当奪えてきただろうが、今飛び込んでは自らも炎に焼かれる。
かといって泥沼まで逃げ切れる距離まで見逃す訳にもいかない。
機を誤るな。確実に殺すため、最善の機を――。
化物の腕が上に伸び、崖上の端に生えていた木の根を巻き込んで、壁を鋭く削り取った。
木は倒れ、対面の木につっかえたが、土砂は化物の頭部に降りかかった。幾つか硬い石も混じっている。
わずかに火勢が弱まり、機、放たれた二本のナイフが化物の両目を的確に突き刺す。
血とも粘液とも解らぬ液体が散らせながら、化物は上方目がけて崖を這い登った。
先程壁を削った生でやや広くなっていたため、ほんの数秒で頭部を崖上に出し、そこに咲夜が飛びかかる。
「魚屋魚体解体の法則・第壱条その25!!」
三本目のナイフを両手で握りしめて振り上げ、一直線に化物の眼前へ。
「どんな奴でも最大の急所は目と目の間ってパチュリー様が言ってた!」
妹紅の持ちネタをアレンジしながら有限実行! 焔の残る眉間に刀身すべてを埋まらせる。
化物は余計に暴れ、咲夜は火傷をする前に素早くナイフを引き抜き崖上に宙返りをして戻った。
「どう!?」
咲夜の問いに激怒を持って答える化物。ダメージは負っているが、絶命するほどではない。
「浅いか……妖夢の刀が欲しいわね。でも」
そう言いながら咲夜は少し後ろに下がり、地面からなにかを拾った。
なんだろう、早苗は目を凝らす。あれは木の棒? 先は尖っている。
「枝をナイフで切断した簡易すぎる槍だけれど、ナイフを突き刺した穴にぶち込むには十分よね?」
時を操る能力無くして、手持ちの武器、その場にある物、そして知恵を駆使して、圧倒している、あいつを!
勝てる。早苗は確信した、魔理沙の仇は咲夜が取ってくれるだろう。
「咲夜さん! がんばって!」
声援を聞き、咲夜はこちらを向いて微笑んだ。それから簡易木槍を両手で腰の高さに構える。
未だヤシ油の炎に焼かれ、両目と眉間、穴をみっつ並べながらも生きている化物。
触手が闇雲に前方に伸ばされ咲夜を探している、それを冷静に見極め咲夜は跳躍した。
簡易木槍を振り上げて持ち替え、地面にシャベルを突き立てるようにして。
早苗はついにトドメの一撃を打ち込もうとする咲夜の勇姿を見上げ、光に目を奪われた。
なぜ、どうして、空が光ったのか。
直後、視界を埋め尽くすほどの雨が、バケツを引っくり返したように降り注いだ。
一瞬で濡れ鼠になりながら、早苗は南国特有のスコールという現象を思い出していたが、今まで、この島に雨が降った事は無く、なぜこのタイミングで?
轟音が響いた。閃光からほとんど時を置いておらず、ようやくこれが雷であると早苗は理解した。
突然の大雨に全身を打たれたためか、咲夜の目測は誤り簡易木槍は化物の右目と眉間の間をすべった。
さらに軟体の頭部への着地に失敗し、すぐ下の、蠢く触手の中へ落下する。
「こ、この天候の変化は!? まさか! だとしたらなぜ今……ムグッ!」
触手は咲夜の唇を割って入り、言葉と呼吸をさえぎった。
さらに首、右腕、胸部、下腹、太もも、足首、次々に触手が巻きついていく。
簡易木槍はへし折れ、咲夜ともども触手の内側へと運ばれていく。
身をよじって逃げようとする咲夜の姿は、アリ地獄にハマりどうしようもなくなったアリの最期を思わせた。
早苗の脳裏に、魔理沙の最期が蘇る。
同じ光景が今、咲夜の身に起きており、自分は、ただ見ているだけしかできない。
「咲夜さん!」
叫んでも返事は無く、咲夜は触手の内側に隠れる大きな口に呑み込まれていった。
そして、触手はさらに蠢き両目に刺さったナイフを引き抜いて、それすらも食す。
雨によってヤシ油の炎は消え、化物の右目がギョロリと早苗を睨む。
なんと化物はナイフが刺さる瞬間、軟体を活かして眼球を動かして直撃を避けていたのだ。
その事に咲夜は気づいていたが、自分がトドメを刺すまでは視力を奪えると判断し、攻撃を成功としていた。
だが咲夜が食われた今、化物は視力を回復させ、逃した獲物へと迫ろうとする。
崖上まですでに頭部を露出させていた化物は、胴体をも壁を這い上がらせ、ついに狭い亀裂から自由になった。
スコールの中、早苗は呆然と、蛇に睨まれたカエルのように固まっていた。
もし、もしも、自分が声援をかけなければ、咲夜はこちらに振り向いて微笑まず、すぐ飛びかかっていたのでは。
そして、眉間の傷に深々と簡易木槍を突き刺してトドメを刺してからようやく、雨と、雷が。
つまり早苗が声をかけたから、咲夜は食ベラレテシマッタ。
ふいに、眼前に赤い物が落ちた。
地べたに落ちたそれは、端を黒く焦がした、見覚えのある赤いリボン。
「霊、夢、さん?」
我知らず口に出した名前で、このリボンの持ち主を理解した早苗は空を見た。
いつの間にか暗雲が広がり、視界をさえぎるほどの豪雨が降り注いでおり、時折閃光が走る。
気づいてしまった。このタイミングで。
霊夢は逃げた訳じゃない。
恐らくこの異変の黒幕に挑むため、天空高く飛んだのだ。
そうして、雷に打たれた……?
「まさか、まさか、まさか」
まさか、霊夢さんまで。
ああ、なんという事だろう。そうとは知らず、罵詈雑言を叩きつけてしまっただなんて。
「あ、ああ……ああぁ……!」
絶望が、早苗の膝を折ろうとした。
崖の上で木々がへし折れる音がして、反射的に見、化物が木々を薙ぎ倒しながらこちらに迫ってくる姿。
憤怒に狂った眼差し。
恐怖が、早苗の足を動かした。
地面はすでにぬかるんでおり、泥を跳ねながら早苗は走った。
魔理沙も、咲夜も忘れて、ただただあの化物が恐ろしく、自分も食われて死ぬのだという現実が恐ろしく。
ひたすらに逃げた。
奴の目を見たくないという理由で背を向けて、地形も方角も確かめず、無鉄砲に逃げる。
そんな早苗を責めるように、雨粒が強く身体を打つ。痛いほどに。
地すべりと雷鳴が重なって轟音が早苗の腹に響いた。
化物が、化物が、崖を、崖を、降りたに違いない!
追ってきている迫ってきている後ろから背後から奴が化物が襲ってくる襲いかかってくる!
だから、だから、早く、早く、もっと早く! 早く!
すでに呼吸は荒れ、酸素を求めて開いた口には雨粒が侵入してくる。
訳も解らず喉に溜まった水を飲む、その間、呼吸が止まってますます焦り酸素を求めて、もっと大きく口を。
突如、早苗は溺れた。両の足で走りながら、喉を押さえて水を吐き出した。
「ゲボッ、ガボガボ……ゴホッ、ゲェッ……」
意味が解らず、思考が混濁し、恐怖の侵食を許してしまう。
大地の上で、溺れた理由、は、まさか、あの化物の、呪いではないかという滑稽な妄想。
混乱と恐怖にかき乱された精神は、それを真実として受け入れさらなる恐怖が早苗の心身を傷つける。
「嫌ッ……嫌ァーッ!! 神奈子様、諏訪子様、お助けください。お助けください!」
懇願を拒絶するかのように、早苗は額を強く叩かれた。
単に木の枝にぶつかっただけだが、早苗にとっては家族同然の神々の裏切りにも等しい出来事だった。
「魔理沙さん! 魔理沙さん魔理沙さん魔理沙さん! 助けて、魔理沙さん!」
左目が眩み、咄嗟に手で覆った直後に雷鳴が轟く。
「咲夜さん! 咲夜さぁん!」
ぬかるみに足を取られて転び、泥の上に倒れ込んでしまう。
口の中に広がった酷い味に涙ぐみ、爪の間を泥が埋めるのも構わず地面をかいて立ち上がる。
「霊夢さん、ごめんなさい、ごめんなさい霊夢さん! 謝ります、謝りますから、だから――」
早苗の悲鳴は轟々と降る雨音に呑み込まれ、同様に雨音と雷鳴以外の音から早苗は隔離された。
雨の牢獄に囚われた早苗は、身を切る冷たさを孤独の表れとして受け取り、この世のすべてに絶望した。
「いやだ……いやだ、だれか、だれかたすけてよぉ……」
全身を濡らしたまま走り続け、体力と体温を奪われた早苗は意識さえも朦朧とさせる。
すでに足を引きずるようにして歩いており、目線は宙を漂い、ふいに足が空を切った。
上下の感覚を失って、早苗は泥の上を転がり落ちた。頭や肩を打ち、また指先がちぎれそうに痛んだ。
地面に叩きつけられた早苗の手のひらが、偶然にもなにかを掴む。
ぐしゃり。ぬかるみを踏む、音がした。
気力だけで立ち上がった早苗は、右手が偶然掴んだなにかをがむしゃらに振るう。
「うわっ、ああっ! 来るな、来るなぁっ!」
身体と精神を叩く雨音に混じって、自分の声以外のなにかが聞こえ、恐怖を駆り立てた。
雨の牢獄に侵入してきた怪物への怯えから目の前が真っ白になる。
「いやだ! いや! 近寄るな!」
粘液に濡れた触手がぬっと伸び、早苗の両の手首に絡まりきつく絞めた。
「やだ! 私に触れるな、化物ォッ!」
わめきながら渾身の力で振り払おうとするも、化物に捕まって逃げられた者はおらず、魔理沙や咲夜のような最期を迎えようとしているのだ。
化物の口が、早苗を呑み込もうと顔に近づいてくる!
恐怖と絶望に満たされた絶叫を放つ、青く染まって震える唇に、微熱が灯る。
炎のように熱く、母のようにあたたかく、優しいぬくもりが。
悲鳴を忘れた唇は硬直し、ただ、されるがまま、やわらかな微熱にひたった。
真っ白に染まっていたはずの視界が、少しずつ色彩を取り戻していく。
降り続ける雨の中、白い肌と、斜めを向いた熱い眼差しがあった。
手首に伝わる感触は触手ではなく、五本の指を持つ人間の手で、唇をふさいでいるのは、唇。
「んっ……むぅ……」
吐息が漏れ、微熱が頬に移る。
瞳が震え、ぴったりと密着した相手の身体から生の鼓動が伝わってきた。
唇と唇、胸と胸を密着させて、両の手首を握られて、雨の牢獄の中で孤独から解放された早苗は、かつて自分を助けてくれた藤原妹紅から熱い口づけを受けているのだと理解した。
理解した瞬間、その甘美を味わう暇もなく、妹紅は唇と胸を離した。
「私が解るか」
小さくうなずくと、妹紅はホッと息を吐いて手首からも手を離す。
支えを失ってだらりと下がった腕から、重たい物がぬかるみに落ちる。
視線を向けてみれば、木の先に石の刃が取りつけられていた。石の、斧、だろうか。
「驚いたよ。突然崖からすべり落ちてきたかと思ったら、斧を振り回して暴れるんだから」
「う、あ、あ……」
「喋れないか? ほら、ちゃんと息をして」
「わた、私、なにを……妹紅さんと……」
「ああ、ごめん。落ち着けさせようと思って。パニクってる時は別のショックを与えるのが効果的なんだ。でも、随分怯えてたみたいだから、頬をはたくのは逆効果かなって思って、悪いな。初めてならカウントしなくていいよ。緊急時だったし、人工呼吸みたいなもんだ」
まだ微熱の残る唇をそっと撫で、早苗はぼうっと妹紅を見つめた。
彼女も全身びしょ濡れではあったが、早苗と違い泥で汚れているのは足元くらいだ。
優しい微笑は、まるで子供をあやす母親のようであり、自然と心は落ち着いていく。
平静に戻ると同時に、身体を支えていた気力まで抜けていって、早苗はその場に崩れ落ちかけた。
「おっと」
素早く妹紅に抱き支えられたが、なぜか視界の中の妹紅が暗闇に呑み込まれていく。
「逃げ……ないと……」
「逃げる?」
「化物……が……追って、逃げ、逃げないと……」
「お、おい」
妹紅の姿が闇に包まれ、早苗の意識も闇に沈んだ。
しかし恐怖は無く、安堵が胸中を満たしていた。
× × × ○ ○ △
全身泥まみれの早苗を抱きかかえながら、妹紅は石斧を拾った。
この湖に留まり、近くの密林や海辺から食料を得て暮らしていたが、どうやらなにかあったらしい。
なにが起きているかを確かめるよりも、まずは早苗の言う通りここを離れた方がよさそうだ。
早苗を追ってくる存在の気配は感じないが、より安全な場所に移動するに越した事はない。
幸いにもびしょ濡れの身体を乾かす準備は整えてあり、まだ残してあった石斧や皮の水筒を取りにきた所で早苗が崖からすべり落ちてきたのだ。
「やれやれ、大荷物背負っちまったなぁ」
ぼやきながらも丁寧に早苗を負ぶって、道具を拾って隠れ家に戻る妹紅。
湖に流れ落ちる滝をいちべつしてから、崖沿いに西へ進む妹紅。
岩場を挟んで密林となっているが、こちらは岩の多い地形をしていた。
五分ほど密林を進むと、土ではなく岩の崖に行き当たり、小さな洞穴があった。
それこそが妹紅が見つけた隠れ家である。
一向に雨が降らないとはいえ、念のため雨に備えて薪や干物を持ち込んでいる。
獣に干物を食べられないよう、周囲には罠も仕掛けてあり、かかった獣がそのまま食料となり骨や皮が道具へと化けた。
洞穴に入ると、適当な壁際に早苗を寝かせる。岩の上でつらいだろうが少しの我慢だ。
さっそく焚き火をつけ、蔓のロープを張ると、妹紅は早苗の服を一枚一枚丁寧に脱がした。
所々ほころんでおり、島での生活にだいぶ苦労しただろうと解る。
泥はこの土砂降りのせいだろう。全裸になった早苗を、岩の上に葉っぱと皮を敷いた椅子に座らせる。
崩れ落ちないよう壁に背中を預けさせたが、この椅子以外はすべて向き出しの岩で、長時間このままという訳にはいかない。そもそも妹紅は硬い岩ばかりのここを寝床にした事はなかった。
早苗の服を持って洞穴を出た妹紅は、うんざりと暗雲を見上げ、痛いほど叩きつける雨にうんざりした。
洞穴の近くを流れる小川に入ると、雨のおかげで多少水かさが上がっていたが、元々浅かったため膝にも届かない程度だった。まあ、洗濯するには丁度いい。
丹念に泥を洗い落とした妹紅は早足に洞穴へと戻り、あらかじめ張っておいた蔓のロープに服をかける。
それからさらに、自分の衣服もすべて脱ぎ去ると、早苗の服の隣に干して焚き火の熱に当てた。
「これでよし、と」
最後の仕上げにと、妹紅は早苗を抱き起こして位置を変え、自分が葉と皮の椅子に座った。
なんとか座れる程度にした椅子は、即興の座布団があってもやはり硬く冷たい。
お尻がつらいのを我慢しながら、早苗を膝の上に座らせて、自分とどちらが長いだろう、艶やかな後ろ髪を前面に回してやってから、後ろからしっかりと抱きしめる。
右腕は早苗の右脇に挿し込み、小振りな胸の間を通って左肩を掴む。
左腕は、椅子の隣に置いてある干物を掴んで口元に運んでかじり、続いて早苗の腹部に回してやる。
早苗の背中で自らの胸を押しつぶしながら、妹紅は干物を丹念に租借した。
いい加減飲み込んでもいいだろうというほど噛んでから、右手を肩から離し顎を掴んで、早苗の顔をこちらに向かせる。呼吸は浅く、わずかに開いた唇はまだ青い。
今度は左手を上げて自らの口元に運び、租借した干物を少し、指先で摘み取る。
唾液が糸を引くそれを、構わず早苗の青い唇へと押し込む。
歯を開かせて干物を入れてやるが、早苗は苦しそうに喘いで吐き出してしまった。
しばし考えてから、妹紅は再び早苗に口づけをした。
舌の上に租借した干物を少し載せて、相手の口へと押し込んでやる。
またも早苗は苦しそうに喘いで吐き出そうとしたが、唇はしっかりと妹紅のそれでふさがれていた。
租借された干物とともに早苗の口部へと侵入した妹紅の舌は、早苗の唾液の味を感じ取りながら、優しく干物を飲み込ませてやる。
唇を離さぬまま、それを何度か繰り返して干物の半分程度を食べさせると、妹紅は唇を離して残った分を飲み込むと、深々とため息をついた。
「普通さぁ、こういうのはさぁ、美男美女でやりあうもんじゃないの? なにが悲しゅうて、女同士で……。いや、でもまあ、男女の組み合わせだと相手を警戒して身体を休める所じゃなかったしなぁ……」
誰にともなく愚痴を漏らしていたが、妹紅の脳裏にはいつも優しく自分を受け入れてくれる女性の姿があった。
今頃、彼女はどうしているだろうか。心配していないだろうか。
早苗が起きたら、事情を聞いて、自分も本格的に異変解決に乗り出した方がいいかもしれない。
「……化物、ね」
ふいに、脳裏に蘇る言葉。錯乱していた早苗が妹紅を認識できず口走った戯言。
――私に触れるな、化物ォッ!
あれは真実妹紅に向けたものではないしかし、かつて親しみを抱いた人間から化物として追われた過去。
何度、人を信じては裏切られてきただろうか。幻想郷にたどり着くまで。
少しきつく早苗の裸身を抱きしめ、妹紅は真っ直ぐ洞穴の入口を睨んだ。
外ではまだ雨が降っており、遠雷も聞こえた。
愛しき幻想郷は、晴れているだろうか。
× × × ○ ○ ○
小鳥のさえずりで、重たいまぶたをゆっくりと開く。
やや歪な円形の光が見え、ここはどこだろうと不思議に思った。
しかし、それにしても。
(ああ、なんて寝心地がいいのかしら)
まるで母に抱かれているかのような安心感を与えてくれるソファーは彼女の体重をしっかりと支え、背もたれには肩甲骨あたりの部分にとびっきりのクッションがそえられているようだった。
(もっと寝ていたい……)
そう思って身をよじると、耳元でささやかれた。
「ん、起きたのか?」
「ん~……諏訪子様? あと五分だけ~……」
「ざけんな、起きろ」
突然ソファーが立ち上がり、同時に早苗も立ち上がらせられた。
つんのめって倒れそうになり、慌ててバランスを取ろうとするが、裸足で岩はちょっと痛い。
裸足? 岩?
「え、わっ、あえ?」
困惑しながらも、早苗は自分を立ち上がらせた喋るソファーに振り返った。
流れる白い髪、白く美しい小振りな双丘のてっぺんに咲く、これまた小振りで綺麗な桜色。
視線はさらに下へと這い、形のいいお腹、下腹、髪の毛同様に白い――。
「うわ、うわっ!? ななな、なんで裸なんですか!?」
喋るソファーの正体は一糸まとわぬ藤原妹紅だったとさ。
大慌てて両目を手で覆いながら、指の隙間からチラチラと見てしまうのはなぜだろう。女同士なのに。
だってそれは、真珠のような裸身が生命力に満ち溢れ輝かしいほどに美しいから。
「仕方ないだろ。他に服も無いし、雨が横降りになって乾かしてる最中の服にかかっちゃうし。
もう着れない事もないけど、まだ湿ってるぞ。大変だったんだからな、雨の中、泥を落とすの」
「え」
妹紅が指さし、振り向けば、そこには蔓のロープに干された早苗の腋巫女装束があった。
とすると。
早苗は思う。自分は今、いったいなにを着ているのだろう。
見下ろす。
妹紅ほど色白ではないが、スベスベで健康的なお肌、ふっくらとふくらんだそれと、さらにその下、髪の毛と同じ色の――。
「きゃああああああっ!? ななななななななななんでわわわ私まで裸なんですかぁー!?」
「焚き火以外にゃ、素肌くらいしかあたたかいものがなかったんだよ。おー、痛。ずっと座りっぱなしでお尻がカチカチだ」
ぼやきながら妹紅は早苗の横を通り抜け、洞穴から出た。
「んー、晴れ晴れ」
うんと背伸びをして、裸身を惜しげもなく太陽にさらす妹紅。
あまりにも気持ちよさそうで、早苗も真似したくなってしまう。
だが乙女として! 全裸でなにもさえぎる所のない場所へ出たくはない!
いやでも決して妹紅さんが乙女ではないという意味ではなく!
「あああっ、私はどうすれば……」
「あっちに小川があるから、とりあえず顔でも洗ってこい。道中は岩場だから、足が泥んこになる心配もないしな」
「……服、着ていきます」
またじっとりと湿っているパンツとブラジャー、そして腋巫女装束に身を通しながら、これら一枚一枚を妹紅に脱がされたのかと思い、頬が朱に染まり動悸が早まった。
恥ずかしいやら情けないやら。
ともかく顔でも洗ってさっぱりしようと、早苗は洞穴の外に出た。
眩しいが陽射しはそれほど高くない。朝方なのだろうか。
周囲を見れば、岩場が続いている脇に密林が広がっていた。
そちら側は地面がまだぬかるんでおり、雨が上がってあまり時間が経っていないだろうと解った。
まだ濡れている岩の上をすべらないよう気をつけて進むと、膝下程度の浅さの小川が流れていた。
顔を洗って、ついでに水を飲んだ早苗は、しばし小川の前で立ち尽くす。
(そうだ、私は……あの化物から逃げ出して、妹紅さんに出会って……。また、助けられちゃったんだ。私、とても酷い状態だったのに、すっかり疲れが取れてる。でも、少しお腹が空いたな……少し? 化物から逃げ出した時は、まだ日が昇ってて、今は朝だよね……かなり長い時間、眠っちゃってたんだ……)
あの洞穴の中で、ずっと自分を抱いたまま座り続けていただろう妹紅を思うと、申し訳なさで胸がいっぱいになった。
(でも、そんなに時間が経ってるのに、どうしてそんなに空腹じゃないのかしら……)
疑問を解消すべく、早苗は洞穴へと戻る。
洞穴の入口では、服を着た妹紅が焚き火を起こしていた。
しかも石の釜戸を作り、熱した石の上で肉を焼いている。
「遅いぞ。顔洗うのにどれだけかかってるんだ」
「あ、ごめんなさい……ちょっと考え事をしてて」
「ふぅん。まあいいや、もうすぐ焼けるぞ」
妹紅の足元には石斧が転がっていた。あれで肉を捌いたのだろう、刃が赤く汚れている。
「骨を削って尖らせてある。フォーク代わりに使えるよ」
近寄ると、工具のノミほどある白骨を手渡された。
(これがあれば、ナイフの代用品にして、咲夜さんはもっと安全に戦えたんじゃ……)
犠牲になってしまったメイド長を思い、早苗の目頭が熱くなる。
泣きそうになって、早苗は慌てて笑顔を作って妹紅に訊ねた。
「おいしそうな匂いですね。これ、なんのお肉ですか?」
「蛇とカエル」
「え」
笑顔が凍り、きょどきょどした瞳が焼かれている肉へ向けられる。
確かに、焼かれている肉は円筒を切ったような形をしていたり、ああ、あれは手足のような……。
「お前が出てってすぐ、洞穴の中にカエルが逃げ込んできてさ、蛇が追いかけてきて、両方捌いた」
「あ、あああ、あのー……妹紅さん?」
「島生活にも慣れただろう。そろそろ、こういうのも平気になりなよ」
ゲテモノだから嫌がっているのだろうと思われて、早苗は気づいた。
自分が妹紅の事をよく知らないように、妹紅も自分の事をよく知らないのだ。
だから、これは善意100%のもので、食べないのは大変失礼になるのだけれど、でも、でも。
トカゲとは違う。違うんです!
「す、すみません。私、信仰の関係で蛇とカエルは、ちょっと……」
「お前のトコ、蛇神崇拝?」
蛇は脱皮する様から再生の象徴とされ、永遠の命を持っているとも考えられ、神格化される事も珍しくない。
海外でも自らの尾を呑み込もうとして輪を作るウロボロスの蛇などは有名だろう。
「まぁいいや。イスラームでも日本に来たら神様の目が届いてないとか適当な理由つけて豚食べたりするぜ」
「現代日本在住の外国人様方の笑いあり涙ありの面白エピソードをなぜご存知なんですか!」
「この前トンカツ食べた時、慧音が言ってた」
「とーもーかーくっ! 大恩ある妹紅さんの申し出とはいえ、私はこのお肉をジュルリッ食べられません!」
「よだれよだれ」
服の袖でよだれを拭いながら、早苗は胸の前で腕を交差させバッテンを作った。
拒絶の意志を形で示さねば心が屈してしまいそうだったからだ。
だが、グゥキュルキュルとお腹が悲鳴を上げる。
「ほら、あまり食べてないんだから、お腹空いてるだろ?」
「うっ……でも、昨日からずっとなにも食べてないにしては、それほど空腹でもないので……」
「ああ……うん、何度か干物を食べさせてやったから……」
「え、そうなんですか? ありがとうございます」
「口移しなんで二度とやんないからな。次からは自分で食えよ」
「はあ、え、くち、口移し!?」
仰天して引っくり返りそうになる早苗。なんとか踏み止まって、妹紅の唇を凝視する。
脳裏によぎるのは、パニックに陥った自分を正気に戻すためのキッス。
(あの心地よさを、眠っている間に、何度も!? 知らない、味わってない、もったいない! はっ、私はなにを考えてるの? そんな、同性愛はいけませんよ非生産的な! 幻想郷では常識に囚われてはいけないとはいえ、守りたい常識もあるのです!)
「おーい、焼けたぞぉ」
妄想にひたる早苗をスルーして、妹紅は肉に塩をかけていた。海水を蒸発させて得たものである。
尖った骨をフォーク代わりに突き刺して、蛇のものと思われる肉を頬張る妹紅。
「んー、絶品。この蛇イケるなぁ、幻想郷のより肉がしまってるというか……」
「ううっ……」
守矢の早苗、信者でもない他者にまで蛇やカエルを食べるなと強要するほど狭量ではない。
だがしかし、目の前でこうもおいしそうに食べられては、お腹が貪欲に悲鳴を上げてしまう。
「ほら、我慢しないで食べなよ。ほーれほれ」
新たな焼肉を刺した尖り骨が、早苗の前に突き出される。
匂いが、焼肉の匂いが、早苗の空腹を刺激する!
(ああ、駄目よ早苗、私は守矢の巫女にして神。神奈子様と諏訪子様を裏切るような真似はできない!
そう、例え天地が引っくり返ろうともお二方に背くなどあってはならない事!
耐えるのよ早苗! これは神奈子様と諏訪子様のもたらした試練!
世の中には断食という修行だってあるのだから、今、断食していると思えばいい!
人間、水さえあれば一週間くらいは生きていけるのです!
ですから断食などこの神である私にできぬ道理はありません! これは今や常識!
己に打ち克つのです! 欲望を滅却し、純粋な信仰に魂を委ね、神の世界への扉が開く!)
激しい思考の奔流に翻弄されながら、早苗は心底満足そうな表情で蛇肉を頬張っていた。
う~ん、ジューシー。焼き加減、塩加減、ともに絶妙! これは癖になる味!
そしてこっちのカエル肉、鶏のモモ肉と比べてなんら遜色がない絶品! おーいーしーいー!!
「な、うまいだろ」
「はい、モグモグごっくん……って、食べちゃってるぅー!?」
蒼白になって尖り骨を握りしめる早苗さん。
いつの間にか綺麗さっぱり食べてしまっておりました。
焼き石の上にはもう肉は残っておらず、妹紅と早苗、どちらがどれだけ食べたのか謎であった。
だが早苗の空腹を満たすこの満足感、恐らくたらふく食べてしまったのだろう。
「ああぁ~……神奈子様、諏訪子様、申し訳ありません……」
頭を抱えてうずくまる早苗を見て、楽しそうに笑う妹紅。
「なっ。食べると元気になるだろう? おいしい物をお腹いっぱい食べられれば、それだけで人間は幸せになれるんだ」
「うっ……それは、そうです、けど」
顔を上げ、早苗は子供のようにそっぽを向いた。
妹紅から元気をたくさんもらいすぎて、なぜだか妙に恥ずかしい。
「私は嬉しいよ。お前が元気になってくれて」
「妹紅さん……」
「妹紅でいいよ」
「じゃあ、私の事も"お前"じゃなく、ちゃんと"早苗"って呼んでください」
妹紅、と呼び捨てにしよう。
そう決めて、早苗は飛びっきりの笑顔で言った。
「あー、早苗だっけ、名前。思い出した思い出した」
「え」
妹紅さんを呼び捨てにする決定が破棄された瞬間だった。
そりゃ、確かにお互い交流なんて無かったけれど、この無人島に来て他のメンバーが名前を呼んでくれたのだから、ちゃんと覚えていましょうよ。
その場にへたり込んで泣きたい気持ちになったが、岩肌はまだ雨の残滓が残っており、せっかく乾かした服がまた濡れるのも嫌なので我慢する。
「水飲むか?」
魔理沙が作ったのと同じような皮の水筒を差し出され、ありがたく口をつけてスッキリさせると、心身ともにリフレッシュ完了した早苗に、神妙な顔つきで妹紅が訊ねてきた。
「で、場が和んだ所で本題だ。化物……って、なんだ?」
× × × ○ ○ ○
魔理沙と咲夜の身に起きた悲劇。
そして雷雲から舞い落ちてきた、焦げたリボン。
話しながら、早苗は何度か食べたばかりのものを戻しそうになった。
妹紅は顔をしかめたまま黙って聞き続けながら、木の棒の先に尖った骨と石をくくりつけ、原始的な槍を二本作った。化物と戦うための武器だろうが、正直心許ない。
早苗が話を終えると、妹紅は一枚の木の札を取り出した。
「それは?」
「木の板に私の血で呪文を書いた妖術の札だ。炎をまとって矢のように飛んでいく。とはいえ能力を封印されてるから使えないんだけどな。魔理沙はどうやって八卦炉を作ったんだろう」
と、妹紅は使えない札を焚き火にくべた。
「もったいない……」
「未練がましいのもな。私は妖術を使えるが、使うだけだ。魔理沙みたいに研究や実験をしてた訳じゃない。外の世界の奴が"ケータイ電話"とかいうのを使えるけど、構造は解らないっていうのと同じ、かな。多分」
「あー、解りやすいです、その例え。パソコンとか、科学の恩恵だけ与ってますからねぇ」
「そんな訳で、霊夢と魔理沙がいない今、能力を使える裏技なんかアテにならない」
「あ、でも……霊夢さんと、妹紅さんの、体質? は封じられてないとか、初日に……」
「怪我の治りが早いんだ。死ぬ時は死ぬよ」(生き返るけど)
「そうですか……」
「だから、まあ、妖術も使えないし化物と戦う時は前衛担当かな」
と、石槍と骨槍の両方を握って早苗に差し出した。
「どっちがいい?」
「え、と、石槍で」
骨は薄気味悪いので遠慮した。
「じゃ、後衛担当の早苗には尖った骨セットをプレゼント。棒手裏剣にはなるだろう」
「げっ。いえ、私、そういう投擲スキルは持ってないので」
「そうか。じゃあ私が使おう。じゃ、後これも」
まだあるのか。早苗は次に出てくるのが骨でない事を祈った。
「石斧。至近距離じゃ、槍よりこっちの方が便利だろう」
「ホッ。ありがとうございます、使わせていただきますね」
もんぺに尖った骨を射し込んで妹紅は立ち上がった。
「さて、じゃあ、妖夢と合流しようか。あいつの剣術は頼りになる」
「え、ええ。でもどこにいるかも解らないのに……」
「西の海辺に大滝があってな、そこで毎日修行してるんだ」
褌一丁で滝を浴びながら合唱している妖夢の姿を想像する事は、赤子の手を捻るよりも容易かった。
って、褌一丁だとアレじゃないか。
おっぱい丸出し。
さすが無人島、露出ネタには事欠かないという訳ですね。男性がいなくて本当によかった!
× × × ○ ○ ○
南国の孤島と言えば白い砂浜が美しいが、妹紅が向かった場所は簡素な岩場だった。
とはいえ、透き通った海水の向こうに色鮮やかな熱帯魚や貝殻や、サンゴ礁まであるのだから心が躍る。
水平線まで続く水面も、翠色が波打って星のようにきらめいていた。
「綺麗……こんな形じゃなく、旅行で来たかったです」
「私は早苗と再会するまで全力で旅行気分だったけどな」
バイタリティの差って悲しい。うなだれた早苗は、岩のくぼみに満ちた海水の中に、表面のなめらかな青紫の石を見つけた。
「わっ、見てください妹紅さん。これ、すごく綺麗です。なんでしょう?」
子供のようにはしゃぎながら、早苗は海水に手を突っ込んで、石の表面を撫でた。
硬質ではあったが、不思議と生命力を感じる。石ではなくサンゴの一種かもしれない。
「それナマコ」
「え」
触れたまま硬直し、早苗はナマコをじっと見つめた。
いや、だって、触っても全然動かないし、それにナマコってウネウネしてるイメージがあって、だけれどもこれは石のように硬いし、え、ナマコ? ナマコですかこれ?
「この辺にはいっぱいいるぞ。妖夢の主食になってる。後で料理してやろうか?」
「せっかくですけど遠慮します」
ナマコから手を離し、早苗は青空を見上げた。ああ、陽射しが眩しいなぁ。あはは、うふふ。
と、視線の先に崖があった。しかも崖から海へとかなりの量の水が流れ落ちている。
「あれですか? 妖夢さんが修行してるっていう大滝」
「うん、そう。入れ違いになると面倒だし、下に回ろう」
「は?」
滝を浴びて修行しているのなら、その場から動かないのだから入れ違いなど起きないのではないか。
不思議に思いながらも、妖夢に会えば解ると考えを放棄して妹紅の後に続く。
近づくに比例して滝の水音が重たく響いて、霧のような細かい水しぶきが身体にかかる。
早苗は目を凝らしたが、滝の下に妖夢の姿は見当たらなかった。
そもそも滝はほぼ垂直に流れ落ちており、滝の裏の岩壁とは距離があって、滝を浴びるなど不可能だ。
滝壷に潜って水泳の特訓なのかなぁ、なんて思ってると、妹紅が「いたぞ」と指さした。
指は、滝の上へと向けられている。
見上げてみれば、崖の上に人影があった。しかも近くに人魂が浮いている。
間違いなく妖夢だろう。
「まさか、あの高さから滝壷に飛び降りるのですか!?」
滝は、早苗が通っていた学校の屋上ほどの高さがあった。
空を飛べない今、あの高さから落ちたら間違いなく死ぬ。早苗の場合は。
「いくら妖夢さんでもあの高さじゃ……って、あーっ!」
無理、と言おうとしている間に妖夢はみょんと、訂正、ピョンと滝壷へと飛び込んだ。人魂と一緒に。
しかもなぜか、両手は人差し指を立て、なにかを指さすような形にしている。
その理由を早苗は一部始終目撃した!
「1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14・15・16・17……!!」
「ああー! 滝を物凄いスピードで落下しながら……ほとばしる水しぶきの数を数えているー!!! す……すごい!! ……のですか!? 解りません!! もう全然解りません!!」
果たして幾つまで数えたのだろう、滝壷に呑み込まれるまでの間、妖夢は息継ぎを挟まず継続してカウントを続けていた。
人魂もろとも滝壷に沈んだ妖夢の安否が気になったが、すぐに滝から離れた場所から妖夢が顔を出した。
凄いよ妖夢さん! 早苗は意味不明ながらも尋常ではない修行に心底感心していた。
「妖夢ー! おーい!」
滝の音に負けぬよう妹紅が声を張り上げると、妖夢はこちらに気づいて岩場に上がってきた。
早苗の想像と違い褌一丁ではなく、白い肌着とドロワーズでしっかりと女性の部分を隠していた。
そして頭は真っ赤だった。
「もこたん! さなぽん! それにみんなー!」
「血まみれでしかも名前違うー!! しかも私達二人しかいないのに"みんな"って誰ー!?」
明らかに修行失敗している妖夢の惨状に早苗は的確なツッコミを入れつつ度肝を抜かれた。
× × × △ ○ ○
「面目ない。滝壷に飛び込んだ時、海底の岩に頭をぶつけてしまいました」
血を洗い落とし、ハンカチで傷口を押さえている妖夢。
恥ずかしそうに頬を赤らめていた。
三人は滝からやや離れた砂地で焚き火を起こし、妖夢は肌着とドロワーズを着たまま乾かしている。
元々ここで着替える予定だったのだろう、薪は組んであったし、かたわらに妖夢の衣服も置かれていた。
他にも岩陰に咲夜からもらったナイフや皮の水筒、干物や果物が隠してあり、ここを拠点としているのは間違いないだろう。
「なあ、これ何本に見える?」
ふいに妹紅はVサインをして問う。
「二本」
妖夢は短く答え、微笑を浮かべた。
「うん、もう平気みたいだな。もこたんとさなぽん、それから"みんな"なんて言うから何事かと……」
「うーん、後ろに魔理沙が何人かいたように見えたんですけどねぇ」
「魔理沙が?」
「ええ。魔理沙というか、金髪の人が」
「スキマ妖怪が救助に来てくれた訳じゃなさそうだな」
冗談半分に妹紅が言うと、妖夢はクスクスと笑った。
「朦朧としてましたから、まあ見間違いでしょう」
「そうそう、魔理沙だけどな、咲夜もだけど、化物に食われて死んだらしいよ」
「みょん!?」
そして冗談ではない事実を告げたら、妖夢は仰天して立ち上がり、足をすべらせ、焚き火に突っ込みかけた。
てんやわんや。
× × × ○ ○ ○
「まさか雨粒を数えている間にそんな出来事があったとは……」
ツッコミを入れるべきかどうか悩む早苗のかたわらで、妖夢は服を着ながら悔やむように言った。
妹紅は岩に立てかけられていた二本の刀を抜いて、潮で錆びていないかを確かめている。
「いい刀だな。頼りになりそうだ」
「手入れは欠かしてませんし、そう簡単に錆びたり刃こぼれしませんよ。妖怪の鍛えた業物ですから」
刀を鞘に納めて元の場所に戻し、妹紅は妖夢が集めた果物の中から梨に似た黄色いものを選んでかじる。
白い果肉から甘酸っぱい汁がたっぷりとあふれ、ミカンの甘味を増やしたらこうなるかなと想像した。
「又聞きになるけど、咲夜曰く刃物は通じるけどナイフじゃ威力不足で、妖夢の刀が欲しいとかどうとか。でさ、妖怪タコ入道だけど、こいつで斬れる自信ある?」
「妖怪が鍛えたこの楼観剣に、斬れぬものなど、あんまり無い!」
ビシッと決め台詞を言ってのけ胸を張る妖夢だが、態度とは逆に"あんまり"という単語が頼りない。
「じゃ、斬れなかった時のために粘液対策も必要だなー。妖術が使えればたこ焼きにしてやるのに」
反応のよろしくない妹紅に落胆しながら、妖夢も同じ果物を取ってナイフで切り裂いて食べた。
「妹紅の炎って妖術でしたっけ?」
「うん。輝夜だって別に燃えたりしないでしょ? まあ私の場合、無関係って訳じゃないけど」
「他の武器は、その骨と石の槍くらいですか?」
「骨を尖らせた棒手裏剣もどきと、早苗に石斧を持たせてある」
「心許ないですね」
骨槍を持って立ち上がった妹紅は、近くの水場に突き刺す。引き上げると普通のタコが頭を貫かれていた。
妖夢が持っているナイフ、咲夜から分け与えられ、この三人が持つ最後の一本を勝手に借りると、タコの頭を切り取って岩の上に放り、まだ動いている触手を岩の上に置いて適当な長さに切り刻んだ。
「早苗から聞いた感じ、真正面からやりあいたくないな。罠でも仕掛けるか?」
妖夢は荷物の中から木を削って作った串を取り出すと、切り刻まれたタコ足をひとつずつ刺していく。
二人はそれらを繰り返しながら会話を続けた。
「得物を考えると私が主力ですね……」
「直接戦闘なら能力の使えた霊夢を除けばお前が一番だろうけど、油断は禁物だね。咲夜がタコ入道を追い詰められたのは地形や作戦のおかげだしなぁ……」
「そのタコ入道を刺身にできたとして、その後、黒幕が出てくる可能性は?」
「あー、霊夢もやられたっぽいしなぁ。もし出てきたら、とりあえず私が戦って様子見かな」
うなずいて、妖夢は串を焚き火の近くに刺した。
ジュウジュウとタコ足の焼ける音が食欲を刺激する。
「あなたが一番適任でしょうね。でも能力封印系の力があるのは確実、絡め手も警戒しないと」
「絡め手かー。ガチンコならともかく、身体ごと封印とか幽閉とか、そういうのされると弱いなぁ」
「やっぱり能力が使える方法を探るべきでは? 魔理沙がマスタースパークを使ったんでしょう?」
「種が解らなきゃなぁ。タコ入道がいたっていう祠の中が気になるけど」
「そこに脱出路か、あるいは能力を封印している仕掛けがあるかもしれませんね」
「俗なお宝って線もあるな。金銀財宝! この状況じゃ逆に期待ハズレの無駄骨だ」
「妖術魔術の道具という線は? 抜いただけで人を斬り殺したくなる妖刀とか。そろそろいい焼き加減では」
「ああ、私、じっくりこんがりが好きなんだ。ちょっと焦げてるくらいのさ」
「じゃ、お先にいただきますね」
「早苗ー、そっちのもいい塩梅に焼けてるぞ」
会話から取り残され傍観していた早苗は、声をかけられてようやく口を開いた。
「あの……二人とも、真剣に話していらっしゃいます? すでに、三人も……死んでいるのに……」
と言いながらも、ちゃっかり串を取ってタコ足を食べる早苗。
うん、おいしい。
「三人とは冥界でまた会えますし。まあ、地獄行きになったら別ですけど」
薄情なのか、それとも冥界在住半人半霊であるための感覚の違いなのか、妖夢はあまり悲しんでいないようだ。
「私も死に別れは慣れてるし、まあ、仇討ちはしっかり決めてやるさ」
妹紅も人死にの受け取り方が冷めているらしく、ドライな対応だ。
とはいえ、最初に三人の死を聞かされた時は神妙な顔で押し黙っていた。
悲しんでいない訳ではないと、早苗は信じたかった。
「所でタコ入道ですけど、まだ島を徘徊してるんでしょうか」
「どうだろ。早苗を追っかけてて、見失ったなら祠に戻ったんじゃないか? 祠を守ってるのかも」
「じゃあ、罠を仕掛けるとしたら祠の周辺ですね。崖と泥沼に囲まれてるんでしたっけ」
「うーん、水系統の罠は効果薄そうだしなぁ。崖まで誘い出して、上から岩とか木材を落としたいな」
「咲夜はヤシ油で焼いたんですよね」
「作り方、知ってるのか?」
「いえ……妹紅は?」
「火には困らない生活を送ってたもんでね」
「罠に関しては任せていいんですよね?」
「ていうか、私しか罠スキル持ってないだろ。私が仕掛けて、その後、私と妖夢とで祠に突撃かな。後は岩の上を跳んで逃げて、崖まで誘い込んで、罠を作動させるのは早苗に任せるか」
「泥沼からは出したいから、その咲夜が戦ったっていう崖の亀裂あたりで戦うべき?」
「相手の知能次第だなぁ。一度やられてるから、学習して誘いに乗ってこないかも」
「祠のある内陸に罠を仕掛けるのは」
「扉、蹴破られてるんだろ? 罠を仕掛けてる最中に気づかれちゃうよ。タコ入道が祠に戻ってたらの話だけどね……」
「大変な事に気づいた」
「どうした?」
「妹紅のタコ足、黒コゲですよ? さすがにそれは焼きすぎじゃ……」
「ゲッ」
話題が化物退治の相談に戻ると、またもや早苗が口を挟む隙は無くなってしまった。
体験した出来事、目撃した惨劇は、すでに詳細に語ってしまっている。
後は二人の会話にしっかりと耳を傾け、もし助言できるようなら助言し、三人の役割分担を正しく認識し少しでも力になれるよう心がけるくらいしかやる事がない。
相談はその後も続き、今日はこの浜辺で夜を明かす事となった。
× × × ○ ○ ○
夜になって、早苗はふと目を覚ました。
妖夢の寝床は浜辺に隣接する森で、葉っぱを幾重にも積んで布団代わりとしていた。
もちろん妖夢一人分の大きさだったので、日が暮れる前に三人で協力して二人分の葉っぱ布団を並べるようにして作った。
真ん中に早苗、両端を妹紅と妖夢という形で陣取ったのだが、妹紅の場所から寝息が聞こえない。
広葉樹の下では月明かりが届かず真っ暗闇。
姿を確認できないため、早苗は手探りで妹紅の寝床に触れた。
いない。
どこに?
息を潜めると、遠くから聞こえる波の音や、木々のざわめき、夜行性の鳥獣の鳴き声に混じり、妖夢の静かな寝息が聞こえ、いなくなったのは妹紅だけだと確信した。
波の音を頼りに、早苗は浜辺へと向かった。
砂浜と岩場が入り混じった地形になっており、森を出たので月明かりでなんとか岩の輪郭程度は解ったが、距離感が掴めなかったため、岩にぶつからないよう両手を前に出して恐る恐る歩く。
すると、波の音に混じって人の声が聞こえた。
うめくような、泣いているようなこれは、嗚咽?
「妹紅……さん?」
名を呟いた途端、嗚咽らしき声は波に溶けてしまったかのように消え去ってしまった。
十秒ほどの静寂の後「早苗か?」と返事がした。
「あ、はい。そうです」
「こんな夜更けに、どうかしたか?」
声を頼りに、早苗は歩を進めた。
「それはこっちのセリフです。気づいたら、妹紅さんがいなくて」
「疲れてるだろ、気にせず眠っときなよ」
足手まといと思われた早苗だが、午後は松明や蔓のロープなどを協力して作っていたため、手馴れていない早苗と妹紅はだいぶ苦労をし、体力で劣る早苗の方が疲れは大きいはずだ。
「あの……」
泣いていたんですか?
そう訊ねようとして、早苗は口を閉ざした。
隠れるようにして泣いていたのだとしたら、わざわざそれに触れずともいいだろう。
「私達、帰れるでしょうか」
「ん……どうだろうな。タコ入道を退治して、祠を調べて、なにも見つからなかったら、八方塞だ」
「妹紅さんの帰りを待ってる人って、います? どんな方です?」
「人里で、寺子屋の教師やってる」
「あっ、知ってるかも。確か上白沢さんでしたよね?」
「うん。上白沢慧音」
どこにいるのか解らぬ妹紅と会話をしながら、早苗は満天の星空を見上げた。
空が酷く遠くに感じる。
無性に幻想郷が恋しくなり、両腕を抱いた。
「大丈夫」
さらにその上に、腕が回された。
耳元で声、背中にぬくもり。
「私は"死なない"……いや、"死ねない"んだ。奴を駆逐するまで、何度でも"蘇る"さ」
後ろから抱かれているのだと悟り、早苗は自然と背中を預けた。
(妹紅さん……私のために、そんな風に強がって……)
心配りが嬉しくて、目頭に込み上げるものを感じ、早苗はうつむいた。
「早苗も死なせたりしない。幻想郷に帰ったらさ、妖夢と三人で、なにかうまいものでも食べに行こう」
「……はい」
「なにが食べたい?」
「ハンバーグ。私が作りますから、食べに来てくれますか?」
その時、人や岩の輪郭がかろうじて解る程度の暗闇の中で早苗は、確かに見た気がした。
「楽しみにしてるよ」
とっても嬉しそうな、妹紅の笑顔を。
× × × ○ ○ ○
翌日になって、三人は化物が島を徘徊している可能性を考慮して慎重に島の中央部へ向かった。
あの異常な豪雨のせいで土砂崩れが起こっており、何度か迂回を必要とし、到着した時は夕方だった。
これでは罠を仕掛けるにしても、すぐ日が暮れて動きが取れなくなってしまう。
また、化物の住処の近くでのん気に眠れるほど無用心でもなかった。
急いで寝場所を探したが、いい場所が見つからないまま日が暮れ、仕方なしに茂みの中で身を寄せ合った。
「ここなら、他にも鳥や獣の気配で誤魔化せるかもしれないし、交代で寝ずの番をしよう」
妹紅の提案は受け入れられ、早苗も夜中に見張りをこなした。
目が利かないのでじっと耳を澄ませるだけだったが、化物の巨体ではこの茂みの中、物音を立てず侵入できまい。敵はむしろ退屈と眠気だった。
翌朝、さっそく三人は島の中央部を囲む崖に登り、咲夜の戦いの痕跡の残る亀裂を中心に、様々な罠を仕掛けた。
妖夢が木の幹を切り裂き、尖らせたものを蔓のロープで固定しておく。
それほど硬い固定ではないが、先端は地面に突き刺さっているし、早苗の力でも思い切り体当たりをすれば崖の亀裂へと落とす事ができる。
崖の底には尖った骨を埋めて針地獄を作っておいたし、亀裂以外の場所にも数箇所、罠を用意した。
武装は、長刀楼観剣と短刀白楼剣のみの妖夢。
妹紅は骨槍と尖った骨数本、それから妖夢が使っていた咲夜のナイフだ。
早苗は石槍と石斧のみ。余計な武器は持たせず、罠係に専念する。
「色々と準備した割には貧相だよな」
「仕方ないです。大半は罠についやしましたし」
槍を抱えて泥沼の内陸に建つ祠を睨む妹紅。
二本の刀を腰に下げ人魂とともに静かにたたずむ妖夢。
二人は今、崖の亀裂からやや西側、祠の正面に陣取っていた。
遠目にも祠の不気味さは異常であり、破られた扉の内側は暗く、様子が解らない。
「いると思うか? タコ入道」
「この距離では、ちょっと。でも早苗がみょんな気配がするって言ってましたし」
「グダグダ考えても仕方ないな」
「行きましょうか」
妖夢は軽やかに跳躍し、泥沼に点在する、手近な岩の上に着地した。一拍遅れて妹紅も続く。
「おい、先行するのは私だ。万が一の時、都合がいいだろ」
「そうでしたね」
今度は妹紅が先に、次の岩へと飛び移った。
傾斜になっており立ちにくく、妹紅は骨槍を落としそうになった。
妹紅が身体を安定させるのを見てから妖夢も跳んだ。着地と同時に岩を掴み、身体を支える。
「咲夜ならいちいち止まったりせず、ピョンピョン進んでくんだろうなー」
「身軽ですからねぇ」
「紅魔館の連中になんて説明したもんかな……」
「私は霊夢さんの安否が気がかりです。唯一確認が取れてませんし、結界の事もある。紫様がいらっしゃるから、たいていは大丈夫だとは思いますが……」
「私は妖夢ほどあのスキマ妖怪を信頼しちゃいないんでね。あいつに何回リザレクションさせられた事か」
「その節はすみませんでした」
妖夢は軽く頭を下げたが、妹紅はそれを気にかけず次の岩へと向かって足場を蹴った。
そんな調子で、祠まで岩をもうひとつという所まで行き、妹紅は「あっ」と声を上げた。
平らで着地しやすい岩だったため動きやすく、妖夢は腰を落として抜刀の構えに入る。
「タコ入道ですか?」
「いや、ちょっと閃いた。成功すれば、今から引き返して試す価値があるほど上等な策」
亀裂の走った崖の上で、木陰に隠れながら様子を見ていた早苗は眉をしかめた。
テンポよく進んでいた二人が、内陸までもう少しという所で立ち止まってしまったのだ。
まさか、化物が。
そう思い祠に視線をやったが、奴が出てくる気配は無い。
どうやら二人は何事かを相談しているようで、ここからでは聞き取れない。
大声ならば届くだろうが、それでは化物に襲撃者の存在を知らせるようなものだ。
いったいなにを話しているのか。トラブルでもあったのだろうか。
不安が少しずつ大きくなっていく。
嫌な気配までもが大きくなっていく気がして、早苗は胸元に手を当てた。
「あ」
二人に変化が現れた。祠に背を向け、一個前の岩を向いた。
まさかあそこまで近づいたのに、戻ってくるつもりだろうか。
やっぱりなにかあったんだ。早苗は異常を探るため、目を凝らした。
「なるほど。試す価値はありますね」
「魔理沙とは異なる手段だろうけど、成功すれば裏技発見だ」
「じゃあ今日の所は引き返しましょう。実験の成否はともかく、攻め込むのは明日になりますね」
「だな。とっとと戻ろう、早苗が心配そうにこっち見てるぞ」
相談を終えた二人は、さっそく一個前の岩に向かってジャンプしようとした。
ここまで何事もなく来れたため、帰りまで妹紅が先行する必要はないだろう。
二人は同時に跳ぼうとした。
「後ろ! 後ろです!!」
早苗が声を張り上げる。
ギョッとして二人が振り返ると、泥が山のように盛り上がっていた。現在進行形で。
「まさか!?」
「みょん!?」
当惑しながらも槍を構える妹紅と、抜刀する妖夢。
二人の目の前に現れた泥の山から、暗緑色の鉤爪が生え、事態を認識する。
うかつだった。
早苗は、魔理沙と一緒に泥沼を歩いて渡ったと言っていた。
だから、この泥沼は浅いのだろうと思い込んでしまった。
現実は、人間の三倍はあろうかという化物が全身を沈められるほどの深みもあったのだ。
たまたま早苗達の歩いた場所が浅かっただけ。そして妹紅達が浅はかだった。
爪から逃れるようにして二人は反射的に跳躍した。
妹紅は内陸側の岩へ、妖夢は崖側の岩へ。
同時に二人は悔いた。奇襲を受けたとはいえ、自ら分断してしまうとは。
お互い実力はあっても即席コンビ、連携を取るためには打ち合わせが必要だった。
「挟み撃ちだ!」
妹紅が叫ぶ。
「挟み撃ちできると考え直せ!」
「了解!」
妖夢が答えるとほぼ同時に、泥の山が弾けた。化物が大きな身震いをしたのだ。
まるで弾幕のように飛んでくる泥を逃れようと、妹紅は内陸へと飛び移る。
一方妖夢は、さらに後方の岩場へと逃れなければならなかった。
ますます距離が開き、妖夢は焦る。
足場の悪い自分が狙われたら、ろくな反撃ができないだろう。
だがその場合、なんとしても崖まで逃げて、早苗の罠と連携して倒すのだ。
妹紅抜きになるのは痛いが仕方ない。
が、妖夢の思考と裏腹に、化物が狙ったのは内陸の妹紅だった。
倒しやすい方を後回しにする理由、やはりあの化物は祠を守っているのか?
内陸に向かわれては、苦労して仕掛けた罠一切合財が使えない。
多少動きやすくとも、狭い内陸ではいずれ追い詰められてしまう。
妖夢は妹紅が別の岩に逃げる事を祈った。
罠は数箇所に仕掛けてある。
だが自分達の跳躍力で内陸まで飛べるよう点在している岩のルートは、亀裂の近くからのものしかなく、他の罠へと逃げ込むためには泥沼に入らねばならない。
打ち合わせにない展開に、妖夢はどう行動すべきか、妹紅の動向をうかがった。
幾つか思い浮かぶ選択肢。
深さの解らぬ泥沼に入る覚悟で罠まで逃げる。
この内陸部分で妖夢が来るまで持ちこたえ、連携して攻撃する。
祠の中に逃げ込み、なにが隠されているのかを確かめる。
(どうしたもんかな)
まず、罠まで逃げる選択肢を捨てた。
泥沼の中を走って、この化物から逃げ切れるかどうか不安。
それに深さが一定でないと解った今、溺れ死ぬ危険性も考慮せねばならない。
祠の中に逃げ込むか?
祠に起死回生となるものが隠されていなければ袋のネズミとなるだけだ。
「ここで迎え撃つ! 妖夢、来てくれ!」
果たして、これが最善の選択だったのか自信は無かった。
他にもっといい選択肢があったかもしれない。
しかし、悩んでいる暇は無い。
化物は内陸に足をかけ、その巨躯すべてをあらわにしたのだから。
大きい。聞いた通り、人間の三倍はあるだろうか。
魚介類のような鱗の上には暗緑色の粘液が、どす黒い泥が入り混じっている。
咲夜がつけたという眉間の傷は、跡こそ残っていたがすでにふさがっていた。
触手は獲物を求めて蠢いており、骨槍を突き出して牽制する。
化物が蝙蝠の翼を広げて突進してきた迫力に押されながら、妹紅は勢いを利用して槍を眉間に突き刺してやろうかと考えた。
だが二足歩行で迫る化物の頭部は高く、とても狙えたものではない。
サイドステップで突進を回避した妹紅は、通用しないだろうと承知しながらも化物の足に槍を突き立てた。
骨槍の切っ先は粘液によってすべり化物の肉体には届かず、物理的に貫くには大木でもぶち込まないと無理だろうと思われた。
仕掛けた罠ならば通用したかもしれず、歯がゆい。
向き直った化物は巨腕を振るって妹紅を捕まえようとした。
尋常ではない風切り音は背筋を冷たくさせ、しかしあえて妹紅は懐に飛び込む形で腕を避け、もんぺに挿しておいた尖り骨を一本引き抜いて、顎部分の触手群に真下から投擲する。
気配を感じたのか、触手はがむしゃらに動いて骨を叩き落した。
(見えたッ!)
妹紅はニッと笑って、化物の股下をくぐり抜ける。だがすぐきつく噛みしめた。
(なんだあれはッ)
蠢く触手は、顎部分にどうやら楕円形に生えているようで、その内側に黒い空間が開いていた。
それこそが、人間を丸呑みにできる巨大な口なのだろう。
一瞬見えただけだったので、正確な大きさや、牙の有無などは解らなかった。
しかし得体の知れない底知れなさは、真夜中に揺らぐ暗黒の深海のようであり、湧き上がる恐怖に精神は引き裂かれそうに痛んだ。
見る。
それ自体が罪であり罰であった。
すでに化物の背後に回り、もう口は見えていないというのに、未だ精神力がそぎ落とされていく。
タコ入道などと馬鹿にした呼称は、すでに妹紅の頭の中から消し飛んでいた。
泥沼に飛び込んででも逃げ出したい衝動に必死に抗う。
(そういえば、遭遇しただけで、見ただけで精神を発狂させる邪神とその眷属が、この世界のどこか、あるいは異世界に存在しているって慧音が言ってた。まさか、まさかこいつが、その邪神、あるいはその眷属なのか!?)
恐怖を振り払うように、振り向き様に骨槍を払い、化物のアキレス腱を断とうとした。
だが、先を尖らせただけの骨では斬る攻撃はできない。
衝撃により骨の固定部分に亀裂が走り、骨が跳ね飛ばされてしまう。
槍はただの棒切れに成り果て、妹紅は舌打ちしながら放り捨て、尖った骨手裏剣を二本引き抜いた。
剛腕を振るいながら化物が振り返り、妹紅は後ろに跳躍して回避しながら骨手裏剣を眉間の傷目がけて投げる。
策もなにも無い、恐怖心を誤魔化すための無謀な攻撃が意味を成すはずもなく、呆気なく触手に阻まれた。
化物が一歩迫れば、妹紅も一歩下がり、新たな骨手裏剣を投げる。
歩幅の差から次第に距離は縮まり、無数の触手が蠢く様から目が離せない。
あの向こうに、深い深い深い深い深い深い暗い暗い暗い暗い暗い暗い、穴ぼこのようなモノが。
「後ろは沼です!」
ハッと我に返ると、かかとに地面の感触が無かった。いつの間にか内陸の端まで追い詰められていた。
化物は両腕を広げるようにして威嚇しており、妹紅に逃げ場所はない。
一か八か、また股下をくぐるか? いや無理だ、見まいとしても、きっと見上げてしまう。
そうなればまた狂気の虜だ。
ギリと歯を噛んで、自らに打ち克とうと真っ直ぐ化物の両目を睨んだ。
その背後、化物の後頭部のあたりに、半霊をともなって長刀を抜いた妖夢。
無言の一閃は正確無比に化物の首を切り裂こうとした。
結果は意外! バチンと電気が弾けるような音を立てて、楼観剣の一撃は跳ね返された。
刃物が粘液によってすべったのとは明らかに違う。
「対魔結界ッ!?」
驚愕しながら、空中で回転して体勢を整えて着地する妖夢。
化物は苛立つようにして背後の妖夢へと振り向き、その隙に妹紅は反対側に回り込みながら化物の足を素手で引っかいた。
「妖夢!」
「無理! 退きましょう!」
化物から逃れるように後退する妖夢を、粘液まみれになった左手を振り上げた妹紅が追いかけた。
内陸は狭いが、足場がしっかりしていれば妹紅と妖夢のスピードが上回っている。
極端な話、祠の周りを回るように逃げれば、体力の続く限り追いつかれない。
「これ斬れるか!?」
「みょん!?」
おぞましい暗緑色をまとった左手を見て、妖夢は逃亡速度を落とし、妹紅を追いつかせた。
二人して祠の周囲を回るようにして走りながら、妖夢は嫌そうな顔をする。
「臭い! 近づけないで!」
「いいから斬れって!」
妖夢は指を切り飛ばす勢いで妹紅の左手に楼観剣を振るった。
先程化物の首を後ろから斬った時は角度の問題で妹紅からは見えなかったが、粘液は火花を散らして刃を弾く。
「うわっ、もしかしてあの粘液全部に妖刀魔剣対策が!?」
「みたいだな! その剣を没収せずここに放り込まれたんだから、ある意味当然の結果かも!」
グルグルと祠を回りながら、二人は顔を見合わせた。
一応背後からの重低音、化物の足音に追いつかれまいと耳をすませながら。
「でもですね! 要するに咲夜と同じですよ、粘液さえ攻略すれば楼観剣で斬れるはず!」
「てかさ、咲夜のナイフも妖夢の刀も対策済みなら、私のもダメかな? 妖術込みだから属性的に対魔結界に反応しそうなんだけど」
「蓬莱の薬までは封じれてないんでしょう? 多分大丈夫なんじゃないかと」
「だよなぁ、ぶっつけ本番でやるしかないのか……ん?」
重たい足音が遠ざかり、妹紅は走りながら振り向いた。
化物がいない。
きびすを返して立ち止まった妹紅、背中合わせになるようにして歩を止める妖夢。
腰を落として、粘液の前では無力な二本の刀をしっかりと構える。
妹紅に残された武器はナイフだけだった。咲夜から妖夢へ、妖夢から妹紅へと渡された。
「どこだ。祠の裏側?」
「沼に隠れたのかも。まさか早苗の所に向かってるとか」
「いやー、足場の悪い妖夢より私を優先してきただろ? 祠を守ってるのかも」
「前、後ろ、沼、どこから来るつもりでしょう」
「祠の上をよじ登ってきたりしないよなぁ?」
警戒をうながしながら、妹紅は左手に付着したままだった粘液を振り払おうとした。
だが何度手を振っても取れず気持ち悪い。いっそ手首を切り落としてもらおうかとさえ思う。
その一瞬、妹紅は気を散じた。
化物が来るとしたら、前方か後方か、泥中か、祠の上か、あの巨体では奇襲を受ける前に察知できる。
歴戦ゆえの判断、そして幻想郷で殺し合いを続けていたとはいえ決闘ばかりをこなしていたための、実質実戦から遠ざかっていたために生まれたブランクゆえの判断だった。
突如、破砕音とともに瓦礫が弾幕のように飛んできた。
妖夢は予想外の展開ながらも瞬時に対応し、二刀で瓦礫弾幕を弾きながら回避運動を取った。
だが妹紅はギョッとして身をすくませてしまう。
瓦礫は、祠を内側から破壊した化物によって放たれたものだった。
祠を守っていたという可能性を考慮した結果、祠自体を守っていた訳ではないと気づけなかった。
ではなぜ祠にこだわっていたのか? 祠の中にあるなにかさえ無事なら、祠はどうなっても構わない?
それらの疑問の中、妹紅は瓦礫を頭部と横腹に受けてよろめき、揺れる視界を埋め尽くさんとする鉤爪を見た。
(ぶち抜かれる!)
頭を根元から持っていかれるか、四肢が千切れるか、胴体に巨大な風穴が開くか。
もう避けられないと悟っていた妹紅は、瓦礫を回避した妖夢に目線を送った。
察してくれた妖夢は、小さくうなずいて見せる。
(やるしかない!)
しかし決意を嘲笑うかのように化物は妹紅を鷲掴みにした。
(なんだと!?)
粘液まみれになりながら胸部を圧迫され、肺の空気をすべてしぼり出されてしまう。
(確実に殺れた、はずだ!)
妖夢の斬撃は効果が無いと理解しているのか、化物は妖夢に気を払わず、妹紅に顔を近づけてきた。
(食う!? 踊り食いする性癖!? くそっ、二重の意味でマズイッ!!)
再びあの口を目にしたら、果たして戦闘を続行できるだけの精神力を保てるだろうか。
それに、食われるなら踊り食いはよくない。
鉤爪の餌食になると理解した時、実は腹部を貫かれる事を期待していた。
妹紅本人のみならず、妖夢までもが、肝を木っ端微塵にしてくれる事を。
蓬莱の薬は、生き胆に溜まる。
生き肝を喰らえば、蓬莱の薬と同じ効果が得られる。
この化物が、永久不変の不老不死と化すのだ!
妹紅は化物に負ける際、肝だけは食わせまいと誓っていた。
いざとなればナイフで割腹し、肝を引きずり出し踏み潰してやるつもりだった。
だが鷲掴みになった今、それもできない。
(頼む……妖夢! 妖夢ゥ!!)
心の中の悲鳴が届いたかどうかは解らない。しかし妖夢は、妹紅の期待通りに動いていた。
無視されているのを幸いと化物の股下をくぐり抜け、今まさに巨腕から触手へと絡め取られようとしている妹紅を目撃した。
判断は素早く、楼観剣を垂直に立てて地を蹴り、一直線に触手の隙間を通して貫いた。
藤原妹紅の、胸の中心を。
肝を切り飛ばさず、一か八かの殺害を試みた妖夢の度胸に感嘆する妹紅。
上等だ。ここから華麗なる大逆転といこうじゃないか!
死に際の微笑みは、妖夢の闘志に熱い炎を宿らせた。
化物はなにが起こったのかよく理解しておらず、楼観剣を引き抜かれた妹紅の遺体を食そうとする。
手が離れ、妹紅の全身に触手が絡みついて、内側へと運ばれていく。
もし妹紅が生きていたら、こう思っただろう。
「死んでたおかげで、口を目にせずにすんで助かった」と。
妖夢は事を見守るため、あえて化物の正面に躍り出た。
ここが一番、妹紅の死体を見やすい角度。
ちなみに早苗のいる場所からは、祠が邪魔でなにが起きているか解らないはずだ。
成功すればの話になるが、大逆転の瞬間を目撃できないだろう早苗を少し不憫に思う。
この化物に一番恨みが深いのは、間違いなく早苗なのだから。
「妹紅」
妖夢は戦友の名を呼んだ。
ともにした時間は短い、しかし生命を懸けて挑むのだ。戦友でないはずがない!
「妹紅!」
今にも彼女は食われようとしている。
不死の霊薬、蓬莱の薬の力をたっぷりと溜め込んだ肝もろとも。
「妹紅ォーッ!!」
妖夢は叫ぶ。化物の奇襲を受ける直前に閃いたあの作戦、妹紅は必ず果たしてくれる。
疑うな、信じろ、想いよ力となって戦友に届け。妹紅の魂に響け!
「う、お、お、お、お……」
うめく。骸がうめく。全身を濡らす粘液を白い煙に変えながら。
「おおおぉぉぉぉぉぉッ!!」
吼える。骸が吼える。全身を真紅の闘気で燃焼させながら。
「リザレク……ヴォルケイノォォォッ!!」
不死鳥は炎とともに転生する!
藤原妹紅は再生の炎をまとい、さらに自らの意志で、さらにさらに紅蓮をほとばしらせる。
突然の猛火に焼かれ、触手は逃げるように妹紅から離れようとした。
だがその触手を妹紅が掴み、手形の火傷をくっきりと刻んでやる。
「大、成、功」
残忍な笑みで妹紅は叫ぶ。両目を閉じたまま精神を魂へと集中させて。
「蓬莱の薬よ! 再生の炎よ! もっと、もっと、もっと、爆発しやがれぇーッ!!」
灼熱がほとばしり、火柱となって天空へと伸びる。
沼地を隠すように覆う、不自然に中央へ向かって伸びた広葉樹の枝を焼き払うほどに高く。
「てめぇ、臭いんだよ! そぉの緑のぉネッバネバがぁぁぁォォォオオオッ!」
握っていた触手を焼き切って、妹紅は地面に舞い降りる。
炎の翼を背負って立つ彼女は、炎の天使にさえ思える美しさがあった。
「やっちまえ妖オオオ夢ウウウッ!!」
暴力的な天使は、勝利の笑みを浮かべて雄叫びを上げた。
「妖怪が――」
二本の刀を握りしめ、半霊とともに跳躍する妖夢。
「鍛えた――」
妹紅を飛び越し、再生の炎に焼かれる化物に真正面から飛びかかる。
「この楼観剣に――」
その心意気や良し! 散っていった者達の、ともに戦う者達の想いを刃に込める!
「斬れぬものなど!」
紅蓮を挟んで化物と目が合う。互いの眼光が空中で火花を散らし、妖夢は両腕を幾重にも振るった。
「あんまり無いッ!!」
瞬斬! 連斬! 剣の舞!
粘液の対魔結果に阻まれ無力だった刃がまるで豆腐でも切るかのように、鮮やかに、軽々と、鋭く、化物を切り刻む。
額を横一文字に切り裂いた。
十字を描くような縦一文字が眉間まで切り裂いた。
三日月のように弧を描く銀閃が左目を切り裂いた。
右目を守ろうと伸ばされた触手を根元近くから切り裂いた。
妖夢を絡め取ろうとする触手の数々を次々に易々と切り裂いた。
頭上で行われる圧倒的優勢を目撃した妹紅は、恐怖に顔を歪めて両腕を眼前で交差させる。
ここまできて、勝利を目前にしてなぜ、こんな重大な事を!
「見るなぁー! 妖夢、見るんじゃない!」
切り飛ばされた触手とともに、妖夢が落ちてくる。
着地に失敗して地面に転がった彼女は、刀を握ったまま身をすくませ、ガチガチと歯を打ち鳴らしていた。
見た。
見てしまった。
化物のあの、恐怖そのものに等しい、暗黒の穴を。
邪魔な触手を断ち切ったせいで。
「妖夢、妖夢!」
「あ、ああ、あれは……あれは、いけない、ダメ……」
炎を消した妹紅は、妖夢を引っ張り起こし、両の頬を強くはたいて呼びかける。
「しっかりしろ妖夢! 腹に力を込めて耐えろ!」
「うぐ、ぐ。妹紅、妹紅、妹紅」
「ああ! ここにいる、しっかり!」
あの恐怖を体験しているだけに、妹紅は理解していた。
口を見たのは一瞬、ゆえに一時的なショック状態に陥ったにすぎない。
妖夢の胆力ならばそう遠からず、ショック状態を抜け出せるはずだ。妹紅が戦意を取り戻しているように。
幸いにも化物は炎と斬撃で深いダメージを受けている。
戦線復帰の時間は、稼げるはずだ。
粘液を蒸発させた今が攻撃のチャンスではあったが、リザレクションなら何度でも使える。
刀の心得を活かして妖夢の刀を借りて戦闘続行も可能ではあったが、妖夢が正気を取り戻すまで守り切るのは難しそうだった。
「逃げるぞ、祠の中だ!」
化物が自ら壁を壊してくれたおかげで、出入り口が二つになっている。
もはや祠は袋小路ではなく、中になにがあるかを確かめ、長居無用となれば本来の出入り口から脱出できる。
無理やり立たせた妖夢を引きずるようにして妹紅は祠に入った。
空を覆う木々を焼き払ったおかげで日光が射し込み、祠内部は薄暗い程度になっている。
「陰気臭いんだよ、馬鹿野郎」
毒づきながら観察してみれば、祠の中も外側同様、奇妙な文様が刻まれている。
本来の入口からは石畳が真っ直ぐに伸び、反対側の壁際にある祭壇のようなものへと続いていた。
そこに置かれている物を見て、妹紅は舌打ちする。
調べなければ確かな事は言えないが、能力を封印している呪物とか、島から脱出するための装置には見えない。
どうする。調べてみるか?
祠に空いた穴は、本来の入口である正面側から見て、右奥側。
つまり妹紅がいる場所から、すぐ右側にそれは安置されているのだ。
重低音が大地を揺らす。出所はすぐ後ろ、そこに化物の巨大な足があるのだろう。
妹紅は妖夢を左側突き飛ばした。化物があれを守っているのだとしたら、あれの近くにやるのは危険だ。
触手を失って露出しているだろう口元を見ぬよう足元と胴体部分のみを視界に入れて、ナイフを引き抜く妹紅。
「かかってこい、遊んでやるよ、悪魔ッ」
妹紅は全身が燃えるよう意識したが、反応は無かった。
もう一度リザレクションしなければ再生の炎は使えない。リザレクションするにはわずかな時間を要する。
今この瞬間自害して間に合うだろうか?
いや、鱗の隙間から粘液を分泌させてはいるが、まだ全身を覆うには程遠い。ナイフで傷つけられる。
しかし、どこを? 頭部は狙えない、口を見てしまう。
「チッ……いいよ、解ったよ、やってやるよ!」
怒鳴りながら疾駆する妹紅。化物の両腕が迫ってきたが、火傷のせいか動きが鈍い。
くぐり抜け、化物の腹部に飛びつき、左から右へ一閃。腹に横一文字の浅い傷を刻む。
直後に左の手刀を傷口に挿し込み、内側で脈動するものを掴む。
「オォオォォォッ!」
おぞましさを振り払って、今度は縦にナイフを突き刺し、力いっぱい下に向かって引き裂いた。
「このまま! 傷口から中に入って! 一寸法師やってやらぁぁぁっ!!」
爪先も傷口に突っ込み、総力をもちいて傷口を可能な限り開こうとする。
だが、わずかに傷口が開いた途端、妹紅は慌てて手を離し飛び降りた。
「うっ……腹の中、もか……」
おぞましき気配が流出するのを察知したため、見る前に逃れる事ができた。
だが不自然な体勢で離れたため、妹紅は背中から地面に転がった。
「ガハッ!」
肺の空気を叩き出され、苦悶に一瞬だけあえいで、横に転がりながら立ち上がる。
妹紅が倒れていた場所に化物の腕が伸び、床を叩いた。
「うっ、ぐぅ……」
自分のものではないうめき声に、妹紅は視線を向けた。
短刀、白楼剣を持った左手は力なく垂れ下がり、長刀、楼観剣は杖代わりとなって妖夢の身体を支えている。
「化、物め……」
表情は凍てつくような恐怖と、燃え上がる闘志の両方を内包していた。
万全とはいかないまでも、魂魄妖夢、戦線復帰だ。
「奴の腹、切り裂いたが、そっちも口と同じ感じだ! 見るな!」
「無茶を……言う。正面を向かれたら、目を閉じて逃げるしか……」
「さっきのでコツは掴んだ! 次は致命傷確実の大爆発を叩き込む!」
「……了解!」
鼓舞するように叫んで答えた妖夢だが、それに反応したのか化物の左腕が妖夢を狙って伸びた。
咄嗟に両刀を突き出し、人を一掴みにする巨大な手のひらを貫通させる。
「しまっ……」
左手を傷つけられながらも、化物は剛力で妖夢と半霊を握りしめた。
「妖夢! くそっ」
助けようにも、下手に視線を向ければ穴の恐怖に呑み込まれてしまう。
起死回生を賭けた博打は完全に裏目に出てしまった。
ナイフを握りしめたまま、どうしていいか解らず妹紅は立ち尽くす。
「そんな、馬鹿な……」
信じられないといった声色の呟きが聞こえた。
「触手が、再生している……」
「なっ……」
反射的に妹紅は見てしまった、化物の顎部分を。
そこにはもう、穴ぼこのような口を隠すように無数の触手がのたうち回っていた。
さらには顔の傷も粘液によって保護され、体液が流れ出ないようにしている。
では腹の傷は?
暗緑の粘液が傷口を覆って、傷口をぴったりと合わせていた。
触手と違い、傷口は完全にふさいだ訳ではないだろう。
この鋭利なナイフでなく、手刀でも傷口になら突き刺さりそうだ。
どうやら顎部分の触手のみ、再生能力が尋常ではないらしい。
口を見ないですむという意味では助かるが、その生命力は脅威だった。
「キャアアアッ!」
祠の入口から絹を裂いたような悲鳴。
これ以上、なにが起こるというのだ。
見れば、そこには石槍を抱きしめて恐怖に顔を歪めている早苗の姿があった。
「ば、馬鹿! 来るんじゃない! 見るな!」
妹紅の願い虚しく、早苗はまたもや、見てしまう。
「幽々子様……申し訳、ありま……」
その言葉とともに、妖夢と半霊は触手の内側へと呑み込まれていく。
最後まで手放さなかった楼観剣、白楼剣と一緒に。
× × × × ○ ○
早苗が内陸に行こうと決意したのは、妹紅が生み出した火柱が原因だった。
能力を封印されているはずなのに、なぜ火柱が上がったのか、早苗には解らなかった。
もしかしたらあの化物が魔法かなにかを使ったのかもしれない。
今まさに焼かれているのは妹紅か妖夢かもしれない。
二人が岸まで撤退してくる気配は未だ表れず、早苗は玉砕覚悟で内陸に向かうと決めた。
妹紅や妖夢のように岩から岩へとジャンプする芸当はできず、以前のように両足に皮を巻いて保護し、沼の中を突っ切った。
内陸に上がってすぐヒルの張りついた皮を脱ぎ捨て動きやすさを取り戻すと、声がする祠の中へと石槍を抱えて飛び込んだのだ。
目撃したのは、傷だらけの化物が妖夢を捕らえ、喰らおうとする姿。
脳裏に魔理沙と咲夜の最期が蘇り、早苗は絶叫した。
妹紅が何事かを叫んでいたが、意味は解せず、妖夢が喰われる様を一部始終見続けてしまう。
逃げ出したい衝動を、恐怖が足を震わせて阻害する。
「早苗ーッ!」
そんな彼女に走り寄った妹紅は乱暴に石槍を奪い取ると、妖夢を食べ終えた化物に向き直った。
丸呑みにされたのなら、消化される前に奴を倒し腹を裂けば、助けられるかもしれない。
だが、あの尋常ではない闇色の口に呑み込まれて、果たして生命や正気を保っていられるだろうか。
考えている暇は無い。化物の鱗は、再び暗緑の粘液に覆われつつある。
一刻も早く絶命させねばならない。
石槍を腰の位置に構え、妹紅は化物に向かって全力疾走した。
この勢いに任せて、奴の心臓を貫く算段だ。
まだ火傷の影響が残っているのか、化物の動きは鈍い。
両手を伸ばして迎え撃とうとするも、妹紅は易々と跳躍して回避した。
そして、見る。
化物の潰された左目と、獲物を睨む右目を。
腕の内側に着地した妹紅は、好機とばかりに石槍を突き出そうとした。
化物の胸元が、わずかにふくらんでいる。
呑み込まれた妖夢は今、あそこにいるのか?
心臓を貫こうとすれば、妖夢もろとも――。
「畜ッ生ォ!」
再び跳躍、回避ではなく攻撃のための、咲夜が残した傷跡を狙っての一撃を放つための、最後の跳躍!
うねる触手が妹紅に向かって伸び、右の足首に巻きついて引き寄せようとした。
その引き寄せによってわずかに加速した妹紅は、獣のように叫んで石槍をぶち込んだ。
化物の眉間に、深々と。
確かな手応えを感じながらも、絶命には至らぬだろうと察する妹紅。
左の太ももにも触手が巻きつき、口の中へ引き込もうとする。
構わず妹紅は石槍を捻り、眉間の奥をえぐり回した。
「死ね! 今すぐ死ね! 死ねぇぇぇッ!!」
さらに強く押し込んで、槍の半分ほどが傷口に埋まった。
それでもなお、妹紅を喰らおうと触手は伸び、腹部に巻きつき圧迫してくる。
「ぐっ、うぅぅぅぉぉぉおおお! 頼む、咲夜ァァァッ!!」
妹紅の左手がひるがえり、白銀に輝くナイフを全力で振り下ろす。
狙いは、妖夢が潰し損ねた右目。
顔を守るための触手は妹紅を捕らえるために動いており、今度は邪魔が入らなかった。
眼球を真っ二つに割る、痛烈な一撃。しかもさらに、ナイフで目の下を切り裂いてやる。
「両目は……頂いたッ。後は頼む! 早苗ッ!!」
おぞましいものが足に、いや、下腹まで這い上がってきている。
口だ。あの深く暗い、狂気をかき立てる穴に、すでに下半身が呑み込まれつつあるのだ。
故に妹紅はナイフを突き立てた。自らの、胸に。
絶命した妹紅は力を失い、重力に引かれて背中を弓のようにそらせる。
早苗は、訳が解らなかった。
果敢に立ち向かった妹紅が、化物に石槍を突き立て、さらにナイフで応戦した。
触手に捕らわれながら、あきらめず戦っていた。
だのになぜだ。
なぜ、妹紅の胸にナイフが突き刺さっているのだ。
なぜ、妹紅の瞳から生命の色が消えているのだ……。
なにもできないまま、なにも知らないまま、なにも理解できないまま、終わってしまった。
妖夢も、妹紅も、天から授かった唯一無二の命を散らしてしまった。
喉がカラカラに渇き、目頭は火花を散らしそうなほど熱い。
心臓から込み上げるものが、瞳の奥に集まっていく。
抑えていたものが決壊し、あふれ出そうとした瞬間、早苗は見た。
絶命したはずの妹紅の、すでに胸部まで喰われつつある妹紅の、逆さまの顔が強気に笑うのを。
「リザ……レク……」
力無く、だが嬉々として、妹紅の唇は動く。
その全身が赤いオーラを発し、白い髪がゆらゆらと揺れた。
まるで炎の揺らめきのように。
「ヴォオオオルケイノォオオオオオオッ!!」
視界が真っ赤に染まり、轟音が鼓膜を震わせる。
灼熱の暴風が早苗を吹き飛ばし、泥沼へと叩き込まれた。
祠は四散し、瓦礫が内陸や泥沼へと落下してく中に混じって、暗緑色の腕や足、そして見るもおぞましい臓器が散り散りになって焼かれていた。
さらに祠の周囲に円を描いて立っていた石柱が、次々にへし折れて泥沼へ倒れる。
沈む石柱もあれば、砕け散る石柱もあり、泥の上に橋のように倒れる石柱もあった。
沼の浅い部分に突っ込んだ早苗は、尻餅をついたような姿勢で上半身を起こし、呆然と内陸を見る。
あの大爆発はなんだったのか、それは解らない。
ただ、妹紅が生命を犠牲に起こしたものだろうという予感があった。
妹紅は自爆し、そして見事あの化物を倒した。
払った犠牲は大きく、しかし生き残った早苗の勝利でもある。
だがそんな勝利を、早苗は信じたくなかった。
妖夢だけでなく、妹紅まで死んでしまったなんて。
この島で生きている人間が自分一人だなんて、そんなのは絶対に嫌だ。
精神を虚ろにさせたまま、早苗は立ち上がる。
腕にはヒルが食いついて生き血をすすっていた。
構わず、早苗は歩く。
全身泥まみれ、しかもヒルつきなのも気にせず、内陸に上がった早苗はゆっくりと歩いていた。
弱々しい風が吹き、酷い悪臭が襲ってくる。あの化物のものだろうか。
匂いの方に視線をやれば、崩れた祠の壁の前に転がっている、人型の、黒。
「さ、な、え……」
病にかかった老婆のようなかすれ声に呼ばれ、早苗は駆け寄り、黒い人型の前で膝をついた。
「……妹紅、さん?」
頭部らしき部分に、白いものがひとつ、現れる。
それは、妹紅の左目だった。
「……馬鹿。ヒルに、食われ、てるぞ」
黒コゲの腕がゆっくりと上がり、早苗の肩に食いついていたヒルを摘まんでから、地面に崩れ落ちた。
× × × × △ ○
「あ、あああ……妹紅、さん。妹紅さん……!」
「へへっ……ざまあ、みろ。バラバラに……なり、やがった……」
「ええ、ええ! あいつは、バラバラになって、死にました。みんなの仇を討ったんです! だから、だから、だから……だからッ……!」
死なないで。
そう言いたいのに、舌が動かない。
全身黒コゲになって、人間が助かるはずがないのだ。
奇跡を起こせぬ現人神に救えるはずがないのだ。
「さな……箱、は?」
「え……?」
「ほこら、なか、はこが……」
妹紅の視線が動き、それを追ってみれば、あの爆発を受けて祭壇から転がり落ちた箱状の物があった。
あれが、この祠に隠されていたものの正体なのか。
「箱は、あります。壊れてないみたいです」
「そう、か……」
静かに、妹紅は目を閉ざした。
ただでさえ浅い呼吸音が、少しずつ小さくなっていく。
「妹紅さん、妹紅さん、イヤ……し、死んじゃ、イヤ……!」
「馬鹿、言うんじゃ……ない。この……藤原、妹紅……」
声から生気が抜けていくのを感じる。
別れの時が迫っているのだと理解してしまう。
「死ぬ、訳が……」
妹紅の頬に、雫が落ちる。
早苗は泣いていた。
悲しみに閉ざしたまぶたから、あふれ出る悲しみが頬を伝っていた。
「ね……え……」
それっきり、妹紅は動く事も、喋る事も、なくなってしまった。
真珠のように白く美しかった肌は、悪臭を漂わせる醜悪な黒になってしまっている。
春に咲いた白桜のような唇も焦げており、わずかに開いた形で固まっていた。
醜い。
あまりにも醜悪で無残な、妹紅の遺体。
故に、早苗はキスをした。
それは友情でなければ、同性愛的な思慕の類でもない。
醜さを否定し、美しさを肯定するためだけの、純粋な行為だった。
(妹紅さん……貴女は、決して醜くなんかない。 どんなに傷ついても、どんなに姿を変えてしまっても、貴女は私の心の中で、永遠に美しいまま……)
かつて味わった、あのやわらかさは無い。
かつて味わった、あのぬくもりは爆発の残滓である余熱で火傷してしまいそうだった。
唇を離し、ススのついた唇を拭わず、頬を濡らしたままの早苗が呟く。
「さようなら、妹紅さん」
あったのは、友情という絆。
二人は今、親友となったのだ。
心と唇を重ねる事によって。
× × × × × ○
ズルズルと引きずるような音がし、早苗は振り向いた。
転げ落ちた箱から、ほんの数メートルの所で、蠢くものがある。
一本の触手を生やし、暗緑色の鱗に覆われ、本来の四分の一ほどの大きさしか保っていない化物の頭部だった。
糸が切れる音を、早苗は聞いた。
装束の袖に隠し持っていた、妹紅お手製の石斧を取り出して、幽鬼のように立ち上がる。
一歩、一歩、踏みしめるたび、近づくたび、下腹が重くなり、胸部を渦巻くものが勢いを増す。
哀れにも見える、死に瀕した化物の頭部の前で歩を止めた早苗は、その場にしゃがみ、振り上げる。
「うわあああぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」
下腹に溜まっていた重みが、胸元で渦巻いていたものが、喉を激しく震わせ、唇を割って飛び出した。
がむしゃらに振り下ろした。石斧を叩きつける、何度も何度も。
絶叫し、ほんのわずかな息継ぎを挟んで、振り下ろし、喉を潰さんばかりの絶叫を繰り返して。
「ああっ! うああっ! うああああっ!」
振り上げる。振り下ろす。叩きつける。潰す。散らす。振り上げる。
「どうして! どうして!? みんな、みんな死んでしまったのに、どうしてお前だけがッ!!」
すでに動かなくなったそれを、何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も。
疲れ果てた右腕が石斧を手放してしまうまで、繰り返した。
気がつけば、原型を留めぬ肉塊が散らばっていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
荒い呼吸が、少しずつ整っていく。
怒りも憎しみも、悲しみも吐き出し尽くし、空虚なものだけが残っていた。
よろりと立ち上がり、早苗は箱に向かった。それほど大きいものではない。
バースデイケーキ、あるいはクリスマスケーキを入れられる程度の大きさだ。
祭壇から落ちただろう箱は、偶然にも上下正しく転がっていた。
重たい石で造られており、表面には意味不明の文様が刻まれていたが、祠と違い暗緑の粘液に覆われてはいなかった。
ふいに、早苗はテレビゲームを思い出した。
この箱の形状は、そう、ロールプレイングゲームに出てくる宝箱そのものだ。
中に、なにが。
箱を開けた。
早苗は、引きつった笑みを浮かべる。
「は、はは……あは、あはは……あははははははっ!」
なぜ自分が笑っているのか解らない。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、あまりにも虚しくて、笑うしかなかったのかもしれない。
――俗なお宝って線もあるな。金銀財宝!
祠になにがあるか推測していた時、妹紅が冗談半分に言った言葉。
――この状況じゃ逆に期待ハズレの無駄骨だ。
まさしくその通りだった。心底同意した。
目も眩むような金貨が、ルビーやエメラルドをあしらった装飾品が、ダイヤモンドを埋め込んだ王冠が。
金銀財宝が、箱の中を満たしていた。
「ははは、はは、は……」
笑い終えた早苗は、歯を剥いてギリギリと噛みしめて箱を掴んだ。
「こんな……」
疲れ果てた右腕に、力が蘇る。
「こんな……!」
身を焦がすほどの怒りが、早苗に最後の力を発揮させる。
「こんな物のために、私達はッ!」
こんな物のために命を懸けたのか!
こんな物のために戦ったのか!
こんな物のために命を散らしたのか!
こんな物のために!
散らばった金貨を踏みつけ、早苗は両腕を真っ直ぐ上に伸ばし、手のひらを広げ、火柱が空けた穴から覗く青空を睨みつけた。
「出て来い! 私達をここに連れてきた奴! すべての元凶ッ! 黒幕ッ!!
これで満足? こんなガラクタをプレゼントして、満足ですか!?
足りない、こんな物では全然足りません!
だから……奪いに行きます。
我は人にして人にあらず。人にして神、現人神なり!
今ここに誓おう! 何年、何十年、何百年、何千年かかろうとも、ここに塔を築く!
バベルの如き塔を築いてみせる! それが不快ならば、神話のように雷で打つがいい!
それでも私はあきらめない! 必ず、必ず"そこ"にたどり着いてみせる!
たどり着いて……そして……! 必ず……必ずッ!!」
怒りと憎しみを握りしめ、早苗はその場に崩れ落ちた。
すでに心身は疲労の限界に達しており、立つ事もかなわぬ状態。
膝が折れ、腰が折れ、上半身は斜め後ろへと倒れていく。
石畳に頭を打ちつけて死んでしまうかもしれない。
だが、早苗にはもう身をよじる程度の力さえ残っていなかった。
「早苗」
後ろから、両肩を掴まれる。支えられる。
いつか、どこかで聞いた、懐かしい声に呼ばれた気がした。
「こんな……こんな酷い事になっていたなんて」
声の主は、早苗の身体に貼りついているヒルを一匹一匹丁寧に剥がしていった。
早苗の頬についた泥も拭い、正面から再び呼びかける。
「早苗、迎えに来たよ」
「え……?」
虚ろな眼差しが、少しずつ視力を取り戻し、ぼやけていた輪郭が鮮明になっていく。
帽子をかぶった少女が、子供を慰める母のような面差しを向けてくれていた。
「諏訪子……様?」
名前を呼ぶと、少女は優しく微笑み、うなずいた。
「さあ、帰ろう。こんな馬鹿げたお遊びは、もうおしまいだから……」
こんなにも近くにいるのに、声が遠のいてくように聞こえた。
諏訪子は割れ物を扱うように早苗を抱きしめ、空に向かって飛んでいった。
× × × × × ◎
空高く舞い上がり、白雲の中へ飛び込んだかと思うと、ふいに足が床に触れた。
雲は薄くなって散り散りとなり、消え去ってしまう。
気づけば、早苗は諏訪子と手を繋いで、広い部屋の中に立っていた。
和室、だ。
いったい何畳あるのだろう、新品同然の青い畳が床いっぱいに広がっている。
部屋の中央には長方形のちゃぶ台があり、その周囲には座布団がたくさん敷かれていた。
その中の一枚に、八坂神奈子が座っていた。
「お帰り、早苗」
引きつった笑みで、神奈子は申し訳なさそうに言う。
「神奈子様……私は、いったい……?」
「早苗、あれを見て」
隣から声。諏訪子がちゃぶ台の中心に置かれているものを指差している。
なんだろう。虚ろな視線が、それを捉える。
直径三メートルはある、南の島のジオラマ。
最初に抱いた印象がそれだった。
だがただのジオラマでない事は一目瞭然である。
ドーム状の透明なケースに覆われたジオラマの中で、作り物であるはずの海がわずかに波打っている。
砂浜に視線を向ければ、さざ波が飛沫を上げながら行ったり来たりを繰り返していた。
ケースの上には白い靄が漂っていた。まるで雲のように。
木々も風でざわついており、島の中央部分の森には、小さな穴があった。
他にも、浜辺を観察してみれば、岩壁から滝が流れ落ちていたし、海へ流れる川を見つけて上流へと視線を持っていけば、見覚えのある湖がきらめいている。
「……なんですか、これ」
疲れ切った脳は、目の前にある物がなにであるかを考えてくれなかった。
答えを求めて問うと、神奈子は気まずそうにそっぽを向いてしまう。
隣からため息が聞こえ、手が離された。
「とりあえず座ろう、早苗」
諏訪子にうながされ、座布団の上に正座する。その隣に諏訪子も腰を下ろした。
「あのね、怒らないで聞いて……いや、怒ってもいいけど、ちゃんと聞いてね」
その声には、わずかに怒りが含まれているように感じた。
「怒らないでよ……」という神奈子の呟きは、聞こえなかった事にした。
そうするのが正しいという予感がしていた。
「あのね、これは……その……酷い話なの。本当に酷すぎて、なんて言ったらいいか……。
まあ、その、端的に言えば……暇を持て余した、賢者やら神やらの遊び?
ええと、言い出しっぺが誰かまでは知らないけれど、人間が無人島でサバイバルしたら、どうなるかっていう、そんな感じ。
でね、えー、みんな乗り気になっちゃって、本人に無断で、無人島に送り込んじゃったの。
能力が使えたら楽勝だから、封印して、さらにボスキャラとかいうのを配置して、誰が一番最初に島の秘密を解き明かして財宝を手にするかを賭けてた……の。
メンバーは八雲紫、西行寺幽々子、レミリア・スカーレット、蓬莱山輝夜、アリス・マーガトロイド。
それから……その、そこにいる馬鹿、いや阿呆、じゃなくて、神奈子。
八雲紫は博麗の巫女を拉致してきて、西行寺幽々子は庭師を連れてきて、レミリア・スカーレットは従者のメイドを連れてきて、蓬莱山輝夜は喧嘩相手を拉致してきて、アリス・マーガトロイドは日頃の恨みうんぬんとかいう理由で、パチュリー・ノーレッジっていう魔法使いと結託して、魔理沙を拉致してきたの。
しかも全員、事情を一切説明しないまま、眠ってる所や、気絶してる所を無理やり……。
その方がフェアだとかどうとか……。 それで、ええと、みんなで賭けをしてたらしいの。
さっきも言ったよね、誰が最初に財宝を手にするか。
自分が連れてきた人間に賭ける者もいれば、それ以外の者に賭ける者もいて、神奈……えー……そこの屑、じゃなくてゴミ、じゃなくて神奈子は、大穴の早苗に賭けたそうよ。
みんなタフだから無人島くらい危険でもなんでもないだろうとか抜かして獣や蛇を放ったり、ボスキャラも"相手を鷲掴みにして食べる"以外の攻撃はしないよう設定したから安全とかで、あ、ボスキャラのお腹には八雲紫が作ったスキマがあって、この広間に繋がっていたの。
食べられちゃった子は失格で、種明かしをして驚かせるっていう糞みたいな寸法よ。
で、霊夢以外は食べられちゃったのかな? 種明かしされて、みんな帰っちゃったわ。
霊夢はその……能力の封印ができなかったとかで、自主退場してきて、種明かしにぶちキレて大暴れしてくれたみたいだよ。ゲーム的には失格扱いになったのかな?
まあともかく、ボスキャラに食べられたみんなは無事だから安心して。
それから、えーと……他には、ああ、そうそう、私ね、早苗を探してたの。
人里にお遣いに行ってしばらく帰ってこないって神奈子が言ってたんだけど、全然帰ってこないし、神奈子に問いただしても要領を得ないし、心配になって人里にも行って、でも早苗を見たっていう人が一人もいなくて、これはおかしいって調べ始めたわ。
で、神奈子も不自然に外出が多かったから、後をつけてきたら、ここ……八雲紫の屋敷に着いたの。
それで、そこの塵……ううん、芥、じゃなくて、神奈子と西行寺幽々子が、この人工南国楽園? とかいうのを覗いてて、事情を聞こうとしたら庭師の子が脱落してここに来て、せっかくだから二人一緒に説明を受けて……庭師の子はご主人様と一緒に帰って行ったわ。
私も人工南国"地獄"を覗いてみたら、なんだか早苗が大変な事になってるじゃない?
とりあえずそこの耳糞、じゃなくて鼻糞にワンパンかましてから、早苗を迎えに行ったの。
早苗が優勝したから、本当はそこの糞が迎えに行く予定だったらしいんだけど、想像以上に早苗が大変な事になってるから、怒られるんじゃないかってビクついてやがったわ。
で、今もこうして種明かしを私にさせてるって訳で、早苗、道具が必要なら用意するよ?
刀でも、槍でも、斧でも……ああそうそう、石斧、使うかなと思って拾ってきたよ。使う?」
「使います」
すでに余力皆無であるはずの右腕が、不思議な力に導かれて斧を握りしめた。
蒼白になった神奈子は後ずさりながら弁解する。
「ま、待って早苗。確かに説明もなしにあんな所に放り込むのは、やりすぎだった。
でもね、現人神の能力に頼らず、人間としてあの島で生き抜く事は、早苗のためになると思ったの。
幽々子もね、妖夢ちゃんの修行のためって言ってたし、それと同じよ。
早苗に修行を積んでもらいたかったの。人間的に一回り成長して欲しかったの。
悪意皆無、善意のみで! ほら、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすって言うじゃない。
それに、アリスちゃんのお人形がこっそり見回りもしてたし、本当に危険な事はさせてないはず!
そりゃ、ボスキャラは強烈だったし、精神トラップも組み込んであったし、見かけ気持ち悪いし、実は無事とはいえ人間を食べちゃうなんて傍目には危なすぎるたけど、ほら、ちょっと暴れたりしたけど"捕まえて食べる"っていう基本行動は守ってたでしょ?」
「そうですね」
肯定の言葉に、神奈子はパッと微笑んだ。
諏訪子から凄まじい蔑みの視線を送られているにも関わらず。
「でも、それでも、食べられなかった人は、どうなったんでしょうね……」
「え、えっ?」
「私を助けるために、自爆して、死んでしまった人は……どうなるんですか?」
早苗の隣で、諏訪子が息を呑んだ。
死者が出ていたなんて聞いていない。
人工南国楽園に入った時、生き残りは早苗だけだと神奈子から聞いていたし、真っ先に早苗を見つけてかかりっきりだったため、他には気が回らなかったのだ。
責任の重さを理解していないのか、神奈子は苦笑いで弁解を続けようとする。
「あ、あの、早苗? その人間はね、あのね」
「神奈子様……あなたは、ド畜生ですッ!!」
弁解は、頭部に真っ直ぐ振り下ろされた石斧の一撃によってさえぎられた。
脳震盪を起こして倒れた神奈子の頭を、早苗はサッカーボールのように蹴り飛ばす。
「神奈子様には失望しました。しばらく神社には帰りません、探さないでください」
そう言って、早苗は形見の石斧を持ったまま部屋の外へ出た。
外は庭園になっており、青々と茂った桜の木から、八雲紫が簀巻きになって逆さ釣りにされていた。
しかも全身に札が貼られており、妖力を封印されているようだ。
すぐ側には看板が立っており、こう書かれていた。
『このババァを助けようとしたアホは同じ目に遭わす 博麗霊夢』
そしてさらに、看板の下には短めの物干し竿が置かれていた。
物干し竿にも文字が書かれていた。
『ご自由にお使いください』
ご自由に使った。
こうして、早苗の無人島ゲームは終わった。
その胸に大きな空洞を作ったまま……。
「ねえ神奈子。私はね、常に早苗と神奈子、二人の味方でいたいと思う。例え悪い事をしたって、私は味方でいるよ。それが家族だもの」
頭からダラダラと赤い液体を流して畳を汚している神奈子の前にしゃがみ込んで、諏訪子は淡々と言葉を続ける。
「でもね、二人が喧嘩した時、どっちの味方をしたらいいのかな? 喧嘩両成敗って言うけどさ、片方は完全に被害者で、片方が完全に加害者の場合、どうすべきかな。まあ、今さら神奈子を見捨てたり、絶縁とか大人気ない真似はしないよ。でもね、さすがに今回はやりすぎだよ? 私達神々にとって、人間の命なんて花火のように短いもの。けれど、だからこそ尊いもの。短いからこそ一生懸命生きているの。私の言いたい事、解るよね? ちゃんと反省してくれるよね? 早苗にも謝って、仲直りしてくれるよね? 遺族の方に土下座してひたすら謝り続けてくれるよね? ねえ、聞いてる神奈子。聞いてるなら返事をしてよ。そう、返事すらしてくれないんだ。反省の色、皆無だね。それなら私も、それなりの対応を取らせてもらうからね。祟り神らしくやっちゃうからね。覚悟しててね」
それらの言葉を、神奈子はちゃんと聞いていた。
聞いてはいたが、頭部のダメージがかなり重く、口を利ける状態では無かったのだ。
(ち、違う……あ、あの人間は……蓬莱……の……)
神奈子が心の中で届かぬ言い訳をしている最中、諏訪子がネチネチと責め続ける最中、二人が気づかぬうちに人工南国楽園から人間の魂がひとつ、抜け出していった。
× × × × × ◎
すべてのスペルカードを打ち破られた永琳は、疲労困憊して廊下にうずくまった。
永遠亭に住むイナバ達、鈴仙とてゐのコンビも、たった一人の少女に完膚なきまでに叩き潰されている。
「お聞きします。蓬莱山輝夜さんは、どちらにいらっしゃいますか?」
「……姫様に、なんの御用かしら」
霊夢にも似た腋巫女装束の少女は宙に浮かびながら、這いつくばっている永琳を蔑むように見下ろしていた。
オーラとして漂うほどの怒りと悲しみは恐ろしく不吉で、いざとなればスペルカードルールを無視してでもこの少女を止めねばと永琳は決意した。
「ちょっと、私と弾幕ごっこをしてもらいたいだけです」
冷淡に少女は言う。
「これでも、幻想郷の調和と安定を望む立場にありますから、ご安心ください、ルールは守ります。ルールの範囲内で、可能な限り、力のすべてを叩き込んでひざまずかせる……それだけです」
「それなら、その物騒な物を捨ててくれないかしら?」
少女は右手に石斧を持っていた。
明らかに凶器として使用した痕跡が残っている。あの黒い汚れは間違いなく、血だ。
永遠亭に殴り込みをかけてきてここまでの道中、一切使われてはいないのが不気味だった。
永琳もスペルカードの弾幕に使用するために弓を持っているし、同じ理由で武器を持つ者はいくらでもいる。
だが、あの石斧は違う。
「この斧は見届け人です」
「……どういう事?」
「私が蓬莱山輝夜さんを打ち負かす所を、この斧に見てもらう……それが私のケジメです」
意味が解らない。
あの斧はいったいなんなのか、月の頭脳といえど考察材料が少なすぎて解らない。
そもそもこの少女は何者なのか。
霊夢以外に巫女装束を着る者といえば、妖怪の山にあるという守矢神社の風祝だか巫女だか現人神だかくらいだ。
恐らく彼女がそうなのだろうと思いつつも、確証は持てないでいた。
永遠亭と守矢神社に交流は無い。恨みを買うような真似もしていない。
だから、巫女のコスプレをした頭のおかしい子という可能性も捨て切れないでいた。
「もういいわ永琳」
廊下の奥で襖が開き、中から漆黒の艶やかな髪の美女が現れた。
明らかに他の住人とは異なるきらびやかな衣装、名乗らずとも彼女が蓬莱山輝夜だと十二分に察せられる。
「弾幕勝負がお望みのようだけど、スペルカードルールって確か、断ろうと思えば断れたわよね?」
「自分の屋敷をここまで荒らされておいて、逃げる気ですか?」
「うーん、そんなつもりは無いんだけど……どうしてあなたが私を狙うのか、解らなくて」
「私を知って……ああ、そうでしたね。見ていたのだから、知っていて当然ですね」
二人の会話を聞き、永琳は悟った。
(要するに、輝夜が私達に内緒でとんでもない馬鹿をやらかした……って訳ね)
必死になって輝夜を守ろうと、全力で弾幕勝負に挑んだ自分が急に馬鹿らしくなってきた。
後はもう勝手にやってくださいとばかりに、永琳はその場から立ち去った。
「見ていたのなら、なぜ勝負を挑まれているか解るはずですが」
「途中までは見てたんだけど、最後までは見てないから、ちょっと解らないわ。
ほら、あなた達が三人でボスキャラの近くまで行って、キャンプした所までは見たのよ。
次の日にボスキャラと戦うんだろうなって楽しみにしてたんだけど、その日に限って永遠亭にトラブルがあって、永琳も逃がしてくれなかったし……。
えっと、確か早苗って名前だったわよね。あなたがクリアしたんでしょ?
ゲームマスター同士で出し合った優勝賞品、宝の山も手に入れたのに、どうして怒ってるのかしら」
早苗の眉間にしわが寄り、眼差しが鋭さを増して、全身から怒気が発せられた。
地雷を踏んでしまったようだけど、どれが地雷なのかさっぱり解らない。
ゲームの結果はアリスの人形が届けてくれたから知っているけど、心当たり皆無だ。
「まさかここまで……神奈子様よりも無責任な方だとは思いませんでした」
石斧を持つ手を震わせる早苗。
輝夜は気づいた。あれは確か、妹紅が作った物だ。
という事は、つまり。
「妹紅絡みでここにきたの?」
「ええ」
推測が当たった。
が、それでもなぜ恨まれているのか……輝夜はしばし考え、結論を出した。
「そうね、あなたは参加者の中で一番苦労したものね。ゲームマスターを恨んでも当然だわ。
でも、あなたを参加させたのは、あなたの神様でしょう? 私が参加させたのは妹紅よ」
「そうです、あなたのせいで妹紅さんは……」
「え、妹紅になにかあった?」
殺気を孕んだ眼光が輝夜を射抜いた。
現人神が放つプレッシャーが永遠亭全体を満たしていく。
怒りと悲しみ、そして憎しみの思念が神通力となって渦巻いている。
「……なにかあったみたいね」
うんざりした調子で輝夜が言い、それがゴングとなった。
「スペルカードルールに感謝してください。ルールの範囲内で、私のすべてをあなたにぶつける!」
壮絶な弾幕勝負が展開された。
事情はよく解らぬも、永遠亭をコケにされたも同然の輝夜は全力で迎え撃とうとした。
だが、鬼気迫る早苗の猛攻により、スペルカードは打ち破られていく。
神宝「ブリリアントドラゴンバレッタ」
神宝「ブディストダイアモンド」
同じ腋巫女装束といえど、霊夢のように鮮やかな手並みという訳ではない。
強引に力でねじ伏せる、美しさに欠ける戦い振りだった。
だが輝夜は勝利を確信していた。
早苗はここまで、無理な弾幕合戦を強引にこなしてきたらしい。
その疲労が今、表れている。
そろそろ仕留められる。多分、次の一枚で。
「神宝」
輝夜が微笑むと同時に、紅蓮の炎が舞い上がった。
「サラマンダーシールド!!」
すでに息を切らせていた早苗は、炎の熱気を浴びただけで動きを鈍らせた。
駄目だ、避け切れない……。
炎の弾幕が、早苗に迫る。
○ ○ ○ ○ ○ ◎
「本当だって! 妹紅って娘は蓬莱の薬を飲んでるから、絶対に死なないし、死ねない。
肉体の損傷が酷かったから、多分、新しい肉体を再生してるはずだよ。もう家に帰ってるかも!」
ようやく諏訪子を捕まえた神奈子は、無言の弾幕という返事にたじたじになりながらも、昨日告げられなかった真相を必死になって伝えた。
「……それ、本当?」
EXレベルの弾幕を止め、疑わしそうに諏訪子は問う。
伝説に聞いた事はあるが、蓬莱の薬も、それを飲んだ者も、長い神様人生の中で一度も見た事が無かった。
「本当だって。そうでなきゃ、あのゲームマスターの布陣でも封印できないなんて事、起こりえないでしょ?」
「うーん……確かに」
蓬莱の薬の効果は、妖怪の賢者や八百万の神々でさえも干渉できない、永久不変のものだ。
「でもだったら、どうして早苗は妹紅って娘が死んだと思ってるのさ」
「それは、妹紅が悪いのよ。私は死なないとか蘇るとか言ってたけど、思い返せば説明になってなかったわ。私達は知ってたから気づけなかったけど、早苗は死なないとか蘇るっていうのを意気込みかなにかと勘違いしてた……みたい」
頭を抱える諏訪子。
そういう事なら、もっと早く説明すればいいものを。
妖夢に種明かしをしている時でも、諏訪子が早苗に説明している時でも、言えたはずだ。
それを諏訪子から又聞きの説明を受けて、堪忍袋の緒が切れてから説明しようとするのは、遅いでしょう。
「じゃあ、その妹紅って娘は、今どこにいるの?」
「知らないよ。魂だけでどっか行っちゃったし……。
あ、迷いの竹林に住んでるらしいから、無意識に家に帰って、そこで肉体を再生させてるかも」
「……迷いの竹林か。まったく、どうしてこのタイミングで」
毒づいて、諏訪子は守矢神社の上空から、妖怪の山を下るため物凄い勢いで飛行を始めた。
「ちょ、諏訪子!? どこ行くの!」
「早苗を止めてくる!」
「止めるってなに!?」
それ以上諏訪子は答えず、大急ぎで迷いの竹林に向かった。
あの馬鹿げたゲームに諏訪子は関わっていなかったため、早苗の信頼は確固としたままであり、妹紅の無念を晴らすため永遠亭に行くという話も聞いていたし、怒りや憎しみに身を任せて暴挙を起こさず、ちゃんとスペルカードルールで戦うよう厳命もした。
とはいえ、やはり早苗の怒りは相当のものだろう。
スペルカードルールの範囲内で、かなりの無茶をしているに違いない。
妹紅の死を思えばこそ、それでも仕方ないと早苗を送り出した諏訪子だが、実は生きてましたなんてオチを聞いてしまったら、そうはいかない。
「まだ回復し切ってないのに、行っちゃうんだもんなぁ」
猛スピードで飛ばしたため、迷いの竹林には案外早く到着した。
問題は永遠亭の場所だが、神通力が強烈な怒気をともなって渦巻いていたため、その中心部に早苗がいるのだろうと解り、迷わず一直線に向かう事ができた。
そして、弾幕勝負で打ちのめされた兎達で埋め尽くされた永遠亭に到着し、諏訪子は見た。赤々と燃える弾幕を。
「サラマンダーシールド!!」
それがスペルカードの名前なのか、宣言と同時に炎の弾が次々に放たれた。
早苗は、いた、しかし動きが鈍い。あれでは避けられず、弾幕の直撃を受けてしまう。
「早苗!」
諏訪子が叫ぶとほぼ同時に、早苗は紅蓮の炎に包まれた。
(倒れるなら、前のめりです)
迫り来る紅蓮を見据えながら、早苗は覚悟を決めた。
もう、避けられない。自分は負ける。
だったら最後まで意地を見せてやろう。
親友、妹紅に恥じないように。
「早苗!」
ふいに、諏訪子に名前を呼ばれた気がした。
幻聴だろうか。まだ疲れが抜け切ってないのに、無茶をした代償か。
そんな風に思いながら、早苗は"頭上"から降ってきた炎に抱きつかれ、永遠亭の庭に向かって落ちていった。
だが、早苗の身体は地面に激突せずに止まった。
宙に浮いている訳ではない、何者の両腕に抱き支えられていた。
「諏訪子様……?」
幻聴ではなかったかと思いながら、早苗は不審に思った。
諏訪子の体格は、子供同然である。
しかし今、自分はいわゆるお姫様抱っこをされている。
諏訪子の身長、手の長さでは、ちょっと無理がある。
「バ輝夜! こんなヨロヨロの相手に本気出すなよ、大人気ない!」
聞き覚えのある、しかし聞こえるはずのない声が、怒りをあらわに放たれた。
「仕掛けてきたのはその娘だし、尋常じゃない怒り方をしてて、こっちも困ってたのよ。なんだか知らないけど、原因はあなたみたいよ? なんとかして頂戴」
「やっとこさ肉体を再生したばかりなんだぞ、誰かさんのせいで。そんな私にこれ以上なにをしろっていうんだ。ていうか、お前ぶっ飛ばすわ。あんな趣味の悪い島に放り込みやがって。妖夢から全部聞いたぞ!」
まさか。まさか。まさか!
早苗は、もし自分の想像と違っていたら、絶望で胸が張り裂けてしまうだろうと思った。
けれど確認せずにはいられない。
今、自分を抱き支えてくれている人は、誰なのか。
早苗は、見た。
妹紅が、居た。
そこで早苗の記憶は途切れている。
後で諏訪子から聞いた話では、突然妹紅にしがみついて大声で泣きまくったらしい。
おかげで妹紅も輝夜もやる気をそがれて勝負はお預け。
妹紅と諏訪子に慰められながら、早苗は妹紅の家に連れ帰られ、二人から説明を受けた。
蓬莱の薬の事、不老不死の事。
「おかしいなぁ。私は死なないし、死んでも生き返るって教えといたはずなんだけどなぁ」
早苗は妹紅が死んだと思い込んでいたと聞いて、妹紅は極自然に首を傾げた。
それから妹紅、諏訪子と色々話し合い、三人で紅魔館に向かった。
「妖夢が知らせに来てくれたんだ。あの島がなんだったのかっていうのと、紅魔館の事」
悪趣味極まりないゲームが終わった事で、咲夜が慰労会を開こうと提案したのだ。
紅魔館にはもう霊夢、魔理沙、妖夢が集まっていた。
そこで早苗達は、あの島で起きた出来事を聞かされた。
霊夢は誰よりも早くあの島が作り物であると気づき、海の端まで行ってみたり、結界やらなにやらについて調べ、魔理沙にだけ教えてやったそうだ。
その後、魔理沙が喰われたと聞かされた霊夢はあの茶番に愛想を尽かし、自力で外部に脱出。
自分を巻き込んだ八雲紫をボロ雑巾のようにして、さらに能力封印の結界を施し、簀巻きにして吊るしたのだ。
魔理沙は霊夢から偽りの世界の理を聞かされ、自分なりに研究し、能力封印の影響を受けない特殊な八卦炉を試作したそうだ。
島の中心部になにかある事も霊夢から聞かされており、危ないから近寄るなという警告を無視して、早苗と一緒に乗り込んで……食べられた。
八雲紫の屋敷に戻され種明かしを受けると、魔理沙は笑いながら「楽しかったぜ!」と言い切ったそうだ。
懲らしめるつもりで送り込んだアリスとパチュリーは、うんざりしていたとかどうとか。
咲夜は島の中で時折アリスの人形らしき物を見かけ、自力で真相に近い推測をしたそうだ。
だからこそ、自分が化物を倒し、祠の謎を解き明かす事で、主レミリア・スカーレットの従者がもっとも優れていると示そうとして、しくじった。
天候を晴れに固定していたパチュリーの魔法を、タイミング悪く霊夢が打ち破ったせいで起きたスコール。
あれさえ無ければ咲夜の勝ちだったとレミリアは憤慨したが、紫をボロ雑巾にした霊夢に「あんたも同じ目に遭いたいのね?」と言われ、おとなしくなったとか。
妖夢は、種明かしされるまでゲームの事も島の事も化物の事も、なにも知らないままだった。
幽々子から「これも修行のうちよ」と言われて納得し、不覚を取った事を詫びさえしたそうだ。
ちなみに早苗と妹紅が戻ってくるまであの場で待とうとしたが、幽々子に「久し振りに妖夢の作ったご飯が食べたいわ」と言われてホイホイ連れ帰られてしまった。
さすがに悪いと思ったのか、妹紅が死んだと聞いて迷いの竹林に様子を見に行き、真相や黒幕など一切合財を説明し、ついでに慰労会を伝えて、現在に至る。
妹紅は自宅でリザレクションし、妖夢から説明を受けた後、すぐ輝夜に仕返しに向かった。
そして、弾幕を無防備に受けようとしていた早苗を見て、慌てて助けたのだそうだ。
そんな風に話のオチを聞きながら、早苗は普段通りの笑顔を取り戻していた。
そして慰労会の食事作りに参加し、咲夜と一緒にとびっきりのハンバーグを作った。
妹紅の分は好みに合わせてちょっぴり焦がして、大好評。
「早苗はいいお嫁さんになるな」と褒めれて、赤面した早苗を、諏訪子が微笑ましく見守っていた。
ちなみに、早苗が獲得した賞品の金銀財宝はすべて換金され、なんと全額慰労会の費用につぎ込まれた。
おかげで全額使い切るためには、とびっきり豪華な慰労会を一週間ぶっ続けて行わねばならなかった。
この慰労会に参加したのは、ゲームの参加者と、紅魔館の住人。
ゲームマスターからは、参加者に恨まれていないアリスと幽々子。レミリアもここにカウントすべきだろうか。
それからゲストとして洩矢諏訪子と、上白沢慧音も呼ばれ、さらに酒に釣られて萃香とかもやって来て、宴会ならば私達の出番だとか言いながらプリズムリバー三姉妹が乱入し演奏したり、永遠亭の主要面子がやって来て、妹紅と輝夜が凄まじい弾幕合戦を繰り広げもした。
レミリアは霊夢に人工南国楽園を曇り空に設定して一緒にバカンスしようと誘って断られてたり、魔理沙はアリスとパチュリーに人工南国楽園の構造を教えてもらって、なんか盛り上がってた。
妖夢は慰労会なのになぜか幽々子専属のメイドみたいな扱いになってた。誰の慰労会だと思ってる。
咲夜は普段通りメイドをこなしながら、慰労会を満喫するという実に器用な芸当を見せてくれた。
早苗は、慰労会に参加したみんな――特に藤原妹紅と、とても仲良くなった。
他にもあれやこれやそれやどれや、とてつもなく騒々しく、とてつもなく楽しいものとなったのだった。
ちなみにその後、元女子高生らしくファンシームードな早苗さんの部屋に、原始的で野蛮極まりない粗野な凶器がピッカピカに磨かれて飾られるようになったよ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ねえ神奈子、知ってる? 紅魔館で慰労会をやってるんですって」
「知ってる。でもなー、早苗はまだ許してくれてないしなー、行けないよなー」
「ねえ神奈子、霊夢も慰労会に夢中でしょうし、今のうちに結界と簀巻きをなんとかしてもらえないかしら?」
「やだ。あの巫女の暴れっぷりは尋常じゃない、人間じゃないわ。同じ目に遭わされるのは勘弁願う」
「ああ、こんな時、藍がいてくれたら……」
「人工南国楽園の管理を任せっぱなしにして過労にさせたの、お前だろ。猫っ娘が泣いてたぞ」
「私も色々がんばったのに、慰労会に参加できないなんておかしいわ」
「私も賭けに一人勝ちしたのに、なんでこんな事になっちゃったんだろ。慰労会かぁ……早苗も気が晴れて許してくれるかなぁ。早く帰ってきて欲しいなぁ」
神奈子は知らない。
賞品全額換金による超豪勢慰労会が一週間も続き、早苗も諏訪子も帰って来ず、さみしいカップラーメン生活が始まるという悲しい未来を。
【 THE END 】
面白かったですw
シリアルタグつけといたほうが良いかもねwww
「久し振りに早苗の作ったご飯が食べたいわ」→早苗じゃなく妖夢かな?
約二時間、没頭してました。
長さ的に小説一冊分は読んだくらいですかね。
確かに、化物に食われる=紫、ていうのと、黒幕が誰かっていうのも、東方二次創作っていうことで、ある程度想像もつきましたし、分かりやすかったですが、それでもこれからどうなるんだろうっていう、話を読ませる魅力がありました。
なんかもう、いい感想が思いつかないです。
妹紅の水浴びシーンもよかったです、エロイっていうよりはか神秘的な感じでしたね。
100点入れときますが、私的には200点入れてもいいくらいの読みごたえでした。
素晴らしい時間をありがとう。
シリアス路線だったけど時折入るギャグで気持ちが和らいだ。読みやすい。
そして水浴びでウホッとなった自分はいっぺんくたばるべきだと感じた。
でも狙ってない所が逆にたまらんですw
オチは出来ればもう一捻りくらい欲しかったところ。クトゥルフ様が「南国におら専用のハーレムさ作るだ!」みたいなノリで。
しかし、ギャグとシリアスの混ざり具合は素晴らしかったです。そしてエロスもたまらない。サナモコ、そういうものもあるのか!
長さも気にならず楽しめました。
じっくり三時間、はたと気付けば読了。楽しませていただきました。
咲夜妖夢猪のシーンの金髪伏線に、早苗のイカダ脱出協力願望、妖夢の修行シーン。
これから何十人も遭難者と遭遇するかと思いましたが、違いましたね。
タコ入道初登場シーンあたりから作者の暴走の痕跡が認められますw
ともあれ、これほどの長編の執筆お疲れ様でした。次回作も期待しております。
からくり自体は途中からそれとなく予想できていたけれど、それでも満足なボリュームですw
クトゥ様は紫の趣味なんだろうけど、オチの石斧が色々と持っていってくれたw 新たなる神器の誕生か……
いかにも二次創作らしい内容とボリュームにお腹一杯。
のっけから早苗さんのギャグ思考が始まり、かと思いきや霊夢や魔理沙の幻想郷住民らしいのんびりムードも交えて、締めるところはシリアスで締める。
何よりキャラクターをしっかり表現できている点が非常に良。
特に妹紅と早苗の対比は面白かった。サバイバルじゃ妹紅は得意分野ですしね。
確かにオチは説明的な感じが否めないですね。
まぁ変に消化不良を起こすような終わり方よりは余程いいので、"らしい"締め方だなぁ、と。
面白かったです。
きっちり締まってるよい作品でした。
物干し竿を早苗さんはどう使ったんだろう…(ごくり
面白かったです。
作品に引き込まれ、とても面白かったです。
久々の作品待ってたですよ。妹紅はいいよね、うん。
がっつり楽しめました。
妖夢がなんだか不憫で泣けてくる…
それでも、複数のキャラクターを一人も影を薄くしたりせず、魅力を出しきって最後まで書ききったのは凄いと思います。
珍しいタイプの長編で、面白かったです。
当人からすりゃ洒落にならないイベントを洒落にならないように描いて、
後始末も相応に片付ける丁寧さは良かったと。
あと毎度毎度男前の妹紅に乾杯。
ものすごい面白かったです!!!
ありがとうございました!!!
仕掛けやオチはある程度想像通りでしたが、そこ以外の部分
特に早苗を中心とした描写をとても楽しく読めました。
次回作も期待してますね。
この作品、私のツボにはまりまくりんぐです、ありがとうございました。
早苗さんの描写に引き込まれました。
気がつけば二時間半読みっぱなしでした。ギャグ、シリアスが適度にあって読みやすい。
ていうか慧音、なぜクトゥルフ神話を知っているwwwww
風景描写しかり、心理描写しかり……巧いんですよね。
文字が映像となって頭に入ってくる。
お見事!
時々△になっちゃう早苗さんがww
最期には◎でよかった!ノカー?
そのまま皆でお星さまになるんだ!って、あれ?
…たんすのあれを思い出した私は怪物に喰われてしまえ
早苗さんが島で過ごしている状況や心理の描写がたまらなくよかった
正直早苗さん株がかなり上がった
誤字報告です。
早苗が化物から逃れて紅妹と合流した後、紅妹が早苗に口移しで食べ物をやるときの「舌」が「下」になってました。
あともう一箇所おかしなところがあった気がするのですが、忘れてしまいました。ごめんなさい。
ロビンソンクルーソー!
忘れかけていた子供のころの冒険心が蘇り、夢中になって読みました。
箱庭世界であろうことは概ね予想できましたが、そんな瑣末事はどうでもよくなるくらい読みごたえのある話でしたね。
お約束のお色気シーンも堪能させていただきましたw
あと個人的には、魔理沙の健康的なバイタリティに感心しきりでした。
PSPの↓ボタンをかなりの回数押したぞ。
早苗さんと作者様お疲れさまです。
あ、路線変えたなって感じがしました。
落ちは読めてたけどおもしろかったです!もこたんかっこよす……
ちなみに俺もPSPでみてたんですがあとがきから上ボタン押して回数数えようとしたけど273数えたあたりでやめましたw
そんな膨大な量を一気読みしちゃう位引き込まれました!
………さて……明後日の入試にむけて勉強しますかね…
協力しないことが選択支にはいっている漂流物は現代人にはツライは……
とりあえず、もこ×さないいモノだな
オチは想像通りでしたが、無人島生活の描写とタコ入道の戦い、
しっかり現代っ子をやっていたさなぽんとかっこよすぎなもこたんににぐいぐいと引き込まれていました。
実に読み応えのある作品でした。
触手にたべられちゃう女の子萌え
もこさな……いいじゃないか!
文句無しの100点で面白かったです、GJ!
紫ざまぁwwww
みんな無事で良かった…もうちょっとねたばらし後に尺が欲しかった
ただ緊迫した展開で2•3度軽くギャグが混ざってしまって、すこし勢いを崩されてしまった感が。
とはいえ、またすぐに作品に引き込ませてくれる文章力がありましたので、個人的にはかなりお気に入りです。
無人島の雰囲気、いい意味のお約束も抑えていて、冒険モノ大好物な私には大満足でした。
・・・ミニ八卦炉を作ったのも改修したのも彼女ではないですが
自分でも作ったり改修したりできるのかな?
もうちょっとテンション上げてもいいかもしれないと少しだけ思いました。
ありがとうございました。
コメによると化物には何か元ネタがあるのかな。
妹紅がほとんど主人公みたいだと思ったら、元々その予定だったのね。妹紅かっこいいよ妹紅
長さがまったく気にならなかった、むしろ長くてありがとうと言いたい。
これはいい王道長編。
早苗さんの怒りがすごいwww
サバイバルを楽しめる魔理沙と妹紅。\すげぇ/
これだけの大作をまとめて読ませる魅力があってよかった
あと早苗さんのえちぃシーンがあってよかった
あれ?テスト勉強の時間がないや
ギャグからシリアスまでのジャンルが過不足なく組み合わさっています
ちなみに、舞台的にいじめスレの「ゆかりん いぢめ」を思い出しました
アレも最後はこんな感じで終わるのでしょうが
早苗さんの不安や怒りがわかりやすくかつ強烈に伝わってきてドキドキしっぱなしでした
最後はほんのりと幸せになれる小ネタや平穏がバッチリ書かれてて個人的に超満足
100点なんてそう簡単につける物じゃないだろうけど、でもつけちゃうっ、くやしいでもry
が、非常にわくわくどきどきして読めたのは描写が細かく感情移入させる文章だ
ったからでしょう。
面白かったです。
作品としてのクオリティは間違いなく素晴らしい出来なので、これはあくまで俺個人の趣向と合わなかっただけです。
創想話でこんなことを言うのもおかしな話ですが、東方の二次創作というよりも、オリジナルのサバイバルアクションとして楽しませて頂きました。
無人島にいきなり放りだされた人間たちの足掻きは本当に壮絶でした。長編お疲れ様です。
次回作を楽しみに待ってます。
最後まで不快でした。
あと、紫と神奈子にとって霊夢と早苗を参加させるだけの理由が私には理解できませんでした。
肉体的には大丈夫でも精神的な影響が残ってしまう事について、紫達の考慮になかったのでしょうか?
幻想郷の賢者達ですから考えていなかったとは思えません。
喪失が幻想郷の崩壊と同意である霊夢、神奈子にとって自身の存在理由(神たる存在を支える信仰の源の大部分)である早苗。
この2人を単なる暇つぶしのゲームの駒にする(喪失のリスクに比肩する程の)動機が無いように感じました。
東方でなければ、某創作神話関連のお話として読めたのに。
残念です。
一番駄目だと思った点は神奈子様に反省が足り無すぎる所です。
いくらなんでもあれだけ辛い目にあわせておいてあの態度は無いかと。
神ってああいう事をやる存在だから云々が理由ならそういう所も合わせた描写がほしかったです。
後、元ネタはガタノゾア(ウルトラマンではない)ですか?
感情移入してしまうほど引き込んでくるので、この状況への怒りのもって行き場が不十分に思えた。
読み終わってスッキリとはいかなかったなあ。
補えるほどおもしろいけど。
もこー格好良すぎるね!
ですが妖夢と妹紅の共闘、早苗さんの感情描写を見ている内にこれをそんなのん気なオチのないガチシリアスだと思いこんでしまいました。
思いこんでしまったのは自分ですが、このオチではあまりに早苗さんが不憫に思います。
個人的にはいっそのこと夢オチのほうが読了感がよかったです。胡蝶丸ナイトメアとか。
それを除けばかなり好みです。何より妹紅がカッコイイ!
なのでこの点数で。
一人ひとりのキャラが立ってたのがいいですね。
霊夢は流石と言うか…博麗の巫女は伊達じゃないなとw
魔理沙は軽くネタバらしされてたし、さっきゅんは瀟洒、みょんはみょんだしw
誤算は早苗がそこまで幻想郷に馴染んでいないような、というか常識に囚われていたことかしら?
まぁ霊夢はともかく、早苗には少々刺激的すぎたかしらね。
そしてもこたん格好いいよもこたん。でも早苗にしっかり死なないことを教えてあげてね!w
とても面白かったです!
素晴らしい長編作品だと思いました。
それだけで才能ですな
早苗が「みんなすげぇ→自分は役立たず」の描写は分かるけど
その後の、出会い、経験、絶望なんかを通じて、肉体的精神的にどう成長するか、描写がもっと欲しかった
最後の絶望で、神の復讐宣言が最後にして最高によかったよ。
妹紅との友情以外で早苗さんが+になる成長をしてれば屑…じゃなく、神奈子の罪も少しは軽くなるかもw
最後に得た物が妹紅との友情なら、もっと早苗が妹紅の心に踏み込んでよかったかも。妹紅が泣くシーンは特に
もこたんにドキ②してる早苗さんがかわいすぐるw
これはハードなギャグやなw
被害者組はもっと怒っていい
これだけの長編なのにテンポよく飽きさせず一気に読んでしまうのは
その素晴らしい文章力ゆえだと思います。
もこさなほのぼのしてていいな!
あと霊夢らしい……別の意味でまっすぐで凶暴でw
幻想郷の少女らしさがそれぞれに出てて良かったです。
素晴らしい作品を有り難う御座います。
はじめての無人島生活に対するしんじょうやクトゥルフ様に追われているときの恐怖感が
ひしひしと伝わってきました
ものすごく面白かったです!
前半も中盤も、種明かし後は特に面白かった
読んでて何も感じなかった前半の各キャラの行動とかも、種明かしされてみるとすごく魅力的で
咲夜はあんなこと考えながら戦ってたのかとか、霊夢wwwwwとか
真面目にサバイバルしてた妹紅と早苗の仲がとても深まったりで、種明かしをみると本当にスッキリする話の構成に感動です
こんな素晴らしい話をつくってくれて、ありがとう!
最高傑作としか言いようが無い。
しかし貴方のもこたんはイケメン過ぎるだがそれが良い。
後神奈子様マジ酷い(笑) 諏訪子様マジ神様!
神様なんて気まぐれなもんだよと思えばいいのかもしれませんが
描写がよくて引き込まれた分、不快感が残ります。
よく早苗さんは発狂しなかったなと思う程度には不愉快。
妖怪や神の遊びと割り切れなかった。
悪趣味。面白さはほんと凄いのですが。
早苗抜きだったら、普通にシャレで済んでただろうに。
まあ、面白かったけどね。
しかし、それら欠点を鑑みても揺るがない圧倒的なエンターテイメント性がありますね。
シリアスぶって何かを考える作品ではなく、純粋娯楽としては最高級の一品でした。
特にもこたんが格好いい。
これに爆笑しました。
面白かったです。
二時間位読んでいました
面白かったです
妹紅の口調
無理矢理ハッピーエンド
これが出された当時、冒頭だけ読んで「もしもシリーズみたいなの?」と思って読むのをやめてしまったんです。
こんなに面白いのにですね
良い作品です
あと、ゲームボーイのサガを思いだしたわ
バカもの連中も負けましたなw(当然だ、このバカどもっ!)
それゆえ霊夢や早苗さんによる紫ほかのお仕置きシーンとかも丁寧に描写して欲しかった
−20点は妹紅はじめ巻き込まれた連中、そして早苗さんがあまりに気の毒なので
特に神奈子は私的には石斧程度じゃすみません
東方の基本設定では、人々の信仰=信頼や、畏怖や恐怖を喪うことは、神や妖怪にとって致命的な自殺行為じゃなかったかと
幻想郷のつわものたちにちょっと甘えすぎましたな>バカもの集団
あと新スタートレックシリーズのホロデッキのエピソード思い出した
あれも科学的「結界」による疑似空間でやり放題だし
初代スタートレックならゴーン星人とのエピソード「決闘場」かな
原作はたしかフレデリック・ブラウンの「決闘場」ですがラストは違います
この物語の基本構成はこのお話と全く同じです
馬鹿げた「決闘」の舞台を仕組んだ連中にカーク船長が激怒するシーンが印象的だった
イムス様は古典も含めてSFにお詳しいのでは?
後半 100点
最後 10点って感じです
がち目に泣いてしまいました
面白かったです!!!
誰か動画化とかしてくれないかなぁ。