◆
「……まぁビアガーデンと七曜で懲りた訳でもないでしょうけどもね、うふふ。その一件から神主は、設えられた場所よりも自然にある雰囲気、そして楽しく酒を呑める相手をこそ希求するようになっていったというわ――彼は賑やかな花見酒がしたいと思ってこの白玉楼を作り上げた。けれど、桜は酒だけのものではなかった。それにはたと気付いて、彼は桜を幻想郷に解き放ったと。次は月見酒がしたいとも言ったけれど、それも同じ理由ですぐ幻想郷に投げたわね。花も月も、あまりにも綺麗すぎたのね。よほど上等でなければ麦酒の酒精など簡単に負けてしまうわ、まるで桜も枯らす私みたい。いえ私は酔っても可愛いんですけどね。結構乱れますよ? ふふふふふふふ」
「尋ねていない情報が七割くらい混じっていますが――しかし貴重なご意見ありがとうございます」
雲霞の如き幽霊の一行が堂々と足許を横切ってゆく。
しかしながら、ここは実は白玉楼ではない。
一人で勝手に危険なところへ出歩くなと言われている阿求が一人で勝手に白玉楼へ足を運んでみると、そこには生きている者の雰囲気が微塵も感じられなかった。
場所柄普段からそうなのだが、ならば言い換えると、死んだ者の気配も感じなかったのだ。
水を打ったような静謐に呑み込まれた勝手口の扉にはぽつり、神経質なメモがババくさく米粒を使って貼られていた。
行き先、帰る時間、留守の間に尋ねてくるらしい豆腐屋と金魚売りとヤクルトおばさんとちんどん屋と総会屋にそれぞれ宛てた三行ずつの伝言――社会性とTPOに溢れた涙ぐましい伝言は、雲の上でも変わらず機微にあふれる人間関係の面倒くさい切削研磨作業である。シミュレーションの偶像相手に胸突き八丁の忖度を雄弁に物語る。
最後は捨ててしまうのが勿体ないくらい几帳面なそのメモはしかし、阿求に別の行動意欲を与えた。
亡霊嬢が生前持っていた分まで神経質さを横取りしたとしか思えない書き置きの内容を、阿求はぴろりんした。素直にそこで彼女らの帰りを待つことも考えたが、結局メモに記された行き先に直接出向くことを決めたのだ。
その行き先に居るのは、人でも妖怪でもない、とある相手。
彼女が信頼に足る相手だったのもあるし、それなら取材相手も増えると阿求は思った。ここまで来てしまったら逆に彼女らに近づいた方が安全でもある。来ると書いてあったがホンマかいな総会屋、ぼんやりここで一人ぽっち待っていて黒服の威圧感集団に鉢合わせしたら事である。38口径のおはじきをお腹にぶちこまれたら桜木花道でもさすがに守りきれまい。直前に緑の服から琥珀色のビフィズス菌を補充してもらったとしても、フルメタルジャケットの殺菌能力の前にはひとたまりもあるまいから。
「うわぁ……」
そんなこんなで、訪ねてきた阿求である。
そこには桜ではなく大量の彼岸花が足許に犇めいている。思わず嘆息を招いたその光景は、生きている限り本来は人足未踏の秘境である。
心を失った新宿の人波のように無機質な彷徨を続ける幽霊達は、本当を言うともう幽霊と呼べないのかもしれない。彼らには未練もない。来るべくしてここに来ている。誰もが一度こっきり参加する三途の川のパックツアー。彼辺に渡れば遍く誰もが頭を丸め、厭離穢土欣求浄土のグリーンカードを首からぶら下げて四十九日の集中強化合宿を敢行する。
未練以外の物で居留まっている彼らは最早この河原のれっきとした住人であり、居ておかしいことなど微塵もない。怪談話に詰めこむような陋習な未練を一切残さない毅然とした振る舞いは、いっそ生きた人間よりも清冽であるかのように見え……
「いいえっ! 断じてそんなことはありません! ここは幽霊が居て良い場所では本来ないのです。これだけ幽霊があふれかえっている三途の川の出入り口は、他に見たことがありません――この情況が、渡し守の怠慢をそっくりそのまま物語ってますっ」
「出入り口ならそれで良いじゃない、閻魔様?」
「――訂正。三途の川の入り口です。出口はありません」
亡霊嬢にからかわれてこほん、と咳払いし、河原に腰掛けている魂魄妖夢――ではなく、その背後に膝立ちしている小柄な女性がそう答えた。
その小さな手が妖夢の両肩に乗っているのが見える。正義感とポン刀だけが友達のしょんべんたれなちっこい剣士が、どこのどんな出世街道を爆走すれば是非曲直庁の閻魔様直々にお肩など揉んでもらえるのだろうか。
「あ、あの……映姫さま、私はもう充分に」
「遠慮しなくても良いのです、これは単に私からのプレゼントです。どうやら大変お疲れだったようですからね……顔に疲れを出して彼岸の入り口になんて来て、くしゃみした瞬間にうっかり成仏しちゃったって知りませんよ?」
「あ、ありがとう……ございます……」
悪人正機には懲役二百年よりも役立ちそうな傾国のアルカイックスマイルは、名前を四季映姫・ヤマザナドゥという。サボらない人間に対して彼女は、特に今は寛大だ。そして肩を揉まれて小さくなっているのが、幻想郷の中でも冥土に近い方で暮らしている少女剣士、魂魄妖夢。
閻魔様直々に肩を揉まれて本当に肩のコリがほぐれるなら良いが、まぁ恐らく彼女の性格上、たぶん明日は肩から上に腕があがるまい。
「さて……それでは今代の阿礼乙女殿、お話は丁重に伺いましょう」
「ありがとうございます」
阿求が畏まると、映姫は頷いて颯爽と笑った。柔和な相好を見せているが、相変らず眼光に秘められた無形の圧力には舌を巻く。クールビューティは札付きだが、騙されてこれを奥さんにもらった男は一生の間に二度とうだつが上がることはあるまい。
そう思わせる笑顔である。
妖夢の肩揉みを終えて立ち上がり親指でくいっと下流を指すと、鯔背な仕草で映姫は回れ右をして歩き出した。
*
「なるほど。神主を幻想郷縁起に収録ですか……」
「いけませんか」
「いえ」
「良かった」
「そもそも私が口出しすることではありません。貴方の幻想郷縁起なんだから、貴方が好きに紡いでゆけば良いことでしょう」
悠揚とした口調で映姫は話し、幽霊のように白いリチャード・ジノリのコーヒーカップに口を付けた。
三途の川の現世側河岸、やや下流に軒を構えるこのカフェは、小町の怠慢により溢れかえった幽霊に何とか職を与えることを検討した映姫が苦肉の策で上層部と掛け合い、是非曲直庁出資比率五割、および四季映姫ヤマザナドゥを指定管理者として生まれた第三セクター「冥土喫茶ナンマイダー」である。
メニューすべて一律六文銭という破格のラインナップは、お役所の血が半分流れているからこそ出来るご奉仕価格。これだけ幽霊がいれば料理の腕に覚えがある者も多くクオリティも非常に高いが、口コミ評判が巡り巡って小町の格好のサボり場として有効活用されている現状を鑑みられて上層部の覚えはまことに宜しくない。設立意図に対し本末転倒も甚だしい大失態に業を煮やした上層部は、いよいよ本格的な懲戒処分を検討中ともっぱらの噂である。
――映姫を。
「ねぇ理不尽ですよほんと、なんで私なんですか――監督責任ってほんと便利な言葉ですよ、あのバカのせいで私の履歴書に厳重戒告と減給と地域ボランティア活動三日間の傷がつくんですよ間もなく。それもこれも神主のせいです、あんな出来損ないの渡し守を私に宛がったから出世街道が羅漢峠です……」
「ここにも神主に不満を持っている方が……ありがとうございます、貴重なご意見として受け取ります」
ぴろりん。
「ま、神主はお茶目だからねぇ。ふふ」
苦悶の閻魔のその横で、先程の若い女性がいちご白玉とメロン生クリームのはちみつ盛りカリフォルニアパフェDXWA(デラックス・ダブルアンサンブル)に舌鼓を打ちつつ妖艶に笑っている。にこにこと朗らかで悩みの無さそうな暴戻、じゃなかった亡霊にはしかし足も名前もちゃんとあって、こちらは名を西行寺幽々子という。
閻魔様を御前にしても尚肩の力を抜ききって振る舞っているが、この方は死を操る程度の能力という非常に物騒な得物を持っている。猫の背を撫でるような気軽さで目の前の人間を簡単にご自身の世界へいざなえてしまったりするので大変危険である。
彼女を怒らせると一生消えない後悔をほんの一瞬だけするだろう。しかる後に楽な気分になれる。一瞬で周囲の大気ごと空に運び去る。相手は死ぬ。
「まぁ私の能力なんて物騒に見えるけど――本当は高級大麦についた虫を手っ取り早く退治する方法が欲しかっただけだそうよ?」
「あらら、意外に平和的な理由」
「ええ。あとはまあ、行きつけのバーでお気に入りのマスターだったイングラムさんが心臓発作でおだぶつしたところを一回生き返らせたとか、神主ご自身での使い道としてはそんなところね」
――つくづくイングラム強いなあ。
「でも幽々子さまが持ってるってことは」
「ねぇ、その他人行儀なのどうかならない?」
「どうって……」
「今から私のこと幽々ちゃんって呼んで」
……こほん。
「幽々子さまが持っておられるということは、神主はその能力を不要にしたということ。どうしてでしょうか」
「………………………………」
「――幽々ちゃん知ってますか?」
「わーいっ!」
ぱっと手を広げて、幽々子は大いに喜んだ。
「幽々ちゃんが答えてあげるわ。答えは単に、自分の操るアルコールで殺虫したり病気を治したり出来るようになったからよ」
「…………」
納得である。神主ならそれくらい朝飯前のラジオ体操よりも簡単だろう。
気が抜けて思わず足を組みそうになり、乙女の行動規範に照らして自重する阿求。ふと見ればカフェの床には、いつのまにか野次馬の幽霊達がたむろして随分賑やかになっていた。
店に現れた珍客、特に一番見慣れない客であるところの阿礼乙女をまるで品定めするように、白く水飴のような幽霊は次々と身体のデリケートな部分にも遠慮無くまとわりつき、いやんな場所やあはんな部位を触りまくった挙げ句やがて気まぐれにどこか影の中へと時雨れてゆく。
生きている人間にやられたら硯で張っ倒すこと間違い無しだが、幽霊に犯されているというのはロマンチックが止まらない。ちょっと行きつけにしてみたい冥土喫茶である。紅茶の味は七十五点といったところ。
「あんまり便利な能力じゃないと思いますけど、やっぱ神主には不満ですか?」
「別に? ボタン一つ押して死に誘えるとしましても、私がボタンを押さなければ良いだけのことですもんね」
「はあ。では、あんまり不満を抱いてはない、と」
「ええまぁ、感謝も憎悪も致しませんってところかしらね――ま、この能力に関してはですけどねぇ、うん――」
気になることを最後に付け足して、幽々子はスプーンを取る。
うんうんと頷いて瞑目し、クリーム白玉いちごをスプーンに三段重ねにしてまるっと口に含み、無表情で味わっている。
もくもくと咀嚼し、嚥下。
無言で次の一匙をパフェグラスに突き刺す。無表情。砕け散るコーンフレーク。
「……」
「……」
おかしい。
孕まれた剣呑な雰囲気には、いつも彼女の傍に侍る妖夢以外に、職業柄あらゆる妖怪をいやというほど見慣れている映姫も阿求も気が付いていた。
「幽々ちゃ……あの、幽々子さま?」
「……………………」
パフェを食う人間というのは不機嫌になると如実に分かるものだ。今までできるだけ原形を留めて食べようとしてたのを、組み立て終えたレゴのようにがっしがっしとぶっ壊してゆくから。
一体何を思い出してしまったのか、きちきちと眉間に皺が寄り始めるのを三人はまるでサナギの羽化を見守る小学生のようにつぶさに観察していた。目を離してはいけない。観察するだけで手も口も出せない。
うっかり目を離した隙に自分の肩をぽんぽんと叩かれたら、四人分のお勘定すべて自腹な上に死に誘われて転生になります9からのクビを言い渡されるであろう。そうなったら一巻の終わりである。
「幽々子さま。例のこと、やっぱずっと怒ってますよね」
「あら怒ってないわよ妖夢? 別に貴方にすっかり株を奪われたからって」
……何の話だろう。
阿求は思わず、横にいた映姫と顔を見合わせた。
映姫も首を横に振る。事情を知っているのは、どうやらこの中で幽々子本人を除けば妖夢だけのようだが――
「妖夢さん、幽々子さまと神主の間に何かあったんですか」
「別に大したことじゃないんです。あのですね、幽々子さまの名前――」
魂魄妖夢はそこで困ったような顔を浮かべ、何かを話そうとした。
その瞬間。
「――聖夜ァ! 把ァッ!!」
隣の亡霊嬢が躍り上がった。
がたーんという激しい衝撃。全員分の飲物をさんざめかせた裂帛の奇声と広有も裸足で逃げ出す怪鳥の跳躍、天空に高く舞い上がった後に引力に身を任せ、右手をめいっぱい握りしめて落下と共に振り下ろした肉体言語の「ゴン。」という壮絶な重低音。
選手生命ごと燃え尽きたボクサーのように、魂魄妖夢はテーブルへと無力無言のまま、沈んだ。
「ひいぃい!?」
「妖夢がしんだわー」
両手で頭を抱えて呻いている妖夢を映姫が実況している。
阿求も驚いた。人の頭をぐーで殴った時に、こんな重みのある音が聞こえるとは九度目の転生で初めて知ったことだ。
「ふんだふーんだ、何よあなただけ二文字もあるからって」
「………………痛ぃ……」
「あの、あの、先程から話がまったく見えないのですが」
阿求がもどかしく聞く。幽々子は、いよいよ忌々しげな顔になって眉を顰めた。
「いーえっ! いえ別に、いえいえ別に、いえ別に。いえいえ別に別に、大したことじゃないのよだからあんまり怒ってないわ。そんなこと気にするほど小さな大和撫子では私もありませんがただ名前がね」
「名前?」
「ええ、神主どののネーミングセンス。大変素晴らしいですね、東方紅魔郷東方妖々夢東方永夜抄東方花映塚東方文花帖東方萃夢想東方風神録東方地霊殿東方緋想天東方星蓮船」
「よくいえました」
「ついでに東方香霖堂、東方求聞史紀……と。どれも韻律的にも優れてますし、漢字による和風の味付けは私の好みとするところでもありますが名前がね」
「ですから名前がどうされました」
阿求がせがむ。
幽々子は、逆に問い返してきた。
「紅霧事件の主役」
「は?」
「名前よ。その賢いおつむであいつの名前、思い出して言ってごらんなさい」
「……レミリア・スカーレット」
「じゃ私の名前」
「西行寺幽々子さま」
「その調子で全員の名前言ってごらんなさい。神主が差し金になった異変の犯人を、一人残らず」
「……八意永琳蓬莱山輝夜、四季映姫ヤマザナドゥさま射命丸文伊吹萃香八坂神奈子霊烏路空、比那名居天子に聖白蓮」
「なんか気付かないの?」
「へ?」
「なんも気付かないの?」
「え? え?」
「いえ別に気付かないならそれで良いんですけどねええええ。ただスカーレットを漢字の色名に言い換えると「紅」でありまして、さるところの結果に私はつまり我慢が出来ないんですよね、ええ、ええ」
「………………あ」
気付く。気付いてしまった。
気付いてしまった瞬間に肩ぽんぽんの可能性は誰にも否定出来なかったのだが、閻魔を前にしては大それた狼藉も働けなかったか。ばん、と広げた紫檀の扇で顔の半分以上を覆い隠した幽々子は、目許だけ笑っていない状況をこれ見よがしに強調して嘲笑する。
「ふふふふふ、別にこの程度の些細なことで本当は気にしないですけどねほほほ、大和撫子ですからね、ですが何作も何作も異変に名前を付けておゲウェムに仕立ててその主役であるところの最終ボスは、みんな漢字を一字ずつ題名に入れてもらってる訳ですがねおほほほほ、それで私だけ何故ゲウェム名に一文字も入ってないかなーって事くらいでそこまで怒りませんけどねうふふふふふふふふふ」
……。
怒ってる怒ってる。
百人が見たら百二十人が怒っていると答える顔だ。
八意「永」琳、蓬莱山輝「夜」、四季「映」姫ヤマザナドゥ、射命丸「文」、伊吹「萃」香、八坂「神」奈子に「霊」烏路空、比那名居「天」子に聖白「蓮」。ついでに森近「霖」之助と我らが稗田阿「求」。
それに照らして西、行、寺、幽……うわあ無い。
この人だけゲヱムの中に、名前の漢字が入ってない……
「――あ、いやあるじゃないですか。「々」」
「あはははははまーね? そりゃまーね!? あるわねおほほ同じ漢字、確かにあるから怒りませんけどそれ因数分解したら『幽幽子』じゃねって今まで何十人に言われたか知りませんよね貴方ね? 私の気持ち分かりませんよね? うっふふっふふふまぁその程度どーってことはないんですが何十人も言ってくるとちりもつもれば大和撫子ですからね、さすがにそーんなーんじゃダーメッ、ですよねうふふふ」
西行寺幽々子、怒りに我を忘れて完全におかしくなっていた。
とりあえず主の不始末は、殴打から不死鳥の如く復活した妖夢の手に委ねておくとして――
しかし、今聞かされた内容は神主の瑕瑾と称されても致し方ない事実。言われるまで阿求も気付かなかった。
妖夢が二文字、というのもつまりそういうことなのだ。
「ふふ……」
「何がおかしいのかしら」
「い、いえ」
思わず零れた笑いを、阿求は引っ込める。
何故笑ったかは簡単である。幽々子には申し訳ないが、こういうのは正直、おいしい。
これこそ書籍に記録するのに、格好のネタと言えるだろう。
嘘か誠か判らぬようなアレクサンダー大王ばりの逸話ばかり書いていても後世で真贋を疑われるだけだ。日米を股に掛けて神主の前をことごとく横切るイングラムばっかり主役にしたって忌々しさしか得られないが、正真正銘本物の失態めいたこういう事実は逆説的に、神主の人間像に対して非常に濃い人間味を与えてくれる。
伝記はやはり、スーパーマンの武勇伝ばかりでは綴れない。
神主(かみ)さまありがとう。運命の悪戯でも。
「良い話を伺いました。……これはちょっと驚きというか、不可解でさえありますね」
「……はーぁ。ほんとに何でかしら。というわけで神主は許せませんけど、それでも私は可愛いから許しちゃうんです。ふふ。一生許しませんが神主(あなた)が笑っているそれだけで笑顔になれる私ですからね。ふふふ。……あらこの白玉パフェおいしい」
黙って差し出した妖夢のスプーンへダボハゼのようにぱくっと食いつき、機嫌を取り戻している幽々子。
当人はもう心配なさそうである。
だが何故だろう、ずっと見つめていると、どことなく彼女が不憫に見えてくるのだった。
*
四人で合計二十四文銭をカウンターに置いて河原に出ると、外の色は黄昏に変わっていた。
三途の川にも陽は昇りて沈む。夕暮れは訪れる。その絶佳なる景色のことも、しかし場所柄を弁えるなら、素敵とかいう形容詞で呼んでは決していけない気がした。
おごそかな 静寂の霧も 幽かなり 過去の刻こそ 道のともがら―― 一応は、死者の世界である。
だが、綺麗な物は綺麗だ。
積み上がりては崩れ落つる河岸の石が如き刹那い情景、えも言われぬ世の果て道の果て。やがて転生の果てに辿り着くこともありやなしやと事問えば、いかにも唇寒き阿礼乙女の冬の夕。綺麗なものは綺麗だ。それだけで良い。
自分だけでなく誰もが、いずれは通る道なのだ。
それを信じて、夕焼けきれいと言わせて欲しい。
「どの程度まで掲載なさるおつもりで」
「は?」
「神主がかつて使用していた能力、私達が神主に抱いた不満――色々お聞きになったじゃありませんか」
「ああ。とりあえず、現在の幻想郷における神主の存在や存在感を、伝えられるものなら何でも書きます。後世にそれを読む人が居る訳ですから」
阿求が丁寧に答えると、映姫は納得したようにひとつ頷いた。
長く伸びてゆく自分の影の方に歩きながら、しかし彼女は会話をそこで途切れさせなかった。
「それを伝えることで、一体どんな益があるのでしょう」
「?」
思わず阿求は、夕暮れの中に立ち止まる。
「……難しいことを言われますね」
「閻魔ですからね」
「閻魔ならしょうがないですね」
「神主どのは創世主であり、世界は彼の意のままに作られています。それを、同じように神主によって作られた貴方が書き伝えることの意味は何なんでしょうか」
「それは――」
映姫の言葉は、明瞭な言語で綴られた。
阿求の脳裏は、それに対し、同じように明確な答えで抗うことが出来なかった。
穏やかな口調はまるで真綿で出来た詰問のように、柔らかくとも棘を持って阿求の耳に届く。
そして、パフェのクリームを掬うスプーンのように胸を抉った。
「……ほらね? あまり考えてなかったでしょう」
「はい」
「当代に生きた人間や妖怪達を記録してゆく行為は非常に尊い。ですが、神主まで収録してしまっては孫悟空になってしまうのではないでしょうか」
「お釈迦様の掌の上、ということですか」
「ふふふ。幻想郷縁起の充実を図るのは素晴らしい。ですが、結局おままごとになるかもしれないですよねそれは」
付き合って立ち止まってくれていた映姫が、さぁ行こ、と声を掛けるように再び歩き出す。
次第に伸びてゆく影も、うしろで立ち止まっていた幽々子も妖夢も世界から一旦すべて除去される。
阿求の思考にその時見えているのは灰色に転じた世界と、その静寂に佇むご先祖様八名に及ぶ御歴々のニヤニヤ顔だった。普通に気持ち悪い。
しかし――何故だろう。
映姫に問い掛けられた言葉はまるで変声機を通り、枕元で総立ちになった御先祖様累代の唇から、それぞれの声で一斉に発せられたように聞こえた。
自分は新しいことに着手したつもりでいた。
だがひょっとすると、今の自分と同じ事を、御先祖様達もしようとしたのではないか?
「……すみません」
「貴方が謝る事じゃないでしょう。ただまぁ」
神主をば収録せん――実は全員が、勇んで筆を執ったのではないか。そして全員がその途中でそれぞれ「何かの理由」に気付き、結局それを取りやめただけではないのか?
「その辺もきちんと考えて、収録なさった方が良いですよ」
あくまでも突き放さずに映姫は、悠然とした笑みで忠言を阿求にくれた。
「閻魔からのお小言として、心に留めておいていただければ幸いです」
「はい。分かりました」
「その上で収録すべき事は収録しておいた方が良いと思いますね、例えば神主が麦酒の旨味を他人に吹聴しすぎて、世に流行し大衆化されすぎたことで大麦の需給曲線がムーンサルトを起こして自縄自縛で苦しんだ結果作り出された私のこと、とかね」
「は?」
口調こそ変えずに、映姫は呟き続ける。ただその瞬間、ほんの微かだが、細い木綿のしつけ糸が切れるような「ぷち」という音が、たぶん映姫の頭の方から聞こえた気がした。
「あ、あの」
「いえいえ別に怒ってはいません、大麦が枯渇寸前まで行ったところで『ないものは、つくるしかない。』と大声で宣い、その気骨で大麦畑を作ってりゃ良いものをあろうことか税制改正のために閻魔からつくるしかないと言い出して、日本に『第三のビール』なる荒唐無稽な製品概念を恣意的に作り出したことを私は怒ってはいません。税金によって需要を操り、一般大衆を法の抜け道へと逃がすことで自分の分の一級麦酒を最大限確保したとかいう私利私欲まみれの清々しい法運営を私は別に全く、つゆ一滴ほども気にしておりませんから」
「……」
「念のため申し添えれば数十年前に人知れず第一次大麦絶滅騒ぎが勃発した時に『お酒は二十歳になってから。』とかいう耳ざわりの良いキャッチコピーで20歳以下の飲酒を禁じて大麦を死守するとかもー! ほんとどんだけ自分の分の麦を確保すれば気が済むのよ! って感じですが別に怒ってないですよ」
「…………やっぱ映姫さまも」
「キレてないっすよ」
ちっちっと、映姫はクールに決めて笑っていた。
当然のように目は笑っていない。先ほどの幽々子にしても然り、世ずれした大人の人間ってのは大体こんなもんなのかと阿求は思い、理不尽に尖る嚇怒の湯気を見て見ぬふりでやり過ごした。
幽々子とて映姫とて、果たしてどこまで本気なのか阿求には判別つかない。
そんな自分が、本当に神主の掌で遊ばされているだけかもしれないと思うと――少し背筋に寒さを覚え、本当に孫悟空の気分になるのだった。
三歩後ろをついてくる当の幽々子と妖夢は、何ら興味も無さそうに自分達の雑談に花を咲かせていた。彼女らにもそれぞれ生活がある。創世主の存在を想い、頭を悩ませて日夜過ごしている者があるとすればそれは生活に悩みの無い者であろう。
簡単なことだ。
誰もが世界の生い立ちなんかよりも、もっと身近で直接的で、つまらなくてどうでも良いけど気になっちゃうことを気にしなきゃいけなくて忙しい。
この世に伝えるべき歴史があって、幻想郷縁起が生まれたのは確かだ。
だが、閻魔さまの短い言葉を踏まえて幻想郷縁起の存在をもう一度見直してみると――
「うん!」
自分がとる行動の価値について、今までと違った答えが見えてくる気がする。
◆
「ただいま戻りました」
「ここは貴方の家じゃなくて私の家よ。お疲れさま」
夜の帳が朱の鳥居をげろんと丸飲みした頃、控えめな月の光に炙られつつ帰ってきた阿求を霊夢は快く出迎えてくれた。
立ち寄ったのは状況報告が半分と、御礼が半分だ。
「家人の方々、一様に大変心配しておいでだったわ」
「でしょうねぇ……いつもご返信ありがとうございます」
御礼というのは、霊夢のこの差配に対してである。
説明しよう。
暗い時間にもなって阿求が屋敷に戻らないと、いつも家人達は心配し、最初の確認として大抵霊夢の携帯電話にEメールを送りつける慣習がある。それを見た霊夢が阿求の行動を知っている場合、彼女がちゃんと細大漏らさず家人に返信してくれて情報が伝わり、お転婆な阿礼乙女に頭を悩ませつつも家人は晴れてほっと胸を撫で下ろす――という仕組みである。
遊び歩きが露見しただけならお小言の一つも待っているのだが、今日に関して言えば正真正銘の業務活動なので怒られる筋合いもない。霊夢が操る往年の名機、三洋電機製「INFOBAR」の赤白ニシキゴイカラーモデルから放たれた近代文明の伝書鳩は、稗田家の書斎に置かれたWindowsME搭載のラップトップマシンを通じて屋敷全体に安堵と感心と感銘の嘆息をもたらすだろう。甲斐甲斐しく自らの生業に腐心し夜遅くまでお仕事熱心な阿礼乙女には本当に本当にお疲れ様でした、と、家人達の心遣いもきっと手厚く、ちょっと豪華なごはんと温かいお吸い物などもそっと用意されているという心温まるシナリオである。
霊夢がメール本文を読み上げた。
「『……無断で門限破りの罰で今日の晩ご飯はおにぎりのみ(具とご飯抜き)』だそうよ」
「の、海苔と塩のみー!?」
残念、世の中はそこまで甘くなかった。
しょぼくれる阿求である。
「さて。それで」
ぴぴっとスイッチを切り、霊夢は携帯をポケットにしまいこんだ。
「どう? 色々聞けたでしょ、神主に対する不平不満が」
「あ、はい」
阿求は頷く。ふふっと霊夢は不敵な笑顔を浮かべて、どうだと言わんばかりに勝ち誇って髪をかきあげた。
「やっぱりね! 私が言った通りでしょ? みんな大人しく暮らしてるようだけど、ちゃんと腹にイチモツ抱えて生きてるんだから当然よね」
「ん……」
「さ、どんどん書き立ててよ。書いてね。書くんでしょ?」
今ここで首を縦に振れば硯と墨と文机と座布団、紙とお茶とお煎餅くらいは出てきそうな剣幕である。霊夢は非常に勇んでいた。今日の釣果を確信しきっていたかのような振る舞いに、これから返す答えのことで少し胸がきりりと痛む。
だが、神社までの帰り道で自分が弾き出した結論にもう迷いはなくなっていた。
襟元をただし、結論を言葉にまとめ込んでから阿求は口を開く。
「すみません。神主の項目は、幻想郷縁起には掲載しません」
「……………………は?」
それが、阿求の出した結論だった。
「私達は、神主によって生み出されて神主によって生かされているようなものです。不平不満やロジカルなイントロダクションは理屈として存在しうるものだと思いますが、私達が神主を『敬う』というのは、そういうことじゃない」
得体の知れないドキドキ感に胸を高鳴らせて、思わず身体をきゅっと掻き抱く。これはひょっとすると、神主への恋――だったりするかもしれない。
映姫に言われた考えそのままではなく、自分なりにかみ砕いた結論で阿求は話す。
「私達は、神主の生み出した世界の中で物語を紡ぎ出してゆきましょうよ。それが私達から神主に出来る、感謝だと思うんです」
「……」
「私が幻想郷縁起を紡ぐのも神主の物語の内。霊夢さんや、他の誰かが毎日面白いことやどきどきすることをするのも物語になる。創世主に対して捧げられる感謝はやっぱり、この世界を楽しむことなんだなあって、私そう思います!」
最後は力強く、花開くような笑顔で阿求は断言した。両手をぱっと広げ、その場で一回転のターンを決めたユメミル女の子の如きジェスチュアに、霊夢はすっかり呆気にとられて暫し茫然としている。
そう、すべては仏様の掌の上なのだ。
幻想郷縁起に掲載されるのは、神主が作り出した自分たちだけで良い。そこに神主自身を掲載することは、突き詰めて考えれば考えるほど、どこか位相のずれた行為に感じられた。
そして断言は出来ないが、阿求は何となくこんな予感を感じる……過去の自分もやはり、同じアプローチを試みて同じ結論に辿り着いたのではないだろうかと。
それを自分は、思いがけず忘れてしまっただけではないか。或いは、敢えて、毎度毎度忘れているのかもしれない。
ちゃんと理由があって忘れているのかもしれない。一度転生でこの世に戻るたび、世界のすばらしさと神主の偉大さを、当代の私が、自分できちんと思い出せるように、と。
「霊夢さん……私、帰りますね」
黙りこくった霊夢にそう言って、くるりと背を向ける。
夜空に顔を見せたお行儀の良い月は、琥珀色に淡く輝いてとても綺麗だった。あまり自己主張もしないで控えめで、この世界の創世主が誇る圧倒的なさりげなさを巧みな表現力で象徴しているみたいな優しい光。際立つ薄っぺらな存在感。
この世界を作った人なら、あの月のように、薄っぺらに影を隠して必ずどこかで見守っているはずだ。
自分の作り出した世界ならびにそこに息づく人達を、正しく神の主として見守り、されど決して自分の手だけで世界が変わってしまうことの無いよう、わざと一歩引いたところでそっと見守っているんだ。
……すぅ。
冷気の染み込んだ空気を肺腑一杯に吸い込めば、
……ふぅ。
一日の疲れを癒す、名状しがたい晴れやかさが身体中を支配した。決して増えていない幻想郷縁起の本文に、それでも確かな一ページが増えたような感覚が胸に芽生えて不思議な充足を感じる。
阿求は、それを敢えて達成感に勘違いしてみる。足取りがふわりと、羽根のように軽くなった。
翳りなき清かな心で暗い天空に無言の想いを投げ掛け、うん! と一つ頷き、力強い瞳の阿求は邸宅に向かって元気よく歩き出
「――――ちょっと待ちなさいっつのよ」
むい、とその肩を掴まれた。
ぎゅい、と真後ろに引っ張られて蹈鞴を踏む。
「……よっとっと?」
「何をものすごくきれいにまとめてるのよタコ」
「タコ?」
「誰に入れ知恵されたのか知らないけど、なんで肝心なところでビビっちゃってるのよこのヒョーロク玉」
うわひどい。
っていうか何ヒョーロク玉って何。何ですか。
問い返した瞬間――霊夢がとうとう、爆発した。
「…………アンタ言ったじゃない神主の悪事を曝くんでしょ!? 不平不満もすべて込みで取材して両手一杯掻き集めて、先祖末代に読まれることになる幻想郷縁起に神主の項目を新設するんだって貴方自分のその口で言ったじゃない!」
「ええ言いましたよ! 言いましたけど、気が変わったんですっ」
まったく悪びれることも怯むことなく、阿求も言い返した。
うら若い乙女の百八十度開脚を思わせる、世にも天晴れの開き直りっぷりだ。
「今ご説明申し上げた通り、やはり! 神主は幻想郷縁起に掲載するべきではないと私は」
「誰かに『べきでない』って言われた訳じゃないでしょ? あくまで貴方の自己判断でしょ!? そんなん朝令暮改も良いところじゃない!」
「ですから気が変わったんです! 大それた事を考えてたんだって気付いた私は、とにもかくにも掲載しないっことに決めたんですっ!!」
「そんないい加減なことってアリ!? あんまりふざけると無銭飲食直後のイングラムみたいに魔法で焼き払うわよ!?」
「それただの恫喝じゃないですか! そんなのに屈するほど阿礼乙女は弱くなああああイングラム!? あれがイングラム? あれってのがイングラム!!? ちょっと無銭飲食でうどん喰ってマスパに焼かれてすっぽんぽんとか、イングラムさん滅茶苦茶に落ちぶれすぎでしょ!? あんまりでしょ!?」
「そうなりたくないなら神主のことちゃんと書いて! この私の不満はどうすりゃ良いってのよ!?」
「そこまで知りませんッ! ――ああもう、とにかく私は、神主については一切何にも書きませんっ! 以上!」
自分の気持ちに確信が持てている分、阿求も真っ向立ち向かう。こうなってくると賭場でサイコロ二つ振るって大男どもを相手にしている鉄火肌の女も服を着て逃げ出すほどの威勢に様変わりする、この当代阿礼乙女。博麗の巫女だろうがキングギドラだろうが束にして相手が出来そうな破竹の気勢を、ぽややんとした日常の面影の一体どこから出してくるのか神主の生い立ち以上によっぽど謎だ、そっちの方が。
閻魔様のご高説ですっかり教化されて心の大黒柱に爪を立てた阿礼乙女、淑女のペルソナを資源ゴミに出し終えて、牙を剥きそうな博麗神主の糟糠の妻にも一切合切妥結せず刃向かってゆく。
基本的に朝令暮改は事実なのだから、もうちょっと悪びれれば可愛げもあるのだが……
「いいから全部忘れて寝れば良いんです今日はありがとうございますっ! もう二度と書きませんからごきげんよう!」
最後は意味を成していなかった。
内容を思い付く前に文章を思い付いてしまう、文筆業特有の性質で、敢然と日本語以外の日本語を喚き散らし昂ぶりきった心で阿求は今度こそ背を向けた。
「…………ふうん」
霊夢の動きは止まっている。先に冷静を取り戻したのは、霊夢だったようだ……
が。
「ひえだの、あきゅう、さん」
「……はい、何ですか」
霊夢の、地に足のついた声音がもう一度足を地面に縫い止める。
阿求もそれでようやく落ち着きを取り戻し、淡いままの月夜に霊夢を振り返り――
息が、三秒止まった。
「私がどういう人間なのか、ちょっと貴方忘れすぎちゃったかしら――?」
そこに浮んでいたのは、普段の無頓着無感動無気力な無表情ではない。
まして今朝方、幻想郷縁起の方針を伝え聞いて喜んでいた、無邪気なとびっきりの笑顔でもない。
そこにあったのはキングギドラでも氷漬けに出来そうな、鬼巫女もかくやの凄絶な笑みのどす黒い輝きだった。
着物の裏、阿求の背筋を氷のような汗が伝う。言い知れない不安を混ぜ込んで飲み込んだ唾は、喉元を過ぎても冷たさが失われることはなかった。
とても嫌な予感がする。
じり……と、阿求の雪駄が思わず半歩後ろに下がった。
「な、な、何を」
「朝一番に貴方、自分で言ってたじゃない。『この世界で神主と話をしたことがあるのは、霊夢さんだけです』って……」
「そ、それが何か」
ふ、と笑みを浮かべてみる阿求。
もちろんただの強がりである。
「それはつまり、ありのまま言えばこういうことよね。貴方以外では創世主の神主しか知らない、と貴方が思ってる貴方自身の事柄を、実のところ私も知ってる可能性があるのよねっていう」
「……」
「貴方、レミリア・スカーレットの能力について何か聞いた?」
「……いえ」
「神主のことをあちこちに取材したなら、この幻想郷の子達の能力がみんな神主ありきだってことも教えてもらったでしょう。けど、私の勘が正しければ、レミリアだけは能力のこと喋らなかった筈なのよね。貴方に対しては、特に」
霊夢が半歩前に、歩を詰めた。
下がる金将。
「いいこと教えたげる。神主は少女が超好きなのよ」
「知ってます。しかし、またダイレクトな言葉で来ましたね」
「だから幻想郷の実力者は、一様に乳臭い女の子で固められているわ。性別および年齢という、生まれながらのパラメータをほしいままに操って世界を作る、そのセカイの結果を正当化するために、Windows移植第一作目で生まれたのがあの子。レミリアよ」
「……」
「『運命を操る程度の能力』は、胸もお尻もちっちゃな女の子ばっかりで埋め立てられた幻想郷に説明を与えてくれてる訳。もし彼女が居なかったら今頃魔理沙はぺしゃんこの鞄に学ラン姿でゲーセン寄って、河原で立ちションもすりゃアレもするちょっと普通の男子校生だし、チルノは青鼻こさえたランニングシャツと虫取り網のガキ。八雲紫に至っては定職にも就かずゴロゴロしまくった挙げ句、内職の藍ねぇちゃんの真隣で公然とおならをぶう~っと一服盛っちゃうような本気でしょーもないステテコ腹巻き親父になってるわ」
「そ、そ、それは嫌ですね、有り得そうなだけに怖いですね」
「ええ怖いわ、レミリアが居るお陰で、弾幕合戦は少女のものになって華やかになってる…………でもね」
声音が最後に転調する。
また歩が一歩詰めてくる。声が低く裏返ると共に威圧感も裏返って、と金になる。
下がる金将。
……巫女が何を言いたいかは、実は薄々感づいている。
だが、間違ってもそれを受け容れられない稗田阿求が居る。
「『ビアガーデンを手放して以降、神主は酒の席に雰囲気と人を求めるようになった』……幽々子あたりが言ってたんじゃない? それが事実。でもやっぱり、共にお酒を呑む相手が女の子ばーっかりだと、色々気を遣うわよね。好きな女の子だと楽しいかもしれないけど、女の子相手だとやっぱり遠慮が先立っちゃう。普段はどうしても、気の置けない同性と呑みたいわよね。しかし幻想郷の実力者には、少女しか送り込むことが出来ない。まして、ああいう頭の悪い妖精とか鳥頭とか宇宙人なんかが例え男だったとしても、神主の呑み相手なんて務まる訳もない」
「…………」
「そう。神主が最後に喉から手が出るほど求めてたのは――風流を解し、頭脳明晰な『男の』呑み相手だった。しかし、弾幕ごっこは天鵞絨少女戦ですよってなもんでレミリアに実権を握らせてしまったから、窮余の策でやむにやまれず彼は」
と金が一歩、詰める。
「――書籍のキャラクターでそれを実現したの」
下がろうとした金将が、納屋の壁際に追い込まれた。金将にもう下がる道はない。
「弾幕に関係しないなら、どんな人物でも送り込める――そんな神主の目論見は見事大成したわ。『風流を解し』、『頭脳明晰な』人を彼は立て続けに二人送り込んだ。一人は勿論、森近霖之助さん。そしてもう一人の風流人の名前は、稗田阿求」
壁際まで追いつめたと金の、威厳に溢れた死刑宣告のように聞こえた。主文を後回しにして判決理由という名の外堀から着実に埋め立てられてゆく苦悶は、子々孫々の転生の記憶にどう間違っても残してはいけない。
紅白の衣裳を着た女性に対する、ど派手なトラウマになること間違いない。
「そんなのへ、屁理屈です! そんなことありませんっ、私はれっきとした女の子ですッ!」
「ねぇ阿求さん」
言葉を遮り、霊夢がにぃっと微笑んだ。
「今ここで、下、脱いでくださる?」
ばっ、と反射的に、スカートの裾を思い切り握りしめる自分の手があった。
無意識の行動である。目の前にパンチが飛んできたら脳に信号が行く前に脊髄反射で首が動く、あれと同じ行動原理。
視線はまっすぐ霊夢を見ている。目を離したらやられる。
「ば、ばかじゃないですか!? そんなこと出来ません、恥ずかしいです!」
「あらどうして? 女の子同士じゃないのかしら」
「お、お、女の子同士でも恥ずかしいものは恥ずかし」
「一緒にお風呂入るときにはみんな見るじゃない? それと同じ事。さあ、脱いでみてったら」
「ダメです! 絶対に嫌ですッ!」
じりじりと詰め寄ってくる、と金。空中に翳した右手左手の十指はそれぞれ独立した生き物なのか、さながら発情期を迎えたタワシのように蠢いている。学術的に価値がありそうなほど猥褻な動き方をしている。
その指先に、不意に緑色の淡い光が浮んだ。
それに目をやった瞬間、陽動作戦を待っていた別の巫術の塊に足許を払われて視界が回転した。腰と後頭部に衝撃、スカートがまくれ上がり冬の夜の外気に下着が露出し冷やしドロワーズのようなひんやり感。
先程感慨深く見上げた美しい夜空が首を傾けずとも視界一杯に広がる。
そしてすぐに、霊夢のダイブが眼前を覆い尽くした。
跳ね起きる暇もなく両の肩を押さえつけられる。精一杯の抵抗で跳ね除けようとするが、阿礼乙女のひ弱な力では、肩を押さえていた手を胸にずるっと滑らせる程度で精一杯だ。
「あれれー? 平べったいお胸……女の子の筈なのに、これはどうして?」
「そ、そそ、それはまだ発育していないからです! 絶対にこれからおっきく」
恥も外聞もプライドも何もかも捨てた科白さえ、みなまで言うことを許されなかった。ナイフのように尖った札に着物を縫い止められ、身柄を桎梏されたまま霊夢の両手が空いた瞬間に運命は決した。
と金が迫る。
暴れる阿求の膝を自分のお尻で押さえ込んで馬乗りの形になり、霊夢がとうとう阿求の下着のゴムに王手という名の指をかけた時。
「やめて……やめて! お願い、や……いいやあああああああああああああああああああああああああアアアアアアッッ!!!!!」
――家人達は稗田邸で、のんびり海苔と塩を残飯箱に片づけた。
冬の博麗神社で、変声期前の男の子のような断末魔が、夜空を切り裂く。
金はとうとう、玉将を攻め落としました。
という、目に染みるような博麗霊夢のどうしようもない下ネタで、この物語は終わりを告げるのである。
◆Epilogue.
幻想郷には、面白い符合がひとつある。
西行寺幽々子で「花」。
蓬莱山輝夜で「月」。
射命丸文と東風谷早苗でそれぞれ「鳥」と「風」。
雅やかな酒宴を求めて、日本古来の伝統美意識たる花鳥風月に手を出した神主は、しかしいずれも、自分の手の内に収めておくことを美徳としなかった。イレギュラーの花映塚を挟んだ4連作の中で、彼は美しかった日本の欠片を、幻想郷の中へ次々に解き放っていったのだ。
しかし、現世にありても相も変わらずに酒は旨し。
そして最後に求めたのは――酒と共に語らい合える、まるで妖怪のように愉快な人間達だったのだ。
幻想郷縁起に、神主の項目は無い。その正確な理由を知る者も居ない。
しかし項目は無くともひとつだけ、言葉無く口伝された気高き事実をこそ、幻想郷縁起は誇っている。
幻想郷を彩る万物を生み出したその創世主の面影を、幻想郷縁起は、そのものの存在によって示しているのだ。
この素晴らしい仲間達よ。この楽しい仲間達よ。彼等はここに居る。
それを伝えてさえいれば、幻想郷縁起は十全である。幻想郷縁起に描かれる郷の風景のあの楽しさこそが、神主の存在証明なのだ。彼がある日ビールのつまみに枝豆を両手に持ったところで「…………二刀流だ!」と思い付いて生まれてしまった(幽々子談)という少女剣士魂魄妖夢も、或いは商店街の片隅に薄汚れた終の棲家を構え、売卜(ばいぼく)で小銭を稼ぎつつ年金生活を送るダグラス・イングラム(米 78歳)も、きっと今頃心の底から報われていることだろう。
この世界で生き、この世界を生かしていくために、阿礼乙女には何が出来るだろう。
夢幻の郷で天の美禄を両手に抱え、花が咲き雪が降り、風に鳥は舞い松濤はさざめき、盆暮れ正月が来れば盛大に宴が開かれる。神主自らそう望んでずらりと並べられたキレイドコロの少女達が妖艶な目をして、来る者来る者をそこかしこで艶やかにいざなっている。
この世界は愛されている。
だから、世界が暫し生きていく方法は必ずあるだろう。
幻想郷縁起を紡いでゆこうと、自分は思っている。
筆を持つ手が疲れたら、自分が動き出しても良いし周囲の人間観察をしていても良い。それらがすべて一つずつのささやかな物語である。
綴られ、詠われ、描き続けられる世界を目の当たりにしてもう迷わない。幻想郷縁起の一項目として神主を増設する企みはこれにて終止符とし、幻想郷におかれましては大団円、おめでとうおめでとう、神主の作り出した小さな世界で愉快な仲間達を相手にしながら、自分の一挙手一投足こそは物語であるとの強き想いを胸に生きてゆこうと第九代稗田家当主阿礼乙女であるところのボクは
「……こほん」
私は、誓うのであります。
Fin.
神主つええwww
ちょっと注文をつけるなら、全体的に強烈さがなかったかな、と。
長い文章なのにスラスラと読めてしまいました。
素晴らしい力作です。
ただ、ちょっと……オチが…………
あっきゅんへの愛は変わりませんがね!
たとえ男の娘でも!
息をつめ、隙を作らず、最後まで読んでこのオチとは…
あきゅん…
――なんて素晴らしいんだ!
没頭して読めるのは勢い以上に筆力からくるのでしょう。
面白かったです。
オチの予想のつかなさが増しておりました。
お幸せに……イングラム。
メタなジャンルによくある、神主についてのお話でしたが
それを語る切り口や過程その他諸々がとてもすばらしい。
でも幽々子の話は俺も考えたことありますね。「々」ってなんだよとww
映姫様もさりげなく残念なキャラしてるしww
阿求がOTKnKだと? ショタコンの俺にはご褒美です
……そう思っていた時期が私にもありました。
こwwwれwwwはwwwひwwwどwwwいwww