弾幕日和と言ってもいいぐらいよく晴れた日に、アリス・マーガトロイドは魔法の森にある霧雨魔法店の前までやって来ていた。
買い物客が殆ど訪れないこの魔法店は、ただの霧雨魔理沙の自宅と言った方が正しいだろう。
とにかく、アリスは魔理沙の家の前まで来ていた。
とある筋の情報によると、魔理沙はここ最近は神社に顔を出しておらず、魔法の研究に没頭中だそうだ。
なのでアリスは同じ魔法使いのよしみとして、研究に励む魔理沙にお手製のクッキーを差し入れに来たのだ。
「た、たまたま作りすぎちゃって、捨てるよりはマシだから散歩ついでに持ってきただけよ」
だそうだ。独り言にしては随分大きな声だが、
「シャンハーイ」
と、アリスの側にいる上海人形が相槌を打ってくれるので問題は無い。
アリスにとって、この人形は独り言を堂々と言うためのスケープゴートとして便利な存在である。
あまり会話が成立しないのと、たまに周りから可哀相な目で見られるのが玉にきずだが。
アリスは立て付けの悪いドアを開けて、飾りっ気のある声で呼びかけた。
「魔理沙ー、いるー?」
いつもなら『いないぜー』とやんちゃな思春期の少女の声で返事が返ってくるのだが、
「うー?」
と、まるで赤ん坊の喃語(なんご)のような返事が返ってきた。
部屋に足を踏み入れたアリスの視界に飛び込んできたのは、
『自分より少し背が低く、生意気そうな猫目と幼さの残る輪郭を持った、白黒のエプロンドレスの少女』
ではなく、
『自分の半分以下の背丈で、ややつり目のつぶらな瞳とぷっくり膨らんだ頬を持った、白黒のエプロンドレスの赤ちゃん』
だったのだ。
「え?これ……?何が一体……どう……なて……」
あまりに予想外の事態に、アリスの思考は一種の錯乱状態に陥った。
目の前にいるのは魔理沙ではなく、魔理沙をそのまま小さくしたような赤ちゃんであり、室内には他に誰もいない。
つまり彼女が魔理沙なのだ。
それにしてもこの魔理沙、実に可愛い。
魔理沙から邪気を抜いて愛らしさのみを乳幼児サイズまで凝縮し、誰が仕立てたのか知らないが乳幼児サイズの魔法使いの衣装を身に纏ったその姿は、捨虫の術を会得した魔法使いですら悶死させ兼ねない破壊力がある。
最早愛でるしかあるまい。幸いなことにここには他に誰もいない。
いや待て、その結論を出すのは早計だ。人間は歳を取ることはあっても若返ったりはしない。
魔理沙が誰かから赤ん坊を借りてきてアリスを引っ掛けようとしてるという可能性もある。
いや、可能性どころかいたずら好きな魔理沙なら十分やりかねない。
ちび魔理沙を抱きしめてキャッキャウフフとお花畑を咲かせているところを魔理沙に目撃され、ドン引きされるのだけは避けなければならない。
「ま、魔理沙ー!いないのー?馬鹿やってないで出てらっしゃーい!」
アリスは口に手をあてて声を家中に響き渡らせた。
「ねえ、魔理沙ー!」
「まりしゃー♪」
自分の名前を呼ばれたと勘違いしたのか、ちび魔理沙は両手を上げて、舌足らずな言葉で元気良く返事をした。
「え…やっぱり、あなた……魔理沙なの…?」
アリスが恐る恐る尋ねると、
「まりしゃ♪」
目の前の小さな恋色の結晶は、そう答えて無邪気に微笑んだ。
よもやこれまで。
アリスの中で何かが切れた。
「かーわーいーいー!」
アリスは黄色い声を上げながらちび魔理沙を抱き上げ、そのつき立ての餅のような頬に自分の頬をすり合わせた。
「やらかーい!まりしゃかわいいよまりしゃウフフ…」
アリスは親馬鹿丸出しの親のような赤ちゃん言葉を言いながら、ちび魔理沙の頬の感触を楽しんだ。
「シャンハーイ…」
そのあまりの狂態に隣にいる上海人形が汗顔しているが、全くお構いなしだ。
「あぷーっ!!」
「痛っ!?」
ちび魔理沙は不機嫌そうに声を上げ、もみじのような掌でアリスの鼻のあたりを殴打した。
しょせん赤子の力ではあるが、角度が良かったためアリスが涙目になるほどの痛みを与えることができた。
「いたた……ごめんね~まりしゃ。まりしゃがあんまり可愛いもんだから、お姉ちゃんつい興奮しちゃって」
「う~ぅ!」
発狂モードから復帰したアリスはちび魔理沙にわびを入れ、機嫌を取るように体を揺さぶった。
赤子ながらにしてこの気の強さは、やはり彼女が魔理沙である証なのだろう。
ちび魔理沙が苦虫を噛み潰した顔から次第におだやかな表情に変わるのを見て、
「ああ、やっぱり可愛いわ~」
と、とろけるような顔になるアリスであった。
「それにしても、どうして魔理沙が赤ちゃんになったのかしら?何か原因があるはずよね」
落ち着きを取り戻したアリスは、手がかりを掴むため、改めて魔理沙の部屋を見渡した。
「相変わらず汚いでしゅね、まりしゃのお部屋は」
「う~…」
テーブルの上には魔法の研究と思しき走り書きがしてあるノートと、大図書館からパクってきたと思われる魔法書、フラスコやビーカーなどの調合器具、それに色とりどりのキノコが散乱していた。
それ以外にも衣服や雑貨などが散らかってはいるが、今のところ特に怪しい点は見受けられない。
「ふうむ、どうやら魔理沙は何らかの魔法的実験の影響で赤ちゃんになってしまったみたいね」
アリスは名探偵よろしくあごに手を当てて仮説を述べた。
上海人形もそのポーズを真似、魔理沙もそれにつられた。
アリスが引き続き部屋の中を調べていると、
「魔理沙ー、生きてるー?」
独特のけだるそうなトーンの声とともに、新たな来客が魔理沙の部屋に上がりこんできた。
腋がチャームポイントの紅白の装束を身にまとった巫女、博麗霊夢だ。
異変の予感というほどではないが、なんとなく魔理沙の家に行った方がいいと博麗巫女の勘が告げたので、買出しのついでにふらっと訪れたのだった。
「あら霊夢?」
ちび魔理沙をわが子のように抱きかかえたアリスが声をかけると、
「あ…………」
予想外の光景を目の当たりにした霊夢は思わず言葉を失った。
そしてこの不可解な状況を思考停止寸前の脳で分析した。
ここは魔理沙の自宅、
そこにいる魔理沙似の赤ちゃん、
そしてそれを母親のごとく抱きかかえるアリス…
これらの要素から導き出される答えは一つ。
「この……変態っ!」
霊夢はアリスを指差して、力いっぱい罵倒した。
「ちょっ、なんでそうなるのよ!」
「あんたがそんな奴だとは思わなかった!正直、見損なったわ!」
アリスは半ば錯乱状態の霊夢をなだめ、現在の状況をかいつまんで説明した。
「なるほど、魔法の実験で赤ちゃんにねぇ……」
霊夢は赤子と化した魔理沙の顔をしげしげと眺めた。
「そういうこと。それより、どういう思考ロジックを辿ったら私が変態という結論になるのよ」
「いや、てっきりアリスが怪しげな魔法で股間にキノコを生やして、魔理沙との間に無理やり子供を作ったのかと…」
「なにそれ、あんたの頭が変態よ」
霊夢のとんでもない妄想に、アリスは呆れ顔で突っ込みを入れた。
「バカジャネーノ」
ついでに上海人形が付け足した。
流石のアリスでもそこまではしない。しないはずだ。多分。
「それで、これからどうするの?」
霊夢はちび魔理沙の頬を指でつつきながら尋ねた。
普段ならカリスマ幼女やつるぺた幼女の誘惑にも目もくれぬハードボイルドっぷりの霊夢だが、赤ん坊の可愛さには興味を示さずにはいられないようだ。
「そうね、魔理沙をこのままにしとくのは可愛そうだから、魔法使いの私が元に戻す方法を調べるとして……」
アリスは霊夢に負けじと反対側の頬を指で撫で、
「誰かが魔理沙の面倒を見てあげなければいけないわね」
と言うと、両者の目線がかち合った。
「私が!」
アリスが真っ先に名乗りを上げると、
「いやいや私が!」
霊夢が間髪入れずに異議を唱えた。
「なによ霊夢、あなた魔理沙のことそういう目で見てたの?」
アリスのジト目を伴った指摘に対し、
「そ、そういう目って何よ!私はただ、いつも顔合わせてるよしみで仕方なく面倒を見てやろうと思っただけよ!」
霊夢はたどたどしい言葉で弁解した。
「ふーん、そんな嫌なら無理して面倒見ることもないんじゃない?ま、その反面私なら、里の子供たちに人形劇を見せたりして子供の扱いに慣れてるから、最後までしっかり面倒見る自信あるけど」
アリスは慣れた手つきで魔理沙をゆりかごのように揺さぶり、
「あなたの場合、子供が泣き出したら思わず引っぱたきたくなるんじゃなくて?」
さらに霊夢の性分を見透かしたように付け加えた。
「そ、そんなことしないわよ!ちゃんと面倒見れるわよ!」
思い当たる節があるのか、霊夢はいささか動揺しながら答えた。
「ふうん、まあ百歩譲ってそうだとしても、治療法も調べなきゃいけないからやっぱり私の手元においておいた方が何かと都合がいいと思うのよ」
「いやいや、全部一人でやるのは効率が悪いわ。私が育児して、アリスが調査する。それが一番効率的よ」
ああ言えばこう言う、お互い意地の張り合いの様相を呈してきた。
「そもそも霊夢の稼ぎじゃ子供一人養うのは無理じゃない?その点、うちなら子供一人ぐらい養う余裕あるわ」
アリスの更なる口撃。痛い所を突かれたのか、霊夢は一瞬硬直した。
「……言ってくれるわね。うちはあんたが思うほど貧しくないし、裏庭とかに食べられる物生えてるし、紫とかがたまにおすそ分けしてくれるし……」
言ってるうちに自信がなくなってきたのか、最後の方はやたら弱々しい声になっていた。
「とにかく、いざとなりゃ副業してでもしっかり育てあげてみせるわ!」
霊夢は半ば切れ気味に言い切った。説得力の無さを勢いで押し切るつもりらしい。
「だいたいねえ、人間の子は人間が育てるって相場が決まってるのよ。それにこんな瘴気渦巻く魔法の森じゃ子供の体に悪いわ」
話の矛先を逸らすように、霊夢はアリスに駄目出しした。
「妖怪が人間の子を育てるのはちょっと考え物だけど、私も元は人間だし、魔法使い同士だから問題ないでしょ。魔法の森の環境は並みの人間には堪えるけど、魔理沙は赤ちゃんでも魔法使いとしての資質が十分だから大丈夫よ」
アリスはきっちり反論したあと、
「ねー、まりしゃ♪」
と、あてつけがましく腕の中の魔理沙に語りかけた。
その行動は、こらえ性のない霊夢の堪忍袋を決壊させるには十分だった。
「もう怒った!こうなったらスペルカード戦で決着よ!」
「望む所よ!返り討ちにしてあげるわ!」
かくして、魔理沙の養育権を賭けた激闘の火蓋は切って落とされた。
幼い魔理沙はただただ目を丸くして二人の動向を見守っていた。
霧雨魔法店の前にある広場に、巫女と魔法使いが対峙している。
お互い果し合いのような闘気を身に纏い、今にもつかみ合いを始めそうな状態だ。
店先の日除けの下には、決戦の行く末を見守るように魔理沙が佇んでいる。
その隣には、赤ん坊の魔理沙から目を離さないように、上海人形が保護者役として残されている。
サイズ的には上海人形の方が小さいので、保護者という風には見えないが。
「ルールはいつも通り。降参か気絶した方の負け。死んだらおなぐさみ。そして勝った方が魔理沙の養育権を得る。いいわね?」
霊夢の大雑把な説明に、アリスは無言で頷いた。
霊夢は不動の主人公よろしく威風堂々と仁王立ちし、アリスは半身になって左手を突き出す警戒心ありありの構えを取った。
一陣の風が、勝負の開始を告げるように両者の間を吹きぬけた。
「それじゃあ行くわよ!『空を飛ぶ不思議な巫女』!-ルナティッ」
先に動いたのは霊夢だった。霊夢は懐からスペルカードを取り出し、早口でカード宣言を行うが、
「させるかっ!」
それを遮るように、アリスの飛び蹴りが霊夢の手の中にあるカードを打ち落とした。
そして着地して間髪入れずにローキックを連打した。
「ちょっ!カード宣言の邪魔をするなんてヒーローの変身を邪魔するぐらい卑怯じゃない!?」
「うるさいわね!あなたこそ何でいきなりラストスペル級のを持ってくるのよ!それもルナティックって何よ!?話の冒頭でいきなり印籠を出す水戸黄門がどこにいるのよ!」
喧嘩腰の言葉と共に向うずね目掛けて蹴りを浴びせるアリス。
先手を取られて体勢を崩された霊夢は、足を浮かせてダメージを和らげるのが手一杯だ。
「そんな奇麗事なんてどうでもいいわ!今日の戦いだけは、何がなんでも負けられないのよっ!」
霊夢はどうにか体勢を整え、すね蹴りの間隙を縫ってミドルキックを放った。
アリスはしっかりガードしたが、それでも一撃で後退させるのは脚技に定評のある博麗巫女の成せる業か。
二人の間合いは手足の届かない距離まで広がった。
しかし霊夢にとってこの距離で戦うのは得策じゃない。
何故ならこの距離は、アリスの人形による打撃攻撃や射撃を行うのに絶好の間合いだからだ。
逆に、近距離か遠距離ならば霊夢に分がある。
大技をかましたい霊夢は距離を取る事を選び、その場から飛びのいた。
が……意外っ……!
アリスは猛ダッシュで一気に間合いを詰め、スピードの乗った前蹴りを放ってきた。
「ぐっ!」
これが霊夢のみぞおちにクリーンヒット。強烈なダメージに体がくの字に折れる。
真剣勝負でこの隙を逃す手は無い。霊夢はスペルカードか人形による連携が来ると予想した。
しかし、またしても意外っ……!
アリスの分厚い靴底が再度霊夢の腹部を強襲した。
霊夢の体は宙を舞い、背中から地面に叩きつけられた。
「どうしたの?それで本気?このままなら魔理沙は私が育てることになるわよ」
アリスは霊夢を見下ろし、嘲笑交じりに言った。
「どうやら私にスペルカードを出させない作戦らしいけど……ふん、その程度の蹴りで博麗の巫女を倒せると思ったら大間違いだわ」
霊夢は鼻で笑い返し、ダメージは無いと言わんばかりに威勢良く跳ね起きた。
「来なさい、本当の蹴りというものを見せてあげる」
霊夢が空手っぽい構えと共に手招きすると、アリスは待っていたとばかりに目を光らせ、再び足の届く距離まで接近してきた。
まずはアリスの前蹴り。これを霊夢、二度は喰らうまいとしっかりガードする。
続いてローキック、これもガード。
そこからアリスはしゃがみ込み、足払いのような超低空ローキックを伸ばしてくるが、霊夢は軽く飛び跳ねて回避し、お返しと言わんばかりに飛び蹴りを叩き込む。
さらに地面を強く踏み込み、後方宙返りをしながら思いっきり蹴り上げる。
霊夢が得意とする二段蹴り、抄地昇天脚だ。
霊夢の攻撃をまともに受け、今度はアリスが地面に倒れこむ。
「あんたの計算外の行動に初めは戸惑ったけど、接近戦とわかれば怖いものはないわ!」
「…それは…どうかしらね」
アリスはゆっくり立ち上がり、霊夢を挑発するように笑った。
霊夢は先ほどまでのアリスのお株を奪うように距離を詰め、アリスが身構えると同時に前蹴りを突き出した。
アリスは身を引いてダメージを緩和するが、ダウンから復帰したばかりで足元が覚つかず、じりじりと後退した。
霊夢は間合いを詰めるように前転し、ヘッドスプリング気味に両脚を下から突き上げた。
アームブロックで辛うじて受け止めたアリスの表情が苦痛に歪み、その隙に付け込むように霊夢は鋭い下段蹴りでアリスの軸足を強打した。
上下への揺さぶりを交えた霊夢の多彩な脚技に、アリスは防戦一方の展開を強いられた。
勝負の主導権は、霊夢の方に傾き始めたかに見えた。
「確かに、霊夢の脚技は強い…」
霧雨魔法店入り口で勝負の行く末を興味深く見守るちび魔理沙の隣に、どこから来たのかパチュリー・ノーレッジが現れ、冷静な口調で戦況の分析を始めた。
昔戦った敵が主人公の戦いを解説しに馳せ参じるのは、どこの世界でもよくあることである。
「人形師の命である指を保護するため、肉弾戦は脚技主体で鍛え上げてきたアリスの蹴りもなかなかのものだけど、脚技のスペルカードを持つ霊夢ほどではない。このまま肉弾戦を続ければ、勝負は間違いなく霊夢のものになると、誰もが思うでしょうね……」
誰に聞かせたいのかよく分からないが、パチュリーは淡々と解説を続けた。
「しかし、弾幕はブレインと言ってはばからないアリスが、何の考えも無く不利な接近戦を挑むとは考えられない。勝負をひっくり返す罠が仕掛けられているはずよ。恐らくアリスの狙いは……」
パチュリーは半開きの瞳を光らせて、戦況の核心について語ろうとすると、
「うー?」
自分に話しかけられてると思ったのか、ちび魔理沙が可愛らしく小首をかしげてパチュリーを見つめた。
パチュリーの視線は土煙を上げて蹴りあう二人の少女から、足元にいる無垢な魔理沙へと釘付けになった。
(かわいい……)
パチュリーはほのかに赤くなりながら、魔理沙の頬を夢中になってぷにぷにとつついた。
解説の仕事はいいのだろうか。
さて、霊夢とアリスの脚技合戦はさらなる激しさを帯びていた。
「隙あり!亜空穴!」
霊夢の奇襲気味の飛び蹴りがアリスの延髄に襲い掛かる。
アリスは辛うじて右手に持った魔道書で受け止めたが、霊夢の猛攻に晒された疲労とダメージのために大きく体勢を崩してしまった。
「この博麗巫女、容赦せん!神技『天覇風神脚』!!」
霊夢は高らかに宣言し、隙だらけのアリスめがけて渾身のサマーソルトキックを放った。
アリスの体が宙を舞うと、さらに二発、三発、四発と、駄目押しのように蹴りの連打を叩き込んだ。
強烈なダメージを受けたアリスは、受身も取れず激しく地面に叩きつけられた。
「接近戦を挑んだのは完全に誤算だったようね。魔法使いは後列と昔から相場が決まってるのよ」
霊夢は自信満々に腕を組み、目の前で這いつくばるアリスを悠然と見下ろした。
「確かに…見事な脚技だったわ。私なんかじゃとても太刀打ちできないくらい……」
アリスは気弱な発言をし、体を震わせながら力なく立ち上がった。
「あら、もう諦めるの?降参するなら早い方がいいわよ」
図に乗るような言葉とは裏腹に、霊夢はアリスの動向を注意深くうかがっていた。
得意の人形をけしかける動きを見せたら、即座に対応できる心構えでいた。
「霊夢、あなたの脚技は強烈……でも、お陰で溜まったわ」
「溜まった?何が?」
「キックパワーがね!!」
アリスの口調が一転して強気になると、霊夢は背後に不吉な気配を感じ、ハッとなって振り返った。
するとそこには、ゆうに霊夢の身長の5倍はあるであろう超特大の人形の姿があった。
霊夢は目の前のアリスに意識を集中しすぎて、背後への警戒心が疎かになっていたことを不覚に思った。
「あなたのプレゼント、三倍返しにしてあげる!超弩級『ゴリアテキック』!」
アリスがスペルカードを頭上にかざすと、巨大な人形の右足がうなりを上げて振り下ろされた。
霊夢はとっさにガードを固めたが、たたみ三畳ほどもあるブーツによって蹴鞠のように蹴り飛ばされた。
霊夢の体は遠く離れた木の幹に激しく叩きつけられ、そのまま力なく崩れ落ちた。
「フフフ、超弩級『ゴリアテキック』を受けて立ち上がった者はいない……人間のガードごときで防ぎきれるものではないわ」
アリスは余裕の笑みを浮かべながら、霊夢の元へと歩み寄った。
本当は人に向けて使用するのはこれが初めてなのだが、それは伏せておいた。
「霊夢から受けた打撃のエネルギー(アリス曰く、キックパワー)を巨大人形の動力に変換するとは、なかなか考えたわね」
遠くで勝負の成り行きを見つめながら、パチュリーがつぶやいた。
巨大人形による強烈な一撃は、ちび魔理沙に夢中になっていた彼女を我に返らせるほどの迫力があったようだ。
「人形遣いのアリスが一体の人形も出さずに戦っていたのは、巨大人形を一瞬で発現させるだけの魔力を温存していたためなのかもしれないわ」
「シャンハーイ?」
「あなたはノーカウントよ」
上海人形の方を向いて軽く突っ込みを入れると、パチュリーはちび魔理沙が家の軒下にある草むらにしゃがみ込み、なにやらもぞもぞと頬を動かしているのに気づいた。
「ああ、何やってるの!その辺に生えてるものを食べちゃ駄目!」
パチュリーは慌てて魔理沙を抱きかかえた。
「ほんと赤ん坊って、何でも口に入れるのが好きね……」
「あむあむ……」
世話を焼くパチュリーなど知らんといった顔で、魔理沙はもぐもぐと口を動かした。
「あーっ、飲んじゃ駄目だったら!」
「勝負あったわね」
アリスは地面にうつ伏せになったままの霊夢を眺め、勝利を確信しながらそう告げた。
「まあ、安心なさい。魔理沙は私が責任をもって、花も恥らう可憐な乙女に育て上げてみせるから」
アリスは手を胸に当て、目をきらめかせながら言った。
最初といささか趣旨が変わっているのは気のせいだろうか。
「う……」
アリスの勝利を否定するように、霊夢は身じろぎした。
しかし起き上がるどころか、上体を起こすことすらままならない様子だった。
「無駄なあがきはよしなさい。そのダメージではもう、前蹴りの一発も満足に打てやしないわよ」
「え……偉い人は……言いました……」
霊夢は肩で息をしながら、うわごとのようにつぶやいた。
「何て言ったのよ?」
アリスは余裕綽々の表情で霊夢の言葉に耳を傾けた。
「キックがないなら……スペカを撃てばいいじゃない……!」
その瞬間、霊夢の掌からまばゆい光が発せられ、そのまま地面を伝ってアリスの足元を四角く取り囲んだ。
「しまった…!!」
飛びのく暇も与えず、光の正方形は激しい衝撃波となり、炸裂音と共にアリスを下から突き上げた。
「神技『八方龍殺陣』…ルナティック……」
霊夢は顔だけを上げ、してやったりの表情でつぶやいた。
「魔力を温存してたのは…私だけじゃなかったのね~~」
アリスはかすれるような声で言い残し、大地のマットの上にあえなく沈んだ。
決着はついた。
体力も魔力も底を尽きたアリスに、もはや反撃の力は残されてはいなかった。
ゴリアテ人形も力を失い、普通サイズの人形となって地面に打ち捨てられていた。
「約束通り、魔理沙の養育権は私のものよ。いいわね?」
霊夢はお払い棒を杖にしてようやく立ち上がり、アリスに念を押した。
「ええ……魔理沙のこと、花も恥らう可憐な乙女に育ててあげてね……」
アリスは地面を涙で濡らしながら、果たせなかった夢を霊夢に託した。
「アリス……たまにだったら、顔を見に来てもいいのよ」
「ありがとう、霊夢……」
二人の間にあった敵愾心はいつの間にか薄れていた。
拳と拳、もとい、脚と脚で語り合った友情が、確かにそこにあった。
「いやー、いい戦いだった」
満身創痍で戦い抜いた両者に、拍手と共に労いの言葉がかけられた。
「二人ともよく頑張った!感動したぜ!」
振り向くと、白黒の魔法使いが目じりに涙を浮かべながらエールを送っていた。
「ありがとう、魔理……って、ええ!?」
霊夢は先ほどまで赤ちゃんだった魔理沙の成長ぶりに感動……ではなく驚愕した。
「ちょっ、何で元に戻ってるのよー!!」
アリスは等身大魔理沙にしがみつき、涙を振りまきながら叫んだ。
「いや~、なんか軒下に生えてたキノコを食べたら治っちゃったんだぜ。まあ、体が小さくなったのもうっかり変なキノコを食べたのが原因なんだけどな」
魔理沙がしれっとした顔で言うと、
「はぁ……あの激闘は何だったのよ……」
「私のまりしゃ~……」
霊夢とアリスは深いため息をつき、魔力が切れたゴリアテ人形のように力なくへたり込んだ。
少女達の夢見た小さな魔理沙との新生活は、儚く消え去ったのだった。
いつの間にか赤みがかった空の向こうで、一羽のカラスが小馬鹿にするように鳴いた。
「ところで二人とも、赤ちゃんになってた私の面倒を見てくれるつもりだったみたいだな」
ふと、魔理沙がさばさばとした口調で切り出した。
「え?まあ、そうだけど……」
「そっか、ありがとうな」
魔理沙はそう言うと、先ほどまでの無垢な魔理沙を思わせる屈託の無い笑顔を見せた。
その顔を見た霊夢とアリスは急に気恥ずかしくなり、
「い、いや、私は、古い付き合いのよしみだから、仕方なく面倒を見てあげようかなと……」
「わ、私も魔法使い同士のよしみでなんとなく……別に好きとかそんなんじゃ全然ないわよ!!」
と、赤面しながら取り繕った。
「まったくほんと、お前達というやつは……」
すると魔理沙は、何を思ったのかうつむき加減になり、無邪気な笑顔を次第に邪気を帯びたものへと変化させ、
「赤ちゃんになった私を連れ帰って何しようとしてたんだ、この変態どもがー!!」
激しい叱咤と共に懐からミニ八卦炉を取り出して、極太レーザーを霊夢とアリス目掛けてぶっ放した。
「ちょ、待ってよ魔理沙!私達は純粋に育児をねぇ……」
「うるさいうるさい、問答無用だぜー!」
「満身創痍の状態でマスパは……アアン!」
暮れていく夕焼けを背にして爆音を轟かせる魔理沙を眺めながら、
いたいけな赤ちゃんのうちにもっと可愛がっておけばよかった、
と思うパチュリーであった。
おしまい。
買い物客が殆ど訪れないこの魔法店は、ただの霧雨魔理沙の自宅と言った方が正しいだろう。
とにかく、アリスは魔理沙の家の前まで来ていた。
とある筋の情報によると、魔理沙はここ最近は神社に顔を出しておらず、魔法の研究に没頭中だそうだ。
なのでアリスは同じ魔法使いのよしみとして、研究に励む魔理沙にお手製のクッキーを差し入れに来たのだ。
「た、たまたま作りすぎちゃって、捨てるよりはマシだから散歩ついでに持ってきただけよ」
だそうだ。独り言にしては随分大きな声だが、
「シャンハーイ」
と、アリスの側にいる上海人形が相槌を打ってくれるので問題は無い。
アリスにとって、この人形は独り言を堂々と言うためのスケープゴートとして便利な存在である。
あまり会話が成立しないのと、たまに周りから可哀相な目で見られるのが玉にきずだが。
アリスは立て付けの悪いドアを開けて、飾りっ気のある声で呼びかけた。
「魔理沙ー、いるー?」
いつもなら『いないぜー』とやんちゃな思春期の少女の声で返事が返ってくるのだが、
「うー?」
と、まるで赤ん坊の喃語(なんご)のような返事が返ってきた。
部屋に足を踏み入れたアリスの視界に飛び込んできたのは、
『自分より少し背が低く、生意気そうな猫目と幼さの残る輪郭を持った、白黒のエプロンドレスの少女』
ではなく、
『自分の半分以下の背丈で、ややつり目のつぶらな瞳とぷっくり膨らんだ頬を持った、白黒のエプロンドレスの赤ちゃん』
だったのだ。
「え?これ……?何が一体……どう……なて……」
あまりに予想外の事態に、アリスの思考は一種の錯乱状態に陥った。
目の前にいるのは魔理沙ではなく、魔理沙をそのまま小さくしたような赤ちゃんであり、室内には他に誰もいない。
つまり彼女が魔理沙なのだ。
それにしてもこの魔理沙、実に可愛い。
魔理沙から邪気を抜いて愛らしさのみを乳幼児サイズまで凝縮し、誰が仕立てたのか知らないが乳幼児サイズの魔法使いの衣装を身に纏ったその姿は、捨虫の術を会得した魔法使いですら悶死させ兼ねない破壊力がある。
最早愛でるしかあるまい。幸いなことにここには他に誰もいない。
いや待て、その結論を出すのは早計だ。人間は歳を取ることはあっても若返ったりはしない。
魔理沙が誰かから赤ん坊を借りてきてアリスを引っ掛けようとしてるという可能性もある。
いや、可能性どころかいたずら好きな魔理沙なら十分やりかねない。
ちび魔理沙を抱きしめてキャッキャウフフとお花畑を咲かせているところを魔理沙に目撃され、ドン引きされるのだけは避けなければならない。
「ま、魔理沙ー!いないのー?馬鹿やってないで出てらっしゃーい!」
アリスは口に手をあてて声を家中に響き渡らせた。
「ねえ、魔理沙ー!」
「まりしゃー♪」
自分の名前を呼ばれたと勘違いしたのか、ちび魔理沙は両手を上げて、舌足らずな言葉で元気良く返事をした。
「え…やっぱり、あなた……魔理沙なの…?」
アリスが恐る恐る尋ねると、
「まりしゃ♪」
目の前の小さな恋色の結晶は、そう答えて無邪気に微笑んだ。
よもやこれまで。
アリスの中で何かが切れた。
「かーわーいーいー!」
アリスは黄色い声を上げながらちび魔理沙を抱き上げ、そのつき立ての餅のような頬に自分の頬をすり合わせた。
「やらかーい!まりしゃかわいいよまりしゃウフフ…」
アリスは親馬鹿丸出しの親のような赤ちゃん言葉を言いながら、ちび魔理沙の頬の感触を楽しんだ。
「シャンハーイ…」
そのあまりの狂態に隣にいる上海人形が汗顔しているが、全くお構いなしだ。
「あぷーっ!!」
「痛っ!?」
ちび魔理沙は不機嫌そうに声を上げ、もみじのような掌でアリスの鼻のあたりを殴打した。
しょせん赤子の力ではあるが、角度が良かったためアリスが涙目になるほどの痛みを与えることができた。
「いたた……ごめんね~まりしゃ。まりしゃがあんまり可愛いもんだから、お姉ちゃんつい興奮しちゃって」
「う~ぅ!」
発狂モードから復帰したアリスはちび魔理沙にわびを入れ、機嫌を取るように体を揺さぶった。
赤子ながらにしてこの気の強さは、やはり彼女が魔理沙である証なのだろう。
ちび魔理沙が苦虫を噛み潰した顔から次第におだやかな表情に変わるのを見て、
「ああ、やっぱり可愛いわ~」
と、とろけるような顔になるアリスであった。
「それにしても、どうして魔理沙が赤ちゃんになったのかしら?何か原因があるはずよね」
落ち着きを取り戻したアリスは、手がかりを掴むため、改めて魔理沙の部屋を見渡した。
「相変わらず汚いでしゅね、まりしゃのお部屋は」
「う~…」
テーブルの上には魔法の研究と思しき走り書きがしてあるノートと、大図書館からパクってきたと思われる魔法書、フラスコやビーカーなどの調合器具、それに色とりどりのキノコが散乱していた。
それ以外にも衣服や雑貨などが散らかってはいるが、今のところ特に怪しい点は見受けられない。
「ふうむ、どうやら魔理沙は何らかの魔法的実験の影響で赤ちゃんになってしまったみたいね」
アリスは名探偵よろしくあごに手を当てて仮説を述べた。
上海人形もそのポーズを真似、魔理沙もそれにつられた。
アリスが引き続き部屋の中を調べていると、
「魔理沙ー、生きてるー?」
独特のけだるそうなトーンの声とともに、新たな来客が魔理沙の部屋に上がりこんできた。
腋がチャームポイントの紅白の装束を身にまとった巫女、博麗霊夢だ。
異変の予感というほどではないが、なんとなく魔理沙の家に行った方がいいと博麗巫女の勘が告げたので、買出しのついでにふらっと訪れたのだった。
「あら霊夢?」
ちび魔理沙をわが子のように抱きかかえたアリスが声をかけると、
「あ…………」
予想外の光景を目の当たりにした霊夢は思わず言葉を失った。
そしてこの不可解な状況を思考停止寸前の脳で分析した。
ここは魔理沙の自宅、
そこにいる魔理沙似の赤ちゃん、
そしてそれを母親のごとく抱きかかえるアリス…
これらの要素から導き出される答えは一つ。
「この……変態っ!」
霊夢はアリスを指差して、力いっぱい罵倒した。
「ちょっ、なんでそうなるのよ!」
「あんたがそんな奴だとは思わなかった!正直、見損なったわ!」
アリスは半ば錯乱状態の霊夢をなだめ、現在の状況をかいつまんで説明した。
「なるほど、魔法の実験で赤ちゃんにねぇ……」
霊夢は赤子と化した魔理沙の顔をしげしげと眺めた。
「そういうこと。それより、どういう思考ロジックを辿ったら私が変態という結論になるのよ」
「いや、てっきりアリスが怪しげな魔法で股間にキノコを生やして、魔理沙との間に無理やり子供を作ったのかと…」
「なにそれ、あんたの頭が変態よ」
霊夢のとんでもない妄想に、アリスは呆れ顔で突っ込みを入れた。
「バカジャネーノ」
ついでに上海人形が付け足した。
流石のアリスでもそこまではしない。しないはずだ。多分。
「それで、これからどうするの?」
霊夢はちび魔理沙の頬を指でつつきながら尋ねた。
普段ならカリスマ幼女やつるぺた幼女の誘惑にも目もくれぬハードボイルドっぷりの霊夢だが、赤ん坊の可愛さには興味を示さずにはいられないようだ。
「そうね、魔理沙をこのままにしとくのは可愛そうだから、魔法使いの私が元に戻す方法を調べるとして……」
アリスは霊夢に負けじと反対側の頬を指で撫で、
「誰かが魔理沙の面倒を見てあげなければいけないわね」
と言うと、両者の目線がかち合った。
「私が!」
アリスが真っ先に名乗りを上げると、
「いやいや私が!」
霊夢が間髪入れずに異議を唱えた。
「なによ霊夢、あなた魔理沙のことそういう目で見てたの?」
アリスのジト目を伴った指摘に対し、
「そ、そういう目って何よ!私はただ、いつも顔合わせてるよしみで仕方なく面倒を見てやろうと思っただけよ!」
霊夢はたどたどしい言葉で弁解した。
「ふーん、そんな嫌なら無理して面倒見ることもないんじゃない?ま、その反面私なら、里の子供たちに人形劇を見せたりして子供の扱いに慣れてるから、最後までしっかり面倒見る自信あるけど」
アリスは慣れた手つきで魔理沙をゆりかごのように揺さぶり、
「あなたの場合、子供が泣き出したら思わず引っぱたきたくなるんじゃなくて?」
さらに霊夢の性分を見透かしたように付け加えた。
「そ、そんなことしないわよ!ちゃんと面倒見れるわよ!」
思い当たる節があるのか、霊夢はいささか動揺しながら答えた。
「ふうん、まあ百歩譲ってそうだとしても、治療法も調べなきゃいけないからやっぱり私の手元においておいた方が何かと都合がいいと思うのよ」
「いやいや、全部一人でやるのは効率が悪いわ。私が育児して、アリスが調査する。それが一番効率的よ」
ああ言えばこう言う、お互い意地の張り合いの様相を呈してきた。
「そもそも霊夢の稼ぎじゃ子供一人養うのは無理じゃない?その点、うちなら子供一人ぐらい養う余裕あるわ」
アリスの更なる口撃。痛い所を突かれたのか、霊夢は一瞬硬直した。
「……言ってくれるわね。うちはあんたが思うほど貧しくないし、裏庭とかに食べられる物生えてるし、紫とかがたまにおすそ分けしてくれるし……」
言ってるうちに自信がなくなってきたのか、最後の方はやたら弱々しい声になっていた。
「とにかく、いざとなりゃ副業してでもしっかり育てあげてみせるわ!」
霊夢は半ば切れ気味に言い切った。説得力の無さを勢いで押し切るつもりらしい。
「だいたいねえ、人間の子は人間が育てるって相場が決まってるのよ。それにこんな瘴気渦巻く魔法の森じゃ子供の体に悪いわ」
話の矛先を逸らすように、霊夢はアリスに駄目出しした。
「妖怪が人間の子を育てるのはちょっと考え物だけど、私も元は人間だし、魔法使い同士だから問題ないでしょ。魔法の森の環境は並みの人間には堪えるけど、魔理沙は赤ちゃんでも魔法使いとしての資質が十分だから大丈夫よ」
アリスはきっちり反論したあと、
「ねー、まりしゃ♪」
と、あてつけがましく腕の中の魔理沙に語りかけた。
その行動は、こらえ性のない霊夢の堪忍袋を決壊させるには十分だった。
「もう怒った!こうなったらスペルカード戦で決着よ!」
「望む所よ!返り討ちにしてあげるわ!」
かくして、魔理沙の養育権を賭けた激闘の火蓋は切って落とされた。
幼い魔理沙はただただ目を丸くして二人の動向を見守っていた。
霧雨魔法店の前にある広場に、巫女と魔法使いが対峙している。
お互い果し合いのような闘気を身に纏い、今にもつかみ合いを始めそうな状態だ。
店先の日除けの下には、決戦の行く末を見守るように魔理沙が佇んでいる。
その隣には、赤ん坊の魔理沙から目を離さないように、上海人形が保護者役として残されている。
サイズ的には上海人形の方が小さいので、保護者という風には見えないが。
「ルールはいつも通り。降参か気絶した方の負け。死んだらおなぐさみ。そして勝った方が魔理沙の養育権を得る。いいわね?」
霊夢の大雑把な説明に、アリスは無言で頷いた。
霊夢は不動の主人公よろしく威風堂々と仁王立ちし、アリスは半身になって左手を突き出す警戒心ありありの構えを取った。
一陣の風が、勝負の開始を告げるように両者の間を吹きぬけた。
「それじゃあ行くわよ!『空を飛ぶ不思議な巫女』!-ルナティッ」
先に動いたのは霊夢だった。霊夢は懐からスペルカードを取り出し、早口でカード宣言を行うが、
「させるかっ!」
それを遮るように、アリスの飛び蹴りが霊夢の手の中にあるカードを打ち落とした。
そして着地して間髪入れずにローキックを連打した。
「ちょっ!カード宣言の邪魔をするなんてヒーローの変身を邪魔するぐらい卑怯じゃない!?」
「うるさいわね!あなたこそ何でいきなりラストスペル級のを持ってくるのよ!それもルナティックって何よ!?話の冒頭でいきなり印籠を出す水戸黄門がどこにいるのよ!」
喧嘩腰の言葉と共に向うずね目掛けて蹴りを浴びせるアリス。
先手を取られて体勢を崩された霊夢は、足を浮かせてダメージを和らげるのが手一杯だ。
「そんな奇麗事なんてどうでもいいわ!今日の戦いだけは、何がなんでも負けられないのよっ!」
霊夢はどうにか体勢を整え、すね蹴りの間隙を縫ってミドルキックを放った。
アリスはしっかりガードしたが、それでも一撃で後退させるのは脚技に定評のある博麗巫女の成せる業か。
二人の間合いは手足の届かない距離まで広がった。
しかし霊夢にとってこの距離で戦うのは得策じゃない。
何故ならこの距離は、アリスの人形による打撃攻撃や射撃を行うのに絶好の間合いだからだ。
逆に、近距離か遠距離ならば霊夢に分がある。
大技をかましたい霊夢は距離を取る事を選び、その場から飛びのいた。
が……意外っ……!
アリスは猛ダッシュで一気に間合いを詰め、スピードの乗った前蹴りを放ってきた。
「ぐっ!」
これが霊夢のみぞおちにクリーンヒット。強烈なダメージに体がくの字に折れる。
真剣勝負でこの隙を逃す手は無い。霊夢はスペルカードか人形による連携が来ると予想した。
しかし、またしても意外っ……!
アリスの分厚い靴底が再度霊夢の腹部を強襲した。
霊夢の体は宙を舞い、背中から地面に叩きつけられた。
「どうしたの?それで本気?このままなら魔理沙は私が育てることになるわよ」
アリスは霊夢を見下ろし、嘲笑交じりに言った。
「どうやら私にスペルカードを出させない作戦らしいけど……ふん、その程度の蹴りで博麗の巫女を倒せると思ったら大間違いだわ」
霊夢は鼻で笑い返し、ダメージは無いと言わんばかりに威勢良く跳ね起きた。
「来なさい、本当の蹴りというものを見せてあげる」
霊夢が空手っぽい構えと共に手招きすると、アリスは待っていたとばかりに目を光らせ、再び足の届く距離まで接近してきた。
まずはアリスの前蹴り。これを霊夢、二度は喰らうまいとしっかりガードする。
続いてローキック、これもガード。
そこからアリスはしゃがみ込み、足払いのような超低空ローキックを伸ばしてくるが、霊夢は軽く飛び跳ねて回避し、お返しと言わんばかりに飛び蹴りを叩き込む。
さらに地面を強く踏み込み、後方宙返りをしながら思いっきり蹴り上げる。
霊夢が得意とする二段蹴り、抄地昇天脚だ。
霊夢の攻撃をまともに受け、今度はアリスが地面に倒れこむ。
「あんたの計算外の行動に初めは戸惑ったけど、接近戦とわかれば怖いものはないわ!」
「…それは…どうかしらね」
アリスはゆっくり立ち上がり、霊夢を挑発するように笑った。
霊夢は先ほどまでのアリスのお株を奪うように距離を詰め、アリスが身構えると同時に前蹴りを突き出した。
アリスは身を引いてダメージを緩和するが、ダウンから復帰したばかりで足元が覚つかず、じりじりと後退した。
霊夢は間合いを詰めるように前転し、ヘッドスプリング気味に両脚を下から突き上げた。
アームブロックで辛うじて受け止めたアリスの表情が苦痛に歪み、その隙に付け込むように霊夢は鋭い下段蹴りでアリスの軸足を強打した。
上下への揺さぶりを交えた霊夢の多彩な脚技に、アリスは防戦一方の展開を強いられた。
勝負の主導権は、霊夢の方に傾き始めたかに見えた。
「確かに、霊夢の脚技は強い…」
霧雨魔法店入り口で勝負の行く末を興味深く見守るちび魔理沙の隣に、どこから来たのかパチュリー・ノーレッジが現れ、冷静な口調で戦況の分析を始めた。
昔戦った敵が主人公の戦いを解説しに馳せ参じるのは、どこの世界でもよくあることである。
「人形師の命である指を保護するため、肉弾戦は脚技主体で鍛え上げてきたアリスの蹴りもなかなかのものだけど、脚技のスペルカードを持つ霊夢ほどではない。このまま肉弾戦を続ければ、勝負は間違いなく霊夢のものになると、誰もが思うでしょうね……」
誰に聞かせたいのかよく分からないが、パチュリーは淡々と解説を続けた。
「しかし、弾幕はブレインと言ってはばからないアリスが、何の考えも無く不利な接近戦を挑むとは考えられない。勝負をひっくり返す罠が仕掛けられているはずよ。恐らくアリスの狙いは……」
パチュリーは半開きの瞳を光らせて、戦況の核心について語ろうとすると、
「うー?」
自分に話しかけられてると思ったのか、ちび魔理沙が可愛らしく小首をかしげてパチュリーを見つめた。
パチュリーの視線は土煙を上げて蹴りあう二人の少女から、足元にいる無垢な魔理沙へと釘付けになった。
(かわいい……)
パチュリーはほのかに赤くなりながら、魔理沙の頬を夢中になってぷにぷにとつついた。
解説の仕事はいいのだろうか。
さて、霊夢とアリスの脚技合戦はさらなる激しさを帯びていた。
「隙あり!亜空穴!」
霊夢の奇襲気味の飛び蹴りがアリスの延髄に襲い掛かる。
アリスは辛うじて右手に持った魔道書で受け止めたが、霊夢の猛攻に晒された疲労とダメージのために大きく体勢を崩してしまった。
「この博麗巫女、容赦せん!神技『天覇風神脚』!!」
霊夢は高らかに宣言し、隙だらけのアリスめがけて渾身のサマーソルトキックを放った。
アリスの体が宙を舞うと、さらに二発、三発、四発と、駄目押しのように蹴りの連打を叩き込んだ。
強烈なダメージを受けたアリスは、受身も取れず激しく地面に叩きつけられた。
「接近戦を挑んだのは完全に誤算だったようね。魔法使いは後列と昔から相場が決まってるのよ」
霊夢は自信満々に腕を組み、目の前で這いつくばるアリスを悠然と見下ろした。
「確かに…見事な脚技だったわ。私なんかじゃとても太刀打ちできないくらい……」
アリスは気弱な発言をし、体を震わせながら力なく立ち上がった。
「あら、もう諦めるの?降参するなら早い方がいいわよ」
図に乗るような言葉とは裏腹に、霊夢はアリスの動向を注意深くうかがっていた。
得意の人形をけしかける動きを見せたら、即座に対応できる心構えでいた。
「霊夢、あなたの脚技は強烈……でも、お陰で溜まったわ」
「溜まった?何が?」
「キックパワーがね!!」
アリスの口調が一転して強気になると、霊夢は背後に不吉な気配を感じ、ハッとなって振り返った。
するとそこには、ゆうに霊夢の身長の5倍はあるであろう超特大の人形の姿があった。
霊夢は目の前のアリスに意識を集中しすぎて、背後への警戒心が疎かになっていたことを不覚に思った。
「あなたのプレゼント、三倍返しにしてあげる!超弩級『ゴリアテキック』!」
アリスがスペルカードを頭上にかざすと、巨大な人形の右足がうなりを上げて振り下ろされた。
霊夢はとっさにガードを固めたが、たたみ三畳ほどもあるブーツによって蹴鞠のように蹴り飛ばされた。
霊夢の体は遠く離れた木の幹に激しく叩きつけられ、そのまま力なく崩れ落ちた。
「フフフ、超弩級『ゴリアテキック』を受けて立ち上がった者はいない……人間のガードごときで防ぎきれるものではないわ」
アリスは余裕の笑みを浮かべながら、霊夢の元へと歩み寄った。
本当は人に向けて使用するのはこれが初めてなのだが、それは伏せておいた。
「霊夢から受けた打撃のエネルギー(アリス曰く、キックパワー)を巨大人形の動力に変換するとは、なかなか考えたわね」
遠くで勝負の成り行きを見つめながら、パチュリーがつぶやいた。
巨大人形による強烈な一撃は、ちび魔理沙に夢中になっていた彼女を我に返らせるほどの迫力があったようだ。
「人形遣いのアリスが一体の人形も出さずに戦っていたのは、巨大人形を一瞬で発現させるだけの魔力を温存していたためなのかもしれないわ」
「シャンハーイ?」
「あなたはノーカウントよ」
上海人形の方を向いて軽く突っ込みを入れると、パチュリーはちび魔理沙が家の軒下にある草むらにしゃがみ込み、なにやらもぞもぞと頬を動かしているのに気づいた。
「ああ、何やってるの!その辺に生えてるものを食べちゃ駄目!」
パチュリーは慌てて魔理沙を抱きかかえた。
「ほんと赤ん坊って、何でも口に入れるのが好きね……」
「あむあむ……」
世話を焼くパチュリーなど知らんといった顔で、魔理沙はもぐもぐと口を動かした。
「あーっ、飲んじゃ駄目だったら!」
「勝負あったわね」
アリスは地面にうつ伏せになったままの霊夢を眺め、勝利を確信しながらそう告げた。
「まあ、安心なさい。魔理沙は私が責任をもって、花も恥らう可憐な乙女に育て上げてみせるから」
アリスは手を胸に当て、目をきらめかせながら言った。
最初といささか趣旨が変わっているのは気のせいだろうか。
「う……」
アリスの勝利を否定するように、霊夢は身じろぎした。
しかし起き上がるどころか、上体を起こすことすらままならない様子だった。
「無駄なあがきはよしなさい。そのダメージではもう、前蹴りの一発も満足に打てやしないわよ」
「え……偉い人は……言いました……」
霊夢は肩で息をしながら、うわごとのようにつぶやいた。
「何て言ったのよ?」
アリスは余裕綽々の表情で霊夢の言葉に耳を傾けた。
「キックがないなら……スペカを撃てばいいじゃない……!」
その瞬間、霊夢の掌からまばゆい光が発せられ、そのまま地面を伝ってアリスの足元を四角く取り囲んだ。
「しまった…!!」
飛びのく暇も与えず、光の正方形は激しい衝撃波となり、炸裂音と共にアリスを下から突き上げた。
「神技『八方龍殺陣』…ルナティック……」
霊夢は顔だけを上げ、してやったりの表情でつぶやいた。
「魔力を温存してたのは…私だけじゃなかったのね~~」
アリスはかすれるような声で言い残し、大地のマットの上にあえなく沈んだ。
決着はついた。
体力も魔力も底を尽きたアリスに、もはや反撃の力は残されてはいなかった。
ゴリアテ人形も力を失い、普通サイズの人形となって地面に打ち捨てられていた。
「約束通り、魔理沙の養育権は私のものよ。いいわね?」
霊夢はお払い棒を杖にしてようやく立ち上がり、アリスに念を押した。
「ええ……魔理沙のこと、花も恥らう可憐な乙女に育ててあげてね……」
アリスは地面を涙で濡らしながら、果たせなかった夢を霊夢に託した。
「アリス……たまにだったら、顔を見に来てもいいのよ」
「ありがとう、霊夢……」
二人の間にあった敵愾心はいつの間にか薄れていた。
拳と拳、もとい、脚と脚で語り合った友情が、確かにそこにあった。
「いやー、いい戦いだった」
満身創痍で戦い抜いた両者に、拍手と共に労いの言葉がかけられた。
「二人ともよく頑張った!感動したぜ!」
振り向くと、白黒の魔法使いが目じりに涙を浮かべながらエールを送っていた。
「ありがとう、魔理……って、ええ!?」
霊夢は先ほどまで赤ちゃんだった魔理沙の成長ぶりに感動……ではなく驚愕した。
「ちょっ、何で元に戻ってるのよー!!」
アリスは等身大魔理沙にしがみつき、涙を振りまきながら叫んだ。
「いや~、なんか軒下に生えてたキノコを食べたら治っちゃったんだぜ。まあ、体が小さくなったのもうっかり変なキノコを食べたのが原因なんだけどな」
魔理沙がしれっとした顔で言うと、
「はぁ……あの激闘は何だったのよ……」
「私のまりしゃ~……」
霊夢とアリスは深いため息をつき、魔力が切れたゴリアテ人形のように力なくへたり込んだ。
少女達の夢見た小さな魔理沙との新生活は、儚く消え去ったのだった。
いつの間にか赤みがかった空の向こうで、一羽のカラスが小馬鹿にするように鳴いた。
「ところで二人とも、赤ちゃんになってた私の面倒を見てくれるつもりだったみたいだな」
ふと、魔理沙がさばさばとした口調で切り出した。
「え?まあ、そうだけど……」
「そっか、ありがとうな」
魔理沙はそう言うと、先ほどまでの無垢な魔理沙を思わせる屈託の無い笑顔を見せた。
その顔を見た霊夢とアリスは急に気恥ずかしくなり、
「い、いや、私は、古い付き合いのよしみだから、仕方なく面倒を見てあげようかなと……」
「わ、私も魔法使い同士のよしみでなんとなく……別に好きとかそんなんじゃ全然ないわよ!!」
と、赤面しながら取り繕った。
「まったくほんと、お前達というやつは……」
すると魔理沙は、何を思ったのかうつむき加減になり、無邪気な笑顔を次第に邪気を帯びたものへと変化させ、
「赤ちゃんになった私を連れ帰って何しようとしてたんだ、この変態どもがー!!」
激しい叱咤と共に懐からミニ八卦炉を取り出して、極太レーザーを霊夢とアリス目掛けてぶっ放した。
「ちょ、待ってよ魔理沙!私達は純粋に育児をねぇ……」
「うるさいうるさい、問答無用だぜー!」
「満身創痍の状態でマスパは……アアン!」
暮れていく夕焼けを背にして爆音を轟かせる魔理沙を眺めながら、
いたいけな赤ちゃんのうちにもっと可愛がっておけばよかった、
と思うパチュリーであった。
おしまい。
赤ん坊は可愛いですよねぇ。五歳ぐらいの子もすっごく可愛くてくぁわいくてぇ~