その頃の紅魔館エントランスでは。
「おーい! こっちに板よこしてくれー!」
「ちょい待っちくれー!」
「うげっ! が、瓦礫が足に……!!」
「ぎゃぁー! ばっか、お前なにして!?」
「あ、おぜう様どうすりゃいいんだ?」
「そうだなぁ……あれ、首鍛えてらっしゃるんだろ?」
「ちげぇーよ。頭蓋骨だって」
「頭蓋骨って鍛えられるもんだったんか……オレもやれば少しは強くなんかなぁ~?」
「いや、無理だろ。あれはお嬢様専用のカリスマ鍛錬法だってパチュリー様が仰ってたぜ?」
「まぁ、アレだよな。とりあえずは抜いちゃダメだよな?」
「だなぁ。パチュリー様もそっとしておけって仰ってたしな」
「……どうする? このままじゃ天井の修理できねぇ」
「確かになぁ」
「あっ、俺良い考えあるぜ」
と、天井に突き刺さってぷらぷらとするレミリアをどうするかという話し合いが繰り広げられていた。
* * * * *
「しっかし、ほんと小さくなっちゃいましたねぇ~」
「ぅ~。こどもあつかいしないでくだしゃいよ……」
門の前。何人かの隊員に囲まれて、美鈴は口を尖らせ言う。
美鈴の言葉に隊員の一人は「だって子供じゃないですか」と笑い、
「まぁ、そんな拗ねないで下さいよ。ほら、アメあげますから」
「わぁ~、ありがとうごじゃいましゅ!」
また違う隊員が拗ねる美鈴を宥めるように、ポケットから飴玉を取り出す。
可愛い包装紙に包まれた飴を美鈴は無邪気に笑って受け取ったが、その瞬間に隊員達から「ぎゃははっ! 超お子様だ!!」と大笑いする声が上がった。
「みんなしてひどいでしゅ!」
「あははっ。さぁーせん」
「可愛いからつい」
美鈴の頭をくしゃくしゃと撫でる隊員達。
こんな姿になっても上司には変わりないのだが、常日頃からフレンドリーな門番隊にはあまり関係が無いらしい。
美鈴は「あしょんでないで、はやくおしごとにもどってくだしゃい」といって隊員達の手を跳ね除けるが、「隊長こそ遊んでないで門番してて下さいね」と返された。
「もぉ! あとでしゅくわっとしぇんかいでしゅよ!」
「ひぇー!」
「にっげろー!!」
子供みたいに笑いながら一目散に走り去っていく部下達を、美鈴は苦笑しながら見送る。
きっと心配をかけてしまったのだろう。
こんな姿になってしまったし、ましてや成長したフランドールとやり合って昨夜は包帯ぐるぐる巻きでベッドに臥せっていたのだから。
美鈴は自身のつるぺたになってしまった胸や、胸部の下辺りを撫で、まだ皹が入っている肋骨の存在を確かめる。
(このままなにごともなければ、あしたにはかんちしましゅかね)
そう、何事もなければ。
苦笑しながら「早く治れ~」と、“気”を少し込めながら肋骨を撫でる。
朝食後、咲夜とフランドールに挟まれてマジでまたバキボキに折れてしまうところだったが、なんとか事なきを得た。
いつもなら抱き締めてあげる側で、身長も違うから相手の顔を見下ろして話すことが多い。
なのに今は抱き締められる側で、頭をくしゃくしゃと撫でられる側で、首を上にいっぱい傾けて相手のことを見なくてはいけなくて。
構ってくれるのは嬉しいし、抱っこされるのだって撫でられるのだって心地よくて、新鮮で楽しい。
でもやっぱり、自分も抱き締めてあげたいと思う。撫でてあげたいと思う。
(こんなにちっちゃいてじゃ、だきしめてあげられないしゅけど……)
だから、ちょっとだけ悲しい。
こんな小さな手じゃ足りないから。
ちっちゃいくて、細くて、頼りないから。
『だって美鈴の方が大きいでしょ? 私の手や腕だけじゃ、足りないなぁ~って思って……』
ふと、咲夜の言っていたことを思い出す。
あぁ、こういうことだったのかな。
なんて、美鈴は気付いた。
「しょんなこと、じぇんじぇんないのに……」
咲夜の腕が与えてくれる温もりがいったいどれだけ大きいか。
これを言葉にして伝えるのは、とっても難しい。
あぁ、これも同じなのかな。
咲夜も、同じことを思ってるのかな。
「えへへ」
痛む筈の肋骨の奥。
心の中にくすぐったさを感じて、美鈴はそっと笑みを漏らす。
仕事が終わったら、抱き締めてあげたい。
こんな小さな手だけど、いっぱいいっぱい広げて、ぎゅっと。
「いもうとしゃまのやくしょくもやぶっちゃいましたから、きょうのよるはいっぱいあそびましぇんとね」
約束を破ってしまったからいっぱい謝って、それから機嫌が良くなるまでいっぱい頭を撫でてあげよう。
フランドールは大きくなってしまったから、しゃがんで貰わないと全然届かないが、しゃがんでくれなかったら踏み台や脚立にでも乗って、背伸びだっていくらでもして。
体の大きさは逆になってしまったけど、やっぱりフランドールはフランドールなのだから。
美鈴は「よしっ!」と笑顔で一人気合を入れ、青空に向かってぐいっと背伸びをした。
「ぅっ!」
が、ちょっと伸びをする勢いが強かったか、肋骨が軋んでかなり痛かった。
体を折り丸め、肋骨を押さえて悶える美鈴。
これは参った。本気で痛い。
美鈴は涙目でなりながら、小さく溜息を吐く。
昨日フランドールの狂気と戦い改めて実感したが、速度もパワーも格段に落ちている。
唯一自慢できる防御力や耐久力だって落ちているし、これでは本当にどうにもならない。
服に縫いこまれた魔法がなければ、昨日で死んでいたかもしれない。
「う~ん」
美鈴はちょっと眉間に皺を寄せ、自分の両腕両足を見る。
「しゃしゅがにリーチがちがいしゅぎましゅからねぇ……」
小さな拳。細い腕。短い足。頭が大きくてバランスの崩しやすい身体。幼い肉体。
普段とあまりにも違い過ぎる自身の間合いの再確認をしたくても、この小さき肉体に慣れたくても、肋骨を負傷している今の状態ではそれもままならない。
美鈴はもう一度「う~ん」と唸って、空を見上げた。
青い空で、白い雲がゆったりと泳いでいた。
「いいおてんきでしゅね~」
風も適度にあるから、洗濯物がよく乾くだろう。
美鈴は先程部下から貰った飴玉をポッケから出して、口に放り込む。
爽やかなマスカットの味が口の中に広がって、美鈴は若干幸せそうな顔をしながら口の中でアメを転がす。
包みのゴミをまたポケットにしまって、それから腰に括ってぶら下げられた袋の存在を触って確かめた。
そこにはおやつ用の咲夜特製マシュマロがたくさん入っている。
おやつが待ち遠しくてしょうがなくて、自然と笑みが零れてしまった。
「いけましぇん。なごんでしまいました」
美鈴は苦笑するが、悩んだところでどうすることもできないし、下手に体を動かしたところで肋骨を折ることになるのは目に見えているので、結局どうすることもできない。
足りない頭ではパチュリーの手伝いをすることもできないし、咲夜の仕事の手伝いなんてこんな体じゃ足手まとい。
結局のところ、こうして日向ぼっこでもしながらボーっとすること以外何もないわけで。
美鈴はしゃがみ込んだまま門に寄りかかってボーっと空を眺める。
風を感じる。太陽の光を感じる。
風の匂いや、空気中を流れる気からして、今日は一日中いい天気に違いない。
「おひるねしたらきもちよしゃしょーでしゅ」
まだ昼前。シエスタには早い時間だ。
咲夜の作ってくれた昼食を食べて、お腹いっぱいになって、そうしてこの暖かなお日様を浴びて、穏やかな風を受けながら昼寝をしたら、どんなに気持ち良い事だろうか。
(おひるごはんはなんでしょうね~♪)
門番隊やメイド達の多くは破壊されたエントランスの修理に駆り出されているので、きっとみんなお腹をぺこぺこにしている筈だ。
こういう時はやっぱり、みんな大好きカレーライス! とかかもしれない。
数十種類のスパイスを組み合わせて作る特性のルーに、さまざまな野菜のエキス、リンゴやハチミツ等の隠し味……それらが絶妙に混ざり合って作り出すハーモニー。
考えただけで涎が出てきてしまって、挙句の果てに「くぅ~」と小さな腹の虫が鳴いた音までした。
あまり燃費の良い方ではないのは自覚していたが、子供の体になってそれに更に拍車がかかってしまっているらしい。
美鈴はお腹を宥めるように自分で撫でて、どうしようかなと考える。
腰にぶら下げたマシュマロ袋をチラッと見た。
(じゅーじのおやつ……)
マシュマロはまだいっぱいあると言っていたから、お昼の時にまた貰おう。
うん。そうしよう。
美鈴は嬉々として袋を手に取り、その場に胡坐を掻いて座った。
袋を開けると、真っ白なふわふわマシュマロがたくさん入っていた。
他にも色々な味のマシュマロを作ったのだと言っていたのだが、それは明日のデザートの楽しみにしておくといって取っておいて貰ってある。
マシュマロを一つ手に取る。
ふにふにふわふわの感触が堪らなくて、指で何度かむきゅむきゅしてしまう。
美鈴は「えへへ」と笑ってマシュマロを口へ。
「ん?」
放り込もうとした寸前でやめ、空を見上げた。
何も変わっていない。
そこには青が広がっているだけ。
でも、何かがおかしい。
美鈴は目を凝らしてよく見る。
何も変わっていないけど、でも確かに違う“気”を感じる。
「……なに、が?」
“気”を目に集中させる。
美鈴の瞳が金色に変わった。
もう一度よく見る。
すると、周囲のいたるところの空間がぼんやりと滲み、歪んでいた。
(けっかいがゆらいで? いや、ましゃか……)
幻想郷を覆う結界が揺らぐことは、多々ある。
でも、そんなものは微々たるものだ。
あのスキマ妖怪でなければ感知出来ないくらいにささやかで、微かな揺らぎ。
でも、これはおかしかった。
こんなにも顕著に空間が崩れている。
穴が、開いている。
美鈴はマシュマロをしまって立ち上がる。
獰猛な獣、まるで狼のような、しかし酷く歪(ひず)んだ遠吠えが聞こえてきた。
常人には何も無いところから黒い狼が無数に出現しているように見えるだろう。
しかし、美鈴はハッキリと捉える。
穴からそれが飛び出てくる。
狼の群れだった。
黒い黒い、全身が黒い、しかし鋭い牙と瞳だけは汚れた朱色をした狼の群れ。
一匹一匹の大きさは大人の人間より少し大きいくらいだった。
それが無数に穴から駆け出でてくる。
美鈴は構え、気を全身へ滞りなく満遍なく流し、満たす。
ここは紅魔館門前。自分は門番隊隊長。
幼くなろうがなんだろうが、それは変わらない。
己は紅魔館の盾だ。
「ここはとぉーしましぇん!」
美鈴が勇ましく吼えると同時に、狼の群れが一斉に襲い掛かってくる。
正面から牙が飛びかかってくる。左側から爪が迫る。少し遅れて右側からも牙が。
美鈴は小さな体を下げ、正面から飛びかかってくる狼の真下へ滑り込む。
目標を見失った正面の狼。しかし美鈴の姿が見えていた左側の狼は、小さな体躯を折って爪を振るう。
美鈴がそれをするりと避けると、その爪は美鈴の上にいる、正面から迫ってきた狼の脇腹を抉った。
黒い血が飛沫する。
正面の狼は衝撃で横へズレ、右側から迫っていた狼の進路を阻んだ。
美鈴は狼の影から躍り出ると、左側の爪を立てた狼の直ぐ横へ。
「はっ!」
小さな拳をいっぱいに固め、狼の横っ腹へと打ち放つ。
完璧に決まったであろう一撃は、しかし、美鈴に何の手応えも伝えてこなかった。
「!?」
美鈴の拳は狼にめり込んでいた。
いや、まるで水の中に腕を通しているかのように、そこが波間を立てているだけ。
黒狼が牙を立ててくる。
素早くバックステップを踏み回避。
しかし後方から大量の狼の牙が迫る。
小さな体を上手く利用し、攻撃の間隙、狼と狼の隙間を縫ってかわす。
(いまのは……)
回避しながら状況を整理。
結界が揺らいで、いや、崩れてそこに出来た穴から出てきた異端。
外の世界の異形の物。それが突如現れて、襲ってきた。
訳が分からないことばかりだが、とにかく目の前のこいつ等は敵だ。
敵は倒す。
主の害となるものは、紅魔館の皆を傷付ける者は、通してはならない。いや、絶対に通さない。
この黒い狼たちは幸いにも知能は低いらしい。
攻撃速度、移動速度、瞬発力は高く素早いが、難しい相手じゃない。
(でも、こうげきがきかないんじゃ……)
そう、問題はそこだ。
攻撃をしても効果がないんじゃ話にならない。
牙が爪が、迫る。
我武者羅に体当たりをされる。
「うわわっ!」
爪を体を逸らして躱し、牙をしゃがんで回避。
体当たりは、しゃがんだままころんころんと前転してあわやという所で避ける。
(か、かじゅがおおいからよけるのたいへんでしゅ~!)
攻撃は真っ直ぐで避けやすいが、数が多すぎる。
どこへ逃げても、どんなに避けても次の攻撃が待ち構えている。
今度は美鈴の四方八方から、狼達が飛びかかってきた。
(し、しめんしょかでしゅか!?)
逃げ場がない。
美鈴は咄嗟に足に気を溜め、足の裏全体で地面へと打ち下ろす。
体が小さい為、範囲はとっても小さい震脚。
しかし、地面を打ち砕き360度に向かって放たれた“気”が狼達を吹き飛ばした。
「あれ、ききました」
キャンキャンと高い声を上げて吹き飛ぶ狼。
しかしこれだけではダメージは薄かったか、狼達は直ぐ様体勢を立て直す。
群れの動きが一旦止まる。
美鈴の攻撃を警戒し、ぐるるると牙を剥き出しにして唸った。
ただの物理攻撃はダメだったが、“気”を込めた攻撃は効いた。
もしかしたら、コイツらの体は魔力とか、そういったものが主成分なのかもしれない。
その魔力を“気”を叩き込んで相殺できれば、恐らく。
「隊長ー!!?」
遠くから異変に気付いた部下達の声が届く。
門の後方から、コチラに走ってくる隊員達の姿が見えた。
「きちゃダメでしゅ!」
金色に光る瞳で強く睨み、隊員達を止める。
群れの中の一匹が、新たな獲物を見つけたとばかりに門の方へと飛び出した。
「くっ!」
小さな紅い旋風(つむじかぜ)が、その狼の前へ。
美鈴は“気”を十分に込めた拳を狼の顔面に突き出す。
狼は悲鳴を上げ、内側から弾けるようにしてその体が霧散した。
黒き狼の群れ一切の敵意と殺気が、美鈴に向かう。
「やかたのまもりをかためてくだしゃい!」
その言葉は暗に「手を出すな」と告げていた。
隊員達は美鈴の言葉を正しく理解すると、一人は図書館にいる魔女のもとへ、一人は館の何処かにいるであろうメイド長の元へ。そしてもう一人はエントランスで騒いでいるメイドを非難させ、仲間を引きつれ館の守りを固めた。
美鈴は痛む肋骨を撫でて、静かに呼吸。
体内の“気”を充実させる。
肋の痛みは“気”で誤魔化す。
折れたら折れたで、その時はその時だ。
今はただ、目の前の敵のみに集中する。
狼の群れが、吼える。
牙をガチガチを鳴らしながら、爪で地面を抉りながら、疾駆する。
「なんどでもいいましゅが、ここはとぉーしましぇんっ!」
体が小さいとか、そんなのは理由にならない。
事実として残るのは、守れるか、守れないかだけ。
「こーまかんのみんなは……しゃくやしゃんのえがおは、わたしがまもりましゅ!!」
紅魔館の紅い盾は、小さくとも雄雄しく狼の群れの中へ飛び込んでいった。