* * * * *
「妹様。こうやって抱っこして、そしてこぉ……そうですそうです」
「うん! ほら、さくや。ミルクだよ~」
「…………」
仔猫を慎重に抱きかかえながら、哺乳瓶でミルクを与えるフランドール。
そんなフランドールは何処にいるのかと言えば、美鈴のを膝の上。で、その美鈴は何処にいるのかと言えば、当然門の前。
仔猫のさくやは、美鈴に拾われてきてからというものの片時も美鈴から離れようとしなかった。
懐かれるのは良い事だが、美鈴だって一応仕事がある。サボってばかりだが、それでも仕事はあるのだ。何せ、こんなんでも門番隊の隊長。シフトは組んでいても、やはり隊長には隊長の業務が一日にの中に何かしらある。でもそうすると『さくや』のご飯の時間に餌を与えられない。
というわけで、そういう場合はメイド長がいちいち餌を届けてやっていた。
「うわっ、飲んだ! メイ! さくや飲んだよ!!」
「はい。お上手ですよ~」
「えへへ~」
「…………」
そんな現状だったのだが、今日は良い具合に曇り空。
久しぶりに外に出てきたフランドールが、咲夜にくっ付いてさくやの餌やりに付き合っているというわけである。
褒められたフランドールは、直ぐ上にある美鈴の顔を見上げてちょっぴり得意げに笑った。
紅い瞳が、ミルクを一生懸命に飲むさくやを見詰める。
哺乳瓶のおしゃぶりにしゃぶりついて、ゴクゴクと元気良く飲む姿が可愛らしかった。
膝の上のフランとさくやの様子を見て、美鈴はにこにこと笑う。
門の壁に寄りかかり、地べたに直接胡坐を掻いている美鈴。その膝の上に、フランドールと仔猫。
平和の象徴たるように、非常に微笑ましい光景がそこにあった。
が、しかし、
「いっぱい飲んでおっきくなってね~」
「動物は人間以上に成長が早いですからね。きっと直ぐに大きくなって、美人な猫さんになりますよぉ~」
「…………」
そんな微笑ましい光景を見ても、複雑そうな顔をしている人が一人。
人間の方の咲夜は、若干眉間に皺を寄せて二人の傍に立っていた。
「あっ、もう飲んじゃった。さくやは食いしん坊なんだね~」
「余程お腹がすいていたんでしょう。朝からずっと私の傍にいましたから」
「そっか。さくやはメイのことが大好きなんだね」
フランドールが純粋に抱いた感想に、咲夜の片眉がピクリと跳ね上がった。
美鈴は基本的に自分を呼ぶ時は“さん”付けなのでまだ判別が付くが、フランドールの呼び方は何も変わらない。ニュアンスも何もかも同じ。だから「さくやさくや」と連呼されると、一体どっちのことをいってるのか分からなくなりそうで。
(って、何考えてるのかしら……)
そりゃ、美鈴のことを好きか嫌いかと問われれば、当然「好き」の分類に入る。
幼い頃から世話になっているし、きっと一緒に過した時間は館の中では一番長いと思う。
食事が終わった仔猫とフランドールが、美鈴の膝上でじゃれ合う。
美鈴はそれを穏やかな笑みで見守っていた。
昔から変わらない、穏やかであっかな笑みで。
「ふふ。可愛いですね~」
さくや。
さくや。
トクン。
自分の中の何かが、反応する。
その何かは、なんなのか。
また、正体不明のことが増える。
自分と同じ名前を付けられた仔猫。
美鈴が昔から変わらない笑みを零しながら「さくや」と呼ぶ度に、心の中に何かが蟠る。
それが分からなくて、なんだか無性にモヤモヤして。
モヤモヤし過ぎて、少し泣きたくなる。
咲夜はそれを悟られないように、二人から顔を逸らした。
「フラン、こんな所にいたの?」
「お姉様!」
そこへレミリアがやってきた。
黒い翼をはためかせて、その場に下り立つ悪魔の姉。
フランドールは大好きな姉の姿を認めて嬉しそうに声を上げ、少し腰を浮かせたが直ぐに美鈴の膝に座り直した。。いつもならここで思いっきり抱き付きに行くところなのだが、腕の中にさくやを抱えているので断念したらしい。
「…………」
しかし、カリスマはいつもの調子で両腕をいっぱいに広げていた。
「…………」
にこやかに笑って、両腕を左右に広げて待っている。
愛しい妹が腕の中に飛び込んでくるのを待っている。
「…………」
本当にどうしようもなく待っている。
いつまもでも待っている。
きっと世界が滅んでも待っている。
「……い、妹様」
そんなカリスマを、瀟洒らしい緩い笑みで何も言わずに見守る咲夜に対して、この妙な間に耐え切れなくなった美鈴は、自身の膝上にいるフランドールに潜めた声で「いってあげて下さい」と促がした。
「? うん?」
この妙な間をなんとも思ってなかったのは流石というべきか。
フランドールはさくやを美鈴に預けると、
「お姉様ぁー!!」
と、いつもの調子で抱き付いた。虹色の羽がしゃらんしゃらんと涼やかな音を奏でる。
補足すると、『いつもの調子』というのは俗に亜音速と呼ばれる速度である。
レミリアは亜音速で割りと近い距離で胸に激突してくるフランドールを、 「ぐほっ!」というカリスマらしからぬ奇声を発しながらも受け止める。
最強種である吸血鬼が亜音速で激突してくるのだから、その衝撃は4tトラックが時速80kでぶつかってくる衝撃の何倍か。そんな有り得ない衝撃を喰らい、流石のレミリアも後方へ何十メートルも吹き飛んでいく。
だがしかし、愛しい妹を想う姉の気持ちも半端ない。レミリアは地面に足を突き刺すようにして、足首まで土に埋めると、無理矢理にでも踏ん張ってフランドールの衝撃を強引に殺した。
ズガガガガッ……と、まるで熱血少年バトル漫画みたいな音を立たせて地面を傷つけながらも、吹っ飛んで行くレミリアの速度は落ちて行く。と、同時に、物凄い摩擦に靴底がそらもう物凄い勢いで擦り減って、辺りに焦げ臭い匂いを発した。……どうでもいいが、焦げ臭いカリスマというのもどういうものだろうか。
漸く止まった二人は、「また強くなったわねフラン」だとか、「えへへ~。だって成長期だもん。お姉様のことも直ぐに追い抜かしちゃうんだから」だとか、「そう。なら試してみましょうか?」とかいうノリで、今度は仲良く弾幕ゴッコを始めていた。
「いやぁ~。青春してますねぇ~」
「五百年生きてる吸血鬼に青春も何もないでしょう」
こんな無駄に青春なノリもいつものことなので、残された咲夜と美鈴は空高くに上昇して行く二人を生暖かい眼差しで見送る。
美鈴の膝の上でさくやが甘えるように「にゃぁん」と鳴き、指をペロっと舐めた。
「ん~? もう、なんですか。甘えん坊ですね~、さくやは」
「…………」
「さくやは可愛いですね~。ほんと、食べたいちゃいです」
「…………」
ごろにゃんとご機嫌そうにじゃれてくる仔猫。
『さくや』と名前を付けられた幼い猫。
仔猫を拾ってきてからというものの、美鈴はその猫にかかりっきりで、文字通り猫可愛がり。そのお陰で仕事中に居眠りをしなくはなったものの、猫とそこら辺の妖精と一緒に可愛がったり、白黒魔法使いと一緒に餌をやったりして遊んだりと、サボること自体は前よりも多くなった気がしてならない。
咲夜が餌を届けにくる時や、窓から盗み見る時。最近は「さくやさくや」と頭を撫で、喉を撫でて猫を可愛がっている姿しか見ていない気がした。
「はははっ。そんなトコ舐めちゃダメですよ~」
「…………」
「あぁ、こことかも気持ちいいんですか? さくやは良い子ですね……」
「……っ」
「ん? ココもいいんですか? 可愛いですねぇ、さくや……」
「っっ~!」
ザクッ
「いっっ!!? ちょっ、咲夜さんいきなり何するんですかぁ!?」
「いいから黙りなさい!!」
いきなり刺されて思いっきり涙目になりながら叫ぶ美鈴。しかし対するメイド長も、屈折した複雑な屈辱やら恥辱で潤んだ目で叫び返す。
咲夜の涙がどっからくるものか分からず、美鈴は「何か悪いことしたかな?」と首を傾げながらも一応口を噤んだ。
「……ねぇ、やっぱりその名前やめない?」
片手で顔を覆いながら、大きな大きな溜息を吐きながら言う咲夜。
さくやを撫でながら、美鈴はまた首を傾げて「なんでですか?」と、咲夜を見上げた。
「なぜ?」と聞かれれば、紛らわしいからだ。猫のことを呼んでいるのか、自分の事を呼んでいるのか、分かり辛いから。それ以外にない。けれど、「だって……」と小さく呟いた言葉の続きは、喉の奥から出て行ってくれなかった。
「ん~。いいと思うですけどね~。『さくや』って名前」
「そりゃ、お嬢様が付けて下さった名前ですもの」
「そうでしょ? そのお嬢様がこの子の名前を『さくや』と決めたんです。変えたいのならやっぱりお嬢様に言わないとダメですよ?」
美鈴は「ねー?」と、さくやを抱き上げて、同意を求めるように見詰める。
さくやは分かっているのかいないのか(いや、きっと分かってなんかいないだろうが)、美鈴の言葉に頷くように「にゃぁ~」と鳴いた。
「そんなこと……」
そう言われてしまったらおしまいだ。
いくらメイド長といえど、主あってのメイド長なのだから、主の決定事項に反対するなんてそうそうできるものじゃない。
それに、この話題はこの猫に名を付けた時にもうしている。
どうしても変えて欲しいと頼み込めば、恐らく主は変えて下さるだろう。だけど、その「どうしても変えて欲しい」という為の明確な理由は思いつかない。
(……何故こんなにも気にするのかしら?)
咲夜は不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
変に気になるから変えて欲しい。なんて、そんな不透明な理由を主に申し上げるなんて出来やしなかった。
「それにこの子も『さくや』って名前を気に入っているみたいですしねー」
美鈴がまた「さくや」と呼ぶ。
優しい声音で、「さくや」と。
(……だから、イヤなのに……)
美鈴が「さくや」と呼ぶ度に、心臓が不整脈を起こす。
モヤモヤして。ちょっぴりじくじくして。不快な筈の感触のそれは、でも何故だか不快とまではいかなくて。気持ち悪い気がするのに、あまりそう感じなくて。
でも、やっぱり嬉しくない。
「さくや」
また、美鈴が呼ぶ。
やめてよ。
それは“わたし”じゃないのに。
不意にそんな言葉が口から出そうになって。
無意識の内に既に開いていた口を、慌てて閉じた。
「咲夜さん?」
美鈴の呼ぶ声に、はっと我に返る。
いつも通りの声。
「咲夜さん」と呼ぶ声。
チクッとした感覚が、胸に過ぎった。
「もう行くわ」
このチクッとした感覚の意味も、わからない。
わからない事ばっかり増える。
咲夜は鋭く踵を返して、美鈴に背を向けた。
フランドールのレヴァーティンを食らって黒焦げになったレミリアが、紅魔館の屋根に派手に突っ込んでいくのが視界に入った。