Coolier - 新生・東方創想話

シャドーボールだ!

2026/05/08 20:05:01
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「すごーい、本物のイレズミだー!」
 近すぎちゃってどうしようと言える距離まで初めて肉薄したクマ霊の背中を、瓔花はお手々で元気にぺちぺちと叩いた。青娥が注意する間もなく早速のワンアウトである。
「ごめんあそばせ。この子は親の顔も知らないものでして……」
 青娥はあまりにもあんまりな事実を口にしながら瓔花の両脇を抱えて持ち上げた。ごめんで済めば警察は要らないなどと言われるが、獣の掟によって支配される畜生界に元々そんなものは存在しない。クマは瓔花の上にある青娥の顔をギロリと睨み付けた。
『……生身の姉さんよぉ、この世界には縄張りってもんがあるんだぜ?』
 その丸太のような剛腕を振るうと思われたが、クマは威嚇だけに留める。ナメられたら殺せ。それはサバンナでもアマゾンでも畜生界でも共通認識であるが、このクマが即座にベアクローに行かなかったのにはそれなりの理由があった。
 瓔花は見ての通り水子だ。ガキにすらなれなかったガキにキレるのは己の格を下げるだけな事はクマでも理解できる。それに水子は是非曲直庁お膝元の囚人であり、これに下手な手出しをすればあっちのお役人である鬼共と事を構える羽目になりかねない。ただでさえ四つ巴の泥沼戦争にある畜生界にそんな諍いまで招けば小指の5、6本は詰める覚悟をせねばならないのだ。
 そしてこれまでの説明は全て後付けでしかない最大の理由だが、瓔花を持ち上げている女、これが一番の問題だった。桃の甘い香水が漂う裏に、とんでもない血と死の臭いが染み付いている。この中で唯一の生者のくせにだ。
 ちゃんと毎日お風呂には入ってますぅとは青娥の弁で、実際そんな悪臭ではないのだが、同じ死者として動物の本能で嗅ぎ取ったのである。下手を打てばこちらがやられる、と。
「連れが迷惑をかけて申し訳ないね。そのついでと言っちゃあなんだがお尋ねしたい。三途の川から水子の大群がここに入り込んだ可能性があって、この子以外を見た覚えはないだろうか?」
 こっちの怨霊も自分に全く怯えていない。むしろ、両手がぴくぴく疼いているのを見るに、撫で回したくてしょうがないのか。横にいる死体も自分を見て涎を垂らしているし、結果、クマはもう凄むのを諦めた。ヤバい女と一緒にいる女じゃヤバいに決まっている。
『覚えもクソも……ほれ、そこにも一匹飛んでるじゃねえか』
「あっ、しーちゃん!」
 瓔花は持ち上げられたままバタバタと手足を振った。馬鹿でかいカニの看板の上でご満悦だったしーちゃんであるが、その呼びかけに気付いて瓔花の前までぴょんと飛び降りてきた。青娥も瓔花を地面に下ろし、感動のご対面である。
「やっぱりここに居たんだ! 一人で大丈夫だった? 他のみんなはどうしたの?」
 しーちゃんがその問いに答えて曰く、みんなでこの場所を見て回ろうと言ったのに、気付いたら誰もいなくなっていたそうだ。
「世間一般ではそういうのを迷子と呼ぶ!」
 芳香が他人事ではない話と見てここぞとばかりに叫ぶ。
「貴方も匂いに釣られてふらふらどこかへ行っちゃうものねえ。引率無しの稚児の群れじゃそうなるわ」
「反省はしています」
「そして忘れるのよねえ」
 そして水子達もそんな状況で初めての畜生界を能天気に見て回っていたのである。一人では死ぬと本能で分かっているから子は庇護者を求めるのだが、何しろこの子達には命が無い。親も無い。帰る場所も無い。それでも心だけはかろうじて有る。だからこそ罰も河原でただ石を積むだけなのだ。

『畜生界は今ぁよお、潰すに潰せないハエが飛び交ってるようなもんよ。煩くてしょうがねえからさっさと連れ帰ってくれや』
「はーい、ごめんなさーい」
 瓔花がぐにゃんと背中を曲げて頭を下げた。何しろ骨が無いか、有っても軟骨程度なので芯の無いお辞儀である。
「このクマさんが理性の有るお方だから良かったものの、もっと野蛮な動物の癇に障ったら危ないわね」
「だな。これ以上死ぬことはないが……食われたりしたらどうなる?」
「消滅というか、食べた側に取り込まれる感じかしら。ほら、芳香も霊魂を吸収した後に時々おかしな事を言うでしょ? 記憶が混じるのよ」
「普通に消化されるより始末が悪いな」
 そしてそうなると分かった上で青娥も芳香もそれを気にしていない。改めて、何でこんな女達と友達やってんだろうと思う屠自古であった。それは怨霊と化した自分に優しくしてくれた事を、今でもしっかり覚えているからだが。
「じゃあ、しーちゃんも私たちから離れちゃダメだよ。みんなが食べられちゃう前に集めないと!」
 瓔花が拳を天に突き上げて決意を新たにした。シュワッチとでも叫びそうなポーズである。
「かといって、離れるなと言ってもはぐれるのが子供だわね。芳香、ちょっと入れておいて」
「おう」
 言うが早いか、青娥は片手で人魂姿の水子を包み込み、そのまま芳香の下腹部に突き入れてしまった。
「お姉さん!? ちょっと、しーちゃん!」
 瓔花が大慌てで芳香の腹をぺたぺたと叩く。何しろ霊魂も食らう大飯喰らいだ。そんな芳香に、今の話からまさか直で腹に突っ込むとは誰が思うだろうか。
『ハーイ』
「あ、はい」
 そして今の心配が馬鹿らしくなるほど、しーちゃんはあっさり芳香の臍の下辺りから体半分を覗かせた。
「消化とは関係ない赤ちゃん用のお部屋に住んでもらっただけよ。栄養も一方通行だから芳香に吸われちゃう事は無いわ」
「もう! 先に言わないのはお姉さんの悪いとこだよ!」
「だって、悪いお姉さんですもの」
 全く悪びれることなく青娥はころころと笑った。これが一番早いと判断したら、そこに壁が有ってもお得意の壁抜けで通り抜けて最短コースを突っ切ってくる。青娥とは良くも悪くもそういう女なのだ。
『……もう、いいか? 早くしねえとタイムセールが終わっちまう』
「あらごめんなさい。それは申し訳なかったわ」
 見た目に反して意外と庶民的なクマであった。人妻の青娥もその重大さは大いに理解できるので、流石にこれは素直に頭を下げる。
「ほら、瓔花ちゃんもクマさんにお礼を言いなさい」
「クマのおじさん、ありがとう!」
『……おう。いやまあ、ニンゲンじゃあ分からねえだろうが、私はメスなんだけどな』
「えっ?」
 衝撃?の事実にもう一度頭を下げつつ、一行は毒々しいネオンサインが光る畜生メトロポリスの中心部へ向き直る。この奥できっと水子達が遊び呆けているのだ。気が遠くなるほど長丁場の戦いになりそうだが、幸か不幸か死者の世界は眠らない。瓔花達は意を決してビルのジャングルへと踏み込んでいくのであった。


「……んで、具体的にはどういう場所に居るんよ」
 屠自古は看板だらけの街中をきょろきょろと見まわした。雑貨店に飲食店、玩具屋もある。あの妙に艶めかしい動物がウインクしているのは動物用の風俗店だろうか。水子が勘違いしてそんな所にお客様として飛び込んでいたらどうしたものか。
「そりゃあ子供が興味を惹かれる所でしょうね。屠自古さんはちょっとお歳を召されすぎて共感が難しいかもですけど」
 屠自古とは対照的に遠くをずっと凝視していた青娥が、振り返ってくすくすと笑う。
「私より先に生まれたくせに何言ってんだババア。お前は年相応の落ち着きを持てってんだよ」
「はいはいケンカしなーい。お友達同士なかよく!」
 瓔花がいつも水子達に言うように屠自古と青娥の間に割って入った。そんな小さな勇者にも青娥は同じように微笑む。
「ふふ、これでもお姉さん達はとっても仲良しだから大丈夫よ」
「……まあな」
 一種のアンガーコントロールである。放っておくと怨念を溜め込んで溜め込んで爆発しかねない屠自古だからこそ、怒りの捌け口を作ってあげているのよとは青娥の弁。瓔花にそこまでの理解を要求するのは酷であろう。もっとも、半分は怒る屠自古が面白いからやっているのだが。
「あー……この香ばしい脂は北京ダックぅ……」
 そして二人がじゃれている間に、芳香が匂いに釣られてふらふらと道を逸れだしていた。焼けた鶏肉の匂いが堪らない、普通の人間でも涎を垂らす程の高級中華料理である。嗅覚が強く、より本能のままに生きているゾンビが嗅ごうものなら胃液で地面すら溶かしかねない。
「こらこらお腹の水子ごと迷子になる気?」
「ぐおー……後生じゃ行かせてくれぇ」
 芳香の襟元を掴んで止める。しかし青娥が制しても体が言う事を聞かないのか、足だけは未練がましくぴょんぴょんと跳ねていた。
「でも、この匂いはあの地の生まれとして堪らないのも確かね……」
「だけど中華なあ、乳幼児が食いたがるとは思えんけど」
「鉄板は柔らかくて甘いお菓子でしょうね。うちの王子様も大好きですし?」
「そりゃ飛鳥時代は甘味なんてろくに無かったからなあ。食うのは良いけど歯は磨けって言ってるんだが、布都共々仙人だからちょっとぐらい平気って言い張って……」
 生まれ変わってからまだ浅い同士達の顔を思い浮かべ、母親のように屠自古がボヤく。彼女は早死にした分精神が老いているので自然とそういう役割になるのだ。
 そして最後に、眩い街の中をずっとウキウキで突き進んでいた、心身共に誰よりも幼い少女。それが一つの看板の前で急にピタリと立ち止まるのである。

「ここ! ここ行き……いる気がする!」
 瓔花がパニック状態で指差した店内は、煌びやかなネオン街の中でも特段毒々しい七色のライトが駆け巡っていた。店頭には音楽に合わせて太鼓をドンドンカッカッと叩いて遊ぶ大型の機械が置いてあり、そこでゴリラの幽霊が華麗なバチ捌きを見せている。吠える犬の看板に書かれた『ハウンドワン』がおそらく店名であり、要するにここは総合遊技場なのだろう。いろいろと心配になる。
「こりゃびっくりだ。地獄の底でゲーセンを拝めるとはな」
「機械の墓場からちょろまかしたのかしら。曲からして一回りぐらい昔の筐体っぽいわ」
 屠自古と青娥は、神子と布都が復活するまで暇で仕方ないのでこういう場所で遊んだ経験もある。しかし、楽しみと言えば石積みを無理やり娯楽化したものしか知らない瓔花。それがこんな所を見てしまった時の半狂乱状態が想像できるだろうか。
「行こう! いいよね!? 中を見ないといないか分からないもんね!?」
「瓔花ちゃん、遊びに来たわけじゃないのよ。分かってるわよね?」
 大人として、目が血走るほどに興奮した幼児を窘めつつも、その青娥が笑いを堪えているのは吊り上がった口角から一目瞭然である。
「私が行きたいならみんなも行きたいよ! そうだよね芳香ちゃん!」
「お、おー? まあ腹が満たされるなら景品のお菓子でも構わんがー……」
「お菓子も!? そんなのもう、行くしかないじゃん!」
「ぷふっ」
 青娥の腹筋はあっさりと崩壊した。
「……なあ青娥、入ろうぜ? 別に反対する理由もないんだろ?」
「はいはいその通りですわ。他のお客さんにぶつからないように気を付けなさいね」
「ラジャー! 行くよ、芳香ちゃん!」
「と、とつげきー……?」
 無一文の瓔花に出来るものは無いのだが、そんな事は子供が気にする必要も無い。芳香が突撃と言ってしまったからか、瓔花は後ろの保護者達に全く振り返ることなく店内へと突っ込んでいった。

「……青娥、お前いくら持ってる? 私は焼き討ちの帰りだから一文無しなわけだが」
「心配しなくても、屠自古さんがぬいぐるみ欲しさで沼にハマっても余裕なぐらいは持ってますよ」
「ふっ、私も昔はそうやって熱くなれた時があったな……」
 そう格好付けて青娥から目を逸らす、屠自古の耳はほんのりと温かみのある朱に染まっていた。
「あれは確か、一年前かそこらの話よね。まあ、あの子もちょうどそっちに向かってる事ですし、見てみましょうか」
「おう、水子がいるかもしれないからな」
 屠自古達も大義名分を持って瓔花を追う。その瓔花だが、やはり子供らしく途中のアイドル育成ゲームや脱衣麻雀コーナーなどは軽くスルーし、屠自古も調査対象と見ていたクレーンゲームの筐体に貼り付いていた。
「ねーねー、これ!」
「お、なんか小さくてあわれなやつとは良い趣味してるな。瓔花ちゃんもこれがやりたいか? やりたいよな?」
「そうだけど、この子だよ!」
 所狭しと並べられたぬいぐるみの中からウサギっぽい一つを瓔花が指差した。瓔花の顔に気付いたそれが、ぴょんと起き上がる。

『やはー』
 ウサギがもこもこの手を慣れ親しんだリーダーに振った。瓔花の勘は正しく、これは間違いなく水子だ。早速見付けた一体は、あろうことかクレーンゲーム内のぬいぐるみに憑依して景品と化していたのである。
「うーちゃんだよね!? そこが気に入ったの?」
『ヤー』
 ドイツ語で「はい」の意味だ。水子がそこまで考えているのか、単にキャラの口調に引っ張られているのかは不明だが。
「いかんぞ! お店の人に怒られるー!」
『や、やー!』
 芳香が出てこい出てこいと筐体を揺さぶるが、水子は怯えた声で拒否した。主張こそ当たり前だが、芳香の揺さぶりが当たり前ではない剛力なのである。大地震が起きれば大抵はただ凍り付いて固まるしかないのだ。
「こら、機械が壊れるわ。貴方こそお店の人に怒られるわよ」
 青娥はさらなる剛力で芳香をバンザイさせた。ぐわんぐわんとしていた横揺れこそ収まったものの、ウサギの水子はまだうずくまったまま瓔花を見つめている。その絶妙な表情のせいでいまいち感情は分からないが。
 ところでそのお店の人(動物)は当然だがそこかしこに居るのだが、どれも怒るどころか我関せずといった顔でフロアの掃除やメダルが詰まった筐体のメンテに従事していた。なぜならば、入り込んだ水子の対処などマニュアルに無いからである。やったところで給料は変わらないのだからやらない。動物達は地獄のブラック組織に馴染みすぎて心が擦り切れている。

「……うーちゃん、みんな迷子になっちゃって悪いお姉さんも困ってるんだよ。ここにいるのがダメってわけじゃないけど、いったん川まで帰ろう?」
『やー……』
 煮え切らない声を水子が返す。川に帰ればまた石を積むだけだが、それは水子の定めなのでまあいい。じゃあ納得できない理由は何なのかと、お化け仲間である屠自古がぬいぐるみの真顔とにらめっこした。決してぬいぐるみが見たいだけではない。
「ただ出てくるのは面白くないって顔だ。勝負に勝ったらいいよって顔をしてる」
「……本当かー? 屠自古が適当言ってないかー?」
「キョンシーじゃあしょうがないが私には分かるんだよ! 今のぼくはクレーンでちゃんと釣ってくれないと帰らないぞって!」
「屠自古さん?」
 青娥も流石に呆れた顔で屠自古の肩に手を置くが、実はこれで正解なのである。今まで他の客は動くぬいぐるみなんて取れるわけがないのでウサギをスルーで鬱憤が溜まっていたのだ。だから自分も持ち上げられてから帰りたいと水子は思っているのだが、それはそれとして、屠自古がぬいぐるみ欲しさに熱くなっているのも明らかだった。
「青娥、コインを頼む。今はお前だけが頼りなんだ」
「そうでしょうね、お金を持ってるのが私しか居ませんからね」
「お姉さん……私もこれやりたい……!」
「青娥ぁ…………!」
 子供達がその場のノリも含めてうるうるとした瞳で青娥を見つめる。そりゃあ、お金ぐらい出してあげるけど、まだ水子二人目なのにいきなり浪費しそうな展開で財布が持つのだろうか。まあ、足りなければその辺りから壁抜けの力で抜き取るだけなのだが。
「……はい5回分。どうせ失敗するでしょうし最初から入れておくわ」
「よっしゃサンキュー! そんじゃあ瓔花ちゃん、行け!」
「いきます!」
 威勢の良い声を上げ、屠自古が瓔花の腰を掴んで持ち上げた。背が低くてボタンを押すのも一苦労だからだ。足が大根状態の女に持ち上げられて、足がぷらんぷらんとしたままゲームに臨む水子の女児。生きている間には一生見られない光景であった。

「とうっ!」
 瓔花が無駄に気合を込めて点滅するボタンを叩く。ピロピロピロピロと人を小馬鹿にしたような電子音を鳴らしてクレーンが横に移動し始めた。
「いいか、アームが開いた時の位置を予測するんだ。あのウサちゃんは頭が大きいだろ。首がすっぽり収まるように……」
「うん……!」
 石塔が壊されて博麗の巫女達に勝負を挑んだ時よりも気合が入っていないだろうか。それほどに真剣な眼差しでクレーンの挙動を見つめる。
「ここ!」
 縦移動のボタンを離し、クレーンが下に降りる。開いたアームがぶにゅりとウサギの顔にめり込んだ。
『ぷる』
 しかし引っかからなくては何も始まらない。瓔花の人生初のクレーンゲームはぬいぐるみを変顔させて終わった。
「むー、もう一回!」
「掴むよりズラシから入った方が良いか……体の端っこを持ち上げてちょっとずつ穴に寄せてくんだ」
「りょーかい!」
 屠自古のアドバイスに従い、瓔花は2回、3回、4回とタイミングを変えて試行錯誤した。胴体を狙ったり、足を狙ったり、タグの輪っかを狙ったり。ところが幼児の筋力では根本的な反応速度が足りないのだろうか、いずれもスカ、スカっと空振りに終わってしまう。
「くぅううう! お姉さん、もう一回!」
「はいはい。上手い人でも一発とか難しいから、あんまり気にしちゃダメよ」
 青娥が再び硬貨を突っ込む。再び怒りに油を注ぐような電子音が鳴ると同時に瓔花はボタンをぺちんと強くタップした。
 
 すかっ。
『うらー』
 失敗。

 ぶにゅ。
『ぷる』
 失敗。

 つるっ。ぽろっ。ぽとっ。
 無残な結果である。

「もー! うーちゃんしっかり掴まってよー!」
 瓔花は怒りに任せて体全体をべたんべたんとケースに叩き付けた。
「あー、いけませんいけませんお客様ぁ!」
 芳香が店員の代わりにどこかで聞いたフレーズで止めに入る。先ほど本当に機械を壊しかけた怪力ゾンビだけはそれを言う資格もないのだが。
「……やっぱり畜生界のクレーンゲームだものねえ。アーム設定も畜生仕様なんじゃないかしら」
「でもなあ、店の看板が犬なんだからたぶん黒駒組の系列だろ? それが貧弱なアームにするか?」
「狼じゃなくて犬よ? しかも可愛いワンちゃんばっかり」
 店内を見渡してみれば、スタッフはチワワやトイプードルなどあまりドンパチ向けとは思えない小型犬ばかりで、だからこのようなシノギに回されているのだろう。機械設定もその見た目通りだと言われたら渋々納得するしかない。
「だがなあ、黒駒だって遊びに来るかもしれないし、その時に機嫌を損ねたらショーケース割るかもよ?」
「パワー馬鹿の早鬼ちゃんだったら、それこそ『かいもの』で持っていきそうだけどねえ……」

 さて、設定を疑ったところで諦めるわけにもいかないので、青娥は聖徳太子が描かれたお札を両替機に突っ込んだ。じゃらじゃらと大量の500ウォン硬貨が吐き出される。
「……そういう。まあいいわ、追加で5回分ね」
「悪いな。瓔花ちゃん、今度は私にやらせてくれないか。お姉ちゃんプロだから任せてほしい」
「しょうがないなあ。5回終わったら私だからね?」
 幼児と言ってもリーダー役のしっかり者らしく、瓔花はちょっぴりウサギを睨みつけながらも屠自古に前を譲った。今度は芳香の肩によじ登り、プロと豪語するその手の動きを食い入るように見つめている。
「行くぞ!」
 屠自古がボタンを叩き割りそうな勢いで押下する。クレーンは「そんな強く押さんでも動くっちゅーの」と言わんばかりのぎいぎいと重苦しい音を立てて動き出した。

 すかっ。すかっ。ぶにゅっ。ぐにゅっ。ぽろっ。
 おそらく皆が予想したであろうが、結果は案の定である。
「……これがプロかー」
 そして芳香がつい呟いてしまった何気ない一言、それが屠自古の、既にボロ雑巾状態ではあったハートを介錯してしまう。

「ざっけんなコラー! 絶対ヤってるだろこのクレーン!!」
 屠自古は怒りに任せてスカスカの大根足で筐体を蹴り上げた。
「あーお客様、お客様ぁ!」
「屠自古ちゃん!!」
 怒髪天状態でも止めないわけにはいかない。瓔花が顔面、芳香が胴体にしがみ付いて荒魂の制御にかかる。
 本来ならばこういう迷惑客を止めるべきは店員であるのだが、その子犬は怒り狂う怨霊が恐ろしいのか部屋の隅で生まれたての小鹿のようにぷるぷると震えて全く頼りにならなかった。
「屠自古さん屠自古さん、中のウサギさんが怖がってるわ、よっ……!」
 一応青娥も止めには入ったものの、露骨に笑いを堪えている。これでは余計に怒らせるだけだろう、と思いきや。
「っ、ぐ……!」
 しかし、かわいいかわいいウサギちゃんを怖がらせてしまった大罪。それを自覚して我に返った屠自古は、振り上げた握り拳をゆっくりゆっくりと腰の横にまで戻した。まあ、ぬいぐるみの顔が恐怖に変わるわけがないので、あくまで屠自古の幻覚で勝手に落ち着いたのであるが。

「……ありゃ?」
 ところで、現在のケース内の状況である。怨霊のパワーで蹴り飛ばした筐体はぬいぐるみを跳ね飛ばし、そしてやっぱり怖いは怖いのでウサギもぷるぷると震えていたわけだが、それが良い感じで崖っぷちに居たのである。
「……チャンスだ瓔花ちゃん! トドメを刺してやれ!」
「はい! お姉さん、コイン!」
「はい」
 トドメも何も相手はとっくに死んでいる。でも、今それを突っ込んだところで二人は私を構ってくれないんだろうなと判断した青娥は、余計な言葉無しに言われるがまま硬貨を入れた。
 今ならちょっとアームで小突いてやるだけでぬいぐるみは穴に落ちる。流石に瓔花でもその程度のコントロールは出来るので、首元を押されたウサギはまるで自分から飛び込んだかのようにあっさりと顔面から落下したのだった。

「や、やったー!」
「やったな! 初めてのクレーンで取れるなんて大したもんだよ」
 瓔花と屠自古はこれまでの失態を無かった事にし、エンディングを迎えたかのようにやんややんやとはしゃいでいる。あのゲームで言うとまだ鳩ぽっぽを捕まえた程度の進捗でしかないのにだ。
「なー青娥。台を揺らして景品取るのってダメじゃないのかー?」
「ダメだけどね、この場にダメじゃない人なんていないでしょう?」
「確かに」
 所詮この世はずるい者、ごねた者が得をするように出来ている。畜生界ならば尚更である。反則を指摘するならば牌を倒す前にするべきであって、その役である店員が黙っている以上ゴリ押しが正義なのだ。誰も納得できなくても納得するしかない。
「うーちゃん、うーちゃん! よかったー!」
『やっはー!』
 何より感動の再開を果たしている幼児を「今のはノーカンだから」で引き剝がせる者は、極道ですらない外道だ。今更口を挟もうものなら瓔花の後ろにいる青い邪道のお姉さんが黙っていないだろう。あと、ウサギのぬいぐるみを手に入れてご機嫌な緑色の怨霊も。
「……それはそれとして、まだこれで二人目なんだよなあ。一人ひとりでこんなに苦労しなきゃならんのか」
「本当にね」
 一番エキサイトしていたのは屠自古のくせに。青娥の短い言葉にはそのニュアンスがたっぷりと含まれていた。
「……えっとね、みんなでこのお店に入ったから、まだいっぱいいるはずってうーちゃんが言ってる」
「それは助かるけど……またクレーンやらなきゃいけないのかしら」
 小銭自体は別にいくらでも持ってこれるのだが、毎回あんな悪目立ちをするのは邪仙でも望んでいない。なら青娥がやればと思われるかもしれないが、見た目こそ若々しくてもこういうゲームの腕は井戸端会議大好きおばちゃん相応なのである。
「ふむぅ…………確かに獲物の匂いはするぞ。あっちだ」
 霊魂も捕食対象の内である芳香が店内のさらに奥へと跳ねた。その進行方向にあるのはプッシャーと呼ばれるタイプのゲーム機だ。分かりやすく言うと、アームで掬い上げた物が前後運動する台にざーっと落とされて、それによって押し出された物を景品として獲得できるアレである。
 有名なのはコインを落とすタイプであろうが、これの中身はお菓子だ。つまり芳香は水子ではなくお菓子の匂いに釣られて寄ってきたのかと思われた、が。

「……本当に子供って変な所に入りたがるわよねえ」
「お前も似たようなもんだろ、コソ泥野郎め」
「私は邪仙だから良いんですぅ~」
 そう、大量の水子がアメやマシュマロの如く、お菓子の包みに紛れて回っていたのである。流れるプールみたいで楽しいのだろうか。
「いーちゃんに、ろーちゃんに、はーちゃんに、にーちゃんに……!」
 50音もその内被る子が出てきそうで心配だが、今はそこを気にしている場合ではない。
「……この子らも、ちゃんとゲームで取らないと出てこないぞっていうのか?」
「きっとそうなんでしょうねえ、この流れだと」
 気は重いがこれを全部救い出すまで帰るわけにはいかない。二人はこの反応だが水子達にとってはこれが石積み以外で初めての遊戯なのである。それに付き合ってあげるのが大人の責務というものだ。
「逆に考えるのだぁ。やらなきゃ連れて帰れないのではなく、遊んでたらついでに連れて帰れると!」
「さすが芳香ちゃん! 良いこと言うー!」
 どんなゲームもノルマと思うと途端に作業感が出てくるものだ。愚かな死体の芳香だが、その言葉には確かな真理があるのかもしれない。そしてその最中にさらなる真実に気付いてしまった彼女は、急に右へ90度跳ね飛ぶと煙草の煙が充満した一際やかましいエリアの前で立ち止まるのだった。
「見ろー、パチンココーナーにも居るぞぉ。やっぱりパチンコ玉の代わりだがー……」
 それもコーナーの中で一際大きく、玉も巨大な台の中に紛れているようだ。貴様らの金を全て飲み込んでやるぜとでも言いたいのか、底無し沼並みの胃袋を持つ剛欲同盟の長、饕餮尤魔のイラストが台の下部にデザインされている。(台名もずばりNUMAらしい)
「……マジだ。どうしてみんな機械の中に入りたがるんだよ」
「お金、持ってないからでしょうねえ。出来ないなら出来ないなりに何かをやりたがるのよ」
 そういえば太子様が幼少の頃、自分が馬になってお馬さんごっこをしたがっていたなあと遠い昔を思い出す屠自古であった。当然だが神子に乗馬など畏れ多くて誰もしなかったわけだが。

「ま、やるしかないよな」
「ないわね。コインは私がいくらでも用意してあげるから好きなだけおやりなさい」
「がんばるぞー! お姉さんよろしく!」
 瓔花はお菓子を、もとい水子達を掬い上げる為にプッシャーの筐体に飛びついた。必然的にパチンコ担当は屠自古になるが、幼児に大人の汚い玉入れをやらせるわけにもいかないのでそれが妥当か。
「芳香は引き続き水子を見つけ出してちょうだい。何ならもう、吸っちゃっていいから」
「おう、任せとけー!」
「消化しちゃダメだからね? 赤ちゃんのおへや?の方にちゃんとしまうんだよ?」
 役割分担も決まり、ここからは長い長い掃討戦だ。仲間を連れ帰るため、あるいは可愛い景品を手に入れるため、はたまた腹を満たすため、各々は三方向に散っていくのであった。

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