Coolier - 新生・東方創想話

リアリズムの幽霊は幻想郷を知らない

2025/03/30 14:34:20
最終更新
サイズ
30.05KB
ページ数
3
閲覧数
693
評価数
3/4
POINT
340
Rate
14.60

分類タグ

――天下意の如くならざるもの常に十にして七八に居る
      藍月の霊は幽かに独りにて 宵に天座はて冥界か――





 現世の人間も、幽世の幽霊もそれには気付いていなかった。
 人知れず仕掛けられた悪戯と、それの齎した幸運を。

・前 至るまでの観察

 白蝶のひらめく昼光に醸されたカフェテラスは、矮小なミルキーウェイの撹拌を観察模型に落とし込んだような賑やかさに満ちていた。箸を休めた学生達が、そこかしこの席にコロニーを形成して語らい合う姿は、一種の人間バイオフィルムと云えるだろう。
 さて、眼前の少女が口を尖らせている。

「メリー遅いなぁ……」

 私の向かいの席に座っているのは、黒いカンカン帽に白いカッターシャツの時代錯誤な女学生。異性装と云うのだろうか、ご丁寧に赤いネクタイをも締めたマニッシュ・ファッションは大学構内でも類を並べるものはない。
 どうやらブラックコーヒーは苦手なようで、机に寄せたものは未だ湯気を上げるカフェ・ラテ。彼女が水色のマドラーを回すと、水面の香茶褐色はラスコー壁画のような原始的な図形を描いて、ローガリスミック・スパイラル(対数螺旋)に収束していく。

「不思議の国の時計を持ったシロウサギは好き?」

 私は彼女に問いかけるが、返事はない。目を合わせようともせず、ガラス張り先の廊下側、人の流れの多いフラスコの外側の景色をずっと注視している。メリーという些か西洋的すぎる名前の人物は余程、大切な存在のようだ。

「あっ、メリー。こっちこっち」

 椅子から立ち上がる勢いを持って、云い彼女は、まるで婚約者がボート・トレインから迎えるように大げさに手を振り始めた。向こうでサインを受け取ったのは寓喩でなく本物の、金髪の貴婦人で、薄紫のフィット・アンド・フレアになったドレスを舞わせてふわふわと足早に訪れた。

「ごめん遅れて。蓮子は珍しく早いのね」

 婦人は私の《真上》に腰掛けて口をほころばせた。位置的に同じ座標を持ったせいか、丁度ぴったり私が発声しているようだ。同じ番号のテーブル、同じ椅子、同じくらいの身長、多分、同性。唯一異なる点は、
――私は物理学的法則に縛られていないこと。幽霊だ。

「用事、予想よりも早く終わっちゃって」
「ふーん、でもいつもと逆順なんて、雨降りそう」

「偶然。偶然が重なったのよ。……あ、けどそれだと雨降る確率に信憑性が出てきちゃうか。メリーはどうしたの?」
「その偶然の余波よ。変な用事を増やされちゃって」

「ふふ」
「? なんで笑うの?」

「いや、何か天秤みたいだと思って。バランスを感じてさ」
「そう? 比重が片側に寄っちゃってバランス悪く見えるけど」

「《連動する運命》って考えると天秤みたいじゃない?」
「あー。蓮子の分のおもりを私がもらっちゃったわけね」

 さ。流れに流れて尋ねたカフェテラスも、これで3日目。そろそろ誰かに伸しかかって、別天地に連れてってもらおうかと思う。
 広義の幽霊になって初めて見たのは、自分の手のひらだった。生命線がある! 魂が昇るとされる神々の道は天に開けて、ステュクスの大いなる流れやオノゴロ島の神秘なる白絶さ、第2アステカ世界の皆殺しにされる巨人達などの霊界観光名所は気に罹るところだが、私は、当分現世に留まる腹づもりだった。
 霊体は大変興味深い。研究意欲がそそられる《孤独》なのだ。

「で、なにか見つけた?」 黒いほうから話し掛けた。
「うーん。都市伝説の一種くらい。蓮子は?」
「学校の七不思議の一種かな?」

 この二人はオカルト研究を趣味でやっているようだ。ひいふう……何とか倶楽部と自称しているのを訊いた。私は移動し、カフェテラスのテーブルから首だけを出して頭蓋崇拝で捧げられた生贄のように振る舞った。机上にはメリー用のエスプレッソが運ばれてきて、自然と誘導された視線は仮にも私に集まる。

「お二人方。信じがたい発見だが、死後の世界ですら幽霊を見るのには霊能力が必須なのだよ」 あまたの知識を語り掛ける水晶のドクロの如く、私は雄弁に言い放った。

「『カフェテラスの幽霊』っていう面白くなさそうなの」
「あら? それってここ?」

「うん。メリー。なにか『見える』?」
「特に『境界』らしきものは開いてないけど……」

 と、貴婦人と目が合った。彼女は訝しげに手を伸ばして、糸状菌を繁殖させたシャーレを摘むように私の右目をえぐり出した。持ち上げたのは白い陶器のコーヒー・カップ。口ぶりの自信からメリーの異能力に幻惑されるかもしれないが、私を、その匂い立つカフェイン銀の湯気、霧のように扱うとはその心霊宣言も眉唾モノに過ぎない。

「心霊成仏論新説を知っているかな? 小さきはクモノスカビ、巨大ならばオニナラタケ、残念ながら賢き人間どもも含むが、『《死》により霊魂が発生するのならば、地球周辺は膨大になった魂達によって覆われてしまう』はずだ。そうならないのは何故か?」

「だよね……。何かの理論を夜ごと呟いているんだってさ。よくある創作の怪談話かな」
「そうみたいね」
「メリーのはどんなの?」

 簡素な白丸時計は午前12時をはるか廻り、乱反射するフワル・フシャエータ(輝ける太陽)が我々学徒を真実へと射し貫くようになる。教鞭(強弁)に立つため、私は机に躍りあがって無い足を浮かせた。

「では、地にアニマが溢れない道理を解説しよう。居残り続ける霊魂達に囁きかける冥界の導きとは、その名も正に《忘却》だ。神性無きもの共は、見はし、聴こえはすれど、触れられず、語らえず、正に孤独! 時が過ぎ、忘却の過程をまじまじと見せつけられて、やがてみな《諦めて》昇天するのさ!」

 が、
「『アマザ難民予想』理論というものに関する噂よ」
「なにそれ? 何か聞き覚えのある語感」

「なんだそれちょう気になる」 なにそれ?

 再び沈んだ私は生首になってメリーに傾注した。
「一種のパラドックスと云われたわ。概要はこう」

――《アマザ》から溢れ出る難民達は、次々と地上に押し寄せてきている。《アマザ》の門を超えれば現世に逃げられるが、門番の問いかけるある問題をクリアする必要がある。それは、
 1・「数字を答えたらその人数分だけ門に挑める」
 2・「答えた数字の分だけ新しく門を追加する」
 3・「門を開けられるのは通る人数分だけ」
 4・「すべての門のさきに向こう側がある」
 どの数字を答えれば脱出できる?――

「うーん? これってさ」 蓮子が聴くなりすぐにも答える。
「ぜったい無理なんじゃない? いくつで答えても一個だけ門が余っちゃう」

 そうさその通り。通る人数 n と追加門 n が同値であるせいで、初めの門数である+1という壁を突破できない。そもそもパラドックスですらない不可能問だ。
「よね。パラドックスでも無い気がするし」 正解

「それで、メリー。どんな風に展開するの?」
「噂には都市伝説的な要素が加わったみたいよ。地上とアマザは、4294967296個分の門の距離があるそうよ。正解できなくても、それ以上の数の門を出現させれば地上に辿り着けるようなの」
「え? え?」 蓮子は疑問符を浮かべてカフェ・ラテを撹拌する。

『よくある宗教的な数の水増し行為であるな』

 メリーは続けた。
「アマザ難民に全アマザ住民をプラスしても足りない程度の門の数らしいけど、これ、地上から、つまり門の裏側から開けていくと、たったの60個分しか距離がないらしいわ」
「うーん。ちょっと意味が解らない」 不甲斐ない白黒に代わって、私が解説を行おうか。

『即ち、限定的な対称性の破れというものだ』

「対称性の破れってやつ?」 そう、貴婦人。正にそう。
「メリー、その理屈はおかしい」
「そうよねー」 ふふ、と微笑んで彼女。何故だ!
「だって量子論でないもの。で、どうなるの?」 お、おう……

「大して距離の離れてないこちら側からなら、異界の門を開けられる。っていうのが噂の主旨ね」
「ほうほう」 ふむふむ。

「下京区(※京都府)に不明門通りってあるでしょ? 《鬼門》、つまり丑三つ時に京都駅から不明門通りを北上して電柱を数えていくと、ちょうど60本になっているらしいわ。そして終点の因幡堂の扉が開いていて、異界に繋がっている……」
「飛んだなあ……」

「すごいこじつけ臭さあるわよね」
「うん。まず理論がいらないし」

 ふむ。しかし気になるのは、何故、全く無関係に見える2つの事象を組み合わせてあるのか、という心理だ。怪談にはアトモスフィアが必須であるし、単なる演出のため、と結論付けてしまえばパッチ・ワーク(つぎはぎ)も説明できる。しかし気になる。

「けど、儀式的にはオカルトとして成り立ってるのよ」 とメリー。

 《意図》だ。このあからさまな、好奇心を罠に落とし込まんとする悪意の理論は、何を目的に作られている? リチュアライズ(儀式化)は歴史的に観て信仰や文化に大きく影響を与えるはずだ。

「確かに。前半は変だけど、『門』の言葉遊びとか、60という数、因幡堂の扉ってそそられるものがあるね」
「やってみたい、って思うわよね」

『完全なる創作とすれば《難民》という語彙に製作者を示す鍵が隠されているはずだ。コミュニティより追い出された《孤独》がそこにある。《悪意》に満ちている』

「けどメリー」 声質を変えて蓮子。「アマザってなんだろう?」

 ふむ。amaze(驚嘆する)をそれっぽく詠んだのだろうか?

「なにかしら。天の座(くら)と書いてアマザって読むのかな?」
「うーん。天の磐座?」

「平安時代に天国(あまくに)という刀匠が居て、その弟子に天座(あまくら)というのが居た気がするわ」
「関係ありそうでなさそう」

 結論付けるのはまだ早いかもしれない。そう、現段階での考察は時期尚早だと校内放送のレントラー舞曲も云っている。

「実践してみようか」
 初めに切り出したのは蓮子であった。

「行く?」 確かめるメリー。
「うん」 妙な、腑に落ちない顔で応答する黒い方。
「……蓮子、どうしたの?」 すかさず黄色が云う。

「いやなにか、『アマザ難民予想』って言葉に引っかかって。語感にデジャヴを感じるのよ」
「原典があったりするのかしら?」
「そうかもね」

 そうか?

「ま、いいや。それじゃあメリー。金曜、夜1時30分くらいに京都タワーに集合で」
「ええ。蓮子はなるべく遅れないでね」
「大丈夫よ。30分余裕を持っての予定だから」
「折り畳み傘、忘れてたわよ。本当に来れる?」 と、手渡す。
「あ。平気ヘーキぜんぜん。信頼して任せて」
「本当かしら?」 あはは、と綻んで笑い始める二人の倶楽部生。

 私はもう蚊帳の外である。カフェ・ラテは蓮子の息に溶けて、エスプレッソはメリーの明瞭な意識を繋ぐ。陶器のソーサーに置かれる事後のコーヒー・カップは、書を残さぬ賢きソクラテスの音を立てて昼光の喧騒に流れていく。
 脊髄の抜かれた私には即物的欲求はもはやなく、知の探求と見栄だけが神祖の道を拒否し、プラーナ(霊魂)を現世に留めている。この二人への好奇心は、《妖怪じみた》私の飢えをきっと癒してくれるに違いない。
 春に差し掛かった陽気は、雨後の森中のよう熱の胞子をルーアッハ(風)に変換し私達をみな預言者とする。週末(終末)の夜の更けたその時間帯に私達は再び集合するだろう。
 メリーの眼は室内を迷い、やがて明日に向かう。


コメントは最後のページに表示されます。