Coolier - 新生・東方創想話

リアリズムの幽霊は幻想郷を知らない

2025/03/30 14:34:20
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・後 好奇心(手間いらず)のネコが立ち去るまで

 驚くべきことが発覚した。

「ごめんメリー」
「やっぱり……」

 黒く沈む京都タワーの真下、南東の入口前はオフホワイトのLEDで異様に明るく暗夜より浮き上がり、人工物はまるで菌根菌のよう幾重も生じていた。時刻は今や丑三つ時。光あるべく中つ国ミドガルドより乖離した宵はその住人を変えて、正にヨトゥンヘイム(巨人の国)の様相である。
 ここに、二人の女学生が名を秘封倶楽部として訪れる。歯車のよう輝き回る往来から経ち浮いて、小さき彼女達は「my precious」と囁いて再会を祝うよう挨拶を交わした。
 午前2時を4分は回っている。

「真夜中で待ち合わせ、怖かったわよ」
「メリー……本当ごめん」

 フイ、と顔を外らして膨れた貴婦人は露出の少ないブラン(茶)のピーコートを羽織って、名はメリー。フリルのスワガーハットは夢遊病患者の夜間帽のようで月明かりに眩しく感じられる。
 対して遅れてきた蓮子の名は白黒のベスト・スーツで洒落て、胸にパンジー型リボンの見栄を巻いている。始まるのは茶会でも酒興でもなく、怪談実験だ。

「これなら蓮子の部屋で夜まで待ったほうが良かったわ……」
「そうね……。今度はしよう」

 自転車を引いた倶楽部はゆっくりと歩き出す。

「さて。切り替えていきましょう」 メリーから仕掛けた。
「うん」 短く的確な返事。

 私の驚くべき発見とは、蓮子についてだ。
 結論から先に述べよう。

『取り憑いてもいいかね?』

 重力に従わなくなった身体を等速移動させて、子供の掴む遊園地のカラフル・バルーンのように二人の間に割り込んでおく。実はと云うと、カフェテラス以外でも彼女達の観察に努力の限りを尽くした。

「蓮子、あれから色々考えてみたの」
「? アマザの門のこと……?」

「ええ」 秘封倶楽部には個別に異能力があるそうだ。
「そしたらね……」 こうして勿体ぶるメリーは物事の《境目》を、
「そしたら?」 目を輝かせる蓮子は、星と月で時刻と位置を、
 それぞれに言い当てる。神々の祝福か、脳機能のスライドか。

 そっと踏み出した青信号を渡り終え、東方へと1区画まっすぐ。

『自己申告のメリーと違い、蓮子の能力は客観的に検証された。即ち、ミーディアム(霊能)の近似値の可能性さ。無能幽霊の私が現世に戻れる手段になるやもしれぬ。なので、コトの結果次第では今後、憑いて廻ろうと画策しておる。ご婦人方。それでもよろしいね? 聴こえてないのは初めから解ってる』

 暗澹たる風が耳を切って渦巻き、秘封倶楽部のスカートは極光のカーテンのようゆらゆらと不安定に揺れる。月の群雲は万物をイドの領域へと陥れ、京都駅地下鉄の下り階段からは心音を真似た列車音が幻聴として昇ってくる。たった一本目の横道。
 目の前にはすでに『不明門通り』が開けていた。

「答えが、わかっちゃった」
「本当!?」

 蠢く影共は両手に仰いだ現代ビルディングに複雑に絡み付き、今にも倒壊せしめんと重力ごと細道の行方を歪めている。答えか。しかし、もう遅い。《怪談》に一歩踏み出した。

「答えはいくつ?」 欲深な蓮子は性急に云う。
「内緒。ゴールの因幡堂に着いたら答え合わせしましょう。それまで蓮子は考えてみて?」 正直、私も答えに興味がある。
「気になるなー……」

 この『アマザ難民予想』問題は私が作り上げたものではない。つい2日前、彼女達に出会えて計5日の縁だ。何かが起こるかも、何も起こらぬかもしれない。要点はひとつ。
・異変が起きるか、否か!

『では、始めよう。怪談の終わりと幽霊の始まりを賭けた壮大なる実験を』

「じゃあ、行きましょう」
「うん、行こう」 そして人類は賢い暇つぶしを行う――

                 *

 カチカチと回る自転車チェーンは、瞬く星辰の秒針とは全く違った速度で時を刻んでいく。初まりの自販機の寂しい光を踏み越えると、記念すべき第一の柱があった。

「ひとつめ」 並んで右の蓮子は指を差して確認した。

 路地の門となる左右の高層建築は高さ10mはあるようで、深淵に至る表層の、文明トンネルとしての役割は十分だ。規則正しき石畳の小路はL字の端石を嵌められて、まるで骨の突き出るベリアルの食道の内奥に落ち込んでいくようだ。
 実験と称しつつも内実は単なる行進だ。人影はないが気配が大通りから漂ってくる。顔をそばだてて聴くと、二人の吐息はすぐに溶かされ、辺りは冷たい異様に囲まれた。

 ふたつ、みっつ、よっつ…………

 ことのほか明るい十字路は、たった20mほど先の光景だった。フィラメントの寿命か、左の街灯はモールス信号のように点滅を繰り返して、真下の『京の旅館通り』の看板文字が水彩に滲んで見える。

「結構……なにもないね」

 またも蓮子が音を上げた。歩く早さは一定。

「見慣れた場所だからかしら」

 答えるメリーは柔和な笑みを浮かべている。

『…………………………………………………』

 私は黙した。茶々を入れるのは無粋だ。聞き入る。

「《境い目》はあったりしないよね?」
「特に、……あ、月が綺麗」

 見回した彼女が最期に這わせたのは出現した黄金、ネコ科動物の睥睨(へいげい)の如き弓張月だった。月光は鋭く、心から蒸発したデストルドー(死の欲動)を雨のように浸透さしめてくる。軋む音がする。周囲の建物に、亀裂の音がする。

「ホントだ。綺麗」 感動を揺さぶるのは、何の作用?
「ねえ蓮子、」

 道なりの電線は空を《道なりに》切り取り、横切る月に嗤われながら数えていく。やっつ、ここのつ、とお……

「なあに?」
「天秤の話」 七条通との交差で、車道を横断するために遠回りをして横断歩道に逸れる。動物の眼のレンズを得たように、輝くヘッドライトの車達は凶悪な人喰いの鉄の箱に変容していた。

「なんだっけ……?」
「《連動する運命》って、蓮子が謂った言葉よ」

「あ、メリーが珍しく遅刻した時の」
「そうそう。もっと何か、忘れてない?」

「忘れ……? あ、《カフェテラスの幽霊》」 くるりと踵を返して再び不明門通りに戻ってくる。一方通行で逆撫でになった『止まれ』の文字が歩みを遅らせる。

「………………」 突然考え込んだように黙りこくるメリー。

 手で進ませる自転車の刻みが泥濘のよう道を経ていく。じゅうなな、じゅうはち……

「メリー、どうしたの?」 異変に気付いた蓮子が顔を覗き込んだ。街灯で表情には影が差し込んでいる。
「え、ええ。何でもないわ」 苦く口を緩ませた彼女は、

 私を《見た》

 旅館か、仏具店か、線香の煙が流れてきて、紫雲の匂いをちらつかせる。見えている。なんてことはない、はず。秘封倶楽部の間に物理的に私が挟まれているからだ。多分。
 そのあと、彼女はコートの裾を直して、しきりに肩を正した。様子が、変だ。
 道が大きな烏丸通と合流して、昏き空は拓かれる。孵化した歩道は煉瓦の赤肌を向けて、地下下水道の不気味な胎動を伝える。植木鉢と街路樹はクラドスポリウム(黒黴)のよう無機質に、まるで網膜に生じた病原のよう空間に《ひび》を齎す。

「メリー。考えたんだけど」

「ええ」

 何者かが土中に生まれ、重力は膨張した。人の気配がする。大通りなので当たり前だが、沸き上がる胸騒ぎに堪えられなくなり、私は蓮子の背後に隠れるよう位置を変えた。

「アマザ理論って、2つの別々にあったものを足しあわせたんじゃないかなって」
「ありそうね」

「前半の数字の解決法と、後半の、つまり今の怪談話は実は全く関係なくて、繋ぎ合わせてるんじゃないかって思うの」
「私が答えを見つけたのは前半の《数》だけど、この因幡堂の儀式が別物だとすると……」

「初めの方は信憑性を作るだけの疑似餌で、この時間、因幡堂に人間をおびき寄せるのが目的だとしたら?」 彼女達の論理はようやく2日前の私に追いつく。
「怖い人がハイエースで待ち構えている……」
「うわっ……怖っ」

 砕けた笑いが小さく木霊する。真面目に向き合うと洒落にならない冗談だが、緊張の糸が切れて月が遠くなったように感じた。烏丸通――蜘蛛の巣のような電線は消え、門に近付くための約束の柱はめっきり減って、にじゅうを超えたゴースト・カウントは当分の間、凍結された。

「何で《難民》なのかしら」 メリーが口走る。
「さあ?」 疑問は晴れない。
「例えば――」

 会話に生じた蕾(つぼみ)は、やがて大輪の曼珠沙華のよう荘厳に花開いていった。あらゆる予言が二人の間で飛び交い、車輪の回転はとどまるところを知らない。想像上のアマザは、粘土細工の箱庭のように二人の手の中にあった。彼女達は語り合う。

 ひとつ罪人で満杯にされた地獄の1区、ひとつ肉親の名を呼ぶ慟哭のリンボ(賽の河原)、ひとつ冒涜的な触手溢れる海の幸、ひとつ薄膜隔てた機械化星系の《夏の夕暮れ》

「――悪い場所なのは確定なのね」 蓮子と
「何者かが逃げてくる設定だもの」 メリーは終局に近付く。

 やがて烏丸通との合流も終わり、柱のレイ・ラインを辿るようになる。数珠を弾く音、鈴を鳴らす音、みな幻聴だ。旅館群は失われ、町寂びたエコーが頭蓋を酔いのように惑わしていく。

「蓮子」 ぽつり。
「なあに?」

「もし…………」 六条通を交差。
「もし?」 仏具屋町を進みよんじゅう、よんじゅういち。

「怪談が《本物》で、私に何かあったらどうする?」

 また私を《見た》。まさか!

 いや蓮子に連なるように私は居るのだ。偶然。偶然? 天秤? 連動する運命―――――?

「それは、なんとかするよ。その、色々考えて。どうしたの急に」
「安心したの。待ち合わせの時、ひとりで不安になっちゃって」

 俯いて、コートの襟で顔を隠すように彼女は呟いた。
 意志は通じたようで、相手方の蓮子も動揺に頬を紅くした。
 忌まわしき柱に掲げられる白熱電灯は、深海に伸びる太陽の腕(かいな)だった。生温い幻惑の音達は暗雲とともに飛び去って、白雪のような静寂が場に満ちた。

『居るだけでいい、ねえ?』 秘封倶楽部に言葉はなかった。

 そうして、ついに最後の回り道となる五条通を目前にした。地下鉄五条駅を横切り、片側4車線の巨大な、
 横断歩道を渡りきって……

「メリー。あとすこしだね」

 《異変》は訪れた。

 白線より逸れた蓮子が振り向いた先に、彼女は居なかった。
 信号は点滅し、やがて赤く染まり、眼前で発進した自動車群が虚空を走り抜けていく。
 居ない。

「あれ……メリー?」

 否定をするよう頭を振って、周囲を見渡した。見覚えのあるブラン(茶)のピーコートはどこにもない。突然だった。

「冗談でしょ……?」 答える声はない。

 慌てて懐からスマートフォンを取り出した蓮子は連絡を試みるが、無い。応答はない。
「嘘」 小さくこぼした。
 誓って述べよう。私にも彼女の姿は見えない。異変。『何かが起きた』のだ。私の意思の介在しない領域で、何かが。しかし、不可思議だ。まだ電柱の数は50を上下したくらいだ。

「もしかして、さきに行っちゃった?」 棒のように凍りつつあった足を無理に駆動させて、彼女は続く不明門通りに躍りかかる。

『何故、メリーだけなのだ? もしくは蓮子だけなのだ?』

 私の中にまるで、蜘蛛の子が卵を突き破るように沸き起こる感情があった。それは、――――――歓喜だ。

「………………」 柱のカウント・ダウンを開始した蓮子には嘯(うそぶ)く余裕はなかった。

 なんて劇的。なんて、不思議。この娘が巫覡としての《業》を積み上げるのは、そう遠くない未来だ。オカルトに向かう好奇心がそれを表している。取り憑いて日頃囁きかけるのも悪くない。『もっと死者に近づけ』、と。

《実験結果はひとりの失踪》

 カフェ・テラスの5日間の滞在は無駄ではなかった。
 蓮子は希望を捨てていないようである。柱は56に到達する。

『ねえ蓮子。これからうまくやりましょう』 叡智への探究心が刺激されて、たまらず口が過ぎる。

 57、58、マンションの麓に小さな祠があった。遠目に因幡堂の影が見える。なおも彼女は口を閉ざす。

『なに、私の影響はほんのわずかよ。睡眠の質が悪くなったり、耳鳴りが増えたり、不幸な事故が頻発したり、周りから疎まれたり、死にたくなったりする程度だから』

 誰かに憑依したことはないが、これまで【見守った】実験体達は決まって自傷行為に走った。何故だろう? 私は、手を下さない。理論を組むだけ。私が悪いワケがない。きっと《偶然》だろう?

 60。――――――――― ――――  ―― ― 61……

「え」 思わず蓮子は一息洩らした。

『私がすでに化けていて、存在するだけで悪影響を齎すなんて、《誰が決めたのだ?》 観測者は私だけだ。私だけ』

 多すぎる。異変。多すぎるのだ。柱が。

『いいよなァ。生者は。不可思議に出会える。《孤独》で無い。いいよなァ? ずっと肩の上で過ごしても』

 呆然と口を開けていた蓮子の表情が、徐々に曇っていく。少なく見積もっても63はある。ここからさきは未知の領域だ。笑いが止まらない。
 因幡薬師と彫られた火部の無い石灯籠を迎え、廻転する車輪は彼女の歩みと共に動きを止めた。終着点はすぐそこ。喉が震えているのが、呼気でわかる。透過する手を伸ばし、その目を、口を塞ぐように添えてやる。

『怖いの? もっと畏れれば救われるかもね。だっ』 テ、私は、恐れている人の、側では、気『持ち良くなるもの。だから、怪奇に惹かれるの』

 と、

「……………………メリー……?」

 居る。

――――違う。

 閉ざされた因幡堂の門の前に、一本のフリル・アンブレラが回っていた。ブランシュ(白)のドレスを着た後ろ姿が、月光の影に淀んでいる。京都の宵に生えるには異様な白、まるで銀竜草。
 蓮子の勇み足は強くコンクリートを叩いて、その一歩を躊躇わせた。因幡堂の不明門(あけず)は《彼女》の違和感で黒く落ち込み、一己の結界となっていた。
 喉を鳴らす音。私は融けた両足の根本を見下して、蓮子の現在を一瞥した。何か、呪文のような言葉を囁いている。

「…………nは同値…………絶対数…………」

 真実になった怪談の、つぎはぎ部分を縫い合わせようと足掻いているようだ。都市伝説のよう、まじないで祓える前提は、無い。

 トッ。幽かな靴音。

 トッ。続く。

 トッ。向かう。

 トッ。62を過ぎる。

 トッ。遠い。たった十数歩のはず。

 トッ。メリーは居ない。

 トッ。彼女には私が見えていない。

 トッ。蓮子は《孤独》

 トッ。

 トッ……心音のよう。

 トッ。

 トッ。
 トッ。

トッ

 白い貴婦人は、アマザの門の前で、虚空を眺めている。
 手は届かない。声は届く。

「メリー…………?」

 尋ねられた彼女は、振り向かない。

「ねえ? 答えられる?」

 車輪は止まり、距離はわずか。問われた意図はどこにある? その声はメリーだが、大人びた印象を受けた。

「何を? わからない」

 蓮子は、怪異と、話している。

「忘れるのは、嫌よ」
「メリーを忘れるなんてない。誰……? メリーじゃないの?」
「見当外れね。禅問答?」 ガシャン。

 自転車は蓮子の手から離れて横這いに倒れてしまう。
 闇は一層深くなった。夜雀の鳴き声が響き渡る。月は暗雲に隠れ、現実の膜はより剥離した。
 ギュッと蓮子は口唇を噛み締めた。

「答えは、答えは」 声は震えている。「答えは《半分》よ。まず半分だけ扉に《隙間》を開ける。増やされた門は片側だけの欠陥品。続く人々が数字を述べれば、それで、現世」

 《答え》に応じたのは、寂寥だった。

 時は止まり、歯車は空転、紫雲だけが流れていく。
 風は熱を帯びて、明日の快晴を知らせる。アマザの門の闇が蠢動した。いや、昏き隙間が動いたのでなく、白が跳ねたのだ。空気の振動。怪異ドレスの肩が揺れる。

「ぷふっ」

 それは無邪気な少女の笑い声だった。

「……ふふ、あ、ふ、はは、あはははははははははは!」

 怪談を垂らした蜘蛛の糸が、ふつりと切れた。
 腹を抱えて笑う彼女が目頭の涙を拭って振り向くと――

 メリーだった。

「ごめんね蓮子。あははは、けど、全然会話になってなくて。ぷっ、ふふ、あははははははははは!」
「えっ!? なにこれ……どういうこと…………」

 怒りは浮かぶ前に通り越してしまって、表情には呆然が残る。

「ちょっとした出来心で、悪戯なのよ。ごめんなさい」

 センス・オブ・ワンダーは崩れ去った。非日常の浮遊感は地上の重力に引かれて植物のように並み立ち、

「っっひどいよメリー。……けど、良かった」 蓮子は安堵の溜息をついた。「本当に神隠しにあったのかと思ったよ」

 全ては《仕込み》の匙加減という訳か? だが、

「心配させてごめんね」

「もう、ばか。何でこんなことしたのよ。ばかばか」 メリーの手の温度を確かめようと蓮子は指先を伸ばして、けれど勇気は出なくて弱々しく勢いは消えていって、最後には裾をちょこんと掴むだけになった。

「よしよし。でも、まず答え合わせからしましょう?」 蓮子の頬を優しく手の甲で撫でて、うなじに指を這わせる。顔を近づけて……――、

 こつん、とおでこを合わせた。

「うん」 子供のよう真摯に目を合わせて、
「場所を移動しましょう」 熔けた緊張は豊かな土壌となり、雨後のフェアリー・リングのように言葉は次々と意識の枯れ葉から姿を現す。「蓮子は《半分》って答えたわよね」

 倒れた車輪を蓮子は持ち上げて、ゆっくり歩み始めた。因幡堂平等寺から少し東の狭い路地に入ると、マンションの麓にある自転車の群生の中のひとつに、メリーのものが混ざっていた。茶のピーコートが掛けられている。

「うん。2分の1」
「まず問題を思い返しましょう」
 《駐輪禁止》とあるこの狭間に、少しの時間、声を抑えて留まって会話を交わす。

 1・「数字を答えたらその人数分だけ門に挑める」
 2・「答えた数字の分だけ新しく門を追加する」
 3・「門を開けられるのは通る人数分だけ」
 4・「すべての門のさきに向こう側がある」
 どの数字を答えれば脱出できる?――

「《半分》なら、ひょっとしたら門を開けられるかもしれないけど、結局『その人数分だけ門に挑める』ってルールだから、最初の人が半分コにならなきゃ」 だが、
「あッ。そーか……」 だが、

 数学的設問かと思いきや、まさかの論理展開をする。作成者の意地の悪さはミスリードで見て取れる。だが、私はもう――

「メリーはどんな答えを出したの」
「私はね――」 幽霊の私は、《アマザ》に興味を失いかけていた。「1よ」
「え? ドコデモドアな感じ?」 二人は、普遍的すぎる。

「違う違う」 微笑む彼女。「まず、1って答えて《最初の扉》を開けておく。『次の人』がマイナス1って答えて門に挑むのでなく《逆に諦める》。更に続いて、1と答えると……」 もう屁理屈だ。
「うー……?」 異能力を夢見た私が馬鹿らしく感じる。《星と月で時間と場所がわかる程度の能力》は、経験的な計算能力に違いない。多分、おそらく、それに違いない。

「3人目以降が挑む門の総数は2+α。《最初の扉》は開け放たれて、閉ざされた残りの門は1。挑む人数は1。開ける回数は1」
「あー……納得しづらいけど、論理的な問題だったのね」
「そうなのよ」 言語の問題。瞬間、私の中に閃きがあった。

 『アマザ難民予想』。その秘密に、私は気付いてしまった。

「で、後半と何の関係が……」
「さあ?」 儀式は、『丑三つ時の不明門通り、60の柱を見送って因幡堂南門から異界の扉を開ける』だ。怪談の意図は、答えを知り得た私に云わせれば、出立前と同じく『それは、《悪意》によるものだ』

「理屈で考えると、最初にチャレンジした2人は通れない?」
「そうかも」

「あと、解法には最低3人は必要だから、メリーが途中で離脱したせいで何も起きなかった……とか? あ!」 蓮子は何やら気付いた模様。
「なにか解った?」

「それで、メリー。どうして悪戯なんて仕組んだのよ。改めて考えたらこれって、怒ってもいいことだよね?」 《気のせい》だった。幽霊はそのせいで《孤独》になる。

「あっ……――うん。ごめんね」 これ以上、聞き耳を立てても身になる話は浮かびそうにもなく、私の叡智は、
「理由によってはカフェ一杯だからね」 おごり?
「あのね、天秤だったのよ」 はぐらかしか?
「《連動する運命》?」 それとも、単なるはかり?
「ええ。蓮子。《引力》みたいに本当に繋がってたのよ。2日前、資材運び忘れたでしょ」 いや、そんなの、ない。期待した結末じゃない。その事実は知らなかったけれども。

「あ」 気付く。

「あとで知ったんだけど、あのとき、私が遅れて蓮子が早かったのは、まさにその負担が来たからなのよ」 声を挟む余地もなく、「最近、遅刻の幅が広がってるし、忘れ物多いし……」
「その、なんかごめん」 居た堪らない気持ちが広がる。

「私の方こそごめんなさい。用意はしてきたけど、本当は実行する気はなかったの。けど天秤の話がスルーされて、つい」 七条通の不自然な沈黙はコレが理由か。私を《見た》訳ではなかった。
「それ、コートの中に着てきたの?」

「すごい暑かったわよ。傘も肩に掛けっぱなしだったから痛くて……」 裾や襟を直したり、肩を正した本当の意味か。
「何か、ふふっ、メリー滑稽」
「蓮子だって、あの驚き方、ふふふ」

 声を合わせて二人は微笑み合った。私は、――私はここに居るべきではないのだろう。秘封倶楽部のオカルトは、衒学的な幽霊には不釣り合いのようだ。取り憑けるような陰気はココにはない。

「あははっ、はははははははは――」

 この二人のいちゃつきぶりに嫉妬した訳ではない。多分。いや断じて。幽霊が嫉妬なんてするわけがない。そうに決まってる。無い足をフッと後ずさって、私は京都の闇に去るとしよう。

「そうだ。結局、《アマザ難民予想》ってなんなのかしら」
 蓮子は云う。『さよなら』の前に、私が制作者の《悪意》のまま教えてやってもいいが、残念ながら言葉は聴こえていないのだ。
「問題は意図よね。なんのための……」 こうして考えてもらうしかない。

「アマザ難民予想、訊いたことあるニュアンスなのよ。アマザ、あまざなんみんよそ……あーッッ」
「答え、わかった?」

 帰結に至る。彼女達からの別れの言葉はないが、気付いた後のその断末魔でお別れのあいさつと行こう。さきに私から述べておこう。

『ではまた《偶然》の時まで』

 ともあれ、どこのどいつがあの理論を考えたのだか……。噂の発信者はまるで悪魔だ。私に不幸を齎す。

「メリー。反対から読んでみて」
「あっ」

 宵の空気は酩酊に似ている。幽霊の私は生きる《ふり》をして、寿命ある人々と同じように過ごす。もしかしたらこの、無知であり、疑問に立ち向かうことが叡智の醍醐味かも知れないが、やはり死人の眼にはオチの方が重要だ。
 因幡堂――空想上のアマザ門に到着した《3人目》。先回りしたメリーが1、遅れてきた蓮子が2、その後ろで隠れていた私は、『1』という答える権利を持った3。旅の終着地点、因幡堂平等寺の門の向こうにはありがた~い薬師如来が祀られている。ふむ、《偶然》か。

 ふわ、と私はない両足で飛び上がる。

 空高く人を見下ろすと件の二人は路地裏から脱して家路に向かっていた。明日は土曜日で寝坊のひとつはするだろう。天地逆さになって、眠りのない夜の宙空を仰ぐと、そこはエクス・マキナ(機械仕掛け)の活発な恒星達のミルキーウェイだ。
 かの薬師如来は無病息災の『現世のご利益』。《偶然》の結んだ道のさきが、阿弥陀如来(極楽浄土)ならつい信じてしまったかもな。
 私はひとつ、大きなあくびをした。いま一度思い返す。やはり腹の満たされるオチはもっと《重い》方が相応しいな。

 死者はもう二度と《引力》に従えないのだから。


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