***1***
「うー、さっむ…」
大粒の雪が連日しんしんと降り頻る、真冬の幻想郷。
その東端に位置する博麗神社の巫女、博麗霊夢は、飼いならされた猫のように母屋の炬燵で丸まっていた。
ちらり、顔だけを出して、雪見障子越しに景色を見つめる。硝子の向こうに広がる神社の参道は、降り積もる雪によって白一色に氾濫してしまっている。
せっかく昨日、苦労して雪かきしてきたばっかりなのに。人間のささやかな営みを虐めるような天候の振る舞いに、分かっていても口を尖らせてしまう。
良いもん良いもん。この天気の中、ここまで参拝に来るような客なんて、どうせ居ないだろうし。今日はこのまま、此処に立てこもってやるんだから。どこの誰とも判らぬ冬の黒幕にぶつぶつと文句を垂れながら、霊夢は再びもぞもぞと炬燵に籠ろうとする。
「ガァー、ガァー」
そんな霊夢を呼び止めたのは、今や霊夢にとって最も聞きなじみのある、ちょっとしゃがれた鳥の声。
何となしに再び炬燵から顔を出してみると、嘴の細い二羽のカラスが、翼をばさばさと羽ばたかせながら参道に降り立つのが見えた。
「ガァガァ」「ガァ~」と、まるで世間話でも語るように鳴き交わしながら、カラスたちは軽やかな調子で雪上を跳ね歩いている。白銀に反射して紫紺の羽毛を艶やかに際立たせている鳥の立ち姿は、惚れ惚れさせるほどに画になるもので。
…鳥たちって、この寒さも平気なのかしら。
ぼんやりと霊夢が考え込んでいると、おもむろに一羽のカラスが雪の中に身体を埋め始めた。
「…えっ」
もぞもぞと雪を浴びる仕草を見せたカラスは、そのままころころと雪の上を転がり始める。背中に雪をこすりつけるように翼を羽ばたかせたかと思えば、出来上がった空洞に顔を突っ込んで雪を細やかに撒き上げていく。雪の粒を髭のようにくっつけた仲間に促され、もう一羽もジタバタと雪に身体を擦り付けていく。
一頻り戯れ合うと、今度は別の場所まで低く飛んで、また二羽で雪の上を転がり始める。自分にとって最も身近だった鳥の知らなかった側面を見せつけられて、霊夢はただ目を丸くさせるばかりだった。
…あぁ、けど。
ふと、とても暖かくて懐かしい記憶が、霊夢の胸を満たし始める。
――そういえば「アイツ」も、雪が好きだった気がするなぁ。
思い出されるのは、自分にとって最も身近な存在の一人である「アイツ」のこと。
お世話係…とかなんとかで、物心ついた時からずっと傍に居てくれた、あの鴉天狗。
『あや!ゆき!ゆき!』
そういえば、あの時は自分も雪を見るだけではしゃいでいた。白くて冷たくて綺麗なものが空から降って来る、というのが子供心に面白くて、さっきのカラスみたいに積雪の中に思いっきり飛び込みに行ったりして。その度に慌てた様子で追いかけて来る「アイツ」を見るのが、またとっても楽しくて。ふふ。思い返せば本当、あの時は「アイツ」に迷惑かけてばっかりだったなぁ。今じゃ逆に、こっちが迷惑かけられてばかりの気がするけど。
『ねぇあや!きいてきいて!』
『こら、走らないの…どうしたの、霊夢』
『わたし、あやのゆきだるまつくる!』
体いっぱいに雪を浴びて遊び続けるカラスたちに、ぼぅっと羨望の眼差しを向ける。
もう、あれから何年も過ぎて、雪ではしゃぐようなことはなくなったけど。お互いにもう、素直になれる立場ではなくなってしまったけれど。
出来ることなら、もう一度くらい。「アイツ」と一緒に、雪遊び、してみたいな…
「…ん?」
ざし、ざし、ざらめ雪を踏みしめる音が接近する。カラスたちのとは違う、規則正しく沈みこむような――ヒトの足音。
まさか、こんな雪の中、参拝客がやって来たというのだろうか。思わず霊夢が身構えていると、細く長い足が、優雅な動きと共に硝子越しに現れる。
絵図で見た「鶴」を想起させてくれるような、しなやかな足…と霊夢が見とれていると、カラスたちが、人影の下へ慕うように羽ばたいていく。「ガァガァ」と甘える彼らを宥めるように、その人影はゆっくりとしゃがみこんで、喉元の羽毛を優しく撫で始めて。
一本歯の下駄を模した洒落たブーツ。スリムな体型にぴったりと合っている濡羽色のコート。雪に反射して藍や碧色に揺らめくくせっ毛は、整った顔をさらに美しく際立たせていて――
「げっ」
反射的に霊夢は眉を顰めてしまう。こちらの声なんて聞こえていないはずなのに、緋色に輝く瞳がにんまり、霊夢の居場所を捉える。
未だ雪模様の博麗神社に現れたのは、霊夢が先程まで頭にいっぱいにさせていた「アイツ」――射命丸文だった。
***2***
「いやはや貴方のこと、今日はきっとお勤めもせず籠っているだろうと当たりをつけていたのですが、」
大正解でしたねぇ――炬燵の向かい側で上機嫌に微笑みながら、文はお茶を一口飲む。
今日もおしゃれに着こなしている姿を見ると、古びた茜色の半纏で出迎えた自分が途端に恥ずかしくなって、霊夢は籠に積まれた蜜柑を乱暴に剥き始める。
「ほら、顔も赤いですよ?まさか先程まで、炬燵に籠ったまま寝ていたのではないでしょうね」
「してないわよ」
「本当ですか?いくら寒いからといって、炬燵での睡眠は身体を壊しますからね?」
「してないってば。しつこいわね」
しょうがないじゃない。さっきまでちょうどアンタのこと考えていたんだから――なんて、流石に言えないもん。
「…なら良いのですが」
表情をほんのりと和らげながら、文は穏やかに息を吐く。揶揄いに来ただけのくせに、頻りにこっちを気遣う素振りも見せるものだから、本当油断出来ない。
湧き上がる温もりを誤魔化すように、霊夢は蜜柑を一粒、勢い良く放り込む。弾ける果実から広がっていく山吹色の蜜は、今の霊夢には殊更に甘く感じられた。
「大体、三が日も節分も過ぎたもの。雪の中ここまで来る参拝客なんて居ないわよ」
「決めつけは良くありませんねぇ。私が今日来たではありませんか」
「ふんっ。そういう台詞は、せめてお賽銭入れてから言いなさいっての」
けらけらと笑う文を一度睨みつけながら、霊夢はもう一粒、蜜柑を放り込む。
「冗談はさておき。せっかく、最近は人間にも祭に来てもらえるようになったでしょう」
「まぁ、そうね。私の頑張りが、やっと報われ始めたってことね!」
大仰に胸を張ってみせる霊夢に対し、文はこほん、と咳払いをする。
「ともかく。せっかく上向いている機会を取りこぼしたくないのであれば、日ごろから皆に神社まで来てもらえるよう、一層気を引き締めるべきでは」
「むぅ」
袋の苦味を舌の奥でほのかに捉えながら、霊夢はぷちぷちと蜜柑を咀嚼する。
言っていること自体は正論である。説得力も抜群だ。何せ、誰よりもこちらの「隙」を鋭く捉えて邪魔ばかりしてくるのは、他ならぬコイツなのだから。
「そうは言ってもさ。祭も事件もないケの日に、離れた此処まで人間が参拝したいなんて、なかなか考えないでしょ」
「きっかけなど、別に何でも良いのですよ。人間というのは、ほんの些細な好奇心から冒険に出たくなってしまうものなのです。例えば…」
アンタの分、と放られた蜜柑を器用に受け取りながら、文はゆっくりと微笑みかける。
「今の季節、また雪だるまなど作ってみてはいかがです?」
ぴたり。蜜柑を口に運んでいた霊夢の手が止まる。栗色の瞳に期待の光が宿ったことに気付かぬ様子で、文は説明を続ける。
「ほら。いつぞやの冬、鬼をかたどった、奇抜な雪だるまを飾られていたではありませんか。あのように面白いものを一つ作ってみれば、その存在が噂として広まって…ということも、あるかもしれませんよ?」
「…あぁ…あれねー」
つまらなさそうにため息を吐きながら、霊夢は蜜柑を放り込む手を再開させる。
「あれ、作ったの私じゃないわよ」
「はい?なら、一体どなたが作ったものだというのです」
「アンタも知ってる奴らよ。ほら…神社(うち)の近くに住んでる三妖精」
今ごろはまた、あのねぐらに籠りながら、ロクでもないことを企んでいるのかしら、と蜜柑をまた一粒。
「別にあの子たちが境内で遊ぶなんて今さらだし、他人に迷惑かけなかったら良いんだけどさ。何で鬼の雪だるま作ってたのか私も気になって、聞いてみたの。そうしたらあの子たち、何の躊躇いもなく私のことを指さしてきたのよっ!」
湧き上がる憤りに突き動かされるように、蜜柑を頬張る速度が速くなる。酸味の強い果汁が口の中で容赦なく弾け、霊夢は顔を歪める。
「私が『鬼』みたいな巫女だって言うのよっ!?あぁもう、今思い出しても腹が立つわ!!」
「えぇ、そうですね…ぷくくっ」
噴き出すのをこらえるように身体を震わせる文を、霊夢はぎろりと見咎める。
「何がおかしいのよ」
「あぁ、これは失敬。その様子だと、彼女たちはきちんと約束を守ってくれたのだなぁ、としみじみ」
「あー?」
怪訝そうに首を傾げた霊夢は、けれどすぐに文の言葉の真意に辿り着いて、大きく目を見開く。
「…まさか」
「はい。その雪だるま、実は私も関わらせていただいたんです」
唖然とする霊夢の反応が余程満足だったらしく、文はにっこり、得意げな笑みを見せる。
「といっても、あの子たちが雪だるまを作っているところに、偶然来ただけなんですがね。なかなかイメージ通りのものが出来ず唸っていたみたいなので、少し助言して差し上げたんですよ」
氷柱を使ってみてはどうか…とね――あったかいお茶を啜りながら、文は表情を和らげる。
「それはもうきらきらに目を輝かせていまして。見ていて非常に微笑ましかったですね」
…容易に想像出来る。
軒先から垂れた氷柱のうちちょうど良い長さのものはどれか、妖精たちがあれこれと語り合って、活き活きと飛び回りながら角を装飾して。その後ろで、文はカメラを構えている光景。
きっと文は、カメラで顔を隠しながら、暖かく微笑んでいたのだろう――それくらい、霊夢には分かる。だって…
「…むぅ」
羨ましい。そんな感情が、口を突いて出そうになる。
悪だくみに関わっていた、とか、そんなことはどうでも良い。自分の見ていないところ――それも、まさに此処で雪遊びを楽しんでいたという事実に、むしろ腹が立って来る。
それがいかに自分勝手なことなのか、自分でも分かってる。
射命丸文という天狗はそういう奴なんだってことも…本来、自分がもう望んではいけないだろう感情であることも、重々承知している。
けど。それでも…
「決めたっ」
残っていた一粒の蜜柑を口に放り込んでから、霊夢は炬燵から勢い良く立ち上がる。
「これから雪だるま作るわよ」
「…はい?どうしたんですかいきなり」
いつも通り反発して噛みついてくるだろう…なんて身構えていた文は、想定外の方向にやる気を燃やし始めた霊夢に戸惑いを見せる。
「私をイメージした、とびっきり可愛い雪だるまを作ってやるのよ!此処の神社にはこんなに可愛くて素敵な巫女が居るんだって、皆が認めてくれるようなものを作るんだからっ!」
そんなことしなくても、此処に可愛くて素敵な巫女が居ることなど、皆既に知っているのでは――うっかり口走りそうになるのをなんとか押しとどめた文に、霊夢はびしっと指を差す。
「とうぜんっ!アンタにも手伝ってもらうんだからね!」
「え、えぇ…?」
「問答無用っ!ほら、もう決めたんだから、さっさと準備するわよ!」
ふん、と荒く息を吐いてから、霊夢は駆け出すように部屋を飛び出していく。あっという間に沈黙へと振り落とされてしまった文は、未だ状況をつかみきれぬまま、呆然と固まってしまっている。
…あぁ、けれど。この感覚。なんだかすごく懐かしい。
『あや!ゆき!ゆき!』
霊夢が、博麗神社の巫女になったばかり――まだ、本当にまん丸として、ちんまりとしていたころ。どういう訳かお世話係に任命されることになった文は、日々神社へと通っては、親代わりのように幼い巫女の面倒を見続けていた。
確か、霊夢がうとうとしているのが見えたから、毛布をかけて、身体が冷えないようにしてあげて。さて、撮った写真でも整理しようかしら、なんて一息吐いていたら、寝ていたはずの霊夢が、らんらんに目を輝かせながら部屋から飛び出しちゃって。
あの時も、一瞬呆然と固まった後で、慌ててあの子を追いかけて。本当、幼い子供ならではの危なっかしい言動に、はらはらと翻弄させられっぱなしで…
『ねぇあや!きいてきいて!』
『こら、走らないの…どうしたの、霊夢』
『わたし、あやのゆきだるまつくる!』
「…仕方ないわね」
暖かな緋色を瞳に宿しながら、文は温くなったお茶をぐっと飲み干す。
全く、いつまで経っても世話が焼ける子なんだから。ならば、自分がするべきことなんて、一つしかないだろう。
高揚した感情をそっと胸の中にしまいこみながら、文は濡羽色のコートを手に取った。
***3***
神社の参道には、純白の絨毯が一面に敷かれていた。先程までカラスたちが遊んでいた痕跡も、後から訪れた雪に隠されてしまったようで、滑らかな山ばかり盛り上がっている。
銀灰色に瞬く曇天からは、花弁のような雪が、ひとひら、またひとひら。試みに一歩踏み出してみると、ざぶり、ブーツの甲の辺りまで、足が沈んでいくのが伝わって。
良し。これくらい柔らかく積もっていれば、十分よね。満足げに吐いた呼気が白に紛れるのを見届けると、改めて、雪波の中へと歩を進め始める。
「待った」
追いかけて来た文が、慌てたように霊夢を呼び止める。
「そんな薄着で雪に飛び出すんじゃないの。これくらい着ておきなさい」
厳しい声音で注意しながら、文は綺麗に畳まれたジャケットを差し出す。
これは確か、いつだったか冬山まで調査に行った時に、魔理沙が着せてくれたもの。そういえばあの件の後『見ていて寒いから、それ、あげるぜ』とそのまま押しつけられたんだっけ。確か結局、箪笥の奥に仕舞いっぱなしにしていたはずなんだけど…
「もう、大袈裟。私は大丈夫だって、いつも言っているでしょう」
「駄目です。どんなに能力があろうと、人間は脆い生きものなんですから」
口を尖らせるての抗議にきっぱりと首を横に振りながら、文はジャケットを霊夢に羽織らせようとする。
「せっかく人に来てもらうために雪だるまを作るというのに、貴方が身体を壊しては台無しでしょう?前から申し上げてますが、貴方はもっと自分の立場と言うものを」
「あーあーもー。分かったわよ」
くどくどと浴びせられる説教に頬を膨らませながら、霊夢は大人しくジャケットに袖を通す。全くコイツと来たら、こういうお節介なところは、何も変わっていないんだから。
「どう?これだけでだいぶ暖かくなったでしょう」
けれど、優しく背中を支えながら満足げに微笑むコイツを見ると、もう文句を言う気力なんて、全く湧かなくなってしまって…本当、こういうところも昔のまま。大きな翼にすっぽり包まれたようなジャケットの温もりに、霊夢は思わず頬を綻ばせていた。
「…よし!作るわよ!」
冬の透き通った空気に、霊夢の声が高らかに広がっていく。本殿の屋根で羽根を休めていたカラスが、文の代わりとばかりに元気良く応える。
気を取り直して、雪だるまづくりの始まりだ。
水分をずっしりと含んだ雪を一かけら掬い上げると、球形になるように丁寧に固めてみせて。出来上がった小さな雪玉を雪上に置いてから、あっちへころころ、こっちへころころ。
滑らかな雪波を乗り越えて、お散歩をさせてあげるようにゆっくりと転がしていくうちに、手のひらに収まる程度だった雪玉は、まわりの雪を取り込んでまるまると膨らんでいく。
「あやー。私、このくらいまで転がしたんだけど、どう?」
「うん。霊夢が転がしているのを下にしましょうか。そっち転がすの、手伝ってあげる」
横に居た文も、ちょうど自分と同じ程度まで雪玉を成長させている。白い呼気を荒々しく出しながら、額の汗を拭う天狗を見て、どきっと胸を高鳴らせて。赤らんだ頬を何とか見られないように、ちょっと顔を俯かせながら横を譲る。
文と一緒に、再び雪玉を転がし始める。控えめな花の香りと共に伝わって来る規則正しい息遣いに、頬の赤みが耳の先まで進んでいく。すぐ横に、文がいる。その事実だけで、やっぱり緊張してしまう。
「懐かしいわね」
ふと、文が呟くのが聞こえる。強張った霊夢の反応を見通すように、穏やかな声が、少女の心を梳かしていく。
「ほら、霊夢が巫女になったばかりのころも、二人で雪だるま作ってたの。覚えてる?」
「うん…覚えてる」
…良かった。
文も、あの時のこと、ちゃんと覚えていてくれたんだ。
「『あやのゆきだるまつくる!』なんて言いながら、こっちの声も聞かず雪の中に飛び出しちゃって」
子守唄を口ずさむように、文は在りし日を回想する。ちょうど今みたいな季節、今よりもさらに小さなおててで無邪気に雪を転がす巫女の姿が、はっきりと頭に浮かび上がる。
「張り切るあまり、気が付いたら自分よりも大きな雪玉が出来て、途方に暮れちゃって」
「あっ、ちょっとそれは言わないでよ…結構恥ずかしいんだから」
「良いじゃない。これでも私、すごく嬉しかったのよ?」
「嬉しかった」と言われ顔を赤らめる霊夢に、文はゆっくりと微笑みかける。
あの時は、自分も人間のお世話に慣れてなくて、なかなか上手くいかないことの方が多くて。「博麗の巫女」という、幻想郷にとって重要な少女の世話が何故自分に任されたのか、常に疑問を抱いていて。
それでも、目の前の少女は、自分にいつも笑顔を向けて、懐いて来てくれた。自分のために、雪だるまを作りたいなんて言ってくれた。
「後、あったかくなって融けた雪だるまを見て『あやがとげぢゃっだぁぁ』ってわんわん泣いちゃって。あの時は本当、宥めるまで時間かかったわねぇ」
「もうっ!言わないでって言ってるでしょっ!!」
真っ赤っかに頬を膨らませながら、霊夢は抗議を見せる。ぽかぽかと軽い調子で肩に殴りかかる姿があまりに愛おしくて、文は声を出して笑う。愉快な会話に招かれたかのように、カラスが一羽、また一羽と屋根にとまって、二人のじゃれ合いを見学していた。
***4***
「よしっ。これで完成ね!」
「…うん。本当、可愛く出来たわね」
ちらついてた雪が止み、薄くなった雲の隙間から、透き通った青が姿を見せ始めたころ。立派に出来上がった雪だるまを見て、二人は感慨深そうに頷く。
大きさは、ちょうど自分たちの肩くらいまで、といったところだろうか。炭団で作ったまん丸の瞳でこちらを見つめながら、にっこりと微笑みかけている。手に差した枝の先っぽには、お祓い棒を持っているのを表しているように、丁寧に切り込まれた紙垂(しで)が巻き付けられていて。仕上げに、後頭部の辺りに紅白のリボンをゆっくりと結んであげて。
神社(ここ)の素敵な巫女を模した雪だるまは、入口で参拝客を出迎えているように、穏やかに鎮座していた。
「ふふ…次の一面はこれで決まり、なんてね」
コートのポケットから愛用のカメラを取り出して、文は一枚、また一枚と、写真にぱしゃり。緋色の瞳を嬉しそうに細めた文を見ていると、霊夢の意識はまた、想い出へと誘われていく。
『あや!あや!できた!』
雪だるまを何とか作り上げた霊夢は、今よりもさらに大きな声で、文の名前を呼び回って。早く見せなきゃと急くあまり、駆けつけた文の懐へ、転ぶように飛び込んじゃって。
『みてみて、あやのゆきだるま!かわいくできたでしょ!』
『…えぇ、えぇ…ほんとうに、よく出来てるわ』
『?…どうしたの、あや…どこかいたいの?』
『!うぅんっ…私は、大丈夫』
今考えると、ちゃんと丸まってすらなくて、自分でも恥ずかしくなるくらい不格好なものだったけど。それでも文は、私の小さな体を翼いっぱいに抱きしめてくれて…
『ありがとう、霊夢』
そういえば、あの時が初めてだったのかな。文の翼ってこんなにも柔らかいんだって感じたのは。
「ねぇ、文」
ぽつり、淡い呼気がこぼれていく。写真を撮り続けていた文が、目をまん丸にさせながら霊夢を振り返る。
「もう一つ雪だるま、作っても良い?」
こんな時しか、きっと機会はないんだもの。もうちょっとだけ、欲張っても良いわよね。
「文の、雪だるま。今度は可愛く、作ってあげたいの」
刹那、目を見開かせた文は、けれどすぐに霊夢の考えを読み取ったみたいで、眉尻を下げて微笑んでみせる。
私は、貴方に作ってもらえただけで十分満足だったのに――もう、コイツがそう言いたそうなのが、表情だけで伝わって来る。そういうところが、コイツの良いところでもあるんだけど。今回はそういう問題じゃないんだから。
栗色の瞳を怒らせて、睨めっこするように顔を見合わせると、文は降参したように口端を綻ばせた。
「大丈夫?今度は融けても、わんわん泣いちゃったりしない?」
「なっ…馬鹿にするなぁ!私だってちゃんと成長してるのよっ!」
いつもの憎まれ口を返事として、リズミカルな雪音が再び奏でられる。先程一つ雪だるまを作った時の感触を思い出しながら、雪玉をしっかりと握りしめて、慎重に転がしていって。
「うーん…」
綺麗な球状に出来上がった雪玉を積み上げて、飾りつけと意気込む文を、霊夢はまじまじと見つめ出す。何か難しそうに唸り続ける巫女の様子に、文はぱちぱちと目を瞬きさせる。
「ど、どうかしましたか?」
「…ほら、アンタ、夕陽みたいに綺麗な目をしているじゃない?」
「えっ。は、はぁ。そうですかね」
「せっかくアンタを模した雪だるまを作るなら、出来るだけそういうところにもこだわりたいんだけど…」
戸惑う文を傍らに、霊夢は腕を組みながら考え続ける。なんとか「射命丸文」らしさを引き出してみせたいという意志が、めらめらと燃え上がっていくのを感じる。とはいえ、今その場にあるもので作り上げるというのも雪だるまづくりの醍醐味というものだろう。何か、文の目に使えそうなものは…
「…そうだわ」
栗色の瞳をぱぁっと輝かせて、霊夢は居間へと駆けこむ。炬燵に置かれている籠を恐る恐る覗きこんでみると、目的のものはまだ二つ、ちゃんと残っていて。弾む気持ちと共にそれらを手に取ると、未だぽかんとしている文のもとまで戻っていく。
「あや、みてみて~」
へにゃり、可愛らしく頬を緩めた霊夢は、橙黄色の蜜柑を一つずつ、両手に大切そうに持ちあげていて。
「これとか、目にぴったりだと思わない?」
思わず抱きしめたい衝動を必死に抑えていた文には、こくこくと頷くことしか出来なかった。
「――出来たっ!」
真珠色の陽光が差し込み始めた境内に、霊夢の嬉しそうな声が響く。淡く粒だった六花が、祝福するように巫女のまわりをきらめく。
にっこり、綺麗に出来上がった笑顔には、先程霊夢が持参した蜜柑の「眼」がはめこまれている。お日さまのように心地良い温もりを感じさせる色を見て、霊夢は満足げに頷く。
右手に差した枝には、濃い臙脂色をした紅葉が一枚だけ、しっかりとつながれている。これも、霊夢が雪玉を丸めている時にたまたま見つけて来た、自慢の枝。ほら、良く見ると、葉団扇を持っている天狗のように見えない?
最後に、文がさっき貸してくれた兜巾を頭に被せてあげれば、鴉天狗の雪だるまの出来上がり。ふふ、横に立つ私の雪だるまも、気のせいかとても嬉しそうだ。
「ねぇねぇ文、どう?今度は可愛く出来たでしょうっ」
軽やかに弾むような足取りで、霊夢は文のもとへと駆け寄る。あわよくば、またあの柔らかくて暖かい翼で抱きしめてくれないかなぁ、なんて。あぁ、駄目駄目。今日の私、本当に欲張りだ。
「…へ?ぁ、そ、そうね」
けれど文は、ぎこちない反応と共に、霊夢から顔を逸らしてしまう。返事の直前、何か難しい顔で雪だるまを見つめていたことに、霊夢は気付いてしまう。
「どうかしたの?…もしかして、何か気に入らないところでもあった?」
「っ。そ、そういう訳では…うんうん。本当、良く出来てると思うわ」
もしかして、気付かないうちに文を傷つけてしまったのだろうか――そんな焦りが胸に立ちこめる。けれど、自分を納得させるように繕い続ける文の言葉にも、嘘は含まれているとは聞こえない。
けれどだったら尚更、文は何を気にしているのだろう――首を傾げながら、霊夢はもう一度、雪だるまの方を振り返る。
「あっ」
刹那、霊夢の頭上に電球が灯る。もしかしたらと瞳を大きく見開いて、今日作った二つの雪だるまを、改めて見比べてみる。
「…はっはーん」
注目したのは、雪だるまの背丈。本当は同じくらいのつもりで作っていたはずなんだけど、本当に良ーく見てみると、ほんの僅かに差があることに気付かされる。
ほら、見て見て。文の雪だるまが被っている兜巾。ちょうど、あのてっぺん辺りが、ちょうど私の雪だるまの身長になっているの。
「アンタさては、自分の雪だるまが私のより背が低いの、気にしてるんでしょ?」
ほんの一瞬だけ、文の唇が一文字に固まるのが見える。他の知人たちには決して気付けないような些細な反応だって、霊夢にはお見通し。だって文だもん。
「何言っているの。この私が、その程度のことで拗ねる訳ないでしょう」
「そうよね。私がアンタの背を追い抜いたのは『事実』だもの。アンタがそれを指摘されて、落ち込む訳ないものね」
「…なんですって?」
毅然としていた文の眼が、威嚇に瞬くのが見える。ほら、やっぱり。実際の身長について持ち出したら、簡単に喰いついて来た。
「『事実』とは聞き捨てならないわね。今だって私の方が背が高いじゃない」
「それは、アンタがそんな靴を履いてるからでしょう?」
なんとか取り繕おうと胸を張る文に、霊夢は即座に反論する。天狗の誇りであるはずの一本歯のブーツが、動揺に騒がしく雪を踏む。
「下駄で底上げさせただけの『事実』で、アンタは胸を張るのね…」
「むぐっ」
ふふ。迷ってる迷ってる。ほら、どうしたらこの状況を切り抜けられるか考えてる。
そんな文を見るのもなかなか珍しくて、楽しいけれど。文のことだ、このまま放っておくと、適当に言い訳をつけてこの場から逃げてしまうかもしれない。
「ねぇ、文。一緒に雪合戦やりましょ」
けど、そうはさせないんだから。
「投げる雪玉の数を決めて、どっちが多く相手に当てられるか、競い合うの」
弾幕…という訳ではないけれど。やっぱり私たちといえば、こうでないとね。
「ほら。私が小さいころ、背を測るのに使っていた柱があったでしょう」
「…あぁ」
面くらっていた文の顔が、ふっと綻んでいく。凛々しかった瞳の緋色が、日差しに照らされ柔らかくほのめく。
「あった、あったわね」
あの時の霊夢は、背丈を柱に刻んであげる度に、緊張した面持ちで、柱を凝視して、どれくらい背が伸びたのかを、見比べて。
落ち込んだ頭を優しく撫でてみたら『いつか、あやのせをおいこしてみせるんだから!』なんて、ムキになって噛みついて。その顔含め可愛かったものだから、誤魔化すようにふくれた頬をもちもち捏ね回していたっけ。
「私が勝ったら、あの柱で私と背比べ、してもらうわよ!」
びしっと指を差しながら、霊夢は溌溂とした笑顔で、文に宣戦布告する。
どこか強がりに背伸びしていた幼い視線は、たくさんの時間と出会いを経て、今や自信いっぱいに輝いている。
昔から変わっていないところも、たくさんあるけれど。博麗霊夢という人間は、巫女として今この瞬間も成長を続けている。そう実感する度に、文の胸は誇らしい気持ちで満たされていくのだ。
「ふん。よりによって天狗の私に『雪つぶて』を挑もうだなんて、良い度胸してるわね」
けれど、この生意気な巫女は、まだまだ身の程と言うものを分かっていないらしい。ならばここは一つ、この機会に学習させないといけないわね。
「そこまで言うのなら、私が勝った時の条件もちゃんとあるのでしょうね?」
「もちろん。アンタが勝ったら、雪まみれになった私の姿を、いくらでも新聞に書きなさい」
「…ふふ、良いでしょう。乗った」
にやり、耳まで裂ける程の勢いで、文は口許を歪める。妖の証たる切り立った八重歯が顔を覗かせ、艶やかな赤眼を爛々に瞬かせて。
「一瞬で終わっても可哀想だから、手加減してあげるわ。だから貴方は、全力でかかって来なさい!」
「ふんっ。その減らず口、すぐ叩けなくしてあげるわよっ!」
高らかな雄叫びを合図として、霊夢が先制攻撃と雪玉を投げる。軸足を正確に挫くように狙いすまされた剛速球を、しかし文は跳躍することで軽々と躱す。轟音と共に立ち昇った雪煙が四散していく真ん中で、文はかっこつけにも宙返りしながら着地してみせて。
にやり、余裕に満ちた笑みで文に見つめられ、霊夢の心にも熱い火が灯る。
「そんなへなちょこな球じゃあ、私には絶対に当たらないわ!」
「うるさいっ。私よりちっちゃいから当たらないだけなんじゃないのっ!」
「おやおや。その程度の揺さぶり、もう私には通用しませんよ?」
「…!っと…良いもん。絶対その勝ち誇った面にぶち当てて、ぎゃふんと言わせてやるんだからっ」
賑やかな言い合いと共に、二人は雪玉を投げ続ける。流星群のように白の軌跡が走り抜けていく苛烈な遊びにあって、けれど二人は決して、笑顔を絶やすことがなくて。いつの間にか、空を覆っていた雪雲はすっかり消え去って、青々と透き通った空が、神社を純白に煌めかせていて。
盛んに撒き上がった雪が、日光に乱反射して眩しく瞬く。屋根に集まったカラスたちが、白熱した争いを囃し立てるように鳴き続けている。
紅色にそびえたつ鳥居の横では、二人を模して作られた雪だるまが、にっこり寄り添うように彼女たちを見守っていた。
「うー、さっむ…」
大粒の雪が連日しんしんと降り頻る、真冬の幻想郷。
その東端に位置する博麗神社の巫女、博麗霊夢は、飼いならされた猫のように母屋の炬燵で丸まっていた。
ちらり、顔だけを出して、雪見障子越しに景色を見つめる。硝子の向こうに広がる神社の参道は、降り積もる雪によって白一色に氾濫してしまっている。
せっかく昨日、苦労して雪かきしてきたばっかりなのに。人間のささやかな営みを虐めるような天候の振る舞いに、分かっていても口を尖らせてしまう。
良いもん良いもん。この天気の中、ここまで参拝に来るような客なんて、どうせ居ないだろうし。今日はこのまま、此処に立てこもってやるんだから。どこの誰とも判らぬ冬の黒幕にぶつぶつと文句を垂れながら、霊夢は再びもぞもぞと炬燵に籠ろうとする。
「ガァー、ガァー」
そんな霊夢を呼び止めたのは、今や霊夢にとって最も聞きなじみのある、ちょっとしゃがれた鳥の声。
何となしに再び炬燵から顔を出してみると、嘴の細い二羽のカラスが、翼をばさばさと羽ばたかせながら参道に降り立つのが見えた。
「ガァガァ」「ガァ~」と、まるで世間話でも語るように鳴き交わしながら、カラスたちは軽やかな調子で雪上を跳ね歩いている。白銀に反射して紫紺の羽毛を艶やかに際立たせている鳥の立ち姿は、惚れ惚れさせるほどに画になるもので。
…鳥たちって、この寒さも平気なのかしら。
ぼんやりと霊夢が考え込んでいると、おもむろに一羽のカラスが雪の中に身体を埋め始めた。
「…えっ」
もぞもぞと雪を浴びる仕草を見せたカラスは、そのままころころと雪の上を転がり始める。背中に雪をこすりつけるように翼を羽ばたかせたかと思えば、出来上がった空洞に顔を突っ込んで雪を細やかに撒き上げていく。雪の粒を髭のようにくっつけた仲間に促され、もう一羽もジタバタと雪に身体を擦り付けていく。
一頻り戯れ合うと、今度は別の場所まで低く飛んで、また二羽で雪の上を転がり始める。自分にとって最も身近だった鳥の知らなかった側面を見せつけられて、霊夢はただ目を丸くさせるばかりだった。
…あぁ、けど。
ふと、とても暖かくて懐かしい記憶が、霊夢の胸を満たし始める。
――そういえば「アイツ」も、雪が好きだった気がするなぁ。
思い出されるのは、自分にとって最も身近な存在の一人である「アイツ」のこと。
お世話係…とかなんとかで、物心ついた時からずっと傍に居てくれた、あの鴉天狗。
『あや!ゆき!ゆき!』
そういえば、あの時は自分も雪を見るだけではしゃいでいた。白くて冷たくて綺麗なものが空から降って来る、というのが子供心に面白くて、さっきのカラスみたいに積雪の中に思いっきり飛び込みに行ったりして。その度に慌てた様子で追いかけて来る「アイツ」を見るのが、またとっても楽しくて。ふふ。思い返せば本当、あの時は「アイツ」に迷惑かけてばっかりだったなぁ。今じゃ逆に、こっちが迷惑かけられてばかりの気がするけど。
『ねぇあや!きいてきいて!』
『こら、走らないの…どうしたの、霊夢』
『わたし、あやのゆきだるまつくる!』
体いっぱいに雪を浴びて遊び続けるカラスたちに、ぼぅっと羨望の眼差しを向ける。
もう、あれから何年も過ぎて、雪ではしゃぐようなことはなくなったけど。お互いにもう、素直になれる立場ではなくなってしまったけれど。
出来ることなら、もう一度くらい。「アイツ」と一緒に、雪遊び、してみたいな…
「…ん?」
ざし、ざし、ざらめ雪を踏みしめる音が接近する。カラスたちのとは違う、規則正しく沈みこむような――ヒトの足音。
まさか、こんな雪の中、参拝客がやって来たというのだろうか。思わず霊夢が身構えていると、細く長い足が、優雅な動きと共に硝子越しに現れる。
絵図で見た「鶴」を想起させてくれるような、しなやかな足…と霊夢が見とれていると、カラスたちが、人影の下へ慕うように羽ばたいていく。「ガァガァ」と甘える彼らを宥めるように、その人影はゆっくりとしゃがみこんで、喉元の羽毛を優しく撫で始めて。
一本歯の下駄を模した洒落たブーツ。スリムな体型にぴったりと合っている濡羽色のコート。雪に反射して藍や碧色に揺らめくくせっ毛は、整った顔をさらに美しく際立たせていて――
「げっ」
反射的に霊夢は眉を顰めてしまう。こちらの声なんて聞こえていないはずなのに、緋色に輝く瞳がにんまり、霊夢の居場所を捉える。
未だ雪模様の博麗神社に現れたのは、霊夢が先程まで頭にいっぱいにさせていた「アイツ」――射命丸文だった。
***2***
「いやはや貴方のこと、今日はきっとお勤めもせず籠っているだろうと当たりをつけていたのですが、」
大正解でしたねぇ――炬燵の向かい側で上機嫌に微笑みながら、文はお茶を一口飲む。
今日もおしゃれに着こなしている姿を見ると、古びた茜色の半纏で出迎えた自分が途端に恥ずかしくなって、霊夢は籠に積まれた蜜柑を乱暴に剥き始める。
「ほら、顔も赤いですよ?まさか先程まで、炬燵に籠ったまま寝ていたのではないでしょうね」
「してないわよ」
「本当ですか?いくら寒いからといって、炬燵での睡眠は身体を壊しますからね?」
「してないってば。しつこいわね」
しょうがないじゃない。さっきまでちょうどアンタのこと考えていたんだから――なんて、流石に言えないもん。
「…なら良いのですが」
表情をほんのりと和らげながら、文は穏やかに息を吐く。揶揄いに来ただけのくせに、頻りにこっちを気遣う素振りも見せるものだから、本当油断出来ない。
湧き上がる温もりを誤魔化すように、霊夢は蜜柑を一粒、勢い良く放り込む。弾ける果実から広がっていく山吹色の蜜は、今の霊夢には殊更に甘く感じられた。
「大体、三が日も節分も過ぎたもの。雪の中ここまで来る参拝客なんて居ないわよ」
「決めつけは良くありませんねぇ。私が今日来たではありませんか」
「ふんっ。そういう台詞は、せめてお賽銭入れてから言いなさいっての」
けらけらと笑う文を一度睨みつけながら、霊夢はもう一粒、蜜柑を放り込む。
「冗談はさておき。せっかく、最近は人間にも祭に来てもらえるようになったでしょう」
「まぁ、そうね。私の頑張りが、やっと報われ始めたってことね!」
大仰に胸を張ってみせる霊夢に対し、文はこほん、と咳払いをする。
「ともかく。せっかく上向いている機会を取りこぼしたくないのであれば、日ごろから皆に神社まで来てもらえるよう、一層気を引き締めるべきでは」
「むぅ」
袋の苦味を舌の奥でほのかに捉えながら、霊夢はぷちぷちと蜜柑を咀嚼する。
言っていること自体は正論である。説得力も抜群だ。何せ、誰よりもこちらの「隙」を鋭く捉えて邪魔ばかりしてくるのは、他ならぬコイツなのだから。
「そうは言ってもさ。祭も事件もないケの日に、離れた此処まで人間が参拝したいなんて、なかなか考えないでしょ」
「きっかけなど、別に何でも良いのですよ。人間というのは、ほんの些細な好奇心から冒険に出たくなってしまうものなのです。例えば…」
アンタの分、と放られた蜜柑を器用に受け取りながら、文はゆっくりと微笑みかける。
「今の季節、また雪だるまなど作ってみてはいかがです?」
ぴたり。蜜柑を口に運んでいた霊夢の手が止まる。栗色の瞳に期待の光が宿ったことに気付かぬ様子で、文は説明を続ける。
「ほら。いつぞやの冬、鬼をかたどった、奇抜な雪だるまを飾られていたではありませんか。あのように面白いものを一つ作ってみれば、その存在が噂として広まって…ということも、あるかもしれませんよ?」
「…あぁ…あれねー」
つまらなさそうにため息を吐きながら、霊夢は蜜柑を放り込む手を再開させる。
「あれ、作ったの私じゃないわよ」
「はい?なら、一体どなたが作ったものだというのです」
「アンタも知ってる奴らよ。ほら…神社(うち)の近くに住んでる三妖精」
今ごろはまた、あのねぐらに籠りながら、ロクでもないことを企んでいるのかしら、と蜜柑をまた一粒。
「別にあの子たちが境内で遊ぶなんて今さらだし、他人に迷惑かけなかったら良いんだけどさ。何で鬼の雪だるま作ってたのか私も気になって、聞いてみたの。そうしたらあの子たち、何の躊躇いもなく私のことを指さしてきたのよっ!」
湧き上がる憤りに突き動かされるように、蜜柑を頬張る速度が速くなる。酸味の強い果汁が口の中で容赦なく弾け、霊夢は顔を歪める。
「私が『鬼』みたいな巫女だって言うのよっ!?あぁもう、今思い出しても腹が立つわ!!」
「えぇ、そうですね…ぷくくっ」
噴き出すのをこらえるように身体を震わせる文を、霊夢はぎろりと見咎める。
「何がおかしいのよ」
「あぁ、これは失敬。その様子だと、彼女たちはきちんと約束を守ってくれたのだなぁ、としみじみ」
「あー?」
怪訝そうに首を傾げた霊夢は、けれどすぐに文の言葉の真意に辿り着いて、大きく目を見開く。
「…まさか」
「はい。その雪だるま、実は私も関わらせていただいたんです」
唖然とする霊夢の反応が余程満足だったらしく、文はにっこり、得意げな笑みを見せる。
「といっても、あの子たちが雪だるまを作っているところに、偶然来ただけなんですがね。なかなかイメージ通りのものが出来ず唸っていたみたいなので、少し助言して差し上げたんですよ」
氷柱を使ってみてはどうか…とね――あったかいお茶を啜りながら、文は表情を和らげる。
「それはもうきらきらに目を輝かせていまして。見ていて非常に微笑ましかったですね」
…容易に想像出来る。
軒先から垂れた氷柱のうちちょうど良い長さのものはどれか、妖精たちがあれこれと語り合って、活き活きと飛び回りながら角を装飾して。その後ろで、文はカメラを構えている光景。
きっと文は、カメラで顔を隠しながら、暖かく微笑んでいたのだろう――それくらい、霊夢には分かる。だって…
「…むぅ」
羨ましい。そんな感情が、口を突いて出そうになる。
悪だくみに関わっていた、とか、そんなことはどうでも良い。自分の見ていないところ――それも、まさに此処で雪遊びを楽しんでいたという事実に、むしろ腹が立って来る。
それがいかに自分勝手なことなのか、自分でも分かってる。
射命丸文という天狗はそういう奴なんだってことも…本来、自分がもう望んではいけないだろう感情であることも、重々承知している。
けど。それでも…
「決めたっ」
残っていた一粒の蜜柑を口に放り込んでから、霊夢は炬燵から勢い良く立ち上がる。
「これから雪だるま作るわよ」
「…はい?どうしたんですかいきなり」
いつも通り反発して噛みついてくるだろう…なんて身構えていた文は、想定外の方向にやる気を燃やし始めた霊夢に戸惑いを見せる。
「私をイメージした、とびっきり可愛い雪だるまを作ってやるのよ!此処の神社にはこんなに可愛くて素敵な巫女が居るんだって、皆が認めてくれるようなものを作るんだからっ!」
そんなことしなくても、此処に可愛くて素敵な巫女が居ることなど、皆既に知っているのでは――うっかり口走りそうになるのをなんとか押しとどめた文に、霊夢はびしっと指を差す。
「とうぜんっ!アンタにも手伝ってもらうんだからね!」
「え、えぇ…?」
「問答無用っ!ほら、もう決めたんだから、さっさと準備するわよ!」
ふん、と荒く息を吐いてから、霊夢は駆け出すように部屋を飛び出していく。あっという間に沈黙へと振り落とされてしまった文は、未だ状況をつかみきれぬまま、呆然と固まってしまっている。
…あぁ、けれど。この感覚。なんだかすごく懐かしい。
『あや!ゆき!ゆき!』
霊夢が、博麗神社の巫女になったばかり――まだ、本当にまん丸として、ちんまりとしていたころ。どういう訳かお世話係に任命されることになった文は、日々神社へと通っては、親代わりのように幼い巫女の面倒を見続けていた。
確か、霊夢がうとうとしているのが見えたから、毛布をかけて、身体が冷えないようにしてあげて。さて、撮った写真でも整理しようかしら、なんて一息吐いていたら、寝ていたはずの霊夢が、らんらんに目を輝かせながら部屋から飛び出しちゃって。
あの時も、一瞬呆然と固まった後で、慌ててあの子を追いかけて。本当、幼い子供ならではの危なっかしい言動に、はらはらと翻弄させられっぱなしで…
『ねぇあや!きいてきいて!』
『こら、走らないの…どうしたの、霊夢』
『わたし、あやのゆきだるまつくる!』
「…仕方ないわね」
暖かな緋色を瞳に宿しながら、文は温くなったお茶をぐっと飲み干す。
全く、いつまで経っても世話が焼ける子なんだから。ならば、自分がするべきことなんて、一つしかないだろう。
高揚した感情をそっと胸の中にしまいこみながら、文は濡羽色のコートを手に取った。
***3***
神社の参道には、純白の絨毯が一面に敷かれていた。先程までカラスたちが遊んでいた痕跡も、後から訪れた雪に隠されてしまったようで、滑らかな山ばかり盛り上がっている。
銀灰色に瞬く曇天からは、花弁のような雪が、ひとひら、またひとひら。試みに一歩踏み出してみると、ざぶり、ブーツの甲の辺りまで、足が沈んでいくのが伝わって。
良し。これくらい柔らかく積もっていれば、十分よね。満足げに吐いた呼気が白に紛れるのを見届けると、改めて、雪波の中へと歩を進め始める。
「待った」
追いかけて来た文が、慌てたように霊夢を呼び止める。
「そんな薄着で雪に飛び出すんじゃないの。これくらい着ておきなさい」
厳しい声音で注意しながら、文は綺麗に畳まれたジャケットを差し出す。
これは確か、いつだったか冬山まで調査に行った時に、魔理沙が着せてくれたもの。そういえばあの件の後『見ていて寒いから、それ、あげるぜ』とそのまま押しつけられたんだっけ。確か結局、箪笥の奥に仕舞いっぱなしにしていたはずなんだけど…
「もう、大袈裟。私は大丈夫だって、いつも言っているでしょう」
「駄目です。どんなに能力があろうと、人間は脆い生きものなんですから」
口を尖らせるての抗議にきっぱりと首を横に振りながら、文はジャケットを霊夢に羽織らせようとする。
「せっかく人に来てもらうために雪だるまを作るというのに、貴方が身体を壊しては台無しでしょう?前から申し上げてますが、貴方はもっと自分の立場と言うものを」
「あーあーもー。分かったわよ」
くどくどと浴びせられる説教に頬を膨らませながら、霊夢は大人しくジャケットに袖を通す。全くコイツと来たら、こういうお節介なところは、何も変わっていないんだから。
「どう?これだけでだいぶ暖かくなったでしょう」
けれど、優しく背中を支えながら満足げに微笑むコイツを見ると、もう文句を言う気力なんて、全く湧かなくなってしまって…本当、こういうところも昔のまま。大きな翼にすっぽり包まれたようなジャケットの温もりに、霊夢は思わず頬を綻ばせていた。
「…よし!作るわよ!」
冬の透き通った空気に、霊夢の声が高らかに広がっていく。本殿の屋根で羽根を休めていたカラスが、文の代わりとばかりに元気良く応える。
気を取り直して、雪だるまづくりの始まりだ。
水分をずっしりと含んだ雪を一かけら掬い上げると、球形になるように丁寧に固めてみせて。出来上がった小さな雪玉を雪上に置いてから、あっちへころころ、こっちへころころ。
滑らかな雪波を乗り越えて、お散歩をさせてあげるようにゆっくりと転がしていくうちに、手のひらに収まる程度だった雪玉は、まわりの雪を取り込んでまるまると膨らんでいく。
「あやー。私、このくらいまで転がしたんだけど、どう?」
「うん。霊夢が転がしているのを下にしましょうか。そっち転がすの、手伝ってあげる」
横に居た文も、ちょうど自分と同じ程度まで雪玉を成長させている。白い呼気を荒々しく出しながら、額の汗を拭う天狗を見て、どきっと胸を高鳴らせて。赤らんだ頬を何とか見られないように、ちょっと顔を俯かせながら横を譲る。
文と一緒に、再び雪玉を転がし始める。控えめな花の香りと共に伝わって来る規則正しい息遣いに、頬の赤みが耳の先まで進んでいく。すぐ横に、文がいる。その事実だけで、やっぱり緊張してしまう。
「懐かしいわね」
ふと、文が呟くのが聞こえる。強張った霊夢の反応を見通すように、穏やかな声が、少女の心を梳かしていく。
「ほら、霊夢が巫女になったばかりのころも、二人で雪だるま作ってたの。覚えてる?」
「うん…覚えてる」
…良かった。
文も、あの時のこと、ちゃんと覚えていてくれたんだ。
「『あやのゆきだるまつくる!』なんて言いながら、こっちの声も聞かず雪の中に飛び出しちゃって」
子守唄を口ずさむように、文は在りし日を回想する。ちょうど今みたいな季節、今よりもさらに小さなおててで無邪気に雪を転がす巫女の姿が、はっきりと頭に浮かび上がる。
「張り切るあまり、気が付いたら自分よりも大きな雪玉が出来て、途方に暮れちゃって」
「あっ、ちょっとそれは言わないでよ…結構恥ずかしいんだから」
「良いじゃない。これでも私、すごく嬉しかったのよ?」
「嬉しかった」と言われ顔を赤らめる霊夢に、文はゆっくりと微笑みかける。
あの時は、自分も人間のお世話に慣れてなくて、なかなか上手くいかないことの方が多くて。「博麗の巫女」という、幻想郷にとって重要な少女の世話が何故自分に任されたのか、常に疑問を抱いていて。
それでも、目の前の少女は、自分にいつも笑顔を向けて、懐いて来てくれた。自分のために、雪だるまを作りたいなんて言ってくれた。
「後、あったかくなって融けた雪だるまを見て『あやがとげぢゃっだぁぁ』ってわんわん泣いちゃって。あの時は本当、宥めるまで時間かかったわねぇ」
「もうっ!言わないでって言ってるでしょっ!!」
真っ赤っかに頬を膨らませながら、霊夢は抗議を見せる。ぽかぽかと軽い調子で肩に殴りかかる姿があまりに愛おしくて、文は声を出して笑う。愉快な会話に招かれたかのように、カラスが一羽、また一羽と屋根にとまって、二人のじゃれ合いを見学していた。
***4***
「よしっ。これで完成ね!」
「…うん。本当、可愛く出来たわね」
ちらついてた雪が止み、薄くなった雲の隙間から、透き通った青が姿を見せ始めたころ。立派に出来上がった雪だるまを見て、二人は感慨深そうに頷く。
大きさは、ちょうど自分たちの肩くらいまで、といったところだろうか。炭団で作ったまん丸の瞳でこちらを見つめながら、にっこりと微笑みかけている。手に差した枝の先っぽには、お祓い棒を持っているのを表しているように、丁寧に切り込まれた紙垂(しで)が巻き付けられていて。仕上げに、後頭部の辺りに紅白のリボンをゆっくりと結んであげて。
神社(ここ)の素敵な巫女を模した雪だるまは、入口で参拝客を出迎えているように、穏やかに鎮座していた。
「ふふ…次の一面はこれで決まり、なんてね」
コートのポケットから愛用のカメラを取り出して、文は一枚、また一枚と、写真にぱしゃり。緋色の瞳を嬉しそうに細めた文を見ていると、霊夢の意識はまた、想い出へと誘われていく。
『あや!あや!できた!』
雪だるまを何とか作り上げた霊夢は、今よりもさらに大きな声で、文の名前を呼び回って。早く見せなきゃと急くあまり、駆けつけた文の懐へ、転ぶように飛び込んじゃって。
『みてみて、あやのゆきだるま!かわいくできたでしょ!』
『…えぇ、えぇ…ほんとうに、よく出来てるわ』
『?…どうしたの、あや…どこかいたいの?』
『!うぅんっ…私は、大丈夫』
今考えると、ちゃんと丸まってすらなくて、自分でも恥ずかしくなるくらい不格好なものだったけど。それでも文は、私の小さな体を翼いっぱいに抱きしめてくれて…
『ありがとう、霊夢』
そういえば、あの時が初めてだったのかな。文の翼ってこんなにも柔らかいんだって感じたのは。
「ねぇ、文」
ぽつり、淡い呼気がこぼれていく。写真を撮り続けていた文が、目をまん丸にさせながら霊夢を振り返る。
「もう一つ雪だるま、作っても良い?」
こんな時しか、きっと機会はないんだもの。もうちょっとだけ、欲張っても良いわよね。
「文の、雪だるま。今度は可愛く、作ってあげたいの」
刹那、目を見開かせた文は、けれどすぐに霊夢の考えを読み取ったみたいで、眉尻を下げて微笑んでみせる。
私は、貴方に作ってもらえただけで十分満足だったのに――もう、コイツがそう言いたそうなのが、表情だけで伝わって来る。そういうところが、コイツの良いところでもあるんだけど。今回はそういう問題じゃないんだから。
栗色の瞳を怒らせて、睨めっこするように顔を見合わせると、文は降参したように口端を綻ばせた。
「大丈夫?今度は融けても、わんわん泣いちゃったりしない?」
「なっ…馬鹿にするなぁ!私だってちゃんと成長してるのよっ!」
いつもの憎まれ口を返事として、リズミカルな雪音が再び奏でられる。先程一つ雪だるまを作った時の感触を思い出しながら、雪玉をしっかりと握りしめて、慎重に転がしていって。
「うーん…」
綺麗な球状に出来上がった雪玉を積み上げて、飾りつけと意気込む文を、霊夢はまじまじと見つめ出す。何か難しそうに唸り続ける巫女の様子に、文はぱちぱちと目を瞬きさせる。
「ど、どうかしましたか?」
「…ほら、アンタ、夕陽みたいに綺麗な目をしているじゃない?」
「えっ。は、はぁ。そうですかね」
「せっかくアンタを模した雪だるまを作るなら、出来るだけそういうところにもこだわりたいんだけど…」
戸惑う文を傍らに、霊夢は腕を組みながら考え続ける。なんとか「射命丸文」らしさを引き出してみせたいという意志が、めらめらと燃え上がっていくのを感じる。とはいえ、今その場にあるもので作り上げるというのも雪だるまづくりの醍醐味というものだろう。何か、文の目に使えそうなものは…
「…そうだわ」
栗色の瞳をぱぁっと輝かせて、霊夢は居間へと駆けこむ。炬燵に置かれている籠を恐る恐る覗きこんでみると、目的のものはまだ二つ、ちゃんと残っていて。弾む気持ちと共にそれらを手に取ると、未だぽかんとしている文のもとまで戻っていく。
「あや、みてみて~」
へにゃり、可愛らしく頬を緩めた霊夢は、橙黄色の蜜柑を一つずつ、両手に大切そうに持ちあげていて。
「これとか、目にぴったりだと思わない?」
思わず抱きしめたい衝動を必死に抑えていた文には、こくこくと頷くことしか出来なかった。
「――出来たっ!」
真珠色の陽光が差し込み始めた境内に、霊夢の嬉しそうな声が響く。淡く粒だった六花が、祝福するように巫女のまわりをきらめく。
にっこり、綺麗に出来上がった笑顔には、先程霊夢が持参した蜜柑の「眼」がはめこまれている。お日さまのように心地良い温もりを感じさせる色を見て、霊夢は満足げに頷く。
右手に差した枝には、濃い臙脂色をした紅葉が一枚だけ、しっかりとつながれている。これも、霊夢が雪玉を丸めている時にたまたま見つけて来た、自慢の枝。ほら、良く見ると、葉団扇を持っている天狗のように見えない?
最後に、文がさっき貸してくれた兜巾を頭に被せてあげれば、鴉天狗の雪だるまの出来上がり。ふふ、横に立つ私の雪だるまも、気のせいかとても嬉しそうだ。
「ねぇねぇ文、どう?今度は可愛く出来たでしょうっ」
軽やかに弾むような足取りで、霊夢は文のもとへと駆け寄る。あわよくば、またあの柔らかくて暖かい翼で抱きしめてくれないかなぁ、なんて。あぁ、駄目駄目。今日の私、本当に欲張りだ。
「…へ?ぁ、そ、そうね」
けれど文は、ぎこちない反応と共に、霊夢から顔を逸らしてしまう。返事の直前、何か難しい顔で雪だるまを見つめていたことに、霊夢は気付いてしまう。
「どうかしたの?…もしかして、何か気に入らないところでもあった?」
「っ。そ、そういう訳では…うんうん。本当、良く出来てると思うわ」
もしかして、気付かないうちに文を傷つけてしまったのだろうか――そんな焦りが胸に立ちこめる。けれど、自分を納得させるように繕い続ける文の言葉にも、嘘は含まれているとは聞こえない。
けれどだったら尚更、文は何を気にしているのだろう――首を傾げながら、霊夢はもう一度、雪だるまの方を振り返る。
「あっ」
刹那、霊夢の頭上に電球が灯る。もしかしたらと瞳を大きく見開いて、今日作った二つの雪だるまを、改めて見比べてみる。
「…はっはーん」
注目したのは、雪だるまの背丈。本当は同じくらいのつもりで作っていたはずなんだけど、本当に良ーく見てみると、ほんの僅かに差があることに気付かされる。
ほら、見て見て。文の雪だるまが被っている兜巾。ちょうど、あのてっぺん辺りが、ちょうど私の雪だるまの身長になっているの。
「アンタさては、自分の雪だるまが私のより背が低いの、気にしてるんでしょ?」
ほんの一瞬だけ、文の唇が一文字に固まるのが見える。他の知人たちには決して気付けないような些細な反応だって、霊夢にはお見通し。だって文だもん。
「何言っているの。この私が、その程度のことで拗ねる訳ないでしょう」
「そうよね。私がアンタの背を追い抜いたのは『事実』だもの。アンタがそれを指摘されて、落ち込む訳ないものね」
「…なんですって?」
毅然としていた文の眼が、威嚇に瞬くのが見える。ほら、やっぱり。実際の身長について持ち出したら、簡単に喰いついて来た。
「『事実』とは聞き捨てならないわね。今だって私の方が背が高いじゃない」
「それは、アンタがそんな靴を履いてるからでしょう?」
なんとか取り繕おうと胸を張る文に、霊夢は即座に反論する。天狗の誇りであるはずの一本歯のブーツが、動揺に騒がしく雪を踏む。
「下駄で底上げさせただけの『事実』で、アンタは胸を張るのね…」
「むぐっ」
ふふ。迷ってる迷ってる。ほら、どうしたらこの状況を切り抜けられるか考えてる。
そんな文を見るのもなかなか珍しくて、楽しいけれど。文のことだ、このまま放っておくと、適当に言い訳をつけてこの場から逃げてしまうかもしれない。
「ねぇ、文。一緒に雪合戦やりましょ」
けど、そうはさせないんだから。
「投げる雪玉の数を決めて、どっちが多く相手に当てられるか、競い合うの」
弾幕…という訳ではないけれど。やっぱり私たちといえば、こうでないとね。
「ほら。私が小さいころ、背を測るのに使っていた柱があったでしょう」
「…あぁ」
面くらっていた文の顔が、ふっと綻んでいく。凛々しかった瞳の緋色が、日差しに照らされ柔らかくほのめく。
「あった、あったわね」
あの時の霊夢は、背丈を柱に刻んであげる度に、緊張した面持ちで、柱を凝視して、どれくらい背が伸びたのかを、見比べて。
落ち込んだ頭を優しく撫でてみたら『いつか、あやのせをおいこしてみせるんだから!』なんて、ムキになって噛みついて。その顔含め可愛かったものだから、誤魔化すようにふくれた頬をもちもち捏ね回していたっけ。
「私が勝ったら、あの柱で私と背比べ、してもらうわよ!」
びしっと指を差しながら、霊夢は溌溂とした笑顔で、文に宣戦布告する。
どこか強がりに背伸びしていた幼い視線は、たくさんの時間と出会いを経て、今や自信いっぱいに輝いている。
昔から変わっていないところも、たくさんあるけれど。博麗霊夢という人間は、巫女として今この瞬間も成長を続けている。そう実感する度に、文の胸は誇らしい気持ちで満たされていくのだ。
「ふん。よりによって天狗の私に『雪つぶて』を挑もうだなんて、良い度胸してるわね」
けれど、この生意気な巫女は、まだまだ身の程と言うものを分かっていないらしい。ならばここは一つ、この機会に学習させないといけないわね。
「そこまで言うのなら、私が勝った時の条件もちゃんとあるのでしょうね?」
「もちろん。アンタが勝ったら、雪まみれになった私の姿を、いくらでも新聞に書きなさい」
「…ふふ、良いでしょう。乗った」
にやり、耳まで裂ける程の勢いで、文は口許を歪める。妖の証たる切り立った八重歯が顔を覗かせ、艶やかな赤眼を爛々に瞬かせて。
「一瞬で終わっても可哀想だから、手加減してあげるわ。だから貴方は、全力でかかって来なさい!」
「ふんっ。その減らず口、すぐ叩けなくしてあげるわよっ!」
高らかな雄叫びを合図として、霊夢が先制攻撃と雪玉を投げる。軸足を正確に挫くように狙いすまされた剛速球を、しかし文は跳躍することで軽々と躱す。轟音と共に立ち昇った雪煙が四散していく真ん中で、文はかっこつけにも宙返りしながら着地してみせて。
にやり、余裕に満ちた笑みで文に見つめられ、霊夢の心にも熱い火が灯る。
「そんなへなちょこな球じゃあ、私には絶対に当たらないわ!」
「うるさいっ。私よりちっちゃいから当たらないだけなんじゃないのっ!」
「おやおや。その程度の揺さぶり、もう私には通用しませんよ?」
「…!っと…良いもん。絶対その勝ち誇った面にぶち当てて、ぎゃふんと言わせてやるんだからっ」
賑やかな言い合いと共に、二人は雪玉を投げ続ける。流星群のように白の軌跡が走り抜けていく苛烈な遊びにあって、けれど二人は決して、笑顔を絶やすことがなくて。いつの間にか、空を覆っていた雪雲はすっかり消え去って、青々と透き通った空が、神社を純白に煌めかせていて。
盛んに撒き上がった雪が、日光に乱反射して眩しく瞬く。屋根に集まったカラスたちが、白熱した争いを囃し立てるように鳴き続けている。
紅色にそびえたつ鳥居の横では、二人を模して作られた雪だるまが、にっこり寄り添うように彼女たちを見守っていた。
作者さんのキャラクターに対する「好き」が丁寧に描かれていてよかったです。
(最初のカラスもかわいい)
雪も溶けそうな熱いあやれいむを堪能させていただきました
二人ともかわいらしかったです