第二幕
秋 喫茶店にて
大学構内の喫茶店。部長は一人テーブルに座って、大学生バイトと思われるウェイトレスからコーヒーを配膳してもらう。部長はウェイトレスの顔をまじまじと観察している。
ウェイトレス「どうかなさいましたか?」
部長「いや、なんでもない。ありがとう」
ウェイトレス「……。では、ごゆっくりと」
ウェイトレスは一礼して立ち去る。
部長「今の子も、顔は決して悪くないのだが、なんというか琴線に触れないんだよな。これはという人はいないものかねえ」
部長はコーヒーをすすりながら周りを見渡す。
部長「違う」
また周りを見渡し「違う」と言う。これを数度繰り返す。
ウェイトレス「いらっしゃいませ」(舞台の袖から声だけが聞こえる)
部長「ん……」
部長、しばしある一点を見つめ沈黙。そしてコーヒーカップを持ちおもむろに立ち上がり袖に消える。
レティが入場し机に座る。少し時間を置き、反対側の袖からコーヒーカップを持った部長が入場しテーブルの対面に座る。
部長「少しお時間よろしいでしょうか? 私、こういうものなのですが……」
部長は名刺をレティに渡す。
レティ「へえ。この大学、映画部もあったのですね」
部長「よく言われます。何分知名度が低いもので」
レティ「ああいえすみません。そういう意味ではなく……。それにしても映画部の部長さんがどうして私に」
部長「勧誘です。今度映画を撮るのですが、そこにぜひとも」
レティ「ああ、いわゆるエキストラ。映画って一本撮るのにも何人も人手がいりますものね」
部長「いえ……。少々申し上げにくいのですが、可能であればぜひとも主演女優としてですね……」
レティ「私が、女優に」
部長「貴方が、できれば」
レティ「私が」
レティは大笑いする。
部長「あ、その、お気を悪くされたようなら申し訳ございません」
レティ「気を悪くするなんてそんなそんな。いや、いくらなんでも見ず知らずの、舞台に一度でも上がったことがあるか疑わしい人を捕まえて『ぜひ女優に』なんて、そんなことある?」
部長「あるのですよ、それが」
レティ「そうよね。ドッキリにしては真に迫りすぎている割に地味だし、そもそも私がドッキリを仕掛けられるほど有名だとも思えないからね。貴方のことは信じるわ」
部長「そう言って頂けるとありがたいです」
レティ「いやあ、でも久しぶりにワクワクする気分を味わえたわ。たまには大学にも来てみるものねえ」
部長「たまには?」
ウェイトレスがやってきて、レティにアイスコーヒーを配膳する。
レティ「私、暑さに弱いのよ。病的なまでに。比喩抜きでお医者さんから診断書も出してもらっているわ。そのせいで前期はほとんど大学にも行けないものだから休学して、後期に入って少し経った今になってようやく出てこれるになったって感じなの」
部長「それはお気の毒に……」
レティ「言うほど悲惨でもないわよ。冷房のついた家に籠もるか山の上に逃げるかすれば夏でも耐えれるし。それに、今日びネットも発達しているから出席実績がつかないってだけで講義についていけるだけの勉強は家でもできるわ。コロナが流行っている時代だったら講義も最初からリモートで、休学しなくて済んだんだけれどね。そこだけは生まれる時代を少し間違えたわ。まあそんなわけで、貴方の申し出は厳しいかもしれないわね。撮影に出れる季節と場所がかなり限定されちゃうから」
部長「ううむ。お体の問題なので私としても無理強いはできないのですが、奇遇にも撮ろうとしている映画の舞台が雪山なのでもしかしたらと思うところではあります」
レティ「へえ、雪山。冒険もの?」
部長「ミステリですね」
レティ「ミステリードラマならテレビで時々見るわね。たまに俳優じゃない芸人とか有名人とかがコラボで出る回とかあるし、そんな感じかしら? まあ私は無名人だけれど。で、仮に出るとしてポジションは探偵、犯人、被害者のどれになるのかしら?」
部長「私共といたしましても、かなり無理を言っているお願いになってしまうので配役や設定なんかは極力便宜を図らせて頂きますよ。お望みならば台本ができたらメールなりなんなりでお送りしてその上で、ということもできますが。ええと……」
レティ「そういえば私は名乗っていなかったわね。白岩レティと申します」
部長「白岩、レ……。もしやその髪は地の色ですか?」
レティ「お父さんがイギリス人で。あ、でも英語はてんで駄目なの。なまじお父さんが頭よすぎたものだからずっと日本語でしか話しかけてくれなくってさ。度を越したインテリってのは子供の教育にはかえって毒ねえ」
部長「それでもこうして大学に受かって来ているんですから立派なものですよ。ではレティさん、台本をまたメールなりなんなりでお送りしましょうか?」
レティ「うーん。一度活動の様子を見せてもらってから判断するというのでもいいかしら?」
部長「ああ、まあ、そうですよね」
部長はぎこちなく答える。
レティ「どうしたのかしら?」
部長「ああいいえ。お気になさらず。では見学はいつにしましょうか?」
レティ「そうねえ……」
一度暗転し、舞台装置が取り除かれ、場所が映画部部室に切り替わる。舞台上には新しい椅子数脚のみが置かれ、部長と部員三名がいる。
部員B「まさか本当に女優候補が見つかるとは思いませんでしたねえ。確かに見つからなければどうしようもなく廃部一直線だったので見つけなければならなかったのはそうなんですが」
部長「それ、内心諦めてたってことか」
部員C「まあ諦めたくなる気持ちも分かりますよ。というかまだ前途は多難ですよ。まず女子大学生がこの薄ら汚れた部室を見てそれでも定着してくれるかという相当に高いハードルが」
部長「そこなんだよなあ。一応『大学の部室にそこまでキラキラした幻想は抱いていませんから大丈夫ですよ』と言ってはくれて、多分それは本心なんだろうが」
部員A「つってもこれ以上何を掃除しようという話なんすけれどね。元々の建物が古くて壁とかはどうしようもないんすよ」
部員B「まあ単にあふれかえる道具を奥に突っ込んだってだけですけれどね。皆さん舞台袖の向こうはできるだけめくらないようにしてくださいね」
部員A「映画部なんだから道具が多いのはしょうがないじゃないっすか」
携帯が鳴る。
部長「おっと。レティさんから近くに来たという連絡があった。迎えに行ってくる」
部長退場。
部員C「あとなんというか雰囲気がむさくるしい」
部員A「それもしょうがないっすよ。現状のこの部の男女比考えてみろってもんっす」
部員C「男性だって爽やかさを出そうと思えば出せるじゃないですか」
部員A「爽やかさとは」
部員B「なんですかねえ。『映画部を、わが映画部をよろしくお願いします』って感じですかね」
部員Bは選挙カーのような声を出す。
部員C「うーん。それは『暑苦しい』じゃないですかね。もっとこう」
部員Cはハスキーボイスを出す。レティと部長入場。
部長「あー。ええと、はい。ここが部室ですね」
レティ「皆さん初めまして。レティと申します」
部員A・B・C「よろしくお願いします」
部員BとCは声を変えたまま。
部長「まあ、とりあえず、活動内容の説明を……」
レティ「今の挨拶でわざと声色を作っていたのも活動の一環なのかしら」
部長「どうなんだね」
部員B「そうですね。あれです。本来の性格とは別なキャラクターを演じるという役作りの練習です」
部長「『役作りの練習です』じゃないんだよ。なんのつもりだね。ドン引きしているじゃないか」
部長は小声でそう言って部員Bを小突く。
部員B「いやあ、なんというかタイミングが悪く」
部員C「しかし彼女中々の逸材ですね。我々の自然な声色を演技と見抜くとは」
部長「どこが自然だどこが」
レティ「聞こえてますよ。引いてはいないのでお気になさらず」
レティはクスクスと笑う。
レティ「正直なところ、この部長さんがそれらしいことを言っていい気にさせるということを方々の女子にやっているのではないかという疑念が一割くらいあったの。でも見た感じ普通に映画部として活動していて、本当に部員が必要っぽいわね。入部させていただくわ」
部長「ありがとうございます!」
部員B「今後ともよろしくお願いします。レティさん、でしたかね」
レティ「ええ。白岩レティですわ」
部員B「レティ。ロック。レティシア・ブラックロック」
レティ「レティシア?」
部員B「アガサ・クリスティーの小説に出てくる人物ですよ。なんとも奇遇な。聞いているかもしれませんが次の映画は推理小説風にする予定で。しかし、ふむ……」
部員Bは唸る。
レティ「どうかなさいました?」
部員B「いえ。普通に推理ものにするのはひねりがないなと。雪山ですし怪談風にするのも悪くないなと。演者として貴方がお嫌いでなければ」
レティ「あら、面白そうですわね」
部員B「ではその方向で考えてみますよ」
そして台本が完成し、役者としての基礎的な練習や映画の台本の暗記が一通り終わった翌年二月。大学は「春休み」と言っているものの春というには余りにも白さが際立つ季節。映画部一同は大学から比較的近い雪山に遠征することとなった。
暗転。