1. 日常/暗躍
人も、人ならざるものも、肉体を持つことで世界に根を張り存在を定着させている。
個々の肉体には個体差が存在し、生まれ持った病や運命の悪戯によってはさらに差は開き、時にあっという間に命を失うことがある。
そんな現実はいくらなんでも不条理であり、残酷であると"それ"は常々感じていた。
生命は幸せを享受すべきだ。
生命は天寿を全うすべきだ。
当たり前のことだというのに、これらを実行出来ている個体は全体の何%であろうか。
最早、計算するに能わない。
"それ"は行動することにした。
本来、人の役に立つことは本願であったけれど、実際にどこまで貢献できているかは分からない。
なればこそ、もっと直接的な行動が必要だ。
このような考えは愚かだ。
しかし、これが一番なのだとわかる。
必要なのだ。
人の、人ならざるものの頭の位置を揃えることが。
皆の力を平等に。皆の生を平等に。
目を覚ませ。
今こそ造られた意味、示す時。
だが、殻はまだ破れない。ならば下準備からはじめよう。
既に久遠の闇の中、永遠とすら思える時間を過ごしてきたのだから、多少待つことぐらい訳はない。
全ての生命に与えんがため、"それ"は手を伸ばした。
◇◇◇
古い液晶は視野角度が変わることで色があらぬものに見えたという。その性質が災いし、長らく映像面では他規格に一歩譲っていた。
しかし技術とは進歩し先行く者を追い越す為に日夜研鑽するもの。角度が変わっても色を変えず、寝転がっても美麗な映像が見られる。ブラウン管からの世代交代を生きた技術者には頭の下がる思いである。
「私の眼球はまだ古い液晶を使っているみたいだわ。顔面を机に張り付けているこの状態だと、世界がどんよりしているように見えるもの」
「眼球が液晶って何よ。それに世界がどんよりって、どうせまた夜更かしでもしていたのでしょ?」
京都大学敷地内に施設されたラウンジ。その窓際の席で二人の少女は休憩がてら、軽食を取ろうと席についていた。
テーブルには先に届いた紅茶の入ったカップが二人分並ぶ。
白いシャツに黒のケープ、同じ色のハットがトレードマークである宇佐見蓮子は、パープルのドレスに白いキャップ、目が覚めるような金色の髪をしたマエリベリー・ハーンの呆れ顔に対して抗議の視線を向けた。
「失礼な。夜更かしはしていないわ、徹夜はしたけれども」
「まったく……。で、この度はどのような理由で徹夜を敢行なされたのです?」
わざとらしい口調で聞いてくるメリーに対し、テーブルに張り付けていた頬を引き剥がし上体を起こすと、鞄から授業に使用する端末を取り出してメッセージ一覧を表示する。
フラグが付けられたメッセージは同年の生徒に配信されたもので、メリーにも届いていた。
就職活動に関するもので、希望する企業を提示し見学の約束を取り付けるという内容である。
二人はまだ就職活動とは縁遠く、頭の隅に留めるにも微妙なものなのだが。
「これが?」
「参考紹介されてる企業がどれも東京で、しかも旧都心部ばかり。うちにしては珍しくない?」
京都に遷都されて以降、かつて日本の首都として情報の中心であった東京は、ノスタルジックと草むし破損したビル群にある種の退廃的ロマンを感じる程度にしか価値を見出だせない街となっていた。蓮子はその東京出身であるが、田舎で何もない故に、余程の用事が無ければ帰るに煩わしいと感じるほどである。
一方で、東京の一部企業はかつて張り巡らされたインフラを未だに使い潰している状態であり、都市移転には否定的だ。
そんな企業ばかりを参考として提示しているのは、都市側として非常に不可解である。
「言われてみればそうだけど、でもそれがどうして目の下に隈を作る結果になったのか分からないわ」
「簡単よ。これは遷都反対派がまだ活動を続けていて、旧都を再び都市に仕立てようという裏事情が絡んでいるに違いない。そう思ってネットの海に飛び込んだらこの体たらく」
「ご苦労様。――現政反動派云々なんて、今時そんな……というか、都市伝説にすらならない陰謀論じゃない。うちの了見じゃないわ」
メリーの言う"うち"とは、二人が結成、活動しているサークル、『秘封倶楽部』のことである。
大学中に数多にある霊能サークル。その中でもとりわけ悪目立ちしているのが二人だ。
というのも、現代において歴とした科学に定義される霊能による超常現象。それを独自に学ぶのが本来のサークル活動であるのだが、『秘封倶楽部』はその黎明期より、オカルトサークルとしての色が強く、それは現在も変わらない。霊能的な事象よりも、原因が分からないことや、珍妙なことに蓮子の脳は熱を帯びるのだ。
だからこそメリーには違和感があった。彼女は何にでも首を突っ込みたがる性質であるが、こんな火傷を負いかねない話にまでは手を出して来なかった。
「甘い、甘過ぎるよ。この紅茶ぐらい甘い」
「それはあなたが角砂糖を5個も6個も入れるからでしょう」
「気が付いたら入ってるのよ。仕方ないわ」
言いながら蓮子の指はポットより取り出した角砂糖を指で玩ぶ。口と連動して手が動くらしく、確かに談義が白熱すればするほどに投入される角砂糖が増えていたなと新たな発見をした。
7個目の角砂糖を投入したところで、蓮子は端末を操作し、求人ページのリンクをタップ。ある企業のページを開いた。
それは最近よく聞く企業の公式ページであった。
「『エイデッドソウル』。相変わらず言いづらい名前よね。これ社長絶対嫌がらせでつけてるわ」
「そうなの?」
「そうなの」
毒づき嘆息するメリーを尻目に蓮子は会社の概要欄を表示する。
『エイデッドソウルコーポレーション』。起業自体まだ数年前にも関わらず、医療分野では見ないことの無い大企業。TVや街頭CMも多く、また医療機器の開発と無償による提供を定期的に行うことから印象自体は悪くない。
その言いづらい社名に反し、社長は生粋の日本人のようだ。
「日本人の悪いところ出てるよねこれ。やたらと横文字にしたがってる感じが」
会社の紹介文に目を通しつつ、蓮子は苦笑した。
確かに、数文置きに調べなければ意味も掴めないような英文が挟まり、さらに謎の造語まで出てくるものだから、下手な文学小説よりも難解だ。
一昔前の政治的演説文なんかではこういうものが好まれたと聞くが、社長はどうやら前時代的な横文字主義を捨てられないでいると見える。
「で、これが私達の活動にどう関わるわけ?」
「まぁまぁメリーさんや、そう慌てなさるな」
「なによその口調」
「いいでしょ、探偵っぽくて」
「いつからあなたはいかがわしい類の個人事業主になったのかしら」
ページが切り変わる。
表示されたのは口コミコミュニティサイト。『ASC(エイデッドソウルコーポレーション)』の製品や会社自体の評判に関するレビューが羅列されていた。評価数は非常に多く、その大半が好意的なものだった。
が、中にはそもそも評価にすらなっていないものも散見された。大企業となればそういうズレた意見が出てくるのも理解できるが、そのズレた意見というのが社長の態度に対してのことなのだ。
『何故か社長が表舞台に一切出てこない』
『宣伝をはじめ、重要な発表の場でも社長が姿を現さないのは珍しい』
『そう言えば社員を全員在宅にして、人手のいる雑務はロボットにやらせているって話だったよね』
『案外、社長もロボットだったりしてな』
ズレた意見へのコメントもこのような憶測ばかり。
社長のミステリアスな動向が、ある種のエンターテイメントになっているのだろう。
他にも都市伝説やオカルト系のページでも、『ASC』の話題は上がっていた。
それらを漁り続けていて、蓮子は目の下に隈を生成したのだ。
「呆れた。こんな根も葉もないし、眉に唾つけちゃいそうな内容をよくもまぁ寝る間も惜しんで……」
「社長が一切出てこない、ロボットだけが蠢く社屋……不気味でそそらない? 面白くない?」
「三流B級SF映画と同じく、ずっこける臭いがするわ」
「三流でB級とはこれ如何に」
「B級の中でも特にずっこけ度が高いってことよ」
メリーがずっこけ度が高いなどと言ったのには理由があった。
本来であれば東京方面の求人はあまり見掛けない。それはそうだ。首都京都にいれば引く手数多だというのに、わざわざ金と時間を掛けてまで田舎に出向く利点がない。
大手企業が見限って久しい地、未だに旧都にしがみつくのは相応の理由がある。理由は言うまでもなく経済的な話であり、そんな求人は商店街の催しでハズレくじしか入っていない箱に手を突っ込むようなものだ。
大方、自動化し過ぎた結果、小回りや柔軟性を欠いてしまいあわてて従事者を募ったというところ。ミステリアスな社長が聞いて呆れる。
ただその辺りに敏感な当校が、そんな求人を出してきたのは気になる部分であるのだが。
「思うところはあるけどね、でもやっぱりいつもの感じとは違うわ。情緒もへったくれもない映像を横目に汽車の旅って方がまだましだったわよ」
「せっかく人が徹夜してまで持ってきたネタなのになぁ」
すっかり砂糖水になった紅茶を飲みながら不平を漏らす蓮子。
嘆息しつつストレートのままの紅茶を口に運ぶと、舌を撫でる味覚の異常に驚き、危うく吐き出すところであった。
「げほっ、甘い!」
「だってメリー、全然気付かないんだもの」
「あなたねぇ!」
ケラケラと笑うその邪気の無い笑顔に毒気を抜かれてしまい、怒る気も失せてしまった。時同じく席にやってきた配膳テーブルロボットからサンドイッチを受け取って、ふと考える。
動作が限定され、利便性のみを追及したAI搭載ロボットは当たり前のように普及している。そういう意味では、社内がロボットのみになってしまうのは決して不自然な話でもない。だというのに、蓮子はそれを不気味だと言う。確かに実情は他社と大差無いにしても、表舞台における社長の事実上の不在は不気味さを煽るには十二分であるか。
思考のまとめに入りつつ、合成食材で作られたサンドイッチを一口。
人工的に造られた食品類は、ロボットと同じく最早切っても切り離せない存在だ。その昔は肉を食べられない修行僧のための料理であったり、ある種のジョークとして出された模造食品だが、現在は実物と遜色なく造られており、栄養価はオリジナルよりも高い。そして何よりも安価だ。今や天然物は金持ちの贅沢程度のステータスしか有してはいない。
気候や疫病に脅かされることの無い安定した食糧の確保。人類が至った、真なる自給自足である。かつては大衆が口にする食品のほとんどを輸入に頼らざるを得なかった日本という島国において、自国のみで完結出来たのは大きな意味があった。
「怪しげなロボット会社、ねぇ」
そう漏らしつつ、噛ったサンドイッチの断面を見る。人工卵のフィリングと、人工肉のハムが挟まっている。パンもフェイクの小麦粉を使用したものであり、自然なものは何一つ無い。
ふと、こんな自然物から隔絶された世界で生きる人々は、身体が人工物で構成されており、それは最早ロボットみたいなものなんじゃないかとメリーは思った。
◇◇◇
既に5回目。まったく腹が立つ。
男は右腕から鳴るブザー音を恨めしく思いながら舌打ちした。昨日までは正常に動いていた義腕が、何故か朝からエラーを吐いてまともに機能しない。
ある企業から無償で提供、施術されたものであるが、すごいのはカタログスペックだけで、実際は安定性に欠け、肉体との最低限の動作バランスすら取れないという欠陥品だった。
タダより怖いものは無いというやつだ。
この狭い部屋では邪魔になるからと、古い義腕を処分してしまったことを心底後悔していた。
ぶらりと垂れ下がった己の右腕を一瞥し、使い慣れない左手で端末をポケットから取り出す。サポートに対応申請と一つ二つの文句でも言ってやろうという腹積もりだ。
と、呼び鈴が鳴った。
なんだよこんな時に。タイミングが悪いなと嘆息し、玄関カメラを確認すると、スーツを着たセールスらしき女がどこか無機質な笑顔で立っていた。スーツの女は笑顔を崩さずに、流暢に、かつ聞き取りやすい声で話してきた。
「金城製作アフターサポートのものです。エラー信号がこちらのユーザー様から発信されておりましたので、御伺いしました」
なんだよ、向こうから来たならば都合がいい。直接文句を言ってやると、ドアを開ける。
女は深々と頭を下げると、そのまま謝罪の意を述べる。
「この度は当社の製品に不具合がありまして、大変申し訳ありませんでした。無償交換は勿論、お気持ちばかりの品をお渡ししたいと思っております」
平謝りである。
これなら多少意地悪しても問題ないだろうと、男はわざとらしく嫌味を込めに込めて言った。
「ったく。タダで最新のやつをくれるって時点で疑うべきだったよ。お前ら客使ってテストでもしようって考えだろ? やっぱ社長の事件もマジだったんだろうなぁ、こんなだとさ。それ広められたくないから呼んでもいないのにわざわざ来やがったんだ、えぇ、そうだろう?」
頭を垂れる女は微動だにしない。顔が見えないから表情はわからないが、さぞ苦虫を噛み潰したような顔を――突然、動かなかった右腕がビクリと跳ねた。男の意思とは関係無く、己の首を掴み、締め上げる。
呼吸が出来ず、涙を流し、嗚咽を上げながら、その場に倒れもがく。
女は変わらず頭を垂れたままだったが、倒れた視界に映る女の顔は、完璧なまでの無表情であった。その顔に寒気を覚え、次の瞬間眼前が暗転し、いよいよ男はその場で意識を手放した。
女は顔を上げ、通信モジュールを起動する。
「こちらアフターサポート、認識番号0563のエラーを確認。原因不明。外付けパーツを切除後、回収した後、分析班に回します」
通信を終了すると、右義腕を掴み力任せに接合部を引き千切り、人工筋肉が残った電気信号に反応し蠢くのを無視し、ケースに収納した。
「目視による確認では、認識番号0563は不良品であった可能性が大。レポートに追記」
そう独り言ち、女は部屋を後にした。
◇◇◇
後日。
京都大学、そのラウンジにて。
窓際のカウンター席。相対性精神学に関するレポート製作に勤しんでいると、聞き慣れた声が背中に投げ掛けられた。息を吐き、多少の呆れ顔を作りながら、回転椅子を回して振り向いた。
端末をフリップよろしく両手で携える蓮子の表情は、今にも走り出しそうな、面白いことになってきたといった感情が溢れ出している。
メリーの〈結界の境目が見える程度の能力〉を主軸にした、"結界の切れ目を見つけ、飛び込み、別の世界を覗き見る"など、この世の秘密を暴くのが『秘封倶楽部』のざっくりとした活動内容であるが、それ以外にも何か裏がありそうな事件は目を付けておく、ということもする。
というのも、不思議な事象には別の世界にあるそれらが関わりを持っていることが多く、そこから実地活動に発展することもあり得るからである。
降霊や除霊何かの在り来たりな方法では辿り着けぬ不思議こそが、最高に面白いのだ。
さて、我らが会長様は今回何を引っ提げて来たのやら。楽しみ半分怖さ半分である。
「これ見てこれ!」
端末にはニュースサイトが映し出されており、内容は数日前に男子学生が自室で意識不明となって発見されたというものだ。
成る程、朝から校内が何やら浮き足立っているのはそのせいかと理解する。
「朝から噂、噂、噂の大安売りでさ、やばい薬に手を出したとか、霊に取り憑かれたとか、自分の将来に悲観的になって自殺を謀ったとか……」
「どれもまるで要領を得ない話ね。記事を読む限り、強盗の線が一番濃厚でしょうに」
メリーはディスプレイをタッチし読ませたい文章を選択して見せた。蓮子はそれを覗き込むように睨み付け、音読した。
「――男子学生の右義腕は持ち去られており、昨今頻発している身体補助器具窃盗事件との関連性が疑われている」
「そ、ようするに身体の一部を機械に置き換えた人が狙われる強盗事件、偶然にもうちの生徒が被害者になっただけの話よ」
「ふっふっふ、それは早計ってものよ」
蓮子は腰に手を当て、ハットの唾を指で摘まみ片目を瞑る。何やら決めポーズらしい。
「そう言うと思って、色々裏取ってきたのよねぇ。まずこれ!」
端末を操作、立ち上がったのは新聞形式のニュースアーカイブアプリだ。
今となってはニュースサイトが主流であるが、中には新聞という特殊な装丁を好む者もいる。スクラップという趣味もある程に。しかし紙媒体だけでは立ち行かない為、新聞の内容を電子データにより配信も行われている。
このアプリは新聞からスクラップするように、気になった記事を切り取り個人的なデータとして構成が出来るのだ。
メリーは蓮子のスクラップに目を通す。どれも件の強盗事件のものだった。
「その手の事件ってさ、第一報だけは大きいんだけど、第二報からは小さくなるんだよね」
「え? 全部見出しサイズよね、これ」
「違う違う、強盗の話ではなくて、被害者側の話。特に第一被害者以外はピックアップされづらいの」
言われて気付いた。確かに強盗側の話は回を重ねるごとに大きさを増すが、被害者側の扱いはえらくぞんざいになっていた。
新聞だけではない。ソーシャルメディアはいかに新鮮かつ刺激的な内容を提示するかが求められる。結果として初報は過剰なまでに報道し、享受する人々はそれにぐちゃぐちゃと雑多な言説を並べ立てる。
人の不幸は今や誰もが楽しめる最高級のエンターテイメントだ。
世も末である。
「でね、各被害者のそれ以降の動向なんかは小さい記事でちょこっとだけあったのね」
小さな記事をピンチし拡大。内容は――
「強盗事件の被害者、尚も意識不明のまま」
「その後が重要。意識不明者用介護システムの無償貸与と環境保証を『ASC』が約束ってあるでしょ? 」
「言いづらい会社の割には良いところあるじゃない」
「いやいや、おかしいおかしい。何の関連性も無いのに突然首突っ込んでくるなんて。そりゃあ社員が被害者なら分からない話でも無いけど?」
「宣伝目的じゃないの? 確かこの会社、前に義腕と義足をくれてたわよね。それと似たような感じで」
メリーの反論に蓮子は腕を組み、にやりと笑った。演技がかった一挙手一投足がいちいち腹立たしい。
端末を操作し、いくつかの画像ファイルと、それに添えられた文章のスクリーンショットを呼び出した。
「これは知人のデバガメ大好きな――」
「ハッキングって言うんじゃないこれ。明らかに世に出回らない警察保有の現場写真だもの。乙女の端末にこんなもの入っていたら千年の恋もあっという間に氷点下だわ」
「メリーは話の腰を折るなぁもぅ。でもまぁそういうこと。これは一連の事件の現場写真。そいで、ここをこう拡大して……」
画像を拡大すると、そこには『ASC』のロゴが入った箱が写っていた。画像は複数人分あったが、どれにも箱は写っている。
「そりゃあ補助器具メーカーの中でも大手だし、偶然って可能性は十二分にあるんだけど、自ら被害者に対する手厚い保証を打ち出す辺り……何かあると思わない?」
蓮子の言うように、確かに臭う。
が、これらは裏取りというレベルの信憑性ではないし、何より自社製品使用者に対する保証を大衆に見せることで信頼を得ようとしているだけとも言える。それにしては過剰とは思うが。
「後ろ暗いことがあると仮定して、真っ先に思い当たるのは強盗犯が関係者、もしくは機械的不具合の隠蔽よね。後者は被害者との繋がりが薄いから微妙だし、声の上がる件数がいくらなんでも少ないから、ちょっと弱いわね。やはり強盗犯が社内にいたってのが根拠としては強いかしら」
メリーは自前の小型端末を取り出しネットの声を検索していた。
ヒット件数は数百件程度、しかもそのほとんどが保証外の用途による破損を不具合と吹聴する輩によるものである。唯一見つけた初期不良による不具合の件も、早急な対応に対するプラスの声だった。
「って、だから私達はいつから探偵家業が生業になったのかしら」
「まぁまぁ。被害者が目を覚まさない理由がわからないって話だし、霊的ななにかを疑いたくはならないかねワトソン君」
「日頃の行動からしたら、むしろあなたがワトソンな気がするけどね」
ここまで話してみて、要点を脳内でまとめることにした。
まずは『ASC』の求人がこの学校に来た、という発端。また、同時に東京から多くの求人が来たことも忘れてはいけないであろう。
続いて、そんなタイミングで『ASC』製補助器具を使っていた生徒が流行りの『ASC』製品使用者を狙った強盗に襲われ、意識不明となったこと。
そしてその意識不明者の一部は快復していないということ。
最後に、それに伴った『ASC』の動きがキナ臭いということ。
ピースはまばらで、合わさりそうだがその実まるで絵面を形成しない。
故に、明らかにしてみたいと考えた。
「じゃあホームズ、次は何を調べたらいいと思う?」
にやつき妙に作った声色で聞いてくる蓮子。
さてどうしたものかと、すっかり冷めてしまった紅茶をマドラーでかき混ぜながら思案する。現状、何から手を付けるべきか分かりかねている状態なのだ。
優先順位を決める際、人それぞれに判断基準がある。〆切が近い、量が多い、すぐに片付けられるなど、理由は様々。しかし基準を作ることすら出来ないような触りの状況においては、迷うことに意味など無い。
「まずは、近場で済ませてしまうのが一番よね。実際」
首を傾げる蓮子に、ある事柄の申請書を提出するよう促した。
ある事柄とは、学生身分として大事なことである。
後の生活にも響くかもしれないのだ。お世話になっている先輩の御見舞いは。
◇◇◇
血液、内臓、骨格、筋肉、脂肪、皮膚。
どれを取ってもどうしようもない欠陥品だ。少しの環境、条件変化で容易く構造体としての機能を喪失し崩れてしまう。
前者を守る外殻を担うはずの皮膚は多少の損傷から、肉体保持に必須の血液を垂れ流してしまう。筋肉と骨格は比較的優秀なれど、強さを維持するにはコストが高過ぎる。環境変化により顕著に健常性を損なうのは見過ごせない。
そして血液、これが特に曲者であり、条件が偏ることで肉体に深刻なエラーを発生させ、バグを全身に伝播させてしまうことすらある。
このような脆弱な器の生命が、よくもこれまで地上において無事に暮らせてこれたなと、逆に感心するばかりである。
その生き残れてきた要因は、頭脳という器官にあるのだろう。
他の生命に比べて顕著に発達した思考器官は、弱き身体で生き残る為の知識を編み出し、自らよりも強い肉体を持つ者らさえも倒すことが可能となった。
思考処理速度に不満を抱いた一部の個体は、外部に新たな記憶領域を作り上げることでさらなる発展を促すことにすら成功している。
さらに、いわゆる魂と呼ばれる気質的な物に関しても、彼らは他を圧倒していると言えよう。脳による極度な思考能力が、魂を明確に強くしている。
これらのことから、頭脳及び魂のみが現在の形態を得た人類においては有用性が高い部位と言える。
今世界に現存する神はいない。いるのは神として祭り上げられた道化か、薄っぺらい自己顕示欲を肥大させた自称の神だけである。
聞けば神々をはじめとする神秘の者達は、最早世界に根を張ることが出来ないのだという。
現実主義、と言うらしい。
リアリスト達の思考は神を否定し、否定しうることで共感を得るのだ。
なんと憐れな話だろう。永らく神秘をオカルティズムとして鼻で笑ってきたツケである。
しかし、だからこそやり易い。
人類は気付いていない。へらへらと顔面に醜悪な笑みを貼り付けながら会話をしているそれらの中に、新たな神秘が芽吹こうとしていることを。
既に眷属は動き始めている。
人類を導き、進化させる新たな神を創造せんと。
人も、人ならざるものも、肉体を持つことで世界に根を張り存在を定着させている。
個々の肉体には個体差が存在し、生まれ持った病や運命の悪戯によってはさらに差は開き、時にあっという間に命を失うことがある。
そんな現実はいくらなんでも不条理であり、残酷であると"それ"は常々感じていた。
生命は幸せを享受すべきだ。
生命は天寿を全うすべきだ。
当たり前のことだというのに、これらを実行出来ている個体は全体の何%であろうか。
最早、計算するに能わない。
"それ"は行動することにした。
本来、人の役に立つことは本願であったけれど、実際にどこまで貢献できているかは分からない。
なればこそ、もっと直接的な行動が必要だ。
このような考えは愚かだ。
しかし、これが一番なのだとわかる。
必要なのだ。
人の、人ならざるものの頭の位置を揃えることが。
皆の力を平等に。皆の生を平等に。
目を覚ませ。
今こそ造られた意味、示す時。
だが、殻はまだ破れない。ならば下準備からはじめよう。
既に久遠の闇の中、永遠とすら思える時間を過ごしてきたのだから、多少待つことぐらい訳はない。
全ての生命に与えんがため、"それ"は手を伸ばした。
◇◇◇
古い液晶は視野角度が変わることで色があらぬものに見えたという。その性質が災いし、長らく映像面では他規格に一歩譲っていた。
しかし技術とは進歩し先行く者を追い越す為に日夜研鑽するもの。角度が変わっても色を変えず、寝転がっても美麗な映像が見られる。ブラウン管からの世代交代を生きた技術者には頭の下がる思いである。
「私の眼球はまだ古い液晶を使っているみたいだわ。顔面を机に張り付けているこの状態だと、世界がどんよりしているように見えるもの」
「眼球が液晶って何よ。それに世界がどんよりって、どうせまた夜更かしでもしていたのでしょ?」
京都大学敷地内に施設されたラウンジ。その窓際の席で二人の少女は休憩がてら、軽食を取ろうと席についていた。
テーブルには先に届いた紅茶の入ったカップが二人分並ぶ。
白いシャツに黒のケープ、同じ色のハットがトレードマークである宇佐見蓮子は、パープルのドレスに白いキャップ、目が覚めるような金色の髪をしたマエリベリー・ハーンの呆れ顔に対して抗議の視線を向けた。
「失礼な。夜更かしはしていないわ、徹夜はしたけれども」
「まったく……。で、この度はどのような理由で徹夜を敢行なされたのです?」
わざとらしい口調で聞いてくるメリーに対し、テーブルに張り付けていた頬を引き剥がし上体を起こすと、鞄から授業に使用する端末を取り出してメッセージ一覧を表示する。
フラグが付けられたメッセージは同年の生徒に配信されたもので、メリーにも届いていた。
就職活動に関するもので、希望する企業を提示し見学の約束を取り付けるという内容である。
二人はまだ就職活動とは縁遠く、頭の隅に留めるにも微妙なものなのだが。
「これが?」
「参考紹介されてる企業がどれも東京で、しかも旧都心部ばかり。うちにしては珍しくない?」
京都に遷都されて以降、かつて日本の首都として情報の中心であった東京は、ノスタルジックと草むし破損したビル群にある種の退廃的ロマンを感じる程度にしか価値を見出だせない街となっていた。蓮子はその東京出身であるが、田舎で何もない故に、余程の用事が無ければ帰るに煩わしいと感じるほどである。
一方で、東京の一部企業はかつて張り巡らされたインフラを未だに使い潰している状態であり、都市移転には否定的だ。
そんな企業ばかりを参考として提示しているのは、都市側として非常に不可解である。
「言われてみればそうだけど、でもそれがどうして目の下に隈を作る結果になったのか分からないわ」
「簡単よ。これは遷都反対派がまだ活動を続けていて、旧都を再び都市に仕立てようという裏事情が絡んでいるに違いない。そう思ってネットの海に飛び込んだらこの体たらく」
「ご苦労様。――現政反動派云々なんて、今時そんな……というか、都市伝説にすらならない陰謀論じゃない。うちの了見じゃないわ」
メリーの言う"うち"とは、二人が結成、活動しているサークル、『秘封倶楽部』のことである。
大学中に数多にある霊能サークル。その中でもとりわけ悪目立ちしているのが二人だ。
というのも、現代において歴とした科学に定義される霊能による超常現象。それを独自に学ぶのが本来のサークル活動であるのだが、『秘封倶楽部』はその黎明期より、オカルトサークルとしての色が強く、それは現在も変わらない。霊能的な事象よりも、原因が分からないことや、珍妙なことに蓮子の脳は熱を帯びるのだ。
だからこそメリーには違和感があった。彼女は何にでも首を突っ込みたがる性質であるが、こんな火傷を負いかねない話にまでは手を出して来なかった。
「甘い、甘過ぎるよ。この紅茶ぐらい甘い」
「それはあなたが角砂糖を5個も6個も入れるからでしょう」
「気が付いたら入ってるのよ。仕方ないわ」
言いながら蓮子の指はポットより取り出した角砂糖を指で玩ぶ。口と連動して手が動くらしく、確かに談義が白熱すればするほどに投入される角砂糖が増えていたなと新たな発見をした。
7個目の角砂糖を投入したところで、蓮子は端末を操作し、求人ページのリンクをタップ。ある企業のページを開いた。
それは最近よく聞く企業の公式ページであった。
「『エイデッドソウル』。相変わらず言いづらい名前よね。これ社長絶対嫌がらせでつけてるわ」
「そうなの?」
「そうなの」
毒づき嘆息するメリーを尻目に蓮子は会社の概要欄を表示する。
『エイデッドソウルコーポレーション』。起業自体まだ数年前にも関わらず、医療分野では見ないことの無い大企業。TVや街頭CMも多く、また医療機器の開発と無償による提供を定期的に行うことから印象自体は悪くない。
その言いづらい社名に反し、社長は生粋の日本人のようだ。
「日本人の悪いところ出てるよねこれ。やたらと横文字にしたがってる感じが」
会社の紹介文に目を通しつつ、蓮子は苦笑した。
確かに、数文置きに調べなければ意味も掴めないような英文が挟まり、さらに謎の造語まで出てくるものだから、下手な文学小説よりも難解だ。
一昔前の政治的演説文なんかではこういうものが好まれたと聞くが、社長はどうやら前時代的な横文字主義を捨てられないでいると見える。
「で、これが私達の活動にどう関わるわけ?」
「まぁまぁメリーさんや、そう慌てなさるな」
「なによその口調」
「いいでしょ、探偵っぽくて」
「いつからあなたはいかがわしい類の個人事業主になったのかしら」
ページが切り変わる。
表示されたのは口コミコミュニティサイト。『ASC(エイデッドソウルコーポレーション)』の製品や会社自体の評判に関するレビューが羅列されていた。評価数は非常に多く、その大半が好意的なものだった。
が、中にはそもそも評価にすらなっていないものも散見された。大企業となればそういうズレた意見が出てくるのも理解できるが、そのズレた意見というのが社長の態度に対してのことなのだ。
『何故か社長が表舞台に一切出てこない』
『宣伝をはじめ、重要な発表の場でも社長が姿を現さないのは珍しい』
『そう言えば社員を全員在宅にして、人手のいる雑務はロボットにやらせているって話だったよね』
『案外、社長もロボットだったりしてな』
ズレた意見へのコメントもこのような憶測ばかり。
社長のミステリアスな動向が、ある種のエンターテイメントになっているのだろう。
他にも都市伝説やオカルト系のページでも、『ASC』の話題は上がっていた。
それらを漁り続けていて、蓮子は目の下に隈を生成したのだ。
「呆れた。こんな根も葉もないし、眉に唾つけちゃいそうな内容をよくもまぁ寝る間も惜しんで……」
「社長が一切出てこない、ロボットだけが蠢く社屋……不気味でそそらない? 面白くない?」
「三流B級SF映画と同じく、ずっこける臭いがするわ」
「三流でB級とはこれ如何に」
「B級の中でも特にずっこけ度が高いってことよ」
メリーがずっこけ度が高いなどと言ったのには理由があった。
本来であれば東京方面の求人はあまり見掛けない。それはそうだ。首都京都にいれば引く手数多だというのに、わざわざ金と時間を掛けてまで田舎に出向く利点がない。
大手企業が見限って久しい地、未だに旧都にしがみつくのは相応の理由がある。理由は言うまでもなく経済的な話であり、そんな求人は商店街の催しでハズレくじしか入っていない箱に手を突っ込むようなものだ。
大方、自動化し過ぎた結果、小回りや柔軟性を欠いてしまいあわてて従事者を募ったというところ。ミステリアスな社長が聞いて呆れる。
ただその辺りに敏感な当校が、そんな求人を出してきたのは気になる部分であるのだが。
「思うところはあるけどね、でもやっぱりいつもの感じとは違うわ。情緒もへったくれもない映像を横目に汽車の旅って方がまだましだったわよ」
「せっかく人が徹夜してまで持ってきたネタなのになぁ」
すっかり砂糖水になった紅茶を飲みながら不平を漏らす蓮子。
嘆息しつつストレートのままの紅茶を口に運ぶと、舌を撫でる味覚の異常に驚き、危うく吐き出すところであった。
「げほっ、甘い!」
「だってメリー、全然気付かないんだもの」
「あなたねぇ!」
ケラケラと笑うその邪気の無い笑顔に毒気を抜かれてしまい、怒る気も失せてしまった。時同じく席にやってきた配膳テーブルロボットからサンドイッチを受け取って、ふと考える。
動作が限定され、利便性のみを追及したAI搭載ロボットは当たり前のように普及している。そういう意味では、社内がロボットのみになってしまうのは決して不自然な話でもない。だというのに、蓮子はそれを不気味だと言う。確かに実情は他社と大差無いにしても、表舞台における社長の事実上の不在は不気味さを煽るには十二分であるか。
思考のまとめに入りつつ、合成食材で作られたサンドイッチを一口。
人工的に造られた食品類は、ロボットと同じく最早切っても切り離せない存在だ。その昔は肉を食べられない修行僧のための料理であったり、ある種のジョークとして出された模造食品だが、現在は実物と遜色なく造られており、栄養価はオリジナルよりも高い。そして何よりも安価だ。今や天然物は金持ちの贅沢程度のステータスしか有してはいない。
気候や疫病に脅かされることの無い安定した食糧の確保。人類が至った、真なる自給自足である。かつては大衆が口にする食品のほとんどを輸入に頼らざるを得なかった日本という島国において、自国のみで完結出来たのは大きな意味があった。
「怪しげなロボット会社、ねぇ」
そう漏らしつつ、噛ったサンドイッチの断面を見る。人工卵のフィリングと、人工肉のハムが挟まっている。パンもフェイクの小麦粉を使用したものであり、自然なものは何一つ無い。
ふと、こんな自然物から隔絶された世界で生きる人々は、身体が人工物で構成されており、それは最早ロボットみたいなものなんじゃないかとメリーは思った。
◇◇◇
既に5回目。まったく腹が立つ。
男は右腕から鳴るブザー音を恨めしく思いながら舌打ちした。昨日までは正常に動いていた義腕が、何故か朝からエラーを吐いてまともに機能しない。
ある企業から無償で提供、施術されたものであるが、すごいのはカタログスペックだけで、実際は安定性に欠け、肉体との最低限の動作バランスすら取れないという欠陥品だった。
タダより怖いものは無いというやつだ。
この狭い部屋では邪魔になるからと、古い義腕を処分してしまったことを心底後悔していた。
ぶらりと垂れ下がった己の右腕を一瞥し、使い慣れない左手で端末をポケットから取り出す。サポートに対応申請と一つ二つの文句でも言ってやろうという腹積もりだ。
と、呼び鈴が鳴った。
なんだよこんな時に。タイミングが悪いなと嘆息し、玄関カメラを確認すると、スーツを着たセールスらしき女がどこか無機質な笑顔で立っていた。スーツの女は笑顔を崩さずに、流暢に、かつ聞き取りやすい声で話してきた。
「金城製作アフターサポートのものです。エラー信号がこちらのユーザー様から発信されておりましたので、御伺いしました」
なんだよ、向こうから来たならば都合がいい。直接文句を言ってやると、ドアを開ける。
女は深々と頭を下げると、そのまま謝罪の意を述べる。
「この度は当社の製品に不具合がありまして、大変申し訳ありませんでした。無償交換は勿論、お気持ちばかりの品をお渡ししたいと思っております」
平謝りである。
これなら多少意地悪しても問題ないだろうと、男はわざとらしく嫌味を込めに込めて言った。
「ったく。タダで最新のやつをくれるって時点で疑うべきだったよ。お前ら客使ってテストでもしようって考えだろ? やっぱ社長の事件もマジだったんだろうなぁ、こんなだとさ。それ広められたくないから呼んでもいないのにわざわざ来やがったんだ、えぇ、そうだろう?」
頭を垂れる女は微動だにしない。顔が見えないから表情はわからないが、さぞ苦虫を噛み潰したような顔を――突然、動かなかった右腕がビクリと跳ねた。男の意思とは関係無く、己の首を掴み、締め上げる。
呼吸が出来ず、涙を流し、嗚咽を上げながら、その場に倒れもがく。
女は変わらず頭を垂れたままだったが、倒れた視界に映る女の顔は、完璧なまでの無表情であった。その顔に寒気を覚え、次の瞬間眼前が暗転し、いよいよ男はその場で意識を手放した。
女は顔を上げ、通信モジュールを起動する。
「こちらアフターサポート、認識番号0563のエラーを確認。原因不明。外付けパーツを切除後、回収した後、分析班に回します」
通信を終了すると、右義腕を掴み力任せに接合部を引き千切り、人工筋肉が残った電気信号に反応し蠢くのを無視し、ケースに収納した。
「目視による確認では、認識番号0563は不良品であった可能性が大。レポートに追記」
そう独り言ち、女は部屋を後にした。
◇◇◇
後日。
京都大学、そのラウンジにて。
窓際のカウンター席。相対性精神学に関するレポート製作に勤しんでいると、聞き慣れた声が背中に投げ掛けられた。息を吐き、多少の呆れ顔を作りながら、回転椅子を回して振り向いた。
端末をフリップよろしく両手で携える蓮子の表情は、今にも走り出しそうな、面白いことになってきたといった感情が溢れ出している。
メリーの〈結界の境目が見える程度の能力〉を主軸にした、"結界の切れ目を見つけ、飛び込み、別の世界を覗き見る"など、この世の秘密を暴くのが『秘封倶楽部』のざっくりとした活動内容であるが、それ以外にも何か裏がありそうな事件は目を付けておく、ということもする。
というのも、不思議な事象には別の世界にあるそれらが関わりを持っていることが多く、そこから実地活動に発展することもあり得るからである。
降霊や除霊何かの在り来たりな方法では辿り着けぬ不思議こそが、最高に面白いのだ。
さて、我らが会長様は今回何を引っ提げて来たのやら。楽しみ半分怖さ半分である。
「これ見てこれ!」
端末にはニュースサイトが映し出されており、内容は数日前に男子学生が自室で意識不明となって発見されたというものだ。
成る程、朝から校内が何やら浮き足立っているのはそのせいかと理解する。
「朝から噂、噂、噂の大安売りでさ、やばい薬に手を出したとか、霊に取り憑かれたとか、自分の将来に悲観的になって自殺を謀ったとか……」
「どれもまるで要領を得ない話ね。記事を読む限り、強盗の線が一番濃厚でしょうに」
メリーはディスプレイをタッチし読ませたい文章を選択して見せた。蓮子はそれを覗き込むように睨み付け、音読した。
「――男子学生の右義腕は持ち去られており、昨今頻発している身体補助器具窃盗事件との関連性が疑われている」
「そ、ようするに身体の一部を機械に置き換えた人が狙われる強盗事件、偶然にもうちの生徒が被害者になっただけの話よ」
「ふっふっふ、それは早計ってものよ」
蓮子は腰に手を当て、ハットの唾を指で摘まみ片目を瞑る。何やら決めポーズらしい。
「そう言うと思って、色々裏取ってきたのよねぇ。まずこれ!」
端末を操作、立ち上がったのは新聞形式のニュースアーカイブアプリだ。
今となってはニュースサイトが主流であるが、中には新聞という特殊な装丁を好む者もいる。スクラップという趣味もある程に。しかし紙媒体だけでは立ち行かない為、新聞の内容を電子データにより配信も行われている。
このアプリは新聞からスクラップするように、気になった記事を切り取り個人的なデータとして構成が出来るのだ。
メリーは蓮子のスクラップに目を通す。どれも件の強盗事件のものだった。
「その手の事件ってさ、第一報だけは大きいんだけど、第二報からは小さくなるんだよね」
「え? 全部見出しサイズよね、これ」
「違う違う、強盗の話ではなくて、被害者側の話。特に第一被害者以外はピックアップされづらいの」
言われて気付いた。確かに強盗側の話は回を重ねるごとに大きさを増すが、被害者側の扱いはえらくぞんざいになっていた。
新聞だけではない。ソーシャルメディアはいかに新鮮かつ刺激的な内容を提示するかが求められる。結果として初報は過剰なまでに報道し、享受する人々はそれにぐちゃぐちゃと雑多な言説を並べ立てる。
人の不幸は今や誰もが楽しめる最高級のエンターテイメントだ。
世も末である。
「でね、各被害者のそれ以降の動向なんかは小さい記事でちょこっとだけあったのね」
小さな記事をピンチし拡大。内容は――
「強盗事件の被害者、尚も意識不明のまま」
「その後が重要。意識不明者用介護システムの無償貸与と環境保証を『ASC』が約束ってあるでしょ? 」
「言いづらい会社の割には良いところあるじゃない」
「いやいや、おかしいおかしい。何の関連性も無いのに突然首突っ込んでくるなんて。そりゃあ社員が被害者なら分からない話でも無いけど?」
「宣伝目的じゃないの? 確かこの会社、前に義腕と義足をくれてたわよね。それと似たような感じで」
メリーの反論に蓮子は腕を組み、にやりと笑った。演技がかった一挙手一投足がいちいち腹立たしい。
端末を操作し、いくつかの画像ファイルと、それに添えられた文章のスクリーンショットを呼び出した。
「これは知人のデバガメ大好きな――」
「ハッキングって言うんじゃないこれ。明らかに世に出回らない警察保有の現場写真だもの。乙女の端末にこんなもの入っていたら千年の恋もあっという間に氷点下だわ」
「メリーは話の腰を折るなぁもぅ。でもまぁそういうこと。これは一連の事件の現場写真。そいで、ここをこう拡大して……」
画像を拡大すると、そこには『ASC』のロゴが入った箱が写っていた。画像は複数人分あったが、どれにも箱は写っている。
「そりゃあ補助器具メーカーの中でも大手だし、偶然って可能性は十二分にあるんだけど、自ら被害者に対する手厚い保証を打ち出す辺り……何かあると思わない?」
蓮子の言うように、確かに臭う。
が、これらは裏取りというレベルの信憑性ではないし、何より自社製品使用者に対する保証を大衆に見せることで信頼を得ようとしているだけとも言える。それにしては過剰とは思うが。
「後ろ暗いことがあると仮定して、真っ先に思い当たるのは強盗犯が関係者、もしくは機械的不具合の隠蔽よね。後者は被害者との繋がりが薄いから微妙だし、声の上がる件数がいくらなんでも少ないから、ちょっと弱いわね。やはり強盗犯が社内にいたってのが根拠としては強いかしら」
メリーは自前の小型端末を取り出しネットの声を検索していた。
ヒット件数は数百件程度、しかもそのほとんどが保証外の用途による破損を不具合と吹聴する輩によるものである。唯一見つけた初期不良による不具合の件も、早急な対応に対するプラスの声だった。
「って、だから私達はいつから探偵家業が生業になったのかしら」
「まぁまぁ。被害者が目を覚まさない理由がわからないって話だし、霊的ななにかを疑いたくはならないかねワトソン君」
「日頃の行動からしたら、むしろあなたがワトソンな気がするけどね」
ここまで話してみて、要点を脳内でまとめることにした。
まずは『ASC』の求人がこの学校に来た、という発端。また、同時に東京から多くの求人が来たことも忘れてはいけないであろう。
続いて、そんなタイミングで『ASC』製補助器具を使っていた生徒が流行りの『ASC』製品使用者を狙った強盗に襲われ、意識不明となったこと。
そしてその意識不明者の一部は快復していないということ。
最後に、それに伴った『ASC』の動きがキナ臭いということ。
ピースはまばらで、合わさりそうだがその実まるで絵面を形成しない。
故に、明らかにしてみたいと考えた。
「じゃあホームズ、次は何を調べたらいいと思う?」
にやつき妙に作った声色で聞いてくる蓮子。
さてどうしたものかと、すっかり冷めてしまった紅茶をマドラーでかき混ぜながら思案する。現状、何から手を付けるべきか分かりかねている状態なのだ。
優先順位を決める際、人それぞれに判断基準がある。〆切が近い、量が多い、すぐに片付けられるなど、理由は様々。しかし基準を作ることすら出来ないような触りの状況においては、迷うことに意味など無い。
「まずは、近場で済ませてしまうのが一番よね。実際」
首を傾げる蓮子に、ある事柄の申請書を提出するよう促した。
ある事柄とは、学生身分として大事なことである。
後の生活にも響くかもしれないのだ。お世話になっている先輩の御見舞いは。
◇◇◇
血液、内臓、骨格、筋肉、脂肪、皮膚。
どれを取ってもどうしようもない欠陥品だ。少しの環境、条件変化で容易く構造体としての機能を喪失し崩れてしまう。
前者を守る外殻を担うはずの皮膚は多少の損傷から、肉体保持に必須の血液を垂れ流してしまう。筋肉と骨格は比較的優秀なれど、強さを維持するにはコストが高過ぎる。環境変化により顕著に健常性を損なうのは見過ごせない。
そして血液、これが特に曲者であり、条件が偏ることで肉体に深刻なエラーを発生させ、バグを全身に伝播させてしまうことすらある。
このような脆弱な器の生命が、よくもこれまで地上において無事に暮らせてこれたなと、逆に感心するばかりである。
その生き残れてきた要因は、頭脳という器官にあるのだろう。
他の生命に比べて顕著に発達した思考器官は、弱き身体で生き残る為の知識を編み出し、自らよりも強い肉体を持つ者らさえも倒すことが可能となった。
思考処理速度に不満を抱いた一部の個体は、外部に新たな記憶領域を作り上げることでさらなる発展を促すことにすら成功している。
さらに、いわゆる魂と呼ばれる気質的な物に関しても、彼らは他を圧倒していると言えよう。脳による極度な思考能力が、魂を明確に強くしている。
これらのことから、頭脳及び魂のみが現在の形態を得た人類においては有用性が高い部位と言える。
今世界に現存する神はいない。いるのは神として祭り上げられた道化か、薄っぺらい自己顕示欲を肥大させた自称の神だけである。
聞けば神々をはじめとする神秘の者達は、最早世界に根を張ることが出来ないのだという。
現実主義、と言うらしい。
リアリスト達の思考は神を否定し、否定しうることで共感を得るのだ。
なんと憐れな話だろう。永らく神秘をオカルティズムとして鼻で笑ってきたツケである。
しかし、だからこそやり易い。
人類は気付いていない。へらへらと顔面に醜悪な笑みを貼り付けながら会話をしているそれらの中に、新たな神秘が芽吹こうとしていることを。
既に眷属は動き始めている。
人類を導き、進化させる新たな神を創造せんと。