2. 調査/疑惑
面識が無い人物の御見舞いなど、本来であれば御免被るのだが、そこはそれ。好奇心には変えられない。
宇佐見蓮子にとって猫をも殺すようなエンターテイメントは、灰色の日常に射した虹色の輝きである。
被害にあった生徒は別の霊能サークルに所属していたことが幸いし、御見舞いに当たって入院先へのアクセスと、病院への事前連絡はいともあっさりと許可された。
同じ霊能サークルと言っても、『秘封倶楽部』は半ば鼻摘み者であるため、生徒らからすれば不信の目を向けられかねない病院訪問。特に問題なく許可された辺り、教師側の認識とは上澄みを掬った程度なのだなと改めて思う。今回に限ればありがたい話だが。
被害生徒の概要をおさらいしておく。
名を東隆久。3回生。霊能サークル所属。
やる気無し、成績に起伏無し、彼女無し、サークルでの立場も特に無し。ただ医療関係者ゆえに親の金はあり。
ここまで親以外印象に残らない人物も、中々いない。配偶者を探すのに苦労しそうだ。医療分野でのコネはありそうだが。
一方で、『ASC』のそれをはじめとした、外部補助器具に対してはある種偏執的な拘りがあったらしく、定期的に換装を行っていたようだ。『ASC』の無料施術にも応募していたらしいと、同回生やサークル仲間から聞くことが出来た。
女っ毛の無い先輩を心配して突如として現れた二人の女学生、というのは如何にもと言ったシチュエーションであるが、誰一人として関係を疑い、掘り下げなかった辺り、彼の酔狂振りは押して知るべしと言ったところか。
地下を走るモノレール、代わり映えのしない暗闇を眺めながら、蓮子はブロック型の栄養食をモソモソと口に運ぶ。必要最低限の栄養価と、必要最低限の満腹感を得るには適しているが、なんとも味気無いものだ。あと、尋常でなく口内の水分を持っていかれるのもよくない。
一方、メリーはタブレット端末で何かを閲覧しているようだった。
最後の一欠けの栄養食を口に放ると、もごもごとしながら端末の画面を覗き込む。
「ちょっと、食べかす落とさないでよ」
「んぐ、落とさないわよ子供じゃないんだし……あ、落ちた」
「ったくもう……」
メリーは画面と服に落ちたチョコレート味の栄養食を払うと、イヤホンを片方蓮子に渡した。
受け取り装着すると、喧しい声が耳朶を打つ。見れば、それは討論バラエティー番組だった。
内容は昨今成長著しい日本企業についてである。
『エイデッドソウル社はそんな中でも抜きん出て業績を伸ばしています。数年前に行った第一級障害者、及び被験当選者を対象にした義腕・義足の無償提供、無償施術の実施以後、世界的にシェアを広げました。まだまだ医療分野には金脈が埋まっているということですな』
『最近ではフルリモートによる労働環境と、AIを搭載したロボットのみのオフィスが話題になりましたね』
『君らはそうやって持ち上げるがね、エイデッドって言やぁ与党議員との癒着が取り沙汰された金城製作が前進企業だろ。腕と足の無償提供だってその話が掘り起こされた直後に実施されたもんだから、誤魔化すなって散々言われていたのを忘れたのかね?』
『それは疑惑だけで結局証拠も出なかった話でしょう? 結果としてエイデッド社がこの国にもたらした経済効果は一企業が貢献できる平均の10倍は優に越えているのですから――』
『あのね、そういうことじゃあないんですよ。今や国を代表するレベルにのしあがった企業が政界をパトロンにした後ろ暗い内情だなんて恥ずかしくないんですか。しかもAIに仕事を任せたせいで雇用は伸び悩み、失業率上昇に拍車をかけているのだから、誉められたもんじゃないでしょ』
『失業率の上昇は別にエイデッドだけの責任ではないです。そもそもフルリモートという形となっただけで、首切りをしたわけじゃないのだから――』
なんとも中身の無い、いや、実が腐り落ちたような内容だ。
一企業の話を半ば無理矢理財政批判に摩り替えて、あたかも自分達こそが国を憂いている正義の使いだ、などと言いたげである。人の行いとは、シーソーのようにひとたび均衡が崩れれば自然と低きに流れ落ちてしまう。
何も出来ぬ、愚かな何者かの代弁者。
日本は世界的に見ても数少ない"成功"を納めた国とは言え、必死に足を引っ張り、負け戦を仕掛けさせ、悲劇こそが美しいとのたまう愚者によって引きずり下ろされようとしている。
己より長いものに巻かれなければ不安になり、巻かれれば巻かれたで長いものを批判する。国民性とも言えるかもしれない。
「世も末ね」
自然と零れたその言葉に、メリーは嘆息するに止めた。
蓮子はイヤホンを外しメリーの耳に捩じ込むと、新たに開封したフルーツ味のブロック栄養食に舌鼓を打ち始めるのだった。
駅を三つ越え、目的地に到着した。
東の入院している病院は駅の程近くにあり、改札を出るとすぐに大きな白い建物が見えたため、迷うことは無かった。
休日で診療が休みということもあり、病院は閑散としていた。
――いや、それだけではない。本来いるべき医療スタッフも一切いなかったのだから、静まり返るのも無理からぬ話だった。
敷設された受付端末を見れば、簡易的な内容であればAIによる処理で行われているらしい。
発行履歴にある場合に限り処方箋を出すことや、入院患者への面会手続き、異常があった際には即座にスタッフを呼ぶように設定されている、と、待合室のモニターに表示されている。
どうやら討論番組での話は強ち間違いでもないかもしれないなと、蓮子はモニターに映る笑顔のマスコットキャラを見やり、そう思った。
「三階病棟の303号室ですって。いつまでも子供みたいにモニターにかじりついてないで、行きましょ」
呆れた感じに叱咤され、苦笑しながら蓮子は合流し、メリーと共にエレベーターに乗る。
無音で上昇する箱に乗りながら、妙な居心地の悪さを感じていた。天井の端には黒く丸いものが取り付けられており、その奥から防犯用のカメラがこちらを見ている。普段はこんな居心地にはならないのだが、何故だろう。
明確に見られているという感覚がある。勿論、気のせいという可能性の方が高いだろう。
が、あるだろうか?
カメラが蓮子の視線に気付き、そのレンズを逸らすようなことなど。
「メリー」
「なぁに」
話してみるか。しかしそのまま口に出すのは憚られた。
だから遠回しに、かつ自分たち二人なら理解できるように。
「今何時ぐらい?」
メリーは一瞬だけ目を丸くすると、無表情を作りながら、何でもないようにありもしない腕時計を確認しつつ言った。
「2時を過ぎたぐらいよ」
現在時刻は2時ではない。が、メリーがそう言ったのは蓮子の意図を察したからである。
アナログ時計における2時の方向。そこには例のカメラがある。
何かを察し、蓮子の問いで改めて確信に至ったようだ。
なんとも、嫌な感じだ。
メリーは普段、外見に違わずののんびり具合――東北人並――であるが、稀に鋭さを見せる時がある。それが、結界の境目を見つけた時だ。
結界とは、その名から大半がイメージする通り、他の者を阻み隔絶する障壁だ。メリーはそれを見る力がある。
しかしその目が捉えるのは結界だけではない。魔術の行使はその規模に拘わらず痕跡を残す。魔術的なサークルであれば嫌でも身に付くものであるが、それは使った気がする、臭いがする、とかそんな程度のものだ。
が、メリーの瞳は明確に魔力の残滓を把握できる。曰く、靄のような、空間が歪んでいるような物が見えるのだという。つまり、魔術の行使がされていれば、一瞬にして感付く。
エレベーターが止まり、三階に到着した。
待合室と変わらず人の気配の無い廊下を歩く。大学と同じリノリウムの床を叩く二人分の足音が、いつもよりやかましく思える。
エレベーターを降りた先、突き当たりに目当ての303号室はあった。力の入らない患者でも開けられる半自動の扉を開く。白で統一された清潔感と、そこはかとなく落ち着かない病院が持つ独特な雰囲気、誰かが飾り付けたらしい花瓶の花と見舞の品。――そこに一定のリズムで呼吸し眠る東がいた。
奪われた腕を除いて身体には特に異常はなく、健康体であるのだが、意識が戻らないという状況から大部屋に入れるわけにもいかず、個室での預かりになったらしい。
わざわざ意識の無い東隆久に会いに来たのは理由がある。
事件現場の学生寮の一室は既に警察による鑑識が済んだ後だが、特殊な痕跡は見つけられていない可能性が高かった。
カビ臭い慣習が色濃く残る警察組織は魔術に絡む捜査は杜撰に過ぎる――何て言う話はよく聞く。実際、霊能捜査を渋ったことで解決が遅れ、問題となったケースは大きく報道された。
あの報道で警察側の体質が改善されていれば、事件捜査は大きく進展を見せることだろう。そうでなければ――二人にして見れば好都合である。
寮の一室には物理的な鍵以外に、身分証明となる二次元コードが必要になる。本来利き手に印字され、退寮時に除去処理がされるまでそこにあるはず。
が、利き手である右は義腕化されており、そして今無くなってしまっている。そもそも、生身の部位にしか二次元コードは印字しない決まりだ。
詰まるところ、印字部位は左腕に――
蓮子が東の左腕を確認しようとすると、メリーがそれを制す。
「どうやら鍵は必要ないみたい。彼の頭に、境目が開いてる」
「じゃあ誰か先にここへ来て開けていったってこと?」
「かもね。でもこれに飛び込めるなら、わざわざ不法侵入しなくて済むわ。まぁこれもある意味不法侵入だし、見つかれば余裕で罪に問われちゃうでしょうけどね」
「ちぇー、結局いつも通りじゃない。せっかく転写セット借りてきたのに」
むくれる蓮子にメリーは肩をすくめて返す。
だが次の行動に移るのは迅速だった。蓮子はメリーに歩み寄ると、静かに瞼を閉じる。さながら、ファーストキスをねだる乙女のような面持ちに思えてしまい気恥ずかしくあったが、これはそういう意図ではない。
メリーの能力によって結界の境目に飛び込むことは、あくまで本人のみが行えること。が、ある時から目を瞼越しに触れることでメリーが見ているものを蓮子も見ることが出来るようになっていた。
これはメリーの能力が進化していると見ていい。
結界の境目を見る程度の能力から、結界を操る能力に。
何にせよ、これは僥倖だ。
しかし疑問もある。
「しかし何で頭に結界?」
「見られたくないものがあるんでしょ」
「でも開いちゃってるわけでしょ?」
「そうね。誰かが余程彼の脳髄に興味があったと見えるわね」
結界は他を隔絶する目的で張られる。これを張ったのが東本人か、はたまた第三者なのかは分からないが、結果として記憶のセキュリティホールになってしまったのは皮肉である。
メリーは蓮子の目に触れ、東の頭に張られた結界に飛び込む。
まるで懐古的なSF映画にあるワープ航法のような絵面が瞳の水晶体を通して頭に流れ込んできた。実際は病室にいるのにも関わらず、まるで身体ごと記憶中枢へ引きずり込まれるような感覚。
強いて言うなれば、思い出旅行だろうか。
メリーとのペアチケットを握り、たどり着いたそこは想像していたよりも現実的であった。
イメージはいくつかあった。リアルな脳を駆け巡るもの、メルヘンな空間を跳ね回るもの、抽象的な世界を這い回るもの。
だが実際は、東が見聞きしてきた物によって形作られたリアル。
有り体に言えば、普段二人が見ているものと大差無い風景、校舎だった。
「これが頭ん中ってことは、今見えてるのは夢みたいなものじゃない? だから普段は出来ない不条理なこと出来るかと思っていたのに、とんだ期待はずれ。フツー」
蓮子は肩を落とし、嘆息する。
確かにねとメリーも少々落胆気味であるようだ。
わざわざ他人の頭を介して覗き込んだ先にあるのがこうも詰まらない世界では、探求心も削がれてしまう。
だが今はとりあえず、この世界における東の部屋へ行くのが先決だ。
夢とは記憶の整理であるのだという。ならば、彼が義腕を奪われ意識を取り戻さない原因となる出来事――あわよくばその実行犯と合間見えることが出来る筈だ。
「ガッカリもしていられないわね。病室に私達以外の誰かがいた痕跡があった以上、あまり長居もしたくないし。先輩の部屋は学生寮、立地が変わっていないことを願うばかりだわ」
「え? 立地は変わらないでしょ、記憶から出来てるなら」
「あのねぇ蓮子、人間の記憶の大半は曖昧な物なの。顔相モンタージュってあるでしょ? あれはそんな曖昧な部分をパーツに細分化、可視化することで犯人の人相に近付けていくという手法なのだけれど、実際は曖昧な記憶の中で無理矢理に判断してしまって捜査を混乱させることが多かった。犯人の顔の筈が、実は居合わせただけの警備員の顔だったなんて、よくある話よ」
「よくわからないなぁ。つまり?」
「つまり、興味がないものや咄嗟に見たものというのは案外覚えていないってこと。ほら、あれ」
メリーの指差す先、再現された校舎から出てきた生徒。顔がまるで塗り潰されたように見えなくなっている。
そして周囲をよくよく見れば、道にも微妙な差異があり、大まかな雰囲気は間違っていないが明確に別物とわかる。
確かにこれは厄介かもしれないと、蓮子は帽子を被り直しながら思った。
「私達の記憶やイメージに合致するところを行くのがいい。そうじゃないと、何が起こるかわからないもの」
完全に再現されたわけではない。だが逆に言えば合致した部分とは、東にとって日常的に使っていた道なのだろう。
床の傷、壁の染み、汚れたガラスに至るまで、細かく再現されていたのならば、そこを行くことこそ重要な記憶を辿るに近い筈だ。
「それも闇雲になるでしょうし、私達のイメージ通りではなく、異様なまでにディテールが凝っているところを見つけましょう。興味が薄くても、毎日通っていればそういう部分が自ずと出てくるものだし」
「成る程。曖昧な部分が薄い道であれば、最終的に部屋に辿り着くってことね。その方針で行きましょう」
メリーの同意を得て、改めて周囲を見渡した。
よくよく校舎を見れば、まるで曖昧な認識を見せつけられているかのような、如何ともし難い再現度であった。こうはならないだろう、という建築士が見たら卒倒間違いなしの形状をしている部分が非常に多い。
出来るだけ精巧に再現された場所を進む。
すると、部屋に辿り着く前に別の目標が眼前に立っていた。東本人である。
東は立ち尽くしており、こちらを見ても大した反応は無く、視線を動かし二人を見やると抑揚の無い口調で言った。
「今日は多くの人が私に会いに来ます。と言っても、君達で三人ですが」
その聞いていた人物像とは似ても似つかぬ口調に面食らう。証言からイメージした彼は、もっと俗っぽく、粗暴な口調であったからだ。
「なんだか思っていた感じと違うわね」
「昔資料で読んだことがある。人間の脳から記憶をコピーして擬似脳に保存しても、その人の人格形成には至らなかったってやつ。彼自身意識が無いから、これは記憶で形成された、ある種プレーンな人格なのよ」
蓮子は一歩前に出て、東に自己紹介する。
「東先輩、私は『秘封倶楽部』の宇佐見蓮子。こっちは同じサークルのマエリベリー・ハーン。今日は聞きたいことがあって、あなたの脳味噌くんだりまでやって来た次第です」
「酷いファーストコンタクトもあったものだわ」
メリーの横槍に顔をしかめつつ、蓮子は続けた。
「まず、あなたはこうなる前のこと。どこまで覚えていますか?」
明瞭な質問ではなく、曖昧な問いを投げ掛ける形。それはそうだ。二人には確固とした目的はなく、『ASC』がなにやら怪しい。強盗の被害者の彼から何か『ASC』に絡む話を聞けたなら御の字、という程度の動機なのだから。
が、ことはあっさりと転がり始める。
「私は意識を失う直前までの記憶を保持しています」
「それを教えてくれますか? あなたが意識を失う原因になった部分を」
「私は直前に、右腕用の義腕のエラーで苛立っていました。新しくしたばかりだったので余計に。そこに偶然義肢のアフターサポートの女性が来たのです。エラー信号を受けたと言っていました。私はその女性に文句を言いましたが、気が付いたら自分の首を右腕が掴み締め上げました。記憶はここまでです」
蓮子は想定していなかった返答に驚くも、眉をしかめるに留めた。メリーも表情を強張らせている。当たり前だ。あまりに予想外だったのだから。
意識不明の原因は強盗犯によるものですらない。己の一部である義腕が原因で、しかもアフターサポートが来たタイミングでそれが起きている。
こんなもの、想像出来るはずがない。
メリーは蓮子に代り、東に質問する。
「あなたが使用した義腕と、アフターサービスに来た女性の名前を教えて」
「少し前、希望者に無償提供された『ASC』製のミルアーチシリーズです。アフター担当者の名前は覚えていません。"金城製作アフターサポートの者です"としか名乗りませんでしたし、何分こちらも義腕のエラーで落ち着いていられない心持でしたから、名札等も確認していません」
やはり東隆久が使っていた義腕は『ASC』製のものだった。さらに己の首を締めるような致命的な誤作動までもが確認出来てしまった。僅かながらにあった可能性、機械的な問題の隠蔽が真実味を帯びてきた。
それであれば、証拠である義腕そのものを持ち去った理由にも一定の信頼がおけるだろう。
そして新たな可能性。一連の義腕義足の強奪が全て『ASC』によるものなどという、ある種陰謀めいた話にまで飛躍してもまるで無理を感じない状況証拠が揃いつつあった。
勿論、まだ確証までには至っていない。
「ふーむ……」
唸る蓮子に怪訝な表情を向けるメリー。
「どうしたの、変な顔して」
「今のメリーも大概だけどね。――ねぇここってさ、東さんの記憶で形作られてるのよね?」
「正確にはちょっと違うのよ。私達が入り込むことで、記憶という曖昧なものを無理矢理可視化した結果がこれなの。可視化の材料はその人間の持つ記憶だから、まぁ記憶で作られてると言えなくもないけど」
「じゃあさ、そのアフターサポートの女の人の顔とかわかるんじゃない?」
蓮子は稀に思い付きで話す。だがその思い付きもそこそこ鋭い。
が、そんな鋭い投球もストライクとはならず、限り無くストライクに近いボール球を見送りつつ、メリーは肩をすくめた。
「気持ちはわかるけど、それはムリよ。さっきも見たでしょう? 道行く人間の顔や、校舎の細部はメチャクチャだった。一度しか会ったことが無い上に、彼は激情に駆られていたようだし、相手の顔なんて覚えているわけないわ」
「なんだ、残念。顔さえ分かればあとは会社に乗り込んでその人を探すだけだと思ったんだけどなぁ」
そうは上手くはいかないか。蓮子は半分期待していただけに、半分だけ落ち込んだ。
帽子を取り、右手でクルクルと回して遊ぶ。
何にせよ進展はあった。あとは部屋の状況を一応見るために鍵を転写して調べてみよう。記憶は曖昧が過ぎることがわかった以上、記憶上の部屋には用はない。
行きましょうとメリーを促すと、東に背を向ける。
と、二人の背中に東は声をかけた。
「すいません。先ほどから言っているのは、アフターサポートの女性の顔のことでしょうか」
突然呼び止められ、面食らう二人が同時に振り返る。
二人の顔を交互に確認した後、東は変わらずに淡々とした口調でこう言った。
「その人の顔ならわかりますよ。先程会ったばかりですから」
◇◇◇
気が付けば日はすっかりと傾き、白い壁面のビル群を茜色に染め上げていた。季節的にも、さしずめ紅葉ならぬ紅壁と言った景観である。
開発が進むことで自然が無くなった、日本特有の季節感が失われた、そんな風にがなり散らす破滅論者も変わらずいないでもないのだが、これはこれで悪くないシチュエーションであるし、ある種季節が生み出す芸術的な装丁に見えなくはなかった。
両手の親指と人差し指でファインダーを作り、片目を閉じてそこを覗けばそれなりに胸打つトリミングが出来るというものだ。
「どういうことだと思う?」
季節感を喪失させているのは、こういう無愛想な発言なんだなと心底思い知った。
情緒の欠片もない単刀直入に、まるで自分が夢見がちな乙女にでもなった気分を一太刀のもとこそぎ落とされながら、蓮子はメリーに向き直ると返す刀、単刀直入に答えた。
「そのままの意味でしょう。私達が来る前にあの病室には犯人がいて、東隆久の頭を覗いてたってこと」
「私が聞いたのは、何故来たのかってことよ。証拠隠滅するなら最初に殺しててしまった方が確実だし、記憶へのパスを開く心得があるのに記憶の改竄は成されていなかった。東の頭を覗いて、犯人は一体何をしていたのかしら……?」
探偵よろしく顎に手を添え考えるメリーに、蓮子はやれやれと嘆息した。
いつも最初に手を引くのは蓮子なのだが、深みに嵌まりながらも先導し、気が付けば手を引かれる側になっている。まるで天邪鬼だ。だがそんなメリーを見ているのは楽しい。だからこその『秘封倶楽部』である。
「私は痕跡から心理分析が出来るーなんて便利な力は無いけれど、憶測ぐらいは立てられるわよ?」
「へぇ、どんなものかしら?」
納得させられるものならさせてみろと言わんばかりの表情で、メリーは腕を組んだ。
あくまでも憶測の域を出ないが――犯人が再び現れ、かつ口封じが目的ではないのなら、その意図は一つしかないだろう。
「犯人は、被害者のお見舞いに来ていたのよ!」
「そうでしょうね」
「え? いや……」
「花は親族の可能性が高いけれど、わざわざラッピングされた見舞の品を家族に類する人間が持ってくるかしら? 学友、という可能性もあるけれど、ちょっと高級に過ぎるわよね。なら目の前で倒れた顧客への見舞として『ASC』側が用意したってのが妥当。で? 憶測はそれだけ?」
完全に話の輿を折りに来ている。その不敵な笑みは蓮子の用意した推理を否定、ないし分かりきっていると一蹴する気満々のそれだ。
「えと――」
「私が聞きたいのは、責任者ではなくあえて現場に居合わせた女が見舞に来たのかということ。しかも東曰く、今日病室を訪れたのは三人。私達と女だけ。責任者と同伴で来たわけじゃあない」
「その――」
「ならば『ASC』というより、その女がやはり怪しい」
「でも――」
「頭を覗いたのが一人だって? 同伴者がいたらやるはずないじゃない。そもそもが違法だし、重ねて脅迫行為よ? 相手の記憶を知るなんてね。あ、そういえば彼言っていたわね。『別に彼女とは話をしたわけではない』って」
「喋らせてよ!」
「あら失礼」
ようやくメリーの演説を止めたところで、一つ咳払い。
現状、情報はあるようでいてあまりない。だが確実なことがある。
「セールスの女の人、どこかで見たことあるなと思ってたんだけど、メリーが話してる時ようやく思い出したの」
「話聞いてないじゃない」
「まぁまぁ、そこは軽く聞き流してよ」
「どの口が……」
「へへ。ほら、あれあれ」
蓮子はメリーを指差す。きょとんとするメリーに、改めて指の方を示す。人差し指はメリーを越えて後方、公共交通機関の停留所の広告スクリーンを指していた。
時間毎に変わる電光掲示板。発泡酒の広告がすぅと薄くなり、新たに現れたのは『ASC』のもの。
"あなたの魂に一助を"という大仰であるがフォントサイズは控えめなキャッチコピーの横、そこに映っていたのは――
「『ASC』の広告媒体の女性って、全部ロボットなんだよ。あー、だとしたら、お見舞いとして適任だよね。相手は昏睡状態なわけだから、ロボットに見舞いの品を持たせても、誰にも文句は言われないし」
新たな時代を表した広告。
しかしそれが二人にはある種の挑戦状に見えた。
犯人に繋がる有力な情報は、一つの見落としから雲散霧消したのだった。
◇◇◇
紅茶をかき混ぜたマドラーを指で玩びながら、メリーは苦々しい顔で思案していた。
東の記憶から生み出された疑似人格が教えてくれた女の顔。それがあまりに明確であり、思わず浮かれてしまったことに羞恥を覚え歯噛みした。
多少時間を空けて、かつ自分で気が付いたならこんな気持ちにはならなかったのだが、よりにもよって的外れな蓮子を煽っているタイミングでの逆襲染みた反論――本人は反論ではなく気付いたことの報告程度の認識のようだが――であったのだから、目も当てられない。
しかも、"広告でよく見るから顔が鮮明でもおかしくない"という、事前に蓮子に説明した記憶の話をより補完する形になってしまったのが尚のことメリーの心境を蝕んだ。
病院から戻り、いつものラウンジに着いたところで蓮子はソワソワしながら用事があると言い、別れた。
一人だからこそ、余計に自己嫌悪に陥る。勿論宇佐見蓮子という人間がそのようなことをネチネチと攻め立てるタイプでないことは、メリー自身が最も知っているのだ。
紅茶を一口。少し冷めている。
しかし、最近の求人が旧都ばかりという疑問符が並ぶ中、一番怪しさを放っていた――しかも眉唾な――企業に頭を突っ込んだ挙げ句、転がり転がって酷いことになったものだと我ながら感心する。
ふと、東隆久と今回の事件について考えた。
結局彼を襲ったらしい人物はおらず、無償施術された義腕、その制御周りのエラーが原因による事故が真実であった。強いて犯人を挙げ繕うのであれば、プログラムを構築した者か施術をした者が妥当――と言ったところか。
記憶を態々魔術的な方法によって覗いていたことから、単純な口止めではなく確実に証拠を隠滅したかったのが伺える。違法な手を使ってでもという辺り、その必死さは推して知るべしだ。
が、杜撰な魔術式だったのか、はたまた慌てていたのか。記憶へのパスこそ繋がったものの、改竄は出来ず、口止めも出来ず、入口はそのままというお粗末な後始末を見せ付けることに。
これらのことから、飛ぶ鳥を落とす勢いの企業のスキャンダル――類推は含むが――としてはかなりのものであったのだろうが、メリーにしてみれば徒労もいいところ。
デバガメが趣味の悪質なパパラッチであれば垂涎ものだが、生憎とワイドショーを鼻で笑いながら見る性質である。
こんなことなら人工衛星に関して調べていた方が建設的だったなどと、無くした時間に思いを馳せつつ、息せき切って走ってくる蓮子を視界の端で捉え、また無くなるであろう時間の工面について考え始めていた。