ベッドから起き上がり、わたしは片付けを再開した。
わたしが持ち込んだモノばかりに意識が集中していたけれど、転居するのだから、事務手続きもしないといけないわ。
わたしはタンスの引き出しから、旅券や保険証が入ったポーチを取り出した。ポーチの中には印鑑も入っており、一通りの事務手続きをこなすことは難なく出来そう。まとめてポーチの中に入っていて良かったわ。散らかっている部屋の中を探していたらそれだけで、日が暮れてしまいそうだから。
あらためてポーチに仕舞おうとすると、旅券の不自然な厚みに気が付いた。何が挟まっているのかしら。ページをめくり、確認すると一枚のカード、いえ。乗車券が挟まっていた。東海道五十三次の一枚が描かれた、卯酉新幹線ヒロシゲの乗車券。日付を確認すると初めて彼女の実家に行った日のモノだった。
ああ、こんなところに大事に仕舞っていたのね。
乗車券を見つめると、三年前のあの日のことがうっすらと思い起こされてきた。
「ねえ、蓮子。あの、ちょっと……」
「うん。なーに?」
「えっと……その」
「もう、メリーったら。どうしたの?」
「その……いくらなんでも、近すぎないかしら……」
「そうかな?」
蓮子の実家を訪れた日の夜のこと。わたしは、蓮子と同じ布団に入っていた。
メリーは私の部屋で良いよね、と言って蓮子は寝床を用意してくれた。蓮子と同じ部屋で寝ると分かったわたしは、どきどきしていたというのに、蓮子はわたしの心を知りもせずに敷布団を二つ繋げて用意した。
蓮子の顔が目の前にあって、直視することが出来ないぐらい恥ずかしいのに、蓮子はわたしを見つめてくる。
秘封倶楽部の活動を通して、わたしは蓮子に恋をしていた。
蓮子に最初に抱いていた感情は、尊敬や憧れだった。
わたしにない行動力と、はっきり物事を決める決断力。わたしにとっては輝きしい存在でこの人の傍に居たらいつしか自分も変われるのではないかと思っていた。けれども、蓮子はある倶楽部の活動日にわたしに言った。
「私ね、今まで一人で寂しかった。何をやるにしても、勝手に突っ走っちゃうから、後ろを振り向いたら誰も居なくて。でもね、メリーと会ってから一人じゃなくなったの。こんな私なのに、一緒にいてくれて、倶楽部の活動もしてくれて。だから私、メリーにすごく感謝してるの。ありがとう、私と一緒に居てくれて」
わたしが一方的に憧れていると思っていたのに、蓮子はそんなことを思っていたなんて。
憧れている蓮子から感謝されるなんて、思ってもいなかった。蓮子が望むのなら、ずっと、ずっとわたしは傍に居たいと思った。
その日を境に、わたしは蓮子のことをより意識するようになった。蓮子に対しての憧れと尊敬はいつしか恋心に変わった。倶楽部の活動日、蓮子と会うのが楽しみで仕方なかった。別れ際はとても寂しかった。次はいつ会えるのかしら。そんな考えがわたしの頭を支配するようになった。だから今日、こうして蓮子の実家に来たのでさえ、夢心地なのに、目の前にパジャマ姿の蓮子が居るのは気が気じゃなかった。
「メリー、そっちに行ってもいい?」
「――えっ……」
返事をする前に、蓮子はわたしの布団の中に入ってきた。
息をすれば蓮子の顔にかかってしまう。こんなにも近い距離ならいくら部屋が暗いといえ、わたしが緊張して顔を赤らめているのが蓮子に分かってしまう。
「ねえ、蓮子……近いわよ」
「うん。すごく近いね。メリーのこと、よく見えるよ」
「もう。何考えてるのか知らないけど、恥ずかしいからやめて欲しいわ……」
「メリーには分からないの? 私にはメリーの考えてること、分かるよ」
心臓を貫かれたような、衝撃を受けた。
蓮子はなんて言ったの。わたしの考えていること、本当に分かるの。
確かめたいと思った。でも、もし違ったら。
臆病なわたしは、蓮子にそれとなく、訊き返した。
「……何が分かるの?」
「メリーの気持ちだよ」
そう言って、蓮子はわたしに腕を回し、抱きついて来た。突然なことでどうしたらいいのか分らない。わたしは、蓮子に抱きしめられ、そのまま身体を固まらせるばかりだった。
「ごめんね、驚かせて。でもね、メリー。聞いて欲しいの」
「……うん」
「私はね、メリーと倶楽部の活動が出来て楽しいなって思ってたの。色々なことが出来るから。いつの日か倶楽部の活動が終わる別れ際。名残惜しいなって思ったの。楽しい時間が終わるから。最初はそう思っていたの……」
「うん……」
「気が付くと、わたしはメリーと一緒に居たいって思うようになったの。倶楽部の活動だけじゃない。ずっと一緒に居たいって思ったの」
わたしを見つめる蓮子の瞳は、とてもあたたかかった。わたしは、返事をする代わりに、蓮子のパジャマをぎゅっと、握った。
「親愛か、恋愛か。初めてのことだから、中々分らなったわ。でもね、これがきっと、好きという気持ちだと思うの。そうじゃないと、おかしいもの。だって、私、メリーのことが一番好きだから」
蓮子の言葉に、心がきゅうと、締め付けられる。
わたしは、どんな返事をすればいいのかしら。蓮子がしっかり誠意を持って答えてくれたのだから、わたしもちゃんと返さないと。
「あ、あのね、蓮子。わたしも、貴女のことが好きだから……あとだしでずるいかもしれないけれど、本当に蓮子のことが好きだから……」
「ずるくないよ。だってメリーはいつも、私のことを支えてくれるじゃない。傍に居てくれるじゃない。そんなあなたに、私は助けられているんだよ」
蓮子の言葉に、目元がじわじわと暖かくなってくる。暖かいモノは頬を伝い、そのまま枕を濡らした。
「ねえ、メリー……だいすき」
蓮子はそう言うと、わたしの唇に彼女のモノを重ねた。
わたしは目を閉じて、蓮子の唇を受けいれた。
蓮子がぎゅっと、わたしを抱きしめる。わたしも、蓮子を感じたくて、ぎゅっと抱きしめ返した。
乗車券に刻まれた日付はわたしにとって、彼女にとって、特別な日を示していた。忘れたくなくて、記憶にとどめようと、旅券に挟み大事に取っておいた。
彼女に気持ちを伝えられ、わたしの気持ちを伝えた時を思い出すと、自然と頬を涙が伝った。
涙はポタポタと溢れ、乗車券を湿らせる。
心に無数の針が突き刺さる痛みを伴いながら、わたしは彼女との思い出が刻まれた乗車券を透明なゴミ袋に丁寧に捨てた。
もう、わたしには必要のないモノだから。