「お、おねえちゃん。その、自分で歩けるからさ……もういい加減おろしてよ」
「ダァメ! 足下ふらついてたじゃない。せめて鈴奈庵までは、このまま送らせてもらうからね。今日はたくさん楽しませてくれたし」
「で、でも悪いよこんなの」
「気にしない気にしない。書庫の整理をするときなんかは、キミより重いもの持ち上げてたりするんだから、いまはおねえちゃんに甘えておきなさいって」
「…………」
博麗神社からの帰り道。
子狐は小鈴に背負われていた。
境内の階段を下りきったとき、子狐は緊張が解けたのか、彼はその場にへたりこんでしまったのである。本居小鈴に危機をもたらしてしまったこと、また、博麗の巫女に危うく正体が知られかけたことが、自分で思っていたよりも負担になっていたのだ。
立てなくなったところに小鈴が腰をおろし、おんぶしてあげる、と申し出があった。
おずおずとその言葉に甘えたが、やはり彼はその醜態を情けなく思っていた。
「今日は、本当にゴメン。まさかあんなことになるなんて」
素早く駆けつけてくれた二ッ岩マミゾウの機転のおかげで事なきを得たものの、あれは間違いなく九死に一生の出来事だったと子狐はふり返る。
だからこそ、小鈴には申し訳ないことをしたと反省しているのだ。
「もう謝るの禁止。つぎ謝ったら鈴奈庵に入れてあげないからね」
「えぇっ!?」
うんしょ、と背負いなおされ、子狐はその所作から溢れた甘い匂いに包まれる。目の前にある髪に顔をうずめたくなる衝動にかられるが、そこは理性が必死に引きとどめた。
(ああ……気がおかしくなりそう。僕はこんなときになに考えてるんだろう)
むず痒くなる鼻と胸。
謝罪と鈴奈庵の出入りとを天秤にかけ、彼女をとった自分を子狐は強く恥じた。
「私ね、今日はとても楽しかったんだよ」
「…………」
「男の子に初めて祭に誘われたし、初めて食べたものもあったし、男の子と二人で花火を見たのも花見をしたのも、初めてだったんだから」
「でも、そのせいでおねえちゃんが危険な目に」
「それも含めてよ。阿求に難癖つけられるのも、霊夢さんに睨まれるのも、よく知らない大人に襲われたのも、みんなキミがいてくれたから楽しく思えたの。あんなにドキドキしたの生まれて初めてだったわ」
「そ、それは喜んでいいのかな」
気落ちした自分を励ましてくれているのだろうけど、やはり納得はいかなかった。
守ると誓っていながら、結局は死を覚悟したのだ。二ッ岩マミゾウがいなければ、本居小鈴にも巫女からなにかしらの注意が飛んでいただろう。そのもしもに情けなくなる。
「あの狸の妖怪とは知り合いなの?」
「あ、うん。桜に変化させる術はあの人に教えてもらったんだ」
「そっか。だから、あのときキミを庇ってくれたんだね。お礼を言わないとなあ。機会があったら紹介してくれないかしら」
「そ、そうだね。向こうが会うって言ってくれたら……」
あなたも何度か会ってるけど、とは伝えないでおく。
そのとき、子狐は小鈴の着物についた泥を見つけた。
男に押し倒されたときだろう。せっかくの晴れ着だったのにと、子狐は眉根を寄せる。
「気にしないで。仕立ててくれたお母さんにはきっと怒られるだろうけど、どうせ滅多に着ないものだし、私なんかが着飾っても」
「そんなことないよ。出発前にも言ったけど、今日のおねえちゃんとてもキレイだよ」
「…………」
「うん。何度でもいうよ。今日だけじゃない。おねえちゃんはキレイだ」
うしろを振り向かれるのがイヤで、肩にまわした腕に力をこめる。
彼女の髪が間近にあって、それは触れてはいけない静謐なものに見えた。
結局、衝動を抑えきれずに顔を背中に押し当ててしまう。ドクンドクンと、早く脈打つ鼓動はいったい誰のモノなのか。
「も、もうっ。お世辞いったって、値引きもなにもしてあげないんだからね」
それからは他愛のない話をした。
最近手に入った妖魔本のことや、寺子屋で勉強したこと。
次の祭ではあれを食べよう、妖怪狸へのお礼の品はなにが良いかなど。
そんなことをしゃべっていたら、あっという間に鈴奈庵に到着する。
「歩ける?」
「うん、もう大丈夫だよ」
「よかった。寄り道せずに帰るのよ。今日はありがとう、誘ってくれて」
「ううん、こちらこそ」
「あ、そうだ」
言って子狐を地面に降ろしたあと、小鈴はあたりをキョロキョロと見回し始めた。
「……? どうしたの?」
「えっと、いまはこういうお礼の仕方しか思いつかないんだけどさ……」
小鈴は前屈みになり、子狐へと顔を近づけた。
右の頬にかかる髪を指で耳にかけ、チリン、と鈴の音をならし。
そして。
「…………」
子狐の額に触れる、少女の唇の柔らかな感触。
お香の匂いと、少しの汗のニオイ。
火照ったような熱気は、自分か彼女が緊張しているからだろうか。
「今日はかっこよかったよ。それじゃ」
口早足早に小鈴は鈴奈庵の中へ。
その後ろ姿はすぐに消えてしまう。彼女は挨拶を返せる猶予を与えてくれなかったのだ。
とはいえ、もし返事のできる猶予があったとしても、子狐は応えることができなかっただろう。
何が起きたのか理解がおいつかないほどに、思考ができなかったから。
額に唇がふれた。しかも彼女のほうから。
「…………」
呆然としながら自分の家へと足を向ける。言いつけどおり、寄り道はしない。
しだいに歩幅は大きくなっていく。
駆ける、駆ける、駆ける。
喜びに吠えたい気持ちを必死に抑え、表情は徐々に笑顔に。
トラブルはあったものの、子狐はデートの成功を確信した。
彼の足取りはリズムを奏でていく。喜びが体中が漏れ出し、寺子屋で覚えた人間の歌をスキップしながら口ずさむ始末だった。
キレイだった。
勇気を出せた。
彼女を守った。
自らに賛美を浴びせ、その高揚する気分は空を天を越えていく。
次はもっと自分も身なりを整えよう。
プレゼントを用意してあげるのも良いかもしれない。
今度会ったときにでも、さりげなく欲しいものがないか聞いておこう。
でも、相変わらず妖魔本がほしい、なんて言うかもしれない。
そんな想い人とのやりとりを妄想しては顔がにやけていく。
……そのときだった。
『こんの意気地なしめ! どうしてあそこで好きの一言がいえんのじゃ!』
不意の声に驚き、子狐は足をもつれさせ派手に転んでしまう。
式神から轟く物言い。
子狐はと化け狸によって、至福の未来をかき消されてしまうのだった。