辺り一帯には、薄く桃色がかった雲が濛々と立ち込めていた。周囲の景色も天候も、視界を遮る雲と吹きすさぶ風の轟音によって覆い隠されている。その奇妙な雲を掻き分けるようにしながら、一人の女がゆっくりと歩いていく。女の黒い装束の裾と長い髪が、向かい風に煽られて激しくはためいている。
やがて不意に風が止み、周囲を覆っていた雲が晴れ――それまで雲に覆われていた、一人の少女が姿を現した。
小さな岩にぐったりともたれかかる少女の体には、真新しい傷がそこかしこにあった。しかし彼女の目は、歩み寄ってくる女の姿に戦意の滾る視線を向けていた。
女は苦笑を浮かべて呟く。
「随分とてこずらせてくれたわね……」
女は足を止め、奇妙な雲に護られるようにして座っていた少女を見下ろした。
「さて……雲居一輪といったかしら? 何だか懐かしい名ね」
女の声に、少女はしばらく沈黙した後、はぁ、とため息をついた。彼女の肩の力が抜けていくのを見ながら、女は自己紹介を始める。
「私は聖白蓮。今は……そうね、魔法使いをやっているわ」
「へぇ、そうなの。で? その魔法使いが私に何の用?」
聖と名乗った女は、少女の投げやりな物言いに肩をすくめる。
「一輪。あなたに是非協力してもらいたいことがあって来ました」
「協力……?」
聖は微笑を浮かべて頷く。
「えぇ。私は、表向きは人々を妖怪から護る寺の主をしていますが……本当は、妖怪と人間の共存の道を探っているのです」
「はぁ」
「しかし、それはとても困難な道のりなのです。私一人では到底実現できそうにない。そこで、私は仲間を集めることにしました」
疑り深そうに眉根を寄せる一輪に、聖は腰を屈めてそっと手を差し出した。
「あなたも私と共に行きましょう。妖怪と人間が互いを傷つけ合わずに済む、そんな世界を実現するために」
一輪は差し伸べられた聖の手を見、そして聖の顔を見、皮肉な笑みを浮かべて言う。
「そんなこと、本当にできるのかしらね?」
■■■事件前夜■■■
●人狼●
大変な失敗をしてしまった。人狼である自分の正体が露見すればどうなるかくらい、身を以って知っていたはずだったのに。
日が暮れて夜闇に包まれた深い森の中、道なき道を私はがむしゃらに駆けていく。狼とは名ばかりで、人を喰らうことくらいしか能のない妖怪である人狼は、獣のように自由に森の中を走り回ることなど出来やしない。先ほど木のこぶに激しくぶつけた脛が、今になって猛烈に痛み始めている。
くそっ、何をやってるんだ私は……。
足を止めて心の中で毒づいたそのとき、森の中に自分以外の生き物の気配を感じて私は息を飲んだ。
獣の気配ではなかった。こんな時間に一体どんな人間が……? 山伏や坊主なら最悪だが、もし同胞だったら……。
「だ、誰かいるの?」
恐る恐る、暗闇に向かって話しかけてみる。すると闇の向こうから、掠れた声で返事が帰ってきた。
「えぇ……。その気配、あなたは……あなたも、人狼なのですか……?」
間違いない、同胞だ。聞こえてきた声は遠吠えと呼ばれる、人狼同士の間でだけ通じる言語だった。相手が遠くにいてもある程度は声を届かせることが出来る。今の話し相手の正確な位置は分からなかったが、ともかく同じ人狼が近くにいることは心強い。
「えぇ、そうよ、私も人狼。南の村を追われて逃げてきたの。そっちは……? どこから来たの?」
そう問いかけると、か細い声が帰ってくる。
「私は、西のほうからです、が……。そう、ですか……あなたも、村を、追われたんですか……。大変だった、でしょう、ね……」
姿の見えない同胞の声は、とても弱弱しかった。
「……大丈夫? 怪我してない?」
「はは、ちょっと、村人と揉めまして……。でもまぁ、とにかく、……向こうの村につくまでは、何とか……持ちこたえます」
「向こうの村?」
この先に村があるのだろうか。
「え、……ご存じなかったんですか。近くに、小川があります、よね……そこをずっと、北のほうへ行くと……小さな村が、あるらしいんですよ……。私は、そこを目指していて……」
「そうなの? あぁ助かった、このまま森の中で飢え死にするのかと……。よ、よしっ。私もそこを目指すことにするわ」
なんとありがたいことだ。仲間を得られた上、次の村の場所も分かるとは。
私は仲間に礼を言い、二人はそのままばらばらに村を目指すことにした。万が一侵入するところを見られたら、疲労の溜まっている私も、負傷しているらしい仲間もただでは済まない。こっそり音もなく忍び込み、……そして、誰にも気づかれることなく村人を喰らわなければならない。
それから半刻もしないうちに、小さな、本当に小さな村が見えてきた。私は村を囲む柵の前で立ち止まって深呼吸をする。
今度の村では、もう失敗はしない。決して正体を暴かれるような下手は踏まない。そう心に誓い、私は柵を静かに乗り越えた。
私がたどり着いたその村は、ごくごく小規模な村だった。家は十数軒しかなく、明かりがついているのはそのうちの半分にも満たない。
私は一番近くにあった小さな一軒家に足音を忍ばせながら近づいた。中からテレビの音声と少女の「あはは」というのんきな笑い声が聞こえてくる。家の戸を叩くと、中からどこか間の抜けた少女の声がした。
「ん? 誰だ? 太子様か?」
とてとてと軽やかな足音が聞こえ、その主は何の警戒もなく戸を開く。
「あれ、誰だお主は。この村にいたか? それとも……」
戸口に現れた銀髪の少女に、私は躊躇うことなくかぶりつく。
「ドゲェェェェェェ!!」
あまり優雅とは言えない悲鳴を上げ、不運な最初の犠牲者、物部布都は絶命した。
「え、えーと……ごほん。私は――違う。我は、そう。我は物部布都だ。布都ちゃんなるぞ。太子様のお供で都からはるばる旅をしてきた。森の中に小さな宿場町があると聞いて寄ったが、想像以上に小さく不便だったので、ここには一晩しか泊まらない、ということになった。その一晩のうちに、村へ侵入した人狼に喰われて死んでしまった。いやはや、何ともあっけない人生であった、と。うむ、そんな感じであろうな」
先ほど喰らった少女の姿に私の体が変身するまでの間、私――いや、我は部屋で一人喋り続ける。これは人間を喰った時の習慣だった。新たな体に馴染むために、そして周囲の人間の目を欺くだけの自然な話し方を身に着けるために、準備は入念にしなければならない。
我々人狼というのは、人間を喰らい、その人間の容姿と記憶を盗む妖怪だ。早い話が人間に成り代わることで生きながらえるという、なかなか厄介な種族なのだ。人間にとっても、我々自身にとっても。
容姿と記憶を盗むと言いつつ、実際はほとんど人格まで盗んでいるようなものだ。新しい肉体を手に入れてしばらくすると、次第に考え方もその肉体の元の持ち主に近づくようになり、数年もすれば自分が人狼であることを忘れてしまうほどにまでなる。すっかり人間になり切ってしまった後は、人間社会の一員として平穏に暮らしていくのだが、それでも人間を喰らったことに変わりはない。人を喰って成り済ます忌まわしい妖怪として、我々人狼はいつだって人間達から疎まれてきた。
正体が知られれば、この村でも、また……。
頭を振って嫌な考えを振り払い、四畳半一間の宿の畳に腰を下ろす。とにかく、我は今日から物部布都だ。布都として生きていくのだ。布都の記憶によれば、この村に一緒に来ている同僚の蘇我屠自古とは長い付き合いのようだし、布都の上司である豊聡耳神子は何やら人間界でも相当の地位にある聡明な人物らしい。この二人の目を欺くには、並大抵の演技では足りないだろう。
明日からは気合を入れて布都に成りすまさなければ、と私が決意を新たにしているとき、突然――
『村人の皆さん、起きてください。村人の皆さん、起きてください』
何の前触れもなく、ノイズがかった声が部屋に響き渡った。
声の主は、部屋に置かれた古いテレビだった。先ほど消したはずなのにいつの間にか電源が入っており、白黒のノイズを背景に映し出された人型の黒いシルエットが、男とも女とも判別しかねる電子的な声で喋り始める。
『おはようございます。突然ですが、“ゲーム”の開催をお知らせします。今宵、村に二匹の人狼が侵入しました。また、村人のうち、まだ人狼に喰われていない一人が占い師の能力に目覚めました。村人の皆様におかれましては、二匹の人狼の正体を突き止め、排除することに全力を尽くしてください。人狼の皆様におかれましては、村人達を欺き、生き延びるために全力を尽くしてください。村民の皆様のご健闘を心よりお祈りいたします』
な、何だ?
何が起こっている……? とりあえずはっきりしているのは、人狼がこの村に侵入したことが、既に何者かに把握されていることだ。二匹、というのは恐らく我と先ほど森で会ったあの人狼のことだろう。別々にこっそり侵入したはずなのにしっかり捕捉されているということは、……これは、もしかして法力による妖怪へのトラップなのか……?
我の混乱をよそに、テレビの音声は淡々と言葉を続ける。
『ルールの詳細につきましては、このテレビの下部にある、ルール説明のボタンを押してご確認ください。このゲームの経験者の方は必ずしもルールを読む必要はありませんが、未経験者の方は生き残るために是非一読することをおすすめします。なお、最も重要なルールだけをここで確認させて頂きます』
そこで音声は間を空け、最も重要なルールとやらがテロップつきで放送された、
『ゲーム進行中、ルールによって人間側、人狼側に死者が出たとしても、それぞれの陣営が勝利した場合、その陣営側の死者は全員生き返ります。敗北した陣営の村民は、ルール上一人も生き残ることはできず、ゲーム終了後に生き返ることもありません。引き分けの場合は、一切生き返りはありません。つまり、その時点での生存している村民は生きたまま、死んだ村民は死んだままとなります』
テレビに映った人影は消え、ブラウン管は再びモノクロの砂嵐で覆い尽くされた。
今のは一体……?
立ち上がり、戸口へ駆け寄る。嫌な予感はしていたが、案の定戸は押しても引いても叩いても開くことはなかった。間違いない。これは我々妖怪を捕らえるためのトラップだ。この手のトラップはこれまでも度々遭遇してきたが、しかし今回のは些か奇妙だ。
腑に落ちない点がいくつかある。人狼を捕らえたとわかっているのなら、どうしてとっとと始末してしまわないのだ? まんまと罠にかかった人狼をこの家に閉じ込めたのはいいとして、しかし今のところ誰かが我を始末しにやってくる気配もない。それに、さっきテレビの人影は変なことを言っていた。ゲームがどうこう、とか何とか……。
とにかく、このままでは埒が明かない。先ほどテレビの人影が言っていたことを思い出し、ルール説明とやらを聞くことにした。テレビの下部には「ルール説明」「能力メニュー(能力者限定)」「仲間と通信(狼限定)」などと書かれたいくつかのボタンが並んでいる。「ルール説明」のボタンを押してみると、再び砂嵐の前に黒い人影が現れ、この村の現在の状況を詳しく丁寧に解説し始めた。
それによってわかったことは、まず我は間違いなく人狼撃退用のトラップに引っかかったということ。それに加え、まだ完全にこの村から出られないと決まったわけではないということだ。何でも、この“ゲーム”というシステムは、その昔人間と妖怪の間で交わされたある約定に基づくもので、この村で人狼を捕らえた場合は直ちに処刑せず、村人と人狼の間であるゲームを行い、人狼がそれに打ち勝てば無傷で村を出て行くことができる、というものなのだそうだ。何かおかしいと思ったらどうやらこのシステム、その根幹は人為外の力によって作られたらしく、人間側と人狼側、そのどちらにも勝利の目が公平に与えられたゲームなのだという。恐らく、人間と妖怪の関係を悪化させる人狼という種族を疎んだどこぞの神か妖怪が、人間側への譲歩として設けたシステムなのだろう。そのこと自体は腹立たしい事この上ないが、それにもまして恐ろしいのはこのゲームのシステムの残酷さだった。
まず、何匹かの人狼が村に入り込み、村人に成り代わった時点でゲームは始まる。ゲームには村民全員(“村民”という言葉の中には村人に化けた人狼も含まれる)が参加し、数日かけて行われる。村人陣営と、その中に身を隠す人狼陣営に分かれ、互いに自らの陣営の勝利を目指して戦う。村民たちは規定のルールに則って、敵陣営の参加者を全員殺せば勝利となる。
しかしその殺し方は人狼側と人間側で異なっており、少々ややこしい。まず人狼は、夜のうちに誰でも好きな人間を一人選んでその家を襲撃、その人間を殺害する。このとき、殺害対象はどんなつわものであっても人狼による殺害に抗うことはできない。夜が明けると、殺害された人間は死体となって皆の目に晒される。その死体からは、その人間を殺した犯人に関するいかなる手がかりも得ることはできない。
次に人間側は、昼の間に誰が人狼なのか探るために話し合う。夕方になると村民全員で投票を行い、各々が最も人外であろうと怪しむ生存者を一人指名する。この投票には当然村人に化けた人狼も参加できるが、票は生存者一人につき一票ずつと定められている。自己投票や投票の放棄はできない。この投票で最も多くの票を得た村民は、有無を言わさず処刑される。こうして村人は人狼の排除を試みるわけだが、しかし処刑した村人が人間か人狼かは処刑してもわからない。純粋に、話し合いのみを通して人狼の正体を暴きだすことが求められている。
このようにして、一日に二人ずつ村の生存者は減っていき、先に相手陣営の生存者数をゼロにした陣営が勝利となるわけだ。そしてどちらかの陣営が勝利した瞬間、その陣営に属する「このゲームのルールによって死亡した全ての村民」が生き返る。但し、このゲームには引き分けがある。投票で最多得票者が二人以上いた場合、話し合いを挟まず即座に再投票が行われるが、その再投票でも最多得票者がただ一人に確定しなかった場合、このゲームは引き分けになる。引き分けになった場合はその時点での生存者はそのまま生存し、死者は生き返らない……。
……なるほど。
ええと……つまり、要約するとこういうことか。
我とあの人狼が生きてこの村を出るためには、この物部布都という人間になりすまし、自分以外の誰かを人狼と疑う演技をしつつ、村人がゼロ人になるまで生き残らなければならない、と。
「何なんだ、それは……」
半ば途方に暮れて呟いた。今度の村では平和に暮らしていこうと思っていたのに、こんなわけのわからん状況に陥るとは……。
と、つけっぱなしにしていたテレビのノイズ音が薄れたかと思うと、不意に見覚えのない人間の顔がブラウン管に現れた。
『……あら? 何かしら、これ』
見たことのない女だ。胸から上しか映っていないが、白く飾り気のない僧衣のような服に黒い頭巾を被っているのを見ると、尼僧のように見える。
『ねぇそこのあなた。もしかして、私の声が聞こえてる? ねぇ、人狼さん?』
「……ん? もしかして我に話しかけているのか?」
恐る恐る画面に向かってそう問いかけると、女は我の言葉に反応した。
『あぁよかった、ちゃんと繋がっているのね』
女は安堵の笑みを浮かべ、ちらりと背後を振り返った。女の背後には、我の部屋と同じような狭い部屋が映っている。どうやら、この女はこの村の別の家にいるらしい。
「お……お主は誰だ? 先ほど人狼とか何とか……あっ、もしかして、さっきの……!」
女はこちらへ向き直ると、えぇ、と頷く。
『さっき、あなたと一緒に村に来た人狼よ。名前は……今は雲居一輪という女の体を貰い受けたから、一輪と呼んでもらっていいわ』
「そ、そうか、一輪か! あぁよかった……」
ほっと胸を撫で下ろす。そうだ、我には味方がいるのだった。
「これは一体何なのだ? 何故お主と話すことができる?」
『これ、狼用のテレビ電話よ。説明を聞かなかったの? 狼同士は、夜の間にそれぞれの家のテレビが繋がって、会話することができるらしいのよ』
そういえばさっきそんなことを聞いた気がする。ゲームのルールの印象が強すぎてすっかり忘れていた。
「そ、そうか……そうだな。うん、そうだった」
『ところで、あなたの名前は? この人間――一輪の記憶では、あなたの姿を見たことはあっても名前は知らないみたいなんだけど……』
「あぁ我か。我は物部布都という。どうやら都の豪族の娘らしくてな。この村へは上司である豊聡耳神子と……」
『あ、待って!』
突然一輪が掌をこちらへ向けて制止の声を上げた。
「……どうした?」
『その布都という人間については、名前だけ知っていればとりあえずはいいわ。それ以上、ここでお互いの宿主の情報を知るのはよくない』
一輪の言葉の意味を数瞬咀嚼し、思い当たってぽんと手を叩く。
「あぁ、そうかなるほど。我らは今のところ、お互いの名前も知らないはず、ということなのだな?」
『えぇ、そうね。あなたについてほとんど知らないはずの私が、あなたの上司について必要以上に知っていることを悟られれば、それだけで疑われかねない。村人はこうしてテレビを通じて他の人と話すことは出来ないはずなのだから』
「そうか……うむ。これからは気をつけよう」
一輪はふと怪訝そうな顔をして
『どうかしたの? 何だか嬉しそうね、こんな状況なのに』
と尋ねた。
「いや何、我の仲間が頭の切れる奴でよかったと思ってな。……いや、その言い方はよくないか。我に仲間がいるというだけで、我は嬉しいのだ。これまで我と親しくしてくれた人間たちは皆、我の正体が人狼であると知って……その……簡単に掌を返したものだから」
一輪は興味深そうな表情で我の話を聞いている。
「考えてみれば、同胞とまみえたことなど何年振りかわからぬ。我々は群れない妖怪だからな。こういう状況に陥ってみて初めて、仲間がいるということのありがたみが身に染みてわかるというものだ」
『そう思ってもらえたのならよかったわ。私も、同じことを考えていたの。このゲームのルールは正直狼にとって厳しいかもしれないけど……あなたが味方だと知って、どんなに心強かったことか』
「いや、我はそんな……」
真正面からそんなことを言われると照れてしまう。
「そういえばお主、体の傷は大丈夫だったのか?」
『あぁ、そのことなら、新しい体を手に入れたからもう大丈夫よ。さっきまでは実際死に掛けていたけど。全く、運がよかったわ。あと少しこの村にたどり着くのが遅ければ、今頃森の中で力尽きていたでしょう』
「えっ!? そんなに酷い怪我だったのか?」
『え……?』
一輪はきょとんとしたが、すぐに得心したように言う。
『あぁ、暗くてよく見えなかったのね。私、さっきは虚勢を張っていたのよ。実際は、そう、大けがだったのよ。前にいた村で、その……人間にやられちゃって』
そこで彼女は言い淀み、視線を画面から逸らす。
「……そうか。何だか……大変だったんだな。お互いに」
『でももう大丈夫。あなたもいることだし。……二人で協力して、一緒にこの村を脱出しましょう』
「うん。うん……そうだな」
一輪の力強い言葉が、張り詰めていた我の心に少しずつ暖かく染み込んでいく。
だが、改めて目の前にある現実に冷静に目を向けると、二人で協力とは言ったものの、決して簡単に切り抜けられる局面ではないことに気づく。
「なぁ、一輪。このゲーム、どうすればいいと思う?」
『まずは疑われないことね。人狼らしく振舞わないようにするのは勿論だけど、下手に自分が村人だとアピールしすぎるのも危ないわ』
「アピール? っていうと?」
『例えばあなたの上司に、自分は人狼ではない、信じてくれ、って言いすがるとか。普段の物部布都が取るであろう言動よりも過剰に人間らしい言動を取るのも問題ね』
「うーむ、なるほど……。できるだけ冷静に物事を見たほうがいいということか?」
『冷静……。かといってあまりに冷静に振舞うのも、二つの方向から疑われかねないわ』
「ん? 二つの方向?」
一輪は、いい? と人差し指を立てて説明を始める。
『まず一点目。私達狼は、夜に狼に絶対に襲われないということを知っているわね。けど村人は違う。彼らは恐れているはずなのよ、いつ狼に襲われて死んでしまうかも分からないのだから。だから、話し合いの場でみんなが慎重になっているところで、一人だけ冷静に状況を分析していたら、襲撃される恐れのない狼だからこそ冷静になっていられるのかもしれない、と見られかねないわ。もう一点。狼にとって厄介な村人とは、冷静で頭のいい村人でしょう? だから、そういう村人は狼に狙われやすい。逆に言えば、あまりに頭が切れ、議論を村に利するように進める能力のある村民がいつまで経っても襲われなければ、その村民は逆に疑いの目で見られる可能性もあるの』
我は、はぁ、と気の抜けた返事をした。この一輪という人狼こそ、すごく頭が切れるらしく、頼もしいことこの上ないのだが、それでも昼の間は愚鈍な村人のふりをしなければいけないということか。
「なるほどな……。うむ。承知した。要するに、あくまで村人として考え、振舞わなければならない、と……」
村人として考え、か。
「……嫌な話だよな」
我の漏らした呟きに、ん? と一輪が興味を示す。
『嫌な話って?』
「だってそうであろう? 毎晩、襲われて死ぬかもしれない恐怖に怯えて過ごすのだ。村人たちは本当に恐ろしかろう。そして……そう、彼らを襲うのは、他ならぬ我なのだ……」
『……ねぇ』
「ん?」
『布都。あなたは人間が憎くはないの?』
一輪はどこか神妙な面持ちでそう問うた。
「……あぁ、そうであった、お主は人間にこっぴどくやられたのだったな。ならば恨みもあろう。我も、まぁ……前の村で正体が露見したとき、ありったけの敵意、殺意を向けられた。あのときは人間という種族全体を呪ってやりたくもなった。でもその……今はよくわからぬのだ」
『分からない?』
「ん、うん……。だって、我が人間として振舞っていたときは、あの村の人たちはとてもよくしてくれたし、我も彼らを……多分、信頼していたのだ。その後殺されかけはしたが、……それはただ、我が人狼だったという事実だけが彼らをそうさせたのであって、それは他種族に向ける殺意ではあっても、悪意ではなかったのではないか、と……」
一輪はしばらく黙り込んだ後、さぁ、どうなのかしら、とだけ返事をした。我の気持ちが揺らいでいることに、狼として不安を覚えているのだろうか。
「まぁ……いや、でも、この村ではもう、仕方がないのだな。やるしかないのだ。我は大丈夫だぞ、安心してくれ一輪。ちゃんと人狼のために戦うからな」
『……布都。初日犠牲者のことは覚えているかしら?』
「え? 初日?」
『まだゲームは始まっていないのだけど、狼は最初の犠牲者として今晩、誰か一人村人を襲うことができるのよ。つまり誰か一人は、ゲームが始まる前に脱落する』
「あ、そう、そうだった……」
そういえばそんな説明があったような気がする。このゲームは基本的に狼側が不利な気がするが、初手はこちらから打てるのだ。
『ねぇ、布都』
我の様子を頼りなく思ったのだろうか、一輪は宥めるような笑みを浮かべた。
『今日のところは、私が襲いに行くわ。あなたはそこで、明日からのことをよく考えていて』
「あぁ。……すまないな、気を使わせてしまって」
一輪は、いいえ、とだけ言って、画面の中から姿を消した。
○占い師○
一輪と布都が人狼会議を開いている頃、村のある家では、一人の少女がテレビにかじりつくようにして見入っていた。テレビのスピーカーからは音質の悪いドラムロールが流れている。
「さぁ……さぁ、どうなの……?」
緊張した面持ちで画面を眺める少女の両目に、じゃーん! という効果音と共に大きなテロップの文字が映りこむ。
テレビ画面には、次のように表示されていた。
『おめでとうございます! あなたが占った「――」は、人狼でした!』
□□□一日目・昼□□□
●人狼 物部布都●
窓の外の空が白み始めた頃、突然がちゃりと錠前の外れる音がして家の戸が開いた。外へ出てみると、家の前には丸い広場があった。どうやらこの村は、この広場を中心に同じ形の家が十数軒鈴なりに建ち並ぶだけの、本当に小さな寒村のようだった。
広場を円形に囲む家々から、村人達がわらわらと出てくる。
「おはよう」
「おはようございます」
「おはようだぜ」
村人たちは既に全員ゲームのルールを把握しているようだった。口々に朝の挨拶を交わした後、皆はきょろきょろと周囲を見回した。何かを探しているらしい。そのうち誰か一人が、こっちだ、と声を張り上げた。人々はわらわらと声のしたほうへ集まっていく。我も皆の後に続いた。
「うっ……」
人垣の中心に横たわるものを見て、思わずうめいてしまう。
ある家の戸口に、一人の女の死体が転がっていた。死体は酷い有様だった。辛うじて判別できることは、女が銀髪であり、メイド服のような瀟洒な格好をしているということだけだった。頭部からはその表情を覆い隠すほどに血が流れ出ており、それ以外にも体のあちこちに傷跡が見られる。乱暴に扱われたのか、メイド服も酷く土で汚れていた。
「人狼……」
その場にいる面子の中では一番年齢の高そうな、黒服の女がぽつりと呟いた。見ると、その女の隣には一輪の姿がある。一輪はこちらを見ようとはしない。どうやら我と目を合わせないようにしているようだった。
「ちょっと、いつまで死んだ人間を見ているのよ! 時間ないんだから、早くこっちへ来なさい」
少女の声がして振り返ると、死体を見ようともせず広場の中心に集まっていた三人の少女が目に入った。村民達はぞろぞろと広場の中心へ移動する。
そしていよいよ、村民九名による、人狼をあぶりだすための話し合いが始まった。
「さて、自己紹介はこれくらいでいいわね」
博麗霊夢と名乗った、赤い巫女服の少女が場を取りまとめるように言った。霊夢は元々この村の住人らしく、成り行きでこの場の進行役を務めていた。
我はぐるりと村民の顔ぶれを見回す。霊夢のほかにこの村に住んでいた少女が二人。緑色の髪の少女、東風谷早苗と、魔法使いのような可愛らしい衣装の金髪の少女、霧雨魔理沙だ。先ほど死体にさしたる関心を払わなかったのはこの三人だった。他の面子と比べると、彼女たちはえらく落ち着いているように見える。
そして我、物部布都とその同僚、蘇我屠自古、その二人の上司である豊聡耳神子の三人。三人は都の豪族であり、また政に携わる役人でもあった。特に豊聡耳神子は、国政に置いて最も重要な地位を占める人物らしい。
更に、黒いドレスを身にまとった背の高い女、聖白蓮と、彼女のお供である雲居一輪の二人。尼僧である聖とその弟子である一輪は、何やら世直しのようなことをしつつ各地を回っているらしい。
最後に、和服姿の小柄な少女、本居小鈴。彼女は方々から本を仕入れる仕事をしており、仕入れの道中でこの村に立ち寄ったらしい。
「この九人に、あそこでくたばってるメイドを含めて十人。うち二人が人狼で、一人が占い師と言うわけね。ま、この人数この配役でどっちが有利かはわからないけど、せいぜい頑張りましょう」
どこか投げやりな様子でそう言う霊夢の肩を、早苗が力強く叩く。
「霊夢さん! もっと気合入れていきましょうよ! 妖怪退治は巫女のお仕事なんですから。みなさんも、人間を喰う妖怪を許すわけにはいきませんよね? 力を合わせて退治しましょう!」
「へいへい。えっと、じゃぁとにかく、今後の方針について話し合おうぜ」
早苗の言葉を受け流し、議論の口火を切ったのは魔理沙だった。
「まず、今日九人だろ? 明日は七人、明後日五人、明々後日三人、と。一日に二人ずつ減っていくから、投票で処刑できる人数は四人だ。その四回の投票のうち、二回で人狼を処刑しなくちゃいけない。だよな?」
はきはきとした口調で魔理沙は話す。何だか、それほど人狼を恐れていないような口ぶりに聞こえるのは気のせいだろうか。
「基本的には怪しい奴に投票していくしかないんだが、この村には“占い師”がいるらしいな。我こそは占い師だって奴、いるか?」
魔理沙はそう言って人々の顔を見回した。
「ちょ、ちょっと魔理沙さん! 今占い師が現れるのが得策とは言えないと思います。占い師は我々にとって貴重なカードなんですから、まだ伏せておかないと」
早苗は人狼よりも占い師の正体に関心があるかのようにそう言った。
「あなた方は――」
それまで我の隣で腕を組んで様子を窺っていた神子が口を開く。
「それほどこのゲームを恐れていない様子ですね。もしかして、このようなゲームを以前にも経験されているのですか?」
「まぁね」
霊夢が面倒そうに応じる。
「そう多くはないけど。この村に昔誰かがそういう仕掛けを施したらしいのよ。人狼が現れたときにゲームを通して撃退するっていう、悪趣味な仕掛けをね。それで、私やそこの魔理沙、早苗は一回か二回くらいはこのゲームを生き延びている。そんな村に偶然立ち寄って巻き込まれるなんて、あんたたちもついてなかったわね。ご愁傷様」
神子はくすりと微笑んだ。
「いいえ、経験者が味方にいるのは心強いです。あなた方三人、その全員が人狼というわけにはいきませんからね」
「そう。ま、このゲームはあんまり他人をあてにしないほうがいいと思うけどね」
そこへ、あのう、と遠慮がちな声で誰かが割り込んだ。見ると、小鈴が恐る恐るといった様子で手を上げている。
「何? えっと。小鈴だっけ?」
「はい。さっき、占い師の話、出てましたよね。何で、占い師って名乗り出るのが、得策じゃないなんて言うんですか?」
「は? そんなこともわからないんですか?」
早苗は腕を組み、居丈高に小鈴を見下ろす。
「全く、昨晩あれだけ時間があったんだから、少しは考えておきましょうよ」
呆れたように首を振る早苗を抑えつつ、霊夢が小鈴に応じる。
「ま、慣れないとピンと来ないかもね。占い師ってのはどういう存在か、まずそこを理解してもらいましょう。確認だけど、占い師ってのは――」
占い師。それは恐らく、このゲームで人狼の次に重要な役職だ。
昨日のテレビの解説を思い出す。ゲーム開始と同時に、村人のうち誰か一人は占い師の能力を手に入れる。占い師は毎晩、生存者のうち誰か一人を占い、その村民が人狼か村人か知ることができる。人狼に比べると能力的に劣る村陣営は、この占い師の能力を頼りに推理を進めていくのだ。占い師の能力は事件前夜から使うことができる。つまり、占い師は既に誰かの正体を掴んでいるのだ。ことによると、我か一輪のうち、どちらかを既に人狼であると捕捉しているかもしれない……。
「で、占い師が誰であるのかを知らされるのは、村民の中で占い師本人だけ、と。ここまではいい?」
霊夢の端的な解説に小鈴は頷く。
「じゃぁよく考えてみて。もし占い師がここで名乗り出たら、狼はその占い師を生かしておくと思う?」
「あ……」
小鈴は霊夢の言葉の意味を理解したらしく、大きく頷いた。
「なるほど、すぐ殺されてしまうから、黙っていた方がいいってことですね。……それじゃぁ、一体いつ言えばいいんでしょうか?」
小鈴のその問いに、霊夢はうっと顔を顰めた。そこへ、神子が口を挟む。
「あまりそういう話をするのは得策ではないかもしれませんね。誰が占い師なのかはわかりませんが、いつ名乗り出るかは占い師本人の判断に任せましょう。急かしてカミングアウトさせてすぐに殺されても困りますし、黙ったまま殺されて何の情報も残らなかったなんてことになっても迷惑ですから」
「さすが太子様! 頭がいい!」
屠自古が神子を持ち上げる。我の記憶の中にある蘇我屠自古という人物像の通りだ。屠自古は、太子様こと豊聡耳神子を妄信とまでは言わないまでも、心の底から慕っている。それは我、物部布都も同じなのだが、一体どのくらい慕っている演技をすれば布都らしく見えるのだろう。
「ま、そもそもあのメイドが占い師だった可能性もあるけどな。その場合、占い師についてあれこれ話し合うのは時間の無駄ってことになる」
魔理沙が水を差し、屠自古に睨まれる。
そんな部下を尻目に、神子はまた霊夢たちの方へ向き直る。
「霊夢さん、魔理沙さん、早苗さん。経験者のあなた方に確認したいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「何?」
「この昼の間に私達に許されているのは、本当に話し合いと投票だけですか? つまり、例えば殴り合いは許されていますか?」
殴り合い……? 何を言い出すんだ、神子は。ちらりと隣の神子の顔を覗き込むが、平静なその表情からは彼女の考えを窺い知ることは出来なかった。
「そんなの、許されているわけないじゃない。ゲームにならないもの。会話以外に許されているのは本当に投票だけよ。投票は、昨日説明で聞いたと思うけど、これ」
霊夢は袖の中から木の札を取り出した。
「みんなの家の入り口にあるこの札に、それぞれ投票先の名前をペンで書くの。そして投票時間になったら全員でそれを見せ合う。名前を書くのは、昼の間ならいつでもいいわ。但し、一度書いた名前は取り消すことは出来ない」
「なるほど。では例えば、そのペンや札を他人に譲渡することは出来ますか?」
「やってみたらいいじゃない」
神子はそう言われ、徐にポケットから木の札を取り出すと我に差し出した。
「受け取ってください、布都」
「え? あ、はい」
言われたまま札を受け取ろうとするが、神子は札を離そうとしない。
「あの、太子様。手を離してもらわないと」
「……なるほど。布都、私は今、手を離そうとしているのですがね」
何だって?
我はそっと手を離す。確かに、神子が力を入れて札を離すまいとしているようには見えなかった。
「わかったでしょう。あくまでも、投票は自らの手によって行わなければならないのよ。そしてその投票によってしか人狼を殺すことは出来ない。投票に使うペンと札以外は、いかなる道具も用いてはならず、純粋に話し合いによって人狼を見つけなければならない。当然暴力行為も禁止。……そのルールがなかったら、人狼が尻尾を出すまで私が村人全員殴りつけてるわよ」
霊夢は暴力的なことを言い出す。しかしなるほど、霊夢の言っていることはもっともだ。霊力や法力のある人間にしてみれば、妖怪を見破ることなど容易い。現にそうして我も前の村を追われたのだ。
「私からも質問、いいかしら」
聖が手を上げた。
「状況は把握できたわ。それで、今日の投票は、一体誰に入れればいいのかしら」
「そんなの、各々が怪しい人に入れるしかないじゃない。それ以外に方法がないんだから」
霊夢はそう言うが、聖は首を振る。
「私達は誰に入れるべきか、この話し合いしか手がかりがないのよ。当然票はばらけるでしょう。でも狼は、きっと人狼同士でだけ通じる合図か何かを決めていて、二票をまとめて一人の人間に投票することが出来るはずだわ。そうしなくとも、人狼はまず自分の仲間には投票しないでしょう? なら、無計画に投票した場合、人狼より村人の方が処刑される可能性は高いんじゃないかしら」
合図か。しまった、昨晩のうちに何かしら決めておくんだった。敵の発言にヒントを貰うとは情けない。今夜、一輪に相談することにしよう。
「なるほどね。えーっと、聖さんだったかしら。あなたの言うことはほとんど正しいでしょうね」
でもね、と霊夢はため息混じりに言う。
「私は完全に自由な投票も、その投票先そのものが後々の推理材料になると思っているのよ。占い師に頼りきって慎重に事を運ぶより、直感に任せたほうがうまく行く場合もあると思うわ」
「あのー、それはちょっと言いすぎなんじゃないでしょうか」
早苗が口を挟んだ。何、と霊夢に睨まれるも、早苗は気にすることなく意見を述べる。
「やっぱり大事なのは占い師ですよ。直感は個々人で違うじゃないですか。占い師が生きていれば、その結果はみんなで共有できます。それなのに、今日そうやって適当に投票してもし占い師を処刑してしまったら、目も当てられないじゃないですか」
「九人のうち、占い師はたった一人なのよ? そう簡単に処刑されはしないわ。適当な投票ってあんたは言うけどね、適当なのは村人だけで、人狼ははっきりと意図をもって投票するの。仲間を処刑しないようにするっていう意図をね。その意図を透かして見るチャンスなのよ。大体、具体的にどうやって占い師を投票から守ろうって言うのよ」
「そう! それなんですけど、私にいい考えがあるんです!」
早苗は急に張り切りだして、広場の中心へと躍り出た。
「事前投票を行えばいいんですよ!」
「事前投票……?」
そうです、と早苗は得意げになって語りはじめる。どうやら、多くの人間の気を引くことが好きな性格らしい。
「投票の札は使いません。みんな広場の中心に円形に並んで、右手を空に掲げます。せーの、の合図で、みんな一斉にこれから投票しようと思っている人を指差します。その投票先は、基本的には本番の投票時も変えません。もしその時点で最も多く票を貰った人が占い師だったなら、これはもう仕方がないので占い師宣言をして、昨日の占い先を発表します。投票はその占い師以外で行います。占い師さんは噛まれてしまうかもしれませんが、いきなり本番で票を集めて何も言わずに処刑されるより、このほうがずっといいはずです。それに模擬投票とはいえ、基本的に投票先は変えないんですから、霊夢さんが言っていたようにこの事前投票結果は推理材料にもなりえるんじゃないでしょうか?」
早苗の提案に対し霊夢は即答せず、ふむ、と考え込んだ。
「どうです、皆さん」
早苗はぐるりと村民達の顔を見回した。
「私は悪くない案かと思いますが」
小鈴はそう言い、
「基本的に投票先は変えない、理由なく変えた場合は狼とみなす、という規定があれば、保険としては有効な手だと思うわ」
聖も同意した。
「聖さんの言ったような規定つきなら、通常の投票とさして変わりませんし、断る理由もなさそうですね」
神子もそう言い、屠自古は「まったくもってその通りです」と神子に追従する。我も頷いておいた。
村民たちの同意を受け、どや、と早苗は霊夢に胸を張る。霊夢は早苗の視線を鬱陶しそうに受け流すと、
「私もそれでいいわよ。もうあんまり時間も残ってなさそうだし、やるならさっさとやりましょう」
と言った。
かくして事前投票が行われることになった。気がつけば時刻はもう昼を過ぎ、日は傾き始めている。それほど多くの時間が経過したようには思えなかったし、そういえば誰も食事をしようとしない。現に我も、腹が減ったという実感はない。どうやらこの村、ゲームの開始と同時に特殊な結界によって時間の流れ方が外界と断絶されているらしい。
「それじゃぁいきますよ」
早苗の声に合わせ、全員が天空を指差した。
まずい、まだ誰を指さすか決めていなかった。どうしよう、とりあえず一輪ではないとしても……。
我が焦っていると、我の隣に立つ神子が小声で「早苗に」と口走った。早苗に入れろ、という指示か? あぁもう時間がない、ここはひとまず従っておこう。
「せーのっ!」
そして皆は一斉に、各々が怪しいと考える者を指差した。
その結果。
霊夢 → 早苗
魔理沙 → 小鈴
早苗 → 霊夢
神子 → 早苗
布都 → 早苗
屠自古 → 早苗
聖 → 早苗
一輪 → 布都
小鈴 → 布都
皆、黙って頭の中で投票結果を集計する。
つまり、こういうことだ。
霊夢 一票
早苗 五票
布都 二票
小鈴 一票
最多得票者、つまり今日の処刑は早苗になった。
「……決まりね。ね? 早苗」
霊夢が呆然と立ちすくむ早苗の肩に手を置く。
「な……」
早苗は震える声を搾り出す。
「何で、何でですか……! 何で私なんですか!」
「ちょっと早苗、抗議の前に言いなさいよ。あんた、占い師なの? 違うの?」
霊夢が慈悲もなくそう尋ねると、早苗は首を横に振る。
「いや違い……ます、けど……いや、だっておかしいでしょ、何ですかこの結果! まぁ、霊夢さんとはちょっと言い合っていたからいいとして……私も霊夢さんに入れてるし……でも聖さん! 神子さんも、屠自古さんも、布都さんも! なんで私に入れたんですか!? もっと入れるところあったでしょう!」
我と屠自古はそっと神子の顔を見る。神子は内心の窺い知れない無表情で早苗を見つめていた。
「だって、今、私村にとってためになる提案しましたよね!? 占い師を守ることって、これ村のためになるじゃないですか!」
「そうね。ならついでに占い師の代わりに黙って死になさいよ」
追い討ちをかける霊夢。
「んぐぅ……いや、おかしいでしょ! 村のためになることを言った人がどうして処刑されないといけないんですか!」
「……私は、あなたの提案はもっともだと思ったのよ」
聖はどこか諫めるような口ぶりで説明する。
「けどそれと同時に、どうしてあなたがそこまで占い師を気にするのか、それが気になったの。霊夢さんの言うとおり、例え皆が思い思いの相手に票を投じたとしても、占い師をここで処刑してしまう可能性はかなり低いわ。それこそ、あの死んだメイドが占い師だった確率とそう大して変わらないくらいにね。そして、占い師の存在を過剰に気にするあなたのその考え方がどこから来るのか考えたら、……あなたが狼であり、占い師の存在を村人よりも恐れているから。私はそう推論した。その恐れの裏返しとして、占い師を守るような作戦を立てたのではないかと」
聖の言葉が途切れると、人々の視線は自然と神子に集まった。神子は平然と投票の理由を述べる。
「私は聖さんとは違って、あなたを人狼であると疑っていたわけではありません。ただあなたが占い師ではないと思ったから投票したまでです。それがこの投票の目的と言うことでしたから」
神子の言葉に、傍らの屠自古がうんうんと深く頷き同意を示す。屠自古も我と同じで、恐らく自分で考えることなく神子の指示に従っただけなのだろうが、神子の意志に自分も貢献できたことを誇らしく思っている様子だった。
「そ、そんなぁ……」
早苗は膝を地面につき、がっくりと崩れ落ちた。そんな早苗の肩を、霊夢がぽんと叩く。
「占い師を守ろうとする奴ほど逆に人狼、ね。聖さんの言うことも確かに一理あるかもしれない。私もそれは考えに入れたわ。でも、私が早苗に入れた理由はどっちかっていうと別のところにある」
「え……? 霊夢さん、わ、私……どうして……?」
「あんたがうざかったからよ」
霊夢の一言に、早苗のみならずその場にいた全員が凍りついた。霊夢はそんな周囲の反応を歯牙にもかけず、やれやれといった様子で肩を鳴らした。
「正直、明日以降あんたと一緒に戦いたくなかったのよ。作戦を立案してくれるのは結構だけど、あんたの場合は目立ちたいだけっていうのが見えすぎているわ。今日はともかく、明日以降の戦いではその気質はきっと邪魔になる。ま、あんたが人狼であることを祈りましょう」
「れ、霊夢さん……そんな言い方ないじゃないですかぁ……」
「いいじゃない。これが本番の投票だったら、投票結果が出た瞬間にあんたは死んでいるのよ。自分が選ばれた理由を知ってから死ねるだけありがたいと思いなさいよ」
早苗はもう何も言い返す気力がないようだった。しかし霊夢の口は止まらない。
「全く、早苗もよく妖怪退治だなんて張り切れたわね。こんなの、妖怪退治でも何でもない。人狼なんかよりもっと力のあるどこかの妖怪の掌の上で、いいように遊ばれてるだけじゃない。あーあ。面倒な上に腹立たしいことこの上ないわ。妖怪なんてどいつもこいつもただ黙って退治されてればいいのに、何で私が人狼なんかと同じ舞台で、同じルールで戦わないといけないのよ。それが一番腹が立つ」
我は霊夢の話を聞きながら――次第に喉の奥に熱いものが溜まっていくのを感じていた。駄目だ、怒りを抑えなければ。ここで我が震えながら拳を握れば、その様子から怒りに震える人狼だと見抜かれてしまうかもしれない。だから我は、ただぽかんとした顔をして、馬鹿みたいに突っ立って霊夢の話に聞き入るほかなかった。
「人狼なんかってお前、その人狼のせいで命の危機に瀕してるんだぜ、私達は」
魔理沙が半ば呆れたように言った。
「人狼のせいじゃない。このゲームを設計した奴のせいでしょ。人狼? あんな人まねだけが取り得の何の芸もない妖怪、本来だったらちゃちゃっと種族ごと根絶できるのに。ったく、回りくどいったらありゃしない」
「まぁ、気持ちはわかるけどよ。そもそも妖怪は妖怪であるってだけで退治するのがお前の主義主張だからな」
「それは」
突然聖が口を開いた。
「あまり褒められた考えではないわね」
「何よ」
霊夢はきっと聖を睨みつけたが、聖は真正面から霊夢を見据え、諭すように話し出す。
「こういう状況にある以上、私も滅多なことを口にすることは出来ないわ。それでも、妖怪が妖怪であるというだけで退治するというのは、徳も低ければ考えも浅い」
「……あぁ、そういえば聖さん、あんた確かお寺の人だったわね。聞いたことがあるわ、どっかの旅の尼僧が、人と妖怪の共存を説きながら各地を回っているって。じゃぁ何? あんたは人狼に食べられても別にいいっていうの?」
「いいえ。そうは言っていないわ。私達はこの村に潜む人狼に立ち向かわなければならない。それはわかっているの。私はただ、寧ろこういう風に妖怪の脅威が明白になった状態こそ、人と妖怪の関係について見つめなおす機会だと思っているだけよ。私達が妖怪に対して抱く恐れの大部分は、その存在が不確かであるということに由来するわ。見えないから怖い、分からないから怖い、だから排除する。けどこの村はその脅威を可視化している。この村を生きて出ることが出来たなら、きっとこの村での経験は妖怪を理解する手助けになるはずだわ」
「皆さん」
聖の言葉を遮ったのか、あるいは言葉の切れ目を窺って言葉を挟んだのか定かではないが、
「そろそろ日が暮れます。投票の用意をしましょう」
神子のその言葉によって、妖怪に関する談義はそこで幕切れとなった。
投票時間が来ると、不思議なことに誰もが一斉に喋らなくなった。試しに声を出そうと試みたが、口が思うように動かない。投票時間は自由意思による発話が禁じられているらしい。
周りを見ると、もう全員札に名前を書き終えたらしい。我は慌ててペンを取り、早苗の名前を書き込んだ。
名前を書き終えると同時に札が何かに引っ張られるようにして手を離れ、皆の目の前に並んで浮かび上がる。そこで投票結果が発表されるという段取りらしい。今日の結果は……約束通り、投票先を変えた者はいなかった。
どさ、と誰かが倒れる音がした。見ると、東風谷早苗が地面に横たわっていた。何の外傷もなく、ただ疲れてうずくまっているだけのように見えたが、虚空を見つめたまま開かれたその目には既に生命の光は宿っていなかった。
■■■一日目・夜■■■
●人狼 物部布都●
その晩、我は家に帰ると真っ先にテレビをつけ、「仲間と通信」のボタンを押した。テレビ画面はすぐさま一輪の顔を映し出す。
『何とか生き残ったわね。この調子であと三回投票を逃れれば、私たちの勝ちよ』
「あぁ、……なぁ、一輪」
『ん? 何かしら?』
「今日、我らは誰か一人、村人を殺すんだよな……」
『えぇ、そうね』
「今日は、我が襲撃役をやっていいだろうか?」
一輪は押し黙り、じっと我の顔を見つめ、そして言う。
『あなた、……霊夢を襲う気ね?』
「……あぁ、そうだ」
やはり一輪は頭が切れる。あるいは、彼女も我とまったく同じ事を考えていたのかもしれないが。
『異論はないわ。人狼としても、彼女は議論を先導する立場にいる村人だったから、残しておくと追々脅威になってくる可能性がある、そういう意味では今除外しておくべきだし……それに、それ以上に彼女は思い上がっているわ』
一輪は声に怒気を含めて言う。
『確かに巫女の仕事は妖怪を退治することかもしれない。でも、それにしてもあの考え方は聞くに堪えなかったわ。融和も共存も、彼女の辞書には載っていないんでしょうね。本当に、私が襲いに行きたいくらい……』
「あ、いや……一輪は、霊夢のこと、そう思っていたのか……」
『え? 布都は……あなたは、彼女のあの物言いに何も感じなかったの? 人狼なら、いえ、妖怪なら怒りを覚えて当然でしょう?』
「我は……怒ってもいたかもしれんが、……それ以上に悲しかったのだ」
テレビの前の畳の上に座り、膝を抱え込む。
「人間にとって、妖怪ってやっぱり、そういうものなのだろうか、って……。妖怪であるというだけで、それ以外の何の理由もなく排除されるのだとしたら、我は、人間に紛れ込んで生きていく人狼という種族には、腰を落ち着ける場所なんてどこにもないんじゃないか。……そう思ったら、どうしようもなく悲しくなってきて……。これ以上、我は聞きたくないのだ。たぶん、彼女の言っていることは本当だろうから、もう、……」
『……ねぇ、布都』
「ん?」
『霊夢の考え方が、全ての人間に共通する考え方だと思わないほうがいいわ。もちろん私も恨みがないわけじゃない。でも私が喰らったこの人間、一輪の記憶の中にある人間という生き物は、そんなに捨てたものでもない。例えばあの聖と言う人間は、人間でありながら無闇に妖怪を退治しようとしないし、時には手を差し伸べることすらあるの』
とはいえ、と一輪は肩をすくめる。
『今は敵なのだから、その聖もいずれは殺さなければならないのだけど』
「うーん……」
一輪の考え方は、そのときそのときで言っていることは確かだし納得できるのだが、……人間にも妖怪に手を差し伸べる者がいるという箇所だけはどうにも受け入れられなかった。
『とにかく今夜の襲撃先はあなたに任せるわ』
「あぁ、ありがとう。あ、それとだな。一つ気になったことがあるのだが」
『何かしら?』
「その……お主を責めるわけではないのだが、一体なぜ我に投票したのだ?」
そう、今日の投票で我に入った二票のうち、一票は仲間であるはずの一輪から受けたものだったのだ。
「あのときはひやっとしたぞ」
一輪はくすくす笑いながら答える。
『あれはある意味当然でしょう。私たちが味方同士であると皆に知られてはならないんだから、形だけでも疑っているふりはしなくちゃ。一日目の投票は票が誰に集まるかわからない、だから一票でも貰ったら処刑される可能性が俄然高くなる。その一日目に相棒に投票するなんて、普通怖くてできないでしょう。だからこそ、逆に私たちの間につながりがないことを示す絶好の機会なのよ』
なるほど、言われてみれば納得できる。我はそんなこと考えもしなかったが。
『ただ、明日以降はどうなるかわからないけどね。人数が減ったら何かのはずみであなたに票が集まってしまうかもしれないから、そうやすやすと身内投票はできない』
「ふむ、なるほど。……あっそうだ、そういえば、合図を決めておかないか?」
『合図? あぁ、昼間誰かが言っていたわね』
「そうだ。今日の投票も結構危なかったであろう? 我に二票入っていた。早苗が吊られなければ、どうなっていたかわからぬ。だから、いざというとき我と一輪の間で通じる合図を決めておいたほうがいいと思うのだ。勿論、村人に見咎められないような、さり気無い物にする必要はあるが」
一輪も合図の必要性は感じていたらしく、その晩の時間を使って我らはごく簡単な合図を打ち合わせた。
合図は二種類だけに留めた。複雑な合図を多く決めても覚えられないし、間違えやすいからだ。
まず投票先の指定だが、相手の目線を捉えた後、分かりやすく二回続けて瞬きをする。その後、自分がこれから投票しようと思っている相手の方へつま先を向ける。合図は何回でも修正できるが、あまり多用しないように気をつける。
次に、発言に関する合図だ。これは具体的にいつ使うかはっきりとは決まっていないが、喋っているときに左右どちらかの手を握っていたら、その発言は自分の真意ではないことを意味する。
『よし、これでいざというときは票を固められるわね』
一輪のその言葉を聞いて、我はあることを思い出した。
「あぁ。……票固めといえば、今日ちょっと思ったことがあるのだが」
『何かしら?』
「我と屠自古が早苗を指さしたのは、神子にそう指示されたからだ。気付いていたか?」
『えぇ。恐らくみんな気付いたとは思うけど』
「我は、つまり物部布都という人間は表向きは神子の腹心の部下ということになっている。あの場では神子に逆らう素振りを見せるべきではないと思ってそうしたのだが」
『それは賢明だったわね。下手に逆らって後で説明を求められたら、あの神子のことだもの、うまくごまかすのは難しいでしょう。けどそうなってくると、神子は実質三票持っていることになる』
「あぁ。まぁ、我は従っているふりをしておいて裏切ることができるが、屠自古は今後も神子に付き従うであろう。元々屠自古という人間は神子にぞっこんというか、無条件の敬意を寄せているらしいから、神子が人狼であるという可能性ははなから念頭にないのだろう」
『……すると、ちょっと厄介かもしれないわね』
「あぁ、そうなのだ」
神子は一日目の話し合いでは比較的的確な発言をしていた。今後、優秀な村人であり、かつ二票分の投票権を持つ神子の存在は人狼にとって脅威となるかもしれない。
「とはいえ、神子は一日目は人狼を指差せなかった。占い師でない村民を処刑しようとしたという彼女の言が真意かどうかはわからんが、彼女が人狼を把握していないことだけがせめてもの救いか」
『そうね。私達はまだ気取られてはいないはず。神子は屠自古やあなたが自分に票を重ねてくると分かっていたでしょうから、もし彼女が人狼を把握していれば、人狼を指差さない理由は何もない』
我と一輪はこう考えていたが、実は、神子は我らが考えているよりもずっと大きな脅威だったのだ。
つまり、神子はこの時点で既に人狼を一人捕捉していた事が後になってわかるのだが……このときの我らはそこまでは想像が及ばなかった。
一輪との通信を切り、我は静かに家の戸を開けた。どうやら狼が襲撃にいくときはこの戸は開くらしい。
足音で人狼が把握されるようなことはないと思いたかったが、念のためできるだけ足音を忍ばせて霊夢の家に向かう。村にある家はどれも似たような作りだったため、我は一軒一軒表札を確かめながら霊夢の家を探した。
いざ霊夢の家の前まで来ると、どう襲撃すればいいかわからずしり込みしてしまう。今回は人間を喰って成り代わるわけではなく、ただ単に殺すだけなのだ。何と言ってこの家に入ればいいのだろう。殺す前にせめて一言謝っておこうか。
我がうじうじ悩んでいると、
「入っていいわよ」
突然家の中から霊夢の声が聞こえ、我は飛び上がりそうになった。
恐る恐る戸を押し開ける。戸の隙間から差し込む光に目が眩んだ。光に慣れてから改めて部屋の中を見回すと、テレビの前に一人、巫女服姿の少女が横たわっていることに気づく。
近づいていってその肌に手を触れる。まだ暖かいが、生命の脈動は感じられない。
博麗霊夢は、我が部屋を訪れただけで、ゲームのシステムによってその命を奪われたのだった。
やがて不意に風が止み、周囲を覆っていた雲が晴れ――それまで雲に覆われていた、一人の少女が姿を現した。
小さな岩にぐったりともたれかかる少女の体には、真新しい傷がそこかしこにあった。しかし彼女の目は、歩み寄ってくる女の姿に戦意の滾る視線を向けていた。
女は苦笑を浮かべて呟く。
「随分とてこずらせてくれたわね……」
女は足を止め、奇妙な雲に護られるようにして座っていた少女を見下ろした。
「さて……雲居一輪といったかしら? 何だか懐かしい名ね」
女の声に、少女はしばらく沈黙した後、はぁ、とため息をついた。彼女の肩の力が抜けていくのを見ながら、女は自己紹介を始める。
「私は聖白蓮。今は……そうね、魔法使いをやっているわ」
「へぇ、そうなの。で? その魔法使いが私に何の用?」
聖と名乗った女は、少女の投げやりな物言いに肩をすくめる。
「一輪。あなたに是非協力してもらいたいことがあって来ました」
「協力……?」
聖は微笑を浮かべて頷く。
「えぇ。私は、表向きは人々を妖怪から護る寺の主をしていますが……本当は、妖怪と人間の共存の道を探っているのです」
「はぁ」
「しかし、それはとても困難な道のりなのです。私一人では到底実現できそうにない。そこで、私は仲間を集めることにしました」
疑り深そうに眉根を寄せる一輪に、聖は腰を屈めてそっと手を差し出した。
「あなたも私と共に行きましょう。妖怪と人間が互いを傷つけ合わずに済む、そんな世界を実現するために」
一輪は差し伸べられた聖の手を見、そして聖の顔を見、皮肉な笑みを浮かべて言う。
「そんなこと、本当にできるのかしらね?」
■■■事件前夜■■■
●人狼●
大変な失敗をしてしまった。人狼である自分の正体が露見すればどうなるかくらい、身を以って知っていたはずだったのに。
日が暮れて夜闇に包まれた深い森の中、道なき道を私はがむしゃらに駆けていく。狼とは名ばかりで、人を喰らうことくらいしか能のない妖怪である人狼は、獣のように自由に森の中を走り回ることなど出来やしない。先ほど木のこぶに激しくぶつけた脛が、今になって猛烈に痛み始めている。
くそっ、何をやってるんだ私は……。
足を止めて心の中で毒づいたそのとき、森の中に自分以外の生き物の気配を感じて私は息を飲んだ。
獣の気配ではなかった。こんな時間に一体どんな人間が……? 山伏や坊主なら最悪だが、もし同胞だったら……。
「だ、誰かいるの?」
恐る恐る、暗闇に向かって話しかけてみる。すると闇の向こうから、掠れた声で返事が帰ってきた。
「えぇ……。その気配、あなたは……あなたも、人狼なのですか……?」
間違いない、同胞だ。聞こえてきた声は遠吠えと呼ばれる、人狼同士の間でだけ通じる言語だった。相手が遠くにいてもある程度は声を届かせることが出来る。今の話し相手の正確な位置は分からなかったが、ともかく同じ人狼が近くにいることは心強い。
「えぇ、そうよ、私も人狼。南の村を追われて逃げてきたの。そっちは……? どこから来たの?」
そう問いかけると、か細い声が帰ってくる。
「私は、西のほうからです、が……。そう、ですか……あなたも、村を、追われたんですか……。大変だった、でしょう、ね……」
姿の見えない同胞の声は、とても弱弱しかった。
「……大丈夫? 怪我してない?」
「はは、ちょっと、村人と揉めまして……。でもまぁ、とにかく、……向こうの村につくまでは、何とか……持ちこたえます」
「向こうの村?」
この先に村があるのだろうか。
「え、……ご存じなかったんですか。近くに、小川があります、よね……そこをずっと、北のほうへ行くと……小さな村が、あるらしいんですよ……。私は、そこを目指していて……」
「そうなの? あぁ助かった、このまま森の中で飢え死にするのかと……。よ、よしっ。私もそこを目指すことにするわ」
なんとありがたいことだ。仲間を得られた上、次の村の場所も分かるとは。
私は仲間に礼を言い、二人はそのままばらばらに村を目指すことにした。万が一侵入するところを見られたら、疲労の溜まっている私も、負傷しているらしい仲間もただでは済まない。こっそり音もなく忍び込み、……そして、誰にも気づかれることなく村人を喰らわなければならない。
それから半刻もしないうちに、小さな、本当に小さな村が見えてきた。私は村を囲む柵の前で立ち止まって深呼吸をする。
今度の村では、もう失敗はしない。決して正体を暴かれるような下手は踏まない。そう心に誓い、私は柵を静かに乗り越えた。
私がたどり着いたその村は、ごくごく小規模な村だった。家は十数軒しかなく、明かりがついているのはそのうちの半分にも満たない。
私は一番近くにあった小さな一軒家に足音を忍ばせながら近づいた。中からテレビの音声と少女の「あはは」というのんきな笑い声が聞こえてくる。家の戸を叩くと、中からどこか間の抜けた少女の声がした。
「ん? 誰だ? 太子様か?」
とてとてと軽やかな足音が聞こえ、その主は何の警戒もなく戸を開く。
「あれ、誰だお主は。この村にいたか? それとも……」
戸口に現れた銀髪の少女に、私は躊躇うことなくかぶりつく。
「ドゲェェェェェェ!!」
あまり優雅とは言えない悲鳴を上げ、不運な最初の犠牲者、物部布都は絶命した。
「え、えーと……ごほん。私は――違う。我は、そう。我は物部布都だ。布都ちゃんなるぞ。太子様のお供で都からはるばる旅をしてきた。森の中に小さな宿場町があると聞いて寄ったが、想像以上に小さく不便だったので、ここには一晩しか泊まらない、ということになった。その一晩のうちに、村へ侵入した人狼に喰われて死んでしまった。いやはや、何ともあっけない人生であった、と。うむ、そんな感じであろうな」
先ほど喰らった少女の姿に私の体が変身するまでの間、私――いや、我は部屋で一人喋り続ける。これは人間を喰った時の習慣だった。新たな体に馴染むために、そして周囲の人間の目を欺くだけの自然な話し方を身に着けるために、準備は入念にしなければならない。
我々人狼というのは、人間を喰らい、その人間の容姿と記憶を盗む妖怪だ。早い話が人間に成り代わることで生きながらえるという、なかなか厄介な種族なのだ。人間にとっても、我々自身にとっても。
容姿と記憶を盗むと言いつつ、実際はほとんど人格まで盗んでいるようなものだ。新しい肉体を手に入れてしばらくすると、次第に考え方もその肉体の元の持ち主に近づくようになり、数年もすれば自分が人狼であることを忘れてしまうほどにまでなる。すっかり人間になり切ってしまった後は、人間社会の一員として平穏に暮らしていくのだが、それでも人間を喰らったことに変わりはない。人を喰って成り済ます忌まわしい妖怪として、我々人狼はいつだって人間達から疎まれてきた。
正体が知られれば、この村でも、また……。
頭を振って嫌な考えを振り払い、四畳半一間の宿の畳に腰を下ろす。とにかく、我は今日から物部布都だ。布都として生きていくのだ。布都の記憶によれば、この村に一緒に来ている同僚の蘇我屠自古とは長い付き合いのようだし、布都の上司である豊聡耳神子は何やら人間界でも相当の地位にある聡明な人物らしい。この二人の目を欺くには、並大抵の演技では足りないだろう。
明日からは気合を入れて布都に成りすまさなければ、と私が決意を新たにしているとき、突然――
『村人の皆さん、起きてください。村人の皆さん、起きてください』
何の前触れもなく、ノイズがかった声が部屋に響き渡った。
声の主は、部屋に置かれた古いテレビだった。先ほど消したはずなのにいつの間にか電源が入っており、白黒のノイズを背景に映し出された人型の黒いシルエットが、男とも女とも判別しかねる電子的な声で喋り始める。
『おはようございます。突然ですが、“ゲーム”の開催をお知らせします。今宵、村に二匹の人狼が侵入しました。また、村人のうち、まだ人狼に喰われていない一人が占い師の能力に目覚めました。村人の皆様におかれましては、二匹の人狼の正体を突き止め、排除することに全力を尽くしてください。人狼の皆様におかれましては、村人達を欺き、生き延びるために全力を尽くしてください。村民の皆様のご健闘を心よりお祈りいたします』
な、何だ?
何が起こっている……? とりあえずはっきりしているのは、人狼がこの村に侵入したことが、既に何者かに把握されていることだ。二匹、というのは恐らく我と先ほど森で会ったあの人狼のことだろう。別々にこっそり侵入したはずなのにしっかり捕捉されているということは、……これは、もしかして法力による妖怪へのトラップなのか……?
我の混乱をよそに、テレビの音声は淡々と言葉を続ける。
『ルールの詳細につきましては、このテレビの下部にある、ルール説明のボタンを押してご確認ください。このゲームの経験者の方は必ずしもルールを読む必要はありませんが、未経験者の方は生き残るために是非一読することをおすすめします。なお、最も重要なルールだけをここで確認させて頂きます』
そこで音声は間を空け、最も重要なルールとやらがテロップつきで放送された、
『ゲーム進行中、ルールによって人間側、人狼側に死者が出たとしても、それぞれの陣営が勝利した場合、その陣営側の死者は全員生き返ります。敗北した陣営の村民は、ルール上一人も生き残ることはできず、ゲーム終了後に生き返ることもありません。引き分けの場合は、一切生き返りはありません。つまり、その時点での生存している村民は生きたまま、死んだ村民は死んだままとなります』
テレビに映った人影は消え、ブラウン管は再びモノクロの砂嵐で覆い尽くされた。
今のは一体……?
立ち上がり、戸口へ駆け寄る。嫌な予感はしていたが、案の定戸は押しても引いても叩いても開くことはなかった。間違いない。これは我々妖怪を捕らえるためのトラップだ。この手のトラップはこれまでも度々遭遇してきたが、しかし今回のは些か奇妙だ。
腑に落ちない点がいくつかある。人狼を捕らえたとわかっているのなら、どうしてとっとと始末してしまわないのだ? まんまと罠にかかった人狼をこの家に閉じ込めたのはいいとして、しかし今のところ誰かが我を始末しにやってくる気配もない。それに、さっきテレビの人影は変なことを言っていた。ゲームがどうこう、とか何とか……。
とにかく、このままでは埒が明かない。先ほどテレビの人影が言っていたことを思い出し、ルール説明とやらを聞くことにした。テレビの下部には「ルール説明」「能力メニュー(能力者限定)」「仲間と通信(狼限定)」などと書かれたいくつかのボタンが並んでいる。「ルール説明」のボタンを押してみると、再び砂嵐の前に黒い人影が現れ、この村の現在の状況を詳しく丁寧に解説し始めた。
それによってわかったことは、まず我は間違いなく人狼撃退用のトラップに引っかかったということ。それに加え、まだ完全にこの村から出られないと決まったわけではないということだ。何でも、この“ゲーム”というシステムは、その昔人間と妖怪の間で交わされたある約定に基づくもので、この村で人狼を捕らえた場合は直ちに処刑せず、村人と人狼の間であるゲームを行い、人狼がそれに打ち勝てば無傷で村を出て行くことができる、というものなのだそうだ。何かおかしいと思ったらどうやらこのシステム、その根幹は人為外の力によって作られたらしく、人間側と人狼側、そのどちらにも勝利の目が公平に与えられたゲームなのだという。恐らく、人間と妖怪の関係を悪化させる人狼という種族を疎んだどこぞの神か妖怪が、人間側への譲歩として設けたシステムなのだろう。そのこと自体は腹立たしい事この上ないが、それにもまして恐ろしいのはこのゲームのシステムの残酷さだった。
まず、何匹かの人狼が村に入り込み、村人に成り代わった時点でゲームは始まる。ゲームには村民全員(“村民”という言葉の中には村人に化けた人狼も含まれる)が参加し、数日かけて行われる。村人陣営と、その中に身を隠す人狼陣営に分かれ、互いに自らの陣営の勝利を目指して戦う。村民たちは規定のルールに則って、敵陣営の参加者を全員殺せば勝利となる。
しかしその殺し方は人狼側と人間側で異なっており、少々ややこしい。まず人狼は、夜のうちに誰でも好きな人間を一人選んでその家を襲撃、その人間を殺害する。このとき、殺害対象はどんなつわものであっても人狼による殺害に抗うことはできない。夜が明けると、殺害された人間は死体となって皆の目に晒される。その死体からは、その人間を殺した犯人に関するいかなる手がかりも得ることはできない。
次に人間側は、昼の間に誰が人狼なのか探るために話し合う。夕方になると村民全員で投票を行い、各々が最も人外であろうと怪しむ生存者を一人指名する。この投票には当然村人に化けた人狼も参加できるが、票は生存者一人につき一票ずつと定められている。自己投票や投票の放棄はできない。この投票で最も多くの票を得た村民は、有無を言わさず処刑される。こうして村人は人狼の排除を試みるわけだが、しかし処刑した村人が人間か人狼かは処刑してもわからない。純粋に、話し合いのみを通して人狼の正体を暴きだすことが求められている。
このようにして、一日に二人ずつ村の生存者は減っていき、先に相手陣営の生存者数をゼロにした陣営が勝利となるわけだ。そしてどちらかの陣営が勝利した瞬間、その陣営に属する「このゲームのルールによって死亡した全ての村民」が生き返る。但し、このゲームには引き分けがある。投票で最多得票者が二人以上いた場合、話し合いを挟まず即座に再投票が行われるが、その再投票でも最多得票者がただ一人に確定しなかった場合、このゲームは引き分けになる。引き分けになった場合はその時点での生存者はそのまま生存し、死者は生き返らない……。
……なるほど。
ええと……つまり、要約するとこういうことか。
我とあの人狼が生きてこの村を出るためには、この物部布都という人間になりすまし、自分以外の誰かを人狼と疑う演技をしつつ、村人がゼロ人になるまで生き残らなければならない、と。
「何なんだ、それは……」
半ば途方に暮れて呟いた。今度の村では平和に暮らしていこうと思っていたのに、こんなわけのわからん状況に陥るとは……。
と、つけっぱなしにしていたテレビのノイズ音が薄れたかと思うと、不意に見覚えのない人間の顔がブラウン管に現れた。
『……あら? 何かしら、これ』
見たことのない女だ。胸から上しか映っていないが、白く飾り気のない僧衣のような服に黒い頭巾を被っているのを見ると、尼僧のように見える。
『ねぇそこのあなた。もしかして、私の声が聞こえてる? ねぇ、人狼さん?』
「……ん? もしかして我に話しかけているのか?」
恐る恐る画面に向かってそう問いかけると、女は我の言葉に反応した。
『あぁよかった、ちゃんと繋がっているのね』
女は安堵の笑みを浮かべ、ちらりと背後を振り返った。女の背後には、我の部屋と同じような狭い部屋が映っている。どうやら、この女はこの村の別の家にいるらしい。
「お……お主は誰だ? 先ほど人狼とか何とか……あっ、もしかして、さっきの……!」
女はこちらへ向き直ると、えぇ、と頷く。
『さっき、あなたと一緒に村に来た人狼よ。名前は……今は雲居一輪という女の体を貰い受けたから、一輪と呼んでもらっていいわ』
「そ、そうか、一輪か! あぁよかった……」
ほっと胸を撫で下ろす。そうだ、我には味方がいるのだった。
「これは一体何なのだ? 何故お主と話すことができる?」
『これ、狼用のテレビ電話よ。説明を聞かなかったの? 狼同士は、夜の間にそれぞれの家のテレビが繋がって、会話することができるらしいのよ』
そういえばさっきそんなことを聞いた気がする。ゲームのルールの印象が強すぎてすっかり忘れていた。
「そ、そうか……そうだな。うん、そうだった」
『ところで、あなたの名前は? この人間――一輪の記憶では、あなたの姿を見たことはあっても名前は知らないみたいなんだけど……』
「あぁ我か。我は物部布都という。どうやら都の豪族の娘らしくてな。この村へは上司である豊聡耳神子と……」
『あ、待って!』
突然一輪が掌をこちらへ向けて制止の声を上げた。
「……どうした?」
『その布都という人間については、名前だけ知っていればとりあえずはいいわ。それ以上、ここでお互いの宿主の情報を知るのはよくない』
一輪の言葉の意味を数瞬咀嚼し、思い当たってぽんと手を叩く。
「あぁ、そうかなるほど。我らは今のところ、お互いの名前も知らないはず、ということなのだな?」
『えぇ、そうね。あなたについてほとんど知らないはずの私が、あなたの上司について必要以上に知っていることを悟られれば、それだけで疑われかねない。村人はこうしてテレビを通じて他の人と話すことは出来ないはずなのだから』
「そうか……うむ。これからは気をつけよう」
一輪はふと怪訝そうな顔をして
『どうかしたの? 何だか嬉しそうね、こんな状況なのに』
と尋ねた。
「いや何、我の仲間が頭の切れる奴でよかったと思ってな。……いや、その言い方はよくないか。我に仲間がいるというだけで、我は嬉しいのだ。これまで我と親しくしてくれた人間たちは皆、我の正体が人狼であると知って……その……簡単に掌を返したものだから」
一輪は興味深そうな表情で我の話を聞いている。
「考えてみれば、同胞とまみえたことなど何年振りかわからぬ。我々は群れない妖怪だからな。こういう状況に陥ってみて初めて、仲間がいるということのありがたみが身に染みてわかるというものだ」
『そう思ってもらえたのならよかったわ。私も、同じことを考えていたの。このゲームのルールは正直狼にとって厳しいかもしれないけど……あなたが味方だと知って、どんなに心強かったことか』
「いや、我はそんな……」
真正面からそんなことを言われると照れてしまう。
「そういえばお主、体の傷は大丈夫だったのか?」
『あぁ、そのことなら、新しい体を手に入れたからもう大丈夫よ。さっきまでは実際死に掛けていたけど。全く、運がよかったわ。あと少しこの村にたどり着くのが遅ければ、今頃森の中で力尽きていたでしょう』
「えっ!? そんなに酷い怪我だったのか?」
『え……?』
一輪はきょとんとしたが、すぐに得心したように言う。
『あぁ、暗くてよく見えなかったのね。私、さっきは虚勢を張っていたのよ。実際は、そう、大けがだったのよ。前にいた村で、その……人間にやられちゃって』
そこで彼女は言い淀み、視線を画面から逸らす。
「……そうか。何だか……大変だったんだな。お互いに」
『でももう大丈夫。あなたもいることだし。……二人で協力して、一緒にこの村を脱出しましょう』
「うん。うん……そうだな」
一輪の力強い言葉が、張り詰めていた我の心に少しずつ暖かく染み込んでいく。
だが、改めて目の前にある現実に冷静に目を向けると、二人で協力とは言ったものの、決して簡単に切り抜けられる局面ではないことに気づく。
「なぁ、一輪。このゲーム、どうすればいいと思う?」
『まずは疑われないことね。人狼らしく振舞わないようにするのは勿論だけど、下手に自分が村人だとアピールしすぎるのも危ないわ』
「アピール? っていうと?」
『例えばあなたの上司に、自分は人狼ではない、信じてくれ、って言いすがるとか。普段の物部布都が取るであろう言動よりも過剰に人間らしい言動を取るのも問題ね』
「うーむ、なるほど……。できるだけ冷静に物事を見たほうがいいということか?」
『冷静……。かといってあまりに冷静に振舞うのも、二つの方向から疑われかねないわ』
「ん? 二つの方向?」
一輪は、いい? と人差し指を立てて説明を始める。
『まず一点目。私達狼は、夜に狼に絶対に襲われないということを知っているわね。けど村人は違う。彼らは恐れているはずなのよ、いつ狼に襲われて死んでしまうかも分からないのだから。だから、話し合いの場でみんなが慎重になっているところで、一人だけ冷静に状況を分析していたら、襲撃される恐れのない狼だからこそ冷静になっていられるのかもしれない、と見られかねないわ。もう一点。狼にとって厄介な村人とは、冷静で頭のいい村人でしょう? だから、そういう村人は狼に狙われやすい。逆に言えば、あまりに頭が切れ、議論を村に利するように進める能力のある村民がいつまで経っても襲われなければ、その村民は逆に疑いの目で見られる可能性もあるの』
我は、はぁ、と気の抜けた返事をした。この一輪という人狼こそ、すごく頭が切れるらしく、頼もしいことこの上ないのだが、それでも昼の間は愚鈍な村人のふりをしなければいけないということか。
「なるほどな……。うむ。承知した。要するに、あくまで村人として考え、振舞わなければならない、と……」
村人として考え、か。
「……嫌な話だよな」
我の漏らした呟きに、ん? と一輪が興味を示す。
『嫌な話って?』
「だってそうであろう? 毎晩、襲われて死ぬかもしれない恐怖に怯えて過ごすのだ。村人たちは本当に恐ろしかろう。そして……そう、彼らを襲うのは、他ならぬ我なのだ……」
『……ねぇ』
「ん?」
『布都。あなたは人間が憎くはないの?』
一輪はどこか神妙な面持ちでそう問うた。
「……あぁ、そうであった、お主は人間にこっぴどくやられたのだったな。ならば恨みもあろう。我も、まぁ……前の村で正体が露見したとき、ありったけの敵意、殺意を向けられた。あのときは人間という種族全体を呪ってやりたくもなった。でもその……今はよくわからぬのだ」
『分からない?』
「ん、うん……。だって、我が人間として振舞っていたときは、あの村の人たちはとてもよくしてくれたし、我も彼らを……多分、信頼していたのだ。その後殺されかけはしたが、……それはただ、我が人狼だったという事実だけが彼らをそうさせたのであって、それは他種族に向ける殺意ではあっても、悪意ではなかったのではないか、と……」
一輪はしばらく黙り込んだ後、さぁ、どうなのかしら、とだけ返事をした。我の気持ちが揺らいでいることに、狼として不安を覚えているのだろうか。
「まぁ……いや、でも、この村ではもう、仕方がないのだな。やるしかないのだ。我は大丈夫だぞ、安心してくれ一輪。ちゃんと人狼のために戦うからな」
『……布都。初日犠牲者のことは覚えているかしら?』
「え? 初日?」
『まだゲームは始まっていないのだけど、狼は最初の犠牲者として今晩、誰か一人村人を襲うことができるのよ。つまり誰か一人は、ゲームが始まる前に脱落する』
「あ、そう、そうだった……」
そういえばそんな説明があったような気がする。このゲームは基本的に狼側が不利な気がするが、初手はこちらから打てるのだ。
『ねぇ、布都』
我の様子を頼りなく思ったのだろうか、一輪は宥めるような笑みを浮かべた。
『今日のところは、私が襲いに行くわ。あなたはそこで、明日からのことをよく考えていて』
「あぁ。……すまないな、気を使わせてしまって」
一輪は、いいえ、とだけ言って、画面の中から姿を消した。
○占い師○
一輪と布都が人狼会議を開いている頃、村のある家では、一人の少女がテレビにかじりつくようにして見入っていた。テレビのスピーカーからは音質の悪いドラムロールが流れている。
「さぁ……さぁ、どうなの……?」
緊張した面持ちで画面を眺める少女の両目に、じゃーん! という効果音と共に大きなテロップの文字が映りこむ。
テレビ画面には、次のように表示されていた。
『おめでとうございます! あなたが占った「――」は、人狼でした!』
□□□一日目・昼□□□
●人狼 物部布都●
窓の外の空が白み始めた頃、突然がちゃりと錠前の外れる音がして家の戸が開いた。外へ出てみると、家の前には丸い広場があった。どうやらこの村は、この広場を中心に同じ形の家が十数軒鈴なりに建ち並ぶだけの、本当に小さな寒村のようだった。
広場を円形に囲む家々から、村人達がわらわらと出てくる。
「おはよう」
「おはようございます」
「おはようだぜ」
村人たちは既に全員ゲームのルールを把握しているようだった。口々に朝の挨拶を交わした後、皆はきょろきょろと周囲を見回した。何かを探しているらしい。そのうち誰か一人が、こっちだ、と声を張り上げた。人々はわらわらと声のしたほうへ集まっていく。我も皆の後に続いた。
「うっ……」
人垣の中心に横たわるものを見て、思わずうめいてしまう。
ある家の戸口に、一人の女の死体が転がっていた。死体は酷い有様だった。辛うじて判別できることは、女が銀髪であり、メイド服のような瀟洒な格好をしているということだけだった。頭部からはその表情を覆い隠すほどに血が流れ出ており、それ以外にも体のあちこちに傷跡が見られる。乱暴に扱われたのか、メイド服も酷く土で汚れていた。
「人狼……」
その場にいる面子の中では一番年齢の高そうな、黒服の女がぽつりと呟いた。見ると、その女の隣には一輪の姿がある。一輪はこちらを見ようとはしない。どうやら我と目を合わせないようにしているようだった。
「ちょっと、いつまで死んだ人間を見ているのよ! 時間ないんだから、早くこっちへ来なさい」
少女の声がして振り返ると、死体を見ようともせず広場の中心に集まっていた三人の少女が目に入った。村民達はぞろぞろと広場の中心へ移動する。
そしていよいよ、村民九名による、人狼をあぶりだすための話し合いが始まった。
「さて、自己紹介はこれくらいでいいわね」
博麗霊夢と名乗った、赤い巫女服の少女が場を取りまとめるように言った。霊夢は元々この村の住人らしく、成り行きでこの場の進行役を務めていた。
我はぐるりと村民の顔ぶれを見回す。霊夢のほかにこの村に住んでいた少女が二人。緑色の髪の少女、東風谷早苗と、魔法使いのような可愛らしい衣装の金髪の少女、霧雨魔理沙だ。先ほど死体にさしたる関心を払わなかったのはこの三人だった。他の面子と比べると、彼女たちはえらく落ち着いているように見える。
そして我、物部布都とその同僚、蘇我屠自古、その二人の上司である豊聡耳神子の三人。三人は都の豪族であり、また政に携わる役人でもあった。特に豊聡耳神子は、国政に置いて最も重要な地位を占める人物らしい。
更に、黒いドレスを身にまとった背の高い女、聖白蓮と、彼女のお供である雲居一輪の二人。尼僧である聖とその弟子である一輪は、何やら世直しのようなことをしつつ各地を回っているらしい。
最後に、和服姿の小柄な少女、本居小鈴。彼女は方々から本を仕入れる仕事をしており、仕入れの道中でこの村に立ち寄ったらしい。
「この九人に、あそこでくたばってるメイドを含めて十人。うち二人が人狼で、一人が占い師と言うわけね。ま、この人数この配役でどっちが有利かはわからないけど、せいぜい頑張りましょう」
どこか投げやりな様子でそう言う霊夢の肩を、早苗が力強く叩く。
「霊夢さん! もっと気合入れていきましょうよ! 妖怪退治は巫女のお仕事なんですから。みなさんも、人間を喰う妖怪を許すわけにはいきませんよね? 力を合わせて退治しましょう!」
「へいへい。えっと、じゃぁとにかく、今後の方針について話し合おうぜ」
早苗の言葉を受け流し、議論の口火を切ったのは魔理沙だった。
「まず、今日九人だろ? 明日は七人、明後日五人、明々後日三人、と。一日に二人ずつ減っていくから、投票で処刑できる人数は四人だ。その四回の投票のうち、二回で人狼を処刑しなくちゃいけない。だよな?」
はきはきとした口調で魔理沙は話す。何だか、それほど人狼を恐れていないような口ぶりに聞こえるのは気のせいだろうか。
「基本的には怪しい奴に投票していくしかないんだが、この村には“占い師”がいるらしいな。我こそは占い師だって奴、いるか?」
魔理沙はそう言って人々の顔を見回した。
「ちょ、ちょっと魔理沙さん! 今占い師が現れるのが得策とは言えないと思います。占い師は我々にとって貴重なカードなんですから、まだ伏せておかないと」
早苗は人狼よりも占い師の正体に関心があるかのようにそう言った。
「あなた方は――」
それまで我の隣で腕を組んで様子を窺っていた神子が口を開く。
「それほどこのゲームを恐れていない様子ですね。もしかして、このようなゲームを以前にも経験されているのですか?」
「まぁね」
霊夢が面倒そうに応じる。
「そう多くはないけど。この村に昔誰かがそういう仕掛けを施したらしいのよ。人狼が現れたときにゲームを通して撃退するっていう、悪趣味な仕掛けをね。それで、私やそこの魔理沙、早苗は一回か二回くらいはこのゲームを生き延びている。そんな村に偶然立ち寄って巻き込まれるなんて、あんたたちもついてなかったわね。ご愁傷様」
神子はくすりと微笑んだ。
「いいえ、経験者が味方にいるのは心強いです。あなた方三人、その全員が人狼というわけにはいきませんからね」
「そう。ま、このゲームはあんまり他人をあてにしないほうがいいと思うけどね」
そこへ、あのう、と遠慮がちな声で誰かが割り込んだ。見ると、小鈴が恐る恐るといった様子で手を上げている。
「何? えっと。小鈴だっけ?」
「はい。さっき、占い師の話、出てましたよね。何で、占い師って名乗り出るのが、得策じゃないなんて言うんですか?」
「は? そんなこともわからないんですか?」
早苗は腕を組み、居丈高に小鈴を見下ろす。
「全く、昨晩あれだけ時間があったんだから、少しは考えておきましょうよ」
呆れたように首を振る早苗を抑えつつ、霊夢が小鈴に応じる。
「ま、慣れないとピンと来ないかもね。占い師ってのはどういう存在か、まずそこを理解してもらいましょう。確認だけど、占い師ってのは――」
占い師。それは恐らく、このゲームで人狼の次に重要な役職だ。
昨日のテレビの解説を思い出す。ゲーム開始と同時に、村人のうち誰か一人は占い師の能力を手に入れる。占い師は毎晩、生存者のうち誰か一人を占い、その村民が人狼か村人か知ることができる。人狼に比べると能力的に劣る村陣営は、この占い師の能力を頼りに推理を進めていくのだ。占い師の能力は事件前夜から使うことができる。つまり、占い師は既に誰かの正体を掴んでいるのだ。ことによると、我か一輪のうち、どちらかを既に人狼であると捕捉しているかもしれない……。
「で、占い師が誰であるのかを知らされるのは、村民の中で占い師本人だけ、と。ここまではいい?」
霊夢の端的な解説に小鈴は頷く。
「じゃぁよく考えてみて。もし占い師がここで名乗り出たら、狼はその占い師を生かしておくと思う?」
「あ……」
小鈴は霊夢の言葉の意味を理解したらしく、大きく頷いた。
「なるほど、すぐ殺されてしまうから、黙っていた方がいいってことですね。……それじゃぁ、一体いつ言えばいいんでしょうか?」
小鈴のその問いに、霊夢はうっと顔を顰めた。そこへ、神子が口を挟む。
「あまりそういう話をするのは得策ではないかもしれませんね。誰が占い師なのかはわかりませんが、いつ名乗り出るかは占い師本人の判断に任せましょう。急かしてカミングアウトさせてすぐに殺されても困りますし、黙ったまま殺されて何の情報も残らなかったなんてことになっても迷惑ですから」
「さすが太子様! 頭がいい!」
屠自古が神子を持ち上げる。我の記憶の中にある蘇我屠自古という人物像の通りだ。屠自古は、太子様こと豊聡耳神子を妄信とまでは言わないまでも、心の底から慕っている。それは我、物部布都も同じなのだが、一体どのくらい慕っている演技をすれば布都らしく見えるのだろう。
「ま、そもそもあのメイドが占い師だった可能性もあるけどな。その場合、占い師についてあれこれ話し合うのは時間の無駄ってことになる」
魔理沙が水を差し、屠自古に睨まれる。
そんな部下を尻目に、神子はまた霊夢たちの方へ向き直る。
「霊夢さん、魔理沙さん、早苗さん。経験者のあなた方に確認したいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「何?」
「この昼の間に私達に許されているのは、本当に話し合いと投票だけですか? つまり、例えば殴り合いは許されていますか?」
殴り合い……? 何を言い出すんだ、神子は。ちらりと隣の神子の顔を覗き込むが、平静なその表情からは彼女の考えを窺い知ることは出来なかった。
「そんなの、許されているわけないじゃない。ゲームにならないもの。会話以外に許されているのは本当に投票だけよ。投票は、昨日説明で聞いたと思うけど、これ」
霊夢は袖の中から木の札を取り出した。
「みんなの家の入り口にあるこの札に、それぞれ投票先の名前をペンで書くの。そして投票時間になったら全員でそれを見せ合う。名前を書くのは、昼の間ならいつでもいいわ。但し、一度書いた名前は取り消すことは出来ない」
「なるほど。では例えば、そのペンや札を他人に譲渡することは出来ますか?」
「やってみたらいいじゃない」
神子はそう言われ、徐にポケットから木の札を取り出すと我に差し出した。
「受け取ってください、布都」
「え? あ、はい」
言われたまま札を受け取ろうとするが、神子は札を離そうとしない。
「あの、太子様。手を離してもらわないと」
「……なるほど。布都、私は今、手を離そうとしているのですがね」
何だって?
我はそっと手を離す。確かに、神子が力を入れて札を離すまいとしているようには見えなかった。
「わかったでしょう。あくまでも、投票は自らの手によって行わなければならないのよ。そしてその投票によってしか人狼を殺すことは出来ない。投票に使うペンと札以外は、いかなる道具も用いてはならず、純粋に話し合いによって人狼を見つけなければならない。当然暴力行為も禁止。……そのルールがなかったら、人狼が尻尾を出すまで私が村人全員殴りつけてるわよ」
霊夢は暴力的なことを言い出す。しかしなるほど、霊夢の言っていることはもっともだ。霊力や法力のある人間にしてみれば、妖怪を見破ることなど容易い。現にそうして我も前の村を追われたのだ。
「私からも質問、いいかしら」
聖が手を上げた。
「状況は把握できたわ。それで、今日の投票は、一体誰に入れればいいのかしら」
「そんなの、各々が怪しい人に入れるしかないじゃない。それ以外に方法がないんだから」
霊夢はそう言うが、聖は首を振る。
「私達は誰に入れるべきか、この話し合いしか手がかりがないのよ。当然票はばらけるでしょう。でも狼は、きっと人狼同士でだけ通じる合図か何かを決めていて、二票をまとめて一人の人間に投票することが出来るはずだわ。そうしなくとも、人狼はまず自分の仲間には投票しないでしょう? なら、無計画に投票した場合、人狼より村人の方が処刑される可能性は高いんじゃないかしら」
合図か。しまった、昨晩のうちに何かしら決めておくんだった。敵の発言にヒントを貰うとは情けない。今夜、一輪に相談することにしよう。
「なるほどね。えーっと、聖さんだったかしら。あなたの言うことはほとんど正しいでしょうね」
でもね、と霊夢はため息混じりに言う。
「私は完全に自由な投票も、その投票先そのものが後々の推理材料になると思っているのよ。占い師に頼りきって慎重に事を運ぶより、直感に任せたほうがうまく行く場合もあると思うわ」
「あのー、それはちょっと言いすぎなんじゃないでしょうか」
早苗が口を挟んだ。何、と霊夢に睨まれるも、早苗は気にすることなく意見を述べる。
「やっぱり大事なのは占い師ですよ。直感は個々人で違うじゃないですか。占い師が生きていれば、その結果はみんなで共有できます。それなのに、今日そうやって適当に投票してもし占い師を処刑してしまったら、目も当てられないじゃないですか」
「九人のうち、占い師はたった一人なのよ? そう簡単に処刑されはしないわ。適当な投票ってあんたは言うけどね、適当なのは村人だけで、人狼ははっきりと意図をもって投票するの。仲間を処刑しないようにするっていう意図をね。その意図を透かして見るチャンスなのよ。大体、具体的にどうやって占い師を投票から守ろうって言うのよ」
「そう! それなんですけど、私にいい考えがあるんです!」
早苗は急に張り切りだして、広場の中心へと躍り出た。
「事前投票を行えばいいんですよ!」
「事前投票……?」
そうです、と早苗は得意げになって語りはじめる。どうやら、多くの人間の気を引くことが好きな性格らしい。
「投票の札は使いません。みんな広場の中心に円形に並んで、右手を空に掲げます。せーの、の合図で、みんな一斉にこれから投票しようと思っている人を指差します。その投票先は、基本的には本番の投票時も変えません。もしその時点で最も多く票を貰った人が占い師だったなら、これはもう仕方がないので占い師宣言をして、昨日の占い先を発表します。投票はその占い師以外で行います。占い師さんは噛まれてしまうかもしれませんが、いきなり本番で票を集めて何も言わずに処刑されるより、このほうがずっといいはずです。それに模擬投票とはいえ、基本的に投票先は変えないんですから、霊夢さんが言っていたようにこの事前投票結果は推理材料にもなりえるんじゃないでしょうか?」
早苗の提案に対し霊夢は即答せず、ふむ、と考え込んだ。
「どうです、皆さん」
早苗はぐるりと村民達の顔を見回した。
「私は悪くない案かと思いますが」
小鈴はそう言い、
「基本的に投票先は変えない、理由なく変えた場合は狼とみなす、という規定があれば、保険としては有効な手だと思うわ」
聖も同意した。
「聖さんの言ったような規定つきなら、通常の投票とさして変わりませんし、断る理由もなさそうですね」
神子もそう言い、屠自古は「まったくもってその通りです」と神子に追従する。我も頷いておいた。
村民たちの同意を受け、どや、と早苗は霊夢に胸を張る。霊夢は早苗の視線を鬱陶しそうに受け流すと、
「私もそれでいいわよ。もうあんまり時間も残ってなさそうだし、やるならさっさとやりましょう」
と言った。
かくして事前投票が行われることになった。気がつけば時刻はもう昼を過ぎ、日は傾き始めている。それほど多くの時間が経過したようには思えなかったし、そういえば誰も食事をしようとしない。現に我も、腹が減ったという実感はない。どうやらこの村、ゲームの開始と同時に特殊な結界によって時間の流れ方が外界と断絶されているらしい。
「それじゃぁいきますよ」
早苗の声に合わせ、全員が天空を指差した。
まずい、まだ誰を指さすか決めていなかった。どうしよう、とりあえず一輪ではないとしても……。
我が焦っていると、我の隣に立つ神子が小声で「早苗に」と口走った。早苗に入れろ、という指示か? あぁもう時間がない、ここはひとまず従っておこう。
「せーのっ!」
そして皆は一斉に、各々が怪しいと考える者を指差した。
その結果。
霊夢 → 早苗
魔理沙 → 小鈴
早苗 → 霊夢
神子 → 早苗
布都 → 早苗
屠自古 → 早苗
聖 → 早苗
一輪 → 布都
小鈴 → 布都
皆、黙って頭の中で投票結果を集計する。
つまり、こういうことだ。
霊夢 一票
早苗 五票
布都 二票
小鈴 一票
最多得票者、つまり今日の処刑は早苗になった。
「……決まりね。ね? 早苗」
霊夢が呆然と立ちすくむ早苗の肩に手を置く。
「な……」
早苗は震える声を搾り出す。
「何で、何でですか……! 何で私なんですか!」
「ちょっと早苗、抗議の前に言いなさいよ。あんた、占い師なの? 違うの?」
霊夢が慈悲もなくそう尋ねると、早苗は首を横に振る。
「いや違い……ます、けど……いや、だっておかしいでしょ、何ですかこの結果! まぁ、霊夢さんとはちょっと言い合っていたからいいとして……私も霊夢さんに入れてるし……でも聖さん! 神子さんも、屠自古さんも、布都さんも! なんで私に入れたんですか!? もっと入れるところあったでしょう!」
我と屠自古はそっと神子の顔を見る。神子は内心の窺い知れない無表情で早苗を見つめていた。
「だって、今、私村にとってためになる提案しましたよね!? 占い師を守ることって、これ村のためになるじゃないですか!」
「そうね。ならついでに占い師の代わりに黙って死になさいよ」
追い討ちをかける霊夢。
「んぐぅ……いや、おかしいでしょ! 村のためになることを言った人がどうして処刑されないといけないんですか!」
「……私は、あなたの提案はもっともだと思ったのよ」
聖はどこか諫めるような口ぶりで説明する。
「けどそれと同時に、どうしてあなたがそこまで占い師を気にするのか、それが気になったの。霊夢さんの言うとおり、例え皆が思い思いの相手に票を投じたとしても、占い師をここで処刑してしまう可能性はかなり低いわ。それこそ、あの死んだメイドが占い師だった確率とそう大して変わらないくらいにね。そして、占い師の存在を過剰に気にするあなたのその考え方がどこから来るのか考えたら、……あなたが狼であり、占い師の存在を村人よりも恐れているから。私はそう推論した。その恐れの裏返しとして、占い師を守るような作戦を立てたのではないかと」
聖の言葉が途切れると、人々の視線は自然と神子に集まった。神子は平然と投票の理由を述べる。
「私は聖さんとは違って、あなたを人狼であると疑っていたわけではありません。ただあなたが占い師ではないと思ったから投票したまでです。それがこの投票の目的と言うことでしたから」
神子の言葉に、傍らの屠自古がうんうんと深く頷き同意を示す。屠自古も我と同じで、恐らく自分で考えることなく神子の指示に従っただけなのだろうが、神子の意志に自分も貢献できたことを誇らしく思っている様子だった。
「そ、そんなぁ……」
早苗は膝を地面につき、がっくりと崩れ落ちた。そんな早苗の肩を、霊夢がぽんと叩く。
「占い師を守ろうとする奴ほど逆に人狼、ね。聖さんの言うことも確かに一理あるかもしれない。私もそれは考えに入れたわ。でも、私が早苗に入れた理由はどっちかっていうと別のところにある」
「え……? 霊夢さん、わ、私……どうして……?」
「あんたがうざかったからよ」
霊夢の一言に、早苗のみならずその場にいた全員が凍りついた。霊夢はそんな周囲の反応を歯牙にもかけず、やれやれといった様子で肩を鳴らした。
「正直、明日以降あんたと一緒に戦いたくなかったのよ。作戦を立案してくれるのは結構だけど、あんたの場合は目立ちたいだけっていうのが見えすぎているわ。今日はともかく、明日以降の戦いではその気質はきっと邪魔になる。ま、あんたが人狼であることを祈りましょう」
「れ、霊夢さん……そんな言い方ないじゃないですかぁ……」
「いいじゃない。これが本番の投票だったら、投票結果が出た瞬間にあんたは死んでいるのよ。自分が選ばれた理由を知ってから死ねるだけありがたいと思いなさいよ」
早苗はもう何も言い返す気力がないようだった。しかし霊夢の口は止まらない。
「全く、早苗もよく妖怪退治だなんて張り切れたわね。こんなの、妖怪退治でも何でもない。人狼なんかよりもっと力のあるどこかの妖怪の掌の上で、いいように遊ばれてるだけじゃない。あーあ。面倒な上に腹立たしいことこの上ないわ。妖怪なんてどいつもこいつもただ黙って退治されてればいいのに、何で私が人狼なんかと同じ舞台で、同じルールで戦わないといけないのよ。それが一番腹が立つ」
我は霊夢の話を聞きながら――次第に喉の奥に熱いものが溜まっていくのを感じていた。駄目だ、怒りを抑えなければ。ここで我が震えながら拳を握れば、その様子から怒りに震える人狼だと見抜かれてしまうかもしれない。だから我は、ただぽかんとした顔をして、馬鹿みたいに突っ立って霊夢の話に聞き入るほかなかった。
「人狼なんかってお前、その人狼のせいで命の危機に瀕してるんだぜ、私達は」
魔理沙が半ば呆れたように言った。
「人狼のせいじゃない。このゲームを設計した奴のせいでしょ。人狼? あんな人まねだけが取り得の何の芸もない妖怪、本来だったらちゃちゃっと種族ごと根絶できるのに。ったく、回りくどいったらありゃしない」
「まぁ、気持ちはわかるけどよ。そもそも妖怪は妖怪であるってだけで退治するのがお前の主義主張だからな」
「それは」
突然聖が口を開いた。
「あまり褒められた考えではないわね」
「何よ」
霊夢はきっと聖を睨みつけたが、聖は真正面から霊夢を見据え、諭すように話し出す。
「こういう状況にある以上、私も滅多なことを口にすることは出来ないわ。それでも、妖怪が妖怪であるというだけで退治するというのは、徳も低ければ考えも浅い」
「……あぁ、そういえば聖さん、あんた確かお寺の人だったわね。聞いたことがあるわ、どっかの旅の尼僧が、人と妖怪の共存を説きながら各地を回っているって。じゃぁ何? あんたは人狼に食べられても別にいいっていうの?」
「いいえ。そうは言っていないわ。私達はこの村に潜む人狼に立ち向かわなければならない。それはわかっているの。私はただ、寧ろこういう風に妖怪の脅威が明白になった状態こそ、人と妖怪の関係について見つめなおす機会だと思っているだけよ。私達が妖怪に対して抱く恐れの大部分は、その存在が不確かであるということに由来するわ。見えないから怖い、分からないから怖い、だから排除する。けどこの村はその脅威を可視化している。この村を生きて出ることが出来たなら、きっとこの村での経験は妖怪を理解する手助けになるはずだわ」
「皆さん」
聖の言葉を遮ったのか、あるいは言葉の切れ目を窺って言葉を挟んだのか定かではないが、
「そろそろ日が暮れます。投票の用意をしましょう」
神子のその言葉によって、妖怪に関する談義はそこで幕切れとなった。
投票時間が来ると、不思議なことに誰もが一斉に喋らなくなった。試しに声を出そうと試みたが、口が思うように動かない。投票時間は自由意思による発話が禁じられているらしい。
周りを見ると、もう全員札に名前を書き終えたらしい。我は慌ててペンを取り、早苗の名前を書き込んだ。
名前を書き終えると同時に札が何かに引っ張られるようにして手を離れ、皆の目の前に並んで浮かび上がる。そこで投票結果が発表されるという段取りらしい。今日の結果は……約束通り、投票先を変えた者はいなかった。
どさ、と誰かが倒れる音がした。見ると、東風谷早苗が地面に横たわっていた。何の外傷もなく、ただ疲れてうずくまっているだけのように見えたが、虚空を見つめたまま開かれたその目には既に生命の光は宿っていなかった。
■■■一日目・夜■■■
●人狼 物部布都●
その晩、我は家に帰ると真っ先にテレビをつけ、「仲間と通信」のボタンを押した。テレビ画面はすぐさま一輪の顔を映し出す。
『何とか生き残ったわね。この調子であと三回投票を逃れれば、私たちの勝ちよ』
「あぁ、……なぁ、一輪」
『ん? 何かしら?』
「今日、我らは誰か一人、村人を殺すんだよな……」
『えぇ、そうね』
「今日は、我が襲撃役をやっていいだろうか?」
一輪は押し黙り、じっと我の顔を見つめ、そして言う。
『あなた、……霊夢を襲う気ね?』
「……あぁ、そうだ」
やはり一輪は頭が切れる。あるいは、彼女も我とまったく同じ事を考えていたのかもしれないが。
『異論はないわ。人狼としても、彼女は議論を先導する立場にいる村人だったから、残しておくと追々脅威になってくる可能性がある、そういう意味では今除外しておくべきだし……それに、それ以上に彼女は思い上がっているわ』
一輪は声に怒気を含めて言う。
『確かに巫女の仕事は妖怪を退治することかもしれない。でも、それにしてもあの考え方は聞くに堪えなかったわ。融和も共存も、彼女の辞書には載っていないんでしょうね。本当に、私が襲いに行きたいくらい……』
「あ、いや……一輪は、霊夢のこと、そう思っていたのか……」
『え? 布都は……あなたは、彼女のあの物言いに何も感じなかったの? 人狼なら、いえ、妖怪なら怒りを覚えて当然でしょう?』
「我は……怒ってもいたかもしれんが、……それ以上に悲しかったのだ」
テレビの前の畳の上に座り、膝を抱え込む。
「人間にとって、妖怪ってやっぱり、そういうものなのだろうか、って……。妖怪であるというだけで、それ以外の何の理由もなく排除されるのだとしたら、我は、人間に紛れ込んで生きていく人狼という種族には、腰を落ち着ける場所なんてどこにもないんじゃないか。……そう思ったら、どうしようもなく悲しくなってきて……。これ以上、我は聞きたくないのだ。たぶん、彼女の言っていることは本当だろうから、もう、……」
『……ねぇ、布都』
「ん?」
『霊夢の考え方が、全ての人間に共通する考え方だと思わないほうがいいわ。もちろん私も恨みがないわけじゃない。でも私が喰らったこの人間、一輪の記憶の中にある人間という生き物は、そんなに捨てたものでもない。例えばあの聖と言う人間は、人間でありながら無闇に妖怪を退治しようとしないし、時には手を差し伸べることすらあるの』
とはいえ、と一輪は肩をすくめる。
『今は敵なのだから、その聖もいずれは殺さなければならないのだけど』
「うーん……」
一輪の考え方は、そのときそのときで言っていることは確かだし納得できるのだが、……人間にも妖怪に手を差し伸べる者がいるという箇所だけはどうにも受け入れられなかった。
『とにかく今夜の襲撃先はあなたに任せるわ』
「あぁ、ありがとう。あ、それとだな。一つ気になったことがあるのだが」
『何かしら?』
「その……お主を責めるわけではないのだが、一体なぜ我に投票したのだ?」
そう、今日の投票で我に入った二票のうち、一票は仲間であるはずの一輪から受けたものだったのだ。
「あのときはひやっとしたぞ」
一輪はくすくす笑いながら答える。
『あれはある意味当然でしょう。私たちが味方同士であると皆に知られてはならないんだから、形だけでも疑っているふりはしなくちゃ。一日目の投票は票が誰に集まるかわからない、だから一票でも貰ったら処刑される可能性が俄然高くなる。その一日目に相棒に投票するなんて、普通怖くてできないでしょう。だからこそ、逆に私たちの間につながりがないことを示す絶好の機会なのよ』
なるほど、言われてみれば納得できる。我はそんなこと考えもしなかったが。
『ただ、明日以降はどうなるかわからないけどね。人数が減ったら何かのはずみであなたに票が集まってしまうかもしれないから、そうやすやすと身内投票はできない』
「ふむ、なるほど。……あっそうだ、そういえば、合図を決めておかないか?」
『合図? あぁ、昼間誰かが言っていたわね』
「そうだ。今日の投票も結構危なかったであろう? 我に二票入っていた。早苗が吊られなければ、どうなっていたかわからぬ。だから、いざというとき我と一輪の間で通じる合図を決めておいたほうがいいと思うのだ。勿論、村人に見咎められないような、さり気無い物にする必要はあるが」
一輪も合図の必要性は感じていたらしく、その晩の時間を使って我らはごく簡単な合図を打ち合わせた。
合図は二種類だけに留めた。複雑な合図を多く決めても覚えられないし、間違えやすいからだ。
まず投票先の指定だが、相手の目線を捉えた後、分かりやすく二回続けて瞬きをする。その後、自分がこれから投票しようと思っている相手の方へつま先を向ける。合図は何回でも修正できるが、あまり多用しないように気をつける。
次に、発言に関する合図だ。これは具体的にいつ使うかはっきりとは決まっていないが、喋っているときに左右どちらかの手を握っていたら、その発言は自分の真意ではないことを意味する。
『よし、これでいざというときは票を固められるわね』
一輪のその言葉を聞いて、我はあることを思い出した。
「あぁ。……票固めといえば、今日ちょっと思ったことがあるのだが」
『何かしら?』
「我と屠自古が早苗を指さしたのは、神子にそう指示されたからだ。気付いていたか?」
『えぇ。恐らくみんな気付いたとは思うけど』
「我は、つまり物部布都という人間は表向きは神子の腹心の部下ということになっている。あの場では神子に逆らう素振りを見せるべきではないと思ってそうしたのだが」
『それは賢明だったわね。下手に逆らって後で説明を求められたら、あの神子のことだもの、うまくごまかすのは難しいでしょう。けどそうなってくると、神子は実質三票持っていることになる』
「あぁ。まぁ、我は従っているふりをしておいて裏切ることができるが、屠自古は今後も神子に付き従うであろう。元々屠自古という人間は神子にぞっこんというか、無条件の敬意を寄せているらしいから、神子が人狼であるという可能性ははなから念頭にないのだろう」
『……すると、ちょっと厄介かもしれないわね』
「あぁ、そうなのだ」
神子は一日目の話し合いでは比較的的確な発言をしていた。今後、優秀な村人であり、かつ二票分の投票権を持つ神子の存在は人狼にとって脅威となるかもしれない。
「とはいえ、神子は一日目は人狼を指差せなかった。占い師でない村民を処刑しようとしたという彼女の言が真意かどうかはわからんが、彼女が人狼を把握していないことだけがせめてもの救いか」
『そうね。私達はまだ気取られてはいないはず。神子は屠自古やあなたが自分に票を重ねてくると分かっていたでしょうから、もし彼女が人狼を把握していれば、人狼を指差さない理由は何もない』
我と一輪はこう考えていたが、実は、神子は我らが考えているよりもずっと大きな脅威だったのだ。
つまり、神子はこの時点で既に人狼を一人捕捉していた事が後になってわかるのだが……このときの我らはそこまでは想像が及ばなかった。
一輪との通信を切り、我は静かに家の戸を開けた。どうやら狼が襲撃にいくときはこの戸は開くらしい。
足音で人狼が把握されるようなことはないと思いたかったが、念のためできるだけ足音を忍ばせて霊夢の家に向かう。村にある家はどれも似たような作りだったため、我は一軒一軒表札を確かめながら霊夢の家を探した。
いざ霊夢の家の前まで来ると、どう襲撃すればいいかわからずしり込みしてしまう。今回は人間を喰って成り代わるわけではなく、ただ単に殺すだけなのだ。何と言ってこの家に入ればいいのだろう。殺す前にせめて一言謝っておこうか。
我がうじうじ悩んでいると、
「入っていいわよ」
突然家の中から霊夢の声が聞こえ、我は飛び上がりそうになった。
恐る恐る戸を押し開ける。戸の隙間から差し込む光に目が眩んだ。光に慣れてから改めて部屋の中を見回すと、テレビの前に一人、巫女服姿の少女が横たわっていることに気づく。
近づいていってその肌に手を触れる。まだ暖かいが、生命の脈動は感じられない。
博麗霊夢は、我が部屋を訪れただけで、ゲームのシステムによってその命を奪われたのだった。