□□□四日目・昼□□□
○村人 雲居一輪○
魔理沙の死体を確認すると、私、布都、姐さんの三人は広場に集まった。
最初に口を開いたのは布都だった。
「聖、騙していてすまなかった。人狼は、我と一輪なのだ」
姐さんは、そうでしょうね、とだけ言って項垂れた。
「さぁ一輪、投票を行ってしまおう」
布都はそう言って投票の札を取り出したが、私は首を横に振る。
「一輪……?」
「布都、謝るのは私のほうよ。……私、雲居一輪が村人を宣言する。布都。残念ながらこの村には、もう人狼はあなた一人だけなのよ」
布都は初め、きょとんとした顔をしていた。私の言葉が理解できなかったらしい。それはそうだろう。彼女にとって私が村人であるなど、到底ありえる話ではない。
しかしここまで来たら布都に理解してもらう必要などない。姐さんに全ての事情を打ち明けよう。私はそう思って姐さんのほうを見た。
姐さんはぽかんとした顔でこちらを見ていた。その手には――投票用の木の札と、ペンが――。
まさか。
私は飛び掛るように姐さんに駆け寄り、彼女の腕を強引に掴んで札を見た。
なっ……。
何だ……何が起こった……!?
一瞬で頭が真っ白になる。
――札には、私の名前が書かれていた。
「え? 何……? どう、したの……?」
姐さんは凍りついた私を見ておろおろしている。
「ねっ、姐さん……何で、これ、……私の名前、が……」
「だって、人狼、なんでしょう……? 布都と、あなたは……」
「そっ……それは……!」
私の全身を、電流が走ったような衝撃が貫いた。
そう、確かにそうなのだ……!
最終日、生存者三人のうち二人が人狼であるとわかったのなら、ただ一人の村人である姐さんに勝ち目はない……ならば議論の必要もない、敗北が逃れられないのなら、いつ投票しても違わない……そう、そして! 姐さんは私と布都、どちらに投票しても変わらない! ならせめて、姐さんは、……自分の弟子である私を食った、実際は存在しない人狼に……投票を……!
「なぁ、どうした……?」
場にそぐわない、間延びした声で背後の布都が言った。いや、間延びしたというより……弱弱しく、慎重で……震えるような声で……。
恐る恐る布都のほうを振り返る。彼女は少し離れたところで、引きつった笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「なぁ、一輪。さっき何か……変なことを、言っていたが……どうしたんだ……?」
「えっ? 何……私、何か言ったかしら……」
笑ってごまかそうとするも、
「いや、さっき……一輪が、人間だとかなんとか……」
今にも泣き出しそうな、それを必死に堪えて自らを奮い立たせているような布都の表情を見て、私の全身から血の気が引いた。
――私は先ほど自らが人間であると告白した。その私に布都が投票すれば、姐さんの票と合わせて二票……そうなれば、私の票に関係なく……。
私が、死ぬ……!?
「そっ、そんなことあるわけないじゃない! 人狼、そう! 私は人狼でしょう? 布都、これまで私たちはずっと、毎晩毎晩村人を欺く手段を一緒に考えてきたじゃない!」
「やっぱり人狼なのね……よくも一輪を……!」
「姐さんは黙ってて! ねぇ聞いて布都、私がもし人間だったら、あんなに狼のために奮闘することもなかったでしょう? 私が人間なら、昨日黙ってあなたに投票すればよかったのよ、違う? そうすればあなたが死んで、村が勝って、それで終わりでいいじゃない!」
「やっ、やっぱり人間なのか……?」
布都の目から涙が溢れ出す。
「だから違うって言ってるでしょうが! 私は人狼! 人狼なのよ! だからね、布都。とっとと聖に投票しましょう、それでこの人間を処刑して――」
……っ! 駄目だ駄目だ、私と布都で姐さんを処刑しても、まだ村人である私が生きているのだからゲームは終わらない、となれば布都は私が人間であることを確信し、やはり私を殺す……いや、これはゲームなのだから、布都の意思など関係なく……どうあれ人狼は、残った人間を殺さざるを得ない……!
あれ? っていうことはどういうことだ?
姐さんの票はもう動かせない。札の書き換えは許されていないからだ。となれば私の一票は確定しており、そしてそれを上回る二票を人狼である布都に入れることが不可能なのだから……。
足の力が抜け、私は地面に膝をついた。
村は既に詰んでいて、私は……どう転んでも、死ぬのか……?
奥歯ががちがちと音を立てて鳴っている。全身が恐怖で縛られ、立ち上がることもできない。
「よ……よし、そうだよな! すまん、我は変なことを考えておったようだ!」
布都は不自然な笑顔を無理矢理に作り、必要以上に大きな声で言った。
「一輪が、狼のためにあれだけ尽くしてくれた一輪が人間であるはずがない! それじゃぁ聖に投票しよう、な?」
「まっ、待って! 投票はまだ……!」
そのとき私の頭にある可能性が閃いた。
布都は姐さんに投票する。これで私一票、姐さん一票。もし私がこの状況で布都に入れれば、全員が一票ずつの状態となり、投票は引き分けとなる。そしてその後……。
そうだ、まだ勝ちの目はある……!
再投票だ! 布都を騙し続けて姐さんに入れさせ、私は布都に入れる。そして一度目の投票を全員得票数一でやり過ごす。そうすれば姐さんに私が人間であることは伝わる。それはそうだろう、私が人狼ならここで姐さんの処刑を躊躇う理由は何もない。となれば再投票で姐さんは布都に入れ、それに合わせて私も布都に入れれば、布都を殺せる……! 村の勝利となり、私は生き残るんだ……!
ある、生き残りの道があるんだ……。私は自分を奮ってすっくと立ち上がった。
「そっ……そうね! 布都、こんな議論長引かせるだけ無駄よ、どうせもう勝負はついているんだから。さぁ、早く聖に投票しましょう、ね……?」
布都は、うん、うん、と何度も繰り返し頷いた。そしてペンと札を取り出し、目の前に掲げて……そこで布都の動きが止まる。
「……布都……?」
「な、なぁ……一輪……」
私の喉からひッという変な音がした。
何だよ、いいからとっとと姐さんに投票してしまえ!
布都は札とペンを持った体勢のまま固まり、搾り出すような声で言う。
「投票の前に、その……一つだけ、聞いていいか……?」
「何……かしら……?」
布都はゆっくりと首を回してこちらを見る。
「一輪が人狼であることは、我が一番よく知っておる。ただ、……何でさっき、その……自分は人間だなんて、言ったんだ……?」
「それはっ……」
それはどうしてだ? 人狼でありながら最後に人間のふりをする理由……そんなものあるわけがない! しかし考えなければ、答えなければ私は、私はっ……!
「なぁ、一輪……」
「い、いや、あまりにすんなり……狼が二人とも死なずにここまで来れたから、少しくらい盛り上げてみようと思って……ね、ねぇ……?」
苦しい答えだ……。案の定、布都はまるで信用していないといった口調で、
「お主、そんなことするやつだったか……?」
と追い討ちをかける。
「いいじゃない、たまには……ねぇ? 私だってそりゃぁ」
「一輪っ!」
私の言葉を布都が大声で遮った。
「な、何……?」
「お主、本当は、……人間なんじゃないか……?」
私は太い手で喉元を掴まれたような錯覚を覚えた。相手が今その気になれば、私の息の根を止めることくらい容易い……。
「そうだ、少しだけ……我は、いつも少しだけ感じていた、お主の言葉は、ちょっとずつ……ほんの少しずつ、おかしいって……」
あぁ、駄目だ、もう止まらない……!
疑いの言葉を一度口にしてしまったら、今まで理性で押さえつけてきた疑惑は堰を切ったように溢れ出し、布都の心は疑念の濁流に飲まれていく。
「そう、一番最初はゲームが始まる前……お主が最初に通信を繋いできたときだ。お主……我が、怪我の具合は大丈夫かと尋ねたら、さっきまで死に掛けていたと、そう答えたよな。あの時我が驚いて、そんなに酷い怪我だったのかと尋ねたとき、お主は……どうしてあんなに驚いたのだ……? もしかして、我が会った人狼が大怪我をしていたことを、我が知らなかったということを、お主は知らなかったのではないか……?」
「それはそのっ……別に、私は驚いてなんか……」
くっ……こいつ、そんなに前のことをよく覚えて……!
「そして最初に見つかった死体……あれもおかしい、確かにおかしいと我は感じていた……。だって、これまで我が襲撃した村人は全員、我が家の戸を開けただけで勝手に死んだのだ。我はただ死体を家の外に運び出すだけでよかった。もしお主がそうやってあのメイドを襲撃したのなら、どうしてメイドはあれほどの傷を負っていたのだ……? 実は……そうだ、本当はあのメイドこそが我が会った人狼で、お主は、あのメイドの死体を見るか何かして、あのメイドに成り代わろうと考えたんじゃないのか……? そうだ、そう考えれば辻褄が合う! この村の人間は皆、互いのことをよく知らなかったのだ、だから見知らぬ人間の死体があっても、それが外から来た人狼の死体か、元々村にいた人間の死体か、誰も判断することができなかったのだ……!」
「想像よ! 全部あなたが今勝手に考えてることじゃない! ねぇ布都、さっき私が変なことを言ったのは謝るわ、ごめんなさい。あなたがここまで私のことを疑うなんて、私――」
「まだある! お主はいつだって冷静に戦略を練っていた! 我はそれを頼もしいと感じていたが、本当にそうだろうか……? いつかお主は言っておったな、人狼は襲撃される心配がないから村人よりも冷静に戦略を練ることが出来ると。もしやお主は、いつでも我を殺せると知っていたから、自分は死なないと思っていたから、だからあんなに冷静だったのではないか……?」
「ねぇ布都、もうそのくらいにしましょう? そんなこと言ってたら、何もかもが疑わしくなってきて、取り返しがつかなく――」
「二日目の夜!」
大粒の涙を浮かべながら、布都はもうほとんど怒鳴っていた。私はその剣幕に圧されて何も言えなくなってしまう。
「我は、神子を襲撃するのが嫌で、お主に襲撃を依頼した。そうしたらお主は妙に焦ったような表情をしていなかったか? 結局あのときはお主は実にもっともらしいことを言って断ったが、本当は……本当は、お主は人狼ではなくて人間で、神子を殺しに行くことができなかったから断ったのではないのか……? そして、そう、何よりもっ――」
布都は泣きじゃくりながら私を指差した。
「昨日の魔理沙との議論! お主は昨日の前半、小鈴を陥れようとあれこれ弁を弄しておったが、魔理沙にさんざん正論を突かれた挙句、突然意を翻して我の処刑に合意した! あのとき我はこれも一輪の作戦なのだと強引に思い込もうとしていたが、お主の様子は明らかにその手の腹蔵とは異なっていた! お主は、あの時本心から魔理沙に合意したのであろう? 違ったのか? お主は、お主はっ……元々この最終日に我を処刑するつもりだったのが、あの日決着がつきそうなのを見て、これ以上議論を長引かせる必要はないと考え、刀を収めたのだ……!」
「ぐっ……!」
駄目だ、これだけ証拠を並べ立てられたら反論の余地なんて……! でも、それでも言い返さなければ、論破しなければ私は殺される……!
「もうやめて、布都! 何度でも言うわ、私が村人ならこんなことをする意味はないのよ! とっととあなたを告発すればよかったのよ!」
「それはっ、そうかもしれぬ! でも、お主は疑わしいことが多すぎるのだ! 頼む一輪、説明してくれ! 後生だ、我を納得させてくれ、そうでなければ、我は……聖に、投票することが、どうしてもできぬ……!」
姐さんに投票……? そうだ、ここを逆説的に責めれば……!
「ねぇ布都、もう一度冷静になって考えてみましょう。私が人間なら、どうして今私はあなたを騙そうとしているの?」
「それは、……その……」
布都は言葉に詰まった。私はその隙を見逃さずに攻め立てる。
「そうでしょう? もし私が人間であなたを処刑するつもりなら、今すぐに姐さんと結託してすぐさまあなたに投票すればいいでしょう? それをしないということは私は――」
布都は弾かれたようにびくりと飛び上がり、あっ……と声を上げた。何かに気づいたような……。
「聖! お主はもしかして既に投票を済ませたのか?」
「え、えぇ……」
「ちょちょちょっと! 布都っ!」
まっ、まずい……!
「聖、その札を我に見せてくれぬか……? 誰の名前を書いたのだ……?」
混乱の極みにあるらしい姐さんは、え、え、と顔に疑問符を浮かべながらも名前を書いた札を布都に見せようとする。
「待って!」
慌てて布都と姐さんの間に割り込み、私は両腕を広げた。
くそっ! なんという墓穴を掘ったのだ、私ってやつは……!
「そこをどけ、一輪! 聖の投票先を見せてくれ!」
「それは……今そんなこと、どうだって……!」
「これが最後だ、一輪! お主が真に人狼であれば聖の投票先などどうでもよいはずだ! お主がその投票先を我に見せられぬ理由があるとすれば、お主が実は人間で……しかし聖がお主を人狼であると思い込んでお主に投票した、これしか考えられぬ!」
「どうしてそんなことが言えるのよ、そんなの、わかりっこないじゃない……!」
「一輪! まだ我の言っていることがわからぬのか! お主が人狼であれば、例え聖の投票先がお主であろうと問題はないのだ! 例え我がお主に投票してお主が処刑されたとしても、我は今夜聖を襲撃せねばならず、そうすれば狼が勝つ! さすればお主が人狼ならすぐさま生き返るではないか! そう、だから見せる、お主が人狼なら見せない理由は何もない! さぁ一輪、そこをどくのだ! そこをどかなければ、聖の投票先を我に見せることができなければ、お主は……人間……なのだっ……!」
……詰み切っている……。
聖の投票先を見せなければ布都の疑いは晴れず、布都は私に投票するだろう。私が人狼であろうとなかろうと、それで布都の勝利は揺るがないからだ。かといって聖の投票先を明かせば、私がその投票先を布都の目から覆い隠した理由も確定し、私はやはり人間だということになる……。
もう、生き残る道はないのか……? これまで私は、村人でありながら狼の味方をしつつ勝利を目指すという、世にも複雑な立場でありながら、布都を先導し作戦を立ててきたではないか。今またその調子で、逆転の策を練ることができるはずだ……。しかし追い詰められた私の頭はもう状況を冷静に分析することすらできず、ただ死の恐怖に怯えてその場に立ちすくむことしかできなかった。布都の言うとおりだった。私は死ぬことがないと思い込んでいたから、今まで冷静且つ沈着にゲームの進行状況を把握できたのだ。私以外の者は皆、命の危険にさらされながらも精一杯頭を回転させて次の一手を考え出していたというのに、私だけは戦っていなかったも同然だったのだ。自分の死というゲームオーバーを直視することによって、私は今更ながら初めて盤面に立つことができた。しかし、全ては遅すぎた。彼女たちと同じ高さの地平に立ったときは既に、私は敗北から逃れられなくなっていた。
広場に沈黙が訪れた。私も、布都も、姐さんも微動だにしない。私は俯いてぼんやりと地面を眺めていた。布都はもう、疑ってなどいない、確信しているのだ。だからもう彼女は何も言わない。彼女が今日やることは、もう粛々と投票を終わらせることだけなのだろう。
私はそっと顔を上げ、布都の顔を見た。彼女はもう泣き止んでいた。ただ、先ほど私を弾劾したときよりもずっと悲しそうな目で彼女は私を見ていた。力なく垂れ下がったその両手には、札とペンが握られている。
布都はゆっくりと腕を上げ、そっとペン先を投票用の札に添える。
――あぁ、そうか。
その一瞬の間に、様々な思いが私の頭に去来する。
――私は……三日も人狼と会話する機会を得ていながら、何も理解できていなかった……。
そう、私はこの三日間、全ての村民よりも高い視点からゲームを見ていた。布都というただ一匹の狼を、いつでも殺せると思って飼い続け、上辺だけ同情しつつその話を聞き流していた。いつだって私は殺す側の視線を彼女に向けていた。そして今、私は殺される側の目で彼女を眺めている。私を殺す一匹の人狼を。
布都のペンが札の上をなぞっていく。「聖」と違い、「一輪」の文字は分かりやすい。ペンの動きだけで、彼女が「一」という文字を書いたことがわかった。布都はそのまま流れるような動きで「輪」の文字に取り掛かる。
そうか、今私は殺される立場にいるのか。どこか他人事のように頭の片隅で私はそう考えた。しかし恐怖はない。私を殺す目の前の人狼は、私にとっては既に恐怖の対象ではない。私の胸を満たしているのは、ただただ後悔の念ばかりだった。
布都のペンが「輪」の文字の仕上げにかかる。どう転んでももう助かる道がないのなら……。そう考えると、私は不意に体が軽くなったような気がした。
「私は――」
言葉が自然と口をついて出る。
「聞いて、布都。私は人狼よ」
●人狼 物部布都●
先ほどまでの狂乱から醒めた一輪は、厳かな声で自分の事を人狼だと言った。
「私は紛れもなく人狼なの。あなたを騙してなんかいなかったわ」
何だろう、今までの破れかぶれな人狼アピールとは何かが違う……。
我はそう思ってペンを止め、顔を上げた。見ると、一輪は右手を固く握り締めていた。今から言うことは嘘であるという合図。そうか、これは……嘘による一輪の告白なのだ。でも何でこんなことを……。
そのとき、我は一輪の背後の聖の顔に気づいた。先ほどまで聖は自らの負けを確信し、諦めきった表情を浮かべていた。しかし今の彼女は明らかに怯えている。何に怯えているのだろうか……それは分からなかったが、しかし一輪はきっと聖にこの告白の内容を知られたくないのであろう。
「あのメイドについては、あなたの推測はほとんど間違ってるわ。傷だらけだった理由は、――私が人狼で、私が彼女を殺したからよ。彼女を殺したのは残忍な人狼なの。それだけで説明はつくわ」
これが嘘であるということはやはり、我が四日前に森の中で出会った人狼は、あのメイドだったのだ。一輪はメイドを殺していない、メイドは人間に殺された……。ということは、メイドはこの村に来る前に人間達に襲われ、そのときの怪我が原因で死んだということか。そして恐らく一輪はそのメイドを誰よりも早く発見し、彼女の代わりに人狼役を演じることにした……。
「……二日目の夜に話した、私自身の話を覚えているかしら」
二日目というと……一輪の過去の話だろうか。人間に襲われて、家族を失ったという……。
一輪は右手をそっと開き、胸に手を当てた。これが合図だとすれば、ここからは彼女の本心だということになる。
「あれは本当のことなのよ。私は、敵をずっと憎んでいた。でもあなたに会えて、私は何だかよく分からなくなったの。引き分けに賛成したい気持ちもあったし、敵を殺したいという気持ちも同時にあった。その気持ちは今も……きっと、変わっていない。布都、あなたはどうなの? あなたはこれから、この村を出て……どうしていこうと思っているの? まぁ、今それを私が聞いても、もう詮無いことだけど……」
我は……どうなのだろう。
我は、何を望むのだ?
ここで一輪を殺し、聖も殺して、この村を生きて出ることを望むのか? そうして、罪の意識を背負ったまま一人ひっそり生きていくのだろうか。自分は悪い妖怪だ、人食いの妖怪だ、だから人間にはもう近づいてはいけないと決め付けて……。
一輪は気づいていないだろう。
我がまだ、二つの選択肢を残していることを。
だからこそ彼女は最後に問いかけてくれたのだ。我が何を望むのか、と。自らの死を覚悟して言い残す言葉を、彼女は我に向けてくれたのだ。
「言い訳がましく聞こえるけど、三日って短いのね。もっとあなたと話ができたらよかったのに。それでも最後、疑われたまま終わるよりかは、話したいことが話せてよかったと思っているわ。今まで、……ありがとう」
――分かっている。
これは罠かもしれない。我はまた、狡猾な一輪に騙されているのかもしれない。
我は手元の札に目を落とす。先ほど我が「一輪」という文字を書くふりをしたその札には、当然ながらまだ何も書かれていなかった。
今が、決断の時だ。
我はこの札に好きな名前を書くことが出来る。
これがもし罠なのだとしたら……。一輪は、我が名前を書くふりをして彼女の反応を見ようとしたことを見抜き、我の同情を引くためにあんなことを言ったのかもしれない。我が一輪ではなく聖に投票することを期待して演技をし、その後我に投票して再投票へ持ち込み、そこで聖と結託して我を処刑する。すばらしい作戦だ。成功率は……悪くないかもしれない。
一方で、彼女が本心から先ほどの言葉を言っているとしたら、ここで一輪の名前を書くことが、我がここで取るべき道なのだろうか……?
それもこれも全て我の決断にかかっているのだ。
気がつけば、そろそろ投票時間が迫っていた……。
○村人 聖白蓮○
何もかも、思いもかけない展開だった。
私が人狼だと確信していた一輪は、実は人間だったのだ。しかし私が全てを諦めて早々に一輪に投票してしまったがために、彼女は布都の前で見苦しくも人狼を演じ続ける羽目になった。私が先走って一輪の名を書いたりしなければ、いとも簡単に人間は勝利していたというのに。こうなってしまえば、残された生き残りの道は布都が私に投票し、一輪が布都に投票することで一回目の投票を引き分け、再投票で布都を処刑するしかないのだ。そのためには一輪は何としても布都の信頼を回復させ、自分を仲間の人狼であると思わせる必要がある。
焦っては墓穴を掘り、それを指摘されてはまた焦りと、どんどん泥沼にはまっていっていた一輪は、しかし最後の最後で脅威の粘り腰を見せた。彼女は長い沈黙の後、嘆願するような声で布都に話しかけ始めた。一輪の背に隠れて布都の顔は見えないが、どうやら彼女はじっと黙って一輪の話に聞き入っているらしい。もし……もしこれで布都が説得されなければ、私は死ぬ。人狼によって殺されるのだ……。しかし、布都が一輪の言葉を信用すれば、私はまだ生き延びることが出来る……!
一輪が布都を説得している間、薄く、しかし眩しく輝く希望と、それを覆い隠すほどの暗黒の恐怖とが私の胸の内で渦を巻いていた。さぁ、布都はどうするのだ、一輪に投票するのか、それとも……。
「一輪……」
もうすぐ投票時間が始まり、会話は一切出来なくなるというのに、布都は焦った様子もなく落ち着いた口調で一輪の名を呼んだ。
「我は……我は、今、決めた」
ど、どっちだ……?
私は死ぬのか、生き残るのか……!
そっと一輪の陰から顔を出し、布都の表情を覗き見た。彼女は安らかな顔を浮かべて目を閉じ、
「我は、お主を信頼しようと思う」
小さな声で、しかしはっきりとそう言った。
そして投票時間。
布都が私に投票し、一輪は布都に投票した。一度空中に浮かんだ札は再び私の手に舞い戻ってきた。手に取ったときには、既に一回目の投票先の名は消えている。
やった……!
ようやく私は勝利を実感する。
私たちは勝ったんだ!
最終日のへまを、一輪は見事にひっくり返して見せた。今や完全に形成は逆転した。再投票の間は誰とも話すことが出来ないが、しかし私達がやるべきことは既に決まっている。私は胸に満たされていく安心感と生き残りを勝ち取った達成感に浸りながら、布都の名前を書いた。
顔を上げると、私以外の二人はまだ投票を終えていないようだった。二人とも妙に難しそうな顔をして互いの顔を見ている。布都はともかく、一輪は既に勝利が確定しているのだからもっと嬉しそうにしても良さそうなものなのに。
一輪が不意にこちらを向いた。私は彼女に、笑顔で勝利を伝えた。一輪も笑みを返し、そして札に名前を書いた。
三人の投票が終わり、札がひとりでに私の手から離れていく。三人分の札が空中に集まり、投票の結果を指し示す。
私は深呼吸して、
「ようやく終わったわね」
そう、声を発した。
間違いない。投票時間後に言葉が話せるということは、もうゲームは終わったということだ。そして、ゲームが終了した時点で私は生きている……!
「一輪、さっきはごめんなさい、私……」
私は一輪に向き直り、最終日の失態を謝ろうとした。
しかし私と目が合った一輪は、その顔に何の表情も浮かべていなかった。
「姐さん」
ぽつりと一輪が私の名を呼んだ。
「ど……どうしたの、一輪。私たちは勝ったのよ、もっと嬉しそうにしても……」
そのとき私は、村に残った一人の生存者の視線に気づいた。
投票が終了したにもかかわらず、物部布都が一輪と同じように何の感慨もなく、ただぼんやりと私のほうを見ていた。
布都……? 布都が生きている、だと……?
いや、最終日の投票は……。
私はそのときになってようやく投票結果に目をやった
聖 → 布都
布都 → 一輪
一輪 → 聖
「え……?」
最初の二つは、別段問題ではない。しかし最後の投票結果……。
一輪が、私に投票している……?
「一輪、これ、どういう……」
「見てのとおりよ。このゲームは引き分けたの。生存者は私達三人だけ……」
一輪は深々とため息をついて、空を仰ぎ見た。
「姐さん、私たちは勝ってはいないのよ。しかし生き残った。もう、それだけでいいじゃない」
「いいじゃないって、そんな……! 村人たちはどうなるのよ、それに人狼を生かしたままゲームを終わらせるなんて……!」
そのとき、
「少し」
布都が、物々しい低い声で話し始めた。
「我に、話をさせてはくれぬか。安心していい、我はもうお主たちを食ったりはせぬ。というより、そんなことをしようとすれば我が返り討ちに遭うだろうな。元々、人狼という妖怪はさして強くないのだ」
「布都……」
からんからん、という音がして、それまで空中に浮いていた三枚の投票用の札が、吊り糸が切られたように地面に落ちた。布都はそれを拾い上げ、しげしげと眺める。
「納得がいかぬか? 聖」
「そっ、それは……いえ、あなたはどうでもいいのよ、一輪? どうして私に投票なんか……」
「そのことなら我が話そう。一輪は人狼ではなかったが、しかし特殊な事情によって夜の間だけ我と会話をすることが出来たのだ。このゲームのシステムは恐らく、人間であるはずの一輪を狼だと勘違いしてしまったのだろうな。いや、詳しい事情は我も知らぬ。何せ我にしたところで、今朝になるまでずっと一輪に騙されておったのだから。しかしとにかく我らは狼として会話をしてきた。その中で、我らは我らの間だけで通じる合図を決めておいたのだ」
布都は、一輪と打ち合わせたという二つの合図について説明した。
「一輪が先ほどその合図を使ってきたとき、我は一輪が人間であることをほとんど確信しておった。その上で我は考えたのだ。もしかしたら、最早何を選んでも同じことなのではないかと」
「同じって、どういう……」
「我はこのゲームが終わったら、どこか山の奥へ隠れて一人だけで暮らそうと思っておった。そうすべきだと我は確信したのだ。我は既にこの村の人間を含む多くの人間を手にかけた。これ以上人里にいては、我は人間に対しまた延々と害をなし続けるだけだと気づいたからだ。しかし、この村を出て行くとき、勝利して出て行くのと引き分けて出て行くのと、我が手にかけた人間の数に大きな違いがあろうか? つまり、今日の一回目の投票だが、あの時点で我が聖に入れようと一輪に入れようと、その意味では大きな差はなかった……。違いがあるとすれば、一回目の投票を引き分けた後、再投票で我が処刑される場合だが……この場合は、前の二つに比べて我の罪はうんと軽くなる。この村の人間全てが生き返るのだからな。我は死んでしまうだろうが、しかし……一人で隠遁し誰とも関わらず生きていくのと、ここでただ死ぬのとでは、我にはそう大した違いがあるようには思えなかったのだ。……まぁ、ここまでの話は、お主にとってはどうでもよいのであろうな、聖。大事なのは一輪の取った行動だ」
布都が一輪に目をやったので、私も彼女のほうを見た。一輪は二人のどちらとも目を合わさず、遠い空を胡乱な目つきで眺めている。
「一輪が一回目の投票を引き分けたとき、我はまだ、一輪が聖と結託して我を殺すつもりかもしれぬと考えてはいた。しかし、一輪は聖に投票すると合図を送ってきた。それでは我は一輪に投票するかと合図で尋ねると、一輪は頷いた。……そう、おかしな点が二つほどあるな。一つは、例え聖が我に票を八割方変えると分かっていても、我が一輪に投票するのだから、聖が投票先を一輪から変えなかった場合一輪は死んでしまう。それにもう一つ、実際こうして引き分けたこと自体が奇妙だろう。一輪は我を殺すことも出来たのだ。我には……」
布都はそこで言葉を切り、しばらくうな垂れて沈黙していた。しかしやがて顔を上げ、踵を返して私たちに背を向けた。
「我には、村の勝利を蹴り、処刑される危険を冒してまで一輪が我を生かし、村を引き分けで終わらせた理由はわからぬ。しかし、もう……我はきっと、この村で話し合うことはないと思う。そろそろ舌も疲れてきた。どこかでゆっくり休みたい……。後は二人でやってくれ。なぁ、一輪」
「……えぇ」
布都は振り返らず、
「それでは……我はもう行くとしよう。さらばだ、二人とも。一輪……この数日間色んなことがありすぎて何と言えばいいのかわからぬが、……ありがとう。我も、お主と話せて本当によかった。最後に我と関わる人間が、お主でよかったのかもしれぬ。……では、な」
そう言い残し、布都は村の柵を越え、森の奥へと消えていった。
村には二人の人間が残された。
「一輪……」
私の頭はまだ混乱していた。説明を求め、一輪の正面に立ち彼女に肉薄する。
「どうして布都を生かしたの? どうして……」
「どうして姐さんは布都を殺そうとしたのですか?」
一輪は私と目を合わせずにそう尋ねた。
「再投票で、私は一度姐さんの様子を確認しました。姐さんは笑っていましたね。あのとき私は、姐さんが布都に入れようと思っていることを確信しました。それで布都と合図をやりとりして投票先を操作したのです。しかし本当は、姐さんは投票を変えないという選択肢もあったはずです。引き分けを目指すのなら、ね」
「でもそれだと、私たちは負けはせずとも勝つことも……」
「引き分けでは駄目だったのですか?」
「それは……」
「そうです、姐さんは二日目に引き分けを提案していながら、今は人狼を殺すことを優先して投票した。そのことを知ったとき、私は思ったのです。その考え方には賛同できないと」
一輪は私に背を向けた。
「……ここでお別れです、姐さん」
「なっ、何を言っているのよ、そんな急に……!」
「姐さんはやっぱり人間ですよ」
どこか苛立たしげに一輪はそう言った。
「そんなこと当たり前じゃない、何を今更……」
「私が言いたいのは!」
一輪は語気を荒げるが、私の方へ向き直ることはなかった。
「私は妖怪である布都を助けるために多くの人間を見殺しにしたのです。その時点で、私はもう人間の側ではない。人間である姐さんと一緒に行くことはできません」
私に背を向けたまま一輪は歩き出す。
「待ちなさい、一輪! あなたは……」
「もういいでしょう、姐さん。どうあれ今の私は姐さんについていくことはできないし、今の姐さんに私の考えを曲げることはできません」
「でも、どこへ行くのよ!」
「さぁ、どこでしょうね。もし姐さんが……それでも人と妖怪の共存を目指して旅を続けるのなら、あるいはその道中で再び相見えることもあるかもしれません。もっとも――」
一輪は立ち止まり、首から上だけこちらを振り返って言った。
「ひょっとしたらその頃、私は本当に妖怪になっているかもしれませんが」
あまり「推理」して作品を読むということがありませんから、せっかくの作中のヒントにも気づかず人狼についてのネタばらしまでまったく気づきませんでしたが
人狼ゲームが好きな人にはあんまり気分がよくないかもしれませんねw
布都と一輪が互いに感化しあってこういう選択を選んだのはとてもよくわかりました
ただ聖がどうしてこういう選択を選んだのかについてはいろいろ想像をめぐらせてしまいます
人は弱い生き物で「人」である限りその枠から出られないのでしょうか?
原作では聖の最初の動機は「自分の死への恐怖」だったはずですが、この時の聖はその時のものだったのかなぁと思いました
作中に巧みに撒かれた伏線は読み直して気付くことができる見事なものでした。
完全な人狼ゲームではないという事で肩透かしをくってしまった気持ちもあるのですが、それを勘定してもやはり面白かったです。
とても面白かったです。
神子も咲夜も死んじゃったし、大好きで憧れる東方少女がよくわかんない独自設定で死ぬのは、やっぱり残念で悲しくてイライラする。
ストーリーは凄いんだけど、それを東方の登場人物でやってこうってところに、私は原作との違和感を感じた。こんなキャラだったっけ?っていう。
でも、ストーリーは素晴らしくて。序盤から最後までスリリングでした。中だるみや緊張がゆるまないように、余計な部分を作らず、とても良かったです。
新鮮でドキドキわくわくしました。最後のどんでん返し、そのまたどんでん返しも素晴らしいかったです。もう本当に読んでて楽しかったです。最高でした。
ありがとうございます
今日最後の三人の会話を読んでいてやっと気付いたのですが、作中聖の言う人間と妖怪の平等は「人間一般」と「妖怪一般」の平等であり、それは徹底して個を排除することによって成り立つのですね。
だから聖は早苗と霊夢を簡単に見捨てることもできるし、布都を殺すときに微笑むこともできる。
その聖との対比でとりわけ感動的なのは、自分は殺されないしいざとなったら布都を殺すこともできる、という特権的な立場を失った一輪が布都と交わす対話です。
ここで一輪は、布都という一人の個に話しかけている。
そして、それに布都は「信じる」と返す。
聖と一輪は、此処で徹底的に袂を分かつ訳ですね。
ゲーム自体も面白く、またゲームを物語として描く際の設定や解釈にも大変好奇心をくすぐられました。
登場人物たちがそれぞれ違った視点を持っており、その異なった視点を重層的に描くことで物語が厚みを帯びていると思います。
一つ、神子が小鈴を占い師だと判断する根拠が分からないのですが、これは自分の読解力不足かもしれません。
遅くなってしまいましたが、素敵な作品を読ませていただきありがとうございました。
でも話は面白い、面白いんだが……