□□□二日目・昼□□□
●人狼 物部布都●
霊夢の襲撃は実に呆気ないものだった。それほど罪悪感もなく、あまりにあっさりしていたため、こうして朝になって皆の前に歩み出て皆と共に戸口に横たわる霊夢の死体を眺めていても、さして動揺を表に出さずに済んだ。
「おはよう」
「おはようだぜ。霊夢が死んでるぜ」
「おはようございます。霊夢さんでしたか」
皆、口々に朝の挨拶を交わす。
魔理沙がやれやれと首を左右に振った。
「よく喋る連中が一気に二人も減ったってわけか。まぁ冷静に議論できていいのかもしれないけどな。まぁとりあえず――」
広場に集まった生存者の顔ぶれを見回しながら魔理沙は呼びかける。
「おーい占い師、名乗り出る気はあるのかー?」
誰もが視線をお互いに交わすだけで、名乗り出るものはいないようだった。
「ふーむそうか。さって、どうすっかな。生存者は七名。私、神子、布都、屠自古、聖、一輪、小鈴と。占い師が名乗り出ないんじゃ、今日も投票先を考えないといけないわけだよな。早苗が村人だとしたら狼は二匹残ってるわけで……」
「ちょっといいかしら、魔理沙」
魔理沙の言葉を聖が遮った。
「ん? 何だよ」
魔理沙は気を害した風もなく聖に向き直る。
「あなたが、霊夢と早苗のことをどう思っていたのか聞かせて欲しいの」
「はぁ?」
予想外の質問に魔理沙は素っ頓狂な声を上げた。
「あなたは元々この村の住人なんでしょう? 一緒に霊夢や早苗とも暮らしていたはずよね。あなたたちは仲が良かったのかしら?」
「それ、今重要か?」
「えぇ。できれば答えて欲しいの」
「まぁ別にいいけど……。どう思っていたって言われても、特に何とも思ってなかったって答えるしかないんだぜ。特にお互いの生活には干渉しなかったし、……そもそも私はこの季節に毎年ここに来るだけで、いつも住んでるわけじゃないんだ。その意味では本当の住人は霊夢と早苗だけなんだ。ま、顔を知っている程度の仲、って感じかな」
「なるほど。よくわかったわ」
聖の後ろにいた一輪がはっと顔を上げ、もしかして、と呟いた。聖は一輪を振り返り、にこりと微笑んで頷く。
「えぇ、その通り。私から皆に提案があるのよ。昨日一晩じっくり考えたのだけど、私はこの案がみんなにも納得してもらえると思うの」
「何? 何が言いたいのぜ?」
「つまり」
聖は一拍間を空けて皆の顔を見回し、そして言う。
「このゲームを、引き分けにしましょう」
我もはっとし、しばらく考えた後に理解する。そうか、引き分けか……!
「……はぁ? い、いや、ちょっと待て」
魔理沙はすぐさま反論する。
「何で引き分けにしないといけないんだよ。確かに早苗がただの人間で、霊夢が占い師とかだったら村は滅茶苦茶不利になってるかもしれないけど、別に今んとこそこまで戦況が傾いてるようには見えないし、大体そんな提案、人狼が呑むわけないだろ?」
「魔理沙、あなたもこの村のルールは把握しているでしょう? 勝敗が決した後では、負けた陣営の村民は生き返らない。けれど、再投票でも処刑者が決まらず引き分けでゲームが終わった場合、生存者はそのまま生き残るのよ。私達にとって、そして狼達にとっても、本当に目指すべき目標はこのゲームが終わった時点で自分が生きているということでしょう? それは必ずしもゲームに勝利することと同じではないの。なら、村人と人狼が協力してゲームを引き分けに導くというのは、十分現実的な解決方法だと思わない?」
「ま、まぁ、そりゃぁそうなんだが……。何というか、それを言っちゃぁおしまいというか……」
「このままゲームを続けて、もし敗北すれば私達村人は一人も生き残らない。それに明日、明後日とどんどん生存者、つまりゲームの状況を動かすことが出来る人間は減っていき、最終的には三人だけになるわ。それまでにゲームで死亡した場合、その三人に己の命運を託すことになるのよ。そうなってしまえば最早自分の力ではどうしようもない。そんな状況に身を任せるくらいなら、ここで引き分けで手を打ったほうが賢明だとは思わない?」
「でも、聖が言ってることは要するにあれだろ。早苗と霊夢を生き返らせることは諦めるってことだろ? 自分達の安全と引き換えに」
「自分達の生存と引き換えに、よ。もしあなたが、霊夢と早苗を生き返らせたいと強く願うのであれば、私も無理強いはできないわ。でも実際、私や一輪、それにほかの人はみんなこの村につい先日寄ったばかりで、このゲームが始まるまでは自分の連れ以外の人の名前も知らなかったし、あなただって似たようなもののはずでしょう。魔理沙、あなたは大して何とも思っていない二人の人間のためだけに、自らの命運をギャンブルの出目に預けられるというの?」
魔理沙は、うむむ、と考え込んだ。反論を探しているというよりは、聖の言葉を受けて自らを説得しているように見える。
「うーん、そう言われると、引き分けにしたほうがいいような気がしてくるぜ……」
「みんなはどう?」
聖は生存者の顔を見回した。
聖と目が合った小鈴は、渋々と言った様子で話し始める。
「私は、この場にいる全員が引き分けでいいというのなら従います。私個人は断る理由はないように思えますし」
確かに、この提案を拒む理由は、村人であればそんなにはないような気がする。
我も考え込む。我々人狼は、引き分けでいいのだろうか……。それは勿論、非常にありがたい提案ではあった。まだ我や一輪が特に疑われているという気配は感じないが、この先どうなるかはわからない。いつ占い師が躍り出て我と一輪の正体を暴き立てるかわかったものではない。それなら聖の提案に乗ったほうが……。しかし、聖の言っていることは基本的に正論のように聞こえるのだが、何か……どこか、はっきりとしないが、違和感と言うか、何故か腑に落ちない気がする……。
「姐さんの言っていることは、一見残酷かもしれない。二人の人間を見捨てよう、という提案なのだから」
一輪が前に歩み出て話し出す。我と一瞬だけ目が合い、一輪は意味深な視線を送った。我は昨晩の会話を思い出して一輪の右手を見る。右手は握られていない。これは彼女の本心からの意見なのだ。
「この引き分け案を実行するということは、妖怪の生存を人間が消極的にでも認めるということです。言うまでもなく、人狼もこんな戦いは望んでいないはずです。このゲームを仕組んだのは彼らではなくこの村を作った何者かであり、人狼たちはただ村に迷い込んで巻き込まれただけに過ぎないのだから、その意味では私たちと同じ被害者なのです。妖怪を恐れ、怯える気持ちは人間誰しも持っています。けどこの引き分けの提案は、双方にとって利する策であるが故に、私達が彼らに歩み寄ることの出来る、非常に稀なチャンスなのではないでしょうか。私は、引き分けに賛成します」
ん……?
歩み寄る……?
確かに、一輪が昨晩、そして今言ったとおり、聖は無闇に妖怪を排除しようとせず、寧ろ歩み寄ろうとしているようにさえ見える。そのこと自体はいいのだが……しかし、そのために人間の命をあっさり切り捨てているのが、どうも気になる。聖が別の意図があってこの引き分けを提案している、と勘ぐっているわけではない。実際そんな気配はなさそうだ。ただ、人間にとって同属というのはそんなにすっぱり見捨てられるものなのだろうか?
いや、この策を提案すること自体、なかなか勇気のいる行為のはずだ。聖は自分が人狼であると疑われるかもしれぬ危険を冒してまでそれを提案してくれたのだ。その聖の言葉を跳ね返すのは、折角機会を与えてくれたというのに我ら人狼の方から対話を拒絶するということだ。
我も決意を決め、賛同の意を示そうと口を開いた。
「我も――」
しかしそのとき、
「布都」
我の隣で、神子が低い声で我の名を呼んだ。
「え、な、何だ?」
振り返った我の前に、神子が立っていた。その刺すような視線を受け、我の背に冷たいものが走る。
「よもや、あなたは引き分けに賛同する気なのですか?」
な、何を……。
だって、村にとっても狼にとっても、その方が利益になるはずでは……。
そう意見を述べたかったが、神子の視線に射竦められた我の口は思い通りには動かなかった。
「いや、そんなことは……その、た、太子様は……?」
「反対します」
神子はきっぱりとそう言い、視線を我から外して聖のほうを見た。
気がつくと我は全身に冷たい汗をかいていた。何だったのだ、神子の今の視線は……。ただ単に不用意な発言を窘めるというような、そんな生易しい目つきではなかった。あれは一体……。
「神子さん……?」
聖が神子のほうへ向き直る。
「太子様……?」
聖の言葉に納得しかけていたのか、屠自古も訝しげに神子を見た。
聖の前に歩み出た神子は、奇妙な表情を浮かべていた。先ほど反対を表明したときの声は非常に明瞭で、強い意思の篭ったものであったにもかかわらず、彼女は悩ましげな、あるいは厄介な局面に出くわしたとでも言いたげな、苦味走った顔色をしている。
「もう一度言いましょう。私は、引き分けには反対です」
「何故かしら、神子さん。あなたが反対する理由を教えてもらえないかしら? あなたも霊夢と同じように、妖怪はただ妖怪であるというだけで退治すべきと考えているのかしら」
「……えぇ、言ってみればその通りです」
何やら意味深な間を空けつつも神子はそう答えた。
「……神子さん。あなたはこの国にとって非常に重要な役職を担っている方であると聞きました。それなのに、この村を安全に生きて出ることが出来るチャンスを棒に振り、必ず勝てるとは限らないゲームに自らの生命を賭してまで、人狼を討伐すべきであるとお考えなのですか?」
「それが私の役目であるならばそうするまでです」
聖と神子の視線が交差し、空中に火花が散ったように見えた。
「聖殿。今あなたは私が地位のある役人だからこそ生きて帰るべき、というようなことを仰った。しかしそれは間違いです。私はただの役人ではない。為政者の地位にある人間なのです。あなたが提案された引き分け策は、既に死んでいる者を見捨て、自らの生存のために妖怪に屈するということを意味します。その倫理的な是非について宗教家であるあなたと議論する気はありません。しかし私は都に、いやこの国に住まう多くの民衆の信頼を一身に背負う身なのです。その私に、わが身可愛さに人間を見捨てて妖怪の奔放を見逃すことが許されるとお思いですか?」
神子の挑戦的な物言いが癪に障ったのか、聖はやや棘のある口調で言葉を返す。
「それはあなた個人の問題でしょう。私達とは何の関係もないわ。ゲームの中断を要求している者がこれだけいるというのに、あなた一人の都合でそれをふいにしようとは、身勝手な為政者もあったものね」
屠自古が「何を無礼な!」といきり立つが、神子は手を振って黙っているよう合図した。
「そもそも私が断固として反対しているのに、引き分け投票は可能なのですか? その引き分け案は、この場にいる全員が納得しなければ成立しません。例えば私以外の六人が、三票ずつ二人の村民に投じて引き分けに持ち込もうとしても、私はそのどちらかに後から投票するまでです。そんな形で処刑者を決めるのは、私にとってもあなた方にとっても本意ではないはずです」
聖は押し黙り、じっと神子の顔を見つめていたが、やがて「はぁ」と肩の力を抜くと、
「……説得は失敗に終わったようね」
と言って神子に背を向けた。
「結局、ゲーム続行ってわけか? 期待して損したぜ」
魔理沙はなかなか身勝手なことを言った。
「みなさん」
神子がずいと前に出る。
「お詫びと言うわけではありませんが、私からも一つ提案があります。今日の投票についてです」
「おっ、そうだったぜ。もうあんまり時間がないからな、さっさと決めないとまずい。どうするんだぜ? みんな適当に投票するか?」
神子はいいえと首を横に振る。
「この七人のうち、人狼はまだ二匹残っていると考えています。現段階では楽観せずにそう考えたほうが無難でしょう。そして何も打ち合わせずに各々の怪しむ人物へ投票した場合、七票のうち二票が狼によって揃えられたらどうなるでしょうか。その二票に、村人の票が一票でも重なったら、七票のうち三票ですから、これで狼を処刑できる可能性はほぼなくなると言っていい。つまり村人の処刑は狼にとっては容易いことであり、我々村人にとっては避けがたいことなのです。よって今日は、事前に処刑先を決めてから投票すべきです」
「どうやって決めるんだよ。まさか、投票先を投票で決めるってわけにゃいかないだろ?」
「えぇ。ですから、今日誰を処刑するかを決める人――指名者を、事前投票で選出してはいかがでしょうか」
「あー……なるほど。つまり昨日みたいに事前に指差しで投票するんだが、今度は村で一番信頼が置けると思う奴を指差すんだな?」
「そうです。当然ですが、全員自分以外の誰かを指差さなければなりません。選出された指名者は、自分以外の誰か一人を投票先として指名し、その後の投票では全員がその人の名前を書きます。勿論投票先の人が占い師であれば宣言してもらわなければなりません。こうしておけば、たとえ人狼が指名者投票で票を合わせたとしても、そうして選ばれた人は必ず村人ですから、票合わせはさほど有効ではありません」
「ふーむ。狼の票合わせを封じるってわけか。もし狼が票を合わせて指名者を選出しても、その指名者が狼に都合のいいような指名をするとは限らないもんな。それに指名者投票自体、後々の推理材料にもなる。誰が誰を残しておきたいと思っているか、はっきりするわけだから」
なるほど。村人の立場からすれば悪くない提案のように思えるだろう。しかし人狼である我らからしてみたらかなり事前投票の投票先に悩むことになる。処刑者指名を間違えそうな村人とは、一体誰だろうか……?
一輪の方へ視線を送る。と、一輪と目が合い、彼女が二回続けて瞬きをするのが見えた。投票先の合図だ。一輪は自然な所作で聖につま先を向けた。
……なるほど、一輪はそうするしかあるまい。一輪は先ほど聖の引き分け提案に心からの賛同を示した。なのにここで聖以外の村人をより信頼していると言えるはずもない。さて、我はどうすべきか……?
結局神子のこの提案は全会一致で受け入れられ、指名者投票が行われることになった。神子に合わせるべきか? あるいは……?
「皆さん、いいですか」
投票の前に、神子は念を押すように言う。
「今から指を差すのは、間違いなく人狼ではないと確信している人物です」
「そんなことわかってるぜ。それじゃぁ、準備はいいな。せーのっ!」
魔理沙の掛け声と共に、円形に並んだ村民達は一斉に各々が信頼の置ける者に指を向ける。
指名者投票は以下のような結果となった。
魔理沙 → 聖
神子 → 屠自古
布都 → 聖
屠自古 → 神子
聖 → 魔理沙
一輪 → 聖
小鈴 → 神子
つまり、こういうことになる。
魔理沙 一票
神子 二票
屠自古 一票
聖 三票
「た、太子様が……私を指名してくださった……!」
屠自古は神子に一票貰ったのを見て感涙に打ちひしがれている。気楽なものだ。太子の一票は、信頼の一票などではないことくらい考えればわかりそうなものなのに。
今日の事前投票は昨日の投票とは全く状況が違う。昨日は正真正銘、各々が怪しいと思った人物を指差したのだが、今日の投票は実際は発言力を発揮していた神子と聖の一騎打ちだった。神子も聖も自分が指名者になるためには相手を指名するわけにはいかない。相手に票が入ればその分相手が指名者に選ばれやすくなるためだ。そのため、神子は屠自古、聖は魔理沙と、票を貰いにくい村人を指差したのだろう。
我が聖を指差した理由は単純だ。神子と聖を比べれば、人狼に敵意を寄せる神子を指差すことは恐ろしかったのだ。この心理を村人達に悟られなければいいのだが……しかし、我は嫌な予感がしたのだ。神子が指名者になれば、人狼を――恐らくは我を指名するだろうと。我が神子の意志に従っていないことが露見しようが、ここで神子を指さすことはできない……。
「指名者は聖さんに決まりました。誰を処刑しますか?」
神子はこれといった感情を表に出さず、淡々とした口調で聖にそう尋ねた。聖はそうね、としばらく熟考した後、
「……外れていたらごめんなさい」
と言って、――屠自古のほうを向いた。
「え……?」
たじろぐ屠自古に、聖は粛々と彼女の決断を宣告する。
「屠自古さん。あなたを処刑します」
「えっ、その……あのー……」
恐らくこの村へ来て初めて全員の注目を集めることとなった屠自古は、聖に返す言葉を必死に探している様子だったが、考えれば考えるほど思考が凍結していくのが目に見えてわかった。
「あの……あの……たっ……太子様ぁ……」
屠自古は助けを請うように神子を見る。
「聖さん」
一語一句を慎重に選びながら、神子は聖に尋ねる。
「この指名者投票を提案したのは私です。ですから、聖さんの指名に異論を挟むつもりはありません」
「そ、そんな! 太子様っ!」
着物の袖に縋る屠自古を横目に、神子は言葉を続けた。
「しかし、あなたの指名は私の考えとは違うようです。先ほどの投票で示したように、私は屠自古が人狼でないことを知っていた。あなたがこの子を指名した理由を、聞かせてもらえませんか」
「いいでしょう」
聖もまた慎重に答えを返す。
「まず、発言数の少ない布都、一輪、魔理沙、小鈴の四人の中から一人を選び、狼と断じるのは危険であると判断したのよ。この中に狼がいないとは言わないわ。でも、今その狼を名指しできる可能性は低い。では神子――あなたはどうか。発言数の多いあなたが狼であれば、今後の議論でぼろを出す可能性もあるし、既に占い師に占われている可能性も高い。よってあなたの正体は今ははっきりしなくとも、いずれ判断をつけることは難しくないわ。しかし屠自古はどうか。これまでの言動を鑑みるに、彼女は極めて自主性に欠けていると言わざるを得ないわ。その発言も投票も神子に阿諛追従するだけで何一つ自分では決めていないように見える。最も恐ろしいのは、神子が狼でありかつ屠自古が村人である場合よ。この場合、村には実質狼陣営が三人いることになってしまう。それでは勝ち目があろうはずもない。次に屠自古が狼であり、村人である神子に付き従っている演技をしている場合。この場合、もしこの先屠自古が生き続ければ、屠自古を疑うことは難しくなるはず。自由投票になればきっと投票先から真っ先に除外されるのは屠自古でしょう。だから、今この場で処刑するべきであると、私は考えたの」
聖の淡々とした演説を聞き終えた神子は、ゆっくりと目を閉じ、
「そうですか」
と小声で呟いた。
「太子……様……」
目に涙を浮かべる屠自古の手を取り、神子は彼女に向き合って静かに頭を下げた。
「すみません、屠自古。私が――愚かだったようです」
投票は粛々と行われた。屠自古以外の全員が屠自古に票を投じ、屠自古は聖に投票した。昨日と同じように、木の札が宙に浮いて分かりきった結果を皆に見せつけ、直後、蘇我屠自古は静かに息を引き取った。
■■■二日目・夜■■■
●人狼 物部布都●
『ねぇ、布都』
テレビ画面の中に一輪が現れると、彼女は開口一番に我に尋ねた。
『あなたは、どうして神子が屠自古に投票したか、わかる?』
「え? 今日の指名者投票か?」
『そう。これはとても重要なことだと私は思うの。あなたはどう思う?』
「どうって……あれは別に、神子が屠自古を信頼していたから票を投じたわけではあるまい。ただ神子は、聖にだけは入れるわけにはいかなかったのだ。自分が指名者になるためには、一票でも聖の票を減らすことが肝要であろう? よって投票先は聖以外であれば誰でもいいのだが、万が一聖の票と被ったり何かして適当な奴が指名者になってもかなわん。だから一番票を貰わなさそうな屠自古に入れたのだ。逆に言えば神子は屠自古を一番信頼していなかったのだ。……違うのか?」
一輪は即答せず、しばらく考え込んだ後に言う。
『恐らくは、違う』
「どうしてだ? 別におかしなところは……」
『あなたの言っていることは基本的には間違いではないわ。でもね、神子が屠自古に入れたのは、屠自古を信頼していたからなのよ』
「へ……?」
『順を追って話しましょう。まず、聖の引き分け案を思い出して。あの案自体は潰えたけど、あのとき神子の様子が変だと感じなかった?』
「言われてみれば確かに……」
妙に我に対して威圧的だったような気がする。しかしそれがどうしたというのだろう。
『引き分けに反対する理由を、為政者がどうのこうのともっともらしく説明したわね。でもその説明はこじつけのように感じなかった? 実際、こんな寒村で起こったことなんて、私達が黙っていれば都の連中なんかに知られるはずがないじゃない。明らかに、もっと別の理由から彼女は引き分けに反対した。そして彼女が村陣営であることを考えると、引き分けに反対する理由となったらもう一つしかないのよ』
「それは……?」
『彼女は身内が狼に食べられたことを知っていて、その身内を生き返らせようとしているの。だからこそ、死者が生き返らない引き分けで手を打つわけにはいかず、なんとしてもこの村を勝利に導こうとしているのよ』
「でも、霊夢も早苗も神子の身内ってわけじゃ……あっ!」
そ、そうか! そういうことか、つまり――!
画面の中の一輪は頷く。
『そう、あなたよ、布都。村陣営が勝利すれば、一番最初に狼に喰われた――つまりルールに則って殺された物部布都は生き返る。もちろん雲居一輪もね。そしてここが大事な点だけど、何故神子は、物部布都が人狼であることを知っているのか。あなたはこれまでほとんど議論に参加していないから、言動から推測されたとは考えにくいわ。ということは――』
「そうか! 神子は占い師なのだ……! 神子は我を占い、我が人狼であると知ったのだな? 考えてみれば、占い師がまず真っ先に知りたいのは身内が喰われているか否かという情報だ。それで……」
『そうね。そう考えるのが最も自然なの。きっと最初に屠自古を占い、昨日の晩あなたを占ったのね。そのときにあなたが人狼であることを知ったのよ。そして今日の指名者投票があった。神子が指名者に選ばれていたら、まず真っ先にあなたを指名したでしょう。しかし選ばれなかった場合の保険を打った。それがあの屠自古への投票なのよ。聖が今の私と同じ推理をして、神子が占い師であるという推測にたどり着いていれば、神子の身内に狼がいることもわかるはずよ。そこで神子は屠自古に投票し、屠自古が狼でないことを知っている、言い換えれば、狼のうち少なくとも一匹は物部布都であるということを暗に示したのよ。聖がそれに気づき、あなたを狼として指名することを期待して』
「しかし、聖は神子のその暗号を見抜くことが出来なかった……それであんなことを言っていたのか」
神子が屠自古にかけた言葉――“私が愚かだった”――あれはつまり、聖が屠自古投票の真意に気づくことを期待した自分が馬鹿だったという意味だったのだ。
『神子が指名者投票を提案した本当の意図は恐らくここにあったのでしょう。神子が指名者になっても聖が指名者になっても狼を処刑することが出来るように……しかしその目論見は、屠自古の印象が強すぎたために破綻した』
「……ということは、実は間一髪だったのだな……。我は、あと少しで死ぬところだったのだ……」
そう考えると何とも言えぬ恐ろしい気分になってくる。我を見据えたあのときの神子の目を思い出し、今になって肩がぶるっと震えた。
その様子を見た一輪がくすくすと笑った。
『結果オーライよ。それにしてもあなた、妖怪の割に随分小心者なのね』
我はむっとして言い返す。
「我は、その、別に……いいであろう、小心者であっても。怖かったのだ、神子が。しかしなるほど、占い師だったのか……」
『勿論確定したわけじゃないけど、まずそうでしょうね』
二人の間に、暫しの沈黙が訪れる。
「……なぁ、一輪」
我は、先ほどから何となく考えていたことを口にする。
『何?』
「まぁその、当たり前のことなんだが……今夜、我らは神子を襲わないといけないんだよな」
『そうね。占い師を生かしておく手はないわ』
「その襲撃、一輪に任せてもいいか?」
『えっ……?』
一輪はぽかんと口を開けた。
『どっ、どうしてまた……? まぁ、頼まれれば私がやってもいいけど、どっちがやっても変わらないでしょう?』
「まぁ、それはそうなんだが……」
『ひょっとして神子が怖いの? 人間は、人狼の襲撃には抗うことが出来ないのよ。どんなにその人間が強くても、どんなにその人狼が弱くても』
「いや、そういうことじゃないんだ。ただ、……だって、嫌であろう? 神子は、物部布都を生き返らせるためにあれこれ手を打ったのだ、それなのに自分を殺しに来るのが、その物部布都だなんて」
『……布都……あなた……』
一輪は困惑の表情を浮かべていた。我は慌てて取り繕うように声を張る。
「あ、すまん。今の我、ちょっと頼りなかったか? 悪かった、忘れてくれ。今日は……」
『いえ、頼りないなんて思ってないわよ。ただ少し意外だっただけ……』
一輪の声が萎んでいく。そのまま彼女は黙り込んでしまった。
「一輪……?」
『布都。私ね。……何て言ったらいいのかしら。簡単に言うと孤児だったのよ』
一輪は横を向き、我から視線を逸らした。
『幼い頃に家族が……人間に襲われて、私一人だけが生き残った。幼いといっても一人で何とかやっていけるだけの年齢にはなっていたから、それからは一人であちこち歩き回ったわ。人間と妖怪の関係について、いろんな考えを持っている人がいることを知った。それでも私の考えは……その二つの間の壁がなくなることなんてない、という考えは変わらなかったの。昔ほど憎しみで常にはらわたが煮えくり返ってるってわけでもなくなったけど、もう……ここまでずっとそうしてきたから、敵意が頭に染み付いて離れないのよ。布都、あなたはどう? 人間のことをどう思ってるの?』
「私は……」
答えにくい質問だ。すぱっと割り切った答えを返すことができればいいのだが……。
「やっぱりよくわからなくて……。でも我ら人狼は、人間になりすまして生きていく種族であろう? だから、我はどうしても人間を敵視できぬのだ。でもそれは、妖怪としては特殊なのか……あぁ、悪い、お主が人間に対して抱いている感情は知っていたはずなのに人間に同情したりして。今夜の襲撃は我が行こう。一輪は明日の作戦でも考えていてくれ」
『……今のこの状況では、敵意が必ずしも必要であるとは思わないわ。ただ生きるためにやらなければいけないことがあるだけで。そうそう、明日のことなんだけど、提案があるのよ』
一輪はそれから明日の行動についてある作戦を持ちかけた。神子を排除したらもう村には占い師はいなくなる。だから我々人狼のうちどちらかが占い師を自称したとしても、その真偽を確かめる術はなくなる。だから占い師を騙り、村人を誘導しようと言うのだ。
「うーん、そううまく行くか? 占い師であると宣言したところで、却って怪しまれないか?」
『それでも村人にとってみれば、もう占い師を信じるしかなくなるのよ。だってそのほうが、適当に投票するよりも勝率が高いもの。占い師の言うことを鵜呑みにしさえすれば、偶然に頼らずに勝てるでしょう』
「うむむ……」
結局、明日は我が占い師を騙ることになった。今までは黙って大人しくしていればよかったのだが、しかし今回は積極的に村人を騙しに行かなくてはならない。我にそんなことができるのだろうか。うまく占い師を騙れるか不安で仕方なかったが、一輪という味方がまだ生きているという事実が、きっと我の背を押してくれるだろう。
我は一輪に礼を言い、本物の占い師を排除するために家を出た。
○豊聡耳神子○
神子は畳の上に仰向けに寝転がり、目を閉じていた。彼女は人狼が――布都が自分を食べに来るのを待っていた。手を胸の上で組み、いつでも死ぬことが出来るよう体の力を抜いている。
思い返してみれば、と神子は死までの時間を思索に費やす。村人にとっても狼にとっても、このゲームの鍵となるのは占い師の存在だ。
村人は占い師をいかに守るか。狼は占い師をいかに排除するか。勝敗はそれにかかっていると言っていい。
神子は、一日目終盤の霊夢の暴言を思い出す。早苗の処刑が決まった後、霊夢は突然狼に対し挑戦的な、そして扇動的な発言をし始めた。あの挑発には霊夢の本心も多分に含まれていただろう。しかし、恐らく彼女は自らを襲撃するように狼を誘導しようとしたのではないか? つまり彼女は、ただの村人である彼女自身が襲撃されることによって、占い師を狼から守ろうとしたのだ。狼は彼女の暴言に乗せられ、彼女の策は実を結ぶこととなった。
しかし二日目。村にとって思わぬアクシデントが発生する。
聖の引き分け提案さえなければ、神子は明日も生きていたかもしれない。その場合、彼女が指名者に選出されて布都を指名処刑できたかもしれない。しかし聖の提案という偶然によってそれは阻まれてしまった。
すみません、屠自古、と神子は心の中で再び屠自古に謝った。
家の戸口の外に、誰かがやってきた気配がした。神子は、ふっと微笑み、
「よくも布都を殺してくれましたね」
と戸口の人狼に聞こえるように言った。
戸が開く音と共に急速に遠のいていく意識の中で、しかし、と神子は思う。
しかし一矢は報いた、と。
何故なら、豊聡耳神子は占い師ではないのだから。
○本居小鈴○
布都が神子の家を襲撃している頃、本居小鈴は家で一人煌々と光るテレビ画面を凝視していた。テレビには、この村でただ一人、小鈴だけが見ることのできる画面が映し出されていた。
『占い先を選択してください
<生存者一覧>
[?]霧雨魔理沙
[?]豊聡耳神子
[狼]物部布都
[?]聖白蓮
[?]雲居一輪
[占]本居小鈴』
画面の横に、それぞれの名前に対応したボタンがある。ボタンを押せば、そのボタンに対応した村民の正体を、彼女は知ることが出来る……。
占い師である本居小鈴は名前の羅列を食い入るように見つめる。残った選択肢は四つ。この中に、恐らくは狼がもう一匹潜んでいる。
最初の占いで物部布都を占ったのは偶然だ。画面に表示された、自分以外の九名の名前を、彼女はほとんど知らなかった。純粋に勘で布都の名前を選び、彼女が人狼であったと知ったときには、彼女は喜びに舞い上がった。
しかし彼女は恐れた。この結果を初日にすぐさま発表することは出来る。しかし、その後狼が占い師を生かしておくとは到底考えられない。その場合、布都を処刑したとしても残り一匹を村人達の協議によって見つけ出し、処刑しなければならない。そしてその協議には、小鈴は参加できないのだ。自分が処刑されそうになったとき、あるいは二匹目を見つけたときまで、この結果は胸に秘めておこう。小鈴はそう心に誓った。
一日目の夜、彼女は蘇我屠自古を占った。そして今度は失敗した。屠自古はただの村人だったのだ。しかしまだチャンスはある。彼女はそう考え、やはり結果を伏せておくことにした。屠自古が処刑されることが決まったときは気持ちが揺らいだ。自分が名乗りを上げれば彼女は助かる。しかし、残り一匹の処刑を村人の手に委ねることになる。何の能力も持たない村人の手に。
まだだ。まだ、大丈夫なはず。
人狼布都を一発で引き当てはしたが、本居小鈴は元来決して勘の鋭い人間ではなかった。しかしそんな彼女でも神子が占い師であるかのように振る舞い、真の占い師をかばおうとしていることは感じ取っていた。
――あの迫真の演技では、恐らく狼も神子に騙されたに違いない。私が今夜襲撃される可能性は低いはず。ならば何としても今夜、狼を見つけ出すのだ。
小鈴は熟考の末、決断を下した。
この人を占おう。小鈴はゆっくりとテレビのボタンに手を伸ばす。
占い師である小鈴は、霊夢に、そして神子に守られ、この日まで生きながらえた。早苗が提案した事前投票も、元はと言えば小鈴を生かすための提案だった。全ての犠牲は彼女を守るためのものであり、彼女は村の全ての希望を背負っていたのだ。しかし彼女はその責任の大きさを自覚できず、人狼を発見するまでは占い師であると公表しないという、保身から来る選択肢を貫き通した。彼女が犯した間違いがあったとすれば、ただその点だけが致命的な誤りだったのだ。