Coolier - 新生・東方創想話

悪霊(三)

2014/05/26 22:12:42
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 だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。わたしは、お前を討ち、お前の首をはね、今日、ペリシテ軍のしかばねを空の鳥と地の獣に与えよう。全地はイスラエルに神がいますことを認めるだろう。主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される。」

(日本聖書協会『新共同訳聖書』サムエル記上17章45-47節)






 決 闘 状

 さて、いよいよ物語は事件当日の描写に入っていくのだが、その前に、私はここで、ある決闘の話題について触れておきたい。決闘それ自体は、さして珍しい出来事ではなかったし、事件そのものを語る上で、この決闘が絶対に省くことのできない必須事項というわけでもないのだが、それでも、私にとって、この決闘のくだりはやはり重要なもので、安易に省略してしまうわけにはいかないのである。いや、むしろ事件そのものよりも、この決闘の描写にこそ労力を費やすべきだとさえ、私は感じているのである。ともかく、私は事件の数日前から叙述を再開することにしよう。
 博麗の巫女が決闘をするという噂は、瞬く間に里の人々の間に知れ渡った。
 娯楽の少ない里の人々にとって、決闘は格好の話題であった。彼らにとって、決闘はある種の見世物であり、日ごろの鬱憤を解消する代償行為であり、賭博の対象であり、一言で言えば「祭り」であった。
 決闘の理由は人によって様々であったが、たいていの場合、些細なことが発端で、「誰それが誰それを侮辱した」といった具合であった。しかし、無責任で話好きな連中は、それで満足しなかった。彼らはそこに隠された裏の理由を嗅ぎ出すのだった。他人の秘密を暴き立てることに関して、彼らは実に優秀な猟犬だった。彼らに言わせれば、「高尚な決闘なぞくそ食らえだ! そんなものどこが面白い? 決闘の理由は痴情のもつれさ!」ということになった。彼らはまた、そんな尾ひれのついた噂話をさかなに、安酒を飲むのを何より楽しみにしていた。
 彼らは他人の秘密を暴きはするが、その秘密を使って何をするでもなく、楽しくおしゃべりをして、それでしまいである。その点、彼らは悪党と呼べるほどではなく、まだしも罪のない、無邪気な連中と呼ぶことができた。
 そうした無邪気な連中が広告塔となり、決闘の噂はすぐに里中に知れ渡るのが通例なのだが、今回はいささか様子が違っていた。噂の中心にいたのは、この無邪気な連中というよりも、むしろ進歩派の人たちであった。博麗神社に送りつけられた決闘状に『介添人 鬼人正邪』と署名されていたためである。
 例の命蓮寺での一件がまだ記憶に新しい進歩派の人たちが、正邪君の名前を見て「これはまたひと波乱ありそうだぞ」と考えたとしても無理はあるまい。事実、彼らの間では、様々な憶測が飛び交っていた。ある者は「正邪君のことだから、また何か途方も無い秘策を用意していて、案外あっさりと巫女をやっつけてしまうのではないか」と言い、また、ある者は「さしもの正邪君でも巫女を倒すのは難しかろう。それよりも命蓮寺の時のように、何か侮辱的な騒動を巻き起こして、巫女を物笑いの種にするのが目的ではないか」と言った具合であったのだが、ほぼすべての人に共通していたのが「何か話しのネタになりそうな、面白い騒動を引き起こしてくれるに違いない」という無責任な期待感であった。
 さて、決闘を申し込むにあたり、正邪君が巫女に決闘状を送りつけたことはすでに述べた。これはいわゆる果たし状であり、今日では省略され、誰も顧みなくなった、決闘本来の作法なのだが、この形式的とも言える事務を、彼女は律儀に遂行した。私はこの決闘状の内容を全文ここに掲載したりはしないが、概要程度には触れておくべきだろう。そこには、概ね次のようなことが記されていた。

『……決闘とは、本来、此の様な公権力による不当な裁きに対して自らの潔白を証明する手段であり、社会的弱者にとって、不当に貶められた名誉を回復するための殆ど唯一の方法である。決闘とは、自らの運命を神に委ね、神意による公正な裁きを期待するものである。神は常に正しき者の味方であり、邪悪なる者に微笑み掛けたりはしないのである……

(省略)

……決闘と謂ふものは、神聖でなくてはならない。然るに、当代巫女の制定したる決闘法は、決闘本来の目的を歪曲し、決闘そのものを侮辱し、不当に貶めるものに他ならず、甚だ利己的で、当然看過し得ない暴挙であると謂わざるを得ない。今や決闘は娯楽の延長と成り下がり、子供らの遊戯の如き為体である。斯かる事態を招いた当代巫女の責任は極めて重大である。我々には此の責任を追及し、糾弾する義務がある。我々は民衆の代表である。不当に虐げられし弱き者達の代弁者である……

(省略)

……斯かる状況下、当代巫女は、自らの失態が招いた不始末と、己が力量の不足とを真摯に受け止め、即刻退陣すべきである。以上の点を踏まえた上で、我々は、①決闘法の改正及び②当代巫女の即時解任並びに③巫女以外の第三者機関による公正な仲裁の導入を要求すべく、当代巫女に対し、ここに決闘を申し込むものである……』

 云々。といったような内容を、彼女は三枚の便箋に細かな字でびっしりと書き綴ったのである。彼女はその写しを取り、二つの封筒に入れ、一通を博麗神社に、もう一通を里の代言人に宛てて送りつけた。
 かくして、決闘の申し込みは受理された。決闘は五日後、場所は博麗神社近くの雑木林と定められた。その間、人々は噂話に花を咲かせながら決闘の当日を待ったのである。

 お椀のぼうしに針の刀

 決闘当日の針妙丸の装いは次のとおりである。
 彼女は秋の草花をあしらった艶やかな赤い着物の袖をたすきでたくし上げ、腕には白い手甲、足には同じく白の脚半をつけ、頭には金蒔絵で飾られた黒漆の塗笠をかぶっていた。これで懐剣の一つでも持っていれば、まるで武家の娘が父の仇を探して旅に出そうな出で立ちであるが、あいにく彼女の得物は刀身の短い懐剣ではなく、中世欧州貴族の決闘を思わせる細身の刺突剣であった。
 彼女は愛用の小さな手鏡を使って何度も自分の容姿を確認しては、その都度、帯の結び目の形を整えたり、塗笠をかぶり直してみたり、刀剣の位置を微調整するのに夢中になっているのだった。これらの衣装は、この日のために、もう何日も前から準備してあったもので、正邪君いわく「せっかくのお披露目だからね」とのことであった。
 そうこうしているうちに、素早く三回、続いてゆっくりと二回、例の独特の拍子で戸を叩く音が聞こえて、手鏡に夢中になっていた彼女は、はっと我に返った。はじかれたように戸口の方へ飛んで行き、履物を履こうとして、ふいに何かを思い出し、大慌てで部屋に引き返し、部屋の隅に置いてあったつづらを開け、その中に手鏡をしまい込み、かわりに小槌をひっつかんで、また戸口の方に駆け出した。戸口を開けると、そこに正邪君が立っていた。
 博麗神社は幻想郷の東のはずれにあった。神社に向かうためには、里を出て、薄暗い雑木林を抜けて行かなければならなかった。雑木林の途中、神社に到着する少し手前に、多少開けた、広場のようになった場所があったのだが、決闘が行われるのはそこだった。二人は徒歩でそこ向かった。
 その日はあいにくの空模様で、厚い雲が空一面を覆い、雨こそ降っていなかったものの、強い西風が吹いていた。風は落葉樹の枝から最後の一葉まで奪い去ろうとがむしゃらに吹きつけ、すでにほとんど葉の落ちてしまった骸骨のような枝を不気味に揺さぶった。小柄な針妙丸は強風のせいか、あるいは周囲の木々が不気味に見えたせいか、正邪君のかたわらに、ほとんどしがみつくようにして歩いた。それでも、二人は予定していたよりもかなり早い時刻に、目的の場所に到着した。
 そこには、もうかなりの数の見物人たちが詰めかけていた。決闘の様子を少しでも間近に見ようと、人々はすでに場所取りを始めていた。
 何人かの見物人が二人の到着に気付いて口々にはやし立てた。「見ろよ。我らが正邪君のお出ましだぜ!」「するとうしろのちんまいのが挑戦者で?」「こう言っちゃ失礼だが、あれで勝負になるのかね?」
 見物人たちの好奇の視線にさらされて、針妙丸の顔がかッと赤くなった。彼女は塗笠を目深にかぶり、できるだけ誰とも視線を合わさないように努めた。
 見物人たちを取材していた新聞記者の一団が、騒ぎに気付いて一斉に二人の周囲に群がり始めた。
 記者たちはそろいの白装束をまとい、頭巾ときんをつけ、一本歯の高下駄を履き、要するに、修験道の行者のような格好をしていた。彼らは法螺貝の代わりにライカをぶら下げ、錫杖しゃくじょうの代わりに三脚をかついでいた。
 ちょうどよい機会なので、この奇妙な風体の記者たちについて、ここで一言しておくのも悪くないだろう。

 山の住人たち

 諸君もご承知のとおり、彼らは天狗と呼ばれる山に暮らす妖怪たちの一派である。
 彼らは里に定住することや、農耕に携わることを厳しく禁じられる一方で、ある種の職業を独占する権利を与えられていた。新聞と報道に関する事務がそれである。賢者達が彼らに業務の独占を許した理由は二つあった。一つは、農耕に従事できない彼らに貨幣獲得の手段を与えるため、そしてもう一つは、マスメディアを彼らの独占にすることで、報道管制や言論統制を容易にするためである。全く同じ理由から、河童は科学技術に関する事務を独占するのである。先の章で早苗が持っていた携帯電話を思い出してほしい。あれを改造したのが、この河童たちであることは言うまでもない。
 先の章で霊夢と早苗の会話の中に登場した「山の連中」とは、もちろん彼らのこと指す言葉である。必要とあらば、彼らは里人たちを監視する秘密警察としての役割も担っていたのである。なるほど、彼らは一種の被差別民には違いなかったが、賢者達と密接なつながりを持ち、ある種の利権を有するという点においては、彼らは特権階級だった。
 被差別民がある種の利権と結びつく構造は、幻想郷に限らず、どこの世界にもまま見られることである。社会的地位の低い人たちほど、社会による保護の必要性が増すのだが、そのため、社会のどん底に暮らす人たちが、ある種の利権によって、ほとんど不可侵と言っていいほどの強大な権力を手にすることが、実際に起こり得るのである。この「最強の弱者」とでも言うべき矛盾した存在は、差別される側の人々の中にありながら、時の権力者と密接に連携し、決して表に出ることのない、人目をはばかる闇の存在として、身分制度の根幹をなす一個の歯車として機能するのである。
 こう書くと、善良なる諸君は、私のことを差別主義者として軽蔑するかもしれない。念のために言っておくが、私はこうした利権によってのし上がろうとするやくざ者たちのことを、肯定も否定もするつもりはない。この問題は、単純に善と悪の二択で論じられるべきではない。ある側面において被害者であった者たちが、別の側面では加害者となる。そこに、この問題のおそるべき陰湿さが潜むのである。彼らのような異形の存在は、社会によって故意に生み出されたのであり、それは、社会の裏の部分で、彼らのような存在が必要とされていたからに他ならない。むしろ、この妖怪じみた連中に仕事を与え、連中を陰で使役する権力者の方にこそ光を当てるべきだと、私は考えるのである。
 山の妖怪たちの役割は、ある意味で江戸時代の非人の役割に似ていなくもなかった。彼らは農民から激しい差別を受けていた。一方で、領主の命により、農民の不穏な動きを監視し、時に一揆の首謀者を捕らえ、処刑したのもまた彼らだった。権力者は被支配者階級を二つの集団――農民と非人に分け、一方に他方を監視させたのである。権力者のねらいがこの二つの集団を仲たがいさせることにあったのは明白である。権力者は二つの集団を反目させることで、不満の矛先が権力者自身に向かうのを防いでいたのである。この巧妙なやり口は、ある程度成功を収めていたと言えよう。農民は彼らに仕返しするのに夢中になるあまり、権力者への反抗をしばしば忘れていたのである。賢者達が幻想郷を設計するにあたり、徳川封建社会を参考にしたというのは、あながち穿った見方でもないと思うのだが、いかがだろうか?
 話を戻そう。
 見物人を取材していた山伏姿の記者の一団が、騒ぎに気付いて一斉に二人の周囲に群がり始めた。無遠慮な記者の一人が間近で焚いたストロボのせいで、針妙丸は目がくらんでしまった。正邪君はすかさず針妙丸と記者たちとの間に割って入った。
 そのとき、人垣を掻き分けるようにして、一人の女性記者が正邪君の前に進み出た。他の記者たちから不満の声が漏れるのも気にせず、彼女は快活に話し始めた。「文々。新聞の射命丸文です。質問いいですか?」
「質問に答えるのはかまわないけど、公正な記事にしてくれるだろうね?」正邪君は釘をさした。
「そりゃァもう、《清く、正しく》がうちのモットーですから!」
「よろしい。質問したまえ」
 射命丸は黒い小さな手帳と鉛筆をふところから取り出し、メモを取りながら質問を始めた。「では、まず最初に、決闘を申し込んだ理由についてお聞かせ願えますか?」
 他の記者たちも一斉にメモを取り始めた。
「幻想郷において、決闘がきわめて重要な紛争解決のプロセスだということは、僕自身も認めているのだけど、問題は、執行者である巫女自身が、自分たちに都合のいいように、勝手なルールを制定して、決闘本来の意味を不当に歪めてしまっていることだね。彼女は決闘を私物化しているのさ。……てなことが、巫女に宛てた決闘状の中に書かれているので、詳しくはそちらを参照してくれたまえ。当代の巫女は、決闘状の内容を真摯に受け止め、退陣すべきだと僕は思うね」
「なるほど。次は、その決闘状に関する質問です。昨今では、何ごとも略式で済ませるのが流行りと聞きますが、今回、わざわざ決闘状をご用意されたのには、何か意図があるのでしょうか?」
「あとでごちゃごちゃと文句をつけて、『この決闘は無効だ!』なんてごねられたらかなわないからね。今回は一から十まで、すべて向こうさんのルールに則ってやるつもりさ」
「なるほど、なるほど。ところで、挑戦者はまだ子供のようにお見受けしますが? 失礼ですが、勝算はいかほどで?」
「きみたちは決闘の勝敗を、腕力か何かの差によって決まるものと誤解しているけど、実際はそうじゃない。決闘状にも書いたとおり、決闘の勝敗は神の采配によって決まるものだから、正しき者が勝ち、悪しき者が負ける。それが道理さ」
「つまりあなた方はこの決闘に勝って、ご自分の主張が正しいことを証明すると?」
「そのとおり! そこら辺のことを踏まえたうえで、しっかりと記事にしてくれたまえよ」
「明日の朝刊の見出しですがね、ざっとこんな感じで……」
 射命丸は手帳に走り書きをすると、そのページを乱暴に破り取って正邪君に手渡した。
 紙片にはこう書かれていた。

『賢者達があなたを見ています ご忠告まで』

 紙片に目を通した正邪君は、すぐにそれをくしゃくしゃに丸めてポケットの奥にねじ込んだ。彼女は言った。「ふむ、悪くない」
 正邪君がインタビューに応じている間、針妙丸はずっと正邪君のうしろに隠れていた。彼女が正邪君の陰から顔をのぞかせたちょうどそのとき、群がる記者たちの間に、巫女側の介添人である十六夜咲夜の姿がちらと見えた。
 決闘が始まるまで、まだいくらか時間があるので、彼女のことにも触れておくくらいの余裕はあるだろう。

 時間でも止めない限り間に合いっこない

 湖の畔に建つ洋館には住み込みで働く大勢の使用人たちがいたのだが、彼女もそのうちの一人だった。彼女はそこで使用人頭を務め、館の雑務の一切を取り仕切っていた。《館の顔》を自負する彼女は、常に清潔感のある小ざっぱりした服装で、丁寧にアイロンがけされたシャツにはいつも真新しい折り目がつき、ぴかぴかに磨き上げられたブーツには泥汚れ一つついていないのだった。常に背筋をぴんと伸ばし、疲れた様子など微塵も見せず、真夏の猛暑の中でも涼しい顔をしていた。あらゆる激務を秒単位の正確さでこなし、その動作は機敏で無駄がなかった。
 彼女が彼女の女主人のために紅茶を入れるところを、私は一度だけ見たことがあるのだが、その動作ひとつとってみても、どことなく優雅で、洗練され、気品に満ちているのだった。本物の欧州貴族の使用人というものを、もちろん私は見たことがないのだが、おそらく彼女は本物に違いない。少なくとも、彼女の一挙手一投足から本物であることのプライドがにじみ出ているように感じられた。
 その日、いつもどおり朝食の給仕を終え、いざ館から出発しようとしたそのときになって、館の女主人――レミリア・スカーレットはふいに彼女を呼び止めた。朝食に何か至らぬ点があったかとかしこまる彼女に、レミリア嬢は歌うように告げた。「今日はお日様が陰って、本当にいい天気ね。風も強くて、どことなく陰気で、憂鬱で、こんな日は、何か素敵なことが起こりそうな予感がするわ。おや、屋根の上でカラスたちが合唱している、あんなにはしゃいで、なんて楽しそう! 見て、あすこに黒猫がいるわ、物陰から目だけを光らして、身震いするほど素敵だわ!」
「おそれながら申し上げます」と咲夜は言った。「あすこに黒猫はおりません。あれは使用人です」
「あら、本当、確かにあれは使用人だわ。でも、何を見ているのかしら? いやらしい。あっちへお行き。しッ、しッ!」
 レミリア嬢は使用人を追っ払った。
「そうだわ、咲夜。今から竹林に行ってちょうだい。先生に伝えてほしいことがあるの。フランがまた熱を出すわ。こんな日はいつもそう。あの子ったらはしゃぎすぎよね。あの子が熱を出したら、すぐに駆けつけてくださるように、先生に準備しておいて頂くの。ああ、かわいいフラン、私の妹。……おや、あなたはこれから決闘の仲裁に出かけるところだったかしら?」
「先に竹林に行って、先生に用件を伝えましょう。決闘はそのあとで」
「いや、やっぱりいいわ!」レミリア嬢は自分の考えを打ち消すように、顔の前で素早く両手を振りながら言った。「竹林の先生は呼ばないでちょうだい。また例のいかがわしい薬を売りつけるに決まっているわ。お医者様は次から次へと新しい病気を発明なさる。こちらが無知なのをいいことに、小難しい用語を並べ立てて、煙に巻いてしまう」
「おっしゃるとおりで」
「いいこと、咲夜。お医者様の言うことを頭から信じては駄目よ。小難しいことを言われたら、こう言ってやり返してやるといいわ。『不安を煽るのがとてもお上手なのね、先生。弱みにつけこんでお金を巻き上げようなんて、まるで政治家かやくざのようですわね』って」
 咲夜はすかさず答えた。
「『貧しい人たちから』と付け加えた方が、なおよろしいかと」
 レミリア嬢は咲夜の顔をまじまじと見つめてから言った。
「そうね。そう言わないと、なんだか代金の支払いを渋っているみたいで、ケチくさい奴だと思われてしまうものね。それに、そう言った方が、民衆の意見を代弁しているみたいで、重みが増すわ。双方の立ち位置がより明確になる。我々はプロレタリアート、敵はブルジョワってわけね。昨今の風潮にもマッチしているわ。上出来よ、咲夜!」
 咲夜はうやうやしく頭を下げた。
 レミリア嬢はこの言い回しが気に入ったらしく、口の中で何度か繰り返して、納得したように一人でうなずいた。彼女は続けた。
「ところで咲夜、決闘に行くのなら、私の馬車に乗って行きなさい。きっと役に立つわ!」
 レミリア嬢は、しばしば、このように予言めいた言葉を口にするのだが、咲夜はその理由をたずねるでもなく、素直に言いつけに従うのだった。
 この女主人には、どこか神憑り的なところがあり、そのことは彼女も重々承知していた。彼女の解釈によると、主人の発言は概ね次のような意味になった。「この決闘で、どちらかが負傷するか、最悪の場合死亡するかして、いずれにせよ、搬送のために馬車が役に立つ事態になるわ。これは絶対に避けられない運命なのよ!」
 そこに、また別の使用人が、ひどくあわてた様子で走り込んできた。
 レミリア嬢は使用人をたしなめた。
「なんです騒々しい!」
 使用人はもどかしげに一礼すると、早口でレミリア嬢に言った。
「すみません。急いでいたものですから……」
「なら早く用件をおっしゃいなさい」
「フランドール様がお熱を……それもひどい高熱なんです!」
「なんですって!」レミリア嬢は血相を変えて叫んだ。「すぐにお医者様を呼んでちょうだい!」
 以上のようなやりとりがあったために、咲夜はすぐに竹林に出向き、件の先生に用件を伝え、主人の言いつけどおりに馬車を用意して、ようやく決闘が行われるその場所に向かったのだが、それでも彼女は、予定していた時刻より前に、目的地に到着したのである。
 さて、群がる記者たちの中に針妙丸の姿を見つけた彼女は、巫女を倒すかも知れない、あるいは(こちらの方が確率は高そうだが)巫女に倒されるかも知れない少女に対して、敵視するような、憐れむような、いわく名状しがたい複雑な感情の入り混じった視線を投げかけた。針妙丸がその視線に気付くと、彼女はすぐに視線をそらし、それきり、決闘が始まるそのときまで、一度も針妙丸の方を見ようとしなかった。
 約束の刻限ぎりぎりになって、ようやく博麗の巫女が姿を見せた。彼女はいつもの紅白の装束に、軍用の編み上げ靴、右手にだけ黒い革製の手袋をして、その手には禍々しい鋼鉄製の大幣おおぬさがしっかりと握られていた。それは巫女が普段、祭祀の時などに用いる木製のものではなく、戦闘用であった。恐ろしいことに、彼女はこの物騒な得物を、憐れな妖怪たちの脳天めがけて、無慈悲に振り下ろすのである。かつて妖怪退治のコツについてたずねられた彼女はこう答えた。「そんなものないわ。ただ近づいて、振り下ろす。それだけよ?」

 決  闘

 咲夜の持つ銀の懐中時計の針がちょうど十時を指し示し、霊夢、正邪君、針妙丸の三人が彼女のもとに集まった。
 霊夢の冷たい視線が小柄な針妙丸を見下ろした。その視線から彼女の感情を読み取ることはできなかった。あまたの妖怪を葬ってきた恐ろしい巫女の視線に、針妙丸は身震いした。しかし、彼女は怯まなかった。さながらゴリアテを前にしたダビデの勇敢さで、彼女は巫女の顔を堂々とにらみ返した。
 決闘に先立って、巫女側の介添人である咲夜が決闘のルールを説明した。とは言え、今さらルールを知らぬ者などほとんどいないほどに、決闘は世間一般に広く周知されていたので、この説明は決闘前に必ず行われる、いわば形式的なものに過ぎなかった。彼女は過去に幾度となく繰り返したであろうこのルール説明を、よどみない口調ですらすらと暗唱した。途中「決闘者の二人が背中合わせに立ち、そこから互いに二十歩ずつ離れた位置で向き合い……」と説明したところですかさず正邪君が口を挟んだ。「十歩だ!」彼女は腕組みをしたまま人差し指をぴんと立てて誤りを指摘した。
「いいえ、二十歩で合ってます」と咲夜。「決闘者が未熟で、かつ、事故を未然に防止する目的であれば、介添人の判断でルールに修正を加えることは正式に認められています」
「あなた方はこの子の力をご存知ない。十歩で十分ですよ」
「ご冗談でしょう? まだほんの子供じゃありませんか」咲夜はちらと霊夢の顔を確認した。霊夢が何も言わないのを同意と受け取った彼女はさらに語気を強めて言った。「二十歩ですね。でなければこの決闘自体承諾できません!」
 結局、咲夜は頑として譲らず、決闘は《二十歩離れた位置》で行われることになった。彼女は説明の最後に「結果として負傷、あるいは死亡したとしても法的な責任は一切問われない」ことを二人に確認した。
「ところで」と咲夜は改まった口調で言った。「この期に及んで何ですが、お二人とも決闘を取りやめて、話し合いで問題を解決しようという気はありませんか?」
「僕もこの人の意見に賛成です。今からでも決闘を中止しませんか?」と正邪君もこの提案に同意した。
 この一見奇妙とも思える提案も、やはり形式的なものであった。このような提案がなされるのは『最後の瞬間まで決闘を回避する努力を怠らないことが、介添人に課せられた神聖な義務』とされていたからである。つまり、この提案によって介添人は、形式的にではあるが、義務を果たしたことになるのである。霊夢と針妙丸はそれぞれ首を横に振って、介添人の最後の申し出を拒否した。
 咲夜は古びた異国のコインを一枚取り出すと、それを正邪君に手渡して、不正がないことを十分に確認させた。
「攻守の順を決めます。表が出れば博麗の巫女、裏が出れば挑戦者を先攻とします。よろしいですね?」
 正邪君がうなずくのを確認してから、彼女は右手の軽く曲げた人差し指の上にコインを乗せて、親指を使ってそれを真上に弾き上げた。
 ゆっくりと回転しながら舞い上がるコイン、明滅するカメラのストロボ、息をのむ見物人たち。……その場にいた誰もが、コインの出目が裏か表か、そのことだけに意識を集中させていた。もし仮に、このとき見物人の中に何か不審な行動を取る者があったとして、いったい何人がそのことに気付けたであろうか? 不審者は群集のただ中にあって、しかし誰の目にとまることもなく、堂々と仕事を成し遂げることができたのではないか、と私は想像するのである。事実、まさにこのタイミングを狙ってそれは起きたのである。
 見物人の一人が外套の下に隠した何かの包みをおもむろに取り出し、それを正邪君たちの方に向かって投げ込んだ時、正邪君はおろか、周囲の人たちも、誰一人としてそのことに気付かなかった。山なりの放物線を描いて落下するそれが、もう彼女の頭上に差しかかろうという頃になって、ようやく見物人の一人がそれに気付いて「あッ!」と声を上げたのだが、既に手遅れだった。声に気付いた彼女が振り向くより早く、回転しながら落下するコインが再び咲夜の手の中に納まったまさにその瞬間、それまでのカメラのストロボとは明らかに異なる、はるかに強烈な閃光が四人を飲み込んだ。直後、おそるべき大音響が周囲に響き渡った。包みが炸裂したのである。

 もう一つの決闘

 最初に目を覚ましたのは正邪君だった。
 爆発の余韻にわんわんと鳴る頭を右手で押さえながら、左手は地面についたままで、彼女はしばらくのあいだ呆けた顔をして座り込んでいたが、やがてはっと我に返ると、状況を確認すべく、すばやく周囲に視線を走らせた。
 霊夢、咲夜、針妙丸が少し離れた場所に倒れていた。三人はぴくりともしなかった。爆発からさほど時間は経過していないらしく、まだ周囲に硫化水素の臭いが漂っていた。
 正邪君は見物人たちに視線を移した。
 見物人たちは混乱の極みにあった。悲鳴をあげて逃げ出そうとする者と、負傷者を救護しようと駆けつける者が錯綜して、一種の恐慌状態に陥った。彼らの中にも、何人か倒れている者があったが、果たして爆発物の破片にでも当たったものか、いち早くこの場から逃れようとパニックを起こした他の見物人によって突き飛ばされたものかは、わからなかった。統率がとれず、ただ闇雲に右往左往するだけの群集の中に、くすんだ赤い外套がさっと横切ったのを正邪君は見逃さなかった。彼女はよろよろと立ち上がり、その跡を追った。
 騒ぎのあった場所から逃げるように小走りで駆けていた赤蛮奇は、雑木林の奥の人気のない小道まで来ると、歩速を緩め、歩き始めた。そこは背の高い木々に囲まれた、薄暗い、陰気な場所だった。周囲には誰もいなかった。木々の上で羽を休めるカラスたちの目が、不気味に彼女を見下ろしていた。
「おい、待てよ!」ようやく追いついた正邪君が背後から声をかけた。
 赤蛮奇はびくりと肩を震わせて立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。彼女は驚いたように目を大きく見開き、はじめのうち、誰に呼び止められたのかも理解できない様子で、馬鹿みたいに相手の顔をながめていたが、やがて相手が正邪君だとわかると、彼女の顔は一気に血の気を失い、凍りついた。彼女はやっとのことで「あ、あなたも……いらしてたんですね……」とだけ言った。平静を装おうとしていたが、その声は惨めに震えていた。
「あれはきみの爆弾か? あんな程度で人が死ぬもんか。そろそろ巫女も目を覚ましている頃だぜ」
「あれにはまだ改良の余地があるもので、次はもっとうまくやってみせますよ……」
「次ィ?」正邪君は苛立たしげに叫んだ。「次だって? 次なんかあるもんか! きみのそのちっぽけな脳みそでよく考えてごらんよ。あれだけのことをしでかしたんだ。巫女が動き出すぜ。これはもう間違いない。きみは僕の仕事を台無しにしてくれたんだ。くそったれめ! 僕のことも巻き添えにするつもりだったな?」
「まさかあの場にあなたがいるとは、その……」赤蛮奇はその場にいない誰かに救いを求めるように視線をさまよわせながら言った。「聞いていなかったものですから……」
「聞いてなかった? なるほど、きみはあのろくでもない連中にそそのかされたってわけだ。僕を殺せば幹部にしてやるとでも言われたか? どうだ、図星だろ? わかるさ! それが連中の常套手段だからね。連中、名前だけは立派で、けれど実体のない役職やポストをいくつも用意していて、いっぱしに志だけは高いくせに、おつむがてんで弱いきみのような人の前にチラつかせて、餌に食いつくのをじっと待っているのさ。ご愁傷様、きみは連中に一杯食わされたんだ。きみはもう用済みってわけさ。連中からは何も得られないぜ、賭けてもいい!」
 赤蛮奇がかッとなって叫んだ。「あなたを始末すると言ったのはこの僕だ、あの人たちの指図じゃない。僕は誰の指図も受けない。見返りも求めちゃいない。これは僕の意思だ!」
「ようやく本性を現したな!」正邪君は脅しつけるように赤蛮奇を指差しながら、高圧的な態度で言った。「おい! この裏切り者め! イスカリオテのユダめ! で、どうする? このとおり、僕はまだ生きているぜ?」
「そんなに死にたいのなら!」そう言って、外套の下からぬッとつき出された赤蛮奇の右手には、よく手入れされた、黒光りする一丁のピストルが握られていた。銃口はまっすぐに正邪君に向けられていた。
 瞬間ぎょッとなった正邪君は、すぐに怒りの形相で赤蛮奇をにらみつけた。
「きみは、どこまで、愚かなんだ!」正邪君は一語ずつ区切りながら大声で言った。「いいぜ。それできみの矮小な自尊心が満たされるなら、撃てばいい! そんなものに頼らなければ、人ひとり黙らせることすらできない、卑怯者の、弱虫だってことを自分で認めるなら、その引き金を引けばいい! いいか、心臓はここだぜ。よく狙いなよ。さあ、さあ!」彼女はほとんど捨て鉢になって叫んでいた。
 赤蛮奇は肩を大きく上下に動かしながら荒々しく呼吸した。震える指で劇鉄を起こし、正邪君の胸の中央付近に狙いを定めると、そのままの姿勢で動きを止めた。
 沈黙が訪れた。
 それは恐ろしい時間だった。無言で引き金を引く赤蛮奇、乾いた銃声、立ち昇る硝煙、ほとばしる鮮血、想像を絶する苦痛、悶絶、七転八倒、のたうつ地面の硬く冷たい感触、陰気な灰色の空、カラスたちの嘲笑、憐れみと蔑みの入り混じった赤蛮奇の視線、かすむ視界、薄れゆく意識、やがて訪れる静寂、永遠の闇、そして死――数瞬後には自らの身に降りかかるであろうこれらの場面の一つひとつについて、正邪君は想像しないわけにはいかなかった。考えまいと必死に抵抗したが無駄だった。これらのイメージは、理性とかけ離れた無意識の深い闇の奥底から、不気味な泡のように沸々と湧き上がってくるのだった。死に対する恐怖。最も根源的な感情の一つであるそれは、しばしば大鎌を携えた骸骨のイメージで、恐怖に取り憑かれた人々の眼前に、不吉なその姿を現すのだった。人々の絶望に満ちた悲鳴を聞きながら、死神は陽気にせせら笑う。そして耳もとでこうささやくのだ。「想像してごらん、指先を刃物でほんの少し傷つけた時の痛みを。今から味わうのは、その百倍、千倍の痛みだ。そりゃあ痛いよ。ものすごく痛い。死ぬほど痛いに決まってる!」
 眼球のない、眼窩だけの、うつろな骸骨の双眸が、無慈悲に正邪君を見下ろしていた。今や死神の大鎌は彼女の喉笛のすぐ近くにまで迫っていた。その冷たい刃先が彼女の首筋にかすかに触れた。その途端、彼女の全身に悪寒が走った。恐怖が全身を支配したのだ。手足の末端は、しびれて感覚がなくなり、逆にこめかみのあたりは、どくどくと脈打つのが感じられた。背筋は氷のように冷たくなり、頭は熱病のように熱くなった。暑さと寒さが同時に襲ってきた。汗が一筋、頬を伝ってあごの先から地面にしたたり落ちた。意識が朦朧として、気が遠くなりかけた。
 正邪君が恐怖にひざを屈しかけたまさにそのとき、ピストルを持った赤蛮奇の腕から、ふいに力が抜けた。彼女はだらりと腕を下ろした。彼女の目はまっすぐに正邪君を見据えていたが、その目もとが奇妙な形に歪み、痙攣した。立て襟の奥で彼女の頬が不気味につり上がった。その直後、彼女は病的な高笑いを正邪君に向かってまともに浴びせかけた。
 それがあまりに唐突で、発作的で、引きつり、痙攣しているような、どこかいびつな笑い方だったので、正邪君はぞっとなった。赤蛮奇が〈壊れてしまった〉のだと彼女は思った。
 赤蛮奇はあざけるように言った。「どうです、撃つと思ったでしょう。思いましたね? ところが……撃たないんです。なぜって、あなたのことなぞ、僕はこれっぽっちもおそれていないからです。あなたは自分の仕事を台無しにされたと言うけれど、あなたの命令に従わなきゃならない義務なんて、そもそものはじめから、僕には全然ありませんでしたからね。あなたは何か勘違いされていたんです。誰もあなたのことをリーダーに選んだ覚えなんてないのに、あなたが勝手にその気になった。すべてあなたのひとりよがりだ。僕は自分の進むべき道を行く。あなたとはもう会うこともないでしょう」
 彼女は外套をひるがえし、その場から立ち去ろうとした。
 ところが、赤蛮奇の後ろ姿が、もう雑木林の奥に消えようというころになって、今度は正邪君が、唐突に、腹の底から、大声で笑い始めた。彼女はめいっぱい侮辱的な表情になって言った。「引き金を引く度胸もないか? この腰抜けめ!」
 赤蛮奇は身震いして立ち止り、ゆっくりと振り向いた。
 正邪君は続けた。「『ネットワーク』の連中が、何できみみたいなのとつるんでいるか教えてやろうか? きみが馬鹿だからだよ。きみみたいなのを飼っていれば、いざという時、鉄砲玉として使えて、何かと便利だからね。それで、きみは何を成し遂げるって? 差別のない社会? 貧困の撲滅? きみの青臭い理想なんて、誰も本気で実現できると思っちゃいないし、実現する気もないよ。連中の目的は、現体制から権力を奪い取る、それだけさ。これでわかったろ? ひとりよがりはきみの方だってことが。自分の道を行く? よろしい。きみの後について行く愚か者なんて、ただの一人だっているもんか。どこへでも好きなところへ行ってしまえ!」
 彼女は吐き捨てるようにそう言うと、くるりと赤蛮奇に背を向けて歩き出した。
 赤蛮奇の顔はまるで死人に息を吹きかけられたように真っ蒼になっていた。大きく見開かれた目には、怒りよりも、絶望の色が浮かんでいた。彼女は夢遊病者のような足取りでふらふらと二、三歩前へ進むと、一方の手をポケットにつっこみ、もう一方の手をひらひらと振りながら歩み去る正邪君の背中に向かって、ピストルを構えた。彼女は自分でもわけがわからないうちに、獣のような雄叫びを上げていた。
 正邪君は振り向かなかった。
 赤蛮奇は引き金を引いた。

 異変のはじまり

 断っておくが、私は偶然この現場に居合わせたわけでもなければ、これら出来事の一部始終を、すべてこの目で見ていたわけでももちろんない。しかしながら、私は全くのデタラメを書いているわけではないことを申し添えておく。この物語は、当時、現場近くにいた何人かの人たちが聞いたという一発の銃声、現場に残されていたおびただしい量の血痕、やはり現場周辺をうろついていた赤い外套を着た人物の複数の目撃証言などをもとに、当時の状況を私なりに再構成したものである。証言の中には「赤い外套を着た人物と、その仲間と思しき数名が、何やら重そうな荷物を現場から運び去った」とか「先端に石を結わえたロープを、その荷物に巻きつけて、湖に沈めるところを見た」というものまであった。むろん私はこれら目撃証言のすべてが事実だと主張するつもりはない。この物語はあくまで一つの仮説にすぎず、真実と見るか、単なる創作と切って捨てるかは、諸君の自由である。
 さて、赤蛮奇の爆弾を間近に食らった他の面々――霊夢、咲夜、針妙丸の三人がどうなったか一言しておかねばなるまい。
 赤蛮奇が正邪君に銃口を向けていたちょうどそのころ、霊夢と咲夜がほぼ同時に目を覚まし、起き上がった。二人ともひどい頭痛持ちのように、ひたいやこめかみに手を当ててはいたが、意識ははっきりしているようだった。ただ一人、針妙丸だけが、まだ地面にのびていた。見たところ三人とも外傷はないようだった。
 賢明なる諸君は、ここで当然ある疑問を持つに違いない。それは次のようなものである。彼女らは至近距離で爆発を受けながら、なぜこうもやすやすと起き上がることができたのか? 製作者本人が語ったように、あの爆弾は不完全な代物だったのか? 否、見物人たちの混乱具合から見て、爆発は相当な規模だったはずである。では、彼女らはなぜ助かったのか? 並外れて運がよかったのか? これは……まあ、否定はしないが、それにしても、全員が全くの無傷である。強運の一言で片付けられるものだろうか? 私はこう考えるのである。針妙丸の持っていた小槌には、正邪君の言うとおり何らかの不思議な力が宿っていて、それが彼女たちを爆風から守ったのではあるまいか。もしそうだとするなら、正邪君が「巫女を倒す」と息巻いていたのも、あながちはったりばかりではなかったのかもしれない。
 霊夢と咲夜は意識を取り戻すと、すぐに負傷者の救護にあたった。咲夜の乗ってきた馬車が負傷者の搬送に役立った。途中、銃声に似た、乾いた破裂音が聞こえた気がしたが、作業に集中していた彼女らがその音に気を取られることはなかった。
 やがて、負傷者の救護が一段落したころ、先ほどとはまた別の、何か金属を打ち合わせるようなかん高い音が、遠くから風に乗って霊夢の耳にまで届いた。今度は無視できなかった。彼女はその音をよく知っていた。それは火の見やぐらの上に吊るされた半鐘を鳴らす音だった。
 彼女はすぐに近くの高台へと駆け上った。彼女は里の方へ目を向けた。鉛色の空に立ち昇る黒い煙が見えた。


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コメント



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正邪死んだのか?続きが気になります
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前回シュールギャグ云々のコメントした者ですが 少しだけ弁明と
人間が自己欲求を満たす為の理由付けとして、如何にも大義が有るよう振る舞うのを見るにつけ(尚且つ彼ら自身はそれを信じ切って疑いもしない!) それも出て来る人物々々皆大仰に振る舞うものですから こりゃくすりとしてしまう訳です
そも舞台劇あたりは大仰が売りですし、このお話もそんたらっ事含め愉しむ訳です
うん 面白い どう物語るのかとても楽しみ
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自分の大義を信じ切った者は滑稽だけど、時代の空気にマッチしたらもの凄く説得力を持つ
まあ他の時代からみたら滑稽かも知れないけど
要は人類みな馬鹿…かも
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多分今のネットやツイッターの論調も他の時代からみたらこんな感じなんだろうなあ
10.100名前が無い程度の能力削除
湖に沈んだんだから、ネットワークで「姫」と呼ばれる女のことでしょう。
天狗の設定がかなり面白かったです。というのも、まさに天の狗。