Coolier - 新生・東方創想話

夢が偽りだというのならこの世界は嘘吐き達の住む箱庭 第十一章

2014/03/16 15:58:09
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第一章 夢見る理由を探すなら

一つ前
第十章 愛が全てに勝るなら




   第十一章 他人の思いを語るなら

 紫の周りに人だかりが出来ている。紫の傍に座った永琳は必死の様子で治療を施しているが難航している様で焦った表情に汗が浮いている。
 メリーの視界に映る紫は歪んでいた。切り下ろされた傷と肘から先を失った両腕の辺りに、境界がやたらめったらに走っている。その境界が邪魔をしていて治療が上手く進んでいない様だった。やがて兎達がやって来て、治療を施し続けながら何処かへと紫を運び去っていった。
 それを見送りながら、メリーはそっと呟きを漏らした。
「こんなの、酷すぎる」
 その呟きを聞いた何人かがメリーへと視線を向ける。自分への視線に向かってメリーは訴えかける様に言った。
「こんなの、酷すぎます。いきなり現れてみんなの家を切って、殺すとか言って、紫さんを傷つけて。こんなの。私は同じ月の民だけど、でもこんなの許せない! 平穏に暮らしていた人達をいきなり傷つけるなんて!」
 メリーは涙すら流しながら平穏を乱す月人の非道を糾弾する。その悲痛な叫びは人人の耳を打ったが同調の声は上がらなかった。代わりにメリーを非難する叫び声が響いた。
「何言ってやがる! 聞いてたぞ! お前も月の奴なんだろ! あいつ等の仲間のくせして!」
 見ると、森に隠れていた妖怪がメリーの事を指さしていた。その態度には怯えが滲んでいる。月に関わる全てのものが怖くて怖くて仕方が無いといった様子だった。メリーは何も言えなくなって口を閉ざす。相手が怒るのも尤もなので、黙ったままただ俯く。すると庇う様にメリーの前に立つ者が居た。
 魔理沙だった。
 魔理沙はミニ八卦炉を構えると妖怪を睨んで言った。
「ちゃんと聞いてなかったみたいだな。こいつは月から逃げてきたんだ。あいつ等の仲間なんかじゃない!」
 魔理沙に睨まれた妖怪は途端に意気が下がって黙りこくった。他の妖怪達も何か言いたそうにしているが、魔理沙を恐れてか誰も声を上げない。代わりに背後からレミリアがメリーを振り向かせる。
「それでも月の人間なら何かしら知ってるんでしょ? 知っている事があるのなら教えなさい」
 突然掴まれたメリーは声を震わせる。
「私が逃げたのは何年も前だから、今の月の事は良く分からないです」
「そう。まあ、そんな気はしてたけど」
 あっさりとメリーを放したレミリアは髪をかきあげながら「永遠亭の奴、は戻ったか」と肩を竦め、それから霊夢に目をやった。
「さて、博麗の巫女様、あなたのお考えを聞かせてくださる?」
「私の考え? 許せない事だと思うし、対策を練らないといけないと思うけど」
 するとレミリアが呆れた様子で首を横に振った。
「仮にも幻想郷の賢者が嬲られ、人間の住処が壊滅して、まさかそれで何の報復もしないという事は無いでしょう? 私が言っているのは、いつ月に攻め込むのか、という話よ」
 辺りがどよめいた。
 レミリアが丘の上に居る人間と森に居る妖怪に顔を向ける。誰もが期待に満ちた顔をしていた。レミリアの言葉を称賛し、月を打ち払う事を願っていた。しかし彼等の目に攻撃的な色合いはまるで浮かんでいない。誰も自分達が月に攻め込む事等考えていないのだ。広場の中心で勇ましく声を上げたレミリアにただ期待するだけで、他力本願に月へ対抗しようと考えている。それは民家をあっさりと切り刻まれたからか、あるいはかつて妖怪を束ねた紫があっさりと腕を切り飛ばされたからか、それとも文々。新聞を読んだからだろうか、その場には月に対する恐れが満ち満ちている。恐ろしいから排除したい。けれど排除する事も恐ろしい。だから誰か勝手に自分達の与り知らぬ所で自分達に迷惑がかからない様にあの恐怖を排除してくれと願っている。
 レミリアはどうだって良いと言わんばかりの目付きでそれらを見渡すと再び霊夢へと視線を戻した。他の者が臆病者でもどうだって良い。レミリアはただ月の使者と再戦して打ち倒し、過去の敗北を勝利で塗りつぶしたいだけだ。
「まさか、まさか幻想郷の博麗の巫女様ともあろうお方が、この大異変を前にして何もせずに捨て置くと? あり得ないわよねぇ、そんな事。だって考えても御覧なさい。このまま私達が何もしなければ相手だって何もしてこない何て事はあり得ない。あの月の奴は、あの私達の怨敵は、あっさりと博麗大結界を越えて遥か月からやって来たのよ。それがたった一度やられた位であっさりと引き下がると思う? 私は思えないわ。そんな楽観的な事。むしろ援軍を呼んで、総攻撃をかけてくる可能性だってある。さあ、博麗の巫女様、どうぞお答え下さいな。まさか人間と妖怪双方に攻撃を仕掛けてきた、言うなれば幻想郷その物にとっての敵を前に尻尾を巻いて全面降伏だなんて事は、まさかありませんよね? この私達の無念の仇をとって下さいますわよねぇ?」
 愉快に謳い上げるレミリアに同調する声が続いた。妖怪も、そして人間すらも一緒になって、仇を取ってくれと霊夢に懇願し始めた。人人の願望に取り囲まれた霊夢は困惑しながら振り返る。後ろに立っていた魔理沙は霊夢と目を合わせて首を横に降った。
「魔理沙、私はあの月の二人がこんな事をするだなんてどうして思えない」
「私もそうだぜ。だけどもしかしたらあの二人とは関係の無い奴が画策してるのかもしれない」
「でもあの月を相手に戦ったって」
「それはそうだけど、今は言葉だけでも対抗するって言っておかないと、みんなが不安になる。下手をすると勝手に動き回られて大変な事になるぜ」
「そうね」
 霊夢は無念そうに頷くとレミリアを睨んだ。
「当然、仇を取る為にも自衛の為にも月に話を付ける。それに逃げた兎も見つけ出して掴まえる。それで良いでしょ?」
 霊夢の言質を取ったレミリアが凶悪な笑みを浮かべる。それに気が付かない周囲の人間や妖怪は口口に、勇気を出して霊夢に訴えを上げたレミリアを称賛し、そしてそれに応えた霊夢へ感謝する。
「流石霊夢。そう来なくっちゃ。月に行く為の手段は心配しないで、また前と同じ様にロケットを作らせるから」
 レミリアの嬉しそうな笑顔から霊夢は目を逸し、辺りから聞こえてくる、耳を塞ぎたくなる様な歓声から逃れる為に、空を飛んでその場から逃げ出した。魔理沙も慌ててその後を追い、二人して永遠亭へと飛んで行く。
 メリーは落ち込んだ霊夢と魔理沙が消えるのを見つめ、ご機嫌なレミリアが咲夜と共に紅魔館へと戻るのを確認し、人間と妖怪が口口に巫女が月を倒してくれるという明るい未来を語っているのを聞きながら、もう自分はここに居ても仕方が無いと思って、辺りを見回した。すぐそこの地面に境界が走っていた。その何処に繋がっているかも分からない入り口に、メリーは何の疑問も差し挟まずに飛び込んだ。

 メリーはいつの間にか木の傍に寄り添って真っ暗に染まった空を見上げていた。夜空には月が浮かび星が散っていた。そこは湖のほとりで生い茂った木木の向こうに見える広広とした水面にも月が映っていた。振り返ると草原が見える。何処か見覚えのある場所だった。
 少し離れた場所に人影があった。縁から湖を望んでいるのは紫で、両腕がちゃんとある。声を掛けようか迷っていると、別の方角から二人の人影がやって来た。女性と老人の二人組で、女性は扇子で口元を隠し、老人は腰に太刀を佩いている。メリーは何だか出る拍子を逃して、結局そのまま木陰から三人の様子を盗み見る形になった。
「駄目じゃない、紫。こんな満月の夜に出歩いて良いのは死者だけよ」
「衰退と不吉を表す十六夜の明日に比べたらまだましでしょう。あの日が駄目、この日も駄目って、縁起ばっかり担いでいたら、いつまでだっても外には出られないわ」
「でも危険だわ。あなたは今日大怪我をしたばかりで今にも死にそうなんでしょう?」
 女性の労る様な言葉に、紫が笑う。
「ええ、そうね。そうだったわね」
「お加減は如何?」
「勿論痛くて痛くて死にそうよ。ああ、目眩がしてきそう」
「結局上手くいかなかったわね」
 女性が微笑んでそう言った瞬間、ふざけた調子であった紫の表情が一瞬だけ引き締まった。すぐにそれは元の緩んだ笑みに戻る。
「ええ」
「残念ながら幻想郷が一致団結して月に対抗するっていう脚本は崩れてしまったみたい。脅威を示す為の新聞が裏目に出たわね。皆、月に対して完全に萎縮している。特に古参の妖怪の怯えっぷりったら笑っちゃうわ。一度攻め込んで為す術もなくやられたからかしら。あれを眺めているだけで雑穀米五合は食べられちゃう」
「なんで雑穀米なのよ」
「最近妖夢が健康の為にって。でも最近のは雑穀米でもちゃんと美味しいのよ。食べてみて驚いたわ」
 女性がくすくすと笑って身をかがめた。紫が深く溜息を吐く。
「雑穀は所詮雑穀よ」
「そうね。月には敵わない。それなのに有象無象を月へ突撃させようとしたのはどんな意味があるの? 何だか妖忌が可哀想。ただ働きの無駄働きなんて」
「給金はあなたが払わないからでしょ。それに理由は事前に説明しなかった?」
「された気もする」
「とう」と言って紫が女性の頭を手刀で叩く。女性は大袈裟に痛がって見せながら笑い声を上げた。
「少しでも勝てる可能性があるのなら価値はある。そして負けたとしても得る物がある。今の温室の中で守られた幻想郷では近い内に大量流入する外からの情報で瓦解する」
「温室に押し込めた当人がそれを言うのもどうかと思うけれどね。今の幻想郷ってそんなに危険なの?」
「ええ。とにかく気力が無くなっちゃったのよ。この幻想郷というぬるま湯に誰もが浸りきって、闘争心や危機感が無くなってしまったのね。昔は外に対する危機感があって、それが反発心となって幻想郷を隔絶させていられたけど、今はそれがなくなったからいつ外の世界と交わってしまうか分からない。人と妖怪の関係を平穏なものにしようと争い事を禁じたのはこの閉鎖された里の中では必要な事だったけど、その所為で進歩するエネルギーが静まって……いえ、それでも良くこれだけもったというべきかしら」
「弾幕ごっこしてるじゃない」
「遊びは遊び。何も失うものの無い戦いに誰が真剣な危機を感じるの? スペルカードルールによる延命ももう限界よ」
 幻想郷には死期が迫っている。
「だからこその月。人は誰しも月に憧れる。月へ行く。月に対抗する。月を征服する。そうした目的を共有すれば」
 そう言って紫が月を見上げる。女性と老人もまた同じ様に月を見上げた。
「私は別に月に行きたいなんて思わないけど?」
「本当に?」
 女性はその問いには答えずに、月から紫へと顔を向けた。
「それでどうするの? 結局共有されたのは月への恐怖。民衆は余計萎縮するわ。紅魔館の様な恐れを知らない一部の者だけ月へ行かせる? とても勝てるとは思えないけど。あるいは幻想郷の月への恐怖を更に植え付けましょうか。定期的に月からの襲撃があるの。人人は月に対する怨みや恐怖を覚えて一致団結するでしょう。そしていずれ疲れ果てて気力は潰えるでしょうね」
 女性は一頻り嘲りの言葉を吐くと、紫の言葉を待った。紫は月を見上げたまま黙っている。しばらくそうしてどちらも黙っていたが、やがて女性が焦れた様子で口を開いた。
「何か言ってよ。本当は何か考えがあるんでしょう?」
 紫は黙っている。何の答えも返さない。傍から見ているメリーにはそれが何の答えも返せない様に見えた。
「紫!」
 紫は塞いだ様子で黙り切っている。
 それをじっと見つめてから、女性が唐突に笑みを浮かべた。
「当てて上げましょうか」
 紫がようやく月から視線を外して女性と目を合わせた。
 女性の笑みが深くなる。
「結局あなたは最初から月をどうこうなんて思っていなかったんでしょ? だってもしも幻想郷の怒りに火をくべて月へ攻めこませるつもりなら、民衆の家を壊すだけで良いんだもの。あなたがあんな惨たらしくやられる必要は全く無い。きっと最初に月へ攻め込んだ時から、そこでこてんぱんにされた時から、あなたはもう月に勝てる結果が見えなくなった。だからこの前も、そして今回もあくまで茶番。その本当の目的は霊夢を幻想郷の大黒柱に仕立て上げる事。幻想郷の要として機能し、人間と妖怪双方から愛され、月に侵攻する等という馬鹿な事を考えない、そんな存在にする為に、あなたは敢えて自分の評価を貶めた。当たってる?」
 女性の浮かべる満面の笑みと、紫の表情の抜け落ちた顔が対照的だ。
「そんな事をしてどうするの? 今だって霊夢は十分に幻想郷の要じゃない」
「それは勿論、幻想郷の支配を妖怪から人間に移す為、でしょ? あなたはもう妖怪に見切りを付けた。どう足掻いたって妖怪を存続させる事は不可能。ひいては幻想郷という構造自体が崩壊間近。幻想郷が無くなれば外の世界と交わらざるを得なくなるけど、幻想郷と外の世界の進歩の差は歴然。人と猿位の違いがある。交われば一気に潰される。だからあなたはせめて人間だけでも幻想郷が崩壊した後上手くやっていける様に、月とのパイプを作りたかった。進んだ世界を構築している月と親交を持ち、幻想郷が外の世界に逸早く馴染める様に準備をしたかった。その為にあなたは霊夢に月との繋がりを持たせ、いずれ新たなリーダーに据えようとしている。そしてそれにはもう猶予が無い。今はまだほんの僅かに国津神が残って居る。博麗神社と守矢神社には天津神だって居る。それに永遠亭の三人も居る。けれど古い妖怪はいつ消えてもおかしくないし、神社の天津神もたったの二柱、永遠亭の月の民も居場所がばれたからいつ連れ去られるか分からない。だから今少しでも関係の残っている内に、どんな強引な手を使っても、月との協調関係を作っていかなくちゃいけない。その時に、血気盛んな妖怪達が勝手気ままに暴れられたら困る。だからあなたは幻想郷に恐怖を蔓延させる為に、新聞をばらまいて、月の民に惨たらしくやられてみせたのよ。月に歯向かう何て考えない様に。結果として人間も妖怪も霊夢に頼りっきり。後は霊夢が上手く月と交渉を進められれば、万事上手く行く。どう?」
「良くそこまで察する事が出来たわね」
 紫が諦めた様に首を横に振る。
「まああなたとは長いしね。考えている事は分かるわよ」
 紫がくすりと笑って女性に顔を近づけた。
「そう、じゃあ、そこまで分かったあなたはどうするの? このままじゃ妖怪が消えちゃうけれど」
「どうもしないわよ。だって私、亡霊だから関係無いし」
 紫が笑った。女性も笑う。二人でお腹を抱えて笑い合う。
 一頻り笑い終えると紫が言った。
「今回与えた月への関心で、幻想郷は外への反発を抱き、しばらくは維持出来るでしょう。今はそれで」
「でもいつまで続くかしら。五年? 十年? いえいえ、こんな恨みもっと早く風化してしまう気がするけれど」
「その時はまたその時考えるわよ」
「本当に月からの定期襲撃便で恐れをご配達しましょうか?」
「あなた自身が言ったじゃない。どうしようもない恐怖は結局気力を奪い取るだけよ」
 紫は達観した様子でそう言い切ると、「それじゃあ、私戻るわね」と言って、お見舞いに果物を要求しつつ隙間の中に消えた。湖畔に残された女性は「ならどうしてあなたはこんな所で月を見上げていたのかしら」と呟いてから、にこにことした笑顔で老人を振り仰いだ。
「妖忌、聞いたでしょう? このままじゃ私達人でなき者達は幻想郷と一緒に消されてしまうわ」
 女性がのんびりとした口調でそう言うと、老人が黙って頷いた。
「紫は紫で何かしようとしているみたいだけど、紫ばかりに何でも押し付けるのは気の毒よね。私達も何か動いた方が良いと思わない?」
「私にどうしろと?」
「魔理沙って居るわよね。霊夢の大親友の魔理沙。どうやら紫も何か特別な感情を抱いているみたいだけど」
「ええ、存じております」
「あの魔理沙がもしも、紫以上に傷付き、例えば亡くなってしまったとしたら、何か大きく物事が動くと思わない」
 老人は喉が絡まった様に咳き込み、女性を睨んだ。
「何故その様な事を?」
「朝にあなたの捌いた焼き鳥を食べたらお昼に妖夢の作ったお団子を食べたくなる様なものかしら」
 女性の言葉に、老人は間髪入れずに問い返す。
「意味等無いという事ですか?」
「ええ」
「そして私がやらねば妖夢にやらせると」
 女性が嗤う。
「良く頭が回るわね。妖夢だったら一ヶ月は混乱しているわ」
「散散あなたの妄言に振り回されましたからな」
「頭の良いあなたなら分かるでしょう? 幻想郷が消えたら、まあ私が消えるのは間違いないとして、あなたや妖夢まで消えてしまうのよ」
「だから魔理沙を殺すのですか?」
「あら私はそんな事しないわよ。魔理沙は霊夢と同じ位に人間と妖怪から好かれているもの。幻想郷に住まう者でそんな事する奴は一人も居ない。けれど月の民ならどうかしら。どうやら今日攻めてきた月の民は魔理沙を殺すと言っていたみたいだし」
「最初からあなたはこうするつもりで……本当にそれが妖夢の為になるのですか?」
「考えなさい。あなたは頭が良いんだから考えなさい。自分のやる事の是非すら分からないまま動くなんて滑稽よ」
「畏まりました」
 老人は何の感情も見られない声を発すると闇に溶ける様にして姿を消した。残った女性はもう一度湖に浮かぶ月を眺めてから、踵を返して鼻歌を歌いながら湖を離れて何処かへと帰っていった。
 そんな光景を呆然と眺めていたメリーはようやく今居る場所が何処なのか思い出した。
 この湖は月へ行く為の入り口なのだ。
 湖に映った月には境界が裂けていて、その向こうには文化のごちゃまぜになった都が見えた。

 目を開けると、ベッドで寝ていた。ケネディ宇宙センターに戻ってきた事に気が付いて身を起こすと、青い大西洋が見えた。今の今まで見ていた月の幻影が一瞬だけ大西洋に映りそして消えた。
 意識が完全に覚醒すると見計らった様に呼び鈴が鳴った。急いで寝間着から着替えて誰が来たのかを確認する。覗き穴の奥には岡崎夢美が立っていた。メリーは扉を開けて岡崎を招き入れる。岡崎は両手にトレイを持って二人分の朝ごはんを持ち込んできた。
「おはよう。元気そうだね」
「はい。私は」
「一晩ぐっすり寝ていたよ。境界の向こうに行ったのかな?」
「はい」
 どうして分かったんだろうと、メリーは自分の顔を揉んだ。もしかしたら顔に書いてあったのかもしれない。
「もしかして月へ行っていたのかい?」
「いいえ。行けたら良いんですけど」
「そうか、違ったか」
 部屋に入った岡崎はテーブルの上にトレイを置いて、スクリーンを展開してニュースを流し始めた。
「さ、冷めない内に食べようじゃないか」
 そう言って、席に座る様に手で促してきた。それに従って岡崎の対面に座る。
「今日は教授モードですか?」
「ああ」
 二人で朝食を食べていると、ニュースが月について報じ出した。内容は主にケネディ宇宙センターで着着と進む月面作戦。建造中のロケットや作業員達が映り、それぞれにインタビューが入る。昨日の食堂で理事長達と会食した場面も映った。画面の中でメリーが理事長に意見している。メリーは自分の映る場面を見て「やっぱりわざとらしかったなぁ」と反省した。
 ケネディ宇宙センターの中で立ち働く人人が次次画面に映る。そして精力的に指示を出す宇宙開発振興財団の理事長が現れてインタビューに答えだした。覇気のある態度で「私の作った会社はこの作戦の為にあるのだと確信した」と語っている。
 その後、理事長の功績を簡単に紹介し、過去の演説が映った。どうやらそれは理事長を一躍有名にした演説らしく、「武器ではなく宇宙への進出に力を入れるべきだ」と宇宙開発振興財団の立ち上げを宣言していた。
 言ってしまえばありきたりな演説なのに、奇妙な程の盛り上がりを見せている。どうしてなのか不思議に思っていると、岡崎が説明してくれた。
「彼女はインドラ・インダストリアルという世界最大の兵器会社の社長だったからね。四次元ポジトロン爆弾を初めて実用化した組織として一般の人人にも知れ渡っていたし。それが辞任して会長になると共に宇宙進出を宣言したんだから、平和を望んでいた人人が沸き立つのも無理は無いよ。まあ、今映ってるのはみんなサクラだけど。丁度前日にはアメリカでも軍事費を削減して宇宙開発に乗り出すという大統領演説があったからね」
 平和の象徴なのかとメリーは画面を見ながら感心する。演説をしている場所はパーティー会場で画面には家族、とりわけ子供達の笑顔が目立つ。
「この宣言と共に彼女は宇宙開発時代の旗頭になったんだ」
 岡崎は「今でも宇宙の話題が出ると事ある毎にこの演説が流れるよ」と前置きして「見た事無いかい?」と尋ねてきた。そう言えばメリーも見た覚えのある気がした。けれどそこまで意識して見た事は無く、内容はほとんど覚えていない。
「この演説があったのは三年前の丁度年の明けた一月でね、当時を知る者なら知らない人は居ないと思うよ。君は知らないのかい?」
 岡崎の射貫く様な問いにメリーは画面を見たまま笑顔で頷く。
「はい、見てなかったです」
 すると岡崎が質問を被せてきた。
「ずっと月で育ったから?」
「はい。だからその時のは見てないですね。でもその後地球に来てから何回か見たと思いますよ。意識して見てなかったからあまり覚えていないんですけど」
 メリーが笑顔のまま岡崎を見て首を傾げた。
「どうして私が月の出身だって分かったんですか?」
 そんな事を言った覚えは無いのに。
 不思議に思っていると、岡崎が懐から何かの端末を取り出して渡してきた。
「何て事は無い。月に居るちゆりから教えてもらったんだよ」
 メリーは受け取った端末に目を落としてはっとした。つまりこれは月に居る二人と連絡が出来る通信機器。これを使えば蓮子と話が出来るのでは無いか。
 だが岡崎はそれをあっさりと否定する。
「残念だけどそれは一方通行だよ。こちらからは接続出来無い」
「そんな」
 がっかりとして端末を岡崎に返す。
 蓮子はどうしているのだろうかと心配になった。何もされていないと良いけれど。
「そんなに蓮子君を助けたいのかい?」
「当たり前です!」
 思わず怒鳴ってしまってから、メリーは口を抑えて俯いた。
「助けたいに、決まってるじゃないですか」
「そうだろうね。昨日だってあんなに理事長に対して訴えていたし」
「はい」
「あれは自分で考えたのかい?」
 メリーは岡崎が何を言っているのか分からずに、しばらく考えた。もしかしたら真意の事を言っているのかもしれないと思い立ち、メリーは申し訳無さそうに答える。
「私が考えたというか、高速鉄道の中で見せてもらった教授のシミュレーターを見て。だからアイディアを盗んだんです。ごめんなさい」
「シミュレーターというのは人人の願望が集まった結果月を握りつぶしたあの?」
「はい」
「そう、なら良い」
「え?」
「自覚してやった事なら良いよ。そうでなくて大惨事を引き起こしたらショックを受けるかと思ってたんだけど」
「はあ」
 メリーには岡崎の言っている事が良く分からない。大惨事とは何の事だろう。月へ侵攻するのにロケットを使って直接飛んで行くなんて、どう考えても無理な話だ。間違いなく、以前の発射された月旅行のロケットと同じ結末を迎える。それ以上の大惨事があるのだろうか。
「本当に蓮子君を助けたいの? だって君は元元月の人間だ。それなら月で蓮子君と一緒に暮らすという選択肢もあるんじゃないのか?」
 確かにそれも良い事かもしれない。月はきっと受け入れてくれるだろう。それに自分自身の感情としても、逃げ出した当時と違って今は、月へ戻っても良いと思っている。
 でも駄目なのだ。何故なら他ならぬ蓮子がそれを望んでいないのだから。
「私はそれでも良いです。でも蓮子がそれを望みません。望む筈が無いんです。だから私は蓮子という存在に沿いたいと思います。蓮子が嫌だと思っている以上、私が月で暮らす事はあり得ません」
 岡崎は目を細めてから、頬を掻いて笑みを作った。
「そこから先は私が立ち入る場所じゃないね」
 そう言ってあっさりと引き下がり、朝食に口をつけはじめた。その様子を眺めながらメリーの頭に疑問が浮かんだ。岡崎の今までの行動を思い出す。メリー達の為に行動してくれている様でいて、そうでない不可解な部分もある。結局この岡崎は何がしたいのか。一体この先何がしたいのか。
 疑いの目で岡崎を見つめていると、岡崎は首を横に振って、メリーが何も言っていないのにメリーの疑問に対する答えを述べた。
「私の目的は最初から変わらないよ。君の病気を治す。それだけだ」
「でもそれならどうしてアメリカに来たんですか? こっちにそれを治せるお医者さんが居るんですか?」
「いや、ただこのケネディ宇宙センターで月へ旅立つ計画がある事を聞いたから、それに同行させてもらおうと思ってね。ハニムーンと掛けた冗談のつもりだったんだけど。まさかこんな事になるとは」
「どういう事ですか?」
 岡崎は真面目な顔になってニュースへと目を向けた。今回の救出作戦の概要が述べられている。まず月と連絡を取って人質を返す様に要求し、それが駄目ならこちらの力を示す為にど派手な船団で月を威圧し、圧倒的に優位な立場で交渉する。それがどれだけ平和に則した事なのかを逐一挟みながら、この平和で大大的で、そして馬鹿げた作戦を全世界に向けて喧伝している。
 それは軍事費を増大させながらも軍事企業のイメージを持たれたくない理事長の願望とも一致しているし、月に手を届かせながらもあくまで自分達が平和の率先者だと信じたい全世界の願望とも一致している。そして恐らくそれ等を全て読みきって、メリーという少女は理事長に対して進言してみせたのだ。誰もが馬鹿げていると考える様なこの作戦を。
 岡崎は恐ろしさを感じる。恐怖というよりは不安。この先どうなってしまうのかという恐れ。
 最後にそれを感じたのはいつだったか。四次元ポジトロン爆弾の威力を初めて見せつけられた時だったか。初めて可能性空間移動船で並行世界に旅立った時か。あるいは学会を四次元ポジトロン爆弾で吹っ飛ばした時に理事長に庇われ一週間後には事件そのものが無かった事にされた時か。
「メリー君、体調は大丈夫かい? 昨日は具合が悪そうだったけれど」
「はい。そんなに酷そうでした?」
「ああ、酷く見えたよ。君の境界を見る能力が暴走していたんだろう? それは辛いさ。どうだい? もう暴走は治ったのかな」
 メリーは一瞬言葉に詰まり、それからゆっくりと息を吐き出して笑顔を浮かべた。
「本当に何でも分かるんですね」
「いいや、今のはただの推論だよ」
「でもそれで当ててしまうなんて凄いです。やっぱり教授は天才ですね」
「そんな事無いさ」
 本当に岡崎自身は自分の事を天才だなんて思っていなかった。
 確かに成功して多くの者から称賛を受けている。だが科学の世界で成功するのに大事なのは科学センスではなく政治力だ。素晴らしい論文を書いただけで認められる程、学会は純粋じゃない。同じ研究室や研究所の同僚や上司との仲不仲。論文を否定され握りつぶされればそれでお終い。あるいは同じ分野を研究する研究者との仲不仲。論文が提出されても周りから否定されればそれでお終い。そして科学の世界で権威を持った者との仲不仲。論文が仲間内から賛同されても上から否定されればそれでお終い。だから周囲との関係を良好にして幾多のパイプを作り上げなければならない。岡崎はその政治力を多分に持っていたが、人類史上最も優れた科学者だと見做される程成功したのは、理事長という確固とした後盾が居る為だ。岡崎自身もそれは分かっていた。だから自分は天才なんかじゃない。発見したのだって当たり前の事ばかりだと思っていた。自分の発見が常人からみれば当たり前になんか見えないという事だけが頭からすっぽりと抜け落ちた岡崎は自分が他の者と比べて秀でている所なんて何も無いと信じていた。
 だからこそ、本物の天才を見て興奮を覚えた。
 岡崎は少し話しただけで蓮子とメリーの才能を感覚的に捉えていた。二人は他の者とは違う天才であると気が付いてた。だからこそ二人の、傍から見ればほんの些細な原因からくる悩みに全力で協力する気になった。
 その歯車が狂って、蓮子は誘拐されてしまったけど、それに対して岡崎は悲観を抱いていない。むしろ病気を治す絶好の機会だとすら思っている。
 だがメリーの狂気だけは完全な計算外だった。メリーの蓮子に対する思いは淡い恋心だろうと思っていた。だがそれは違った。もっとおぞましく、鋭利で、堅固で、煮えたぎり、それでいて純粋な、喩えようも無い感情。一言で表すなら狂気と形容されるその感情は岡崎にとって未知の物であり、だからこそ恐ろしかった。そしてだからこそ興味深かった。
 岡崎は凍り付いた背筋に心地良い快感を覚えつつ笑みを浮かべる。
「もう暴走が治ったという事は、月へ行く為の方法を見つけたんだね?」
 メリーはその問いに答えなかった。
「いや、別に邪魔しようって訳じゃないよ。ただそれが何なのかは気になってね。境界を通って月へ行く方法を見つけたんだね」
 メリーはじっと黙っていたが、やがて微笑みを浮かべて首を傾げた。
「教授も一緒に行きますか?」
「考えておくよ」
 岡崎が怖気を押し殺しつつ、くつくつと笑ってスープに口を付けた時、突然辺りに凄まじく不快な音が鳴り始めた。メリーが驚いて立ち上がり辺りを見回す。
「教授、これは」
 岡崎は落ち着いた様子でスプーンを置き、口を拭くと、ゆっくりと立ち上がる。
「警報だよ」
 警報と一緒に焦りきった声が「侵入者が現れ、ロケットを破壊し」と報じていた。
「教授」
 メリーが岡崎を見ると、岡崎は真剣な顔をしてメリーを抱き締めた。
「私から離れないで。落ち着くまでここに隠れていよう」
 その切羽詰まった口調にメリーが不安な顔をする。
「これはパフォーマンスじゃないんですか?」
「少なくとも私は何も聞いてない」
 教授は何処からかマントを取り出してメリーを包む様に羽織ると、懐に手を入れて武器の有無を確認した。
「実はね、ちゆりから報告を受けていたんだ。月が君の存在に気が付いて、君を奪還しに来るって」
 メリーが岡崎の事を見上げる。その瞬間、岡崎は廊下側の壁を睨んでいた目を見開いた。
「来た!」
 同時に壁が粉粉になって廊下に繋がる穴が開いた。
 煙に紛れて人影が入ってくる。
 直接話した事は無いし名前も分からないが、メリーは一度か二度、その顔を見た事があった。
「お迎えに上がりました」
 乱暴な行為と共に部屋に入ってきた綿月依姫は構えていた刀を下ろすと柔らかく微笑んだ。



続き
第十二章 遥かなる宙へ飛ぶのなら
妖忌は太刀装備だと妖夢と互角にまで弱体化する。

太刀と打ち刀の刀身の違いが良く分からない。無銘の場合、何となく反ってて大きくて長い以上の明確な違いってあるんでしょうか。
烏口泣鳴
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 フロンティア・スピリット!それが、月へと押し寄せるインドラ・インダストリアルと、レミリア・スカーレットを突き動かす原動力でしょう。メリーの狂気に支えられたインドラ・インダストリアルの侵攻は、かつての新大陸征服と同じように神の正義を旗と掲げ。運命を操るレミリアと、舞台裏で舞台を整える紫は、幻想郷の妖怪たちが生き残れる唯一最高の選択肢として、月への移住を企みます。
 今回問題になっていた闘争心、危機感、外への反発という点では、洗脳によって均質性を保とうとする月都の月人たちは最弱と言っていいですからね。技術の圧倒的アドバンテージが、これを補いうるものか。ものすごーく面白い展開になってまいりました。
3.90名前が無い程度の能力削除
そろそろカタルシスな展開がほしい所だ
4.100非現実世界に棲む者削除
三界に渡りて願うは友との安息。
再会は何時に。そして幻想郷の未来、月の思惑は如何に。
7.100名前が無い程度の能力削除
普通に面白いです
こういう陰謀とかの話をよく思いつけるものだと感心します
8.100ナルスフ削除
なるほど妖忌さんか・・・
幻想郷の人たちが本当に一般市民だなあ。幻想郷の限界というのも悲しい話。
メリーは最初から自覚してたのかな。誰も彼も闇が一杯だ。