【翌朝】
「……、」
目が覚め
寝ぼけ半分の頭が無意識の内に視線を向けさせた隣の布団に期待した“彼女”はいなかった 靴も無かった
散歩にでも出たか 山菜でも取りに行ったか
囲炉裏の真新しい薪達が端々を焼かれ、早朝の鋭い空気を暖めていた
「……」
取り合えず雨露や他人の視線を防ぐ為に立てられたこの掘っ立て小屋
“彼女”と過ごした昨夜の間は忘れていたが、こうして一人になると悪い意味で狭く、又悪い意味で広く感じる
「……」
昨夜の会話を思い出す
この先、あらゆる他者の生死や関与を置き去りにし、それに対して人並みの情も抱かず、その感性を歪と認識し、それでも生きていくと言った
言っては見せた
(本当、に…?)
縫い直した服も
作って食べた料理の味も
握って手の肌触りも暖かさも
何もかも無くし、忘れ、最初からなかったかの様に生きていくのか?
こうして一人で目覚め、一人で竹林をさ迷い歩くのか?
本当にそんな生き方をしていくと言うのか 出来ると思っているのか?
この先何千年も、何万年も、それ以上の時間を…?
「ッ……」
夢見心地の寝惚けた頭が咄嗟に身体に取らせた行動は、布団に頭まで潜り込む事だった
囲炉裏が慎ましく温めていた筈の部屋が、唐突に何百年も放置されたかの様に感じた
くたびれた煎餅布団の保温性の無さを途端に意識し始める 昨夜はあんなに暖かかったのに もう日も昇っていると言うのに
“彼女”は…“彼女”はなんで一人で行ってしまったのだ 散歩にせよ山菜取りにせよ、私を誘ってくれればよかったのに
あれから…私が起きてからどれだけ経った
五分か十分か、それとも一眠りして次の朝まで一巡したのか
いつだ いつになったら帰って来てくれるんだ
昨夜の会話で気を悪くさせてしまったのか あんな事言うんじゃなかったかも知れない
(……最初から…)
最初から、 は帰らないつもりで…?
(!!ッ違う…!!)
いよいよ布団の存在が意味をなさず、横向きに寝たまま膝まで抱えてしまう
“彼女”の春風の様に静かな笑顔が 大人ぶった呆れ顔が 向きになった怒った顔が
瞼の裏で、上手く像を結んでくれない
不意に、すぐ隣にある“彼女”が寝ていた布団に潜り込んではどうかと言う、劣情と呼ぶには憐れで弱々しい渇望を抱いた
“彼女”の匂いが、あわよくば体温が残った布団に包まれれば、少しは恐ろしくなくなるのだろうか…
が、その企みもすぐに自ら取り止めてしまう
恐ろしさから逃げる手段を却下した原因は、やはり恐ろしさだった
もしも“彼女”がいた布団に温もりはおろか匂いすら残ってなかったら
自分が目覚めてからもう何十年も経っていて、布団そのものが朽ち果てていたら
布団どころかこの部屋が…いや、この世界がとうに荒れ果てていたら
寂しい外部を遮断する為に布団を被ったが、逆に見えない外界に対して疑心暗鬼に陥ってしまった
その様がありありと想像出来てしまう程に、早朝の竹林と小屋と布団の中は静かで冷たかった
彼女はもう、一歩も出られなくなってしまった
布団からも小屋からも竹林からも
どうしようもなく“彼女”と違う、この身体を脱ぎ捨てられない様に
(…… … …)
“彼女”の名前を何度も反芻しながら、改めて考える
本当に、独りで生きていけるのか
(…いや)
独りで、生きていかねばならないのだ
(……ぁ)
足音
(あ、ぁぁぁぁ、あ…)
足音足音足音、 足音
足音
人ならざる彼女が、布団に包まれ視覚を遮断し、聴覚を研ぎ澄まされた情態だからこそ聞き取れた、土と落ち葉の混ざった大地を踏み分ける、遠く遠くの“彼女”の足音
こっちに、向かってる
(…… …、 )
よかった
よかった 嗚呼…
また、“彼女”に逢える
寝惚けた無防備な頭が見せる過剰な自虐的妄想から解放され、彼女の心身から恐怖と緊張が抜け落ちる
張り詰めていた心身自身もまた同じ
軋む程に膝を抱えていた腕が解かれ、へし折れそうな位に屈められた背骨が弛み、頭痛を感じるまでにズキズキとしていた眼球に涙が纏いつく
体温が戻る
腐肉が蟲けら達に喰い散らされ、土に還る様な感覚が全身を包み、眠りに落ちていく落ちていく落ちていく
また、“彼女”に逢える
まだ、“彼女”に逢える
戸口が開く音が遠くで、けれど近くでゴトリと咳き込むのを聞き届け、暖かい暗闇に落ちて行った
時間はまだある
有限に
永遠に生きて脳細胞まで回復してしまうなら、その分記憶≒脳細胞が死んだ記録は失われてしまうことでしょう。それでも自分の存在を刻みつけようとする慧音の優しさと、それ故にこその妹紅の申し訳なさと痛みが、切々と伝わります。
でも怖いと思っているうちは大丈夫な気がします
それにしても完全に夫婦じゃないですか
よいもこけねでした