コトコトと煮える鍋の前で、アリスはご機嫌だった。
今日は久々に恋人が泊まっていってくれるのだ。恋人に美味しい料理をごちそうして、その代わりに恋人をいただく。それが今日のアリスの計画である。
「アリスさん」
鈴の鳴るような声でアリスは名前を呼ばれた。
「すぐ行くわ」
それだけ返事をすると、夕飯のビーフシチューの準備をしている鍋に月桂樹を入れてキッチンを出る。
「ちょっとフリルが多すぎませんか? この服……」
ソファーに座った妖夢は、フリルがたっぷりとついた袖を見ながら言った。妖夢が着ているのは、白と黒のエプロンドレス。アリスが魔理沙のために作ったものだ。
「可愛いじゃない」
「そう……でしょうか?」
「魔理沙よりも大人びた感じでね」
「魔理沙さんより子供っぽい人なんていないですよ」
そう言って妖夢はふんわりと微笑んだ。妖夢は子供っぽいのに、一つ一つの仕草は洗練されている。エプロンドレスを着ていると、良家のお嬢様のようだ。
フリルのたくさんついた服を着こなせて、顔立ちも完璧。性格もちょっと素直じゃないど分かりやすくて常識人。アリスにとって妖夢は好みのど真ん中だった。
「魔理沙が着るよりも、妖夢が着た方が似合うかもね」
「わたしが着るには子供っぽすぎますよ」
「妖夢だって、十分子供じゃない」
「たぶんアリスさんよりもよっぽど年上ですよ?」
「ぜんぜん見えないけどなぁ。わたしが昔着てた服も似合ったし」
「もう、アリスさんはわたしで着せ替えしすぎです」
妖夢は少し頬をふくらませて、アリスから顔をそむける。本人は不満を示しているらしいのだが、フリフリのエプロンドレスを着た童顔の少女がそんな仕草をしても、可愛くしか映らない。
アリスは妖夢が顔を向けてる方に回り込んで、隣に腰掛けた。妖夢は相変わらず、むーっと不満そうな顔をしてる。
もっと苛めたくなるだけなのに。
「妖夢って、結構お洒落好きよね?」
「嫌いです」
「レースとか、リボンとか、フリルとかも好きよね?」
「嫌いです」
「じゃあ、わたしのことは?」
「嫌いです。あっ!!」
アリスは思わず笑いそうになるのを、必死にこらえた。妖夢は本当に分かりやすくて、可愛い。
「今の間違えですから! わっ、わたし、アリスさんのこと大好きですから!」
「きゃっ!」
妖夢が突然腰に抱きついてきて、アリスは小さく悲鳴をあげた。
見た目は華奢な少女だが、片手で剣を扱うことのできる妖夢は力が強い。ただの魔法使いでしかないアリスは、あっさりと押し倒されてしまう。背中にソファーの柔らかい感触を受けた瞬間、目の前には日本人形のように真っ黒な妖夢の瞳があった。
西洋人形みたいに綺麗な銀髪なのに、瞳だけは黒なのよねぇ。
アリスは妖夢に押し倒されているにも関わらす、のんきなことを考えていた。どうせ妖夢は何もしてこない。大慌てでアリスから飛び降りて、顔を真っ赤にしながら「すみません! ごめんなさいでした! あっ、あの、切腹でもしましょうか!?」とか謝罪の言葉を並べるに決まっている。
「お前らは午前中から何をやってんだ?」
今回は違ったけど。
「返事がなかったから、勝手に入らせてもらったぜ。わたしはお邪魔虫だったみたいだが。しかし、アリスは受けだったんだな」
突然の来訪者に、アリスの明晰なブレインは現在の状況を的確に分析し、今後の予想を始める。
現在の状況。
・妖夢(魔理沙のコスプレ)がわたしを押し倒している(事故)
・魔理沙は妖夢がわざと押し倒したと思っている
・目の前に顔を真っ赤にしたままフリーズしている妖夢
今後予想されること
・妖夢が大声で悲鳴をあげる
うん。わかったところでどうしようもない。
「きゃーーーーーーーーっ!!!!!」
数秒後。
魔法の森に妖夢の甲高い悲鳴が響きわたった。
☆☆☆
「アリスの衣装好きは霊夢の日本茶好きと大差ないからなぁ」
「ちょっと、あんなカテキン中毒者と一緒にしないでくれる?」
「いや、考え方によっては霊夢よりタチ悪いだろ。霊夢の方は人に迷惑をかけない」
「わたしだって、そんなに迷惑かけてないじゃない」
「わたし、何回着せかえ人形にされましたっけ?」
「まだ二桁にはなってないと思うけど……」
「もう、いい加減こっちも反撃しますからね」
カモミールのハーブティーを飲んでいる妖夢が、不機嫌なパチュリーのような目でアリスを睨んだ。相変わらずエプロンドレスのまま。
こんなこと言うわりに脱ごうとしないのだから、結構気に入っているのだろう。絶対に素直には言わないだろうけど。
それにしても、妖夢の反撃って何だろう?
「わたしでも結構されてるからなぁ。軽く二桁は」
魔理沙が天井を見上げながら言った。
「魔理沙さんもアリスさんの毒牙にかかったんですか?」
「魔法の森には、わたしとアリスの家しかないからな」
「ご愁傷様です」
「あぁ。そっちもな」
お互い合掌をする二人。
わたし、泣いていい? 妖夢ならわかるけど、なんで泥棒の魔理沙よりも下位の扱いにされているのだろう。食物連鎖で言ったら、ユレモかミカヅキモくらいだ。
「魔理沙さんは、何を着させられたんですか?」
「メイド服とか、ハロウィンに子供が着るみたいな服とか……。あと猫耳」
「あ、猫耳はわたしもつけさせられました! 『にゃあ』とか言わされるんですよね」
「そうそう。霊夢にもつけようとしたんだぜ? もちろん針山になったが」
いいじゃない猫耳くらい。霊夢がつけたら猫耳巫女さんだ。完璧じゃない。
妖夢も魔理沙も霊夢も、もっと自分の可愛さを自覚するべきだと思う。そして、可愛い女の子には、もっと可愛くなる義務があることも。
「そういえば、アリスって、自分を着せかえはしないのか?」
アリスに対して攻撃を加えていた魔理沙が思い出したように言った。
「たしかに、パジャマとその服以外、アリスさんの服って見たことがないですね」
共犯者の妖夢が後につづく。
「だって、自分で着たって、面白くないじゃない」
「アリスさん、可愛いから何でも似合うと思いますけど」
「妖夢の方が可愛いわよ」
「アリスさんスタイルいいじゃないですか。背は高いですし、胸もありますし」
「妖夢だってちょっと小さめで、眉毛長くて、瞳が綺麗じゃない」
「どうせわたしは小さいですよ! 背も胸も」
「あのね! 女の子にとって背が高いのはコンプレックスよ!」
「あのー、二人の空間を作るのは、もう少しあとにしてくれないか。そんなに長い時間いるつもりはないから」
カモミールの入ったカップを持った魔理沙が大げさなため息をつく。「ごめん」と視線で謝ると、魔理沙がニヤリと笑った。嫌な予感が頭をよぎる。
「ま、アリスが猫耳をつけてくれれば、ぜんぜん構わないけどな」
そう言ってカップを置くと、魔理沙は席を立つ。あわてて立ち上がって止めようとするが、後ろから妖夢に羽交い締めにされてしまった。
「逃がしませんよ、アリスさん。魔理沙さん、安心して行ってきてください」
「妖夢……っ!」
妖夢の話す息が耳に当たって、力が入らない。耳は苦手なのだ。
「妖夢、放していいぜ。アリスがいないと、どこに猫耳があるかもわからないからな」
「でも、大丈夫ですか?」
「ここはアリスさんの家だからな。逃げようがないぜ」
「なるほど」
魔理沙の言葉に妖夢はうなずくと、アリスを捕まえていた腕をほどく。なんとなく、妖夢の暖かさが離れることが寂しく感じた。
「さてと、アリスの衣装部屋は、っと」
「あ、勝手に人の部屋を漁るのやめなさいよ」
魔理沙の後を足早に追いかける。魔理沙があの程度で止まるわけがない。むしろ「やめろ」と言ったら、もっとやるタイプだ。
でも、魔理沙は猫耳とかのカチューシャが置いてある場所くらい知ってるはずなんだけど……。
魔理沙に続いて衣装部屋に入ると、意外にも魔理沙は何もせずに待っていた。
「相変わらず凄い数だな」
魔理沙があきれたように言った。
「趣味だからね」
「そっか」
「さて、猫耳は……っと、その前にだな」
「絶対につけないわよ」
拒絶の意志を示すアリスを無視して、魔理沙はいつも身につけている帽子を取る。目にかかって邪魔らしい髪を乱暴に払うと、帽子をひっくり返して、中から一本の瓶を取り出した。
「シャンパン?」
「服を作ってもらったからな。ピンクだから、ちょっといいものだぜ」
「明日は槍でも降るんじゃないかしら?」
「そうかもな。ま、紅魔館でもらったものだから、気にすることはないぜ」
「もらったねぇ」
魔理沙のもらったはアテにならない。また泥棒をした可能性もある。別に、言及する気もないけど。
「それにしても、今日の妖夢は可愛かったな」
「でしょ? わたしが作った服だもの」
「アリスもな」
「なっ!」
不意の魔理沙の言葉に、アリスは言葉になっていない声をあげてしまった。頬がカッと熱くなるのを感じる。
「アリス、顔真っ赤だぜ」
「誰のせいよ」
「恋人が妖夢じゃなかったら、確実にアリスが妖夢のポジションだな」
「妖夢のポジション?」
「からかわれて、顔を赤くするとか。苛められて、鳴かされるとか」
「ここの連中は、みんな口が上手すぎるからね」
「違いない」
魔理沙が呆れたように言う。今はアリスを弄んでいる魔理沙だって、幻想郷全体では口下手な方である。
乱暴でひねくれているように見えるけど、どこまでも純真無垢で素直。それがアリス一番の親友、霧雨魔理沙だ。ただし、
「アリス」
「?」
「ふーっ」
「ひゃっ!」
かなりのイタズラ好きというオマケはつくけど。
弱点である耳に息を吹きかけられて、腰が抜けてしまったアリスは、そのまま床にへたりこんでしまう。
「ほんとアリスは、昔から耳が弱いよな」
笑いながら話す魔理沙に、アリスの堪忍袋の尾が切れた。
やられっぱなしは趣味じゃない。今日は押されっぱなしだけど、二人のパワーバランスは本来対等だ。
「魔理沙」
アリスは立ち上がりながら、目の前のイタズラっ子の名前を呼んだ。
「ん? なんだ?」
まだアリスの怒りに気づいていないらしい魔理沙の右手を取って壁際に連れていくと、そのまま壁に押さえつけた。あわてて抵抗しようとした左手も同じように押さえつける。魔法使いであるアリスの力で押さえれば、人間の魔理沙は絶対に抵抗ができない。
「わたしの恋はともかく、あんたの恋はどうなってるのよ?」
アリスは真っ直ぐに魔理沙の瞳を見て言った。魔理沙もまた恋する乙女なのだ。
「そ、それについては黙秘権を公使するぜ」
「幻想郷に黙秘権はないわよ?」
アリスから顔をそむけた魔理沙の首は、真っ赤に染まっていた。これは、何か進展があったに違いない。
「もう告白くらいはしたの?」
「告白なんてできるわけないだろ!」
「じゃあ、手をつないだとか。あ、それは前にもしてたわよねぇ」
いろいろ考えたが、現実的な案は浮かんでこなかった。これはやっぱり、本人に聞いてみるしかない。
「ねぇ、魔法で縛って、妖夢を呼んで猫耳つけて尋問してもいいのよ?」
「いろいろ調子に乗ったことは謝るから、許してくれないか?」
「ダメ」
魔理沙の半分涙目になりながらの懇願を却下して、手を握る力を強くする。本格的に魔理沙が涙目になってきたところで、アリスは交渉を始めた。
「じゃあ、わたしに猫耳はつけない?」
「つけない」
とりあえず、一つはOK。あともう一つ。
「それじゃあ、進展状況を言ってもらいましょうか?」
「……」
「やっぱり、妖夢を呼ぶしかないか」
「わっ、わかったからやめてくれ!」
アリスがあからさまに詠唱の準備を始めると、ついに魔理沙は降参した。
「なんで、そんなことを聞きたいんだよ」
魔理沙が拗ねた声で言った。
「だって、魔理沙に恥ずかしいところ見られたから」
「それは理不尽な気がするけどなぁ」
「さ、早く言いなさい」
「バレンタインにハート型のチョコもらった」
その言葉を言った魔理沙は、額まで染まりそうなほど赤くなっていた。
「そう。よかったじゃない」
「なんだよ。からかわれるかと思った」
「からかってほしいの?」
「勘弁してくれ」
「そうね。この辺で勘弁してあげるわ」
アリスは魔理沙の手を放しながら言った。これ以上魔理沙の乙女心で遊ぶのは可哀想だ。
魔理沙とは親友。
魔理沙の恋が叶ってほしいと、アリスは本気で思っている。
「これ、ありがとうね」
アリスは衣装部屋を出ようとした魔理沙を引き留めて言った。
「妖夢と楽しく飲んでくれ。酔いつぶすなよ」
「つぶれるとしたら、わたしが先よ」
「それもそうか」
妖夢は屋台で文をつぶしたこともあるほどのワクだ。確実にこっちが先につぶれることになる。
「それ、夕飯のときに持ってけよ。どうせ泊まるんだろ?」
「そうだけど。どうして?」
「今持ってったら、ムードが無いだろ。ちゃんと『手料理を用意して、いいお酒も準備しました』ってしないと」
アリスは、さっきはちょっと苛めすぎてしまったと思った。
魔理沙が衣装部屋に行ったのも、このためだったのだ。
「魔理沙」
歩き去ろうとしていた魔理沙をアリスはもう一度呼び止める。
魔理沙は「まだ何かあるのか?」と言って振り返った。
「本当にありがとうね」
アリスの言葉に、魔理沙はちょっと驚いたような顔をして、
「なんだよ。わたしとアリスの仲じゃないか」
と言って笑った。
アリスは、魔理沙の恋が叶ったときには、とびきりのプレゼントをしようと思った。
☆☆☆
「アリスさんの夕飯、美味しかったですよ」
「それはよかったわ」
夜の寝室。真っ暗な部屋で、アリスは妖夢と一緒のベッドに入っていた。
美味しい夕飯を食べて、シャンパンでいい雰囲気にして、お風呂に入って。
「美味しいものを食べると、すぐ眠くなっちゃいます」
「え?」
せっかくここまで準備したのに……。妖夢の言葉に、アリスは頭上から石でできた「ガーン」という文字が降ってきたような気分になった。
「アリスさん、どうかしましたか?」
そう言う妖夢の声には、聞き覚えのある色が混ざっていた。たとえるなら、わたしが妖夢に着せ替えをさせるときのような。
つまり。
「妖夢、わかっててやってるでしょ?」
「さて、なんのことでしょうか? 『一応反撃しますよ』とは伝えておきましたけど」
「妖夢のイジワル」
「アリスさんには言われたくないです」
「別に、わたしは着せ替えしてるだけじゃない。こんな『おあずけ』なんて、タチの悪いイタズラはしないわよ」
「『おあずけ』って、なんのことでしょうか?」
シレっと言ってくれる妖夢。わたしよりも、よっぽどイジワルだと思う。こっちが無理矢理襲うなんてことができないことを知っててやってるし。
「妖夢、次来るときは、もっと恥ずかしい服を着せるから。覚悟しておきなさいよ」
「えー。勘弁してくださいよ」
甘ったるい声で妖夢は言った。
結局、妖夢はお洒落好きなのだ。だから、アリスも妖夢を躊躇なく着せ替え人形にできる。本気で妖夢が嫌がるなら、アリスはそんなことはしない。
「さてと、そろそろ寝ましょうかね」
「そうですね」
妖夢は布団の中でモゾモゾと動きながら言った。
ベッドの中で動き続ける妖夢は、やがて気に入った体勢を見つける。
それは、手をつないで、顔をアリスの肩にうずめるというもの。
「アリスさん、暖かいです」
「……」
それだけ言うと、妖夢は幸せそうに寝息を立て始めた。妖夢の甘い吐息が、アリスの頭をしびれさせる。
これが、本当の妖夢のイタズラ?
一瞬そんなことが頭をよぎるが、純粋に甘えているだけであることを、アリスは知っている。
でも。
ここまでされたら、都会派でも襲ってしまって構わないのではないだろうか。
あんまりこういうことは認めたくないけど、今夜は準備万端で一緒のベッドに入ったんだし……。
けれども、妖夢に悪意はないわけだし、もともと反撃されたのも、わたしが何回も着せ替えをしたのが原因だし……。
「こんな状態で、寝ろって言う方が無理よ」
アリスは小声で呟いた。
すぅすぅと可愛い寝息に、さらさらと頬をなでる髪。さらに甘い香りがアリスの眠気を妨げる。
「どうしよう」
身から出た錆とはいえ、スマートな都会派を揺るがす事態に遭遇してしまったアリス。
彼女が一晩我慢できたのかは、二人だけが知っている。
今日は久々に恋人が泊まっていってくれるのだ。恋人に美味しい料理をごちそうして、その代わりに恋人をいただく。それが今日のアリスの計画である。
「アリスさん」
鈴の鳴るような声でアリスは名前を呼ばれた。
「すぐ行くわ」
それだけ返事をすると、夕飯のビーフシチューの準備をしている鍋に月桂樹を入れてキッチンを出る。
「ちょっとフリルが多すぎませんか? この服……」
ソファーに座った妖夢は、フリルがたっぷりとついた袖を見ながら言った。妖夢が着ているのは、白と黒のエプロンドレス。アリスが魔理沙のために作ったものだ。
「可愛いじゃない」
「そう……でしょうか?」
「魔理沙よりも大人びた感じでね」
「魔理沙さんより子供っぽい人なんていないですよ」
そう言って妖夢はふんわりと微笑んだ。妖夢は子供っぽいのに、一つ一つの仕草は洗練されている。エプロンドレスを着ていると、良家のお嬢様のようだ。
フリルのたくさんついた服を着こなせて、顔立ちも完璧。性格もちょっと素直じゃないど分かりやすくて常識人。アリスにとって妖夢は好みのど真ん中だった。
「魔理沙が着るよりも、妖夢が着た方が似合うかもね」
「わたしが着るには子供っぽすぎますよ」
「妖夢だって、十分子供じゃない」
「たぶんアリスさんよりもよっぽど年上ですよ?」
「ぜんぜん見えないけどなぁ。わたしが昔着てた服も似合ったし」
「もう、アリスさんはわたしで着せ替えしすぎです」
妖夢は少し頬をふくらませて、アリスから顔をそむける。本人は不満を示しているらしいのだが、フリフリのエプロンドレスを着た童顔の少女がそんな仕草をしても、可愛くしか映らない。
アリスは妖夢が顔を向けてる方に回り込んで、隣に腰掛けた。妖夢は相変わらず、むーっと不満そうな顔をしてる。
もっと苛めたくなるだけなのに。
「妖夢って、結構お洒落好きよね?」
「嫌いです」
「レースとか、リボンとか、フリルとかも好きよね?」
「嫌いです」
「じゃあ、わたしのことは?」
「嫌いです。あっ!!」
アリスは思わず笑いそうになるのを、必死にこらえた。妖夢は本当に分かりやすくて、可愛い。
「今の間違えですから! わっ、わたし、アリスさんのこと大好きですから!」
「きゃっ!」
妖夢が突然腰に抱きついてきて、アリスは小さく悲鳴をあげた。
見た目は華奢な少女だが、片手で剣を扱うことのできる妖夢は力が強い。ただの魔法使いでしかないアリスは、あっさりと押し倒されてしまう。背中にソファーの柔らかい感触を受けた瞬間、目の前には日本人形のように真っ黒な妖夢の瞳があった。
西洋人形みたいに綺麗な銀髪なのに、瞳だけは黒なのよねぇ。
アリスは妖夢に押し倒されているにも関わらす、のんきなことを考えていた。どうせ妖夢は何もしてこない。大慌てでアリスから飛び降りて、顔を真っ赤にしながら「すみません! ごめんなさいでした! あっ、あの、切腹でもしましょうか!?」とか謝罪の言葉を並べるに決まっている。
「お前らは午前中から何をやってんだ?」
今回は違ったけど。
「返事がなかったから、勝手に入らせてもらったぜ。わたしはお邪魔虫だったみたいだが。しかし、アリスは受けだったんだな」
突然の来訪者に、アリスの明晰なブレインは現在の状況を的確に分析し、今後の予想を始める。
現在の状況。
・妖夢(魔理沙のコスプレ)がわたしを押し倒している(事故)
・魔理沙は妖夢がわざと押し倒したと思っている
・目の前に顔を真っ赤にしたままフリーズしている妖夢
今後予想されること
・妖夢が大声で悲鳴をあげる
うん。わかったところでどうしようもない。
「きゃーーーーーーーーっ!!!!!」
数秒後。
魔法の森に妖夢の甲高い悲鳴が響きわたった。
☆☆☆
「アリスの衣装好きは霊夢の日本茶好きと大差ないからなぁ」
「ちょっと、あんなカテキン中毒者と一緒にしないでくれる?」
「いや、考え方によっては霊夢よりタチ悪いだろ。霊夢の方は人に迷惑をかけない」
「わたしだって、そんなに迷惑かけてないじゃない」
「わたし、何回着せかえ人形にされましたっけ?」
「まだ二桁にはなってないと思うけど……」
「もう、いい加減こっちも反撃しますからね」
カモミールのハーブティーを飲んでいる妖夢が、不機嫌なパチュリーのような目でアリスを睨んだ。相変わらずエプロンドレスのまま。
こんなこと言うわりに脱ごうとしないのだから、結構気に入っているのだろう。絶対に素直には言わないだろうけど。
それにしても、妖夢の反撃って何だろう?
「わたしでも結構されてるからなぁ。軽く二桁は」
魔理沙が天井を見上げながら言った。
「魔理沙さんもアリスさんの毒牙にかかったんですか?」
「魔法の森には、わたしとアリスの家しかないからな」
「ご愁傷様です」
「あぁ。そっちもな」
お互い合掌をする二人。
わたし、泣いていい? 妖夢ならわかるけど、なんで泥棒の魔理沙よりも下位の扱いにされているのだろう。食物連鎖で言ったら、ユレモかミカヅキモくらいだ。
「魔理沙さんは、何を着させられたんですか?」
「メイド服とか、ハロウィンに子供が着るみたいな服とか……。あと猫耳」
「あ、猫耳はわたしもつけさせられました! 『にゃあ』とか言わされるんですよね」
「そうそう。霊夢にもつけようとしたんだぜ? もちろん針山になったが」
いいじゃない猫耳くらい。霊夢がつけたら猫耳巫女さんだ。完璧じゃない。
妖夢も魔理沙も霊夢も、もっと自分の可愛さを自覚するべきだと思う。そして、可愛い女の子には、もっと可愛くなる義務があることも。
「そういえば、アリスって、自分を着せかえはしないのか?」
アリスに対して攻撃を加えていた魔理沙が思い出したように言った。
「たしかに、パジャマとその服以外、アリスさんの服って見たことがないですね」
共犯者の妖夢が後につづく。
「だって、自分で着たって、面白くないじゃない」
「アリスさん、可愛いから何でも似合うと思いますけど」
「妖夢の方が可愛いわよ」
「アリスさんスタイルいいじゃないですか。背は高いですし、胸もありますし」
「妖夢だってちょっと小さめで、眉毛長くて、瞳が綺麗じゃない」
「どうせわたしは小さいですよ! 背も胸も」
「あのね! 女の子にとって背が高いのはコンプレックスよ!」
「あのー、二人の空間を作るのは、もう少しあとにしてくれないか。そんなに長い時間いるつもりはないから」
カモミールの入ったカップを持った魔理沙が大げさなため息をつく。「ごめん」と視線で謝ると、魔理沙がニヤリと笑った。嫌な予感が頭をよぎる。
「ま、アリスが猫耳をつけてくれれば、ぜんぜん構わないけどな」
そう言ってカップを置くと、魔理沙は席を立つ。あわてて立ち上がって止めようとするが、後ろから妖夢に羽交い締めにされてしまった。
「逃がしませんよ、アリスさん。魔理沙さん、安心して行ってきてください」
「妖夢……っ!」
妖夢の話す息が耳に当たって、力が入らない。耳は苦手なのだ。
「妖夢、放していいぜ。アリスがいないと、どこに猫耳があるかもわからないからな」
「でも、大丈夫ですか?」
「ここはアリスさんの家だからな。逃げようがないぜ」
「なるほど」
魔理沙の言葉に妖夢はうなずくと、アリスを捕まえていた腕をほどく。なんとなく、妖夢の暖かさが離れることが寂しく感じた。
「さてと、アリスの衣装部屋は、っと」
「あ、勝手に人の部屋を漁るのやめなさいよ」
魔理沙の後を足早に追いかける。魔理沙があの程度で止まるわけがない。むしろ「やめろ」と言ったら、もっとやるタイプだ。
でも、魔理沙は猫耳とかのカチューシャが置いてある場所くらい知ってるはずなんだけど……。
魔理沙に続いて衣装部屋に入ると、意外にも魔理沙は何もせずに待っていた。
「相変わらず凄い数だな」
魔理沙があきれたように言った。
「趣味だからね」
「そっか」
「さて、猫耳は……っと、その前にだな」
「絶対につけないわよ」
拒絶の意志を示すアリスを無視して、魔理沙はいつも身につけている帽子を取る。目にかかって邪魔らしい髪を乱暴に払うと、帽子をひっくり返して、中から一本の瓶を取り出した。
「シャンパン?」
「服を作ってもらったからな。ピンクだから、ちょっといいものだぜ」
「明日は槍でも降るんじゃないかしら?」
「そうかもな。ま、紅魔館でもらったものだから、気にすることはないぜ」
「もらったねぇ」
魔理沙のもらったはアテにならない。また泥棒をした可能性もある。別に、言及する気もないけど。
「それにしても、今日の妖夢は可愛かったな」
「でしょ? わたしが作った服だもの」
「アリスもな」
「なっ!」
不意の魔理沙の言葉に、アリスは言葉になっていない声をあげてしまった。頬がカッと熱くなるのを感じる。
「アリス、顔真っ赤だぜ」
「誰のせいよ」
「恋人が妖夢じゃなかったら、確実にアリスが妖夢のポジションだな」
「妖夢のポジション?」
「からかわれて、顔を赤くするとか。苛められて、鳴かされるとか」
「ここの連中は、みんな口が上手すぎるからね」
「違いない」
魔理沙が呆れたように言う。今はアリスを弄んでいる魔理沙だって、幻想郷全体では口下手な方である。
乱暴でひねくれているように見えるけど、どこまでも純真無垢で素直。それがアリス一番の親友、霧雨魔理沙だ。ただし、
「アリス」
「?」
「ふーっ」
「ひゃっ!」
かなりのイタズラ好きというオマケはつくけど。
弱点である耳に息を吹きかけられて、腰が抜けてしまったアリスは、そのまま床にへたりこんでしまう。
「ほんとアリスは、昔から耳が弱いよな」
笑いながら話す魔理沙に、アリスの堪忍袋の尾が切れた。
やられっぱなしは趣味じゃない。今日は押されっぱなしだけど、二人のパワーバランスは本来対等だ。
「魔理沙」
アリスは立ち上がりながら、目の前のイタズラっ子の名前を呼んだ。
「ん? なんだ?」
まだアリスの怒りに気づいていないらしい魔理沙の右手を取って壁際に連れていくと、そのまま壁に押さえつけた。あわてて抵抗しようとした左手も同じように押さえつける。魔法使いであるアリスの力で押さえれば、人間の魔理沙は絶対に抵抗ができない。
「わたしの恋はともかく、あんたの恋はどうなってるのよ?」
アリスは真っ直ぐに魔理沙の瞳を見て言った。魔理沙もまた恋する乙女なのだ。
「そ、それについては黙秘権を公使するぜ」
「幻想郷に黙秘権はないわよ?」
アリスから顔をそむけた魔理沙の首は、真っ赤に染まっていた。これは、何か進展があったに違いない。
「もう告白くらいはしたの?」
「告白なんてできるわけないだろ!」
「じゃあ、手をつないだとか。あ、それは前にもしてたわよねぇ」
いろいろ考えたが、現実的な案は浮かんでこなかった。これはやっぱり、本人に聞いてみるしかない。
「ねぇ、魔法で縛って、妖夢を呼んで猫耳つけて尋問してもいいのよ?」
「いろいろ調子に乗ったことは謝るから、許してくれないか?」
「ダメ」
魔理沙の半分涙目になりながらの懇願を却下して、手を握る力を強くする。本格的に魔理沙が涙目になってきたところで、アリスは交渉を始めた。
「じゃあ、わたしに猫耳はつけない?」
「つけない」
とりあえず、一つはOK。あともう一つ。
「それじゃあ、進展状況を言ってもらいましょうか?」
「……」
「やっぱり、妖夢を呼ぶしかないか」
「わっ、わかったからやめてくれ!」
アリスがあからさまに詠唱の準備を始めると、ついに魔理沙は降参した。
「なんで、そんなことを聞きたいんだよ」
魔理沙が拗ねた声で言った。
「だって、魔理沙に恥ずかしいところ見られたから」
「それは理不尽な気がするけどなぁ」
「さ、早く言いなさい」
「バレンタインにハート型のチョコもらった」
その言葉を言った魔理沙は、額まで染まりそうなほど赤くなっていた。
「そう。よかったじゃない」
「なんだよ。からかわれるかと思った」
「からかってほしいの?」
「勘弁してくれ」
「そうね。この辺で勘弁してあげるわ」
アリスは魔理沙の手を放しながら言った。これ以上魔理沙の乙女心で遊ぶのは可哀想だ。
魔理沙とは親友。
魔理沙の恋が叶ってほしいと、アリスは本気で思っている。
「これ、ありがとうね」
アリスは衣装部屋を出ようとした魔理沙を引き留めて言った。
「妖夢と楽しく飲んでくれ。酔いつぶすなよ」
「つぶれるとしたら、わたしが先よ」
「それもそうか」
妖夢は屋台で文をつぶしたこともあるほどのワクだ。確実にこっちが先につぶれることになる。
「それ、夕飯のときに持ってけよ。どうせ泊まるんだろ?」
「そうだけど。どうして?」
「今持ってったら、ムードが無いだろ。ちゃんと『手料理を用意して、いいお酒も準備しました』ってしないと」
アリスは、さっきはちょっと苛めすぎてしまったと思った。
魔理沙が衣装部屋に行ったのも、このためだったのだ。
「魔理沙」
歩き去ろうとしていた魔理沙をアリスはもう一度呼び止める。
魔理沙は「まだ何かあるのか?」と言って振り返った。
「本当にありがとうね」
アリスの言葉に、魔理沙はちょっと驚いたような顔をして、
「なんだよ。わたしとアリスの仲じゃないか」
と言って笑った。
アリスは、魔理沙の恋が叶ったときには、とびきりのプレゼントをしようと思った。
☆☆☆
「アリスさんの夕飯、美味しかったですよ」
「それはよかったわ」
夜の寝室。真っ暗な部屋で、アリスは妖夢と一緒のベッドに入っていた。
美味しい夕飯を食べて、シャンパンでいい雰囲気にして、お風呂に入って。
「美味しいものを食べると、すぐ眠くなっちゃいます」
「え?」
せっかくここまで準備したのに……。妖夢の言葉に、アリスは頭上から石でできた「ガーン」という文字が降ってきたような気分になった。
「アリスさん、どうかしましたか?」
そう言う妖夢の声には、聞き覚えのある色が混ざっていた。たとえるなら、わたしが妖夢に着せ替えをさせるときのような。
つまり。
「妖夢、わかっててやってるでしょ?」
「さて、なんのことでしょうか? 『一応反撃しますよ』とは伝えておきましたけど」
「妖夢のイジワル」
「アリスさんには言われたくないです」
「別に、わたしは着せ替えしてるだけじゃない。こんな『おあずけ』なんて、タチの悪いイタズラはしないわよ」
「『おあずけ』って、なんのことでしょうか?」
シレっと言ってくれる妖夢。わたしよりも、よっぽどイジワルだと思う。こっちが無理矢理襲うなんてことができないことを知っててやってるし。
「妖夢、次来るときは、もっと恥ずかしい服を着せるから。覚悟しておきなさいよ」
「えー。勘弁してくださいよ」
甘ったるい声で妖夢は言った。
結局、妖夢はお洒落好きなのだ。だから、アリスも妖夢を躊躇なく着せ替え人形にできる。本気で妖夢が嫌がるなら、アリスはそんなことはしない。
「さてと、そろそろ寝ましょうかね」
「そうですね」
妖夢は布団の中でモゾモゾと動きながら言った。
ベッドの中で動き続ける妖夢は、やがて気に入った体勢を見つける。
それは、手をつないで、顔をアリスの肩にうずめるというもの。
「アリスさん、暖かいです」
「……」
それだけ言うと、妖夢は幸せそうに寝息を立て始めた。妖夢の甘い吐息が、アリスの頭をしびれさせる。
これが、本当の妖夢のイタズラ?
一瞬そんなことが頭をよぎるが、純粋に甘えているだけであることを、アリスは知っている。
でも。
ここまでされたら、都会派でも襲ってしまって構わないのではないだろうか。
あんまりこういうことは認めたくないけど、今夜は準備万端で一緒のベッドに入ったんだし……。
けれども、妖夢に悪意はないわけだし、もともと反撃されたのも、わたしが何回も着せ替えをしたのが原因だし……。
「こんな状態で、寝ろって言う方が無理よ」
アリスは小声で呟いた。
すぅすぅと可愛い寝息に、さらさらと頬をなでる髪。さらに甘い香りがアリスの眠気を妨げる。
「どうしよう」
身から出た錆とはいえ、スマートな都会派を揺るがす事態に遭遇してしまったアリス。
彼女が一晩我慢できたのかは、二人だけが知っている。
魔理沙の恋人…個人的には咲夜さん推しで。咲×マリ!咲×マリ!
魔理沙の恋人ですが、最近の外の世界では逆チョコなるものがあるらしいよ
ってことで香霖でどうだ。
魔理沙の恋人は天子推しで。天×マリ!天×マリ!
今度はしっかり過程も書いてほしいな
あ、個人的にはこい×マリです!こいし×魔理沙!
マイナーなカップリングは実があればあるほどいいのですが少し足りない気がするのでこの点数で。
魔理沙はこいしと一緒がいいです!
というかこいしちゃんは基本なんでも合う。
かなり珍しいですね。長くこの界隈に居ますが初めて見たかもしれません。
しかし、アリだ。