Ⅴ 最後に微笑む選択
西行寺幽々子は無縁塚に居た。
妖夢がどこかへ出かけてしまったので、ならば私もとふらつくことにしたのだが、行く当ても無く彷徨っているうちに気付けばここへ辿り着いていた。
白玉楼の桜がちょうど見頃の八分咲きを迎えていたのに対して、無縁塚の桜は完全に満開となっており、春の緩やかな風と共に幾多もの花弁が舞い散っている。
幽々子は黙って、桜が散る様を見ていた。
このところ毎日のように桜を眺めていたのに、何故だろうか、目の前で散りゆく桜は幽々子の視覚から強烈に何かを訴えかけているように思われる。
自らの心が浄化されるような、もとい別の何かに塗り潰されるような錯覚を覚える。
ただ呆然と立ち尽くし、桜に“魅せられている”ままどれだけの時間が経っただろうか。しかし、どれだけの時間も幽々子には一瞬の事のように感じ取れただろう。
悠久とも思われる静寂を破ったのは、ふいに掛けられた声だった。
「こんな場所にこんな人が。いや、人じゃなかったか?」
ゆっくり振り向くと、そこには三途の水先案内人、小野塚小町が立っていた。
「死神……ね。何か私に御用かしら」
「いや、普段居ない者が居たもんだから声を掛けてみたが、あんた、こんなところに長居して大丈夫なのか?」
「と、言うと?」
「亡霊なんだろう? 無縁塚ってのは死者の迷いを絶つ場所だ。うっかりしてると、成仏するよ」
「……そう」
短く返事をしたきり、また桜の方に視線を戻してしまった。しかし、桜よりもっと遠くにある物に思いを馳せているようにも見える。
小町はしばらく黙っていたが、
「あんたに有益な情報がある」
「何かしら」
幽々子は振り返らない。ただじっと、桜の方を見つめている。
「あんたのところの妖怪桜、西行妖って言ったっけ? あれが満開へ向かっているのは知っているな?」
「ええ」
「何故だと思う」
「…………」
幽々子はゆっくりと時間をかけて考え、
「何らかの条件が達成し、桜を封印していた何かが解除された。それは間違いないわ」
「ふっ……随分抽象的だな。概ね間違っちゃいないが、その解には大事な部分が抜けている」
その内容について小町が語ろうとするが、
「――待ちなさい」
制止したのは幽々子ではない。今までこの場にいなかった第三者の声が聞こえた。
小町はやや驚いたような顔をしたが、幽々子は特に驚くことはなかったようだ。二人の間の空間がピッと裂け、中から一人の妖怪が現れる。
「……紫」
こんな登場をする者は他に知らない。故に幽々子は紫が来たことをすぐに理解していた。紫は小町の方を向き、
「そこから先を言うのは、たとえ死神であっても許しません」
「……ハッ、そうかい。じゃあこっから先はあんたに引き継ぐよ。あたしゃやることがあるんでね」
彼女はそう言って、どこかへ歩き去ってしまった。幽々子は顔だけを紫の方に向け、
「いつも静かな無縁塚が、ずいぶん賑やかね。何かの前触れかしら」
「貴女は他所より自分のことを心配しなさい。分かっているんでしょう、今の状況が」
「…………」
「見た目じゃ判らないけどね、今の貴女はかなり不安定よ。ともすれば存在が消えかねないほどに」
もともと無縁塚は外の世界との繋がりが比較的強く、自己の存在が揺らぎやすい場所である。それに加え、今の幽々子は『自身の死体』によって封印されていない。風前の灯火とまでは言わないが、それに近い状態になっているのだ。
「……それが自然だというなら、受け入れざるを得ないわね。自然と足が無縁塚に向いたんですもの。それが意味することぐらい解っているわ」
「幽々子……」
紫は、胸の奥に何かが詰まるような感覚を覚えた。
幽々子自身も己の身に起こっていることを概ね把握している。そのうえで、自然の成り行きに任せることを選択したのだろう。もっとも彼女らしい選択である。
最初から紫は、幽々子の選択に口を挟むつもりはなかった。幽々子を一人の亡霊として見れば、その選択は尊重されて然るべきものだ。しかし。
(…………、)
紫の視点で、すなわち、幽々子を古くからの友人として見れば。
(やはり……諦めきれないっ……)
握り拳に力が入るが、何も言うことができなかった。許されなかった。
無縁塚の桜は、絶えず舞い散っている。花弁が一枚落ちる度に、幽々子の存在は希薄になってゆく。
*
霊夢・魔理沙・お燐の三人が白玉楼庭園に着くと、既に魂魄妖夢は戻ってきていた。
三人に気付いた妖夢は、目に見えるほど沈んだ調子で青娥との戦闘の結果を語った。
「……霍青娥は何かしらの情報を持っていたようですけど、私の力不足で聞き出すことはできませんでした……」
「……あー」
霊夢と魔理沙の間に重たい空気が流れる。結果的に青娥はこの件に無関係であり、妖夢にとっては骨折り損となってしまったのだ。
「妖夢、そのことなんだが……」
「はい?」
恐る恐る、といった具合に魔理沙が状況を説明する。
「つまり青娥の方は間違いであって、死体を持って行ったのはこいつ、お燐だったってわけだ」
後ろに立っているお燐を指し示す。お燐はあまりこちらの事情を把握していないようで、少し居心地悪さを感じているところだった。
「…………。……えぇっ!?」
一拍置き、やや派手に驚く妖夢。無理もない。本人は青娥が犯人であると思い込んでいたのだから。
「悪かったわね。ちょっと早計だったわ」
頭を掻きつつ苦笑いをする霊夢。
「な、何と言う……。で、死体は……それですか?」
お燐の持つ猫車を指差す。上に古びた布が被せられているが、表面の盛り上がりから中に入っている物は容易に想像できる。お燐は特に悪いと思っていなさそうな顔で、
「ああ、五日ほど前だったかな? ここから熟成された死体の良い香りを感じ取ったんで、拝借させてもらったのさ」
「なんて迷惑な……あなたはハイエナか何かですか」
「悪い悪い。ま、普通は死体を持って行っても苦情が寄せられることはなかったんだよね」
それは苦情の言いようが無いからではないだろうか、とお燐以外の三人は思った。地獄の底まで死体を追った人間など聞いたことも無い。
「……はぁ。とにかく、元あった場所に埋め直してください」
「はいよー」
そう返事したお燐は猫車を押し、西行妖のもとへと向かって行った。
「……これで一段落なのかしら」
一仕事終えた霊夢が伸びをする。妖夢も主人の安全が確保されて安心していた。が、
「魂魄妖夢はいるか?」
ふいに割り込んできた声の主は、先ほどまでこの場にいなかった者だ。
三人が振り返ると、いつの間にそこにいたのだろうか、死神の小野塚小町が立っている。
小町はいつものように、やる気の感じ取れない態度で呼び掛けたつもりだったのだが、何かに気付いた霊夢は微かに眉根を寄せる。
しかし妖夢はそれに気付かなかったようで、意外な来客に驚きながらも普通に返事をした。
「はい、何ですか?」
「お前さんとこの主、どこにいるか知ってるかい?」
「幽々子様ですか? ……そういえば屋敷にはいらっしゃらないようですね。どこかに行かれたのを見たのですか?」
「……やはり知らなかったか……」
軽く舌打ちし、言い辛そうにしながらも続ける。
「あいつは今――」
*
紫は何も言えないまま、ただ時間だけが流れていった。
心を奪われるように桜の花を見つめる幽々子。一人焦燥に駆られる紫。何とか幽々子を説得する方法を模索していたが、
(……、これは……)
何者かが、こちらに近づいてくる気配がする。
足音はないが、息を荒らげて飛んでくる者がいる。
それが誰なのか、考えるまでも無かった。
(……あの死神、いい仕事をするじゃない)
「幽々子様――っ!!」
「!」
桜並木を突っ切って、魂魄妖夢が飛び出してきた。慌てていたからか、ブレーキを掛けずにそのまま幽々子に突っ込む。思わぬ不意打ちを受けそうになった幽々子は何とか抱き留め、
「妖夢……、なぜ貴女がここに?」
「小町さんが教えてくれたんです。心配したんですよ。その……消えちゃいそうだったって、本当ですか?」
「え……ああ、さっきまでそうだったかもね。でも大丈夫。もう心配ないわ」
「……やっぱり、あの桜のせいで?」
「さあ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわねぇ」
今頃お燐は死体を元の場所に安置しているだろう。西行妖は再封印されたはずだ。
「幽々子様も……消えることを望まれたのですか……?」
「…………」
すぐには、返事ができない。素直に否定することができなかった。
幽々子は妖夢を腕に抱いたまま、しばらく黙りこむ。
(……、私の出る幕はなくなったわね)
紫は僅かに微笑むと、音を立てないようにスキマを開き、そこから帰っていった。
それからしばらく経って、妖夢が弱々しく口を開く。
「私は、嫌ですよ……」
もっとずっと一緒に居たい、と言うことはできなかった。言葉を紡ごうとすると、上手く息を吸うことができなくなる。幽々子はそんな様子の彼女を見て、
「……そうね。私一人では、あのままどちらに進むか迷っていたでしょう。最後まで迷ったまま……結局取り返しのつかない選択をしたかもしれないわ。でもね、貴女が来てくれたから……貴女が私を探しに来てくれたから、今ははっきりと決断できる」
桜の木々を揺らす春風はいつしか止み、無縁塚の中心は静寂に包まれる。
「私は、もっと今の生活を楽しむわ」
「……はい」
「程よく食べて程よく寝る。程よく酒を呑んで程よく花を見る。やっぱり私には、そういう過ごし方が性に合ってるわね」
「……そうですね」
妖夢は幽々子の懐から離れ、袖口で目元を強くこすった。
「屋敷に帰って、また改めてお花見をしましょう」
「そうね。また、いつものように。今度は桜餅でも作ってもらおうかしら」
「分かりました。……、食べ過ぎは、禁物ですよ?」
「ふふ。程よく食べるのよ」
*
二人は無縁塚から飛び立ち、桜花結界を抜けて冥界へと帰還する。
白玉楼の庭園では大勢の幽霊や生者が花見を楽しんでいたが、その中に博麗霊夢、霧雨魔理沙、火焔猫燐の一団も含まれていた。
小野塚小町は既に帰ってしまったようだが、幽々子と妖夢は三人の組に割り込んで一緒に宴を楽しんだ。
西行妖の開花は止まり、徐々にその花は散ってゆくだろう。結局誰の死体が埋まっていたのか、核心的な情報は掴むことができなかったが、幽々子は最早どうでも良いと思っていた。
また開花するのであればその様子を見守り続ければ良いし、今回のように我が身が危険に晒されても、ここにいる有能な庭師が護ってくれるだろう。
ふと妖夢を見ると、魔理沙にちょっかいを掛けられて困り顔をしている。頼りなさそうではあるが、やるときはしっかりやるのが妖夢の良いところだ。
風に舞った一枚の花弁が手元の盃に落ちる。酒が染み込み一層色鮮やかになった花弁は、幽々子の心そのものだった。
fin
スペルカードの選択、登場した場所……弾幕格闘から始めた私は、
なんだか凄い親近感を持った。
初投稿にしては悪いところは見当たらず、きちんと纏まっていて読みやすかったです。
ただ、場面場面が短く、物足りなくも感じました。
物語の雰囲気は崩れず続いていたので、それは良かったのですが、
個人的には物語に大きな揺れが欲しかったです。
題名を見た時は、重く壮大な話が展開されそうだと思って腰を据えて読んでいたのですが、
案外あっさり終わってしまったので。
……妖夢がいる限り、西行妖が満開になることは無さそうですね。
紫も私も安心。
とはいえ、話に一つ筋が通っており読みやすかったので是非、次の作品も読んでみたいところです。
もっとじっくり書いても良かったんじゃないかと思います。