- 問題編からの続きになります。
未読の方はそちらを先にお読みください。
六
「間に合う……? 本当なのか、それは?」
訊いてくる慧音の顔には、今度こそという願望で満ち満ちて……なんてことはなかった。むしろ期待というよりは、とっくに諦めて投げやりな雰囲気が漂っている。
でもまあ、そんな反応も無理ないか。今までの私たちの議論ぶりからすれば、すっかり期待できない印象だろうし。
「安心して。私だってたまに嘘はつくけど、こういう場面で口にするほど無神経なつもりはないから」
確かに、今は幻滅しているかもしれない。だけど今回の件について説明をしてくれた当初、この娘は確かに私達に期待を寄せてくれたはず。
なら……与えた期待には応えるのが、できる女ってものだからね。
「今さら何をわかったっていうんです? さっき私が全部解決してみせたでしょ。もぐもぐ」
マナーの悪いことに、鈴仙はモナカを咀嚼しながら告げてくる。月では物を食べながら喋るなと教えてくれなかったらしい。というか、この娘はさっきのアレ――胸がまな板とかどうたら――で、すっかり解決できた気でいるらしかった。
「あなたの発想にはいろんな意味で恐れ入ったわ。でもせっかくだから、今度は私の番ということで聞いてくれないかしら?」
「ま、聞きましょ」
暇だし。とでも続きそうな気楽さだったので、なんだかせっかく閃いた甲斐というものがないけど……。まあこいつのために推理したわけでもないし、素直に黙って聞いてくれるだけよしとしておく。
さて。では、気を取り直して。軽く溜め息を落とすと、改めて慧音に向き直る。
「今回の件、いざこざには、ちゃんと明確な原因があったの。それはおそらく、その子の一方的な勘違いよ」
「勘違いだと?」
「ええ。うどんげさんの言葉を借りるなら、実に男の子らしい勘違いといったところね」
「……だからうどんげって呼ぶのはやめ――」
と、案の定ゆらりと鈴仙は迫ってきたのだけど、いきなり横から弾き飛ばされてしまう。そして代わりに押しのけた本人、慧音が切実に訴えてくる。
「どういうことなんだ、それはっ?」
「焦らないで。順を追って説明するわ。まず、その子がただの木の板を渡すという勘違いの結果に至ったのは、一応の要因があるの。それは、言うなら見解の相違よ。書道に対する、ね」
「書道? 見解の相違……?」
「慧音。あなたはさっき、書道のことを『遊び』って言ったわよね。それがあなたの見解」
「ああ、そうだ。だが相違というのはどういうことだ? 私の教える書道教室では、誰一人として嫌々やる者などいない。皆が皆、文字と心の偽らざる交流を為している。あの笑顔に、わずかたりとも欺瞞などあるものか。もちろん、あの子だって……」
「それが、そうでなかったってこと。少なくとも、彼の少年にとってはね。〝おそらく《コヘイタ》君は、書道が嫌いだった〟。少なくとも先日の段階では間違いないわ」
「なっ……」
慧音は、言葉を失う。それももっともだろう。なぜならさっきまで何度も、彼女自身否定してきたことなのだから。
「今さら何言ってるんです? そんなことついさっきも、さんざん違うって話したじゃない。ねえ?」
鈴仙は捻った声色で隣に同意を求める。慧音は困惑しながらも、うむ……と顎を引いた。
「先ほど話した通りだ。嫌いならば、私が道具をあげた時にあんなに喜ぶはずがないだろう」
「だから。それはその子が勘違いしてたからよ。喜びはその子の本心であることは事実。ただ、それは書道道具をもらって、あなたと書初めができると思ったからじゃないの」
煙に撒くつもりはなかったのだけれど、今の発言は一斉に聴衆の顔を難しくさせた。
そのままの表情で、慧音は訊き返してくる。
「全くわからん。書道道具をもらったことは嬉しいのに、書道自体は楽しくないというのか」
「ええ。そうよ」
私は頷く。端的に言えば、そういうこと。
この一見の矛盾を紐解くには、さっき話した見解の相違という点がポイントになる。
「慧音、あなたはその子と新年に〝遊ぶ〟約束をしていた。あなたはそのために書道道具をプレゼントしたわけだけど、彼はもともと書初めなんかするつもりはなかったのよ。なぜならその子は習字が嫌いで、彼にとっては〝遊び〟じゃなかったから。かといって、もちろん絵馬でもないけどね」
「そ、そうなのか……?」
鈴仙は腕組みを固くし、ううんと唸った。
「まあ、確かに嫌いなことをわざわざ自分からやろうなんて思わないだろうけど……。でも、だったら何で遊ぶつもりだったんです?」
ふむ。短くまとめるつもりだったのに、この核心まで辿り着くのに少々かかってしまった気がする。でも、おかげで充分二人の気をひきつけられた。もっとも、慧音の方はかえって困惑しているみたいだったけど。
なら……気持ちを柔らかくするさせるためにも、次は少し軽い感じで切り出す。
「じゃ、ヒントをあげましょうか」
ちょうど三人の間に、握りこぶしをかざした。目線を集めたところで、ピン、と人差し指を天井に立てる。
「一つ。その遊びは、書道道具を使うということ」
「んなことはわかってるんですよ」
これだけではヒントに聞こえなかったらしい。鈴仙は口を膨らませてぶーたれた。
「じゃあ二つ目。さらに必要なものがある。それがあの木の板」
立てた中指に一度目をくれてから、慧音は私の顔に視線を移す。
「やはりあれも必要だったのか! いや……だが、一体何に使う? 筆と墨と、木板。そして時期が新年となれば、私は絵馬しか思いつかなかった」
うん。一つ頷くと、三本目の薬指を立ててやる。
「その正月っていうのが第三ヒント。確かにここまでなら、その答えも悪くない線よね。充分解答としての基準を満たしている。でも、四つ目があるの」
小指を縦に伸ばす。これが最後だ。
「《コヘイタ》君は書道が嫌いな、年相応の男の子だということ。これを事実だとして、踏まえて導ける回答は?」
これが慧音の絵馬説を否定する、決定的なヒント。
もし立場が逆で、板を返したのが慧音だったとするならば、私も絵馬と推理したかもしれない。でも今回は違う。慧音じゃなく、子供の心情になって考えなければならない。
「むむむ……年相応? 騎竹の年だからどうだというんだ?」
慧音はわずかに首を横に捻った。隣の鈴仙へ聞いたらしい。
「そりゃ、年頃の男子って言ったら決まってるでしょ。さっき私が言った通りの意味ですよねぇ?」
「ちなみに思春期どうこうは関係無いからね」
相変わらずピンク色が抜け切らないみたいなので、ばっさり斬り捨ててやった。ぶっすり膨れた鈴仙は、そっぽを向くと横目だけで睨んでくる。
「だったら何なんだってゆーんですか」
「別に難しく考えないでいいのよ。年頃の男の子が正月に遊ぶとしたら、どんなことをするか。単純に想像してみて」
「想像? う~ん、カルタとか?」
「そうそ。そんな感じよ。でも男の子なんだから、どちらかというと家の中より外の遊びの方が好きそうなものじゃない?」
「ああそういう意味ですか。ま、そんなものかもしれませんね。とすると、凧揚げ?」
「いい調子ね。じゃあここで今までのヒントを振り返ってみて。すると……どうかしら?」
正月限定で、筆と墨、そして木の板を使う遊戯……とくれば、それは――
「……あっ!」
ほぼ同時に、二人が声をあげる。
わずかに早かった慧音が、膝立ちで鼻先を近づけてきた。
「そうか! 〝羽根突き〟だ!」
「ピンポン♪ 正解」
ご褒美というわけじゃないけど、にっこり微笑んでやる。
「なるほどっ。筆と墨は、お手つきして顔に罰を描くためのものっ。板は羽子板!」
慧音の興奮が移ったのか、今度は鈴仙がまくしたててくる。
「そういうこと。あの板は、加工して羽子板にするはずのものだったの。羽子板ならその形に削り取ればいいだけだけど、のこぎりなんかの工具を使うのは小さい子供には少し難しかったんでしょうね。だから《コヘイタ》君はわざわざ慧音、あなたに頼んだのよ」
独り言のように、慧音が呟く。
「羽子板を作らなければならなかったんだな。私は……」
一方で興奮していた鈴仙は「あれ?」と、ふと動きを止める。視線を中空でさまよわせてから、こちらに向けて見開いてきた。
「でも、ならどうしてその子は、そうならそうとはっきり言わなかったんです? 板を渡す時に羽子板を作ってって頼めば、変な誤解も生まれなかったんじゃ……。もともと内気な子だから、ちゃんと物も言えなかったってこと?」
「内気だからというのもそうだけどね。でも彼からしたら、きっと言うまでもないと思っていたからよ」
「言うまでもない……?」
「ええ。もともと習字のことを『遊び』と思っていなかった《コヘイタ》君は、一番初めに慧音を誘った時、書初めをしようなんてことはまったく頭に無かったの。だからその後で慧音からプレゼントをもらった時も、彼の頭に過ぎったのは羽根突きの方。なんだかんだいっても八歳の子供だからね。基本的に自分本位だから、相手の身になって考えることなんてできない。遊ぼうと約束して慧音が習字道具をくれたんだから、彼には羽根突きしか思い浮かばなかった。先生の方もそのつもりだと疑わなかったの。あと、まあ……気恥ずかしいかったから早々に会話を打ち切ったのもあるかもしれないわね」
慧音は半ば呆然としていた。その唇の先で小さく囁く。
「そうだったのか……。あの子が当日を楽しみにしていたのはずっと知っている。それなのに、私が勘違いでせっかくの素材を絵馬の形にしてしまったから。だから、あの子は期待を裏切られて、あんなに……」
そう。《コヘイタ》の望みはただ、大好きな先生と羽根突きをやりたい。それだけだった。
改めて聞けば、至極単純な話。でもただ少しボタンを掛け違えただけで、誤解は亀裂へと発展してしまった。
もともと両者の間にちゃんと言葉があったのなら、こんなズレなど生じなかっただろう。でも《コヘイタ》は子供ながらの先入観から、慧音はその子の期待に応えたいという自尊心から、あえて口で問いただすことをしなかった。あとはそれぞれの思い込みが、互いに違う方向に進んでしまった。今回の事件は、そんなささやかな行き違いに過ぎない。
考察深げに、鈴仙が唸る。
「『残りは僕が用意するから』と言っていたのは……絵馬の紅白紐じゃなくて、羽根突きの羽根だったわけですね」
「…………」
慧音はひたすらに、私と鈴仙の間の中空を見つめている。
真実を知りえたショック、あるいは真実を見抜けなかった己への歯がゆさ。そして申し訳なさが入り混じった表情……。ない交ぜになった感情に囚われ、その場を動けずにいる。そんなふうに見える。
「ねえ、慧音」
私は、改めて名前を呼んだ。
「今あなたは悪いのは自分のせいなんて思ってるかもしれないけど、こんな些細なことに病巣を求める必要なんてないのよ。要は、深く考えすぎってこと。もともと悪気なんてどっちにも無いんだから。原因はどちらにもあると言えるし、無いとも言える。だったら、後者ってことでいいじゃない。ね?」
慧音は呆然と見返したまま、返事をしなかった。私の言葉を、脳内で咀嚼したまま動かない。
「よしっ。じゃあ決まり!」
唐突に、鈴仙は顔の前で両手を合わせた。
「慧音さんは今から町に出て、もらったものと同じ角材を買ってくること。それですぐにその子に会いに行くの」
「すぐ……今から、か?」
「当然。正月もあと残りわずかなのよ。今日にしたって、もう夕方。さっきアリスさんだって、まだ間に合うって言ってたじゃない。一緒に外で遊んで、とっとと仲直りしてくること。いいですね?」
最後に、ビシッ。慧音の眼前に指を突きつける。
慧音は一瞬たじろいで、指の先を見つめていたけれど……やがて意を決したらしい。果たして、すっと音も無く立ち上がった。
「……既往は咎めず、か。確かにな」
先日あれだけ邪険にされた相手にいきなり会いに行くというのは、きっと勇気がいることだろう。でも、どうやらこの娘は早くも決心したようだ。凛とした顔つきで何かを見据え、もの言わずとも毅然とした態度が決意の色を告げている。
「こうしてはいられない。お二方のおかげだ。礼はまたいずれ!」
告げるが早いか、慧音は駆け出す。さながら疾風の如く、教室を抜けていった。
「あっ、ちょっと! 行くならこの薬も…………あらら」
慌てて廊下に駆け寄ろうとする鈴仙だけれど……すでに廊下に彼女の姿は無かったらしい。というより、すでに慧音は、廊下とは反対壁の格子窓の外だった。やはり疾風の如く駆けていく背中が、やがて小さく消えていった。
しばらく呆気にとられていた鈴仙が、こちらに向けて肩をすくめる。
「さっきまでずっと固まってたのに。一度動けば一直線なんだから、あの人。こういうの四字熟語じゃなんていうんだっけ? 虚心坦懐、だったかな」
「あら。とっとと仲直りって、奮起させたのはあなたでしょ?」
「それは、まあ。堅物にはあれくらい言わないとね」
くすり。小首を傾げて、鈴仙は苦笑する。解決に至った安堵がもたらしたのか、私も自然と笑みが漏れた。
束の間笑いあったところで、さて、と腰に手を当て鈴仙が切り出した。
「薬は……ま、ここに置いとけばいいとして。これからどうしようかしら。あの人追いかけます? この部屋あったかいし、もう少しゆっくりしていくのもありよね」
と、さっそく現金なことを言ってくるわけだけど。こちらはあまりのんびりしてはいられない。病床で呻いている魔理沙を想像すると、さすがに。
それに……まだ話を聞きたい奴もいることだし、ね。
「慧音ならもう大丈夫よ。もう日も落ちてきたし、竹林に戻りましょう」
そう、きっと心配は無いだろう。あの娘は不器用で融通が利かない分、根は真直だ。行き先さえ示してやれば、ひたすらにまっすぐ進むことができる人種……もとい妖怪だから。
格子窓に近寄る。慧音が走り去った街道の向こう、遥か西方の山間には、今にも日が落ちようとしている。
日没の残照。暮れの空にたなびく鮮やかな瑞雲は、彼女の明るい前途を象徴しているように感じられた。
七
「――なるほどね。そんな事情だったの」
永遠亭に戻った私は、また最初と同じ永琳の診察室へと案内されていた。
ゆっくり話すだけなら居間がよかったけど、この診察室は永琳の自室でもあるらしい。備え付けられていた来客用の革張り椅子は、歩き疲れた足にはちょうどよかった。
慧音はおそらく元通り仲直りし、またここに通うようになるだろう。もう問題は解決した。だからその事実さえはっきりすれば私はお役御免、すぐ帰っていいはずなのだけど、ついでにひととおり事情を報告する役を任せられた。せっかく部下に同行までさせたのだから説明は鈴仙にさせればと思ったけど、そこを任せられないということはやっぱりあの兎は大して信頼されていないらしかった――もっとも、その鈴仙はようやく念願のコタツでみかんにありつけるということで、沸かしたお茶と駄菓子を持ってくると早々に奥に引っ込んでしまった。あの現金な調子じゃ信頼云々も無理無いと思った。
報告に満足したように、永琳はにこりと微笑む。
「本当によくやってくれたわ。改めて、ご苦労様でした。これ、約束の薬ね。一応中を確認してもらえるかしら?」
すぐ渡せるように、予め準備していたらしい。引き出しから薬袋らしきものを取り出す。受け取ると、私は薬と永琳の顔を交互に見合わせた。
「一応訊くけど、お代はいくら……?」
「そんなに疑わしい顔しなくても。ご苦労様と言ったでしょう。タダで結構よ」
くすくす。永琳は口を隠すように笑う。
それはよかった。最悪、全部魔理沙のツケにしてしまおうかと思ってたし。
「とにかく、おかげで助かったわ。上白沢さんが来てくれなければ、あの子に薬を渡せないもの。私が直接届けられれば一番いいんだけど、この時期はあなたみたいなお客も多いし、手が足りないから。かといって高価なものだから置き薬というわけにはいかないし。それに、毎回うどんげに任すのも不安だしね。あなたに頼んで正解だったわ。うふふ」
やっぱり信用されてなかったのね、あいつ……。まあ、その当人は今頃コタツでのほほんとしてるだろうから、自業自得ということにしておく。
「分量なんだけど、一応、一週間分を入れておきました。充分だと思うけど、もし足りなかったらいつでもどうぞ。その時もお代はいただきませんから」
「それはどうも。それで、これはいつ飲ませればいいの? 漢方って基本は食前でしょ?」
「まあ、一概には言えないけどね。配糖体という言葉はご存知?」
「配糖体? というと……糖の一種よね。糖の反応性の高い部分に、それ以外の物質が結合しているもののこと」
「そう。今回の生薬には、この配糖体が多く含まれているの。配糖体成分は糖部分に多くの水酸基をもつから、水溶性が高い。要はそのままだと吸収がよくないということ。だから食前か食中の服用を勧めているのよ。さすが、医学には知悉してますね」
ふむ、なるほど。普通の人間は、満腹時より空腹時の方が吸収率が高い。だからというわけね――もっとも、私が配糖体を知ったのは医学書じゃなくてダイエット本なんだけど。
それにしても……。う~ん。こうなると、いよいよ魔理沙に漢方を飲ませるのは難しくなった気がする。
食前ということは、味覚も嗅覚も一番敏感になっている頃合。ただでさえあんなに嫌がってるのに、そんな時に飲ませたら余計に抵抗するかもしれない。死に体の魔理沙に無理やり経口投与させるのも、ちょっと気が退けるし――ちょっと面白そうだけど。
いや、待った。食事中でもいいなら……。
無意識にお茶に手を伸ばそうとしたところ、ふと隣の駄菓子が目に入った。
「気になるなら、どうぞ。遠慮しないでいいわよ」
手の平で指し示される。思いのほか、しっかり凝視していたらしい。
ううう。そういえば、今日はまだコーヒーしか飲んでないんだった……。でも、魔理沙は何も食べないで待ってるのに、自分だけってわけにもいかないし。
「なんなら、好きなだけ持ち帰ってくれてもいいですよ」
「……じ、じゃあ。お言葉に甘えて」
幾つかを適当に選んで、薬と一緒にポーチに入れておく。これから魔理沙の家に行くとすれば自分の食事を作る暇は無いと踏んでいたので、正直ありがたかった。
まあとにかく、薬を飲ませる方法は帰りに飛びながらでも考えればいい。目的の品も手に入ったし。これ以上ここに用は無い。
……でも。
その前に、聞いておかなければならないことがある。この永琳には。
「もう夜も遅いでしょう。よければお菓子じゃなくて夕食を作らせてもいいけど。いかがかしら?」
彼女にして珍しいけど、あからさまに喜色を露にするのを見るに、どうやら上機嫌らしい。さっそく報告をまとめているのか、カルテらしきものに軽快に万年筆を走らせている。
「ありがたいけど、一応魔理沙も待ってることだしお暇させていただくわ」
「そうですか。でしたらまた後日ね。折角なら、風邪が完治してからお二人で食事にいらして」
では、お大事に。一つ微笑って告げると、永琳は机に向けて四十五度、椅子を回す。それきりまた万年筆を走らせるけれど、そのうち私がいつになっても動かないのを怪訝に思ったらしい。手は動かしたまま、「まだ何か?」と簡潔に投げかけてくる。
意を決して、というほどでもないけれど。私は次の台詞を、少々間を置いて切り出した。
「一つ聞きたいんだけど。あれは何の薬だったの?」
「あれというと、どれのことかしらね。漢方の話じゃないの?」
「あなたが慧音に渡してもらってるっていう、子供に処方している方よ。あれ、何の薬なの?」
「ああ、大したものじゃないわ。鼻炎の薬よ。アレルギーを抑えるための――」
「ウソね」
ピタリ。走る筆が止まる。
永琳は顔を上げた。
「何、急に。どうかしました?」
「実はね、最初からずっと気になっていたの。そういえば彼、《コヘイタ》君は一体何の病気なのかって。定期的に薬を服用する以上、何か慢性的な疾患なのは間違いないからね」
まあ、最初からっていうのは言いすぎか。最初に疑問に思ったのは、あの時だし。
そう、羽根突きを閃いた時、私は同時にある〝もう一つの可能性〟に気づいてしまった。
ハア、まったく。こんなこと、気づかないなら気づかないでよかったのに。調子が良すぎるのも考え物ね……。
私は魔理沙みたいに、根掘り葉掘り追及するのは好きじゃない。でも存知してしまった以上、本質を質さないわけにはいかない。ましてや、そこに何か思惑があるなら尚更。
永琳は、端正な顔に例の薄い微笑を載せた。
「ウソ、だなんて。そこまで言い切るからには、それなりの見解がありそうね。今、それをここで語っていただけると?」
「もちろん。じゃなきゃすっきりしないから」
そう。すっきりしない。例え慧音が元の鞘に戻ったとしても、これを目の前の永琳に言わない限りは。
「単刀直入に言うわ。あの子の病気は、〝眼病〟。おそらく今は、もうほとんど目が見えない。そうでしょう?」
*
「……あら、どうして?」
聞き返す永琳の微笑には、さして変化は見られない。
事情を知らずにこれがとぼけている振りだと看破できる者が、果たして何人いるのだろうか。そんな疑問が浮かぶぐらい、その笑顔は隙の無い均整で形成されていた。
でも、すでに私の中の確信は確固たるものになっている。どんな顔を見せられても揺るぎはしない。
「言っておくけど、鈴仙が口を滑らせたからじゃないわよ。ちゃんと一から私が考えたの。するとどう考えても結論は同じ所に行き着いちゃうのよね。不思議と」
「一から、ねえ。とはいえあなたの話の限りだと、あなた自身は直接彼と会ったわけじゃないんでしょう? その子の話を慧音さんに又聞きしただけで」
「ええ。もちろん慧音についていって、その子に会って直接確かめることもできたけど。それよりは、まああなたを問い質した方が早いかなって」
「そう、結構よ。今日はもうアポイントメントは無いし。個人情報を暴いて何がしたいのかはわからないけど、言いたいことがあるなら聞いてあげるわ。あなたには世話になったし。それにこういう話、うちの姫に聞かせたら大層喜びそうだもの」
ようやく本腰を入れて聞く気になったらしい。永琳は万年筆を置いてこちらに椅子を回すと、少しゆったりと足を組む。そのまま続けて口を開いた。
「ただ一つだけ、断っておかなきゃならないことがあるわね」
「何?」
「私の話ならともかく、あなたはその子の話をしたいんでしょう。でも立場上、私はあの子の臨床担当なの。すなわち、患者のプライバシーを護る責任がある。だから仮にあなたの推測が正しいとしても認めることはできない。そういう旨だけはご理解いただきたいわ。ですからあくまで、その範囲内でなら聞いてあげましょう」
ふん、守秘義務ってことね。そういえば鈴仙もそう言って盾にしてたけど。なるほど、そうくるか。
この永琳。千年生きている経験は確かで、やっぱりポーカーフェイスもお手の物らしい。現にさっきから彼女の表情は、微笑が凍りついたように動かない。今から私の考えを話し、それが図星だとしても、何か一つでも決定的な反応は得られない。そんな気すらしてくる。
でも、まあいい。こっちは別に、永琳を責めたいわけじゃないし。ましてや糾弾したいわけでもないのだから、相手の反応なんかどうでもいい。
こちらはただ、本当のことを知りたいだけ。強気に問い詰めてもしらばっくれられたらそれまでだし、あくまで気楽にいくことにする。
「もう一度言うけど、その《コヘイタ》君。目の病気なんでしょう。おそらく完全に失明しているわけじゃないけど、視力はすでに相当低い。眼鏡をかけていない事から察するに、おそらくそれくらいじゃ補うことができないほど。違う?」
「あらあら。認めることはできないと言ったばかりなのに、強情ね。もしそうだとして、なぜあなたはそう思ったの?」
「理由は三つあるわ。まず、習字が嫌いになったということ」
「習字? ……ああ、そういえば慧音さんは子供達に書道も教えてるらしいわね」
「慧音の話だと《コヘイタ》君は、もともと習字は大好きで楽しくやっていたらしいわ。でも今年にはいってからは次第に成績が下がり、今はすっかり嫌いになってしまった。慧音はただのスランプと言っていたけど、これは病気が進行したからよ。目が見えなくなれば当然下手になるし、やりたくもなくなる。うまく書けないうえに、書いた作品も満足に見れないんじゃ嫌になるのも無理ないわよね」
「あら、それだけで目の病気だと? どうなのかしら。聞く限りじゃ、何か他の理由も充分考えられそうだけどね。ただ単に飽きてしまったとか。あるいは、本当にスランプかもしれないし」
「根拠はあるわ。教室には彼の作品が飾られてあった。字の全体的なバランスはかろうじて見れるけど、細かいところはダメダメ。たぶん私がビンの底みたいな近眼眼鏡をして書いても、似たような作品ができるでしょうね」
「なるほど、作品。でも、私が見たわけじゃないからねぇ。まあ、あなたが言うならそうだということにしましょうか。でもそれだけで目の病気と決め付けるのは、さすがに早計だと思うけど」
くすくす、永琳は笑う。なんだかかえって楽しげにも見える。
「三つあると言ったでしょ。今のはジャブ。ただの前菜よ」
私は、椅子の上で足を組みかえる。
「次に、理由の二つ目。慧音の話では、その子は大変恥ずかしがり屋。ほとんど目を合わせないぐらいシャイな子らしいわ。ここなんだけど、恥ずかしがりなのは確かだとして、まったく目を合わせないのは別に問題があるから。つまり、相手の顔がよく見えていなかったからとも考えられるわ」
「興味深い考察ね。でも……一つ、いいかしら?」
再び、ここで横槍を挟まれる。
こちらの目的は、永琳から真実を引き出すこと。なら、ただ一方的にこちらが話すより、向こうからの反論があったほうがありがたい。「どうぞ」と手の平を向けて促す。
「もしあなたの言うとおり、彼の病気が目の患いだったのなら、さっきの報告と矛盾しないかしら? あなたの推理では、《コヘイタ》君は慧音さんと羽子板で遊びたかったのでしょう? 目がまったく見えないのなら、どちらかというと習字よりそちらの方が難しいのではなくて? そんなこと、本当にやりたがるものかしら」
当然の反論。おそらく、真っ先に疑問に思う点だろう。ゆえに、前もって回答は用意してある。
「普通はそう思うわよね。でも言ったはずよ。失明してるわけじゃないって。だから物がどこにあるかぐらいは把握できる。他人の表情とか、そういう細かいとこまではぼやけてわからないでしょうけどね。仮に多少色覚に障害があるとしても、羽根つきの羽根はカラフルだからどこに飛ぶかまったくわからないということは無いでしょう。だから、むしろ逆なのよ」
「逆?」
「これ以上症状が悪化すれば、もう羽根突きもできなくなる。彼には時間が残されていなかったの。だから、どうしてもやりたかった。今年の正月を逃せば、次の機会は一年後になる。その頃にはもう、満足に外で遊べなくなるであろうことわかっていたから。つまり彼が先生と羽根突きで遊ぶチャンスは、今年が最後だったの。だから慧音が間違えて絵馬を作ったと知った時、文字通り泣くほど過剰な反応を示した。それもこれも、羽根突きの夢を叶える最後の機会を失ったと思ったからよ」
ここまでの事実から、《コヘイタ》の病状を推測してまとめれば、こうなる。〝手元の文字、話し相手の表情はわからないけど、一応の視力は機能しており、慧音から見ても不自然に思わない程度になんとか日常生活が送れるレベル〟。そんなところかしら。
私に眼科の知識があればもう少し詳しく診断できたと思うけど……。まあ、患者を実際に見ないでここまで見立てられれば十分でしょう。
「最後の三つ目は?」
永琳は、微笑を崩さない。
「彼の書いた作品よ」
「作品? さっきの教室にあったという物かしら。それはさっき説明したんじゃないの?」
「出来が悪かったから、とまでは話したわね。でももう一つ理由があるの。それは彼が書いた熟語の事。その時の課題は、今年一年の反省。それを四字熟語でそれぞれ表すというもの。そして彼が選んだのは、『一上一下』という言葉だった」
このくだりは、さっき永琳には説明していなかったところだ。彼女も妙に思ったらしく、机に片肘を載せて頬杖をつくる。
「ふうん、一上一下。確かに不思議ね。自分を省みる言葉としては、些か不適切……。子供だから意味もわからず言葉を使ったような気もするけど。ただの誤用?」
「それが違うの。ちゃんと意味が隠されていたのよ。といっても、暗号というわけじゃないわ」
暗号、つまり誰かに宛てたメッセージが隠されているわけでもない。
なら、一体何か。それは……。
「〝画数〟よ」
「画数……ああ、そういうこと」
さすがは月一の天才。一言で理解に至ったらしい。
そう、『一上一下』。これは〝最も画数が少ない四字熟語〟。
目の見えない《コヘイタ》にとっては、複雑な文字は書けない。彼がこの言葉を選んだのは単に、書くのがもっとも簡単な四字熟語だから。その数、全部でたった八画。それだけ書くのが簡単だということ。これなら例え目を閉じて書いたとしても、そうそう失敗はしないというわけ。
「もうわかったでしょう。ところどころ出来が不細工だったのも。そして、もっとも簡単な課題を選んだのも。全てその子の病が眼に端を発するものだと考えれば説明がつく。これでもまだ白を切る気?」
凄んだつもりは無かったけれど、声は思いのほか部屋に低く響いた。
少々威圧的に聞こえたかしら……。別に私はただ本当の事を確認したいだけで、なにも永琳を非難する気は無いんだけど。
でもまあ、いいか。こいつがとっとと白状してくれるなら、それはそれで。そう適当に割り切ったついでに、ちょっとばかし剣呑な睨みもくれてやる。
対して、永琳は静かに見返してくる。なかなか次の言葉が交わされなかったから、傍から見れば間に火花でも散っているように見えたかもしれない。
と、そんな中。
「……ふっ、うふふっ」
沈黙がむしろ面白かったらしく、永琳はいきなり口元を押さえた。
「まさかそんな決まり口上まで出てくるなんて。あなた、案外レトロなのね」
「は……? う、うるさいわね。いいでしょ別に」
そ、想定外の攻撃。おかげでちょっと取り乱してしまう。
で、それが余計笑いを誘ったらしい。ひとしきり顔をほころばせると、永琳はふうと長い息をつく。
「いやはや、切れすぎるのも考え物ね。新聞の評判通り、虚名を博しているわけではなかったということかしら。……ねえ、アリスさん?」
なぜだか、名前を呼んでくる。すっかりペースを狂わされた腹いせに、返事はあさっての方向へ返してやった。
「何よ」
「あなた、年は幾つ?」
「年? 年齢ってこと?」
「そう、年齢。何歳? 妖怪になってからじゃなくて、人間として生まれてからの時間でいいわ」
「はあ。そう言われても、そんなのもう覚えてもなければ、年齢なんてしばらく数えてすらないわよ。あなただってそうでしょ。だいたい、女性に面と向かって年を訊くなんて野暮じゃなくて?」
「うふふ。言い返してくるなんて、やっぱり若いわね」
「ふん。そりゃ、年をとったつもりは無いけど。お肌だって十代のつもりだし」
「そういう意味じゃないわ。好奇心の話よ」
……好奇心? なにそれ。どういう意味?
「知りたがるのは本来、人の性なの。人外の性じゃない。あなたが魔法使いになったのはさほど昔のことじゃないらしいけど、どうやらまだ心から妖怪にはなりきれていないようね」
「……はあ?」
妖怪に……なりきれていない? はて、誰のことを言ってるんだか。
いや、まあ、私か。でもだとするとこいつ、いきなり何を言い出すのかしら。
私が人間をやめたのはもうとっくの昔の話。それがいつだったかなんてことは、どうでもいいのであまり覚えていない。
でもまあたぶん、まだせいぜい百年足らずのはず。とはいえ今は足りなくとも、あと十数年もすればそのぐらいのキャリアにはなるわけで。なりきれてないだのなんだの、駆け出しみたいな言われをされる筋合いはないはずなのに。
「言ってる意味がよくわからないわね。というか、馬鹿にしてる?」
「いやいや、まさか。客観的に思っただけよ。決して未熟だとか、考え方が矮小なんて意味じゃないわ。今しがた見事な推理もしてくれたことだしね」
「……ま、それはどういたしまして。でも見事って評価してくれるからには、正解を認めたってことよね?」
うふふ。永琳は口の端を歪ませる。
「然り、とでも言ってほしいのかしら? 仮にそうだと私が肯定したとしましょう。そのあと、あなたはどうするの?」
「別に。どうもしやしないわよ。でも今の推理が事実だとすれば、一つだけ気になることが浮上するの。それは、〝薬を渡していた慧音がどんな病気か知らされていなかった〟ということよ」
そう……私が永琳に唯一問いただしたいことがあるとすれば、その一点。あえて詰問口調で話しているのも、このことを聞きたいがためだ。
《コヘイタ》の病気の進行は現状、近くの文字すらろくに見えない程にひどい。もしそれほど深刻な状態なのだとしたら、身内の人や教師には真っ先に教えて然るべきのはず。にも関わらず、慧音はその事実を知らなかった。いや、知らされていなかった。
慧音が彼をどれだけ気にかけているかは、傍目から見ても一目瞭然。周知の事実のはず。にも関わらず、なぜ彼女にだけ病状を秘匿するのか。
私が唯一知りたいのはそれだけだ。本当の事を教えてもらわないと……よからぬ妄想が勝手に湧いて出てしかたがない。
「しかもあなたはおそらく、その子が慧音に話さないように口止めもさせたのでしょう。彼が文句も言わず素直に習字の課題に取り組み、簡単な言葉を選んでまで四字熟語の課題をやり過ごしたのも、慧音に病気のことを悟られないようにするため。いったいなぜ、慧音の耳に入れないためにそこまで手を回すのか。そこが気になったのよ」
「なぜ。それについても、あなたは見当がついているのかしら?」
「さあね。でも見当じゃなくとも、憶測ならいくらでも言える。例えば……」
「例えば?」
「例えば。あなたの個人的な意地悪だった……なんてことも言えるわね」
「意地悪」
くすくす、永琳は笑う。
「面白いわねぇ。それで? ここで私がその通りだと答えたら、どうするというのかしら?」
「どうもしないって言ったでしょ。ま、なかなか胸糞悪い話だとは思うけどね」
壁に向けて、ひょい、肩をすくめておく。さっきのお返しも兼ねて、ちょっとした挑発。
でも……やっぱり表情筋にまるで反応無し。それも故意に表情を張り付かせているんじゃなく、あたかも本当に自然体であるみたいに。相変わらず、本心が奈辺にあるのか定まらない。
この永琳ときたら、こちらに主導権を与えているように見えて、なんだかんだいってのらりくらり明言を避けているし。挙句好奇心だの妖怪になりきれないだの、わけのわからない方角に脱線したがるし。少しは真実を暴かれた反応ってものをくれてもいいはずなんだけど……。
じ……と、ちょっと恨みがましい目で見つめてやる。でも永琳は、そんな視線が余計にお気に召したみたいな顔を返してくる。
「本当、想像力豊かなのね。私が彼女に何か恨みでもあると?」
「無くは無いんじゃない? 可能性としては」
「あらあら。まったく、見も蓋も無い言い方ですのね。でも、残念だけど本当に遺恨なんか無いわよ。彼女はこちらが里に出向けない時も、いつも里の人たちを案内してもらっている。感謝こそあれど、恨みなんてあるはずがないわ。だからそんな怖い目は下げてほしいのだけど」
少し困ったように眉を曲げるものの……その温度の無い笑顔からは、まるで人間味が感じられない。
「でしょうね。まあ、正直あなたがそんな俗な理由じゃ動かないのはわかるわ。だから今のは冗談として……私は、本当はこう踏んでいるの。慧音に教えなかったのは、私情なんかじゃなく、あなたの職業的な都合じゃないかって。つまりは――」
「……〝治験〟だと。そう言いたいの?」
あえて疑問系で問われたけれど、すでに永琳の中では予想がついているのだろう。それが真実だからこそなのか、それとも単に永琳が切れ者だからかは、まだわからない。
真偽を問いただすべく、ここぞとばかりに正面から見据えた。
「永琳。あなたは薬が高価な理由を、初めにこう説明していたわね。幻想郷じゃ生薬の材料がほとんど採れない。しかも既存の薬の材料は少なく、薬は作りにくい。反面未知の素材は採れるけど、新薬開発には手間と時間がかかるって。とはいえ、やはり開発を全くしないわけにもいかない。あなたも言ってた通り、生活がかかってるんだからね。新しく薬が製造できなければ、在庫が減るばかり。いずれ尽きてしまうのは時間の問題。薬庫にはまだ相当量の薬があるのかもしれないけど、やはりどこかで新しく作らなければならないわけよ」
でも、と一つ言葉を区切る。
「薬を作る上では、どうしてもしなきゃいけないことがある。それは臨床的な試験。薬というものは、実物ができてすぐに完成とするわけにはいかない。当たり前だけど、その薬に予め見越した効果があるのか、試す必要があるの。人間に使う薬なのだから、部下の妖怪兎で試すわけにもいかない。少なくとも、投薬するのは人間でなければ意味が無い」
ここまで言えば、こちらの言いたいことは充分に伝わっただろう。
だからこそ、あえて口に出すべきだと思った。
「〝あなたが《コヘイタ》君に処方していたのは、まだ臨床試験をこなしていない未完成の薬〟なんでしょう。新しい薬の実験台として、その子を利用していたんじゃないの?」
もしこれが事実だとすれば……それを知った慧音は、当然反対するだろう。それこそ烈火の如くに。だから永琳は、慧音にだけは病気の内容を知らせなかったのだ。
でも。治験に限らず医療行為には、インフォームド・コンセントというものが要る。
治療者は参加者である患者に対し、治療の効果・過程、メリットとデメリット、予想できる最悪の事態、その他全てを明確に説明する必要がある。全ての情報を開示し、その上で充分に理解出来たことを参加者が認めた場合のみ、初めてそれは医療行為として正当化される。
もちろん、幻想郷には法律なんて無い。でも、道徳はある。なぜなら永琳が帰属しているのは妖怪社会ではなく、人間の社会なのだから。ゆえにインフォームド・コンセントは守られなければならない。
慧音は彼の担任の先生。しかも家族同然の付き合いをしていた。なのにこんな重要なことを教えないなんて……。
でも、この分だと知らないのは慧音だけでなく、《コヘイタ》の家族にも知らされているかどうか疑わしい。《コヘイタ》本人は子供、懇切丁寧に説明しても、小難しい理屈は理解できないだろう。ろくに自分の飲む薬がなんなのかわからぬまま、ただ頷き了承した可能性もありえる。
患者側が真実を知らされなければ、それは……ただの人体実験だ。
私は、別に正義の味方じゃない。だから偽善を振りかざすつもりも、永琳の良心に訴える気も毛頭無い。とはいえいつぞやの魔理沙みたいに、相手を脅迫してどうこうするほど打算的でもない。
ただ、事実を知りたかっただけ。妄想で形成した入れ物が、真実という型にピッタリ収まるかどうか。それを確かめたかっただけだ。
「…………」
永琳は、何も答えない。
微笑のままだった。完成された笑みのどこにも変化は無く、ひたすらに無機質に徹していた。
沈黙。それが、彼女の答え……。
だというなら、もう問い詰める必要は無いだろう。
事実は確かめた。これ以上、ここにいる理由は無い。
私は何も言わず、診療室を後にした。
八
時に、心という物が煩わしく感じることがある。
おそらく長く年月を経れば、誰でも至る感慨だろう。私の胸にもまた、そんな何度目かの感傷が去来していた。
感情が無ければ、不偏の理性を保てる。こんなふうに、胸にしこりを感じることも無いのに。
一旦自宅に帰り、自分の着替えなどをバッグに詰め込んで、私はまた魔理沙の家に戻ってきていた。
すぐにでも薬を飲ませてあげたかったけど、当の魔理沙は眠っていた。でも相変わらず息は荒いし、肌は上気していたので、とても体調が回復したようには見えなかった。仕方なく私は、キッチンで先に料理を作ることにした。
かき混ぜていたポトフを少量、掬って味見してみる。
……まだ、少し隠し味が強い、かな?
とはいえ、もうほとんど出来上がりなのであまり手を加える必要も無い。適当に塩を撒くと、ちょうどいい塩梅になってくれた。これで完成としておく。
寝室に向かう。ドアを顔半分だけ開けて、中に呼びかけてみる。
「魔理沙……起きた?」
返事は無かった。だいぶ落ち着いたのか、静かな寝息が聞こえるだけだ。
ベッドの側の椅子をひいて、腰をかける。
「ねえ、魔理沙……。聞いてくれる?」
薄暗い部屋の中、答えが返ってこないことを知りながらも、私は問いかける。
「今日ね、私はよくやったと思うの。自分で言うのも変だけどね。推理に特に矛盾は無かったと思うし、実際間違ってないと思う」
窓に視線を移す。すでに月とともに、漆黒の帳が落ちていた。
「でも、どうしてかしらね。ちょっと、わからなくなっちゃった」
たぶん……後悔してるんだと思う。知らなくていいことなら、そのままにしておけばよかったって。
「考えるのは好きよ? 今日みたいな探偵ゴッコも、本当は嫌いってわけじゃないの。だけど……」
でも有りのままを知ることが、本当に善だとは限らない。時に過ぎた好奇心は、影を残すこともある。たとえどんなに気に入らない結末でも、真実は一つしか無いのだから。
人と心の因果は、かくも難しい。
糸で人形を手繰ると同じわけにはいかない。そのくせ一度絡まると、容易にほどくこと叶わない。鏡花水月。深遠なるテーマといっていい。
私はどうすればいいのだろう。いっそ慧音に事実を伝えてしまおうかとも、少し考えた。でも仮に有りのままを公表したところで、このもやもやが晴れるとは思えない。そんな密告のような真似をしたら、私の心も暗く穢れてしまう気がする。
やっぱり……今はただ、時間が経つのを待つしかないのかもしれない。
三日も経てば、今日のこともすでに過去になってくれる。きっと……。
「だけど……。やっぱり、私には……まだ早かったみたい」
闇に浮かぶ月が、ひどく遠くに感じられた。
終
――三日後。
私、アリス・マーガトロイドはリビングで、日課であるモーニング・コーヒーを淹れていた。
朝の場合、豆は飲み安いグァテマラと決まっている。だけど今日だけは来客する相手の好みに合わせて、苦味の強いマンデリンを用意していた。
昔からコーヒーと紅茶には人一倍のこだわりがある私は、抽出にはもっぱら布のろ過器であるネルドリップを採用している。サイフォンも独特で面白いが、やはり色物の域を出ない。紙に至っては、邪道すぎてコーヒーに非ずとすら思っている。
器具さえあれば常に同じ味を出せるペーパードリップと違い、ネルドリップは淹れ方に技術を要する。左手にネルフィルター、右手にポットを持ち、コーヒーの粉末を淹れたフィルターの上に、ゆっくりとお湯を注いでいく。自然にお湯を染みこませ、最初の数滴のうまみエキスで、良し悪しが決まってしまう。すでに私のコーヒー暦は五十年以上だけど、未だにこの行程は手を抜けない。
よって普段は、自ずと集中力がピークに達する瞬間なのだけど……どうにも、頭の片隅には雑念がこびり付いている。
やっぱり、すっきりしない……。もう三日も経ったのに。
おそらくは、あれで完璧な推理だったと思う。でも、結末の後味の悪さが、心に砂が混じったような不快感を残している。
わかっていたはずだ。あの蓬莱人は姿かたちは人間でも、中身は極めつけの人外だって。薬を売っているのも、診療所めいた真似をしているのも。打算に過ぎない。妖怪は基本的に、打算と本能でのみ動くのだから。
抽出が完了する。スプーンでかき混ぜ、一口啜ると、棘が刺さるような苦味がした。
うーん、ちょっと失敗。風味が押されて、外気に漏れ出している。そのせいで苦味の嫌な部分だけが強調されている。どういう皮肉か、今の自分の心がそのまま液体化したような味だった。
……ハァ。まあいいや。
私の分は、シロップでも入れてごまかそう。ほんとはブラック以外のコーヒーなんて飲みたくないけど。
それに。どうせあいつは、コーヒーは苦ければいいっていうような子供だし……。
その時、玄関のベルが鳴った。
いや、鳴ったというよりは喚き散したような騒がしさだったけれど。とにかくこんなガンガラガンガラ忙しない鳴らし方をするということは、どうやら約束した当人が来たようだ。
玄関の鍵は、前もって開けてある。しばらくすると、いつもの馬鹿でかい黒帽子がリビングに姿を現した。
「よっ」
会うなり魔理沙は、白い糸切り歯を光らせる。
早速嘆息がついてでそうになった。ったく、どうやらこいつは、私と反比例して上機嫌なのね。
「……座れば?」
「言われなくても座ってやるぜ。ついでにコーヒーも飲んでやる」
魔理沙は帽子を取ると、早速有限実行をしてくる。いつものように、私は対面に座った。
「ほんと、すっかり元通りね」
魔理沙はずずとカップを啜って、「ん? 何がだ」
「あんたよあんた。つい最近までポンコツ寸前だったくせに」
「そりゃ、二日もあれば風邪治すにゃ十分だからな。ましてやこの健康優良な身体にかかれば、病原菌も裸足で逃げ出すってもんだぜ」
「……よくそんな口叩けるわね。だいたい、私の薬のおかげでしょうが。薬無しじゃ、たかが風邪でも死ぬ時は死ぬでしょ、人間は」
「おいおい、今さら私を一般人と一緒にしようってのか? その辺のホモサピエンスと」
「どう違うっていうのよ」
言われて、魔理沙はなぜだか胸を張った。
「あえて言うなら、私は私。人間でもなければ妖怪でもない。魔理沙は魔理沙ってわけさ」
「……今世紀最低のトートロジーね」
実際のところ、魔理沙の回復は早かった。
永遠亭から薬を持ち帰った後も、私は付きっきりで看病した。長丁場になるかもしれないので、当初はこちらもそれなりに覚悟していた。わざわざ一度家に帰って自分の着替えまで持っていったのだけど、どうやら思いのほか薬の効果がめざましかったらしい。拍子抜けすることに、魔理沙は次の日にはあっさり平熱に戻っていた。その頃になると苦しむ様子も無くすやすや寝てばかりだったので、まるで看病のし甲斐が無かった。意気込んだやる気を返してほしいところだった。
「ま、お前にゃ一応感謝はしてるぜ。不本意ながらな。だから他にやりたいことを後回しにしてでも、今日ここに来てやったわけだ」
感謝と言いながら、恩着せがましい言い方をしてくる。ようするにいちいちムチャクチャなのだけど、魔理沙という奴はこれが平常運転なのだ。三日前のあの腑抜けっぷりがまだ瞼の裏に残っている私としては、呆れ半分、なんとなく安心もしてしまう。
「わざわざ皮肉をこさえに来たってわけ? 悪いけど間に合ってるわ」
「こさえてるのはどっちだよ。ま、そんなものはお前と会話してると自然と量産されるからいいとして、だ。今日は礼にと思って、たっぷり土産を持ってきてやったぜ」
「は? 土産? たっぷり……?」
そう言う割には、今日の魔理沙の手持ちは……薄っぺらいショルダーバッグが一つぽっちだった。
ふむ、と私は鼻を鳴らす。
「どうやらまだ風邪は完治してないようね。あるいは後遺症が残ったのかしら」
わざと深刻な顔を作ってやる。すると、魔理沙はひょいと肩をすくめた。
「ま、そう言われるのは予想ついてたがな。だが喜んでいいぜ。お土産の一つ目は、今お前が一番欲しがってる物だ」
「……はあ?」
今、何か欲しい物あったっけ?
強いて言えば……。
「門松?」
「違う。てか、そんなものはバッグに入らん」
「じゃあ何なのよ」
「〝今回の真相〟さ」
えっ、と思わず声を上げてしまう。
「……それって、この前私が解決した件よね? どういうことなのよ。というか、土産ってそれなの?」
ああ。と、魔理沙はさも得意げに頷く。
「土産話っていうだろ。なら、日本語としては間違ってないよな」
「はあ。まあ、他に言い方あると思うけど。でもどういうことよ、真相って。また私の推理に穴があったって言いたいわけ? 先日聞かせた時は、特に矛盾は無いって言ってたじゃない」
今回の出来事については、すでに詳しく魔理沙に話してある。風邪も治りかけでベッドに横たわる魔理沙は、さも興味深げに食いついてきた。最後には「いやぁ、お前にしちゃ成長したな~」なんてわざとらしく拍手までされたけど、正直茶化されたようにしか見えなかった。
でも、一応賛辞めいた言葉をくれたということは、あの推理で間違ってたわけじゃないはず。なら、こいつは何を言いたいのだろう?
「まあな。机上論にしちゃ、なかなか悪くない。実際わたしもその場にいたら、まったく同じように推理してたかもしれない。でも、お前はどういうわけか、自分でした推理なのに納得がいってなかったよな?」
……永琳の事か。私は心の中で舌打ちをする。
魔理沙には事の詳細は話したけど、その際私の感情部分の本音は出していない。とすると、それより前……ポトフを作った、あの時?
ううう……。こいつ、あの時寝てなかったのか。
ひどく余計な事を気取られてしまった。さすがにばつが悪くて、首を壁のほうに背ける。
「納得はしてるわ。ただ、ちょっと最後が胸糞悪かっただけ」
「一緒だろ。そんなにムカついたってんなら、あの澄ました顔に一発パンチでもお見舞いすりゃよかったじゃんか」
「何になるのよ。そんなことして……」
殴って気が晴れるなら、とっくにそうしている。
そんな野蛮な性格じゃないから、こんなに苦しんでるんじゃない……。
「だいたいだな。どんな結末だろうが、お前に文句垂れる権利は無い。違うか?」
「…………」
……わかってる。魔理沙の言いたいことは。
真実というものは、必ずしも美談とは限らない。当然だ。私が今回舞台にしたのは、推理小説の中の話じゃない。現実でのことなんだから。
だからどれだけ残酷で、空虚で、無意味な結末が待っていたとしても。それは何一つ不思議じゃないし、そのせいでこんな気持ちになるのは筋違いだということもわかってる。
わかっていて、依頼を引き受けたつもりだったのに……。
「……惨めね」
「ん? 何だって?」
魔理沙は首を傾げる。わざと聞きとれないような小声で呟いたから当然だ。今のを聞かれてたら、さすがにきつい。
先日の私は、いつになく調子が良かった。普段思いつかないような事を次々閃いたし、考えがまとまるのも早かった。でも結局、そのせいで調子に乗ってたんだと思う。好奇心が先走って、結果自分が傷つく。後悔する……。
そういえば、永琳は言っていた。やっぱり若いわね、と。
今思えば、その言葉は正鵠だったのかもしれない。私はまだ、妖怪としては若輩なのだろう。ふとしたことに気を揉み、落ち込んでしまう。まるで人間みたいだ。
「つくづく……探偵に向いてないのね。私って」
今度は、聞こえてもいいように言ってやった。
本当に、なんでだろう……。こんなことぐらいで気が滅入ってしまうなんて。考えれば考えるほど、弱音を吐かずにはいられなくなる。
その相手が魔理沙だったのは……今は、幸いかもしれない。
「ああ、そうかもな」
魔理沙は相変わらず軽い声で、そう言葉を口にする。
そして、そのまま続けた。
「確かに探偵にゃ向いてないぜ。実際、〝真相は違ってたわけだしな〟」
はた、と私は目を見開いた。
「違ってた……?」
「子供が患ってたのが眼病、までは正解だ。だが、永琳は別に、薬の実験なんかしてなかったってことさ。昨日永遠亭に行って、直接本人に聞いたんだ。間違いないぜ」
実験なんて、してない……?
魔理沙の風邪が完治したのは一昨日だ。元気になって昨日一日何してたのかと思ってたけど……まさか永遠亭を訪問してたなんて。
「何で昨日の今日であそこに行くの。わざわざ竹林くんだりまで」
「別に。少し気になったから聞きに言っただけさ」
「なによ、病み上がりが気取りよってからに。私の推理が本当に合ってるか、確かめたかったってこと?」
「お前の治験をしてたんじゃないかっていう推理、あれは確かに机上論で言えば正解だ。特に非の打ち所は無いし、百点って言ってもいい。発想のセンスも、まあ私的には悪くない。だがそれは可能性に基づく推論って観点から見ればの話だ。机上論においては、矛盾の無い答えは複数の可能性もある。現実と違って、百点満点の答えは一つとは限らないのさ」
それはわかる。というより、いつぞやも話したような内容だし。
たとえその推測に矛盾が存在しなくても、それが正解だとは限らない。こいつが言いたいのはそういうことだ。
「じゃあ、あなたは別の百点の推論を考えて、それの答え合わせに行ったってこと?」
「うにゃ、別に何か考えてたわけじゃない。単に本当にお前の考えた通りなのかどうか、確かめたかっただけだ。ただの答え合わせだな。で、永琳に問いただしたら、あいつはあっさり違うって答えた。何で慧音に子供の病気のことを黙ってたのかも、一応教えてくれたぜ」
そうなんだ……。
確かに私の考えは明確な証拠が無く、可能性の高さを積み上げた推論に過ぎない。現実では真実という答えは一つしかない以上、別に矛盾が無い推論があるならそちらが正解ということも十分ある。永琳が違うというなら、きっとそうなのだろう。
「でも間違ってるなら、あの時そう言ってくれればよかったのに。なんで永琳は私が問い質した時、何も言わなかったの?」
「ああ、それもついでに訊いといた。なんでも、お前に気を使ってたらしいぜ」
「え? 気を使う?」
「あれだけきっぱり高説したところを、ばっさり一言で切り捨てたくなかったんだと。ほら、お前新聞に載ってただろ? あのせいで永琳はお前を名探偵か何かかと思ってたから、あっさり違うなんて言ったらお前のプライドを傷つけると思ったらしい。とはいえ、正解なんて明らかな嘘を言うわけにもいかなかった。それに正解と言ったら言ったで、さらにお前の機嫌を損ねることはわかっていたらしいからな。あいつからしたら、依頼をこなしてくれたお前にはちゃんと感謝してたよ。あらぬ言いがかりをつけられてもな。だから、沈黙で答えた。あえてお前を一番気遣った選択をしたんだ。もっとも、お前からすればきっぱり間違いを指摘された方がよかったみたいだが」
気を使われていた……。
そうか。それゆえの沈黙だったのね。
私は自分に推理力があるなんて思っちゃいない。でも新聞の間違った評判を知っている永琳なら、そういう気の使い方も考えられる。それで、私の推理を認めれば、それはそれで私を傷つけるということも。
じゃあやっぱり、永琳は気づいてたんだ。あの時私の中にあった、無意識の葛藤に……。
「だが結局今、そのせいでお前は落ち込んでるって永琳に教えてやったんだよ。だったら本当の事を教えた方がいいと、ようやく気づいたらしい。だから今日私がここにきたのは、永琳の頼みでもあるのさ。お前に今回の答えを伝えてくれってな。ああもっとも、今回だけは特別。その子供のプライバシーについては、他言しないように、とのことだ」
「そうだったんだ……」
不思議なことに、この胸は安堵していた。やはり心の底で、あんな推理は認めたくないという気持ちがあったのだろう。
ようやく……なのかしら。ここ三日間心につかえていた曇りが、ようやく晴れたような気がする。
我知らず、私は虚空に呟いた。
「……推理が外れて、嬉しいこともあるのね」
一瞬、目をぱちくりさせてから、魔理沙は「ああ」と笑った。
「それもミステリの醍醐味さ。いや、ミステリに限ったことじゃない。世界ってのはな、思い通りにならないから楽しいんだ。わたしなんか、推理してもできれば違っててくれって毎回思ってるぜ。簡単に当たるとつまらんからな」
「どれだけ自信家なのよ。でも、まあ……。後で、侘びに行かなきゃならないわね、永琳には。結構……失礼なこと言っちゃったし」
「あー、その必要は無いぞ」
魔理沙はあっけらかんと言った。
「なんせ、本人がそう言ってたからな。別に、わざわざ謝りに来なくてもいいって」
「永琳が?」
「ああ。あいつはこうも言ってたぜ? お前が罪悪感を感じたなら、あいつはなんのこたないから侘びなんていらないだとさ。わたしが本当の事を話せばお前がどうするかぐらい、やっこさんはお見通しだったってわけだ。だいたい、あんな悪魔みたいな頭脳をした奴を気にかけるんなら、先に侘びを入れるべき相手がいるんじゃないのか?」
「えっ? ……それって?」
誰のことかしら? 他に失礼しちゃった人、いたっけ。
慧音かな? いやでも、彼女からは感謝はされても、こちらから謝るようなことは……。じゃあもしかして、鈴仙? 結構言いたいこと言っちゃったし……。
「わたしさ」
「……は? なんであんたに」
「だって失礼をしたっていうなら、お前は常にわたしに対して失礼じゃないか」
……少しでも考えた自分が馬鹿だった。私は今にも反吐が出そうな顔を作ってやった。
「あんたの方が倍は失礼してくれてるわ。差し引きゼロにしてあげてるんだから、感謝しなさい」
「感謝してほしいならそれなりの聞き方ってものがあると思うが。ま、それでこそようやくいつものアリスだ。とすると……今度は納得したみたいだな」
魔理沙はまたしても白い歯を見せていた。
どうやら、私の安堵が顔に出ていたらしい。
……うーん。
毎度のことだけど、ここにきてまたしてもこいつにしてやられた気がする。
そう考えると癪だけれど……それよりも、早速別に気になることができてしまった。
「勝手に決めないで。まだしてないってのよ。じゃあ訊くけど、治験じゃないなら慧音に病気のことを教えない理由は何だったの? あなた、もう正解を聞いてるんでしょ。ろくすっぽ考えもしてないくせに」
顔を迫らせて、じっとり睨みをくれてやる。だいたい、一人で勝手に答え合わせなんて、ずるい。
「ったく、相変わらずきつい奴だな。こちとら病み上がりだってのに」
魔理沙は顔を反らしながら、参ったように後ろ頭を掻く。
「ま、いいさ。確かに答えだけ知ってしまった身としては、もったいぶる権利も無いしな。ただ何度も言うが、一応プライバシーがあるらしいんで、他言は無用ってことだ」
「んなの、私もとっくに釘刺されてるから知ってるわよ。とっととその事実だけ話して」
「ふん。せっかちな奴め」
そう今度は、背もたれに踏んぞり返る。ぐらぐらと椅子の後ろ脚だけで重心を支えながら、足でテーブルの縁を踏んでバランスをとった。
「まず、さっきも触れたように、そいつが目の病気なのは確からしい。病名は視神経炎。さらに最近じゃ進行して視神経萎縮まで併発しているそうだ。症状は主に、視野の低下、視力の低下……は、お前の指摘した通りか。あと赤色と緑色の区別がつかなくなったり。いわゆる色覚異常だな。もともと発症は片目だけだったらしいが、半年前ぐらいから両眼性に移行した。まだ視力らしい視力が残ってるのは、後に発症した方の目だけだな」
「神経の萎縮……ということは、やっぱり治療は難しいのかしら」
「だろうな。少なくとも、現状の医学じゃ傷ついた神経を元に戻すのは難しい。技術の進歩した月でなら、再生治療も可能だったようだが、それも外科手術に限っての話だ。薬剤師の永琳には専門外だし、何より環境が無い。当然薬だけで治すのは不可能で、できるのは症状の悪化を抑えることぐらいだそうだ。いやぁ意外と難しいんだな、神経の再生ってのは」
予想はしていたけど、やっぱり相当の重症なのね……。あの習字の作品を見た限りじゃ、その現状維持すら満足にできていないみたいだし。
「とまあ、ここまではお前の想像からは外れていないだろう。本題の、なぜ永琳は慧音に病気の事を黙っていたのか、なんだが」
そう。気になるのはそれ。
新薬開発の実験じゃなかったとするなら、一体何で慧音に知らせなかったのか……?
「もちろん、今すぐさくっと教えることはできる。しかし……うーん。ただなぁ……」
「……?」
こいつにしては珍しく、歯切れが悪い。
その気はないんだろうけど、こちらとしてはやっぱり焦れてしまう。
「ただ、何なの。いいんならさっさと教えてよ」
「ただな……実は私は、いまいちその答えに納得がいってないんだ」
は? ……なんで?
「納得も何も、永琳から直接聞いたんでしょ? なら正解に間違いないじゃない」
「まあな。この期に及んであいつが嘘をつくメリットも皆無だし……。でも、どうも理屈がよくわからないんだよな~」
魔理沙は腕を組んで、椅子をゆらゆらさせる。本当に納得がいってないらしく、とても演技には見えない。
ミステリに関しては敵無しっていうぐらいのこいつが、こんなに悩むなんて……。一体どういう答えだったのかしら?
「何て話したの? 永琳は」
「それがな。なんでも慧音に教えなかったのは、〝その子供から頼まれたから〟らしいぜ?」
……子供、ですって?
「それって、《コヘイタ》君?」
「あ~そうそう。そのコヘイタだかドブ板だかいう奴が、初回の診察で懇願してきたんだと。慧音先生にだけは、病気の事を教えないでってな。永琳はそれに従っただけらしい」
「慧音には教えないでって、どうして――」
その時、いきなり脳裏に記憶が蘇った。
耳内に聞こえたそれは、意外にも鈴仙の言葉だった。
『――思春期の男の子は繊細ですからねぇ。気になる異性には一片たりとも弱味をさらしたくないものなんですよ――』
……ああ、なんだ。そういうことか。
仮に……本当に、〝《コヘイタ》が慧音に恋をしているのだとすれば〟。
きっと彼は、気を使われたくなかったのだろう。目の病気だなんてことが知れたら、きっと特別扱いされる。それこそ慧音は、付きっきりで介護するかもしれない。
ただ一緒にいたいというなら、それでも構わないだろう。でも《コヘイタ》少年にとっては……男として、そんな状況はなんとしても避けたかった。対等の異性として接してほしかった。だから、慧音にだけは何の病気か知られたくなかったのだ。
「な? 意味がわからないだろ?」
こちらが黙ってたせいか、同様に頭を悩ませていると思ったらしい。魔理沙はすっかり打つ手が無いみたいに、両手の平を天に向けた。
「正直、その子供が慧音に知られてまずいというのが、さっぱりわからん。一応、単に心配をかけたくないからって事は考えられるが、だとするとそいつの家族にも知らせたくないってことになる。だが、親族は全員病気の事は知ってるらしいんだよなー……」
「……永琳は、他に教えてくれなかったの?」
「ああ、何も。なんだか煙に撒かれたような気分だ。しかも、何より気に入らないのが……どうやらあいつ、見抜いているらしい」
「見抜いている?」
「私がいっくら考えても、答えが出ないってことをさ。そのくせ降参して訊ねても答えを教えてくれないってんだから、もうわけがわからん。というか、気に食わない」
「…………」
魔理沙はこれ以上無いぐらい真剣だった。そのうちううんと唸りながら頭を抱えだしたので、なんだか新聞のクロスワードに苦悶する老人みたいだった。
「……ぷっ」
こ、これは駄目。もう我慢できない。
私は笑った。それはそれは、盛大に笑った。
そりゃそうだわ。魔理沙に男の子の恋心なんて、難題も難題。理解できるわけがない。
慧音の鈍感ぶりも大概だけど、魔理沙はその上をいく無神経のヘチマ女だ。こいつが他人の恋愛なんて読み解くには、きっと百年はかかる。
そっか……そうよね。魔理沙にだって、わからないことぐらいあるわよね。
にしても、これは……ぷぷぷぷぷ。
「お……おぉい。いきなりなんだ? やっぱり風邪がうつってたのか?」
魔理沙はなんだか、火星人でも見るような目をくれている。そんな顔がますます間抜けに見えて、余計に笑いのポイントを刺激してしまった。
しばらく横隔膜を押さえていると、ようやく呼吸がまともになってきた。改めて一つ深呼吸する。
「ふう。別に。そんなに捨てたものじゃないってことよ。この現実もね」
まったく……今思えば私も、よく薬の実験体だなんて危ない推理ができたものだ。実際は、少年の淡い恋心の仕業に過ぎなかったっていうのに。
現実における真実は、必ずしも美談とは限らない。それは確か。
でも、逆に言えば、残酷だって決まってるわけでもないんだわ。
時には必要な無知もある……か。
ふふ、と思わず笑いが漏れる。
なんだ。だったら、私はすでにそれを実践してるじゃないの。
「ねえ、魔理沙」
「ああ? なんだよ」
未だに不審に思っているのか、魔理沙の視線は訝しげなままだった。
「おかげさまで私は今日、また一つ教訓を学んだわ。でも、あえて今日のところは、その教訓に背いてみようと思うの」
「うん? まあ、好きにしたらいいんじゃないか。何を学んだのかは知らんが」
「なら、言わせてもらうわね。あなたが寝込んでた時に食べさせたあのポトフ、あるじゃない? あれ、おいしかった?」
「はあ? なんだそりゃ」
腑に落ちないような顔のまま、魔理沙は伏し目がちにカップを口で啜る。
「まあ、まずくはなかったんじゃないか。胡椒がやたら効いてたから、ポトフってより中華スープみたいだったが」
「そうでしょ。あれね、実は隠し味を入れてたの」
「ほう。珍しいな。何使ったんだ?」
「漢方薬」
魔理沙の反応は早かった。漢方の『か』の字を聞いた瞬間に、こいつはコーヒーを真横に噴射していた。
「うわ。きったないわね。後で拭きなさいよ」
おそらくこうなるだろうことはわかっていたので、ゲホゲホとむせる魔理沙とは裏腹に、私は全くうろたえることはなかった。
「……何してくれてんだお前っ。私は今朝もあれ食べてきたんだぞ。エホッ、エホッ」
気道が落ち着いてから話せばいいのに。そんなふうにのんびり思いながら、自分のうなじに手をやる。そしてさも涼しげに、後ろ髪をなびかせてやった。
「だからわざと多めに作ったのよ。毎日飲まなきゃ薬にならないでしょ」
「あれやけに香辛料臭かったと思ったらっ。じゃあわたしが飲んでた錠剤はなんだったんだよ」
「そっちは永遠亭でもらった、ただのラムネ。タブレット菓子っていうのよ。風邪で味覚がおかしくなってたあなたには、違いがわからなかったかもだけどね」
「うあああ。わたしは知らずに、あんなキノコの搾りかすみたいな粉末を腹に入れてたのかああ」
よほどショックだったらしく、魔理沙はテーブルをグーでバンバンと叩く。それでも収まらないのか、そのうち両手で頭を抱えてテーブルを頭突き始めた。
うーん、珍妙な苦悩っぷり。というか、この嫌悪反応……どれだけこいつは漢方が嫌いなのかしら。今度お酒の場ででも、根掘り葉掘り聞いてみることにする。
それにしても……実際のところ、今回はずっと、一人の子供心に翻弄されていたような気がする。
最後の最後まで〝その人の気持ちになって考える〟ことが重要だったってわけか……。
ということは。ひょっとしたら、今回最初から一番真理に近づいていたのは……鈴仙だったかもしれないわね。まあ、推理の才能はさっぱりだったけど。でもなんだか少し見直したかも。あの娘のこと。
いろいろあったけれど、なんだかんだいって、今回の件では得るものが多かったかもしれない。こいつの普段以外の顔もいろいろ見れたし、いつぞやの大福のお返しも、思ったより早くすることができた。
「……慣れないお使いをした甲斐も、それなりにあったってところかしらね」
一口、コーヒーを口に含む。
いつもは苦手な砂糖の甘さも、今だけは不思議と心地がよかった。
*
「……相も変わらずの自己完結か。まったく、お前は何でも知りたがるくせに、毎回自分勝手だよな」
いつの間にか気を取り直していた魔理沙は、空になったカップを指でぶらぶら遊ばせていた。
「あなたに自分勝手なんて言われたら世界の終わりだわ」
フンと魔理沙は鼻を鳴らす。
「今度お前のコーヒーにアコナイト入れてやるからな」
「あら。だったら私はストリキリーネでも入れ返してやるわ」
「……」魔理沙は憮然とした表情で、「だいたい、今しがたの爆笑はなんだったんだよ。それこそ毒でもきまったのかと思ったぜ」
なんだったと訊かれれば……ふむ。どう話したらいいものか、考える。
ふと、ちょっとした悪ふざけを思いつく。私は少し前に屈むと、囁くように呼んだ。
「ねえ、魔理沙」
「む……。今度は何だ。世界征服の相談か?」
「そんな悪い顔はしてないわよ。あなた、なんで《コヘイタ》君がそんな頼みをしたか、知りたい?」
「何っ?」
案の定、魔理沙は目を白黒させた。
「お前はわかったってのか?」
「まあね。知りたい?」
ぐぬぬ、と恨めしげな顔をする。こいつはこいつで、私に教えられることがプライドにでも障るらしい。
「頷いたら、素直に教えてくれるってのか?」
「ええ、もちろん。誰が教えるもんですか」
「……お前そりゃ、教える気ないだろ。日本語になってないが」
「だってこういうのは、口で説明して理解できるものじゃないし。そうねぇ……ああ、そうだ」
ポン、と私は、あたかも今閃いたように手の平を打つ。
「うちの本貸してあげるわ。とりあえず一冊読んでみれば、永琳の言ったことが少しはわかるんじゃない?」
「はあ~? お前んちの本だと?」
なんともあからさまに、魔理沙は顔をしかめる。
「お前の持ってる小説はほとんど恋愛小説じゃんか。まさかそれのこと言ってんのか?」
こいつは大方の予想を裏切らず、ラブとつく読み物が大の苦手だったりする。いつだったか、恋愛小説と聞くだけで寒気がするみたいに言ってたし。どうもご都合主義な展開や甘い言い回しが、身体に拒否反応を起こしてしまうとかなんとか。
「当たり前じゃない。ほら、モンゴメリでも貸したげる」
手を伸ばして本棚から一冊、テーブルに放り投げる。
「これでも読んで、自分の狭量を認識することね。そうすれば、百年が三十年ぐらいには縮まるんじゃない?」
「もう一度言うが、お前の言い分はいっつも自己完結してるから、傍から聞いたら意味不明なんだっての。ったく、まあいい。わかったよ」
「わかった? 何が?」
「読んでやるって言ってんだ。この本」
あら。まさかオーケーするとは。
一応冗談で言ったつもりだったのに。いつもの売り言葉に買い言葉かしら。
「ムキになっちゃって、大丈夫なの? 拒絶反応で死んじゃったりしない?」
「お前が薦めたんだろうが……。私だって、何もロマンス小説の全てを蔑ろにしてるわけじゃない。歴史的文化的に価値があるんなら、少しぐらい目を通してもいいとは思ってるさ」
「ふふっ、えらく殊勝じゃないの。一回死にかけて生まれ変わったってとこ?」
「別にそれでもいいけどな。ただし、交換条件だ」
テーブルの本をバッグにしまいながら、いきなり魔理沙はそんなことを言い出す。
「何よ、永琳だけじゃなくてあなたまで。なんでもかんでも条件つけるのは、器が小ぶりな証拠よ」
「なんでもかんでも横着してくるのは、歪んでる証拠だと思うけどな。ま、古来より最も合理的な取引の一つではある。だからこそ、永琳もこの手を使ったんじゃないか」
思わず、私は軽く笑った。
「横着してるのはどっちなんだか。おまけに正論なんて面白くないわ」
「了承したってことだな。となりゃ、こいつは取引だ。事は円滑に進めるに限る。ええと……ちょっと待ってな」
言うなり魔理沙は、なにやら傍らのショルダーバッグを漁りはじめた。
やがて中から出てきたのは……ん? 紙の束?
「それって……」
トン、トン。束の端をテーブルで揃えながら、魔理沙はんふふと笑う。
「その通り。ついに完成したってわけさ」
「いや……まだ何も言ってないけど」
でも、大方の予想はつく。
おそらく……いや間違いなく、今回こいつが風邪になったもとと言える原因……。
「これぞ記念すべき、私の処女作だ!」
そんな具合に、魔理沙は原稿用紙の束を天に向けて叫んだ。ほとんど聖火でも掲げるみたいな勇ましさだったので、どうやら本人はこの台詞を吐くのを待ちかねていたらしい。
処女作ってことは……あー。できちゃったのね、こいつの小説が。
「脱稿したのはつい昨日の話だ。いやぁ、さすがに難儀したぜ。魔法とかの論文ならともかく、脚本を書くなんて初めてだからな~。とはいえ二週間そこらでこれだけ書けるんだから、まったく自分の才能が恐ろしいったらないぜ。もはやノーベル賞の域だな。人間的に」
そんなことをヘラヘラ言っているけど……。見れば確かに、原稿用紙の束はなかなかに分厚かった。
たぶん、四百……いや五百枚はあるかもしれない。私は小説なんて書いたことないから知らないけど、内容はどうあれ本当に二週間で書き上げたとすれば、相当凄いことだったりするのかしら……?
「まさか、交換条件ってこれのこと?」
イエス、と魔理沙は指を鳴らす。
「わたしがお前の本を後で読んでやる代わりに、お前はこいつを今すぐ読む。明快だな。一応ざっと最終チェックはしたが、文の間違いはあるかもしれん。なんせ文章ってのは化け物だ。どれだけ推敲の目を光らせても、誤字脱字は透明になってどこかに潜伏してる。場合によっては、作品全体をぶちこわすような爆弾を抱えてな。それも探しても探しても次から次へ湧いてくるんだから厄介だ。というわけで、お前にゃそいつらが潜んでいるかどうか、確認してもらわんとな」
「ちょっとちょっと」
すかさず割り込む。魔理沙お得意の、勝手に話を進める腹積もりのパターンに乗せられてはたまらない。
「なんで私が編集者みたいな役しなきゃなんないのよ。だいたい、なんで今すぐなの。後でゆっくりでいいでしょ」
「ああ、それは私の厚意だ」
「厚意……はあ?」
日本語の使い方に首を捻っていたのだけど、魔理沙は平然と続ける。
「いいか、アリスよ。今すぐってことはだな。後々は世に出て、多くの民草の目に触れるであろうこの作品の、栄誉ある読者第一号になれるわけだ。しかもそいつを書いた作者様の隣でな。お前にゃ一応、不覚にも看病してもらった借りがあるしな。いやぁ、これ以上の厚意は、私には思いつかないな~」
……さすが。平常運転の魔理沙は、面皮の厚さが違う。いつもの調子に、私はどっとため息をついた。
でも、出来はどうあれ、相当の魔理沙の熱意が篭っているのは違いない。何日も徹夜をして、挙句高熱をこじらせてまでして、ようやく完成させた作品。その努力を認める意味で、今読んであげるのはやぶさかじゃないのよね。
それに、あの魔理沙が書いた長編推理小説……。興味が湧かないと言えば嘘になる。捻くれ者のこいつのことだし、一体どんな偏屈なトリックを仕掛けてるのやら……。
ふっ、と私は笑った。
「いいのかしら? 改めて確認するけど、生まれたばかりの処女作が完膚無きに読み解かれたら、あなた立ち直れないんじゃない?」
「むしろ望むところさ。推理小説作家の一番の楽しみはな、読者をトリックや展開で驚かすことじゃない。むしろ苦心して考えた謎を、何もかも暴かれ解き明かされることだ。その喜びを与え共有する瞬間こそが、一番心が躍る時なのさ」
にへへ、と魔理沙は子供みたいな笑みを浮かべる。
挑発したつもりだったのに。ある意味真顔で返すなんて……。はあ、呆れた。
謎を解かれた時を想像するのが、一番楽しい、か……。
作家の気持ちなんてわからないけど、案外本音なのかもしれないわね。
「わかったわよ。このまま読んであげるわ。幸いまだコーヒーはまだあるし」
「期待してるぜ。ま、もっともお前のような俄か読者が相手じゃ、望み薄かもしれんが」
……結局減らない口を叩いてる辺り、やっぱり魔理沙なんだと実感させられるけど。でもいつの間にか、その無邪気な笑みは、どこか挑戦的な属性を帯びていた。
期待、ね。
私が探偵に向いているかどうか。それは結局うやむやになってしまった。でも、今魔理沙の小説を前にして胸にある昂ぶりは、なんというか……うまく言葉に言い表せないけど、きっと悪くないものなんだと思う。
なら……そうね。
全部読むとなると結構かかりそうだけど。まあ、一丁やってやりますか。
原稿用紙の束を受け取る。腕に感じる、ずっしりとした重み。それがそのまま、この作品の手強さを表しているようだった。
私は改めて、魔理沙を正面から見据えた。
「その薄い望み、叶えてあげるわ。それがあなたの悲願なら、ね」
<了>
相変わらず、長さのわりにあっという間に読めてしまいました。
後編の謎解きは、まさに息つく暇も無かった。ミステリーの醍醐味ですね。
現実は小説と違って、どんな残酷な真実が待っているかわからない。
だから、ただの好奇心から苦い結末を味わうこともある。
それでしょんぼりするアリスは、よくも悪くも人間らしさが残ってるのかもしれませんね。
板は、正月に使う何かの看板なのかと・・・全然違いましたw
殺人や警察沙汰になるような事件でなくて、日常に転がっていそうな謎を紐解いていくのがいいですよね。
ただ、一つだけ。
子供が出てくるので、オリキャラのタグがあってもいいかと思いました。
一気に読み進めました
つまり、板割る、労るって意味だったんだよ!!
な、なんだってー(棒
話も面白くて読みやすく、さくさく進めました。
でも完全に失明してるわけじゃないのか。
むしろその微妙な差で病状を特定するんだから、名探偵アリスぱないっすね。
長編も推理も大好きなんで、次回も期待です。
特別返信が必要な方だけ返させていただきます。
>>12
オリキャラのタグも少し考えたのですが、
作中の《コヘイタ》はあくまで推理のパーツという扱いなのであえてタグは入れないでいます。
自分も生まれてすぐ色覚異常なので大変さがわかります。
でも他人からすると、なかなか気づいてもらえないものなんですよね。
よくできた話でした。
構成力だけでも拍手を送りたいです。
今回は、キャラのギスギスも、話の流れを阻害しない程度に抑えられていたので、読みやすかったです。
謎解きも、だいたい正解できました。治験が違うんじゃないかって所も当たってましたし。
病気は、体が動かなくなる系かと思ったんで、そこだけ間違えましたが。
東方でミステリは難しいだろうに、それを上手く作り上げる作者様の手腕は見事です。
ですがいつも通りとっても面白かったです。
>>28
いやはや、おめでとうございます。
それだけ当てることができたというコメントは、これまでのシリーズでも初めてではないでしょうか。
本当に素晴らしいです。自分はミステリを読んでほとんど正解できた試しが無いので、冗談抜きで見習いたいですw
羽子板は即座に分かりました。むしろ慧音先生堅物過ぎやろ……可愛い!
しかし、ここの魔理沙はどうしてマスパに『恋』なんてつけてるんだろうか。
理解できない感情の迸りとでも言う気か。可愛い。
もっと単純に考えればよかったかなーと後悔
でもおもしろかったです。
毎回、引き込まれる文章、内容で時間を忘れて読んでしまっています。
次回作も楽しみに待ってます!
推理小説は人が死ぬのが苦手であんま読まないのでとても面白かったです
うーん眼の病気までは分からなかった…
過去作品を読ませて頂いたのでアリスのように自分も成長したと思っていたのですが…w
しかし魔理沙は恋の魔法使いでは...
その辺がちょっと納得いかないかなと思います。
最近このシリーズを見つけたのですが、本当に面白い。息を付く暇もなく、今までのを全部読んでしまいました。次の作品も楽しみに待っています。
自分の場合、登場人物が自分の知識を持ち寄って顔を突き合わせてあれこれ話し合う場面が好きなので、文系と理系があーだこーだと言い合うこのシリーズはドストライクです
羽子板は分かったんだけどなあ、習字の文字はけーねラブ的な暗号かと思ってたら全然違いやんのw