「ったく。あんだけ焦らして期待させておいて、オチが耳掃除とか、ほんっっっっっ……とぉ~にっ、どんだけベタベタな展開なんだぜ」
鼻にティッシュを詰め込んで、なんとか鼻血を止めて落ち着いた魔理沙の第一声がそれだった。
「そうかしら? ある意味では期待を裏切っていないと思うけれど?」
魔理沙の不満に紫はくすくすと笑いながら言葉を返す。まるで、とんでもない勘違いをした事を誤魔化す為に文句と不満をぶつくさと垂れ流す子供の様子を楽しんでいるかような様子だった。まさにその通りなのだが。
「だから、耳掃除の何処が悪いってのよ」
そんな二人のやり取りの意図が分からず、見当違いな事を言って首を傾げる霊夢。そんな霊夢に魔理沙はいっそ懇切丁寧に説明してやろうかと思った。
「いや、寧ろ今のお前の体勢の方が問題だと思うぜ」
でも、口から出たのはそんな言葉だった。
何故かってそりゃ、秋の食材がたんまりと山盛りになった籠が乗っている丸い卓袱台を挟んで対面に座っているのは、勿論霊夢と紫なのだが、霊夢は正座を崩した格好で座っている紫の足の間に足を投げ出すように座っていて、その柔らかくて大きな胸に背中、というか項辺りから後頭部を預けているという体勢でいるからである。
一体この巫女さんは紫を何だと思っているんだろうか。座椅子でもソファーでもないんだぞ。と言葉を投げたくなる。冗談だけれども。
「これも何の問題があるっていうのよ?」
さっきから意味わかんないわよ? と、言わんばかりの視線を魔理沙に向ける霊夢。ついでに紫はというと、霊夢のお腹の上で手を組んでいるだけで、特に何も言うことなく霊夢の好きにさせている。ただ、魔理沙の視線には何処と無く苦笑しているが。
(くそぉ……見せ付けやがってこのアホップルめ!)
私なんかアリスに未だ片想い中なんだぞコノヤロー! ざまぁみそづけうわぁあぁああん!!
心の中で泣き叫ぶ魔理沙。目の前でふんぞり返っている霊夢をマスタースパークで消し炭にしてやりたい衝動に駆られたが、そこは奥歯を噛んで我慢した。霊夢のやり返しは同等に『お返し』してくるわけではなく、基本的に冗談抜きで『倍返し』だからだ。
「むぐぐっ……お前ツンデレじゃなかったのか!? ちょっとは離れたらどうだ!」
「何よ、羨ましいの?」
「なっ!?」
こんな風にふんぞり返っているので『照れる』といった行動や言動は予想から除外していたが、まさかそんな風に切り返されるとは思っていなかったので思わず言葉に詰まってしまう。てっきり「うっさい」とか言って、陰陽玉を投げてくるとか、そういう理不尽な成り行き事を予想していたのに。
「なっ、う、羨ましいわけないだろう!」
頬を少し紅くし、声を上擦らせる魔理沙。そんな魔理沙を霊夢は「ふんっ」と鼻先で笑った。
「あんたもアリスと早くそういう仲になれるといいわね」
「うるさいんだぜっ!」
どうせ絶賛片思い中で頑張りまくってる魔理沙さんだぜこんちくしょう! 分かってないのなんてクーデレに見せかけたただの天然さんなアリスだけなんだからなぁ! 私だって私だって、アリスに耳掃除してもらったり、ガムテープみたいにベッタベタくっ付いて甘えたいんだぜぇ!!
(ぐぉぉ……なんか悲しくなってきた……)
でも魔理沙負けない。魔理沙強い子。
だから魔理沙は、ガウガウ吠える犬のような顔でメチャクチャに言い返そうとしたが、
「こぉ~ら」
そうする前に、紫が霊夢の言葉を封じるように唇へと指を添え、自分の方へと顔を向けさせた。若干上を見るような顔の角度になった霊夢は「んぁ?」と逆さになった視界で紫を見る。
「恋の形は人それぞれなんだから、そんな風に言ってはダメでしょう?」
「同じ鯉でも色とか形とか大きさが違うみたいに?」
穏やかな顔でそう言う紫に、霊夢は的を射ているんだが射ていないんだかな言葉返す。分かっているんだかいないんだかな様子だったが、紫は「そうそう」と頷きながら、よくできましたと霊夢の喉を指先で撫でた。
「くすぐったいってば」
「そう? 気持ち良くはない?」
「猫じゃないっつーの」
「ん~。私はここら辺とか気持ち良いけれど?」
霊夢は一瞬無言になって喉を撫でてくる紫の手を掴むと、くるっと反転。そしてがばっと紫に突撃した。
「!?」
唐突過ぎる霊夢のタックルを紫はなんとか受け止めるが、反動で床に背中を打っていた。「いたた」とかいう暇もなく、魔理沙が「鯉と恋を一緒にすんなだぜ」と突っ込むタイミングも無い。
霊夢は紫を押し倒すような格好になって、
「どれどれ~?」
紫の喉許に手を這わせて、指先をこしょこしょと動かしていた。
若干妖しい手付きなような気もしないでもないが、霊夢さんが何処と無く楽しそうなので気にしない方向で。ということにして、
「……何やってんだ?」
突如、いや、ずっとイチャイチャしてたが、更にイチャイチャし始める二人に魔理沙は辟易としながらも疑問を吐き出した。
「何って……紫の気持ちぃトコの検証?」
なに当然なコトを聞いてきてんのよコノヤロー。と、今にも言うんじゃないかという態度で答える霊夢に、魔理沙は目の前の卓袱台に頭を打ちそうになった。その間も霊夢はこしょこしょと指先を動かしたりして、紫の喉や首筋を撫で回している。
「っ、くくっ……ふ、くく、やめっ……くすぐったぃ」
肩を震わせて少し身を捩る紫。紫は「ぎぶあっぷです」と伝えるように、喉に触れる手の甲をたしたしと軽い力で叩く。
「ほら。やっぱあんただってくすぐったいんじゃない」
「だって、その指の動きはただの擽りだもの」
「むぅ。何よ、下手くそって言いたいの?」
「そうむくれないの。別にそういう意味で言ったわけじゃないでしょう?」
これ以上擽られないようにと、紫は両手で霊夢の手を掴む。それに対して、自然に指を絡める霊夢。
なんだかこの巫女さんは、元来のツン成分を何処かへ投げ捨てて来てしまっているらしかった。
「じゃあどういう意味よ?」
「だからそれは……」
チラリと目線を魔理沙に向ける紫。それは明らかに困っているような眼差しで、魔理沙は反射的に「邪魔者はさっさと退散してくれってか?」と一瞬考えたが、そうではないらしい。どっちかというと、助けを求められている気がしなくも無かった。
(いやいや、邪魔したら霊夢の機嫌を損ねちまうぜ)
んな恐ろしいことは出来ないんだぜ。
そう軽く首を振って答えるが、紫は更に困ったような眼差しを向けてきた。
(だから、そんな顔をされてもな……)
巫女さんに押し倒されて困り果ててる妖怪の賢者ってどうよ? とか不謹慎なことを考える。絵面的にはなかなか面白いとは思えた。
「まぁ、いいけど。で、喉とか触られて気持ち良かったって……誰に?」
「……はい?」
けれどもそんな悠長な事を考えている場合ではないらしい。
霊夢の質問内容がなんだか悪質なものに変異した気がして紫は密かに戦々恐々としながら首を傾げ、魔理沙は「修羅場入りか!?」と内心で悲鳴を上げて恐れ戦いた。
「いや、あのね霊夢。別に気持ちいいってそういうことじゃなくて」
「いいからさっさと答えろっつーの。どうせ藍か幽々子のどっちかでしょう?」
「いえ、だから」
心の中で「ほんと勘がいいんだから」と思っている事は内緒にして、ちょっと引き攣る笑みを浮かべる紫。対して眉間に皺を寄せて「さっさと吐けやゴルァ」な顔をしている霊夢。ちなみに魔理沙は身の危険を感じてそろそろと後退りを始めていた。
「まさか天界のあのバカとかじゃないんでしょう。いいから、どっちよ?」
正直に答えたほうが身の為よ。と凄んで来る霊夢。
どうでもいいけれど顔が近い。今にもちゅーしそうなくらいに近い。いっそキスでもして誤魔化しちゃおうかとも思えるくらいに近いが、そんなことしたら怒られるのは目に見えている。
紫は返答に窮して再び魔理沙に視線を送ったが、魔理沙は紫の視線ではなく、その視線を追ってきた霊夢の視線にビクッと肩を跳ねさせて、ふるふると首を亜音速で左右に振る。
空気がピーンと張り詰める寸前、唐突に霊夢の視線が魔理沙から外れた。その視線は魔理沙より後方に注がれていて、
「あ、ぅ……その……」
「え、え~と……」
「……お取り込み中だったかしら……」
それから三つの声が居間に静かに響いた。
魔理沙は振り向いて三つの声の正体を確認する。開け放たれた居間の障子から縁側が見えて、そこには咲夜と早苗と妖夢が、微妙な表情を浮かべて立っていた。
「あー。まぁ、見ての通り二人はお取り込み中だが、私にとっては天からの助けだな」
あははっ。と乾いた笑みを漏らして三人の来訪を歓迎する魔理沙。
紫は霊夢の注意が逸れた隙を見逃さずに、ひょいっと上体を起こし、霊夢を膝だっこ(対面バージョン)して体勢を立て直しながら、
「い、いらっしゃい」
苦笑付きで咲夜と早苗を歓迎する妖怪の賢者。魔理沙の耳には、その言葉が「助かったわ」という副音声付きで聞こえたような気がしたが、霊夢さんには絶対に内緒である。
「ったく。今日は客が多い日ね」
来て早々「帰れ」と言わない辺り、霊夢は三人の突然な訪問をそれなりに歓迎しているらしい。何故ならば、咲夜の手には、ピザでも入っているのではないかという四角く平らな箱があり、早苗も小さめなケーキ用の四角い箱を持っており、妖夢は小鍋を脇に抱えていたからだ。
「三人揃ってなんて珍しいわね」
「あ、はい。丁度そこで」
「えぇ、たまたまね」
「その……なんか、すみません……」
紫に目配せをされて、魔理沙の横に腰を下ろす妖夢と咲夜と早苗。卓袱台の上に置かれていた大量の果物やらはスキマの中に消え、代わりに三つの湯呑みがスキマから用意された。スキマって本当に便利ねと各人が頷く中、まず早苗が「ちょっと作りすぎちゃったので」と箱を卓袱台の上に置いて開いた。中には、俗にモンブランと呼ばれるカップケーキ型のお菓子が四つほど行儀よく並んでいた。
「味は神奈子様のお墨付きです」
えっへんと胸を張る緑の巫女さん。なんとなく幸せオーラが漂っているので、このモンブランは相当甘いんだろうなと容易に予測できてしまう。
「私も幽々子様が御所申されたので作ったのですが、いささか作り過ぎてしまったので……あ、中は大学芋です」
妖夢も早苗に倣って小鍋を卓袱台の上へ置く。純朴そうな顔には「邪魔をしてしまった」という申し訳なさが未だに浮かんでいたが、紫に「気にしないで」というように微笑まれ、気恥ずかしさ頬を赤らめてたことにより霧散した。
「私はアップルパイよ。焼き立てだから、バニラアイスを乗せて食べてみて」
最後に咲夜が箱を開ける。出来立てのまま時を止めていたのか、中から湯気が上がり、同時に香ばしい匂いが漂ってくる。そうして箱から顔を出したのは綺麗な円を描く、こんがり狐色のアップルパイ。パイは既に六等分されており、咲夜は別の容器に入れて持ってきたバニラアイスの蓋を開けて、アップルパイが入った箱の脇に置いた。
「へぇー。アイスを乗せて食べるのか?」
「えぇ。美鈴も気に入ってくれたから、味は保障するわ」
「……へぇ」
咲夜からもなんとなく幸せオーラが出ている。
「ねー」と目配せする咲夜と早苗を、魔理沙は「はいはい」と流した。
「じゃあ、冷めない内に頂きましょうか」
紫の言葉と同時に、人数分の取り皿とナイフとフォーク、それから、大きめの丸いスプーンがアイスの容器に出現した。「スキマって本当に便利ね」とまたも各人から感嘆と感心の声が漏れた。
咲夜はアップルパイを皆の取り皿へと乗せると、バニラアイスを大きなスプーンで刳り貫くように掬った。それをあつあつのアップルパイに乗っけていく。バニラアイスはパイに接触した瞬間から、とろっと溶け出していく。部屋中にリンゴの甘酸っぱい香りとパイ生地の香ばしい匂い、バニラアイスの甘くて優しい匂いが混じって広がって、秋の味覚に唸りを上げる胃袋を更に刺激した。
「ねぇ、こんなん家にあった?」
一方、見慣れない食器に首を傾げている霊夢の問いに「勿論我が家から取り寄せた物よ」と答える紫。
霊夢は相変わらず紫の膝の上に抱っこされているので、二人の距離は物凄く近い。見てるコッチが赤面する程度には近い。首を傾けたら唇同士が簡単に事故れる程度の距離にも関わらず、二人は平然と会話していた。
「此処にシルバーなんて一つもないでしょう?」
「だって箸で充分だもん。こういうのは逆に使い難いじゃない?」
基本的に和食しか食卓には並ばないとの霊夢の言い分に、紫は「まぁ、そうでしょうけど」と苦笑した。
四人の内で「食べる時くらい離れたら?」と申し立てする勇者は、残念ながらいない。誰だって平和が一番である。お行儀よりも自分の命が大切なのである。
そんわけで其々の皿にアップルパイを分け終えた咲夜さん。魔理沙は咲夜から皿を受け取ると、早速ナイフとフォークを握り締めて大雑把に切り分け齧り付いた。早苗は女の子らしく丁寧にナイフで一口大に切り分けて口に運んで行く。妖夢はといえば、慣れない西洋食器に悪戦苦闘しつつも、なんとか切り分ける事に成功して口に運んだ。
「うめぇ」と瞳を輝かせる魔理沙に、「おいしいですぅ~」と片頬に手を当てる早苗、そして無言ながらも深く味わうようにゆっくりと咀嚼し幸せそうな顔をする妖夢。
咲夜はそんな三人の様子を満足そうに眺めながら、自身もアップルパイを切り分けて口へ、
「はい。あーん」
「……はい?」
運ぼうとしてが、動きを止めてしまった。魔理沙も早苗も妖夢も同様に静止している。
三人の視界には対面にいる紫と、その紫の膝上に座っている霊夢がやっぱりいるわけだが。その二人が何かをしていた。霊夢が仏頂面で紫へと差し出しているのは、アイスがガッツリ乗った一口サイズに切り分けもしてないアップルパイ。しかも手掴みである。その唐突な巫女さんの行動に妖怪の賢者もきょとんとした顔で首を傾げていた。
「だから、はい」
「……えぇっと」
何が『だから』なんだろうか。妖怪といってもそんなに口は大きくないのでそんなに入らないんだけど。というかアイスが溶けて零れそうになってるってば。
「……美味しそうですね?」
とりあえず、にへらっと軽い笑みを浮かべる紫。
だが目の前にいる紅白の巫女はそんな愛想笑いが通じるような相手ではない。
「ほら、口開けなさいよ」
故に紫の事情やら心情やらは総無視で、命令口調で言いながら紫の口許へアップルパイを近付ける霊夢。後数ミリでアップルパイとちゅーしてしまうという構図になり、蕩けたバニラアイスがパイの上から零れそうになっているのがよく見えた。
「食べさせてくれるの?」
「それ以外何があんのよ?」
膝抱っこという体勢で、口先に食べ物を差し出されているという状態で、それ以外に何があるのだろうか。紫は霊夢が平然とのたまった言葉に「ですよねー」と内心で乾いた笑みを零しながら同意した。
対面側にいる三人に、紫は目配せをする。咲夜は頬を少し朱に染め、早苗は引き攣り気味の笑みで、魔理沙は呆れているような顔で、妖夢はポカーンと口を開けっ放しにしている。
動揺している咲夜と妖夢は放って、魔理沙と早苗は「気にせずどうぞ」と言葉ではなく眼差しで答えるが、突っ込むなり騒ぐなりして止めて欲しかった紫は、それにSOS信号を載せて返した。でも、どうしても霊夢の機嫌を崩したくない魔理沙と早苗は軽く首を振って事なきを得ようとする。
「アップルパイ熱いし、アイス溶けちゃうってば」
はたして霊夢さんの視界にこの四人が入っているんだろうかと訝しんでしまうが、やっぱり何もかもガン無視で「はーやーくー」と紫を急かす。
(あ、あのね。私だってそれなりに恥ずかしいのよ?)
さっきもその前も、それなりにずっと恥ずかしかったんだけど。私だって、人前でキスとかしないでしょう? と、紫は声に出さず口の中だけでごちる。でも、直ぐに諦めた。
(……まぁ、秋だものね……)
仕方が無いのかもしれない。
紫は誰にも分からない程度に苦笑し、差し出されたアップルパイにそっと唇を寄せた。
「ん……」
笑っても控えめだし、扇子で隠したりしてあまり見かける機会は少ないが、紫は列記とした妖怪。その妖怪らしい鋭い犬歯が僅かに垣間見え、パイ生地噛む。サクッという小気味の良い音を微かに立たせて生地を噛み千切り、甘く煮詰められたリンゴを食み、蕩けたバニラアイスと一緒に口内へ。
「あ!」
「んっ」
霊夢が密かに声を上げた瞬間、紫も急遽首の角度を少々変える。若干溶け過ぎてしまっていたアイスがパイ生地の上から零れて、紫の唇を汚し、顎を伝っていったからだ。まぁ、差し出されるまま口を持っていったので、上手に食べることなど不可能に近いというものだが。
紫は慌てて口許に手を添えたが、その指先を溶けたアイスが伝って流れる。手の平を通って、手首までとろりと流れるバニラアイス。それはゆったりとした袖口の中に侵入して、腕にまで進行していった。
「あらあら」
ひんやり、とはいいにくい若干生暖かい感触と、とろとろと伝っていく感触に、紫は若干ながら眉を顰めて汚れた手を見る。
霊夢は「もー。何零してんのよ」なんて言っていたが、声が笑っていた。
「霊夢の食べさせ方が悪いんでしょう?」
「あたしの所為にすんな」
世間話でもするようにのんびりと会話する二人。でも、見ている側はそうはいかなかった。
だって、その……こぉ~、うん、アレだ。ほら、だってバニラアイスだからさ、うん。ゆかりんの口を汚して、んで唇の端から顎を伝って若干首筋にまで流れちゃったりして、そいでもって指先やら手の平やら手首やらを濡らして、前腕の内側をとろとろと伝っているのが、ほら、バニラ味のアイスだからで……その、ね?
「「っっ!」」
呆然と事態を見守っていた四人の内、二人が我に返って迅速に動いた。早苗と魔理沙である。二人は顔を真っ赤にしながら、早苗は咲夜の目許を、魔理沙は妖夢の目許を手の平で覆った。頬だけではなく耳まで真っ赤にしている咲夜と妖夢は、突如視界を奪われて「な、何!?」なんて騒いだ。
「だ、ダメです! 瀟洒改め純情可憐乙女な咲夜さんにはまだ早過ぎます!!」
「えっ、えぇ?」
「そ、そうだぜ! 純情純朴と書いてピュアピュアと読むお子様な妖夢には早過ぎるんだぜ!!」
「お、お子様じゃなありませんよぉ!」
それを言うなら、魔理沙の方がお子様じゃないですか! と、もっともな事を言う妖夢だが、魔理沙は「うるさいんだぜ!」と一蹴した。
「……?」
何やらバタバタと騒いでいる四人。紫はそっちの方に瞳を向け、小首を傾げながら指先に付いたバニラアイスを舐め取った。赤い舌が桜色の唇からひっそりと覗き、鋭利な犬歯が見え隠れする。恐らく本人にそのつもりはないだろうが、ついついガン見してしまっていた魔理沙や早苗には、紫のその目の動きが、切れ長の瞳で誘うように流し目、といったように見えてしまい、二人はますます顔を赤くした。
「?」
紫はますます首を傾げる。でも折角咲夜が作って来てくれたアイスが勿体無いので、舌先でチロチロと指を、手の平を舐め続ける。そしてぺろりと手首を舐め上げ、前腕の内側に垂れた白い雫を追うように唇を這わせる。時折、唇で皮膚を軽く食んで吸ったりしているので、魔理沙と早苗の頭から湯気が出始めていた。
「……何してんの?」
紫の仕草を呑気に眺めていられたのは、霊夢だけだった。そんな度胸……というよりは耐性? のある霊夢さんは、ギャラリーの異常に漸く気付いて、魔理沙と早苗に訝りの視線を送った。
咲夜と妖夢は相変わらず二人に目隠しされたまま、その手を退かそうとジタバタしていた。
「な、何っておま、おまっ!」
霊夢に一旦視線を向ける魔理沙だが、直ぐに視線が紫の唇に戻っていった。早苗においては会話など放棄してガン見している。
紫は最後に舌なめずりをして――「はっ!」早苗が控えめな奇声を上げる――唇の端から顎に伝って首筋に流れたアイスを指先で拭い――「ほぁ!」早苗が再び控えめな奇声を上げる――その拭った雫でまた汚れてしまった指先を口に含んだ。
「きゃぁ!」
「うっさい」
霊夢の陰陽玉が早苗の顔面に飛んだ。陰陽玉を喰らって早苗の頭は後方に大きく仰け反り、顔面は赤く腫れさせる。だがしかし、早苗の視線はそれでも紫から外れなかった。
「……どうかした?」
指先をちゅっと吸いながら、紫が暢気に問い掛ける。
マイペースな紫の様子に魔理沙が「ど、どうかしたじゃないんだぜっ!」脊髄反射と叫ぼうとして、ふと止まった。ついでに隣で早苗が「えぇ!?」と落胆した声を発していた。二人の視界も、唐突に奪われたからだ。
「そうね。お子様には刺激が強すぎるわね」
白く華奢な手で魔理沙と早苗の視界を覆ったのは、黒い長い髪をさらりさらりと背に流す少女だった。
「あんたまで……ほんっと、今日は客の多い日ね」
招いてもいない客が続々と登場しっぱなしで、霊夢は面倒臭そうに言葉を投げる。
その人、竹林のお姫様は、さらりと黒髪を揺らして魔理沙と早苗の目許から手を外した。
「貴女にとってはお客じゃなくて、ただの邪魔者でしょう?」
輝夜はくすくすと喉の奥で笑って軽やかに揶揄する。霊夢は「ふんっ」と鼻を荒く鳴らすだけで、その言葉を肯定も否定もしなかった。
「もー、いきなりなんなんだぜ」
「そうですよ。良い所だったのに」
何が良いところなんですか早苗さん。という感じだが、魔理沙と早苗は文句を言いながらも、咲夜と妖夢の視界を渋々と開放してやった。何があったのか分からない二人は、お互いに顔を見合わせて首を傾げていた。
「くすくす。思春期(おこさま)の好奇心は凄まじいわね」
「なっ、お子様っていうな!」
「お子様でしょ。あの程度で鼻血なんて出しているようじゃあ、ね?」
「あっ!」
反論する魔理沙の鼻先をちょんと指差して、輝夜が小さく笑う。魔理沙は慌てて鼻に突っ込んだティッシュを外して、「これは誤解なんだぜ!」と弁解した。
「何よ、また鼻血出したの? 昼間っから激しい妄想し過ぎなんじゃない?」
「もっ、元はと言えばお前らが悪いんだろ!」
「別に何もしてないじゃない。今のは紫が悪いと思うけど」
「え? 私何かしたかしら?」
「……あんたねぇ」
顔には出していないが、霊夢も魔理沙や早苗と同じような考え方で紫の挙動を見守っていたのかもしれない。
輝夜は何が愉快なのかまた喉の奥でくすくすと小さく笑い、「まぁまぁ」と宥めるように魔理沙の頭を撫でた。
「無意識の内にあんなにヤラシイっていうのも大したものよね。まぁ、それも大妖怪の貫禄がそうさせるのかしら? それとも『立てば淫猥、座ればエロス、歩く姿は十八禁』な八雲紫だから?」
輝夜の格言のような言葉に、魔理沙と早苗は勿論、何事か分かっていない咲夜や妖夢も字面からの雰囲気で、そして霊夢までもが「あー」となんだか妙に納得していた。
「……それ、誰が言ったのかしら?」
そこまで深く納得されると、不本意ながらも突っ込むにも突っ込めない。なので紫は輝夜にその言葉の出所を問う。すると輝夜は、
「えーりん♪」
妙に可愛らしい笑顔で答えたので、紫はもう「あの薬師は何考えてるのかしら」と溜息を吐くしか無かった。
「芋羊羹を作ったから巫女様のご機嫌取りにでも。って思って来たけれど、どうやら今年は必要ないようね」
「大きなお世話よ」
「ふふっ。じゃあ、邪魔者はさっさと退散しましょう」
輝夜は手に持った包みを卓袱台の上に置くと、帰ろうと四人を誘った。
「え、でも……」
なんとなく、輝夜の提案に逆らおうとする早苗。心配そうに霊夢へ視線を送っていたが、輝夜に「大丈夫よ」と囁かれ、魔理沙に肩と叩かれ、咲夜に苦笑を送られて、妖夢に背中を押されて。それで漸く、
「えと……じゃあ、また来ますね」
と、控えめな笑みを浮かべ、霊夢と紫に手を振った。
「もう来なくていいっつーの」
「じゃあ秋中の訪問は控えますね」
「ま、そういうことだ。冬になったらまた来てやるぜ」
「よく分かりませんが、今度は温かい物でも」
「邪魔して悪かったわ。でも寒くなったらまた来てあげる」
「だっから、いいっつーの」
四人がそれぞれ手を振って部屋から出て行く。
そんな様子を見ていた輝夜は、小さく笑って霊夢と紫へ肩越しに視線を向けた。
「あなたって、本当に愛されてるわよね」
「ふふっ。本当にね」
輝夜の言葉に、紫はまるで自分のことのように嬉しそうにはにかんで、霊夢の髪をそっと梳く。
そんな紫に向かって「私はそのお目出度い色をした巫女の事だけを言ったわけじゃないんだけど、ね……」と、輝夜は心の中だけで呟いておいた。
「別に、そうしてくれって頼んだわけじゃないわよ」
「素直じゃないわね。でも……」
輝夜はそこで言葉を切って意味深に笑う。そうして踵を返すが、ふと立ち止まって振り向いた。
「あぁ、そうそう。さっき秋の神が米俵一俵を置いていったわよ」
最後にそれだけ言い残して、輝夜は軽く手を上げて母屋を出て行く。
外では四人がなんとなく手持ち無沙汰で突っ立っていたので、
「家でお茶でも飲んで行く?」
姫様は、そうお子様達を誘ったのだった。