風が吹いた。
「お茶が美味しいわ」
穏やかな春の陽気に包まれて、博麗神社の幼い巫女、博麗霊夢はお茶を啜っていた。
風が温かい。花の香りがする。それだけで、お茶は更に格段と美味しさを増している様に思えた。
「それは好かったわね」
すぅと音もなく現れる大妖怪。八雲紫。
途端弾かれた様に霊夢はその場を離れ、針を構える。
「……何の用かしら。妖怪が」
「あら怖い顔。お止しなさい」
霊夢は歯を剥き出し、妖怪を睨み付ける。対する紫は、くすくすと掴み所無く微笑むばかり。
「妖怪神社の主が、そんなに邪険にするものじゃないわよ」
「なんとでも言いなさい。それでも、妖怪を退治するのが私の役目よ」
「たまにはつるんでる癖に」
そう言いながら、そっと扇子で針を下ろす。
上げた武器をどう下ろそうかと考えていた霊夢にして、それは心を見透かされたことに他ならず、少し気まずそうに鼻を掻いた。
「それは……あぁ、悪かったわね。油断してる時に近付かれると、流石に怖いのよ」
「ふふ、臆病者」
「……いつか退治してやる」
倒してはいけない。そして、どうせ勝てない。そう思っていながら、この高みから見下ろしてくる相手が気に食わないので、隙さえあれば噛み付こうとしていた。野性的な巫女である。
「それで、改めて聞くけど何の用かしら。お茶なら余分はないわよ」
「物乞いに来たのではないわ。差し入れでも、と思ってね」
紫がごそごそと袖を探り、取り出したのは玉だった。
「……なにこれ」
「陰陽玉と言ってね。霊力を込めれば強力な武器になるわ。代々博麗の巫女が使い続けてる道具よ」
「ふぅん」
手に持ってから、紫に投げ付ける。と、次の瞬間に玉は隙間に呑まれて霊夢の後頭部に激突する。
「……った……」
悶絶。
「あなたが何するかくらいお見通しよ」
「……く、くっそぉ」
思いの外痛かったらしく、頭を押さえて涙目であった。
そんな霊夢をけらけらと笑い飛ばし、紫は背を向けた。
「それの使い方をしっかりと身に付けておきなさい。さもないと、そんなちっぽけな針だけじゃ、あなた自分の身一つ守れないわよ」
「余計なお世話だわ」
腹立たしい相手からの苦々しい気遣いに、憎まれ口を投げ返す。が、相手にされず。紫は静かに隙間に呑まれて消えていった。
「……憎たらしいわ」
「憎々しげな顔には可愛げもないですねぇ」
突然真横からパシャリと発光。
「わぶっ! 何よあなた!」
光の方向へ手を向けて眼を守りつつ、懐から針を抜き光を放つ物体に向けて構える。
が、途端に相手は後へ飛び退き、人三人分の距離を置かれる。
「ははは、物騒ですね。いけませんよ、そんなに短気では。妖怪と戦うのでしょう?」
歯を見せて笑うのは、天狗。射命丸文。
「だから何よ」
「妖怪はあなたよりずっと老獪ですよ。そんなにちょくちょく心を乱されていては、倒すどころか飛んで火にいるただの餌。食われて死んだと吹聴しても、誰も疑う余地はなし、って感じですね」
「好き勝手を……」
ただし、それを否と断ずることは出来なかった。
何せ霊夢は、自分は弱いと判っているのだから。
「心を穏やかにしておいた方が好いですよ。食われるだけです。制御できないのなら、力も心も食われて消えます」
「乱す奴が何を言うのかしら」
頭を押さえる。怒鳴りつけてしまいそうだった。だが、黙らせれば落ち着ける。そう思って、次いで耳を塞いだ。
けれど、そっと近付いた天狗が手を耳から外す。
「な、なに?」
「誰も彼も、あなたの心の平穏の手助けをする訳がないでしょう? 私は天狗です。ひけらかすだけです。親切に教えてあげているのだから学びなさいな」
「ぐっ」
「今怒ると、未熟の証明になるだけで恥ずかしいですよぉ」
うふふと笑う天狗の顔が憎くて顔が引き攣る。両腕を掴まれているので逃げられない。
「あ、あんたねぇ」
「怒りもなかなか味わい深いものですよ。嚥下してみてくださいな」
「ぐ、ぐぐ……」
精一杯力を入れてみるものの、少しも手は動かない。さすがは天狗。
悔しくて悔しくて、怒鳴りもしないが、思わず泣きそうになる。
その時、更に来客が訪れた。
「ほぅ、珍しい先客がおるのう」
「おや、妖忌さんじゃありませんか、お久しい」
そこに現れたのは、白い髭を撫でる白髪の老人。冥界にあるという白玉楼の庭師、魂魄妖忌。
「いや誠に久しい。しかし文殿。そう、あまり霊夢殿を苛めるのは感心しないのう」
「あやや。そう言われては仕方ないですねぇ」
すると文は、パッと手を放した。
次の瞬間、霊夢は文に陰陽玉を投げ付ける。が、霊夢の方を見てもいない文に軽く受け止められ、何事もなかったかのように軽く投げ返された。
「う、ううううう!」
苛立ちを抑えられず、縁側を拳で叩く。
「文殿、加減は大事ですぞ」
「私妖怪ですから、人間の耐久度は良く判らないんですよねぇ。でも、鉄は熱い内に打てと言いますし、今頃の柔らかい時期に色々教えておくと、後々楽そうじゃないですか」
文は歯を見せてにししと笑っていた。単に霊夢が悔しがる様を楽しんでいるようにしか見えない。
「お人が悪い」
「天狗ですから」
それから悔しがっている霊夢を写真に納めると、文は後は任せますねと妖忌に残し、そのまま風に乗って境内から去って往った。
やれやれと、妖忌は肩を竦める。
「霊夢殿。お元気ですか」
「大層機嫌が悪いですがなんですか! 今日は千客万来ですね!」
不機嫌極まる。完全にただの八つ当たりだった。
「ほう、これは日が悪そうですな」
「ええ、今日はとても機嫌が悪いです! あまり人と会いたくないくらいです!」
目を瞑り、歯を食い縛り、紫と文のことを思い出して怒り心頭。
それを見て、やれやれと妖忌は首を振る。
「それでは、今日はお暇するとしようかのう。折角羊羹でもと持ってきたのじゃが」
「うぐっ!?」
霊夢がビクリと震える。
申し訳なさそうに伏せた妖忌の口元が、にやりと綻んだ。
* * * * * * * * * *
風が吹いた。
「お茶が美味しいわ」
季節が過ぎた。片手では足りないだけ、季節はその彩りを変えていった。
お茶を飲む霊夢も、博麗の巫女としての成長を重ねていた。修行嫌いが災いして敗北しては、知り合いに無理な修行をされたりと、そういう世話を焼かれながら、着実に実力を高めていった。
そんな日々の中で、とりあえず霊夢はお茶を飲む。
そこに、別の風が吹いた。
「私の分のお茶はないんですかぁ?」
瞬時に霊夢の針が動く。けれどそれは、文の指先にそっと止められた。
「怖い怖い。あなたは昔より強いんですから、不用意に振り回すと相手を殺してしまいますよ?」
「妖怪は殺しても死なないでしょうが」
「死ににくいだけです。死にはしますよ。だから殺さないでくださいね」
「どうだか」
今自分がどう足掻いたところで、針は首にさえ届かない癖に。そう思いながら、霊夢は針を引っ込めた。
最初から殺す気などない。ただ、いつか知り合いの妖怪の命を危ぶませるほど、強くなりたいと思っていた。意地である。
「それで、何の用? 用がないなら帰りなさい」
「邪険にしますねぇ。お菓子持ってきてないからですか?」
その言葉に、霊夢は不機嫌そうな、恥じらう様な表情を返した。
「……私が物に釣られてるみたいな言い方は止めて欲しいわ」
「お菓子持ってくればそれだけで上機嫌になるお子様は扱いやすくて良いですよねぇ」
「ぐっ!」
否定するのも怒鳴るのも格好悪い。そう思うと相変わらず唸ることしかできなかった。だから今できることはといえば、今後あまりあからさまに喜ぶのは止めようと思うことくらいであった。
とりあえず深呼吸をして、頭を整える。
「それで。何の用事かしら?」
「用というほどでもないんですけどね。ちょっと質問を」
「何?」
眉間に皺を寄せて答える。癖なので、特に嫌がってるわけではない。
「お子さん作る気ないんですか?」
霊夢は茶を噴いた。
「は、はぁ!?」
「懐かしい驚き方ですね。久しぶりに見た気がします」
「な、一体、何の話なのよ!」
結婚相手もいない巫女。差し当たって連れ合いが欲しいと思っても居らず、跡継ぎを残すことなど考えたこともなかった。
「子供ですよ子供。動物なんですから、子孫くらい残したいでしょう?」
動物と言い切られて、霊夢は苦い顔を作る。肯定するのも何だが、否定しても動物じゃなくなるみたいで面白くなかった。
しかし、誤魔化すことはできても嘘が吐けない巫女。誤魔化せば何時までも追求してくることくらい知っているので、早々に霊夢は溜め息を吐いた。
「……別に、考えてないわよ」
と簡単に否定すると、あや?と文は首を傾げた。そして、合点がいったようで手を叩く。
「あぁ、いけませんね。こんなところに住んでるから感覚がズレましたか?」
「知らないわよ!」
案の定異端扱いされて霊夢は叫ぶ。こと、相手が茶化す気がないのに茶化されている様な状況で平静を保つのは、まだ苦手な霊夢であった。
しかしそんな霊夢の動揺などお構いなしに文は言葉を続ける。
「子供くらい作っておいた方が良いですよ。いつ倒れるか判ったものじゃないんですから」
「いつ倒れるか判らないのに子供なんて作れないでしょう」
倒れたら誰が面倒を見るというのか、と。
「まぁ、霊夢さんが子を成さなくても、その内巫女は変わるでしょう。博麗の巫女は長寿か短命の両極端ですからね、早いとそろそろ危ないかも知れませんし」
「え、縁起でもない」
しかめっ面。趣味のあまりない霊夢ではあったが、流石に死んで良いとは思ったことがない。だから、自分の死など想像したくもない。そして、そんな考えたくもないことを前提にして話される子供を作れという話も、あまり聞きたい話題ではなかった。
確かに子供はいた方が良いかも知れないと、人里を彷徨っているとたまに思う。だが、だから誰かと結ばれたいかと言うと、決してそういうこともない。結婚願望の極度の低さと面食いという要素のお陰で、未だときめきとは遠いところにいる霊夢であった。
「子供ねぇ」
「なんなら男なり子供なり浚ってきたらどうですか」
「私は山姥か」
「似たようなものでしょう」
針の刺突。指での回避。激しい攻防だが、霊夢に勝ち目が少しもない。
「……めんどくさ」
「ふっふっふっ。まだまだ未熟ですね。図体ばかり大きくなっている癖に」
この時既に、霊夢は文より身長が高かった。高下駄を除けば、であるが。
「そういえば文は縮んだわね」
「逆です、逆」
まったくひょろひょろ成長して。と文はけらけら笑いながら口にする。
文は変わらない。紫も変わらない。妖忌は、少しだけ老けた……様な気がする。そんな周囲の非成長組に当てられて、自身も変わっていない錯覚に陥る。だが、着実に自分は老いていた。人里の老人が寿命で亡くなり、赤子が寺小屋に通うようになり、人の世界は確実に老いへ向かっている。
それが霊夢には、どこか縁遠い世界に感じられて仕方がなかった。
* * * * * * * * * *
博麗霊夢は強かった。強くなった。
けれど、あくまでも人だった。
* * * * * * * * * *
ある日。霊夢は永遠亭に運ばれた。
人を守って妖怪を退治している最中、ふと油断をした時、霊夢は頭を囓られた。
倒したと思っていた、人を食べる凶暴な妖怪。だがそれは、瀕死の状態で飛びかかり、霊夢の頭に齧り付いた。
すぐに札を投げ付け封印することは出来たが、霊夢はそのまま激痛で意識を失った。そして、霊夢の助けた人間が上白沢慧音を呼び、駆け付けた慧音によって永遠亭へと運ばれた。
傷は、想像以上に深かった。
悪かったことは、妖怪の牙の鋭さ。霊夢の頭蓋骨には穴が開き、脳に牙が触れていた。
しかし良かったこともまた、妖怪の牙の鋭さ。霊夢の頭蓋骨は、その穴以外に砕かれることはなく、頭蓋骨を骨折するという惨事には至らなかった。
永琳は瀕死の霊夢の治療を、以後竹林には不干渉という約束を取り付けて承諾した。もっとも承諾したのは慧音であったが、急を要していたいた為仕方のない取引であった。
永琳の早急な治療のかいあって、霊夢は意識を取り戻した。噛まれてから、三日後の出来事であった。
「……ここ、は?」
「お、気がついたか……良かった」
霊夢の目の前にいたのは、慧音であった。
「あ、えっと……」
ずきりと頭が一度痛む。そしてすぐに引いて、もう痛みは蘇らなかった。
「大丈夫か。自分が判るか?」
心配そうな顔。声。それで、自分が危ない状態だったことを知り、妖怪に襲われて倒れたことを思い出した。
「あぁ、大丈夫よ……えっと」
意識が揺れる。記憶が霞む。まだ自分の頭は落ち着いていないのだと感じた。
そういえば噛まれたのは頭だったなと撫でてみて、包帯が巻かれていて溜め息を吐いた。
「どうした?」
「なんでもないの、ただ、意識が混濁して。悪いのだけど、えっと、えっと、上白沢……」
「なんだ、他人行儀だな?」
聞き慣れない呼ばれ方に、慧音が苦笑いを浮かべる。
「悪いのだけど……名前、教えてくれない?」
「どうした。記憶が曖昧なのか?」
「はっきりしないのよ」
霊夢は心細そうに慧音を見詰めていた。
「ん。上白沢慧音だ。慧音」
「けい……」
聞いた音が理解され、ノイズが混じり、砂嵐に、浚われる。
「……なんだっけ?」
忘れた。聞き覚えのない音を、忘れた。
「なんだっけって、何が?」
「名前」
「だから、慧音」
「………」
繰り返せない。聞いた音をそのまま口にするよりも早く、音が乱れて消えていく。沢山の情報に呑み込まれて、一つの音を認識できなくなる。
「……何これ?」
頭が落ち着かない、というわけでもない。意識はしっかりしている。だが、認識ができない。名前を憶えられない。
「……私は博麗霊夢」
それだけは判った。
頭を抱える霊夢に、一連の流れを見ていた永琳が問う。
「霊夢。私の名前は判るかしら」
と。
「……えっと」
思い出そうとする。けれどやはり、名前が判らない。
「……ごめん、思い出せないわ」
「そうよね。あなた私の苗字は呼んだことないものね」
と、永琳は溜め息を返した。
「八意永琳。復唱できる?」
「八意……えっと、続きは?」
「これは重傷ね」
永琳は深い溜め息を吐いた。
「どういうことなんだ、永琳」
「見ての通りよ」
永琳はそう言って霊夢の包帯を解いた。
「悪いけど、これ以上は私には治せない」
「どういうことなのか説明してくれ!」
慧音は問う。永琳は、あまり言いたがらなかった。
「……名前が憶えられないのよね」
そこで、霊夢が零した。
頭がぼうっとしているからじゃない。二人の会話で、それが判った。
「……そうよ。妖怪の牙が脳に触れた影響でしょうね」
人の顔は認識できる。個人も、少し朧ながら認識できる。
ただし、その個人を表す名前のみが、憶えられなくなっていた。
「理屈は判らない。でも、そういうこと」
「お前の薬でもダメなのか!」
「不可能じゃないでしょうね。でも、ここでは薬に使うものが足りないわ」
「そんな」
慧音は白い顔を青くして、膝を折った。
「……なんで、く、これ厄介ね」
思い出せない名前に、苛立つ。
「なんで上白沢が、そんなに落ち込むのよ」
「なんでって、そりゃ、私の事じゃないが、だといって……友達だろう」
目を丸くする。霊夢も、永琳も。
「……友達?」
霊夢が聞き返し、永琳が噴き出した。
「あははは。可愛いこと言うのね、慧音」
「な、なんでだ!? 可愛いか!? って、そ、そんなおかしなことは言ってないだろう!」
慧音がわたわたと否定するが、永琳は笑うばかり。
霊夢はそんな二人を見て、なんだか、落ち込まずに済んでしまった。
「……上白沢が可愛いから、私はなんだか安心してしまったわ」
「霊夢まで!?」
霊夢と永琳は笑う。何がおかしいのか判らず、慧音は最後までおたおたと動揺を続けていた。
* * * * * * * * * *
風が吹いた。
「お茶が美味しいわ」
「あなたいつもそればっかりね」
ふと横に腰を下ろしたのは、紫であった。
「久しいわね、八雲の」
「あら。針を向けなくなったのね」
「面倒になっただけよ」
霊夢は紫の方をちらりと見て、それ以上何もしなかった。
「名を忘れた、というのは本当の様ね」
「あら。なんで知ってるの? あぁ、天狗か」
「そうそう」
記事にされたことを思い出した。
どこから嗅ぎつけたのか、いち早く押しかけて質問をしまくり、挙げ句『博麗の巫女が名を忘れる。しかしその他異常なし』という残念そうな記事を一面に載せたのである。
「あの馬鹿天狗」
記事を思い出して、やれやれと肩を竦めた。
「感謝してるんでしょ?」
紫に問われ、ぎくりと震える。
「……そりゃ、まあね」
言い辛そうに、顔をしかめながらそっと答えた。
あんな記事が出回らなければ、博麗の巫女を恨んでいる妖怪が大挙して押し寄せてきたかもしれない。だからあれは文の優しさなのだと、霊夢には判っていた。
こと、最近になって判るようになった。身の回りの全員が不器用で意地悪だから、なかなか気づけないでいたが、どんなことも、それなりに霊夢を思っての行動だったのだと。
「……下手くそばっかりで困るわ」
「上手なのよ。気づかれずにやるのがね」
「……私が鈍感って言いたいのかしら?」
「さぁて、そう聞こえたならそうなんじゃないかしら」
やっぱり意地悪だと思った。
「まったく。いつまでも変わらないのね。天狗も、八雲のも」
溜め息で返答する。
八雲紫の名は忘れた。だから、霊夢は紫を「八雲の」と呼ぶ。それが少し、紫には寂しかった。
「霊夢は辛くない?」
「辛くないわ」
「本当に?」
「本当に」
強がりである。
面倒臭いし、苛立つし、呼べない自分が心細い。
でも、それを引きずるのは何より嫌だった。だから、自分は名を憶えられないのだと、そういうものなのだと認識することにした。
「これが博麗霊夢なのよ。なのだから、それを悲しいだの辛いだのって思ったら、私に失礼じゃない」
弱々しい強がり。まだ呑み込み切れていない涙が伝うように、手が少し震えていた。
その手を、そっと紫が掴む。
「……なんで握手してくるのかしら?」
「寒そうだったから」
「……そう」
両手で挟むように、紫は霊夢の手を握っている。それに文句も言わず、しばらく霊夢は手を預けていた。
それから霊夢の手の震えが納まると、そっと紫は手を放す。
「それで。今日も私の機嫌を好くする為に、お菓子でも持ってきてくれたかしら」
「んー。生憎とないわ。様子見にきただけだから」
ふぅんと返す霊夢の声は、なんとなく優しい響きを持っていた。
「はぁ、仕方ない。上がって往きなさい。お茶くらい出すわ」
「お茶請けはカステラを所望するわ」
「……あるのが腹立つわね」
穏やかな時は、少し何かを欠いた状態で、けれど穏やかなまま進んでいった。
* * * * * * * * * *
風が吹いた。
「お茶が美味しいわ」
穏やかな春の陽気に包まれて、博麗神社の歳老いた巫女、博麗霊夢はお茶を啜っていた。
「茶菓子持ってきましたよ」
「……ビックリした」
真上から雨樋に足を掛けた状態で、文が現れた。
「こんにちは新聞屋」
「こんにちは霊夢さん。よいしょっと」
降り立った天狗は、目の前ですたりと立ってみせる。
「あや。老けましたね」
「五月蠅い」
白髪も皺も目立つと、文は笑った。けれどそれに怒鳴り返す若さは、もはや残っていなかった。
「あやや。枯れて面白み半減以下」
「枯れてって、死んだみたいじゃない」
騒ぐのが面倒になった。騒ぐほど心が乱されなくなった。好いような、好くないような、霊夢にしてもそれの良し悪しは判別ができないでいる。
「そこまで老いたら、どうせもうじき死ぬでしょう」
「縁起でもないわね。あなたは昔からそうだわ」
「うわーん、霊夢さんが怒鳴らなくて面白くない!」
「……そんな無茶な」
苦笑いと苦笑い。
老いは残酷だと、文は思った。こうも人を変えてしまう。そしてこのまま、奪ってしまう。
老いは優しいと、霊夢は感じた。こうも自分を変えていける。そしてそのまま、静かに朽ちていく。
「荒れない水面は鏡のよう。透かす中身がないから、相手を映すばかり」
「それが老いの果てなのよ」
「だとすれば、私は枯れたくないですねぇ」
「枯れる前に死ぬのでしょう。妖怪は」
不穏当な会話も、二人は笑い合えた。
あまり霊夢の死が冗談でもないのだから、それを覚悟しているから、二人はそれなりにこんな不謹慎な話題でも言葉を交わせた。
「それで、お茶菓子というのは何なのかしら」
「……老いてもそういう部分は元気ですね」
呆れながらそう言うと、ごそごそと文は突然取り出した大きなバッグ縁側に置いて、中から小さな子供を取り出した。
「これです」
ぺしりと霊夢に叩かれた。
「……何故叩きます」
「食べられません」
至極真っ当な反応であった。
「茶菓子というのは冗談ですよ。これ、孤児なんです」
言いながら霊夢の手にぽんと乗せる。
その子は弱っているのか、震えて眠っている。歳はおよそ、二歳かそこら。
「どうしたのよ、この子」
「森で眠っていました。横に、二人分の屍体がありました」
それを聞いて、霊夢の穏やかな表情に影が差す。
「……心中かしらね」
「恐らくはそうでしょうね」
外の世界で心中しようとした家族が迷い込み、親は妖怪に食べられた。そして子が文に保護された。そういう流れだろうと、察しは付いた。
「それで、なんでここに? こういうのは上白沢に押し付けるべきでしょう?」
「なんでって、あなた子が居ないじゃないですか」
静かな沈黙が流れた。
「……もう一回」
「なんでって、あなた子が居ないじゃないですか」
一字一句間違えずに繰り返された。
そしてそういえば、ずいぶん前にそんな話をこの天狗としたものだと思い出した。
「……まさか。今更、子を育てろと?」
「そうですよ。独り身のあなたが死んだら、誰が次の巫女を捜すと思ってるんですか」
「そんな自分勝手な」
「それはお互い様ですよ。面倒だからと子を成さなかったのは何処の誰ですか」
「うっ」
どっちも自分勝手であるが、面倒がって子を成さなかった部分を指摘されると少し痛かった。次の巫女を育てる役割も、確かに博麗の巫女は担っているのだ。
「……でも、こんな名も知らない子を」
「どうせ見知ったところで、あなた名前憶えられないでしょう」
「……それはそうだけどね」
そう言うと、文はそれを押し付ける。
「その子、たぶん才能ありますよ。妖怪に親が食われているのに、子が食われないなんておかしな話でしょう?」
それには少し驚いた。てっきり、食べてる最中に文が奪ったと思っていた。
しかし言われてみれば、弱っているけれど、何か不思議な力は感じる。強さとか弱さとか、そういうのではない、もっと真っ直ぐで自然な力。
「……運が良かったのね。きっと」
「まぁそれを言うと元も子もないんですけどね」
文は苦笑い。
けれど、霊夢は感じていた。この子は運が良い。神の加護の様に、強く温かい運に恵まれている。そんな気がした。
「判ったわ、育ててみましょう。とりあえず、育てられるのなら」
「頑張ってくださいね」
「あなたも手伝うのよ?」
「……うげ」
文は心底嫌そうな顔をした。面倒ごとは関わるとハマる癖に、いざ関わろうとするのは嫌がる性格なのであった。
そして、この話はすぐに文の新聞によって広まった。
『博麗の巫女、子を授かる』
嘘八百であった。
* * * * * * * * * *
風が吹いた。
「お茶が美味しいわ」
「お茶が美味しいです」
霊夢の横で、子供がお茶を飲んでいた。
文から受け取った頃は本当に小さな子であったが、今では普通に会話も出来る。家事だってできるようになった。
「ねぇ霊夢。もうお茶は一人でも淹れられるわよね」
「はい。できます」
文が拾ってきた子供。その子は、自分の名前を知らなかった。だから、霊夢と名付けた。自分が認識できる唯一の名なら、呼んでやることができると思ったのだ。
霊夢を見て、霊夢なのだと認識することは出来ない。ただ、自分と同じ名だと思い出せば、どうにか呼ぶことは出来た。
以前に、この子供は霊夢に問うた。
「霊夢はお母さんですか?」
人里からの帰り道のことだった。
「違うわよ」
霊夢は素直に答えた。
すると少女は、酷く愕然とした顔をした。
「お母さんじゃない……」
あの酷く驚いた顔を、霊夢は今でも覚えている。当時は嘘でも母だと言っておけば好かったと思ったが、今では笑い話である。
以来、しばらく閉じこもった後に、霊夢に自身には別の親が居たこと。そしてその親が妖怪に食われたことを聞かされた。その後しばらくは霊夢さんと呼んでいたのだが、紛らわしいと自分で感じ、やがてお婆ちゃん、お婆様と呼び方を改めていった。
そして今、この幼い子供は、その育ての親を見ながら、着実に成長を続けていた。
「大きくなったわね」
「そうですか?」
お茶を啜りのほほんとした顔には、一片の危機感もない。
「妖怪退治も出来るかもしれないわね」
「気が進まないですー」
先程と同じくらい緩い回答。
「そうなの?」
それは霊夢にとってちょっと意外であった。
親を殺されたと聞いているのだから、てっきり妖怪を恨んでいるのではないかと危惧していたのだが。
「そうです。仲好しが一番です」
「恨んでないの?」
「妖怪全員が、私の親を殺したわけじゃないので」
子供とは恐ろしい。そう思った。
「人間だってお魚食べますしね。お魚さん怒って殺そうとしてきたら嫌じゃないですか」
「あぁ、そうね。それは怖いわね」
群れを成した魚が、突然人里に押し寄せて人を食い始めたら。それはさぞ怖いだろうなと思った。有り得ないと言い切ることもできないが、まずないであろう悪夢。
ちょっと霊夢は身震いした。
「だから人間も、そんな怒っちゃいけないと思うんです」
「そっか」
無邪気な言葉が一々太陽のように温かくて、霊夢は自然と綻んでしまった。
子供と暮らすのも悪くないと、改めて思った。
* * * * * * * * * *
風が吹いた。
「お茶が美味しいわ」
お茶の味はまだ判る。老いて五感が頼りなくなってきてはいるが、匂いと舌はまだ健常。有り難いことだと思った。
すると、少女がとことこと箒を持って霊夢の前に現れる。
「お婆様。玄関の掃除終わりました」
「ご苦労様、霊夢」
文が拾ってきた子供。その子は、自分の名前を知らなかった。だから、霊夢と名付けた。自分が認識できる唯一の名なら、呼んでやることができると思ったのだ。
霊夢を見て、霊夢なのだと認識することは出来ない。ただ、自分と同じ名だと思い出せば、どうにか呼ぶことは出来た。
「それと、お客様です」
そう丁寧に告げると、静かに妖忌が現れた。
「あら、久しわね。ご老獪」
「かっかっかっ。老いたのう、霊夢殿」
高らかに妖忌は笑った。
「お婆様。私はこれから買い出しに行ってきます」
「そう、御願いするわね」
ぺこりと二人に頭を下げて、霊夢は走っていった。
それを見届けると、妖忌は楽しげに笑った。
「むかしの霊夢殿にそっくりじゃ」
「そうですか?」
「少し違うが、雰囲気がのう」
楽しげに笑う。
どうしてこう、周りの人は意地の悪い笑い方しかできないのだろうと、霊夢は呆れた。
「しかし、あなたはいつまでも年上だと思っていましたが、何か、追いついてしまいましたね。見た目だけ」
中身までは、と言いたい気がしたが、妖忌の中身は結構若いと思うと、年齢以外では自分の方が老いてしまった様に思えて、溜め息が溢れた。
「ふむ。奇麗な緑の黒髪も、もはや白いのう。かっかっかっ、いや、何、不思議と嬉しいものじゃの」
「私は若干悲しいですが」
ほぼ同年代の二人。けれど歳は、遙かに違う。
「なに、人は老いるものさ。健やかに老いたことは、好きことじゃ」
老人は笑う。楽しげに。
「えぇ。生きて来れたこと、感謝してますとも。毎度毎度茶菓子を掠めていく老獪にもちゃあんと」
「かっかっかっ。ではその返礼じゃ。羊羹と最中を持ってきた。茶を淹れてくれ」
「まったく面倒な御爺様だわ」
「今更じゃろう」
そう笑う妖忌に、霊夢も笑い返しながら立ち上がる。
「跡継ぎができたら、あなたと旅をしてみるのも面白いかも知れませんね」
「はて。老人二人、誰が面倒を見てくれるものか」
「ふふ。後に死ぬ方が面倒を見るのですよ」
そう言って、霊夢は居間へと上がっていった。
* * * * * * * * * *
風が吹いた。
お茶は、飲めなくなった。
博麗霊夢は床に伏せてた。
「本当に人間は短いですね。花が散って咲くより早く死ぬんじゃないですか」
その横には、もの悲しそうに微笑む文が居た。
「おかしいわ、その数十倍は生きてきたと思うのだけど」
「本当ですかねぇ」
ニッと笑って、またすぐに戻す。
「後悔はありますか?」
その問いが、どこか、すごく寂しそうな音に聞こえた。
そんな音が文から発せられると思って居らず、霊夢は思わず聞き返してしまう。
「何の、かしら?」
「博麗として生きてきた今日までですよ」
笑って返す。しかし、意地悪な色がどこにもない。
ただ、優しいだけの笑顔。
それを見て、霊夢は思わず息が詰まった。だけど、泣くのが悔しくて、笑ってみせる。少し堪えれば、涙はすぐに止められた。それだけ、老いていた。
「あら。花が咲いて散るより短い人生だったのよ。悔いなんて憶えるほど生きてないわ」
甘い言葉。そして、笑ってみせる。
それを真顔で聞いて、しっかりと咀嚼してから嚥下して、ようやく文は破顔した。
「まったく。扱い辛い方ですよあなたは。子供だった頃が嘘のよう」
「あら失礼ね」
笑い合う。
そして、文は立ち上がる。
「おさらばです。後はのんびり、冥界でお茶でも飲んでいてください」
「そうね。お茶の味が恋しいわ。しばらくは西行寺の家で、美味しいお茶でも頂きたいわね」
そんな会話。
けれど、今生の別れ。
それを最後に、文は博麗神社を後にした。
その後、霊夢は一人きりの部屋で、溜め息を吐いて、声を発する。
「……八雲の。居るんでしょう?」
「あら、敏感になったものね」
「私が今、狭間にいるからじゃないかしらね」
くすくすと笑う声だけが聞こえた。
紫は子供を引き取ってから、一度も子供霊夢の前には顔を見せなかった。時期が早いと、会うことを避け続けていた。
「……後は宜しく頼むわね。まだまだあの子は、手が掛かるわ」
「そうね。そっと見守るわ。助けるのは私の仕事じゃないのだから」
それが仕事なら、紫は霊夢が噛まれるのを救っていた。それをしなかったのは、妖怪を退治する役を持つ巫女に過度の保護をしてはならないという、決まりに従っただけのことである。
「悔やまないで。別に恨んでないわ」
「悔やむことくらい許しなさいな。さもないと、私は私が許せなくなるのだから」
「優しすぎるのよ、あなたは」
満足げな言葉。それを聞いて、紫は溜め息を吐いた。
「黄泉路は見送れないけれど、精々転ばないようにね。あなたはすぐに油断をするのだから」
「ふふ、有り難うね。老いるとみんなが優しくて困るわ」
「脆さが増してるから、加減が難しいのよ」
霊夢はまた笑い合った。
そしてその笑い声を残して、紫の気配は消えてしまった。
世話になった二人への別れは済んだ。他の相手には、既に寝込む前に別れを告げている。妖忌はどこかへ旅立ってしまったと、その孫の妖夢より聞いて、少しだけ寂しかった。
もう後どれだけの時間、命が持つかさえ判らない。苦しくはないが、霞んでいく。
静かに息を吐く。
それから、霊夢は眠った。少しの間、ゆっくりと眠っていた。
その内に、静かに身を揺らされて目を覚ます。
「お婆様……」
「……霊夢?」
眼を明ければ、今にも泣き出しそうな少女の顔が映った。
いつものんびりとした顔で、何もなければ笑顔を浮かべている少女が、目元を震わせている。こんな顔をさせてしまうのかと、自分を僅かに叱った。
「わ、私まだ、何も習ってない。巫女のやり方を何も」
震える声で縋り付いた。
習いたかったわけじゃない。一人で学べないと思ったわけでもない。ただ、そう言えば待ってくれるかも知れないと思った。
まだ幼い霊夢にしても、老いた霊夢がもう長くないことを、もうあと少しの内に亡くなってしまうことが判っていた。
老いてなかなか上がらなくなった頬を綻ばせ、優しく笑って見せる。
「学ぶことなんて、特にあるわけじゃないからねぇ。生きている内に追い追い覚えていけば好いよ」
自分の生きてきた道を思い出していく。
それは好き勝手に生きてきたようで、大勢に支えられていた長い道程。
「いざとなれば、物臭な妖怪が手を貸してくれるでしょう。他にも魔女や、神社裏に住んでる変わり者たちや、あとはそうね、うちの神社に棲み付いた物好きな自称神様、とかね」
意地悪い奴ばかりだった。優しい奴ばかりだった。恩を返し切れない奴ばかりだった。
有り難くて、申し訳なくて、残念で、最後にそんな感想を抱けた道程が、とても嬉しかった。
「でも、私じゃ」
不安そうな声。今どれだけ安心しろと告げても心には届かない。それが判った。
「ねぇ霊夢。博麗の巫女のお仕事って判るかしら。あなたはずっと前から知っているはずなのだけど」
だから、問い掛ける。
「妖怪を退治する、こと?」
「違うわ」
「じゃあ、妖怪と仲良くなること」
「それも違うわ」
「じゃあ、じゃあ」
悩む。早く正しい答えを言わないと、手遅れになる。そんな恐れにとりつかれ、何も頭に出てこない。
涙目になり、慌てる子を見て、ふふふと笑ってみせる。
そして、自分も意地が悪いなと気付いた。
「ふふ、やらなきゃいけないことなんて、もっと簡単なのよ」
「もっと、簡単?」
困った顔の子供は、その答えを聞いて好いのか聞くべきではないのか悩んでいた。でも、聞くことを選んだ。
大好きな育ての親が死ぬことを、受け入れることを決めた。
「……教えて下さい」
溢れない涙で視界が滲む。それでも、涙を抑えて問い掛けた。
「平和な顔して、お茶を飲むことよ」
すると、老婆はにこりと笑って言った。
「……それ、だけ?」
気が抜けて、真顔になる。それに合わせて、溜まった涙が一滴、そっと頬を伝った。
「そう。それだけ」
満足そうに頷いてみせる。
「そんなの、難しいよ」
それでは何をしたらいいのか判らない。どうすれば好いのか定まらない。だから、命令して欲しかった。こういう風に生きろと、教えて欲しかった。
「大丈夫。霊夢ならできるわ。私のお気に入りだもの」
「でも」
手を伸ばし、撫でる。
「その内に、あなたの生き方が博麗の巫女のお仕事になるわ。だから、しっかり生きなさい」
「……はい」
「良い子ね。愛してるわ、霊夢」
「お、お婆様」
静かに霊夢の頭をぽんぽんと撫でて、そして、手は止まった。
言葉が続かない。手も、動かない。
「お婆様?」
おかしいと気付いて、次の瞬間には、霊夢は悟ってしまった。
「お婆様、お婆様……!」
優しく揺らす。その身体は、まだ温かかった。
泣かないと決めていた顔が、歪む。波打つように、湧き出してきた感情の奔流に逆らえない。
それからやがて、涙は溢れた。
「ああああああああ!」
言葉にならず、声を上げて、霊夢は老婆に抱きついた。感謝を込めて、泣き続けた。
その痛々しい悲鳴も、長くは続かない。気丈な娘は、やがて真っ赤な眼から涙を拭いうと、老婆から距離を置いて正座をした。そして、ゆっくりと、笑顔を作ろうとする。途端、老婆との過去を思い出し、眼が潤み、歯を食いしばってしまう。けれどまた顔を落ち着けて、どうにか笑顔を作り出した。
「お婆様。今まで、本当に有り難う、御座いました。私、笑えています。博麗の巫女のお仕事、無事に果たせますから。だから、安心して……お元気で」
そしてお辞儀をして、堪えきれない涙がまた溢れて、老婆に涙を見せないよう、そのままの姿勢で泣いていた。
「博麗の巫女、逝去……」
文は少し離れた木の上で、文花帖にまとめていた。
子の泣き声が聞こえて、少しだけ鼻が痛かった。
「さぁて、さっさと新聞にしてしまいましょう。屍体が腐ったら、葬儀も冴えませんし」
そう呟くと、あっと言う間に飛び去ってしまった。
* * * * * * * * * *
風が吹いていた。
昨日の匂いを乗せて。
時代は移ろう。
先代は当代へ、当代は次代へ。
匂いのみを残し、過去は消え、今のみ残る。
だから風は匂いを運ぶ。
昨日を今日へ、今日を明日へ。
絶え間なく、風が吹いていた。
* * * * * * * * * *
風が吹いた。
「お茶が美味しいわ」
穏やかな春の陽気に包まれて、博麗神社の幼い巫女、博麗霊夢はお茶を啜っていた。
風が温かい。花の香りがする。それだけで、お茶は更に格段と美味しさを増している様に思えた。
「それは好かったわね」
すぅと音もなく現れる大妖怪。八雲紫。
「何よ、紫。お茶なら一杯しか淹れてないわよ」
「あら、それなら新しく淹れてくれれば好いのよ」
霊夢は顔をしかめた。
「あんた、ものすっごく図々しいわよね」
「妖怪ですから」
にんまりと紫は笑っていた。
「やれやれ……面倒臭い限りだわ」
「お、なんだ? お茶か? 私のも淹れてくれ」
と、箒に跨り駆け付けたのは、普通の魔法使い、霧雨魔理沙。
「……なんてタイミングの悪い」
「にしし。タイミングの良いの間違いだぜ」
「ああもう、判ったわよ。淹れれば好いんでしょ」
そうして、霊夢は台所へと向かっていった。
穏やかな風が、その髪をそっと揺らしていた。
なんか色んな感情が渦巻きました‥…
まさか先代様のお話だとは思いもしませんでした´`
素敵な作品をありがとうございます^^
博麗の巫女に幸あれ。
と思ってたら先代だったかー。
確実に巫女の在り方は受け継がれておりますな。
最後まで見抜けませんでした
これは作者様に限らずほぼすべての作家さんに言えることですが文さんがこのセリフを言って狡猾だった作品をいまだかつて見たことがありません。
この作品でも偉そうに老獪だなんだ言っておきながらまだ子供の霊夢をいじめてますし、いかにもねつ造新聞記者って感じですし……。
また私の中で文さんの小物イメージがアップしてしまいました。なんで紫は胡散臭く書けるのに文さんは(笑)なんだ……。
文さんの活躍が地味だったり、今回のように子供に対して大人げない行動を取らせる時はあまり大言壮語させないほうがいいかもしれません。
ただ、話はおもしろかったです、霊夢の正体についてのヒントが多くて先代だろうなと早めに気付いてしまったのは少し残念でした。
博麗神社は極上の切り抜き帳、お茶の香りが保護フィルム代わりって感じでしょうか。
被写体となる人と妖、変わるは人間ばかり也ってのが少し切ないですけれど、
やはりあるがままに受け入れねばならないのでしょうね。
東の果ての更に東端の定点撮影、堪能させて頂きました。
特に今際の際の会話が印象深かったです。
でもお話は良かったですよ。
修行あたりで過去話かなと思い、子供あたりでやっぱり別人かなと
うまいとは思うんだけど、やっぱりしんみりするのは苦手だった