起きた瞬間からどうしようもなかった。
ぜんぜん力の入らない体。曇りきった気分。鬱なままの心。
記憶していられないくらい、最悪の目覚め。ここから起きるなんてもっての他だ。私というモノを保つだけで精一杯で、とてもじゃないけれど刺激は受け入れられない。それがどんなにやさしいものでも、きっと私は傷ついてしまう。
だから、今日は寝ていよう。寝て、寝て、うっかり三日くらい寝るくらいのつもりで、ベッドの上に居よう。
別によくあることだし。私が居なくてもこの紅魔館の日々は、あまり変わらない。
こうもりの形をした抱き枕を引き寄せる。それだけじゃ足りなくて、七色の輝きを持つ翼ごと抱え込んで、小さくうずくまる。少しだけ私が私を感じられる。それに安心して、起きたばかりなのにとろんと瞼が重くなる。うん。別にいい。このまま寝るのが一番楽なのは知っている。七色の翼をいじる。きらきらに輝いているはずのそれは、ただの石ころみたいに曇ったまま。
それでは、おやすみなさい。
夢を見た。
すごく昔の夢。咲夜どころかパチュリーさえ居ない、そんなある日の紅魔館。
私のところにやってきたレミリアお姉さま。交わされるのは夢特有のちぐはぐな会話。
分かりやすい。実に分かりやすい。私が何を求めているのか。何を望んでいるのか。
そのあまりの露骨さに、次の目覚めをより最悪な気分で迎えてしまう。
なんだってこんなお姉さまお姉さました夢を見てしまったのか。軽い自己嫌悪が私の中で渦巻く。自分でも気持ち悪く思う。ツライからってこんな、すがりつくような願望が芽吹くだなんて。
気を取り直して寝よう。というわけには行かず、ベッドの上でただもんもんとする。睡眠と覚醒の中間で揺られ、揺られ。シーツはやわらかくて、抱き枕はあたたかくて……
コンコンコン。不意のノックに覚醒に引きずり込まれる。
咲夜がやってきた。食事を持ってきた旨を告げてくる。
人間から上手く吸血できない私のリハビリとして、咲夜さんの居るところで食事をするという方法が考案された。人間を見ながら人間を食べることで、少しずつ落ち着かせていくのが目的だ。始めた頃は食べ物の味さえ分からなかったほど緊張したけど、最近ではなんとかお話しながら食べられるまで来ていた。でも、とてもじゃないけれど今は何も口にすることが出来ない。ただの純粋な紅茶でさえ、喉を通りそうに無かった。
食べれない。率直に告げる。
「……かしこまりました。また気が向いたら、いつでもお呼びしてください」
咲夜さんの対応はあっさりしている。失礼しました。と切り上げて部屋の前から去っていく。
この短く無駄の無いやりとりが、本当にありがたい。
すぐに食事のことも、咲夜がやってきたことも忘れて、また睡眠と覚醒の中間に入っていける。
その途中。ふと美鈴が強引に置いていったサボテンに水をやる日だと思い出す。
いいや。サボテンは私と違って強い。少しくらい放っておいても、なんとかなる。
もう意識とも無意識とも区別のつかない時間を、どれだけ過ごしただろう。
それでも一日という時間は長く、また扉をノックする音が響く。
中々戻れない意識の中で、メイドが掃除をしにやってきた旨を告げてくる。
……まだここから出られそうにもない。誰かが近くに来るのも、遠慮したい。だから断りを入れたいのだけれど、体が思い通りに動かない。もう一度ひびくノックの音。うるさい。
「お嬢様。もう三日も掃除していないのですから、お嬢様……」
そんなの分かってる。いちいちうるさい。咲夜がやってきたからどうしてこうみんな日単位で掃除をしにくるようになったのか。以前は一週間くらい軽く放っておいてくれたのに。このメイドもなんて愚図なのか。咲夜から私の調子くらい聞かなかったの? 答えられない時点でどうして引き下がらないの? ああもう――
ボン。と音がする。
気がつけば私は抱き枕を扉に投げつけていた。
それでいい加減に気がついたのか、メイドは失礼しましたと去っていく。
やってしまった最悪の応対。したほうもされたほうも気分が悪くなるだけのやりとり。怒りの火種はほんの小さなものなのに、あっという間に燃え広がってしまう私の心。何度も何度も自分の中で気に食わないものを殺す。殺しつくした屍の果てできっとまた後悔するのに、震える体ではそれも抑えられない。
あんまりにも惨めで、ちょっとだけ泣いて。
そんなとってもじゃないけど誰にも見せられない顔の時に、またノックが響く。
「フランドールさまー? 美鈴でーす」
やってきたのは声のとおり美鈴だ。珍しい、何をしに来たんだろう。
でも、興味より鬱が勝つ。今は美鈴だってお姉さまにだって会いたくない。だから何も返事をしない。美鈴は咲夜ほどではないけど気が利くから、きっと黙って帰ってくれるハズ。
――カチャ。と鍵の開く音がする。
一瞬、何が起こっているのか分からないまま顔を上げる。
扉を開けた美鈴と視線がぶつかる。驚いたのは二人とも。そして美鈴が先にしまったと声を上げる。
「すいません。起こしちゃいました?」
「……ううん、いいの。起きてた」
「そうでしたか。ではほんの少しだけ失礼しますね」
言いながら美鈴は机の上に飾ってあるサボテンへと行く。その状態を見て、持ってきたポーチから栄養剤を取り出して、植木鉢に与える。
なんか。ムカつく。涙の跡だって見たハズなのに、どうしてサボテンの方を先に構うのか。あんまり言われたくないけれど、ちょっとくらい心配の言葉が出てもいいじゃない。それとも、本当に用件はサボテンだけ? やた。そんなの。私はいったいなんなの――さっさと出て行ってよ!
「フランドール様」
目だけ向けると、体は向こうに向いたまま顔だけで私を見ている美鈴と目が合う。
「サボテンも、放っておかれたら枯れます。色んな世話を必要としていなくても、気にかけていてもらえて初めて、ちゃんと育つんです」
――分かってるってばそんなこと。
皆が私のこと気にかけてくれていることくらい、分かってる。
でも、美鈴が強引にサボテンをくれた理由がやっと分かった。
私と同じなんだ。あの子も。
「……めーりん」
「はい」
「こっちきてぎゅってして」
「それは、本当に私でいいんですか?」
!
意外だ……見透かされていることも、辛辣な言葉も。
いつもの美鈴ならなし崩しで甘えさせてくれるのに。今日はなんだってこんなに、優しいのか。
ゴネてやろうと思っていた言葉がひっこむ。代わりに悪態をつきたいのだけれど、思考がぐるぐる渦を巻いていてなかなか言葉が出てこない。
「……ばか」
「申し訳ございません」
悪びれた様子も無くお辞儀をして、美鈴はドアへ。
「そろそろ持ち場に戻りますね。では、お大事に」
そんなの気にするのは咲夜くらいなのに、美鈴は持ち場へ戻っていく。その一挙一動が落ち着いた仕草に、なんだかちょっとしてやられた感じ。でも、この距離感がなによりも大事。
体をなんとか動かして、サボテンのところまで行く。確か頑張れば花が咲くと言われたそれには、小さなトゲだけが生え揃っている。仕方がないので刺さらないように撫でる。
うん、私ちょっと頑張ってみる。
こんなしんどい時くらい、甘えたいから。
気がつけば時刻は夜明け前。吸血鬼が眠りに入る時間になっていた。
今にも倒れそうな体を引きずって、お姉さまの部屋へたどり着く。
ノックを三回。返事はなし。
鍵は……かかっていない。恐る恐る入ると、真っ暗な部屋に照明が二つ。枕元のスタンドと、お姉さまの目が暗闇で光っている。
「あら、どうしたのフラン」
「すごく、調子悪いの」
「そう。じゃあ」
一緒に寝る? とレミリアお姉さまはシーツを上げる。
そんなつもりは無かったのだけれど、お姉さまのことだ。私の一日くらい把握しているだろうし、多分これご褒美なのだろう。ここまで来れた私への。
そうでなくてもこの逆らい難い提案に、私は駆け出してベッドに飛び込む。
こらこらと窘めつつお姉さまは私の頭を撫でてくる。ついでに私の翼にも手が伸びる。ほの暗い部屋の中でそれは、少しだけ輝いて見えた。
あまりの幸福に、あれだけ寝たのにまた眠たくなってきた……あくびをかみ殺すと、ツンと鼻がつつかれる。顔を上げると、間近に迫ったお姉さまの顔。
「今晩はフランが私の抱き枕ね」
「……え?」
「いい夢を見ましょう」
有無を言わさず抱き寄せられてしまう。あまりの強引さに呆れるのだけれど、ぎゅってしてもらえるのがたまらなく気持ちよくて何も言えなくなる。お姉さまのやわらかい体、お姉さまの細い腕、お姉さまの甘い匂い、お姉さまの涼しい体温。何もかもが私を溶かしていく。
はい、いい夢を見ましょう。そう返事をするようにこちらからも腕を回す。
私の最悪な一日は、こうして久しぶりにとっても幸福なカタチで終わった。
ぜんぜん力の入らない体。曇りきった気分。鬱なままの心。
記憶していられないくらい、最悪の目覚め。ここから起きるなんてもっての他だ。私というモノを保つだけで精一杯で、とてもじゃないけれど刺激は受け入れられない。それがどんなにやさしいものでも、きっと私は傷ついてしまう。
だから、今日は寝ていよう。寝て、寝て、うっかり三日くらい寝るくらいのつもりで、ベッドの上に居よう。
別によくあることだし。私が居なくてもこの紅魔館の日々は、あまり変わらない。
こうもりの形をした抱き枕を引き寄せる。それだけじゃ足りなくて、七色の輝きを持つ翼ごと抱え込んで、小さくうずくまる。少しだけ私が私を感じられる。それに安心して、起きたばかりなのにとろんと瞼が重くなる。うん。別にいい。このまま寝るのが一番楽なのは知っている。七色の翼をいじる。きらきらに輝いているはずのそれは、ただの石ころみたいに曇ったまま。
それでは、おやすみなさい。
夢を見た。
すごく昔の夢。咲夜どころかパチュリーさえ居ない、そんなある日の紅魔館。
私のところにやってきたレミリアお姉さま。交わされるのは夢特有のちぐはぐな会話。
分かりやすい。実に分かりやすい。私が何を求めているのか。何を望んでいるのか。
そのあまりの露骨さに、次の目覚めをより最悪な気分で迎えてしまう。
なんだってこんなお姉さまお姉さました夢を見てしまったのか。軽い自己嫌悪が私の中で渦巻く。自分でも気持ち悪く思う。ツライからってこんな、すがりつくような願望が芽吹くだなんて。
気を取り直して寝よう。というわけには行かず、ベッドの上でただもんもんとする。睡眠と覚醒の中間で揺られ、揺られ。シーツはやわらかくて、抱き枕はあたたかくて……
コンコンコン。不意のノックに覚醒に引きずり込まれる。
咲夜がやってきた。食事を持ってきた旨を告げてくる。
人間から上手く吸血できない私のリハビリとして、咲夜さんの居るところで食事をするという方法が考案された。人間を見ながら人間を食べることで、少しずつ落ち着かせていくのが目的だ。始めた頃は食べ物の味さえ分からなかったほど緊張したけど、最近ではなんとかお話しながら食べられるまで来ていた。でも、とてもじゃないけれど今は何も口にすることが出来ない。ただの純粋な紅茶でさえ、喉を通りそうに無かった。
食べれない。率直に告げる。
「……かしこまりました。また気が向いたら、いつでもお呼びしてください」
咲夜さんの対応はあっさりしている。失礼しました。と切り上げて部屋の前から去っていく。
この短く無駄の無いやりとりが、本当にありがたい。
すぐに食事のことも、咲夜がやってきたことも忘れて、また睡眠と覚醒の中間に入っていける。
その途中。ふと美鈴が強引に置いていったサボテンに水をやる日だと思い出す。
いいや。サボテンは私と違って強い。少しくらい放っておいても、なんとかなる。
もう意識とも無意識とも区別のつかない時間を、どれだけ過ごしただろう。
それでも一日という時間は長く、また扉をノックする音が響く。
中々戻れない意識の中で、メイドが掃除をしにやってきた旨を告げてくる。
……まだここから出られそうにもない。誰かが近くに来るのも、遠慮したい。だから断りを入れたいのだけれど、体が思い通りに動かない。もう一度ひびくノックの音。うるさい。
「お嬢様。もう三日も掃除していないのですから、お嬢様……」
そんなの分かってる。いちいちうるさい。咲夜がやってきたからどうしてこうみんな日単位で掃除をしにくるようになったのか。以前は一週間くらい軽く放っておいてくれたのに。このメイドもなんて愚図なのか。咲夜から私の調子くらい聞かなかったの? 答えられない時点でどうして引き下がらないの? ああもう――
ボン。と音がする。
気がつけば私は抱き枕を扉に投げつけていた。
それでいい加減に気がついたのか、メイドは失礼しましたと去っていく。
やってしまった最悪の応対。したほうもされたほうも気分が悪くなるだけのやりとり。怒りの火種はほんの小さなものなのに、あっという間に燃え広がってしまう私の心。何度も何度も自分の中で気に食わないものを殺す。殺しつくした屍の果てできっとまた後悔するのに、震える体ではそれも抑えられない。
あんまりにも惨めで、ちょっとだけ泣いて。
そんなとってもじゃないけど誰にも見せられない顔の時に、またノックが響く。
「フランドールさまー? 美鈴でーす」
やってきたのは声のとおり美鈴だ。珍しい、何をしに来たんだろう。
でも、興味より鬱が勝つ。今は美鈴だってお姉さまにだって会いたくない。だから何も返事をしない。美鈴は咲夜ほどではないけど気が利くから、きっと黙って帰ってくれるハズ。
――カチャ。と鍵の開く音がする。
一瞬、何が起こっているのか分からないまま顔を上げる。
扉を開けた美鈴と視線がぶつかる。驚いたのは二人とも。そして美鈴が先にしまったと声を上げる。
「すいません。起こしちゃいました?」
「……ううん、いいの。起きてた」
「そうでしたか。ではほんの少しだけ失礼しますね」
言いながら美鈴は机の上に飾ってあるサボテンへと行く。その状態を見て、持ってきたポーチから栄養剤を取り出して、植木鉢に与える。
なんか。ムカつく。涙の跡だって見たハズなのに、どうしてサボテンの方を先に構うのか。あんまり言われたくないけれど、ちょっとくらい心配の言葉が出てもいいじゃない。それとも、本当に用件はサボテンだけ? やた。そんなの。私はいったいなんなの――さっさと出て行ってよ!
「フランドール様」
目だけ向けると、体は向こうに向いたまま顔だけで私を見ている美鈴と目が合う。
「サボテンも、放っておかれたら枯れます。色んな世話を必要としていなくても、気にかけていてもらえて初めて、ちゃんと育つんです」
――分かってるってばそんなこと。
皆が私のこと気にかけてくれていることくらい、分かってる。
でも、美鈴が強引にサボテンをくれた理由がやっと分かった。
私と同じなんだ。あの子も。
「……めーりん」
「はい」
「こっちきてぎゅってして」
「それは、本当に私でいいんですか?」
!
意外だ……見透かされていることも、辛辣な言葉も。
いつもの美鈴ならなし崩しで甘えさせてくれるのに。今日はなんだってこんなに、優しいのか。
ゴネてやろうと思っていた言葉がひっこむ。代わりに悪態をつきたいのだけれど、思考がぐるぐる渦を巻いていてなかなか言葉が出てこない。
「……ばか」
「申し訳ございません」
悪びれた様子も無くお辞儀をして、美鈴はドアへ。
「そろそろ持ち場に戻りますね。では、お大事に」
そんなの気にするのは咲夜くらいなのに、美鈴は持ち場へ戻っていく。その一挙一動が落ち着いた仕草に、なんだかちょっとしてやられた感じ。でも、この距離感がなによりも大事。
体をなんとか動かして、サボテンのところまで行く。確か頑張れば花が咲くと言われたそれには、小さなトゲだけが生え揃っている。仕方がないので刺さらないように撫でる。
うん、私ちょっと頑張ってみる。
こんなしんどい時くらい、甘えたいから。
気がつけば時刻は夜明け前。吸血鬼が眠りに入る時間になっていた。
今にも倒れそうな体を引きずって、お姉さまの部屋へたどり着く。
ノックを三回。返事はなし。
鍵は……かかっていない。恐る恐る入ると、真っ暗な部屋に照明が二つ。枕元のスタンドと、お姉さまの目が暗闇で光っている。
「あら、どうしたのフラン」
「すごく、調子悪いの」
「そう。じゃあ」
一緒に寝る? とレミリアお姉さまはシーツを上げる。
そんなつもりは無かったのだけれど、お姉さまのことだ。私の一日くらい把握しているだろうし、多分これご褒美なのだろう。ここまで来れた私への。
そうでなくてもこの逆らい難い提案に、私は駆け出してベッドに飛び込む。
こらこらと窘めつつお姉さまは私の頭を撫でてくる。ついでに私の翼にも手が伸びる。ほの暗い部屋の中でそれは、少しだけ輝いて見えた。
あまりの幸福に、あれだけ寝たのにまた眠たくなってきた……あくびをかみ殺すと、ツンと鼻がつつかれる。顔を上げると、間近に迫ったお姉さまの顔。
「今晩はフランが私の抱き枕ね」
「……え?」
「いい夢を見ましょう」
有無を言わさず抱き寄せられてしまう。あまりの強引さに呆れるのだけれど、ぎゅってしてもらえるのがたまらなく気持ちよくて何も言えなくなる。お姉さまのやわらかい体、お姉さまの細い腕、お姉さまの甘い匂い、お姉さまの涼しい体温。何もかもが私を溶かしていく。
はい、いい夢を見ましょう。そう返事をするようにこちらからも腕を回す。
私の最悪な一日は、こうして久しぶりにとっても幸福なカタチで終わった。
自分は良い作品と判断しましたのでこれで。
作者さんもGJ
久しぶりにカッコいい美鈴をみた気がする!
つぎも楽しみにしています。姉妹最強!
今後も期待
うつは本当に力が入らなくなるらしいですね。無気力とかってレベルじゃないくらいに。
フランちゃんも辛いだろうなぁ。
もっと幸せになるべき。
辛いだけじゃなくて、救いもあるって感じが。
欝は、わかんないですねぇ。逃げるのが得意な上に逃げ癖がついてるせいで。
そしてさっきゅん台なしだ…